富士宗学要集第十巻

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実相寺大衆愁状

岩本実相寺に古写本があり、重須本門寺に開山上人の正筆があるが多少の誤字擬字もあり破缺もありて、中々難読の文字であるから伝写本はあるまい。静岡県史史科に編入せらるゝ時、其の編纂主事足立氏が予と共に校定に苦んだものであるけれども活字となつて見ると意外にも猶二三の誤りが見ゆるは致し方もない事である。
此古文書は興師の作なりや、後年の写なりやは判定できぬのみならず、直接に日蓮宗史に無関係のやうであるが裏面には日興上人等の青年僧の意気硬骨がほの見ゆる。
文永五年(興師廿三才)時の実相寺等四世の天降り住職慈遍は身分の高貴なる割合に学も徳も行くも無かつた。田舎の裕福な大寺に主として其財物を悪用して放免無慚の有らん限りを尽した。其を式目の五十一ケ条に擬して五十一ケの罪科を並べて鎌倉政府に訴へたもので、今後の住職は開山たる智印上人の遺告の如く寺内僧の学行に秀でたる者より推挙して早々此の寺家中に無縁の悪住職を止めらるべしとの歎願である。
其本文に前後に一枚充の文書があるのは愁状には関係はないが、其が同時代であるから興師が序に書き入れられたのである。其で見ると同六年までには本件は落着しなかつたものと見ゆるが、住職には非運で寺家大衆に有利であつたやうである。各古伝には実相寺の住職の名を四十九院申状中の人名から思ひ付いたか厳誉律師と云ふ名にしあるが、此の古文書の慈遍と同人か異人かは判然せぬ。まさか文永五、六年、此の問題の仁が其儘居据(十年も)る事もなからうで、四十九院が実相寺の兼職とすれば二位厳誉は慈遍の次の住職かも知れぬが、兼務でなく四十九院は独立でありとすれば、実相寺の住職の名は不明であるから、御書にある豊前公か日仲聖人とかであらうと思ふ。
日蓮教団の多数の人が寸分の考察を加へず、漫然と直に厳誉を以て実相寺住職とする事を怪しむものである。序ながら記しをく。
                          日亨記
 実相寺大衆愁状
 「北条時宗奉下文案」
下 駿河国賀嶋圧 三社別当職事 僧慈遍右三社之崇敬は累代之嘉例なり。凡そ田畠を割別し社家に施入するの趣は神明の威光を増し奉り擁護の利益を仰がんがためなり。而るに近年或は男或は女供僧の職を拘へ、或は売り或は買ひ敬神の礼を忘る云云。不行跡の至り□正義に非ず。然れば早く諸方の綺ひを止め別当の計ひとなして□□□器量之供僧を経講の勤を致さしめ、是□の神人を定め祭祀の□を専にすべき者は御祈祷を仰せしめんが為なり。尼御前の仰に依つて下知件の如し。圧家宜しく承知して遺失するなかれ故に下す。
              文永五年三月廿三日  相模守(在判)
駿河の国賀嶋の圧実相寺衆徒等を謹んで言す。殊に武蔵前司入道殿の御下知并びに本願上人の記文、日本国例正道に任せ、住僧等の中より院主職を撰補せらるべきの処、当世始めて他所の高僧に仰せ付けらる。以後御祈陵遅仏法破滅の間、君の為、寺の為、改補せられ、神事、仏事、を崇められんと請ふ五十一ケ条の愁状。副へ進ず。貞応三年十一月十五日、前司入道殿の御下知状。当寺院主は、自今以後住僧等中より撰補せらるべきの旨定めおかせらる。
一、当職を住僧に付せらるべき濫觴の事。
