富士宗学要集第十巻
後五百歳記
妙法蓮華経薬王菩薩品に云く、 我が滅度の後、後五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん云云。 問ふ、後五百歳の意如何。答ふ、大集経に五箇の五百歳を明す。所謂滅後の五百年は解脱堅固、次の五百年は禅定堅固(己上正法一千年)。次の五百年は読誦多聞堅固、次の五百年は多造塔寺堅固(己上像法一千年)。次の五百年は於我法中闘諍言訟白法隠没(是末法の初の五百なり)。合せて二千五百年なり。今は最後の五百歳を指す。故に後五百歳と云ふなり。則ち末法万年の中の初めの五百年なり。人王七十代後冷泉院の御宇、永承七壬辰年より末法に成るなり。 問ふ、大集経には第五の五百を説いて白法隠没と云ひ、今経には広宣流布と云ふ。豈相違に非ずや。答ふ、彼の経の意は権教当分の白法末法に入りて隠没することを明すなり。今経は南無妙法蓮華経の大白法広宣流布することを明すなり。記の一本(卅九)に云く、然るに五の五百とは且らく一往による。末法の初めに冥利無きにあらず(文)。文の意は云く大集経の五箇の五百歳は爾前権教に付いて盛衰を説き玉へる一往にして、末法にも実大妙法の利益は滅無するにあらず。故に後五百歳中広宣流布と説き、後五百歳遠沾妙道と釈したまふぞと云ふ妙楽の指南なり。冥利とは只在世の顕益に対するのみ。 譬へば闇去れば明来り、明来れば闇去るが如し。 題目抄に云く、爾前の諸経は長夜の闇の如し。法華経の本迹二門は日月の如し(文)。爾前の闇隠没せば則ち法華の日月寧ろ流布せざらんや。法華の日月出現せば則ち豈爾前の闇隠没せざらんや。 御書四(六)に云く、彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事疑ひなし。但し彼の白法隠没の次には法花経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法、一閻浮提の内に八万の国あり、其の国々に八万の王あり。王々ごとに臣下并びに万民までも、今日本国に弥陀称名を四衆の口々に唱ふるが如く広宣流布せさせ給ふべきなり(文己)上。故に相違無き者なり。問ふ、経に後五百歳と説き、疏には後五百歳遠沾妙道と云ふ。若し爾らば妙法の利益は但末法の初めの五百年に限るや。答ふ、爾らず。記の一(卅九)に云く、且らく大教の流布すべき時に拠る。故に五百と云ふ(文)。意に云く、経及び疏の文は且らく妙法大教の流行しはじまる時を指し玉へり。実には未来際を尽して流布すべしと云ふ意なり。若し爾らずんば無令断絶の文如何んが消せんや。宗祖云く、万年の外未来までも流布すべし云云。末法は妙法流布の時なる事分明なり。 一、時を知るべき事肝心なる事 鶯は春を告ぐ、鶯の谷より出づる声無くば春来ることを誰か知らまし、大江千里。時鳥は農を勧む、早作田過時不熟と鳴くなり。健抄六。鶏鳥は暁を知る。悉旦の家より聞けば可見路と鳴くなり。一説には夜既近暁、我●即寒、里人早驚、厭離夢世(文)。盂子云く、磁器有りと雖も時を待つに如かず云云。磁器は田器なり。程子云く、学者全く時を識るを要す。若し時を知らずんば以て学を言ふに足らず(文)。童観抄に云く、時の一字は周易六十四卦なり云云。涅槃経十八に云く、時を知るを以ての故に大法師と名づく(文)。宗祖云く、夫れ仏法を学せん法は必づ先づ時を習ふべし(文)。然るに禅念仏真言等は時を知らざる者なり云云。御書廿二(十丁)。 一広宣流布 問ふ、天台大師像法五百年に出現して三大部に於て法華経の義を尽し、南北の邪義を破して法華経を弘通す。況や復伝教大師像法八百年に出世して但だ台宗を弘宜するのみに非ず、天台の未だ立て玉はざる円頓の戒旦を叡山に建立し、日本一同に法華経を信ず。