富士宗学要集第二巻

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「類聚翰集私●目次」 

一、当家御法則文の事●二、御法則の御沙汰の事
三、教主の有無等の事●四、諸宗先づ本尊を定むる事
五、種脱の今此三界の主の本迹の事●一、富士の高根の事●二、躰用三身如来の事
三、台家七箇の事付三箇の大事の事●四、日蓮聖人御戒躰の事●五、聖人釈尊に値ひ給ふ事
(五、蓮華因果広宣流布の替の事(編者曰く正本目録二脱セルヲ今故に之を加ふ))
六、今此三界に就いて文点を読む事●七、我の事
八、其中衆生の事●九、悉是吾子の事
十、而今此処の事●十一、四州の寿命の事
十二、日月を仏法に合する事
十三、聖人御遷化の事●十四、中間八難の事
十五、多諸患難の事●十六、唯我一人の事
十七、而不信受の事●十八、若人不信の事
十九、具足一劫の事●二十、其人命終の事付本尊を知らざる事
二十一、法華の用否の事

一、当家御法則文の事
法華経譬喩品に云く
今此の三界は●皆是れ我が有なり●其中の衆生は●悉く是れ吾が子なり
而るに今此の処は●諸の患難多し●唯我一人のみ●能く救護を為す
復教詔すとも●も●而かも信受せず●汝等若し能く●是の語を信受せば
一切皆当さに●仏道を成ずるを得ん●是の乗は微妙にして●清浄第一なり
諸の世間に於て●上有る無しとす●若し人信ぜずして●此の経を毀謗せば
則ち一切世間の●仏種を断ぜん●其の人命終して●阿鼻獄に入らん
一劫を具足して●劫尽きて更に生ぜん●是の如く展転して●無数劫に至らん
地獄より出でゝ●当さに畜生に堕つべし

二、御法則の御沙汰の事
日興上人、年度御法則を御講有りしに御法門半ばに聴衆進る時、此の文を一人宛に対して幾度も御談有り、則ち御歌を御引ありけるとなむ。

まだきかぬ人の為には●幾度なくも初音なりけり。

過ぎし比、邪流に執しける時内々不審に思ひける法花宗の法門は天下に大略之を知れり珍しからず然るをまだ聞かぬとの御講は如何・既に四箇の大寺の下り合ひに内裏御八講に必ず題目を二遍唱ふ、播州書写の聖空上人、法華経六万部読誦し結句七字を宝塔の形に書きなしたまふ天下に流布せり、伝教大師も唱へたまふ剰へ七字を塔婆に碑文したまへり、是れ又上坂元穴太に有り、其の以後の天台宗論皷の時之しを唱ふ、遠く異城を訪ふに陳隋の天台智者は読誦し奉る一切経の惣要毎日一万遍と、玄師の伝に云く一切経の惣要とは妙法蓮華経是れなり云云、如来の滅後に唱ふる人之れ多し、中んづく中古より諸門徒の人談義之れ有り折伏修行と云云、特に今程まだ聞かぬと云はゞ理に合はざる方に覚えたり、否な応に云はく近来当寺へ参り信の道を聴聞して信心に身の毛立ちて、さては以前の修行は只仏法の●敵なりけるにこそ有れ法華宗にはあらず。

嗟案ずるに安楽行品の是れ法華経無量の国中に於て乃至名字すら聞くを得べからず、無量の国の中に於いて名字をも聞くべからざる本極法身微妙深遠ニシテ仏若説かずんば弥勒尚闇し何に況き下地、何に況き下地況や凡夫の知らざる寿量の文底の信の事を譲り有る属累の法華の名字を唱導之師の日蓮聖人、名字初信の行者として御唱へある題目を聖人の如く唱へずして、像法の導師智者の観行になせば首題の威勢を失ふ大物狂の者にし大謗法を行じて悪道に堕つべし、御慈悲を蒙むり、世親の名を改めて天親と成りしが如く舌を断たずして以前の罪障の大謗法を対治せんが為に見聞に覃ぶこと之を記るす。誠なり是法甚能く信ずる有る少く信を以て入るを得・己が智分に非ず是の語を信受して一切皆当に仏道を成ずるを得べしと、舎利弗の三千大千国土の草木を筆として大地を紙とし四大海の水を硯水とし土を墨とし、四弁八音の阿羅漢果の聖者の書けども書けども尽きざる智者の解了の方にて仏に成らず、信を以つて仏法の深理に入る時節にして在世なれども仏に成る方には智慧入らず、何に況や滅後末法に智慧を以つて事の行をなさむ事は有るべからざるなり、仏説明鏡なり、誰か疑ひを成さんや、正法を信ずる者は少く邪法を信ずる者は多し、正説の者は少なく邪説の者は多からん、邪法を信ずる者は十方の土田の如し正法を信ずる者は一二の小石の如し文、

此の小石はさゞれ石か此の文砂礫石、水の滞る処に水に浮ぶ石なり其の如く少なかるべし。若し天下の法華宗が聖人の御本意の如く説法利生して信の道を長せば、釈尊の爾前四十余年迹門十四品、本門に至り涌出品の広開近顕遠まで祕したまふ別付属甚深の祕法の文底の大事、唯我与我の事は聖人も一人に御付属なり、然るに在世一躰の仏、主師親と作り聖主も信を以つてと有る証跡を引いて以つて末法の信を勧むる時化儀の躰が別付の法花を譲りたまふ所まだ人聞かぬなり。

三、教主の有無等の事
仰も教主有無の事は冊提嵐国の昔し諸仏の為に国を分くるに各別の発願、各修浄土、各化衆生して土を占め国を領しける、東方の薬師十二の大願を立てたまふ日光月光菩薩にも追従して何の益有らん、棄損せらるる上は西方の弥陀四十八願、三輩九品の往生も由なく観音勢至菩薩にも捨棄せられたる身なり、時に釈迦因位の時宝海梵志たり諸仏同心に捨てさせたまふ娑婆世界の衆生をば五百の大願を以つて救護したまふ有縁の仏なり、されば第十六我が釈迦牟尼仏娑婆の国土成阿耨多羅三藐三菩提と大通仏の昔しも此の世界の導師と仰せけるなり、釈尊は有縁の導師なれば有一導師聡慧明達と説き、譬如良医智恵聡達と示したまひ、十方浄土擯棄の衆生を一人にて度したまふなり。

