高橋入道殿御返事
高橋入道殿御返事建治元年七月二十二日の概要 【建治元年七月十二日、聖寿五十四歳、真筆−断存】 進上 日蓮 我等が慈父大覚世尊は、人寿百歳の時、中天竺に出現しましまして、一切衆生のために、一代聖教をとき給ふ。 仏在世の一切衆生は、過去の宿習有て仏に縁あつかりしかば、すでに得道成りぬ。 我が滅後の衆生をばいかんがせんとなげき給ひしかば、八万聖教を文字となして、一代聖教の中に小乗経をば迦葉尊者にゆづり、大乗経並に法華経・涅槃等をば文殊師利菩薩にゆづり給ふ。 但八万聖教の肝心・法華経の眼目たる妙法蓮華経の五字をば、迦葉・阿難にもゆづり給はず。又文殊・普賢・観音・弥勒・地蔵・竜樹等の大菩薩にもさづけ給はず。 此等の大菩薩等ののぞみ申せしかども、仏ゆるし給はず。大地の底より上行菩薩と申せし老人を召しいだして、多宝仏・十方の諸仏の御前にして、釈迦如来七宝の塔中にして、妙法蓮華経の五字を上行菩薩にゆづり給ふ。 其の故は、我が滅後の一切衆生は皆我が子なり。いづれも平等に不便にをもうなり。 しかれども医師の習ひ、病に随て薬をさづくる事なれば、我が滅後五百年が間は迦葉・阿難等に小乗経の薬をもつて一切衆生にあたへよ。 次の五百年が間は文殊師利菩薩・弥勒菩薩・ 我が滅後一千年すぎて像法の時には薬王菩薩・観世音菩薩等、法華経の題目を除て余の法門の薬を一切衆生にさづけよ。 末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経並に法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂病は重し薬はあさし。 其の時上行菩薩出現して、妙法蓮華経の五字を一 所謂さる(猿)のいぬ(犬)をみたるがごとく、鬼神の人をあだむがごとく、過去の不軽菩薩の一切衆生にのり、あだまれしのみならず、杖木瓦礫にせめられしがごとく、覚徳比丘が殺害に及ばれしがごとくなるべし。 其の時は迦葉・阿難等も或は霊山にかくれ、恒河に没し、弥勒・文殊等も或は都率の内院に入り、或は香山に入らせ給ひ、観世音菩薩は西方にかへり、普賢菩薩は東方にかへらせ給ふ。 諸経は行ずる人はありとも、守護の人なければ利生あるべからず。諸仏の名号は唱ふるものありとも、天神これをかご(加護)すべからず。但小牛の母をはなれ、金鳥のたかにあえるがごとくなるべし。 其の時十方世界の大鬼神一 殊に国中の智者げなる持戒げなる僧尼の心に此の鬼神入て国主並に臣下をたぼらかさん。 此の時上行菩薩の御かびをかほりて、法華経の題目南無妙法蓮華経の五字計りを一切衆生にさづけば、彼の四衆等並に大僧等此の人をあだむ事、父母のかたき、宿世のかたき、朝敵怨敵のごとくあだむべし。 其の時大なる天変あるべし。所謂日月蝕し、大なる彗星天にわたり、大地震動して水上の輪のごとくなるべし。 其の後は 此ひとえに上行菩薩のかびをかをほりて法華経の題目をひろむる者を、或はのり、或はうちはり、或は流罪し、或は命をたちなんどするゆへに、 仏前にちかいをなせし梵天・帝釈・日月・四天等の法華経の座にて誓状を立てて、法華経の行者をあだまん人をば、父母のかたきよりもなをつよくいましむべしと、ちかうゆへなりとみへて候に、 今日蓮日本国に生れて一切経並に法華経の明鏡をもて、日本国の一切衆生の面に引向けたるに寸分もたがはぬ上、仏の記し給ひし天変あり、地夭あり。 定て此の国亡国となるべしとかねてしりしかば、これを国主に申すならば国土安穏なるべくもたづねあきらむべし。亡国となるべきならばよも用ひじ。 用ひぬ程ならば日蓮は流罪死罪となるべしとしりて候ひしかども、仏いましめて云く、此の事を知りながら身命ををしみて一切衆生にかたらずば、我が敵たるのみならず、一切衆生の怨敵なり。必ず阿鼻大城に墮つべしと記し給へり。 此に日蓮進退わづらひて、此の事を申すならば我が身いかにもなるべし。 我が身はさてをきぬ、父母兄弟並に千万人の中にも一人も随ふものは国主万民にあだまるべし。 彼等あだまるるならば仏法はいまだわきまへず、人のせめはたへがたし、仏法を行ずるは安穏なるべしとこそをもうに、此の法を持つによつて大難出来するはしんぬ此の法を邪法なり、と誹謗して悪道に堕つべし。此も不便なり。 又此を申さずば仏誓に違する上、一切衆生の怨敵なり。大阿鼻地獄疑ひなし。いかんがせんとをもひしかども、をもひ切て申し出しぬ。 申し始めし上は又ひきさすべきにもあらざれば、いよいよつより申せしかば、仏の記文のごとく、国主もあだみ、万民もせめき。 あだをなせしかば、天もいかりて日月に大変あり。大せいせい(彗星)も出現しぬ。大地もふりかえしぬべくなりぬ。どしうちもはじまり、他国よりもせめるなり。 仏の記文すこしもたがわず。日蓮が法華経の行者なる事も疑はず。 但し去年かまくら(鎌倉)より此のところへにげ入り候ひし時、道にて候へば各各にも申すべく候ひしかども申す事もなし。 