豈に像法の中に広宣流布するに非ずや。答ふ、今経に於て広略要有り。且らく広略に就いて之を論ずるに三意あり。 一には利生隠顕。所謂彼の時は権小の利益も尚ほ之れ有るが故に法華の利生独り分明ならず。今末法に入れば権小の利益隠没して今経独り分明なるが故なり。例せば十八公の栄霜後に顕れ一千年の色は雪中に深きが如し云云。 二には利生強弱。所謂彼の時は利生弱く、末法は強盛なり。十喩の第三は月の譬なり。薬王品得意抄に云く、月の夜は霽よりも暁は光まさり、春夏よりも秋冬は光あり。法花経も正像二千年より末法には利生有るべし云云。 三には像末正序。所謂彼の弘通は尚ほ末法の序分なり。下山抄廿六(十八)に云く、世尊眼前に薬王等に法華経の迹門半分を譲り玉ふ。是亦た地涌の菩薩、末法の始めに出現せさせ給ひて本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱へさせ給ふべき先序の為なり等と云云。本門とは迹門を簡ぶなり。寿量とは十三品を簡ぶなり。肝心とは文上の寿量を簡ぶなり云云。 次に肝要に就いて之れを論ずるに、天台末弘の大法なり。所謂寿量文底の南無妙法蓮華経是れなり。具に之れを談ずるに、則ち三大秘法なり。謂く、妙法五字を一幅に図顕す。即ち本尊なり。本尊所住の処は即ち戒旦なり。又本尊に対して妙法を口唱するは即ち本門の題目なり。是くの如き三大秘法は正像に未だ弘まらず、但だ末法後五百歳に於て広宣流布するぞと云ふ経文なり云云。 守護章上に云く、正像稍や過ぎ己れば末法太だ近きに有り。法華一乗の機今正しく是れ其の時なり。何を以て知るを得ん。安楽行品に云く、末世法滅の時(文)。御書四(九)に此等の文を引き畢つて云く、末法の始めを恋させ玉ふ御筆なり。例せば阿私仙が太子を相して歎きしが如く、道心あらん人々は是れを見聞きて悦ばせ玉へ。正像二千年の大王よりも後世を思はん人々は末法の今の民にてこそ有るべけれ。是れを信ぜざらんや。彼の天台の座主、東寺、七大寺の碩学よりも南無妙法蓮華経と唱ふる白癩の人とはなるべし(文)。 是れ末法に於て三箇の秘法流布する故なり。是れ併ら宗祖大慈大悲の弘通に由るなり。法は自ら弘まらず、之を通ずるは人に在りの故なり。御書七に云く、三には日本乃至一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず。一同に他事を捨てて南無妙法蓮華経と唱ふべし。(乃)至時のしからしむるのみ云云。 (聞法の事五種法) 寂光土の事 一、於閻浮提無令断絶 問ふ、閻浮提の中に十六の大国、五百の中国、十千の小国、無量の粟散国有り。凡そ物は先に初まる処有つて而る後に広布す。台宗の如きは釈尊所立の宗旨なり。故に天竺に始まる。禅念仏真言は人師の所立にして大唐に始まる。今三大秘法は閻浮提の中に何国に在つて先づ始まるや。答ふ、日本国に始まるなり。 一には弥勒菩薩の瑜伽論に云く、東方に小国有り。其の中に唯だ大乗の種姓のみ有り云云。安然の普通広釈に云く、●に弥勒菩薩説いて云く。東方に小国有り、其の中に唯だ大乗の種姓のみ有り。我が日本国僉成仏を知れり、豈に其の事ならざるに非ずや云云。 二には肇公の法華翻経の後記に云く、什云く予昔し天竺国に在る時、遍く五竺に遊びて大乗を尋討す。大師須利耶蘇摩より理味を●稟し慇懃に梵本を付属す。云く仏日西に入つて遺耀将に東北に及ばんとす。茲の典、縁東北に有り、汝慎みて伝弘せよ云云。 三に秀句下に云く、代を語れば則ち像の終り末の初め、地を尋ぬれば唐の東、羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生、闘諍の時云云、(唐の東、羯の西は則ち日本国なり)。 四に依憑集に云く、我が日本の天下は円機己に熟し円教遂に興らん云云。 