富士宗学要集第一巻
化儀秘決(私記)
(化儀秘決目次)
一、勤行次第の事 二、香華次第の事 三、御影供上げ申すの事 四、米銭等仏前に献せらるゝ事 五、御酒仏前に上げ申すの事 六、御茶仏前に上げ申すの事 七、御影座像にて御座すの事 八、御影経を御手に持ち給ふの事 九、御堂造の事 十、戸帳の事 十一、三幅一対の事 十二、三つ具足の事 十三、御堂に於て導師の座の事 十四、宮殿造の事 十五、堂参の時廻向の事 十六、合掌の事 十七、三衣の事 十八、亡者引導の事 十九、塔婆書き様の事 二十、当流日を択ぶや否やの事 廿一、祈祷の事 廿二、御法事の事 一、勤行の次第 問ふて云はく朝勤余多座、日中申状、安国論、夕勤は一座なること如何、答へて云はく開山上人已来、当門の法式なれば其の子細に及ばず先例に任かする処なり、御内証相斗り叵しと雖も且つは内談の為、且つは懺悔の為、粗内意を探るに朝夕は内経、日中は出仕と号す、則宗旨の内の摂折の二門自立他破の二つなり、朝勤あまた座は夜明け頃なれば万物明白なり、知りぬ十界皆成、寂而常照、随縁真如、単己非独、本尊躰具、十界れきれきの躰たらくなり、夕勤一座は日晩れ頃なれば万物暗昧なり、知りぬ十界互具、照而常寂、不変真如、六方非多、十界一念の本尊の躰たらくなり、是の二個合するときんば二而不二、常同常別、自他倶安、同帰常寂の心遣ひなるべし、日中に申状論をよむ事は、日中は出仕なり、謂く天奏の代はりなり、折伏の沙汰は明白を以つて義と為す、其の上天廷への言上なり、然る間白昼に是を白状申す意なり私に非ざる故なり、さて三時は世間に於いて日に三たび吾か身を省みると、仏法にも亦、三止三請等の儀式なり、之れを加へ三諦三身等の所表か。 問て云はく暁の勤め六座の所表如何、答へて云はく所表有るべからず、但し義類を以つて六座と為すまでなり、然る間其の日の斎日には別してつとめ之れ有るなり、然りと雖も必す六座に縮め置かるゝ事、其の意趣も有るらん、愚意に斗り叵し、若は六万恒沙、六度等、又は六塵、六作の懺悔の法とも謂ふべきなり、是れ正伝に非ざるのみ。 問ふ天の勤め最初なること如何、答へて云はく諸経論の説相、天の食時は仏菩薩より前なり、之に依つて爾かなり、されば毘羅三昧経に云はく早朝は諸天衆の食時、日中以前は三世諸仏の食時、以後は畜生の食時、餓鬼の食時か、日中以前に斎食すべしと、是れは方等部の経なり、然りと雖も世間国土人天等の説相は相違無し、仮令成仏の用否は爾前経と法華経と有無不同之れ有り、然る間天の食時は仏より先なれば是れに準へて先づ天の勤め之れ有り、法味を供御に捧ぐる意なり、必ず天は勝れ本尊御影は劣り給ふには非らず。 疑つて云はく東に向ひ膝を立てゝ是れを読むこと如何、答へて云はく日天は少しも座し給はず、日夜共に四州を行道あり、早朝は東より出で給ふ故に東に向ふなり、又時の行者行き向ひ申す意にて膝を立つるなり。 問ふて云はく題目の数如何、答へて云はく師伝に依り定まらずと雖も当寺に於ては代々已来今に六座題目の数定まるなり、天の勤より、鎮守の勤め迄七返宛なり、代々已下の勤は十返宛なり。 疑つて云はく長短を以て之れを思ふに、最初四座は十返、さて代々已下は略なれば七返なるべし、何ぞ其の義無きや、答へて云はく内証斗り難しと雖も内意を探るに日天、二尊、鎮守は三世常恒久遠常住の心なり、竪を以つて本と為す、代々諸聖霊等は遷化無常なり、横を以つて義と為す謂れか、其の故は七返は七世を表す。過去の三世、未来の三世、現在の一世なり、三世益物の化導を仰ぐ意あるべし、或は一世に於いて七難即滅等、或は題目七字の所表、所詮三世常住泰平安楽の自受用法落の意なり、十返は十界互具なり、謂く己心の十界なれば横なり、即身成仏是れなり、其の外十如、十神力等之れを思ふべし。 求めて云はく先師の相伝の中にも七返をば八返、十返をば十一返唱ふと云へり、如何、答へて云はく夫れは勤行の時に非ず、自然他宗雑居の砌に於て此くの如くも唱ふべし等、私の故実なり、其の故は七返は真言の七難○即生に似て其のいはいするに似たり、十返は念仏の十念に似る故なり、其の上一返は導師一人唱れば衆檀同唱の題目は七返になるなり、故に八返唱るなり、十一返も同前なり、同音の題目は十返なればなり、然る間、此の説をも之れを廃すべからず、去りながら勤行次第に於て前々の如く然るべき処なり、此くの如く口伝の上は或は親みあさく、或は失念などして、題目の数不定に唱へても苦しからず、是れ躰の事は失念有りと雖もさのみ罪障とはなるべからず、其の故は同じ題目の内の多少なればなり、さて他門を移して当門の法式をやぶる事は大事の罪障たるべきなり。 問ふ天の勤めに金を打たざる事如何、答へて云くかねは無常遷滅の世を人に告ぐる所の響なり、故に諸行無常の鐘と内外典にことはるなり、天は無常を忌み、常住を好み給ふ、之に依つて之を打たず。 疑つて云はく本尊鎮守なども常住の守護なるべし、何ぞ金を打つや、答へて云はくかねを打つこと仏神を驚かし申し勧請申すべきためなり、天は、かねの声を聞き影向之れ無し、其の上只今東天より指し出で給ふ日輪に、行者膝を立て行き向ひ申す上は、別して驚かし申して所用無し、眼前の日輪に対面申す心持なり、さて本尊鎮守等は案内を経て申し上る心持なり、天堂に本尊をかけ申さす、あきとをる事之れを思ふべし、さて本尊御影も直に拝み申せ共、仏神にかねを打つことは定れる儀式なれば之れを打つ勧請申すなり。 問ふて云はく其の次の両品は何の勤めぞや、答へて云はく両堂の時、一堂の時、又客殿などにての不同之れ有り、門流に依つて相違有るべし、去り乍ら当流に於て一堂の時も二堂の時も両品は御影の御勤なり、客殿ならば両品は本尊の御影なるべし、但し末寺に於ては定まらず、両堂の時、先づ本尊堂にて天と本尊の勤有り、其の時は両品が本尊の御勤なり、是れは本山の客殿の勤の次第を似せらるゝと覚えたり、只今も当寺にては御堂に於て両品は御影の御勤なり、又或る相伝には一堂の時には先づ本尊の勤、次に御影の勤共之れ有り、二堂の時は上の如し云云、惣じて此の分あれども本尊と御影は一躰の上の二尊なり、本尊と日蓮と二つと見奉るは当流の信者に非らずす、二途の信心なり、妙境妙智とは是れなり、不思議の上の両尊にてましませば、前後之れ有るべからず、去り乍ら表裏傍正を云ふ時は一往の不同なり、二而不二之れを思ふべし、さて久遠とは本尊の住処なり、本門とは御影の御座処なり、然る時は久遠寺は本尊堂を以つて表と為し、本門寺は御影堂を以つて表と為す、然りと雖二而の上の不二なれば互に両堂之れ有り、両堂に於て亦其の習ひ有るべきのみ。 問ふて云はく四座目は如何、答へて云はく鎮守の勤なり、五座目は代々上人、六座目は本来の諸聖霊、若し斎日ならば一座加ふるなり、代々の勤の次たるべし、其の日の代々の御正つきならば宵朝共に寿量品なり、常は自我偈なり。 求めて云はく開山等の御斎日の時は代々の勤より前なるべきや、答ふ然らず、其の故は代々の勤は日々の所作、殊に其の内を開山にも廻向申す間、通惣する処の勤なり、さて其の日の斎日の勤は別して又一人に一座、本尊へ上げ申して廻向申す間、惣別の次第、定不定の次第にて後なるべし、其の上、中古の代々などの勤を如何様にすべきか之れを思ふべし、常に愚者のまどう事なり、之れに依つて先師代々より此の趣き相伝なり、少しも今案に非ず堅く相守るべきなり。 問ふて云はく日中に申状、論をあそばす事如何、答へて云はく先に答ふる如く天奏の代はりなり、然る間謗法を対治し正法を立てらるれば国土安全為るべき由し奏聞の状なる間、之れを読み奉るなり、所詮謗家謗国の難を遁れんが為なり、是れ則ち折伏門なり、夕朝は一門内に於いて現当二世、令法久住の内経なり、故に摂受門の意なり。 疑つて云はく何ぞ寿量品の長行と、偈頌の間に是れをよめるや、答へて云はく引付等見当らずと雖も次第の如く之れを案ずるに、爾前所破の方便品、迹門所破の寿量品なれば、爾前迹門の謗法を対治あれとことはる時、申状と論とをよむなり。 難じて云はく若し爾らば偈の後に之れを読むべし、何ぞ自我偈の前に是れをよみ給ふや、答ふ此の事は開流一個の相伝なり、慥に載せがたし、去り乍ら秘するに及ばず、所詮迹門は本門の依文、在世の本門、寿量品は末法の文の底の寿量の依文なり、然る間判義は末法の寿量品なり、其の寿量品とは下種の南無妙法蓮華経、日蓮、人法一個の本尊なり、是を建立せられんとの申状論なり、されば寿量品の長行の終に欲重宣此義、而説偈言と、此の義は末法の下種の本尊の事なり、去る間此文言より引き来りて申状と論とを読むなり、さて六の申状の次に自我偈を導師はじむる事是れ習ひ有り、彼れ是れ以つて偈と長行の間によめるなり。 問ふて云はく何ぞ先づ代々の申状をあそばすや、答ふ従浅至深の意なり。 疑つて云はく若爾らば近代より前代へ移る間、年月を以て之を勘ふるに何ぞ一昨日の御書より前に其後の御書をよみ給ふや、答ふ必ず年紀次第に非ず、殊に御一代の奏状は三度なり、故に初中後と従浅至深する故に、文応元、文永五、文永八と次第するなり、然る間高祖御在世の奏聞の始中終、三諌の前後、殊に御法門御修行の従浅至深と意得べきなり。 問ふて云はく六の申状の次の自我偈如何、答ふ是れは自余の読むべき状之れ無き間、経はじまるなり、しかのみならず先師代々口伝の由し、其の沙汰之れ有り秘伝なり、されども之れを示す、御抄に過去の自我偈とあそばし、或は三世の諸仏は自我偈を師とし給ふなどと遊ばしたり、末法に於て但自我偈と云ふは、せみのぬけがらなり、過去の過去申す時、其のたましい是れあり、其の過去とは末法なり、自我偈の我は末世の主師親の事なり、されば在世の寿量品は末法の依文なり、之に依つて欲重宣此義とよみ切つて、末法弘通の題目と本尊とをあらはし、其の本尊の三世常住の利生、過去本因の得道を彼の偈にてことはるなり、さてこそ上行旅宿とも習ひ文上の寿量品とも申すなり、さる間過去の自我偈は末法の高祖、文底の寿量は下種本因妙の南無妙法蓮華経の事なり、長行と偈頌との中間に是れをよむ事、在世の本門の法華経は脱益の本尊になぞらへて、末法本因妙の寿量品と過去の自我偈と一躰なる事を示すべき為なり、殊に六の申状は導師役なり、平の左衛門尉殿、日蓮、自我得仏来○数等とよみつゞくる処が相伝なり、日蓮、われほとけをゑてより、このかたと申し奉る御心なり、爰こそ末法の主師親、三世益物の処なれ、然る間在世の本門は依文と成つて末法は判義となるなり、さて我家にをいて又主師親の依文を出し給ふ時、六の申状、日蓮自比丘、日蓮吾国、日蓮忝云云、是れが末法の本尊、自性会の下種法華経の主なり、其の外彼は脱、此は種、○五字なり、或は日蓮は下種の法主等、之を思ふべし。 問ふて云はく日中の題目何返なりや、答へて云はく強て日中の題目何返とは見えべる処なり、但朝勤の題目を以つて之を案ずるに公場勤行に約して之を勘ふるに、七返たるべし、其の故は謗法を対治し正法を建立し天下安穏なるべし云云、の祷なればなり、七難即滅、七福即生の義にもあたり、三世常住、二世安楽、久遠常住の意にも相叶ふべきか、但し信心落着の上は正信の人の覚悟たるべし、当寺に於ては七返なり。 問ふて云はく廻向如何、答へて云はく惣じて廻向の事大切なるべし、然る間三時の行事の廻向などしるし置れたる見当らず、其の人の正信にあるべきなり、或は広、博、或は刊畧之有るべし、然る間、詞は定むるべからざるか、さて日中などは旨趣は爾前迹門等の悪法邪師を対治し、末法相応の法華本門の正法正師を崇めらるれば、王臣一同現当二世の所願を成就あるべしなどと申すべきなり、其の外心に任かする処なり、廻向に於ては惣別の習ひ之れ有り、追つて書くべし。 問ふて云はく日中は何の勤ぞや、答へて云はく大段は折伏の行事、公場の祷なれば面は本尊の勤なるべし、所詮は広宣流布のいのりなり、当門流の祈念、誰人を以つて本尊とし何の法を以つて祷るべきや、能く々案ぜらるべし、縦ひ仏菩薩明王等を勧請申す共、夫れは本尊躰具の聖衆なるべし、本尊とは常の如く二而不二の廻向等之れ有るべし、所詮信智に任かする処なり、兼日定め叵き者か。 問ふて云はく夕勤何ぞ一座に限るや、答ふ上代よりの儀式なり、其の意趣先に答ふるが如し。 問て云はく何の勤ぞや、答ふ引付見当らず、之れを案ずるに一座は一実相一仏乗、唯我一人、事の一念三千、十界互具等なるべし、中にも唯我一人、事の一念三千、十界一念の時は、御影の御勤と覚えたり、然りと雖も堂と客殿とによりて御影の勤、又は本尊の勤にても是れ有るべし、又両尊に廻向申しても信心落着の上は一徹なり、日中は出仕なれば本尊の勤、夕は内経なれば御影の勤なるべし、不信浅智の者に至つては沙汰に及ばざるか。 疑つて云はく朝も本尊の勤あり、夕勤斗り御影の勤なるべき故如何、答ふ朝勤は余多座なり、体具の本尊を一界一界みせしめ給ふ内意なり、さて夕勤は一座なり、十界皆本尊の一躰に収るなり、其の十界互具、一念三千の本尊のあるしとは高祖にて御座なり、然る間本尊躰具は日蓮の躰具なり、本尊の御名乗、御判形之れを思ふべし、しかのみならず十三日は末法無作応身の御正日なり、若し夕勤必ず本尊の勤ならば逮夜に御影の勤之れ有るべし、然る処先代より之れ無し、是れを以て之れを推するに夕勤は御影の御影なるべし、然りと雖も御影本尊は一躰の異名なれば偏屈に心得べからず、所詮南無妙法蓮華経日蓮大聖人と廻向申さば御内証に相背くべからざるか。 