右当寺は鳥羽法皇之御願、智印上人の建立なり。上人久安年中修業之時、里人に語つて曰く、余年来意輪観音を本尊となす。仰信之余、聖徳太子の御本尊六角堂観音の像を模し、丈六の大像を造り置き奉り京都に於て仏法相応の地を求め安置し奉らんがために斗薮せしむる所なり。而るに此の所は四神具足せしめ三宝繁昌すべきの霊地なり、願はくば一寺を建てゝ万代に伝へんは如何、里人感じて云く早く松山をトし速に蘭宇を立てん。爰に上人里人を引て山腹に到り松柏を剪り払ひ●岩を削□す。見る者聞く者、面々力を合せ自国他国各々結縁す。
□□□年二季之節忽に三間四面の堂を立て名づけて実相寺と曰ふ。即ち鳥羽仙院に奏し烏瑟の尊像を迎へ奉る、忝くも院宣を領家に下され、速やかに霊像を当寺に送り奉る。領家藤中納言家、院宣を奉じ天長地久国土安穏の為に、則ち四至を限り、永く一円と為し水田六町を寄附する所なり。上は一人より、下は万民に至るまで崇敬帰依之間、上人弥よ力を得るに依つて八所権現を勧請し奉りて鎮守となす、一切経論を書写し奉り、経蔵を立て灌頂堂を作り、正しく南天の風を移す。如法堂を建て横河の流を酌ましむ、又中門廻廊、鐘楼食堂、温室二王堂等、之を造り副へらる。
しかのみならず長日不退の如意輪供、并びに不動供、例時の懴法、正月七ケ日修正、并に正月二月日々夜々不断の観音経、及び種々の真言、又権現の法楽、大般若一部六百巻、二月舎利会(有舞楽)、二季彼岸の三時の懴法、不断の観音経、法華八講、十六問講義、(講師八人問者八人)九月念仏三昧、十一月権現宝前法華八講、十六問論義(八講師八問者)、天台大師報恩講、二十問論議(講師十人、読師十人、問者十人)、十二月三千仏名経読誦、皆是れ恒例不闕の役となす、一天泰平、万人福寿の為に定め置かるゝ所なり。
又院主は、住僧等の中より撰補せしめ、他所の僧を用ゆべからず。仏法衰弊せしむるの故なり。又興行の仏法のために顕密の智徳を招請し学頭となすべし。又住侶は、顕密を苦学し、固く戒行を守り女犯肉食の僧を擯出すべし。又不法不善の輩を見
隠し聞き隠すべからず云云。此の如き寺の四十四箇条の記文を書し末代の為に定め置く、以来仏法之霊験日に新に、僧侶之行学年久し。且右大将家御世の始め平家の調伏を仰せつけらる。又前司入道殿、殊に御信仰の間、魔縁降伏御子孫繁昌の為に不動堂を造り加へられ、供養法の科田を寄せ置かせられ畢んぬ、公家武家帰敬の至り、信男信女欽仰之甚しき、毛挙に遑あらず。
抑第一最初の院主上人(智印、世に貴んで阿弥陀上人と云ふ)は、鳥羽仙院の御帰依僧末代上人の行学之師匠なり。三密薫修の花は鎮に芳しく、止観明静之月は常に朗なり、専ら戒行を全ふして名利を捨て偏に仏法に帰して興隆を業とす、誠に是れ市中の虎と謂ふべく若し界内の人には非るか。
第二の院主法橋禅印は、智印上人の附法明禅法印の弟子なり。顕密の心澄み、正しく仏意の智水に混ず。悉曇に舌和にして、能く梵音の恵風を知る、又末代の竜象と謂うべきや。御祈紹隆以下寺務前に同じ。
第三の院主権少僧都道暁は、禅印法橋の附法、天台倶舎の学生なり。但し年序を歴るの後漸く以て乱行之間、本願上人の記文に任せ、改替せらるべきの由寺僧等訴へ申す。前司入道殿の曰く、僧都年闌け齢傾く、暫く相待つべし、自今以後に於ては、住僧等中より撰補せらるべきの旨御下知を成し、置かれ畢んぬ。爰に真弟子其の譲を得らると雖も且つ濫僧の譲を用ひらるべからざるの由、御式目を載せらるゝの間、当世旁寄つて置かられ畢んふ。憲政の忝そ●歌せしむる所なり。
第四の院主、当寺務御推任の条、存外の次第なり。本願上人の記文と云ひ、前司入道殿の御成敗と云ひ、悉く破られ畢んぬ。三代将軍に准じ、改めらるべからざるの旨、正嘉二年定めらるゝの後、五畿七道敢て違乱なきの処、当寺に限り御内より彼の下知を用ひられず、住僧を捨て置かられ、他人を推任せらるゝの間、更に当山仏法の衰微を顧みられず妄に仏物僧物の押領を致し、偏に密宗顕宗の興隆を抛ち、仏法已に破滅し御祷亦陵遅す。惟知らず仏法を失ひ僧侶を煩すために之を任せらるゝか、又知らず神事を妨げ御祈を止める為に之を補せらるるか。
