第八回日蓮正宗法華講全国大会
指導 正信会議長渡辺広済師
各自が活動方針を遂行
全国の法華講員を代表して、本日ここにご出席になられました皆様に、心よりお祝いを申しあげます。
本日はおめでとうございます。
昨年の五月十一日、東京・品川文化会館に代表者一千三百名が集い、第七回全国大会が開催されてから、はや一年有余年の月日が流れました。
昨年度実施の三指針を反省
その砌り、正信会より三指針が打ち出され、各末寺ごとに、あるいは地方別に指針に沿った活動が展開されてまいりました。
第一番目の「唱題で自行の確立」という点におきましては、それぞれが各住職を中心に月に一回ないし二回の唱題日を決めて、一時間から一時間半にわたって真剣に唱題を続けてきた結果、おぼろげではありますが、本当の信心らしいものがわかってきたように思います。本因の修行の中に成仏がある、という信仰本来の目的が見えてきたと思うのであります。しかし、唱題はこれだけやれば良いというものではありません。今後もしっかりと続けていきたいと思います。
次に、「さらなる折伏の大波動を」という点でありますが、これは、各末寺、あるいは地域によってかなりの差が生じて来たようであります。伸びている所と、伸びなやんでいる所の較差が大きくなっております。私は正信会各委員の人々と全国を回らせていただいていますが、活発な地方と、落ち込んでいる地方とが、ある程度はっきりしているのは事実であります。どこそことは申しあげませんが、それぞれが良くご認識であると存じます。今、ここで落ち込むようでは困ります。どうかがん張ってほしいと思います。
そして第三点の「創価学会の諸悪をさらに糾弾」に関しましては、糾す会の写真ニュースの張り出し、ビラの配布、そして、各末寺や地域でビラを作成し、配布されてきた方々もありますが、まだまだ弱い点があると思います。もっと強く、そしてねばっこく訴え続けば行かねばなりません。
こうして三指針を振り返ってみるのに、何一つ満足できるものはありません、きびしく反省するとともに、これからはより以上、まじめに努力していかねばならぬと痛感するところであります。
学会追詰めるのは折伏のみ
まじめな信心と強い団結で
一,僧俗一致して折伏に邁進しよう
さて、今年度の方針でありますが、まず第一として、「僧俗一致して折伏に邁進しよう」ということであります。裁判の経過につきましては、さきほど河合先生からお話がありましたとおりで、確かに裁判はこの運動にとって大切な一面でありますが、正信覚醒運動の決着は裁判できまるものではありません。あくまでも各人信仰の上から、けじめをつけるところにあると信じます。
この運動は、信仰心の上から起きてきたものであります。よって、信仰がうすれ、活動がにぶった時、正信会に勝利はなくなるのであります。万が一にもそのようになったら、我々は何の顔(かんばせ)あって大聖人にお目通りできるでしょうか。つらい時こそ、苦しい時こそ、死力をふりしぼって信心の行の根本、折伏に邁進すべきであります。それも、僧俗が力を合わせてやり抜くところに活路は開かれると信じます。
もし、正信会の僧侶が、特権意識をもって、ご信者を権威でヒザまづかせ、君臨するようなことがあったら一大事であります。僧は僧、俗は俗としてその本分を全(まっと)うし、僧俗の礼節の中に団結の心をもって折伏に励んでいって欲しいと思います。
しかし、ただ折伏、折伏といってみても、なかなか思うようにいかぬのが現実でありましょう。あれこれ工夫してがん張っておられるお寺もあれば、平和そのもので、春の瀬戸内海のようにノターッとしているお寺もあるようです。いわんや、ご老人が亡くなる分だけ減るというのでは、どうしよもありません。池田大作を、創価学会を追いつめるのは折伏の道、ただ一本であります。
そこで具体的な例としては、文書による折伏があります。今後、「継命」ともよく相談しながら、折伏により効果のある紙面を編集してもらって、「継命」を学会員に送付して、読ませるのも一手段であると思います。大いに「継命」を活用して折伏に励んでいただきたいと思います。
