第十七回日蓮正宗法華講全国大会
正信会議長指導 渡辺広済師
本日、ここ広島の国際会議場におきまして、全国から駆けつけた正信会僧侶、そして千八百余名のご信徒の代表の皆様と共に盛大に第十七回日蓮正宗法華講全国大会が開催されましたことを、まずもってお祝い申し上げます。
全国の皆様、本日はおめでとうございます。
今回は、この大会が、世界平和と、核の廃絶の強い祈りの町、広島で開催されるということから、つい先ほど、正信会僧俗の代表によって原爆被災者はもちろん、太平洋戦争の犠牲者のすべての霊に対しまして、樒<しきみ>の献花を行ない、題目三唱をもって慰霊、追善供養を申し上げた次第であります。
また、この大会に来賓としてお招き申し上げました言語学の権威である斎藤襄治先生にも、共に献花に参加をしていただきましたことは、まことにありがたく、一同を代表して先生に篤く御礼を申し上げます。先生まことにありがとうございました。
また、今回のこの大会を記念して有志の皆様からお預かり致しました善意の浄財につきましては、現在、千人からの被災者がおられまして、今もっとも支援を必要とされておる広島県三次市へお伺い致しまして、私の手より三次市の福岡市長に直接お手渡しさせていただきました。さらに昨日、斎藤先生等のお立ち会いをいただきまして、原水爆禁止広島県協議会の代表者、広島大学名誉教授・森瀧先生に私よりお手渡しをさせていただいた次第でございます。このことをご報告申し上げます。皆様まことにありがとうございました。
核兵器はもちろんのこと、原子力というものは使う側の心によって、また、扱い方次第によってこの世に地獄を作ってしまいます。原子力発電ひとつ取り上げても種々の問題が出てきております。なかでも旧ソビエト連邦で起きましたチェルノブイリの原発事故は今なお、その悲惨な犠牲者が続出しておる現状でございます。核、原子力の恐ろしさを今更ながらこのチェルノブイリの事故をもって私は身をもって感じておる次第でございます。しかし、この恐ろしさは先ほども申し上げましたが、核や原子力そのものよりも、むしろ使う側の人間に問題があるのであって、使う側の倫理や使用法を導いていく人間の心を見つめ直すことこそ最も大切であると私は考えます。
つい先頃、日蓮正宗総本山大石寺の境内にピストルの発砲事件がございました。犯人はいまだに分かっておらないようでございます。まさか、お題目の五字、七字に挑戦したわけではありますまいが、七発もの銃弾が撃ち込まれたのでございます。
今回の発砲事件につきましてはその裏に、阿部宗門と池田創価学会の深刻な対立があり、その背景があったればこそと思うのは決して私だけではないと思います。
世界最高の仏法を旗印にして、大聖人以来の無二の正統性を誇示する大石寺境内での発砲事件を思う時、私たち正信会僧俗は大聖人、御開山上人のお嘆きはいかばかりかと考え、実に胸痛む思いが致します。この発砲事件にとどまらず、今回の紛争によって各地で暴力事件や裁判問題が枚挙に暇(いとま)がないほど連続して起こされております。立正安国論において真の安国、本当に国を安んずることをご教示遊ばされました日蓮大聖人の正統門流を自負する我が日蓮正宗が、今、日本国中の人々から嘲笑されるのみならず、危ない宗教との烙印を押されてしまったのであります。七百有余年間にわたりまして、御先師方、諸先輩が営々と築いてこられた日蓮正宗は、阿部日顕師、池田大作氏といった、たった二人の人間によって今まさに崩壊しようとしております。この時にあたり、私たちは「我等こそ富士の本流」というスローガンをしっかりと考え、そして受け止め、行動し、真実の大聖人の御心をまず私たちが堅持し、世に訴えて行かなければならぬと決意を改めて強く抱いておる昨今でございます。
阿部師と池田氏の争いは今後も続いていくでしょう。そして、宗門が創価学会を受け入れる日、創価学会が信徒団体として宗門に帰る日は永遠に来ないであろうと私は思っております。
そこで、彼等のしたことは、しばらく彼等の好きなようにさせておきまして、私たち正信会は、今これからどうすべきかを考えていく時がやって来たのではなかろうか、このように思います。
