第十回日蓮正宗法華講全国大会
現状と使命 佐々木秀明正信会副議長 僧俗共に法燈相続を大切に
道理にかなった姿勢で折伏
本日は第十回法華講全国大会を意気軒昂に迎えることができまして、まことにおめでとうございます。また、遠方より参加された方、ご苦労さまでございます。
みなさま方は充分ご承知だと思いますが、本年二月二十八日の東京高裁における妙真寺の裁判は、妙真寺の勝利に終りました。まことにありがたいことだと思います。昭和五十八年六月二十三日に、東京地裁の第一審の判決は宗門側の言い分をそのまま呑んで、妙真寺さんが出ていきなさい、お寺を明け渡しなさいという判決が出ました。
それを不服として控訴しましたけれども、不安定な中、一年半以上を経て、今度は勝ち得ました。しかしながら裁判は勝ったけれども、正信覚醒運動が成就したわけではありませんが、とにもかくにも、こうして判決があったということは、まことにありがたいことだと思います。妙真寺法華講のみなさま、ご苦労さまでございました。
大いに人徳磨こう
この判決により、本訴の最終判決まで山口ご住職は地位の保全がなったわけでございますから、なお一層のご精進をお願いしたい次第でございます。
この勝利は、妙真寺ご住職と所属の法華講のみなさま方、正信会僧俗の唱題の精進のたまものであるということは事実ですが、忘れてならないのは、宗教裁判という難しい裁判で、われわれ正信会の弁護をしていただいておる弁護士の先生方の甚大な努力があったということです。このことをぜひ再確認してもらいたいと思います。加えて、陰に陽に、創価学会問題を書いていただいておったところのマスコミの力も大であるということを、忘れてはならないと思います。
われわれの正信覚醒運動の最終目標は、各々の成仏ということでございますが、そのごとくに運動体でありますから、信仰をしている人、そしていない人にも納得のいく、道理にかなっておるな、という認識をもってもらわなければ、本当の意味の運動の成就はありません。また、そういう姿勢をもったときに、はじめて、折伏もできますし、広宣流布もできるということを確認する必要があると思います。
われわれはこの運動を通して大いに人徳を磨かなければなりません。諺にも、“徳、孤ならず必ず隣あり”という言葉があります。信心をしておっても、いつまでたっても徳がないようでは虚しいです。ひとつその辺のところも、よろしくお願い致します。
どこかのおバカさんのように庭に咲いておるきれいな桜を根本から伐って、座敷で花見をするような人に、広宣流布を云々する資格はありません。われわれはこれを悪い例の手本として、大いに精進しなければなりません。
さて、簡単な妙真寺裁判の経緯でございますが、昭和五十八年六月二十三日の東京地裁の第一審の判決では、宗教団体の自律権を認めて、内部の問題であるから、手続きが宗制宗規上間違っておらなければ処分は有効、ということで、寺を明渡しなさいという判決が出ました。
しかし、日達上人が御遷化されて、池田さんと阿部さんが組んで、何とかこの正信覚醒運動をしておる僧俗を宗門から追い出そうと悪知恵を働かせたわけですから、手続きにミスがあるとは考えられません。ところが、東京高裁では宗教団体の自律権を認めた上で、内部で二分して争っておるこの問題に対して、どちらかに軍配をあげるということは信教の自由を侵すことになる、第一審の判決は間違いである、という判決を出しました。
妙真寺判決の理由
われわれは、裁判所で正信覚醒運動の決着をつけてもらおうなんて思っておりません。信仰の正邪を論ずる前に、宗門、寺から出ていきなさい、となってきましたから、法治国家で身分を保障されないのはおかしいというところで裁判にかけたんです。その意味で、願ってもない判決が出ました。
その判決の理由を、裁判所は次のように論述しております。
「裁判所は当該紛争自体が全体として司法的解決には適せず法律上の争訟には当たらないものとして当該訴え又は仮処分申請を却下すべきである。けだし、このような場合においては、宗教者としては信仰上の対立闘争と宗教的実践を通じておのずから正邪の歴史的な判定が結果するのを待つべきであって、安易に国家機関の裁定に依存すべきではないし、、また、裁判所としても先に見たような方法によって既成事実をもって宗教団体の自律的決定の結果であるとし、当該決定又は処分の効力を是認して、実体的審理、判断をすることは結果として宗教上の対立抗争に介入することに他ならないからである」
