富士宗学要集第二巻

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五 段 荒 量

新、迹門馳過の事●衛、左右座の事●飛、三変浄土の事●裳、無明の大地破裂の事
勢、移諸天人の事●須、以大音声の事
経、付属有在の事●壱、誓言の事
弐、二箇諫暁の事●参、八木三石の事
肆、求法壇王の事●伍、聖人九箇年居住の事
陸、若有於経の事●漆、提婆古今法会の事●捌、聞経聞品の事●玖、於時下方の事●拾、舎利弗語竜女言の事
佰、謗法供養銅●事●仟、八歳竜女事●万、女人成仏の印文の事●億、薬王大楽説の事●イ、五百他弘経の事●ロ、観八十万億の事●ハ、視観察の事●ニ、爾前他方国土の事●ホ、六万の表示の事●ヘ、菩薩の住処を釈する事●ト、有四導師の事●チ、神力品の初の事●リ、上行再誕の事●ヌ、定未来の事●ル、迹化所対の事吐舌相●ヲ、遍躰放光の事●ワ、地六種動の事●カ、南無の事●ヨ、爾前仏告上行の事●タ、以要言之事●レ、所有之法の事●ソ、秘要之蔵の事●ツ、甚深之事の事●子、皆於此経の事●ナ、自在神力の事●ラ、教玄義の事●ム、観心釈の妙事本末●ウ、是故汝等の事●ヰ、前三後三の事●ノ、燈炬星月の事●オ、諸釈の事●ク、細人等諸釈の事●ヤ、哢引の事●マ、猶多怨嫉の事●ケ、摂折二門の事●フ、還借教味の事●コ、遠沾妙道の事●エ、我土自有菩薩の事●テ、獅子吼の事●ア、筌蹄の事●サ、迹付属の事●キ、迹門付属本迹の事後漢明帝の事五段目宗下●ユ、浄土宗の事●メ、三輩九品の事●ミ、浄土宗未だ結縁相を知らざる事●シ、十四誹謗の事●ヱ、捨閉閣抛の事●ヒ、選択集の事●モ、方等部念仏三昧の事●セ、西迹本のみたの事●ス、念仏為先の事●玉、若有女人の事●メ、をにの点の事●為、道綽の事●論、五百歳の事●半、法然の事●人、閇字の事●本、爾前経の中に摂法花の事●篇、観経法花の前後の事●頓、提謂波利の二経の事●●、読誦大乗の言の事●論、九品配当の事●奴、閣抛の二段の事●類、易行無間の事●御、正雑二行の事●倭、善導遺誡の事●呵、故知諸行の事●与、念仏無間の事浄土宗見聞御書●他、真言宗の事●連、十住心の事●損、立五歳の事●都、伝教弘法の誕生入滅の事●念、舎利講の事●難、釈迦大日三身の事●乱、釈迦の舎利講耶の事●聞、大日経の説処の事●雲、顕乗の四法の事●院、古賢●王の事●野、三自一道の事●汚、譬如有人の事●倶、問答の事●耶、第三劣と云ふ事●満、真言亡国文証の事●現、亡国現証の事●分、我昔座道場の事●金、法花宗を第三とする事●円、不空の事●伝、慈覚智証の事●秋、竜樹菩薩の事五難あり●参、唯真言法中の事●機、般若非秘密の事●油、不共一切声聞の事●面、秘密蔵の事●民、変毒為薬の事●新、安国寺の尼の事●縁、魯人と云ふ事●一、花厳真言の帰天の事●貧、心経秘鍵の事●一、真言宗の事御書●門、禅祖三流の事●泉、四威儀の事●須、一種禅人の事●鏡、止観明静の事●城、禅の依経の事●日、●洛の事●作、十七種異名の事●叔、是魔眷属の事●国、或有修禅の事●銀、獅子身虫の事●質、阿難の仏所参の事●発、練若の比丘の事●君、暗証の禅師の事●従、亀毛の事●尹、菩提元非樹の事●ロ、邪鬼の事●ハ、香城粉骨の事●ニ、千屎●の事●ホ、五常に背く事●ヘ、川獺祭魚の事●一、御書禅の見聞也の事ト、教を不捨の事●チ、教外別伝非私の事●リ、律宗の事●ヌ、八種優劣十七差別の事●ル、美洒の事●ヲ、漢土律宗皈伏の事●ワ、律宗事御書●一、権実相対の御書●一、神の事御書
百四十九箇条也

