富士宗学要集第一巻

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有師化儀抄(水鑑沙弥)註解  

有師化儀抄水鑑沙弥註解序
 
 総本山九世日有上人の化儀等の訓辞を日住が集録したるもの、已来宗門教儀の金科玉条と崇敬せられ、殊に上人が大石本山復興の大勲と共に益す光輝を放てるも、各条の下には難解の辞章無きにあらずして、已来先師未だ細註を加へて後学を益するの書無きことを慨きて、愚沙弥不学を顧みず明治四十年より稿を起して、大正六年に至る十余年間に亘り、宗門雑誌に掲載して碩学の叱正を請ひしもの、即此の百廿一箇条の外の日有上人に関係ある諸聞書の世に伝播せざるものを類書として参校合輯したるものを、四十余年後の今日宗学要集再版に際して化儀抄の次に編入したり、但し入文の列次は原文に準せず、唯に読便を主として類別を為し原文と類文との下には各の条目を記文せり、乞ふらくば宗門博雅の大徳の高批を仰いて愚老の凡釈も亦本師の聖訓と共に万年の定規と成らんことを冀ふ。
昭和卅二年一月 日 (前の水鑑沙弥今の雪山日亨) 畑毛の雪山文庫に識す。

 
有師化儀抄註解
 
第一条(原文三十三条)、当家の本尊の事、日蓮聖人に限り奉る可し、仍つて今の弘法は流通なり、滅後の宗旨なる故に未断惑の導師を本尊とするなり、地住以上の聖者は末代今の五濁闘錚の我等が根性には対せらる可からざる時分なり、仍つて方便品には若遇余仏便得決了と説く、是をば四依弘経の人師と称せり、四依に四類あり、今末法の四依の人師は地涌の菩薩にて在すこと思い合はす可し。
 
第二条(原文七十条)、法華宗は何なる名筆なりとも観音妙音等の諸仏諸菩薩を本尊と為す可からず、只十界所図の日蓮聖人の遊ばされたる所の本尊を用ゆ可きなり、是即法華経なり今時の諸人は愚迷なる故に・あまたの事を並べては信心が取り難き故に、只法華経計りに限りて本尊とするなり云云。
 
第三条(原文百十八条)、当家には断惑証理の在世正宗の機に対する処の釈迦をば本尊には安置せざるなり、其故は未断惑の機にして六即の中には名字初心に建立する処の宗なる故に、地住已上の機に対する処の釈尊は名字初心の感見に及ばざる故に、釈迦の因行を本尊とするなり、其故は我等が高祖日蓮聖人にて在すなり、経文に若遇余仏便得決了文、疏の文には四依弘経の人師と釈する此意なり、されば儒家には孔子・老子を本尊とし・歌道には人丸・天神を本尊とし・陰陽には晴明を本尊とするなり、仏教に於いて小乗の釈迦は頭陀の応身・権大乗の釈迦は迦葉舎利弗を脇士とし・実大乗の釈迦は普賢文殊を脇士とし・本門の釈迦は上行等を云云、故に滅後末法の今は釈迦の因行を本尊とすべきなり、其故は神力結要の付属とは受持の一行なり、此位を申せば名字の初心なる故に釈迦の因行を本尊とすべき時分なり、是即本門の修行なり、夫れとは種を本とす、其種を育つる智解の迹門の始を熟益とし・そだて終つて脱する処を終と云ふなり、脱し終れは種にかへる故に迹に実躰無きなり、妙楽大師雖脱在現云云、是より迹門無得道の法門起るなり。
 
類文。
一、富士門流草案口決の中に百十八条と同文あり、此は房州妙本寺日要が明応七年に記したるものなり、明応七年は有師滅後十七年に当る、有師遷化の文明十四年・日要四十七の年なり、日要が直に有師に請益せし事未だ文書に徴無しと云へども、房州門家の僧が有師に謁して法益を受けたることの文書は少からず、而して有師の宗見は房州家に歓迎せられたる事明々なり、然れば草案口決の中に百十八条と同文あるは全く本抄より転したる事明なり。
 
二、(文明四年)弁阿闍梨日達聞書に云く、富士方には釈迦多宝なんどをば造立無しと申し承り候、意得られざる義なり、其故は法華の教主証明多宝を造立し奉り候はんに何か苦しかる可きや余仏菩薩を造立し候はんこそ得益無く之れ有る可し、何ぞ法華の教主を造立無きや(此は越後国三条法華堂本法寺にて有師と同別当との問答なり)、答ふ仰(仰とは下去皆有師を指す)に云く釈迦多宝等を造立する事は、正像二千年の時・天台真言等の彼宗の修行なり、今の所用に非ず、高祖聖人の御本意の己証とは、只紙上に顕し御座し候処の御本尊・是当機益物の御本意にて候へ。
 
同書に曰く、仰に云く、当宗説法の時・智慧を面立て信を裏に成し候、信を裏へまわせば・宗旨既に破れ行き候、去る間御祈祷も御祈祷に成らず・作善に成らざるなり・一向天台宗の作法に成り候・此即口惜敷次第なり、当宗何事も智慧を面に成し候へば、宗旨破れ候なり、其故は愚者の上の名字の初心の信計りを専として宗旨として候なり、智慧は理なり・迹なり・上代の悟なり・去る間・人の上と成つて我得分更に之無きなり・当機に叶わざるなり已上。
 
同書に曰く、仰に云く、惣じて我等凡夫名字初心にして余念の事も無く南無妙法蓮華経と受け持つ処の受持の一行・即一念三千の妙法蓮華経なり・即身成仏なり、其故は釈尊本因妙の時も、妙法蓮華経の主と成り玉えば仏なり、師弟共に三毒強盛の凡夫にして・又余念も無く受持すれば即釈尊の如く・妙法蓮華経も別体無く、即信の一字即身成仏なり・妙法蓮華経なり、去る間・信ずる処の受持の一行・当機益物なり、然れば修一円因の本因妙の処に・当宗は宗旨を建立するなり、はや感一円果の処は・外用垂迹なり智なり理なり・全く当宗の宗旨に非ざるなり。
 
同書に曰く、仰に云く、余門跡並に天台宗なんどの住本顕本の熟仏本意の理なんど・以つて・いかめがほ(厳容)に云ふ事意を得ざる義なり、其故は在世は今日の正機・断惑証理の人の前にして之を論ず、去る間初住所在なり・滅後像法の時は観行所在なり、末法の今時は観行即の智者解者の解行・解智も及ばず・事の末法は名字所在と説くなり、名字に於て始中終之有り・其中の名字の初心に之を論ずるなり、されば像法の時は・在世初住が人の上となる間・教相なり、さて末法の時は本法の五字を我等凡夫の愚者迷者の衆生が・又余念無く受け持つ処が即身成仏なり・是は但信の一字なり、されば智者が此旨を意得信心を致すは今時の傍機なり、其故は何にも知らざる俗男俗女・無二無三に信心致して受け持つが今時の正機なり、さて智慧が信心を致す処を傍と云ふ事は・智慧が面と成る間・今時の正意にあらざるなり。
 
同書に曰く、仰に云く、仙波備前律師に云ふ様は・法華宗は名字の下種にして、受持の一行なる旨・若干云ふ時、律師云く種子と云ふ理即本法の処が正種子にて之有り全く名字の初心にて之無し云云、仰に云く其は智慧の種子なり、其故は理即とは・一念心即如来蔵理にて理なる間・仏の意の種子なり、此理即本法の種子を名字の初心にして・師弟共に三毒強盛の凡夫にして・又余念無く受け持つ処の名字の下種なり、理即は但種子の本法にて指し置きたるなり、理即にて下種の義・意得ざるなり、下種と云ふは、師弟相対の義なり、去る間下種と云ふは名字の初心なり、此の如く事迷の当躰にして又余念無く南無妙法蓮華経と信する処が・即釈尊本因妙の命を次ぐ心なり、尚次ぐと云ふも麁義なり・只釈尊本因妙の振舞なり、
 
されば当宗は本因妙の処に宗旨を建立するなり、然りと云ふて我身を乱達に持つて本と為すべからず、さて当宗も酒肉五辛女犯等の誡事を裏に之を用ふべきなり・是は釈尊の果位の命を次ぐ心なり、惣して当宗は化儀化法共事迷の所に宗旨を立るなり、化法化儀共押通し意得る事大切なり云云。
 
○註解、第一の下。
文に曰く、当家の本尊の事・日蓮聖人に限り奉るべし云云。
 
日蓮大聖人を本尊とする事・当家独頭の大義にして・興目嫡流の相承茲に存して誤らずといへども・他の日蓮諸宗に於いては大に惑ふ所なり、之を以つて諸宗に宗祖の影像を安置する事あるも・唯日蓮一家の高祖として之を視るに過ぎずして・本尊本仏に以て之を尊敬せず、甚しきは其の略本尊等と称して羅列する鬼子母神・帝釈天・妙見・七面、清正公と同視する輩あるに至る・不敬も亦甚しき事なり、故に此等は大曼荼羅と御影像とを別置して敢て人法体一の妙義を味はず・本仏の慈願に背く事愍れむべきものなり、近来諸宗に稍反省の徒ありて・六百年前の本化の風光を現前せんとするあり、彼の無意味なる不見識なる大菩薩の号の如きも・何となく用ゆるもの少きに至り・又内外漢頻に宗祖の高風を賞すといへども・未だ共に本仏大聖と仰ぐの見地に到らず・雖近而不見の金言は何つ時代までにや・嘆かはしき次第なり、今文に宗祖を以つて本尊として・大曼荼羅の事に云ひ及ばざるは・如何なる理なりやというに・且らく人の本尊をのみ挙げ給ふなり、故に次の第二には只十界所図の日蓮聖人遊ばされたる所の本尊を用ふべきなり、是即法華経なりと云へる・是は只法の本尊のみを挙げたるなり、此の如く有師の文中・便宜に依り或は宗祖の人を挙げ、或は大曼荼羅の法を挙げ・互顕的に人法一個の本尊を顕揚し給へり、今因に有師已前の古文に依りて・更に人法本尊の実例を示すべし。
 
又おほせの候御法聞を一分も踏み違へまいらせ候はば本尊(法本尊)並に御聖人の御影(人本尊)の苦まれを清長が身に厚く深く被るべく候(正応元年波木井清長状)。
 
故母尼御前の御為に用途二百文畏て給ひ候て御経日蓮聖人の見参に申しまいらせ候(文保元年開山状)。
 
かたびら一つ畏つて給り候又は法華聖人の御見参に申し上げまいらせ候(元応二年同上)。
 
盆の御為に用途三百給はり候て法華聖人の御見参に申し上げまいらせ候(同上)。
九月十三日法華聖人の御酒御さかな種々に恐れ入つて給はり候ひ了んぬ(同上)。
 
御手作の一桶・聖人御影の御見参に入れまいらせ候ひ了んぬ(同上)。
 
御手作の苽一籠十五・聖人御影の御見参に申し上げまいらせ候ひ了んぬ(同上)。
 
日本一の櫟一駄・御著三百膳・送り給ひ候て聖人の御見参に申し上げ候ひ了んぬ(目師状)。
御用途二百文畏く給はり候て御経聖人の見参に申し上げまいらせ候。(仙師状)。
 
已上諸師の真筆現存するもの・此類のもの枚挙に遑あらず、殊に開山状数十通の中に・一も釈迦仏の見参に申し上げ候等といへるものなし、法華経といひ・御経といひ・法華聖人といひ・御聖人といひ・或は直に人法一個を云ひ顕はし、或は別に人をのみ挙げて・些細の供養も一々宗祖御影の見参に供へて・如在の礼を本仏大聖に尽し給ふ・六百年古師の風容眼前に在るが如し・尊うとき限りならずや、殊に波木井清長状の如きは本尊と御影とを竝べ挙げて誓状を造る、其通途の起請に天照・八幡・熊野権現等を挙げ・熊野牛王に血を濺ぐものと思ひ較べて・其の信念の篤きと亦開山教化の潤沢なるを見るためにあらずや。
 
文に曰く、地住已上の聖者云云。
 
地住已上とは地上住上といふ事なり・天台円教の配立に菩薩の行位を五十二位に分つことあり・其の初住の位より一品の無明を断じて・仏陀の分位を得・八相成道す、斯くの如く十住・十行・十回向・十地・等覚の四十一位を経・四十一品の無明を断じ、更に最後の元品の無明を断じて・究竟の中道を証するを妙覚の仏陀と云ふ、即初住已前の十信の位は未だ無明を断ずる事能はざる故に聖者覚者をあらざるなり、然るに又別教の義に依れば・初地の位より無明を断して・一分・仏陀となると立つる故に・十地已前の十回向・十行・十住・十信は共に未断惑の迷位にあるものなり、是れを以て別円二教の配立に約して通途・断無明証中道の聖者・仏陀は地上・住上にありと立つるが故に・今茲に惣じて地住已上と云ふなり、此の如き聖者出現して弘教する時機は・在世又は正法像法にありて・末代の五濁悪世・闘諍言訟・白法隠没の時に生れあへる・下根の種性には適せざるものなり。
 
文に曰く、若遇余仏便得決了云云。
 
此文は法華経方便品長行末にあり・大阿羅漢衆が釈迦仏滅後に於て・余の諸仏に遇ひ奉りて・信心決定を得んとなり、此余仏と云へるを・天台大師は南岳大師の説なりとて四依の人師なりといはれたり、四依とは涅槃経の四依品に出でたり、此の人の四依と法の四依とあり、依法不依人依義不依語等は法の四依なり、人の四依に声聞と菩薩とあり・菩薩に多種あり・今末法出現の地涌千界の大菩薩を以て・四依の人師とすることは通途の説にあらず・本宗の義なり。
 
○註解第二の下。
 
文に曰く、只十界所図の日蓮聖人の遊ばされたる所の本尊を用ふべきなり、是即妙法蓮華経なり云云。
 
此文は法の本尊を挙げ給へり・人法の事・前条の下に委く述べたり、本尊即法華経なりとの事・当流の義称なり法華経に文義意の区別ある事は云ふまでもなく・宗祖の御妙判の中にも法華経の名義は多様に用ひられたり、要するに末法の法華経とは何ぞやと云ふ時境にして大曼荼羅・智にしては南無妙法蓮華経と結帰するなり、
 
然れども上世既に本尊に於いて誤れる者多かりし故に開山上人門徒存知抄に之を誡めて曰く・五人一同に云く本尊においては釈迦如来を崇めたてまつるべく既に立て給へり・随つて弟子檀那の中にも造立供養の御書之あり云云、而る間・盛に堂舎を造り・或は一体を安置し・或は普賢文殊を脇士とす、仍つて聖人御筆の本尊に於いては・彼の仏像の後面に懸け奉り・又堂舎の廊下に捨て置けり、日興云く聖人御建立の法門においては・全く絵像木像の仏菩薩を以つて本尊となさず・唯御書の意に任せ・妙法蓮華経の五字を以つて本尊となすべし・即御自筆の本尊なりと・開山上人の時代既に爾り、有師の時代に至れば他門流は更に誤謬を伝へて雑乱弥々甚しきに至りしならん、是を以つて有師反覆叮寧に随処に此の大義を闡揚せられしなり。
 
○註解・第三の下。
 
文に曰く、当家には・断惑証理の在世正宗の機に対する処の釈迦をば・本尊には安置せざるなり文。
 
正像末の三時の仏法は・皆釈迦牟尼仏の教域なりと云ふ通身より見るときは・末法は是れ如来在世の法華八ヶ年正宗の流通となる、末法の初冥利無きに非ずといふも・後五百歳遠く妙道に沾ふといふも・此の通見より起りしものなるも・当家独頭の大義は豈爾らんや、末法こそ下種本法の正宗なれ、如来在世は序分なるのみならず・過去遠々の仏法も亦下種本法の序分となる事・観心本尊抄の如し、然れども今は通用に従ひて且く在世を正宗とし・滅後末法を流通分とし給ふ。
 
断惑証理とは三乗機類四教の区別に依りて・断証の方法と迷悟の法体とを異にする事・通途の如し、上に已に別円二教の菩薩の断証を示せり・余は繁きが故に之を略す、要するに断といふ事は行者が一の惑を断じ畢るときは・未来永劫再び起る事なきを云ふ、当時の人が或る動機にて酒を断ち煙草を禁ずれども口が承知しなくて・間もなく始むるといふ如きものにあらず、
 
一時一節の禁断にして三業相応せざる如きものは・伏惑と云ふ内に入る、此は在世の正行にあらず・如何なる下根下機劣等の行者も必ず・煩悩を断ぜざるを得ざるを以つて・一生二生にて断惑の目的を達する事能はず、何百何千の生死を費やし・無数億刧の長時を経て・初めて成道の目的を達す、是即ち諸経に普遍する釈尊の教旨なり、此の如きの釈尊は末代当時断惑不可能の衆生・況して二年三年の禁酒禁煙すら覚束なき人々には機応不相応・柄鑿不相容にて・矛盾の宗旨を建つるのみにして・何等の利益なきものなれば・此の能説の教主を本尊に安置して無縁無感の信仰を為すべけんやと曰ふなり。
 
○註解・第三の下。
 
文に曰く、六即の中には名字初心に建立する処の宗なるが故に云云。
 
名字初心とは・天台六即の第二を名字即とす・仏法に入るの初なり、故に聞名を正位とす・初後に約すれば・初心は聞名の位・後心は解了の位なり上に類文に引ける文に依れば・名字に於いて始中終ありといへり、聞思修の三に約することもあるべし、然れども各所の文に初心と云へるは正しく聞名の位なる事・明にして・是即無解有信の重なり、当流には此の聞名・但信受持の重を僧俗信行の目標とす、敢えて智恵才学を放にして・なまじいに宗論の上下を好む者は大聖の慈悲に遠ざかるものなるべし。
○註解・第三の下。
 
文に曰く、釈迦の因行を本尊とするなり・其故は高祖日蓮聖人にて在すなり文。
 
釈迦の因行とは・惣勘文抄に示されし元初本因妙なり・敢て釈迦の因行とのみ云ふべきにあらず、三世十万諸仏の因行なり・三世十万諸仏の因行のみと云ふべきにあらず・世界万邦に出現して道と云ふ道を布ける聖者の本因妙所なり、
 
修養の時間なり・信行空間なり・其の因行修養の儘を日蓮聖人が実行し給へる故に・直に大聖人を以て因行の本尊と仰ぐ、是本因妙を標牓する家流の単見にして猶豫不定の他門家の敢てする能はざる所なるべし、猶上に引ける類文の末文及び本条の下・又将に掲ぐべき第五の下を参照せらるべし。
 
○註解・第三の下。
 
文に曰く、儒家には孔子老子を本尊とし・歌道には人丸天神を本尊とし・陰陽には晴明を本尊とするなり文。
 
儒家に孔子を宗主とする事常の如し、釈尊の如き孔子必ず主位にあり、老子を儒流に入られたる事・儒・道・通惣の上の事なるべし・異例の事なり。
歌道に柿本人麿を祖聖とする事・常のごとく・和歌三聖などと推称し来れり、天神とは菅原道真公なり・詩文和歌に出入して何れも入神の誉れあり、陰陽に阿倍晴明を推尊すること亦人口に噌炙す、此等は通例を引き給ふのみ。
 
○註解・第三の下。
 
文に曰く、神力結要の付属とは受持の一行なり云云。
 
神力品の以要言之の四句の結要は名体宗用なり、此等の五重玄義は妙法蓮華経の題名に結帰す・世尊重頌の末句にある応受持斯経の受持は・即此に云ふ所の受持の一行なり。
 
第4条(四十条)、帰命の句ある懸地をばかくべからず・二頭になる故なり・人丸の影・或は鐘馗大臣等の影をば・かくべきなり文。
 
○註解
 
文に曰く、帰命の句ある懸地とは・仏・菩薩・諸天諸神等に帰命したる幅物なり、例せば南無阿弥陀仏とか・帰命頂礼・釈迦如来とか・猶天部人間にもあれ・南無又は帰命の頭書ある軸物をば・書院・広間等にも懸くべからずと制し給ふ
 
是は末代の凡夫は日蓮大聖人の御本尊御影の外に決して帰命礼拝の儀あるべからず、若し持仏堂の外に於いても余の仏菩薩諸天善神等に帰命する幅物を懸けて礼拝する時は・信仰一準ならずして・信念受持の義を成せず、依つて信が二頭になる故なりとて・謗法を誡め給ふなり、現時は床の間・懸の軸物に・画幅・書幅共に・宗教趣味の物少なく帰命の句なんど殆ど皆無なれども・足利時代には多かりしと見ゆ・是れ床の掛物は仏教より起りしものなればなり。
 
文に曰く、人丸の影・鐘馗大臣等の影等とは・上文は帰命の句あるといひて・書幅のみを指すに似たれども、此文を以て見れば画幅をも指されたる事明なり、影とは画像・木像に通すれども此には画像を云ふ、歌聖人丸の画像には宗教の意味なく・鐘馗逐鬼の絵像に亦帰命の義なし、或は蝦蟇仙・鉄枵仙・竹林七賢の如き・少しも信念を惹起するの機を与へざれば敢て故障なしといへども、若し観音や不動の画像を懸け・帝釈又は鬼子母神の影を掛くる時は、其れ其れの信念自然に起りて大本尊御影の正信を紛乱す、是れ末代初心の行者の縁に紛動せられ易き故に堅く謗法を誡め給ふなり。
 
第五条(七十三条)、法華宗は能所共に一文不通の愚人の上に建立ある故に、地蔵・観音・弥陀・薬師等の諸仏菩薩を各々に拝する時は、信があまたになりて・法華経の信が取られざる故に諸仏菩薩を信ずる事を堅く誡めて・妙法蓮華経の一法を即身成仏の法ぞと信を一定に取らせらるゝなり、信を一法に取り定むる時は・諸仏所師・所謂法なりと釈して、妙法蓮華経の諸仏如来の師匠なる故に・受持の人は自ら諸仏如来の内証に相叶ふなり、されば四巻宝塔品には我即歓喜・諸仏亦然と説けり云云。
 本条は前に引ける条々に類文多く・又次の第六条に似たる所あり且らく註解を省ぶく。
 
第六条(百十六条)、釈迦一代の説教に於いて権実本迹の二筋あり、権実とは・法華已前は仏の権智・法華経は仏の実智なり、所詮一代の正機に法華已前に仏の権智を示さるれば・機も権智を受くるなり、さて法華経にて仏の実智を示さるれば・又機も仏の実智の分を受くるなり、されば妙楽の釈に云く権実約智約教と釈して・権実とは約智約教・智とは権智実智なり、約教とは蔵通別の三教なり・円教は実教なり、法華経已前には・蔵通別の権教を受くるなり、本迹とは約身約位なり、仏身に於て因果身在す故に本因妙の身は本・本果の身より迹の方へ取るなり夫とは修一円因・感一円果の自身自行の成道なれども、既に成道と云ふ故に断惑証理の迹の方へ取るなり、夫より已来機を目にかけて世々番々の成道をとなへ在すは皆垂迹の成道なり、華厳の成道と云ふも迹の成道なり、故に今日華厳阿含方等・般若・法華の五時の法輪・法華経の本迹も皆迹仏の説教なる故に本迹ともに迹なり、今日の寿量品と云ふも・迹中の寿量品なり、されば教に約すは是れ本門なりと雖文、さて本門は如何にと云ふに・久遠々本本因妙の所なり・夫とは下種の本なり、下種とは一文不通の信計りなる処が受持一行の本なり、夫とは信の所は種なり・心田に初めて信の種を下す所が本門なり、是を智慧解了を以てそだつる所は迹なり、されば種熟脱の位を円教の六即にて心得る時名字の初心は種の位・観行相似は熟の位・分真究竟は脱の位なり、脱し終れば名字初心の一文不通の凡位の信にかへるなり、釈に云く雖脱在現具謄本種と釈して・脱は地住已上に有れども・具に本種を謄ぐると釈する是なり、此時釈尊一代の説教が・名字初心の信の本益にして悉く迹には益無きなり、皆本門の益なり、仍て迹門無得道の法門は出来するなり、是即法華経の本意滅後末法今時なり、されば日蓮聖人の御書にも・本門八品とあそばすと題目の五字とあそばすと同意なり、夫とは涌出の時・地涌千界の涌現は五字の付属を受けて、末法の今の時の衆生を利益せんが為なる故に・地涌の在す間は滅後なり、夫とは涌出・寿量品・分別功徳・随喜功徳・法師功徳・不軽・神力・囑累の八品の間・地涌の菩薩在す故に此の時は本門正宗の寿量品も滅後の寿量となるなり、其故は住本顕本の種の方なるべし、さて脱の方は本門正宗一品二半なり、夫れとは涌出品の半品寿量の一品分別功徳品の半品合して一品二半なり是は迹中の本門正宗なり是とは在世の機の所用なり、滅後の為には種の方題目五字なり、観心本尊抄に彼は一品二半・是は題目の五字なりとあそばす是なり云云。
 
類文。
 
(文明八年土佐国吉奈)連陽坊聞書に云く、仰に云く・さて末法今時は悪心のみにして善心無く・師弟共に三毒強盛の凡夫の師弟相対して・又余念無く妙法蓮華経を受持する処を・即身成仏とも・名字下種とも云はるゝなり、去る間・在世の寿量品とは一代の正機の前にして迹が中の本なり、去る間・初住所在・さて滅後は観行所在と云ふも・今時皆人の上となるなり、今日蓮所弘の本門は・要法の五字を愚者迷者の我等に受持せしめ給ふ所が・滅後の本門なり下種なり、此の如く得意れば在世の寿量品は迹中の本名て本門と為すの本門なる故に・迹門にある所の本門なり・故に迹門なり、さて高祖所弘の本門は本迹に相対せざる・直に久遠の妙法蓮華経を受持する故に事なり、本門なり又我等衆生の為には下種なり、爰を以つて本尊抄に云く。彼は脱・此は種・彼は一品二半・此は題目の五字なり、彼と云ふは在世なり此と云ふは滅後日蓮の本門なり已上。
 
同上・仰に云く・天台宗の法華宗の立義如何様に立てられ候やと問ひける程に、只我等が家には天台大師所判に立て候と云ふ時・其所判如何と云ふ間、雖脱在現具謄本種の釈を出すなり、其故は後五百歳今時に・師弟共に三毒強盛の愚者迷者の上にして・位名字の初心に居して師弟相対して又余念無く南無妙法蓮華経と受持する名字は下種なり、之に依て下種終に脱なり、さて何物を脱ぞと云へば本の下種を脱するなり、譬へば籾を何共せずして指し置く処は種なり・籾を田に下す処は下種なり、さて其れが苗成り菓を結ぶ処は熟なり・熟して刈取て籾にする所は脱なり・去る間脱すれば本種に成なり已上。
 
本条は已載の前条に類義甚だ多ければ、互読に自ら義通ずべし、且つ二個の類文及び前々已掲の類文と照合せば義理自ら明瞭とならん、故に且らく註解を加えず。
 
第七条(百十七条)、神座立てざる事、御本尊授与の時、真俗の弟子等に示し書之れ有り、師匠有る師の方は仏界の方、弟子の方は九界なる故に・師弟相向ふ所中央の妙法なる故に、併て即身成仏なる故に他宗の如くならず、是即事行の妙法、事の即身成仏等云云。
 
