当流行事鈔第五
当流行事鈔
日寛謹んで記す
大覚世尊設教の元意は一切衆生をして修行せしめんが為めなり。修行に二有り、所謂正行及び助行なり。宗々殊なりと雖も同じく正助を立つ、同じく正助を立つれども行体各々異なり。流々の正助は今論ぜざる所なり、当門所修の二行の中に、初めに助行とは方便・寿量の両品を読誦し、正行甚深の功徳を助顕す。
譬えば灰汁の清水を助け塩酢の米麺の味を助くるが如し、故に助行と言うなり。
此の助行の中に亦傍正有り、方便を傍とし寿量を正と為す。是れ則ち遠近親疎の別有るに由る故なり、傍正有りと雖も倶に是れ助行なり。
次ぎに正行とは三世諸仏の出世の本懐、法華経二十八品の最要、本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思、境智冥合、久遠元初の自受用身の当体、事の一念三千、無作本有の南無妙法蓮華経是れなり。
荊渓尊者謂えること有り、正助合行して因んで大益を得と云云。
行者応に知るべし、受け難きを受け値い難きに値う、曇華にも超え浮木にも勝れり、一生空しく過ごさば万劫必ず悔いん、身命を惜まずして須く信行を励むべし、円頂方袍にして懶惰懈怠の者は是れ我が弟子に非ず、即ち外道の弟子なりと云云。慎しむ可し、慎しむ可し、勤めよや、勤めよや。
第一に方便品篇
問う、凡そ当流の意は一代経の中には但法華経、法華経の中には但本門寿量品を以って用いて所依と為し、専ら迹門無得道の旨を談ず、何んぞ亦方便品を読誦し以って助行とするや。
答う、但是れ寿量品が家の方便品なり。宗祖(観心本尊得意抄)の所謂予が読む所の迹門とは是れなり。予が読む所の迹門に亦両意を含む。所謂一には所破の為め、二には借文の為めなり。
故に開山上人(五人所破抄)曰わく、一に所破の為めとは方便称読の元意は只是れ牒破の一段なり。二に借文の為めとは迹の文証を借りて本の実相を顕わすなり等云云。
今謹んで解して曰わく、文々句々自ら両辺有り、所謂文義なり。文は是れ能詮、義は是れ所詮、故に読誦に於いて亦両意を成ず。是れ則ち所詮の辺に約せば所破の為めなり、能詮の辺に約せば借文と為るなり。故に所破の為めとは即ち迹門所詮の義を破するなり。借文の為めとは迹門能詮の文を借りて本門の義を顕わすなり。
且く唯仏与仏乃能究尽の文の如き此の一文を誦するに即ち両意を含む。
一には所破の為めとは、立正観抄に云わく、経に唯仏与仏乃能究尽とは迹門の仏当分に究尽する辺を説くなり等云云。
二には借文の為めとは、十章抄に云わく、一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る等云云。
一文既に然り、余は皆准説せよ。両意有りと雖も是れ前後に非ず、是れ別体に非ず、唯是れ一法の両義にして明暗来去同時なるが如きなり。
問う、寿量品が家の方便品とは其の相如何。
答う、通じて迹門に於いて自ら両意有り。一には顕本已前の迹門、是れを体外の迹門と名づく、即ち是れ本無今有の法なり。
譬えば不識天月但観池月の如し。
二には顕本已後の迹門、是れを体内の迹門と名づく、即ち本有常住の法と成るなり。
例せば従本垂迹如月現水の釈の如し、此の二義諸文に散在せり云云。今は是れ体内の迹門を読誦する故に寿量品が家の方便品と云うなり。
問う、若し所破借文と言わば応に体外の迹門に約すべし、若し体内の迹門は即ち是れ本門なり、豈所破借文と言うことを得べけんや。
答う、古徳の釈に云わく、体内の権に非ずんば焉んぞ実を引くことを得んと云云、今亦復爾なり、故に両義並びに顕本已後に約するなり。
十章抄に云わく、止観一部は法華経開会の上の建立なり、爾前・外典を引くと雖も而も爾前・外典の意には非ず、文をば借れども義をば削り捨つるなり云云。開会の上の所破借文宛も晴天に日輪の赫々たるが如し云云。
問う、若し体内の迹門は即ち本有常住の法なり、那んぞ其の義を破せんや。
答う、体内と云うと雖も仍お是れ迹門なり、是の故に体内の本門に及ばず、例せば十章抄に云うが如し、仮使開会を悟れる念仏なりとも仍お体内の権なり、体内の実に及ばず云云。
十法界抄に云わく、本門顕われ已ぬれば迹門の仏因則ち本門の仏果なる故に天月水月倶に本有の法と成り、本迹倶に三世常住と顕わるるなり云云。
当に知るべし、三世常住の水月は三世常住の天月に及ばず、焉んぞ破せざるを得んや。一致門流此の義を知らず、曲げて私情に会し己義を荘厳するなり。
問う、在々処々に破する所の迹門と所破の為めに読む所の迹門と正しく其の不同如何。
答う、在々処々に破する所の迹門とは是れ体外の迹門にして天台過時の迹なり。若し所破の為めに誦む所の迹門は是れ体内の迹門にして予が誦む所の迹なり。
問う、往古の難に云わく、若し所破の為めならば何んぞ爾前を読まざるや云云、此の難如何。
答う、此の難甚だ非なり、是れ三時の弘経に昧く四重の興廃を辨えざる故なり、謂わく、天台は像法迹門の導師、故に但爾前を破して専ら迹門を弘む。吾が祖は末法本門の導師、故に迹門を破して専ら本門を弘む。是れ則ち像末適時の破立なり。況んや爾前に於いては更に一念三千の文無し、何んぞ借用すべけんや。
問う、顕本已後何んぞ其の文を借るや。
答う、玄文第九に云わく、諸迹悉く本より垂る、還って迹を借りて本を顕わすと云云、即ち此の文の意なり。
問う、迹本の実相方に何の異有って迹の文証を借り本の実相を顕わすと言うや。
答う、二門の実相豈浅深無からん、所詮の実相若し浅深無くんば能詮の教も勝劣無かるべし、能詮の勝劣宛も天地の如し、所詮の浅深何んぞ水火に異ならんや。
妙楽大師の弘一末に云わく、一期の仏教並びに所詮を以って体と為す、体亦教に随い権実一ならず等云云。
伝教大師の守護章の中に云わく、凡そ能詮の教権なれば所詮の理も亦権なり、能詮の教実なれば所詮の理も亦実なり等云云。
宗祖(開目抄)云わく、教の浅深を知らざれば理の浅深を知る者無し等云云、
故に理の浅深を知るは全く教の浅深の如し、何んぞ煩しく異解を生ず可けんや。況んや復迹理は是れ所開にして本理は是れ能開なり。
故に玄の九に云わく、開迹顕本此れ亦理に就く云云。
荊渓の籤第七に云わく、今此の本門は身に約し事に約す、身事を開すと雖も猶お須く理を開すべし等云云。
