報恩抄文段下

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報恩抄文段下

 (第八段 日蓮大聖人の諫暁)


一、日本国は慈覚・智証・弘法の流なり等文。(三一一n)

 この下は次に末法今時は但蓮祖一人のみ法華経の行者なることを明かす、また二と為す。初めに前を結して後を生じ、次に「かかる謗法の国」の下は、正しく明かす。初めの前を結し後を生ずるの文、また三と為す。初めに正しく結し、次に例を引き、三に「いわうや」は結なり。

 文にいう「大荘厳仏の末・一切明王仏の末法」等とは、この下は次に例を引くなり。健抄に云く「諸法無行経に明王仏の末法の事を説く、是れは喜根勝意の事なり」と云云。この中に「明王仏」とは、これ謬りなり。諸法無行経には師子音王仏の末法の喜根勝意の事を説く故なり。弘の八本 二十七、大論第六 二十二に云云。啓蒙に云く「仏蔵経の説相、大荘厳仏の滅後に苦岸等の四比丘、普事比丘を謗じて無間に堕ち、久久の後、一切明王仏の法の中に於て出家修道すと雖も、得道とすること無く、亦無間に堕つと云云。故に今の文、此の始終に依って二仏を出す。別の因縁に非ず」等云云。

 今謂く、恐らくはこれ別の因縁なり。謂く、初めに仏蔵経の大荘厳経仏の末法の苦岸等に例し、次に諸法無行経の師子音王仏の末法の勝意等に例するなり。故に「一切明王仏」というは、恐らくはこの文に謬れり。応に「師子音王仏」に作るべきなり。

 問う、何を以てこの文の謬れることを知るを得んや。

 答う一には既に彼の末法を引き、此の末法に例す。故に今「末法のごとし」というが故なり。然るに仏蔵経の一切明仏は末法の事を説くに非ず、直ちに出世の時を説く故に、彼の文に云く「然る後に一切明仏に値うことを得て」等云云。この文分明なり。二には兄弟抄に例して当文の意を推するが故に。御書十六 七に云く「大荘厳仏の末の六百八十億の檀那等は苦岸等の四比丘に・たぼらかされて普事比丘を怨みてこそ乃至無間地獄を経しぞかし、一切明(師子音)王仏の末の男女等は勝意比丘と申せし持戒の僧をたのみて喜根比丘を笑うてこそ無量劫が間・地獄に堕ちつれ」と。

 この文、明王仏というと雖も、既に勝意比丘等という。明らかに知んぬ、「一切明王仏」の五字、正しくこれ謬りなることを。彼を以て此に例するに、豈爾らざんや。当に知るべし、兄弟抄及び当抄は同じくこれ建治二年の御述作なり。或は恐らく示同凡夫の日、臨時の御失念ならんか。妙楽大師、夢に証真に告げて云く「此れはこれ臨時の失錯、不慮の筆謬なり。取捨情に任せて、改定を憚ること勿れ」等云云。宗祖の御意もまたまた然るべし。故に憚少なからずと雖も、謹んでこれを改むるのみ。

 問う、仍分明の証文これありや。

 答う、諌暁八幡抄二十七 二十二に云く「弘法等の三大師は法華経の名をかみあげて戲論なんどかかれて四百余年一切衆生を皆謗法の者となせり、例せば大荘厳仏の末の四比丘が六百億那由佗の人を皆無間地獄に堕せると、師子音王仏の末の勝意比丘が無量無辺の持戒の四衆を皆阿鼻大城に導きしと」(取意)と。この文分明なり。即ち当抄の意に同じきなり。八幡抄は弘安三年の御述作なり。

一、かかる謗法の国なれば天もすてぬ等文。(三一二n)

 次にこの文の下は正しく明かす、また二と為す。初めに呵責謗法、次二十丁に「此の事、日本国の中」の下は知恩報恩なり。初めの呵責謗法、また二と為す。初めに国主諫暁、次四丁に「法滅尽経」の下は真言責破なり。初めの国主諌暁をまた二と為す。初めに諸天善神の謗国を捨離するを示し、次に「但日蓮」の下は正しく諫暁を明かす。初めの文に「守護の善神」というは、凡そ神に三種あり。所謂法性神、有覚神、邪横神なり。法性神というはこれ万法の精霊、天然不測の理なり。故に善悪として分つべきなく、来去として論ずべきなし。若し邪横神とは、即ちこれ実迷の悪霊神なり。故に今の所論に非ず。第二の有覚神とは、即ちこれ垂迹和光の神明なり。所謂仏菩薩、内証三身の光を和げ、同居四住の塵に交り、物と結縁したまうを即ち善神と名づくるなり。今は第二の有覚神に約す。故に「守護の善神」というなり。

 問う、善神何ぞ必ず謗国を捨離するや。

 答う、多くの所以あり。

 一には仏前の誓約に依る故なり。且く一文を引かん。金光明経に云く「其の国土に於て此の経有りと雖も、未だ嘗て流布せず、捨離の心を生じ乃至遂に無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くを得ざらしめ、威光及以び勢力有ること無からしむ。世尊、我等斯くの如き事を見て其の国土を捨て、擁護の心無し。亦無量の諸大善神有るも、皆悉く捨去せん」等云云。具に案国論の如し。外の四新池抄に云く「霊山の起請のおそろしさに社を焼き払いて天に上らせ給いぬ」等云云。

 二には法味を嘗めざるに依る故なり。謗法の法味は厠の糞土の如し。妙法の法味は天の甘露の如し。唱法華題目抄二十三に云く「守護の善神は法味をなめざる故に威光を失ひ利生を止此の国をすて他方に去り給い」等云云。その外諸文にこれ多し。

 三には住処なきに依る故なり。謗法の頂は洞然として猛火の如く、正法の頂は七宝の宮殿の如し。四条金吾抄十六 六十一に云く「八幡大菩薩は乃至正直の頂に・やどらんと誓い給ふ乃至正直の人の頂の候はねば居処なき故に栖なくして天にのぼり給いけるなり」云云と。八幡既に爾なり、余神もまた爾なり。新池抄に云く「天照大神・八幡大菩薩・天に上らせ給はば其の余の諸神争か社に留るべき」等云云。

 問う、開目抄上十に云く「天照大神・正八幡・山王等・諸の守護の諸大善神も法味を・なめざるか国中を去り給うかの故に悪鬼・便を得て国すでに破れなんとす」と云云。太田抄二十五 十五に云く「閻浮守護の天神・地祇も或は他方に去り或は此の土に住すれども悪国を守護せず或は法味を嘗めざれば守護の力無し」等云云。既に「或は去り或は住す」という、何ぞ諸神天上というや。

 答う、或は住する辺ありと雖も、既に悪国を護らず。縦い護らんと欲すと雖も、法味を嘗めざれば威力あることなし。故に住すと雖も住せざるが如し、去らずと雖も去るが如し。故に通じて諸神天上というなり。金山第一中二十二の義は不可なり。

 問う、若し爾らば弘安四年の夏、蒙古襲来の時、諸神何ぞ威力を加えたまうや。

 答う、若し金山抄二末六十二の意は、蓮祖の遠流を宥し、先非を悔い、道徳を尊ぶ。故に霊神威力を増す故なりと云云。今謂く、遠流を宥すと雖も、仍これを用いざる故に、その罪大なり。何ぞ霊神その国を守ることを得んや。范氏曰く「若し賢を知らざるは、是れ不明なり。知って是れを挙げざるは、賢を蔽うなり。不明の罪は小にして、賢を蔽うの罪は大なり」等云云。

 問う、若し爾らば如何。

 答う、これ蓮祖の勧誡に依って、神明国を助くるなり。佐渡抄十四 十に云く「日蓮は幼若の者なれども法華経を弘むれば釈迦仏の御使ぞかし乃至天照太神・正八幡宮も頭をかたぶけ手を合せて地に伏し給うべき事なり乃至かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし、何に況や乃至二度まで流しぬ、此の国の亡びん事疑いなかるべけれども且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれ」等云云。

 在島の日の勧誡すら仍斯くの如し。何に況や宥免の後をや。故に知んぬ、諸神、蓮祖の勧誡に違わず、国を助くる者となりということを。

 問う、正法の行者あらば、来ってこれを守護するや。

 答う、然るべし。「諸天昼夜に」云云。世尊の勅の如し。

 沙石一、天人物語の文に云く「ほこらをやいて」等とは、

 問う、何れの年月と為んや。

 答う、若し啓蒙二十五 二十八の意は、弘安三年十一月十四日なりと云云。彼の文に云く「凡そ神天上の法門は年紀を以て勘合する事、古来の相伝なり。四条金吾抄に云く『去ぬる十一月十四日の子の時に、御宝殿をやいて、天にのぼらせ給いぬ』と云云。新池抄に云く『霊山の起請のおそろしさに社を焼き払いて天に上らせ給いぬ』と云云。されば神天上の義は弘安三年の事なり。文永八年九月十二日の鶴が岡の諫暁も神天上已前なれば、この諫暁ありと相伝するなり云云。この意は、新池抄既に弘安三年の御抄なり。故に知んぬ、四条抄もまた然るべし。若し爾らば、四条抄に「十二月十六日」とは即ち弘安三年十二月なり。故に知んぬ、「去ぬる十一月十四日」とは、弘安三年十一月十四日なり。新池抄に「二月」とは、「十」の字脱せり。当に「十二月」なるべし」と云云。

 今謂く、この義爾らず。四条抄に「十一月十四日」というは文永十一年十一月十四日なり。故に諫暁抄二十七 十五に云く「去ぬる文永十一年に大蒙古よりよせて日本国の兵を多くほろぼすのみならず八幡の宮殿すでにやかれぬ」等云云。蒙古襲来は文永十一年十月なり。故に知んぬ、十一月十四日の比は、軍の最中の時なることを。これを思い合すべし。この故に明らかに知んぬ、四条金吾抄は文永十一年十二月十六日の御抄なり。

 文にいう「寂光の都へかへり給いぬ」とは、

 問う、諸抄の中に於ては、或は「他方に去る」といい、或は「天上す」という。今「寂光の都へ」等という、その意は如何。

 答う、若し常の義に約さば、天上の義に就いて、即ち三義あり。一には地祇去って天神に帰す、故に天上という。二には都率天に帰る、故に天上という。三には法性真如の第一義天に帰す、故に天上という。若し当抄の意は、即ち法性真如の第一義天を指して、「寂光の都」というなり。

 若し本迹に約せば、諸抄の中は、これ迹門の意に約するなり。今は正しく本門の意に約して、本地自受用の垂迹・諸天善神、本地寂光の都へ帰ると謂うなり。諫暁抄に云く「諸の権化の人人の本地は法華経の一実相なれども垂迹の門は無量なり」等云云。「一実相」とは、即ちこれ一念三千なり。一念三千とは、即ちこれ自受用身なり。故に日眼女抄に云く「東方の善徳仏・中央の大日如来、本化・迹化・梵帝・日月・天神・地神、何れか教主ならざる」(取意)等云云。この「教主釈尊」とは、久遠元初の自受用・本因妙の教主釈尊なり。若し爾らずんば何ぞ善徳仏を以て釈尊の垂迹と為んや。故に知んぬ、十方三世の諸仏乃至梵帝・日月・天神地祇、皆本地自受用一仏の内証に帰る。故に「寂光の都へかへり」というなり。当に知るべし、久遠は今に在り、今は即ちこれ久遠なり等云云。久遠元初の自受用身とは蓮祖聖人の御事なり。蓮祖聖人は即ちこれ久遠元初の一仏なるが故に等云云。

一、但日蓮一人計り留り居て此の由を告げ示せば(但日蓮計り留り居て此の由を告げ示せば)文。(三一二n)

 この下は次に正しく明かす、また二と為す。初めに初度の諫暁・国主怨嫉を明かし、次に「最勝王経」の下は、二度の諫暁・国土災難を明かすなり。

 文にいう「但日蓮計り」等とは、即ちこれ「唯我一人のみ能く救護を為す」法華の行者なり。「一迷先達して以て余迷を教う」最初の導師なり。故に但蓮祖一人を信じ奉りて、南無妙法蓮華経と唱うれば、即ちこれ十方三世の諸仏乃至梵帝・日月・天神地祇等を信ずるに成れり。譬えば、頭を振れば則ち髪揺ぐ、心働けば則ち身動く、大風吹けば草木静かならず、大地動けば則ち大海騒がしきが如し。蓮祖一人を動かし奉らば、豈、揺るがざる草木あるべけんや。

 文にいう「告げ示せば」とは、正しくこれは初度の諫暁、安国論の御事なり。論文に云く「世皆正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神は国を捨て、魔来り鬼来り、災起り難起る」略抄等。

 文にいう「国主これをあだみ数百人の民に乃至家家ごとにをう」等とは、応に斯くの如く点ずべきなり。

 問う、国主下知を伝えて悪口罵詈せしむるや。

 答う、一家仁あれば一国に仁興り、一人貪戻なれば一国乱を作す。嗟乎、一人の心は千万人の心なり云云。故に知んぬ、下知を伝えずと雖も、当に義は下知を伝えたるべきなり。これ則ち国主一人怨むが故に、万民もまた怨む故なり。

 文にいう「最勝王経」等とは、この下は次に二度の諫暁・国土災難を明かす、また三と為す。初めに勘文を引き、次に「此等の」の下は正しく釈し、三に「弘法」の下は料簡す云云。初めに二経の文を引く。各国主の怨嫉、国土の災難あり、文の如し。見るべし。撰時抄下二十五 三十一、往いて見よ。

 文にいう「此等の経文」等とはこの下、正しく釈す、また三と為す。初めに経意を探って釈し、次に「此の経文」の下は直ちに経の文を消し、三に「去ぬる文永九年」の下は兼讖符合を示す。初めの経意を探って釈するを、また二と為す。初めに法華の行者を明かし、次に「去ぬる文永八年」の下は、正しく諫暁を明かす。

