三、日蓮正宗と創価学会の関係
 
【質】創価学会は日蓮正宗の信徒ではないのですか?
 
【答】法律的に言えば、日蓮正宗と創価学会は全く別々の宗教団体です。
「宗教法人法」という法律があります。この法律にもとづいて、日蓮正宗は日蓮正宗という宗教法人になっています。創価学会は創価学会という宗教法人になっています。
 
 この意味は、
日蓮正宗の本尊・教義・僧侶・信徒があり、儀式を行い、金銭の運営をしている。
 
創価学会は創価学会の本尊・教義・僧侶・信者があり、儀式を行い、金銭の運営をしている。
という事なのです。
 
 つまり、日蓮正宗は日蓮正宗という独立国、創価学会は創価学会という独立国なのです。
この意味からすれば創価学会は日蓮正宗ではありません。したがって創価学会の信者は日蓮正宗の信者とは言えません。
 
【質】創価学会は日蓮正宗の信心をしているから、日蓮正宗の信者でしょう?

【答】なるほど、いかにも創価学会は日蓮正宗の本尊を拝み、教義を信じ、僧侶に儀式を委ねています。そういう意味では、創価学会は日蓮正宗の信者であるとの表現は一応できましょう。
 
 しかし、それは日蓮正宗という団体と、創価学会という団体が、契約的関係にあるところから生まれた錯覚に過ぎないのです。
 両者の契約的関係を挿話風に話してみましょう。
 日蓮正宗は言いました、
『ウチの特許商品を貸してあげます。その代わり、あなたは会員をウチによこして下さい。』
 
創価学会は返事をしました。
『お宅に会員を行かせ金を払いましょう。その代わり、借用権と販売権はいただきますよ。口出しは無用にお願いいたします。』
両者の契約関係は成立しました。これが両者の関係です。
 
 しかし、トラブルが発生しました。
日蓮正宗は怒りました。
『あんたは、ウチの看板を利用している。ウチの商品を作り変えている。上納金が少ない。』
創価学会はヤリ返しました、『今さら何言っているんですか、エラそうにケチつけて!払うものは払っているでしょう!アンタんとこの商品はもう時代遅れなんですよ!今風にアレンジした方が売れるんですよ!アンタは何の苦労もしないでゴロゴロしてさぁ!販売するのは大変なんですよ!少しはこっちの身にもなってみろってんだ!少しのネコババくらい目こぼししろ!客はウチのもんだからね!』
 
日蓮正宗は激怒して、一ぱつカマシました、
『生意気な!誰のおかげで商売できると思ってんだ!商品はやっぱし昔風のままで売ってもらいたい。商品の所有権がこっちにあることは忘れないでもらいたい。客はウチのもんだ。いつだってウチが上で、アンタが下!』
 
創価学会の平社員は言いました、
『俺達は、創価学会の社員になっているが、日蓮正宗の社員でもある』
創価学会の社長は笑いました、
『お前達は創価学会の社員だよ。商品を教えたのは、俺じゃないか。日蓮正宗なんて名義は、ウチが新興会社で信用されない時だけに使うレッテルなんだ。分かったか!』
 
幹部社員は思いました。
『社長は、あっちを叩いて乗っ取るつもりだぜ。まあいいか、社長の言う通りにしておりゃ、分け前も増えるし、平社員には、よけいに威張れるからな。平社員には、二股かけさせて、こっちに引っ張っておくのが一番。知らしむべからず、寄らしむべからず・・・くわばら、くわばら』
この挿話から悟って下さい。あなた方は、いわば「平社員」なのです。
「日蓮正宗信者」という名義は、借用書からくる「借名」です。「自分はそのつもりだが・・・」という錯覚です。実態はどこまでいっても、やはり「創価学会信者」なのです。
 
 創価学会が日蓮正宗の信心を正しく行っておれば、「借名」の資格はありましょうが、「破門」された現在では、もはや、その資格もありません。
 
【質】創価学会には、独自の本尊・教義・僧侶はありません。全部、日蓮正宗に依存しているではありませんか?
 
【答】名に迷ってはいけません。見るべきはその実態です。実態によって真実を判断しなくてはいけません。
 
 創価学会には独自の僧侶がいるではありませんか。
池田先生を始めとする幹部がそれです。彼らは聖職者なのです。あなた方の「財務」や「広布基金」で生活しています。宗教会社を経営して生活しています。したがって、宗教のプロなのです。ただ頭の毛を長くして背広を着ているから、分かりにくいだけの事です。
 
 創価学会には独自の教義があるではありませんか。
池田先生を仏のように信ずる思想がそれです。「池田仏」という表現こそ見あたりませんが、「池田先生は絶対だ」と考える思想は、要するに「池田先生は仏だ」と言っている事なのです。絶対というは仏の異名なのですから。
 
 創価学会には独自の本尊が、あるではありませんか。
戸田先生や池田先生が、宗門からいただいた御本尊がそれです。こういう場合、「宗門の御本尊様を受持している」と表現するのが適当なのですが、学会は「もらえば、こっちのもの」とばかりに、「創価学会の御本尊」という表現を盛んにしています。
 要するに所有権を盾にして言語操作を行い、「創価学会独自の本尊」をイメージ制作しているのです。
 
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