善無畏抄

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善無畏抄の概要

【文永三年、聖寿四十五歳、真筆−断存】 
善無畏三蔵は月氏烏萇奈国の仏種王の太子なり。七歳にして位に即き給ふ、十三にして国を兄に譲り出家遁世し、五天竺を修行して、五乗の道を極め、三学を兼ね給ひき。
達磨掬多と申す聖人に値ひ奉て真言の諸印契一時に頓受し、即日に御灌頂なし、人天の師と定まり給ひき。
鶏足山に入ては迦葉尊者の髪を剃り、王城に於て雨を祈り給ひしかば、観音日輪の中より出て水瓶を以て水を灌ぎ、北天竺の金粟王の塔の下にして仏法を祈請せしかば、文殊師利菩薩大日経の胎蔵の曼荼羅を現して授け給ふ。
其の後開元四年丙辰に漢土に渡る。玄宗皇帝之を尊むこと日月の如し。
又大旱魃あり。皇帝勅宣を下す。三蔵、一鉢に水を入れ暫く加持し給ひしに、水の中に指許りの物有り、変じて竜と成る。其の色赤色なり。白気立ち昇り、鉢より竜出でて虚空に昇り、忽に雨を降す。此の如くいみじき人なれども、一時に頓死して有りき。
蘇生て語て云く、我死つる時、獄卒来て鉄の縄七筋付け、鉄の杖を以て散々にさいなみ、閻魔宮に到りにき。
八万聖教一字一句も覚えず、唯法華経の題名許り忘れざりき。題名を思ひしに鉄の縄少し許りぬ。
息続て高声に唱へて云く「今此三界 皆是我有 其中衆生(ごちゅうしゅじょう) 悉是吾子(しつぜごし) 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護」等云云。
七つの鉄の縄切れ砕け十方に散す。閻魔冠を傾けて南庭に下り向ひ給ひき。今度は命尽きずとて帰されたるなりと語り給ひき。
今日蓮不審して云く、善無畏三蔵は先生に十善の戒力あり。五百の仏陀に仕へたり。
今生には捨て難き王位をつばき(唾)を捨てるが如く之を捨て、幼少十三にして出家し給ひ、月支国を廻て諸宗を習ひ極め、天の感を蒙り、化道の心深くして震旦国に渡て、真言の大法を弘めたり。
一印一真言を結び誦すれば、過去現在の無量の罪滅しぬらん。何の科に依て閻魔の責をば蒙り給ひけるやらん。不審極り無し。
善無畏三蔵、真言の力を以て閻魔の責を脱れずば、天竺・震旦・日本等の諸国の真言師、地獄の苦を脱るべきや。
委細に此の事を勘へたるに、此の三蔵は世間の軽罪は身に御せず。諸宗並に真言の力にて滅しぬらん。此の責は別の故無し。法華経誹謗の罪なり。
大日経の義釈を見るに、此の経は是れ法王の秘宝、妄りに卑賎の人に示さず。
釈迦出世の四十余年に舎利弗慇懃の三請に因て、方に為に略して妙法蓮華の義を説くが如し。
今此の本地の身又是れ妙法蓮華最深秘処なり。故に寿量品(じゅりょうほん) に云く「常に霊鷲山及び余の諸の住処に在り、乃至我が浄土は毀れざるに而も衆は焼き尽くと見る」と。即ち此の宗瑜伽の意なるのみ。
又「補処の菩薩の慇懃三請に因て方に為に之を説く」等云云。
此の釈の心は、大日経に本迹二門・開三顕一・開近顕遠の法門有り。法華経の本迹二門の如し。
此の法門は法華経に同じけれども、此の大日経に印と真言と相加わりて三密相応せり。
法華経は但意密許りにて身口の二密欠けたれば、法華経をば略説と云ひ、大日経をば広説と申すべきなりと書かれたり。
此の法門第一の誤、謗法の根本なり。此の文に二つの誤り有り。
又義釈に云く「此の経横に一切の仏教を統ぶ」等云云。大日経は当分随他意の経なるを、誤て随自意跨節の経と思へり。
かたがた誤りたるを実務と思し食す故に、閻魔の責をば蒙りたりしか。
智者にて御座せし故に、此の謗法を悔い還して法華経に翻りし故に、此の責を免がるるか。
天台大師釈して云く「法華は衆経(しゅうきょう)を総括す、乃至軽慢止まざれば舌口中に爛る」等云云。
妙樂大師云く「已今当の妙此に於て固く迷へり。舌爛止まざるは猶華報と為す。謗法の罪苦長劫に流る」等云云。
天台・妙樂の心は、法華経に勝れたる経有りと云はむ人は、無間地獄に堕つべしと書かれたり。
善無畏三蔵は、法華経と大日経とは理は同じけれども事の印真言は勝れたりと書かれたり。
然るに二人の中に一人は必悪道に堕つべしとをぼふる処に、天台の釈は経文に分明なり。善無畏の釈は経文に其証拠見えず。
其の上閻魔王の責の時、我が内証の肝心と思食す大日経等の三部経の内の文を誦せず。法華経の文を誦して此の責を免れぬ。疑無く法華経に真言勝ると思ふ誤りを翻したるなり。
其の上善無畏三蔵の御弟子不空三蔵の法華経の儀軌には、大日経・金剛頂経の両部の大日をば左右に立て、法華経多宝仏をば不二の大日と定めて、両部の大日をば左右の臣下の如くせり。
伝教(でんぎょう)大師は延暦(えんりゃく)二十三年の御入唐、霊感寺の順暁和尚に真言三部の秘法を伝ふ、仏滝寺の行満座主に天台止観宝珠を請け取り、顕密二道の奥旨を極め給ひたる人なり。