 五段荒量
長享元年丁未師馳月一日、自用の為に左京日教之を記す。(日亨更に抜抄して延べ書にす。)

衛、尋ねて云はく・一切世出の化儀を思うに・賞翫上位の人は左座に居す何の故有つて客仏左座に居るや、答へて云はく、尤も爾なり去り乍ら左右を以つて生死境智に司る時・右は生なり智なり、故に当代の教主智の方を以つて右に坐したまふ生の方なる故なり、世事も此意を以つて時の主人を右に居す・又成敗の事をも右と云ひ聞かすなり云云。

勢、 移諸天人置於他土とは・四生六道は成仏せざる故なり、其の人道の族を滅後に生れ来るが在世にては悟の人ばかり成仏すとなり、是くの如く法花には定めたれども法界成仏と云はるるなり、末代は信謗を能々立つ可きなり、此の品の時・釈迦多宝二仏並座・分身の諸仏樹下に集ると云ふも迹門にては化身とは云ふべし、分身とは云ふべからざるなり、是の三身即一・四土不二の義を顕す事・密表寿量の極説なり、仍て証前迹門の一義先以つて斯くの如し。

経、 付属有在に近令有在・遠令有在あり迹門は近令・本門は遠令なり、誰能於此の誰の字によつて誰人りともと云へる方も有り、誰人が於此娑婆にある時は五類の望み有れども・御免無き上は誰人なりとも声の惜まず呼ばはらんを法花行者とは云ふべからず、既に今は付属の有無なり。

壱、 我滅度の後誰か能く此の経を護持読誦せん今仏前に於て自ら誓言を説けと、此の読誦は題目の五字なり・誓言の事は能能大事なり末法の・付属を申し付くべきなり、今仏前に於いて自ら誓言を説けとなり、又云はく諸善男子各諦かに思惟せよ此を難事と為す宜しく大願を発すべし、諸余の経典数恒沙の如し此等を説くと●も未だ難しと為すに足らず、若し須弥を接つて他方無数の仏土に擲け置かんも亦未だ難しと為さずと法花以前の諸経の数は恒沙の如きを、有智の人・曇り無く説き尽す人ありとも難事とはせざるなり、さる時は法花を説くを難事と云ふか、権実相対の時は最も然り本迹相対する時は脱益の法花には非ざるか、以大音五字の唱募なり、伝教大師云はく・浅は易く深は難し釈迦の所判なり浅を去つて深に付くは丈夫の心なり、仏性を知るを丈夫の相と名くと、調御丈夫は如来の十号の内なり変成男子の所で云ふは大経の意なり、若しは須弥をとつての事・須弥山は十六万八千由旬の山なり、誰か此を取つて他方の数限りも無き仏土へ礫に打つものありとも未だ難しと為ざるなり、但し神通得通の人ならばさも有らん・是れは不得通の腕弱きが礫打ちにすとも難からじ。

又云はく・若し仏滅度悪世の中に於いて能く此経を説かん是れ即ち難しと為すと、仏滅後末法の今は法花の行者悪人より善人・在家より出家・賤者より貴人・愚者よりも賢者・悪るかるべきなり、遠島死罪に行はれ一非安堵の思ひなく三類の強敵・日々夜々にひまなからん、天台大師も滅後為りと●も陳隋の二帝師匠と仰ぐ、聖人の弟子檀那をば所を追はれ所領を取らる是くの如き諸難を忍ぶを能説能忍と云ふなり、若し法花の行者多くば此等の文は徒然せんか、天下の法花宗は化儀に迷へる故に未本尊を知らず此れ法花の説法大切なり。

又云はく・仮使ひ劫焼んに乾草を損負し中に入つて焼けざる亦未だ難しと為ずと、我か滅度後若し此の経を持つて一人の為に説かん是れ則ち難しと為すと、成住壊空の四劫中の壊の時・人命は十歳の翁と成らんに下も無間地獄より蛍火程の火出でて、人間四大海の水は油となり山は燈心と成つて悉く焼けくづれ土地一物も無くして四王天に焼け、須弥の東西南北・日天子の五十一由旬・月天子宮殿は五十由旬天人皆焼けて、又四万里さし過きて三十三天帝釈の喜見城も無く、其火が四万由旬過きて●利天に至り四十九院焼け尽きて兜卒天も無く、楽変化天・他化自在天・梵衆・梵輔・大梵天まで焼けん時、一人の老翁有りて乾きたる草を荷負ひ負て中に入つて焼けざらんは不思議ならじ、仏滅後に一人の為に題目を説きて聞かせんは難き事なり、仏説とは云へども誰か信ぜん、去り乍ら此の故に釈迦も命に代へ聖人も命にかへ給ふ第一の宝なり、されば日本国に富める者は日蓮なりと云云、世財の方は日蓮貧道の身として父母の孝養思ひに足らずと云云。

