第七回日蓮正宗全国法華講大会
現況報告 小田原教会主管 佐々木秀明師
再折伏は我等の責務末端会員は疲弊の極に
皆さんこんにちは。
一昨年は武道館で一万三千名結集した大会合、昨年は晴海で六千名の大会、本年はぐっと下りまして千三百名というところで、だんだんジリ貧になってきたんじゃないかと心配される方もおるんじゃないかと思いますが、そうではありませんから安心して下さい。
今、この運動もある程度は時間がかかるであろうというところで、しっかりと地に足をつけた運動をしていかないといけないと思います。その意味で、年に一回大勢集めて花火を打ち上げるような大会よりも、各地でブロック別の大会を開いて運動の状況をきめ細かくお話しして、よく理解していただいた方がいい、ということで代表の意味の大会となったわけですので、よく承知してもらいたいと思います。
北条報告書で居直る創価学会
先ほどの「開会の辞」で発表されましたように、昨年十月の宗祖第七百遠忌の際に「半年間で五千世帯の折伏を達成しよう」との活動方針を打ち出し、十一月から今年の四月まで折伏にまい進した結果、目標を大きく上回り六千四百世帯達成できました。(拍手) やればできるし、まだまだ真実を知らない学会員がたくさんいますので、今後もひきつづき再折伏にまい進していきたいと思います。よろしく御願いします。
さて、宗門、学会による正信会弾圧も、一昨年の五名のひん斥、昨年二月の久保川法章尊師のひん斥、それから今年に入って、二月八日に十一名、四月五日に二十六名とたてつづけにひん斥処分され、合計四十三名に達しました。
檀徒の皆さんの中にも、また正信会の僧侶の中にも、まさか僧侶である阿部日顕師がここまで徹底して弾圧を加えてくるとは思っていなかった人もおられるでしょうが、運動を推進する我われとしては、阿部さんや池田さんならやりかねないと予想していましたので決してビビることはありません。
したがって今後も盤石な体制で臨んでゆくつもりですが、皆さんには、なお一層の支援と精進をお願いいたす次第です。
裁判の経過は、小見山弁護士のお話のとおりですが、先般の『継命』にも書かれた原島さんの裁判が新たに注目を浴び始めました。
わかりやすく説明しますと、原島さんが持ち出した北条報告書には、宗門と別れる、別れないという重要な内容が書かれており、出版社に売れば二千万円の情報価値があるのに、公表されてしまったので二千万円の損害を受けた。また、公表された結果、宗門に陳謝をせねばならないという精神的苦痛を受けたので慰謝料として二千万円、計四千万円を支払え、と学会は請求しているようです。
そこで原島さんが、そんなバカな話はない。といって提訴したのがこの裁判です。学会には反省のひとかけらもありません。
この北条報告書をもう一度読んでみますと、四十九年五月十日付の報告書には、
「九日の本山のお目りの際、猊下の話は大変ひどいものでした。これが猊下かと疑うほど、また信心そのものを疑いたくなるほどひどいものでした。(中略)感情的に思いこんでいるという所があり広布の上に重大障害となり、また宗門僧侶等の問題の一切の根源がここから出ていると感じました」
と書かれています。猊下がいるから広宣流布の邪魔になるといっているのです。
猊下が感情的になられたのにはわけがあります。前日の五月九日に北条さんは大奥にお目通りに行きました、その時に国際センターの問題が出まして―国際センターというのは正宗と学会の上に作る組織で。結局はこれで宗門を牛耳ろうというのが学会の考えであり、そこにミニスターという在家でありながら僧侶の役目をも兼ねる役職を置き、学会会長が任命する、といった機構が企画されていました―、猊下に認可を迫ったのです。そこで猊下は、これでは正宗の教義と違うので、学会で勝手にやってくださいと仰せられたのですが、そのお言葉に対して「猊下の信心を疑う」と非難したのが、この報告書です。
“謗法呵責は心ない行為”
阿部師“池田本仏”隠蔽に加担
学会とゆ着する阿部師の二枚舌
もう一つは、四十九年六月十八日付の北条報告書です。そこには、
「長期的に見れば、うまくわかれる以外にはないと思う。本質は、カソリックとプロテスタントのような違いである」
と記されており、その通りに独立路線を徹底したのが、あの五十二年の一連の謗法路線でした。
残念ながら、この北条報告書は日達上人の御遷化後、五十四年の十一月頃に我われの手に入ったのです。そこで、私も宗会議員の末席に列なっていましたので、十一月二十八日の臨時宗会で藤本総監に「日達上人はこのことをご存知なくして御遷化になられた。あなたは弟子として、どのようにお考えになっているのか」と質問しました。すると、藤本総監は「昨日北条さんが謝りに来て、猊下も許された。日顕上人に信伏随従するのが自分たちの立場だから、その線で行きたい」と答えました。
