第二十回日蓮正宗法華講全国大会

 
        正信会副議長 近藤済道師

第二十回大会をむかえて


日蓮正宗法華講全国大会まことにおめでとうございます。去る昭和五十三年八月、ご先師日達上人ご臨席のもと総本山大石寺で開催された第一回全国檀徒大会から数えて第二十回の記念の大会を、このように盛大に迎えることができましたことを心よりお祝い申し上げます。すでにご承知の通り、この第二十回大会は昨年の六月に開催を予定しておりましたが、阪神・淡路大震災のため、延期のやむなきにいたり、本日の開催となった次第であります。本日、被災地よりご参加の兵庫教区のご信者さん、ならびに大阪池田・源立寺所属のご信者さん、どうぞお立ち下さい。大変なご苦労にも負けず、本大会に参加されてまことにご苦労様です。まだまだ復興までにはいったてはいないようですが、今後とも頑張って下さい。全国からお集まりの皆さん、被災地から参加されている人々を、盛大な拍手をもって激励していただきたく、よろしくお願い致たします。どうぞ頑張って下さい。ご着席下さい。

さて、本日は第二十回という節目となる大会でありますので、今一度私たちのこの正信覚醒運動の原点を確認し、あわせてその歩みの大要をふり返ってみたいと思います。

宗門と創価学会

七百年に及ぶ本宗の歴史には当然のごとく栄枯盛衰(えいこせいすい)がありましたが、誰人も差別なく南無妙法蓮華経を信受するならば、真の安らぎである成仏が許されるという尊い信仰は、間違いなく本宗に伝えられてきたのであります。

戦前から本宗の信徒団体であった創価学会は、戦後、二代戸田氏・三代池田氏の指導のもと強烈な布教に努め、急速に教線を拡大しました。そして創価学会は日蓮正宗の本尊と教義を信仰する信徒の団体として、独自の本尊・教義は持たないかたちで宗教法人を設立し、しかも学会員の指導は一貫して学会幹部が行うとの方法をとり、本宗の僧侶は日蓮正宗の信徒と称する学会員の法要儀式を執行するだけの役割でありました。実質的に宗門僧侶の指導を受けることのない創価学会は、次第次第に本宗の教義から逸脱し、ことに戸田氏の後をついだ池田氏が会長に就任するに当たって、外面的には二人三脚の姿を装いながら、面従腹背(めんじゅうふくはい)の姿をとり続けてきたのであります。

昭和四十七年の正本堂建立以後、用意周到に準備を進めてきた独立路線を、昭和五十二年より実行に移しはじめたのであります。この昭和五十二年こそ、正信覚醒運動の原点の年といって過言ではありません。すなわち各地の僧侶が己(おのれ)の信念と責任に基づいて、学会問題の是正に立ち上がり、運動体へとつなげることになった年なのであります。運動の広がりのなかで、護法のためにも学会の謗法を糾(ただ)すことは当然のことながら、彼らを指導し得なかったその責任は宗門にあること、また宗門にも宗風の混乱、退廃(たいはい)があって学会の逸脱の一つの理由になっていることがあり、私たち僧侶も深く反省させられたのであります。

この当時、日達上人は学会の非道な圧力の前に「日蓮大聖人の教義でないものが広宣流布したとしても、それを広宣流布とはいわない」「たとえ百姓をしてでも本山を護る」「一人になってでもお山を護る」と、秘められた決意を漏(も)らされておられたので、道念ある僧侶が我れも我れもと、護法のために立ち上がったことを大変喜ばれておりました。

この覚醒運動は日達上人のご理解もあって、翌年昭和五十三年には宗門教師の三分の二以上の賛同を得る勢いとなりました。一方、このような事態になっても、創価学会に内通し、媚(こ)びをうる僧侶が存在していたことも事実であります。各人の道念によって進められてきたこの運動も、宗門の大半の支持を得ることにより、その目的を次第に明確にすることを問われ、次の三点を挙げることになりました。

第一番目には、「創価学会問題の是正」、これは実質的に宗門を混乱せしめている学会の謗法と、その誤った信仰観から生じる体質を是正せしめ、一般学会員の迷いと悩みを除くことであります。

第二には「祖道(そどう)の恢復(かいふく)」、これは本宗僧俗の一人ひとりが我見我執(がけんがしゅう)を排し、宗祖日蓮大聖人の歩まれたその道、そのご精神を正しく拝して行くことであります。

第三には「宗風(しゅうふう)の刷新(さっしん)」、これは学会によって歪(ゆが)められた宗門の在り方や、ものの考え方、寺院参詣者獲得のための学会幹部へのへつらいなどの宗風を刷新することであり、日興上人の往古(おうこ)に帰って、清楚(せいそ)にしてさわやかな信仰の香り高い宗風の確立を願うものであります。

