第十八回日蓮正宗法華講全国大会

 
       正信会議長指導   渡辺広済師

   正信僧俗の進むべき道

  十六年目を数える覚醒運動

  宗門と学会の紛争は仏法破壊の現罰

  試練を乗り越えさらに前進しょう

本日、ここ青森に全国より正信会僧俗の代表が集いまして、第十八回日蓮正宗法華講全国大会が盛大に開催せられましたことを、まずもって共々に祝いたいと思います。

 皆さま、本日はおめでとうございます。

 私達の覚醒運動は今年で十六年目を数えるに至りました。その間の出来事を振り返るに、実に悲喜こもごも、さまざまなことがございました。裁判問題でも当初は八件連続敗訴という厳しい状況に置かれまして、なかでも土浦地裁では仮執行宣言まで付くという、およそ常識では考えられないような危険な判決まで出される始末でございました。また、東京地裁での妙真寺判決も、執行官と執行停止の命令書の到着とが秒単位で競争、まさに薄氷を踏むがごとき危ない思いをしたことも昨日の出来事のように思い出します。

油断できない最高裁の判決

その後は、御本尊様のご加護と正信会弁護団の小見山先生をはじめとする諸先生方のご尽力によりまして、裁判所もようやく事の重大性を認識するようになり、高裁の段階におきましての全国的な考え方は、裁判所という国家権力が宗教上の紛争に介入すべきではないという見解に立ち、正信会と宗門双方に対し裁判所への訴えを却下するという、いわゆる双方却下判決が現在続いております。

しかし、ただいま近藤副議長の話の中にもありましたように、日本は三審制ということですので、最高裁判所の判決が出されるまでは、今後何が起こるかは分かりません。決して油断はできないということを皆さま方は腹の中に入れておいていただきたいと思います。もちろん、現在の却下判決でも敗訴よりずっとましではありますが、この判決では最終的な決着がつきませんことは、申すまでもございません。ご住職に万が一のことがあれば、お寺を引き上げねばならないというのが現実でございます。北海道釧路の山本量道師、長崎の小谷光道師、西宮甲子園の岩瀬正山師、北海道芦別の小野寺峰道師、また、最近では御殿場の大塚報道師、そして福岡・行橋の吉塚慈行師が逝去されました。各ご住職方の逝去に伴いまして、ご住職のご家族は住む場所を、そのお寺に所属されておるご信者は信心修行の道場を失うという悲しい現実が私達の目の前で起きているのでございます。

こうした中にあって、釧路は正興院、芦別は峰光院、西宮は正蓮院、長崎は一信寺、さらに御殿場では持妙院という新たな寺院、布教所を開設いたしまして、新住職、主管のもと、地元ご信者の篤い信心をもって覚醒運動が従来にもまして元気に行われておりますことは、私どもにとって何よりも嬉しいことであります。ご住職の逝去と道場を失うという二つの悲しみを乗り越えてがんばっておられる方々に、私たち一同、衷心より敬意を表するものであります。皆さん、がんばってください。

現状においてはこうした形でしか法を護ることはできませんが、何とか今後はこうした問題をクリアーしていきたいと思っております。また、この他に当初覚醒運動に加わっている中から脱落していった僧侶もおります。当然のことながらご信者は置き去りにされたわけでございます。しかし僧侶に裏切られながら、それでも正信の灯火を消してはならぬとの思いから、地元のご信者と正信会が協力して開設した寺院・布教所はすでに二十七箇所を数えております。そして、みんな元気に信心活動に励んでいることは、すでに皆さまのよくご存じの通りであります。こうした厳しい環境の中で奮闘されておる方々にも、心よりご苦労様と申し上げておきます。

このような正信会の姿を横目で見た大石寺の阿部日顕師は、

 「正信会でさえ布教所を出してやっているではないか。われわれに出来ないはずがない」と,

さかんに若手僧侶に檄(げき)を飛ばして布教所の設立を急いでおります。宗門が布教所を作ろうが、倉庫やガレージを作ろうが、それは勝手でございますが「正信会でさえ」というのが気に入りません。「でさえ」とは何事か、無礼者!