疑つて云はく十三日の逮夜に就いて不審有り、若し御影の御勤に定らば何ぞ本尊の逮夜之れ無きや、答へて云はく本尊は久遠常住不生不滅の恵命なり、日月年紀等之れ無し、然る間、月日定め置かれざる間、別に、逮夜之れ無し、但し日々逮夜之れ有るべき処に、なき筋目を以て思ふに、夕勤は本尊の勤とも覚えたり、所詮二而不二、躰一の上なれば必ず一方に定め難し、又二方にも定め叵し、但正信を以て賢察有るべき者か。 問ふて云はく題目の数如何、答て云はく両尊の内なるべき間、何に付て七返たるべし、さて十返唱へてもくるしからず、其の故は本尊躰具と意得る時は、広すれば六座、畧すれば一座なり、夕勤も代々並に法界衆生の為となるべし、大慈大悲の高祖の御内証よりはぶき給ふべきなり、夫れ迄一人一人にことはるは愚人の分別に及ぶべからざる間、御内証に任かすべき者なり、正信に至らば如何様に廻向申しても、正意に当るべき間、之れを記するに及ばず、然る間は三時勤行共に二而不二、広略の異にして其の廻向之れに同すべきのみ。 問ふて云はく勤行の声音遅速如何、答へて云はく音声は如何にも、たゞしく、愛音曲音を忌むなり、円音とて調子を、すなをによむなり、微妙の音声とも円音とも云ふなり、こゑ仏事をなすとは是れなり、調子の高下に時に依り人に依り之れ有るなり、上かる処は中古の見聞などに之れ有りと雖も所詮は調子のひきゝ時、或は経のをそき時、或は調子のそろはざる時、或はねむき時などに挙ぐべし、常には寿量品の中比、自我偈の初、若は中比、若しは奥などにて挙ぐるなり、挙ぐる処は必ず定めがたし、いづくなりとも言便の好き処よりあぐべし、其の外祈祷などては其の心得あるべし平生は心に任かすなり、去り乍ら方便品ならば慧日大聖尊、法王無上尊、止々不須説、無上両足尊、爾時世尊、現在十方等、其の外此の心得たるべし、寿量品ならば然善男子、譬如五百千万億、自従是来、然我実成仏、我本行菩薩道、譬如良医、是好良薬、自我得仏来、我此土安穏、我亦為世父、毎自作是念、其の外此くの如き処にて上ぐべきなり、さて遅速は時に依るべし、上代より掟には足のきゝたる馬にて塩干がたを、のる如くとあり、之れを思ふべし、さのみ遅ければ字性たゞよふなり、元よりはやき経は文字成就せず、かたことなり、以ての外の事なり、他門徒の勤め少もまねすべからず。 問ふて云はく方便寿量題目と次第する意如何、答て云く此の事は一個の相伝なれば短詞に尽し難し、別に深く之れを習ふべし、所詮三法妙、四重の興廃、権実迹本、脱種の次第、教相観心の次第依文判義等の重々之れ有り、追て修学有るべきのみ。 問ふて云はく散華は何たる謂ひぞや、答へて云はく散華の事は僧俗に其の沙汰之れ有りと雖も、所詮当門流の意は散花に於いて二重の口伝ありと見へたり、其の中の勤行の時の散華は、皆人の不審する所なり、其の謂れ大切なるべきか、当門流には各修各行をいましめ、万法惣持、諸尊一躰の人法の御本尊に何事をも廻向申し収むるなり、故に異論無く三時の勤行ともに御影本尊の花たるべし、然る間縦ひ朝勤の時、諸聖霊の次に散花をつむも諸聖霊計に限ると意得ては散々の信心なるべし、悉く勤め過きて、さてかねを打ち、散花を挙くる事、悉く以て一躰の御本尊に収る心なり、是れは一大事の秘事なれども、とても勤行次第を書き付くるは少しほのめかす処なり。 問ふて云はく勤行の時の金の数其の所表之れ有りや、答ふ引付見当らず、去り乍ら始むる時は二つ、両品の移る処も二つ、散花の時はかねは三つなり。 疑つて云はく題目の時は如何、答ふ定まらず、去り乍ら初後のかね定る上は、数を定めて打つても尤もなり、若し爾らば題目の数の如く打つべきか、七返の時は七つ、十返の時は十たるべし、然りと雖も是れは・をゝく打つかねなる間、不思議微妙の道理として、いくつ打つてもくるしからざるか、故に先師もあながち其の沙汰なしをかれざる者なり。 求めて云はく去り乍ら二つ三つと定まる処は所表あるらん、答へて云はく内意を探るに所表も之れ有るべし、正智妙悟に任かする処なり、最初の金は惣じて是れをいはゞ、本尊御影勧請のかねなり、二つは則境智、定恵、両尊勧請の意か、両品の間のかね二つ、一つをば方便品の終に打ち、一つをば寿量品の始に打つ、方便品は諸法実相の境母、寿量品は顕寿長遠の智父なり境発智為報の意なり、若しは法と仏との移り処、若しは迹本両個の隔てなり、所詮彼れは方便、是れは寿量と隔つ処のしあはせと心得べし、中古の見聞に始むる時三つ打つと云う説之れ有り近年迄是れを用ゆる人も之れ有りき、然りと雖も上代よりの相伝、殊に当家再興の明匠日要も二つ打たるゝ上は異論に及ぶべからざる者なり、散花の時は三の金は三諦、三観、三徳、三菩提中にも無作三身の所表なるべし、さて題目の金は十界皆成、十万仏土中、十種供養、十波羅密、十号等なるべし、中にも十界互具、一念三千、諸法必十如の所表なるべし、若し七つ打たば七字、七世等の心遣ひなるべし。 問ふて云はく散華の金、三つは三身の所表なる故如何、答ふ当流の心は化儀、三個の大事と言うは一勤行、二香花、三御影供なり、是れ無作三身の供養なり、さて勤の時は先づ香、次に経、次に散花なり、是れも不次第の上の無作三身の供養なり、是の時は香と花とを分くるなり、香は其の匂ひ内にくんして四方にあまねきなり、周・法界法身の所表、正因仏性を焼きこがす心なり、三学の中には禅心、定念なり、経は口に唱へ智恵をはく、報身の智躰了因の仏性なり、花は色躰、外にあらはるゝ応身の相好縁因の種戒法の貌なり、是れ則無作三身の供養なり、金の後に華をつむことは不次第の三諦、不思議の境智、三身互融して十界皆成、唯我一人の意なり。 問ふて云はく三時の勤行の時、太鼓、螺など何事ぞや、答ふ衆来の為なり、故に強いて其の数定らず去り乍ら且は人をおこさんが為、且は勤多になぞらへて暁は久く之れを打つ、夕部日中は夫れより短促に打つなり、経には撃大法鼓、吹大法螺と説けり会座聴法の衆を集むべき為なり、法事などの時は今も之に準するなり、螺太鼓を打つ時、咒文等之れ有りと雖も初心信者に於いて無用か、初心為縁紛動たる間、直専持此経の題目を唱へて打つべき事正意為るべきか、但唱へずとも打つべきか、信心落着の人は心に任かする処なり。 問ふて云はく当門流につきがねを、つらざる事如何、答へて云はく未広布の間は隠居の宗なる間、螺太鼓も鰐口なども、このまぬ事なり、然りと雖も田舎等、又無行の僧などは衆来なければ勤に合はず、鰐口なければ物たらぬ様なれば信は荘厳より起る理迄にて内々是れを用ゆるなり、然る間重須などに、わにくちなしと云云、殊に鐘は遠く天をうがつて聞ゆる物なれば是れをつらず、其の上流布の時、本山につるべきかねあり、未だきたらず、其の時諸寺に是れを用ゆべきなり、時を待つべきのみ事の戒法は是れなり、事とは之れを思ふべし、又冨士の外には今もかね太鼓は同前なれば、つき金をつりても苦しからずとある当家学匠もありき。 問ふて云はく三時の勤行何れも両品なり、是れは聞えたり、さて朝勤の時、余は十如是寿量品にて只一座両品をあそばすこと如何、答へて云はく三時に定て両品なればよめるなり、余は略なり。 疑つて云はく若し然らば最初の勤によまるべし、何ぞ二座目なるや、答へて云はく先条の如く天の食時になぞらへて先づ天の勤なり、天は本尊の垂迹なれば略して寿量品なり、委くは先条の如く三時共に御影本尊の勤に両品をよむなり、仮令ひ朝勤には不二の上の而二を表して二座をよみ、日中夕勤は二而の上の不二を表して一座をよむなり、末法の本尊の御勤の時、在世滅後の起尽迹本、観心の次第を定めんが為に略開三、広開三、五仏道同の子細をよんで、寿量品に移り、寿量品の始め然善男子、師弟長遠の所より本因妙の題目に引き入るなり、然る間両品は助行なり、題目は正行なり、助行に於いて傍正あり方便品は傍・寿量品は正なり、題目は正が中の正なり、御抄も要が中の要、正が中の正とあそばすも文の上の寿量品の妙法蓮華経は正なり要なり、文底の寿量品の南無妙法蓮華経は要が中の要、正が中の正なり、要が中の要、正が中の正の題目のあるじ有るべし之れを思ふべし、日蓮は下種の法主、是れは題目の五字等云云、深く信を付け奉るべし、委く尽しがたき間、粗之れを示すのみ。 問ふ題目の時先づ一返導師唱へ始め給ふ事如何、答ふ面は経終つて同唱には唱へがたき間、先づ始る意なり、内証は定めて子細有るらん、予之れを推するに師弟因果の所表なるべし、唱へ出す導師は口唱の本果なり、故にみちびきの師なり、唱へずして聴聞申す衆檀は受持本因なり、師弟一個、異口同音の時、各唱ふ、是れ即因果同躰、十界互具、一念三千、事行の題目なり、一念信解者本門立行の首めとは是れなり。 問て云はく代々諸聖霊等にも金の打ち様、題目を唱ふる事、本尊御影等と一徹なる事如何、答て云はく当流の意は信心に私無しと云ふ名目の深意を探るべし、或は我師と本尊と各別と思ひ、或は我親はしたしく仏は通しと思ひ、若し我か身と仏と公私の替を存じ、他の信者と我か身と各別と存ずるは正信に非ず、又私の信、己調の信なり、事の十界互具の仏誰をかよそに存じて我か身に別に執せんや、仮令六万非多・単己非独で一仏の本尊も南無妙法蓮華経の日蓮なり、又多仏も此くの如きなり、代々も南無妙法蓮華経日蓮、諸聖霊も南無妙法蓮華経日蓮と廻向申し信を取り定むる処こそ私なき信心なれ、爰にこそ観心の本尊なれ、全く自他隔障を存じ、公私の上下に執しては凡聖一如の十界皆成の正理にいたりがたかるべし、此の筋大切なれども粗之れを示すのみ。 求めて云はく我等並に僧檀共に南無妙法蓮華経日蓮なるべき子細如何、答ふ諸御抄を能々拝見申さるべし、私の才覚に及ばざる処なり、指し当つて現文は、当躰義抄に云く、当躰蓮華仏は日蓮が弟子檀那等の中の事なり云云、当躰とは我れ等一切衆生のそれぞれの当躰なり、蓮華とは南無妙法蓮華経なり、仏は日蓮なり、弟子檀那等の中の事なりと、遊ばす上は異論無し夫れは何たる因縁ぞと云ふに但正直に方便を捨て南無妙法蓮華経と唱ふる人の○無作三身と遊ばしたり、知りぬべし、開山已来正信に任かせ唱へ給ふ題目の主し即南無妙法蓮華経日蓮なり、夫れが即、倶躰倶用の無作三身、本門寿量の当躰と示し給へり、其の外観心抄、四信五品抄深く正信正智を以つて拝見有るべし、朝夕人のしれる御抄の文言なれども当流の師伝に非ずんば、恐くは恒沙の四見なるべきか。 問ふて云はく題目の唱へ様如何、答へて云はく上代は七字に、はかせをさして稽古あり、日要などは口上を以つて之を習はせらると云云、所詮字性たゞしく口舌唇牙歯に字のをのづから当る様に唱るなり、或は鼻斗りにて唱へ、或は舌斗り、若しは喉斗りなれば字性ちがうなり、経をよむも此の心得之れ有るべし、殊に七字の中の法の字内へ引く、されば放つと云ふほふの字になる、終の経の字、口内にて唱へ収むるなり、口より外へ唱へ出せばかろしと云ふ軽の字になるなり、但し先達堪能の人の唱えを聞き之れを習学すべきなり、字性の事は一ケの習なれば輙らざる故に之れを略す。 問ふて云はくかねの数の事、初の金は必ず両尊の勧請に限るべきや、答ふ尤も然るべし、さて又四重の興廃を以て云はゞ、経始めざる前のかねは爾前と打ちへだて、経始めて後のかねは法華と打つ、彼れ此れのへだてとも云ふべきなり、是れは別して興廃に約して云へる事なり、さて両品題目に取り合はず、惣じて最初仏を勧請申す篇を以て云はゞ境智の所表なるべし此の筋正意なるべし、興廃の金は才学の為なり好むべからざる事なり、自立他破に於て其の習ひ有るべきなり。 問ふて云はく方便寿量題目を三身に習ふとは如何、答へて云はく此事は上に申すが如く輙く顕し叵し別して之れを習ふべし、去り乍ら粗是れを示すに方便は爾前対治なり、爾前の教主は応身なり、寿量は迹門対治なり、教主は法身なり、題目は在世脱益対治なり、文上の寿量の教主は報身なり、是は次第有りと雖も何れも応仏昇進の仏、有為の報仏、有作三身なり、題目に法主之れ有るなり三身即一なり謂く無作三身なり、其の三身とは日蓮なり、御抄に云はく正直に方便を捨て但南無妙法蓮華経と唱ふる人○無作三身○日蓮と遊ばしたり、是れが事の一念三千なり、或は某は下種の法主とも、是れは題目の五字とも、今末法に入りぬれば余経も法華経も詮なし唯南無妙法蓮華経なるべしとも遊ばす此の筋なり、其の外諸御抄の如し。 