第三回檀徒大会

現況報告
 
      大分県寿福寺住職佐々木秀明(宗会議員)

 みなさん今晩は。

 お暑い中ご苦労さまでございます。足を楽にして聞いて下さい

。  ただ今の御法主上人猊下のありがたい御指南を、よく身に体されて、各末寺に帰られましたら、なおいっそうの精進をお願い申しあげます。

 この総会も、第三回を迎えるにあたりまして、この前の第一回・第二回には、六千人近い人が集まって、総会を開催したわけでございますが、この八月は暑いこともありまして、外で立っていては大変だということで、三千人にしぼって今度の総会を開催したわけでございます。みなさん方、さきほどの御法主上人猊下のお言葉を、よく身に体されて、帰りましたら同志の方にくれぐれもよろしくお伝えのほど、まずもってお願い申し上げておきます。

 ご存じのように、七月二十二日に、第六十六世日達上人猊下が、御遷化遊ばされました。まことに突然のことで、みなさんもさぞびっくりなされたことと思います。

 我々にとっても、巨星落つという感じを禁じ得ないわけでございます。

 御先師はここ四、五年、創価学会の日蓮正宗の教義からの逸脱を、非常に心いたく思われまして、とくにこの一年はご心労深く、この因をもちまして御遷化遊ばされたと申しても決して過言ではないと思います。

 我々は、ここ数年の御先師日達上人猊下の御指南をよく肝に銘じて、謗法厳誡の精神を身に体して、御報恩申し上げることが肝要かと思います。

 幸いにも、第六十七世日顕上人に、早々と御相承遊ばされておりまして、この日顕上人の御指南のもとに、一致団結して行くことが、御先師日達上人に御報恩奉ることであるということを、もう一度確認して、ともども精進して行きたいと思うわけございます。

 さて、この六十七世日顕上人に対し奉り、マスコミ等がいろいろ言っております。こんどの猊下は大丈夫だとか、学会寄りだとか、色々と言っていますが、みなさん方はそういう中傷に動揺することがあっては大変だと思います。

 あの御遷化遊ばされる前二・三年の謗法厳誡の精神を受け継がれた御法主が、決してそのようなことはございません。また我々は決して創価学会をつぶそうなどと言っておるんじゃないんです。

 創価学会には、あまりにも謗法が多すぎる。その謗法というものが一つとしてあってはいけない、それをやめてもらいたいというのが我々の運動です。その運動を、御法主が何かするというような門外漢が言っているようなことは決してありませんから、どうぞご安心なさって、なお一層の正信覚醒運動に精進して下さい。それが日達上人猊下、日顕上人猊下に対し奉る御報恩であるということをよく考えてもらいたいと思います。

 また、檀徒の中で、このようなつまらない中傷非難をする方はないと思いますが、もしあったならば、そんな人は日蓮正宗の信徒でもなく、檀徒でもございませんから、その辺のところをよくよく肝に銘じていただきたいと思います。

 日蓮正宗というのは、御法主を中心に、謗法を厳戒して、令法久住・広宣流布を目ざして精進していくのが、信心の基本でございますから、その辺のところをまた本日より、よくよく肝に銘じていただきたいと思うわけでございます。

 さて、各末寺におきましては、檀徒のあるお寺は、だんだんと法華講支部というものを結成しております。これに対して檀徒の方が、いろいろと我々の信心は、一体どういうふうにやって行くんだ、というような疑問を、また、ご意見をなげかけてくる人がございますが、この際はっきり言っておきます。

 創価学会が、日蓮正宗の教義から逸脱した、その創価学会に籍のある方が、創価学会では信心して行けない、というところで、この人達を一体どういうふうに扱ったらよいでしょうというところから、檀徒という名称をいただきました。

 しかしながら、檀徒・法華講・創価学会この三つ、あってもかまわないわけですが、「法華講」という大聖人よりお許しをいただいた名称があるにもかかわらず、檀徒・法華講ということは、ややこしいことでございます。また、学会の中で育った方々と、法華講連合会で育った方々と、育ちかたも違います。そこで、我々が充分基礎的な日蓮正宗の教学を教えて、だんだんと連合会の方々と手をたずさえていくようにもって行きたいと思いますが、それでよろしいでしょうかと申し上げましたところ、前御法主より、そのようにしなさいとのお言葉をいただいたのでございます。

 それで、この檀徒の運動も、はや一年半すぎました。このあと二年たちますと、第七百御遠忌が来ますが、それまでに一応は連合会の方々と手をたずさえて行く体制にもって行きたいというところで、今、法華講結成式を各末寺でやっておるわけです。