又云はく・諸の善男子我滅後に於いて誰か能く此の経を受持し読誦せん、今仏前に於いて自ら誓言を説けと、此れも妙法蓮華経を受持読誦受持読誦せむと仏前に於いて起請文を以つて申せとなり、三箇度まで仰せ出だされたり、惣へて宝塔品の九易六難の様は九易は成し難き事なり六難は易きなり、是を仏説の如くなす人は十方の土田に対して一二の小石と、難き故に正法の行信の人は難きなり、信力の故に受け念力の故に持つと云云、此経難持の故は三類の強敵競ふ故に持ち難し若し持者有らば釈尊も歓び諸仏も歓び給ふべきなりと説けり、然りと●も望みの人も無かりける程に。

弐、 提婆品の時・二箇の諌焼あり品の始めより若在仏前蓮花化生に至るは初に達多の弘経・釈尊の成道なり、於時下方より品終るまでは文殊の通経・竜女の作仏なり、先づ達多の弘経の下を思ふに釈尊の成道は只行躰よりの事なり、昔し首頭壇王として法花を求め給ふには身命を捨て給ふ、我有大乗名妙法蓮華経・若不違我時為宣説と聞き給ひて檀王・仙人の言を聞いて歓び身に余り、余りの嬉さに踊り上りて仙人に随ひ、所須を供給し菓を採り水を汲み薪を捨ひ食を設け・乃至身を以て床座と作す事千歳を経・法の為の故に精勤給侍して乏き所無ら令むと・試しも無き御事なり、是は法花経を得可き故に行躰をなし給ふを・光明皇后の歌に法花経を我が得しことは薪樵り菜摘み水汲み仕えてぞ得し、是を以て天台宗等に八講の仏名教化の時之を頌す、然るを当世諸門徒には法事に之を用ゆ、仰も歌道を以つて仏説に並ぶ可きか、仏里の作善には聖人の勤行の如く成すべきを以つて法花宗の仏事と名くるなり、四箇の法用は皆爾前経の文なり、されば今に至るまで爾前の経の文を申すなり・聖人の御代に無き事なり、剰へ一部読誦広の書写・或は諷誦願文の伽陀の布施・只今書出せるか題目の修行に増るべきや、当家には形の如く壇王の如く行躰をなして信の振舞を為すなり、信は顕し者なり有徳の人は千万貫・貧者は一花一香なり、法花形を以つてこそ聖人御本意と思召しめせ。

参、 八木御書に云はく・八木三石送り給ひて一乗妙法蓮華経の御仏前に供へ奉り候て南無妙法蓮華経と只一返唱へ進らせ候て、いとおしみの御子を霊山浄土え決定無有疑と送り進らせ候ひぬ、仰因果の理は花と菓の如し、然るに千里の野の枯れたる草に蛍火の如くなる火を付けぬれば須臾の間に一草・二草・十草・千万草に付き渡りて炎は十丁廿丁にあがりて一時に焼け尽き候、竜は一●の水を手に入れて天に登りぬれば三千大千世界に雨を降らし給ふ徳有り、小善なれども法華経にまいらせさせ給ひぬれば功徳斯の如し、此の妙法蓮華経は文に非ず義に非ず一部の意のみと云云、仏若し説かずんば弥勤尚闇しと、顕説法花には尚以つて大海の一滴・九牛が一毛も及ばずと仰られたるなり、誰人か有りて聖人の御修行に背いて妙法五字と一部との多少を存するや、妙法の功徳は言語道断心行所滅とこそあれ、是に多少を付けて広の読誦・談義・頓書勝りと云はん人は附仏法の外道なり師匠向背なり、法花宗と云ふは智恵有らば身の芸能にして只信を勧たるが肝要・其の信は信行観なり、九牛が一毛も及ばざれども行躰をなすなり。