類文。
(下野国金井法華堂住)下野阿闍梨聞書(文明四年)。
一他門跡云く、如何なれば富士方に神座を立てざるや、仰に云く他門跡に立つる所の神座は理の神座なり、只当宗は位牌を本と為す故に別に位牌を立てざるなり、事の位牌とは、本尊の示書是なり、其故は本尊に当住持の名判を成されそれに向つて示す人の名を書けば、師弟相対して中尊の妙法蓮華経の主と成れば・其当位即身成仏是なり、去る間別して世間流布の神座を立てざるなり、我が名字計りは書いて立つれば弟子計りにて師匠無く師弟相対にも即身成仏にも非ざるなり、又は理なり云云。
 
○註解、当流に別して神座を設けざる事、本文及び類文の如く・文自ら細なり、更に釈成を要せず・但し神座は元儒道の儀式にして・仏家の要にあらず、木主・神主・位牌多少異る処あるも此祖廟に安ずるもの儒流奉祖の要具なり、我国上世神儒・仏の関係密切にして内外・世出・形神を修め来るが故に・其儀式互に出入して・位牌の如きも遂に仏家の要具となれり、今四悉に約して之を云ふ時、第一義に約せば・古往今来・有師の条目の如く・即身成仏・不改本位の外・紙木の位牌神座あるべからず・然れども世界に約せば・無徳無慚の悪漢放逸にして奉祖の念なきものあり、孝は百行の基本・最も勧め易し、且く追善祀祭の易行より・漸く信行成仏の難行に引入する方便道として位牌を安置し如在の礼を尽さしむるも亦止むを得ざるの順路なり、為人・対治之に準じて知るべし、漫に第一義にのみ止まりて位牌造立を無用とし追善孝養の為めに位牌神座を安置する底の信行の嫩葉を傷くること無くんば幸なり。
 
第八条(三十一条)、卒都婆の事、縦ひ能筆なりとも題目をば書くべき人にかゝすべし、余の願文意趣の事は・然るべき作文の人能筆尤も大切にて候、又一向其時の導師無筆ならば・代官しても書かすべきなり、是も師弟相対十界互具の事一念三千事行の妙法蓮華経なる故なり、但し導師計の外には沙汰有るべからざる事なり云云。
 
類文
(土佐吉奈)連陽坊聞書(文明八年)、仰に云く・親の為などに我が塔婆を書く事然るべからざるなり、其故は宗旨の即身成仏の実義を伝するなり、其故は亡者の師匠書写する時こそ・師弟相伝して事行の妙法蓮華経即身成仏なれ、我れ書く時は我れ計りにして師弟相対の義なし・されば理行にて只迹門なりと云へり・一大事なり、塔婆は是れ要の書写なり、首題を二返共書くは広の書写と成るなり、何にも題目をば筆勢を長く広く引くべし・是も信を広くしたる姿なり、如何に悪筆なりとも題目計りをば其所の住持書くべきなり、併し経文意趣をば能筆を本と為すなり、若し出家中に能筆なくば俗人なりとも能筆に書かすべし、去れば上代日目上人十三回の御卒都婆を日道上人題目計り遊し・経文意趣を・ば俗人に袈裟を御免あつて書せ給ふと云へり、乃至其時分大石寺に能筆無きに非らず、末代の事を思し召して態と加様に召さるるなり云云。
 
○註解、「卒都婆」とは梵語なり、次条に委く云ふべし・題目をば是非とも時の導師たるもの書くべき事類文の如し、「願文意趣」とは表面の追善供養又は証大菩提寺の文なり、但し当今専ら短句を書して汎爾に意趣を示すに或は間々願主の意に適合せざる文句を書く者あり・謹しむべき事なり、但し一般に短句を止めて形式の如く得意・知らず識らず疎略に流れたるものか、浅学の者は宜しく塔婆抄塔婆意趣の如きものを坐右に具へて意を注ぐべきなり「代官」しても書かすべきとは代官の名足利時代には世出世に広く用ゐらる・代理者の請なり、大石寺にては・現董上人の代理を為すものを代官と称せり、之に一部一時の代理もあれば全部長時の代理もあり、寂日坊住職を代官と称したるは、近古の事にて・代官の意俗務をも含む、当今は代官の名称滅して仲居の古称猶存せり、「作文」とは文章家の事なり、師弟相対の事、有師叮寧反覆是を述べらる・前条にも本条にも・又下にも多く出づ・類文塔婆の下更に細かなり、今時の信仰稍此意を失へる傾あり・或は害あり・或は無し、但し謂己均仏・現身成仏・師弟不用の高慢より生して、師弟相対を無視する事は・大に信行に害あるものと知るべし。
 
第九条(三十七条)、卒都婆を立つる時・大塔中にて・十如是自我偈を読みて・さて彼の仏を立つる所にて・又十如是自我偈読むべし、是又事の一念三千の化儀を表するか。
類文
(土佐国吉奈)連陽坊聞書(文明八年)。
一、仰に云く、卒都婆の作り様・是も地水火風空の五大なり・五輪なり・冠を墨する事は俗の五輪なる故なり、正く五重を作りてさて冠を作るべきなり、又云く・只五輪は出家の形の五輪なり、さて一寺の塔頭・塔婆を立てん時は・先づ大師匠の五輪の御前にて・自我偈一巻読み奉り其の後は造立塔婆には・自我偈一巻読み奉るべし、此即師弟相対事行の妙法蓮華経の宗旨の化儀なり、塔婆造立の時は・御勤をば一列に立つて遊ばすなり、五輪の前にては座して御勤を遊ばすなり、第一の化儀なり已上。
 
○註解、卒都婆とは窣堵波と書くを正とす、浮図と云ひ偸波と云ふは訛略なり・漢訳して方墳と云ひ円象と云ふときは、形状に従ふ高顕と云ひ霊廟と云ふときは・義理に従つて訳したるものなり今多く塔婆と云ふは、梵漢混合したるものなるべし、釈迦牟尼仏涅槃の後は拘尸那城其の涅槃の所に・七宝の大塔を起すより・或は仏陀伽耶其の成道の所に大塔を起して・礼拝紀念に供す、或は又羅漢の為に菩薩の為に、窣堵波を起つるものあり、三重五重七重八重十三重、円に方に・其形態一ならざるも・多く土石を重畳したるものなりしが・後世漸く木造の三重五重を生し、窣堵波とは殆んど別義の如きものを成す、我日本の如きに至りては・所謂塔婆なるものは・小さき石造又は木造にして・其の最些小なるは水に浮び風に飛ぶ底のものすら有るに至れり、而して我国の塔婆は・墳墓に立て・又は・死所ならざるも追善の為に建つ、古は板碑多かりしが・五輪・宝筐印・卵塔・方塔等次第に起りて・永久の墳墓には石造を用ひ、一時の追善には角形又は偏平板の五輪を用ふるに至れり。
 
類文の中に・窣堵波の造りは五輪五大なりと云ふは・或は其時俗に従ふか、鎌倉時代より足利時代は皆五輪塔なり、然れども現時も一時追善の小板塔婆は自他宗共に五輪を用ふ、或は富士門流に在りても・其山の如きは古碑に五輪なきものあり・用捨一准ならざるか、次に冠を黒する事は・其化儀・但富士山にのみ残りて・諸末寺多く之を行はず、如何なる理の存するかは知るべからず、本文の中に・大塔といへるは・類文中の大師匠の五輪なるべし、今の本末諸寺には皆三師塔あり、宗祖を中尊にして・興目二祖を左右に配す、此三師塔を中心として・其寺の歴代大徳上人・次て檀家の墓碑を造る、されば此の三師塔を以つて大塔とし、此に属する結界の大塔内と云ふなるべし、冨士本山に於ける有師時代の大塔の有様は・今此を知るに由なしといへども・現時は・総本山歴祖の位牌を安置する十二角堂の前に・三師の大塔あり、此に従ひ向ひて四五祖已下の碑を左右に配列し・次に十二塔中の墓所あり、此三師塔の前庭・総本山歴代碑に挟まれたる所に・蓮台ありて・此所即ち葬儀執行の場あり、近代霑上等の葬儀は・経蔵前に荒坦を結び四門を設けて行はる、此の結界も亦又塔の義か(足利時代の葬儀あらかき等の事は後々条の下に云ふべし。)次に彼の仏とは・即造塔供養せらるゝ霊位にして・墳墓の所なり、造塔供養の時に、大塔内にてのみ読経回向し・墳墓を略する時は・此即墳墓を大塔に摂する如き理あるに依り・理の一念三千の化儀に傾むく辺あるを以て両所別々に之を行ふを事行の一念三千と云へるなるべし、類文の下深く之を味へよ、殊に五輪の前の(三師の大塔)には慎で座行を為し・造立の時(墳墓の所)には・自尊(自ら導師たるを重んじて)して・立行を為す等の如き・事々の其宜しきに合ふ、正に事行の一念三千の化儀といふべきなり。
 
第十条(六十六条)・六人の上首の門徒の事・上首帰伏の時は・元より六門徒なるが故には・門徒を改めずして同心為るべし、さて門徒の先達未だ帰伏せざる者の衆僧檀那に於ては・門徒を改むべし等云云。
 
○註解
六人の上首とは・興師御筆の御遷化記録に云へるは向後の為に定め置かるゝ所の・六人の本弟子にて・即ち六老僧なり、昭朗興向頂持の六尊・迂化の後は各の伝燈の法師を上首として・各門有縁の弟子檀那之に隷属して門徒を作る、即ち日昭家を鎌倉門徒又は浜門徒・後に玉沢門徒と云ふ、日朗家を比企谷門徒又は池上門徒と云ふ、日興家を富士門徒と云ひ、日向家を藻原門徒と云ひ・日頂家を真間門徒と云ひ・日持家を松野門徒といふ、其外中山門徒・六条門徒・小湊門徒の多岐なるべしといへども・六門徒に系を引く、此の六門徒は・本仏本眷属の数に依りて定めさせ給へるものなれば・元より六門徒にして・尽未来まで相違あるべからず、然るに弘安の末・正応の始に於いて・五一乖離の事ありて・六門融和を缺くといへども・もと是れ情見に依るが故に・五門改悛の時機なきを保せず、五門悉くと云はず一門たりとも改悛融和の上は・更に水油の隔てあるべからず、本仏在世其儘の同心なり、次に門徒の先達等とは・先達の義は一迷先達以教余迷の導師長者の謂にして・上に云ふ上首と意同じ、一門徒と云ふは上首先達を首として・惣ての弟子檀那を摂むる語なれば・弟子檀那の機分又は全分が帰正したりとて・上首先達が帰伏せずんば・一門の帰伏と云ふべからず、此を以つて此の場合には止むを得ず・其門徒を改めて・更に富士門徒と為さざるべからずとなり。
 
第十一条(六十五条)・他宗他門より納むる所の絵像木像等を・他宗に所望すれども出さず、又代を以てかうとも売るべからず、一乗より三乗に出で・又一乗に帰りたる姿なるが故・無沙汰にすべからず云云。
 
○註解。
他宗に所望すれども出さず等とは、他宗他門の輩・信伏の時に・従来安置したりし権迹の仏菩薩の絵像木像を・当宗の垂迹堂に納むるに・中には定朝運慶の彫刻もあるべし・金岡雪舟の名画もあるべし・又は所望の弥陀もあるべし・観音もあるべし・今此を垂迹堂に納め置くよりも・当方に申し受けん、何貫文を進上すべし、何々事を為し進らすべし等と・種々に申し請ふものありとも・決して他に出すべからず、其故は権仏迹仏たる弥陀・薬師・観音・不動等は・其元一乗法華本仏の影現垂迹にして声縁菩三乗済度の為に出られたるものなるに・今一乗法華弘通の時機に遭ひ上りて・幸に本地の大法に帰る事を得たる姿なれば、無沙汰に放擲して・仮出の三乗に戻らしむべからず、垂迹堂に安置して・妙法醍醐の法味に飽かしむべしとなり。
 
第十二条(七十二条)、他宗法華宗に成る時、本より所持の絵像木像竝に神座其外・他宗の守なんどを法華堂に納るなり、其故は一切の法は法華経より出たるが故に・此経を持つ時・又本の如く妙法蓮華経の内証に納る姿なり、総じて一生涯の間・大小権実の仏法に於て成す所の所作皆妙法蓮華経を持つ時・妙法蓮華経の功徳となるなり、此時実の功徳なり云云。
類文。
有師物語聴聞抄(寛正三年)第十三段に云く、他宗当宗に帰する時、多年修する所の善根・今徒に成ると云ふ事・意得ざる条なり、其故は経に云く・於一仏乗分別説三と説き給ふ候、法華経より諸宗は出てゝ候、又諸宗法華に帰し候、さる間他宗にての善根も法華経に帰し候てこそ・尚功徳甚深になり候へ、されば大海の水とても・雨とても河の水とても・池の水惣して諸河水又大海の水と成り候なり、此分にて態々此経に帰られ候て・多年の修善をも・此の法華経を信じて・実の善根に成り給候へ塵を大地に埋み・露を大海にあつらへ候が如く・実に心田に仏種をうゑると申すも・爰元にて候と云云。
 
○註解。
法華堂、法華宗は・足利時代に於ける日蓮宗等への通称なり、頼朝の鎌倉の法華堂と名同義異なり、富士本山の事をも・上野郷法華堂といへる古文書あり・下野小金井蓮行寺の事を・金井法華堂といへり、其外多大の例証あるべし、其故は等とは・前条には一乗三乗の語を用ひ・今は妙法の内証と云ふ、又は本地垂迹と云はんも・同匠異曲なるべし、次に当宗信伏已前の修善作業は・改宗によりて如何なる罪福と作るやの事・誠に的切の疑問なるべく・今時又最も此の考を為す人あるべし、有師開会融妙の意を以つて・爾前の所作仏事・皆悉く本法微妙の功徳となると判し給ひて・此の功徳こそ金剛不壊のものなりと云ふ・類文稍々冗長なりといへども・聖意の存する所に明にせんが為に・具文を引く・文意慇懃更に解釈を要せず。
 
第十三条(十五条)、天台伝教の恩徳を報する事有り、是は熟益の辺なり、さて本門下種の宗なる所には混乱すべからず、内鑒冷然外適時宜等云云、学問修行して一字一句を訓へらるゝ輩をも・正法にて訪ふべき事なり、其外歌道は学ぶ時は・人丸の恩徳を大切にし管絃を学ぶ時は・妙音の恩徳を報じ、釜をつかふ時は・釜の恩徳を大切にし・臼をつかふ時は・うすの恩徳を大切にする事有り云云。
 
○註解。
本条は報恩謝徳の標目に種々あることを挙げ・且つ混乱すべからざることを教へ給へり、先に「天台伝教の恩徳を報する事有り」とは宗祖已に大師講を営み給ひてより吾門にも近古に至るまで・大師講の営みありといえども、是れ熟益の恩徳なり、三国四師の辺より外用の恩徳なり、絶対無限の主師親の大恩徳にあらず、天台伝教は内には冷明に解了し給へども・外には時の宜しきに随ひて・権迹に止まり給ふ、故に報恩の法味を奉るも・敢て本門下種本仏と其度を同うすべからずと制し給ふなり、
 
次に「学問修行して乃至正法にて訪ふべき事なり」とは世間文字の学問にもあれ、諸宗教義の学問にもあれ・一句一義一法の教授をうけたる師匠に対しては、其生前には正法を説き聞かせて習学の報恩に供し・其死後には二品を読み題目を唱へて・追善供養を為し・教授の恩に酬ふべし、是を正法にて訪ふべき事なりと云へり、次に「其外歌道等」已下は泛爾に世間の恩を示し給ひて・人丸・妙音は人を挙げ・釜・臼は物を示し給へり、無生の物品までも・其恩徳を思ひやりて・無作と取り扱はぬが・本宗真俗の床しき行作なるべし、何となれば一切・衆生・山林河海・些末の器物に至るまでも・普賢色身との眼を以て見るときは、本化妙法の表徳ならざるは無し、此を以つて一物を壊るも妙法を壊るに成りぬ・意せざるべけんや、臼を祭り釜を祀り針を供養する・世間広く之を行へり、此に云ふに及ばず、人丸は和歌三聖の一なれば歌人常に之を祀る、妙音菩薩は音曲の神なれば・管絃の人之を祀る・古は座頭の房(盲僧)が妙音講を営みし事あり、今の音楽家殊に市井の御師匠達に至りては如何にや知らず、但し宗旨と学道と世法の恩徳の軽重・自ら報謝の厚薄あるべきなり其厚うする所を薄うし薄うする所を厚うするに至りては・謗法の罪自ら招く沙汰の限りなりといへども・をしならべて之を厚うし・之を薄うするも亦慎まざるべからず、事の一念三千の振舞ひ味ある事なり。
 
第十四条(二十条)、紫甲青甲等の色ある袈裟を掛くべからず・律師已上の用る処なる故に・但五帖長絹重衣等計りを用ふべきなり。
 
第十五条(百十五条)、薄袈裟に鶉衣は素袍袴に対するなり、衣冠の時は法服なり・帷を重ねたる衣・長絹の袈裟は直垂に対するなり。
 
第十六条(四十九条)、白腰にさしたる褶をば法華宗の僧も着るべし・染袴着べからず云云。
 
第十七条(二十一条)、内衣には・老若に随ひ其時分の色有る小袖を用ゆべし、衣付きには必ず白小袖を着べきなり。
 
第十八条(五十条)、一里も他行の時は十徳を着るべし、裳付衣のまゝは然るべからざるなり、裳衣は常住の勤行の衣あるが故にたゞし十徳の上に必ず五帖の袈裟をかくべきなり、只十徳計りにては・真俗の他宗に不同無きなり。
 
類文。
有師物語聴聞抄(寛正三年)第十八段に云く、当宗の衣は俗衣なり、公家も位によりて色品定まらず、去りながら只此衣なり、武家も剃髪すれば・此当宗の衣に五条の長絹の袈裟を懸けて出仕有るなり、されば俗衣なり云云。
 
(土佐国吉奈)連陽房聞書(文明八年)云く、慈覚大師或時大衆を一人召して仰せ有る様は・今日より釈迦の末法に入ると覚え候、乃至其日より召したる本の律僧の衣を捨て給ひて・今の俗衣たる裳付の薄墨衣を召すなり、天台宗も此時までは律僧の衣なり、されば今の当宗の薄墨の裳付は末法の折伏衣なり云云。
 
(下野国金井法華同)下野阿闍梨聞書(文明四年)云く、当門流には袈裟衣も初心の衣裳なり、但し折伏の衣には尤も此衣かと覚えたるなり、其故は不軽菩薩を絵に書きたるを見たるに・我等が着たる処の衣を書たるなり。
 
○註解。
已上の五ヶ条は・共に法服に付いての文なれば一結となしぬ、文中目今其名形を失ひたるものあり、他宗の依用にして当流に用なきものあり・又は伝写の誤りもありて・甚だ解し難しとす、嘗て此等を故老に質したる事あるも・少しも要領を得ず・今止むなく・膚学の卑見を以つて之を註し去らんとす、知らず誤謬に陥らんを・大方の碵学叱正を加へられん事を祈ること切なり、初に伝写の誤りならんとは・第十四条の紫甲青甲は・三四の古本に依るに・何れも紫香青香とあり・色に紫と青と香とは自ら別なり、紫香とは紫的香・青的香とて青的香の色あることを聞かず、然るに紫甲青甲の袈裟は・天台真言に於いて古来依用する所なれば今敢て香を甲と訂正す、幸に有尊の御意を得ん事を祈る、次に第十五条に・法服と書ける本あり・法眼と書ける本あり、法服に従へば正くは袍服と書くべし・即ち袍裳なり・法眼亦古来の衣体なり・今且らく両存す、第十四条の五帖は五条なり・古来通用す・重衣は襲なるべし、第十六条の摺は摺袴なるべし、
 
摺袴を摺といふことを知らず、恐らくは袴字を脱したるならん、次に衣体の註解を為すに当り・始に世間の衣体たる素襖袴の式より・直垂の式・衣冠束帯の式を略して之を明し・次に他宗の衣体たる紫甲青甲の袈裟・袍裳・襲等の衣を明し・終に自他共用・僧俗共通の薄袈裟・長絹袈裟及び裳付衣・鶉衣・重衣・十徳・白袴・白小袖等を明すべし。
 
我国の服制は奈良朝・平安朝を基とし・漸次に簡便なるもの起りたるも、略服生ずるが為に・原服廃れたるにあらず、故に時々生じたるもの種々にして一定せず・其場合に応じて此を着用す、御即位大嘗会等の大会には・玉冠・大袖・小袖等の大礼服を用ふ但し純て唐制に模倣したるものなり、次に公事朝拝等には・束帯の礼服にして・袍・下襲・表袴等を用ゆ、此の二種は本抄に用なし、但し有師の時は足利の正中・応仁の乱もありたる事なれば、皇室の御運最も式微に属し・朝廷の典礼廃弛せる事とて・此等の大礼服を用ふるの盛典なかりしなるべし、故に本文には衣冠の時とて・衣冠の式を以つて最礼服と為し給ふが如し、其衣冠の式とは束帯の装束よりも簡略にして・常の袍に指貫を着したる姿なり、
 
公事にあらずして尋常参内の時等に用ひ来れるも・此の時代に於ては此が公事朝拝等の礼服にも為りし事あるべし、次に「直垂」とは・平安朝には公卿位官仁の便服にして・庶民の礼服なりしも・鎌倉時代には武人の礼服となりたり、次に「素襖袴と」は・足利時代に始まりたるものにして・制法直垂に似たれども、彼は絹を用ひ此は布を用ひて・菊綬紐に至るまで・惣て下品なり、直垂は足利時代には公卿も間々之を礼服とするに至れども・素襖は専ら武人の服たるに過ぎず、此の素襖より・大紋・手なし・上下・羽織・袴と変化したれども・本抄には其要なきなり・本文に云へる「素襖袴」とは最下の略式を指し、「衣冠の時」とは最上の正式を示し「直垂」とは中式・を示したるものなれば・「薄袈裟」は略式・「長絹」は中式・「法服」は正式となる次第も・之に依つて知るべきなり、但し官服の制方は略之を示さんと欲したれども・頗る煩雑なるが故に輙く揚げ難し、須らく博物館等に就いて其実物を見・装束諸抄に依りて其大概を知るべし、已上は俗家の官服なり、
 
次に仏家の服制を明さんに・紫甲青甲袍裳等は・他宗の衣礼なれば・今天台真言等によりて之を云へば、袍裳あり・鈍色あり・襲あり・素絹あり・直綴あり・律衣あり其中袍裳とは即袍服にして又法服と書けるものあり、最上の礼服にして・上を袍とし僧綱襟あり・下を裳とす、袍裳の時は指貫を用ひずして表袴を用ゆ、袈裟は七条已上なり、僧綱とは衿に月形突出して後顱を掩ふ・衿を延して月形を成すもあり・別に月形を附するものあり・当門の如き中古の弊制と見え・御大会には貫首僧綱衿を立て・長絹とて長く裾を曳ける素絹を纏はる、但し袈裟のみは五条なり・此の長絹も本文に云ふ長絹にあらず、何れより此の如く制度を生したるか大方の教示を待つ所なり但し本文に衣冠の時は法服なりと云へるに依れば・当時の最上礼服には・袍裳七条を着せられしや、今俄に之を断すべからず・併せて識者の高案を仰ぐ・鈍色とは製法・袍と同じけれども・純白色を用ゆ、当流も動もすれば、白色の素絹を用ゆる人あり、其の何の意なるやを知らず・鳴呼の至りなるべし、襲とは衣に裏を附けたるものなり・元は下に単を着し其上に衣を重ねたるが・後に単に縫ひ付けて襲と称したるなるべし、本文に「帷を重ねたる衣」又は「重衣」とあるは即此の襲の事なるべし、襲は高野山にては専ら麻を用ひて、衆分を白色とし三十人を薄墨色とし入寺を黒色とし阿闍梨を深黒色とす、
 
天台にては萠黄紫等を用ひ、遊行一派にては麻地薄墨色のみを用ゆといふ、「素絹」とは裳附衣なり、官僧は赤紫等の色を衆徒は黒色を用ふ、素絹の時は袈裟は五条にして袴は指貫なり・素絹とは原と素絹・長絹・薄絹・平絹とて無地絹の品秩なりしに・専ら之を以つて製したるより素絹の衣長絹の袈裟等といふ名目出来せるなるべしといへども・後に至りては精好にても製し麻にても綟子にても製するに至れるか、「紫甲青甲」とは伏甲の色に従つて・袈裟の名を立てたる物・帖の青きは青甲なり・帖の紫なるは紫甲なり、又朱甲とて赤色なるものあり・此等は三綱に上りたる官僧の制服なれば依用すべからずと本文に制し給へり、此等は宗祖の名字下品の大義に依り・一は一天広布の曉に至らざれば・律師僧都僧正等の官位を受くべらずとの深意より来れるものなり、律衣・偏袗裙及び直綴等は本抄の詮にあらざれば略しつ。
 
次に本宗依用の衣体を明さんに「薄袈裟」とは薄絹を以つて製したる五条の袈裟なるべし、「長絹の袈裟」とは長絹を以つて製したる五条なり、然りといへども・以下の鶉衣と共に久しく名と体とを失へり、「裳付衣」とは上に示せる素絹なり・裳なし衣の袍に対する名称か、「鶉衣」とは衣体は素絹なれども・重衣に対して単の衣の薄く賤しきを云へるなるべく・俗に鶉衣と云ふに義略同じきか、有師は当時依用の三種の衣体を挙げて三種の官服に対し給へり、現今官服の沿革甚しく且益す簡便となれるに反して当流僧服のみは却つて古代の正服を襲ひ時流に背馳せんとす、矛盾の甚しき何といふ化儀ぞや、今の服制改良を論ずるもの・宜しく此の辺を尋討せば大に得る所あらんか、十六条の文に「摺袴」とは・俗には青紫等の糸を以つて股立をつがりたる袴と云ふ、修験道も摺袴を用ゆるが・当流には白糸を以て腰をさしたるを用ゆべく・又染色の袴を着べからずと制し給ふ、但し染色には品位の制限あるが故に之を避けられたるか、裏頭姿の山法師の勇ましき風姿を見るに・黒綟子の素絹に白の葛袴なりとぞ・宜しく之を併せ考ふべし、但し摺袴も目今其名体を失へり。
 
十七条の文に「其時分の色ある」とは・春は藤・葡萄・夏は卯の花菖蒲・瞿麦・秋は白菊・黄紅葉・櫨紅葉・黄朽葉・赤朽葉・冬は白梅・紅梅等、其の折々の色を云ふ、又老人は朽葉・紅葉等の寂しき色・若人は紅梅・瞿麦等の華やかなる色等なり、「小袖」とは目今の小袖の斜に少く狭き袖なるを云ふなり。
 
十八条の文に、「十徳」といへるは単にして羽織の脇に褶あるものなり、但し襟を曲げざるなり、旅行の時には真俗一般に十徳を被りたるものと見ゆ、後には羽織を旅行の塵除に被ふるに至る、現今の外套インバネスの依用の如くなりしなり・十徳の姿のみにては・僧とも俗とも自宗とも・他宗とも・区別する能はざるが故に・僧の表章としては袈裟を別して自宗の章として五条を掛くべしとなり。
 