 これによって、檀徒の方々に圧力をかけて、組織でもって引っぱって行くんだ、というようなことを考えておるわけではございませんから、その辺勘違いなさらないでいただきたいと思います。

 法華講と申しますのは、大聖人御自ら御認可の日蓮正宗の信徒の団体でございます。もとを尋ぬれば、熱原の三烈士がそのみなもとになっておるわけでございます。熱原三烈士の命を賭しての信心があったからこそ、今我々は大御本尊に縁して、即身成仏の信心ができるわけでございます。

 その法華講という名前をいただいたからには、なお一層の覚悟といいますか、それだけの責任があると思います。

 熱原三列士と申せば、身命を賭して信心を貫き通した、みなさん方の大先輩に当たるわけでございます。不自惜身命という言葉があございますが、ありがたいことに、今は信教の自由の時です。今、正しいものを正しいとうったえて身を損ずる、要するに、本当に命が危なくなるというようなことはございません。

 しかし、不自惜身命という言葉は、信心修行の要(かなめ)です。さすれば、どういうことが不自惜身命かと申しますれば、それほどむずかしいことではないんです。この大御本尊即ち大聖人のお命に身をゆだね、正しい道理を先として信心をして行くことが、とりもなおさず不自惜身命となるわけです。それには基本がございます。



 仏法僧の三宝というものを、正しく身に帯さなければなりません。三宝一体と申しまして、どの一つがおかしくなってしまっても、それは正しい信心じゃございません。

 みなさん方、かつては、この仏法僧の中の仏宝を勘違いされて、ポマードできれいに頭をぬったくって、背広を着た人を仏さんと思っておったんです。それは勘違いです。いままだ、それを仏さんだと勘違いしておる方が多いんです。何とかして救ってやらなきゃいけないんです。

 まず正しいこの三宝尊に身を委(ゆだ)ねて信心をいたしますれば、気持ちがまっすぐになります。まっすぐということは、正しいものを正しく見る眼を持つことです。こういう信心ができてくれば、気持ちというものは柔らかくなります。柔らかくなるということは、どういうものに対しても、大きく包含して救っていく心をもつことなのです。これを柔和というわけです。これを『法華経』には「質直意柔軟」とあります。こういう信心になれば、次に出てくるのは「一心欲見仏」です。

 「一心欲見仏」ということは、即身成仏、即ち成仏ということはどういうことだろうな、と考えることです。これを「一心欲見仏」というのです。

 やさしくいえば、そうなったときに、「不自惜身命」の精神が出てきます。「不自惜身命」の精神というのは、先程いいましたごとく、慢心をすてて、この宗祖大聖人の御命に身を委(ゆだ)ねていくことです。

 ですから『寿量品』には「質直意柔軟・一心欲見仏」となっておるんです。この精神を身に体して、信心を貫くことを日蓮正宗の真の法華講衆というのです。その誉れある法華講衆としての名前をみなさん方はすでにいただき、又、やがていただこうとしておるんです。これからはそれだけの貫禄と責任と確信をもって、信心に一層励まれんことをお願い申し上げる次第でございます。

 そうじゃなければ、いつまでたっても、ああだ、こうだという次元の低い戦いに終始し、これでは本当の正信覚醒運動はできませんから、その辺のところをよくよく身に帯していただきたいと思います。

 さて、現況報告をするようにということでございますが、学会は、今どうなっておるのか、まあ「継命」等でみなさん方もう充分ご承知でございましょう。この四月二十一日に、我々代表と学会代表の野崎さんあたりと話し合いをしました。

 その時に先方より、「いよいよ創価学会を正すには、今の池田大作さんが会長をやめて、総講頭を辞任し、そして、会則をガラス張りにしなければならないという結論にいたった」といった主旨の話があり、さらに「そういうふうにしますから、よろしくお願いします」ということをうったえてこられたです。

 そこで「今までの謗法は非常にすごいもんであった。池田大作さんの謗法は、昭和五十一、二年度のあの謗法というものは、これは大変なことである。であるから、全学会員に、池田大作さんが、謗法というものに気付かれ、それに対しての責任でもって辞任するということを明確に末端まで教えていただきたい。そうすれば少しは、まあ、よくなるでしょう。」ということを私達はいいました。

 「変なやり方をすると、必ず、特に御婦人方は、池田会長がお一人で責任をとられたんだ。池田先生は、一段上(うえ)に登られて、大きく見守ってくださるんだ、というような見方しかしないから、このへんのところを充分よろしくお願いします」ということを私達は先方に念を押しました。