 問う、経意を探って釈すとは、その意如何。

 答う、凡そ爾前の諸経を判ずるに、当分・跨節の二意あり。今また二義を以てその意を示さん。謂く、若し当分に約せば、只最勝及び仁王等の行者を指して、善人及び世尊の声聞の弟子と名づく。この善人を治罰し、此の声聞を悩乱せば、卒に自界・他方の怨賊を起さんとなり。彼は権大乗の行者を治罰悩乱するに、尚自他の怨賊起る。何に況や実大乗の法華の行者を治罰悩乱せんをや。正しく跨節に約するに、彼の文の善人及以び世尊の声聞の弟子とは、直ちにこれ末法の法華の行者、蓮祖聖人の御事なり。故に「日蓮この国になくば」及び「日蓮は日本国のはしらなり」等というなり。これ経意を探って釈するの相なり。下の「去ぬる」の引用もこれに准じて知るべし。

 文にいう「去ぬる文永八年」とは、この下、次に正しく諫暁を明かす、即ちこれ第二度の諫暁なり。

 問う、今何ぞ第三度の諫暁をあげざるや。

 答う、若し第三の諫暁は只延山隠居の由を成せば、怨嫉値難の由と成らざる故にこの中には便ならざるが故か。

 文にいう「日蓮は日本国のはしらなり」等とは、佐渡抄十四 九に云く「日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり」等云云。故に知んぬ、日本国中に日蓮一人在さずんば、宅に柱なく、天に日月なく、国に大王なく、山河に珠なく、人に魂なからんが如し。日蓮一人の大切なるはこれなり云云。

 文にいう「此の経文」等とは、この下、次に直ちに経の文を消するなり。「智人」というは、経文の「善人及以び声聞の弟子」なり。その意は即ち蓮祖の御事なり。撰時抄下三十一に云云。

 文にいう「悪僧等がざんげんにより」等文とは、

 問う、所引の経文に悪僧の讒言、諸人の悪口を見ざるは如何。

 答う、啓蒙に云く「最勝王経の次上の文に、大臣等心に諂佞を懐く等と説き、又仁王経にも、悪比丘、破法破国の因縁を説くと説く。故に彼此通用して宣べたまう御文意なり」と云云。

 今謂く、この義、或は爾るべきなり。若し義を以てこれを論ぜば、経に「悪人を愛敬するに由って」というは、この悪人に僧あり俗あり、故に「悪僧等がざんげんにより若は諸人の悪口によって」という。若し「讒言・悪口」せずんば、何ぞまた仏弟子の善人を治罰し悩乱せんや云云。

 文にいう「去ぬる文永九年」等とは、この下は三に兼讖符合を示す、また二と為す。初めに如来の兼鑒、次に蓮祖の勘文。当に知るべし、蓮祖有すと雖も、若し経文なくんば、何に由ってかこれを勘えん。経文ありと雖も、蓮祖有さずんば、誰か能くこれを顕さんや。

 文にいう「二月のどしいくさ」とは、王代一覧五 四十を見るべし。「四月の大風」とは御書二十三初に云云。「同じき十月に大蒙古の来りし」とは、同じく王代一覧に云云。

一、弘法・慈覚・智証の●等文。(三一二頁)

 この下は災難超過を料簡す、また二と為す。初めに伏問、次に「彼は謗法の者はあれども」の下は伏答なり。

 文にいう「逆風に大波をこり大地震のかさなれるがごとし」等とは、一義に云く、逆風を真言に配し、大波・地震を禅・念仏に配すべしと云云。一義に云く、逆風に大波起るを真言に比し、大地震の重なれるを禅・念仏に比すべしと云云。一義に云く、逆風を謗法に比し、大波の起るを災難に比すべし等云云。

 今謂く、逆風を真言の●に比し、大波の起るを禅・念仏の禍に比す。また大地震を真言の●に比し、重なれる辺を禅・念仏の禍に比するなり。「太政入道が国をおさへ」とは、天下を我侭に進退し、法皇を押し篭め、都を福原に遷す等なり。「承久に王位つきはてて」とは、下十九、第九 三十等に云云。 文にいう「但国中のみだれにて他国のせめはなかりき」とは、意に謂く、何ぞ今他国の責に及ばんや。

 文にいう「彼は謗法の者」等とは、この下伏答、また二と為す。初めに且く前代の災難の斜めなる所以を示し、次に「此れはそれには・にるべくもなし」の下は、正しく当世の災難の盛んなる所以を明かす。初めをまた二と為す。初めに正しく釈し、次に「例せば」の下は証前起後なり。初めの正釈、また三と為す。初めに略して示し、次に譬を挙げて広く釈し、三に「謗法」の下は釈を結す。

 文にいう「ささへ顕わす」とは、前代は盗を盗と知らず、今は盗を盗という、これ支え顕す義なり。

問う、若し謗法の者国中に充満すと雖も、支え顕す智人なきが故に、前代の災難は斜めなりといわば、疑って云く、今支え顕す智人あるが故に、当世の災難盛んなりや。若し爾らば、何ぞ守屋が怨敵災難の例を引くや。答う、汎く災難の起りを尋ぬるに、重々の由来あり。謂く謗法充満の故に善神国を捨つ。善神国を捨つる故に悪鬼乱入す。悪鬼乱入する故に国土の災難起る。災難起るが故に蓮祖これを諫暁す。蓮祖諫暁する故に国主これを怨嫉する故に当世の災難強盛なり。

今略してこれを論ずるに且く二由あり。謂く、蓮祖の諫暁はこれ遠由なり。国主の怨嫉はこれ近由なり。これ則ち蓮祖の諫暁に由り、国主これを怨嫉す。国主の怨嫉に由り、当世の災難盛んにして、他国の責に及ぶ故なり。若しこの意を得ば、正釈、引例、前代、当世、影略互顕なり云々。文にいう「例せば日本国」とは、この下は証前起後なり。中に於て、初めはこれ証前、「守屋」の下はこれ起後なり。

一、此れはそれには・にるべくもなし等文。(三一三ページ)この下は次に正しく当世の災難の盛んなる所以を明かす、また三と為す。初めに略して示し、次に経を引いて正しく釈し、三に例を引いて釈成す。文にいう「金光明経」等とは、次に経を引いて正しく釈す、また二と為す、初めに別して四経の文を引き、次に「此等」の下は、通じて釈す。金光明経の文は光明記六二十二、「最勝王経」は十巻本六二に。「大集経」とは、前に引く所の第八十に。「仁王経」とは、安国論四に「賊来って国を刧かし百姓亡喪し」等云云。文にいう「例せば訖利多王を雪山下王のせめ」等とは、この下、三に例を引いて釈成す、また二と為す、初めに例を引き、次に「これは彼には」等の下は釈成す。初めの引例、また二と為す。初めに月氏、次に漢土。初めの「訖利多王」等は西域三十七に出ず

。「大族王」等は西域四二の如し。文にいう「漢土にも仏法をほろぼしし王」とは、魏の武帝は統三十九四、周の武帝は統三十九十六、唐の武帝は統四十三六、付韓退之は統四十二十三、十六、十九、欧陽・永叔は統四十十五、同四十六十六、傅奕は統四十十二に。 文にいう「これは彼には・にるべくもなし」等とは、この下は次に釈成なり。

文意は、彼は仏法の敵人と成って而して仏法を破る。極悪分明なる故に愚人尚これを知る。況や智人に於いてをや。弘智の人尚これを知らず。況や愚人に於いてをや。

これは仏法の方人と成って而して仏法を破す。愚人都てこれを知らず。智者も常の智人はこれを知り難し。故に一同に皆分明にこれを知る者なし。この故に国を挙げて正法の行者を怨嫉す。故に災難も古よりも最大ならん。妙法尼抄十三四十九に云く「彼は王一人の悪心大臣以下は心より起る事なし、又権仏と権経との敵なり僧も法華経の行者にはあらず、是は一向に法華経の敵・王・一人のみならず一国の智人並びに万民等の心より起れる大悪心なり」と云云。この意なり。具に取要抄愚記の如し。然れば則ち当世の災難の盛んなる所以、最も分明なり。

(第九段 真言の誑惑を破す)

一、法滅尽経に云く等文。(三一三ページ)

この下は次に真言責破、また二と為す。初めに証前起後、次に「此の例」の下は、正しく真言責破。初めの証前起後、また二と為す。

初めに前を証し、次に「問うて云く」の下は起後。初めの証前、また二と為す。初めに文を引き、次に「此の経文」の下は釈。初めの証前というのは、正しく但蓮祖一人のみ法華の行者なることを証し、兼ねて謗法の者国中に充満することを証するなり。

文にいう「法滅尽経に云く乃至若しは一若しは二」云云等とは、問う、本経の文に云く「吾が般涅槃の後、法滅せんと欲する時、五逆濁世」等云云。既に「法滅せんと欲する時」という。像法の終りを説くの文なり。故に伝教大師この経文を引き、正しく像法の終りなることを証するなり。故に顕戒論下五に云く「時を知り山に住するを開示するに、明らかに拠る乃至法滅尽経に云く乃至吾般涅槃の後乃至悪人転多くして海中の沙の如し乃至善者甚だ少くして若しは一、若しは二乃至三乗、山に入り、福徳の地恬怕として自ら守り、以て欣快と為す已上経文。今已に時を知る、誰か登山せざらんや」等云云。故に知んぬ、「若しは一若しは二」とは、正しく像法の終り、伝教・義真等の御事なり。何ぞ今末法今時の蓮祖の事と為んや。

答う、実に所問の如し。像法の終りを説くなり。例せば安楽行品の三処の「末世の法滅せんと欲せん時」の文の如し。伝教大師云く「正像稍過ぎ已って末法太だ近きに有り。故に安楽行品に云く『末世法滅の時』と」と云云。然るに今所弘の意は、彼の時の行事、既に末法に同じき故に、また像法の終りすら尚善人は「若しは一、若しは二」なり。況や末法の始めをや。故に末法の事を引証するなり。問う、法滅尽経の説時は如何。答う、これ即ち普賢・涅槃の中間にこれを説くなり。

故に「是くの如く一時拘夷那竭国に在り、如来、三月あって当に般涅槃すべし」と云云。啓蒙十四七十三にこれを引く。問う、御経の中の文に云く「沙門の袈裟、自然に白に変ず」と云云。この文は法滅の相を明かすと為や。答う、爾らず、正しく白法流布の前相を明かすの文なり。具に予が文段要解の如し。

一、問て云く涅槃経の文等文。(三一四ページ)

この下は次に起後、また二と為す。初めに問、次に答、また三と為す。初めに二経の勝劣を判じ、次に「而るを涅槃宗」の下は邪計を破し、三に「涅槃経を読むと申すは」の下は正当なり。文にいう「妙楽大師云く」とは、記の三下二十の文なり。文にいう「大経と申すは涅槃経なり」とは大般涅槃を略して「大経」という。例せば大智度論を略して大論というが如し。然るに大というは能歎の辞なり。故に玄二三十七に云く「大経に云く『大を不可思議と名づく。譬えば虚空の小空に因まざるを名づけて大と為さざるが如し。涅槃もまた爾なり』と」と云云。故に浄家の、弥陀の小経に対して雙観経を以て名づけて大経と為るには同じからざるなり。

文にいう「涅槃経には法華経を極と指て候なり」とは、涅槃経は所従の如く、下臈の如し。法華経は主君のごとく、上臈の如し。故に「極」というなり。文にいう「下臈を上臈」等とは、顕謗法抄十二三十に云く「上郎・下郎・不定なり田舎にしては百姓・郎従等は侍を上郎といふ、洛陽にして源平等已下を下郎といふ三家を上郎といふ」と云云。「三家」とは、中院・閑院・華山院なり。所詮、所望不同なり。文にいう「涅槃経をよむと申すは法華経をよむを申すなり」とは、この下は正答の文意に云く、故に涅槃経の行者と申すは法華経の行者の事なり。涅槃経を信ずると申すは法華経を信ずる事なりと云云。言う所の「よむ」とは、即ちこれ講読讃歎なり。例せば玄義を読み、御書を読む等の如し。問う、涅槃経を読まずして、但法華経を読むを即ち涅槃経を読むと名づくるや。

答う、然らず。涅槃経を読み、時に法華経を讃歎すれば、則ち涅槃の意に称う。故に実にこれ涅槃経を読むなり。涅槃経は臣下の如く、法華経は聖王の如しとの譬えの文、見るべし。

孝経に云く「其の父を敬えば、則ち子悦ぶ。兄を敬えば則ち弟悦ぶ。其の君を敬えば、則ち臣悦ぶ」等云云。例せば竜樹・天台等の講読の如し。竜樹菩薩、般若経を講読して云く「般若は秘密に非ず、法華は是れ秘密」等云云。然るに般若経の賢人は法華経の国主を重んずる者をば「我を・さぐれども悦ぶなり」。

天台大師は方便品を講読する時、方便品の題号を釈するに、三種の方便、四句の権実、その四句の中のまた権の一半を開して、十雙の権実を明かす。この十雙の権実に就いて八門の解釈あり。その中の前七門の意は、権実相対して爾前の諸経を法用・能通化他の方便と名づけ、但法華を以て秘妙自行方便と名づく。これは爾前を下して但法華を讃するなり。第八門の意は本迹相対して爾前・迹門を通じて法用・能通化他の方便と名づく。但本門寿量を以て秘妙自行の方便と名づく。これ迹門を下して但本門を讃するなり。然るに迹門の賢人は本門の国主を重んずる者をば「我を・さぐれども悦ぶな理」。涅槃経もまた爾なり。

涅槃経は残党の如く、法華は大陣を破るが如し。法華は秋に収め冬に蔵するが如く、涅槃経は●拾如し。法華は主君の如く、涅槃経は臣下の如し。故に涅槃経の賢人は法華の国主を重んずる者をば「我を・さぐれども悦ぶなり」。文にいう「我を・さぐれども悦ぶなり」とは、或いは云く「避」の字なりと云云。或いは云く、「下」の字なりと。大江匡衡の詩に云く「上んで上さまに上り上がることは持戒に依り、下いて下ざまに下り下がることは破壊に依る」と文。