宗祖(題目彌陀名号勝劣事)の云わく、能開・所開を辨ぜず物知り顔に申し候なり云云。
況んや復妙楽大師の記の九に云わく、此の釈を作さざれば尚お昔教の中の実を見ること能わず、況んや開顕の実をや、況んや久遠の実をや云云。若し浅深無くんば曷んぞ何況と云わんや。
又妙楽本理を称歎して云わく、密開寿量是第一義とは即ち此れ一部最極の理、豈第一に非ずや云云。若し浅深無くんば何んぞ最極と云わんや。
天台大師疏第十に云わく、仏の本地の深遠深遠を聞き信順して逆わず等云云。
妙楽釈して云わく、但指すこと久本に在り、功は実証に帰す、理深時遠の故に深遠と云う云云。若し浅深無くんば何んぞ理深と云わんや。
宗祖(立正観抄)の云わく、経に唯仏与仏乃能究尽とは迹門の仏当分に究尽する辺を説くなり、本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず等云云。
故に知んぬ、開山の意は迹仏究尽の実相の文を借りて本地難思の境智の妙法を顕わすことを。故に迹の文証を借りて本の実相を顕わすと云うなり。若し諸文の中に実相同を明かすは是れ異を明かさんが為めに且く同を示すのみ。
荊渓の云わく、若し通を識ることなくんば安んぞ能く別を知らん等云云。
問う、御法則の抄(観心本尊得意抄)に云わく、在々処々に迹門を捨てよと書きて候事は、予が読む所の迹に非ずとは此の寿量品は聖人の迹門なり、文在迹門義在本門等云云。若し此の文に拠り正しく寿量品を以って予が読む所の迹門と名づけ何んぞ方便品と云うや。
答う、此の文の由来は教信の坊等、観心本尊抄の未得道教等の文章に就いて迹門を誦まず等云云。故に宗祖の意は直に寿量品を指して予が誦む所の迹と名づくるに非ざるなり。故に知んぬ、御法則の抄の意既に寿量品が家の迹門なるを以って方便品を直に寿量品と云うなり。
例せば産湯記の中に譬喩品を直に寿量品と云うが如し。彼の文に云わく、寿量品(譬喩品)に云わく、今此三界云云、況んや次ぎ下の文に云わく、文在迹門義在本門と云云。即ち此の意なり。
問う、日辰造読論の中に当山鎮師の記を引いて云わく、日代云わく、迹門は施迹の分には捨つべからず云云、日道師云わく、施開廃倶に迹門は捨つ可し 已上。又日道師、日尊師に酬うる書に云わく、或は天目に同じ迹門を誦むべからず、或は鎌倉方に同じて迹門に得道有り等云云、日道一人正義を立て候 略抄。天目に同ずる者は讃州の日仙なり、鎌倉方に同ずる者は即ち日代師なり。此の義如何云云。
問う、日尊師の実録に云わく、迹門は衆生法妙、本門は仏法妙、観心は即ち心法妙なり。方便品には心法所具の衆生法妙を説き、寿量品には心法所具の仏法妙を説く。題目は心法の直体なり。此くの如き深意を知らずして所破の為めに之れを読む等云云。実録は即ち是れ日大の所述なり。此の義如何云云。
今更に未解の者の為めに要を取って之れを言わば、且く唯仏与仏等の一文の如し、汎く之れを論ずれば則ち而も多意と成る。
謂わく、所破の辺自ら二意を含む。一には体外の迹門、即ち是れ今日始成正覚の仏の所証の法なり、在々処々多く此の意に拠る。
二には体内の迹門、此れ即ち従本垂迹の仏の所証の法なり、読誦の意正しく此こに在り。
又借文の辺も又両意を含む。一には近く久遠本果所証の法を顕わすなり、通得引用多く此の意に拠る。
二には遠く久遠名字の所証の法を顕わすなり、読誦の意正しく此こに在り云云。
当に知るべし、若し文底の眼を開く則んば此の文即ち是れ久遠名字の本仏、唯仏与仏乃能究尽なりと云云、云云。
問う、今当門流或は但十如を誦し、或は広開長行を誦す。其の謂われ如何。
答う、十如の文既に是れ一念三千の出処なり。故に但之れを誦すれば其の義則ち足りぬ、然りと雖も略開は正開顕に非ず、故に一念三千猶未だ明了ならず、故に広開に至るなり。
疏記三下に云わく、今諸仏及び釈迦を歎ずるは下の五仏の弄引の為めなり等云云。
又第七に云わく、略開は但是れ動執生疑にして正開顕に非ず等云云。
宗印の教義に云わく、三千は是れ不思議の妙境なり、若し開権顕実に非ずんば豈能く互具互融せんや云云。
開目抄上に云わく、法華経方便品の略開三顕一の時仏略して一念三千の本懐を宣ぶれども、時鳥の初音を寝臥たる耳に聞くが如く、月の山の端に出でて薄雲の覆えるが如く幽かなり等云云。
故に知んぬ、若し広開に至らずんば一念三千其の義仍お未だ分明ならず、故に広開長行を誦するなり。
大覚抄の中に方便品の長行をも習い誦むべしと言うは即ち広開の長行を指すなり。其の間に偈頌有りと雖も比丘偈の長篇に望むれば其の前は通じて皆長行と名づくるなり。
第二に寿量品篇
問う、凡そ当流の意は本門寿量品の中に但文底に依って以って宗旨を立つ、今寿量品を読誦する其の心地聞くことを得べけんや。
答う、唯是れ文底が家の寿量品を読誦して以って助行とするなり。此こに亦二意有り、一には所破の為め、二には所用の為めなり。是れ則ち此の品元両種の顕本、体内・体外等の義を含むが故なり。
問う、両種の顕本其の相如何。
答う、法は是れ一法なり、是れ一法なりと雖も時に随い機に随って義は則ち無量なり。今両種の顕本と言うは、一には謂わく、文上の顕本、二には謂わく、文底の顕本なり。
文上の顕本とは久遠本果の成道を以って本地自行と名づけ、此の本果の本を顕わすを文上の顕本と名づく。
文底の顕本とは久遠元初の成道を以って本地の自行と名づけ、此の久遠元初を顕わすを文底の顕本と名づくるなり。
且く我実成仏の文の如き若し久遠本果の成道を我実成仏と説くと言わば即ち是れ文上の顕本なり、若し久遠元初の成道を我実成仏と説くと言わば即ち是れ文底の顕本なり、両種の顕本其の相斯くの如し。
文上の顕本に亦二意有り、一には謂わく、体外、二には謂わく、体内なり。
問う、体内・体外其の相如何。
答う、是れは則ち顕と未顕と、知と不知と、天地遥かに異なり。謂わく、文底未だ顕われざるを名づけて体外と為す、猶お天月を識らず但池月を観ずるが如し。文底已に顕わるれば即ち体内と名づく、池月は即ち是れ天月の影なりと識るが如し。
且く我実成仏の文の如し。若し本地第一、本果自行の成道を我実成仏と説くと言わば即ち是れ体外の寿量品なり。若し迹中最初の本果化他の成道を我実成仏と説くと言わば即ち是れ体内の寿量品なり。内外殊なりと雖も倶に脱迹と名づく、是れ文底の種本に対する故なり。