第十九条(百十四条)、法華宗の御堂なんどをば日本様に作るべし・唐様には作るべからず、坊なんども結構ならんは、中門車寄なんどをもすべし云云。
 
○註解。
御堂造の形式は奈良朝時代の金堂造より・平安朝時代の紫宸殿・阿屋造等多種あるも・今茲に「日本様唐様」と云へるは・鏡板を中央に内陳外陳等を分けたる寝殿造の形式を指して日本様とし、前の金堂造及び鎌倉足利時代に禅家の依りたる宋朝式の敷瓦等あるものを唐様と云へるなるべし、僧坊即ち目今の寺院の如き厨裡又は御堂なく・只一の僧坊なるものは・即ち客殿造・書院造にして、前面に車寄を設け塀中門等専ら当時代の俗家の風を取られたるが如し、而して中門車寄等の如きは貴族の住邸にあるものなれば・僧坊にて本山等の如き広大の屋舎を要するものは・此必要ありといへども平寺にありては無用のものなれば・本文に更に結構ならんはと断はり給ひたり、要するに有師の見識大に革進主義にして強いて旧態を固守するの意なき事・本条及び上に示せる衣体の下を見ても明なり、請らくは・我門の宿老大徳動もすれば名を宗祖開山に托して・旧儀をのみ固執して時運と背馳せんとする者の反省を仰ぐ。
 
第二十条(八十一条)、霊供を備ふるには・仏供二つの日蓮聖人より代々の御霊供を備へて・今日の亡者の霊供に備ふるなり、皆大儀なれば日蓮聖人の御台計り備へ申して・余をば御生飯計り備へ申して・其日の亡者の霊供を備ふべし、代々上人の御台をしたてぬは略儀なり云云、又亡者俗人なんぞならば其霊供をば少し下へ備ふべし云云。
 
類文。
物語聴聞抄上三十九段に云く、俗聖霊の霊供をば一段下りて備ふべし・御仏供・御影供をば御僧膳の飯にも副ゆるなり、霊供をは御僧膳の飯には副へざるなり已上。
 
筑前阿闍梨日格聞書(長祿二年)云く、仰に云く・御影供の時・御残飯上らざる事は不審有るべき事なり、其故は烏は十王のやつこにて候間・化鳥にて候なり、此鳥御残飯を上らざるは不審なる事にて候云云、大聖人は烏をば過去の陰陽師と遊ばされて候なり、散飯上らずんば水をも清め諸事を清めて・何度も御影供したて申すべし・御残飯を上らんまでは・したて申すべしと仰せ給ふなり云云。
 
第二十一条(二十九条)、師弟相対する処が下種の体にて事行の妙法蓮華経なるが故に、本尊の前より外に亡者の前とて別に供具をもり又三具足を立つる事之無きなり、霊供なんどをも高祖代々の御霊供に対して備ふるなり、代々の御台の有れども・何れも・師の方へ付けて仏界の方にをき・今日の霊供をば九界の方へ付けて備ふる時・十界互具一念三千にて事行の妙法蓮華経なり、仏事の時は必ず仏界に向はずして通途の座にて御教をも読むなり、仏界より九界を利益する姿なり、是も十界互具の体と為すなり。
 
第二十二条(八十三条)、俗の亡者乃至出家たりとも・世の常の出家の霊供の飯をば出家に与ふべからず、俗の亡者は位出家に劣るが故なり、高祖已来代々の御霊供を給はらん事子細無きなり云云。
 
○註解。
已上三条は共に霊供に付ての文なれば同所に掲けつ、「霊供」とは凡聖僧俗の過去したる者に供ふる膳部の惣称なり、別して之を云ふときは、人法惣在の本尊等に献ずるを「御仏供」とし・特に宗祖の御影を献するを「御影供」とし、本山歴代の御台等を御影供所属のものとす、而して俗人のは但霊供といふ、現今本山にて行へるものは、中央に黄銅器の御仏供二つ三方にて・左に漆器にて宗祖の御膳部右に開山の膳部次第に三祖の膳部・其次に黄銅器にて代々のを共同の三方に三台・其下座に法界の大銅器、俗霊の供養あるときは其下段に膳部を設けらる、
 
末寺に至りては略儀を主として御台は三祖まで余は悉く省略するあり、而して此等の儀式は其用器にこそ・台盤・折敷・三方の相違はあれ・仕立方は上代其儘のものと思はる、往いて日我の化儀抄を見よ、日是の非行を鑑みて恭敬奉祖の化儀を怠るべからず、「生飯」とは残飯とも散飯とも書せり、通途には聖膳より分取して餓鬼に施し烏に施す料とすれども、此には又代々の銅器をも生飯と云へり・即ち一器の中に一汁三菜又は二汁五菜を共に盛るが故に散飯の形となるか、第二十一条に「三具足」とは華香燈なり、亡者の前に供具を盛らず三具足を立てざるは・本因下種・師弟相対の深意より出たる化儀なれども・多くの末派に至りては淳信の檀越少なく世法に拘はる事多きが故に・此の化儀を励行する事能はず何とはなしに俗の聖霊の前にも三具足より供具膳部を置く事になれるは遺憾の事どもなり、次に「仏事の時」とは祖先供養追善回向等即葬祀法事を云ふなり本山にては御堂にて此の仏事を行はず、客殿を通例の勤行処として此にて葬祭法事を執行す、
 
而して貫首の座位も御堂は北面にて即ち直に仏界たる本尊壇に向ひ・客殿は東面にして仏界たる本尊壇にも九界たる聖霊壇にも横向きなり、客殿にて導師・の横座たる内外陣の構造にも依るならんも、此文に仏事の時は必ず仏界に向はずして通途の座にて御経を読むなり仏界より九界を利益する姿なりとあるに依りたるものか、然れども末寺にては横の座位少き故に此の事遂げ難し、但し本末共に葬礼に於ける導師の引導の時は、其座位必ず本尊壇又は三尊を背にして・仏界の方にありて直に九界の亡者に対向せり、第二十二条に「出家たりとも世の常の出家」とは・平僧を云ふなるべし・事行の化儀の作法にして・僧は俗の霊供を食せずといへども・上位たる本山歴代の霊供を食せん事不可なきなり、此を以つて推すときは・縦令平僧たりとも自己の恩師又は法兄にして・法眷軽からざる者の霊供に対しては・之を給はらん事不可なかるべきなり。
 
第二十三条(十九条)、二重・十二合・瓶子等は・其等の亡者を翫したる体なり、此世界の風俗なり・仍つて仏事作善の時は・先づ三献の酒の様あり、点心はあれども所具に用ふるなり、能具は酒なり・たとへ湯なんど引けども・酒過ぎて点心の前に引くなり。
類文。
(土佐吉奈)、連陽房聞書に云く、一つ仏事とて仏供・霊供・二重十二合・棹入・瓶子等を立つる事は・其心の聖霊をもてなすなり、去れば仏聖人も其日の聖霊も妙法蓮華経なれば・即妙法蓮華経の御相伴をなし給ふ衆僧も御相伴なり。
第二十四条(八十二条)、茶湯有るべからず、唐土の法なるが故に霊供の時も・のちに酒を供ふべし云云、此世界の風俗は・酒を以つて志を顕はす故に・仏法の志をも酒を以つて顕すべしと云ふ意なり云云。
 
類文。
物語聴聞抄上五十段云く・他には在家出家を請用する言葉には・御茶一服申さんと云ふ、当家には白酒一つ申さんと云ふ・酒無ければ晨なれば朝飯を申さんと云ふ、夕なれば夕飯を申さんと云ふ・何様の言にも化儀有り云云。
 
○註解
二十三条廿四条共に霊供及び酒に付いての文なれば並べて之を掲げつ、廿三条に「二重十二合」とは未だ確に之を考へず・博雅の君子の指教を仰ぐ、但し重とは当今の漆器なる重箱にはあらで・杉又は桧の白木を曲げて製したる折櫃様のものなるべし、十二合とは或人曰く六合を二つ並べたるものなるべしと、此説如何はし、物類称呼に江戸及び四国にてけそく(華足なり足に彫刻あればなり)と云ふ、東国にてろくがうと云ふ・西国にてろくがう又ごうという・近江にてくけと云う・越前にてくぎやう(供饗なるべし本抄の後段にも此事あり)と云ふ・今按するにろくごうと云ふは・おくきやうの訛かと云へり、此の説に従へば六にあらずしておくなれば十二合と云はん事如何、
 
明治廿二年日霑上人六壷を復興せられたる式典には山海野里の清蔬を十二合に列せられたりと云云、或は古式に依られしか今は此の式典に然りと雖も其時の合の製方必ず古式に准じたるには非るか、凡そ合又は合子と云ふは引入と云ひて・七つ八つ九つ等と入子にしたる挽物なり、源平盛衰記又は平家物語に・田舎合子・精進合子等の名見えたれども・十二と云ふ的例を見ず・又本山古器物の中にも見当らず、文安三年讃岐本門寺条目に廿四合・十二合・六合・積物等の名目あり、「瓶子」とは酒を盛る所のすゞなり、即神前の酒器及び本宗に用ふる仏前の酒具なり、次に「亡者を翫したる体」等とは・翫は賞翫の略語にして、疑待厚遇の意即ちもてなす事・日本の風俗慣例に準じて亡者なれども・生者の如くに如在の礼遇を尽して・二重十二合に饗食を盛り瓶子に清酒を満して・之をもてなすは社会の美風と云ふべし、「仏事作善」とは法事追善と同義なり、
 
此は法事の席にて賓客を饗応する時の事なれども・又仏前霊供の時をも含む、次の条文見合すべし、「先づ三献の酒の様あり」とは上世は殽膳を出す毎に更めて杯を勧むるものにして・七五三等の式なり、是を以つて・御大会の膳には本山等にても・曲りながらも七五三の膳を仏祖に供へて三々九の献酬を為す事あり、上代の余風と見るぶし、通例の七五三を云はゞ・先づ三献とは式三献なり・正式には必ず之を用ゆ、或書に先づ三とは膳三つ有り(引渡し打身わたいり)五献とは・初献は雑烹・添肴あり・二献まんぢう添肴あり・三献あつもの・四献むしむぎ添肴あり・五献やうかん・添肴あり、七献とは飯七の膳迄出すと云ふなり云云、執権北条時頼が鶴岡参の次でに左馬頭足利義氏を訪ひける時の饗応は・一献に熨斗鰒・二献に・鰕三献に掻餅にて止めり、鎌倉一の人々の献酬さへ間には此の如く先づ三献の質素にて済みしが、後世次第に武人も驕奢になりて・七五三九献十七献等の過差に推移するに至れるなり、
 
次に「点心」とは支那流にて食後の小食なり・又間食なり、室町時代には麺類・餅類・羹類・又は饅頭等と茶湯に添へて食す、次に「能具所具」とは此の能所は猶主伴の如き意なり・酒は供具の主にして点心は伴はれば酒の能具に点心は具せらるゝなり、次に「湯など引けども」等は飯の湯なり、交互に酒肴を出し畢つて飯・次に湯・次に点心なり、点心には香煎又は茶を用ふ、
 
第廿四条に「茶湯有るべからず」とは抹茶煎茶等は唐土将来の法なれば・主としては用ゆべからずと制し給ふなり、房州我師の抄に依れば房州家には頭切の茶器に抹茶を仏祖にも献したる様なり、今は如何にや・他宗門に茶湯を仏祖聖霊に供す、我山にては有師の制戒の如くして古来茶湯の式ありしを聴かず、我師とても茶を主具に用ひたるにあらず・化儀抄の酒及び茶の下を見ば明ならん、次に「酒を以て志を顕はす」とは古来我国は酒を以つて社会上下交疑の要具とす、喜びにも悲みにも此の美禄なくんば物足らぬ事となり・不敬の事となりをれり、然れば飲酒の量は漸く多くなりゆきて・昿職破産の徒も次第に増したれば・建長四年に鎌倉の執権時頼は鎌倉中に酒を沽る事を禁し又諸国にも酒を造る事を停止して之を防げり、
 
其時鎌倉中の民家の酒壷は其数三万七千二百七十四口ありと云へり、然り時頼の威徳を以ても遂に之を禁ずる能はざるに至れり、南北朝室町東山桃山時代に至るに及び益々酒を以つて人の志を顕はす事になりぬ、されば或意を以つて酒は正直なるものよといへるあり有師は仏法の志をも酒を以つて顕すべしと云ひ・我師は酒に酔へる色赤し信心の色深き所をかたどるなりと云へり、宗祖開山亦酒に賞歎の辞あり・名字下愚の数とて超世間ならぬ我家の法は又別なるものといふべし、去りとて酒に酔ひしれて勤める所が勤まらぬ等に至りては沙汰の限りなり、我師も此輩には無用と制戒し・有師は破戒と制せらる、されば酒を飲んで益慈・酒を用ひて滋す・滋す勤といふ古人の聖風を習ふものこそ・宗門的当の道俗と云ふべけれ。
 
第二十五条(七十七条)、末寺に於て弟子檀那を持つ人は守をば書くべし、但し判形は有るべからず、本寺住持の所作に限るべし云云。
 
第二十六条(七十八条)、曼荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし、判形は為すべからず云云、但し本寺住持は即身成仏の信心一定の道俗には・判形を為さるる事も之有り・希なる義なり云云。
 
○註解。
二十五条は守本尊に就いて、二十六条は常住本尊に就いて・共に曼荼羅書写に関する垂示なれば同列に之を掲げつ、既に首に述べたる如く・古来開山上人化儀抄と称して三十七個条目なるものあり、全く有師百二十一個の中間五十四条より九十四条に辺を別出したるものに外ならず、此の二条も原書七十七及び七十八条にして三十七個の中の第廿・廿一にあり、
 
文中に「但し本寺の住持は即身成仏乃至判形を成さるる事も之有り希なる義なり」とあり、此等の事実は開山上人にして云ひ得らるべき事ならんや、必ずしも上に幾何の歴祖をひかへた住持の上人にあらずんば能はざる事なり、しかのみならず第二十条には日蓮聖人より代々の御霊供を備へて云云、代々上人の御台をしたてぬは略儀なり云云(本誌三巻第四号)とあり、是も原書八十一条にして三十七個の中の第廿五に置けり・文中代々上人と云ふこと・開山上人の言ひ得べき事ならんや、況んや原本十四条(本抄六十一条)には「高祖開山日目上人」と列ねあり、因に且らく之を弁じつ、而して此の二個条は共に曼荼羅書写の事に属す、曼荼羅書写の大権は唯授一人金口相承の法主に在り・敢て・沙弥輩の呶々する事を許さんや、故に今唯文に付いて且らく愚註を加ふ、元意の重は更に予の窺ひ知る所にあらざるなり。
 
曼荼羅書写本尊授与の事は・宗門第一尊厳の化儀なり、仮令意に妙法を信じ口に題目を唱へ身に殊勝の行ありとも・当流にては対境の本尊を授与せられ示書中の人とならざれば・信心決定即身成仏と云ふこと能はざるなり、故に宗祖は濫に曼荼羅を授与し給はず・開山は曼荼羅転授に就いても之を鄭重になし給ひ・尊師は宗門未有の弘通者なれども自ら曼荼羅を書写せず、然るに余門流の僧侶不相伝の儘猥りに曼荼羅を書き散して、僣越の逆罪とも思はざるのみならず・雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるべけんや、然るに本尊の事は斯の如く一定して・授与する人は金口相承の法王に限り授与せらるる人は信行不退の決定者に限るとせば・仮令不退の行者たりとも・本山を距ること遠きにある人は・交通不便戦乱絶えず山河梗塞の戦国時代には・何を以つて大曼荼羅を拝するの栄を得んや、
 
故に古来形木の曼荼羅あり仮に之を安す、本山も亦影師の時之を用ひられしと聞く、此に於いて有師仮に守護及び常住の本尊をも・末寺の住持に之を書写して檀那弟子に授与する事を可なりとし給ふ・即本文の如し、但し有師已前已に此の事ありしやも知るべからず、然りといへども此は仮本尊にして形木同然の意なるべし、故に守に於いては「判形有るべからず」と制し・曼荼羅に於ては「判形為すべからず」と誡め給ふ、此の判形こそ真仮の分るゝ所にして猶俗法の如し、宗祖の御書中所々に判形云云の事あり・思ふべし・中にも大曼荼羅には殊に判形を尊ぶこと唯一絶対の尊境なるを以つてなり、有師斯の如く時の宜しきに従ひて寛容の度を示し給ふといへど、しかも爾後数百年宗門の真俗能く祖意を守りて苟くも授与せず書写せず・以て寛仁の化儀に馴るゝこと無かりしは、
 
実に宗門の幸福なりしなり、然りといへども宗運漸次に開けて・異族に海外に妙法の唱へ盛なるに至らば・曼荼羅授与の事豈法主御一人の手に成ることを得んや、或は本条の如き事実を再現するに至らんか・或は形木を以て之を補はんか・已に故人となれる学頭日照師が朝鮮に布教するや、紫宸殿御本尊を有師の模写せるものによりて写真石版に縮写し・新入の信徒に授与せり、其病んで小梅の故庵に臥せし時、偶予に此縮写の本尊に版形を加ふべきや否やの談を為されたる事あり、予は直に此文を思ひ浮べて云為したり・忘られぬ儘此に附記す・併し乍ら此の判形といへるに種々あるべし、一には形木又は縮写のものに法王の判形を為されたるもの、
 
二には平僧の書写せしものに法主の判形を加へられたるもの・三には後代の法主が宗祖開山等の曼荼羅を其儘模写し給ひて更に模写の判形を為されたるものを形木又は写真版等となしたるもの・四には先師先聖の模写版又は形木に平僧が自らの版形を加へ又は平僧自ら書写して判形(自己)まで加へたるもの等に分つを得べきか・此中に一と三とは事なかるべし、二は未だ広く実例を見ず、第四は大なる違法にして・是こそ正に本条の制誡なり・而して本条の末に判形を為さる事も之有り希なる義とあるは・如何なる場合を指せりや、
 
故師の説には本条常住本尊を沙汰する所にして・本寺の住持即法主より正式の曼荼羅を授与する事は希の義なりとあり、尤も然るべし、然れども真に本条に文に依りて考ふれば・或は一及び二の義をも含むにはあらざるか、此に引くは鳴呼なれども開山上人の書写の曼荼羅に宗祖の判形を為されし事を思ひ合はすべきか、此の如き事は沙弥輩が俄に断するは・僣上の罪過恐れ有る事どもなり。
 
第二十七条(六十三条)、諸国の末寺より登山せずんば袈裟をかけ又有職を名乗り日文字をなど名乗るべからず、本寺の上人の免許に依りて之有るべし・坊号又此の如し。
 
○註解。
本条より下拾数条は純ら本末関係を述べたるものなり、「有職」とは阿闍梨号なり、「袈裟」を掛くるも「坊号」を名乗るも阿闍梨号を称するも「日号」を付くるも・皆末寺にては叶はず、本寺大石寺に登山して其住持の上人即法主の免許を受くべき事を制誡し給ふ、但し此は有師に始まりたるにあらず・宗祖開山已来の慣例として不文の化儀法度なりしを・茲に改めて有師の仰せられしを、日住が成文となしたるまでなり、他の文も亦之に準じて知るべし。
 
第二十八条(五十一条)、有職免許の後は状なんどには、有職を書くべし・緩怠の義にあらず、俗の官堵受領の後・状並に着到なんどに書くが如し云云。
 
○註解。
「緩怠」とはこたりなり、無礼にも通ず、「官堵」とは官途と通ず任官せられたることなり、「受領」とは国守の事なり、「着到」とは招集の名簿に記名する事なり、官堵受領の後或は修理太夫とか大膳太夫とかの官名を自己の名として書状に書き入れ・相模守とか武蔵守とかの受領を直に自己の称として着到に付けても、法度に触れず無礼緩怠にも成らざる如く・是迄交名等を名乗れる僧が有職免許に依りて・直に何々阿闍梨と公称しても決して無礼にあらずとなり。
 
第二十九条(八条)、実名・有職・袈裟・守・曼荼羅本尊等の望を・本寺に登山しても田舎の小師に披露し小師の吹挙を取りて本寺にて免許ある時には、仏法の功徳の次第然るべし直に申す時は功徳爾るべからず云云。
 
第三十条(六十条)、遠国住山の僧衆の中に、本尊・守・有職・実名等望も有らば・本寺住山の時分たりとも、田舎の小師の方へ本寺に於て加様の望み候如何為すべく候やと披露して・尤然るべき様の小師の領納を聞き定めて、本寺に於て加様の望を申す時は田舎の小師と談合を致し、加様の望み申し由申され候に付き諸事の望みに随つて本寺に於て免許候へば信の宗旨に相応して事の宗旨の本意たり、其の義無き時は理の宗旨智解の分に成り候て爾るべからず云云。
 
第三十一条(十一条)、末寺の弟子檀那等の事、髪剃を所望し名を所望する事、小師の義を受けて所望するときは望に随ふ云云、彼弟子檀那等が我と所望する時は爾るべからず云云。
 
○註解。
已上の三ケ条皆本末師弟の筋目を正しくして・師弟相対事行の妙義を完うせん為の訓示なれば共に之を掲げたり、文に「小師」とは本山上人に対して末派の師僧を云ふなり、「遠国住山」とは遠国より本山に登りて勤行する事なり、「吹挙」とは推挙とも推薦とも同じ事なり、「領能」とは承諾と同じことなり、凡そ末寺の弟子が本山に勤務するときは皆悉く本山の上人の徒弟分なれども、師弟の筋目を云ふときは・上人の直弟にあらざるものは・上人自ら師として之を沙汰し給ふべき筈なし、故に本尊を願ふも有職を願ふも日文字を願ふも袈裟を願ふも、一々其の本師より願ひ出づる正義とす、若し小師の本師を経ずして直に願ふものあるときは、本寺の上人は之を許し給はず、
 
故に此等の望みあるものは予め己が小師に相談して・其承諾を得べし、僧分ならぬ檀徒の願も亦是の如く一々末寺の住僧の取次推挙を経る事を要す、然らざれば其事に属する勝妙の功徳を失ふに至る、故に有師は此の如く事々に師弟の筋目を立つるを・師弟相対の信行とし事行の宗旨として、本仏の洪範に合ふものと示されたり、然るに若し此の筋目を立てずして・宗門一般の僧俗は悉く本山法主の弟子檀那の理なりと速了し・直系師僧の推挙披露を待たずして・直に此等の沙汰を為すときは・此は是れ事行を離れて理門に走り・信行を斥けて智解に陥る物怪なりと・叮寧反覆に訓誡せられたるものなれば心して味はふべき文どもなり。
 
第三十二条(十条)、本寺直檀那の事は出家なれば直の御弟子・俗なれば直檀那なり。
 
第三十三条(七十四条)、本寺直の弘通所にて・経を持つ真俗衆は数代を経るとも・本寺の直弟たるべし、其所の代官の私の弟子にはあるべからず、既に代官と云ふ故に、初此の菩薩により結縁の道理爾らざる故なり云云。
 
類文。
物語抄上四十五段に云く、私の檀那の事、其れも其筋目を違はゞ・即身成仏と云ふ義は有るべからざるなり、其小筋を直すべし・血脈違ひは大不信謗法なり・堕獄なり、信心の人は譬へ歴縁退境すといへども・終には成仏を為すなり已上。
 
○註解。
此類文は此三十三条にも・前の二十九条已下にも通ずるものなれば宜しく併せ見給ふべし、「直檀直弟」の事今も昔も異なる事なし、「本寺直の弘通所」とは・此時代何れの寺坊を指すべきや、金井の法華堂吉奈の大乗坊の類にや・未だ確たる文書を見ず、「経を持つ」とは法華経の正義を持つなり・即ち末法に相応する本因下種の御題目を受持信行する事を指す、「其所の代官」とは・本寺の上人即ち本山法主の命を蒙りて・直の弘通所を主管する僧侶なり、
 
之の時代は僧俗共に一時にも長時にも代理人を以つて代官と称せり、一時にもあれ長時にもあれ代理人なるが故に・直に弘通所に在る弟子檀那は代官自己の弟子檀那にあらずして・本寺の直弟直檀なり、上の二十七条己下反覆丁寧に本末の分限を明にし、法水授与を直傍を論じ給ふ事忽かせに看過すべからざる条文なり、「初従此仏菩薩結縁」とは・其文を云へば「初め此仏菩薩に従つて結縁し還つて此仏菩薩に於いて成熟す、此に由つて須らく下方を召すべきなり」と云ふ文句の文なり、涌出品に於いて他方の大菩薩等此土の弘経を請へるを止めて、下方本化六万恒河沙の本眷属の大薩・を召し出して、末法に於ける妙法弘通を命じ給はんとの経文を釈せる文なり、今一往の文釈を為さば・此仏とは第一番成道久遠実成釈迦牟尼仏にして、菩薩とは本化上行等の本眷属なり・再往末法に於いて義釈を為さば・此仏と云ふも此菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり・但し本条は本寺と代官との分限を明に示されたる迄にして・法水血脈の直系傍系或は法水の清濁断続を意味するものにあらざるなり。
 
第三十四条(六十一条)、居住の僧も遠国の僧も・何れも信力志は同じかるべき故に、無縁の慈悲たる仏の御代官を申しながら・遠近偏頗有るべからず、善悪に付て門徒の中をば俗の一子を思ふが如くかへりみん事然るべきなり、但し機類不同なる故に仏法の義理をひずみ・又は本末のうらみを含まん族有りとも・尚是の如くひずむ族の科を不便に思はん事仏聖人の御内証に相叶ふべきなり、但し折伏も慈悲なるが故に・人の失をも免す・べからず・能々教訓有るべき事なり、不思議に有り合ふ世事の扶持をも・事の闕げん人には・慈悲を本と為て小扶持をも成さん事尤も然るべし云云。
 
○註解。
本条の訓戒は時に取りて・殊に尊く肝にこたふ、僧たるものは無縁の慈悲といふことを心にかけ・怨親平等と云ふ事を念頭に絶えざる様にすること、誰人も能く意得たる事なれども・凡夫僧の悲しさ自己の身所のみ大事にかけて・他の身所をば兎角疎かに為たがるものなり、予の如き最御多分に漏れず・本山に在るときは末寺の事が自然に疎くなり・末寺に下るときは本寺の事が忽せになる様に思ふ、故に一事一件起る毎に本末の間に我他の間に権利の争奪義務の回避は珍らしからぬ事と聞く、転た歎しき限なり、若し心あらん人本条を箴銘とせば先師の慈訓体に潤ひて和合海の波鎮に静かなるを得んか、「居住僧」とは前々に住山とあると同義にして本山勤務の者なり、
 
仏の御代官とは別して本寺の上人・惣しては役僧方を云ふ、通して末派一門の僧侶も・仏の代官の義なりといへども・今文の詮にあらず、「俗の一子を思ふ如く顧みんこと然るべきり」とは・何たる適切の御語ぞ、由来聖僧に情熱少くして俗僧に是多し、冷淡枯木の聖僧たりとも宗祖の大慈に基きて・末派の狂愚に慈親病子の情愛を強いて絞り出すべし、情熱多々の俗僧は一子の愛を直に法界に被らしむべし、然れども無縁の慈悲と云ふ語迚も凡夫には縁遠く解らぬものなり、「遠近偏頗有るべからず」と云ふ語凡夫にはよし解しても腑に落ちぬものなり、但し「善悪に付けて」と云ふ語に至りては・覚えず衿を正さゞるべからず、「仏法の義理をひづみ」とは「ひづみ」は「ひずみ」なるべし歪なり・非規なり仏法を邪解するなり・宗義を謬計して終には異流を企つる仁もあるべし
 