今回の宗門と学会の争いは、一言で申し上げるならば、権威と権力のぶつかり合いでございます。七百年の伝統をバックに法衣、袈裟を身にまとった阿部という権威と、数百万といわれる会員、さらに公明党という政党、創価大学等、これらを後ろ盾にした池田大作という人との権力が、その権威権力の双方を手にしたいという貪(むさぼ)りの心を抱いたがゆえに起きてきた紛争であります。したがって私たちも、正信覚醒運動とは全く異質のものであることを、まずもって皆様は認識しなければいけないと思います。権威者が権力を欲しがる、権力者が権威を手に入れようとする。この心で相対(あいたい)する限り、妥協はありませんし、和解も考えられません。権威者である阿部宗門は、僧侶が導師をつとめなければ死んだ人が成仏しないと権威をふりかざして学会員を脅しつつ、信者を獲得して権力をも握ろうとしております。対して権力者である池田学会は、僧の権威を徹底的に貶(けな)し、僧の姿など成仏とは関係ないと主張し、僧侶抜きでの葬式を断行しております。
そして、阿部師を「天魔」と言い出した。禅天魔の「天魔」ですね。そしてその「天魔」と呼ぶことによって権威を失墜させることにより、学会が権力と権威の両方を取ってしまおうと考えている。この図式ですから絶対に妥協はありません。したがって今回の紛争がもし解決することがあるとすれば、どちらかが完全に相手側の軍門に降(くだ)る時であります。宗門僧侶全員が学会の組織の中の一部門、僧侶部、僧侶課、葬式法事専門、こうなる。あるいは学会全体が羊の群れのようになって阿部宗門の坊さんの言うがままに従うか、そのどちらかしか、可能性はない。
私たちの覚醒運動と今回の欲ぼけ紛争は、すべて全く異質であると私が申し上げたのは、こういう理由があるからであります。
ある宗門側の僧侶が私に電話で言っておりました。「君等の時は下からの盛り上がり、若手僧侶の決起で運動が始まった。いわば地涌の菩薩である。ところが今回のケンカ騒ぎは誰もよく分からないうちに上の方で始まった。それで上からヤレッヤレッと号令がかかる。まさに天魔だよな」。これは作り話でもなんでもありません。
御先師日達上人は陰陽に私たちの運動を支持して下さいました。特に第二回全国檀徒大会にご出席をいただきまして、総本山大講堂での、
「僧侶たちが学会に対してその誤りを指摘して、そしてここに結束して皆様と共に檀徒を作って、日蓮正宗を護ろうとしているその誠意は、誠に日蓮正宗の精神を、広宣流布する為であるという深い赤誠であることを認めて貰いたいと思うのであります」
との日達上人のお言葉は、今でも私の耳の底にはっきりと残っております。
こうした日達上人のお心によって、私たちは錦の御旗を手にした時期がありました。猊下の権威を頂戴して、実に宗内僧侶の三分の二が何らかの形で覚醒運動に参画するという形になったのであります。
創価学会を追放する運動ではない、せっかく信心するなら、同じ信心をするのなら正しく信心しましょう、これが覚醒運動の基本であったわけです。ご信徒を宗外に追放してしまっては善導しようにも手だてはありません。虎を檻(おり)から放しておいて芸を仕込みにかかるようなものなのです。創価学会を良くする方法、どうしたらいいか、それが先ほど、近藤副議長のお話がございました、あの東京武道館において開催した第五回全国檀徒大会です。
日達上人が御遷化されて以来、遮二無二に池田創価学会を庇護する阿部執行部によるたび重なる嫌がらせ、中止命令、開催すれば処分する等との脅迫、そうしたものを払いのけて僧侶実に百八十七名、ご信者一万二千八百、この大結集をもって開催された第五回全国檀徒大会こそ、正信会僧俗が宗門という権威からの訣別の大会でありました。
日達上人の時代に正信会僧俗が後ろ盾として来た本山という権威を振り捨てて、裸となって、宗門という権威と創価学会という権力の二つを相手に闘わざるを得なくなったのは、この昭和五十五年八月二十四日の武道館での大会でございます。
この大会を機と致しまして、私たち正信会は素手で二つの強大な相手と仏法の上からだけでなく、世法の上からも闘わざるを得なくなっていったのであります。
遺誠、化儀抄等の指南に随う
乗り越えた権威主義的な血脈観
権威を捨てた以上、権威との闘いを覚悟しなければならないのは当然であります。そして、権威権力を相手にしていく上で私たちに残された道は「法の正邪」以外にありませんでした。