問ふて云はく本尊には十界の聖衆歴々とまします、其の中に何ぞ日天、鎮守計りの勤行に香花、挙げて余の天部、明王、仏菩薩の勤めに香花之れ無きや、答ふ此の事斗り叵し、然りと雖も内意を探るに別義有るべからず、日天は眼前の利生、日々の事益なり、鎮守は吾国の霊神是れ亦他に非ず、代々は元より年紀大小名字不同の唯我一人、久遠常住の血脈厳重の御利益なり、諸聖霊と当門流値遇の僧檀是れ亦うとからず、御影本尊の御事は沙汰に及ばず末法一切衆生の成仏の父母にてましませばなり、余の仏菩薩は或は過時、或は巨益なし、余の天部等は眼前の利生に非ず、しかのみならず諸仏は御影の御内証に収り、諸菩薩二乗等は代々の内証に収まり、諸天衆は日天と同意なり鬼子母神等已下と下界の列衆は鎮守と同意なり、人界等は諸聖霊と一具なり、其の上十界皆成十界互具一念三千の本尊躰具と心得る時は悉く聖衆、御影、本尊の内証を出でざるなり、然る間、御影本尊よりはぶき給ふべきなり、香華等之れに準ぜよ、当流の意は事行を面とする間、事相の利生を重んずる意なり、あながち高下等を謂ふには非ざるなり、次に又勤行の時霄暁灯明上げ申す事、仏の眉間白亳の光を表するなり、所詮は仏前をあきらかにせんためなり、灯明時のえかうとて是れあれども傍説なり、但題目肝要なり、惣じて灯明香花各に十種の功徳ある事を諸経論に明したり之れを見るべし、殊に秘極抄と云ふ神道の抄に之れ有る廻向等少しも用ゆべからず、但し開山目上已来、近くは要上の成さるゝ筋目斗り化儀法躰共に仰ぐべき者なり、灯明の事は三具足の内に之れ有るべきの間爰に之を略す、所詮三身三徳の所表なり。 一、香花の事。 問て云はく仏具の所表如何、答へて云はく所表有るべからず、只仏供のうつはもの迄なり、去り乍ら花香水花香水と六を上るなり、両方のはしは花なり、両方の中は香なり、両方共に香炉ぎはは水なり内意を以つて之れを云はゞ境の三諦、智の三観倶躰倶用の三身、六万恒河抄、六度等の所表とも謂つべきか、上代は如何中古までは水の処には水を灑きしなり、日要已来花をそゝぐ処を則水の所表とし水をやめらる、専ら真言の化儀に似る故か、今も中の仏具には両方共に香をひねるなり、又香を参る上は枯らずとも苦しからざるか、はしは花を司る間、葉数多く参らするなり。 問ふて云はく六の仏具の花数如何、答ふ両方のはしは五葉宛、中は一葉宛、香炉ぎはゝ二葉なり、又三葉も参るなり、上代より両様何れをも用ゆるなり、師伝に依るべきなり。 疑つて云はく所表如何、答ふ引付等見当らず、去り乍ら門流の法式なれば異論に及ばず、爰に日是と云ふ悪僧当寺居住の時我儘に花をつまるゝ間、要上人御弟子分にて申して云はく上代より花の数定まると云云、日是云はく夫れはいらぬ事なり、花のほしかるべき仏達は来りて参るべき間如何程もあり次第つみ置くべし等云云、少しの事ながら上代軽慢の罪過遁れ叵し、今に現罸之を思ふべし、然る間時の智恵才覚は入るべからず、化儀化法とも当流は当流の如く然るべし、仮令浅智不信にして其の由来を知らずして還つて先聖先師を物知らずになし申す事誠に附仏法、学仏法の外道なり、物ごとに此の心遣ひ少しも無沙汰有るべからざる者なり、さて数の事は申す如く引付なし、去り乍ら多少ある上は其の所表之有るべし、先づ五葉は本有の五大、妙法五字の五色、五行等なり、一葉は円融一実中道、唯有一乗の妙経、唯我一人等なり、二葉は本地難思境智の二法・人法の二法・本有常住の二法等成るべし、さて三葉と云ふ時は三徳、三諦、三身等なるべし、合する則んば八葉、八相、又は九葉九識なり、何れも蓮華の意なり。 疑つて云はく此の所表何意ぞや、答ふ花香水と分くる時、色形あれば応身の五大に当る故に五葉なるべし、香は周・法界の法身なれば、一実中道、一究竟を表するなり、水は智水なり智恵とは報身なり、境智冥合の徳は報身に之有る故に本地難思の境智に象つて二葉なり、若し又三葉と云ふ時は三身相即なり、其の故は上冥法身、下契応身の三身互融の徳は報身より起るなり、故に三葉なり、然る間二葉三葉其の替日と雖も其の意之れ同じ、之れに依て日要も二筋に教へ置き給ふか、所詮正了縁の三仏種の因華を果位三身満徳の如来に帰せしめ、諸法実相、一色一香無非中道の当躰蓮華をそなへ、自受法落なさしめ給ふ意なり、青蓮華とは樒の異名なり、之れを思ふべし、日我信敬の分は本尊の花の時は二葉、御影の花の時は三葉宛然るべし、境智と三身と人法の表裏之れ有るべし但し正伝に任かすべき処なり何れも同意なり。 問ふて云はく花の次第如何、答ふ当門流に於ても一準ならず、然りと雖も日要学法の弟子あまたに予若年より、今に至るまで是れを尋ぬるに、或は一筋、或は相違あり、所詮機の堪不堪・信の浅深、若しは広略の不同と覚えたり、去り乍ら次第は異論無き処なり、仏具の花一座斗り上くる時は一方は本尊、一方は御影と廻向申すべく同じ御散花之れ有るべし、二座の時は一堂の時は先づ御影次に本尊に挙げ申すべし、両堂の時は元より両堂に於いて一座宛挙げ申すべし、前後は其の寺々に依り定らざるなり、若し二座宛上げ申さば、本尊堂にては先は本尊、次に御影、御影堂にては先づ御影次に本尊に挙げ申すべきなり、若し又客殿ならば先づ本尊、次に御影に挙げ申すべし、何時も天の花は両堂の花の後なり、両尊に上げ申す時も本尊の花には御散花之れ無し御影の花の時は両方に五葉宛十葉上げ申すべし、是れは御影御散花と申すなり、御影より日蓮躰具の十界の聖衆に廻向なさるべきの用なり、下化衆生の心なり、さて両方の瓶の花は立花の心なり、長さ四五寸華の葉数定らず、十葉五葉も心にまかす、おんじきには御影供の時本尊の御台参るなり、常には花をつむ瓶の意なり、御散花と号して、つむ人も之れ有り、常にはをんじきをすへざる所も之れ有り、有りても無くても苦しかるべからず、両尊の花過ぎて三時の勤行の散花を折て置き申すなり、是れは住持の散花なり、本尊御影に供せらる住持の花なり上求菩提の意なり、二個の散花の習とは是なり、然る間惣じて当番衆、香華等の廻向分別せすんば住持の御廻向の如しと申すべきなり、其の後日天の花参るなり二方に、五葉宛十葉なり。 疑つて云はく先づ日天の花を挙げて後に両尊の花を挙げ申す人あり如何、答へて云はく夫れは非学者の料簡なり、其の故は勤の次第の如く挙ぐべしと云ふ意なり、全く然るべからず勤の事は先段の如く食時ををぎのふ迄なり、夜あけての花香然るべからざる由し当寺に於て上代よりの化儀なり、近頃は蓮要坊日法要上の御代に先づ天に花を供し申して御勘当と云云、其の時の御沙汰に云はく日天は応身に当るなり之れに依つて本尊御影より已後に花をつむと云云、然る間要上の御下知を守るべし、近年も此の沙汰の上を従浅至深の心にて応身の日天に先づ挙ぐると云ふ人もあり、生身妙覚日天と遊はす間、先に挙ぐると云ふ人も之れ有り、両義共に之れを用ゆべからず、又三光天子の花とて三所につむ人之れ有り、是亦一向信心未落居の故なり、勤行香花共に只日天斗りなり、此れの事も中古九州など彼義を用る故、当寺に於て日要堅くいましめ給ふ事なり、只日天斗りの花なり能々分別有るべし、相搆へ相搆へて三所につむべからず、今案に非ず代々の御掟て殊に要上堅固の御沙汰なり、日文字の口决其の外相承等能々拝見有るべし、月天明星等は日天に属するなり、深き子細之れ有り輙く之れを示し叵し心を以つて之れを推すべきのみ、其の次に鎮守の花香炉の前に参る花数定らず本化垂迹の天照八幡と廻向すべし、只天照太神、八幡大菩薩と斗り申しては相似の心あるかと相伝なり、其の次に代々の花、其の次に諸聖霊の花なり、本尊御影鎮守代々等迄はかね三つ宛打つなり諸聖霊は一宛なり、其の外住持などの自身花を挙げらるゝ時は、代々の花の次に学頭の代々、冨士代官分の人末寺の代々本来の随力演説の役者、其の外本末の僧衆、其の外当時住持のとぶらはるべき僧衆等、其の以後諸聖霊、諸聖霊の中にも別して又時に当て弔はるべき檀那等一々に廻向之れ有るべし、其の後悉く花を取り除けて仏具に又花を一座挙げ申して金を三つ打ち申し南無妙法蓮華経日蓮大聖人何々の南無妙法蓮華経々々々々々々々と申し収むべし。 問ふて云はく一座一座の花の時の廻向如何、答へて云はく人々の信心に之れ有るべし、隙あらば一座に自我偈一巻宛よみ申し題目を唱へ夫々に廻向申し諸聖霊等には題目一返宛も唱ふべし、いそがしき時は一座に題目一返も十返も乃至五十返百返も唱へ申して廻向申すべし、諸聖霊などには一々の名を知らずんば花をつんで置いて題目一返に金一つ宛五十返も百返も唱へて本末の諸聖霊と廻向すべし、名を覚えたるをば名を呼び挙げて題目を一返宛もゑかうすべし、此の外心に任かするなり、名と題目の前後は何も相違有るべからず、去り乍ら名を呼びて題目を廻向するも道理に叶ふか、然る時は本末の諸聖霊と呼び挙げて後題目を唱へても然るべし、ゆひては同事なりと之れを思ふべし、又或は当番或は別願などあらば仏具の花は五座も三座も挙げ申すべし、何方以つて最初の花つみかさねたるを悉く取り除け別して終に一座上げ申すべし、是が夕部日中暁の散花の時の廻向と一徹なり、万法惣持万機摂得の人法一個の御内証に収まる意なり、私無しとは是れを謂ふか深く味ひ申すべき者なり。 問ふて云はく存日の人にも花をつむべきや、答ふ夫れは其の人の得心に之れ有るべし、既に現存の日逆修をなし後世のつとめをなす間たまたま花を挙げ申さん時は余は之れを置き自身の逆修として、つむべき事尤もなるか、日我は若年の比より自身の花を摘みしなり、今は元より日々代々の下座に日我が花一ふさつみ申し同前に廻向申すなり、私にて私にあらざる身なれば此分なり、但正信に至らざらん人などは、いまいましき事に思ひなすべきか、然る間其の人々の心に任するなり、九州に於て蓮住坊日柔此の信心なりき、朝賢坊日椿も日我教化によつて此の義を存す云云。 問ふて云はく他宗他門の人にも同座に花をつむべきや、答ふ此の事逆縁なれば尤もよしみある人をば弔ふべきなり、去り乍ら本尊の現図を見奉るに退本執迹退大執小の人次第に下座なり、何に况んや謗法闡提者は本化の直機と同座如何、然る間一つ机なりと雖も心得有るべきなり。 問ふて云はく三時の勤行の時の散花、葉数いか程つむべきや、答ふ不定なり、去り乍ら勤の多少を以て存するには夕部日中は少・朝は多かるべきか、夕日中は七葉も八葉もつむべし、若し題目の数になぞらへば定むべし、又あながち摘み捨つる処の花なり、其の名をさんげと云ふ其の数定らずと見えたり、暁は二而の勤なれば多くつむ事然るべし夫れも葉数は定らざるか、日中斗りは出仕なれば其の心得有るべし、然りと雖も上代の掟には葉数何程とは之れ無し、日我などは大概は日中は題目七返かね七つ散華七葉つみ申すなり、夫れも失念申す時は其の数も不定なるべし、内経と号する間、夕朝心に任かするなり如何程もつむべきか、是れ躰の事は但自身の正智妙悟の正信の所行にあるべき間あながち法度はあるべからず、葉数の定てる処は仏具の花、天の花、鎮守代々の花斗りなり、其の外は花の多少に依るべきなり、代々の花は五葉宛なり。 問ふて云はく花を上げ申して最前の仏具の花を取り除きて重ねて別につみ申すべきや、答へて云はく仏具に二座も三座も挙げ申す時は必すそれを取り除け申し別に一座挙げ申すべきなり、若し一座斗りの時は挙げ申さずとも苦しからず、又それを挙げ申すに別につみ申しても苦しからず、又初の花の内を一座の分置き申し其の上をば取り除け申しても苦しからず、上の沙汰は愚が信敬の分なり、所詮廻向は最後に南無妙法蓮華経日蓮大聖人と申すべきなり、信心落着の上は自由なるべし縦ひ様々の已義之れ有りと雖も大躰は要上並に愚僧等の覚悟に任かせらるべきか、但当家信敬の権者等出現せば其の下知も尤もなり、他門偏学の所化、浅智不信の僧侶などの已義要ひ叵き者なり、将亦此条々の内にも又要上の書並に愚案等以後に於いても別書に於ても相違の旨之れ有らば或は異説を用ひ或は内証同じと心得べし、筋目を見分けずして非難を入るべからず或は開合或は頭首等相違の様にみゆる処も之れ有るべし深智正見を以て之れを勘ふべし、前後共に此の心仕ひ尤もなり。 一、御影供の事。 問ふて云はく本極法身の大聖、無作三身の尊躰、名字妙覚の果位に於て何ぞ人界同意の御膳、之れを挙げらるゝや、答へて云はく仏躰に於いて三身の徳まします相即の三身無作の覚躰にてましませば次第之れ無しと云へども、先づ三身供養を分別申す時・一勤行・二香花・三御影供次の如く三身無作供養のなり、経は口業口唱の智恵なれば報身の供養、了因の種子なり、若し従へは別意ゆ正く在り報身ゆの故に第一とす、香花は草木無心、色香無作、中道の法身、周・法界の供養、正因の種子なり、御台は人界応同の有待の命を継ぎ給ふ処の応身の供養、縁因の仏種なり、然る間、非生の上に生を現し年紀大小、名字不同の代々、是好良薬の醍醐正主の御食物として上げ申すなり、是れ即慧光照無量、寿命無数却の久遠常住の御法命をつゞけ給ふ処の法味と得意べきなり、然る間、勤行も香花も御影供も日々参るなり、仮令寺家不弁、檀那零落の日は略し申すなり本義に非ず、此の信心を以て日柔惣光坊日円などは日々御せんまいを挙げらるなり、何に况や一寺に於てをや。 問ふて云はく香と花とは共に法身の所表か、答へて云はく花の段には其の内に於て差別之れ有り、さて三個の大事を惣じて云ふ時は一つなり、其の故は草木無心の木食人界等の滋味にあらず諸法実相、一色一香、無非中道の法界の身の姿なり。 問ふて云はく御影供上げ申すべき様如何、答へて云はく先づをんじき二つ御台をもり本尊に上げ申し、其の後大聖人並に代々、其の後六つのにぎり飯は是は本末の僧衆の霊供なり、六万恒沙の本化の衆を表す六につゝむることは六万恒沙の部類眷属と云ふ心なり、諸御抄拝見有るべき者なり、其の後ちらし飯・諸聖霊の分にあげ霊供とて別して檀那より、霊供料参らせらるゝ方には把り飯参るなり、御給仕に参る人、御影供の間地ををさへざるなり御膳を持つ故なり、衆中無言なり所用あらば、ひそかに宣づるなり、先づ金一つ打て御はしを御台にたて申しおがみ申して、はしをぬき、御台大汁小汁御菜一々にさんぱを取り申し頂いて人に渡し申して、両手にて御酒を請け申して手つけぬ方を御まへになし申し二の膳に置き申し、御湯を右にて請け申し左に取り直して同し二の膳に置き申し、かね二つ打て廻向申し、はしを抜いて給仕人に渡し申すなり。 