肆、 天台の先徳・壇王の奉行の様を詢ひて書いて云はく求法の壇王は阿私仙人に仕へて千歳・仙洞の栖家なれば常の居所には異なり、柴の庵り障危晴天に眼明なり、苔の戸障踈にして暮の風頻に開く有り様・心に染みて哀れに肝に銘して貴し、之を見て供給の誠弥よ重く走使の志甚だ切なり、昼夜の不惓を四季に傷らず思ふなり・仍つて春は凍の解けざる前に山頂に蕨を折り・夏は日の出でざる前に岸畔に薪を荷ふ、秋は幽林に下りて紅葉を拾ひて菓を拾ひ、冬は霜雪を●いて寒谷に水を汲む、貴きかな四海灌頂の位を捨てゝ百度採菓の営を勤め、哀れなくかな一日万機の政を閣いて千度汲水の誠を致す、忝きかな群山に雪深き朝には氷を叩いて水を酌み、寒林に衣薄き夕には嵐に向つて薪を荷ふ、上求菩提の使なれば雨も風も障らず下化衆生の行なれば霜雪も懈らず、四弘誓願の谷の水と思ひ取りしかば酌めども酌めども倦き給はず、此くの如く大王は常に忠節を尽し仙人は殊に鬱●を致し・若しは捨へる薪も燃へざる夕には拳を挙げて頭を打た令め、若しは酌める水も濁れる朝には杖を捧げて嗔ら令む、蕨を折りて供るに苦しと言って顔にかけ、捨る菓を供すれば渋しと嫌つて頬に投ぐ、昼は十方に走り夜だにも息むべきに四支を曲けて床座と為し身●けれども動かず、目はねむたけれども夜寝られず、夫れ思惟みれば綾羅錦繍に纏るる所の身は青草を納れて衣と為し厳廂金屋に棲む身は白雲に●して年を経、十善の昔の躰は徒に寒山の霜に衰へたり、経に云はく情に妙法の存する故に身心懈倦無し、普く諸の衆生の為めに大法を勤求して、亦己身及以び五欲の楽を為さず云云、さても●●誰か此の行を須臾の間もなしけん何として成仏すべけんや、須臾刹那も此の行を成す事なきなり、所詮法花宗は行躰が面なり又昔の釈尊の行儀を学ぶ故なり、我等は仏聖人の御恩をば・なにと報ひ奉るべきや信行観とも缺けなば悪道の根源なり、されば凡夫底下の身となれり爰をつ以て。

伍、聖人九箇年の御隠居の時は六老僧達の採菓汲水の事有る故に今に至るまで断えず行木を截り御菜料を摘み之を捧く昔を学ぶ計りなり、行木を負ふ事重けれど辛労と思へば還つて無行に成るなり、当寺は住寺も御代の中に何度も行山へ入り給ふなり、夫れ行躰は多少には依らず信のなし物なり・少しも聊爾有るべからざるなり。
仏在世の事か僧二人列つれて走る、故を問ふに菜の枯葉を二つ失ひて水に流るゝを取らん為と云云、供養物の事は無躰になさん事は有るべからざるなり。

聖人の御時南条の大行祇候有りけるに・何にても御もてなし無くして生芹一折敷下されけるに聖人聞し召す故に大行も一折敷を枯葉の一も残さず御賜はり給ふ、御好み有りけりと仰せ出だされ又一折敷づつ、聞し召し下されけり、何も信の事は斯様にこそありたらまし物を。

上代行躰を為し給ふに日目上人は御頭の頂き平かに御座す聖人御造作の御時・粟粥を頂き給ふ故に、又盲人を余多召し置かれ無かり給ひける程に、毎度彼等が粟粥食ひたる御器を洗うが笑止なりと仰せけるとなむ、殊には日目上人は四十二度の御天奏最後の時、近江の篠原にて御遷化なり信行観の行者にて御座すなり。

上代聖人へ進物は或は老僧様の御行躰の菜薪或は檀那よりの進物を少物をも御称歎有りて御書遺わさるゝなり皆是法花経供養なり、されば此山まで度々の御供養法花経並に釈尊の御恩報し給ふに成るべく候、励ませ給ふべし懈る事無かれと云云、爰を以つて当住寺に御座候も父母の御志の日は木は苅り湯を沸かし寺僧に御供養あるなり、在家には施は安く行は堅し出家は行は安く施は堅し云云此事大切なり、故に我宗は行躰の宗旨なり諸方よりの供養物は仏物なり争か公を以つて私を御計ひあらんや。

陸、然る間だ仮令ひ飲食飽足し昼夜睡眠すとも題目の信強成ならば法度に任せ成仏疑ふべからず、精進志念の智なりとも入文の信無くば若此経に於いて疑を生じ信ぜざる者有らんば当に悪道に堕つべしと大切●●、涌出品の此の経は廿八品を指すとは思ふべからざるなり。