悲しい哉鳥羽上皇御願の寺、忽に虎狼の栖となり、武州前君渇仰の庭、永く●棘の地と変ず。縦ひ理運の補任となるも今既に不忠露顕せしむるの上は、神の為、仏の為、君の為、世の為、速に当職を改められ住僧に付せられんと欲する条々の折中、一一条左に在り。
一、本堂一向に修せられざる事。
右堂は四面左右廊十四間なり。前院主修造せらるゝの後、当代仏物を取り運ばざると雖も、更に修覆を加へられざるの間、朝の風は壁を融し、暮の雨は泉を成し、出仕の僧侶は坐席に着き難く、参詣の道俗は休息する能はず。有意の人弾指せざるなく、衆徒頻に愁ひ申すと雖も、正員敢て叙用せず、寺務の法豈然るべけんや、
一、鎮守八所権現の社修営せられざる事。
右八所八神の垂迹は、一陰一陽の権扉なり。金峯、熊野、山王、吉備、所々に利生を施こし、浅間、走湯、筥根、三島、連々に効験を顕はす。而るに今朽損已に法に過ぐ、神慮頗る非を受けんや。子細前に同じ。
一、灌頂堂破失せしむと雖も造営せられざる事。
右灌頂は、大日示現の素懐、両界至極の文蹤、五智の目足、諸法の肝心なり。纔に礎石の跡を貽すと雖も、未だ造営                      の思ひを生ぜられず、憐れむべし。三十七尊の月永く光を隠し、十三大会の風忽に声を止む。子細前に同じ。
 如法経堂並びに庵室二字修造せられざる事。
右法華経は釈迦如来出世の本懐、如法経は慈覚大師修行の古跡なり、而るに今修理永く閣き破壊殊に頻なり、十羅刹の睚眦、三十神の照覧を怖るべし、慎しまざらんや。前に同じ。
一、一切経蔵破損の間納まる所の経論以下法会具足朽損の事。
 右五千余軸の経巻、一寺大会の法具は用述多入、功労輙からず。少々朽損せしむ●も、 更々修治せられず、闕分に於ては作具を書き副へらるべせきの処、剰へ鎌倉に召し取ら る●の条、寺家を顧みられざるの故なり、護法善神蓋し之を好まんや、前に同じ。
一、鐘楼修補せられざる事。
右花構飾を春嵐に落すに依つて●●響きを秋霜に発し難し。仏音巳に断んと欲す、僧侶 豈悲しまざらんや。前に同じ。
一、二王堂修造せられざる事。
右、二王の起立は、三宝の守護なり。大風吹破、小雨漏湿、大力の金剛傾かんと欲し、 小智沙門盍んぞ歎からざらんや、前に同じ。
一、食堂造営せりれざる事。
右食堂は、供養を展べ会飯を正すの席なり、跡形なしと●も造営せられず、誰か傷嗟せ ざらんや、前に同じ。
一、浴室修●せらざる事。
右澡浴は、能く煩悩の垢を除き、心性の清きを養ふ者なり。一寺奔走し六斎に沸し来るの所、破壊の間、巡る役勤めることなし。前代頻りに促がし当時永く抛つ、相違の条水 火と謂つべきか。
一、燈油料を納め取り備進せられず、不断の香を闕如せしむる事。
右仏は鎮へに暗夜に向ひ人は常に道場に迷ふ、●に寺務の暗きを歎くに非ず、永く仏壇の明りを止めしむ。次に焼香縦ひ禅心より起り承仕の火を用ひずと●も、何ぞ雅意に任せて強に薫修の煙を停められんや。
一、堂舎を修造せしむ為と号し御祈祷の用途を抑留せらる●の間、色々の料田一々闕けず注し定められんと欲する事。
右仏物私用の過ちは、婆羅夷罪の基なり。而るに外に堂舎の為と号し内に鎌倉に召さる●の条、不法の至り申べて余り有り、早く寺務の先例に任せ、堂舎の後戸に納め置き、院主寺僧相共に談議し、納め下すべきの旨裁定せられんと欲す。