若しこの義に准ぜば、次の文に「涅槃経は法華経を下て」等というをも「法華経を下げて」等とよむべし。然れば涅槃経の賢人は、法華経の主君を下げて我を讃むる人をば、強ちに悪ませ給うぞとなり。

一、此の例をもつて知るべし等文。(三一四ページ)

次にこの文の下は、正しく真言破責、また二と為す。初めに釈、次に下十九の「されば此の真言」等の下は結。初めの釈の中、また二と 為す。初めに総じて破四、次に下八「されば善無畏三蔵」の下は別して破するなり。初めの総じて破するをまた四と為す。初めに依経違背の謗法を知るを例示し、次に「故に法華経」の 下は、不信毀謗の謗法を責め、三に「嘉祥大師のごとく」の下は、不懺悔の謗法を責め、四に、「嘉祥大師の法華玄を見るに」の下は、謗法の根本を責無。文にいう「華厳経・観経乃至背くべし」とは、これ依経違背の謗法を示すなり。文は総じて「華厳」等というと雖も、意は真言宗の依経違背に在るなり。

顕謗法抄十二二十五に云く「謗法とは法に背くという事なり法に背くと申すは小乗は小乗経に背き大乗は大乗経に背く法に背かばあに謗法とならざらん」と云云。これまた爾前の信じて信ぜざる謗法なり。謂く、爾前を信じて爾前の意に背くが故なり。文にいう「故に法華経を読む人の」等とは、この下、不信毀謗の謗法を責無、また二と為す。初めに信じて信ぜざる謗法を挙下、次に「嘉祥・慈恩」の下は、正しく責無。初めの文また三と為す。

初めに標、次に「例せば嘉祥」の下は例を引いて釈し、三に「此等をもって」の下は結。初めの標文に「故に法華経」というは、爾前の信じて信ぜざる謗法に例して、法華の信じて信ぜざる法謗を明かす。この故に「故に」問いうなり。顕謗法抄三十四に云く「一切衆生悉有仏性の説を聞きてこれを信ずと雖も又心を爾前の経に寄する一類の衆生をば無仏性の者と云うなり此れ信而不信のものなり」と文 。これに例して知るべし。本迹、種脱、これを重い合すべし。当に知るべし、法華経を 信ずる者は、経文の如く已今当に勝れて法華経より外に仏になる道なしと強盛に信ずるを、法華経を信ずるというなり。

撰時抄五三十五、これを見合すべし。文にいう「例せ嘉祥」等とは、この下、次に例を引いて釈す、また二と為す。初めに嘉祥、次に慈恩。文にいう「毀其の中に在り」等とは、これ記の八本十四の文なり。一義に云く、嘉祥は法華経を以て今説となす。故に法華を謗りて三説の中に在く。故に「毀を其の中に在く」と云うなりと。一義に云く彼の師、疏を造りて法華経を讃歎すと雖も、その讃歎の言葉の中に即ち毀謗の義あり。故に「毀其の中に在り」という。例せば疏の二に「讃歎既に謬れり。毀其の中に在り」というが如しと云云。啓蒙に云く「義従容なり。偏執すべからず」と云云。今謂く、後義を正と為す。

謂く「其の中に在り」とは、恐らくは外典の語を借用せるか。論語に云く「楽其の中に在り」、「餒其の中に在り」、「禄其の中に在り」、「直其の中に在り」と。此等の文、皆「其の中に在る」の義なり。何ぞ今「其の中に在く」と点ぜんや。況や疏の二の例文も、また当抄の意も、後義甚だ親近なるが故なり。秀句下二十九。文にいう「法華経を讃むるといえども」等とは、秀句下九の文なり。また二十八に云く「玄賛家は法華の心を死し、法華の眼を掩い、法華の命を断ち、法華の喉を割く。誰か智ある者、驚愕せざらんや」と文。

文にいう「此等をもっておもうに」等とは、当世の本迹一致、この責を免るべからず。なお迹門の賢人の意に違う。況や本門の国王の意に背かざらんや。

文にいう「嘉祥・慈恩」等とは、この下、次に正しく責む。文の意に云く、嘉祥・慈恩は、信じて信ぜず、既に一乗誹謗の人なり。況や弘法・慈覚の不信毀謗は豈法華蔑如の人に非ずやと云云。

一、嘉祥大師のごとく等。(三一四ページ)

この下、は三に不懴悔の謗法を責む、また三と為す。初めに懴悔の謗罪尚滅し難き例を引き、次に「されば弘法・慈覚」等の下正しく不懴悔の罪を責め、三に「世親」の下、は懴悔親切の例を引き、不懴悔の謗罪大なるを釈成す。初めの引例の中に「例せば不軽」とは。例せんが為に例を引くなり。文にいう「世親菩薩」とは啓蒙五四十五、「馬鳴菩薩」とは啓蒙八六十を往いてみよ。

一、嘉祥大師の法華玄を見るに等文。(三一五ページ)

この下は四に謗法の根本を責む、また二と為す。初に例を引いて義を定め、次に「嘉祥大師・とがあらば」の下は正しく責む。文にいう「ただ法華経と諸大乗経とは乃至理は一とこそ・かかれて候へ」等とは、顕謗法抄十二三十二に云く「諸大乗経の中の理は未開会の理いまだ記小久成これなし法華経の理は開会の理記小久成これあり」等云云。諸大乗経の理は未開会の理、記小なき故に有名無実なり、久成なき故に本無今有なり。何ぞ有名無実、本無今有の理を以て、法華開顕の名体倶実、本有常住の理に同じて一つといわんや。豈謗法の根本に非ずや。

一、されば善無畏三蔵は中天竺の国主なり。(三一五ページ)

具に宋高僧伝第二の初の如し云云。この下は次に別して破す、また二と為す。初めに漢土の三師を破し、次に「弘法大師は去ぬる天長」の下は、本朝の両師を破するなり。初めの漢土の三師を破する文、また二と為す。初めに正しく三師を破し、次に「此の三人」の下は、一切の末流を破す。初めの正しく三師を破するを、自ら三と為す。初めに善無畏、次に金剛智、三に不空三蔵なり。初めの善無畏を破する文、また七と為す。一には出家修道、二には退大取小、三には怠家憎嫉、四には現報頓死、五には祈雨逆風、六には臨終悪相、七には謗法堕獄なり。文にいう「位をすてて他国にいたり乃至百千の石の塔を立て」等とは、善無畏三蔵は中印度烏萇奈国の種牛王の太子なり。七歳にして位に即き、十三にして国を兄に譲り、出家遁世して南の方海浜に至り、殊勝、招提に遇い、法華経を受く。沙を聚めて塔を為ること已に一万所、身を売船に寄せて、往いて諸国に游ぶ等云云。故に知んぬ「百千の石の塔」とは、即ち沙を聚めて塔を為ること已に一万所なり。

文にいう「忽に頓死して」とは、啓蒙七六十一に具に大日経疏第五及び義釈四三十九、止私二末十六、また金山一上三十二、中正十六七十等を引く。往いて見よ。文にいう「今此三界の文を唱えて」等とは、問う、無畏本伝に未だこの事を見ず、如何。答う、彼の本伝に尚頓死繋縛の事を隠してこれ載せず。然りと雖も、無畏の直語、大日経疏等の文に顕然なり。これ即ち内外の通例なり。礼記祭統に曰く「先祖と為す者、美を有せざるは莫く、悪を有せざるも莫し。これ孝子・孝孫の心なり」等云云。故に緒伝に多く善事を載せて不善を載せざるは、即ちこの謂なり。当に知るべし、吾が祖始めに彼の家に在り。書伝・口伝、相伝せざることなし。

故に知んぬ、この事、豈本拠なからんや。況や「今此三界」の文を破地獄の文と名づくること、その例分明なり。法華伝の悪意、毒意、豈その事に非ずや。啓蒙三十三四十二の如し云云。文に言う「人死して後・色の黒きは地獄の業と定む」等とは、書註九十七に正法念経を引いて云く「白色は人天乃至黒色は地獄」等と云云。大論九十四二十一に云く「臨終の時色黒き者は地獄に堕つ」等云云。文四六十一に云く「心地獄の黒色を画く」等云云。これより下は、謗法堕獄を明かすなり。

一、金剛智三蔵乃至互いに師となれり等文。(三一六ページ)

この下は次に金剛智を破するなり。「互いに師となれり」とは、山門の系図に、胎蔵会は善無畏、金剛智の次第なり。金剛界は金剛智、善無畏の次第なり。具に啓蒙十四十一の如し。故に「互いに師となれり」というなり。

一、不空三蔵文。(同ページ)

この下は三に不空三蔵を破するなり。問う太田抄二十五五に云く「不空三蔵の還って天竺に渡って真言を捨てて漢土に来臨し天台の戒壇を建立して両界の中央の本尊に法華経を置きし是なり」と云云。既に真言を捨てて天台に帰す。何ぞ不空を破せんや。答う、総じて諸宗の元祖の帰伏を判ずるに、凡そ四意あり。一には或は心を移して身を移さず、即ち真言の善無畏・不空、華厳の澄観等これなり。二には或は身を移して心を移さず、即ち慈覚・智証等これなり。三には或は心身倶に移す、三論の嘉祥大師これなり。四には心身倶に移さず、弘法大師これなり。或は弘法大師も教相の辺は心を華厳宗に寄すと雖も、若し事相の辺は心を天台に移せるか。

これ即ち善無為・不空の如く、法華を中央と為し、金・対を左右に安くが故なり。録外七四、開目抄下十三、これを見合すべし。故に弘法には与奪あり。然るに不空の如きは已に心を天台に移せり。故に太田抄に「真言を捨てて漢土に来臨し天台の戒壇を建立し」と判ずるは、今は身を移すといわざる辺を破するなり。故に「心計りは帰えれども身はかへる事なし」というなり。

一、此の三人の悪風等文。(三一六ページ)

この下は一切の末流を破す、また二と為す。初めに一切を破四、次に当世の現事を示す。

一、弘法大師は去ぬる等文。(三一七ページ)

次にこの下は本朝の両師を破す、また二と為す。初めに通じて両師を破師、次に「問うて云く弘法大師」の下は、別して弘法の誑惑を破す。初めの通じて両師を破するをまた二と為す。初めに弘法、次に慈覚。初めの弘法、また二。初めに祈雨、次に夜中の日輪。文にいう「天長元年の二月」等とは、太平記十二十八、釈書一三十二に云云。殷の湯王、斉の景公の事。また三七に「二十一日にふらぬ雨や候べき」と。文に言う「慈覚大師の夢」等とは、これ流類を挙げ、以て弘法に対す。或るはこれ衍文ならんか。文に言う「慈覚大師は夢に日輪をいる」云云等とは、次にこの下は慈覚を破す、また三と為す。初めに正しく破し、次に例を引き、三に「此れをもってをもへ」の下は結。初めの正しく破するを二と為す。初めに不吉の例を引き、次に「我国」の下は、夢の所表を明かすなり。

文にいう「修羅は帝釈を」等とは、文二七十一に、「殷の紂王」は註七に十七、太平三十五に。文にいう「度美長と五瀬命」とは、大成経十六十一、古事記中初に。文に言う「我はこれ日天の子孫なり」とは、詔に「我は日神の御子なり。日に向かって戦うの良からざる故に、賤奴の痛手に負けぬ。今よりは行き廻りて而も背に日を負い、以て撃たん。期して而も南方に廻る」等云云。文にいう「阿闍世王」とは、啓蒙十二三十四に、「須跋陀羅がゆめ」は大論三十八に。

一、我国は殊にいむべきゆめなり。(同ページ)

この下は次に夢の所表を明かすなり。所表は即ちこれ謗法なり。謂く、慈覚夢に日輪を射ると見たまうは、大日如来及び真言三部の失を以て、釈迦如来・法華経を射奉る故に、この夢出現せり等云云。

一、例せば漢土の善導等文。(三一七ページ)

この下は次に例を引く。文にいう「一経法の如くせよ」とは今の如く、板は非なり。「観念法門経」とは、我述作して経と名づく、これ弥陀の指授の故なり。文にいう「楊柳房」とは、これ善導大師の事なり。下山抄二十六四十八に云く「されば念仏者が本師の導公は乃至現身に狂人と成りて楊柳に登りて身を投げ堅土に落ちて死にかねて十四日より二十七日まで十四日が間・顛倒狂死し畢んぬ」と云云。問う、本伝に未だ見ず。十四日が間、顛倒して狂死するの相は如何。答う、浄家の良忠伝通記二五に云く、善導入寂の日を明かして云く「新修伝に云く、春秋六十有九、永隆二年三月十四日入滅すと。帝王年代録に云く、高宗皇帝の永隆二年三月二十七日、善導和尚亡ずと」等云云。我が祖、深くこの両説を探り、「十四日が間・顛倒狂死」と云云。豈明察に非ずや。

報恩抄文段下末



一、心経の秘鍵の跋等文。(三一八ページ)

これは弘法の作なり。故に「昔予鷲峰説法の筵に陪して」等というなり。但し谷響には「空海の作に非ず、筆力甚だ拙し。表に非ざるを表と日う。弘仁九年の大疫は国史に載すること無し」と文。「孔雀経の音義」は真済が自記なり云云。五時記の八に出でたり。「弘法大師の伝」等とは、この下は游方記を引き、具に希異の事を破す。往いて見よ。

三月十八日

一、恒河を耳に十二年停め文(三一九ページ)

籤三七十三に云く「阿竭多仙は十二年中に恒河の水を停めて耳の中に在く」と。

一、或は大海をすひほし文。(同ページ)

籤に云く「耆兎仙人は一日の中に大海の水を飲み、大海をして乾かしむ」と文。

一、或は日月を手ににぎり文。

 玄三四十一に云く「河を停めて耳に在き、日月を捫摸す」と文。甫註二九に云く「捫もまた摸なり。謂く、執持なり」と。

 詩林四七に云く「周生と云う人、中秋の夜、客と会す。月光方に●かなり。坐客に謂いて、我能く雲に梯して月を取り、懐に置かんと。仍ち数百丈の縄を取り、是れに乗って云く、我此の縄を以て雲に梯し、月を取らんと。手を以て挙ぐれば、懐中より月一寸計り出でたり」と云云。

