第十九回日蓮正宗法華講全国大会
指導 正信会議長 渡辺広済師
悪は多けれども一善に勝つ事なし
富士日興門流の正道を歩もう
功績や権力によらず護法の赤誠を貫く
本日、平安遷都千二百年記念の年に当って賑やかに様々なイベントが行われておりますこの京都において、第十九回日蓮正宗法華講全国大会が盛大に開催されましたことを互いに喜び合いたいと思います。
皆様、本日はおめでとうございます。
先程来、副議長の挨拶、またご信徒代表による決意発表、そして、ただ今の現況報告によりまして、皆様には今後、正信会の進むべき道をしっかりと掌握なされたことと拝察申し上げます。
また、第一部では、正信会対阿部宗門、正信会対創価学会の相違をパネル問答をもって、分かりやすく説明していただきました。
混迷に混迷する日蓮正宗の中で正しいのは我が正信会のみであるという事を確信されたことと思います。今大会にご参加の皆様が、知りたいこと、あるいは確認しておきたいことの全てにわたってご理解をいただいたものと思っております。
時間もかなり経過してお疲れであろうとは思いますが、最後に私は信心のあり方につきまして少々申し上げたいと存じますれば、恐縮でございますが、しばらくの間、ご静聴下さいますよう、お願い申し上げます。
五一相対の原因
一,富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事
一,五人の立義一一に先師の御弘通に違する事
これはすでに皆様よくご存じの大石寺ご開山上人である第二祖日興上人の遺誡置文の第一条、第二条であります。日興上人がこの置文をお認(したた)めになりましたのが元弘三年でありますから、宗祖大聖人が御入滅遊ばされてから半世紀、五十一年後に当たります。大聖人の高弟六人を六老僧とお呼びすることは皆様もご承知の通りでありますけれども、その六人の中で日興上人ただお一人が大聖人のご法門を正しくご継承になられたことを明確にお示しの条目がこの二箇条に示されております。
五一の相対と呼ばれます、日興上人と他の五人のお弟子方との大聖人の仏法に対する考え方、受け止め方の相違は、すでに大聖人ご入滅直後から顕在化していたと察せられます。そして、その相違は年月を経るごとに大きくなり、ついには日興上人が、「五人の立義一一に先師の御弘通に違する事」と断言されるに至ったわけでございます。そしてその相違した根本原因は何かと考えるとき、この遺誡置文の第十条、
一,義道の落居(らっこ)無くして天台の学問す可からざる事
との条目がそれを示されていると思うのであります。すなわち大聖人直弟子の方々であっても、それぞれがご自分の考えや信念によって法門の受け止め方に相違を生じていたわけであります。「天台の学問す可からざる事」と申されているということは「義道の落居無くして」「天台の学問をいたした」者が存在しておったというふうに推察します。
ご開山上人がいかに厳格に大聖人の仏法をお護りになられたかは身延離山を考えれば誰でも理解出来ることでございます。大聖人が九ヶ年間お住まいになられ、ご自身が常随給仕を遊ばされた思い出多い身延の山をお捨てにならなければならなかった、そのご胸中を拝察申し上げるとき、私達は本当に涙がこみ上げるのを禁じ得ません。このご開山上人の身延離山は兄弟弟子であった民部日向師との信心に対する考え方の相違が原因であります。そして、さらにその相違はどこから起きてきたかと申すならば、当時の大檀那であり、地頭という権力を持っていた波木井実長の仏法違背、すなわち謗法を責めてその大檀那を失うか、ある程度は大目に見てその権力を後ろ盾にして大聖人の仏法を広めていくかという、二つの道の選び方の相違であったと言えます。