次に教法の権実とは四十余年の諸経は権、化作此城の化城なり、法花は得入無上道の宝処なり、爾前は不安穏不成仏、法華は案穏成仏なり。
次に知識の善悪とは捨悪知識・親近善友文、爾前方便の教を真実と云ふは悪知識なれば之を捨つ、悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺れては必ず三趣に至る文、悪友は悪知識なり善知識に如かず、是れ大因縁の実相実際の貞良の妻の如くなるに依つて法花真浄の大法を弘通するが善知識なり云云、然らば法花を弘通せば皆善知識と云ふべきや否や応せに云はく御滅後善知識有れども教機時国教法流布のみ之れ無き故に黙止して止みぬ、像法の智者のみ善知識へ云へども迹門の知識なれば時に依り雙用権実せり、本迹ありと云へども一往経旨に任せ弘通只末法の初めを恋ひたる釈計りにて息みぬ、唯高祖聖人末法の本門弘通の善知識にて御座すなり。

さては法花宗は皆善知識なりや否や、応ふ聖人御在生の時すら猶不信の人之多し故に種々御成敗なり、美濃阿闍梨天目は浄土論は通申の論か別申の論かという事申し出したれば、我が後には法門の異議を云ひ出すべしと仰せ有りけり、案の如くなり、或る鎌倉方の老僧達は神社に参詣し叡山の戒壇を貴とみ聖人の御書の仮名を漢字に書きなおす、一字一点も背かん者は千万の父母を殺すと遊ばす、是れ法花を読誦有れども未だ法の事を知らず。
凡そ法華に於いて文義意の三の読みあり、文に任せて読むは文読みなり義を講ずるは義読みなり、意を読む時一遍唱ふれば釈迦の法花経一部、二遍唱ふれば多宝の法花経一部とは遊ばせども、法華読誦の時一句を読んで一部とは無きなり、一々文字皆金色仏躰とは遊ばすなり、但し迹門の文字は迹門の教主の如く本門の文字は本門の教主の如しと云云、天台一流の所判なり此れ等の事重ねて下に書くべきなり。

其の五老僧の武家に捧ぐる状には天台の沙門と書き剰へ諸宗に同じて天下の安全を祈る大謗法此れ有り故に彼の非難を救したまへり、僻書皆諸門徒に先師の申状とて之れ有り見るべきなり、唯聖人の如く修行し奉るは真実の善知識なり云云。

四、諸宗先づ本尊を定むる事
仰娑婆界の衆生に有縁の教主とは唯釈迦一仏に限り奉るの由、台家の宗要の部を次第するに第一に仏帖として最初には大小乗の中には一世界の二仏並出の道理を許すや否や、応ふ大小乗共に以つて一世界に二仏の出世を許さず、必定して十方恒河沙等の三千大千世界を名けて一仏国土と為し実に釈迦牟尼一仏と文、十方とは東西南北四維上下なり、恒河は堅は八千里、横にみなかみ八十里・広き所は三百五十里なり、其の沙の数・一肘の下・金輪際まで八万斛なり、惣じて恒河の砂の数の三千国土は皆釈迦一仏所住の土なり、さる時は東方浄瑠璃世界も西方安楽世界も十万億仏土を過ぎて世界有り名けて極楽と為す其土に仏有り阿弥陀と号す、此れ等の浄土は好世の浄土なり、爾前の席に於いて浄土を好む者の為に一往儲けたるなれば、三変浄土の時悉く打ち破られて法華経の時は之れ無しと云う迹門の化儀なり、本門の大法広宣流布せば十方通同如一仏土にて好世の浄土は名躰有るべからずと説けり、世に二仏無く国に二主無し一仏の境界に二の尊号無し文。

三綱とは君臣・父子・夫婦なり、君は船・臣は水・水能く舟を浮ぶ、父無きは不可なり・子無きは不可なり、夫のみ有て妻無きは叶ふべからざるなり、仏を十九出家・卅成道と迷遠の謂ひをなすを上行等の臣下顕れ・雨の猛きを以つて竜の大なるを知り蓮の大なるを以つて池の深きことを知る様に・弟子の久きを以つて仏の寿命長遠なるを知る、釈迦如来は舟・上行菩薩は水なり、釈尊の父有りとも菩薩の御子なくば偖の君も有るべからざるなり、釈尊は国王・法華は婦人なり、諸仏の国王是の経の夫人と共に是の菩薩の子を生ず文、仍つて釈尊一仏此の界の本尊にて御座すなり、東西南北の仏の綺を止めたまふ、されば末法の本尊を定めたまふ時・五六類の発誓弘経有れども止善男子と止めけるを、汝等各々自ら己住有り若し此の土に住せば彼の利益を廃せん文是れ我が弟子応に我が法を弘むべし文、仏法の習ひ其の法を譲り得る所を弟子とは云ふなり、弟子とは子を弟ぐと訓めり、爰を以つて本尊に於いて下種脱益の不同有るを皆本尊に迷ふ、釈迦は在世の正機の為の御本尊なりけるが・復至他国して遺使還告有る上は・脱益の師と下種の師匠と有つて入滅したまへども別付属有つて・正像末の中に末法の本尊は日蓮聖人にて御座すなり。

然るに日蓮聖人御入滅有るとき補処を定む、其の次ぎ其の次ぎに仏法相属して当代の法主の所に本尊の躰有るべきなり、此の法主に値ひ奉るは聖人の生れ代りて出世したまふ故に、生身の聖人に値遇結縁して師弟相対の題目を同声に唱へ奉り信心異他なく尋便来帰咸使見之す、何ぞ末代の我等卅二相八十種好の仏に値ひ奉るべき、当代の聖人の信心無二の所こそ生身の御本尊なれ、此の本尊を口には云へども身に行ぜずば本尊を取り定むべき事なり、釈尊と聖人と互為主伴したまふ事を知らざるなり、能く能く明らむべき事なり、此等の事も追つて下に書くべきなり。