一、或は釈子を牛羊をなし文。

 籤に云く「瞿曇仙人は大神変を作して十二年中変じて釈身と作り、並びに釈身をして●羊の身と作らしむ」等云云。また籤に云く「婆藪仙人は自在天と為り三月と作るか。羅云仙人は迦毘羅城を変じては鹵土と為し、張楷は能く霧を作り、欒巴は善く雲を吐く」と文。

 甫註二九に云く「後漢書に云く、張楷、弘農山に隠居す。学者之に従う。其れ能く五里の霧を作る。裴優は能く三里の霧を作る、楷に学べりと」等云云。我が形を吹き出す鉄拐とは別人と見えたえり。「欒巴は善く雲を吐く」は、蒙求中四十九に「欒巴酒を●く」と云云。今謂く、始めはこれ酒、中比はこれ雲、終りはこれ雨なり。蒙求に云く「雨に皆酒気有り」と云云。また下十四に云く「長房縮地註に云く、長房、仙を学せんと欲す。家人の愁を顧み、一青竹を断って長房の身を度り、之を舎後に懸く。家人その形を見て、縊死すと為すと」云云。韓湘は太平一八。また中四十一に「左慈盃を擲ぐ」と云云。「鱸に薑を付く。錦の事」と云云。

一、天台云く。

 玄三四十三。

一、感応斯の若し等文。

 籤二十一。

一、天台乃至須臾に甘雨を降せ等文。

 統紀六二十一。

一、伝教大師の三日が内に甘露の雨をふらし。

 一心戒文上十に「勅を受け、二十六日より二十八日まで」等云々。

三月十九日

一、左史右史。

 礼記に云く「動は則ち左史之を書し、言は則ち右史之を書す」と文。玄宗の大史官の事は、太平三十五十八に。

一、設い載せたりとも信じがたき事なり文。

 一には前の二十九劫の間無事なるが故に。二には後にあるべしと内典・外典に記さざる故に。

一、東西北の三州は如何。

 南州の夜中は北州の日中なり。東州は日出、西州は日没なり。若し南州の夜中に日輪出現せば、北州は夜中と成り、東州は日没と成り、西州は日出と成る。如何ぞ此くの如き事あらんや。

一、設い内外の典籍に記せずとも文。

 意に云く、設い内外典に未来の夜中に日輪現ずべしと記せずとも、現に諸家の日記あらば、或は信ずる辺もあるべしと云云。

一、されば霊山にして法華経は戯論等文。

 若し鷲峰に在って心経を聞かば、また応に法華経をも聞くべし。若し爾れば、法華は戯論、大日経は真実と仏説かせ給いしや等云云。

一、婬女。

 上東門院に仕えて和歌の名を得たる和泉式部が事なり。これは頼光の家臣平井保昌が妻なり。

 問う、何ぞ「婬女」というや。

 答う、粗これを勘うるに、沙石五二十五に「稲荷詣の時の童歌に、時雨する稲荷の山の紅葉は あをかりしより思いそめてき」と云云。「呼び入れてけり」と云云。

 神社考三二十一に云く「道命、経を誦す。其の音妙なり。僧たりと雖も、甚だ色を好む。一夕、和泉式部に通ず。暁に及び経を誦す。夢に一老翁、来りて聞く。誰ぞや。吾は五条の西の洞院に棲む。師、経を誦する時、諸神来って聞く。今宵不浄にして誦す。故に諸神来らず。我其の隙を伺い、此に来れり」と云云文。これは五条の天神なり。

 保昌、曽て道命に通ずるを聞き、道命を討たんと欲す。式部、箸を五つに折ってこれを遣す。道命案じて云く「やるはしを・まことはしして・来はしして・うたれはしして・くやみはしすな」と云云。

 問う、道命の事、虚実は如何。

 答う、釈書十九六に云く「道命は藤原道綱の第一の男なり。慈慧に仕う。八軸を八年に誦す。嵯峨の法輪寺に居る。常に諷誦を勤む。一僧夢に蔵王・熊野・住吉・松尾来って聞くと。僧覚めて之を聞く。道命適寿量品を誦す。僧礼を作し夢を説く」と。また「寡婦狂を病む乃至法輪寺に往いて経を聞く」と。また「詫びて云く、当に天上に生ずべし」等。

また「道命の寂後、親友有りて道命の生ずる処を思う。夢みらく大河の側に蓮池あり。池中に船に乗り経を誦す。語って云く、我出家すと雖も、三業を慎まず、多く禁戒を犯し、四天王寺を営むとき、僧物を犯用す。是くの如き衆罪は浄土を得ず。而も経力に依って悪趣味に堕せず、二三年を過ぎて、当に兜率に生ずべし」と云云。既に「三業を慎まず、多く禁戒を犯す」と云云。故に知んぬ、この事、虚説に非ざるか。沙石十八に云く「和泉式部、保昌にすさめられて、或るかんなぎをやとい、敬愛の法を行う」と云云。「ちはやぶる神のみるめも恥しや 身を思うとて身をばすてき」と云云。婬女なる事、最も分明なり。然れども旱魃の時、歌を詠みて雨を下らせしなり。

 「ことわりや日の本なればてりもせめ ふらずばいかに天が下とは」

一、破戒の法師。

 羅山文集十五二十六に云く「左大臣橘の諸兄十代の孫にして、肥後の守元●が子なり。本名は永●、後に遁世して能因と名づけ、古曽部入道と号す。摂津のこそべ金竜寺にて、山寺の春の夕暮来て見れば入相の鐘に花ぞ散りける」と云云。

 問う、何ぞ「破戒」というや。

 答う、和歌を好んで綺語を犯す。故に破戒というなり。本語三十二に云く「能因は摂津のこそべより毎年花盛に上洛し、大江公資が五条東の洞院に宿る。件の南庭に桜あり。其の花を翫んがために勧童丸一人を相従う。公資、孫の公仲に常に云く、数奇たまえ、すきぬれば歌はよむぞと諷諫しける」と。また「永承四年歌合に、三室山の楓、竜田川の錦の歌」と云云。また「或る時、兼房が車の後に乗りて行くに、二乗の洞院にて車より下る。

兼房之を問う。答えて云く、伊勢の御が前裁ん結松今にあり、いかでか乗りながら過ぐべきと。猶松の梢の見ゆるまで車にのらず」と。また「都をば霞と倶に出でしかど 秋風ぞ吹く白川の関」と云云。「顔色を黒くする事」云云。また同じき十六紙に云く「加久夜の長帯刀節信、始めて能因に逢う。能因、錦の小袋を取出す。鉋屑一筋あり。是れは長柄の橋のかんな屑なり云云。節信も亦懐中より裹物を取出す、かれたる蛙なり。是れはいての蛙なり」と云云。然れども伊予守実綱にともないて、彼の国に下りけるに、夏の初め久しく旱る。和歌をよみて三嶋の明神に捧ぐ。金葉集第十類雑五五十六に「天の川なわ代水にせき下せ あま下ります神ならば神」と云云。神社考三十七に「伊豆三嶋明神とは、伊予の三嶋に移して之を祭る」と。

一、かかる徳あるべしや文。

 豈鷲峰聴聞の徳あるべしやと云云。太平十二十八に「弘法、守敏を咒咀して殺す事、何ぞ霊山親承の類ならん」と。

一、而も此の日記に云く等云云。

 意に云く、将に義真・伝教入滅の後といわんとすれば、而も此の日記に云く乃至御存生かと見ゆ。若し義真滅後といわば、弘法の真言は天長十年まで弘まらざりけるかと云云。

一、真済が日記なり信じがたし、又邪見者が等文。

 「真済」は弘法第一の弟子、柿本の紀僧正これなり。而して染殿の后を見て、甚だその色に惑う。後に死霊に成り、終には天狗と成る。愛宕山の太郎房これなり。この人の日記は信じ難し。邪見の者の迷う所なりが故なり。

 真言天台勝劣抄三十五九云く、真言宗を「法華経の行者に対する時は竜と虎と師子と兎との闘いの如く乃至慧亮脳を破りし時・次第位に即き相応加持する時・真済の悪霊伏せらるる等是なり」と文。

 釈書十二二十に云く「慧亮は叡山円澄の徒なり。兼ねて慈覚に稟く」等云云。源平盛衰記三十二十七に「文徳天皇の御子第一の宮は維喬、御母は左兵衛佐名虎の女なり。第二の宮は維仁、御母は太政大臣良房仲仁公の御女、染殿の后と申す是なり。兄弟倶に御位を心にかけらる。第一の御祈の師は真済、第二の宮の御祈の師は慧亮なり。終に力士の相撲に賭けらる。名虎は今年三十四、太く逞しく七尺計りの男にて、六十人の力あり。能雄は小男、行年二十一、なべての力人とは聞ゆれども、名虎に対すべきにはあらず。名虎は松の如く、能雄は藤の如しと云云。慧亮剣を抜き、脳を突破り、香の烟に燃ゆる時、大威徳の乗り給える水牛、爐壇を三度廻って声を揚げて吠えたりける。其の声大内に響きければ、能雄に力ぞ付きにける。名虎は其の声を聞いて身の力落ち、惘然として名虎相撲にまけにける」等云云。

 「相応加持する時・真済の悪霊伏せらるる」等とは、神社考四十三に云く「文徳帝の天安二月八月不予なり。真済看持す。升遐の後、志を失いて隠居す。先には慧亮と抗験して負け、此に至って愈快快たり。世に言く、真済、染殿の后を見て、迷いて平らかならざるなりと。貞観二年二月、年六十一、遂に死して魅と為る」と云云。

 釈書十三に云く「染殿の后、狂疾を受けて数か月を経。后詫びて云く、諸仏の出世に非ざるよりは、誰か能く我を降さんやと。相応明王に懇祈す。明王一住は背くと雖も、重ねて告げて云く、汝密かに彼の霊に語れ、爾は豈真済の霊に非ずやと。彼聞けば必ず頭を低れん。爾の時大威徳の咒を以て加せよと。次の日、教の如く彼の霊を降遣す。后の病即ち愈ゆ」と云云。

 羅山文集六十三二十一に云く「真済色に惑う。死して天狗と為る。愛宕山太郎房是れなり」と文。私に云く、伊豆の国熱海に紀の僧正のほこらあり。また都松という松あり。これ染殿の后のしるしの松なり。枝皆都に向えり。この故に都松と名づくるとなり。

一、面門とは口なり文。

 註釈上二十五に云く「面門とは口の異名なり」と。文三十七、記三上五十、涅槃経一十三、皆以て爾なり。

一、眉間開くとかかんとしけるが等文。

 眉間白毫、俄に開きたるを以て、成仏の粧を顕さんとの企みならんが、謬って面門と書きたるぞとなり。

一、三鈷の事・殊に不審なり文。

 殊にこれは狂惑なり。今謂く、設い実なりと雖も奇と為るに足らず。経に云く「若し須弥を接って他方の無数の仏土に擲げ置かんも、亦未だ難しと為ず乃至能く此の経を説かん、是れ則ち難しとす」等云云。「能く此の経を説かん」とは、大日経等は不実、法華経は真実と説くなり。弘法は三鈷を投げ、法華は戯論、大日経は真実と云云。豈天魔に非ずや。

三月二十日

一、されば此の真言・禅宗・念仏等。

 開目抄下五十に云く「建仁年中に法然・大日の二人・出来して」等云云。釈書二五に云云。安国論に云云。

一、人王二十八代・尊成。

 後鳥羽院とも申し、隠岐の法皇とも申すなり。

一、権の大夫殿を失わんと文。

 相模守義時の事なり。

一、大王たる上は国の主なれば等文。

 一には君臣、二には調伏、三には諸神守護あらんに、一日、二日だにも支えかねて、承久三年六月十四日、但一日の合戦に打ち負けたまうが故なり。

一、神に申させ給いしに等文。

 恐らくは「神」の字は謬れり。応に「祈」の字に作るべきか。

一、佐渡国等文。

 順徳院は佐渡の国、土御門院は阿波の国、後鳥羽院は隠岐の国に流されたまえり。

一、天童・勢多伽文。

 東鑑二十五二十七に云く「山城守広綱の子勢多伽は仁和寺より六波羅に召し出さる。御室の御寵愛童なり。御室の御歎、又母の歎、又顔色華麗、共に憐愍に多得たり。勢多伽の叔父佐々木信綱の欝訴に依って信綱に賜うの間、梟首す」と云云。略抄。

一、調伏のしるし還著於本人のゆへとこそ見へて候へ文。

 主の僧を咒咀して、生木に釘を打ち、覚えず自身の手に釘を打つ。家に帰って主の僧これを見て、汝の手はいかにという。その時、始めて驚いて、ありのままに申し詫びけること

承久の乱の大旨

 後日、承久記を見るべし。東鑑並びに御書の意に准ず。

 抑去ぬる元暦年中、頼朝平家を追討し給う時、御白河院叡の余り、六十六箇国の総追捕使に捕せらる。これより武家始めて諸国に守護を立て、庄園に地頭を置く。頼朝の長男頼家、次男実朝続いて将軍の武将に備る。これを三代将軍と号す。頼家は実朝の為に討たれ、実朝は公暁の為に討たれて、父子三代僅かに四十二年にして尽きぬ。その後、頼朝の舅時政の子息義時、自然に天下の権柄を執り、勢漸く四海を覆わんと欲す。