ご開山上人と私達を準(なぞ)らえるのは不敬千万とは承知いたしておりますが、あえて申し上げるならば、正信会と阿部日顕師との相違点は、まさにここにあったのであります。正信会をご開山上人、阿部日顕師を民部日向師、そして池田大作氏を波木井実長殿に置き換えてみるとよくお分かりになると思います。民部日向師と言えば私たちは師敵対のとんでもない僧侶だという思いが強いのでありますが、いやしくも大聖人の直弟子であられたお方であります。そうそう簡単に自ら進んで大聖人の法を曲げられようとなさったとは思えません。
日向師と同じ過ち
しかし、現実には日興上人を身延から離山させてしまうことになった。大聖人の法を護り、広める上で波木井殿を必要と考えたのが民部日向師であり、たとえ、どれだけ功績があり権力があっても、法を犯した者は呵責(かしゃく)していくべきであるとお考えになられたのが日興上人であったと申せると思います。
かって、阿部日顕師は池田大作氏を「広宣流布にとって必要な人物である」と公に発言し、ご先師日達上人が、ご苦労にご苦労を重ねられてやっと総講頭を外すことに成功され、創価学会を善導出来そうなところまで持ってこられたのを全てご破算にしてしまいました。そして、池田氏を擁護するために私たち正信会僧俗を宗門外に追放したのであります。まさに、その昔、民部日向師が波木井殿を必要として、ご開山上人を身延から追放したのと同じであります。身延を謗法の山と責める我が日蓮正宗の六十七世を名乗りながら、身延の民部日向師と全く同様の過ちを犯したのであります。
今にして思えば、そもそも日蓮正宗が創価学会を信徒団体として認め関わりをもったこと自体が誤りであったかも知れません。富士門と呼ばれ、日興門流と呼ばれていた小さな小さな宗門が、昭和の時代に創価学会と出会い、宗門は宗門の存続のため、学会は学会として大きくなるために宗門の歴史を必要として手を結んだ。もともと共存の出来ない両者であったと考えられます。しかし、現実は現実である。日昇上人、日淳上人、日達上人の時代を通じて日蓮正宗は確かに創価学会の恩恵を受けたことは間違いありません。また、今日この壇上に座っている正信会僧侶の多くの者は、その創価学会があって日蓮正宗に縁を持ち、僧侶になったことも事実であります。そして今、この会場にお越しのご信徒の皆様も、ほとんどが創価学会を通して日蓮正宗を知ることが出来たというのも間違いないのであります。さらに、私たちが、現在、修行の道場として大切にしている各寺院も、創価学会の寄進によるものが多いことも事実であります。しかし、こうした功績の裏側にあって常に「在家仏教」を目指す創価学会の基本理念に、ご先師方が私たちには分からないご苦労をなされたのも、また事実であります。
僧俗ともに応分の修行に励め
こうした過去があって今日、創価学会は日蓮正宗から破門され、「新興宗教・創価学会」として独自の道を歩まざるを得ない状態になりました。もし、創価学会なかりせば、正信覚醒運動もなかったでありましょう。大聖人が「相模守殿こそ善知識よ、平左衛門こそ提婆達多よ」と仰せになられたお心の万分の一ほど分かったような思いがいたします。
「堂社僧坊は仏法にあらず(中略)多人数も仏法にあらず」と仰せになった日有上人の御指南をしっかりと身に帯していかなければならないと改めて考えている昨今であります。「東洋広布」だ「世界広布」だと浮かれていた私たち僧侶も、反省すべきは反省し、今こそ真の日興門流に戻るため、僧侶は僧侶としての道を歩み、ご信者はご信者としての正道(しょうどう)を行く時であることを本日この大会で確認し合いたいと思います。池で泳ぐ鯉が餌と間違えてピンポン玉を飲み込んでしまったような過ちは、決して繰り返してはならないと自戒しております。