「やれるものならやってごらんなさい」私はこう申し上げたい。

 大聖人の仏法を厳護しょうと訴える正信の僧俗を追い出し、悪いと知りつつ、欲のために創価学会と偽りの和合をし、血脈相承の有無を疑いながらも保身のために阿部日顕師を担いだ腰抜けどもに、布教所でやり抜くバイタリティーなどあるわけはない。やれるものならやってみろ、と私は申し上げておきます。

学会弁護士を雇う阿部宗門

さて、現今の宗門と創価学会のおよそ宗教者同士とは思えぬ低俗な争いにつきましては先ほど来お話もございましたので、省かせていただきますが、双方ともにあの手この手で傷つけ合い、罵(ののし)りあっております。すでに百件を越す裁判も起こされているようであります。まさに血みどろの争い、阿修羅と悪象の闘いそのものであります。

ところで、この闘いの最中にある阿部宗門のしていることで、どうしても私たち正信会に理解ができないことがある。それは、喧嘩相手の創価学会の弁護士をいまだにわれわれとの裁判に使っておるということであります。敵のスパイを金まで支払って雇っている阿部宗門の愚かさは、まさに異常と言うほかはない。学会の弁護士であれば、今の阿部宗門を困らせ苦しめることを最優先して事に当たるのが当然であります。もしも、阿部日顕師がそれを承知で雇っているとしたら、これはもう「なんともはや」としか言いようがありません。また、仮にこんな大事なことを阿部さんが知らなかったとすれば、これもまた「お粗末」という以外に表現の仕方を私は知りません。

伝え聞くところによれば、その学会の弁護士を使っていることを忠告した宗門の僧侶に対して、阿部師は「もう学会の弁護士は全部クビにした。何を今ごろ馬鹿なことを言っているんだ、お前は正信会にだまされているんだ。渡辺広済にだまされているんだ」、こう怒ったというんですね。これが事実とするならば、「馬鹿なことを言っている」のは阿部日顕師の方であります。側近の言うことを鵜(う)呑みにしているのでありましょうが、これではまず勝ち目はないし、阿部宗門も池田学会もお先が見えたと申せると思います。

 創価学会が戦後の混乱期に大発展した、このことは事実でありますが、それは創価学会として発展したのではありません。あくまで日蓮正宗という七百年の歴史を持つ宗門があっての発展であったことは間違いない。その宗門を離れて、世界創価宗だか、何とか宗か知りませんけれども、創価学会の発展などあるわけはないのです。どうしてこんな考えられないような寝ボケた話になるのか。それは宗門・創価学会の双方が大聖人の仏法を破壊したゆえに起きてきた現罰(げんばち)であると私は思います。阿部日顕師・池田大作氏、そのどちらも謗法である。それが原因であります。

こう言うと阿部宗門の方は、「以前はともかく、今は池田創価学会を攻めている。破門にもした。難も受けている。だから謗法ではない」

こう言う。ならば伺いたい。今阿部宗門が言う「池田大作は反省などしていない。

創価学会は自分達の都合の良いように大聖人の仏法を曲げている。だから破門にしたのだ」…これを考えますといつかどこかで聞いたようなことなんですね。

正信会の動きを探る者たち

これが、十年も前に私たち正信会の僧俗が叫んだことと一体どこが違うのか。「学会は反省している」と言いきったのは誰だったのか。そして、「創価学会を謗法と言う方が、謗法だ」と。こうまで言って創価学会を庇(かば)いに庇い、諂(へつらい)いに諂い、正信の僧俗を弾圧したのは一体誰だったのか。

 また、かたや創価学会は、「猊下であっても人間だ。頭が狂ってきたら間違うのは当然。今の大石寺は日蓮正宗ではない、日顕宗だ。阿部日顕は狂っている。ニセ法師だ。エロ坊主だ。法滅の妖怪だ」いくら私たち正信会の僧侶の元気がよいと言いましても、ここまで言うか。まさに悪口雑言、しかし、「猊下といえども間違いがあって当然」「法主本仏論は謗法だ」、さらに、表には出てきておりませんけれども口コミではすでに「日顕はご先師から相承を受けていない。勝手に自分で名乗っているだけの偽者だ」とさかんに流しております。

これも、いつかどこかで聞いたような話…。ま、目クソ鼻クソで、どっちもどっちですが、要するにずっと昔に私たちが主張していたことを双方が自分達の都合に合わせて怒鳴り合っているのに過ぎない。いわば正信会の焼き直しでございます。これは人並みの頭があれば誰でも分かることである。こんな状態ですから宗門側の僧侶はもとより、さまざまな人たちが情報を求め正信会の動きを探るために、私たちの周りをウロつきはじめております。