華厳・三論・法相・律宗の人人の自宗我慢の辺執を倒して、天台大師に帰入せる由を書かせ給て候。
依憑集・守護章・秀句なむど申す書の中に、善無畏・金剛智・不空等は天台宗に帰入して智者大師を本師と仰ぐ由のせられたり。
各各思へらく、宗を立つる法は自宗をほめて他宗を嫌ふは常の習なりと思へり。
法然なむどは又此例を引て、曇鸞(どんらん)の難易、道綽(どうしゃく)の聖道・浄土、善導(ぜんどうく)が正雑二行の名目を引て、天台・真言等の大法を念仏の方便と成せり。
此等は牛跡に大海を入れ、県の額を州に打つ者なり。世間の法には下剋上・背上向下は国土亡乱の因縁なり。
仏法には権小の経経を本として実経をあなづる、大謗法の因縁なり。恐るべし恐るべし。
嘉祥寺の吉蔵大師は三論宗の元祖、或時は一代聖教を五時に分け、或時は二蔵と判ぜり。
然りと雖も竜樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)の造の百論・中論・十二門論・大論を尊て般若経を依憑と定め給ひ、天台大師を辺執して過ぎ給ひし程に、
智者大師の梵網等の疏を見て少し心とけ、やうやう近づきて法門を聴聞せし程に、結句は一百余人の弟子を捨て、般若経並に法華経をも講ぜず、七年に至て天台大師に仕へさせ給ひき。
高僧伝には「衆を散じ身を肉橋と成す」と書かれたり。天台大師高座に登り給へば寄て肩を足に備へ、路を行き給へば負奉り給て堀を越え給ひき。吉蔵大師程の人だにも謗法を恐れてかくこそ仕へ給ひしか。
然るを真言・三論・法相等の宗宗の人々、今末末に成て辺執せさせ給ふは自業自得果なるべし。
今の世に浄土宗・禅宗なんど申す宗宗は、天台宗にをとされし真言・華厳等に及ぶべからず。
依経既に楞伽経・観経等なり。此等の経経は仏の出世の本意にも非ず、一時一会の小経なり。一代聖教を判ずるに及ばず。
而も彼の経経を依経として一代の聖教を聖道浄土・難行易行・雑行正行に分ち、教外別伝(きょうげべつでん)なむどののしる。譬へば民が王をしえたげ、小河の大海を納むるが如し。
かかる謗法の人師どもを信じて後生を願ふ人人は無間地獄脱るべきや。
然れば当世の愚者は仏には釈迦牟尼仏を本尊と定めぬれば自然に不孝の罪脱がれ、法華経を信じぬれば不慮に謗法の科を脱れたり。
其の上女人は五障三従と申して、世間出世に嫌はれ一代の聖教に捨てられ畢ぬ。
唯法華経計りにこそ竜女が仏に成り、諸の尼の記■はさづけられて候ひぬれば、一切の女人は此の経を捨てさせ給ては何の経をか持たせ給ふべき。
天台大師は震旦国の人、仏滅後一千五百余年に仏の御使として世に出でさせ給ひき。
法華経に三十巻の文を注し給ひ、文句と申す文の第七の巻には「他経には但男に記して女に記せず」等云云。
男子も余経にては仏に成らざれども且らく与へて其をば許してむ。女人に於ては一向諸経に於ては叶ふべからずと書かれて候。
縦令千万の経経に女人成るべしと許され為りと雖も、法華経に嫌はれなば何の憑か有るべきや。
教主釈尊、我が諸経四十余年の経経を未顕真実(みけんしんじつ)と悔い返し、涅槃経等をば当説と嫌ひ給ひ、無量義経をば今説と定め置き、三説に秀でたる法華経に、
「正直に方便を捨て但無上道を説く、世尊の法は久しくして後要当に真実を説くべし」と釈尊宣べ給ひしかば、宝浄世界の多宝仏は大地より出でさせ給て真実なる由の証明を加へ、十方分身の諸仏は広長舌を梵天に付け給ふ。
十方世界微塵数の諸仏の舌相は不妄語戒の力に酬て、八葉の赤蓮華に生出させ給ひき。
一仏二仏三仏乃至十仏百仏千万億仏の、四百万億那由佗の世界に充満せる仏の御舌を以て定め置き給へる女人成仏の義なり。
謗法無くして此の経を持つ女人は、十方虚空に充満せる慳貪・嫉妬・瞋恚・十悪・五逆なりとも、草木の露の大風にあえるなるべし。三冬の氷の夏の日に滅するが如し。
但滅し難き者は法華経謗法の罪なり。譬へば三千大千世界の草木を薪と為すとも、須弥山は一分も損じ難し。
縱令七つの日出でて百千日照すとも、大海の中をばかわかしがたし。
但滅し難き者は法華経謗法の罪なり。譬へば三千大千世界の草木を薪と為すとも、須弥山は一分も損じ難し。
我等過去・現在・未来の三世の間に仏に成らずして六道の苦を受くるは、偏に法華経誹謗の罪なるべし。
女人と生れて百悪身に備ふるも、根本此の経誹謗の罪より起れり。
然者此の経に値ひ奉らむ女人は、皮をはいで紙と為し、血を切て墨と為し、骨を折て筆と為し、血の涙を硯の水と為して書き奉ると雖も飽く期あるべからず。
何に況や衣服・金銀・牛馬・田畠等の布施を以て供養せむは、もののかずにてかずならず。

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