第十六回日蓮正宗法華講全国大会
正信会議長指導 渡辺廣済御尊師
若葉が大変美しく輝く本日、その若葉よりも更に輝かしいお顔で全国の法華講代表の皆様がここ宮崎市民会館に集われ、第十六回日蓮正宗法華講全国大会が盛大に開催されましたことを、まずもってお祝い申し上げます。
全国法華講代表者の皆様、本日は誠におめでとうございます。
同床異夢から目覚めた阿部・池田のご両人昨年の大会は、大石寺開山七百年を寿ぎ奉るということから静岡市市民文化会館で開催されました。その第十五回全国大会で、私は皆様方にこのように申し上げた。
「あと残るのは十月に予定されている、あの客殿前の「鶴の広場」での文化祭ですが、おそらくこの日は、阿部師・池田氏のご両人が、同じ床の中で違った夢を見る、同床異夢からクシャミと共に覚める日となることであろうと思います」と。
言ってる本人も「こんなこと言っちゃって大丈夫かなあ」と多少の不安はありましたけれども、聞いているお坊さんも皆様方も「あの仲良しが、そんなことあるわけない。議長もちょっと言い過ぎじゃないか」と思った人もいると思う。
ところが「クシャミ」どころか、あれから一年後の現在、両方とも頭から湯気を出してケンカしています。
そのせいでしょうか、今日お集まりの僧侶方も御信者の皆様方も昨年とは顔つきが違います。これまでにはないほど明るいお顔で集まっていらっしゃる。そして自信に満ちた姿をされております。「見ろ、私達は正しかったんだ」と皆様方のそれぞれが「富士の本流」っていう感じが五体から溢れております。同じ顔ぶれでも去年とこんなに違うものか。
まぁ仏法は厳しい、というのが私の実感でございますが、誰人であろうと仏法を破れば必ずその報いというものがある。「悪因あれば、悪果あり、善因あれば善果あり」、これが因果というものでございます。
従って私達正信会の僧俗は、現在の宗門、また創価学会の姿を反面教師として学んでいくことが大切であると思います。
「謗法厳誡」の精神をさらに磨いて、正しい仏法を正しく信ずるという正信覚醒運動の原点を決して忘れぬことを、本日ここに僧俗で改めて誓い合おうではありませんか。(大拍手)
さて、宗門と創価学会に関する現況は先程来、副議長はじめ皆様方が縷々申されまして、良く皆様方も御理解頂いたと思います。
私は宗門と学会が何故こうなったか、そして日蓮正宗をここまで駄目にした責任は誰にあるのか、さらには、では私達正信会僧俗は今後どうあるべきか、について申し上げてまいりたいと思います。
まず、今回の騒動の本質はいったい何であるかということですが、これは簡単です。
一言で結論すれば謗法と、謗法与同に対する仏罰である。これを罰といわずに他に表現のしようはありません。
創価学会、なかんずく池田大作氏の犯してきた数々の数えきれぬほどの仏法破壊の事実は、今さらここでこと新たに申し上げるまでもございません。また、その謗法を謗法と知りながら擁護してきた阿部宗門の姿も皆様良くご存知の通りであります。今回の騒ぎは、間違いなく仏罰である。大聖人のお怒りであり、御開山上人のお憤りでございます。
ここに至るまでの阿部宗門と創価学会の姿を思い出していただきたい。
昭和五十五年一月二十六日、総本山大講堂での第四回全国檀徒大会で阿部日顕師は私達に「少なくとも日蓮正宗の僧侶と名乗り、日蓮正宗の信徒と称するなら、私の意を受けて具体的に行政上実施している宗務院の方針に従っていくことが肝要であります。もしこれを踏み外して従わないならば、それは法主・管長としての私を否定することであり、正宗の正しい信心の在り方から完全に逸脱するものと言わなくてはならない。それは、私の統率する宗団の外へ出てからやってもらいたいのであります」、こう言いきった。