五、種脱の今此三界の主の本迹の事
脱の今三界の主の本迹。
天上天下唯我独尊の釈迦牟尼如来は迹教門、密表寿量品の今此三界は即ち本教門。
釈迦如来生れ給ひて東方に向ひ七歩して天上天下唯我のみ独り尊し三界は皆苦なり我れ当に之を安すべし文小乗十二遊経に之れを記るす、大宝積経に云はく生死険難の悪道を往来す愚痴・無智・常盲・無目・誰か能く引導し誰か能く救護せん、唯我れ一人のみ応に示すべし救うべしと権大乗経の説なり、何れも迹教門の主なり、今此三界○能為救護文、本教門の主なり、権迹に対する時一往の義なり、此の釈尊迹門の時は三千塵点の譬を以つて大通往事の下種を募り・中間を熟と為し三周得脱する事を挙げて、本門の時・五百の塵点の開顕を以つて自我得仏来○億載阿僧祇の如来と云へども、衆生の機縁に依りて年記大小亦復元言当入涅槃文、番々出世すると云ふ事を顕はし給ふ、御内証は十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国に広宣流布すべき事を内鑒したまふなり、其のの故は其の国土の中に七の畏るべき難と説く災難は本門流布の事を未だ説かざる故なり、其の菩薩の出でたまはゞ三類の敵人有るべきなりとて宿王花菩薩に守護の付属を仰せ付けたまふ時、如来滅後・後の五百歳中に於て広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむ無し・悪魔々民・諸天竜夜叉・鳩檗荼等其の便を得んや、普賢菩薩品には閻浮提の内に広く流布せしめ断絶せざらしむ文、天台云はく後五百歳にも遠く妙道に霑う文、妙楽云はく後五百歳と言うとは最後の五百なり文、章安云はく末法の初冥利無きあらず文、此のの如く末法の初の事を思召して大音声を以て今仏前に於て自ら誓言を説けとは此経難持の故なり、此の故に薬王菩薩に惣持の妙術を以つて持経者を擁護すべきの由し勅有りと、天台は悪世の弘経既に悩難多し道を流通して以て之を守護せしむ文、若し此の分を以つて釈尊を本尊とせば経旨に背く皆碩徳の迷ふ所なり、治病抄に云はく爾前の仏と迹門の仏は劣応勝応報身法身異なれども始成の辺は同きぞかしと、さては知りぬ此の外に本出世の衆聖中尊の御出応有るべき事疑網無き事なり。

付り釈迦の化導の方を天台の釈する事。
妙楽云はく●脱在現文、本迹理上の一致の意・寿量品も文は現量なれども、上行所伝の本因妙を唱顕して後は只久遠の教相にて成仏の肝要の観心には非るなり、●の一に云はく本中躰等迹と殊ならずと、脱益の妙覚乃至観行相似等の妙法蓮華経は即ち理に掌を合はす、然るに本迹一致に非ず破廃立本云云、玄七に云はく権実は智に約し教に約すの文、化他不定の時施す所の権実の八教なり、両所不殊とは久遠の本と今日の脱益と両所なり、●七に云はく理に浅深無し故に不殊と曰うと、本因本果の理を今日中間にも寿量顕本の理に推し入れて顕すと釈するなり、●の七に云はく今世迹中名て本門と為す故に知ぬ今日正に迹中の利益に当る・乃至本成已後但中間と名づく顕本して利益を得・尚迹益を成す況や復今日をやと、文の意は久遠本果の迹を中間今日の本と為す、又久遠名字の妙法の影を中間今日に埀迹する故に下種に対して脱益の寿量を迹に得たる証拠の釈是なり。

彼の本門は我が迹門・彼の勝は此の劣・彼の深義は予が浅義・彼の深理は此の浅理・彼の極果は此の初心・彼の観心は此教相と、私に云はく此れ等の御事は法華宗に未流布の事なり、譬ひ不思議に口には●るとも身に行はず、疏の一ゆ云はく衆生久遠仏の善巧を●り(久遠下種霊山得脱)故に知ぬ今日の逗会は昔成就の之機に赴く(霊山下種久遠得脱)、記の二に云はく本時の自行は唯円と合す(本時者本因妙時也)化他不定亦八教有り(中間今日化導儀式)迹の本は本に非ず(今日本果妙事也)本の迹は迹に非ず(本因妙之事也)本迹殊なりと●も不思議一なり(本因妙の外実に全迹無し迹門即顕本後本無今有方無得道也)脱益の十不二門本迹(理の上の不変の不二にして事行の不二門には非るなり)、中島院主証範何なるやと問し時、俊範法印答て云く不思議一と、求て云く其の義如何・答ふ文在迹門義・在本門と云云、会して云く迹門無益本門有無・本迹勝劣不思議一と云云、私に云はく下文顕已通得引用・還借教味以顕妙円と両所の釈の心を文在迹門義在本門と云へるか、文在爾前義在法華にも重々の心多かるべし安国論の如し云云。

妙楽云はく権実は理本迹は事なり、天台云はく本迹を二経と為すと云へり・如来の本迹は理の上の法相なり日蓮が本迹は勝劣事行の法相なり。
以上脱の上の本迹勝劣口決畢りぬ。