応に知るべし、迹門既に内外有り、今の脱迹豈爾らざらんや。若し体外の寿量品は天台常途の釈の如し、若し体内の寿量品は血脈抄に本果を迹と名づくるが如し云云。
問う、内外の得脱、同とせんや異とせんや。
答う、此れ即ち天地水火の不同なり。本尊抄に云わく、久遠を以って下種と為し、大通前四味迹門を熟と為し、本門に至って等妙に登らしむるを脱と為す云云。
解して云わく、等覚に登らしむとは即ち体外の意なり、妙覚に登らしむるとは即ち体内の意なり、若し体外の意は常の所談の如し。在世の衆生寿量品を聞き但二住乃至等覚に至る、而も妙覚に至るの人は都べて経文に之れ無きなり。
然るに体内の意は霊山一会の無量の菩薩体内の寿量を聴聞して但文上脱迹を信ずるのみに非ず、復文底秘沈の種本を了し久遠元初の下種の位に立ち還って本地難思境智の妙法を信ずるが故に皆悉く名字妙覚の極意に至るなり、是れ即ち体内得脱の相なり。
故に荊渓の云わく、故に長寿を聞いて須く宗旨を了すべし云云。又云わく、若し但事中の遠寿を信ぜば何んぞ能く此の諸の菩薩等をして増道損生して極位に至らしめんや、故に本地難思の境智を信解す等云云。
吾が祖祈祷抄に諸菩薩皆妙覚の位に上って釈迦如来の悟りと等しと判じたもう是れなり。
当流の口伝(本因妙抄)に云わく、等覚一転名字妙覚云云。
問う、今日在世得脱の衆生は皆是れ三五下種の輩なり、何んぞ久遠元初の下種等と云うや。
答う、三五下種と言うは且く是れ当家第一第二の教相の意なり。若し第三の教相顕われ已れば在世の衆生は皆悉く久遠元初下種の人なり。
且く身子の如し。鹿苑の断惑は只是れ当分の断惑にして跨節の断惑に非ず、是れ則ち種子を知らざる故なり。然るに法華に来至して大通の種子を覚知す、此れ即ち跨節の断惑なり。
然りと雖も若し本門に望むれば猶お是れ当分の断惑にして跨節の断惑に非ず、未だ久遠の下種を了せざるの故なり。而して後本門に至って久遠の下種を顕わす、此れ即ち跨節の断惑なり。
然りと雖も若し文底に望むれば猶お是れ当分の断惑にして跨節の断惑に非ざるなり。若し文底の眼を開いて還って彼の得道を見れば実に久遠下種の位に還って名字妙覚の極位に至る、此れ即ち真実の跨節の断惑なり。
故に経(譬喩品)に云わく、以信得入等云云。以信豈名字に非ずや、得入は即ち是れ妙覚なり。又云わく、我等当信受仏語云云。
宗祖(御義口伝)釈して云わく、此の無作三身は一字を以って得たり、所謂信の一字なり云云。
信は即ち慧の因、名字即なり、無作三身豈妙覚に非ずや。身子既に爾り、一切皆然らん云云。当流深秘に三重の秘伝あり云云。
問う、疏第一四節の釈に准ずるに、本因本果下種の輩多く近世に得脱す、地涌等是れなり。残る所は今日の序品に度脱す、本種現脱の人是れなり。故に知んぬ、本因果種の人尚お迹門正宗に至らず、況んや復久遠元初下種の輩本門に至りて方に度脱を得可けんや。
答う、縁微少の故に、退して修せざる故に、惑厚重の故に、根回らし難き故に塵劫遠々に方に得ることを妨げざるなり。
問う、仮令然りと雖も若し明文無くんば有智無智誰か之れを信ず可けんや。
答う、明文有りと雖も人之れを見ず。宗祖(上野殿御返事)の云わく、文は睫毛の如しと。良に由有るかな、吾今之れを示さん、他に向かって説くこと勿れ云云。
疏の第九に云わく、然るに本門の得道の数、衆経に倍す、但数多のみに非ず、又薫修日久し、元本より迹を垂れ処々に開引し中間に相値うて数々成熟し、今日五味に節々に調伏し収羅結撮して法華に帰会す等云云。
此の文正しく本門の得道を明かす、文を分かって二と為す。初めに横に多きことを明かし、次ぎに非但の下は竪に久しきことを明かす、亦分かって三と為す、初めに久遠元初の下種を明かし、二に元本の下は本果中間、今日の調熟を明かし、三に収羅の下は体内の寿量の得脱を明かすなり云云。
初めの文は見る可し。薫修日久しとは釈尊久遠元初に一迷先達して余迷に教ゆる時、順逆二縁に始めて仏種を下し、爾来其の種漸々に薫修すること五百塵点、復倍上数、塵々劫々、久々遠々なり、故に薫修日久と言うなり。
而るに機縁已に熟して仏の出世を感ず。故に久遠元初の本より本果第一番の迹を垂れ、五時に経歴し開化引導す。故に元本垂迹処々開引と云うなり。元本の二字に意を留めて見る可し。
第二番の後今日已前世々番々にして之れを調熟す、故に中間相値数々成熟と言うなり。凡そ中間とは第二番より後今日已前を方に中間と名づく、此れは是れ台家常途の法相なり。故に知んぬ、元本垂迹等の文は正しく本果第一番に当たるなり、有智の君子深く之れを案ず可し。今日四味及以迹門も亦之れを調伏す、故に今日五味節々調伏と云うなり。
而るに後体内寿量に至って皆悉く久遠元初の下種の法華に帰会し名字妙覚の極位に至らしむ、故に収羅結撮帰会法華と云うなり云云、明文赫々たり、誰か之れを信ぜざらんや。
問う、大段の第二、文底の顕本若し誠証を尋ねられば応に何れの文を出だすべきや。
答う、深く之れを秘すと雖も若し復伝えずんば当門の法燈何に由ってか光を増さん、故に明文を考えて以って末弟に贈る、公場に非ざるよりは妄りに之れを宣ぶること莫かれ。
玄文第七に云わく、若し過去は最初所証の権実の法を名づけて本と為すなり。本証より已後方便をもて化他し、三を開し一を顕し発迹顕本するは還って最初を指して本と為す、中間の示現、発迹顕本も亦復最初を指して本と為す、今日の発迹顕本も亦最初を指して本と為す、未来の発迹顕本も亦最初を指して本と為す、三世は乃ち殊なれども毘盧遮那の一本は異ならず、百千の枝葉同じく一根に趣くが如し云云。
今此の文を釈するに大に分かって二と為す。初めには正釈、次ぎに三世の下は結。
初めに正釈の文亦分かって五と為す、一には久遠元初、二に従本証の下は本果、三に中間、四に今日、五に未来なり。
又此の五段更に分かって二と為す。初めには本地の自行を明かし、次ぎに従本証の下は垂迹化他を明かす、亦分かって四と為す。謂わく、本果・中間・今日・未来なり。
初めに本果の文亦分って二と為す、初めに従本証已後と云うは是れ本果の時を示すなり。次ぎに方便の下は是れ本果の説法を明かすに文亦三と為す。