それと同時に、血脈観、謗法観、あるいは広宣流布観の見直しと確認の必要を迫られていったのであります。「猊下に背くことは謗法である」と主張していた私たちが、詐称とは言いながら第六十七世を名乗る阿部日顕師を糾弾せざるを得ない、この一見自己矛盾とも思われるハードルをクリアーすることができず、せっかくのご信者を置き去りにして転向していった裏切り僧侶もかなり出たのも本当でございます。
また、阿部日顕師に対して「あなたは本当に日達上人から選任された管長なのですか」という疑問を晴らすため、裁判に訴え「管長の地位確認訴訟」を起こしたことによりまして、最終的には二百名以上の僧侶とその僧侶を支持するご信者が日蓮正宗から追放されていったのであります。
誰がやっても良いことは良いことであり、悪いことは悪いこと。この当たり前と言えば当たり前のことに行き着くまで、かなりの苦悩があったということは、私たちも知らず知らずのうちに権威主義的血脈観に染められていたと言えるのかも知れません。
「日達上人は日達上人、日顕上人は日顕上人、時の猊下に従うことこそ正宗の信仰である」等という下劣な論法で納得する僧侶や信者が多かったことでも、私たちは反省しなければならない面がたくさんあると思います。昨日まで謗法であったことがトップが代わったその日から、謗法と言う方が謗法、こんな妙チキリンな話はございません。誰がやっても悪いことは悪いのです。昨日まで便所で隣り合わせて並んで小便していた男が、今日からは絶対に間違いを犯さぬ仏様と同じお方、そんなことがある筈はない。そうした私たちを支えて下さったのが、御開山日興上人の「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」との御遺誡であり、日有上人の「信と云ひ血脈と云ひ法水と云ふ事は同じ事なり」また「高祖已来の信心を違へざる時は我れ等が色心妙法蓮華経の色心なり、此信心が違ふ時は我等が色心凡夫なり、凡夫なるが故に即身成仏の血脈なるべからず」との化儀抄の御指南でございました。
こうした御先師方の御教示によって、私たちは一番苦しかった血脈観を乗り越えられたのでございます。成仏、不成仏は貫首が決めるものではない、大聖人の仰せのままに信心するか否かで決まるものであるということを、今日私たち一人ひとりがしっかりと掴むことができました。そして唯授一人の血脈という権威の象徴は、権力に対抗するための旗であって、信仰の上からの成仏・不成仏とは直接関係のないものであることも理解できたのであります。たとえ貫首であっても一人の凡夫僧であり、御本尊にお仕えすることにより成仏をさせていただくということであります。
釈尊は成仏のためには煩悩を捨てろ、消し去れと教えますが、我が宗祖日蓮大聖人は、煩悩は捨て去るものではない、煩悩を持ったまま正しく信心をし続ければ、必ず成仏できると教えられてございます。今、今回の一連の経緯を見ながら、私は現在宗門にいる大先輩の方々の姿を見るにつけ、「なるほど人間というものは、なかなか枯れないものだ」と、その欲深さにつくずく感心をした次第でございます。そして、大聖人の仏法でなくてはとても救われないということを実感をしております。まさに「生臭(なまぐさ)坊主の集団」が今の阿部宗門であります。
僧俗共に富士の立義を研鑽
自己を省みるは信仰者として当然
さて、こうしたことを踏まえた上で、これから私たちがどうあるべきかを考えたいと思います。
昨今の宗門・学会の状態を見て今こそ宗門に復帰すべきであるという人がある。「正信会は今こそ宗門に帰るべきだ」と主張する人がおられます。あるいは「創価学会を破門したのであるから宗門は謗法与同ではなくなった」と、こういうことを言われる人もおります。果たしてそうなのでしょうか。 私はそうは思いません。今回の騒動は、宗門、学会の双方共に自分たちの都合の良いようにしようという実にうす汚い考えが根本にあった。これは間違いない。先ほども申し上げましたが、権威が権力を得ようとし、権力も権威を掌中に納めようとした、その結果の争いであります。かつて宗門・学会が口汚く罵った正信会僧俗の主張を、そのまま焼き直して自分たちにとって好都合の部分だけを請け売りし、日達上人はもとより、日淳上人、日亨上人に至るまで逆戻りを致しまして、そのお言葉の中から都合の良いものを拾い上げまして、それを、しかもその一部分だけを宣伝して自己宣揚と相手への攻撃をお互いが繰り返しております。
