第二回檀徒大会

日達上人猊下御言葉
   

     本日は檀徒の方々の第二回総登山に当りまして、かくの如く大勢の方が御参詣あり、誠に有難く存ず

るのであります。

 折からの寒さにもめげず、誠に皆様の信心の力のいかに強いかということを、明らかに示しておるの

であります。又、ここにいる若い僧侶達が三百余名にまで及ぶ、これらの人々は、その元の出は学会の

信者の中の人であり、あるいは僧侶の出もあります。又法華講の出もあるが、大多数は一応学会の信者

の中から出た僧侶達であります。

 僧侶達が学会に対してその誤りを指摘して、そしてここに結束して皆様と共に檀徒を作って、日蓮正

宗を護ろうとしているその誠意は、誠に日蓮正宗の根本の精神を、広宣流布する為であるという深い赤

誠であることを認めて貰いたいと思うのであります。

 まだまだある僧侶は今迄間違った教義を宣伝されておっても、未だに平気な顔をしておる僧侶もあり

ます。しかし、一応これらの僧侶も日蓮正宗の僧侶としておる以上、私はただ大きな心においてそれ等

の身をまもり、又正宗の一つの団体の僧侶として守っておるのでございます。

 又、その点を皆様の御了承を願い、今後できるだけ間違った教義だけをどこまでも追求して、正宗の

七百年来の大聖人の御真意である広宣流布を正しい道において守って貰いたいと思うのでございます。

 それでこそ、ここにいる若い僧侶達と皆様との僧俗一致の姿であることを忘れないで戴きたいと思い

ます。 法華経には七つの譬がございます。法華経の七喩と申します。

 まず『譬喩品』に三車火宅の譬。それから『信解品』に長者窮子の譬。それから『薬草喩品』に三草

二木の譬。それから『化城喩品』に化城宝処の譬、それから『五百弟子受記品』に衣裏繋珠の譬。それ

から『安楽行品』に髻中明珠の譬。それから『如来寿量品』に良医病子の譬。この七つの譬がございま

す。

 これらの多くの譬は、迹門において説かれますが、この良医の譬は、寿量品において説かれておるの

でございます。

 まず、『五百弟子受記品』の衣裏繋珠の譬というのは、我々は久遠の昔、あるいは三千塵点劫の昔か

ら妙法蓮華経の珠を持っておるということを示されたのでございます。

 ある人が友達のところへ行って御馳走になり、酒に酔って寝てしまった。その時にその友達が、用が

あって外出する為に、大事な宝物の珠を、その酔って寝ている人の着物のうちへかけて出て行ったので

あります。酔って寝ている人は、後になって目がさめて出て行った。そして、色々の仕事を見つけて歩

いたけれども、大した仕事も無くわずかな金銭を得て生活しておって、ついに零落して苦しんでおる。

たまたま、前の友達と出逢って、何故、おまえはそんなに苦しんでおるのか、まずおまえの懐の中に私

は得難いところの宝物である珠を入れてきたのでは無いか、それを売ったならば必ずおまえは安楽な生

活もできる、ということを言われた。その人は懐を見ると、成程明珠を持っておった。それを持ってそ

の人はたちまち大長者になって、幸福なる生活を得た。

 ということが衣裏繋珠の譬として『五百弟子受記品』に説かれておるのであります。

 これは迹門において説かれておるのでありまして、この三千塵点劫に大通智勝仏の息子の十六沙弥が

法華覆講して、大通智勝仏の前で法華経を説いた結縁によって、それを聞いた多くの人々は皆法華経を

聞いておるのである。ところが永い間にそれを忘れ、他の小乗経に執着して苦しんでおる。たまたま釈

尊が出現して、そして法華経を説いて初めてその法華経において、多くの人が成仏するということの譬

であります。

 しかし『寿量品』にくれば、その三千塵点劫よりもっともっと昔の、五百塵点劫 という久遠の昔に

おいて、既に妙法蓮華経を説かれた。それをただ釈尊が示したにすぎない。それが『寿量品』の教え、

法華経の教えであることを説かれておるのであります。

 更に下って釈尊の仏法は二千年を過ぎて末法になれば、もう既に教行証共になくなってしまった。そ

こで末法は新たに仏が出現しなければならない。久遠と同じ様に、久遠即末法、末法即久遠と申せられ

る様に、久遠の昔において仏が南無妙法蓮華経を悟って人々に説いたと同じ様に、久遠の昔の妙法蓮華

経を末法において、末法の衆生にこれを下種せられた。即ち日蓮大聖人であります。この妙法蓮華経を

即座に受け容れ、即座に信心してこそ我々は即身成仏の境界が生ずるのでございます。

 過去の釈尊の時代の五百塵点劫とか、三千塵点劫とか、数に数えることのできない大昔から苦しんで

来て成仏するのではなくして、末法は即座に成仏である。妙法蓮華経を下種せられたことにおいて、即

座に信受することにおいて、我々は成仏すると大聖人は説かれた。大聖人が末法の仏として出現した理

由がそこにあるのでございます。

 『観心本尊抄』に

  「四依に四類有り、小乗の四依は多分は正法の前の五百年に出現す、大乗の四依は多分は正法の後

の五百年に出現す、三に迹門の四依は多分は像法一千年・少分は末法の初なり、四に本門の四依は地涌

千界末法の始に必ず出現す可し。今の遣使還告地涌なり。是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の

南無妙法蓮華経是れなり」

   (新定二ー九七二 全集二五一)

とお説きになっておるのがそこにあるのであります。

 四依とは、その時代において人々を育成し、教化し救うところの人を、人四依と申すのでございます。

 まず釈尊滅後において、阿難あるいは迦葉だとかいう人々が出て、小乗の四依として人々に法を説き

、あるいは大乗の四依として龍樹・天親等が出現して法を説き人々を救う。更に迹門の四依として天台

・伝教等が出現して法華経を説いた。更に末法の初め、大聖人が出現してこの所謂

、  「地涌千界末法の始に必ず出現す」

 大聖人が出現して、そして法華経の名体宗用教の南無妙法蓮華経を説き示さる、あるいは下種せられ

る。ここに大聖人の出現した重大なる意味があるのでございます。

 大聖人は弘安二年十月十二日、御心を戒壇の大御本尊に御とどめられ、その末法総与の戒壇の大御本

尊が今まさに正本堂に安置せられておるのでございます。

 その戒壇の大御本尊を中心として、我々の信仰をそこに集中し、そして共々に即身成仏の境界を成じ

て、又未だ知らざる人に広宣流布し、お互いに助け合い、そして大聖人の大仏法を末法万年、未来永劫

までも流布するのが広宣流布であります。

 その為に、真実の大聖人の御法門を少しでも間違うということは、大変なことになるのであります。

 今からそれに少しでも気付かれたところのあなた方が、更に又一歩も踏みはずさず、大聖人の仏法を

間違えず、今ここにいる若い僧侶達と手を握って、広宣流布へと真実の仏法を流布せられることをお願

いして、本日の挨拶と致します。

 誠にありがとうございました。

                            (文責在速記者)

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