平成十四年二月十五日号継命新聞第四面
反射鏡
 
シアトル事件はなぜ”和解”なのか
宗門・創価学会の体質を鮮明にした裁判
 
 宗門と創価学会側が争ってた名誉毀損事件(シアトル事件)で、宗門側が訴えを取り下げたことが分かった。これは平成5年、宗門側が創価学会と池田大作氏に対して名誉毀損による損害賠償を求めて提訴していたもので、平成12年3月に一審で宗門側が敗訴し、今回の控訴審での和解となった。和解内容の主要な点は、宗門側が訴えを取り下げるかわりに、以後この事件につき学会は事実の摘示や論評をしないという条件が付されていることだ。
 裁判で争われたのは、平成3年11月、宗門が創価学会を破門したことにより双方の対立が決定的になったのに端を発し、創価学会が会員の動揺を押さえ、また宗門側のイメージダウンを図って、「創価新報」などの機関誌を用いて繰り広げたスキャンダル暴露戦争のうち、シアトル事件と称されるもので、そこでは阿部師の行状が昭和38年に遡ってまで取り出されている。
 阿部師が教学部長当時、米国シアトルへの法務出張の際に、売春婦とトラブルがあったと創価学会によって喧伝されたのがこの事件の内容である。ただし、これは創価学会による攻勢の一部であって、その他多くの宗門側僧侶の名前や写真がさまざまなスキャンダル名目で取り上げられ、罵詈雑言と誹謗中傷の言葉が学会の機関誌を賑わした。それは宗教関係の新聞とはとても思えない、「暴露戦争」と呼ぶに相応しい内容となっている。
 この「戦争」は、利害が一致しているときには大いに相手を持ち上げる一方で、裏では相手の問題行動を着実にチェックし、いざとなれば脅しでも懐柔でもなんでもするという創価学会の謀略的な体質を鮮明にしている。
 今回の和解は裁判所の強い勧告によるものだが、創価学会にすれば阿部師本人が証人として出廷し、一審判決では阿部師の不行状が具体的に認定されたこと等により、宗門のイメージダウンを図るという所期の目的は果たしたということだろう。
 他方、宗門は今回の和解を「創価学会による報道が将来に渡って厳禁され」たと評価している(院達)が、それはこの一件についてのみであって、阿部師の他の行状についてはその限りではない。また「東京地裁の下田判決は無効になり、宗門として意義ある成果」(総監談話)としているから、宗門側は一審の認定事実がよほど気になっていたのだろう。しかし、訴えを取り下げてしまえば判決の法律的な効力が不用になるのは当然であって、それと事実認定とを混同するのはまやかし以外の何ものでものない。
 創価学会の謀略体質もさることながら、その挑発に乗って提訴し、敗訴判決に慌てて和解というのは、ずいぶんみっともない話である。
 これまで宗門は、法主絶対的な発想から「法主に過ちはない」「名誉毀損事件は必ず勝」と高を括ってきた。しかしそれが今回の裁判によって脆くも崩れてしまった。このような宗門・創価学会の双方の姿を見るにつけ。正信会は「我等こそ富士の本流」との意義を責務を改めて確認して正道を堂々と歩みたい。
 

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