・宗規を誤解して終には本山に悪声を放つの人もあるべし、「又は本末のうらみを含まん族」とは或は宗義を謬計し或は宗規を誤解して・本山に背き終には何等の処罸を受けたる末派が本山を怨むに至らんものを指し給へるか、此ひづみうらみの二項は悪に付けての辺・即門徒の悪事なり、是すらも不便に思ふが本仏大聖の御内証に叶ふべきものなりとは・何にも有り難き御意ならずや、但し此条少しも末派の義不順を責めずして・専ら本山者に慈悲無からん事を制し給へるは、或は当時門末に不逞の徒少うして却つて本山に悪徳の者ありしか、物語抄に云へる有師諸国弘通中に留主居の僧二度まで本山を明栖にしたるは過失か故意か不明なりといへども、察するに門徒への処置も亦百事麁浪なりしなるべし、
 
故に有師之に鑑みて南条日住等の侍者に対して此の如く教訓し兼て将来を戒飾せられしものか、「人の失を免すべからず」とは上来の御意は余り慈愛に流るゝ様なるが故に・更に折伏も慈悲なるが故と云ひて・門徒の悪徳非行は少しも用捨なく折伏調直して・正信篤行に帰せしむべきなり、但し機類多き中には薄信剛愎の者あつて本山の教訓折檻に伏せざる者もあらん、此の如き輩に向つては、「能々教訓あるべきなり」とのみ仰ありて・未だ破門擯斥等の処罸の法を立てられずと雖も畢竟謗法の重罪に当るときは不共住の例に任せて・破門なること言論に及ばざる事なり、「世事の扶持」とは粮米扶助なり・武家にては知行に対して一人五人十人等を養ふに足る丈の粮米を与ふるを扶持と云ふ、僧家も之に準じて専ら米扶持を指せるか、大杉山有明寺に本山より、「扶持米を送る事近年まであり、「事の闕けん人」とは・用途乏少粮米缺耗して生活の事闕ぐる仁なり、「少扶持」とは・其高の少なきものなり・小扶持捨扶持等の名目は今尚残れり。
 
第三十五条(九十八条)、末寺の事は我建立なるが故に附弟を我と定めて・此由を本寺に披露せらるゝ計りなり。
 
○註解。
「附弟」とは法燈を付属せしむる弟子なり、法燈相続を其末寺の住持の特権に置き・本山にて之に干渉せざる事を制し給ふ事、上代は弟子譲りの規定なりしなるべし、此の制度を現行宗制の寺院住職任免とは・大に異なる所ありといへども・要するに制度は時勢に適応するを専らとすれば・数百年を距たれる今日、俄に之が可否を論ずべきにあらず・且又有師時代には草創を距ること遠からざるの寺院多く・開基の高徳猶法子法孫に残りて・本寺の干渉を受くるを要せざりし事情もありしならんか。
 
第三十六条(六十二条)、諸国の末寺へ本寺より下向僧の事、本寺の上人の状を所持せざらん者縦ひ彼寺の住僧なれども許容せられざるなり。
 
○註解。
「下向」とは下るなり、本山より末寺に赴くなり、末寺の住持が本山に在りて其より己が住寺に帰るときたりとも・本寺の添状を持たずば、其寺にて之を胡乱と見て容れざるなり、「風渡」とは借字なるべし・不図と書けば稍々当れるか、偶然の義もあるべし・不意の義もあるべし・又風来の意あるべし、其寺の住持が寺に帰るすら本寺の証明を要す、まして雲水風来の僧に於いては猶更の事なり、凡当流の化儀は則ち本寺に取るか故に・樹下石上雲水行脚を尚ばす・行蔵去就確然たるを要す、故に煩はしくも進退出入に必ず添書を付して之を明にす、
 
死者の未来本尊又此意を以つても考ふ事を得べし、但し以上の文は本山より末寺に赴くときの制度なり、末寺より本山に登るにも亦此添状を要す・以下の文に明なり、「坊主」とは住持と同義なり、惟喬親王小野の御坊主を始めとして・今に至るまで通用すれども・昔に引かへ今は全く悪僧羊僧に用ゆる悔蔑の語と下落せり、足利時代にはさほどにはあらずと見え、開山上人の文書には西坊主御返事とあり、古く本山にては東坊は蓮蔵坊を指し・西坊は大坊即白蓮坊を指す、三祖目上は蓮蔵坊本地にして・而も大坊に住して一山を支配し給ふ・故に目師の文書に西の坊日目と書せるあり・因に之を記しつゝ末寺より登山する在家も出家も・其寺の住持の添状を以つて・証明するにあらざれば・本寺には之を礼遇し給はぬ事、古今一轍の化儀にして・形式簡略の今日も猶之を厳守すといへども、或は間々之を知らずして忽緒に附し・甚しきに至りては自己は証明の添翰を須つて始めて本山に知らるゝ如き者にあらず等とて添状なしに登山するものありと聞く、宜しく意して敬虔の信念を起すべきものなり。
 
第三十七条(九十一条)、本寺へ登山の諸国門徒僧衆は・三日の間は客人たる間賞翫之有り云云。
 
○註解。
末寺の僧檀は山河万里を遠しとせずして・本寺の祖廟に謁し戒壇に登るものなれば・即本仏の御目通りに出たる客人なり、客人の中にも珍客なるが故に・三個日の間は本寺にて種々の饗応あるなり、「賞翫」とは馳走欸待の意なり、此の賞翫を受け厚遇に預る僧檀の客人達は・随処に敬虔の信念を発揮し敢て尾籠の真似して御客ぶりを悪くせざる様に注意すべきなり。
 
第三十八条(九十条)、本寺に於て小師を持ちたる僧をば・小師に届けて・仏の使なんどにも・檀方へも遣はし・其外の行体をも仰せ付けらるゝなり云云。
 
○註解。
「小師を持ちたる」とは已に第廿九三十条等に在る如く・師僧を持ちたる住山僧侶の事なり、住山僧侶は小師あると本寺の上人の直弟子たるとを問はず・共に仏聖人に給仕奉公を為すべきなれども、本寺の上人は丁寧に一往其師僧に通知して・以て使用せらるゝとなり、「檀方」とは檀那檀越と同じくして・現代の如く檀徒信徒などと区別はなかりしなり、「行体」とは水を汲み華を摘み菜つみ薪とりより始めて・其外日常の義務なり、事行の本宗にては行体が肝心なり、一信二行三学の順序はあれども、行体なくんば信心を彰はすに由なく・講学を積むも詮なきものなり、然るに吾等動もすれば・布教の急なる為に講学の忙がしき為に・事務の劇なる為により、報恩給仕読経拈花の行体を等閑に付せんとする事あり・慎まざるべけんや。
 
第三十九条(百十一条)、仏聖人の御使に檀方門徒に行きて・仁儀にても引出物を得、布施なんどをも得たるときは本寺の住持の前にて披露するなり、其まゝ我所に置くべからず云云。
 
○註解。
「仏聖人」とは本仏本尊の事なり、「御使」とは本仏の御用を本寺の上人より承はりて出張する事なり、「檀方門徒」とは多くは檀方は俗家を云ひ門徒は僧分を云ふ、或は門徒の中に僧俗を入るゝ事あり、今の如く檀方門徒と並ぶる通義なり、「仁義」とは世間普通の礼儀なり、現代にも猶此の俗語を使用す、「引出物」とは古くは饗宴の終りに馬を引出して賓客に与へたるより起り・後には馬に限らず太刀にても絹布等にても在るに任せて与ふるなり、仁義の引出物とは別に尊敬供養の意あるにあらず通俗の仁義に其労に酬ひたる迄と見るべきか、「布施」とは僧に供養するもの馬太刀絹帛より通貨等を指すなり・此の引出物にもあれ布施にもあれ、其得たる物は一々明に本寺の上人に具申して・其後之を受用すべきなり、之を無沙汰にするときは、仏聖人の御使たる義分を失するのみならず・私ならぬ施物を隠慝するの罪に陥るものなり。
 
第四十条(八十条)、田舎より児にて登山して・本寺にて出家するは本寺のをいたちに同ずるなり、田舎児なれども・田舎にて出家すれば爾るべからざるなり云云。
 
○註解。
「児」とはちごとよむ童児にして寺院の召し使なり、当時一般の寺院に童体の弟子あり、召し使はれながら修学を励みて後に剃髪出家す、中には十七八歳まで児姿なるあり、此の児の中に俗姓高貴なるは・非常に貴ばれ殊に容色学才あるは・一山の珍重する所にして・此が争奪の為に干才を交へたる事珍しからず、或記には目師の伊豆山円蔵坊に児たりし時・開山に随ひて走湯山を出るや、山衆劔戟を振ひて之を追ひたる由を記せり、虚実分明ならずと雖も学才あり・門地あるの児は何れの山寺にても・尊まれて本山にても・某々師は児の時より附弟と定まり、其山にては児貫首すらありたる位なり、
 
然れども時勢夢の如く変遷して・当時は何れの寺院にも・古絵を見る児体の物は見たくもなく・幼童の入寺するや年齢を問はず・直に髪を剃りて白衣を纏はせ新発意とす、吾門現行宗制には得度は満十二歳已上とし・直に沙弥に叙して法衣を着せしむ、十二歳已前の新発意は白衣薙髪にして・且らく員外沙弥と云ふ准小僧なり・此が即往古の児に当るものなり、「をいたち」とは成長なり・田舎児は本寺児との区別は、古来本山の一年末寺の六年と云ひて・本寺の勤務を重んじたるより田舎の末寺より児にて登山したる者が・本山にて出家する時は・全く本山にて成長したる児が本山にて出家すると・其功格同然になりて・田舎の児が末寺にて出家したる者とは、昇進の度大に異なりとの事なり。
 
第四十一条(四十五条)、師範の方より弟子を指南して住山させ・又は我身も住山仕らんと披露するより・全く我身なれども・我と・はからえぬ事なり、既に仏へ任せ申す上は私にはからえぬ事なり、然るを行体にさるゝ時は・我は用が有ると云ひ・又我はしえぬなんど云ふ人は謗法の人なり、謗とは乖背の別名なりと妙楽大師釈せられ候・即身成仏の宗旨を背く故に・一切世間の仏の種を断つ人に候はずや。
 
○註解。
「師範」とは師匠なり、「指南」とは指図なり・申し附なり・師匠が弟子に云ひつけて登山奉公せしむるなり、我身も住山等とは師匠も亦登山奉公せんと言上したるなり、「仏に任せ申す事」とは小僧にもあれ老僧にもあれ・本寺に登りて本仏の御前に給仕奉公の身となれば、少しも我身心にては無く・全く本仏御所有の我身なれば・何事も我儘の計らひ勝手の振舞あるべきにあらずとなり、「然るを行体にさるる時云云等」とは・本仏に一切御任せ申せし我身なれども・凡夫の浅間敷が随処に自由放恣を為し・香華番役等より其他の行体に使はるゝ時に至りて・我は目今急用ありて・御命に応じ難し吾は此の如き任務に堪へず等と・百方口実を設けて・奉公恪勤を怠たる者は・本仏の御命に背く者なれば・大謗法の人なりとて荊渓の説を引用せられたり、
 
「一切世間等」とは譬喩品の文を応用せられて・即身成仏の大聖の宗旨に背く不心得の奴輩なれば・即身不成仏の者にして・断仏種の悪僧なり、現当の僧侶従順恪勤にして・断善の悪比丘となる事なかれと訓誡し給へるなり。
 
第四十二条(四条)、手続師匠の所は・三世諸仏高祖已来代々上人のもたげられたる故に・師匠の所を能々取り定めて信を取るべし・又我弟子も此の如く我に信を取るべし、此時は何も妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり・是を即身成仏と云ふなり。
 
○註解。
「手続」とは経次又は順序の義なり・仏に通達する道程は必ず師匠に由らざるを得ず・仏の法を受取るには是非とも師範の手を経ざるを得ず、世間に物件の授受は必ず手を以つて受渡しを為す故に・手続又は手継の成語生ず、惣勘文抄に三世諸仏の手継の文書を釈迦仏より相伝せられるゝ時と遊ばされたるは・師より弟子に父より子に相伝する時の手継の証文書類は・法華経なり妙法なりとの御意なり、今文は弟子より師匠に対して手続きの師匠と云へり・師は弟子をして先仏の法を未来に久住せしめ・弟子は師に依りて過去遠々の法を一時に受得す、義別にして手続の意異なる事なし、
 
「もたげられたる」とは・もちあげたるなり・興起したるなり・奉上するなり弟子は師匠を尊敬して奉上すること・三世十万の通軌なれば・釈尊は釈葉仏に宗祖は釈尊に開山は宗祖に寛師は永師に霑師は誠師に師侍し・もたげ給ふ、師は針・弟子は糸の如く・法水相承血脈相伝等悉く師に依つて行はる、師弟の道は神聖ならざるべからず・世間の利害を離れて絶対ならざるべからず、然るに世澆季に及び・師の弟子を見るや使丁の如く・弟子の師を見るや雇主の如く・師厳道尊の風行はるべくもあらず・互に勢に附き利を求めて・師師たらず、弟子弟子たらず、師は其道を尽すも弟子は此に仕ふるの責を怠り、弟子は其法を尽すも師は之を顧みざるの類頻々として生ず、是れ畢竟師弟の縁を軽視するに依るなり・慎むべし、
 
「師匠の所を能々取り定めて信を取るべし」と仰なるは、千古の金言として仰ぐべき事なり、「又我弟子も此の如く我に信を取るべし」とは・三世の諸仏も高祖も開山も三祖も道師も行師も・各々其師範より法水を受けて信心を獲得決定し給ふ如く・有師も影師に依りて信を取り給へば・有師の弟子たらん者は・此の如く我にと即有師に信頼して信心決定すべしとなり、「此時は何も妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり」等とは・信の手続きに依りて師弟不二の妙理を顕はし・能所一体の妙義を証するを以つて本仏所証の妙法蓮華の色心は即所化の弟子の色心となるが故に・生仏一如師弟不二の即身成仏の域に達する事を得、是れ葢し信の手続によりて生する所のものなり。
 
第四十三条(四十四条)、上代の法は師匠より不審を蒙る族をば・一度は訪ふべし二度とは訪ふべからずと云ふ大法なり、其故は与同罪の科大切なり・又堅く衆同心に会せずして・こらさん為なり、亦衆にみせ・こりさせん為なり。
 
第四十四条(九条)、真俗老若を斥はず・いさかいを寺中に於て有る時は両人共に出仕を止めらるゝなり。
 
○類文。
物語抄上(四十二段)、大石寺の御沙汰に・寺中にをいていさかい有れば・細人麁人とて両方共に出仕をやめらるゝ事は・此の墨平三郎の義より・理非共に両方を御折檻ありて・軽量により御免の前後あり云云、又云く上代にも殊の外不信なる人有り・高祖聖人身延山御住の御時本は京都人なり・四条の中務と云ふ人と墨平三郎と云ふ人・御前にてはばかりなく一座の口論あり・本より中務は信心もあり・当面の道理もありけるにや、墨平三郎を座を立て給ふ・墨平三郎腹を立て申す様は・日蓮聖人は・ひるは念仏無間と折破し・夜は念仏を申され候と讒言を申す云云。
 
○註解。
「上代」とは・宗祖開山時代を云ふ・但し明治当代より云へば有師時代とても上代と云ふべし、「不審を蒙る族」とは・言語動作に不如法の事なりとて・師の目通を下げられたる者なり、仮令挙動不審の罪を受けたる者なりとも・朋輩同志の好誼を以つて・一応は誡めもなし・慰めをもなすべきなれども・二度三度と訪ふときは、罪人に親しみ過ぎて・同罪の科をも疑をも受くべき事ゆえ・決して人情に陥るべからず、「衆同心」とは大衆同志なり・住山の朋輩なり・同侶なり同心の語此の時代専ら用いられ名詞にもなり動詞にもなる、「衆同心に会せずして懲らさん為」とは・孤独閑静にして反省をうながすなり、「衆に視せ懲りさせん為」とは・未だ罪人とならざる者の将来を誡しむる料にせんとなり。
 
「真俗老若」とは・真は出家・俗は在家なり、老若は真俗に通ず、喧嘩口論の成敗は・出家在家老年少年を問はざるなり、「いさかい」は諍論なり・喧嘩口論なり、「出仕」とは・香華番役等の為に仏前に出頭すると・師の目通に出ると・大衆に交ると等なれども多く勤行出仕を云ふ、葢し出勤を止めて反省謹慎を為さしむ、喧嘩両成敗は古来世出両道の法度なれども雙方の罪科を調べて軽き者は短期に重き者は長期に及ぶの斟酌あること・類文中に引くが如し、類文に「さい人そ人」と云ふは・釈籤一に細人麁人二り倶に過を犯す過の辺に従つて説いて倶に麁人と名くとあるに・依る、法華の純一無雑の円教を細なり妙なりと云ふに対して・意は爾前諸部の兼対帯の中の円教は奪つて蔵通別に同して麁法と斥ふ、細麁同列なれば細も亦麁と名けらる、盗賊国賊と親友なれば同類と見とめらるゝが如く・七分三分の理明なるとも・共に喧嘩せし者なれば罪人となるなり。
 
第四十五条(七条)、同朋門徒中に真俗の人を師範に訴ふ説き・さゝへらるゝ人起請を以つて陳法する時は免許を蒙なり。然るに支へつる輩をば誤りなり、仍つて不審を蒙る間・是も亦起請を以て堅く支へらる時は・両方且く同心無きなり、何れも起請なる故に仏意計り難し・失に依るべきか云云。
 
○類文。
物語抄(三十七段)、云く、当門流起請の次第其寺の住持より案文を給つて・其起請の主と相対して・御影堂の正面にて書いて・其まゝ本堂の正面に供へ奉り、御かねを参らせて・檀那も執筆も倶に住持の前に参り・此の起請を住持に参らする・住持よくよく御覧して・御本尊箱に収め給ひ候、然る間此起請文字落ちたり書き違へたりする事は其起請の主の失と沙汰候なり、去り乍ら三度までは書きなをさする・三度までも落字書違あらば・其起請収らず候、其沙汰破れ候なり、乃至さて右件の起請は・如何様の事とも其題目を書いて・若し此分偽り申し候はゞ御本尊殊には高祖代々上人・法華経中の諸仏菩薩の御罸を罷り蒙り・後生には無間地獄に堕ち申すべく候と計りなり、当門徒に限りて、信世法倶に沙汰の至極には・起請文を書かれ候、他門徒なんとに難する事に候へども・上代に定められ候事にて候、末代は人の心諂曲し・信世法共に謬の心底を弁へ難し・只仏意の御照覧にまかせ奉るべしとて加様に定められ候となり云云。
 
○註解。
「さゝへらるゝ人」とは・被告人なり・さゝふは支なり・さゝへらるゝは拒なり・さゝふる原告は・被告を罪に陥れんとす、被告は寃を訴へて之を拒ぐなり、「起請」とは・神代のうけひなり・誓約なり・神聖なる約束なり・故に請文には神仏の名をあげて・此の請文に背くときは・神仏の現罸を受くるも少しも悔ゆる事なき由を書く、此の請文を起つるを・即起請と云ひ、王朝時代より是あり、賀縁阿闍梨が三塔に披露の起請文・土佐房昌俊が義経に七枚の起請を書きし殊に著名なるは法然房の一枚起請なり、当門の起請は類文に引くが如し、「陳法」とは陳状と同義なり、起請文を以つて無実の罪なる事を陳ぶるなり、「支へつる輩をば誤なり」等とは・支へられたる被告が・神聖なる請文を以つて無実を陳弁するが故に・支へつる原告は・誣告の罪に落ちて却つて不審を被むる事となるが故に・原告は大に驚きて・直に起請文を以つて・自己の告訴は真実なり、被告の罪状は明白なりと抗弁す、是に於いて師範に於いては・此が処分を中止す、
 
何となれば起請は神聖なり・仏意なり・若し虚誑の意を以つて神仏を涜かす時は、顕罸立ところに至るが故に・且らく失の起るを待つなり、処決に人意を加へずして・徐ろに仏意を仰ぎ奉るとなり、上代の雅風大に見べき有り、今時の邪人猛省を加へずんば、仏辺を去る千億由旬ならんか・恐るぶし恐る可し。
 
第四十六条(一条)、貴賤道俗の差別無く信心の人は妙法蓮華経なる故に何も同等なり、然れども竹の上下の節の有るが如く其位をば乱さず僧俗の礼儀有るべきか、信心の所は無作一仏即身成仏なるが故に道俗何れも全く不同有るべからず、縦ひ人愚癡にして等閑有るも我は其心中を不便に思ふべきか、之に於て在家出家の不同有るべし等閑の義をなを不便に思ふは出家・悪く思ふは在家なり、是則世間仏法の二なり。
 
○類文。
物語抄第五十五段に云く・仏法は平等なり、法は何事も平等なるべし、仏の御跡を継ぎ申したる出家は何事にも一切の人に偏頗之有るべからず、若し偏頗有らば必ず餓鬼道に堕べきなり。
 
○註解。
「信心の人は妙法蓮華経なる故に何も同等なり」とは信心に於いて有為の凡膚に妙法蓮華の当体を顕証するが故に無信の時は貴賤の区別・賢愚の区別・道俗の分界・其天分に随つて益々明なれども信仰の上にて妙法の人となれば平等無差別なり、又類分の意の如し「竹に上下の節の有るが如く其位をば乱さず」等とは竹は一幹なれども節々の次第あり、信心の人は唯一妙法なれども能化所化の次第・僧俗の分位・初信後信の前後なきにあらず、此を以つて開山上人も弟子分帳の中に弟子分・俗弟子分・女人弟子分・在家弟子分と区別し給へり、但し前文は平等の義を示し今文は差別の義を示し常同常別・而二不二の通規を汎爾に示し給ふものにして次の文の「不便に思ふは出家」等の文は又更に僧俗の意地を細別し給ふ文なり。
 
「縦ひ人愚癡にして等閑有るも我は其心中を不便に思ふべきか」等とは等閑とは・忽緒又は姑息と通する語にして其事に当りて必死と注意せず・平生常茶飯事としてかりそめに打ち捨てゝをくこと古来なほざりと訓して以上の義に用ゆ爰には上の文の上下の節・僧俗の礼儀と云ふ文を受けて俗人又は下位の者が僧に対し上位に対して叮寧の礼節を為さず等閑にして不礼の事ありとも其れは先方の悪意にあらずして愚昧の者なれば致し方なしと宥恕すべしと云ふ文なり、不便とは可憐又は愍然と通ずる語にして智恵才覚等なくして万事に不便不都合なる愚人を気の毒がり愍れむ意に使用してふびんと訓ませたり、又ふべんと読めば元の不便利不都合の意となるなり、不礼等閑の者を却つて不便に思ふは出家の大慈悲にして仏の意・不礼等閑の者を見て憎くゝ思ふは在家の凡夫根性と爰に定め給へども・吾曹動もすれば・心根忿々として他の不礼を咎め勝なるは却つて在家の君子に劣る願くは時々に心根を折伏し念々に唱題し菩提に向上して出家の本義に背かざるを祈るべきものなり。
 
第四十七条(五条)、行体行儀の所は信心なり、妙法蓮華経なり、爾るに高祖開山の内証も妙法蓮華経なり、爾れば行体の人をば崇敬すべき事なり。
 
第四十八条(六十八条)、仏の行体をなす人には師範たりとも礼儀を致すべし、本寺住持の前に於ては我が取り立ての弟子たりとも等輩の様に申し振舞ふなり、信は公物なるが故なり云云。
 
類文。
物語抄第廿七段に云く・出家の上は譲上全く親踈あるべからず行体給仕有るべく候、鎌倉永安寺殿御代・建長寺の僧達床に上る時履を踏み捨て置くを喝食役に細き熊手にて沓を床の下に収め勤め終れば又沓を懸け出して僧達にふまするを鎌倉殿の子にて候、喝食に此役をさせず永安寺殿是を御覧じて長老をうらみ給ふ、其日本半国の将軍にて候へば幾ばくの罪障候らん罪障は分斉によりて軽重あるべく候・よの喝食達より其が子にて候、喝食に能く行体をせさせて御助け有るべしと申されし程に、其より高位高官を撰ばず喝食達に沓の役あり、諸の出家の法是なり、
 
されば無慈詐親・為彼為怨とも見えたり、為彼除悪為彼親也とも見えたり、在家の大檀那上などの行体を致される出家の恐れいたはる事は大比興の至極なり、其故は人を助くる様を知らざるなり、中々大なる人の罪は又大なり、其罪消滅は善根無くば深く獄闇に沈まん事疑無きなり、されば遠江橋下の会下の長老は比興の僧と云へり、既に越後の守護に上杉兵庫頭遁世して有りければ・中間も二人遁世す、有る時会下の屋葦茅を僧達運びける程に上杉兵庫頭も此茅を持ちける持ちならはぬ事なれば持死けり、中間共此茅を取分けて持つべき様な云へば上杉云ふ様は我は志の遁世なり、和殿原は志無き遁世なり志は我こそとて持たせず・其時長老上杉をば留めて茅をもたせず候、へつらひまがる僧なり、人を助くる様を知らざるなり。
 
○註解。
「行体行儀」等の事・上に既に数々出づ宗門の行法三業を強いて区分するにあらざれども・信仰の心は随時随処に発現するを尚ぶ、信ありて行なきは宝の山に入りて手を空ふするが如しと云へり、行体行儀は是れ信心の表現なり、行体なき信仰は其の至されるものにあらず・此を以つて本師常に信を談ずるに行体を重んじ給へり、信心の帰着は妙法蓮華経なり、妙法蓮華経の体現は行体に於いて此を認むる事を得、宗祖開山の御内証は・妙法蓮華経にして吾人の帰着する所も・亦妙法なれば・妙法躰現の行躰の人には如何なる人も敬意を払はざるべからず、此を以つて第四十八条の如く仏の行躰を為せる人には・其師範すら相当の敬礼あるべし、况んや本山貫首の御前に於いて行躰する者には・仮令我が取り立てし弟子たりとも・等輩同侶の扱ひをなすべきなり、
 
信は一師一弟の私有物にのみあらさるが故に・公場に出でては・一師一弟の小義が且らく消滅するなり、今此の四十七八の二箇条は・行躰を重んじ行躰の人を崇むる事を示されたるが・物語抄の類文は斯の如く崇敬すべき行躰なれば・其の師たる者は如何なる者にも・行躰を励行せしむべき事を誡め給へり、鎌倉管領氏満(永安寺殿)の例の如き・上杉兵庫の例の如きは・其師たる者の駈使を遠慮するが通例なるも・本師は却つて人を助くる様を知らざる卑怯の悪師なりと評し給ひて・氏満及び兵庫の挙動を暗に賞美し給へり、現代の僧俗滔々として所化は行躰を好まず・能化は行躰を強ひざるの傾向あり、学識あるもの・智弁あるもの・俗爵あるもの・財宝あるもの・皆其の恃む所に・りて・自惟孤露・無復恃怙の念薄く・手足の行躰を怠り・千歳給仕の芳蹤を忘れなんとす、故に引文冗長なりといへども・本師の慈訓を拝して自他共に行躰に猛進せん事を期す。
 
第四十九条(六十四条)、法華宗は天台の六即の位に配当すれば名字即・始中終の中には・名字の初心聞名の分に当る故に寺は坊号まで官は有職までなり、仏教の最初なるが故なり云云。
 
類文。
弁阿聞緒に云く・仰に云く・当門流に官は阿闍梨・寺号山号院号等の中には坊号計り名乗らるる事は当宗は名字の初心に宗を建立する故に昇進も初心の阿闍梨号計りなり、又寺山院坊の中には坊号計り付くなり、此皆法華経の法位に階当する意なり云云。
 
