高橋殿御返事
高橋殿御返事建治元年七月二十六日の概要 【建治元年七月二十六日、高橋六郎入道、聖寿五十四歳】 瓜一篭、ささげひげ、こえだまめ(小枝豆)、ねいも(根芋)、かうのうり給ひ候ひ畢ぬ。 付法蔵経と申す経には、いさご(沙)のもちゐ(餅)を仏に供養しまいらせしわらは(童)、百年と申せしに一 法華経の法師品には而於一劫中と申して、一劫が間釈迦仏を種種に供養せる人の功徳と、末代の法華経の行者を須臾も供養せる功徳とたくらべ候に、其福復彼に過ぐと申して、法華経の行者を供養する功徳すぐれたり。 これを妙楽大師釈して云く「供養すること有らん者は福十号に過ぐ」云云。 されば仏を供養する功徳よりもすぐれて候なれば、仏にならせ給はん事疑ひなし。 其の上、女人の御身として尼とならせ給て候なり。いよいよ申すに及ばず。但しさだめて念仏者にてやをはすらん。 たうじ(当時)の念仏者・持斎は国をほろぼし、他国の難をまねくものにて候。 日本国の人人は、一人もなく日蓮がかたきとなり候ひぬ。 梵王・帝釈・日月・四天のせめをかほりて、たうじのゆき(壱岐)つしま(対馬)のやうになり候はんずるに、いかがせさせ給ふべき、いかがせさせ給ふべき。 なによりも入道殿の御所労なげき入て候。しばらくいきさせ給て、法華経を謗ずる世の中御覧あれと候へ。日本国の人人は、大体はいけどりにせられ候はんずるなり。 日蓮を二度までながし、法華経の五の巻をもてかうべ(頭)を打ち候ひしは、こり候はんずらむ。 七月二十六日 日蓮花押 |