第一回檀徒大会

現況報告
 
   
 第一回檀徒大会
        経過報告(続き)   寿福寺 佐々木秀明師

です。政教分離をしておるからその建前を守って。しかし今、四国の方では、相当の古い衆議院

、参議院の議員連中が、正信に目醒めて、檀徒になった人の家を回って、「学会に帰りなさい

」と言っておる。これ程くさっておる創価学会を守るというのが公明党の仕事なら、これから

の戦いでは、公明党と学会を同一視して、断固、徹底的に戦わなければと思う次第であります



。  話は横道に逸れましたけれども、こういうような裏があって、積もり積もって、あの二月九日の

「学会とは一緒にやっていけない」という結論が出たのであります。

 そこで慌てたのは池田会長。二月十二日と十六日に、早速本山にやって来て、「悪いものは訂

正しますから、どうか(学会を)切るということだけは止めてください」というようなことを

言ってきた。そこで御法主上人猊下も、「あの図々しい池田会長が、はじめてあやまりに来た

から、今度だけは我慢して見守ってあげよう」と、仰せになったのであります。

 そこで、皆様方正信に目醒めた方の中には、気の短い人もいるでしょうから、そういう人達は

、「こんなに創価学会が何回も間違っておるんだから、はっきり手を切ってしまえばいいじゃない

か」というふうに思われる方もあるかもしれない。ここで考えなければならないことは、今

、これだけの数の人が正信に目醒めましたけれども、まだまだ大多数の人は、池田会長に誑か

されておる。そういう人達を今ここで―その人達はこの内容をあまりよく知らないのです。―御

法主上人猊下が、「間違っておるからスパッと手を切る」と言って御覧なさい。大多数の人は

「どっちがどっちでももういいや。信心なんかもうやめてしまえ」と言う人が、かなり出てく

るんですよ。これを何としても落とすことは可哀想である。そして酷い。

 我々が、仏法者として考えなければならないことは、衆生無辺誓願度。どのような人にも、こ

の御本尊様の縁に、触れさせてあげなければならないという真意からも、正信に目醒めた人が

、多勢増えてくれば、もしかしたら、ことに依って、創価学会が直るかもしれない。そういう

意味で「そこのところは短気を起こさないで待っていなさい」というのが、御法主上人猊下の

御指南でございますから、じゅくじゅくして気持ちが悪い。切れればサッパリして気持ちがい

いけれども、そこはひとつ我慢をして、曽ての同志の人達を一人でも多く救うというとが、皆

様方の使命であるという事を認識していただきたいと思います。

 そうこうしているうちに三月、四月という月日が過ぎてしまった。訂正するといっても、た

くさん謗法を犯しておるから何から訂正していいから解らない。

 そこで、我々のような運動をしておる若手の僧侶が、学会の若手の幹部と或る処で会いまして

、「五月、六月というのは我々の訂正すべき点は、訂正するから、御講等であまり強硬なこと

は言わないでくれ」と。強硬なことを言っているわけではない。我々は、謗法を責めておるん

だけれども、彼等にはそうとられる。けれどもそれは一理あるから、「それでは見ていてあげ

よう」というところで、五月、六月の御講では、我々はあまり強烈なことは言わなかった

。そして、その連中と話しをした時に、「どういうふうにしたら訂正したと認めていただけ

ますか」と言いましたから我々は、「まあ、色々あったけれども、昨年あたりから会長自ら日

蓮正宗を敵対視するような指導をしておるんだから、もう一度会長から『自分が間違っておっ

た』ということをはっきり口で言って貰いたい。そうしなければ訂正したことにはならない