一、本願上人の故跡に背き寺中公私の仏事に酒宴を止められざる事。
右酒は、諸経諸論多く之を誡しめ、密宗顕宗共に之を嫌ふ、十重禁しめの説殊に深く、卅六種の失、忽ちに顕る。是を以て上人停止せらる●に依つて、年々歳々、仏事の場、僧徒盃を忌む者なり。而るに近年仏事毎に□□僧膳毎に之を構ふ、諸仏二世の利益を受けず。然らば則ち縦ひ和すと●も□□の仙薬盍んぞ竹葉の一提を止められざらんや。
一、彼の上人の記文に背き、顕密の学頭を招き居られざる事。
右学頭を置かずんば争か法命を継がんや。代々の寺務者、真言天台兼学の院主、学頭之を兼帯す。皆寺家に住して各行学を勧む、●闌け齢傾きて智徳を●請する者なり。而るに当代仏法を崇められざるに依つて、住漸く以て修学を廃せんと欲す。是れ則ち上の好む所、下必ず之を従ふ故なり。所詮寺領田畠各一町、永く学頭分と為すべきの旨仰せ下されば、聖人の記文に違はず顕密の智徳を●せんと欲す。然れば仏法踵を継ぎ恵光を三会の暁に伝へ、僧侶絶へずして祈誓を万才の春に致さん。
一、寺領田畠平均に住僧等に省き宛てられざる事。
右神社仏寺の領、別等供僧の分、或は所作に依り、或は分限を糺し分付せらる●者嘉例なり、而るに大躰押領の条、衆徒無縁の基なり、早く分際に随つて宛て省かられんと欲す。
一、寺中の桜を剪り取る事。
右花木等は、遠江入道殿の御時、御夢想あるに依つて殖へ置かる●所なり。名木なりと●も之を剪り取る間、昨日は只●底の松を咲かせ、今日は欣んで山中の木となる。●に寺内の飾を滅し永く仏前の□を失はしむるのみに非ず。
一、□□の庄民寺林を剪り取る事。
□□一山万人に許すの間、縦ひ●林の●たる蓋ぞ平砂の山と変ぜざらんや。富士高しと●も何を以て貴しとなさんや然らば住僧の外乱入を止むべきか。
一、衆会の庭を押領して芋畠となす事。
右何ぞ寺僧集鳩の庭を塞ぎ、横の蹲鵄の畠となさんや。無道の至り御●迹在らんか。
一、寺前の池堀を埋め立石を棄て田を作る事。
右池朱雀の翅を走らし石は青苔の衣を着く、誰か之を愛せず、何ぞ之を興せざらんや。而して之を埋め忽ちに之を棄て、偏に利潤の構を専にす。豈僧徒の法ならんや。
一、院主の代に遊君を院主の坊に迎へ置き切りに、魚鳥を食ひ蚕養を度々せらる●事。
右坊は毎月七日、院主寺僧等、本願上人の為に報恩講を修し、八巻の妙文を転読せしめ、三問の論議を談話する所なり。一寺此の坊を以て手本となし、衆徒彼の席に於て口伝を受く。凡そ草創以来大門内に於ては女を籠し置かず、蚕を飼はしめず、魚を取り入れず、鳥を食ふ能はず。而るに当代或は好色の女を迎え居き快く三雅の興に誇り、或は世俗の婢を●び置き、恣に八蚕の利を業とす。一寺の滅亡只此の時に在るか。
一、同代前司入道殿御建立の不動堂に於て女会せしめ、偏に酒宴を事とし道場を穢さしめる事。
右堂は御子孫繁昌の為に之を建てられ、供料の田を寄せ置かせらる。毎月七ヵ日殊に勤行の真言師を撰び、不動の法を修せしむる所なり、而るに上を恐れ奉らず、仏を●り奉らず、常に女会の楽酒宴の興を成す、寺務の甚しき高察に足るべきか。
一、●頂堂の閼伽井に於て魚を洗はしむる事。
右清水は、一山の寺井として五●の法水を備ふ。之を頂上に●ひては忽ち覚王の位に登り、之を手中に結べば正しく世尊の身に同じ。而るに今常に魚を洗ふに歳を穢す、いかでか仏に向つて之を供せんや。
一、院主の代に網を引き魚を取る不法の事。
右或は富士河に於て網を以て之を取り、或は●土沢に於て水を干して之を拾ふ。謹みて経論を考ふるに、十重禁戒之守るべき殊に殺生にあり。五千の悪鬼災を成す、濫僧如くはなし。君の為世の為慎まざるべからず、(梵網経意)。