付り下種今此三界の主の本迹事
下種今此三界の主の本迹(久遠は本今日は迹也三世常恒に日蓮は名字利生と文)、経に云はく若し余仏に遇ひ此の法の中に於て便ち決了を得ん文、南岳云はく余仏四依なりと、此の四依は小権迹の四依には非るなり、本門の四依弘経の事を四依とも云ふなり遺使還告汝父已死文、他師云はく或は神通を用ひ或は舎利を用い或は経巻を用ふ等文、天台云はく四依なりと釈せり、経文の如く天台伝教弘通せざる本門の大秘法・本門の教主釈尊出世すべき先兆に釈尊出でたまふなり、是れ本因妙の其の昔しより互為主伴して衆生を教化したまふなり、仍て儒家には孔子を本尊とし歌道には人丸天神を陰陽には晴明を本尊とす、其の外一切の諸職に其の家の本尊有るべきなり、仏教に於いては小乗の釈迦は頭陀の応身・権大乗の釈迦は迦舎左右にあり、実大乗迹門の釈迦は普・文・脇土となる、本門の釈迦は上行・無辺行等を脇士とする故に、末法の今は釈迦の因行・三世諸仏の師匠たる本因妙の大導師、結要五字の付属は受持の一行なり、此の位を申せば名字初心の因行たるを以つて本尊と為すべきなり、是れ則ち本門の修行なり其れとは下種を本と為し其の種を初長る智解の迹門の始めをば熟益として育て終つて脱す具謄本種(ぐとうほんしゅ)る処を迹の終りと云ひ、脱し終れば種に帰る故に迹には実躰なし、妙楽云はく●脱在現具謄本種と釈し給ふ此の意なり、之れに依つて迹門無得道の法門は起るなり。

開目抄に云はく日蓮は日本国の一切衆生の主なり親なり師匠なり云云、迹の仏も天竺に於いて三徳有縁・本の聖も日本に於いて三徳有縁と仰せけるを・情無く法華宗として只仏使と計り思うて久遠の釈尊を本尊と崇む、未だ本尊の由を知らず末法には日蓮を以て正と為す云云、本尊に迷ふ故に来生償ひ難きなり・他を破るに非ず弥を当家の信をなすべきなり。

報恩抄に云はく天台伝教の弘通したまはざる正法有りや、答へて云はく有り、求めて云はく其の形貌如何、答へて云はく所謂三つ有り一には本門の教主釈尊、所謂宝塔の中の釈迦多宝已下の諸仏菩薩は上行等の四菩薩の脇士となるべし、二には本門の戒壇・三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に有智無智をきらはず一同に他事をすてゝ南無妙法蓮華経と唱ふべし此の事未だ弘まらず云云、大田金吾抄に云はく三大秘法の其の躰如何、答へて云はく予が己心の大事之に如かず汝志し無二なれば少く之を言はん、寿量品に建立する所の本尊は五百塵点劫より以来此の土有縁深厚の本有無作三身の教主釈尊是れなり、寿量品に云く如来秘密神通之力等云云、疏九に云く一身即三身即一身を名て秘と為す三身を名て密と為す、又昔し説かざる所を名づけて秘と為し唯仏自ら知るを名て密と為す、仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝へず等云云、題目には二意有り所謂る正像と末法となり、正法には天親菩薩題目を唱させ給しかども自行○さて止しぬ、像法には南岳天台南無妙法蓮華経と唱給ひて自行の為にして広く他の為に説かず、是れ理行の題目なり、今末法に入り日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘つて、南無妙法蓮華経なり名躰宗用教の五重玄の五字なり、戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に三秘密の法を持ち有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時・勅宣并に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん景勝の地を尋ねて、戒壇を建立為すべきか時を待つべきのみ事の戒法と申すは是なり、三国●に一閻浮提の人●悔滅罪の戒法のみならず大梵天王帝釈等も来下して●み給ふべき戒壇なり、此の戒法立つて後ち延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじき処に。

此の三箇の秘法を爾前四十余年・迹門十四品・本門に至り広開近顕遠まで秘すと云云、文底の大事とは是れなり、然るに報恩抄の事は釈迦多宝を上行等の四菩薩の脇士とあそばすを日向日頂御書を片仮名又は漢字に書きなすより御文言をも書き失へり当宗に闇かりけるか、三箇の法門を悪く取てして宝塔の中の釈迦多宝上行等の菩薩を脇士とすべしと書けり、ノとヲとの仮名一つの違ひ致し御書かなまじりなるを片かなにす私語を備へたり、他門徒の御書には在世の釈迦を本尊とすると思ひて書きなせるか、本門三箇の秘法は寿量品の文底に秘し沈め給へり。

文底とは久遠実成の名字の妙法を余行に亘たさず直達の正観事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり、権実理なり(今日本迹理)本迹事なり(久遠本迹事)又権実約智約教(一代応仏本迹)本迹約身約位(久遠本迹)、又●脱在現具謄本種といへり、釈尊の久遠名字即位の御身の修行を末法今時日蓮が名字即の身に移せり、理造作に非ざる故天真と曰ひ証智円明の故に独朗と云ふの行儀本門立行の血脈之を註す秘すべし秘すべし、弘安五年(太歳壬午)十月十一日。

此の三箇の秘法余流に存知無きも道理なり、池上に於いて奥州新田卿公日目に余人を去つて唯授一人の御相承金師金口の祖承是れなり、日興には臨終の時・耳に私語げと仰せ有る故を以つて御臨焉の時・御参り有りて御耳にささやき給ふなり、唯授一人の故に知られざる事なり、此の故に上野は日蓮聖人日目と法水を来たし三世常住日蓮聖人の御寺・報仏如来・常満常顕・真実浄土・第一義諦・久遠実成多宝塔中大牟尼尊の法的の聖人の御寺なり、重須は大石寺を御定め有つて御隠居有る故に日興上人の御寺なり、然れども聖人御影を守護御申し有るなり、大石寺は鎮護国家の本門の朽木書なる故に五節供等世の常の如し、重須御隠居所たる故に正月の松なども御門に立てたまはざるなり、其の菩薩界常修常照無始無終なり、大石寺には仏界の初めを立て・重須には九界の菩薩界を初めとして仏菩薩相対して事行の。

本因の妙法蓮華経本迹・全く余行に分レザリシ妙法は本・唱る日蓮は迹なり、手本には不軽菩薩の二十四字是れなり・又其の行儀是れなり。
余行に亘らざる法蓮経本迹、義理上に同じ直達の法花は本門唱る釈迦は迹なり、今日蓮が修行は久遠名字の振舞に介爾計も違はざるなり。
下種法花経教主本迹、自受用報身は本・上行日蓮は迹なり、我が内証の寿量品とは脱益の寿量の文底本因妙の事なり其の教主は某なり。