学会のことはさて置きまして、宗門のことを申し上げましょう。池田創価学会を破門したのは事実です。これはこれで一応の評価はさせていただきましょう。しかしそれだけでは駄目なんです。何が駄目か、他の非を責めるのと同時に、自己を省みなくてはならないのは信仰者として当然のことであります。脱会者を求めて血眼になる以前に、なぜこんなことになったのかを反省しなくてはなりません。「十年以上前から学会はおかしいと思っていた」と阿部さんは言うんです。ならば、なぜその十年前に注意をしなかったのか。正信会が学会の謗法を指摘した時、なぜ耳を貸さなかったのかということであります。今、宗門がしなくてはならないのは創価学会を攻撃することよりも、まず宗門の全ての僧侶が本門戒壇の大御本尊の前に座して懺悔することから始まるのであると私は思うのであります。そして、正信会の僧俗に、我々に謝罪すべきである、このように思います。
正信会とて日蓮正宗の僧俗であります。お山を恋慕(れんぼ)しない者は一人とておりません。しかし、今のお山に何がありますか。ヒステリックに怒鳴りつけ、気に入らなければ切って捨てる。そんな自称管長が君臨しているだけ、また、そういうお粗末な人に諫言する側近もいないというのが現実の大石寺であります。いつの間にか貫首が大聖人と肩をならべてしまっている。その反省もなく、注意する人もいない。そんなお山へ帰るために、せっかく身に体して修行してきた本当の信心を曲げるわけにはいかない、と私は断言しておきます。
まずは阿部日顕師が御本尊に本当に懺悔し、正信会に謝罪することから、これからのことが始まっていく。ただしこれは、こちらから働きかけるのは筋が違います。出て行くのはいやだ、というのに追い出したのは向こうです。ガキの家出じゃありません。阿部日顕師は過去に間違いました。そして今でも間違っていると私は声を大にして断言致します。
私たちは今、何をなすべきか、それはたった一つです。本当の信心を磨き、一人ひとりが真実の大聖人の弟子になることを決意する他にありません。一言で言えば「立正」であります。大聖人のお心を学び、富士の立義を僧俗共にしっかりと研鑚し、阿部氏、池田氏が芽茶苦茶にしている大聖人の正統門流である日蓮正宗に、我が正信会あり、と胸を張って言い切れる僧俗に成長していくことこそ今、私たちがやらなければならないことであります。
原子爆弾の投下という地獄絵よりも悲惨な状況から今日の姿になってきた広島市を今朝しみじみと見ながら、私は大変に勇気づけられるものを感じました。
阿部・池田の御両名がどれだけ大聖人の仏法を汚しても、
「日蓮が慈悲広大ならば南妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目 をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ」
この大聖人の御金言を私たちが仰ぎ奉り、正しい信心を持続していく正信会ある限り、大聖人の仏法を厳護しきっていけると私は確信するものであります。
首を刎ねられようが、追放されようが私たちは、
「王地に生まれたれば身をば随へられたてまつるやうなりとも、心をば随へられたてまつるべからず」
との御金言をはっきりと仰せ出された大聖人の弟子檀那である。また皆様方は、南条殿、四条殿の末裔であります。
創価学会、というより池田大作という人を抱え込んだ時から我が宗門は、いずれこういうことを解決しなくてはならないという大きな荷物を背負ってきたのであります。そして今、正念場を迎えました。さあ、日蓮正宗に正信会ありとの誇りを胸に、堂々と前進して行こうではありませんか。
最後に、今大会の開催に当たり、種々御苦労をおかけ致しました中国教区の僧俗の皆様に、一同を代表して心より御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
さて、明年は五月二十三日、東北青森におきまして、第十八回の大会を開催致します。東北地方の皆様にお願い致します。来年はまた大勢で押しかけますが、何卒よろしくお願い致します。