五に一乗要決に云く、日本一州円機純一にして朝野遠近同じく一乗に帰し、緇素貴賤悉く成仏を期す云云。日本既に有縁にして円機己に熟す。何ぞ先に広布せざらんや云云。 六に遵式の天竺別集に云く、始めは西より伝ふ、猶ほ月の生するがごとし。今復た東より返る。猶は日の昇るがごとし云云。御書廿七(卅一)に云く、月は西より出で東を照らす、日は東より出で西を照らす。仏法も亦以て是くの如し。正像には西より東に向ふ、末法には東より西に往く(文)。然るに禅念仏真言は国を知らず云云、機を知らず云云。(如身子)云云。 一、問ふ、日本国に六十余国五百八十六郡三千七百廿九郷有り。倶に法華を弘む家其の数相分れ寺々無量なり。中に於て何国何郡何郷何寺を以て根源と為さんや。凡そ天に二の日無く、国に二の王無し、仏法も亦爾るべし。 止一(初)に云く、流を●んで源を尋ね、香を聞いで根を討ぬ云云。源不浄ならば則ち流を●むべからず。根を知らざれば則ち薬を用ふべからず。弘一本(十五)に云く、像末の四依、仏化を弘宣す。化を受け経を稟く、須く根源を討ぬべし、若し根源に迷ひぬれば則ち増上して真証に濫す。若し香流緒を失せば則ち邪説して大乗に混ぜん(文)。若し爾らば其の根源は知らざるべからず如何。答ふ、根源とは三大秘法なり。問ふ、三大秘法何処に在りや。答ふ云云。重ねて問ふ、如何。答ふ、駿河国富士郡上野郷大石の寺に在り。所謂三大秘法惣在の板本尊是れなり。宗祖自ら本門戒旦等と書す云云。 由来云云、御相承云云、御遺状云云、云云。 一、問ふ、御書廿二(廿八)に云く、其の上此処は人倫を離れたる山中なり。(乃)至彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり云云。故に知る、延山を以て根源と為すべし。宗祖所栖の山なる故なり。答ふ、宗祖興師御在山の間は実に是れ根源なり。三大秘法所住の処の故なり。而るに高祖御入滅の後七箇年を経て、地頭南部六郎三箇四箇の謗罪に由り、興師彼の山を去り本尊己下の霊宝を守護して富士の上野に移りたまふ。時に正応元年(戊)子霜月下旬なり。日向則ち彼の山に移つて本迹一致の邪法を弘む。故に彼の山は謗法の地と成り己んぬ、何ぞ根源と云はん。今は則ち富士大石の寺に三箇の秘法現に在す、豈に根源に非ずや。但し延山も根源なり、所謂謗法の根源なり云云。所引の御抄に云く、法妙なる故に人貴し、人貴きが故に処貴しと云云。此の意なり。奈良の都云云、鎌倉云云、一眼亀。 一、問ふ、今世既に後五百歳に過ぎたり、何ぞ一同の南無妙法蓮華経にあらずや。何ぞ未だ広宣流布せざるや。答ふ、此れに二意あり。 一には順縁広布 取要抄に云く、是くの如く国土乱れて後は上行等の聖人出現して本門の三の法門之れを建立し、一天四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑ひ無き者か云云。 二には逆縁広布 御書廿七(卅)に云く。諸天善神、法華の行者を守護す、此の人守護の力を得て本門の本尊妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしむるか。例せば威音王仏の像法の時の不軽菩薩、我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布して一国の杖木等の大難を招きしが如し等云云。若し逆縁に約すれば広宣流布なり。若し順縁に約すれば未だ広布せずと雖も後五百歳の中より漸々流布疑ひ無き者なり。若し此の一事虚しくならば世尊は大妄語、法華経も虚説となるべし。いかでか其の義之れ有るべき。其の義無くば日本国一同に流布すべきなり。 報恩抄(終)に云く、我滅度後(乃)至いかでか其の義等云云。 |