この三点が正信覚醒運動のめざすものであり普遍(ふへん)の原点であります。日興門流に伝わる正法を護持しょうと願う正信会僧侶はこの三点に心を寄せ、二十年に及ぶ運動の歩みを進めてまいりました。

第五回大会の開催

当時、宗門人の良心をとらえた運動は、信心篤(あつ)い檀徒が全国各地に続々と誕生することになり、目を見張る前進を見せました。日達上人をはじめ宗門にあれほどの圧力をかけてきた池田学会も訂正と謝罪のやむなきにいたり、昭和五十四年春に、ついに池田大作氏が法華講総講頭を辞任、続いて創価学会会長を辞任する事態となったのであります。これで学会員も本宗本来の法義を信受し、確かな成仏への道を歩むことができるかも知れない、との希望を私たちに懐(いだ)かせました。

しかし、間もなく日達上人の御遷化、阿部日顕師の法主詐称による管長就任に至り、黒い野心に満ちた池田氏の奸策(かんさく)によって、期待は大きく裏切られました。ときには指導を請うほど池田氏を高く評価し、創価学会を成功した団体と認め、再び法華講総講頭職に池田氏を再任した阿部師には、学会を是正させる心はありませんでした。学会擁護の御書の解釈はもちろんのこと、阿部師の言動に、不信は宗内に渦巻き、運動は更なるうねりを起こすことになりました。後退することのない覚醒運動に業を煮やした池田創価学会と阿部師は、ご先師以来の約束であった総本山大石寺での檀徒大会を、事実上開催できないようにしたのであります。

正信会は今こそ創価学会の謗法と社会不正を世に問うべき時と決断し、大会参加者に対する処分は必至とみられるなか、護法の一念に宗開両祖のご照覧を確信する僧侶約二百名、全国より檀徒代表一万二千八百名が集まり、昭和五十五年八月二十四日、東京・日本武道館において第五回全国大会を開催したのであります。この第五回大会は、いかなることになろうとも護法の赤誠(せきせい)を誓った大会で、まさに正信覚醒運動にとっては、宗門史上永久に消えることのない意義ある大会でした。そしてこの大会によって先の運動の目的である三点が確認されたのであります。予想通り、大会への出席者は池田学会の全面支援を得た阿部宗門によって、主催者五人の住職罷免(ひめん)を初め、参加者全僧侶が「宗務院の中止命令に従わなかった」という理由により処分されました。

その後、阿部師の法主詐称の疑惑がマスコミの報道するところとなり、正信会僧侶は阿部師が日蓮正宗の規則に則(のっと)って管長の地位に就い(つ)ていないとして、管長地位不存在の裁判を起こしたのであります。が、阿部師は裁判に訴えたことを逆さにとって、「血脈相承を否定する異流義」と決めつけ、正信会僧侶の全員を擯斥処分とし、私たちを宗門外に追放したのであります。

この擯斥処分によって、寺院明け渡しの請求との思いもよらぬ裁判係争が始まったことは、いうまでもありません。

宗門の在るべき姿

もとより私たちは、覚醒運動を開始した当初より現在に至るまで、新しく教義を打ち立てたことは一度もありません。このことは、昭和五十六年の継命新聞三月一日号に、正信会の統一見解として、

一、本門戒壇の大御本尊を断じて否定するものではない。

二、宗開両祖の御教示、御遺訓(ゆいくん)を正しく弁(わきま)えられ厳護される法主上人に対し奉(たてまつ)っては、血脈付法の大導師と信伏随順(しんぷくずいじゅん)申し上げるのは当然であって、我々もそれを心から望んでいるのである。

三、今回の騒動の元凶たる池田大作氏の謗法行為は断じて見逃す訳にはいかないし、それを容認、弁護するが如き管長、宗務当局の在り方は明らかに誤りである。

との三項目を発表し、現在に至るまで訂正しておりません。私たちは日蓮正宗の法義に異義を述べたのではなく、日蓮正宗の法律である宗制宗規に従って阿部師が管長に就任していないと異義を申したのであります。学会問題を一つの大きな契機として進められてきたこの運動は、この時点において池田大作・創価学会をスポンサーとしてへつらい、創価学会の御用教団の道をえらんだ阿部宗門と、あくまでも宗開両祖の仏法の道を歩もうとする正信会との間に、「宗門の在るべき姿」をめぐっての問題として展開することになったのであります。

以後十数年、その根本原因を作った創価学会はいつの間にか宗門の陰に隠れてしまい、日蓮大聖人・日興上人はもとより日有上人・日寛上人等ご歴代正師の教えによって本宗の在り方を求めようとする正信会と、戒壇本尊をはじめ大石寺を事実上支配し、詐称であっても法主という地位の権威、さらに数百万といわれる創価学会の権力を借りて護法の運動に弾圧を加える宗門との争いになったのであります。