初めに方便化他と云うは是れ四味を明かすなり。次ぎに開三顕一は是れ迹門を明かすなり。三に発迹顕本等は正しく本門を明かすなり。発とは開なり、謂わく、本果の成道の迹を開して久遠元初の本を顕わす、故に還指最初為本と云うなり。
問う、何んぞ本果を以って垂迹に属するや。
答う、本果の儀式全く今日に同じ、四味及以迹本二門今文に顕然なり、況んや復疏の第一に云わく、本時の四佛は皆是れ本なり云云、
籤の第七に云わく、四義深浅不同あり。故に知んぬ、不同なるは定めて迹に属す云云。
問う、何んぞ本果を以って化他に属するや。
答う、是れ亦前に同じ、既に四教八教有るが故なり。籤の第七に云わく、最初実得に亦四教有り云云。
疏記第一に云わく、化他は不定なり亦八教有り等云云。
問う、本果は正しく是れ最初成道なり、何んぞ寿量を説き発迹顕本せんや。故に玄の第七に云わく、必ずしも皆顕本せずと云云。
答う、若し文上に准ぜば実に久本の顕わす可き無し、故に顕本せず、若し文底に拠らば実に久本の顕わす可き有り、故に顕本と云う、義一概に非ず、故に不必と云うなり。
問う、本果の成道に正しく本門を説く証文如何。答う、今文分明なり。況んや復籤の第七に云わく、又已今とは即ち是れ昔日已得の已今を本と為し、中間今日所対の已今を迹と為し、四味及び迹門を已と為し、長遠の寿を開するを今と為す等云云。
昔日と言うは正しく本果を指し、已得已今は本果所説の四味及び迹門を已と為し、而して寿量を説くを今と為すなり云云。明文此こに在り、敢えて之れを疑うこと勿れ。
次ぎに中間示現等と言うは、中間の文は前に之れを示すが如し、第二番後今日已前なり。故に知んぬ、本証より下の二十四字は正しく本果を明かすなり。台家の学者異義多端なるが故に之れを示す。発迹顕本亦最初を指して本と為す等は准説して知んぬべし。
三に今日の発迹顕本亦最初を指して本と為すとは、故に知んぬ、今日の発迹顕本の文に我実成仏と云うは、正しく久遠元初の自行の成道を指す、故に亦最初を指して本と為すと云う、文底の顕本寧ろ炳焉なるに非ずや。
四に未来の発迹顕本亦最初を指して本と為すとは、未来と言うは即ち末法を指すなり、末法の発迹顕本とは蓮祖即ち久遠元初自受用身と顕わる、是れを末法の発迹顕本と名づくるなり。
問う、蓮祖は乃ち是れ上行の再誕なり、故に応に須く上行菩薩と顕われたもうべし、何んぞ久遠元初の自受用身と顕われたまわん。況んや復久遠元初の自受用身は即ち是れ本因妙の教主釈尊にして上行等の主師親なり。故に涌出品に云わく、悉く是れ我が化する所、大道心を発さしむ 師也、此等は是れ我が子 親也、是の世界に依止す 主也等云云。経文明白なり、何んぞ別義を存ぜんや。
答う、此こに相伝有り、略引して之れを示さん。血脈抄に云わく、本地自受用身の垂迹、上行菩薩の再誕日蓮等云云。再誕の言上の二句に冠す、若し外用に拠らば今の所問の如く上行の再誕日蓮なり、若し内証に拠らば自受用身の再誕日蓮なり、故に日蓮即ち是自受用身なり。
問う、内証の辺文理如何。
答う、文理多しと雖も且く一二を示さん。一には種脱勝劣の故に、諌暁抄に云わく、天竺国をば亦月氏国と名づく、仏応に出現したもうべき名なり、扶桑国をば亦日本国と名づく、聖人豈出現したまわざらんや、月は西より東へ向えり、月氏の仏法の東に移る可き瑞相なり、日は東より西に入る、日本の仏法月氏に遷る可き瑞相なり、月は光明きらかならず在世は但是れ八箇年なり、日は光明きらかにして月に勝れたり、後五百歳の長き闇を照らす可き瑞相なり、仏は法華誹謗の者をば治したまわず、在世には則ち無かりし故に、末法には一乘の強敵充満す、不軽菩薩の利益是れなり 取意。
此の文正しく種脱勝劣を明かすなり。文に二段有り、初めに勝劣を明かし、次ぎに種脱を明かす。
初めに勝劣を明かすに亦三意有り、同じく日月を以って即ち種脱に喩う。
一には国名に寄る、謂わく、月氏は是れ迹門の名なり、故に脱迹の仏応に出現すべきなり、日本は即ち是れ本門の名なり、下種の本仏豈出現せざらんや、国名寧ろ勝劣に非ずや。
二には順逆に寄す、謂わく、月は西より東に向かう、是れ左道にして逆なり、日は東より西に入る、是れ右繞にして順なり、順逆豈勝劣に非ずや。
三に長短に寄す、月は光明きらかならず在世は但八年なり、日は光明きらかにして末法万年の闇を照らす、長短寧ろ勝劣に非ずや。
次ぎに種脱を明かす、法華誹謗の者を治せざるは即ち在世脱益の迹佛なり、末法は即ち不軽の利益に同じ、豈下種の本仏に非ずや、十勝抄に、所謂迹門を月に譬え本門を日に譬うと云云。学者応に知るべし、蓮祖若し久遠元初の自受用身に非ずんば焉んぞ教主釈尊に勝るることを得可けんや。
二に行位全く同じきが故に、本因妙抄に云わく、釈尊久遠名字即の御身の修行を末法今時日蓮が名字即の身に移すなり云云。
血脈抄に云わく、今の修行は久遠名字の振舞に介爾計りも相違無し云云。行位全く同じ、故に知んぬ、蓮祖即ち是れ自受用身なり。
三に本因妙の教主なるが故に、血脈抄に云わく、本因妙の教主本門の大師日蓮云云。
又(血脈抄)云わく、下種法華経の教主の本迹、自受用身は本、上行日蓮は迹なり、我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底本因妙の事なり、其の教主は某なり云云。
文に二段有り、初めは是れ従本垂迹なり、次ぎは是れ発迹顕本なり、故に其の教主は某なりと云うなり。故に知んぬ、蓮祖即ち是れ自受用身なり、是の故に応に知るべし、下種の教主は但是れ一人なり。謂わく、久遠元初の教主も自受用身なり、末法今時の教主も自受用身なり、久末一同之れを思い合わす可し。
四に文証分明なるが故に、血脈抄に云わく、久遠元初の天上天下唯我独尊は日蓮是れなり云云。
久遠元初の唯我独尊豈自受用身に非ずや。故に三位日順の詮要抄に云わく、久遠元初の自受用身とは蓮祖聖人の御事なりと取り定め申す可きなり云云。
五に現証顕然なるが故に。
開目抄下に云わく、日蓮は去ぬる文永八年九月十二日子丑の時頚刎られぬ、此れは魂魄佐渡に至る等云云。
応に知るべし、丑寅の時は是れ陰の終り死の終り、陽の始め生の始め、陰陽生死の中間なり。
上野抄五に云わく、御臨終の刻み生死の中間に日蓮必ず迎え参らせ候べし、三世諸仏の成道は子丑の終り、寅の刻みの成道なり等云云。