 すると「そのようにいたします。そこでお願いがあるんですけれども」といってきまして、「そういうふうにしますから、檀徒づくりというようなことは、このへんでやめていただきたい」と訴えてきました。

 我々は、べつに檀徒づくりをやっておるんじゃないんです。正信を説いて行けば自然に正信覚醒の人が増えてきただけです。それが、まあ、彼等にとってはそう見えるんでしょうねえ。

 さらにその時に、彼等のいうことには、もうみなさん、充分ご承知のことと思いますが、知らない人もいるからもう一回いっても別に毒にならないと思いますからいいますが、「学会の方で、監査会というものを設けて、檀徒さんが学会員のところへ折伏に行く、再折伏ですね、その時に、学会員がつまらないことで檀徒の方を中傷非難する、御法門以外のことでとやかく言う、そうなった場合に、学会の方でその学会員を呼び出して、これはあなたが違う、そういう中傷非難はやめなさいと言います。それでもその学会員がやめない場合は、信教は自由ですけれども、その人の学会の籍はぬきます。そこまでやりますから、檀徒づくりはやめてもらいたい」と言ってきました。

 なるほどそれはそれで一応の理屈はたちますから、「それならば、そこまでやるおつもりならば様子をみてみましょう。ということになったですね。それが四月二十一日のことです。

 これを四月二十七日の本部幹部会で発表する予定だったのが、何かの拍子でマスコミにもれて、四月二十四日に急遽(きゅうきょ)会長並に総講頭辞任が報道されたということでございます。そして、四月二十七日に、本部幹部会でその三つが実現した。

 さあそこで、学会は今まで非常に謗法を犯しましたけれども、「そこまで学会がやるんなら、五月三日の記念総会に出てあげよう」ということを前法主がおっしゃった。

 その総会にお出ましになられて前法主は、「ご存知のごとく、自分は、創価学会が宗教法人設立の時に立ち会った一人である。その学会を最も理解している一人である」と申された。今後もそうあって欲しいという学会員にとっては、誠にありがたいお言葉を拝し奉ったんです。

 そして、その学会員を学会員といいますか、学会の幹部を前法主は信用されまして、我々末寺の住職に対しても、院達を出されまして、「今後は、学会のことを云々(うんぬん)しないで、僧俗和合でやってもらいたい」というようなことを申されました。こりゃ、まさしくその通りにしなければならないことです。学会がそこまで改めるというんだから。そこで我々は見守っておりました。なおるだろうかと。

 しかし、まあ、大きい組織ですから、下の方はバラツキがたくさんありました。あったけれども、上の幹部はひとつ腹を決めてかかって貰い、坊さんは大きな気持ちでもっていけば、なんとかなるとみておったんです。

 そこで、五月二十一日に、また野崎さん達と東京のある所で会談をもちまして、「ちょうど、四月二十一日から一ヶ月がたちましたネ。どうだ、直す気はあるか」と迫りました。

「充分ございます。しかし、下の方(ほう)のバラツキが多くて、いろいろ各末寺から苦情がきておりますヨ。」との返答があった。「しかし本当に直す気があるんですね?あるならば、我々はそんなに、短兵急な、急いだ気持ちはもってないから、じっくり、あんまりじっくりでも困るけれども、とにかくやってもらいたい。そして、我々に対しても、日蓮正宗といいますか、我々僧侶に対しても、いろんな意見があったら、どしどし言ってもらいたい。そして、学会の方も、あなた方若い人達が、時代を担うんですから、本当に信心以前に男同志で話し合っていきましょう。そうすれば、本当に学会は直るかもしれない。

 正宗もまた、いい面も出てきて、僧俗和合ができるんでしょう。」というようなことを話し合って、なかなかいいムードでよかったなあ、学会もまんざら捨てたもんではないわいというような気持ちで帰ってきたんですネ。

 ところがどっこい、二十一日にそんな話をしたなあと思ったら、五月二十六日の本部幹部会で、北条さんと秋谷さんがとんでもないことをおっしゃった。

 一体、なんのために池田会長が辞めたんだかわからないことをおっしゃいましたネ。もうすでに聞いておると思いますから、全部は言いませんけれども、

  不肖私は、第三代会長・池田先生のすべてを継承するために、この立場に立った。も  とより私には、何のとり得も、何の力もないが、この精神だけは断じて貫いていく覚  悟である。池田先生が、今まで築いてこられた仏法を基調とする平和文化路線を、さ  らに大きく広げるために、今後も大きな活動をされるであろう。