私に云はく此の御仏法を聖人・白蓮に御付属の御判右に在り。
釈尊五十余年の説教、白蓮日興に之を付属す身延山久遠寺の別当たるべし、背く在家出出家共の輩は非法の衆たるべきなり・弘安五年九月十三日、日蓮在御判、血脈次第日蓮日興、甲斐の国波木井郷・山中に於いて之を図す。
日興一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立すべきなり、時を待つべきのみ事の戒法とは是れなり、中んづく我が門弟等此の状を守るべきなり、弘安五年十月十三日  日蓮在御判。

産湯相承の事●日興之れを記す。
御名乗の事、始めは蓮長と申し奉る、後に御名乗有りし御事は悲母梅菊女の御名なり云云、平畠山殿一類にて御座す云云、法号妙蓮御物語在ます事は我に不思議の御夢想あり、清澄寺に通夜申したり時、汝志真に神妙なり一閻浮提第一の宝を与へんと思ふなり、東条片海に三国太夫と云ふ者あり是れを夫と定めよと云ふ、七歳の春三月廿四日の夜正に今も覚え侍るなり、我れ父母に後れ奉り詮方無く遊女の如くなりし時、御身の父に嫁げり、有る夜の夢に曰はく叡山の頂に腰をかけて近江の湖水を以て手を洗ひて富士の山より日輪の出で給ふを懐き奉ると思ひて打ち驚いて後、月水留ると夢物語申し侍れば、父の太夫、我れも不思議なる御夢想を蒙るなり、虚空蔵菩薩貌吉を児を御肩に立て給ひて此の少人は我が為に上求菩提の薩●なり、日の下の人の為には聖財の摩訶薩●、亦一切有情の為には行末三世常住の大導師なり、是を汝に与へんとて給ふと見て後、御事懐姙の由を聞くと語り相たりき、さてこそ御事は聖人なれ。
又産生るべき夜の夢に富士山の頂に登りて十方を見るに明なる事・掌の内を見るが如く三世明白なり、梵天帝釈四天王等の諸天悉く来下して本地自受用報身如来の垂迹上行菩薩御身を凡夫地に謙り下り給ひ御誕生は唯今なり、無熱池の主阿那婆達多竜王・八功徳水を汲み来るべきなり当に産湯に浴し奉るべしと諸天に告げたまへり、仍の竜神王即時に青蓮華を一本荷に来れり其の蓮より清水を出して御身に浴し進らせ侍り其の余れる水を四天下に灑き其潤ひを受くる人畜草木国土世間悉く金色の光明を放ち四方の草木華発き菓成り男女座を並べて有れども煩悩無し、淤泥中より出づれども塵泥に染まず蓮華は泥より出でて泥に染まず、人天竜畜共に白き蓮を各手に捧けて日に向つて今此三界皆是我有・其中衆生悉是吾子・唯我一人能為救護と唱へ奉ると見ると見て驚けば即聖人出生し給へり、毎自作是念以何令衆生・得人無上道速成就仏身と苦我なき給ひき、我れ少し末寤たりし様の時、梵天等の諸天一同音に唱へて言はく善哉々々善日童子、末法教主勝釈迦仏と三度唱へて作札而去し給ふと、寤に見聞きしなりと慥に語り給ひしを聞食して、さては某は日蓮なりと言ひしなり。

聖人重ねて曰ふ様は日蓮が弟子檀那・悲母の物語と思ふべからず・即ち金言なり、其の故は予が修行をば兼ねて母の霊夢にありけり、日蓮は富士自然の名号なり富士は郡の名なり、実名をば大日蓮華山と云ふなり、我れ中道を修行する故に是の如く国をば日本と云ひ神をば日神と申す仏の童名をば日種太子と由す予が童名は善日仮名は是生実名は即日蓮なり、久遠下種の南無妙法蓮華経日蓮なり、日は即日神昼なり蓮は即月神夜なり、月は水を縁とせり蓮水より生る故なり、又是生とは日下の人を生と書けり、日蓮は天上天下の一切衆生の主君なり、父母なり師匠なり今久遠下種の寿量品に云はく今此三界皆是我有・其中衆生悉是吾子・而今此処多諸患難・唯我一人能為救護と云へり、三世常恒に日蓮は今此三界の主なり、日蓮大恩以希有事憐愍教化、利益我等無量億劫誰能報者なるべし、若し日蓮が現在の弟子●に未来の弟子の中にも日文字を名乗の上の字に置かずんば自然の法罸を●ると知るべし、予が一期の功徳は日文字に留置くと御説法ありし儘・日興謹んで之れを記し奉る、聖人言はく此の相承は日蓮嫡々一人口決・唯授一人秘伝なり神妙神妙と云ひ終つて留め畢りぬ。

編者曰く已上産湯相承なり。

日蓮二字の事、堅横の点を以つて口伝するに
日文字は五行なり、一妙なり幽玄深奥なり妙とは堅に深きなり、一法なり遠●かいくわつの横に広きなり、一妙の譬蓮因なり修一円因なり、一法の譬花果なり・感一円果なり、一経なり経とは色の経巻なり風大なれば修行の人なり声仏事を為す、之を名づけ経と為す文、日蓮とは是即ち妙法蓮華経の五字を蓮花座に坐し給ふ形なり、凡そ座に於て虚空為座・師子座・蓮華座有り文、されば日文字は仏をば日種太子・天照太神をば日神・日本の導師をば善日童子日蓮と号し奉る、聖人の補処をば直道至已顕日興と拝し奉れば・聖人の妙法蓮華経を興行有る写瓶の御弟子・白蓮月読神・夜なれば月・白蓮・昼は日蓮・夜は白蓮・日神昼・月神は夜、爰を以て重須の鎮守は八幡大菩薩・月よみの御神なり、師弟共に以て大日蓮華山と自然の名号なり・富士門徒は日興門徒なり、此の山は三国に秀づるのみにあらず十六の大国・五百の中国・十千の小国に更に無し、然るに東方有小国・唯有大乗種姓の日本国の駿河富士郡大日蓮華山より本門の戒壇院立つて、あまふの原に六万坊立て・大法東より漸すべきなり、迹門の大法東に漸るに引きかへて遍分身土益十方通同如一仏土の広宣流布は御一門に有るべきなり。