。何としても会長は創価学会では絶対なんですから、池田会長自らが訂正して貰わなければいけ

ない」と言いました。そしたら向こう(学会)も「成る程そうでしょう。そういう意味で我々

もやってみます」と言って、その時は別れた。

 そしてこの六月一九日に本山より質問状(『蓮華』七月号三〇頁)が出された。

 あの質問を何故出したかというと、学会があんまり謗法をし過ぎてしまって何を直していい

か解らないでしょ、オタオタしてしまって。だから御親切に「これはいかがですか。これはど

うしますか」ということをわざわざ出したんです。

 それに返答したのが、六月三十日付の『聖教新聞』の第四面に出た。訂正文です。何も訂正

してないじゃないですか。

 我々は、(幹部と)会った時に「会長自らの口からもう一回、間違っておったというふうにし

て下さい。そうしなければ訂正とは認めませんよ」と言ったんです。だからこれはもう創価学

会はいよいよ駄目だ。それではもっともつとトーンを上げて、バンバンやっていこうという

ことで、七月十三日の御講は、全国で相当派手にやった訳です。何としても会長が、―もう誰

が悪いとか何とかは言うわけではないわけです―池田会長唯一人。この人が頑張っておるか

らこうなってしまうんです。例えば、このテープもまたすぐ学会に行くんです。「あの馬鹿

が、また言ってやがる」と思うことでしょう。この『教学と私』という本を、五年位前に本

部幹部会で出席した人に渡したんです。電話帳位の厚さの物です。その中で例の如く言って

おるんです。もう何回聞いても、耳にタコが出来た人がいるかもしれませんが、福島源次郎さ

んがこう言った、「この若い革命家の『妙法への帰命』という理念は、具体的実践でいうなら

ば、希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬことを、彼は知った

のである」(『教学と私』二十五頁)と。だから、池田会長への帰命しなければ駄目だともっ

てきた。「私は再び繰り返したい。『人間革命』は現代の御書である。『人間革命』を通して

御書を拝すると、大聖人の大精神がより鮮明に、私の心を打つ。更に御書を通して『人間革

命』を読むと、学会精神が体内より強烈に脈打ってくる。御書から『人間革命』へ、そして

『人間革命』から御書へと、この往復の中に、信行学の揺るがぬ確立があるのではなかろう

か。『人間革命』はそのような一書である。大聖人との不可思議な血脈の相承がある。確かに

不思議な書といわざるを得ない。」(『教学と私』二十五頁)確かに不思議な事ですね、これ

は。「うれしきかな末法流布に生まれあえる我等。うれしきかな希有の師に巡りあえる我等

。命限り有り惜しむ可からず遂に願うべきは仏国也」である。(『教学と私』二十五頁)吹き

に吹いて諂いに諂った。会長さん喜んだ。この人ばっかりではないです。八矢さんもやって

ますね。八谷さん。壮年部長ですね

。  「そして、広宣流布のことを本当に知っておられるのは我々ではなく、池田先生ただお一

人なのであります。即ち、我々が池田会長のご意志を間違いなく実践することが広宣流布を

可能にする唯一の道なのありです。広宣流布の第二章を迎えて我々は自己のエゴイズムと増

上慢を捨てて、今こそ池田先生の指導を求め、その指導を一直線に実践するとき、必ず広宣

流布が成し遂げられることが必定なのです―中略―池田先生こそ本門弘通の大導師でありま

す」日興上人になっちゃった。「私達は、かかる希有の師と会うことのできた福運をかみし

めると同時に、必ず師の心にかなう弟子として生涯を貫き、学会総体に久遠元初の生命活動を

確立し、広宣流布達成を決意するものであります。」(『教学と私』十八―十九頁)