こんな人を相手にしてそれ以上話をしても仕方がないのでやめましたが、ともかく学会は謝ったといったわけです。
ところがどうですか、原島さんの裁判で明らかなように、学会は全然反省などしていないではありませんか。むしろ居直っています。阿部宗務院と学会のゆ着は歴然としています。
それを裏づけるかのような内部資料が最近公表されました。五十一年六月二十日付で池田さんに提出された山崎報告書がそれです。
そこには次のように記されています。
「阿部教学部長より電話がありました。(中略)かなり末端の人まで、本仏云々ということがありますので、よく指導して下さい、とのことでした。(中略)私としては、とにかく宗門と学会が僧俗一致して進む意外に前途はないと確信しています。そのために、いざというときには地位も何もなげ打っても良いと決心しています。ただ法義の問題だけは大義名分ですので、何分慎重におねがいしたい。心ない僧侶にさわぐ口実を与えないよう、よろしくお願い申し上げます。とのことでした」
要するに、阿部さんから山崎さんにかかってきた電話の内容の報告書ですが、ここで、すでにはっきりと「本仏云々」いってるわけです。しかもその誤りを呵責する心ある僧侶のことを「心ない僧侶」といっているのですから、阿部さんはまことに不信心であります。
これらの学会の謗法問題については、五十三年の一月十九日に我われ代表が日達上人にお目通りをたまわった際に「もう学会はダメじゃありませんか」といいましたところ、日達上人も「本当に困ったものだ。これから先どんなことになっても頑張っていかなきゃしょうがないな」と仰せられ、早瀬総監(当時)と阿部教学部長(当時)と話すようにいわれました。
我われは、このご両人の正体を大体知っていましたのでムダだとは思いつつも、一応お会いしました。その時、我われは「学会の方では“池田本仏”だといっている。なんとかキチッとしてもらいたい」と申し入れたのですが、阿部さんは「そういうことをよくいう坊さんがいるんだ。そこで学会に確かめたらそんなことはないといわれ、恥をかいたんだ。坊さんは嘘いって困る」といったわけです。
これは、もうどうにもならない食わせ者だと思いましたけれども「それならば、もし『本仏云々』なんていいだしたらどうしますか」と再度質問したところ、阿部さんいわく「そこまでいえば、君、いわずもがなだよ」と。前に報告書で反対のことをいっているくせに、平気で嘘をいったのです。これらは、皆暴露されてきています。
策動する池田氏の滑稽な発言
ところで学会の情況ですが、池田さんは、日達上人に「絶対院政は敷かない」と約束して名誉総講頭になったにもかかわらず、平然と反古(ほご)にし、表面に出たくてしょうがないようです。
今年の二月八日、茨城文化会館で記念幹部会が行われましたがその折り、池田さんは次のように話しました―
「水戸といえば水戸黄門、私は昭和五十四年、会長を勇退し、広布の水戸黄門になるつもりであった」
と。「水戸といえば水戸黄門」ですって!ずいぶんと脂(あぶら)ぎった水戸黄門ではありませんか。日の当らない人を助けてあげよう、というのが講談に出てくる水戸黄門です。ところが池田さんはどうですか。会員をだましてせっせと金を集め、自分のボロ隠しにやっきになっているではありませんか。まことにお笑い草です。
また、つづけて次のようにもいっています―
「しかし、この世の使命は厳しく、北条前会長はなくなり、日増しに様々な非難と迫害が重なり、御宗門ももっとも重大な段階に入り、秋谷新会長もまだ新しい。どうしても私が、すべてを守り支えていかねばならない運命に再びなってしまった」
「なってしまった」んではないのです。自分が積極的になろうとしているにすぎないではありませんか。しかも「秋谷会長もまだ新しい」とはあきれはてます。秋谷さんも五十二歳で、池田さんといくつも違わないのです。幼稚園ではあるまいに、全くお粗末です。
ところが、我われがあちこちの会合でそのことを批判すると、一月後の三月十六日には、逆に「私も一歩退いた立場ではあるが」と後退した発言をする始末。モグラみたいに、出たり入ったりで忙しそうですね。(笑)
さらに、池田さんは次のようにいっています―
「私を攻撃する中傷非難の脅しには、私は恐れない。黒い陰謀のすべてが明確になることを知っているからだ。諸君にも苦労をさせている。しかし、私のいる間に、もっと苦労を味あわせておきたいのだ」
ひどい人が「師匠」になりました。自分がさんざんスキャンダルをまきちらしておいて、会員に「もっと苦労を味あわせておきたい」とは!