佰、謗法の供養には銅炎とこそ仰られたれ此経の五の巻に見へたり云云、是は若獲果速也の所を捺して云ふべきか・成仏せざる供養は謗法供養なり、殊に末法は一念信解の儘・翻へさざる処が成仏の肝要なり、信心退転すれば又謗法に成るなり、銅の●をば食すとも心汚れたる人の物を受けずと云云、邪見の時は竜女なりしかば垢深きなり、法花に来り成仏する時は能化の文殊・所化の竜女、能化所化倶に歴劫無し妙法経力即身成仏と云云、度脱苦衆生は成仏の以後と聞えたり。

ト、又云はく・是菩薩衆の中に四の導師有り、一を上行と名く等と、此の四大菩薩の中に上首は上行菩薩なり、只一時四身の様に覚へたり所以に釈尊因位の時の地水火風の四なり、上行菩薩は火大なり火炎向空として炎は必ず上に上るなり、上行菩薩の御法流は先づ万民百姓が持ちて次第●●に上へ上るべきなり、教弥実なれば位弥下なり爰を以つて三国に権者の出様変るなり、天竺には釈尊民主王より八万四千二百一十王の嫡々・師子●王の孫・浄飯大王の嫡子・悉達太子、果上の火は釈迦牟尼仏なり、達磨は南天竺の香至王の子菩提達磨是れなり、善無畏三蔵は天竺烏萇陀国の仏種王の太子十三で国を捨るなり是王孫より出たるなり、唐土には天台大師・厳呂公の左大臣の子・母徐氏(臣下にある)、日本には伝教大師・近江国もりやの渡守の子・弘法大師は讃国屏風の裏の海人の子、聖人は東海道十二に相当る安房国・長狭の郡・東条の郷・片海にして誕生し給ふ海人の腹に宿り給ふ、法と云ひ導師と云ひ日本の権者は民より出でゝ大法を弘めんに其の仏法次第●●に上るべきなり、上行菩薩の法花是なり、衆生の一身には胸は火大なり法界の火と一致なり、此火をば無辺行菩薩の風大を以つて弘通有るべき事なり是れ口也、上行無辺行と御譲の事御座す此の書も風大の御説法なり、上行菩薩の御仏法は無辺菩薩の出で給はずば争か弘通有るべき・今迄も上行無辺行と相対して仏法紹隆なり、浄行は水なり水は物を浄むる物なり悪業煩悩を除く方は浄業菩薩・腹なり水大なり、安立行菩薩は地大なり地とは万法出生なり腰なり・頂・額・口・腹・腰の五は文底に秘して只言に出すを四菩薩と習ふなり、上行菩薩は御入滅あれども口唱肝要の風大は声為仏事して今に絶えざるなり、三世常住に導師は一人にて御座なり。

リ、問うて云はく・高祖上人を上行菩薩御再誕と申す文如何、答ふ・今の受持・読・誦・解説・書写の文なり其故は名字宗要の法花の行者なる故なり。
難じて云はく・日蓮聖人を宗要の如説修行と云ふ事信用に足らず如何、答へて云はく反詰に云はく・さては日蓮聖人法花経の説相に背き御座す事如何と答ふるなり、心は上行菩薩の化身聖人如説修行なりさては説く人が上行なるべきや。

尋ねて云はく・如説修行の行者をば必ず上行と云ふべきか、答へて云はく然るべきなり神力品の勧奨付属の下に如説修行と見たり。
難じて云はく・天台伝教等も上行菩薩の御再誕・如説修行の行者なりや如何、答へて云はく天台伝教大師は上行菩薩の先き払ひの時は一切の菩薩は釈迦因位の菩薩の故なれば、薬王菩薩も上行の再誕ならば天台伝教大師をも上行の再誕と云はんに苦しかるべからず、既に礼楽先に馳せて真道後に顕る・況や内典をや何に矧んや法花迹門の導師をや、一切の菩薩は皆上菩薩の眷属なり。
難じて云はく・然らば上行菩薩と天台伝教不同有るべかざるか、答へて云はく不同有るべし其の故は天台伝教は上行垂迹の薬王の後身なり、像法弘通の導師なり既に此の品の時上行菩薩に本門寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字に結要して付属すと見えたり、此の上行菩薩の出づべき事を説て云く。