問ふて云はく一つ二つのかね所表ありや、答へて云はく所表之れ有るべからず但其の一代一代の上人を勧請申すべきために先づ金を一つ打ち驚かし申すなり、其の後酒飯参る間二つ打つなり、合せて三つは一代一代則無作三身の心か、所表之れ無しと雖もしいて是れをいはば、一は唯我一人の代々写瓶の智水、一尊一尊の意なり、二は日蓮と題目と日興と題目と並に代々不思議の境智たる処の南無妙法蓮華経日蓮と廻向申す意なるべし、然る間、三つ合ぬれば無作の三身なり、唯我与我の口伝其の外仏法はいつも上代とは本尊にとれば南無妙法蓮華経日蓮をさしいたり、師弟に取れば日蓮日興でさしいたり、是れこそ久遠常住の慧命なれ、されば何座あがるとも只一膳と心得べし一膳即多膳なり、爰に日是御影供を挙げ申しくたびれたりとて曰はく、此の如くあまた上げ申さば後は大門迄膳をすえべきか、所用なし、はち一つも上げたらば、くひたかるべき仏は来てくふべしと云云是れ躰の謗言の故に御影供は何も今に断絶無しと雖も其の身は門徒を断絶なり、現罸之れを思ふべし。 問ふて云はくさんぱは何心ぞや、答ふ是れは俗にも、しつけの家其の習ひ之れ多し所用無き間是れをのせず、当門家に於て散飯を上くる時の廻向など是れある由し沙汰ある人あり、又書き付たる抄も之れ有り取捨心に任かすべし、日我等は之れを用ひず、其の故は近代当家の明匠日要等に其の沙汰無しと云云、然る間さんぱの廻向とて別して無用なるか、去り乍ら開山日目などの時より御置書ならば事に依つて用ひらるべきか、さてさんぱを取る心は御影供を挙げ申す人を、にをひ申す心なり、然る間さんぱを取てかうべにいたゞくなり、烏にくはする事は烏は日輪の眷属使者なればはこぐくみ給ふ意なり、しかのみならず御抄にも、からすは過去の陰陽師なる故に年中の吉凶を知ると遊したり過去とは之れを尋ぬべし、さる間本因妙の上も和光同塵の応身の日も吉凶之れ有るべし、然る間かれに食を与へて吉凶を知らしめ令法久住の御法命を継ぎ給ふ意か、其の外中古の人々申し置かれたる事は之れ有りと雖も之れを略す、但爰許の飯のさんはの心と存すべきなり、さんはとはちらしいゝと書く間、無辺法界にはふき給ふとも、食時の間の魔事をまつるとも世出に其の沙汰色々なり、師伝有らば後生之れを加へらるべきのみ。 問ふと云はく六つのにぎり飯は日周の御代に千葉六党の飯と云へり如何、答ふ夫れは非学者の才覚なり慥に六万恒沙の所表と云云、既に日周は木の内にてまします此れ千葉の先祖十家の其一なり、上総介なんどと兄弟の其のながれなり、全く六たうの筋にはあらず一往迄なり、彼家は三家十家六とうとて分々に之れ有り、六たうは千田太郎、草馬二郎、武石三郎、大須賀四郎、国府五郎、東の六郎是の筋なり、縦ひ其の義なりとも日周御一代の事なるべし末代に於て其の儀式之れ有るべからず、日我慈父要甘悲母妙義などにも別ににぎり飯いたゞかず諸聖霊と同意なり、夫れも一代の弔なるべし余之れに準すべし、仍悉く御膳の隙あひて自我偈か題目か暫く内経有りて頭を地に付け御影本尊に廻向申し罷り立つなり、是代々の儀式なり、諸聖霊は花の廻向の如し。 三個の大事畢。 一、米銭党僧檀より仏前に進献せらる其の廻向の事。 問ふて云はく如何様に申すべきや、答へて云く所願あらば其の如く申すべし、然らざれば只題目を唱へ申し当施主現当二世の諸願皆令満足、殊には心中の所願成就などと申し上ぐべきか。 疑つて云はく廻向に題目を唱ふること如何、答へて云はく一切の廻向は題目が本なり別段の詞は其の子細をことはる迄なり、殊に新池御消息にも八木三石送り給ひて一乗妙法蓮華経の御宝前に備へ奉り南無妙法蓮華経と只一返唱へ参らせ候云云、是れ等を以つて之れを知るべし、しかのみならず諸御抄奥書の題目是れ之れを思ふべし。 一、酒を仏前に供つる事。 問ふて云はく禁戒の内なり何ぞ仏に供つるや、答へて云はく夫れは小乗一途の立て様なり、夫れ尚人に依つて之れを免す祇陀太子等是なり、大乗の宗は無明の酒を禁じて飲食の酒を禁ぜざるなり、当流に入りては下種の智水と意得是れを挙ぐるなり、酒に酔へる色赤し信心の色深き処をかたどるなり、神道に酒を用る等の事之れを思ふべし。 疑つて云はく仏に酒を挙げ申す時、袈裟の威儀を、はづすと云ふ説あり如何、答へて云はく此の事は中古に見聞に之れ有りと雖も当流に於て此儀式之れ無し、酒は威儀を乱れる者なる故にはづすと云云、若し夫れ程にいむべくんば仏に挙げて所用無きなり、然る間・我家は法水智水信池の水・五躰にうるをひ赤色の心の臓、仏法の智水に酔染したる意持なり、然る間、威儀をみだすとは心得ず、さて大酒をのんで女博等を犯し行学を懈怠せばのむこと無用か、大乗の宗にゆるすことは智水法水を弁へんが為なり、結句悪心悪念を起さば当宗の人なりとも堅く之れを禁ずべきのみ。 一、茶を仏前に上げ申す事。 問ふて云はく御茶湯と申して挙ぐるならば湯にてあるべし何ぞ当流にひき茶を挙げ給ふや、答へて云はくひき茶を上げ申す故茶湯とは言はざるなり、おはつを茶と申すなり、之れに付て諸学者料簡色々なり、一にはたて茶は始覚なり二には他宗に相似と云云、重難の時夫れならば酒をもこさずして上ぐべきか、又相似ならば香花三衣等同前為るべしと云云、所詮当流の得意様は上代より、我れ家の儀式なり、是れ躰の事は僧俗共に其家々に於いて恒例之有り当門家の儀式と得心置くべきなり、是れ躰の事は聞きわけぬとて先師上代を疑ひ申す者は大謗法たるべし、其の故は湯にて茶を立てゝ仏に上ぐるは成仏し、ひき茶を上るは堕獄すと云ふ経文御抄文其外代々の置文等之れ有らば余儀無き不審なり、其の義無くば上代に任かせずして無益の問答なり、是れに限らず何事も此の分に得心置くべき者なり、世間に於ても葉茶に人をつかい、ひき茶を仕ひなどすること是れ多し、其類と心得べし、しかのみならず道理を案ずるに当門は各修各行の私を本とせず、然る間別々に茶をたてゝ上げがたし一つ、づぎりに入れて上げ申す時・代々何にも一処に申し上げて其の煩ひ之れ無し、其の上るいしたる茶は重ねて挙げがたし、はつをゝ上げ申して其の余残を僧衆に供養せんためにひき茶上ぐるなり、其の上茶湯をゆるさば不信の檀那は御影本尊等には上げ申さず我か親子等斗りにすべきなり此時は各修各行の他宗他門のいはい同意になるなり、さて道理を知らず愚痴の檀那もづぎりに入れ仏前に持ち参れば則御本尊の御はつを茶なり余残をこそ亡者には給はるべきなり、然る間門徒の惣法度として此くの如く定め置かるゝ処か、此の外先師より口伝等見当らず、若し師伝有らば之を加へらるべし、さて今時分は知らず当家の化儀法躰をば習はずして不信浅智の眼斗りにて是れ躰の事斗り不審して随分がほをする族之れ多し以ての外の大外道なり、志を以つてひそかに内談は尤もなり、公場に於いて貴師宿老等に対し此の様なる無益の不審勿躰無き事なり、正智正信を以つて能々之れを案ぜは自解発明すべし、一言を以つて斯様の事は委細に返答に及び叵き者なり、堅く之れを示す事は後代いたづらもの出来して悪義を吐くべき間、之れを禁制する処なり、何事も上代の如く然るべき者なり、惣じて当流は縦ひ其の日の亡者一人を弔うとも本尊御影に申し上げ題目を以つて廻向すべし、只名斗り呼んでは各修各行に成るなり、之れに依つていはいを立てざるなり、之れを思ふべし。 一、御影座像にて御座す事。 問ふて云はく折伏門の日は入種申通の弘経最要なり、若し爾らば立像にてましますべし、しかのみならず大聖御随身の仏も立像の釈迦と見えたり何ぞ座像なるや、答へて云はく御内証知れ叵し御引付等見当らず、但現証を以つて之を存せば高祖御存日の時造られる御尊形座像なり、是れ末法万年の形見として御入滅の年造り置かせらるゝ上は異義に及ぶべからず、是れ又何事によるぞなれば宝塔品には二仏並座と説いて八品の間、座を立ち給はず、高祖は此の本尊は宝塔品より事起り○事極ると云云、囑累以後出塔の後は立像なり、夫れは迹の座なるべし、之に依つて随身の釈迦をば墓所の傍に置くべしと云云、是れ既に証拠なるか、教門に約すれば諸法空為座と末法の三種方軌の其の一なり、殊に円教の仏は虚空為座の成道なり、其の上本化の菩薩・本地名字即の住所を尋ぬるに我娑婆世界下、此界在虚空中住と、知るべし本因妙本座に住して権迹の座に移り給ふ事是れなければ立ち給ひて所用なし、我娑婆自有云云我か国に座し自ら住し給ふ他の土にあらず、人の国にあらず寂光本時の土に住座し給ふ、久遠の大王いながら自界他界の成敗をなし本行菩薩道の本因の妙法蓮華経を三世常住久遠本座のまゝ御弘通有る心なり、是れ則折伏の義に当るなり、然る間久遠本地の寂光土を少もさり給はず坐如来座と云ふも是れなり、虚空不動の寂光当躰蓮華座と心得べきなり、此座処を天台等は法性の淵底玄宗の極地と、底と云ふも地と云ふも本地難思の寂光の座処を指すなり、其の座とは本門の戒壇なり、此の戒壇は久遠の其まゝなり三災をはなれ四劫を出づと遊すその座に坐し給ふ御位は名字即本因妙の座はいなり、然る間末世の本尊は少しも本因妙の座を立ち給はず、仮令在世宝塔の二仏四菩薩等は十法界身遊○益なりの時の迹益なり冥益なり、さてこそ彼れは脱此れは種彼れは一品二半・是れは題目の五字と御定判あり、妙楽さへ増損の益をば皆是れ迹中の益なりと権実約智約教の分なり、本迹約身約位と申すは迹は在世の本門等妙二覚の身と位となり、本は本因妙の久遠名字の位本因妙の御身なり、さる間、本御影と口伝する事是れ之れを思ふべし、在世の本果の釈迦上行等の別躰の地涌は迹の御影なり、末法に造立せんこと、せみのぬけがらなり、末法本因の家の二仏並座とは題目と日蓮となり、座とは御判形なり此の判を以つていながら法界を収め給ふなり、事の一念三千と云ふも爰元に之れ有り三千の万法一念に坐はる処の本尊と云ふも此の御判形あるが故なり、然る間十界歴々の本尊も座像と意得べきなり、若し又師弟の時は並座とは日蓮日興なり其のたましいは題目なり三幅一対等之れを思ふべし、入衆申通の難は行者門の上なり本化本尊の遊行あること之れ無し沙汰に及ばざる事なり、剰へ座像尚以折伏の立行なり、其の故は本門の座を立ち給はずして爾前迹門の謗法を破し正法の妙法を御弘通あればなり。 一、御影経を御手に持ち給ふ事。 問ふて云はく御手に経をひかへ給ふは何の巻ぞや、答へて云はく今此三界の文相なり、又自我偈も然るべし共に主師親の依文なり、之れに就いて習ひ之れ有り、開目抄に我か身経文に符号せり経文我か身に符号すと遊ばし分けたり、主師親の三徳称歎の 文相は鏡なり、其の主師親は日蓮ぞと云ふ心にて、ひかへ給ふなり、さる間、経は依文なり高祖は判義なり、夫れとは主師親と云ふ文相は譬喩品なり、其の主師親はたぞと尋ね出す処は義なり、夫れは高祖にてましますなり是れは教門のかゞみなり、さて行の重に於て勧持品の廿行の偈を引き日本国の当世を移せる明鏡と遊ばしたり、浮かぶはたぞ高祖にてましますなり証の重の本尊に浮かぶ処の鏡・不思議の境智之れを尋ぬべし然る間必ず経をひかへ給ふ其の経が高祖と境智冥合の人法一個には非ず、経巻相承の引付、末法の主師親と云ふ事は私にあらず仏勅なりとなのり給ふ明鏡引付なり、さて宮殿の内にかけ申す処の本因の題目こそ高祖のたましいにてましますなり、日蓮が唱ふる題目は前代にかはるとも自行化他に亘るとも遊ばすは是れなり、然る間事の一念三千と云ふも高祖題目と一躰なる時の事なり、此の重深く之れを習ふべし広く深き間・具に書き示し叵し、自我偈も主師親の三徳称歎の文なれば、是れを持せ申す寺も之れ有り、過去の自我偈と遊す時の我と申すは高祖なり、在世の文の上は今此三界も自我得仏来も在世の釈迦なり、釈迦に因果之れ有り内鑒外適其の外付属等五段の次第深く之れを案ずるのみ。 一、御堂造の事。 問ふて云はく本尊堂御影堂客殿等の方角如何、答へて云はく委細記するに及ばず先づ当流広布の時・三堂等慥かに建立有るべしと見へたり、然る間但今は不定なるか、然りと雖も一説に能開所開を以て云ふ時、本尊は所開御影は能開、御影は所開、 住持は能開等云云、所開は死門能開は生門・之れに依つて多宝は左釈迦は右本尊の示書にも日蓮は左り書写の人は右、去る間本尊堂は左り御影堂は右、御影堂は左り客殿已下は右なり、重須大石等此くの如し云云、但是れは一個の相伝なれども地形に 依りなしがたき所は其の地の形に随ふべきなり、さて流布の日は権者出現有るべき間愚僧などが如く愚者の相論無益の造作なり、時を待つべき者なり、是れは何も仏の方より云ふ時の方角なり、参る人の為には右は左なり、寺も堂塔も南向を以て本と 為す但又所に依るべきなり。 一、戸帳の事。 