この時太上天皇は後鳥羽院なり。武威下に振い、朝憲上に廃るる事を歎き思召して、兼ねて義時を亡さんとし給うに、或る時、舞女亀菊の申状に依り、摂津の国長江・倉橋の両庄の地頭職を停止すべ機の由、二箇度宣旨を下さるるの処、武家敢て諾し申さず。その故は勲功の賞に募り、定補の輩所以なく改め難きの由これを申す。仍って逆鱗最も甚だし。此等は多くの子細これあるによって、兼ねて諸寺諸山の貴僧・高僧に命じて、内々調伏の法を行ぜしむ。正しく承久三辛巳五月十五日に伊賀の太郎光季を打ち取る。これ義時を打ち給わんとての門出なり。

 この事、十五日に京都の飛脚、同じき十九日に鎌倉に下着し、一門の郎従群集して、評議区に分かれたり。或は云く、関を足柄・筥根の両道に固めて相待つべきかと云云。大官令覚阿云く、群議一旦は然るべし。但し東士一揆せざれば、関を守って日を渉るの条、還って敗北の因為るべし。運を天道に任せ、早く軍兵を京都に発遣すべしと云云。

この義最も然るべしとて、国々の諸士に飛札を以て触れ流し、義時の長男武蔵守泰時、同じき二十一日の夜門出す。その夜は藤沢左衛門清近の宅に宿し、同じき二十二日京都に進発す。その勢僅かに十八騎なり。東国の軍勢追々に馳せ付け馳せ付け、同じき二十五日にはその勢総て十九万余騎なり。この勢を三手に分け、相州・武州大将にて十万余騎は東海道より責め上る。一手は武田太郎信光等を大将として、五万余騎は東山道より責め上がる。一手は式部丞朝時等を大将として、四万余騎は北陸道より責め上がる。同じき六月十四日に宇治・勢多を責め破り、洛陽に打入って三院を生け捕り、三国へ流し奉る。所謂後鳥羽院は隠岐の国、順徳院は佐渡の国、土御門は阿波の国。終には彼の国々にして隠れさせ給いぬ。

 これは如何にして負け給うぞ。国主の身として民の如くなる義時討たん事、鷹の雉を取り、猫の鼠を食らうにてこそあるべきに、これは猫が鼠に食われ、鷹が雉に取らるるようなり。設い負け給うとも、一年、二年、十年、二十年も支うべき事なるに、五月十五日に発して六月十四日に打ち負け給いぬ。前後僅か三十余日の間、敢なく打ち負け給う事は、これ但事に非ず。偏に真言の悪法を以て調伏し給うが故に「還著於本人」の責め免かれざるが故なり。

 抑調伏の行者は天台の座主慈円僧正、真言の長者、仁和寺、御室、園城寺の長吏、総じて七大寺、十五大寺の貴僧・高僧等四十一人、智慧戒行は日月の如く、秘法は慈覚・智証の心中深秘の大法、十五壇の秘法なり。この法の詮は、国敵・王敵と成る者を降伏し、命を召し取り、その魄を密厳浄土へ遣すという法なり。そのほか伴僧三百余人、四月十九日より六月十四日に至るまで汗を流し脳を砕き、行ずべき最後には、御室紫宸殿にして日本国に渡っていまだ二度とも行ぜじ程に、同じき十四日に関東の軍勢、宇治・勢多を押渡って洛陽に打ち入り、三院を生捕り、九重に火を放って一時に焼失す。三院を三箇国へ流し、公卿七人は忽ちに首を切り、勢多伽丸をも、終には首を切られたり。御室は思い堪えずして終に死す。母も同じく思い死に死せり。適生きたるも甲斐なし。

すべてこの祈を頼みし人、幾千人という事を知らず死したり。御室の祈を始め給いしは、六月の八日より同じき十四日に至るまで、中を数うれば七日に満つる日なり。一日、二日だにも支え兼ねて但一日の合戦に打ち負け給う事は、豈真言の悪法を以てこれを調伏せし故に非ずや。故に「調伏のしるし還著於本人のゆへとこそ見へて候へ」というなり。

(第十段 日蓮大聖人の知恩報恩)

一、殷の紂王の比干が胸を・さき。

 註千字文上八に「七孔・七毛あり」と云云。

一、夏の桀王の竜逢が頭を切り。

 啓蒙十五三十九、蒙求下十七に「庚子の日に、臣が族、虐王を禽らん」と云云。

一、檀弥羅王。

 啓蒙九十九に「一に竺の道生」と。啓蒙九二十三に「専ら闡提の仏性を談ず。故に虎丘山に流されしなり。蘇山は即ち虎丘山の事なり」と。

一、法道三蔵。

 同じき二十三本に「本は永道と名づく。後に上皇、名を法道と賜う。仏法を将護して、その道を立てたる故なるべし」と云云。

一、覚徳比丘。

 安国論十九に経を引く云云。「有徳王」等云云。

一、魏徴。

 貞観政要二十。

一、三度国をいさむるに等。

 孝経に云く「三たび諫めて納れずんば、身を奉じて以て退け」と文。

三月二十一日

(第十一段 正法を弘通するは謝徳なるを明かす)


一、問うて云く法華経・一部・八巻の中に何物か肝心なるや文。

 問う、文の総連は如何。

 答う、先ず次上の意は、道善房は法華不信の人なり。後に少し信じ給えども、昼の燈の如し。その上、日蓮佐渡にありしに、一度も問い給わず。法華経を信じたりしとはいいがたし、自業自得果、遁れがたくやあらんと云云。この下の意は、されども日蓮、三大秘法を弘る故に、この功徳は道善房の身に集まり給うべしと云云。その三大秘法を顕さんが為に、先ず問答料簡これあるなり。故にその意は一連するなり。

一、華厳経ん肝心文。

 この下は通じて諸経の例を挙ぐ。中に於て、別して先ず浄土の三部経を挙ぐ。彼の宗、三部経の題号を唱うるが故に、これを挙げて所破とするなり。次に真言の三部経を挙ぐ。当抄の大綱は別して真言を破する故なり。これ則ち清澄山の浄顕・義成にこれを賜う故なり。

一、仏も又かくのごとし大日如来等。

 以上は法に約し、この下は人に約するなり。先ず「大日如来」を挙ぐる子とは、また真言に対するが故なり。

一、如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即一部八巻の肝心文。

 註二九に云く「心は是れ主なり。肝は血を納む。胆は其の府と為って心主を守る。故に肝心と曰う」と文。初めに他解を破すとは、啓蒙十五五十三の意に云く、既に「一部八巻の肝心」という。豈本迹一致の南無妙法蓮華経に非ずや。而るに勝劣は方にこの文を曲会して、権実相対一往というなり。自門の意は、権実相対・本迹相対倶に再往の実義なり。具に決疑抄の如し已上、取意。決疑抄上三十九に云く「宗祖、諸宗無得道の弘通に依って種々の大難を蒙り、其の功、竜樹・天台に超えたる事、皆権実相対の法門に由る。故に権実相対・本迹相対共に再往の実義なり」と文。

 先ずこの中に「皆権実相対の法門に由る」という「皆」の字、大なる謬りなり。啓蒙三十六五十一に云く「抑吾が祖の本迹の起尽を強く立てたまうことは、天台過時の迹を破せんが為なり。常の所談の如く、また真言対破の意を帯ぶ。何となれば、密徒が寿量深秘の意を偸み取って大日経に混入し、分外の義を宣ぶるが故に、専ら本門事成の法門を以て、彼の宗を対破するなり」と文。故に知んぬ、天台・真言を破責するに、本迹相対の法門を用うることを。何ぞ「皆権実相対の法門に由る」といわんや是一。

 況や権実相対して禅・念仏を破責するは、真言宗を破せんが為の序分なり。故に十九二十六に「ただし禅宗乃至真言宗がことに此の国とたうどとをば・ほろぼして候」と云云。清澄抄三十三十九に云く「真言宗は法華経を失う宗なり、是は大事なり先ず序分に禅宗と念仏宗の僻見を責めて見んと思ふ」と文。既にこれ権実相対して念仏・禅宗を破責す。所破既にこれ一往なり。故に「序分」という。序分豈再往の実義ならんや(是二)。

 況やまた猛将・勇士は弱敵を破るを以てその功と為さず。註千字文中二十四に云く「秦の李斯云く、臣聞く、強を以て弱を伐つは勇士の士を掃うが如し、功と為すに足らず」と云云。然るに禅・念仏は実にこれ弱敵なり。故に開目抄上十に云く「やうやく六宗・七宗に天台宗をとされて・よわりゆくかの・ゆへに結句は六宗・七宗等にもをよばず、いうにかいなき禅宗・浄土宗にをとされて」と文。所破既にこれ弱敵なり。故に再往の実義に非ず、相対豈一往に非ずや是三。

 故に知んぬ、吾が祖は諸宗無得道の弘通に依って種々の大難を蒙り、その功、竜樹・天親・天台・伝教に越えたることは、一には一往権実相対して禅・念仏を破する故に。豈一往に非ずや是四。

 また既に「一部八巻の肝心」という故に本迹一致の南無妙法蓮華経といわば、また「一切経の肝心」という故に、応に一代一致の南無妙法蓮華経というべきや。若し爾らば如来の金言は泡沫に同じ、宗祖の折伏は虚戯と為らん。憐むべし、悲しむべし是五。

 当に知るべし、附文の中の文面、権実相対一往なり。

三月十二日 初めに正義を明かすとは      如是我聞の上の妙法に略して二義あり。一には就法、二には功帰なり。初めの就法にまた二意を含む。一には名通、二には義別なり。記八本四十に妙楽云く「略して経題を挙ぐるに、玄に一部を収む」と文。「略して経題を挙ぐ」とは即ちこれ名通なり。「玄に一部を収む」とはこれ義別なり。故に籤六本十六に云く「一部の始終二門を出でず」と文。籤一本二十に云く「妙法の両字は通じて本釈を詮す」と文。「妙法」の両字は名通なり。「通じて本迹を詮す」は、豈義別に非ずや。

初めに広く名通の相を明かすとは

 一には一代の妙法。提婆品に云く「広く衆生の為に妙法を説く」と文。甫記八二十六にこの文を釈して云く「通じて一代を指して、倶に妙法と名づく」と文。

二には阿含の妙法。中阿含第三に云く「舎利子の所説は妙中の妙」と文。浄名疏代二二十二に云く「生滅の四諦を妙法と名づく。能く衆生をして故きを畢えて新しきを造らざらしむ。之を妙法と謂う」と文。

 三には方等の妙法。金光明経第六四天王品に云く「其の国土に於て此の経有りと雖も、未だ曽て流布せず乃至無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ざらしめ、甘露の味に背き正法の流を失わしむ」と文。

 四には般若の妙法。文八三十三に大論七十九を引いて云く「般若は是れ三世の諸仏の妙法なり。当に知るべし、般若もまた妙法と称す」と文。

 五には迹門の妙法。籤一末二十二に云く「若し権を開せざれば妙の名立たず」と云云。具に玄文第二巻より第六巻に至り、広くこれを釈するが如し云云。

 六には本門の妙法。玄七四十四に云く「発釈顕本の故に別して妙と称す」と文。妙楽云く「発とは開なり」と。また玄文第七に略してこれを釈するが如し。

次に義別の相を明かすとは

 籤二五十八に云く「豈是れの如き妙中の妙等の名を以て、能く法体をさだめんや。是の故に須く名の下の義を以て之を簡別すべし」と云云。義例十に云く「豈名同を以て法をして一概ならしめ、理を以て簡びて甄分せしめんや」と云云。故に名通はこれ一往、義別はこれ再往なり。

 守護章中上十八に云く「夫れ妙法に多種有り。浅智知り難し。乃至老子云く、妙を観んと欲すること無けんと、豈是ならんや。小乗教を用て外道教に望むれば、小乗を妙と為す。小乗教に望むれば、権大乗を用て妙法と為す。二乗を開する故に、大乗に望むれば一乗教を以て深甚の妙と為す」と文。

 開目抄上六に云く「一代・五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり大人の実語なるべし無いし但し仏教に入て五十余年の経経・八万法蔵を勘たるに小乗あり大乗あり権経あり実経あり乃至種種の差別あり、但し法華経計り教主釈尊の正言なり三世・十方の諸仏の真言なり」と文。

 この意の文意は、若し一代を通じて妙法と名づくることは外道に対するが故なり。実に大小・権実、種々の差別有り。阿含小乗を妙法を名づくるは、また外道に対するが故なり。実にはこれ小乗にして、麁法の中の麁法なり。何ぞこれ妙中の妙ならん。方等・般若の権大乗を妙法と名づくることは、且く小乗に望むが故なり。実にはこれ権教、麁法なり。迹門を妙法と名づくることは、二乗を開する故なり。未開の権大乗に対するが故なり。実にはこれ始得、麁の麁法為るなり。

 問う、正しく本迹二妙の差別の相貎は如何。

 答う、迹門は開権顕実の妙法なり。謂く、九界の権を開し、仏界の実を顕酢。故に但仏界の実にして更に一句の余法なし。皆これ仏界が家の十界なり。既に仏界が家の十界なる故に、界々互具の融妙不可思議なり。故に妙法と名づくるなり。

 次に本門は開迹顕本の妙法なり。謂く、迹門始覚の十界互具を開して、本門本覚の十界互具を顕す。故に但本門本覚の十界互具にして、更に一句の始覚の法なし。故に真の一念三千にして融妙不可思議なり。故に妙法というなり。若し所開を論ずれば、迹門は但九界を開す。本門は十界倶に開するなり。若し所顕を論ずれば、迹門は但始覚の仏界を顕す。本門は本覚の十界倶に顕すなり。私志一七十三、十法界抄等云云。

 正しく文相を消せば、開権・開迹異なりと雖も、倶にこれ通じて妙法と名づくる故に、如是我聞の上の妙法蓮華経の名に通じて一部八巻を収む。故に「肝心」というなり。これはこれ名通肝心の義なり。倶に妙法と名づくと雖も、開権・開迹既に異なり。故に如是我聞の上の妙法蓮華経の義に別して一部八巻を収む。謂く、開権権実の辺は迹門十四品を収め、開迹顕本の辺は本門十四品を収む。故に「肝心」というなり。これはこれ義別肝心の義なり云云。当に知るべし、文の面は名通にして義別を含むなり。並びにこれ就法は附文の辺なり。次の功帰を以て元意と為すなり。