すなわち、創価学会は反省している、私は創価学会と共に行く、それが気に入らないならば、気に入らない奴は出て行け、こう言明したのであります。これが阿部師が第六十七世を自分で名乗ってから最初の意志表示であった。
それ以来、阿部日顕師は自称法主・管長の権威と権力で、私達を迫害するかたわら、池田学会を庇いに庇った。代表的なものを二、三示しますと、「学会の方針や指導には行き過ぎがあったと言えます。しかしそれは広宣流布という大聖人御遺命の実現を念願する余りの事であり、根本的な悪意による逸脱はなかったと信ずるのであります。」(昭五十五・四・六)
そして池田大作氏の「恩師の二十三回忌に思う」という所感を取り上げまして、「私はこれを誠に誠意と勇気に充ちた、また深い信心を根本とする仏祖三宝への懺悔と受け止めるものであります。(中略)将来の世界に渉る広宣流布の為、大いに必要な団体であり、人物であると私は信ずるのであります」、(同右)こう言い切りました。
その後は、それまで一応は遠慮気味にも思えた態度がすっかり影をひそめ、大胆と言うよりむしろ居直った感じで、
「法主の教導に背いて学会を謗ることは、その所為こそ誤りであり、法主の教導に逆らう者は僧にあれ、俗にあれ非法の衆である」(昭五十五・六・十六)
「本年のこの新しい発足の時に当たりまして、創価学会の池田名誉会長を本年の一月二日に、法華講総講頭として任命をいたしました」(昭五十九・一・四)
等々と池田大作氏を擁護いたしまして、持ち上げ、へつらった発言は枚挙に暇がない。今年の「大白蓮華」新年号でも、
「まことに不思議なる団体創価学会が、仏勅の精神に基づき、時代時代に適合する妙法の柔軟性を持って、法のため、民衆のため、世界平和貢献のため、いよいよ活動されることを祈る次第であります。」
と言っている。
これだけ言われりゃあ池田さんも「慢心を起こすな」という方が無理です。自称とは申せ、日蓮正宗の猊下のお墨つきをもらった池田大作氏はハシャギにハシャイでのしたい放題。これはむしろ当然かも知れない。私は今回の騒ぎを見ながらこう思っております。
創価学会は日蓮正宗とは別の異流義集団
池田大作氏をはじめとする創価学会の大部分の人々は、本当に自分たちが謗法を犯し、大聖人の教義に違背していることを知らないのではなかろうか。いや、むしろ大聖人の教えなどというものは、自分達の組織の運営と池田大作氏にとって、都合の良いように使っていくのが正しいあり方なんだ、こう確信しているのではなかろうか。
いわば、日蓮正宗の信徒を名乗ってはいるが、その実体は、日蓮正宗とは全く別の信仰団体であり異流義の集団である。日蓮正宗の名を騙る盗人以外の何者でもない。これに対して阿部宗門は、創価学会が法盗人であることを承知しながら、自己の欲望を満たすため、煽てたりは宥めたりしてその上前をはねてきた。そのツケが回ってきた。そう考えるのが一番分かりやすいと私は思っております。
阿部師は速やかに創価学会を切れ
正信会僧俗に謝罪し責任をとれ
創価学会という団体はもともと日蓮正宗ではない異流義である。今回の問題も彼等は自分達の信ずる創価路線を、マジメに忠実に実行しようとしているだけで、自分達の理想に忠実であればあるほどその分だけ日蓮正宗から離れていくことになる。
その異流義である池田大作氏と結託するために、阿部日顕師は身内である正信会の僧俗を切り捨てた。
つい最近になって、「池田という奴が、ここまで悪い奴だとは思わなかった。」こう阿部日顕さんが漏らしたと言われておりますが、池田大作さんも、創価学会も、最近になって悪くなったんじゃない。ずっと同じなんだ。ただ阿部さんの見方が変わっただけだ。