問ふて云はく折伏の本尊を秘仏なんどの如く戸帳を懸けかくし申すや、答へて云はく是れは初心の不審なれどもさりながら反詰せば夫れならば宮殿とびらなども無用なり、只座中に指し出し申して置き申すべし先段の如く立像なるべし、 一宗の本尊一国一尊御影、微妙甚遠の高位高妙の如来、秘密の御尊躰なれば其の家の僧檀尊敬申す心にて戸帳をかけ申すなり、帝王の事は之れを置く其の日の将軍は征夷将軍とてゆひて朝敵に向ふ大将なれども、在陣の時は内外にまくを打つ 是れ既に陣下の士卒其前を恐るゝ心なり、殊に他門徒等此の不審をなす事血を以つて血をあらふ類なり物忘れの御抄の如し、既に末法の主師親を造立申して戸帳かけ申すは本尊をかくすにあらず折伏の日は御本尊なればなり、夫れよりも 末法の折伏の本尊をとりのけ、をしかくし申して在世正像の摂受の仏を造りたてたる門徒こそ末世の折伏の本尊をかくす処のあつき戸帳なれ先づそれをはづしのけて当流の戸帳を難ぜよと責むべきなり、事の本尊と云ふは必ず、てりひかる 仏にはあらず哀なり不便なり、先づ他門不信謗法の戸帳をはづすべきのみ。 一、三幅一対の事。 問ふて云はく三幅一対の其の所表如何、答へて云く此の事は大切の事なり三幅一対の相承とて別しては之れ無し、御大事御抄等の内意、代々の置文等を以つて之れを勘ふるに、中央に題目、左右に釈迦多宝を遊ばす、文の上は在世の様なれども末法の釈迦と は日蓮なり多宝とは日興なり題目とは事行の本尊なり、謂はく十界互具して人法一個する題目なり、境母法身の日興は左に居し智父報身の日蓮は右に居し境智冥する時中央の漫荼羅なり、然る間、日蓮の魂も題目なり日興の魂も題目なり、唯我与我、唯仏与 仏乃能究尽とは爰元なり、末法一切衆生の父は日蓮母は日興、我れ等当躰蓮華仏となる種子は題目、此の種子高祖を授け給ふ日興は受け取りて九界惣在して是れをはらみ給ふなり、其の種子は境智冥合定恵和融して父母をはなれざる処が中央の題目なり、 其の題目成仏の子と生るゝ時は日目と習ふなり下種とは是なり、題目日目同意なり名詮自性に叶ふなり、夫れは血脈の次第なり、先づ今云ふ所は境智冥合の成仏の父母種子即三幅一対なり、是れ即三諦一諦、三観一心、三身即一等の所表なり。 問ふて云はく高祖の持ち給ふ御経如何、答へて云はく先段の如く今此三界の文なり其の沙汰上の如し。 問ふて云はく開山の勘へ給ふ御抄何ぞや、答ふ或は開目抄或は撰時抄云云、何にてあれ然るべし其の故は三大部何れも御前に之れ有り、其の上開目は主師親を勘へ給ふに今高祖は当り給ふと云ふ意、撰時は五個の五百歳を勘へ今に当ると云ふ意にてゆびを折 り給ふなり、同意なるべし。 問ふて云はく何の文ぞや、答へて云はく何の文とは引付等見当らず、予之れを推するに開目は主師親を遊ばす間いづくなりとも、主師親の徹所と心得べし、撰時抄ならば時を指し給ふ抄なる間、何くなりとも撰時なり、去り乍ら入文に若し是れを云はゞ開目 には夫れ一切衆生の尊敬すべきもの三有り主師親是れなり、下巻結の段ならば日蓮は日本国の一切衆生の師なり主なり父母なりなど、撰時ならば夫れ仏法を学せん法は先づ時をならふべし、或は又彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事疑ひ無し 、乃至法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法一閻浮提の内乃至広宣流布せさせ給ふべきなり等云云、奥に至りても所々に後五百歳の勘文之れ多し、所詮何の処とは必ず沙汰すべからず、但撰時開目までなり、今載する処は若し入文ひかへ給ふ処ありと云ふ 人あらば此れ等の文なるべし心得置くべき内学の為なり、当家の学匠人をこゝろみん為に是れ躰の不審をする事是れ多し故に枝葉を尋ねて書き示すなり、さて法躰と日蓮を境智と分る時は題目は智なり日蓮は境なり、まぎるゝ法門なる間次でに之れを書く、 其の処によつて其の沙汰あるべし能開所開は又別なり。 問ふて云はく高祖は若く興上は老し給ふ如何、答へて云はく涌出品の如し、所詮四徳波羅密に住し給ふ心なり。 疑つて云はく四徳の所被如何、答へて云はく不老是楽不死是れ常云云、高祖は不老の徳を備へ給ひ久遠常住を表し、興上は不死の徳を備へて三世一念を表し給ふなり。 一、三具足の事。 問ふて云はく当宗に於いて三具足を用ひ給ふ事表示ありや、答へて云はく仏前の具足なれば之れを用ゆるなり諸宗之れに同じ、若し又当門に於いて内学の為に所表に云はゞ道理無きに非ず、愚之れを案ずるに灯明焼香立華の三なり、其の沙汰如何と云ふに花 は五大五行を立つる間、応身の供養なり、香は先段の如く法身なり、火は明なるを義と為す煩悩をたく貌だ智恵の火炎なり、然れば則三身の供養と見えたり、右に花あることは右に生門なり、水は草木をやしなふ仮諦応身を表す、左は死の方、火は物を焼き 失ふ徳あり空諦報身なり故に左に居す、香は左の火を取つて明なるをけして火気斗りこがれ右の草木を取つてこまかに砕いて是をもやす、是れ即雙照の中道ケする時は一色一香無非中道で雙非となる故に中央に之を置くなり、定めて他宗他門も此心遣ひなら んか、然りと雖も夫れは有為の報仏、有作三身の供養なれば、まことの三具足にはあらじ、当流の心は無作三身の供養、欲聞具足道で妙法当躰蓮花の三身具足の貌なり、爰こそ真実の三具足と云ふ名目にも叶ふべきか、是も師伝に非ずと雖も愚意此の如し、 但此の上に或は師伝或は本説之れ有らば添削有るべし、若し其の儀無く此の外の料簡之れ無きか、去り乍ら道理に叶はずば当家の学者是れを消さるべし、他門浅学の人の難ならば之を用ふべからざるのみ。 一、御堂に於て導師の座の事。 問ふて云はく平生左を以つてあがりとす何ぞ住持右座に居し給ふや、答へて云はく此の事先段に其の沙汰有り仏は所開、住持は能開の義なり、世間にも政道の役人は右を以つて本と為す生門の方なる故なり、公方をば右兵衛、管領をば右京太夫、或は右衛門 の佐、或は右京亮などゝ云ふ此の謂か制札等の右の字之れを思ふべし、当流に於いて上行菩薩涌出の日も右遶三匝等之れを思ふべし、宝塔にても右の手にて戸をひらき釈迦は生門を表し右座なり、当日の教主なる故なり、其の上住持は上求菩提の右にゐて仏 に向ひ、仏は下化衆生の左に居給ひて住持並に僧檀に向ひ給ふなり、故に宮殿のうしろを後門と云ふなり。 一、宮殿の事。 問ふて云はく何ぞ本仏の御座何ぞみやづくりなるや、答へて云はく宮殿とは天宮王宮の事なり、三世覚王の大法王、一天四海の本主の御座何ぞ王宮ならざらんや、日蓮は当帝の父母云云、王の親は主なり今此三界云云、しかのみならず日天既に宮殿に住し給 ふ本門事行の日天子生身妙覚の本位に居すと遊ばしたり、妙覚とは諸仏諸聖の王位なり本位とは之れを思ふべし。世間の人天の宮殿はかりの宮殿、脱仏熟益の菩薩の宮殿は権迹の宮殿なり、我此土安穏、天人常充満、園林諸堂閣云云、本極法身の天人師の御 住処、常充満の常の字、天人の二字等之れを思ふべし、堂舎を造るも当流の意は此の文を用るなり、大工につちをうたするにも今此三界の文か此の文か、二つに一つ唱へて題目を唱へさせてうたすると代々の相伝なり今案に非ず、番匠記にも、天台等の 法華堂には此の文を唱ふとあり我か家に限らざるか、或人の口伝に譬喩品は三車火宅を説く間、幸事もなきにはしかじと云ふ道理にまかせ我此土安穏の文然るべしと云云、但し人に依るべきなり、仍て御堂など南向を本とする事も宮殿に住し給ふ故なり、 王は南面とて政の時、南に向いてまします、常にも臣下に対合せらるゝ時は、然かなり、臣下を北面とは此の謂ひなり、之れに準じて御堂なども此の如きなり、本位を尋ぬるに北は涅槃の方、南は修行の方なり、之れに依つて信者行者が仏と感応道交の 義を以つて此くの如し、又内裏を北闕と云ひ帝王を北斗に比する之れを思ふべし。 一、堂参の時の廻向の事。 問ふて云はく堂参の時、或は本尊堂、或は御影堂或は天堂、或は鎮守堂、其の外宮殿などにて其の廻向相替るべきや、答へて云はく廻向に於て信者学者各の信心の筋目にあるべきなり、代々のしるし置かれたる引付も之れ有り詞は異にして其の意同きなり、 先づ以つて廻向に於いて惣別の二而不二等之れを思ふべし、惣の廻向と申すは南無妙法蓮華経日蓮大聖人と斗り唱へ申して、本尊躰具の十界の聖衆等をば呼び出さず但本尊御影迄と見定め申す処なり、万法惣持、万機摂得の故なり、別と云ふ時は本尊御影本 尊躰具の十界の聖衆、仍久遠実成の釈迦牟尼仏、本法証明の多宝如来、上行○等の本化六万恒沙の諸菩薩、薬王○等の迹化、此土他土の諸薩陀、釈葉○等の諸賢聖、大梵天王○愛染等の天部明王、鬼子母等十羅刹女、日本守護の本化垂迹の天照○菩薩等、殊 に法味嫡々相承の先師日興日目○日継冥加顕助し給ふ、然れば即日我並に本末衆僧衆檀、心中所願皆令満足、現当二世所願成就、其の外云云、南無妙法蓮華経と唱ふるなり、 是れ別の廻向なり、別々於惣、惣々於別、法界一念、一念法界々之れを思ふべし、広略の不同にして其の意一つなり、然る間各修各行の一々の仏菩薩天衆等の利生にはあらず、さてこそ最初も後も惣別共に南無妙法蓮華経と日蓮と申すべき事、所詮為るべき なり、此の事少しも今案に非ず近くは日要日継等の口伝書伝此の分なり、二而不二とは本尊堂とは御影堂とに別々に廻向申すは不二の上の二而なり、一堂にて一つに廻向申すは二而の上の不二なり、さて一と云ふ時も事行の題目と云ふは人法相離るべからず、 二と云ふ時も各々に人法之れ有るべし、さてこそ不思議の境智なれ、迹仏の思慮に及ばずとは是れなり、仏さへ迹仏は詞に出ださるゝ事は及び申さず思案にも及ばざるなり、況や九界の所知に及ぶべけんや、 然る間、一躰の上に傍正を立て表裏を論ずる時両堂なり、然る間・両尊各別と心得ては無下の事なり、日蓮が唱ふる題目と遊ばす南無妙法蓮華経と唱ふる人の無作三身日蓮と遊ばす之れを思ふべし、処々に之れを書く事は事せばきに、にたれども末法の我れ 等成仏の用否但此の一筋にある間、思ふことを、ねごとにすると処々に之れを示す浅智不信の人さみすべからず、此の二筋は御堂客殿何時も此の心得なるべし、さて各々に申さば此の意を得て其の上にをひて夫れ々の廻向之れ存すべし、天堂なら ば南無妙法蓮華経日蓮大聖人、本法守護の諸天善神、梵天帝釈、四大天王・三光天子、殊には生身妙覚事行の御利益大日天子、願くは諸天昼夜常為法故之天諸童子以為給仕不能害、一切天人皆応供養の誓願に任かせ、末世受持の初心信行の我れ等 を一分冥加顕助し照明知見を垂れ給へ、乃至云云、南無妙法蓮華経日蓮、南無妙法蓮華経日蓮・御影堂ならば南無妙法蓮華経日蓮大聖人、南無末法相応の本門弘通の主師親、至心敬礼の趣きは教無量菩薩、畢竟住一乗、斯人行世間能滅衆生闇の人法躰一、 事理不二因果兼備の末法事行の本尊、妙法蓮華経の主十界具足方名円仏、自受法楽の南無妙法蓮華経、仰ぎ願はくば愚迷受持の信心を一分冥加顕助し、僻見謬義を改め正直正業の信心に住して口唱題目の功力に依り応受受持斯経、是人於仏道の本懐をとげさ しめ給へ、殊には唯我一人の信心血脈の代々因果同躰の師弟・日興日目○当大迄嫡々口唱の南無妙法蓮華経、滅罪生善、現当二世所願成就、 但し此の内に於いて当家にそむく筋目あらば当流の信者取捨有るべきなり、若し背かずんば代々の掟を記する上に粗之れに任かせらるべきなり、但し初心の新発意当流信心未熟の人には相伝すべからず、常の僧衆檀那などは只両堂の時は本尊堂にては本尊を おがみ申し、南無妙法蓮華経と唱へ申し、御影堂にては御影をおがみ申して南無妙法蓮華経日蓮大聖人と申して然るべきなり、或は私の宿所、或は客殿又一堂などの時は南無妙法蓮華経日蓮大聖人と申して其の所願を申し上ぐべきか、しかのみならず両堂に て各の両尊の御名をも異名をも申すべし是亦同意なり、所詮其の導師の廻向正信ならば余の衆檀の所願は導師の廻向に帰在すべきなり、たとへば接諸大衆皆在虚空、世語には輪王に付ける劣夫の一時に四天下をめぐる類なるべし、又上件の夫々の廻向も心持 に少し宛しるすなり、詞は我れ々の作意にあるべきなり、所詮本尊躰具と云ふ処が肝要なり本尊とは日蓮なり日蓮は題目なり之れを思ふべし。 問ふて云はく本尊と申すは諸宗諸門同じき名目なり当宗当門に於いて其の躰如何、答へて云はく此の事は余り大事なる間不審する人も稀なり、但本尊堂の本尊のつとめの香花のと斗り云つて其の躰を問ふ人是れかたし、況や分別すべき事大切なるか即座に顕 はし難き間、修学を待つべきのみ、然りと雖も粗其の心遣ひ斗り之れを示す、当宗当流に於て二個の本尊常の如し三大秘法本尊問答抄の如し、然る間本尊御影と両尊にわくる時は本尊は題目なり、本尊と妙法蓮華経の五字と申す時は本尊は御影の御事なり。 疑つて云はく若し爾らば題目は諸宗諸門之れを用ゆ、さる間一同なるべきや、答へて云はく同名異躰なり、在世正像の題目は理なり、末法は事なり、理は主なし事は主あり、されば御抄に日蓮が唱ふる題目は前代にかはると云云、然る間前代は主なき題目を 唱ふる間理なり、今と云つても末法の主師親題目の主を知らずして唱る処の五門跡は前代なり理なり、天台沙門と名乗る上異論無き者なり、然る間人に魂のなきが如し、主とは誰人ぞや日蓮が唱ふと遊ばす上は別人の事に非らず是れ之れを思ふべし、爰を以 て事の一念三千とも無始色心妙境妙智とも申すなり、此の妙境妙智を具足する処の大漫荼羅を当門流の本尊と申すなり、此の信心落着して本尊に向ひ奉り南無妙法蓮華経と唱へ奉る処が本尊の廻向なり、当流の本尊なり、無主の題目は理なり、さてこそ本尊 の御名乗、御判形、示し書、授与書大切なり、事行の題目とは是れなり委は諸御抄に入り深く之れを勘えらるべし。 