しかしその宗門も、平成二年に大石寺開創七百年を迎えるに互いの欲得のために利用し合ってきた池田氏と阿部師のトップ同士がケンカを始め、醜(みにく)い争いを展開し、世間のヒンシュクを買っていることは、すでに皆さまご承知の通りであります。

興学と求道の息吹

運動を興(おこ)して約二十年、この間にはさまざまなことがありました。一部とはいえ、権威権力の誘惑に負け、現実の利害にふりまわされて正信を貫くことが出来ない僧俗もいたのも事実です。そして最も私たちを悩まし煩(わずら)わしくさせたのは、寺院明け渡しの裁判でした。あるときには寺院明け渡しの執行つきの完全敗訴の判決もありました。しかし各寺院住職とご信徒の信心と団結、そして弁護士先生方のご協力を得て、去る平成五年には大半の寺院が最高裁より双方却下の判決を受けました。その結果しばし安住の時間を得、運動の確かな前進のために準備を調(ととの)えることができることになりました。また、本宗本来の法門と信仰を素直に求める興学(こうがく)と求道の息吹は会内に広がり、運動に一層の充実がみられたことは喜ばしい限りであります。

正信会と阿部宗門

現在、阿部師の法主就任を認めなければ大聖人の仏法は消滅してしまうとし、かつての謗法与同を隠し、これを是正することなく、何があっても法主に信伏随従することが本宗の信仰であると主張している宗門。

 宗開両祖のその法義を真剣に求め、謗法を排して、そのご本意に添(そ)い奉る信仰心にこそ、不断の血脈法水が流れるのであり、謗法の山には宗開両祖の魂も仏法も流れることはないとする正信会。 また、かつての創価学会の登山会と同様の本山登山の勧誘に精を出し、戒壇本尊を直(じか)に拝まなければ功徳を積むことも成仏することも叶(かな)わないと説き、あたかも戒壇本尊を公開するかのような法義を説く宗門。

元来、秘蔵であるからこそ御本尊ご開扉と称するのであり、いまだ広宣流布に至らざるに公開し、無条件に直拝(じきはい)を勧めることは、かえって宗開両祖の御意(おこころ)に反する。

たとえ直拝に及ばずとも、肉眼が不自由であっても、謗法を排した仏法への正直な信仰心があるならば、たちまちに時空を越え、正信の各寺院・各家庭の御本尊様を通して御戒壇様にお目通りが叶い、功徳を積み成仏があると信ずる正信会。

今日、これらの相違の上から宗門は正信会を「異流義(いりゅうぎ)・謗法の徒」と非難しておりますが、その歪(ゆが)んだ信仰観は今日にその悪弊を及ぼし、未来に害毒を流そうとするものであって、まことに残念でなりません。一方、創価学会の影響を排除し、本宗本来の法義を知ることができて、日蓮大聖人の門下にふさわしい正信の道を見いだすことができたことは、私たちの喜びでもあります。何よりも素晴らしいことは、昭和五十六年より今日まで、全国各地に寺院・布教所・出張所を三十九も開設してきたことであります。そしてその多くは、各ご住職とご信徒の血と涙の精進の結晶として、自前の道場を構え、令法久住・妙法流布の確かな礎(いしずえ)を築いたことが、真剣な布教・弘通の証でもあり、私たちにとって最大の誇りとするところであります。

いまだ成就せず

この二十年の正信の歩みは、正信会すべての寺院・講中にさまざまな艱難辛苦(かんなんしんく)をもたらしましたが、それらのすべてが成仏への善知識となり、私たちの信仰の素晴らしさを証明するものでもありました。しかし宗開両祖のご照覧にあずかるこの覚醒運動も、当初の目的を成就し得たわけではありません。創価学会は宗外に去りましたが、その邪(よこしま)な害毒は実に強盛で、いまや会長本仏は法主本仏へと姿を変えて宗門に定着してしまいました。また、国家権力を使っての社会不正には、つねに油断なく動向を監視して行かなければなりません。確かに正しい仏法を護り伝えていくということは大変なことであります。

宗祖大聖人は、「須(すべから)く心を一つにして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧(すすめ)んのみこそ今生人界の思い出なるべき」と述べられ、「まず自分自身がただ一心に南無妙法蓮華経と唱え、そして人にも勧めて行きなさい。そうすることが今世に生まれた最高の思い出となり、必ず満足の人生を送れる」と教えられております。いま、唯一正法を護持している私たち僧俗が、このご金言を無にしてはなりません。題目を唱え、妙法を人に勧め、覚醒運動の歴史に名を残していくことが、ひいては自分の人生が光りかがやく人生になると確信し、来年の大会をめざし精進していこうではありませんか。

        

     

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