○註解。
「天台の六即の位に配当すれば名字即」とは末法に於ける法華経の行者の地位は名字即なること、宗祖の四信五品抄等に明に示されたれども、此に徹底せざる向き多ければ本師は所々に此を断り給へり、
 
「始中終の中には名字の初心聞名の分に当るとは或は始中終は種熟脱の意なるべし、即第六条の文の中に名字の初心は種の位・観行相似は熟の位・分真究竟は脱の位なり、脱し終れば名字初心の一文不通の凡位の真にかへるなりとあるに同じ、然れども名字即亦多位あり、証真は且らく聞名解了の二位に分ちて猶重々の浅深あるべしと云へり、始めて仏法の御名を聞くが聞名の位にして信不信・順縁逆縁を含みて即ち聞法下種の所なり、三恵の中には聞恵の位なり、聞法の上に通達解了するは恩恵なり・信順当機に限る、此を以て理即には了縁性なければ此を除きて名字即は六即の初心・聞名は名字の中の初心なりと知るべし、始中終とは聞名聞法聞恵を始とし、恩恵解了を中とし修恵通達を終とするを解するが妥当なるか、
 
「寺は坊号まで官は有職までなり」とは所引の類文に寺号山号院号とあり、当時官寺に準じて公に山号寺号を称することを遠慮せられたるか、院号の如きは門跡・脇門跡・院家に濫するの恐ありて、此を避け坊号にのみ留めて此を名乗られたるか、旧き東北の寺院多く坊号にして寺号なく寺号を公称するは天正已後なるが如し、「官は有職までなり」とは僧正僧都律師の三綱の官の外に阿闍梨と云ふ僧官を置かる阿闍梨と三綱との権衡は不定なりといへども、天台真言には殊に此を重んじて後には山制の阿闍梨ありしが兎も角始めは官制のものにして、殊に僧正の如き決定の高官にあらざれば、且らく有職の阿闍梨号だけを私称せしむるも、此等の坊号と云ひ阿闍梨号と云ひ、何れも初級始階のものなれば、仏法の最初なる名字本因の法華宗には相当の名称なりと云へるなり。
 
類文。
物語抄第四十二段に云く,又重須にて日興上人・御弟子の出家を御祈檻有りければ太刀を抜いて日興上人を害し申さんとす、其時日妙上人・御前に居相ひ給ふ浅猿や貴辺が刀にて然るべからず、此刀にて害し申せとて日妙我が刀を抜いてなげやり給へば、其を取らんとする境に日妙くみ給ふて引き出し給ふとなり云云。
 
○註解
「釈迦の末法」とは当時は末法なり、宗祖大聖は末法相応の大法を弘むべく出現し給ふ、但し殊更に釈迦の末法と云へるは或は釈迦仏の教域の上には末法なれども、下種仏蓮祖の御大法の上には正法の始なりと云ふ意を含め給へるものか、「在世正像の摂受の行」等とは開目抄の下の末の御妙判の如し、世険とは険は平に反す、土地の嶮岨にして歩行に困難なる事を人情の冷熱反覆極りなく・何れに向つても安心の出来ぬ油断のならぬ事に険の字を使用せり、険悪陰険等の如きもの、「仍て刀杖を帯するをも離すべからず」とは源平時代より足利時代までは兵乱相続きて至る処に山盗あり野武士あり、動もすれば白昼をも厭はず強盗劫掠を為す故に、万民自衛の為に太刀を佩き弓箭を負ふ、北条時頼の時に屡令を下して武門にあらざる土民の兵箭を帯ぶるを禁ぜしといふ、然れども其令普く行はれざるか、僧分の如きも戒刀と唱へて公に此を帯ぶる風を生ぜり、但し法要厳儀の時の上首には此風なけれども、南都北嶺の大衆は源平以前に既に帯刀の風ありて以つて正法護持と称せり、宗門にも宗祖開山時代此風あり、史実は所引の類文重須にての事の如し、猶本山に宗祖開山の御所用とて二尺一寸と二尺六寸九分との宗近の太刀を蔵す、房州妙本寺には宗祖小松原の法難に東条景信の毒刄を防ぎ給ひし太刀なるものを蔵す、但し何れも戒刀的・護持正法・活人劔なるべし、宗開祖時代は国家少康猶以つて然り、有師は時恰も応仁の大乱前後にあり・富士郡辺の如きも地頭の交迭頻繁といひ無力といひ、安して官権の保護に依ることを得ず、
 
戒禁忍辱の法山に無残の刀劔弓杖を備へて自ら劫掠非違を防がざるべからず、况んや行脚弘教の孤独の旅衣には戒刀を挟みて自ら護らざるべからず、仏勅折伏の弓箭鉾槊は在家の護法にありとの定規を以つて此乱国の出家の帯刀杖を難ずべからずと念諭し給ふものなりといへども、汎爾に末法中なれば如何なる平安の時代にも正法護持などゝ唱へて・武器を挟む等の非議あるべからざるは勿論の事なり、「出仕の時」とは勤行法要の為に御堂又は客殿等に出づるをいふ、現に本山にても客殿前より御堂に通ふ道を出仕道といひ法主出座を告ぐるに太鼓を打つて出仕太鼓といふ、「中間」とは貞丈雑記にも中間・小者・輿かき等と云ひて下人の事なり、有師時代には方丈に中間ありしと見ゆ、「礼盤に登る時・神霊供へ参る時」等とは礼盤とは導師の高き座席なり、御霊供とは御影供等の仏前に献膳するなり、此時は刀を抜き取りて自の傍に置く、此は小刀なり前の太刀は中間に棒持せしめ小刀は常に腰に帯する風なり、類文の重須の時も小刀なりと知るべし。
 
第五十二条(五十三条)、当宗は折伏の宗なる故に山居閑居は宗旨に背く云云、然れども附弟を立てゝ後は宗旨の大綱に背かず云云。
 
○註解
「山居閑居」とは山林に閑静に隠居するの意なり、開目抄下の文の如し、意は山林のみあらず・閑居が折伏の宗旨に背くなり、市井に隠居して猶宗旨に背く但し市井と山林とは折伏弘化に何れか便利なりやと云ふ時、市井は忽皇出入に便にして、山林は不便なれば、茲に山居閑居を嫌ふ「附弟」とは附法の弟子なり、己れ老憊となり弘化奔走に堪へず徒弟の法器ありて此に堪ゆる者あれば、此を後任として、己は山居閑居するも宗旨の大綱たる折伏の意には背かずといへども、己れに代るべき徒弟も養育せず・且つ身心壮健にして閑遊安逸を貪るは大に宗旨に背くの罪人なりとの御意なるが故に御物語抄の第十五段には「高祖の御言には王臣の御信用なからん程は卒都婆の本・橋の下にても弘通すべし、
 
一日片時も屋などに心安く有るべき事有るまじき事なり、然る間・世間の福貴之有るべからず」と仰せらるゝされば有師御一代の行功無量にして宗門の中興と呼ばれ給ふは全く此の御精神の発現といふべきなり。
 
第五十三条(九十三条)、法華宗は折伏修行の時なる故に断酒定斎・夏に入るなんど云い・又断食なんど云へる事有るべからず云云。
 
○註解。
「断酒」とは大酒家が病疾又は過失の為に悔悛して神仏に誓願して禁酒したる等のもの、王朝時代より既に此の事跡あり、足利には上下一般に甚だしく酒を用ひたれば従つて断酒の者も多かりしなるべし、「定斎とは小乗律によりて一般の人民も八斎戒を時々持つべしとの勅令・既に奈良朝時代より下りて六斎日とて、月に六回は一日一夜限り厳格なる不殺生・不偸盗・不妄語・不飲酒を持ち、普通には不邪婬なれども爰には全く不婬とし、其上に香油を身に塗らざること、歌舞を視又は聴かざること、高き広き床に臥せざること、一日一食の時の外に食餌をせぬ事で、此潔斎精進日の月六斎は今代までも行はれたり、此外或は十斎・八王日などゝ日数を増して精進し・果ては月を亘り年を超えて精進するもの在家にもあり、此等の期間を定めて・仏に誓て持つを定斎といふ、「夏に入る」とは夏とは印度の雨期の安居を日本に移して学業の期間に充てたるもの四月より七月比に至る一夏九旬を通例とするなり、此間を夏といひ・講学に身を委ねて他事を放下するを夏に入るといふ、又此期間中を夏中といひ講学に就きて夏講といひ夏外の長き期間を夏隘或は夏間と称す、「断食」とは修行の為に食餌の少部分を断ち又は多分を断つて苦行するをいふ、軽きは茶断ち塩断ちなんどの如し、此断酒・断食・定斎・入夏等は世法の平安時代に摂受的修行を為す者の消極手段にして、決して乱世悪時の折伏的奔馳を為すべき積極行者の、殊に不惜身命の者の為すべきにはあらずとなり。
 
第五十四条(十三条)、夏中の間・勤行を成す人・夏に入るとは申さざるなり、別行の子細候よしを申すなり、案内を申す事は夏中の間にて一もじを御前にてたまはらざるは緩怠なるが故なり。
 
○註解。
「夏中」等とは前段の註の如し、宗開三祖時代には天台風の談林もあるべき様なけれども、有師時代には天台の地方談林が続々出来、日蓮宗にも此の風を習ふに至りしかば、一般に夏の名称行はれたる本宗にては此を忌みて別行と云はれたりと見ゆ、但し此も何時代まで然りしやは不明なれども、徳川氏の初世に至りては専属の談林を設けて春秋二季の夏講を営むに至り、本山にては全く夏中別行なんどの事なきに至れるが如し、「案内を申す」とは・しるべ又は説明の義にして当時の通用語なり、叡山の大講堂の厳儀の時に「第何番の案内申」と叫ぶ等の如し、又現代よりも広き意味に用ひらる申状の中に「案内を考へたる」ともあり、富士門徒前後案内といふ歴史もあり、「にら一もじ」等とは・にらは韮なり、ひともじは葱なり・葱を女房語にねぎといふ・きは只一文字なるより・ひともじといひ・此に対して、にらは二文字なれば・ふたもじといふは何れも上臈語なるべし、「たまはざる」等とは給ふは・たべなり、たべ即食なり、韮葱等は五辛類なれば普通仏教には厳誡品なりといへども宗門にては左まで重くは見ず、御前にて食せざるは緩怠の義即ち失礼であると軽く云はるゝなり、最も比叡山の大乗律にては五辛の多くは此を禁ずれども韮葱だけは夏間(夏了りて後)には食する由なり、有師も或は此風を取られしか。
 
第五十五条(十六条)、手水の事塩気に限らず不浄の物なるが故にたゞし酒には手水を仕るべし・破戒なる故云云。
 
○註解。
「手水」とは水にて手を濯ぎ口を洗ひて清むること、仏前に出づるとき殊に此の用意あるべし、塩気を有つものに接したる時又はよろづの不浄の物に触れたるとき意して能く清むべきなり、
 
酒は一面より見れば不浄にあらざれども仏制には兎も角絶対に破戒と禁しめ給ふ辺を斟酌して、宗門に酒を禁ぜざるにもせよ・酒器を乗りたるとき・酒を飲みたるときは此の口と手等を清むることゆかしき注意なるべし。
 
第五十六条(六十九条)、法華宗の僧は天下の師範たるべき望み有るが故に我弟子門徒の中にて公家の振舞に身を持つなり、夫とは盃を別にし・しきのさかなの体にする事も有り、又はなげしの上下の如く敷居をへだてゝ座席を構る事も有り、是の如く振舞は我宗門徒にての心得なり、他宗門に向つて努め努め有るべからざる事なり。
 
類文。
物語抄第十九段、当宗は化儀なり、一所の住持なんどの・さのみをちぶれても檀那などについせう・ゑしやく礼なんどすべからず、上代は上座は是非なし、衆僧も別々に盃を召しけるなり、日時上人御第三廻の時・奥州七箇所の坊主達登山申されし幾日か逗留候らん、日影上人は御盃一度も末寺の坊主達に下し給はず、同二十段・檀那の崇敬して足付けの折敷ついがさね・なんど膳をして備たらば相構へて其まゝ有るべからず、若し左様の時は別の折敷を請ひ出して其にすゑ移して然るべきなり、一人もその座に他宗有らば緩怠に有るべからざる・さやうの座にては公界をふるまうべきなり、同第三十段・当門流に於て番匠鍜冶座頭等万づの職人の当道の子など出家に成す事あるべからず第一の化儀なり。
 
第五十七条(八十九条)、法華宗の法師は他宗他門の人に交る時は我人体の分程振舞ふべし、緩怠を為すべからず又卑劣すべからず、俗姓程なるべし、我法華宗の中にては貴賤上下を云はず仏法の信者なるが故に卑劣すべからず云云、但檀那に依ては不肖の身なりと雖も上座に居する事有り云云。
 
類文。
物語抄第二十三段、女房の檀那の然るべき中老御僧の上に居らるゝなり。
 
○註解。
「天下の師範たるべき望み乃至公家の振舞等」とは、広宣流布の時は天皇陛下の師範として国師と尊敬せらるべき身分なるが故に、平素宗内に於いては公卿堂上方の振舞を為すべきなり、即ち「盃を別にして」は類文第十九段の如く・素姓賤くして公界の交際に差障るを予防しては、類文三十段の如く卑しき職工の子を弟子にとるべからずとす、是当時の社会の風潮を顧みたる世界悉檀ならん、しき(式)のさかな(肴)とは公事の時の式の肴にして・盃も各盃にして土器を用ひて互に献酬せざる事を指す、十九段の類文の例の如し、「なげし(長押)の上下」等とは上長押は鴨居の上にあり、下長押は敷居の下にあり、現今の賤民の住する陋屋には下長押なんどあることなけれども・古今共に大厦には下長押ありて・下長押の下の間は或は廊下にもあれ・別間にもあれ身分卑き者の居すべき所なれば、敷居を隔てゝ座席を作るは上下の尊卑を分つものなり、第四十六条等の如く貴賤道俗無差別の我信仰界にも猶此の特例あること・一は本文所示の如く天下の師範たるべき将来あるが故に、一は且らく社界に順応するが故に、其時々々の上流の風儀を守るものなりと知るべし、
 
「他宗門に向つて努め努め」等とは公家風に或は座礼の上に或は酒礼の上に上下尊卑の立て別けを為す事は、我宗門内に限り本寺の住持即貫首上人在座の時は上人を至上者として礼法を定め、末寺の住持のみの時は又此を至上者として上下の礼法を定むる事なるが故に、他門の寺院等に入りし時・又は自門の寺家俗家なりとも他門の僧侶が一人も其座に居たらんには决して此式を用ゆべからず、類文第二十段の後半の文の如く・公界を振舞ひて目上人至上主義を立つべからず、是社交上緩怠不礼なればなりとの・細かき御注意なり、但し此等は社交一辺の儀式の時を指すものにして、至厳至粛なる宗門の宗教上の儀場には、又决して目上人至上主義を忘るべきにあらざるなり。
 
「我人体の分程」等とは、出世間にありては・上人・老僧・中老・大衆・所化等の身分の次第、世間俗姓にありては其父の公家武家の官位の次第より百姓に至る迄を云ふ、老僧なれば老僧らしく大衆なれば大衆らしく、父が大臣なれば大臣の子らしく田舎の下司武士なれば下司らしく身を持ちて・他門の僧侶と交際すべし、緩怠驕慢なれば不礼に当り・慇懃謙下に過ぐれば卑劣に当る、何れも慎むべき事なり、此も亦社交の一辺にして門内には此の区別あるべからずと念注し給ふなり、但し有尊・数々京都に往復し奥越に巡化し尊卑の道俗と交際多かりしを以つて・別して将来の末徒に慈訓を残し給ふものなり、
 
「但し檀那に依り乃至上座に居」等とは・不肖の身とは出家の上人老僧等の上階の者にあらずして仏に肖ざる底の中老以下の卑しき僧なりとも・中下品の檀那の上座に居すべしと云ふことなり、此の御開山上人の御条目を幾分綏和せられたものにして・類文の「女房檀那の然るべきは中老御僧の上に居らるゝ」云ふは・全く此の反例を示したるものにて・両文相照して以つて其意を知るべし、類文の「然るべき」とは汎爾に過ぐる様なれども地方にては国主城主等京都にては五位已上の公卿ならんか。
 
第五十八条(三十四条)、唐朝には・鉢を行ふ故に飯をもちあげて食する事唐土の法なり、日本にては供饗にて飯を用する故持ちあげざるなり、同く箸の礼も唐の法なる故に日本にては用ひざるなり、日本にても天台宗等は慈覚大師の時分まで律の体にて唐土の振舞なり、慈覚大師の代より衣鉢を捨てゝ・折伏修行の為体にて、一向日本の俗服を著せらるゝなり、聖道何れも日本の風俗なり云云。
 
類文。
連陽房聞書に云く・慈覚大師或時大衆を一人召して・仰せある様は今日より釈迦の末法に入ると覚え候、いそぎ都に出てゝ日来よりなき不思議の出来有るべし・見て参れと仰せなり、乃至太刀を持せられ候と申す、其時仰せ下ふ様は是釈迦の末法に入りたる証拠なり、其日より召したる本の律僧の衣を捨て玉ひて・今の俗衣たるもつけの薄墨衣を召すなり、されば今の当宗の薄墨のもつけ衣は末法の折伏衣なり云云。
 
○註解。
「鉢」等とは・鉢は略語なり、天竺に鉢多羅といふ・其の頭の一字なる鉢を取りて通称とす、支那文字にては盂又は鉢の字に当る、陶器等にて造れる丸く深き小は五合より大は三升位を容るべきものにして、僧侶の食器なるが・現今日本の律家禅家に専ら此を用ゆれども、他宗及び俗間には汎く行はれず・只鉢の名称のみは種々の器皿に用ひらる、鉢はもと印度仏教の食器なれども日本仏教の本家たる支那仏教にて此を襲用したれば・今爰には唐土の法なりと云はれたるなり、
 
「供饗」等とは・供饗は公卿とも書く台器なり、王朝時代の衝重が次第に変化して、足利時代には供饗といふものになりしと見ゆ・竹櫃の如き手台ありて・此に足を付けたるものが・三方に穴をあけたるものを三方といひ、四方にあけたるものを四方といふ、穴なきが即ち供饗なりと古書に見ゆ、供饗の上に碗等の器ありて・此に食物を盛りあれば鉢の如く必ず手に持ち上げて食するを要せざるなり、「箸」等とは・箸ははしなり食物を口に渡すの橋なるべし、橋梁のはしは人馬を渡す、畢竟同じ意味なるべし、箸のはしとは発音が異なる等云ふは天下の愚論ならんか、箸の礼は足利時代已前にはありしものと見えて古書に見ゆ、其は大饗なんどの正食のとき・座中の長者が目令によりて次第に匕を立て箸を立て後に食事にかゝる等の厳かなる儀式ありしも、足利時代には万事唐様の式が廃れたりと見ゆ、今仏家の献膳に箸を立つる事あるは或は此等の遺風なるか、
 
「律の体にて」等とは・食衣等の惣ての作法が律宗式にて・支那伝来のものなりしなり、慈覚大師の時まで律風なりしことは・類文所引の如し、原本に「慈覚大師の代より衣鉢を捨てゝ」とあれども慈慧の間・法脈五次を隔つるが故に今且らく始に従つて慈覚大師と改む、「聖道」等とは天台真言等の旧来の仏教にて法然の浄土門以前の宗々をいふ、此の一条の文等は宗門化儀に於いては濫りに外国風を模倣すべからず・成るべくは国風に近きが良きぞとの本師の意にて・他の条下にも亦此意を宣べられたるなり。
 
第五十九条(三十六条)、当家に談義あるべからず・其故は談義とは其の文段を横に沙汰する故に智者の所作なり、当家は信の宗旨なる故に爾るべからず、但し竪に一宗の建立の様を一筋云ふ立つるは説法なり・当家にゆるすべきなり、愚者の聞のみなるが故に云云。
 
類文。
連陽房聞書廿一、当宗説法の時智恵を面に立て信を裏に成し候、信を裏へまわれば・宗旨既に破れ行き候去る間御祈祷も祈祷に成らず・作善も作善に成らざるなり、一向天台宗の作法に成り候、此即口惜敷次第なり、当宗何事も智恵を面に成し候へば宗旨破れ候なり、其故は愚者の上の名字の初心の信計りを専ら宗旨として候なり、智恵は理なり迹なり上代の悟りなり、去る間人の上と成りて我得分更に之無きなり・当機に叶はざるなり已上。
 
○註解。
「談義」談義等とは・談義とは経文等を横に即ち理の上に於て講釈することを云ふ、一聠の文に於て科段を立て一字一句に深義を演ぶる・即ち当時の天台談所風の講義を指す、此は信仰を経とする宗風には有害無益なるを以て堅く此を禁ぜられて・類文の中には説法の時すら智恵を面に立て・深理の上下にばかり意を用ひて・信仰の大範を裏に隠すに至つては、宗旨が破るゝとまで禁しめられたり、況んや理論智解をのみ旨とする談義の禁制は勿論の事なり、然りといへども宗祖御在島中に富木入道への御状には「又小僧達談義あるべしと仰らるべく候」(縮遺七〇三頁文永八年十一月)とあり、目師より、鎌倉遊学の民部阿闍梨日盛への状には「一つ義科よく読みたゝめて二三月と下つて・これにて若御房達・児とも談義あるべく候」(真書在本山正慶元年十月)とありて・宗祖三祖何れも談義を奨励し給ひ・二祖は重須に談所を設け給ふ、
 
是れ却つて有師の謬見なるが如しといへども、宗開三祖の談義は自行練磨の講演にして・信徒化導の義にあらず、此を以て宗祖は「小僧達談義あるべし」とて其の研学を励まし・目師は「義科よく読みたゝめ」とて天台講学の名目なる義科宗要をあげ・此を以つて富士に下りて若僧達に談義せらるべしと命じ給ふ、是亦自行講学の為なり、有師本条の禁断は自行講学にあらずして・化他教導の事を指されたるものなれば、少しも先轍に支牾する所なしといふべし。
 
「説法」等とは談義の横なる理なるに反して竪なり事なり・宗旨の大綱を竪に演ぶるものなり、理談の横びろきを嫌らひ・釈文の煩はしきを斥ひて・簡明に宗義を演ぶるものを許されたり、理談横説・釈文判義は正像の時代権迹の智者の所作・熟脱の法に適すれども、末法の時代・独一本門の愚者の所作・本因下種の法には適せずとなり、然るに現代に於いては有師時代と大に講演の体裁を殊にし説法なるものは却つて有師の禁ぜられたる談義体のものとなり、別に御書講なるものもあれども・説法と類似のものにて経釈と祖文とを取替へたるに過ぎず、或は又説法と御書講とを混淆するもあり、別に演説体・法話体なるものあり、此等は経釈を並べず・科註凾を用ひず・会行事を使用せず・長々しき祖書を読まず、読まざれば其文釈を為さず・単一の講題又は無題にて単刀直入・宗旨の深義を宣揚する、是れ却つて有師の許されたる説法といふものゝ精神に合ふものにあらざるか・敢て大方の指教を須つや切なり。
 
第六十条(二条)、人の志を仏聖人へ取り次ぎ申さん心中大切なり、一紙半銭も百貫千貫も多少ともに志あらはす物なり、あらはす処の志は全く替るべからず・然る間同等に多少軽重の志取り次ぎ申すべし・若し軽重の心中あらば必ず三途に堕在すべし云云。
 
○註解。
「仏聖人」とは宗祖大聖人の事なり、開山上人日目上人日仙上人等が・弟子檀那の供養を一々に宗祖聖人の御影に捧げられし事の例証は既に上に引く処の如し、但し仏聖人と熟語することは・本条の外多く此を見ずといへども、仏とは宗祖を置きて外にあるべきにあらず、第一条にも「当家の本尊の事日蓮聖人に限り奉るべし」と明に示されたるのみならず、他門には聖人の号を濫りに一般の凡僧に附すといへども、宗門にて古今一貫宗祖日蓮の御尊号となし奉れば当時の古書類などに、大聖人と云はずして単に聖人とのみいへるものもあるも・他上人の事にあらずして直に宗祖の御事と知るべし、要法寺日印上人と西山日代上人との往復消息にも宗祖には大聖人又は聖人の尊号を用ひ日興上人には故上人・日目上人には上野上人と呼び、又開三両祖を合して両上人と云ひて、明かに聖人と上人との使ひ別を為したるをも併せ考ふべし、
 
「取次」等とは迂濶の僧分は弟子檀那よりの施物を、直に自己に供養せるものと思へるあり、又弟子檀那の中にも御本仏に供養すと思はずして・其所縁の僧侶に呈するとの意より、所施者の身分の高下及び場合に依り供物を軽忽にして・動もすれば鄭重の式を備へず乞食にでも呉れる様の不敬を為すものあるに、不信不見識の僧俗なんどには其供養方法の敬不敬を問はずして・徒に物質の多大ならんことをのみ念ずる者なきにあらず、此等は能施の人も所施の人も・共に此の取次といふ事を知らざるが故なり、よし多少知る処あるも此を軽忽に附するより起る、僧侶の受用する一般の施物は僧分の私の得分にあらずして三宝物なり、弟子檀那が本仏大聖に帰仰する志の余りを仏聖人に捧げ奉るを・其手続上より所縁の僧分に御取次を願ふものにして・其所縁の僧分は即本仏大聖の有体の代官なれば其志を懇に仏聖人に取り次ぎ披露したる上に、仏聖人の御冥慮に叶ひ奉るべく受用すべき事勿論の事なり、但し本条には受用法の適否は且らく此を置きて御取次ぎ申し上る心持を大切にせよとのみ訓誡せらるゝなり、
 
「一紙半銭」とは信仰帰命の志の顕れたる形の軽少なるを云ひ、「百貫千貫」とは其顕れの形の重大なるを云ふといへども、軽少なるが故に志の薄きにはあらず・重大なるが故に志の厚きとのみ思ふべからず、
 
顕れたる供養の物資の大小軽重は・多くは能施の仁の富力の程度によるものして、一国一城の大名または富限の名たゝる長者にありては・百貫千貫を寄する猶志の厚きにあらず、賊の山人浦曲の漁夫にありては・一紙半銭を上つる猶志の薄きにあらず・故に取次を為す僧分にては物資の軽重多少と其供養主の貧富とを邪計して一には重大な供養を取別け鄭重に取り扱ひ・叩頭百拝は無論の事特別の作法まで設けて其篤志を表彰して密に他を釣るの方便に供し・能施の人に衒名驕恣の念を起さしむ、此に引きかへて軽少の供養に対しては懇の挨拶をも為さず此様な取次は面倒なりと云ひたらんやうの顔して、能施の人に信仰供養の志念の萎縮せしむるに至る、此れ决して善き取次ぎ方にあらず、
 
二には猥りに能施者の意中を推量して、彼の家にして此の志の薄きは何事ぞ、彼人にして此志の厚きは怪しき等と・能施者の貧富と其場合と其物資の厚薄とを連想し猥りに其志の厚薄を断定して、或は懇に或は踈かに本仏の宝前に披露せん事亦决して其人其場合全力を尽したる絶対無上の供養と見て懇に御披露申すべき事なるが故に・能施の弟子檀那も其の場合出来得る限り絶待無上の志を表はすべき事勿論の事なり、「同等に多少軽重の志」等とは・此時取次の心中に能施の物資の多少・志の軽重に偏執することなく・其儘数量の有の儘をのみ宝前に披露すべしと云ふ事なり、「若し軽重の心中」等とは・取次の僧分が一念も軽重に偏執して或は踈かにすることあらば、其罪に依りて三悪道に堕ちて永く信行権を停止せられ浅間敷苦労を為すべしと告誡し給へり。
 