問ふて云はく堂参の時上下に其の心得ありや、答へて云はく参る時は上求菩提の心ばせ、下向の時は下化衆生なり、即我本行菩薩道なり、然る間参る時は右の道、下向は左と云云、其の相伝はかくの如し道の事は心得迄ならんか、三堂等の堂参の前後は定ら ず早朝、日中、夜中、平生一準ならず、或は日天、本尊、御影堂、或は本尊、御影、天堂、其外不定なり、所により時により人々の信力に任かするなり、不次第の上の次第なるべし、或は従浅至深、或は従深至浅或は本地垂迹、垂迹本地等色々の説あり寺に 依つて次第の定めも之れ有り。 一、合掌の事。 問ふて云はく印契多き中に何ぞ合掌を用ゆるや、答へて云はく真言には印契之れ多し、法華経には多くは之れ無し、万法惣持の妙法蓮華経なる間、合掌は惣印なれば之れを用ゆ、所表は八葉の蓮花なれば胸に当てゝおがむなり、八文の肉団なり、大指二は境 智定恵なり、十指は十界なり、三千なり、十合すれば十界互具なり、胸にあつる処は一念なり、色心二法合して題目を唱へ出す処が三業即無作三身、事業一念三千、当躰蓮華仏とは是れなり、十波羅密、十神力、十如等之れを思ふべし然る時は両手は境智なり定恵なり、経には欲聞具足道、合掌以敬心、或以説実相印云云、具足道と云ひ実相印と云ふは事の一念三千十界皆成の当躰なり、真言見聞の御抄等深く之れを見奉るべし之れを略す、必ず仏を拝むに限るべからず我仏身をおがみ給ふに成るなり、深く之れを案ずべし。 一、三衣の事。 問ふて云はく三衣とは諸宗の意は九条七条五条の袈裟を三衣と云ひ常の衣は内衣なり如何、答へて云はく所難の如し、但し何の宗も常には珠数、袈裟、衣を三衣と云ふなり、殊に当宗今程は九七条をかけざる間、珠数、袈裟、衣を三衣と云ふなり。 疑つて云はく珠数経袈裟経と云ふ事あり相似するは如何、答ふ此の事問答抄の如し、所詮は大小顕密相替ると雖も三衣は法躰の威儀なれば諸宗通同す仮令ひ家々の表事相違すべきなり、しかのみならず法華の行者三衣を着べからずとは如何なる経文ぞ、法華 の教主ははだかにて説経ありや上行等裸にて涌出せられしや、剩へ宝塔品の時は権教迹門衣をば垢衣とてぬぎすてゝ起後本門の浄衣を着せられると見えたり、其の上爾前迹門は始覚始成れば新衣なり、本門は久遠○行菩薩道の時の本衣なり、仮令ひ是れをに せてこそ今日の仏菩薩三世の僧形は着せらるゝなり、日我若年の頃日向新田山の坊にて此の事其の外花香等の不審ありし時、答へて云はく大日経には我始座道場○魔とあり、法華寿量品には我実成仏○五百千万億○とあり、何れがさきぞ、寿量品の古仏の化儀をこそ始覚の大日はにせられたれ、殊に供養法の巻其の外珠数経袈裟経等は或は人説、或は未顕真実の権教なりと云ひつめたり一言に及ばざりき、次でに之れを書くのみ。 問ふて云はく三衣は当流の所表如何、答ふ引付見当らず但し法躰の道具なる故に之れを着するか、但だ愚之れを推するに三因仏性三観三徳、三身、三種の方軌等に当るらん。 疑つて云はく当る様如何、答へて云はく衣は内衣にして五躰をかくせば縁因の種子応身、袈裟は上衣にして諸仏諸天等影嚮の座なれば性因の種子法身、珠数は百八の煩悩即菩提と転ずる間、了因の種子智恵報身と覚えたり、さて諸宗通同して珠数の図、袈裟 の図、衣の図之れ有り、広き間之れを略す。 所詮当流の意は本時伽耶、事の寂光と云ひ定むる所の衣なり、三大事の中の戒壇に当るなり、其の故は衣は須弥大海等を表するなり、うしろのくびは須弥の頂きなり、みごろ、ほそもの、くだりは九山なり、四の袖は四州裳の八つのなみは八海、左右四つ 宛のひだは四弘四摂法等なり、うしろのひだは六度等なり、所詮我本行菩薩道の三妙一個の上の本国土妙の相好娑婆即寂光の所表、依正躰一の意と存すべきなり。 袈裟は一つの威儀は一仏乗、唯我一人等の諸仏影嚮の所一つむすびめは十界互具三千一念、二つ合して境智二法、互具融即決定の二字之れを思ふべし、四天二天は本法守護の諸天善神影嚮の所なり、本果妙の所表なり。 珠数はまろきは煩悩即菩提の円珠、法性の妙智を表す本因妙の智恵の貌なり、百八の法性が百八の煩悩をもみ失ふ意なり、必ず珠を煩悩の躰とは心得べからず、いらたか珠数を法度する事之れを思ふべし。 所詮三衣は依報正報、仏天聖衆の影向を表して煩悩即菩提の珠数、生死即涅槃の袈裟、業即解脱の衣と転する処の相貌なり、若し然らば三衣即三身如来の相好なり、然る間、縦ひ三衣を着ると雖も法華本門の信者行者に非ずんば、せみのぬけがらの三衣なり、御抄に云はく有為の凡膚に無為の聖衣を着云云、或は煩悩業苦の三道○転ずる所の常寂光身土色心倶躰倶用○無作三身云云、此の中に身土色心所住の処、三道等と遊ばす之れを思ふべし、さる間正直捨方便南無妙法蓮華経日蓮弟子等の三衣斗り三悪趣の恥をかくすと見へたり、故に正直に爾前迹門をも捨てず日蓮弟子とも名乗らざる一致勝劣の迹門宗恐くば、はだか僧と見えたり不敏なり不敏なり、其の外当流の意は衣に於いて身口意の三の衣なり、是れを習ふ時絹布、慚愧信楽の三なり、意はすみぞめの衣を着て僧形の威儀を調へ身をかくす処の布衣は身をうつす衣なり、業即解脱の衣是れなり、 慙愧、懺悔の衣は妄語悪語の雑言を吐く処の謗法の息をふきすてゝ正法本門の読経題目を唱へ申す処の口業は罪障懺悔の法衣なり、其のふき出の妙法の息こえの色うすゞみなり、声仏事をなすと云ふも当流の意は是れなり、然る間是れは煩悩をかくす処の智恵報身の心なり、信楽とは是れ一念信解の信心の衣なり是れは意業の衣なり、其の衣の色亦うすゞみなり、俗には春霞と云ひ神道には薄靡と云ひ又芦牙など云ふ、陰陽には混沌と云ひ、内典には伽羅藍と云ひ、密宗には阿字不生と云ひ、算道には一徳の水と云ひ、小乗には一極微、一刹那などと云ふなり、本門当宗の意は或は我本行菩薩道、或は質直意柔輭云云、釈には一念信解は本門立行の首、或は本地真因或唯与円合す等云云、所詮当流の本迹は理即に名字を判摂するなり、信者の意は白衣の俗心なり、持つ処の妙法の本法にそめたるは薄墨の色なり名字の題目なればなり、然る間黒白合対 してうすゝみの色なり、是れ即ち信心の衣なり、法身のはだへをかくす衣なり、さる間三業相応して題目を唱ふれば僧形即仏形なり無作三身の全躰なり、如来所遣、行如来事と云云、事とは此れ事行の相好なり、然る間身をうつしたる布衣等の三衣斗りにて 問ふて云はく袈裟を何ぞ左の肩にかくるや、答へて云はく仏弟子は右をあらはにすと見へたり偏祖右肩云云、しかのみならず威儀に諸仏影向あれば肩にかくるなり、又右は陰なり地なり、左は陽なり天なり、推して之れを知るべし。 問ふと云はく珠数をするに様ありや、答へて云はく凡俗等は如何様にもするべきなり、始経などをいたし又人を導くべき者は之れを弁ふべし、左は中指にかけ右は頭指にかけ何時もゆびさきの方へすり出して右をすゝまするなり、所表を云ふ時先づ五大に当つる時、左の大指より始むるに大指は地、頭指は水、中指は火、無名指は風、小指は空なり、右の小指より始めて云ふ時は小指は地・無名指は水、中指は火、頭指は風、大指は空なり、右の頭指の風大と左の中指の火大と合する時、煩悩悪業の薪に上行火大の慈父妙智の火をつけて、無辺行風大の悲母妙境の風にふかせば八万四千のちりあくたを焼き尽すなり、謂く境母とは日興、智父とは日蓮なり、三世了達の智火を法界境母の信心の風にまかする心にて右を出す様にするなり。 問ふて云はく珠数は木にてひくなり何ぞ三衣と云ふや、答へて云はく通惣して云ふか、其の上煩悩をかくす衣なれば不思議の上の衣なり、此の重に於ても草木絹布の異義之れ有るべからず。 問ふて云はく珠数は左右の中には何方に持つや、答へて云はく祈念勤行等の時は右に持つなり出家の打物なればなり、平生の俗寄合などには左なり右に扇を持つ故なり。 問ふて云はく檀那は三衣の中には珠数斗り持つ事如何、答へて云はく上代よりの法式なり、之れを推するに衣は法躰の衣類なり、俗はかたぎぬ又、はかる、かみしもを着ス、袈裟は上衣なり新発に尚之れを赦さず況や檀那をや、珠数はかたぎぬにもあらず、はかまにも類せざる故に之れを持つ、しかのみならず煩悩即菩提は僧俗隔て無く其の上愚俗因分に約する故に之れを持つか、自然入道の俗には裳なし衣をゆるすなり、袈裟は一向に之を赦さず、伊藤等覚他門に移られしは袈裟は詫言成らざる故なり、況や末代に於いて不信の凡俗其の恐れ有るべし、例せば日我父要甘は両年住山の時要上より日文字御免有るべし云云、 要甘申して云はく末代の凡俗登山の時例証に引かるべき間御無用の由申し、当代の上人の御一字即日文字と存ずべき由申し上げ要の一字を給はり要甘と号す、其の時要甘が師範妙円寺光遍無官の故に其の日文字を申し請け下向致す、其の後正行坊日砌登山の時、光遍の弟子中より料足十貫之を挙げらる仍ち日遍と号す、是れ即師を重んし檀那の身を軽んする故なり、信心に私無しとは此の躰の事なるべし。 問ふて云はく当流に於いて衣のすみをくろくせざる事何の意ぞや、答へて云はく此の事上に粗之れを書く深く当流に入り修学増進の後、発得有るべき者か、但し宿習に非ずんば之れを学ぶと雖も本意知るべからず、先づ証拠には開山廿六個の其の一の御いましめなり、六即の次第と見えたり、然る間末法の主師親高祖の御尊形拝見有るべし、縦ひ門家に於て名字即の中に六即の得意存じ名字妙覚を表して黒くすとも其の寺の住持一人なるべし、其の次は老僧其の次は中老、其の次は裟袈かけの若大衆、其の次は常の新発意、其の次に白衣の小新発と六重なるべし、是れが名字の一即の内の六即の階級なり、然る処を或は我れは学問者にてこそあれ或は好きなりなんどと云つて随意に黒衣を着せらるゝ事大謗法なり、 当寺に於いて八十六にならるゝ勧乗坊日定は今も、いるりのはい色の衣なり、是れは日要上人の一言の当家を聴聞申しわけらるゝ故なり、当寺の一老と云ひ老僧と云ひ大行寺と云ふ寺号あり在所亦各別なり、殊に大老なれども信心落着の人は此の分なり、如何にしても末寺に於て黒衣相叶ふべからず若し之れに背かば開山已来の代々に違背の人たるべし、無智の人はせめてなり学文者之れを知らざる事は浅智浅学の故なり、能く々理即名字の位を知るべし、次上に委細に経釈を引き書く間之れに準じて之れを知るべし、例せば官位十三階の中に上人号の上には門徒の発頭さへ昇られず之れを案ずべし、僧都已上は観行相似分真究竟の名字已上の儀式なり、縦ひ住持一人は自余の衆よりくろしとも夫れも苦しからず夫れも禅僧聖道家の衣のごとくはすべからず之れを思ふべし、之れを知らざる事は浅間敷かな、今時大小離乱の念仏宗さへ機の堪否に任かせて下品下生の機は初心なりとてうすゝみなり、何に況や当流の一大事の次位を知らざる事不便なり、相似は置く処自立の法式に背く処の所行なり、深く之れを案ずべし。 問ふて云はく珠数を顕露に住持の前に持たざる事如何、答へて云はく檀那等に於いて其の沙汰無しは雖も僧中に於ては化儀法式の沙汰之れ有る間、導師一人の外は公界に於いて之れを持つべからず各修各行を嫌ふ故なり、殊にたか珠数するべからず、上代は板敷に珠数を落す其音をきゝ給ひて三日の勘当云云、之れを思ふべし、東西不弁の檀那等は其の沙汰に及ばざるか、導師の位次をうばはざるが故なり、衣のすみなどの事も大段其の寺の住持に対しての緩怠、宗旨に入り謗法なるが故なり、能々之れを思ふべし。 一、亡者引導の事。 問ふて云はく本尊導師の在所観念已下の儀式如何、答へて云はく聖道門等に於て其の沙汰四季にかはるなり、当流の習ひは四季共に之れ同じ、本尊をば北の涅槃門にかけ申し導師は発心門の東より入りて修行門の南と東との間にゐて死人と本尊をまゑに持つてつとめを申すべし、発心修行の導師の引導に預りて題目口唱の菩提の妙船に乗りて涅拌の彼岸に至る心なるべし、本尊の法身と口唱の導師の報身と死人の応身、三仏乗の因縁日蓮弟子檀那等の事なりと遊ばす所の当躰蓮華仏倶躰倶用の無作の三身と心得べし、 宝塔品の時、三仏の貌顔を合せらるゝ事之れを思ふべし、此の本尊は宝塔品より事起る云云、本尊は過去、導師は現在、死人は未来是れを三世の本尊とも習ふなり、三世一念出過三世、三世常住、三世の諸仏の出生の門などと遊ばすも但題目の上にて論ずる事なり、事の一念三千之れを思ふべし、然る間、死人に漫荼羅を書き判形をそへて遣す事是れ成仏の引付なり、御抄には日蓮が弟子檀那の中に日蓮より後に霊山に来り給はば、○乃至霊山に御坐して日蓮をば尋ねさせ給へ、其の時に委く申すべく候、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、或は御臨終の時は月となり日となり橋となり父となり母となり蓮華となり山となり霊山浄土にむかへとり参らせ給ふべし、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、或は後生には釈迦一仏のをわします霊山会場へ参りあひ候はん、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と之れを思ふべし、一仏と誰人ぞ之れを習ふべし、 然る間引付を出す人は当住、請て取り給ふは末法の本尊主師親なり、死人の魂とは導師より出ださるゝ処の漫荼羅是れなり、然る間、今引証の御抄にも南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と遊ばしたり、然る間本尊導師死人の魂は三つ共に題目までなり、是れを事行の題目とも因果同躰とも三世一念とも三世常住とも三世益物とも習ふなり、名目斗り之れを書く深く御抄に入りて信を付け奉り塩味有るべきのみ、相構へ相構へ引導すべき死人なんどといむ事当家の信心未落居の故なり、仮令世界悉檀の中にて忌むまでなり、或る所に法華の僧死したるをたのまれて正月十五日の内なりとて引導せず別人が取り送りたることあり、是れは当門流の不信無志の物咲ひのたねなり、思慮の間、其の人躰を出さざるなり、但だ彼の罪障をば日我連々仏前にして詫言申す所なり、是れ躰の信者行者は沙汰の限りに在らず、後人能く々御抄に任かせ之れを案ずべし。 