一、富士の高根の事
駿河の国富士の郡に有る山なればとて富士の山と云ふなり、実には此の山には一千の名あり、此里を富士と云ふ事は富士はたと云ふ所に石あり彼の石の名なり、又二の名あり峯使と云ふ事あり、此たけの名をば浅沼のたけとも云ふ是に付いて信乃の浅間の嶽と富士の峯とは一つなりと云ふ事有り、あさまの峯と云ふ事は普く人知らず此の山は仙現大菩薩の栖み給ふ所なり、又如意宝珠を此の山に埋めたり、さて富士と云ふなり、又此の山をば富士の峯と云ふ此の義に付いては浅沼と云ふに此の沼の八方より藤生ひ出で中によりあふて空へ攀ち登りたるによりて藤の山とはいへども、ゆわれなきにあらず、只所詮是れも一義を申す、此の山は九山八海を引きまわし此の国を蓬莱宮と云ふ事も真実は此の富士山の故なり、不死の薬わ又終に此山より出でゝ不老是楽の釈迦・不死是常の上行・五字の良薬を色香味美の戒定慧の智水を以つて末法幼稚の愚信る呑しめ給ふべきなり。

二、躰用三身如来の事
如来秘密神通之力、疏の九に云く一身即三身・唯仏自ら知すら名て密と為す、神は是れ天然不動の理・即法身也、通は是壅がる無く虚通・即報身也、力とは幹用自在なれば即応身なり、仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝へず等云云、仏・弥勒に対して三誡したまへば弥勒を首として三請す、如来の三誡を三請すれば信に足らざる故に重請する、又仏・諦聴と誡めて三誡三請・重請重誡して如来秘密神通之力と説きたまふ、本門八字の口伝知り難かりけるに・天台初の四字法躰法爾の無作の三身とわけ、後の四字は用の三身如来也と釈する時は如来秘密の所は脱し終る所なれば下種に帰るなり、寿量品にても秘密とばかり説き給へば文底に秘するばかりなり・是れを理の顕本と云ふなり、去れば天台一流の先徳は五百塵点劫開数の法門をば仮設と云へるは・まことに理の顕本を高くするが故なり、所詮応仏一代本迹は久遠霊山得脱の妙法値遇の衆生を利せんが為に、無作三身寂光土より三眼三智を以つて九界を知見し垂迹施権して後、妙経を説く故に今日の本迹共に之を得る者なり。

脱益理観一致本迹、本迹殊なりと●も不思議一と云は今日乃至中間の本迹とは分別すれ●本因妙の下種とを説く所の本迹なれば迹の本は本に非ず云云、所詮躰の三身如来は御書の如く聖人唱ふる所の自行化他に亘る妙法蓮華経・仏事の三身・所作仏事味曽暫廃の三世常住の名字の御化導なり、兼ねては迹の上は用の三身の中の応仏説法は本迹一致なり。

三、台家七箇の事付三箇の大事の事。

伝法要偈の文に云く、止観の大旨を禀け法華の深義を学ぶ○、一心三観を諮ひ○、具に心境義を受け○、兼て達磨の法を禀く○。略伝の文に云く、円教三身・常寂光土・蓮華因果、大唐より将来する所の三箇の法用汝の心に入る・円教の旨帰之に過るは無し・能く流伝せば伝燈絶えず文取意。

日本の名僧伝に云はく、弘仁三年最澄・座主伝法の書を以つて円澄法師に付属す、同く八年三月復円教三身蓮華因果常寂光土等の義を相受く・法師相承悲喜す、大師大に悦んで曰はく唐より将来する奥義既に汝が心に入る・円教の旨帰此に過きたるは莫し・能く流伝せば伝燈絶えず文、凡三箇の大事とは伝法要偈の四箇の中の法華の深義より略伝三箇の大事あるなり。

付三箇の大事三大秘法の差異の事
右台家には円教三身・常寂光土・蓮華因果を三箇大事とし、当家には本門教主釈尊・本門戒壇・南無妙法蓮華経の広宣流布あるべき事の三箇の秘法と申すなり、其の差異を思ふに彼は他受用身なり・脱益の仏果をば必ず他受用身なりと定むるなり、其教主所説の正法は本門なり・能説の教主は迹門なり・法自ら弘まらず人・法を弘む故に人法ともに尊し、迹仏の故に本門より迹門をば善巧方便し給ふ事は久遠の下種を熟脱する故なり、其の上に無作三身住寂光土の時は機に趣向せざる昔なり、円教の三身と云ふ時は如来秘密の三身なり、釈尊寿量品を説き給へば神通之力の有作の三身なり、されば対告衆も普賢文殊弥勒薬王等なり、爰を以つて御書に云はく脱の五大尊の本迹・他受用応仏は本・普賢文殊・弥勒薬王は迹と云云、当家には本門の教主釈尊とは名字の位・日蓮聖人にて御座すなり、是則文底本因妙の教主を御譲有らんとして正宗八品の時は只末法付属の為なれば上行等の四菩薩を召し出して神力品の時・結要付属したまふなり、其の時真の本無作の三身下種本門の五大尊本迹・久遠本果の自受用報身如来は本なり、上行無辺行浄行安立行の四菩薩は迹なり、宝塔の中の釈迦多宝を脇土にし給ふなり、迹仏の本仏に付属し給ふなり。

右台家の心は常寂光を云ふ時、身土別無し、寂光土には理智の二法身居るなり・其の智法身の方に報仏の名を与ふる様に沙汰せり、此の寂光は法花の疏・浄名の疏の両所の廃立を習ひ合はすべきなり、法花の疏の心は事の寂光なり、浄名疏の心は理の寂光なり、名疏に云はく諸土寂光並に垢浄に非ず而垢而浄之を為て飯と為す文、●記に云はく諸土寂光の義之を以て飯と為す不垢浄を理の寂光と名づけ而垢而浄者を事の寂光と名づく所以に同く飯食と名くるなり文、浄名の疏の意は事理の寂光を明すといへども共に以つて理の寂光なり、其故は身土の別なき故に一法の二義にして一法が法身又は寂光と云はるゝ迄なり・法身と云ふ時は一向に寂光・寂光と云ふ時は一向に法身なり、身と土と宛然なる義は之れなし身土の別なしと云へる理法身、寂光なり、法花疏の心は本有の依正を談ずる故なり本因妙を明す之れを思ふべし、能居所居の依正宛然なる当流往古の口伝の文に云はく当に知るべし身と土と一念三千也、故に成道の時此の本理に称へば一身も一念も法界に遍すの文是也、左点の時は五陰世間と国土世間とは有れども衆生世間闕けたりと云へるなり、