第六十一条(十四条)、信者門徒より来る一切の酒をば当住持始めるべし、但し月見二度の花見等計り児始めらるゝなり、其故は三世諸仏高祖開山も当住持の所もたげられたる所なる故に・事に仏法の志を高祖開山日目上人受け給ふ姿なり。
 
○註解。
此条頗る難解なり・如何にしても正解を得ず、且らく三様の愚案を附して識者の是正を俟つ。
第一案・本山の住持の当職(末寺も此に准ず)は三世諸仏高祖開山三祖の唯一の代表者なれば・仏祖も殊に現住を敬重し給ふが故に供養の一切の酒を当住持が始らるゝは勿論の事にて・即宗開三祖が自ら受け給ふ姿なり、但し月見花見に限り児の始むることは必ず出世間の化儀にもあらざる故に除外例なり、されば其故は三世諸仏等と受けたる文は・但し月見花見の文を跨げて・当住持始めらるべしと云ふに連係して見るべきなり。
 
 
第二案、当住持を仏祖の敬重し給ふこと勿論の議なれども・当住持も亦児を敬重し給べし、其故は貫首は児の中より出づ、児は貫主の本因位なり、当住持の児を尊敬し玉ふより年三回其儀を表現し給ふ、仏祖亦然るべし、御物語抄廿二段にも上人拝の盃礼に児が老僧等の上位を超えて直に上人盃を受ることあるを記し・因師此を註して児是出世能施者因位と遊ばし、又伝説に貫首が自ら下りて小僧の給仕を為さるゝ式日ありしとなり、此故に但月見等より下の文は連続して児敬重の意を表はすものなり。
 
第三案、要するに第一案も第二案も・往ては一義なり、但文略にして顕はに其意を見る能はざるか。
 
第六十二条(二十三条)、仏供養を取次候に・祝の時は如法目出度と申し、訪の時は如法有り難く候と云云。
 
○註解。
「祝」とは出産・成人・結婚・栄達等の普通人情として祝賀すべき事どもを云ふ「目出度」とは擬字にて・語は愛賞の意より次第に慶賀の意に進みたるもの・今は慶賀の義に用ゆ、当時の社界は悲喜慶弔共に其志を仏法に寄せたるが、徳川幕府三百年の間に寺院は全く慶賀を離れて葬式等の悲事にのみに使用せらるべく馴致せられ、皇政維新茲に五十年未だ其の余弊の脱せざるは悲むべき事なり、
 
「訪」とは慶弔相訪ふことなるも、後には自ら凶事にのみ使用し・此時代の如きは葬儀又は祖先を祀るを共に・とむらひと云たるが、後には葬儀にのみ多く・とむらいの名を与ふるに至れり、「有り難く候」とは・希なる義にて・其志の勝れて他に超れて希なる事、又と世に有りがたき事と賞する語にして、忝とも奇特とも同義なり、今難有を弔事に用ひ目出度を慶事に用ひたるは、厳格なる判別あるにあらず・且つらく一往の義なるのみ。
 
第六十三条(二十四条)、弟子檀那の供養をば先つ其所の住持の御目にかけて、住持の義に依つて仏へ申し上げ鐘を参らすべきなり、先師先師は過去して残る所は当住持計なる故なり、住持の見玉ふ処が諸仏聖者の見玉ふ所なり。
 
○註解。
前の第六十条の時は・自ら主として仏と弟子檀那との間の仲保となりての場合を宣べたるものなるが、本条は本山にありて住持の外に施物を取次ぐ者ある時の場合を云ふ、「其所の住持乃至住持の義に依りて」等とは・本仏は御取次を為すに一はら住持の意を受けよと云ふに付て・二義あるべし、一には取次の役僧は取次の又取次なれば・本取次たるべき住持の上人の指揮を仰ぐべし、二には住持の上人は高開三祖等次第に過去し給へる後の現存者なるを以て・現住即高開三の代表にして・現住の見る(施物を)所は仏聖人の見給ふ処なるが故に・先づ其所の住持の御目にかけてと仰せあり、但し本条には此第二意の辺のみ文上に顕れて・第一意の取次等の事は隠れて見えざるなり。
 
第六十四条(九十四条)、法華宗は大乗の宗にて、信心無二なる時は即身成仏なるが故に・戒の持破をも云はず、又有智無智も云はず、信心無二なる時は即身成仏なり、但し出家の本意なるが故に何にも持戒清浄ならん事は然るべきなり、但し破戒無智にして上位となすべからず云云。
 
類文。
下野阿聞書云く、此の如く事迷の当体にして又余念無く南無妙法蓮華経と信ずる処が・即釈尊本因妙の命を次ぐ心なり、
 
尚次ぐと云も麁義なり、只釈尊の本因妙の振舞なり、されば当宗は本因妙の処に宗旨を建立するなり、然りと云つて我身を乱達に持つて本と為すべからず、さて当宗も酒肉五辛女犯等の誡事を裏に用ゆべし、是は釈尊の果位の命を次ぐ心なり云云。
 
○註解。
「戒持破等」とは・戒は小乗の五八十具・大乗の十重等に付いて・何れを持つとも・何れが破戒なりとも特別の詮議立てを為さず・故に法華宗は大乗宗なれば・天台に準じて梵綱の十重禁等を持つべしとも云はざれども、本門の本円戒を持つべき事は勿論の事なり、但し此を爰に云ひ立て給はぬは、本円戒は行人が勤めて戒を持つにあらず・却つて戒法が行人を持つ事なるが故に・持破に超然たれば・敢て次を云ひ立てし給はず、已下の諸文の誡の持破といへるも・大小通途に約するものにして、
 
殊に当代大小乗の戒法乱れて叡山にも南都にも又他の地方にも殆んど満足の戒壇なく授戒なき時なれば・世間にては通俗人の持つべき五戒位を・却つて僧侶の大戒具足戒底に速了するもの多くして、僧侶が五戒を破つたの持つたのと云々する者多き時代なれば・類文の中にも、酒肉五辛女犯等の誡事と略挙し給へり、故に普通に戒と云へるは二百五十戒十重四十八軽の厳・確なる意を含まず、漠然たる酒肉婬事位と見るを却つて妥当なりとす、
 
「有智無智」の智も有漏智・無漏智に亘りて・浅深次第を論すべきなれども、爰には泛爾に有漏智即ち世間の智識才覚を云ひ、常識を標準として有智無智を定むる底に見るべきなり「出家の本意なるが故に何にも持戒清浄等「とは・此も通途の出家の意に依る・三界恩愛の家を出て永く煩悩と別るゝ事が出家僧侶の義分なれば持戒清浄が本意なりとなり、宗祖両祖共に火宅僧沙弥僧を自ら立て給はず、又人にも勧め給はず・而して末法無戒と示し給ふも、唯正像末の時の区別に従ふ大判にして・持破に超然たれと云ふにあり、敢て酒食婬事に耽溺して末法無戒と誇れと云はしめんとにはあらざるなり、
 
「破戒無智にして上位となすべからず」とは此れ末法無戒が宗門の誇にあらざる事を顕し給へり、唯信無戒と標榜しながら持戒清浄を楽ふは大に徹底せざるの言と異むことなかれ、軍人の功一級は最大多数に敵人を殺すにあり、飲酒の上戸は斗酒辞せざるにあり、婬人の上乗は百千人に接したるにあり、地獄の上品は一日八万四千の残逆を行ふにあり、無戒の上乗何ぞ此に例すべけんや、無戒は但時の判別・煩瑣の律法が人類を拘束して・却つて趣善を阻止することを嫌斥するにあるのみ、放逸の徒は猛省一番すべきなり、「破戒無智」の概念は前に示すが如し、
 
「上位」とは班中の上首なり、本山にては貫首・末寺にては住職等なり、無信無智無行のもの决して大小共に人を率ふるの器にあらざること・経論の判定を須たずとも、常識に考へらるゝ所なり、薄信少智弱行の徒も亦僧分の頭首たるべからず・僧中の竜象にあらずんば・巨万の信徒を領すべからず、信行の先達にあらずんば後進を導くべからず・故に果報微弱にして如何に猛進するも、到底法器に堪へざるの徒は・自ら隠慝して他の耳目を穢さゞらん事を心縣け・一心に仏祖に懴謝し奉るべきなり、然るに当世隠罪顕徳の徒のみ滋す多くして・隠徳顕玭の仁甚だ稀なるこそ長大歎息の至りなれ、願くは吾宗門は滔々たる此濁流に投せずして・毅然として宗開三祖の高風を標せんことを祈る。
 
第六十五条(五十七条)、法華宗の大綱の義理を背く人をば謗法と申すなり、謗とは乖背の別名なる故なり、門徒の僧俗の中に加様の人有る時は・再三私にて教訓して用ひずんば師範の方へ披露すべきなり、其義無くんば与同罪遁れ難き故なり云云。
 
第六十六条(八十四条)、門徒の僧俗の謗法罪を見隠し聞隠すべからず、与同罪遁れ難き故なり、内々教訓して用ひざらんは師範に披露を為すべきなり云云。
 
○註解。
「大綱の義理を背く人をば謗法と申すなり」とは謗法に付いて適切なる解釈なり、宗祖聖人の謗法の名称を使用し給ふことは・対外的化他に多くして対内的自行に少し、
 
松野抄に十四誹謗を列挙し給ふは・常に誡め給ふ謗法の分釈にはあらず・故に此の中の第七の不信と第十の誹謗とを除きて余の十二の名称は使用し給ふこと少し、乖背の義も亦多く対外的にして念仏門徒等の上に被らしめ給ふ、対内的には宗綱に違反して信行の途立たざるが謗法なれば謗法の名は至つて重く謗法の罪は門徒の極刑なり、自ら律して針砭に供するは随意なりといへども・濫に他人を憎みて謗法の罪名を被らしむるは・若実若不実却つて其重罪を我身に招く恐るべし、近来間々巷途の説に聞く・何誰は何を為したり謗法なりと・悪言謹まずんばあるべからず、宗祖聖人も阿仏房尼に告げて・謗法にも浅深軽重の次第ありて強ちに悉く取り返へしのつかぬ重罪にあらず、軽き浅き謗法を知らず知らず行ふといへども・其人が色心相応の強信者ならば、強い信心の為に弱い謗法は打消されて罪とはなるべからずと云ふ風の仰せがありしは、全く門外折伏・門内摂受の意もありて・信徒を将護し給ふ大慈なるべし、況んや末輩にありては・自他互に警策し勧奨して寛厳宜しきを得て・異体同心の実を挙ぐべきなり、厳にも寛にも折にも摂にも・根底に大慈大悲の溢るゝあらずんば・万行徒に虚戯に帰せんのみ、
 
即ち六十五条の「門徒の僧俗の中に等」及び六十六条の「門徒の僧俗の謗法罪を見隠し等の文は・其教訓も披露も共に異体同心の情熱の溢ふれたる結果にして、决して浮薄な不親切なる嫉妬なる底の・表面計りの与同罪呼ばゝりにあらず、然るに他人の謗法の行為あることを見聞して、直に本条の御示しに依らず・再三再四は愚ろか一回の面談すら為さずして・濫に江湖に悪声を放ち朋党に私語を為すの類は異体同心行にあらず、又他人の行為に疑義あるときは此を朋党の茶話に止めず、謗法と認めなば直に本条所示の如く本人に勧告もすべきなり、但し謗法とも正行とも决せざるときは明師に决断を仰ぎ又は直に本人の意見を叩くが急務となり、决して多人の耳に軽々しく入るべきにあらず、然らざれば破和合茲に基いす慎むべし。
 
第六十七条(五十八条)、門徒の中に人を教えて仏法の義理を背かせらるゝ事は謗法の義なり、五戒の中には破和合僧の失と申すなり、自身の謗法よりも堅く誡むべきなり。
 
○註解。
「人を教て仏法の義理を」等とは・僧俗自身が他の僧俗を教唆して、大は宗旨の大綱に背く如き謗法を行はしめ・小は宗門の信条を違ふ如き非行を為さしむる・其為せし本人は勿論法謗法背信の罪に堕する事必然なりといへども、其自ら為さゞる教唆人も亦此を為さしめし咎に依りて同罪に堕す・其教唆の方法は自ら直接に言説を以てしたるものは、其罪重きこと勿論なれども・或は態度を以つて暗示を以つて教唆を加へたる者亦此に準すべし、仮令教唆の意志なしといへども・信徒を有する僧分・弟子を有する僧分・信徒を有する講頭等の非徳が冥々の間に他を悪感化する其罪又己に帰することゝ知るべし、
 
「五戒の中には破和合僧」等とは、五戒とは通途の殺盗等にあらずして殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧の五逆罪の事を云へるなり、一人を僧といはず四人已上の共行集団を僧といひ和合を僧といふ定義なれば、其共心同行の団体中に自ら異義を唱へて退くも不可なり、況んや他の教唆して同心共行を破するに於いてをや、提婆達多が釈迦牟尼仏に反抗する為に・仏弟子の一部を誘拐して新教団を組織したるは・堤婆の破和合僧罪とて・其罪の尤もなるものなり、現代に於いては破和合僧又破和合講に通用すべし、宗門に於いては大なる背教破和合の徒少し、宗祖御時代の大進房の如き中古の真超の如き日好の如きに過ぎざるも、小背信・小破和合の徒は僧俗共に多かりしなるべし、現代に於いて信心薄き地方にては大謗法大背教に意を注ぎ信仰強き地方にありては大謗法大背教者なんど出づべきにあらざれば、却つて小謗法小背信に意を注ぎ・自他互いに戒飾して破和合・悪宣伝・悪感化の起らざる様・未然に予防する事肝要ならんか、「自身の謗法よりも」等とは・他を教へて仏法の義理を背かしむる罪は自ら為す罪よりも罪積も多くなり且つ無智の他人を無間に苦しむる事になれば・深く誡めて此罪に触れざるやうに心すべしと訓誡し給へるなり。
 
第六十八条(五十九条)、法華宗の真俗の中に知らずして仏法の義理を違へ化儀を違る事、一定弁へずして違へたらば罸文起請を以つて義理を違ると云はゞ免許有るべきなり云云。
 
○註解。
本条読了しがたき文あり、今平易に此を訳せば「法華宗の僧俗中に知らず知らず仏法の義理を違へ化儀を違ふることありたる時・若し真実に何の弁へもなくして違へたらば・罸文起請を上げて謝罪すれば赦免あるべきなり」と云ふ意なり「義理」「化儀」の簡別は義理は化法なり、大道理なり・化儀は設けられたる信条なり、諸法度なり御開山の廿六箇条又は当化儀条目の如し又は其時々々に師より弟子檀那に訓諭せし不文の信条もあるべし、「一定」とは決定真実等の義全く慥にと云ふ意なり、
 
「罸文起請」の事は上の第四十五条の下に委し、「免許有るべし」とは宗祖本仏の代官として時の貫首上人が・犯人の罪を免すとなり、是れ故意に為したる咎にあらざれば、已生の悪を悔ひ末生の悪を止めて・以つて已生の善を増長し末生の善を起さしむる修道の本義に叶はしむるにあり。
 
第六十九条(六十七条)、事の即身成仏の法華宗を建立の時は、信謗を堅く分け身口意の三業少しも他宗に同すべからず云云、身業が謗法に同ぜざる姿は、法華宗の僧は必ず十徳の上に五帖の袈裟をかくべきなり、是即誹謗法華の人に軈て法華宗と見て結縁しめんが為なり、若又十徳計にては真俗の差別無き時は身業が謗法に同するにて有るべきなり、念仏無間・禅天魔・真言亡国等の折伏を少も油断すれば口業が謗法に同する姿なり、彼折伏を心中に油断すれば意業が謗法に同するなり云云。
 
○註解。
「事の即身成仏」とは・天台等の理の即身成仏に対して・宗門の名字事相の義を爾か云へり、名字の法は信行専要なれば・真俗の行者に信謗を厳峻に区別せしむるにあり、此を以つて身口意の三業共に他宗の謗法に類同せざることを期すべし、「十徳」とは・前の第十八条にもあり・当時僧俗共通の略衣なり・製は素襖の如し・紋あるものあり紋なきものあり、菊綴はあり・白き帯を以つて結ぶ、帯なきは放十徳といひて略儀なり、現代の十徳なるものとは其製大に異れり、但し当時にありては・俗家にては素襖の如く此を用ひ、僧家にては直綴又は素絹の略として此を用ひたるか、僧俗各宗共通の物を別して法華宗の儀表として給ひしは・本条には明文なきも色は薄墨なりし為めなるべし、此の薄墨色の十徳の上に小五条の白又は薄墨袈裟を掛けたるか、別して法華宗の儀表なり、
 
「五帖袈裟」とは通途の如し、但し帖は条の借字になり前の十八条にある如く・「一里も他行の時は十徳を着べし裳付衣のまゝは然るべからず等」とありて、裳付衣の長を嫌ひて十徳の短小を便なりとし・袈裟亦之を準じて小五条を用ひ給しなるべし、「十徳計にて」等以下の文・別に註釈を要せず、但し本条の全文時に当りて細かに云ふべき事多かれども他日別論に附すべし。
 
第七十条(五十五条)、学問修行の時は宗を定めざる故に・他宗の勤行の事なし、又他宗の袈裟衣をかくる事一向子細無きか、宗を定る事は化他門なり、学問修行は自身自行なる故なり云云。
 
○註解。
本条は僧分は自行先・化他後なるの通例に従ふ、即ち始は児として師の膝下に修学し更に剃髪して、或は師の下に或は他宗の談所等に修学の功を満てゝ・然る後に始て大僧として化他布教に従事するなり、此は是れ幼童より出家するものゝ通規なり、但し壮年に及び或は老後に至りて発心出家し・又は信徒の随力演説等は必ず此通規に依らず、自行化他同時なりと知るべし、
 
「又他宗」等とは・当時の学僧は比叡山に留学し又は柏原・仙波にも、下りて他の小談所にも便宜に依りて行きたるが如く真言・禅・浄土等の談所に行きたるの例は無かりしが如ければ、他宗の袈裟衣といへばとて・多くは天台式にして、本宗とは但色を異にしたる位なれども勤行等の行体に至りては大に趣を異にし、加行には弥陀薬師の華香はものかは・不動の護摩を焚きたる事もあるべし、是れ他宗留学には止むを得ざる事なれば・一向子細無きかと云ふなり、
 
「宗を定る事」等の句は軽く拝すべきなり、或は此文に執して単に化他門には宗旨あれども・自行門には宗旨なしと曲解して外面にのみ謗法厳誡を立て内部には謗法認容の非行あらんことは物怪なり、即ち他門の悪口なる日蓮宗は宗祖始め外には念仏無間等と強義を放言しながら・裡面には密に弥陀念仏を為すと云へる穽に陥いるものなり、凡そ自行化他の前後軽重に就きては・自行前・化他後、自行化他同時、化他前自行後等の重々の義目あり、自行に亦単の信解行あり、複の信解行あり、他宗留学は単の解の一分なり、化他に亦単複の随喜・報恩・利養等あり、此等の細釈は今の所詮にあらず・本条は単に他宗遊学時中・他宗の化儀に同するも差支なしと云ふ、狭き一辺に止て訓を下し給ふが故に其説局れりと見るべし。
 
第七十一条(七十九条)、日蓮聖人の御書を披見申す事、他門徒なんどの御書をも書写し乞い取つゝなどして見るべからず、本寺の免許を蒙るべし・其故は当家は信の上の智解なるか故なり云云。
 
○註解。
本条は一見甚だ偏狭の化儀の様なれども・其時代には当然の事なるべし、何となれば日蓮各宗未だ一定公認の御書あらず・録内の御書の如き既に簒輯せられたるも、全本甚だ稀にして容易に写伝せられず、況んや録外に至りては区々の編輯にして一定せず・其すら容易に写伝せられず、此を以つて無意の誤写・有意の偽作多きが故に、御書といへばとて綿密の検閲を経るにあらざれば・信を措いて拝読することを能はず、
 
今日の如き開板已来三百年を過ぎ・其間再三再四数十の学者が、御正本とも校合し・数本対照して其善に従へるすら・猶多少の誤りあるにあらずや、況んや当初の麁本・拙写に誤謬少くして止まんや、然るに吾山には開山上人の写本を始として・目師道師等の写本あり(現今残る所少けれども往古は他の富士諸山のものを合すれば多大となりしなるべし)て引用に差支なかりしなるべく、強ひて他門徒の如何はしき御書を拝するの必要なかりしなるべし、
 
故に「他門徒なんどの御書をも書写し乞い取つゝなんどして見るべからず」と制誡して、誤れる御書に依りて謬見を起さんことを末然に誡め給ふ、若し止むを得ず執心強き者の為には、「本寺の免許を蒙るべし」とて、本山に上申したる上に其の認可を経て他門の用ゆる御書を拝読し引用することを許し給へり、「其故は当家は信の上の智解なるが故なり」とは・他門の御書を多く濫読して、帰納的に一貫の宗義を拓見するは・智者の所為にして解より信に入るものなり、此は宗祖の本意にあらざれば当流の化儀にあらず・所定の御書を信読して演繹的に一定の宗義を了解するが・即ち末法愚者たる吾人の所為にして信より解に入るものなり、現代も亦以つて斯の如し、宗門に於いて一定の御書の編簒せられざるの間は・無智の僧俗は各所信の知識に就きて・拝読すべき書目の指示を受け、小部につきて精読味読を加へ敢て全部の御書を通読濫読することを禁すべきものなり。
 
第七十二条(百九条)、非情は有情に随ふ故に・他宗他門の法華経をば、正法の人には之を読すべからず・謗法の経なる故に、但し稽古の為又は文字を見ん為などには之を読むべし子細有るべからず・現世後生の為め仏法の方にて之を読むべからず云云。
 
○註解。
「非情は有情に随ふ故に」とは・有情とは正報なり衆生なり、非情とは依報なり草木国土等なり、今は狭義に約して有情とは人間にして非情とは器物に用ひ給へり「他宗他門の法華経をば乃至謗法の経なる故に」とは、他宗他門の謗法人の使用したる法華経は、経文に誤謬なきも・一度謗法の人に従ひたるものなれば謗法の経となるが故に・此を直に当流正法の行者の持経として、仏前の勤行等に読ましむべからず、
 
又他宗他門の名に依りて出版せられたる法華経も此に準すべし、故に宗門専用の御経にあらざるものを式の御経とせんには・即ち御影の御備経又は導師の備経下りて衆徒の備経とせんには、謗法臭味のあるものを避けて此を使用するに当り、厳粛なる開光式清浄式を行ふべき事なり、先年某居士が宗門専用の法華経なくして猥りに謗法者の製造せる御経を何等の説浄することもなく・無造作に己が持経となすは、自ら口に謗法破折を為すに釣り合はずと概して本山に宗祖開山の御筆の御経あらば・其に依りて開版せんことを唱へられたる様なれども、其は余り大業なれば其儘に閑却せられつ、但し活字版にても不勝して・宗門の専用の経を製したきものならずや、
 
「但し稽古を為し又は乃至子細」等とは・稽古は習学と同義なり、或は訓読真読の稽古経とし講義の台本にし・座右に置きて時々閲覧せんには、謗法者が持たりとも製したりとも差支なし、仏道信行の上厳粛なる信謗分別の意味を持たざればなり、「現世後生の為仏法の方にて之を読むべからず」とは・厳粛なる仏道修行段の上にて・現安後善を願ふべき規定の勤行式には、謗法者の手に渡りたる御経は用ゆべからず読むべからずとなり。
 
第七十三条(百十条)、袈裟衣等惣して仏具道具等の事、一向他宗に借すべからず・又他宗の仏具等をも法華経の法会に借るべからず、既に非情に随ふ故に・謗法の有情の道具は自ら謗法の道具なり、但し世事の志にて謗法の道具を正法の方へ取り切り乃至料足などにて・かいきりて正法の方へなしては子細有るべからず云云。
 
○註解。
本条は前条と同意義より起りたるものなれども、前条は他宗所製の法華経を用ゆるに就きて・本条は他宗と器具の貸借に就きての異ありて・貸借共に此を禁ずることは、非情は有情けに随ふ・謗法者の物は自ら謗法品なることの義に依る、「但し世事の志乃至取切り」とは・出世間法(仏法)にて他宗の物品を自宗の物となすは非義なり、
 
故に「世事の志にて」云ひて・社交上より他宗の物品を自宗に取切るは差支なし、「乃至料足なとにて買切りて」等とは・料足とは代価なり、相当の金銭を提供して買ひ取れば差支なしとなり、此の辺の御経と道具に信仰の品秩あり、御経は尊くして信行の親しきが故に買ひ取りても不可なり、道具は卑くして信行に踈きが故に・買取等して謗法の縁を切れば可なりと云ふなり、又前々条の他門徒所伝の御書を見るべからずと云ふは、本条等の如く其意敢て謗法の物なりと云ふにはあらず、誤写偽作多かるべしと云ふ中心より起りたるものなり、三条とも粗ぼ同義の上に各少しく其意を異にす、意して味ふべき事なり。
 
第七十四条(百八条)、法華宗の御堂なんどに・他宗他門の人参詣して散供まいらせ華を捧る事有り之を制すべからず、既に順縁なるが故なり、但し大小供養に付て出家の方へ取り次ぎ申して・仏聖人へ供養し申せとあらば一向取り次ぐべからず、謗法の供養なるが故に与同罪の人たるべし。
 
○註解。
「散供まいらせ」通例御賽銭と云ふもの此時代では通貨でも米でも仏前に蒔き散らすが普通の例であった、此は丁寧なる儀式でないが却つて信謗の区別なき一般的のもので順縁と云ふべきであるから禁制に及ばぬと仰せらるのである「出家の方へ取り次ぎ申して」云云とあるは此は一般的のものでない特別の意趣で御供養する内心が謗法味を帯びてをるから迂潤に仏聖人即ち御本尊へ捧げてはならぬ、能くよく其意趣を聞糺して信仰に入れてから其御供養を受くるやうに為すべきである、然らずして謗法者の供養を直に取次ぐことは取次の僧も謗法者と同罪に陥いるのであると制せられてある。
 
第七十五条(七十五条)、他宗の神社に参詣して・一礼をも成し散供をも参する時は謗法の人の勧請に同する故に謗法の人なり、中ん就く正直の頭を栖と思召さん垂迹の謗法の人の勧請の所には垂迹有るべからず・還つて詣神の本意に背くべきなり、但し見物遊山なんどは、神社に参詣せん事禁すべからず・誠に信を取らば謗法の人に与同する失があり云云。
 
類文。
物語抄第四十七段・我所領の内に有る謗法の社寺なりとも、公方より崇敬する処ならば・卒爾に沙汰すべからず、私所ならば早々改むべし云云。
 
第七十六条(七十六条)、謗法の所に勧請の神社に垂迹有るべからずと云ふ義爾なり、我正法の人として正法の神社を修造せん事は如何云云、是は道理然らなれども、惣して比国は国王将軍謗法の人にて在す故に・謗法の国には垂迹の義有るべからずと云ふ法門の大綱なる故に・我所に小社などを建立しては法門の大綱混乱するなり、故に謗法ならん間は神社は必ず建立なきなり、此国正法の国ともならば・垂迹を勧請申して法華宗参詣せんこと子細有るべらかず云云。
 