 こう北条さんが言いましたネ。五月の本部幹部会で。

 そして、秋谷さんもお世辞を言いました。

  池田先生の、広宣流布への大情熱・大感情にふれて、初めて使命にふるいたったので  はないだろうか。この魂に刻んだ学会精神は、絶対にくずすことも、消し去ることも  できないと思う。と。

 こりゃあ一体何のために会長を辞めたんですか。池田会長のすべてを継承していくではとんでもないことです。なるほど池田さんの功績もあったでしょう。しかし、謗法があまり大きいから、その謗法を絶対二度と踏んではいけませんよ、ということを訴えに訴えて行くのが、新路線の使命の筈なんです。なにも直っておりません。

 こりゃもう学会は駄目だわいと、池田さんは、ずいぶん力が強いわいというところで、どしどしやって行こうということになり、六月十三日に、この問題をとりあげて、我々一致団結しまして、御講で訴えたです。そうすると、早速、彼等は本山の方へも軽率でございました、というように謝りにきたんですネ。

 さあ、そこで、七月七日に東京でまた我々と学会の代表が会談をもちました。この時は、秋谷さんとか、溝口さんが出てこられました。

 その時、私達は、この問題をとりあげ、「秋谷さん、ありゃ一体何ですか、ああいう言い方をするから、ご婦人方が『ほら見なさい、やっぱり、池田先生は一段上(うえ)に行かれたんだ』と言うんですよ。ああいう言いまわしはやめて下さい、お世辞を言うのはいいかげんにして下さい」と言ったんです。

 まあ、「そういうつもりで言ったんではございません」というようなことをその時に言ったんですね、言ったんですけど、やっぱりこれはまずいということになったんです。  そこで、「もうここまできたら、池田さんの体質そのものが、学会の体質だから、その池田さんを何とかするという本当の弟子といいますか、幹部が出て来なけりゃ学会は直りません。池田さんに対して辟易(へきえき)しているんじゃないですか」と言いましたところ、「いえ、そんなことはございません」と。まあ、そんなことはございませんというのは、決まっているけれども、しかし、なんとなくそんなような顔も見えたんです。  そこで、「池田さんを何とかしなさい、そうじゃなければ駄目だ」と言いましたところ、「まあ、なんとしても、大きい組織ですから、動きがとれないんです」とこう言うのです。「きめこまかくやっておるつもりだけれども、なかなか下の方には徹底しないんです。」と、こう言うから、「どんな大きい組織でも頭があるでしょう」と言ったんです。頭がないとしたら化け物です。「池田大作という立派な頭があるんだから、、その大作さんの首をこっちへ引っ張って曲げりゃ、みんな曲がっちゃうんです、いいほうに。それをあなたがたが、横から棒でチョッチョチョッとつっついているだけだから、なかなか直らないんですよ」と、こう言ったわけです。

 「本当に頭を曲げてしまうか、いい方へですよ。まずけりゃ大変なことになる。いい方へ向かうか、それとも、この頭を切る必要なら切ってしまって、新しい頭にするしかないんじゃございませんか」というようなことを言ったんですネ。

 「とにかく我々は一生懸命やりますから、よろしくお願いします」と七月七日に言ったから、そんならそれで、ということで見ておったが実に歯がゆい。向こうが先に言うくらいですから、向こうも(池田名誉会長の影響が強すぎて、思うように直して行けないことに)歯がゆい思いをされているんでしょう。向こうから言われたんだ、しかも、まさしくその通り。

 「まあ、とにかく早くやんなさい。どうも、池田さんは女々(めめ)しくていけない。戸田先生はなかなか荒っぽいこともあったけども、剛毅な人で、正しいことは正しい。ということを言う人ではございませんでしたか。あなた方弟子でしょう。少しは見習いなさい」と言ってやったです。しかし、やはり、ここにいられる堅持院さんなんかも、「あなた、なぜ、秋谷城永さんという名前をやめたんですか」と言ったところ、なんか変な顔をして、つまらないことを言い訳してましたけれども、そんなこと我々聞きに来たんではないから、そんなことはあまり聞きませんでしたけれども「まあ、まじめにやってくれ」と、こう言ったわけですネ。