故に知んぬ、子丑の時は末法蓮祖垂迹の凡身の死の終りなり、故に頚を刎ねらると云うなり。寅の刻みは即ち是れ久遠元初の名字本仏の生の始めなり、故に魂魄等と云うなり。
日我本尊抄見聞に云わく、開目抄に魂魄佐渡に到るとは是れ凡夫の魂魄に非ずして久遠元初の名字本仏の魂魄なり云云。
然れば則ち蓮祖大聖佐渡已後今日凡身の迹を開して久遠元初の本を顕わす、豈発迹顕本の現証に非ずや。
故に文の意の謂わく、日蓮実に自受用身の成道を唱えてより已来無量無辺百千万億劫なり云云。
末法の発迹顕本亦最初を指して本と為す、豈顕然なるに非ずや。
次ぎに三世乃殊の下は結文なり、文自ら二と為す、初めに法、次ぎに譬なり。初めに法の中に毘盧遮那と云うは此こに法身と飜ず、是れ単の法身に非ず。
故に記第三に云わく、但法身を以って本とせば何れの教にか之れ無からん云云、
、故に知んぬ、境智和合は自受用身なり、学者須く知るべし、初めの正釈の中に能証の人を挙げず、但所証の法を挙ぐ、故に最初所証等と云うなり。今結文の中に所証の法を挙げず、但能証の人を挙ぐ、故に毘盧遮那等と云うなり。実に是れ能証所証体一なり、是れ体一なりと雖も而も人法宛然なり。故に知んぬ、釈結の二文人法互顕なり、是の故に明きらかに知んぬ、久遠元初は人法倶に本なり、本果已後は人法倶に迹なり。
文に一本異ならずと云うは、
問う、凡そ寿量品の意は唯釈迦一仏とするや、別に余仏有りとするや、若し唯一仏なりと言わば玄文第七に正しく東方の善徳仏及び神力品の十方諸仏を以って便ち余仏と為す、若し余仏有りと云わば那んぞ毘盧遮那一本等と云うや。
答う、若し文上の意は久遠の本果を以って本地とするが故に余仏有り、何となれば本果は実に是れ垂迹なり、故に本果の釈尊は万影の中の一影、百千枝葉の中の一枝葉なり、故に本果の釈尊の外更に余仏有るなり、若し文底の意は久遠元初を以って本地とするが故に唯一仏のみにして余仏無し、何となれば本地自受用身は天の一月の如く樹の一根の如し、故に余仏無し。当に知るべし、余仏は皆是れ自受用身の垂迹なり。
故に日眼女抄に云わく、寿量品に云わく、或説己身或説他身云云、東方の善徳仏・中央の大日如来・十方の諸仏・過去の七仏・三世の諸仏・上行菩薩等乃至天照太神・八幡大菩薩其の本地は教主釈尊なり、例せば釈尊は天の一月、諸仏菩薩等は万水に浮かべる影なり等云云。
次ぎに譬の文に百千枝葉の同じく一根に趣くが如しと云うは、横には十方に遍じ、竪には三世に亘り微塵の衆生を利益したもう、垂迹化他の功皆同じく久遠元初の一仏一法の本地に帰趣するなり。
総勘文抄に云わく、釈迦如来五百塵点の当初凡夫にて御座せし時我が身地水火風空なりと知めし即座に悟りを開き、後化他の為めに世々番々に出世成道し在々処々に八相作仏し、王宮に誕生し樹下に成道し始めて仏に成る様を衆生に見知せしめ、四十余年方便教を儲けて衆生を誘引し、其の後方便の教経を捨てて正直の妙法蓮華経の五智の如来の種子の理を説き顕わす等云云。
謹んで此の文を釈するに亦分かって二と為す、初めに本地の自行を明かし、次ぎに後為化他の下は垂迹化他を明かすなり、初め本地の自行其の文少なしと雖も而も義意豊富せり、故に多義を以って之れを解す云云。
一には謂わく、是れ久遠元初の自受用身を明かすなり、応に知るべし、五百塵点は即ち是れ久遠なり、当初の二字豈元初に非ずや。言う所の知とは即ち是れ能称如々の智なり、我身等は是れ所称如々の境なり、境智相称う、豈自受用報身に非ずや。
疏の第九に云わく、如来は如実に三界の相を知見す、如々の智、如々の境に称う、此れは是れ報身如来の義なり等云云。
問う、疏に三界の相を知見すと云うと今の我が身地水火風と知ると云うと同とせんや異とせんや。
答う、其の言異なりと雖も其の意是れ同じ、謂わく、三界の五大倶に法界なるが故なり、妙楽釈して云わく、倶に三界と云う、法界に非ざるなし云云。
当家深秘の御相伝(御本尊七箇之相承)に云わく、我が身の五大は即ち法界の五大なり、法界の五大即ち我が身の五大なり云云。
二には謂わく、是れ本極法身を明かすなり、謂わく、五百塵点の当初の故に本極と云うなり。知は謂わく、能如の智即ち是れ智法身、我身等は所如の境即ち是れ理法身、境智倶に法身の故に法身と称するなり。
玄第七に云わく、本極法身微妙深遠云云。
金光明に云わく、唯有如々、如々智云云、唯有如々は境法身なり、如々智は即ち智法身なり。
故に天台の文九−二十一に云わく、法如々境、法如々智云云。
玄に微妙深遠と云うは微妙は総じて法身を歎ず、微妙浄法身の如し、深遠は別して境智を歎ず。
故に妙楽云わく、理深く時遠し、故に深遠と云う云云。
当に知るべし、玄文に本極法身と云うは即ち是れ久遠元初の自受用身の御事なり、久遠は即ち本、元初は即ち極、自受用は即ち法身なるが故なり。
三には謂わく、是れ久遠元初の無作三身を明かすなり、久遠元初は前に准じて知る可し、無作三身は即ち是れ自受用報身一体三身の徳なり、知は謂わく能成の智、此れ即ち無作の報身なり、我身等は所成の境、此れ即ち無作の法身なり、境智合する則んば必ず大悲有り、大悲は必ず用を起こす、起用は即ち是れ無作の応身なり、譬えば函蓋相応せば必ず含蔵の用有り、所蔵の物方に外資に任すが如し。
止観六に云わく、境に就くを法身と為し、智に就くを報身と為し、起用を応身と為す云云。
又此の三身は即ち三徳三章なり。謂わく、無作の法身は即ち法身の徳是れ妙体なり、無作の報身は即ち般若の徳是れ妙宗なり、無作の応身は即ち解脱の徳是れ妙用なり、無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、是好良薬、結要付嘱之れを思い合わす可し、之れを思い合わす可し。
四には謂わく、是れ久遠元初の名字の報身を明かすなり、久遠元初は准説して知る可し、釈尊凡夫の御時豈名字に非ずや。知我身等とは即ち是れ境智和合寧ろ報身に非ずや。若し証文を訪わば此の文を出だす可し。
問う、止観一に云わく、名字の中に於いて通達解了して一切の法は皆是れ仏法なりと知る云云。今彼の文と同異如何。
答う、其の辞異なりと雖も其の意是れ同じく、今釈尊凡夫の御時と云うは即ち於名字中等に同じ、今知我身地水火風空と云うは即ち知一切法皆是仏法に同じ。
