主師親御書
主師親御書の概要 【建長七年 聖寿三十四歳御作】 釈迦仏は我等が為には主なり師なり親なり一人してすくひ護ると説き給へり、阿弥陀仏は我等が為には主ならず親ならず師ならず、然れば天台大師是を釈して日く「西方は仏別にして縁異なり仏別なるが故に隠顕の義成ぜず縁異なるが故に子父の義成ぜず 、又此の経の首末に全く此の旨無し眼を閉じて穿鑿せよ」と実なるかな釈迦仏は中天竺の浄飯大王の太子として十九の御年家を出で給いて檀特山と申す山に篭らせ給ひ、高峯に登つては妻木をとり深谷に下つては水を結び難行苦行して御年三十と申せしに仏にならせ給いて一代聖教を説き給いしに、上には華厳阿含方等般若等の種種の経経を説かせ給へども内心には法華経を説かばやとおぼしめされしかども衆生の機根まちまちにして一種ならざる間仏の御心をば説き給はで人の心に随ひ万の経を説き給へり、此くの如く四十二年が程は心苦しく思食しかども今法華経に至つて我が願既に満足しぬ我が如くに衆生を仏になさんと説き給へり、久遠より已来或は鹿となり或は熊となり或時は鬼神の為に食われ給へり、此くの如き功徳をば法華経を信じたらん衆生は是れ真仏子とて是実の我が子なり此の功徳を此の人に与へんと説き給へり、是れ程に思食したる親の釈迦仏をばないがしろに思ひなして唯以一大事と説き給へる法華経を信ぜざらん人は争か仏になるべきや能く能く心を留めて案ずべし。 二の巻に云く「若し人信ぜずして此の経をx謗せば則ち一切世間の仏種を断ず乃至余経の一偈をも受けざれ」と文の心は仏にならん為には唯法華経を受持せん事を願つて余経の一偈一句をも受けざれと、三の巻に云く「飢国より来つて忽ち大王の膳に遇うが如し」と文の心は飢えたる国より来つて忽に大王の膳にあへり心は犬野干の心を致すとも迦葉目連等の小乗の心をば起さざれ 破れたる石は合うとも枯木に花はさくとも二乗は仏になるべからずと仰せられしかば須菩提は茫然として手の一鉢をなげ迦葉は涕泣の声大千界を響すと申して歎き悲みしが今法華経に至つて迦葉尊者は光明如来の記・を授かりしかば目連須菩提摩訶迦旃延等は是を見て我等も定めて仏になるべし飢えたる国より来つて忽に大王の膳にあへるが如しと喜びし文なり、我等衆生無始曠劫より已来妙法蓮華経の如意宝珠を片時も相離れざれども無明の酒にたぼらかされて衣の裏にかけたりとしらずして少きを得て足りぬと思ひぬ、南無妙法蓮華経とだに唱え奉りたらましかば速に仏に成るべかりし衆生どもの五戒十善等のわずかなる戒を以て或は天に生れて大梵天帝釈の身と成つていみじき事と思ひ或時は人に生れて諸の国王大臣公卿殿上人等の身と成つて是れ程のたのしみなしと思ひ少きを得て足りぬと思ひ悦びあへり、是を仏は夢の中のさかへまぼろしのたのしみなり唯法華経を持ち奉り速に仏になるべしと説き給へり、又四の巻に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」云云。 釈迦仏は師子頬王の孫浄飯王には嫡子なり十善の位をすて五天竺第一なりし美女耶輸多羅女をふりすてて十九の御年出家して勤め行ひ給いしかば三十の御年成道し御坐して三十二相八十種好の御形にて御幸なる時は大梵天王帝釈左右に立ち多聞持国等の四天王先後囲繞せり、法を説き給ふ御時は四弁八音の説法は祇園精舎に満ち三智五眼の徳は四海にしけり、然れば何れの人か仏を悪むべきなれども尚怨嫉するもの多し、まして滅度の後一毫の煩悩をも断ぜず少しの罪をも弁へざらん法華経の行者を悪み嫉む者多からん事は雲霞の如くならんと見えたり、然れば則ち末代悪世に此の経を有りのままに説く人には敵多からんと説かれて候に世間の人人我も持ちたり我も読み奉り行じ候に敵なきは仏の虚言か法華経の実ならざるか、又実の御経ならば当世の人人経をよみまいらせ候は虚よみか実の行者にてはなきか如何 能く能く心得べき事なり明むべき物なり、四の巻に多宝如来は釈迦牟尼仏御年三十にして仏に成り給ふに、初には華厳経と申す経を十方華王のみぎりにして別円頓大の法輪法慧垢徳林金剛幢金剛蔵の四菩薩に対して三七日の間説き給いしにも来り給はず、其の二乗の機根叶はざりしかば瓔珞細・の衣をぬぎすて・弊垢膩の衣を著波羅奈国鹿野苑に趣いて十二年の間生滅四諦の法門を説き給ひしに阿若倶鄰等の五人証果し八万の諸天は無生忍を得たり、次に欲色二界の中間大宝坊の儀式浄名の御室には三万二千の牀を立て般若白鷺池の辺十六会の儀式染浄虚融の旨をのべ給いしにも来り給はず、法華経にも一の巻乃至四の巻人記品までも来り給はず宝塔品に至つて初めて来り給へり。 釈迦仏先四十余年の経を我と虚事と仰せられしかば人用うる事なく法華経を真実なりと説かせ給へども仏と云うは無虚妄の人とて永く虚言し給はずと聞きしに一日ならず二日ならず一月ならず二月ならず一年二年ならず四十余年の程まで虚言したり仰せられしかば又此の経を実と説き給うも虚言にやあらんずらんと不審なししかば此の不審釈迦仏一人しては舎利弗を始め事はれがたかりしに此の多宝仏宝浄世界よりはるばると来らせ給いて法華経は皆是れ真実なりと証明し給いしに先の四十余年の経を虚言と仰せらるる事実の虚言に定まるなり、又法華経より外の一切経を空に浮べて文文句句阿難尊者の如く覚り富楼那の弁舌の如くに説くとも其れを難事とせず、又須弥山と申す山は十六万八千由旬の金山にて候を他方世界へつぶてになぐる者ありとも難事には候はじ、仏の滅度の後当世末代悪世に法華経を有りのままに能く説かん是を難しとすと説かせ給へり、五天竺第一の大力なりし提婆達多も長三丈五尺広一丈二尺の石をこそ仏になげかけて候いしか又漢土第一の大力楚の項羽と申せし人も九石入の釜に水満ち候いしをこそひさげ候いしか其れに是は須弥山をばなぐる者は有りとも此の経を説の如く読み奉らん人は有りがたしと説かれて候に人ごとに此の経をよみ書き説き候、経文を虚言に成して当世の人人を皆法華経の行者と思ふべきか能く能く御心得有るべき事なり、五の巻提婆品に云く 「若し善男子善女人有りて妙法華経の提婆達多品を聞いて浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は地獄餓鬼畜生に堕せずして十方の仏前に生ぜん」と、此の品には二つの大事あり一には提婆達多と申すは阿難尊者には兄斛飯王には嫡子師子頬王には孫仏にはいとこにて有りしが仏は 中にも三悪道におちずと説かれて候其の地獄と申すは八寒八熱乃至八大地獄の中に初め浅き等活地獄を尋ぬれば此の 日蓮 花押 |