 吹きに吹いて、諂いに諂った。これを今、池田先生のお得意の論法がありますね。「私は迷

惑している。遺憾である。」これが本当に知らないでそのように言ったのであれば「不肖の

弟子でしょうがない」という論法はできます。しかし、悪いことはできないもので、この書

の一番初めに、「この書は、自分の命の中に『教学と私』を包むことになれば幸いである。

尚、編集に際して送りがな、句読点など若干の文章の校閲があったところがあるが、大旨原稿

通り載せるよう配慮されている。最後に、多忙の中に原稿を執筆し、原稿を寄せて下さった

方々に心からお礼を申しあげると共に、深く感謝の意を表したい。弥生九日池田大作」

 喜こびに喜んだんですよ、この人は。それを「迷惑である。」「遺憾である。」これを書い

た人は全く迷惑でしょう。  福島さんあたり居直っちゃいますよ、最後に。「ふざけんな」と言うに決まっている。そ

れは解ってることです。自界叛逆です

。  昔、明治維新の剣聖で、山岡鉄舟という人がおった。この人が清水の次郎長さんと会った時

に、「貴方の子分で、貴方の為に、命を捨てる人は何人いるかい」と、聞いたそうです。その

時に次郎長は「イヤー、あっしの為に命を捨てるような子分は一人もおりません」と、答え

た。山岡鉄舟は、びっくりした。しかし、その後の次郎長の言葉が良かった。「私の為に命を

捨てるものは一人もいないけれども、自分は、子分の為にいつでも命を捨てる覚悟をしていま

すよ。」と、こう言ったんです。池田会長先生・・・困ったもんですな・・・言わなくても

分かるでしょう。

 それが、今迄あなた方が誤魔化されておった本門弘通の大導師、主・師・親の三徳を兼ね

備えている人である。まったくおそまつ。

 しかし、面白いもんですね。本山に来て、信徒と認めておる団体の長をこきくだしてしま

うんですから。これは七百遠忌という時の、御仏意でしょう

。  「皆様方は、目醒められて本当に良かったけれども、昔の漫画ではないですが、『夢見る

夢子ちゃん』こう人を称して、昔の偉い人は、“酔生夢死”と言ったんです。酔って生まれ

て、夢で死んじゃうんです。この正しいお題目を唱えておりながら、酔って生まれて夢で死

んでは誠に果敢無い。そのような人がまだたくさんおるんだから、どうか大慈悲のもとに

、一人でも多く目醒めさせるということを第一義として、頑張っていただきたいと思っ

てます。それが皆様方、“地涌の眷属”としての使命ですから、よくよく心していただきた

いと思います

。  兎に角、何故創価学会がこんなに間違ってきたかといえば、先程の御法主上人猊下のお言

葉の通り、「本門戒壇の大御本尊をないがしろにした」時点に於いてこうなってきたんです

。  昔、大聖人御在世の時分は、佐渡から身延にお目通りに来られた阿仏房を愛でて大聖人は、

「宝塔さながら阿仏房、阿仏房さながら宝塔かな」と仰せられ、その信と行に即身成仏の命が

あると、愛でられたのであります。時移って七百年。今、人法一箇の御本尊が、皆様方の眼前

におわします。一閻浮提総与の大御本尊です。此処に馳せ参じて、登山参詣するということが、

正信の人達の一番肝心なことであります。だから曽ては池田会長も言っておった。だいぶ古

い話ですが、昭和二十九年です。「霊鷲山への参詣月一回。先生の直弟子としてこれを喜こ

び、これを実行できぬようでは、正信の人とは言い切れない。」誠にそのとおりである。こ

れを実行しておれば、今のようにならなかったんですよ。それを今は何ですか、今やってな

いとはいいませんよ。やっていないと言えばもめるから。来てることは来てますよ。しかし

、昔のような情熱はない。

 九州の方では、「霧島研修所に行くことが総本山に来ることと同じだ」と言われている

筈です。知っている方も多いでしょう。そして、中国地方では上田副会長が、「登山なんて

ものは、一生に一度行けばいい。それよりも厚田墓苑にいらっしゃい。厚田墓苑に。その為

にお金をためなさい」というふうに言ったそうです。

 皆様方の信心は、現当二世に亘るんです。墓穴見る為に、信心したんじゃないんです



 なにも、戸田会長の故郷に行くのを悪いといっているのではない。登山とそれと、いか

にもうまくすり替えて、まるで厚田墓苑に行く方がいいということを、暗ににおわせて洗脳

しておるところに、根本の尊形をないがしろするところに、このような事態を招いたのだ

と、私は思うのであります。

 今、昭和五十三年六月二十二日と、七月十二日付の聖教新聞に、このように出ております。

これを脳天ファーラーの池田会長に誑かされている連中が見れば「成る程そうだ」と、ズルズ

ル厚田墓苑に行ってしまいますよ。次のように書いてあります

。  「戸田記念墓苑を見学、四泊五日、参加者に新巻サケお一人一本プレゼント」「戸田記念

墓苑見学特別コース、味覚と紅葉の北海道二泊三日、北海道の大自然と戸田記念墓苑見学も

楽しみです」「いらっしゃい、いらっしゃい」とやっておるんですよ。それを私が、あっち

こっちの決起大会で指摘したのが耳に入ったんでしょう。載せなくなったしまった。ところ

が今度は、日本航空の何かが出て、戸田墓苑の宣伝はなかなか出てこない。やっぱり後ろ

めたいことを言っておるんですよ。そういうところからだんだんおかしくなってきたという

のが現状です。

 兎に角、皆様方は、こうして正信に目醒められて、本当に良かったことです。ホッと胸を

撫でおろすところです。しかし、まだまだ、池田教に洗脳されている人がたくさんおります

から、どうぞ強盛な信心をもって、只今の御法主上人猊下の甚深のお言葉にお応えするため

にも、尚一層の精進をお願い申しあげる次第でございます。以上をもちまして、経過報告と

させていただきます。   

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