このように、前に出たり隠れたりして様子をうかがっているのが池田さんの現状です。
財務に狂奔する学会
ここで現証ということについてふれておきます。
皆さん方はかつて“利益・罰”論専門でしたが、阿部さんもこれにならって、現証は、創価学会がたくさんの折伏をした結果であり、それが何といっても一番だ、といっています。
しかし、大聖人が仰せの現証はそうではありません。善い現証と悪い現証の両方があり、道理、文証が正しければ善い現証が、間違ったものであれば悪い現証が出ると、きびしくいわれています。
その現証をみても、師匠が師匠なら弟子も弟子で、あちこちで学会員の犯罪や事故が起きているのです。まるで新聞の三面記事が学会員のためにあるようにすら思えます。それほど学会員は今。疲弊しているのです。
とはいえ、そのような同志があって皆さんも御本尊に縁することができたのは事実なのですから、一人でも多くの会員を折伏し、正信に目覚めさせてあげることが大切です。
ところで、まもなく七月には学会は恒例の財務を行ないますが、相当困っているようです。今までは一世帯一口一万円だったそうですが、昨今は一世帯何口でもいい多ければいいという指導を流し、猛烈に金を集めるそうです。それもみな、池田さん個人のぜい沢のために浪費されるのですから、一般会員はほんとうにお気の毒としかいいようがありません。
無慚無愧顕わな藤本総監の証言
五月六日の東京地方裁判所で妙真寺の裁判が行なわれ、藤本総監が証人として出廷しました。この日、こちらに弁護士による反対尋問が総監に対してなされましたがそこでこんなことがありました。
四十八年十月十四日の正本堂建立一周年法要の際、池田会長(当時)は日達上人に対して「今まで学会は本山に非常に尽した。今、学会は困っているので、十億円出しなさい」とどなりつけたのですが、その時、藤本さんも日達上人のおそばにいたわけです。
その件に関して、こちらの弁護士が、「その時に日達上人は大変恥をかかれたけれども、あなたはどう感じましたか」と質問したところ、総監は、「私はどなられたとは思いません。ただ普通よりちょっと声が大きかったかもしれない」と答えたのです。
ところが、先ほどお話ししたとおり、四十九年の五月九日、北条さんが本山に来た時、日達上人は北条さんに向かって「会長から皆の前で怒鳴られても我慢している。一宗の管長が公衆の面前で怒鳴られて、それで一宗の管長と云えるか(学会は)まるで暴力団か。小僧っ子を怒ったような―私は我慢している」といわれたのです。それを藤本さんは自分のメモに残しています。師匠がそういうふうに恥をかいているのに、一番弟子の藤本さんは、そうじゃない、といっているわけです。学会べったりではありませんか。
そのような人が阿部さんのもとで総監をつとめているのですからどんな行政になるか火をみるよりも明らかです。だから、我われも肚(はら)を決めて、今後も精進していかねばなりません。
中には、慢心を起こしてフラフラしている人もあるようですが、今はそういう時ではありません。皆さん方の成仏は自分自身の信心によって決まるのですから、正道を踏み外すことなく自分の精進あるのみ、ということを自覚せられて本日を契機に、なお一層頑張っていただきたいと思います。(拍手)