これはちょうど二日酔いで苦しんでいる人が「ああ悪い酒飲んだな」と、二日酔いを酒のせいにしているのと同じ。酒の方から決して口の中へ入ってこないんです。口を開け、たらふく飲んだのは自分なんです。池田創価学会を傲慢だ、不遜だと語る前に、傲慢に、かつ不遜にさせたのは自分の側にも大きな責任があったのだと反省してこそ僧侶であると言える。
正信会に対する処分を直ちに撤回せよ
今さら阿部師がどう言おうと、正しいことを主張していた正信会僧俗を宗外に放り出したことは事実です。「創価の酒」、悪い酒に酔っていたことは間違いない。
その酒から醒めて、今、阿部日顕師をはじめとする宗門は、二日酔いの頭痛、吐き気、これで苦しみながらも、なんとか池田大作という大悪の権化と戦い、できることなら宗外へ追放しようとしている。何はともあれ、そのことを決心されたという、この点においては一応の評価を申し上げておきたい。
しかし、「池田を責め、池田と戦っているから」で、全てが帳消しになるものではないと私は思います。宗門を混乱させ、異流義であり法盗人である池田大作氏の肩をもち、もともとは身内である正信会の僧俗を弾圧し、宗外に追放したというご自分の罪はどうなるのか。ここをはっきりしていただきたいと思う。どう贔屓めに見ても、阿部師のこれまでに為してきた行為は池田氏と同罪である。
池田大作氏を邪と断じて切るのであれば、ご自身も身を処すべきである。
昨年三月十一日僧俗五百名で抗議登山を敢行いたしましたが、その際、正信会として、 一,阿部日顕師は恥を知り貫主の詐称を止め即刻辞職せよ
一,池田大作氏の総講頭職を解任せよ
一,富士の伝統法門を改変することなかれ
この三ヵ条を示した上で、
「もし我等の忠言を軽しと侮るならば、必ずや仏天の御罰を被るであろう。正信会の僧俗は貴殿らの破法を決して黙過しない」
とご忠告申し上げたことは皆様もご記憶であると思います。
池田創価学会が邪悪であると分かったのでありますから、阿部師はまず、池田大作氏はもとより、創価学会そのものを日蓮正宗から切り離すのが当然である。正しいことを訴え、叫んでいた正信会僧俗を切ったのでありますから、創価学会という謗法集団に対してこれができぬわけはない。
阿部師よ、まず学会を切れ!
その上で、正信会僧俗の正義を認めて謝罪せよ!
そして、ご自分で為した、我々に対する処分を撤回せよ!
男として、僧侶として、潔く我が身を処せ!
と私は強くこれを訴えるものであります。
阿部日顕師だけではない。今こそ日蓮正宗という宗門はこぞって総懺悔の時である。阿部師が池田創価学会を切ることを逡巡しているのであれば、宗内僧侶が阿部師を押し上げてでも、やるべきことをやるべきである。それでこそ、かつて針金宗と言われた宗門の僧侶であり、「腐っても鯛」との心意気を示してもらいたいと強く望むものであります。
私は決して驕って申し上げるのではない。いつかはこうなることは分かっていた。そして正信会はずっとそれを叫び続けてきました。混迷する現状を見るとき、混沌とした宗門と創価学会の姿を見ながら、「我等こそ富士の本流」との思いを強く感じ自負するところであります。
皆様、十年前、私達は阿部当局によって、信仰を否定され、宗外追放という理不尽きわまりない仕打ちを受けました。しかし、今日、それを振り返ってみれば、阿部師に弾圧された私達こそ大聖人の真の弟子檀那であり、仏様から、大聖人様から選ばれた真の仏子であるという誇りが強く涌き上がってくるのであります。
日蓮正宗に正信会あり、我等こそ富士の本流なり、と声を大にして叫ぶと共に、今回の問題を解決するのは「法門をもて邪正をただすべし、利根と通力とにはよるべからず」との御金言を仰ぎ、法の正邪を第一とする正信会でなくては、この問題を解決することはできないと自負するところであります。