ヌ、撰時抄に云はく・問ふて云はく其の心如何、答へて云はく・大集経に大覚世尊・月蔵菩薩に対して未来の時を定め給へり、所謂我滅後の後五百歳の中は解脱堅固・次の五百年は禅定堅固(已上一千年)・次の五百年は読誦多聞堅固・次の五百年は多造塔寺堅固(已上二千年)・次の五百年は於我法中・闘諍言訟白法隠沒等云云。

又、云はく・彼の大集経の白法隠沒の時は第五の五百歳は当世なる事疑ひ無し、但彼の白法隠沒の次には法花経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法・一閻浮提の内に八万の国有り其の国々に八万の王有り、王々毎に臣下並に万民までも今日本国に弥陀称名を四衆の口々に唱るが如く広宣流布し給ふ可きなり文、此の経文の心は天台伝教は像法の後の五百歳多造塔寺堅固の時節の迹問付属なり、末法の始の五百年には広宣流布と見えたり、然る間末法の初に上行菩薩出世して此の神力結要の妙法蓮華経を弘め御座さば必ず三類の敵人甚かるべしと見えてあるなり、経文の如く行ずるを上行菩薩の再誕・如説修行人と云ふなり云云。

五段荒量別集
ケ、摂受文、安楽行品の如くんば長短を称せず是れ正法の代に之を用ふ。
ニ、折伏武涅槃経の如き刀杖を執持して首を切る是謗法の代に用ふ、天台云はく一切の経論此の二を出でず文、但天台宗に摂折二門有り安楽行品の如き内道場は摂受・随問為説の方は折伏と云へり此は一往の義なり、天台宗の心は一向に摂受門なり他人の好悪長短を説かず、当家は一向に折伏門なり此宗要の修行に一念にても余行を交へば摂受門になるなり無信心なり、仮令一人・山林に斗薮すとも信心強盛に題目を唱へば折伏なり、仮令ひ能竊為一人・何況於大衆中すとも余行を交へば摂受なり、題目の修行には一念も許すべからざるなり此の段大事なり、刀杖を執り首を斬るとも堪忍して利益せ令むるは折伏なり、此の折伏の修行は行住座臥に有る何事も折伏なる故に別して委く行ぜざるなり。

ソ、一念三千即自受用身・自受用身即出尊形仏文、之に付いてをにの点を成する時・尊形に仏に出たり、法界に亘り尊形の仏を出すことは阿弥陀を出すなり、一念三千即自受用身は伝教の御釈、出尊形仏は山門の経蔵坊・念仏の好みに依りて釈し次げる文と云ふなり、然らばヲニ・の点も必ず信用すべからざるなり。

安楽集上に云はく・其の聖道の一種は今時証し難し一には大聖を去ること。遠なるに由る、二には理深解微に由る、是の故に大集月蔵経に云く我末法の中億々の衆生行を起し道を修するに未だ一人の得者有らず、当今末法は是れ五濁悪世なり唯浄土一門のみ有て路に通入すべし文、大集月蔵経を見るに未有一人得者迄は之れ有り・当今末法は之れ無し云云。
右富士五段の事は忝も開山上人の御籍聚なり、今推量を以つて之を記す、正文潤含の事は有るべからず只稽古の為なり亀鏡と成すべからざるなり。
時に長享戊申大簇十一日●六十一戊申日教在判

右此抄は大石寺宝蔵の中より之を書写し畢りぬ、五段の中に法華浄土の二宗は大概要を取りて略して之を書す、自余の三段は写書の如く全く之を写す、年来悪書殊に毫筆払底の条・草章の誤り損落の文数多之れ有るべし、但所存の旨有り以つて求得を幸と為し自用の為に暫く以て此くの如し。時に寛永第十四丁子閏三月二十七日、洛陽要法寺沙門学優。

編者曰く初の目次付の分は日主上人の御写、別集は学優の写にして共に本山蔵なるが何れも完本(目次までも)にあらず、今直に宗要たるべきもの(約四分の一)を抄録し自ら校訂(類本一も無ければ)を加へ且つ延べ書としたりしも、余の広本等は全集の続編に加ふる事あるべし、但し荒量なる語は「アラマシ」とも云ふべき註解の義なり、其薹本には富士五段と題したる開山上人の集録(日教の説)ありて、今に五百年前の古写本存在すれども宗門・浄土・禅宗・真言・律宗の引文さほど精しからずして稗益する所無れば本集に此を省きたり。

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