右の時は一念と云ふ時は衆生世間の一念なる故に三種世間本有として之れ有り、故に一家の正意は身土別に之れ有るべき条勿論なり、若し身土別に無くんば一念三千の観門は成るべからざる事なり、此の文をば台家の義・魔退散の文と習ふなり、身は教主・土は戒壇・一念は機性・一法三義にて三種世間ならば此内には何なる魔障有るべきや、例せば魔及び魔民有りと●も皆仏法を護ると云へるが如し、殊に寂光土義と云ふ故に豈伽耶を離れて別に常寂光を求めん、寂光の外に別に娑婆有るに非るの故に寂光に於いて義を以つて分別する故に寂光土義とは云ふなり、当家の心は四土一念皆寂光と成ると云へる事は信の上の名字即の凡夫の上にて愚なる所に解智を付けず、只本事の法華の教主顕る所居則常寂光なり、一宗の仏法の宗旨を広布する時・賤山賤が栖家・虚空宝塔にて有ると尋ぬれば五大所成の吾身なり、此の一身が土と顕はれ法と成り世間と如是と一なる時・本有の妙法蓮華経の常在霊鷲山と顕れて後は娑婆即寂光にて四土の隔異もなき様に見へて善悪を差異すること無し。

脱益寂照の本迹、理の上の寂照は妙覚乃至観行等の解了なり、理即の凡夫は無躰用の本迹なり。
脱益説所戒壇本迹(霊山本事戒)(天台山迹理戒)(久遠と末法とは事行戒今日と像法とは理戒体)
脱益戒体本迹(爾前迹本熟益の戒体を迹とし脱益の戒体を本とするなり迹門戒は爾前の大小に勝れ本門の戒へ迹門の戒に勝ると云つなり)

戒体抄に云はく今の戒とは小乗の二百五十戒、華厳の十無尽戒等を未顕真実と定め畢つて方便品に入り持つ所の五戒十戒二百五十戒等なり、経に是名持戒とは即ち此の心なりと云云、迹門の戒は爾前大小の諸戒に勝ると云へども本門の戒には及ばざるなり、十重禁戒と遊ばして寿量品の戒体勝るゝ事を遊ばすなり、迹門已立の戒壇は本門未立の戒壇立ちて後・無益なり、天台宗の心は一心観即持戒なりと云云、蓮実坊和尚口伝に云はく一と度び悪を犯せば十界皆悪なり一と度ど戒を持てば十界皆善なり、一念三千の犯悪を境と為し一念三千の持戒を智と為し境智不二なり何ぞ犯戒と謂はんや云云、又云はく法華に云はく是れ則ち精進是を持戒と名付く頭陀を行する者則ち疾く無上仏道を得と為す文、此の文師資相●の文なり精進疾得の言之を移して一得永不失と云ふなり、精進とは不退の義・疾得とは速疾の意なり。

尋ねて云はく一家の意、円頓戒に於いて円頓菩薩戒・円頓仏戒の不同之れ有り、円頓菩薩の戒をば別して伝授する義之れ有るべし、之れに依つて山家大師顕戒論に云はく一心三観一言に伝ふ菩薩円戒比の身に授く文、此の釈は分明なり一心三観の外に別して伝授すべしと云ふ事・菩薩戒の時は法●を定め位の浅深を論ずるなり・此時は尤も別授たるべきなり、円頓仏戒の時は森羅三千の万法悉く本覚の一位なり・此の時は別して浅深不同無し、此の相承の時は言説一心三観の相承と円頓仏戒の相伝とが同物にて之れ有るべきなり。

尋ねて云はく此の両戒の不同をば何処の釈をか証と為すべきや、止の四に云はく当に知るべ中道妙観戒の正体・上品清浄究竟持戒文、弘に云はく即中三品と者は下品を別教の菩薩と為し中品は円教の菩薩・上品は是仏唯仏一人清浄戒を具す文此の釈分明なり、口伝に云はく既に当知中道○持と釈するを弘決に上品是仏・唯仏一人具清浄戒と釈する是拠に非ずや、中道観・既に一心三観の異名なり、口伝に云はく一心三観に伝授の即法の如く修行するは持戒の相なり・三観の修行を退失するは犯戒の相なり、蓮実坊和尚云はく戒の持犯を明すは名字の位なり、戒の持犯なきは観行の位なり・名字は観慧微弱の故に持犯有り、観行は観慧相続の故に持ち一戒をも行ずるなりと、此れ等の義を思ふに天台の観慧の戒も今は持たざるなり、悉く真言宗になりはてるなり、今末法は無戒の時なれば名字初心の凡夫は諸悪莫作諸善奉行の故に脱益の戒体を捨てゝ・五字の戒を持つを一得不失の戒と云ふべきなり、信不信を立つる時・不信の人は犯戒なり・若人不信と信心の人は持戒の者なり、信受是語と云云。