そして、この誇りと自負心を折伏に向けていきましょう。今回の騒動で、信仰そのものに厭気がさして、せっかくの信心をすてて行く学会員がかなりおられると聞いております。もったいないと思います。残念であると思います。どうか正信の修行として、しっかり折伏に励んで行こうではありませんか。
折伏を行ずる上で決して忘れてならないのが、自己の信心の錬磨ということである。私達正信会の僧俗が正しかったという自信を持ち続けていっていただきたい。それが本日、皆様方の輝きとなって、だいぶ古い「若葉」の方もおられますけれども(爆笑)、まさに萌え出ずる若葉のようなお顔でお座りになってらっしゃる。
信心上のテーマを自らに課しさらに精進
五月の若葉が美しいのは、一枚一枚が光っております。私達も、光り輝くように自己の信心を磨いていかなければならない。
と言っても、折伏が苦手な人もいるでしょう。そういう苦手な人は、しっかりとお題目を唱える。一人でも多くの学会員が目覚めるように御本尊に祈りきっていく。それもできにくい人は、お寺に必ずお参りをする。御住職のお背中を通しながら大聖人様の御魂である御本尊にお題目を唱える。
それも駄目な人は(爆笑)勤行の時には必ず子供を一緒に座らせる。何か自分にできる一つのテーマを決めて行くことが大事ではないかと思います。
正信会のメイン・テーマである「弘通」を実践していく上から、皆様方一人一人が自分にできるテーマを心に決めて、あと残された半年あるわけですから、本年中はそのテーマにしっかりと我が身を合わせていこう。これが大事ではないかと思います。
今、日蓮正宗は、阿部師と池田氏によって世間のもの笑いのタネになっています。今日のような混乱が続けば続くほど、私達の先輩が血と汗で護ってきた大聖人の仏法に傷をつけることになる。
「宗門を、大聖人様の仏法を護る宗門として、たとえ小さくなろうとも、どうあろうともこれはまっすぐに切り抜いて行かなきゃならんという考えももっております」と叫ばれた御先師日達上人のお言葉を、阿部日顕師はこの際、思い出していただきたい。
池田大作氏に対して、宗門僧侶は連名で、近ごろ謝罪要求書を提出したと聞いております。池田氏に謝罪を求める前に、今の宗門僧侶は他にすべきことがある。人を責める前にまず自己をふり返っていただきたい。
日達上人御遷化遊ばされて十二年、今年は第十三回忌に当たります。この十二年の間の様々な出来事は、池田大作さん一人に押しつけて済む問題ではない。むしろ信徒を善導すべき立場にある僧侶の責任こそ大であると言えるのではなかろうかと思います。
しかるに阿部宗門の僧侶は、自己の責任を回避して、池田氏に謝罪要求書を突きつけたというならば、正しい僧俗を宗外へ追放し、日蓮正宗をここまで腐敗・堕落せしめた張本人、責任者である阿部日顕師に対し、今度は正信会僧俗が謝罪要求書を突き付けるべきであると私は考えております。
そして、さらにそれでも反省なき場合は、正信会の僧俗が轡をならべて私達の総本山であるべき大石寺へ乗り込んで行くぞと申し上げておきます。皆さんよろしいですね。(大拍手)
今回の大会を開催するに当たり、開会直前まで準備その他でご苦労をされた南九州を中心とする九州の僧俗の皆様に、正信会を代表して篤く篤く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
なお、来年は五月十八日、広島市で第十七回大会を開催することに決定をしております。中国地方の皆様、来年はまた大勢で押しかけますが、どうぞよろしくお願いいたします。 皆さん、今こそ正信会が総力で立ち上がる時です。頑張りましょう。(大拍手)