謂わく、一切の法の外我が身無く、我が身の外一切の法無し、故に我が身全く一切の法なり。地水火風空は即ち妙法の五字なり、妙法の五字の外に仏法無し、故に五大全く皆是れ仏法なり。故に其の意是れ同じきなり。
然れば即ち釈尊名字凡夫の御時一切の法は皆是れ仏法なり、我が身の五大は妙法の五字なりと知ろしめし、速かに自受用報身を成ず、故に即座開悟と云うなり。
宗祖(惣勘文抄)の云わく、一切の法は皆是れ仏法なりと通達解了す、是れを名字即と為す、名字即の位より即身成仏す、故に円頓の教には次位の次第無し等云云。
授職抄十七に云わく、天台六即を立てて円人の次位を判ずる尚お是れ円教の教門にして証道の実義に非ず、何に況んや五十二位は別教に附ける権門の廃立なり云云。
止観六−二十一に云わく、円人は根最も利なり、復是れ実説なり、復品秩無しと云云。
相伝(寿量品文底大事)に云わく、寿量品の意は三世諸仏悉く名字妙覚の成道なりと云云。尼崎流之れに同じ云云。
五には謂わく、是れ久遠元初の種が家の本因本果を明かすなり、久遠元初は具さに前に釈するが如し。釈尊凡夫の御時は名字即下種の位なり、知は謂わく能証の智、我身等とは是れ所証の境なり。
天台釈して云わく、境智和合する則んば因果有り、境を照らして未だ窮まらざるを因と名づけ、源を尽くすを果と為す云云。
当に知るべし、境智和合の始めを名づけて因と為す故に照境未窮と云い、境智和合の終りを名づけて果と為す故に尽源為果と云うなり、是れ則ち刹那始終一念の因果なり。
問う、玄文第七に脱が家の本因妙を明かすに即ち四妙を具す、所謂境智行位なり。今種が家の本因妙も亦四妙を具するや。
答う、実に所問の如く四妙を具するなり。謂わく、釈尊凡夫の御時は即ち是れ位妙なり、知は即ち智妙なり、我身等は境妙なり、境智合する則んば行其の中に在り、此くの如き四妙は即ち種が家の本因妙なり、即座開悟は即ち種が家の本果妙なり。又此の因果は即ち是れ本門の当体蓮華なり、釈尊凡夫の御時は即ち当体を示すなり、種が家の因果豈蓮華に非ずや。
玄一に釈して云わく、即辨因果是名蓮華と云云。
宗祖(当体義抄)云わく、釈尊久遠塵点の当初此の妙法当体蓮華を証得す とは是れなり。
六には謂わく、是れ本地難思境智の妙法を明かすなり。謂わく、五百塵点の当初なり、故に本地と云う、知と謂うは能証の智、我身等は是れ所証の境、此の境智冥符内証甚深甚深不可思議なり、故に難思の境智と云うなり。難思は即ち妙なり、境智は即ち法なり。
経(方便品)に云わく、我法妙難思と云云。
天台云わく、法如々境法如々智と云云。応に知るべし、此の本地難思境智の妙法は即ち一切衆生の成仏の種子なり、
経(方便品)に云わく、諸仏両足尊知法常無性と云云。知の一字の両処全く同じ、我が身地水火風空は即ち法常無性に同じ、倶に是れ一切衆生の成仏の種子なるが故なり。
天台釈して云わく、中道無性即是仏種と云云。
宗祖(惣勘文抄)の云わく、地水火風空、今経に之れを開して一切衆生身中の五仏性、五智の如来の種子と説く、是れ即ち妙法蓮華経の五字なり云云。
次ぎに後為化他の下は垂迹化他、亦分かって二と為す、初めに本果已後、次ぎに王宮の下は今日、亦分かって二と為す。初めに能説の教主、次ぎに四十余年の下は所説の法、亦分かって二と為す。初めに爾前、次ぎに其後の下は法華経なり、法華の文略なり、然りと雖も既に種子の理を説き顕わすと云う故に文底の顕本皎在目前なり、若し上来の旨を得ば則ち此の文意を知らんのみ云云。
当体義抄に云わく、釈尊五百塵点の当初此の妙法当体の蓮華を証得し、世々番々に成道を唱え能証所証の本理を顕わす云云。
此の文略なりと雖も其の意前に同じ、初めに本地の自行を明かし、次ぎに垂迹化他を明かすなり。已に能証所証の本理を顕わす、豈文底の顕本に非ずや。此の文底の顕本を亦我が内証の寿量品と名づくるなり。
問う、血脈抄に云わく、我が内証の寿量品とは脱益寿量品の文底本因妙の事なり云云。此の文如何。
答う、此こに二意有り、所謂能所なり。且く我実成仏の文の如し、能詮の辺は唯是れ四字なり、所詮の辺は即ち妙法なり。謂わく、能成は即ち智、所成は即ち境、豈本地難思境智の妙法に非ずや。故に知んぬ、能詮の辺の二千余字是れを我が内証の寿量品と名づけ、所詮の辺の妙法五字是れを本因妙と名づくるなり、今所詮を以って能詮に名づく、故に内証の寿量品とは本因妙の事なりと云うなり。法華一部通じて妙法と名づく、豈所を以って能に名づくるに非ずや。
問う、両種の顕本体内体外の文理分明なること宛も白日の如し、然れば則ち所破所用応に具さに之れを聞くべけんや。
答う、唯是れ一返読誦の中に此の二意自ら是れ宛然なり。謂わく、体内の辺は即ち所破と成り、文底の辺は乃ち所用と成る、二意有りと雖も是れ前後に非ず、一室の中の明闇の来去全く是れ同時なるが如し云云。
問う、応に体外を破すべき、何んぞ体内を破するや。
答う、体外の寿量は去年の暦の如し、今末法に入って文底顕われ已れば一部の始終体内に非ざること無し、体内と云うと雖も仍お是れ脱迹なり、那んぞ種本に及ばん、寧ろ破せざるを得んや。
例せば体内の権迹を破するが如し、尚お体内を破す、況んや体外をや。
問う、方便品に借文と云い、寿量品に所用と云う、各其の謂われ如何。
答う、方便品は文は但迹の義を詮して本の義を詮せず而も之れを借用して以って本の義を顕わす、故に借文という。
若し寿量品は文の上は乃ち是れ脱迹の義を詮し、文の底は亦是れ種本の義を沈む。故に二意倶に文が家の所得なり、何んぞ借用と云わんや、故に直に所用と云うなり。
問う、寿量読誦の所破所用は前代に未だ聞かず、正しく其の証文如何。
答う、本尊抄及び血脈抄の中に正しく文上を以って脱益迹門理の一念三千の教相と名づけ、但文底を以って下種本門事の一念三千の観心と名づく。此れ即ち所破所用の両意文に在って分明なり、何ぞ更に証文を求めんや。然りと雖も且く一文を引いて之れを示さん。
本尊抄に云わく、彼は脱此れは種云云。彼は脱豈所破に非ずや、此れは種寧ろ所用に非ずや。
本因妙抄に云わく、今日熟脱の本迹二門を迹と為し、久遠名字の本門を本と為し、信心強盛に唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり云云。