こうして、双方の言い分が却下されたにもかかわらず、懲りないのが創価学会。翌三月一日付の聖教新聞に“山口の地位保全の申請却下”との見出しで次のように報道しております。
「宗門から懲戒処分を受けていた正信会の山口法興が処分は無効であるとし、妙真寺等を相手どって、代表役員の地位保全の仮処分を求めて裁判を起こしていたが、東京高裁第二民事部は二十八日、司法的解決には適さないものとして山口からの申請を却下する判決をくだした―この日の判決により、山口がもはや日蓮正宗の僧侶でもなく、妙真寺に対してもなんら正当なる権限を有していないことが法律上からも一段と明確になったわけである」
なんですか、これは。司法的解決に適さない問題の是非が、どうして法律上から明らかになるんですか。こういう学会の体質には、あきれはてます。
さて、三月二十六日、山崎正友さんの裁判で、実刑三年という判決が出たですね。これが重いか軽いかは、われわれは法律の専門家じゃないからわかりません。この判決によって創価学会では「われわれの正義が証明された」「今度の問題は山崎、原島、正信会の僧侶がデッチあげたのだ」といっておりますがとんでもない話です。
創価学会が間違っているのでなんとかしなきゃならないという次元で、われわれも山崎さん、原島さんも同志であると、われわれは常々主張してきたつもりです。山崎さんは控訴されましたが、ともかく、ご本人の信心に期待したいと思います。
山崎さん、原島さんの内部告発によって、みなさん方の多くが学会の間違いに気づき、檀徒になったということも忘れてはならない点であります。
委員で公平に運営
そういう事実を充分にわきまえて、信義をもっていくのがこの正信覚醒運動だと思います。
裁判が長引けば、かならずわれわれの方が有利になるということは前々から言っておりますが、かといって信者さんが減ったのでは何にもなりません。そういう意味で、折伏が第一である、ということをつねづね言っておるわけです。また本日を契機に、一層の精進をお願い致します。
正信会はただ今、議長を中心に二十数名の委員を選び、月一回の委員会を設けています。また弁護士の先生方といろいろ打合わせをして運営しています。不公平なことや、まじめな人がバカをみるようなことは決していたしません。ですから一つ信頼してもらいたいと思います。
最後に、布教所の件ですが、この運動はお寺があってもなかなかむずかしい。折伏の成果が上がらないにもかかわらず、一民家を借り切って布教所をかまえ、運動をしていくということは大変です。だんだんと同志がふえてきて、お寺のような形態になるというのはありがたいことですが、先にお寺という立派な建物を作らなきゃならないというふうになりますと、そこに所属しておる信者さんに必要以上の経済的負担がかかると思うんです。この辺のところもよくよく考え、正義の同志がふえて、そしてお寺になっていくというふうにしていかなければならないと思います。これから先、お寺のない所に同志がふえた場合、正信会では布教所をつくろうと思っておりますけれども、「よし、ここに布教所をつくろう、この民家を買いとっちゃおう」というほど裕福でもありません。
ですけれども、物心両面の援助はしていくつもりですので、その辺のところもよくわきまえられて、なお一層の精進をお願いしたい次第です。
このあと、壇上に次の世代を継承するところの正信会の若手の僧侶が出てきます。みなさん方も法燈相続のできる信心をしていただきたい。子供はなかなか親のいうことを聞きませんけれども、その姿をよく真似します。子供の手本になるよな信仰を貫いてもらいたいと思います。
われわれ正信会の平均年齢は四十二、三歳です。これから二十年くらいはバリバリやりますから、ひとつ安心してわれわれを信じていただきたいと思います。本日はまことにおめでとうございました。 (要旨―文責・編集部)