僧侶は僧侶として、ご信者はご信者として、それぞれその本分を全うしていく、これを僧俗一致と申します。しかし、言葉として知ってはいても、いざ実践となりますと、これはかなり難しいものです。私たち僧侶はご覧のように末法の凡夫が袈裟・衣(ころも)を纏(まと)って僧侶の姿をとっております。法衣を脱げば、姿・形はご信者である皆様と少しも変わりません。また、正信会の僧侶は、壇上をご覧いただければ分かるように、非常に個性的でございます。良く言えば個性的、普通の言葉で表現すればアクが強い。それはそれでしょうがない。なぜかと言えば、黙って流れに身を任せていこうとか、長い物には巻かれろという馬なりの僧侶は、全部宗門側に残ってしまっています。
阿部宗門の現状
阿部日顕師が「創価学会と仲良くやっていこう」と言えば「そうします」、「喧嘩するぞ」と言えば「それも仕方ありませんね」。「六万人の総登山をやるぞ」と言われれば、腹の中では「何を考えているんだろう」と思いつつも口には出さず「甚深の御意(ぎょい)による御指南」と諂(へつら)う、まさに烏合(うごう)の衆以外の何物でもありません。良く言えば素直、普通の言葉で表現すれば根性なし、です。
この七月に実施を試みている「法華講六万人総登山」、阿部日顕師が言い出したことですから誰も反対出来ない。しかしどう考えても人数が足りない。そこで学会員を折伏しようとするけれども、どうもうまくいかない。そこで、苦しまぎれに正信会のご信者に秋波(しゅうは)を送って、何とか頭数だけでも揃えようと苦労しているらしい。また、情けないことに、それに引っかかってしまうご信者もおられるそうであります。「正信会もいずれ猊下に謝って本山に帰ってくる」とか「今、こちらへ帰ってこないと、もう二度と帰れない」、それぞれ勝手なことを言って正信会のご信者を引っ張ろうとする。先日もある正信会のお寺を離れて宗門側についたご信者に住職が「どうしてそんな馬鹿なことをしたんだ」と聞いたらば、「ご住職、いずれ帰って来るんでしょうから、私は先に戻って待っています」と答えたそうであります。笑い話じゃないんです。こういうのを「待ちぼうけ」と言うんです。 「甚深の御意」で六万人を登山させるのも、七万人を集めるのもご勝手ですけれども、人数揃えのために、せっかく真面目に信心している正信会の法華講員を迷わすことは絶対に許せません。
唱題でつかんだ信念にもとづく折伏行を
立場の違いを越え互いに思いやる心を持て
先程、近藤副議長のお話にもありましたが、これまで私たち正信会は、宗門が創価学会という巨大な新興宗教を相手に不利な闘いを強いられているということから、しばらく様子を見てまいりました。それを良いことにして正信会にチョッカイを出してくるならば、あえて受けて立たざるを得ません。幸にして、宗門は正信会のお寺のすぐそばに、必ず宗門側のお寺を作っておりますので、それぞれの正信会の住職が、隣の宗門側の住職に対しまして、抗議するなり、法論を申し入れるなりして、ことの善悪を明確にしていくのも一つの方法かも知れない。
それにしましても、信仰の違いから本山に帰るという人は、まだそれなりにこちらも納得出来ます。「かわいそうではあるけれども、本人がそう思うのならば仕方がない」と思うことが出来るのですが、他にも宗門に帰る理由として「住職としっくりいかない」という、いわば感情的なもので正信会を離れる方もままあると聞き及んでいます。これは実に淋しいし残念なことだと思います。
今更申し上げるまでもなく、私たち僧侶は末法の凡夫です。当然のことながらクセもあれば欠点もある。私も含めて、努力はしていますが、なかなか一朝一夕には直らない。これは何とかお許しを願いたいと思います。ただこの運動に参加するに当たり、黙っていれば安穏な生活と金品を得られることを承知しながら、あえてそれらを捨て去った、この一点だけは間違いない。どうぞ、そこを見て下さい。住職の欠点だけを探して失望したり、感情的になったりして、せっかくの信心を誤らないようにしていただきたいと思います。
本当の僧俗一致
日興上人の遺誡置文第十四条には、