 「学会を攻める方法を教えてくれ」というお粗末な依頼から「何か良い資料があったら、送ってくれ」という問い合わせ、さらに、「今の猊下じゃ駄目だ。何とか正信会の力で猊座から引きずり下ろしてくれ」、こういう図々しい申し入れをしてくる阿部宗門の僧侶もおる。また、「宗門と仲直りしませんか」とか、「今、猊下は正信会を許してもよいと考えられています。一度話し合ってみる気はありませんか」などという“小さな親切、大きな迷惑”みたいな話をオタメゴカシに持ちかけてくる人もあります。この間もある人が見えて、「仲直りしなさい。私が間に立ちましょう」、こういってきたんです。で、今宗門が正信会を迎え入れることもないし、私たちも信念の上から今までの説を曲げるわけには行かない」という話をしたんですけれども、「じゃあ仮に、宗門が慰謝料を出すとして、どのくらい出したならば正信会は宗門の方と手を握っていただけますか」、こういったですね。

「仮にだよ。そうだなぁ、まぁ三億から五億…」

「あぁ、そうですか? そんなもんで考えていただけますか。じゃあ帰りましてさっそく話をしてみましょう。」

「ちょっと待った、全部でないよ。正信会一人に対してだ」

ま、何が何だか分かりません。こっちとしては見ているしか方法はない。ただ、今後事態が混乱してくるにしたがって、さまざまな憶測や流言蜚語(ひご)が飛びかうことになると思われます。

 そこで、私は今日、この大会の席上で、正信会は今後どうするのか、という点について全国の代表の皆さまに申し上げておきます。まずその第一点、今の宗門には正信会を戻す勇気はないし、復帰についての正式な働きかけ等もこれまで一度もない、ということであります。また、当然のことながら当方から働きかけたことなども一度もありません。これは、はっきりと申し上げておきます。私たち正信会の僧侶は、あるいはご信者の皆さま方は、陰で誰かが操っていようがいまいが、阿部日顕という人に、「宗門から出ていけ」「宗外に出ていけ」と言われたのは事実であります。

正攻法で権威や権力と闘う

万が一、現在、阿部日顕師が正信会の僧俗の力を必要と考えているのであるとしたならば、まず阿部師が己(おのれ)の不明を恥じて正式に謝罪すべきであると私は思う。「今なら猊下は許してくれます」…冗談じゃありません。まず阿部師が謝るんです。そして身の処し方を考えるんです。それを確認した上で「許す」か「許さぬ」かは私たちが決めることである。勘違いしてもらっては困ります。それに現時点においてはこちら側から話すことは何もありません。

 阿部宗門を含め、現在、正信会として顕正会あるいは他の団体と陰で話し合ったり連絡をとり合ったりしていることもまったくないことを本日この席で皆さまに申し上げておきます。

阿部宗門の一講中である妙観講などが推測と邪推でありもしないことをさもあったかのように宣伝していますが、正信会に裏はありません。下司(げす)の勘ぐりはやめてもらいたいと思います。あくまでも正攻法で堂々と正面から闘って来たがゆえに、正信会は宗門という権威と創価学会という権力に対して五分に闘ってこれたのであると私は確信しております。今後も、皆さまに内緒で裏で取引をしたり、お小遣いをいただいたりすることは絶対ありませんので、お約束いたします。

次に第二点めでありますが、阿部日顕師のやり方や現在の在り方に不満を抱いたり、あるいは自分の考え方やご都合によってお金が入らなくなった、これはつまらないというんで、自ら日蓮正宗を離れ出ていく「離脱僧」と称する人たちがおります。こういう人はこれからも増えていくでしょう。この人たちが創価学会、なかんずく池田大作氏に諂い、阿部宗門に対して毒づくことは勝手です。それはそれでお互いに言い分もありましょうから、大いにやり合っていただいてけっこう。

しかし、私たち正信会僧俗にに対して罵詈(ばり)雑言を浴びせてきたら、これは黙って見逃すわけにはいかない。正面から受けて立ちます。そして、法門、教義の上から徹底的に離脱僧に破折を加えていくことを、ここに宣言しておきます。離脱僧の皆さま方も、正信会に物申す時は腹をくくって言っていただきたい。つい先ごろまで、われわれに対して「唯受一人の血脈、その猊下に背く大謗法の輩」と毒づいていながら今になって「池田先生は宗門にとっての大功労者である」、こんなことをいって媚(こ)びておる、実に恥を知らない僧侶モドキの連中であると私は思います。

第三点、これは今さかんに行われている創価学会員による「脱講運動」でございますが、今回の宗・創紛争によりまして、創価学会を脱会して宗門の寺院についた学会員に対しまして、何かのツテを頼って昔のお友達や縁のあった学会員が再三訪れてくる。三、四名で団体を組みまして、押しかけてくるように聞いております。これにつきましても、宗門と学会がやり合うことに私たちは口をはさむ気はないし、どちらを応援しょうとも思わない。しかし何を考えているのか知りませんが、正信会のご信者にまでチョカイを出してきている連中がいると聞いております。これもまた、大きなお世話でございます。