 この会談が終わって、二・三日して、例の目黒会館のアレが出てきたんですね。池田さんは、昭和五十二年に、何とおっしゃいましたか。昭和五十二年の正月の挨拶で、

  寺院というものは、結婚式・御授戒・法事・儀式の場です。勘違いしちゃいけない。  我々が広宣流布だ。大聖人からこれを直結しているのです。形式は必要ございません。

 とおっしゃいましたネ。形式は必要ないで、そんなことやっていないのかと思ったら、もうその時すでに、これやってたんですネエ。

 目黒会館、これがまあ、四月十日頃にわかったんですけれども、やってるどころのさわぎじゃない。何でもいらっしゃいですなあ。こう書いてあるんですネエ。

  目黒会館、ワイドな活用に力を発揮いたします。パーティーに、クラス会、忘年会、  新年会、セミナーや記者会見等の会場にも、是非ご利用下さい。挙式、披露宴には、  どんな相談でも、誠意をもってお応えできるよう体制を整えてございます。

こうなっとります。信心している家なんてひと言も書いていないですヨ。

 そして、ここに、もったいなくも、この会館に下付された常住様が入っておるんですよ。それに、あまり詳しく話しても長くなりますけれども、なんかあとで学会の方(かた)に勝手に売っちゃったらしいですな。

 そりゃ売るのは勝手ですけれども、御本尊付きで売ったらしい。そして、御本尊付きで売ったけれども、やっていることは今迄と同じですワ。

 その会館長は、導師をして、変な巫女(みこ)さんみたいなのがいて、盃でこうやっておるんですよ。これが昭和五十二年の池田大作さんの口から言えますか、そんなこと。池田さんは「寺院というものは・・・儀式の場です。勘違いしちゃいけない云々」と言ったのですヨ。勘違いしちゃいません、こっちは。ここに書いてあるじゃありませんか、ここに。ワイドな活用・・・。今、訂正しようとしているときに、まだこういうことをやっておるんですよ。  この御本尊もどういうふうに納められたか知らないけれども、バレなきゃいいというのが、学会の体質、池田さんの体質です。

 これじゃもう自浄作用はないと思いまして、我々もこの時点において、これからどしどしやっていこうというふうに腹を決めたわけです。

 別に次元の低いことでやっているわけじゃあないんですよ。一人でも多くの学会員さんを助けてあげたい、日達上人猊下の御指南を拝して、訂正していくということなんです。それにもかかわらず、先日の日達上人の御密葬、御本葬にあたっては、地方によってはバラツキがあるんです。まあまあの線のところは、一般の末端会員さんもたくさん末寺にお参りがあったようです。別に香典が欲しいわけじゃないですよ。

 ところが徹底的にこれ(正信覚醒運動)をやっている所には、五人とか十人しかお参りに来ていないんです。檀徒の人が、六百人、七百人来ている所でも、山形とか、静岡、みなそうなんですよ。止(と)めさえしなければ、ま、とめさえしなければというのは、おかしな話だけれども、前の猊下の御威徳をしのび奉って、少なくとも百人や二百人位の人はどこの寺でも必ずお参りに来るはずですよ。

 それが、五人、十人しか来ないということは、止めてるとしか考えられない。

 日達上人猊下の御葬儀に対しても、こうであるとなってくれば、これはもう我慢できない。人間の情としてもあたりまえのことだ。まだこういうことが学会で行われているということは、まことにもって残念なことでございます。

 そして、ずっとその様子を探ってみますれば、なるほど、六・三〇、十一・七、五・三、この問題の激しいところには、まあまあ行っておこう。分からないところには、まあ、彼等のいう無風状態ネ、こういうところには、まあまあの線でやっていきゃあいんだというような指導も出ておるらしいです。

 こういう状態では、これはとても訂正できるというような状態ではない。

 また選挙も、もう近づきまして、今、いろいろと座談会等でやっておるけれども、ある副会長の話では、公明党に一票入れることが、やがては折伏となるんですよ、というようなことをおっしゃっておる。

 今こそ、池田先生の熱い視線を受けるときだと。どんな熱い視線か知らないけれども、時だということをまだほざいておるんです。

 我々、なにも公明党とか選挙のことを云々しておるんじゃないんです。公明党に票を入れることが折伏につながるということはあり得ません。

 そんなことをまだ言っておるんですから、もうこれは直らない。これからなおいっそう腹を決めて精進していかなければならない、と、こういうふうに思うわけでございます。 日顕上人にお目通りしまして、いろいろ御指導を賜っております、日蓮正宗は、絶対、御法主がおわしますかぎりは大丈夫です。

 みなさん方、安心なさって、また、本日よりなおいっそうのご精進をお願い申し上げる次第でございます。

 まあ、あとに講演がございますから、これくらいにして現況報告とさせていただきます。

  

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