一、身軽法重(しんきょうほうじゅう)の行者に於(おい)ては下劣の法師為(た)りと雖(いえども)も当如敬仏(とうにょきょうぶつ)の道理に任せて信敬を致す可き事
と仰せであります。「身軽法重」とか「当如敬仏」とかには、とても及びませんが、大聖人の法が曲げられようとした時に「擯斥処分」を覚悟して行動したのが皆様のお寺の住職であり、途中で逃げ出した僧侶も出た中を、それなりに踏みとどまって今、この壇上に座っておるのが正信会の僧侶であります。どうか、そこだけは見失わないようにしていただきたい、そして、正信会僧侶は、今後もこの心を忘れないようにして頑張ってまいります。ご信者の皆様もどうか僧侶と心を一つにして信心に邁進して下さい。それこそが本当の僧俗一致であり、僧俗和合であります。一人の権威に額(ぬか)ずくのではなく、大聖人の御心(みこころ)に合わせていこうと心がける僧俗でありたいと願ってやみません。
大聖人の御心に合わせていこう信仰の世界
美しいものは美しい
さて、この会場にお越しの皆様の中には、思い切って創価学会を脱会して寺院に所属したのに住職が阿部日顕師に脅されてご信者を置き去りにして宗門の傘の下に逃げ込んでしまった体験をお持ちの方もおられると思います。本当に悔しい思いをされたことでしょう。確かに情けないと言えます。しかし、それもまた凡夫であれば致し方がないのかも知れません。それが良いことか悪いことかは別問題として人は全て自分が一番かわいいし、一番大事なんです。いざとなったらどうなるか、これは私でも格好の良いことは言えても、どうなるかはその時になってみないと分かりません。
ただ言えることは、自分が一番かわいい、そして大切である、ということは全ての人が思っているわけです。自分が大切、それは相手もそう思っている。これが分かると、人との関係が大きく変化します。今まで嫌いだと思っていた人にも違った感情でお付き合いが出来るようになります。
「自分がかわいい」これは畜生でもそうです。虫でも自分はかわいい。でも、畜生や虫は自分のかわいさは本能で知っていても、相手もそう思っているという、相手の気持ちは絶対に分かりません。人と畜生の違いはこの一点と言えます。自分の言うことを聞かないなら追い出してしまえ。あるいは首を切ってしまえ。これでは畜生と変わらない。住職はご信者に我が身を置き換えて考えてみる。ご信者は住職の身になって考えてみる、これからの正信会僧俗はこうした関係でありたいと私は心の底から思っております。僧俗一致、僧俗和合、言葉で言うのは易しいですが、相手の立場に立って考えられる僧俗になっていこうではありませんか。
僧俗が立場の違いを越えて、お互いが相手のことを思いやり、暖かな心で労(いたわ)り合い励まし合ってこそ、信心に励んでいけるものと思います。
力強く生きる姿
「おーい風さん/もしお姉ちゃんのこと/知っていたら/教えておくれ/僕が車イスに一人で乗れたら/会いに行くのだけれど/そしたらいろいろなこと/話をするんだ/昔家にいたころのことなど・・・」
これは重度の脳性麻痺のため、言葉で自分の意思を伝えることのできない、滋賀県信楽(しがらき)町の二十九歳の青年が、目と首のわずかな動きで一字ずつを付き添いの保母さんに伝えることで作った詩の一部です。四月二十一日の朝日新聞の朝刊に掲載されておりましたので、お読みになった方も多いと思います。口もきけない、身体も動かない、ただ首から上だけがわずかに自由になる青年が保母さんの力を借りて力一杯、心の叫びを作詞したものです。この青年の強さ、美しさは人の胸を打ちます。しかし、この青年のわずかな動きから言葉を探し出す保母さんにも頭が下がります。