  第二に功帰とはまた二意を含む。所謂本果・本因なり

 玄一に云く「此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵なり。三世諸仏の証得する所なり」と文。籤一本に云く「迹中に説くと雖も、功を推すに在ること有り、故に本地と云う」等云云。文の意に云云。

 初めに本果とは、即ちこれ本果所証の妙法を指して本地甚深等というなり。これはこれ外適の辺、寿量品の文上の意なり。

 次に本因とは、即ちこれ本果名字の所証を指して本地甚深というなり。これはこれ内鑒の辺、寿量品の文底の意なり。当に知るべし、本因名字の所証とは即ちこれ三大秘法総在の妙法蓮華経なり。文に「本地」とは即ちこれ本門の戒壇なり。謂く、本尊所住の地なり、故に本地という。本尊所住の地、豈戒壇に非ずや。文に「甚深」とは即ちこれ本門の本尊なり。天台玄一二十一に云く「実相を甚深と名づく」と云云。妙楽云く「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土」と云云。実相・甚深、豈一念三千の本尊に非ずや。

文に「奥蔵」とは、奥蔵は能歎なり。例せば爾雅第四に「最も深隠と為す、故に之を奥と謂い、蔵とは天台云く、包蘊を蔵と為す」というが如し云云。故に知んぬ、奥蔵とは本門の題目なることを。所謂題目の中に万行を包蘊するが故なり。

 今三大秘法総在の妙法に約する故に、「此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵」というなり。当に知るべし、今日の一部・八巻・二十八品は、若しその功を論ずれば、近くは本果の所証に帰し、遠くは本因の所証に帰す。故に本因名字の所証を以て本中の本、妙中の妙とするなり。若しこの義を信じて正しく文相を消せば、「如是我聞の上の妙法蓮華経の五字」は即ち本果所証の妙法なり。この本果所証の妙法に通じて一部八巻を収む。故に肝心というなり。記九末五十四に云く「本迹の妙理、これ仏の本証なり」等云云。謂く、今日迹中の本迹の妙理は即ちこれ仏の本果の所証の妙法なり云云。記十三に云く「但、久本の功、実証に帰するに在るを指す」と云云。今日迹中の二門の妙理は、功、本果の実証に帰す等云云。これはこれ本果肝心の義なり。

 また「如是我聞の上の妙法蓮華経の五字」は即ち本因所証の妙法なり。この本因所証の妙法に通じて一部八巻を収む。故に肝心というなり。竹八十四に云く「本迹二門皆実相に帰す」等云云。今日迹中の本迹二門は、皆本因所証の実相、甚深の本尊、一念三千の妙法に帰するなり云云。これはこれ本因肝心の義なり。

 当に知るべし、此等の法門は当流の深義なり。若し本迹一致は但権実相対、名通の一辺を知って、尚義別の辺を知らず、況や功帰の辺を知らんや。若し諸の勝劣の流も但義別及び本果肝心を知って、今だ本因肝心の義を知らず。謂く、彼は但本迹相対を知って今だ種脱相対を知らざる故なり。但当流のみ能く文底の深義を知り、本因所証の妙法を予するなり。当に知るべし、玄文の意は「如是我聞の上の妙法蓮華経の五字」は即ち戒壇の本尊の南無妙法蓮華経なりと。能く能く思うべし。

一、一部八巻の肝心、亦復・一切経の肝心。

 この題号の妙法は近く一部八巻を収む、故に「一部八巻の肝心」という。遠く一切経を収む、故に「亦復・一切経の肝心」という。遠く収むとは一切経は今経の二門に帰し、今経の二門に題名を収むる故なり。大師行法日記に云く「一切経の枢要」と云云。

一、一切の諸仏乃至竜神等の頂上の正法なり文。

 「一切」の両字は下に冠するなり云云。「頂上」とは恭敬の至れるを顕すなり。例せば、天人の戴仰する所、竜神咸恭敬するが如し。頂上は即ち戴仰に同じ。戴仰は又恭敬に同じき故なり。これ則ち一切の諸仏は妙法を師と為して恭敬供養する故なり。故に涅槃経四二十二に云く「諸仏の師とする所は、所謂法なり。是の故に如来は恭敬供養す」と云云。諸仏尚爾なり。何に況やその已下をや。故に「菩薩」等というなり。

   三月二十三日

一、大方広仏華厳文。

 初めを挙げて後を摂し、勝を挙げて劣を摂するなり。

一、譬えば身の熱者大寒水の辺にいねつれば文。

 「大寒水」とは無熱池なり。故に合譬の文に「法華経の大雪山の上に臥しぬれば」と云云。文二六十七に云く「長含十八に云く、雪山の頂に池有り。阿耨達と名づく。此には無熱池と云うと」取意と。

 若し附文の辺は、法華経を以て無熱池に譬うるなり。若し元意ん辺は、本門の本尊を無熱池に比するなり。南条抄二十二二十九に云く「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にしれ相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり乃至此の砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜん、彼の中天竺の無熱池に臨みし脳者が心中の熱気を除愈して其の願を充満する事清涼池の如しとうそぶきしも・彼れ此れ異なりといへども、其の意は争でか替るべき」と。「一大事の秘法」とは本門の本尊なり。「此の砌」とは戒壇の霊場なり。

一、愚者と智者との唱うる功徳は天地雲泥なり文。

 文意に云く、愚者なれども法華の題目を唱うる功徳は大いに勝れ、智者なれども法華の題目を唱うる功徳は大いに劣るなり。故に「愚者と智者との唱うる功徳は天地雲泥なり」という。譬の意、皆爾なり。

一、大綱は大力も切りがたし文。

 「大綱」とは五逆の謗法に譬うるなり。この文は略せり。「大綱は大力なれども指を以て切りがたし」とすべき事なれども、文体宜しからざる故に略せるなり。下の譬、これを思え。謂く、五逆謗法の大綱は、智者なれども権経の題目を以ては切りがたしと云云。一利剣を以てすれば小力も破るべし。盛衰記十六十一。

一、答えて云く或は云く等文。

 この下は台家の学者の異義を挙ぐるか。六箇の「或は云く」は六人の義なり。或は云く、二十八品は事に随って皆肝心なりと。或は云く、二十八品の中には方便・寿量の二品肝心なり。二乗作仏・久遠実成は今経の骨髄なるが故なりと。或は云く、二十八品の中には但し方便の一品肝心なり。既に但仏出世の正意顕実を釈する故なりと。或は云く、二十八品の中には但寿量の一品肝心なり。これ顕本遠寿を命と為すを釈する故なりと。或は云く但開示悟入の一文、二十八品の中の肝心なり。これ開示悟入を釈するは迹要なりと雖も、若し顕本し已れば、即ち本要と成るが故なりと。或は云く、但諸法実相の一文、二十八品の中の肝心なり。本迹二門倶に諸法実相を以て体玄義と為すが故なりと云云。

一、九百九十九人。

 阿難を加れば即ち千人なり。

 問う、何ぞ千人を選取するや。

 答う、闍王、父の頻婆沙羅王に相次いで、但千人を供養するが故なり。大論二六

一、先づはじめに妙法蓮華経とかかせ給いて文。

 問う、誰か妙法蓮華経を唱うと、これを書かしめたるや。

 一義に云く、阿難高座に登るの時、文殊下座にして妙法蓮華経と唱えたまえば、阿難高座にして如是我聞と唱えたうなりと。一義に云く、題号も如是我聞も倶に阿難唱うるなり。若し余文の中に、文殊に約することは、これ能証に約して功を帰すと論ずるが故なりと。一、題目は法華経の心なり文。

 「法華経の心」とは本因所証の妙法なり云云。四信抄に云く「妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ」と云云。

一、妙楽大師云く。

 籤十六の文なり。「法華文心」の四字は今の所用なり。

一、出羽の羽も文。

 風土記上に云く「出羽の国とは奥州の内なり。然るに允恭天皇の時、鷲の羽を度度貢物に備えたり。故に彼の羽の出ずる処なれば、出羽の国と名づくるなり」と云云。盛衰記七九に云く「大納言行成、殿上人たりし時、実方の中将、行成に対して卒忽の無礼の故に奥州に流され、阿古野の松を尋ぬるに、更に無し。老翁云く、みちのくの、あこやの松の木高さに、出づべき月の出でやらぬ哉と読めども、今は国分れて、出羽の国にありと」等云云。

一、奥州の金文。

 風土記に云く「中山道は都の外、近江・美濃・信濃・上野・下野・陸奥の六箇国なり。故に奥なり、六つめなり」と云云。釈書二十八に「石山寺の下に、始め奥州の金を献じ、大仏の薄とす」と云云。

一、女人あつて子をうまず。

 開目抄下四十六「石女に子のなきがごとし」と。

一、人あつて命なし又神なし。

  上の五譬は二乗作仏なきに譬う。この二喩は久遠 実成なきに譬うるか。また七喩通じて二箇条に譬う るなり。

一、此の経の用を借ずば等文。(三二六n)

  これは伏難を遮するなり。

  若し爾らば、彼の経は当分にして、当分の力用あ るは如何。

  答う、為実施権の故に、この経の用を借りて当分 少の用あるなり云云。

一、当時現前文。(同n)

  この下は現証なり。上に法・譬・合あり。見るべ し。

  三月二十四日

一、西国の観音寺の戒壇。(三二八n)

  釈書二十一十八に「元明皇帝、和銅二年に賀する なり」と。

一、東国下野の小野寺の戒壇。(同n)

  同じき二十二十九に「称徳天皇、宝字五年に建つ」と。

一、中国大和の国・東大寺の戒壇文。(同n)

  同じき十六紙に「孝謙天皇、勝宝五年に立つ」と。

一、大蝗虫。(同n)

  「いなむし」と。蒙求上十六、本語十四十。

一、後周の宇文。(同n)

  周の武帝の事なり。統記三十九十七に「心を捧え」 と。

一、唐の武帝。(同n)

 会昌天子ともいうなり。同じき四十三六。

  三月二十五日

一、迦葉・阿難乃至伝教等の弘通せさせ給はざる正法 なり。(同n)

  問う、此等の聖師、これを弘めたまわざる所以は 如何。

  答う、此に四意あり。太田抄二十五六に云く「一 には自身堪えざるが故に二には所被の機無きが故に 三には仏より譲り与えられざるが故に四には時来ら ざるが故なり」と已上。故に知んぬ、蓮祖これを弘 通するにまた四意あることを。一には自身能く堪え たまうが故に、二には所被の機あるが故に、三には 仏より譲り与うるが故に、四には時来るが故に云云。

  今先聖の未弘に対して、蓮祖弘通の所以明かすべし

  一には、彼は堪えず、これは能く堪うる故に。本 尊抄八二十四に云く「観音乃至薬王菩薩は乃至又爾 前迹門の菩薩なり本法所持の人に非れば末法の弘法 に足らざる者か」と文。「爾前迹門」とは、今日の 迹本二門を通じて迹門と名づく。これ則ち迹中所説 の故なり。故に妙楽云く云云。久遠名字の妙法を  「本法」と名づくるなり。当に知るべし、観音・薬 王等は迹中の番々に於て、迹本二門の説法を聞いて、 能くこれを所持すと雖も、未だ文底秘沈の久遠名字 の妙法の付嘱を受けず。何ぞこれを所持すべけんや。 これ則ち世々番々に於て付嘱せざるが故なり。

  然るに本化の菩薩は久遠名字の御弟子にして、能 くこの本法を受持し給えり。故に久遠名字已来、本 化所持の菩薩なり。故にこの経を弘むること、猶魚 の水に練れ、鳥の虚空に自在なるが如し。故に観音 ・薬王等は自身既に堪えざるが故にこれを弘めず。 吾が蓮祖は自身能く堪うるが故にこれを弘めたまう なり。

  二には、彼れは所被の機なく、此れは所被の機あ り。立正観抄三十八六に云く「天台大師は霊山の聴 衆として如来出世の本懐を宣べたもうと雖も時至ら ざるが故に妙法の名字を替えて止観と号す乃至正直 の妙法を止観と説きまぎらかす故に有のままの妙法 ならざれば帯権の法に似たり、故に知んぬ天台弘通 の所化の機は在世帯権の円機の如し、本化弘通の所 化の機は法華本門の直機なり」と文。

  彼れは既に「帯権の円機」にして、これ本門の直 機に非ず。何ぞ本門大法を授けんや。これはこれ  「法華本門の直機」なり。「直機」とは、直ちに本 因下種の機なり。故に蓮師は本因下種の要法、三箇 の秘法を弘めたまうなり。

    三には、彼は譲り与えず、此れは譲り与うるが故 なり。本尊抄八二十一に云く「所詮迹化他方の大菩 薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法 の初は謗法の国にして悪機なるが故に之を止めて地 涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華 経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」と文。

  「内証の寿量品」とは、文底本因妙の事なり。

  問う、何ぞ迹化・他方を止めて、但本化のみを召 すや。

  答う、天台既に前三後三の六釈を作り、これを会 して内鑒すと雖も、末法に譲って明らかにこれを釈 せず。故に今、諸文の意に准じて、明らかにこれを 会すべし。謂く、他方・本化の前三後三、迹化・本 化の前三後三なり。これは臆度に非ず。故に明文を 引く云云。

  初めに他方・本化の前三後三とは

  一には、他方は釈尊の直弟に非ざる故に。嘉祥の 義疏第十に云く「他方は釈迦の所化に非ざるが故に」 と云云文。多くはこれ分身の弟子なるべし云云。

  二には、他方の住国不同なるが故に。天台の文九 に云く「他方各自ら己が住有り。若し此の土に住せ ば、彼の利益を廃せん」と文。

  三には、他方は結縁の事浅きが故に。天台云く  「他方は此の土に結縁の事浅し。宣授せんと欲すと 雖も、必ず巨益無けん」と文。「巨」は大なり。

  一には、本化は釈尊の直弟なるが故に。経に云く 「悉く是れ我が所化なり。今大道心を発す」と。天 台云く「是れ我が弟子、応に我が法を弘むべし」と 文。

  二には、本化はこの土に常住するが故に。経に云 く「此等は是れ我が子、是の世界に依止す」と。太 田抄に云く「地涌千界の大菩薩・一には裟婆世界に 住すること多塵劫なり」と文。

