第十四回日蓮正宗法華講全国大会

 
     現況報告   正信会副議長佐々木秀明師

 第十四回法華講全国大会、まことにおめでとうございます。

 正信会では本年度テーマを「求道」、スローガンを「御書を身読して折伏を!」「報恩の心で人材の育成を!」と立て、半年間精進してまいりました。

 日蓮正宗の修行の根本は 、朝夕の勤行・唱題です。それをしっかりと行った上で、御書を身読する事が肝要です。御書には、何が正しく、何が間違っているかが示され、大聖人は謗法を強く戒められているんですが、現在の創価学会の人々は“あなたまかせ”の信心で、池田大作氏が御書と正反対の“実践”をしている、ということが分かりません。

 正信の信心は、学会と同じ轍を踏まず、御書を身読して精進し、その威光、功徳をもって法燈相続・令法久住をしなければなりません。

 正信会は、時代を背負う人を育てる使命があります。僧侶の方は毎年、五名から十名の新しい小僧さんが得度しています。我々はなま身の人間です。命には限りがありますから、小僧さんの師匠や親御さんにいつ不測の事態が起こらないとも限りません。そうした配慮もございまして、学資資金制度を設け、援助できる体制をくんでおりますので、どうぞこの辺のところもご理解いただき皆様方の法燈相続をよろしくお願い申し上げる次第です。 武道館大会と大量地裁判決

残念ながら三月二十三日、東京の寺院の裁判は負けました。とても納得のいく判決内容ではありません。さっそく高裁に控訴しましたが、その問題点を一、二申し上げます。

 たとえば昭和五十四年七月二十二日、日達上人が遷化され、その通夜の席上、「阿部日顕師が日達上人より相承の儀に関わるお言葉をたまわった」と椎名重役から発表がありました。しかし大半の僧侶はこの発表に疑惑を抱きましたが、ことがことだけに粗っぽい挙に出ることはできません。その後、僧侶有志は「質問書」「御伺書」などを阿部師に堤出しました。こうして我々は、阿部日顕師は間違いなく管長ではないとの確証を得、昭和五十六年一月二十六日、静岡地裁に管長地位不存在の確認を求める訴えを堤出しました。今回の東京地裁の判決では、日顕師が法主になってから一年半、その地位を黙認していたではないか、とあります。我々は黙認しておりません。

何度も「御伺い書」等を日顕師に出しましたが、正式な回答は一切なく、師は質問をすべて黙殺しています。そのため我々は、日顕師に管長の選定行為がなかったと確信し、裁判に訴えたのであります。また、もう一つの問題点は、昭和五十五年八月二十四日、全国大会を武道館で開いたことにより受けた処分に対抗して、管長を裁判に訴えたと判決している点です。まことに理不尽な判決で、これが高裁で通るとは思えません。しかし油断は大敵です。正義の力をより大きくすべく、なお一層の折伏と我々の精進が肝要になってくると思います。

 地裁は我々に「寺を明け渡せ」と実に簡単に命じておりますが、考えてみれば、議長も私も、僧道を歩みはじめてから四十年になります。その間の修行、住職としての指導、それを支援して下さる皆様の信教の自由、さらには基本的な人権をゆるがせにするような判決を、いとも簡単に出してもらっては困ります。こういう点も含めて我々は大いに頑張りますから、よろしくご支援のほどをお願い申し上げます。

 来年は大石寺開創七百年になります。まさか、そんな恐ろしいことはしないだろうと今でも思っておりますが、阿部日顕師と池田大作氏が組んで、大石寺を「本門寺」に改称しょうというんです。「本門寺」は、御遺命の戒壇が建立された時に大石寺が名乗る名称です。大聖人の三秘抄の「王仏冥合」の理想からいきまして、現在の世相が広宣流布の姿といえるでしょうか。不開の門が開いて、大石寺が「本門寺」となるようなご時勢ではございません。これを黙認していたのでは、なんのための正信覚醒運動かと、大聖人よりお叱りを蒙ります。

知恩報恩に反する池田指導

この大会から来年までは、本当の意味での正念場であるとの認識で我々は頑張ります。皆様方も肚をくくってまた来生に御本尊に縁するように大いに精進しょうではありませんか。

 公明党の矢野委員長がやっと辞任しました。公明党内に強気の人は誰もいませんが、池田大作氏が強気になると、それにつれて公明党もまた強気になるようです。

 池田氏は三月十二日、埼玉で次のように指導しています。

 「『仏法は勝負』にどれほど深い意義があるのか、皆わかっていない。物事は正邪ではない。勝つか負けるかなんだ。全員が『勝つ』と強く決めていけ。勝つか負けるか。やられたらやりかえせ。世間などなんだ。私は恐れなど微塵もない。勇者は私だ。私だけ戦っている」これがもとで、公明党も創価学会も強気になっているんです。  「復讐しろ」「やられたらやり返せ」ー御書のどこにも、こうした仰せはございません。仏法は知恩報恩です。

 池田氏の発言はこのあと、「男はなんでもいいから、言っていくんだ。『声、仏事をなす』とあるじゃないか。反逆者には『この野郎、馬鹿野郎』でいいんだ」と。

 ヤクザがびっくりします。こういう人を相手に闘っているのですから、我々もしっかりと唱題し、頑張らなければいけないと思います。

 なにはともあれ、本年が正念場と覚悟し、僧俗一致して、阿部日顕師と池田大作氏を強く諫めていこうではありませんか。

   

     

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