又先度の御返事も申し候はぬ事はべちの子細も候はず。なに事にか各各をばへだてまいらせ候べき。 あだをなす念仏者・禅宗・真言師等をも並に国主等をもたすけんがためにこそ申せ。かれ等のあだをなすはいよいよ不便にこそ候へ。 まして一日も我がかたとて心よせなる人人はいかんがをろかなるべき。 世間のをそろしさに妻子ある人人のとをざかるをばことに悦ぶ身なり。 日蓮に付てたすけやりたるかたわなき上、わづかの所領をも召さるるならば、子細もしらぬ妻子所從等がいかになげかんずらんと心ぐるし。 而も去年の二月に御勘気をゆりて、三月の十三日に佐渡の国を立ち、同月の二十六日にかまくら(鎌倉)に入る、同四月の八日 それにとて日蓮はな(離)して日本国にたすくべき者一人もなし。たすからんとをもひしたうならば、日本国の念仏者と禅と律僧等の頚を切てゆい(由比)のはま(浜)にかくべし。それも今はすぎぬ。 但し皆人のをもひて候は、日蓮をば念仏師と禅と律をそしるとをもひて候。これは物のかずにてかずならず。 真言宗と申す宗がうるわしき日本国の大なる呪咀の悪法なり。弘法大師と慈覚大師、此の事にまどひて此の国を亡さんとするなり。 設ひ二年三年にやぶるべき国なりとも、真言師にいのらする程ならば、一年半年に此のくににせめらるべしと申しきかせて候ひき。 たすけんがために申すを此程あだまるる事なれば、ゆりて候ひし時、さど(佐渡)の国よりいかなる山中海辺にもまぎれ入るべかりしかども、此の事をいま一度 又申しきかせ候ひし後はかまくらに有るべきならねば、足にまかせていでしほどに、便宜にて候ひしかば、設ひ各各はいとはせ給ふとも、今一度はみたてまつらんと千度をもひしかども、心に心をたたかいてすぎ候ひき。 そのゆへはするが(駿河)の国は守殿の御領、ことにふじ(富士)なんどは後家尼ごぜんの内の人人多し。 故最明寺殿・極楽寺殿の御かたきといきどをらせ給ふなれば、ききつけられば各各の御なげきなるべしとおもひし心計りなり。 いまにいたるまでも不便にをもひまいらせ候へば御返事までも申さず候ひき。 この御房たちのゆきすり(通行)にも、あなかしこあなかしこ、ふじ(富士)かじま(賀島)のへんへ立ちよるべからずと申せども、いかが候らんとをぼつかなし。 ただし真言の事ぞ御不審にわたらせ給ひ候らん。いかにと法門は申すとも御心へあらん事かたし。但眼前の事をもつて知しめせ。 隠岐の法皇は人王八十二代、神武よりは二千余年、天照太神入りかわらせ給て人王とならせ給ふ。 いかなる者かてきすべき上、欽明より隠岐の法皇にいたるまで漢土・百済・新羅・高麗よりわたり来る大法秘法を、叡山・東寺・園城・七寺並に日本国にあがめをかれて候。此れは皆国を守護し国主をまほらんためなり。 隠岐の法皇、世をかまくらにとられたる事を口をしとをぼして、叡山・東寺等の高僧等をかたらひて、義時が命をめしとれと行ぜしなり。 此の事一年二年ならず、数年調伏せしに、権の大夫殿はゆめゆめしろしめさざりしかば一法も行じ給はず、又行ずとも叶ふべしともをぼへずありしに、天子いくさ(軍)にまけさせ給て、隠岐の国へつかはされさせ給ふ。 日本国の王となる人は天照太神の御魂の入りかわらせ給ふ王なり。先生の十善戒の力といひ、いかでか国中の万民の中にはかたぶくべき。 設ひとが(失)ありとも、つみ(罪)あるをや(親)を失なき子のあだむにてこそ候ひぬらめ。 設ひ親に重罪ありとも、子の身として失に行はんに天うけ給ふべしや。しかるに隠岐の法皇のはぢ(恥)にあはせ給ひしはいかなる大禍ぞ。 此れひとへに法華経の怨敵たる日本国の真言師をかたらはせ給ひしゆへなり。 一切の真言師は灌頂と申して釈迦仏等を八葉の蓮華にかきて此れを足にふみて秘事とするなり。 かかる不思議の者ども諸山諸寺の別当とあおぎてもてなすゆへに、たみ(民)の手にわたりて現身にはぢにあひぬ。 此の大悪法又かまくらに下て御一門をすかし、日本国をほろぼさんとするなり。 此の事最大事なりしかば弟子等にもかたらず、只いつはりをろかにて念仏と禅等計りをそしりてきかせしなり。 今は又用ひられぬ事なれば、身命もおしまず弟子どもに申すなり。 かう申せばいよいよ御不審あるべし。日蓮いかにいみじく尊くとも慈覚・弘法にすぐるべきか。この疑すべては(晴)るべからず。いかにとかすべき。 但し皆人はにくみ候に、すこしも御信用のありし上、此れまでも御たづねの候は只今生計りの御事にはよも候はじ。定めて過去のゆへか。 御所労の大事にならせ給て候なる事あさましく候。但しつるぎ(剣)はかたきのため、薬は病のため。 而も法華経は「 但し御疑のわたり候はんをば力をよばず。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。 高橋入道殿御返事覚乗房はわき(伯耆)房に度度よませてきこしめせ、きこしめせ。恐々。 伯耆)房に度 七月十二日 日蓮花押 |