  三には、本化は結縁の事深きが故に。天台、本化 を釈して云く「縁深広を以て能く此の土に遍じて益 し、他方の身土に●じて益せん」等云云。 

  次に迹化・本化の前三後三とは 

 一には、迹化は釈尊名字即の弟子に非ざるが故に。 本尊抄十一に云く「迹化の大衆は釈尊初発心の弟子 等に非ざる故なり」と云云。

  二には、迹化は功を積むこと浅きが故に。新尼抄 に云く「観世音乃至薬王菩薩等の諸大士乃至此等は 智慧いみじく才学ある人人とは・ひびけども・いま だ法華経を学する日あさし学も始なり、末代の大難 忍びがたかるべし」と云云。録外十二二十七紙なり。

  三には、迹化は末法に利生応に少かるべきが故に。 初心成仏抄に云く、二十二十四に云く「薬王菩薩・ 薬上菩薩・観音・勢至の菩薩は正像二千年の御使な り此等の菩薩達の御番は早過たれば上古の様に利生 有るまじきなり、されば当世の祈を御覧ぜよ一切叶 はざる者なり」と。 

  一には、本化は釈尊名字即の御弟子なるが故に。 本尊抄二十七に云く「地涌千界は教主釈尊の初発心 の弟子なり」と文。

  二には、本化は功と積むこと深きが故に。下山抄 二十六十八に云く「五百塵点劫より已来、一向に本 門寿量品の肝心を修行し習い給える上行菩薩等の御 出現の時尅に相当れり」(取意)と。

  三には、本化は末法の利生盛んなるべきが故に。 初心成仏抄に云く「末法当時は乃至法華経二十八品 の肝心たる南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘ま りて利生得益もあり上行菩薩の御利生盛んなるべき 時なり」と文。故に迹化・他方を止め、但本地を召 してこれを譲り与えるなり。第三の義畢んぬ。

  四には、彼は時来らざるが故に、此れは時已に来 れるが故に。既に本化の菩薩に付嘱し已って、正し く流布の時を指示して云く「後の五百歳の中に閻浮 提に広宣流布す」と云云。故に知んぬ、三箇の秘法 は末法流布の大白法なることを。何ぞ正像に於てこ れを弘通すべけんや。

  撰時抄四八に云く「天台大師云く『後の五百歳遠 く妙道に沾わん』妙楽大師云く『末法の初め冥利無 きにあらず』伝教大師云く『正像稍過ぎ已って末法 太だ近きに有り(乃至)』云云、(乃至)而るに天台・ 妙楽・伝教等は進んでは在世法華経の時にも・もれ させ給いぬ、退いては滅後・末法の時にも生れさせ 給はず中間なる事をなげかせ給いて末法の始をこひ させ給う御筆なり(乃至)道心あらん人人は此を見き きて悦ばせ給え正像二千年の大王よりも後世ををも はん人人は末法の今の民にてこそあるべけれ此を信 ぜざらんや、彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経 と唱うる癩人とはなるべし」と文。而るに本迹一致 の弘通は仍これ天台宗なり。 

  三月二十六日

一、求めて云く其の形貌如何(三二八n)

 これ第三度に至るなり。これ尊重を顕すなり。大論百二十一に云く「法を尊重せんが為に慇懃に三に至る」と文。即ちこの意なり。

一、一には日本・乃至等文。(三二八n)

 総じて蓮祖弘通の大綱は宗旨の三箇、宗教の五箇を出でざるなり、これを宗門八箇の法義と謂うなり。中に於て宗教の五箇はこれ能詮、宗旨の三箇は所詮なり。故に先ず須く宗教の五箇を了すべし云云。

 第一の教とは、一代諸経の浅深勝劣を判ずるを教というなり。天台大師は五時八教を以て一代の浅深を判じ、以て法華経最第一を顕せり。蓮祖聖人は三重の秘伝を以て文底秘沈の大法を顕したまえり。謂く、爾前当分・迹門跨節、迹門当分・本門跨節、脱益当分・下種跨節なり。下種跨節とは即ち三大秘法なり。「日蓮が法門は第三の法門」とはこれなり。諸宗諸門はこの事を知らず云云。

 第二の機とは、正像二時は本已有善の故に下種の善根を熟し、末法は本未有善なる故に、直ちに三大秘法を以て下種と為すなり。故に「本門の直機」というなり。妙楽の記一末三に云く「未とは下種、已とは熟脱なり」と云云。

 問う、末法というと雖も、何ぞ必ずしも本未有善ならんや。

 答う、且く三義を示さん。

 一には先例に准ずるが故に。文十十二に云く「本已に善有り、釈迦小を以て而して之を将護す。本未だ善有らず、不軽大を以て而して之を強毒す」と云云。威音王の像法は即ち釈迦の末法に同じきなり。

 二には現見に依るが故に。唱法華題目抄十一四十七に云く「当世の風俗を見るに、無善の者は多く有善の者は少し。皆地獄の機なるのみ」(取意)と文。故にまた多分に約するなり。

 三には仏を去ること遠きが故に。太田抄二十五四に云く「今は既に末法に入って在世の結縁の者は漸漸に衰微して権実の二機悉く尽きぬ彼の不軽菩薩末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり」と文。外の教行証二十四に云云。諸宗諸門はこれを知らず云云。

 第三の時とは、薬王品に三箇の秘法広布の時を指示す。大集経に「白法隠没」と云云。薬王品に云く「後の五百歳広宣流布」と云云。彼の大集経の白法隠没の時は即ちこれ今経広布の時なり。譬えば明暗の来去同時なるが如し。第四十九。故にこの三大秘法は末法流布の大白法なり。

 第四の国とは、弥勒云く「東方に小国有り」と。什云く「此の典は東北に縁有り」等云云。日本というは、日は謂く、本門三箇の秘法、本は謂く、根本。故に知んぬ、本門三箇の秘法広布の根本の国なることを。故に日本国というなり。また日は謂く、能譬の日天なり。本は謂く、本門三箇の秘法なり。意に云く、日天子の如くなる本門三箇の秘法流布の国と云云。「又日天子の、能く諸の闇を除くが如く」とはこれなり。遵式の天竺別集に「始め西より伝う、猶月の出ずるがごとし。今また東より返る、猶日の昇るが如し」と文。

 第五の教法流布の前後とは、衆生の病に随って三時の弘経の次第あり。既に小乗の次には権大乗を弘め、権大乗の次には実大乗の法華経を弘む。故に知んぬ、実大乗の次には文底深秘の大法を弘むべきなることを。

 今五義を以て正しくその義を験さん。この三箇の秘法は如来出世の本懐、寿量文底の秘要、蓮祖弘通の骨目、衆生成仏の種子の大法なり。三大秘法抄に云く「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり」と云云。

一、本門の教主等文。(三二八n)

 三箇の秘法並びに本門というは、即ちこれ本門寿量文底の秘法なり。故に本門三箇の秘法というなり。故に開目抄に云く「本門・寿量品の文の底に(秘し)しづめたり」と云云。一致門流、この本門の言を会するに五義あり。皆これ曲会私情なり。

 一には謂く、本迹一致の妙法なれども、既に久成の釈尊の所証なり。故に本門というなりと。

 難じて云く、既に久成の仏の所証なり。豈本門の妙法に非ずや。

 二には謂く、本迹一致の妙法なれども、本門神力品に於てこれを付嘱す。故に本門というなりと。

 難じて云く、既に寿量の妙法を以てこれを付嘱す。故に本門の妙法という。何ぞ付嘱の場所に約せん。

 三には謂く、本迹一致の妙法なれども、既に本化の菩薩これを弘む。故に本門の妙法というなりと。

 難じて云く「法是れ久成の法なるが故に、久成の人に付す」と云云。故に知んぬ、法これ本門の妙法なるが故に、本化の菩薩これを弘むることを。何ぞ本迹一致といわんや。諌迷十六十七に云云。

 四には謂く、本迹一致の妙法なれども、迹化・迹門の弘通に対して、本化弘通の規模を顕さんが為に本門というなりと云云。

 難じて云く、若し爾らば、汝は本化弘通の規模を隠さんと欲して本迹一致というや。決疑上十二。

 五には謂く、本迹一致の本迹は本家の迹にして、一部唯本なり。故に本門というと云云。

 難じて云く、若し与えてこれを論ぜば、既に一部唯本という。豈本門の妙法に非ずや。何ぞ本迹一致といわん。若し奪ってこれを論ぜば、一部もまたこれ唯迹なり。即ちこれ迹中の所説なるが故なり。若しこの義に拠らば、応に迹門の三大秘法というべけんや。啓蒙二十三十四。

  三箇の秘法開合の事

 若し三箇の秘法を合すれば、但これ一大秘法なり。一大秘法とは即ち本門の本尊なり。太田抄二十五十に云く「大覚世尊末法を鑒みたまいて、一大秘法を留め置きたまえり。爾の時に大覚世尊、寿量品を演説して四大菩薩に付嘱したまう。所謂妙法蓮華経の五字、名体宗用教五重玄なり。四大菩薩は但此の一大秘法を持して本処に隠居する後、正像に於て一度も出現せず。仏、末法の時に限って此等の大士に付嘱し給う故なり」略抄と。

 妙法の五字を図顕すれば、即ちこれ本門の本尊なり。本尊所住の処は即ちこれ戒壇なり。本尊を信行すれば、即ちこれ本門の題目なり。故に略して妙法の五字を挙げ、具に三箇の秘法を摂したまうなり。故に合する則は一大秘法なり。寿量品に「此の大良薬は、色香美味、皆悉く具足せり」というはこれなり。「此の大良薬」とは、総じて一大秘法、妙法五字を挙ぐるなり。「色香美味」とは、別して三箇の秘法を含むなり。謂く、色はこれ戒壇なり。故に文九六十二に云く「色はこれ戒に譬う。事相彰顕なり」と文。香はこれ本尊即ち大曼・羅なり。義釈四十に云く「夫れ曼・羅とは功徳聚集と名づく。今、如来真実の功徳を以て、集めて一処に在く故に」と文。天台云く「香は定に譬う。功徳の香、一切に薫ず」と文。既に香を定に譬う。定は即ち功徳なり。功徳聚集は即ちこれ曼・羅なり。美味はこれ題目なり。故に天台云く「味は慧に譬う。理味を得るなり」と文。

 当体義抄二十三二十四に云く「然るに日蓮が一門は乃至当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」と文。「常寂光の当体の妙理を顕す」とは、即ち理味を得るなり。題目豈理味を得るに非ずや。是くの如く三箇の功能は妙法蓮華経の五字に具足す。故に「此の大良薬は、色香美味、皆悉く具足せり」というなり。

    この一大秘法を開すれば即ち三箇の秘法なり

 寿量品に云く「是の好き良薬を、今留めて此に在く、汝取って服すべし。差えじと憂うること勿れ」と文。「是の好き良薬とは本門の本尊なり。本尊抄に云く「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり、此の良薬をば仏猶迹化に授与し給わず何に况や他方をや」と云云。文意に云く、此の本門の本尊をば迹化に授与せず、但地涌千界に授与すと。故に天台云く「其の枢柄を撮って而して之を授与す」と文。本尊の授与書云云。「今留めて此に在く」とは本門の戒壇なり。「今」とは末法なり。「此に在く」とは一閻浮提の中には日本国、日本国の中には駿州富士山なり云云。「汝取って服すべし」とは、本門の題目なり。「汝」とは末法の衆生なり。「取って」とは信受の義なり。「服す」とは、南無妙法蓮華経を唱うる義なり。故に天台云く「修行を服と名づく」と云云。大論一十九に云く「経中に信を説いて手となす。手有って宝山の中に入り、自在に能く取る。若し手無くんば取る所有ること能くわざるが如し」と文。

 然るに日本国中の諸学者、この旨を知らず。但当流の信者のみ仏祖出世の本懐に相称えり。若し宿縁に非ずんば、焉ぞこの深妙を聞くことを得んや。

   三月二十七日

一、本門の教主釈尊を本尊とすべし文。(三二八n)

 若し三箇の秘法を開せば則ち六義を成ず。謂く本尊に人法あり、戒壇に事理あり。理は謂く、道理なり。題目に信行あり。文に臨んでこれを釈せん。

 第一に「本尊に人法あり」とは、既に観心本尊抄にはには法の本尊に約する故に、彼の十七に云く「其の本尊の為体本師の裟婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩」等云云。若し今文に於ては、人の本尊に約するが故に「本門の教主釈尊を本尊とすべし」というなり。

 汎く教主釈尊を論ずれば、則ち多義あり。若し色相荘厳の丈六一里の劣応身は、即ちこえ三義の教主釈尊なり。若し丈六一里の身相を帯び、十理百臆の色相を現ずるは、即ちこれ勝応身にして、通教の教主釈尊なり。若し十蓮華蔵微塵の色相を荘厳するは即ちこれ他受用報身、別教の教主釈尊なり。若し爾前の円の教主釈尊は即ちこれ別教の教主の摂属なり。

故に玄文第七には、華厳の教主を以て但別教の教主に属するなり。前の劣応・勝応・報身を開して即ちこれ法身なるは、今経の迹門の応即法身の教主釈尊なり。劣応・勝応・報身・法身殊なりと雖も、始成の辺は違目なし。これ熟益の教主にして並びにこれ迹仏なり。若し今日色相荘厳の三蔵の応仏、次第に昇進して始成の三身を開し、別して久遠本果の自受用身と顕れたまうは、即ちこれ応仏昇進の自受用身、色相荘厳の尊容、在世本門の教主釈尊なり。若し釈尊五百塵点劫の当初、凡夫の御時、無数の時、即ちこれ本門寿量の文底、久遠元初の自受用報身、名字凡夫の当体、本因妙の教主釈尊なり。故に教主釈尊に就いては此くの如き多義あり、一様の看を為すべからざる者なり。然るに爾前・迹門の熟益の教主は今の所論に非ず云云。