また、本日お手元にお渡しした記念品ですが、ご自分で読んで、後は本棚にしまっておくコレクターの方がおられますけれども、これはつつしんでいただきたいと思います。どうかお読みになったならば、かくお寺を中心として、この本を大いに活用いただきまして、いまだ真実を知らない学会員の方々に読ませていっていただきたいと思います。
二,熱原衆の末裔としての確固たる信心に立とう
次に、第二点は「熱原衆の末裔としての確固たる信心に立とう」ということであります。
これは決してご信者だけの問題ではありません。まず、僧侶が、率先して不自惜身命の信心をふるい立たせていかねばなりません。また、各ご信者も、わがままや、慢心を捨てて、自分のお寺の住職をしっかりとまもりぬき、信心の上での誇りを高く持って欲しいのであります。凡夫の身であれば、おたがい欠点もあるでしょう、好き嫌いもあると思いますが、常に忘れてならぬのは、お寺は修行の道場であるという点であります。ヘルスセンターでもなければ遊園地でもありません。好き勝手なことをいい合い、講員同志がめくじら立てているヒマは、ないのであります。
そうした混乱の原因の一つに、信者間の金銭貸借があります。金もないのに無駄使いして借りたがる人、余った金でもないのに金持ちぶって貸す人、どっちが悪いか、どっちも悪いのです。同罪です。この貸した、借りたは必ず信心を汚します。イヤな気分になるのは目に見えています。どうかこの貸借だけはしないでいただきたいと思います。余分なお金があるなら、正信会へ持ってきて下さい。
冗談はともかく、現在最も大切なのは、まじめな信心と強い団結であります。これを邪魔するものは全部とり払うべきであると強く訴え、お願いするところであります。どうか一心不乱に、まじめに信心をして下さい。お寺を護り、住職を護る人を信者というのです。ひっくり返すことが得意な人は、学会員をひっくり返す方に努力して下さい。また信者の信心を導き、信仰心をはぐくむ人を僧侶というのであります。僧俗ともに、熱原の法華講衆の心を大切にして欲しいと念願いたします。
三,各講中の活性化を図ろう
最後に、「各講中の活性化を計ろう」ということであります。住職どうしの話で、よく、「君のところは、今何世帯くらいだ。で、生きているのはどのくらいだ」ということがあります。大体、三分の一は死んでるようであります。生きているということは、酸素を吸って炭酸ガスを吐いているだけではいけません。少なくとも、月に一回くらいは自分のお寺に参詣するぐらいの動きがなくてはならぬと思います。
この運動も六年目に入っております。当初の心意気をすっかり忘れて「もういいだろう」とか「まだまだかな」とか、子供のカクレンボの真似みたいなことを考えたりしている人もかなりいるようですが、これは絶対にいけません。一人一人が、正信覚醒運動のにない手であり、自分がサボれば、その分必ず誰かに負担がかかり、最終的には住職の負担になると考え、「隋力弘通」の思いで励んで下さい。
今日は代表の方たちですからそうした心配はありませんが、どんなお寺にも必ず、もたれかかるだけの人がいるはずです。数のうちには入るけど、なんにもならぬ人がおります。こうした人をめざめさせ、力としていくことも大切であります。また、そうなるようおたがいが自戒せねばなりません、「ただいるだけ」では、一番恥ずかしいことなのであります。どうか各自ができることはやる、という能動的な信心にたって欲しいと思います。
以上三点、すなわち、
一,僧俗一致して折伏に邁進しよう
二,熱原衆の末裔としての確固たる信心に立とう
三,講中の活性化を計ろう
この三つをもって、今年度の活動方針とします。
日々悔いなく励み歓喜の毎日を送ろう
この運動の将来や、長期化を案ずる声も時として耳にしますが、いつ、どうなるかは私にもわかりません。要はその時、その時を悔いなく励めば、長くなろうが短かろうが、毎日が歓喜の日々、安心の時であるということであります。
正信会の僧俗一同、これからも必死でがん張りますので、どうか法華講、檀徒の皆様もしっかりお願いいたします。
本日は大変にご苦労さまでした。