第七十七条(九十七条)、日興上人の時・八幡の社壇を重須に建立あり、内には本尊を懸らるゝ・是は本門寺の朽木書と云云、今の義にあらず、天下一同の法華経信仰の時は・当宗の鎮守は八幡にて在すべし云云、大隅八幡宮の石の文に、昔霊山に在つて法華経を説き今正宮の中に在て大菩薩と現すと・八幡の御自筆あり、釈迦仏の垂迹にて在す故なり云云、所詮朽木書とは手本と云ふ意なり。
 
○註解。
「他宗の神社」とは同時の神社は皆仏教各宗寺院と境域を共同にし、其神社の祭祀を掌どる禰宜神官ありといへども・却つて寺院別当等の管理を受くるもの多く、又神主なくして供僧等にて専ら祭祀等を主どるもあり、是れ本地垂迹論の結果にして・仏菩薩は本地・神々は垂迹なりとし・寺院建立に当りて其地に古来より神社あれば此を何々仏の垂迹と崇め、其寺院の地主権現なりとせり、
 
又神社なき地に新寺を建立したるときは、更に其縁由の神を勧請して・垂迹の宮を建つ、日蓮宗殊に本宗には天照大御神・八幡大菩薩を勧請すること、近時まで在りし吾本山の天王堂垂迹堂の例・又は次の第七十六条の文の如し、伊勢の大廟にすら神宮寺ありしといふ、明治維新後神仏混合の制を廃して・仏菩薩は寺院に、神は専ら神社に祀り、殊に境域を同一にすべからざるに至りしも、其已前は殆んど仏教各宗所属の神社なりしなり、此を以つて社参を謗法なりとするとき、古人は今人に倍して二重の謗法罪を犯せる形となる・即ち一重は善神の垂迹なき悪鬼乱入の社壇を礼拝するの罪・二重には誹謗正法の各宗が勧請せる邪宮を礼拝するの罪なり、但し今日とても神道と冒称する天理教黒住教等の社壇を礼拝するものは、猶二重の謗法罪を得、即ち一は彼等の神体が邪なること・二は彼等は神道と称すれども皇室所祀の宗廟・官国弊等に関係なく単に宗教者なること仏教各宗と異る所なければなり、
 
「一礼を成し散供をも等」とは、一礼とは礼拝して鈴鰐口を鳴らし現世安穏等の祈念を為すこと、散供とは米銭等を広前にまくこと(散銭箱は後世に散供をまとむる便宜上のものなるべし)、此等は既に支体を動かし財物を献じて・信仰帰依の意を表するもの・仮令詣者の主観に些の邪念なしとするも・拝礼の客体邪神ならば謗法とならざんや、況んや神社を造営し護持する諸宗の人既に謗法の念あるに於ては・参詣者も其の謗法の罪は神社を建てゝ諸神を勧請すんや神社を造営し護持する諸宗の人既に謗法の念あるに於ては・参詣者も其の謗法の罪は神社を建てゝ諸神を勧請する者と同じきなりと云はれたり、「就中正直の頭を栖と等」とは正直の頭を栖とは八幡宮の託宣なり、
 
「思召さん垂迹の」とは・のの下に神としてと云ふ文字を足して見るべし、正直が中にも正直なる神々は邪曲謗法の諸宗の人々が・仮令金玉の鏤めたる社壇を造りて勧請するとも、決して其所には垂迹あるべからず、然れば神体在しまさぬ空社なりと云はるゝなり、「還つて諸神の本意に背くべきなり」とは・謗法の空社に参詣するは、諸大善神の御意に叶はぬ道理なり、「但し見物・遊行等」とは・信仰帰依の為の参詣にあらざれば差支なし、
 
「誠に信を取らば等」とは・礼拝の儀式の軽重にのみにあらず、信仰帰依の念慮あらんに於いては・其宗其社を勧請して専ら其の帰敬する謗法の徒と・与同罪の謗法となるなり。
 
第七十六条の全文は注解の要なく明了なり、但し正法広布の暁までは・他宗他門の奉祀せる社壇に、信仰の意味にては参詣無用・又自宗の寺院等の内にも垂迹堂の神社は設立無用なりと云ふ事、本師の意・明瞭に顕はる、然れども他宗他教の神社にあらざる皇室の宗廟等の如くに至つては・宗徒は如何なる敬礼を払ふべきや・宗門信仰に入らざる者は・至尊といへども・一の人といへども謗法者なれば・其の崇敬の社壇も亦従つて謗法なりと排斥すべき道理の生するは勿論の事なれども・七十五条には明に「他宗の神社」と示して他を云はず、しかのみならず類文に引く物語抄の御教訓には「我所領の内に有る謗法の社寺なりとも公方より崇敬する処ならば卒爾に沙汰すべからず」と制誡し給へり、此文は一は信者たる地頭又は領主の心得のため、一は領地を有する寺主の心得のためにして・仮令其地の進退を恣する行政権を有する宗門信仰の領主等が・謗法の社寺を破壊せんとする時・其破戒せらるべき社寺が、時の日本国の全権者足利公方の崇敬の所ならば、軽忽に処決すべからずと云ふ・是れ大に為政者に敬意を払ひ給へるなり、公方已にかくの如し、況んや至尊に於てをや、故に広布の道程にある間は為政者に対して理を責め道を推して・臣民の礼節を全ふして・諌暁し上ることは、無論なりといへども熱心に激して妄断する事はあるべからざるなり、是即本師の精神固よ仏祖の御本意ならんか、
 
「八幡の社壇を重須に建立あり」とは・垂迹堂を指すもの今は無し、「内に本尊を懸らるゝ」とは・垂迹堂を建てたればとて、其神体は木像に・あらず鏡にあらず御漫荼羅なり、此制規に依るものか、上野重須等の村落に散在する小き神堂は(寺院以外)、山の神八幡を問はず皆御漫荼羅か神体なり、「本門寺の朽木書等」とは・重須の垂迹堂を八幡なりとすることは・将来広布の時本門寺建立あらん時の手本に、興師が残されたる規模なり、故に「今の義にあらず」と故に断り給ふなり、
 
朽木書とは絵画の下書なれば手本の如し、「大隅八幡の石の文」とは・大隅国姶良郡西国分村の内にある石体宮にあるものなれども、現時其石其文字ありやは不明なり、然れども宗祖の御時代には事実にして諸書に散見すと見えたり。
 
第七十八条(百十二条)、世間病なんどの有る檀方の御方へ・御仏の使に行て帰りたる時は・水をあびて本堂に参つて・其後・上人の御前に参りて後に・小児などのそばへも行くなり云云。
 
○註解。
「世間病」とは世間に病などあると云ふ意、世間病といふ義にはあらず、「御仏の使」とは・御本仏大聖人の御使僧の義にて・即ち法用の事なり、委しくは平病祈念の事をも含みたるか、「水をあびて」とは身根を清浄にする方法にて・或は火浄とて燧をかけて清むること一般に行はれ、宗門にも或る方面には葬儀に列して家に帰るときは・僧俗ともに門口にて打火することあり、
 
「水をあび」のあびは浴の字を充つべし、五体を水にて洗ひ清むるなり、此は水浄にて水垢離などゝも称す、世間に塩を蒔きて清むることあるは、海水浄の意か、水浄のことは・印度が暖国なるより屎尿等までも・万事水を以つて浄むる風の仏法に伝はりしにも依るならんが、日本の古風の禊ぎの風と結合したるものと見え、儀礼上にも衛生上にも至つて結構の風なれども・民風僧風徒らに惰弱にのみ流れ易く、此等の美風が厳粛に行はれざるは慨すべき事にして、やがては異国風になりて・両便の時の手水すら略せられんか抔・考へ及ぼせば情けなき事どもなり、
 
「本堂等」とは・此文は本山にての制度なり、本堂は使僧を命じ給ひし御本仏の住所なれば、使命を果たしたりし事を・大聖人の宝前に復命すべき事勿論なれども、近時稍もすれば此の風略せられをる地方を見る、其地方僧俗指導の任に当る人は・宜しく風規振粛を起すべし、「上人の御前」とは・本山貫主の御前なり、
 
貫主上人は本仏の代官にもあり・又本仏の義にもあり・口づから命を発したる仁なれば、御前に復命せんこと亦勿論の義なり、小児は未だ剃髪得度せざるちご即ち小僧なり、此の傍に行くことは私事なり、本堂上人へ参るは公事なり。
 
第七十九条(百十三条)、法華宗は・人の死去円寂の所をばいまず・只今荼毘のにはより来る禁忌の人なれども一向に忌まざるなり、只産屋月水等をば堅く是をいむなり云云。
 
○註解。
「法華宗は乃至いまず」とは・生死に貪著して濫りに死を嫌ふ通俗の頑冥を破したるなり、上の条に・病人に接したる時は・特に水浄を為すべき制誡と思ひ合はすべきなり、「荼毘のには等」とは・荼毘は梵語にして当方の火葬なり、「には」は庭なり場所なり、此の時代には大都会を除きて外の地方には・一定の三昧所少く高原林野随所に埋骨すべき地を卜して・其所に荒垣を結び廻して・葬儀執行所とも火葬場ともしたるなり、其場に列したる人は・僧俗共に禁忌の人として・即ち死人の穢を受けたる物忌み不浄の人とするが・世間普通の義なれども、宗門には一向此を忌まず・水浄も火浄も其要なしとなり、「只産屋月水等」とは・葬穢をば忌まずして・即ち産穢を忌む・此少しく世間と趣を異にすること・盖し産屋の穢れ月水の汚れは・葬儀の穢よりも甚だしければなるべし。
 
第八十条(四十二条)がんなど用ゆべからず・唐土の為体故なり、但し棺を用ゆべきなり。
 
類文。
物語抄卅一段に云く・人死去の時・葬礼次第然るべき俗人には唐櫃をもかゝすべし、禁をかざらずは只棺なるべし・禁を指すはかざらんが為なり、乃至さて早々の時は・棺計には其上にあはせなんどをば、打かけてよきなり。
 
○註解。
「がん」とは・龕なり・坐体を納るべき凾蓋共に方形のもの、「棺」とは坐体をも臥体と納る、但し臥体は長方形にて通俗寝棺といふ、類文の「禁」と云ふは何の事か不明なれども、共指すと云ひかざると云ふより考ふれば・天蓋やうのものか、但し此にても龕を用ひずして、棺を用ひるの風なりし事を知るべし。
 
此条に疑あり一には龕・棺共に唐制なることは勿論の事なるを・別けて龕は唐制なれば用ふべからずと制禁し、棺は国風なればにや依用すべしと云はれたる、二には現今本山にて上人の葬儀は龕を用ひて棺を用ひず、斯る大儀には古制を濫に変更せらるべしとも覚えず、故に此条下は少識寡聞の愚沙弥の註解に能はず謹んで大方博雅の指教を俟つ。
 
第八十一条(四十三条)、霊山の儀式なるが故に・他宗・他門・自門に於いても同心無き方を・あらがきの内へ入るべからず・法事なるが故なり。
類文。
雑々聞書に云く・神社は持仏堂の儀式、塔婆は霊山の儀式なり、又云く日有云く・塔婆は野原の本尊と名目を使ひ玉ふなり云云。
 
○註解。
「霊山の儀式」とは・葬儀は宗門の厳儀にして・其方式を霊山虚空会に取る、虚空会の中には三変土田して不合格の機類を淘汰し、能所純一の法華の持者のみを収容す、葬場のあらがき(荒垣)の中には他宗他門の者を容れず、自門の者たりとも異心ある者は此を斥けて容れず・純一法華持者のみ此に陪し厳儀を執るべし、「同心無き」とは・同心は同志と通ず・異体同心にして其事に当るもの・必ずしも肉縁の親疎を問はずして共同の信仰を取る、
 
「あらがき」とは・竹木縄等を張廻して、葬儀の場所を結界するなり、其結界内には異信仰の者を容るべからず、「法事なるが故」とて・重要の厳儀なる御大法の行はるる、事なれば・世間普通の無信仰の人々が・因襲的に・型式的に・死んだから僧侶に引導渡してもらつて・焼く埋めると云ふ通例とは、大に趣を異にすと念注し給ふものなり、葬儀に於ける野辺の事とも御漫荼羅御両尊塔婆等の事此を以つて推知すべし。
 
第八十二条(十七条)、仏法同心の間に於いて・人の遺跡を相続する時は・別の筋目の血脈にも入るゝなり、同心なき方へは・たとへ世事の遺跡を続ぐも・我方の法の血脈にはなすとも・同心せざる方の邪法の血脈に入るべからず云云、邪法の血脈には子共を入るゝ時は・其親の一分の謗法になる姿なる故に・親に中を違ふべし云云。
 
第八十三条(十八条)、二親は法華宗なれども・子は法華宗に成るべからずと云ふ者あり、其時は子に中を違ふなり、違はざる時は師範の方より其親に中を選ふなり。
 
○註解。
「仏法同心の間」等とは・宗門の信者の中より・他家の養子となりて其養家を相続する時は・実家の傍系の血脈につるなり、「同心なき方」等とは・他宗門の家に養はれたるときは・世事の遺跡たる家名財産等を相続することは勿論なれども、法脈の方は正法たる実家の系につりて・決して養家の謗法の血脈に入るべからず、「邪法の血脈に子共」等とは若し養子に遺はしたる上に信仰の血脈までも・他宗謗法の者となす如き事あらば・其の実家の親達の薄信不注意の致す所なれば、其生みの親は実子を謗法に陥いるものなれば、信者たる親達も此罪に依つて一分の謗法罪を犯す形なるが故に・此人と同心に信行する他の惣ての信者は・其薄信不注意の親共に中違ひして・永久に絶交し信仰の厳正なることを示すべきなりと慈訓し給ひ、令法久住広宣流布を計り給へるなり、
 
先聖の意を用ひ給ふこと斯の如く深けれども、慈教四裔に洽からず・転教の僧侶亦此の深意を普及せしめず・間々此厳訓を忘れて・他家に養子女又は嫁に遺せる者に、其謗法家を教化するの敢勇猛信の教訓を施さず・漫然其家の門閥又は財産にのみ眩惑し・又は其通途の人格にのみ望を嘱して・無造作に縁組を為す者ありて、進んでは養家縁家の法敵を折伏するの智術もなく、退きては養家縁家の謗他に入れども・己れのみは正信を完ふするの用意もなきもの・比々皆是なるにや・開宗六百年来何等の門徒の繁栄を見ざる事長大歎息の至なり、曽て聞く陸前古川の藤本氏は子女を謗法の他家に遺はさず・仮令小家たりとも一々分家せしむるの家憲なりと、勘兵衞氏の談に・予は大に其容易を讃して先聖の御意に叶へりとなす、全国の信徒皆此に傚はゞ確実に門家を繁殖せしめん事・内を顧みずして・外に徒に大言荘語を哢する用途に盲信の膏血をしぼる方法に勝るゝこと千万なるべきを信ず、況や外に熱烈真慈の教陣を張り内に此の法を行ひ・内外相応して広布の計を為すに於いてをや。
 
「子は法華宗に成るべからず」等とは・宿業の致す所以の類・万が一無きにあらず・氓ノ不肖の子丹朱あり・仏の悪逆の子善星あり、末世澆季不孝の子多し、況んや特殊の宗門に於てをや、今本師此を予想して此の制を設け給ふ、信徒の子謗者とならば・其親は涙をふるつて義絶すべし、其同心の信者達亦此の不孝の子と絶交すべし、「違えざる時は師範」等とは・子の謗法を見ながら愛に溺れて折檻も加へず義絶も為さぬ親には其の師範たるべき僧侶より・此に絶交なり離檀なりを申付くべき事当然の義なり。
 
第八十四条(四十六条)、当家の経を持つ人二親をも当家の戒名を付け・又仏なんどをも・当家の仏を立る時、初七日より乃至四十九日百ヶ日乃至一周忌乃至十三年三十三年までの仏をも立て訪はん事然るべし云云、何の時にても年月日なんどは・訪はん時を始として仏をも書く事は子細に能はず云云。
 
○註解。
「当家の経を」等とは・当家の信行を為す人なり「三親をも当家」等とは・其人始めて入信したれば、正法を知らざりし両親に・己が信仰によりて当家の戒名を付け替ふる事なり、「又仏なんどをも」等とは・仏とは爰には本尊仏の事にはあらず、其仏事の時に立る位牌様のものなるべし、本師の御制規には神座立つべからずと定めあり、神座は位牌の義なれば宗門に常住の位牌を立つる事なし、但仏事の時仮に設くる物のみ、或は墓所の塔婆をも仏と云ふことあるか、「当家の仏等と別に断りあるは・前の当家の戒名と断りあるに準じて知るべし、「初七日乃至三十三年」等とは・普通の例なり・宗門の別儀にはあらず・何れの時にても年月日」等とは・通途の七々日百ヶ日又は年回等にあらずして・随時に仏事を修するときは・其訪らふ時日に仏の戒名を書くに差支なしとの義なるべし。
 
第八十五条(四十八条)、父親は他宗にて母親は法華宗なる人・母親の方にて其信を次ぐべき間・彼の人は経を持つべきなり、其故は人の種をば父の方より下す故に・父は他宗たるが故に母の方の信を次ぐべき人には初て経を持すべきなり云云。
 
○註解。
宗門の信行をなし本因下種の御経を持つべき仁が・若し父親が他宗の不信者にて母親か宗門の信者ならば・其信仰の法水は母親より継ぎ・血脈も亦母親よりつる事勿論の事なり、人身となるべき種子は・父親より下すこと勿論なれども仏となるべき種子は・此父は謗法者なる故に・此を有せざれば・仏種に限りて此場合には母より続く事になるなり。
 
第八十六条(第五十二条)、謗法の妻子眷属をば連々教化すべし・上代は三年を限って教化して叶はずは中を違ふべく候けれども、末代なる故に人の機も下機なれば・五年十年も教化して彼謗法の処を折伏して同ぜざる時は正法信に失無し折伏せざる時は同罪たる条分明なり云云。
 
○註解。
宗門の信者たる者の妻又は子女其他一家を成す兄弟姉妹等の一族中に無信仰の者あらば間断なく種々の手段を尽くして教化すべし、二祖三祖等の往昔の掟には謗法の眷属には三箇年間・連々と教訓しても・此を用ひずば止を得ず妻は離別し子は勘当し其他の者には絶縁して親族の交際を断つべしとの厳誡なるも・爾来星霜推し移りて漸次に澆季薄信の時機となるが故に・当節にては三年と限らず五年も十年も根気よく彼等の謗法を折伏して猶此教化に従はざるときは・信者として充分の手段を尽したる事なれば仮令教化の効は無かりしにもせよ、教化者の信者の罪とはなるべからず、此に反して妻子眷属の謗法を世間一旦の慈愛に溺れて厳重に折伏せず或は教訓折檻を加ふる事ありとも型式一辺にして厳格の処置を為すの勇気なき者は仮令自己は型式の礼拝読経等を怠らぬにもせよ妻子の謗法と同罪たるべし。
 
第八十七条(五十六条)、親先祖法華宗なる人の子孫が経をもたずとも真俗血筋分けたるに皆何の代なりとも法華宗なるべし、根源となる体の処仏種を断つ時自ら何も孫ひこの末までも仏種を断するなり、但し他宗他門の真俗の人に引接せられて師範の所にて経を持つ人は縦ひ引接する真俗の人仏種を断つ故に不審を蒙るといへども・引接せらるゝ他宗他門の真俗の人は仏種を断つ引接せらるゝ人に同せざらんは師範の不信を蒙るべからざるなり云云。
 
○註解。
父母・祖父母・曽父母等の曽て正法たる法華宗にてありし家は其子孫に至りて法華経を受持せずとも・正法を誹謗する禅念仏等の他宗門に改宗せざる間は、一時信仰休止の状態にあるものにて・此状態が何世何代続くとも猶法華宗と云ふべきなり、然れども其家主に謗法を起したるものある時は・其が断仏種の本体となりて其子孫は永く謗法堕地獄・断仏種の者となるなり、
 
又他宗他門の謗法の道俗の教化を受け其に引接せられて当家の師範僧に謁して授戒を了し真正の信者となりたる後に、其を教化せし引接せし僧俗の人は却つて謗法背教の者となりて仏種を断ずるの者として、師範より不審を蒙り中違離檀など申し付けらるゝことあるとも、前の他宗他門より改宗せし新信者は信心強盛にして・決して一旦引接したる人に惑はさるゝ事なくば、師範は此に引接の累を及ぼさず・又不審をも咎めをも為すべからず健全なる信者として扱はるべきなり。
 
第八十八条(九十七条)、他宗の親師匠の仏事を其子其弟子信者にて成さば子細有るべからず。
 
第八十九条(百二条)、他宗の親其子法華経を持ち申すべく候、訪つて爾るべき由申さば訪ふべし、子とは親の姿の残たる義の故に子が持つは親の法華経を持つ全体なり云云。
 
○註解。
前条と同じ他宗の信仰を為す親が死したるとき、其子の宗門の信者の懇請して其死したる家にて回向をなさしめんとならば子細なく訪ふべし、子は親の半身なれば子の願ふ親の願ふと同意なり、子の正法を持つは親が持つと同義なればなり。
 
第九十条(九十六条)、他宗の親兄弟の中に病災等に付き祈祷を成すべき子細あらば・我信ずる正法の法華宗の出家を以つて我所にて祈祷せば尤仰に随ふべし既に兄弟が正法の檀那なるが故に彼の仰に子細無し云云。
 
○註解。
前条前々条と同意にて仏事と訪と祈祷との相違あるのみ。
 
第九十一条(百四条)、親・師匠は正法の人なれども其子・其弟子謗法たらば彼弟子に同じなば訪ふべからず、但謗法の弟子子はいろはずして正法の方法に任せば・彼の亡者を訪ふべし、但し孝子無くんば取骨までは其家にて訪ふべし其親の姿の残りたる故に其後は謗法の弟子子の供養を受くべからず。
 
第九十二条(八十八条)、縦ひ昨日まで法華宗の家なりとも孝子施主等が無くんば仏事を受くべからず・但し取骨までは訪ふべし云云
 
○註解。
親又は師匠の正法の人なりしも其子又は其弟子が背教して謗法の人となりたるに、其親又は師匠が死したる時・跡々の事どもが謗法の子又は弟子の意見の如く他宗他門の儀式にて行はるゝ家には決して訪らふべからず、然れども謗法の子又は弟子が我意を狭まず死亡せし先代の意の儘に葬儀なんどをも正法の方に任せなば・悦んで訪ひを為すべし其れも其家の跡目を続くもの孝養の考へなくして直に謗法となるやうならば骨揚の日迄にて切り上くべし、其間は亡者たる親又は師匠の姿が其家に残りたる形なれば其に対して必ず訪ふべきなれども・骨揚後は全く謗法の家となれば其家にて子又は弟子の供養を受くるは謗法に同ずるものなれば行くべからず。
 
第九十三条(百三条)、師匠の法理の一分を分ちたる弟子は正法に帰する時は謗法の師匠の正法を信ずる姿なるが故に弟子の望に依つて謗法の師匠を訪ふべきなり。
 
○註解。
八十八・八十九・九十条と同意なり、弟子が正法になりたる姿は・やがて師が正法を信ずる形なるを以つて・其謗法の師の死したる時其弟子より懇請せば謗法の師をも訪ひて回向すべき義となるなり。
 
第九十四条(百一条)、法華宗の仏事作善に縁者親類の中に合力の子細之有り是は法華宗の人を能開とする故に世事に於いて他宗合力有りとも世事は自他宗同事なり、法華宗能開となれば所開の世事は自他同事なるが故に子細無きか云云。
 
○註解。
正法法華宗の仏事供養の為に種々の慈善の事を為す時に正法の親類縁者は勿論謗法の親族まで合力して金品を持ち寄る事あるも謗法とはなるべからず、其は此の善根供養が正法の為に催されて他宗の金品の合力は仏法にあらざる世事なるが故に全く所開となりて能開の法華宗に開会せらるゝ形なれば差支なし、金品等の世事は信仰に関係なく世間一般の仁義の遺取なれば謗法の家より正法の家に遺るも正法の家より謗法の家に遺るも同事なり、但し世事にあらざる仏法の儀式を以つて遺取合力を為す事は謗法なりと知るべし。
 
第九十五条(四十七条)、学問修行の時念比に一字一句を習ひ候人・死去なんどの後は経をも読み仏をも立て霊供なんどをも備へて名をも付け訪はん事子細無し、其謗法の執情をこそ同せざれ・死去の後執情に同せず訪はん事子細無きか、縦ひ存生たりと云ふとも其謗法の執情に同せずして祈祷をもなさん事子細無きか。
 
○註解。
所化として遊学のとき懇に一字一句を教へくれたる仁が死亡したるときは後々の訪ひをして差支なし、一字一句の師の謗法に与同すること少しも無ければ後々の廻向供養は子細なきものなり、仮令其師の存命中たりとも・其謗法の執着に与同することすら無くば・其師の現世安穏の祈祷を為さんも一旦の報恩に合へれば差支なき事なり。
 
第九十六条(八十五条)、親類縁者一向に一人も無き他宗他門の僧俗近所に於いて自然と死去の事有らば念比に訪ふべし、死去の後は謗法の執情有るべからざる故なり、若一人も縁者有つて見次かば自ら其所に謗法の執情を次ぐ故に然るべからず云云。
 
○註解。
一人の縁者もなき他宗他門の僧俗・近所に在りたるが死去せば其場に往きて懇に回向すべきなり、若し一人にても少分にても縁者のありて・其仏を見次ぐことあるときは、訪ひの回向等を為すべからず、死人には謗法の執情残らざれども縁者に依りて謗法あるが故に往くべからざるなり。
 
第九十七称(八十六条)、他宗他門の人死去せば・知人ならば訪ふべし、但他宗他門の本尊神座に向つて題目を唱へ経を読ます、死去の亡者に向つて之を読むべし、惣じて法界の衆生の死去の由を聞き受けては訪ふべきなり云云。
 
○註解。
他宗他門なりとも知己の人死せば・遠近を問はず及ぶだけは訪ひて回向すべきものなり、其方法は他宗他門の本尊又は神座位牌に向つて唱題読経を為すことを禁ず但亡者に向つて回向すべきなり、惣て世の中の人々の死せるを聞かば一往を訪ふべき事なり。
 
第九十八条(百条)、他宗の仏事善根の座へ・法華宗の出家世事の所用にて行く時、彼仏事の時点心を備ふには食ふべきなり、既に請せず又口さいにも行かざる故に・態とも用意して翫すべき客人なれば備るなり、又受くるも世事なり、されば同座なれども経をも読まず布施をも引かざるなり、又法華宗の仏事作善の処へも禅宗念仏宗の出家の請せず・又口さいの義も無して・世事の用で風渡来らるゝには有りあへたる時点心を備ふるなり、是又謗法の人を供養するにはならざるなり、世間の仁義なり云云。
 
○註解。
他宗他門の仏事作善の所に・当法華宗の僧侶何か俗事にて・其れとは知らずに行きたる時先方にて其仏事の座席に請じて点心とて茶湯菓子餅なんとを供するときは・遠慮なく受用して喰ふべし、決して謗法の供を受るとはならざるなり、此故は其の仏事に就ては先方より特に招待もせず・又当方より邏斎にも行かざれども・社交上より懇意の間柄なれば・態と用意して賞翫し饗応もすべき客人なれば、幸の事とて点心を供へたるにて・仏法の儀式にてはなく但社交一辺の事のみ故に此を受くる当門の僧侶も亦世間交際の上にて此を味はふ迄なり、故に其座席には他宗他門の僧俗在りとも本尊在りとも当方にては読経も為さず・回向も為さず、又先方にては布施の金品をも呈せざるなり、此等と同じく当法華宗の仏事作善の座に禅浄土等の僧が・当方より招待したる理にもならず先方よりの邏斎にもあらず全く俗用にて突然来りたるときは・有合せの点心を供ふる事・是亦謗法人を供養する義にはならず世間仁義の交際に過ぎざるなり。
 