一、同仁、女会遊宴の余り住僧を煩はしむる事。
右偏に権門張行の間と号し、或は馬を参籠の行人に宛て、鎌倉の女を送らしめ、或は夫を修学の住僧に召して蒲原の君を迎へしむ。●に傾城の送迎を愁へるのみにあらず。傀儡田楽を宛て作さしむ。止住之僧涙を流して而して悲しみ。而して見聞の輩手を扣て而して笑ふ。昔は殊に清浄の寺と為り、今は変つて汚穢の郷となる、鬼神定めて崇らん●。仏語豈妄ならんか。
一、彼の仁天長地久修正の時、浄行薫修の供僧等を越へ濫行不浄の身を以て最前牛王宝印を穢せしむる事。
一、法華本堂の畳高麗小文●びに問答講々房の畳押合。料物を請む取り乍無抄汰の事。
一、□所当岡田に於て責め取らる事。
一、□院主坊地若干の柑子を鎌倉に□る事。
一、寺僧任官の時、引出物を召し取らる●事。
一、指したる誤なしと●も御祈祷侍従房の住房を取押へ巳に四ヵ年返し賜はらず●籠せしむる事。
一、同衆讃岐房の住房を押領し、産間と為し永く離散せしむる事。
一、同衆和泉の住房を封納し酒●を召され後開かせらる事。
一、寺僧大弍房の房地に銭を召され郷司三郎男を居かせらる事。
一、同じく大進房の房地に銭を召され丹二郎男を居かせらる事。
一、同じく佐渡房の房地を召され永く沽却せらる事。
一、同じく筑前坊の坊地に銭を召され平二郎を居かせらる事。
一、同じく良珍坊の房地に銭を召され藤三郎入道を居かせらる事。
一、同じく行善坊の坊地に銭を召され安五郎後家を居かせらる事。
一、同じく定満房の房地に銭を召され十郎入道の後家を居かせらる事。
一、円成房の房地に銭を召され大三郎を居かせらる事。
一、承仕法師の鐘●き役田を取り上げ暁夕の梵音を打ち止めらる●事。
一、□寺僧下人等を留め押入り少分銭を不意に掠め取らる●事。
一、□□寺役勤仕の住民又太郎大夫在家横に料□を召し請はされ庭草以下の役を闕如せらる事。
一、新儀年始と号し打ち向ひ推し入らしめ引出物を取り連々呵法の間、寺役勤仕の民清四郎男を責め失はせらる●事。                     一、同じく弥平二男を責め失はる●事。
一、同じく八郎二郎を責め失はる●事。
一、同じく三郎二郎を責め失はる●事。
一、住民別当二郎の馬を押へ取り●ふ故に売り失はる●事。
一、宝蔵法師の馬を押領し同じく売り失はる●事。
一、住民弥五郎男、●盗の嫌疑有りと号し、咎無き先妻の子を召し取らる●事。
一、十五才依然の童部は、縦ひ咎ありと●も法令に任せ●めらるべきの処、纔に十歳の少童鬼鶴に指し縄を付け、大筒を懸け数日責めらる。指して後放ち遣ると●も遂に病と成り腰を引く間、父母悲●に堪へざる事。
以前の条々大概斯くの如し。抑も衆徒中膽を摧き乍ら数年子細を啓さず。然らば君の為世の為非法の次第を申さずんば現と云ひ当と云ひ同罪の譴責を遁れ難きか。仍て恐怖を忘れ屡訟に及ぶ。鳴呼昔武州前君の五十一箇の訴条の式目を作るなり。四海掌を合せて謳歌し、今羊僧下愚の五十一箇の訴状を捧ぐるなり、一山涙を抑へて悲●す。彼は万邦の為に作り此はいちてらの為に捧ぐ。上下異なると●も員数是れ同じ。
望み請ふ、早く根本の道理を糺し院主を寺□の住侶等に付けられ、離散の思ひを留めて永く千秋万歳の□□を致し徳政の忝なさを仰ぎ偏に三密一乗の行学を励まし、懇●の到りに耐へず。恐々言上件の如し。
文永五年八月 日 寺僧等上る。

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