問て云はく入棺の勤め何意ぞや、答ふ上代より今の入棺等の事明白なる引付見当らず当流の信心の一筋なり、所詮妙法五重の宝塔の意なるべし、若し爾らば人間有為の五大をあらひきよめ不浄の毛髪をそりをとして妙法本有の五大の塔内に収る意なり。 問ふて云はく龕を用ひずして棺興などを用ふる事如何、答ふ龕は専ら禅家浄土門に用ゆるなり、殊に六方龕などは弥陀の六字の所表なり、其の上龕は色々の荘厳之れ有り当門は質素を以つて義とす、龕は教弥権位弥高の観行已上ののりもの、教弥実位弥下の理即名字の機に不相応なり、しかのみならず仏は転輪聖王の引導の儀式なり、先づ以て一代教主の仏なる故なり、しかのみならず高祖は上行菩薩の垂迹人界応同の菩薩界なり、之れに依つて輿にのり給ふなり棺已下之れに拠る、此の上に深旨之れ有り所詮名字の次位之れを習ふべし、高祖の御葬送は御所の葬送の如し、今時分は御所以下も龕にのらるゝなり正意と為さざるなり。 問ふて云はく引導の題目の数如何、答へて云はく入棺は置処庿処にては十返なるべし、十界互愚一念三千の故なり、其の故は臨終に於てあまた之れ有りと雖も所詮は事の一念三千を心得るを以つて当流義の臨終とす、一念三千とは十界皆成なればなり。 問ふて云はく河ばらいとて自我偈一巻読む事如何、答ふ是れは本山の儀式なれども諸国の末寺なんどには此義之れ無し子細を知らず、去り乍ら五陰和合即名衆生、一身正報の五大を法界依報の五大にかへす意か、入棺は即身成仏の入門、葬送の勤は依正一躰、河払は娑婆即寂光の表事なり、若し然らば題目は五返然るべし何返と云ふ引付之れ無し一念法界の意か、清浄の法水にて穢土をそゝぐ意を河はらひと云ふか、入棺等も之れに準じ題目五返然るべし、若し河払も入棺の勤も十返宛唱えて尤もなり、本式無き間堅く一譜にすべからず、道理を案じ広略を存せば入棺河はらいは自我偈なれば五返、庿処にては寿量品なれば十返然るべき道理も之れ有るか、但だ此躰の事は旧式有らば夫れにまかすべし愚が所存を示す処なり、此くの如き事、不信謗法の学問者、殊に当家未徹の非学者は日我があてがひ法門と已後には云ふべきなり、去り乍ら高祖開山目上要上等の御相伝ならば尤愚案をけづり旧式に任せらるべし、さて又後昆の学者の執見を以ては中々之を削るべからず、能々経旨本書御抄等大事等の正意を見ぬきて正信に住し其の上にて難ぜらるべきなり。 問ふて云はく惣じて亡者なんどの勤の廻向如何、答へて云はく代々聖人僧衆檀那他宗等によつて相替るべきなり、其の詞得意人々の信力に任する処なり、所詮何れも題目に帰すべし先段の如し、然る間亡者を当躰蓮花仏と観る処は導師口唱の題目なり題目の主は日蓮なり、本門事行の一念三千一心三観之れを思ふべし委くは次上の如し。 問ふて云はく引導の時めぐる様如何、答へて云はく当流は順に廻くるなり、他宗は死を以つて左道とす当宗は霊山参りなる間、右道とす、剩へ上行も右遶三匝と云云。 問ふて云はく中陰は如何、答て云はく即身成仏の人は中有にあるべからず、然りと雖も自他の方軌に任する処なり、虚空中住とある時は寂光の中にかくれこもり給ふ処の仏身の追善と心得べし、他宗の如くは心得べからず、其の外三十五日、四十九日年忌等何れも其の時其の日になぞらへて仏果増進、報恩謝徳、孝行追善の一理迄なり、孟蘭盆已下之れを思ふべし、但だ不信謗法の僧檀等は追善に依つてたすかる機も之れ有るべし、而も於て彼の土に得と聞くを是経を之れを思ふべし。 問ふて云はく石に題目を書いて木に書く事を法度あり如何、答へて云はく経木と云ふは他宗の率都婆の如くあまたに作りて広の一部を書くなり各修各行の姿なり、当流は一本のそとば肝要か、石は亦自然のなりにて之れを書くに煩なし、若し又表事は云はゞ雪山童子、諸行無常の文を木に書き生滅々已の文を石に書く無常常住の替り目なり此の意も之れ有るべし、夫れならば卒都婆に木をする事如何と云ふ非学者の難之れ有るべし、さてこそ本躰のそとばは石なり石のかはりとして木を立つるなりさる間一本なり、経木は過分にして他宗の化儀に似たり是れも尚才覚なり、所詮当門家の法義を心得べし、是れ躰の事を好んで難ずる者あり、是れ皆不信謗法より起る事なり、所詮上代の先聖先師の御内証に任かすべきなり、其子細無しと雖も世間にも家々の恒例之れ或はまくの紋或はしつけなど皆家に依つて替るなり、世出、不義にして門徒のあだになるべき者此くの如き事を深く疑ふなり、所詮成仏不成仏の起尽さへ聴聞申しわけたらば余の事は上代に任すべし、故こそ有らんと思ふべき処に前々の大学匠,当家の明匠さへ難ぜられざる事を色々工夫して、くふうを申す輩は所詮門徒の仏敵なりさて志の仁に於ては互に軟語を以つて内談有るべし、此の抄専ら内談の為なるべきなり非学者にみすべからず。 問ふて云はく石には題目に限るや、答へて云はく尤も要の書写なれば題目斗りなり、自然題目の功能をことはる処の経文などは十に一も題目の傍に書きのせても・くるしからず、或は是人於仏道決定無有疑或は毎自作是念○身等の文などは書くべきか、さて一品一巻等は一向之れを書くべからず。 一、塔婆書き様の事。 問ふて云はく僧俗共に塔婆は同前為るべきや、答へて云はく相替るべきなり、先段の亡者の回向同前為るべきなり。 求めて云はく経文意趣等の書き様如何、答へて云はく先師代々門徒の尊宿ならば経文は今此三界○護、毎自作○身、如我昔○道、斯人行○闇、如日月○冥、世尊大恩○謝、恵光照○劫、是好良薬○此、是れ躰の文然るべきか、子細之れを案ずべし意趣は長短心に任かするなり、去り乍ら得意は我か智力を以つてたすけ申す様には之れを書くべからず、彼の御利益を蒙るべき躰に書くべきなり、弔ふ所なんどと書くべからず、奉る擬し報恩謝徳に処也、或は亦末弟等以て至誠心之志を致す報謝を処也などと書く可し、詞は其の人の胸中にあるべきなり、平生の僧檀ならば経文は於我滅度後○疑、願以此功徳○道、我願既満○足、若持法華経○清浄等、其外代々の仏に書く文をも僧衆に依つて書くべきなり、意趣は心に任かす或は仏果増進頓証菩提、或は即疾頓悟、自受法楽、増進仏果乃至法界、平等利益等云云、若し他宗他門の人ならば経文は若有聞○仏、但楽受持○偈、十方仏土○説、唯此一事実○真、如従飢国来○膳、而於彼土○経、開方便門○相、其の外此の類の文なるべし、 意趣は心に任かす或は依を妙法経王の功力に離れ三悪四趣の苦患を為に進趣仏果を助ん可き感す滅罪生善之余慶を者也、或は只今弔ふ所之題目者邪正一如之妙躰逆即是順の秘法也仍て之に乃至法界平等利益、酬て本法下種の追善に可き為る讃仏乗之縁者也、若亦任せ而於彼土○経の道理に順し邪見即正、捨悪持善之金言に改め悪心悪念を抛く謗法謗念を住し懺悔滅罪之心に依て下種結縁之力に可き至る仏果菩提之内証に者也なんどゝ書くべし、其の中に於いて法華値遇の善者などならば酬ひ経王聴聞之功力に依て妙法値遇之因縁に可き為る仏果菩提之資糧者也などと書くべし、若し又悪魔邪鬼等の弔の仏ならば経文は、若悩乱者○号、諸天昼夜○之、諸天童子○害,諸余怨敵○滅、示衆有三毒○衆生、持是経者○患、若不順我咒○枝、転我邪心令得安住○世尊、此れ等の類然るべし、意趣は意に任かす、 去り乍ら或は若し鬼神に無く横道者依て所の弔う正直無上之妙経に至り魔即法界之覚躰に任せて邪見即正之道理に帰在し十界一念之正法に会得ん三諦即是の妙理を速に捨て邪念を改め妄執を住し正信に叶ひ仏果に却て可き為擁護す受持の者を也、若し又悪念妄想之氷は者砕け経王恵日之威光に邪心顛倒之煩悩は者消え妙法大河之智水に仍周・法界云云、上件の意趣対句帯句等の長短は別して之れを習ふべし、爰には尽し難き間心持ち迄なり、或は代々の卒都婆に依て弔ふ所の功力仏果増進と書きたるは末代の物咲ひなり、思慮の間、其の人を出さざるなり、相構へ其詞の多少文章和剛之れ有りと雖も筋目に於いては此の分為るべし、多く人の誤る事なれば懇に記すなり、但だ経文などは何にも通融して書くべし、謂く願以此功徳○道、我願既満○足、如我昔○道、是好良薬○此、若持法華経○浄、是躰の文は何にも用ゆべきか、又融通せざるも之れ有り、謂く如従飢国来○膳、而於彼土○経等の文は代々尊宿等の仏のそとばなどには之れを書くべからず、はゞかりあるか、 去り乍ら意趣の指南によつては書く事も之れ有るべし、打はなしては書きがたき所なり、惣しては代々僧檀他宗魔障等の廻向も此の得心之れ有るべきなり、宋人くいぜを守り唐人ふなばたをきざむつれ是れ多し、殊に今時分なまものしりの学問者色々の横義之れ多し深く之れを制し広く之れを責むべきのみ、是等は上代の引付は之れ無し去り乍ら意趣等を見るに上代も当家学匠は此の得心の外之れ無しと見たり、但だ此の分も正意を重んぜざれば先聖先師の引付を以つて之れを破らるべし、若し又門家に於て私の己義を構えて非難ならば之れを用ゆべからざる者なり、又当家の明匠に於いては只今も此の内を取捨有るべき者なり、即日我が結縁助成たるべきのみ。 一、当流吉日をみるやの事。 問ふて云はく当流に於て日をゑらぶ人もあり又撰ばざる人もあり其の正意如何、答へて云はく吉日良辰をゑらぶ事は自他宗の世間悉檀なり、当宗もあながち法度にも非ず又依用するにもあらず、日蓮が弟子にも陰陽師ある旨を遊ばしたり、但し是れは別義なるべし人々のすきこのみにあるべきなり、さて当流正信の学者は好むべからざることなり、現証には当家の明匠日要日杲等深く之れを見られず、仮令愚癡の道俗のため或は祈祷或は死導等には時日を撰ぶ迄なり、さて上人貫主当家正信の人々日をゑらんで夫れ故に現当二世安穏なるべしと思ふは一念の信心にあらざるか二念の信なるべし、然る間、日我等一代の内に一度も自分に於いては日をゑらぶ事なし、又悪日と聞いて尚このんで仕つることもなし、其の時に臨み所用あれば取り行ふ迄なり、夫れは人の信の厚薄、智の浅深によるべし、見るべき人はみても苦しからず、みたくなからん人はみずとも尤もなり。 疑つて云はく先づ世界の日をみるが二念の信心なるべきこと如何、答へて云はく世界の暦道の沙汰際限無く大躰今時分は人の吉日を以つてわが吉日とするなり、又惣じて吉日は希なり一分に於て日をゑらぶは造作なり、其の外日の善悪をうつに殊外の造作なり、然る間相当の吉日希なりと見たり、殊に当時の暦者浅学にしてあやまり多し、彼れ是れ以て用ふるにたらず、縦ひ又日の善悪治定すと云へども当流の信心いたらずんば吉日も悪日となるべきなり、然る間、当流の日取りは別なるべし信心の恵日あるべし、日我は当流の日の見様三重に信心を付け申す処なり、引付等は之れ無しと雖も諸の御抄相承等の内意をさぐり代々の記文に眼をさらし料簡を加ふる処なり、謂く一にも当宗の本意は久遠に宗旨を立て三世一念久遠常住なる間、信心堅固なればいづれの日も、なん時も吉日なり良辰なり、他宗他経は始覚の時日なれば異時異日なり、此の経の心は一時ごとに釈せられて一時二時一日二日の異時にあらず、久遠常住の一日一時なり、然る間、他宗他経の意は異時なれば善悪あり、 当宗の意は過去に滅せず未来に生せず久遠元初の一時、本因名字の一日にてさしゐたり、恵光照○数劫の唯有一乗の日輪の行道に於て更に善悪の二つあるべからず、若し之れ有りと云はゞ無二無三ならべからず、事の一念三千の信心を取り定むる日が即一切成就日、嘉会の時なり、例せば仏四十余年には吉日吉時もあるらめど今正是其時とこそ説き、本化涌出をば五十小劫謂如半日と説かれたり、信心堅固の上行菩薩五十小劫の内には悪日悪時なしと覚へたり、半日とある上は之れを思ふべし、然る間迷悟の根性によるべき迄なり、剰へ他宗の事ながら真言宗には愚俗のためには今世現在の宗なる故に堅く日をゑらぶと云へども高野山草創の日は大悪日なりき、特に地鎮の時衆徒之れを練む、弘法大師迷故三界城○、此の文を唱へて地をわると見たり、又禅宗には碧巖一百則の内、雲門好日と云ふ故則あり、其の所詮一日二日と名を付くることは人の云ふことなり、然る間昨日今日も更に善日悪日有るべからずと云ふ意なり、 日吾も碧巌の談義を聞きたり之れに依つて得道の禅宗は必ず日を見ず得道の眼力を以つて吉日とするなり、其の外俗の軍配にも此の沙汰之れ有り日我も軍配の深秘残らず之れを相伝す、其中に喧、破急惣諡三巻のまきものは奥の談、秘中の深秘なり、中にもそうまくりと云ふは月を以て年を打ち日を以て月を打ち時を以て日を打つ心を以て時を打つなり、いくさの時是れをしらずんば敵襲来るとも悪年悪月悪日悪時なりとて向ふべからずや、若し爾らば敵のために害せられん其時の大事なり抑も是れ等は世間権教の浅間敷事なれども其の家々の心持此の分なり、何に況や一念信解者○首の首行者一念一念に非ず○刹那、信心朝夕にあらばいつも吉日良辰なるべしさて当宗と号しても不信謗法にしては如何に吉日良辰をゑらんでも現当ともに勝利あるべからず、但だ御冥感に任かせよと日要など堅くいましめ給ふ事之を思ふべし、冥感つきはてては如何に日をみても相叶はず、先づ爰許にても耕作紡績をたゞ男女共にかせかば民の上も安全なるべし如何に日をみても男女共に徒にゐては、たつべき布もかるべき田畑もあるべからず、吉日良辰のこよみは世界に多けれども我ためには所用あるべからず、此の分当門の僧檀とも通惣して心持なるべし。 