池田氏に公場対決の要求も

ただし、ここまで余計なお世話をしていただいているのに、黙っているわけにはいかない。

そこで先ほどのお話ではございませんが、「創価学会の皆さんへ」という優しい呼びかけのパンフレットを継命の方で発刊をいたしました。とにかく皆さま方よくこれを読んでいただきたい。実際この脱講運動とやらで、学会員が言うことの程度の悪さには、こちらが呆れはてるばかりです。

 この間も、うちのご信者のところへ学会員がきて、さんざん阿部日顕師のことをこきおろすものだから、「この間まであなた方仲良くしてたんじゃないの」と言いましたら「いいえ、私たちは我慢してたんです。最初からあの人はおかしかった。池田先生も分かっていながら、あの方が変わるのを待っていたんです」、この程度なんです。しかし程度が悪いとうっちっゃておくと、しつこくやってくる。ちょうど今は五月です。五月の蠅(はえ)と書いてウルサイと読む。そこで、もし、今後も相変わらず当方に対して、正信会に対してチョッカイを出すのを止めないというのであるならば、いっそのこと、こちらから正式に創価学会に対して法論・公場対決を要求してまいる、このように思っております。

 正信会のどこが間違っているのか、正信会の何がいけないのか、これをわれわれの面前ではっきりと言ってもらいたい。その上でわれわれ正信会の言い分も聞いてもらいましょう。コソコソとネズミが縁の下から餌をねらうような薄汚い真似はやめて、堂々と法論で正邪を決するのが宗教者としての正しい在り方であると私は思います。先ほどの離脱僧と同様、学会の皆さまも正信会のご信者に物申す以上、腹をくくって申していただきたい。また池田大作さんにも法論を受けて立つぐらいの自信はあるんでしょう。また、運動を指示、指図している責任は池田大作氏にあると私は思う。

それがトップの責務であると、私は強く申し上げておくものであります。

かって、僧俗代表五百名で大石寺へ抗議登山に行った時、正信会は阿部日顕師に申し上げました。「もし、我等の忠言を軽しと侮るならば、必ず仏天の御罰を被るであろう」

平成二年三月十一日、三門前でのこの叫びを大聖人はご嘉納(かのう)下さいました。現今の阿部宗門と池田創価学会の為体(ていたらく)を見る時、これを仏罰と言わずば、何と申したら良いのでありましょうか。実に仏法の厳しさを心底より痛感するものであります。最初から充分に分かっていたこととは言いながら、覚醒運動が開始されてより十五年を経た今日、私たちが正しかったということが御仏智によって明白に証明されたのであります。

皆さま、本当におめでとうございます。もはや私たちには、何ひとつ恐れるものはありません。

勇気をもって折伏に立ち上がって行こうではありませんか。少ない人数であっても正義は正義であること、これは申すまでもありません。しかし、力のない正義は、在って無きに等しいものであります。また、宗門や創価学会のような正義なき権威、権力は単なる暴力に等しいものであると私は思います。大聖人は常に法の正邪によって権力と向かい合い、破邪顕正をもって権威に立ち向かっていかれました。

 「我等こそ富士の本流」を自負するわれわれであります。あくまでも、あくまでも法の正邪をもって大聖人の旗本たる誇りを堅持し、折伏に励んでいこうではありませんか。

来年は北近畿で大会を開催 私はじめ正信会僧侶は、この大会を機にさらに精進してまいります。もとより凡夫僧であれば、それぞれに欠点も過ちもあろうかと思います。しかし、ご信者の皆さま方の成仏を願い、真の幸せを祈る気持ちに偽りはございません。そして、大聖人の仏法を正しく信じ、護り抜く決意においては、われわれ正信会僧侶一同すべて同じ心でございます。  どうかその点をお認めくださり、本当の僧俗一致をもって広宣流布を目指してがんばっていきたいと思います。  さて、来年は第十九回大会となりますが、次回の大会は北近畿において開催をいたします。北近畿、とくに、京都におきましては「平安建都一二〇〇年」をお祝いいたしまして、盛大な催しものがあちこちで行なわれるようでございます。会場の確保も大変難しいかと思いますが、北近畿の皆さま、ひとつよろしくお願いいたします。  最後になりましたが、この第十八回全国大会開催に当たりまして、筆舌に尽くしがたいご苦労をおかけいたしました東北地方のご僧侶ならびにご信徒の皆さまに、一同を代表して篤く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。そして、ご苦労さまでした。        

     

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