 問う、当文の意は如何。

 答う、大段二義あり。

 一には諸流一同の義に云く、在世の本門の教主釈尊を本尊と為すべし。これ則ち色相を以て本尊と為すべ機なり。戒壇・題目もまた爾なり。謂く、在世の本門の戒壇、在世の本門の題目なり云云。故に諸流一同に色相荘厳の仏を造立して本尊と為せり。

 二には当流の深義の意に云く、本門寿量文底の教主釈尊を本尊と為すべし。これ則ち名字凡夫の当体、本因妙の教主釈尊なり。戒壇・題目もまた爾なり。謂く、本門寿量文底の戒壇、本門寿量文底の題目なり。故に開目抄に「本門寿量文底秘沈」というはこれなり。

 先ず道理を明かさん。夫れ在世の本門の教主は本これ脱益の化主なり。久遠本因の教主は本これ下種の法主なり。今既に末法下種の時なり。何ぞ下種の教主を閣いて、劫って脱仏を以て本尊と為すべけんや是一。

 况やまた末法は本未有善の衆生なり。故に脱益の仏に於ては三徳の縁浅し。何ぞ我が三徳の仏を閣き、他の三徳の仏を以て本尊と為すべけんや是二。

 况やまた本尊とは、応に勝れたるを用うべし。然るに色相荘厳の仏は人法体別なり。故に法に望むえば則ち師資・君臣の別あり。且く一文を引かん。経に云く「若し復人有って、七宝を以て乃至供養せん、是の人の所得の功徳も、この法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きには如かじ」と云云。文十三十一に云く「七宝を四聖に奉るは、一偈を持つに如かず。法はこれ聖の師なり。能生・能養・能成・能栄、法に過ぎたるは勿し。故に人は軽く法は重し」と云云。籖八二十五に云く「父母に非ざれば以て生ずること無く、君主に非ざれば以て栄ゆること無し」と文。故に人法の勝劣宛も天地の如し。何ぞ劣れる仏を以て本尊と為すべけんや是三。

 若し本因妙の教主自受用身は、人法体一にして更に勝劣なし。法に即して人、人に即して法なり。故に経に云く「若しは経巻所住の処には乃至此の中には、已に如来の全身有す」と云云。天台云く「此の経は是れ法身の舎利なり」と云云。今「法身」とは即ちこれ自受用身なり。宗祖云く「自受用身即一念三千」と。伝教云く「一念三千即自受用身」等云云。故に知んぬ、本因妙の教主釈尊、自受用の全体即ちこれ事の一念三千の本尊なることを。事の一念三千の法の本尊の全体、即ちこれ本因妙の教主釈尊、自受用身なり。譬えば耆婆が薬童・薬種、全くこれ童子にして、童子全くこれ薬種なるが如し。

 問う、何が故に体別・体一の異ありや。

 答う、若し理に依って論ずれば法界に非ざるなし。今、事に就いて論ずるに、差異なきに非ず。云く、自受用身は本これ境地冥合の真仏なり。故に体一なり。譬えば月と光と冥合するが故にこれ体一なるが如し。若し色相荘厳の仏は世情に随順するの形貌なり。故に体別なり。譬えば水月は方円の器に移るが故に、天月と体別なるが如し。

 問う、色相の応仏は世情に随順するの証文如何。

 答う、教時義に云く「世間皆仏に三十二相を具することを知る。この世情に随って、三十二相を以て仏と為す」と云云。金剛般若経に云く「若し三十二相を以て如来を見れば、転輪聖王も即ちこれ如来ならん」と文。止七六十七に云く「縁の為に同じからず、多少は彼に在り」等云云。

 次に文相に消せん。「本門の教主釈尊」とは、これ標の文にして人の本尊なり。「所謂宝塔」の下は、これ釈の文にして法の本尊なり。即ち本尊抄に同じ。文少しく略なるのみ。すでに人の本尊を標して、法の本尊を以てこれを釈す。故に知んぬ、「本門の教主釈尊」とは、即ちこれ人法体一の久遠元初の自受用報身、本因妙の教主なることを。意に云く、本因妙の教主釈尊の全体、即ちこれ一念三千の法の本尊なるが故に本尊と為すべしと云云。若し色相荘厳の脱仏を以て「本門の教主釈尊」と名づけば、既にこれ人法体別にして勝劣もまた雲泥なり。何ぞ一念三千の法の本尊を以てこれを釈すべけんや。これを思え。故に知んぬ、「本門の教主釈尊」とは本門寿量文底の本因妙の教主釈尊なること、その義転た明らかなることを。

 問う、若し爾らば、本因妙の教主釈尊を以て本尊と為すべし。何ぞ何ぞ蓮祖を以て本尊と為さんや。

 答う、云云。予が末法相応抄の如し。啓蒙十五七十三、多義云云。

一、二には本門の戒壇文。(三二八n)

 本門の戒壇に事有り、理有り。理は謂く、道理なり。また義の戒壇と名づく。謂く、戒壇の本尊を書写してこれを掛け奉る処の山々、寺々、家々は皆これ道理の戒壇なり。当に知るべし、「是の処は即ち是れ道場」等云云。

 次に事の戒壇とは即ち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり。外十六四十一に御相承を引いて云く「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云は是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり」と云云。重重の道理あり。予が文底秘沈抄の如し。

一、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし文。(同n)

 第三には本門の題目に必ず信行を具す。信はこれ行の始め、即ち本因妙。行はこれ信の終り、即ち本果妙これなり。則ち刹那の始終、一念の因果なり。弘一上に云く「理に依って信を起す。信を行の本と為す」と文。記の九末に云く「一念信解とは即ち是れ本門立行の首」と云云。豈、刹那の始終に非ずや。寿量品にいう「一心に仏を見たてまつらんと欲して」とはこれ信心なり。「自ら身命を惜しまず」とはこれ修行なり。神力品にいう「応当に一心に」とはこれ修行なり。「受持、読誦」とはこれ修行なり。持妙法華問答抄に「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他ほも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」と云云。「心を一にして」とは信心なり。「南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧ん」とは修行なり。

 寿量品の「色香美味」とは「色」はこれ戒壇、「香」はこれ本尊、「美味」はこれ題目なり。「美」はこれ信心なり。「味」あはこれ修行なり。若し本門の本尊を信ぜずして唱え行ずるは美からざる味なり。また「是の好き良薬」とは本門の本尊なり。「今留めて此に在く」とは本門の戒壇なり。「汝取って服すべし」とは本門の題目なり。「取る」はこれ信心なり。「服す」はこれ修行なり。若し本門の本尊を信ぜずしえ唱え行ずるは、取らずして服するなり。故に知んぬ、設い題目を唱うと雖も、若し本門の本尊を信ぜずして唱え行ずるは、但これ宝山の空手なることを。故に法蓮抄に云く「信なくして此の経を行ぜんは手なくして宝山に入り足なくして千里の道を企つるが如し」と云云。

 故に専らこの本門の本尊を信じてこれを唱え行ずべきなり。当体義抄に「日蓮が一門は乃至当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱るるが故なり」と云云。故に今文に「他事をすてて」とはこれ信心なり。「南無妙法蓮華経と唱う」とは修行なり。故に三大秘法を若し合する則は一大秘法なり。若し開する則は六大秘法なり。然るに常には三大秘法というは、広する則は教をして退かしめ、略すれば即ち意周からざる故に、処中に説いて三大秘法というなり。

 三月二十八日

一、例せば風に随って波の大小あり文。(三二九n)

 これは蓮祖の慈悲広曠大の故に万年の外に至るを顕さんが為なり。先ず例を引く。謂く、風大なれば波大なり。日蓮が慈悲曠大ならば、妙法は万年の外流布せんと云云。一々の例、皆この意なり。

 当に知るべし、上には三箇の秘法を明かし、この下は蓮祖の三徳を明かす。初めに親徳、また二。初めに例を引き、「日蓮が慈悲」の下は正しく親徳なり。「日本国の一切衆生の盲目をひらける」とは師の徳なり。「無間地獄の道をふさぎぬ」とは主君の徳なり。道路の通塞、豈能く所従の堪うる所ならんや。

 凡そ主師親の三徳を本尊と為すべしとは、諸抄の明文、皎として目前に在り。然るに上に本因妙の教主釈尊を本尊と為すべしと明かし已って即ち自身の三徳を明かしたまう。故に知んぬ、本因妙の教主釈尊とは、豈蓮祖聖人に非ざらんや。故に知んぬ、上に「本門の教主釈尊」というは本因妙の教主なること、転た以て分明なることを。当流の深義、諸流の及ぶ所に非ず。仰いでこれを信ずべし。付してこれを思うべし云云。

一、極楽百年等文。(三二九n)

 蓮師の天台等に勝れたまえるは、但これ時に由ることを明かすなり。

 (第十二段 総 括)

  一、花は根にかへり。(三二九n)

 清原滋藤の詩に云く「花は根に帰らんことを悔ゆれども、悔ゆるに益無けん」と文。白花に紅紫を点ずれば、来春は必ずその花、処々に紅紫を点ず云云。若し紅紫を以て彩る則は、来春はその花、紅紫の色に咲くなりと云云。これを思え。

一、真味は土にとどまる文。(同n)

 涅槃経第八に云く「薬の真味留りて山に在り」等云云。「花は根に」より下は一部の総括、廻向の文なり。三箇の秘法広布の功徳は道善房の御身に帰すべしと云云。

 第一に報恩抄全部講談の所以、講談に三意有り

 一には、仏の本懐に称わんが為なり。筆削一三十三に云く「仏、教法を留むる意は伝弘して展転し、人を度して大果に至らしむるに在り。若し伝演せざれば、仏の本懐に逆う」等云云。故に知んぬ、若し伝演する則は、仏の本懐に称うることを。

 二には、師の志を満ぜんが為の故に。文十二二十八に云く「唯願くは、大法をして大に弘宣することを得せしめん乃至師の志なり」取意と。一切の師の弟子を養育する、その志は大法して弘宣することを得せしめんが為なり。我が師、別してこの志深きが故に云云。

 三には、報恩を究むるに擬せんが為なり。大論に云く「仮使頂戴して塵劫を経、身を床座と為し、三千に●ずるも、若し法を伝えて衆生を利せざれば、畢竟、能く恩を報ずること無き者なり」と文。師匠を頂戴して塵劫を経、釈迦菩薩の如く身を床座と為るとも、畢竟、恩を報ずることなし。若し法を伝えて衆生を利せば、畢竟、恩を報ずるなり。

  第二に自我偈一万三千巻読誦の所以、自我偈を誦するに就いてまた三意あり。尚これ助行なる事

 一には、別して自我偈の功徳広大なるが故に。

 放れん抄十五二十一に云く「自我偈の功徳は唯仏与仏・乃能究尽なるべし、夫れ法華経には一代聖教の骨髄なり自我偈は二十八品のたましひなり、三世の諸仏は寿量品を命とし十方の菩薩も自我偈を眼目とす、自我偈の功徳をば私に申すべからず次下に分別功徳品に載せられたり、此の自我偈を聴聞して仏になるたる人人の数をあげて候には小千・大千・三千世界の微塵の数をこそ・あげて候へ、其の上薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり」等云云。

 二には、十方の諸仏は自我偈を師として仏に成り給うが故に。

 また二十二二十六に云く「されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給う世界の人の父母の如し乃至これを以て思うに田村利仁なんどの様なる兵を三千人生みたらん女人あるべし、此の女人を敵とせん人は此の三千人の将軍をかたきに・うくるにあらずや、法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは三世の諸仏を敵とするになるべし」と文。若し彼の女人一人を供養せば、三千人の将軍皆悦ぶ。この自我偈を読めば、則ち三世の諸仏は歓喜したまう者なり。

 三には、自我偈を誦せば則ち実の孝養に成るが故に。

 また二十三に云く「此の文字の数は五百十字なり、一一の文字変じて日輪となり日輪変じて釈迦如来となり大光明を放って乃至いかなる処にも過去聖霊のおはすらん処まで尋ね行き給いて彼の聖霊に語り給うらん、我をば誰とか思食す我は是れ汝が子息・法蓮が毎朝誦する所の法華経の自我偈の文字なり、此の文字は汝が眼とならん耳とならん足とならん手とならんとこそ・ねんごろに語らせ給うらめ、其の時・過去聖霊は我が子息・法蓮は子にはあらず善知識なちとて裟婆世界に向っておがませ給うらん、是こそ実の孝養にては候なれ」と文。

 第三に題目百五十万返口唱の所以、別して唱題の所以なり

 一には、仰いで祖師の金言を信ずるが故に。

 上の文に云く「一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱えべし」と云云。上野抄に云く「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」と云云。

 二には、題目はこれ成仏の種子なるが故に。

 本尊抄に云く「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」と云云。秋元抄に云く「三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」と云云。

 三には、題目一返は一部の功徳に当るが故に。

 十如是抄に云く「是を信じて一遍も南無妙法蓮華経と申せば法華経を覚て如法に一部をよみ奉るにてあるなり、十遍は十部・百遍は百部・千遍は千部を如法によみ奉るにてあるべきなり」等云云。故に百五十万遍は百五十万部なり。千部尚広大なり。何に况や万部をや。万部爾なり、况や十万部をや。何に况や百万部をや。何に况や百五十万部をや云云。

 然れば則ち、此くの如き講談・誦経・唱題の功徳を以て、報恩謝徳の為に日永上人に供養し奉る。若し爾らば、蓮祖三箇の秘法御弘通の功徳等の道善房の御身に聚るが如く、皆悉く日永上人の御身にあつまるべきなり。また面々の参詣に由るの故に、此くの如き功徳を成就す。若し爾らば、此等の功徳はまた参詣の人々の御身にあつまるべきなり。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

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