又(本因妙抄)云わく、一代応仏の寿量品を迹と為し、内証の寿量品を本と為し、釈尊久遠名字即の身に約し位に約し南無妙法蓮華経と唱え奉る、是れを出離生死の一面と名づく云云。此の二文の正助の二行、所破所用最も之れ明著なり。
問う、有る抄の中に高祖の譲状を引いて云わく、方便・寿量の読誦は在世の一段、一箇の三千心破の一段是れなり云云。此の文如何。
答う、両品の三千、事理殊なりと雖も倶に理の一念三千と名づく、故に一箇の三千と云うなり。読誦の心地所破に在り、故に心破の一段と云うなり。
問う、房州方の義に云わく、方便・寿量の両品倶に所破助行に之れを用ゆ云云、此の義如何。
答う、応に是れ所破即助行の義なるべし。若し爾らば但是所破の一義なり、若し所破及助行と言わば所破は是れ助行に非ずや。故に知んぬ、但一義を挙ぐるのみ。
問う、諸流の勤行各々不同なり、或は通序及び十如提婆品等を誦し、或は此経難持、以要言之、陀羅尼品、普賢呪等を誦し、或は一品二半、或は本門八品、或は一日一巻等心に任せて之れを誦す。然るに当流の勤行は但両品に限る、其の謂われ如何。
答う、諸流は名を蓮師に借ると雖も実には蓮祖聖人の門弟に非ず、但是れ自己所立の新義なり、故に蓮師の古風を仰がずして専ら各自の所好に随うなり。但我が富山のみ蓮祖所立の門流なり、故に開山已来化儀・化法四百余年全く蓮師の如し、故に朝暮の勤行は但両品に限るなり。
問う、其の証文如何。
答う、証は汝が家に在り、吾に向かって尋ぬる莫れ。然りと雖も且く幼稚の為めに之れを引かん。日講が啓蒙の十八に日向天目問答記を引いて云わく、大聖人一期の行法は本迹なり、毎日の勤行は方便・寿量の両品なり、乃至御遷化の時亦復爾なり等云云。
問う、興師の行事如何。
答う、開山の勤行全く蓮師の如し。故に又啓蒙に云わく、決要抄に天目抄を引いて云わく、白蓮阿闍梨、口には末法は是れ本門大法の時機なりと云い、及び公処に奉上する申状には爾前迹門の謗法を停止して本門の大法を建立せんと之れを書き載すと雖も、而も自行には方便・寿量の両品を朝夕に読誦す、是れ自語相違の人なり云云。吾が家の証文宛も日輪の如し、汝等の所行寧ろ自立に非ずや。既に宗祖に違う、何んぞ門弟子と云わんや。
授職潅頂抄に云わく、問う、一経は二十八品なり、毎日の勤行は我等が堪えざる所なり、如何が之れを読誦せんや。答う、二十八品本迹の高下浅深は教相の所談なり、今は此の義を用いず、仍お二経の肝心、迹門は方便品、本門は寿量品なり、天台・妙楽云わく、迹門の正意は実相を顕わすに在り、本門の正意は寿の長遠を顕わす云云。
大覚抄に云わく云云。
第三に唱題篇
夫れ唱題の立行は余事を雑えず。此れ乃ち久遠実成名字の妙法を余行に渡さず直達正観する事行の一念三千の南無妙法蓮華経是れなり。
末法の観心は信を以って本と為す。信無くして此の経を行ずるは、手無くして宝山に入り、足無くして千里の路を企つるが如し。是れ吾が家の最深秘蓮祖化導の一大事なり。
問う、末法は応に何なる法、何なる仏を信ずべきや。
答う、文上脱益の三宝に執せず、須く文底下種の三宝を信ずべし。是れ則ち末法適時の信心なり。
起信論に云わく、一には根本を信じ、二には仏宝を信じ、三には法宝を信じ、四には僧宝を信ず 已上取意。
初めの一は総じて明かし、後の三は別して明かすなり。初めの一は総じて明かすとは総じて久遠元初の三宝を信ずることを明かすなり。
血脈抄に云わく、久遠元初の自受用報身無作本有の妙法。又云わく、久遠元初の結要付嘱と云云。
自受用身は即ち是れ仏宝なり、無作本有の妙法は法宝なり、結要付嘱豈僧宝に非ずや。久遠元初は仏法の根本なり、故に根本を信ずと云うなり。
後の三は別して明かすとは久遠元初の仏法僧は則ち末法に出現して吾等を利益し給う。若し此の三宝の御力に非ずんば極悪不善の我等争でか即身成仏することを得ん。故に応に久遠元初の三宝を信じ奉るべし、故に二に仏宝を信じ、三に法宝を信じ、四に僧宝を信ずと云うなり。
問う、凡そ法華本門の三宝とは塔中の両尊即ち仏宝なり、法華一部は是れ法宝なり、上行已下は是れ僧宝なり、斯くの如き三宝は経文に顕然なり。是の故に吾等信を投ずるに地有り、久遠元初の三宝末法に出現すとは此れは是れ前代未聞の事なり、若し誠証無くんば誰か之れを信ずべけんや。
答う、諸流は但在世の三宝を知って未だ末法の仏法僧を知らず、然も亦共に本未有善を許す。下種の三宝は惑耳驚心す、今明文を引いて不信の闇を晴らさん。
経(寿量品)に曰わく、時我及衆僧倶出霊鷲山等云云。
時とは即ち末法なり、我とは即ち仏宝なり、及とは即ち法宝なり、衆僧豈僧宝に非ずや。此くの如き三宝末法に出現するが故に時我及、倶出と云うなり、然りと雖も謗法罪の衆生は悪業の因縁を以って無量阿僧祇劫を過ぐれども、此くの如き三宝の名を聞かず、
故に経(寿量品)に説いて是の諸の罪の衆生は三宝の名を聞かずと云うなり。唯信行具足の輩のみ有って則ち皆此くの如きの三宝を見ることを得。
故に経(寿量品)に云わく、諸有修功徳柔和質直者、則皆見我身在此而説法云云。
諸有修功徳は即ち是れ行なり、柔和質直豈信心に非ずや、則皆見我身とは我が身即ち是れ仏宝なり、在此而説法とは法は即ち所説豈法宝に非ずや、説は即ち能説寧ろ僧宝に非ずや。然れば則ち経文明白なり、仰いで之れを信ず可きのみ。
問う、其の文有りと雖も未だ其の体を見ず、正しく是れ末法出現の三宝如何。
答う、西隣聖を知らず、近しと雖も而も見ず云云、
久遠元初の法宝とは即ち是れ本門の大本尊是れなり。
(観心本尊抄)釈尊の因行果徳の二法、妙法蓮華経の五字に具足せり、我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与う。於我滅度後応受持斯経是人於仏道決定無有疑云云。
此くの如き大恩、香城に骨を摧き雪嶺に身を投ぐとも寧ろ之れを報ずるを得んや。
久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり。仏恩甚深にして法恩も無量なり、然りと雖も若し之れを伝えずんば則ち末代今時の我等衆生、曷んぞ此の大法を信受することを得んや。豈開山上人の結要伝授の功に非ずや。
然れば則ち末法出現の三宝其の体最も明きらかなり、宜しく之れを敬信して仏種を植ゆべし云云。