保母さんは青年の胸に手を添えて「あたっていたらこっちをむいてね」と言いながら、言いたい文字がア行にあるかカ行にあるか聞いていくのだそうです。ア行で青年が保母さんの方を振り向けば、次には「ア、イ、ウ、エ、オ」と一文字一文字たずねていき、文字を探し出して詩を完成させるという、気の遠くなるような作業です。
当たり前に喋(しゃべ)れる、当たり前に動ける、これがどんなにありがたいことかをこの記事を読んで改めて痛感させられました。
もちろん、この青年も保母さんも信者さんではありません。信心していない人でもこんなに力強く、美しく生きている人たちがいる。私たちは頭の中で、ともすると信心していない人を馬鹿にする考えを持つことがありますが、これは反省しなければいけないと思います。信心しているから立派だ、していないから駄目だという見方ではなく、美しいものは美しいと見る、素晴らしいことには理屈抜きで感動できる素直な心、暖かな心を持つ、これも信仰の世界であり、それを御本尊様から教えていただくのが信心修行の一つであると私は思います。
正信会僧俗はこのような心で団結していきたい、このように思います。
信心の世界の団結、特に私たちの団結に不可欠なもの、それは僧俗が心を一つにしての唱題しかありません。そして、その唱題でつかんだ信念に基づく折伏行こそ今の正信会に最も必要な修行で在ると思います。
裏表なく信仰一筋に進む
仏天の加護により正信会は健在
先日、ある方から面白い話を聞きました。今、クマンバチという大きな黒い蜂が飛び回る季節ですが、航空力学から分析しますと、あのクマンバチは理論的には絶対に飛べないんだそうです。大きな身体、それに比べていかにも小さな四枚の羽。でも、なぜかクマンバチは飛び回っておる科学者はこれを「それでも蜂は飛ぶ」と言うのだそうです。
正信会という小さな信仰団体である私たちですが、ここ十数年にわたり、阿部宗門という大きな権威、そして池田創価学会という巨大な権力と仏法の正邪をかけて闘ってまいりました。世間の知識人と言われる方々の中には「正信会は三年も持つまい」とまで言い切る人もおりました。しかし、仏天の加護を頂戴して現在もこのように健在であります。不可能と思われていたことを可能にしてきたのです。そうです。「それでも蜂は飛ぶ」これまで正信会は裏表なく、ただ信仰一筋で進んでまいりました。これからも更に信仰一筋で邁進していきたいと思います。
今、現在、勤行で五分の唱題をしている方は、それを十分にするよう努力をしていただきたい。十分の方は二十分にするよう精進して下さい。僧俗のそうした修行が正信会のエネルギーとなり、不可能と言われることを可能にしていくのであります。これこそが「それでも蜂は飛ぶ」ということであります。
私は正信会の僧侶であることを今世の誇りに思っています。皆様もきっと、正信会の信者で良かったと思っておられることでしょう。私たちの未熟な信心ではありますが、宗祖日蓮大聖人はお認(みと)め下さったものと確信いたします。これよりはなお一層、僧俗共に信心に邁進してまいろうではありませんか。 「悪は多けれども一善にかつ事なし、譬(たと)へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ、此の一門も又かくのごとし」
と大聖人は「異体同心事」に仰せであります。「此の一門」とは、まさに私たち正信会僧俗であると確信いたします。
さて、今大会を終了するに当たり、昨年より一年間の長きにわたり会議に会議を重ね、寝食をも忘れて企画・運営に携わって来られ、こうした見事な大会を開催して下さった、北近畿を中心とした関西の僧俗の皆様に一同を代表して心から御礼申し上げます。
本当に、本当にありがとうございました。
次回は第二十回の記念大会となります。従って出来ることなら東京か、もしくはその近辺にて開催したいと考えております。東京を含む関東地方の皆様、来年も今年同様、賑やかに楽しく盛大に開催いたしましょう。どうぞよろしくお願いいたします。