二には末法の主師親に向ひ奉りて吉日を見出し申す事之れ有り、御抄に云はく生身妙覚の日天子云云、末法に於いて誰人ぞや忝くも末法闇夜の大日輪日蓮聖人の日の字是を思ふべし、毎自作是念の御利生我常在此之慢り無き日時、此の顕益の外にいづくに吉日をもとめんや、御大事には国常立尊探り出し給ふ日文字と遊ばしたり、国とは本時の娑婆、本有の寂光、本門戒壇久遠元初の吾か国なり、とことは三世常住なり不生不滅とは是れなり、立とは三災四劫の破壊をはなれ生死無常の損害をのがれて久遠常住成立の貌なり、みこととは尊の字、謂く本因妙の本尊なり、さる間天神七代の初のみことと云ふは迹のみことなり、久遠本因妙の本仏は本のみことなり、之れに依つて本尊と申すなり、さぐり出とは末法濁悪の衆生のために法性の淵底玄宗の極地、名字本地の寿命海のうなばらより本因妙の本尊をさぐり出し給ふなり、 其の日文字とは日蓮是れなり久遠自行の日は本因妙の本位に居して十界久遠の本尊でさしゐ給ふと云へども、末法濁世の衆生のために一仏現前して信心の本尊と顕れ給ふ御姿是れなり、爰を本御影と申すなり、されば釈尊久遠名字の御身の修行を今日蓮が身に云云、日蓮と遊ばす処の今の字日の字之れを思ふべし本因妙の日蓮と信を付け奉つて見れば末法即久遠なり、久遠に二仏あるべからず、さてこそ倶躰倶用の無作三身云云、寿量品の文底とは是れなり、如来秘密の本仏の御事なり、然る間日蓮大聖人と日々時々唱へ申し尊敬いたす処こそ吉日良辰なれ、何ぞ此の外に日をゑらばんや、仮令本仏の内証より垂迹示現の上にて日月星辰とて無常遷滅の年月日時と云ふ之れ有るなり、さてこそ我此土安穏○満天昼夜○之とて三世共に常住の御利益冥顕の両益と存すべきなり、然るに末法は久遠常住本因妙の本仏直に出現あつて顕益をなし給ふなり、されば神代に探出されし日本の迹の日輪なり、礼楽前馳○云云、之れを思ふべし、神国始仏国○先表云云、 然る間当宗の本意は世間浅近の日時に深く執すべからず、国は日本、鎮守は日神、高祖の御童名は善日、御名乗は日蓮之れを思ふべし、年紀大小○不同の代々のかはるとも所々言説皆実不虚の久遠実本の唯我一人の日蓮一代と信を取り定むる所が三世常住不生不滅なり、明日と云ひ今日といひ善日の悪日のとへだつときんば生死の妄法に執し有為の塵境に執する相なり、出過三世してみれば三世は一日なり、一日は一念なり、隔つべき悪日なし取るべき善日もなし、但だ一念信解の信心の発起する所を吉日吉辰と存すべきなり、末法事行の本尊恵日大聖日々時々に信じ奉る所より外に月日等撰ばざるなり。 三には衆僧に約す、日文字頂戴の行者の上にて是を申さば、抑も生死障隔の我れ等時日異転の凡僧、忝くも久遠常住、生身妙覚の日輪をいだき奉り、我れ即生身の日輪と成つて見れば有為転変の時日を送り来りしは悉く妄染の憂世なりけりと観念申す時、よそに思ひ高く見奉りし日蓮は我か身なりけりと開目して、久遠元初の自受用智の大日輪となる時、生死煩悩の山海は平等大会の寂光と打なり、遷化無常の世間の迷情をなげすて、三災四劫を出でゝ現世安穏後生善処の本懐をとげての上に何ぞ世間一且の時日をかゝはらんや、善悪の月日をゑらぶ事は三災四劫等の有為の法塵にかゝはる界内有漏のまじないなり、抑常住不変の土に住し身土色心倶躰倶用の本門、事行の名字妙覚の日天子と成つて何ぞ六欲下界の日々夜々の吉凶にをそわれ、陰陽暦者の善悪にたづさはらんや、例せば顕本寺日守は御影堂の柱立の時、天網四張日とて今日は諸天よもにあみをはり給ふ之れに依つて屋作にいむ間無用と云云、日守云はく諸天は我此土安穏○堂閣とし法華の常閣を作らばつねに充満すべしとこそ誓はれ、或は又諸天昼夜○之とて、よるもひるもまもるべし云云、如何にばかげなる天人にてもあれ、法華の大堂をつくるに、あみはる天はあるべからずとて造られたり、既に日守日杲日寿三代つゝがなく世出弥繁昌せり是れは日杲地言の雑談なりき、今に覚へたる人も之れ有るべし、此れ等こそ当家の信心の手本なれ。 上件の三個条の料簡は日我が信敬の一筋なり、殊に今時分こまごましき事を云ひ古雑抄などを見を学匠と思ふ者あり、之れに依つて専ら之れを記す、さて世界悉檀なれば僧檀共にすきに依つて時日をゑらぶ人はゑらぶべし立仏もゐ仏も檀那次第とは此様の事なるべし、さて門徒の法度にそむく事あれば立つと云ふとも立つべからず居よと云ふともゐべからず、是れは不義の人の為に重々にしるすなり。 一、祈祷の事。 問ふて云はく祈祷の時本尊なき所など如何又廻向如何、答へて云はく祈祷の所にては本尊をかけ申すべきなり、若し本尊なくんば墾に本尊御影並に躰具十界の聖衆代々等を勧請申して其後経をはじむべし、廻向の事は上の段々に之れを書く間之れに準す、殊に米銭等仏前に進上の時の心持なるべし、さて別して病者などの祈念ならば南無妙法蓮華経、日蓮大聖人、其の外の上の段の如く伏して願くば是好良薬の本門下種の南無妙法蓮華経の功力に依り、毒病皆愈の素懐を遂げ、譬如良医の本門下種の主師親日蓮大聖人の守護に酬ひ、善治衆病の本望を遂げ、病即消滅○死の悪霊退散し、魔即法界の当病平愈なんどと申し収めて題目をとなへ廻向申すべし、此の外年始などならば当檀那信心強盛、真俗円満、無病息災、寿命長遠、福貴安全、子孫繁昌、六親眷属無為安泰、殊には現当二世所願成就、年中所願皆令満足なんどと申すべし、其の外詞の広狭人々の心にまかするなり。 一、御法事の事。 問ふて云はく御法事の次第如何、答へて云はく教化弘経の七個の伝之れ有る上は重言に及ばず、去り乍ら様躰日中の如し、されども法門を申すべき隙いたむ故に両品など長々とよむこと如何なれば、常には寿量品の長行又は自我偈にてもあれ、よんで其の次に法則をよむなり、高座に登り先づ香をひねり次に経をはじむるなり、先づ一つかねを打ち香をたき其の次にかねを二つ打ちて経を始るなり、其の所表之れ無しと雖も登高座して只香をたくは手持無沙汰なり、故に一つ打ちて香をたひて常の如く二つ打ちて経をよむ迄なり子細之れ有るべからず、若し又三身勧請とも云ふべし、 法事のまえ経の終にかねも打たずともなれども打たざれば法則のうつり所ゑすき間だ打つ迄なり、之る依つてかね数定まらず、法事過きて自我偈題目其の後散花をつむなり、然らば法則の次に余の品を打続けて訓読する事当門流にすべからず、若し然らば今よむ処の経旨が法則となる間、今此三界の文相所詮無き、他門は法則を定めず何品なりとも其の談義の時よむ処の経旨を法則にする故に、くんどくするなり、当流には今此三界の主師親の依文を法則と定むる末法相応の下種の本尊、下種の法華経を披露いたし法事のなかばに所用あれば何品にても経旨をひろげて引証するなり、 又三文分別相似の謗法とて上代より掟て置く上は一座に具さに三文を沙汰すべからず、所用有らば一文も二文も何となく引き来るべし、夫れも一致の弘通などの様に然るべからず、常には只だ入文なりとも題号なりとも来意なりとも一所を取て法則の引証にすべきなり。広狭は人心に任かするなり、委く其の品を以て一座の始中終するときんば天台の本疏よみたる類ひ略大綱の学問談義なり、さる間道場に於いて当流は談義とは云はず御法事と申す事之れを習ふべし、日要上人其の上、代々の御法式此の分なり、然る処に只今浅智薄学なる間、他方入学の族、己義を構へ先師を蔑り当家を軽し広智大才を本として我儘の様躰之れ多し以ての外の大謗法、不信悪逆の輩なるべし、只だ当流は正智深学を好んで広学多才を事とせず、所詮は本因妙の主師親事行下種の南無妙法蓮華経を仏法の二字にかまえ始中終の魂に持つて其教機時国教法流布をことはる時、経旨所釈の内鑒の筋を用るなり、然る間三文を分別し四悉四種の釈等を一々に本疏末疏に任かせ談ずる時は彼の家の三大章疏の談義にてこそあらめ、此の旨を能く々信敬申して諸御抄の本意を見ぬき奉り、御大事を胸に収めて高祖開山の御弘通の心ばせを以つて一経いづくなりとも、よまば即当流の本意に至るべし、愚見を以て他門の学力にまかせ三大章疏の眼力を以つて御抄等をおがまば恒河の四見たるべし、さて下機説法の時或は権実の起尽、或は一代の配立等は能く々台家を学び其の所釈等何程も引き来るべきなり、但だ所詮諸御抄の始中終を能く々拝見有るべし、迹門弘通と本門弘通と其の心似ても亦にざる事なり、譬へば外道も二乗も菩薩も界内の惑を断ずる事にたれども其の始中終の得意各別なり、世間の畜類だにも庭鳥は何ケ度鳴くも庭鳥、鶯は何ケ度なくも鶯なり、鶯の庭鳥の声ににたるなし鶏も亦鶯ににざるなり、其の如く当流修学の人は如何様なる法門を云ふとも落着は当家の本門寿量品の主師親に落着するなり、台家他門入学の人は当流とて云へども台家なり、其の故は法門のからくり地盤の執情は他流にてことば斗りにする間其の始中終は台家なり、爰を以つて朝も夕も、ねてもさめても当流の一大事を心にかけ諸の御抄の本意を拝見申し御大事已下代々の置文一言のかな文、少しの草案なりとも金玉と思ひ、至誠心の志にて信敬申さば争か自解発明為らざらんや、何に況や厳師に値ひ善知識に伴ひ正見正信に入らざる事はともに宿習の拙きか、今世の名聞故か浅間敷かな、他門浅智の族薄学の輩をうつ高く思ひ、当流深智の明匠正信の権者をしらざる事不敏至極なり、 或は名目仕ひの相違を難し或は声のなまりの清濁等を毀つて即身成仏の本尊に迷ひ、当流正嫡の法水を汲み失つて先師の御本意を忘るゝ事歎いてもあまりあり、声のなまりにより名目の相違によつて成仏のきずとはなるべからず、大聖開山も東国田舎の御誕生なり、剰へ京中さへ建武暦応の頃より公家武家共になまるよし申し伝へ侍り、名目の事是れ皆家々の意楽、旨々の相違なれば大筋に任かすべきなり、夫れよりも下種の題目事行の妙法の声を知らずして本迹一致等と声なまりて堕獄する処の他門を悲むべし哀むべし、名字本因妙の事の本尊の名目をかへて在世脱形の釈迦多宝上行等と云ひ、過時の仏菩薩を信ずる所の名目の悪きことこそ不便なれ、剰へ今時分は他宗他門字性かなつかひ清濁よみくせ四声八声、連声、相通、呉漢宋唐の差別をさへ弁へず、我か非を閣いて他を難する事先づ以つて大僻見なり、事多き間筆を絶つのみ。 天文十五年(丙午)正月廿三日之を述ぶ日我敬白。 日侃に之れを置く、日我判 右御抄は日我私の信心の一筋諸人不信の処、自問自答に之れを記す、若し当家相違の筋夕らば当流正信の信者添削有るべし若し又台家他門修学の族ら等、不信浅智の眼を以つて非難を入るゝに於ては大謗法たるべし、凡そ当門流化儀に於ては日我一期の大事残る所無く書き載する者なり、但だ法躰の深理に至りては尽し叵き間委くは書き載せず、仍当門の僧侶と雖も正信正脈の仁の外は相伝有るべからず、但だ当家器用の末弟に於ては之れを伝ふべし、若し然らば起請文を以て之れを授くべし、当家未徹の輩は競望に及ぶと雖も之れを赦すべからず、随つて連々所存の分天文十五(丙午)正月廿日に之れを始め同廿三日未の下尅に述作書筆畢る、頓作の間若し失念相違等之れ有るべし、已後清書に及ぶべし先づ以つて之れを草案す、然る間文字の誤等之れ有らば之れを直さるゝべし、当家再興の明匠、已後に出来せば取捨すべし、若し又正信正智の仁に非ずんば非難に及ぶと雖も末弟之れを用ゆべからず、但だ此の内御大事御書代々の置文に相背く詞等之れ有らば貴賤を分たず、取捨すべきのみ。 南無妙法蓮華経、日蓮大聖人并代々、日我判当家当流の秘決為りと雖も門家の信心存知の為に之れを相伝す、後日に於て当家の正信に非ずんば写本無用り、仍て示し書件の如し。 当家弟子善行坊日膳に之を伝授す、日我在判。 天正五年丁丑三月十六日書き畢ぬ、本乗寺善行坊日膳阿闍梨。 編者曰く雪山文庫蔵、俊師の写本等に依り更に要山本(俊師より日賢日能の転写)を以つて校訂を加へて之を写す、但し各本互に繁簡あり訂本を作る事、能はず今殆んど一本に依るが如し、妙本寺等にも我師及び膳師の正本を見ず、但久成房日恩本を存するのみ(未だ全文を校へざりしを憾む)尚易読の為に延書と為せり。 |