問う、有る人難じて云わく、日興上人は上足の第三なり、何んぞ是れ結要付嘱の上首ならんや云云。此の難如何。
答う、六老の次第は受戒の前後に由り、伝法の有無は智徳の浅深に依る、故に孔子は道を曽子に伝うるなり、玄弉は法を慈恩に付す、並びに嫡弟に非ず、誰人か之れを難ぜん云云。
吾が開山上人は智は先師に等しく徳は諸弟に超えたり、故に塔中伝授の秘要を付して本門弘通の大導師と称し、末法万年の総貫首と定め、二箇の相承を授けて延山の補処と為す、文証・現証了々分明なり。汝等智有らば此こに於いて疑いを生ずること勿れ云云。
問う、有る人尋ねて云わく、既に本尊を以って中央に安置す、世の帝王の如し、蓮祖・興師を左右に安置す、世の左右の大臣の如し。若し爾らば応に須く蓮祖を左に安じ、興師を右に安ずべし、是れ則ち左尊右卑の故なり。況んや所図の本尊に於いて上下自ら明きらかなり。謂わく、多宝は是れ客仏、上行・無辺行は第一第二なり、故に倶に左に居す、釈尊は是れ主人、浄行・安立行は第三第四なり、故に倶に右に居す、全く世間の如く左尊右卑なり、蓮興両師の左右何んぞ異なるや云云、此の事如何。
答う、深き所以あり、暁らめずんばあるべからず。応に知るべし、千古より国風自然に同じからず、所謂漢土・日本は天子南面す、故に左は東にして陽、右は西にして陰なり、故に左尊右卑なり。
若し月氏の如くんば君父東面す、故に右は南にして陽なり、左は北にして陰なり、故に右尊左卑なり。
国風同じからざれば尊卑既に定まる、故に其の処に随って何れの方に向かう時も日本は左を上座と為し、月氏は右を上座と為すなり。本尊の左右亦復爾なり。謂わく、宝塔西に向く、故に釈尊は右の上座に居し、多宝は左の下座に居するなり。大衆は東に向く、故に上行・無辺行は右の上座に居し、浄行・安立行は左の下座に居す、是れ霊山の儀式を移す故なり。
問う、日饒が記に云わく、寿量・題目倶に是れ正行なり云云。此の義如何。
答う、此れは是れ種子の法体を知らず、祖鈔の大意を暁らめざる故なり。信者当に知るべし、末法今時は全く是れ久遠元初なり、運末法に居すと雖も而も宗は久遠に立つ、久遠は今に在り今は則ち久遠なり。然れば久遠元初に於いて更に一句の余法無く、唯本地難思境智の妙法の五字のみ有り、仏此の妙法を以って一切衆生に下種す、故に種子の法体は妙法五字に限るなり。
太田抄に云わく、一乗を演説すれども題目の五字を以って下種と為す可きの由来を知らず云云。
秋元抄に云わく、三世十方の諸仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成りたまえり云云。
本尊抄に云わく、此れは種此れは但題目の五字なり云云。
四信抄に云わく、一向に南無妙法蓮華経と称えしむ是れ此の経の本意なり云云。
取要抄に云わく、広略を捨てて肝要を好む等云云。
報恩抄に云わく、一同に他事を捨てて南無妙法蓮華経と唱えよ云云。
高橋抄に云わく、余経も法華経も文字は有れども病の薬とは成る可からず云云。
上野抄に云わく、余経も法華経も詮無し、但南無妙法蓮華経と云云。
寿量品の御義口伝に云わく、此の品は在世の脱益なり、題目の五字計り当今の下種なりと云云。
諸抄の明白なること宛も日月の如し、豈末法我等の正行は但妙法五字に限るに非ずや。日饒如何。
問う、文底寿量応に是れ下種なるべし、何んぞ此れを以って倶に正行とせざるや。
答う、文底の寿量品は能く種子の法体を説き顕わす、然るに種子の法体は唯妙法の五字に限るなり、能詮の寿量品は二千余言に及ぶが故に此の品を読誦して以って正行五字の功徳を顕わす、故に助行と名づくるなり。
然れば宗祖(御義口伝)判じて云わく、二十八品は用なり助行なり、題目の五字は体なり正行なり云云。
今例して亦然なり、能詮の二千余字は用なり助行なり、所詮の妙法五字は体なり正行なり。
問う、我等唱え奉る所の本門の題目其の体何物ぞや。謂わく、本門の大本尊是れなり。本門の大本尊其の体何物ぞや。謂わく、蓮祖大聖人是れなり。故に御相伝(御本尊七箇之相承)に云わく、中央の首題、左右の十界皆悉く日蓮なり、故に日蓮判と主付給えり。又云わく、明星が池を見るに不思議なり日蓮が影今の大曼荼羅なり。又云わく、唱えられ給う処の七字は仏界なり、唱え奉る我等衆生は九界なり、是れ則ち真実の十界互具なり云云。
問う、我等之れを唱え奉る其の功徳如何。
答う、当体義抄に云わく、正直に方便を捨てて但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて三観三諦一心に顕われ、其の人所住の処常寂光土なり、能居所居、身土色心、倶体倶用、無作三身、本門寿量の当体蓮華仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり云云。
又(当体義抄)云わく、当体蓮華を証得して寂光当体の妙理を顕わすことは、本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うる故なり等云云。
本因妙抄に云わく、信心強盛に唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり、天真独朗の即身成仏是れなりと云云。余は且く之れを略す。
問う、古より今に至るまで毎朝の行事、丑寅の刻み之れを勤む、其の謂われ如何。
答う、丑の終り寅の始めは即ち是れ陰陽生死の中間にして三世諸仏成道の時なり。是の故に世尊は明星出づるの時豁然として大悟し、吾が祖は子丑の刻み頚を刎ねられ魂魄佐渡に到る云云。
当山行事亦復斯くの若し、朝な朝な刹那成道半偈成道を唱うるなり、
本因妙抄に云わく、天台云わく、刹那成道半偈成道云云、
伝教云わく、仏界の智は九界を境と為し、九界の智は仏界を境と為す、境智互いに冥薫し凡聖常恒なり、此れを刹那成道と云い、三道即三徳と解すれば諸悪たちまちに真善なり、是れを半偈成道と云う。
今会釈して云わく、刹那半偈の成道も吾が家の勝劣修行南無妙法蓮華経の一言に摂尽する者なり云云。
当流行事抄畢んぬ
享保十乙巳歳五月下旬上野大坊に於いて之れを書す
六十一歳
日 寛(花押)
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