第九十九条(百七条)、所にて仏事作善を広大に成す時・其所の謗法の地頭なんどの方へ酒の初穂を進する事一向に世事仁義なり、又其所などに他宗他門の仏事法会を成す時、其所の然るべき法華宗なんどの所へ・酒の初穂をつかはす事有り・是も世事の仁義なり、受取人も世事の仁義と意得て請け取るべきなり。
 
○註解。
前条と粗同意されども所対異なれり、仏事作善の中に一辺は社交に属するが故に・華々しく広大に営むときは其所の地頭にまで及ぼし、敢て先方の信不信・同志非同志を問はざるなり、是仏事を広大にせんが為のみ、他宗門の亦此の如く・当門の信徒が然るべき生活を営みて其所にて世間敵に尊敬せられてある家には他より社交的に仁義あるものなり、相互の授受仏ほけにあらざれば・決して信謗の区別を為すべきにあらず。
 
第百条(八十七条)、縦ひ禅念仏等の寺道場の内なりとも・法華宗の檀那施主等が之有らば仏事を受くべし云云。
 
○註解。
他宗他門の寺院教会等の内なりとも・其施主が宗門の信者にて仏事を行ふ事ならば・其招に応ずべきなり、但し其き寺院の本尊に向ひ・又は他宗他門の僧侶に連経する等の儀あるべからざるは勿論の事なりと知るべし。
 
第百一条(百六条)、謗法の人・子を法華宗に成して彼子・供養と号して法華経供養する事有り、子は能開と成る上は子細無く之を納むべし。
 
○註解。
謗法の人ありて自己は種々の悪縁に繋がれて信仰を改むること能はざれども・其子をば法華宗の信者となしたるに其子法華経の供養を為すことあるときは、地帯なく其志を忘れて可なり、是信者となりし其子が面となり能開の施主となりて、謗法者たる親は裏に廻りて所開となるが故に・其の施物に謗法の気少しもなければなり。
 
第百二条(七十一条)、初めて法華経を持つ時・御酒を持たせ酒の肴を持参する時・法華経を持たざる已前なるが故に・世事にして仁義に用ゆるなり、仍て此の方よりも紙扇子のさたあり云云。
 
○註解。
他宗の者始めて当流の信仰に入らんとするとき、酒肴等の音物を持参するは・此時より信じ始むる事なれば其酒肴には未だ信施の意義なく・唯世間の仁義の音物と見るべきなれば、所受の僧分等よりも猶世間の仁義として・紙扇子等の普通の返礼の沙汰の怠るべからざるなり。
 
第百三条(五十四条)、他宗なれども祈祷を頼みて・後は此の病御祈祷に依て取り直し候はゞ・御経を持ち申すべき由約束の時は祈祷を他宗に頼まれん事子細無きか、左様の約束も無くして他宗の祈を成さん事は・謗法に同する条更に以て遁れ難し云云。
 
○註解。
他宗の謗法者が当病平癒の御祈祷を願ふに・幸に全快せば直に改宗せんとの条件付きならば、此に応ずる差支なしといへども、信伏随従の制約もなくして無条件にて他の依頼に応じて・仏天を煩はさんことは、謗法の罪寡遁れがたきものなり。
 
第百四条(九十五条)、法華宗は他宗の仏事作善をば合力為さざるが功徳なり、其故はかたきの太刀・刀をばとぎて爾るべきか敵のようがいを・こしらへて無用なるが如し、仍て他宗の仏事に合力為さず云云、但公事なんどの義は別の子細なり。
 
○註解。
普通には他の善根と為すを見て随喜するを功徳とすれども、当法華宗は信謗を以つて徳罪を峻別するが故に、如何なる荘厳儀礼を尽せる仏事作善なりとも、他宗他門にて此を行ふときは・能開の宗旨既に謗法罪科なれば・所開の作業従つて又罪悪なるを以つて・決して此に随喜参列すべからず・寧ろ此に合力せずして此を破斥するが大功徳なり、譬へば敵味方対陣の時に敵の太刀又は刀は研ぎてよかるべきか、又敵の要害なる随所を拵らへて・よかるべきか、何れも無用なる如く敵方の他宗他門の仏事作善に賛成すべからざるなり、但し公事とて政府官庁等の為政者が公けに営む事に協賛もし伏従もせん事は・強ちに信謗の義目を分つべき事にもあらざれば子細なき事どもなり。
 
第百五条(二十五条)、他宗難して曰く・謗施とて諸宗供養を受けず、何ぞ他宗の作りたる路・他宗のかくる橋を渡るや、之に答るに彼路は法華宗の為に作らず又法華宗の為に懸けざるはしなり、公方の路・公方のはしなるが故に・法華宗も或は年貢を沙汰し或は公事をなす故に・公界の道を行くに謗施には成らざるなり、野山の草木等又此の如し云云。
 
○註解。
当流の信謗峻別を他宗の者が批難して云ふには・諸宗の供養を謗施なりと斥ふて受けざる程ならば、他宗の作りたる道路・他宗にて懸けたる橋梁も謗法の気あるが故に通行すべからざるにあらずや、
 
此に答ふるやうは・道路橋梁は他宗が態と法華宗の為にとても又自宗のみの為にとても作り懸けたるにあるにあらず、公方一般の通路の為に作れるなり、法華宗たりとも年貢をもをさめ・公事の為には米金労力を惜まず・公界に住みたれば公界の義務を尽くすに・天下の公道を踏まんに何とて謗施となるべきや野山の草木を使用する又以て此の如く全く謗施とはならず・公民として公物を使用するまでなり。
 
第百六条(百五条)、師範の時世間の義に依て所領等を知行あらば・其跡を続く弟子縦ひ他人為りとも・真俗の跡を続ぐに子細有るべからず謗法の所領を領するには成るべからず、其の児童の庶頭の庶子の分に当るなり。
 
○註解。
師範たりし其僧曽て俗縁の為に・田畠等の所領あらば・其の師範の亡跡相続する弟子の後住は・縦ひ先住の師僧に肉縁なるとも・其の住寺を相続するといふ義に依りて・其の財産たる田畠等の領地を有するも、決して宗教上にも法制上にも差支あらざるなり、後住は前住の真諦の側なる仏法寺院を相続するも俗諦の方面なる持添の田畑山林金銭を相続するも差支なく・世間俗諦の所領なりとて強ち謗法とはならず・例せば地頭が死すれば其庶子が父の地頭の所管せし領地の内を知行する如き事に当りなり。
 
○注意、「地頭の」下に一字原本に缺損あり・後の写本どもには「そ」とも「め」とも写しありて其れに意味通せず・善き写本を持たるる仁は御通知を乞ふ、又本条実例は・日目上人が亡父新田五郎重綱の縁に依りて伊豆国畠村等にも陸前国登米郡新田村等にも田畑を有せられし事は「世間の義に依つて所領を知行あらば」の文に当り、又此等を日道上人等代々に伝へられしは「其跡を続く弟子云々」の文に当るが如し。
第百七条(十二条)、仏法退大する輩ら、子孫なんどを信者に成し度く所望候、是を用ひられざる事なり、志の通ぜざる故なり云云。
 
○註解。
仏法の中に化他の大難に当るべき大乗を退転して・自行だけの小乗教に移るが如く・末世三累の強敵を受けて法華経の御為に・艱難苦労するよりも・或は禅に念仏に真言に苦労の少い責任の無い下劣の仏法に退転せし輩らが・己れは斯々の因縁に依りて迚も御大法を餅奉る事は不可能なれども子供や孫には必ず御大法を信奉せしめたき由を願ひ出づるとも決して御採用にはならぬものなり、御大法も仏の大慈悲も信心に依りて通ふものなれば・不信の者の志は御本仏には通ぜざるなり、子孫に至りて自ら信心を起せば・法水は直に其信心の溝に通ふものにて・中に不信の親達が彼是するときは却つて法水の通路を梗塞するが如きものなり。
 
第百八条(二十八条)、経を持つ人の事、今日持つて明日退大するとも・無二の志にて持つ時は然るべし何年何月とも時節を定めて事事爾るべからず云云。
 
○註解。
宗門に入りて法華経を持つ人は・今日信仰を始めて明日退転することあるとも、其の一日だけは無二の志にて一心不乱に全力を尽くしたる信仰なりしならば・よし信心を止むるも致し方なかるべし、始めより何年間とか何月間とか時期を定めての信仰は宜しからず・世に云ふ一代法華・百日法華等の如き甚だ怪しからぬ事どもなり、又年月は定めずとも御利益があるならば信仰して見やう等の試験的の信仰も大に怪しからぬ事なり、受持信行は始より終りまで・一心に無二に全力を注ぎたるものならざるべからず、猶予不定の邪念起らば是謗法の萠しなりと警戒すべきなり。
 
第百九条(二十九条)、信と云ひ血脈と法水と云ふ事は同じ事なり、信が動ぜずば其筋目違ふべからざるなり、違はざる血脈法水は違ふべからず、夫とは世間には親の心を違はず出世には師匠の心中を違はざるが血脈法水の直しきなり、高祖己来の信心を違へざる時は我等が色心妙法蓮華経の色心なり、此信心の違ふ時は、我等色心凡夫なるが故に即身成仏の血脈なるべからず一人一日中八億四千念々中所作皆是三途業因文。
 
○註解。
信心と血脈と法水とは要するに同じ事なるなり、信心は信行者にあり・此信心に依りて御本仏より法水を受く、其法水の本仏より信者に通ふ有様は・人体に血液の循環する如きものなるに依りて・浸潤に依りて法水を伝通する所を血脈相承と云ふが故に・信心は永却にも動揺すべきものにあらず・撹乱すべきものにあらず、若し信が動けば其法水は絶えて来ることなし、爰に強いて絶えずと云はゞ其は濁りたる乱れたる血脈法水なれば・猶仏法断絶なり、
 
信心の動かざる所には・幾世を経とも正しき血脈系統を有し仏法の血液活溌に運行す、其は世間にて云へば子は親の心に違はす祖先の定めたる家憲を乱さぬが・其家の血統正しきが如く・仏法には師匠の意中に違はぬが血脈の正しき法水の清らかなるものなり、仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人已来の信心を少しも踏み違へぬ時、末徒たる我等の俗悪不浄の心も・真善清浄の妙法蓮華経の色心となるなり此色心の転換も只偏に淳信篤行の要訣にしり、若し此の要訣を遵奉せずして・不善不浄の邪心迷信となりて仏意に違ふ時は・法水の通路徒らに壅塞せられて・我等元の儘の粗凡夫の色心なれば・即身成仏の血脈を承くべき資格消滅せり、悲しむべき事どもなり、惟無三昧経などにも・一日一宿に八億四千万の念ありて念々少しも息まず、悪念は悪果を招き善念は善果を招くとあり、中には凡夫は悪念のみ起すものなれば・不退の修養を積みて本仏の慈願に乗すべき事を怠るべからざるなり。
 
第百十条(三十八条)、一日十五日・香り爐に香を焼き・天の経の内へ参らすべきなり云云。
 
○註解。
天の経とは・初座天拝の時なり、此日に此時に別して焼香すること・其所以を知らず・又現時此の儀式廃絶したるが如し、識者の指教を待つ。
 
第百十一条(六条)、仏事追善引導の時の廻向の事、私の心中有るべからず・経を読みて此の経の功用に依り・当亡者の戒名を以つて無始の罪障を滅して・成仏得道疑ひ無し乃至法界平等利益。
 
○註解。
亡霊への廻向には・其導師たるもの少しも私の意志を挟むべからず、御経の功用に任すべし、此時は蓋し、戒名に意義ありと意得べしとなり。
 
第百十二条(四十一条)、仏事引導の時・我宗は理の廻向有るべからず智者の解行は観行即の宗旨なるが故なり、何かにも信者なるが故に事の廻向然るべきなり、迷人愚人の上の宗旨建立なるが故なり、夫とは経を読み題目を唱へて此経の功用に依つて成仏す等云云。
 
○註解。
聖霊廻向の時・亡者引導の時に、導師たるものは・他宗他門の様に理智じみた広漠たる言辞を宣ぶべからず・其れは理の廻向の文なれば・宗門の精神に違反す、宗門の事の廻向とは・簡明に亡霊の成仏を念ずる計にて足る、其功用は御経本尊に御任せ申す計りなり、但し上人位に御威光倍増御報恩謝徳と申し、平僧に増道損生等と云ひ・信徒に仏道増進と云ひ・謗者に抜苦与楽と云ふも・但浮世の身分の相違に依るのみにして・中心は決して身分の相違にのみ依りて成仏に差異あるものにあらざるなり。
 
第百十三条(二十六条)、絵師仏師或は鍛冶番匠等の・他宗なるをつかう事、御堂坊等にも苦しからず・作料を沙汰するが故なり。
 
○註解。
画工仏工金工大工等に自宗の者なければ・他宗の者を使用すること、御堂にもあれ坊中にもあれ決して差支なきことなり、其れは其の人等の志を納るにはあらずして・作料賃銭を以つて労力を買ふが故に・信謗の沙汰は生ぜざるなり、当門の人の其職事の為に他宗に雇役せらるゝ・亦此を以つて准知すべし。
 
第百十四条(三十九条)、法楽祈祷なんどの連歌には寄り合はず、其故は法号を唱へ三礼を天神になす故に・信が二頭になる故に・我家の即身成仏の信とはならざるなり云云。
 
○註解。
宗門の道俗平素の嗜好に依りて・他宗の者と連歌の席に列するは差支なしといへども、其席が法楽祈祷追善等の宗教的儀式を以つて主礼とする処には参るべからず、当時の連歌の儀式には天神(菅亟相)を三礼する故に、仮にも此を信する形ちなれば・信心二頭となりて・宗旨の一心欲見仏の意に背く、此を以つて此に寄り合ふことを禁ぜられたり、現代の歌会には此等の旧習なかるべしといへども・其会の底意宗教にあるものには・其会合を避くべきなり。
 
第百十五条(三条)、名聞名利は世事なり、仏法は自他情執の尽きたる処なり、名聞名利は自身の為なるが故に世事なり、出家として此心有る時は清浄の仏法を盗んで名聞名利のあきないになす処は・仏法を盗むなり、然るべからず、心中尤も嗜むべし云云。
 
○註解。
名聞も名利も共に自他を峻別する上の世間法に過ぎず、世間の名誉と利益とは人心を動かす尤も其の甚だしきものなり、仏道に入れる僧俗も亦此の余習を受けて仏法的の名聞名利を恣にして僧俗共に分に仮設の階級に誇り・下級者を眼下に見て得々たり、
 
又其の所作の事業を以つて・分に大事を成せし者は小事を成せし者に誇る、特志を運びし事を喧伝せられたる者は・薄志の者に対して鼻高き等仏法の中にても当然の振舞の如く思へる者多し、然るべからざる事なり・仏法の中に入りては・仮令世間の余習に依りて・特種の奮励を為し高位に昇りたりとも・大功徳を成満したりとも・其成功の暁には名聞名利を昨夢の如く忘却すべきなり、
 
故に今「仏法」は自他情執の尽きたる処なり」と、本師宣へり、若し名聞名利を世間の迷夢と一掃せずして・長く仏道の上にも猶名利を重んずるときは、仏道の洪範に背き堕在三途疑ひなからんか、殊に僧分として深く猛省すべきなり、此を以つて本師は「此心有るときは清浄の仏法を盗て名聞名利のあきない(商買)になす処は仏法を盗むなり」と呵し給へり、末世の僧・実に清浄の意味を誤解し・精神的に力めずして物質的にのみ解す、其心を錦繍にし其行を金玉にせずして、其衣をのみ錦繍にして其堂をのみ金玉にせんとす、而して法仏を衒売するもの仏頭に糞を塗れるもの等の・畜盗法師天下に充満すと聞く、事実ならば・恐ろしき教界なり、本師我宗門の此流に濁されぬ様厳誡の辞を残し給ふ、其御意の如く・我等の「心中尤嗜むべく」自他互に戒飾し深く反省して僧俗共に名利に陥らざる様念々に御本仏の御冥加をいのるべきものなり。
 
第百十六条(三十条)、経を読むに必ず散華有るべし信の時は法界妙法蓮華経なる故に一仏なり其の一仏の三身に供するなり、是れ即ち本門無作なり、天台宗に沙汰する本有の理智慈悲は理の無作なり。
 
○註解。
経を読むとは宗門には仏教各宗共通の読経と云ふ文字を使用すれども・其底意には題目を唱ふることを含むものなり、読経は表皮、唱題は心核の如き意に見るべきなり、散華は諸経に見ゆる如く天より降るところの曼荼羅曼殊沙華等の四種の華が原因なれども・末世の核仏教には・何れも此等の妙瑞あるべくもなければ、他宗にては厳儀の折などに・紙に製したる蓮華の葩を華籠に入れて・行道の僧童が参集の衆の頭を降らすことあり、又登高座の散華にも此を用ゆれども・宗門には古来華といへば他宗他門に用ゆる・四季折々の栄枯無常の色花を斥ひて・春夏秋冬少しも変ることなり・常住不変の栄へを競ふ樒の色と香とを賞用するが故に・登高説法の散華にも・常坐看経の散華にも常に樒葉を用ふ・但し枝頭の三葉を限りて使用するなり、其の仏前にありて看経唱題の終に樒の三葉摘み奉るは妙法蓮華経の一仏即ち本門の本尊に供へ上るものにして・本尊には法報応の三身具有せらるゝが故に・三身供養の儀となるなり、しかのみならず本山にては常儀として毎朝早天に堂衆の六老が・本尊の御宝前の六器華(樒)と香と水とを対供するを三身供養と称せり、其の三身は宗祖大聖人御内証の自受用報身の智徳に・久遠常住必然として法身の理徳と応身の慈悲とを具有し給ひ、未だ権実本迹等の諸教諸行に渡さゞりし・元初本因妙等の無作三身にして・天台宗の汎く沙汰する如き・法界一同の凡聖が何れの時代にも具有すべき・本有の具徳たる理の上の無左の理智悲の三徳たる三身如来にはあらず、即ち諸有に沈淪堕落したる衆生の心裡を聖者が洞観して猶少分の菩提心なきにあらずとせし末梢たる無功用なる三身にはあらずして久遠の大聖慈教の始めに於いて何物にも汚濁せられず、活溌に垂下し得べき根本有功用の三身なりと断り給へるなり。
 
第百十七条(百九条)法華経を修するに五様有り夫とは受持・読・解説・書写等云云、広して修するは像法読誦多聞堅固の時節なり、今末法は根機極鈍の故に受持の一行計りなり、此証人には不軽菩薩の皆当作仏の一行なり、不軽も助行には廿四字を修し玉ふなり、日蓮聖人は方便寿量の両品を助行に用玉ふなり、文を見て両品をよむは読・さてそらに自我偈を誦し・今此三界の文を講じ、塔婆などに題目を書写するは・受持の分の五種の修行と意得べきなり。
 
○註解。
法華経を宗旨として修行する方法に五種あり、一には受持とて・法華経を信ずるが故に大事に身心に受け納め念ずるが故に厳重に持ちて少しも放さず片時のたゆみもなく勇猛に精進に信行す、二には読とて法華経の文字を見ながら音楽的に此を読み、三には誦とて同く文字を見ずして暗に此を誦み、四には解説とて同じく一文一句に就き又は一品に就きて他人に向つて明細に解説を為し、五には書写とて同じく一品一巻八巻を・一人して書写し又は多人して八巻を頓写する等、此を五種法師の修行とて法師品及び法師功徳品等に説かれたり、
 
其修行の方法は・五たねの夫れ堂々々につきて多様あれども・此を一種々々切りはなして・特別の儀式を以つて広大に修行することは、末法当時の要行にあらずして・像法中の第三の五百歳なる読誦多聞堅固の時代に適当せる修行たり・読誦多聞の名目は・読誦は直に五種の中の第二第三に当り・解説は第四の多聞に当る・但し解説は説者に約し多聞は聴者に約す、而して受持は五種の行るが故に・書写は下劣の功徳なるが故に・読誦多聞の中に摂して煩しく名辞を列ねずと見るべし、今末法には五種の行を排列して広修せず・但総行たる受持の一行にのみ止めて・但南無妙法蓮華経とのみ法華経の首題を口唱することは・末法の時機・短促極鈍の故に成るべく煩瑣の型式を略したるなり、然るを今現に他門の日蓮各宗に頓写千部一部などの広修の修行を為すは・内容空虚にして宗教の生命なきに拘はらず・儀相を荘厳にして信徒の虚栄心を釣らんとするに過ぎずといへども・さりとて但唱受持の一行のみにては・却つて無味単孤に過ぎて策行の機を失するの嫌ひあるが故に・此を調整する助行の必要あり、受持一行を以つて成仏する証人には不軽品の不軽菩薩の皆当作仏の一行なりといへども、不軽菩薩は四衆の皆当作仏を信じて但行礼拝の一行を正行としながら・なほ我深く汝等を敬ふ敢て軽漫せざる所以は何ん・汝等皆菩薩の道を行す、当に作仏を得べしの廿四字の助行を以つて皆当作仏但行礼拝の単孤を補ひ給へり、今日蓮聖人も但唱七字の正行を補ふて方便寿量の両品を読誦して助行と為し給ふ、此の助行は適度のものにして・彼の千部一部の広行の如くに正行を防ぐるものにあらず、
 
助行の御経を読むことは十時間・正行の御題目を唱ふることは僅か十分間と云ふ如き不権衡の嫌ひなく・却つて適度に正行を助長するの利あるものなり、而して五種の惣行たる但唱七字受持成仏の一行をのみ正行とする故に・余の四種は受持の体内に自然に含有する所のものならざるからず、体外に別在して受持正行と肩を並ぶる底のものならば・正行を妨げ正修に濫ずるが故に厳禁たるべし、此の意地より見るとき・文を見て両品を読むことは受持が家の読となり・文を見ずして自我偈など誦むことは、受持体内の誦となり・今此三界の法則などを講説することは・受持が家の解説となり・塔婆などに題目などを書写する事は・受持体分の書写となるなり、其外に信仰的儀表にあらざる読誦解説書写は・直に正行の助行となるにあらずして・第二第三位に下りて助行の意得うべき事なり。
 
第百十八条(三十五条)、法華宗は不軽の礼拝一行を本と為し受持の一行計なり、不軽は威音王仏の像法の比丘・日蓮聖人は釈迦仏の末法の比丘なり、何も折伏修行の時なり云云、修一円因感一縁果文、但し受持の一行の読誦解説書写有るべし、夫れ者梅桃のさねの内にも・枝葉になるべき分之有り・之を思ふべし。
 
註解に及ばず・前条の註意を以つて見るべし。
 
第百十九条(三十二条)、法華経をば一部読まざれども一部本尊の御前にもをき・我前にも置くべきなり、方便寿量につゞめて読むも・本迹の所詮なる故に一部を読むなり、されば経文には皆此経に於て宣示顕説す文、御書には皆此経に於て宣示顕説すとは一経を指すに非・ず題目の五字なりと遊はさるゝ故なり、仍つて法華経に於いて文義意の三の読み様あり、夫とは一部廿八品を読むに文を読むなり、又十界互具の法界を云ふは義を読むなり、亦題目計り唱るは意を読むなり云云。
 
○註解。
宗門には二品読誦にして・法華経一部を通読するにあらざれども・御本尊の御宝前にも・我が前机にも法華経一部を安置すべきなり、方便寿量につゞめて他の廿品を読まぬも・方便品は迹門の詮要寿量品は本文の詮要なるが故に・二品を読めば即一部を読むことになるなり、又寿量品の本因下種の御題目を読みそへて・自我偈計りを読むも・義は一部を読むことになり・
又御題目計り唱ふるも猶一部を読誦する意となるなり、其は人力品の御文に・皆此経に於いて宣示顕説と説かれたるを・宗祖は如来の一切の四句の要法は・皆法華経にて宣べ顕はされてあると経文に説かれし其の経文とは・一部・八巻・廿八品・六万九千等の文にあらずして・寿量品の妙法蓮華経の五字を指されたるなりと遊ばせり、此等に依つて法華経には文義意とて・文句と義理と意味との三段の読みかたあり、一部八巻・廿八品・六万九千等の文々句々を読誦するは文を読む第一段の方法なり、方便品の十如是の文等に付て・十界互具・百界千如・一念三千等の義理を立つるは・分裡に潜在する義を読む第二段の方・又文に局せず義に泥せず・題目即法華経の文々句々の惣在として・題目計り唱ふるは、意を読む末法肝心の要行即ち第三段の方法なり。
 
第百廿条、一乗要决に云く・諸宗の権実・古来の諍論なり、倶に経論に拠り互に是非を執る、予寛弘丙午歳冬十月病中に歎じて云く・仏教に遇ふと雖も仏意を了せず若し終に手を空うせば後悔何ぞ追はん、爰に経論の文義・賢哲の章疏・或は人をして尋ねしめ・或は自ら思択し全く自宗他宗の編党を捨て・専ら権智実智の深奥を選び・終に一乗は真実の理・五乗は方便の説を得、既に今生の朦を開く何ぞ夕死の恨を遺さん文。
 
第百廿一条、涅槃経の九に云く・諸の衆生命終の後・阿鼻地獄の中に堕して、方に三思有り、一は自ら思はく我が至る所何の処ぞや、即ち自ら知りぬ是阿鼻地獄なり、二は自ら思はく何の処より而も此に来生する、即自ら知ぬ人界の中より来る、三は自ら思はく何の業因に乗して而も此に来り生する、即ち自ら知ぬ大乗方等経典を誹謗するに依りて而も此に来生す。
 
○註解に能はず、此二条は有師の御説にもあらず、又御説の化儀に関係ある文拠にもあらず・筆者日住何意を以て抄末に加へたるや、其意を了する能はず、謹んで大方の指教を仰ぐ。
又此二条は幸に抄末にありて・殊に化儀に関係なければ、愚沙弥の類聚条段改訂の厄を受けず、本書の儘なるが故に・条下に旧条を記せず。
仰に云く・二人とは然るからざる由に候、此上意の趣を守り行住坐臥に拝見有るべく候、朝夕日有上人対談と信力候はば・冥慮爾るべく候なり。
時に文明十五年初秋三日、書写せしめ了ぬ。
御訪に預るべき約束の間・嘲を顧みず書き遺し候なり、違変有るべらかす候、筆者、南条日住。
○已上畢りぬ。
 
編者云く、筆者南条日住は其の伝を逸すれども上野か中豆か小田原の南条氏かの出身にて、日有上人と同系なるべく、又有師の寂年に其の資・日鎮上人尚弱冠にて、日乗日底の両師先つて迂化せられて居るから、日住兼て聴き置きて深く心底に納めたる聖訓を記して鎮氏に奉呈せしこと、左京日教の六人立義私記の序文の如し、但し爾後数百年を経て、更に十数年に跨がりて長々と蛇足の愚解を事として大方の叱責をも受けず、却つて聖文を涜せし事と、又特に本集に編入せし事を深謝す。

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