当家には本門の戒壇院。
下種弘通戒壇実勝本迹・三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり。
下種戒体之本迹・爾前迹門の戒体権実雑乱・本門の戒体は純一無雑の大戒なり、勝劣天地水火尚及ばず具に戒体抄の如し云云。天生か原に六万坊を立て法花本門の戒壇を立つべきなり、六万坊と申せばとて六万多に非ず一已独に非ず只表示の釈なれば一人也とも正信ならば六万坊建立に成るべきなり・天台の釈の意なり、其戒体立つべしとは愚者の云ひ伝へる信の所・余行に亘らず法華経直達の法華本門・唱ふる釈迦は迹なり今日の修行・久遠の振舞に介爾計りも違はざるなり、さて三学口伝妙法蓮華経とは色香味美皆悉具足の是好良薬なり、色とは事戒・香とは定・神通なり・味美とは慧なり、色とは一切の諸経の戒法・香とは一切の諸禅定・味美とは一切の智慧の妙法の五字に漏れ無き所を・三学口伝名曰妙法の信をなして法花を弘め給ふ戒壇なりと能く々く信を取るべきなり、師は凡師・弟子は三毒強盛の悪人なり何ぞ一戒をも直に持つべき、忝くも本門妙法蓮華経を唱ふれば防非止悪するなり、納種在懐・永劫不失の戒壇とは法花の信者の所なり、正信の人は五躰本有の上行菩薩なり・上行菩薩とはなまなまとしたる名字初信・約身約位・何も名字の御身位なり。

弘の一に云はく理非造作故曰天真、証智円明故云独朗矣、久遠の理と今日の理と云ふには造作なり、然るに久遠は事の上の理なり・故に知りぬ本因妙の理は勝れ今日本果妙の理は劣なりとは理の本迹なり、是の故に独朗と云つて之れを釈す・又云はく独一法界の故に絶待と名く云云、私に云はく独一の種子・無上の妙法にして諸経の名を折くなり、天台云はく唯大綱を存じて網目を事とせずと、此の釈の心は大綱は本・網目は迹なり、天台伝教の修行は網目・日蓮が修行は大綱なり。

如来秘密神通之力と是れ事理の如来本迹なり、秘密の如来とは理性の如来なり、神通の如来とは世尊なり、秘密の本地神通は垂迹世々已来常に我化を受く・我れ本と菩薩の道を行ず・今猶未た尽きず復た上の数に倍すと云云。
本迹勝劣深理甚遠、仏若し説かずんば弥勒尚闇し何に況んや下地・何に況んや凡夫をや・本仏本地・乃ち能く究尽す云云、具騰本種(本迹勝劣)故但名に於て以て本迹と分つ(下種名字妙法事行之勝劣なり)本迹は身に約し位に約す(久遠名字即の身と位とを判ずる也)、本より迹を垂る迹は本に依る究竟に非ず、玄の一に云はく開示悟入是れ迹要と雖も若し顕本せば即本要なり、籤の一に云はく若し迹中の事理無んば乃至権実何の能く長寿の本を顕さん、私に云はく此れ等の釈義の趣きは上行は師・其の御内証より釈迦弟子と顕はれて五百塵点劫第九の減・釈尊出世の末法後五百歳の時節に本因の姿を改めず名字の約身約位して経弥実なれば位弥下れる導師・名字妙法を余行に移さず・粧はず貴ばず悟らず・愚の信に言ひ伝へたる五十展転の妙法の首題、師も妙法・弟子も妙法、唱ふる時・仏口より生れ法より化生仏口所生の子の合掌して敬心を以て具足の道を聞かんと欲すの題目を唱ふる・何に賤しき匹夫・童男・丱女●寡なりとも上行菩薩なるべき・時の導師に凡夫として顕はれ給ふは五百塵点の後は今日が始めなり、されば末法には五戒八斎戒・十戒・男は二百五十戒・女は五百戒等を持つ事は・無戒の時節なれば市の中に虎有りと云はんが如く有るべからざるなり、有徳王・覚徳比丘の合戦を致して正法を立てしが如く・弓箭・器杖・刃剱・鉾槊を持つをも、法花を謗ること無くて・此の経を持つ処を寂光土・其身自受用報身・本門の本尊・本門の戒壇と所居を定むる時・信謗を堅く成敗するなり。

四、日蓮聖人御戒躰の事。
南無妙法蓮華経・色香美味皆悉具足・是好良薬是中道・万法所具の名字の妙法なり、色には八万法蔵・十二部経の漸頓諸経の戒文・虚空不動戒の妙法、香には神通勝相の一切の起る事・観練薫修・四種の禅定・四禅八定・一切の無漏を収めたる虚空不動定の妙法、美味には一代半満の諸経・六度十波羅密の神通一も缺けず・虚空不動慧の三学倶伝・名曰妙法と顕れ一切を具足する能具の法華なり、此の法華経の名字の戒壇を立るならば日本乃至漢土月氏・一閻浮提・人毎に有智無智を嫌はず一同に他事を捨てゝ南無妙法蓮華経と唱ふべし、此の事未だ弘まらず故に経蔵に入りて一切経を三度転くり返し々々し御覧有つて妙楽大師の師匠天台の三五反の幸覧有り・我十六反御有つて・遍く法華已前の諸教を尋ぬるに実に二乗作仏の文及び如来久成を明すの説無し、故に知ぬ並に方便を帯するに由る故文、御成敗を思ふに・所見の如くなりと思食して、さては若持八万四千法蔵・十二部経・為人演説令諸聴者得六神通・雖能如是亦未為難の時は諸経に持ち読み説いても詮なし・戒文亦益無しと心地定に入り案じ給ふに、六神通を得とも亦未だ難しと為ざるなれば用無し、又一念信解の功徳は五波羅蜜の善根に越たるにも・除般若波羅蜜とて智慧を除き・一念信肝要と智解も入らず、大論には信力の故に受く念力の故に持つ・六祖大師は受持無行余徒然と、脱益迹門の灌頂等・本迹灌頂は至極の後世・仏菩薩の灌頂は法華経なり、迹門は方便読誦・欲令衆生開仏知見の本灌頂、寿量品読誦・然我実成仏已来・下種最後直授摩頂本迹・久遠一念・元初妙法を受く承るの事は最極無上の灌頂なり。

法は本・人は迹なり是くの如く脱上・下種に替る種子無上の大法の灌頂を御立て有らんとすれば三類強敵有るべし、仰せ出されずば仏敵となるべしと思食し嗟き・法華涅槃の両経の説を見るに、涅槃経に云はく寧喪身命・不匿教者・身軽法重・死身弘法と説き・法花経には我不愛身命・但惜無上道・一心欲見仏・不自惜身命と金口・眼にさいぎる故に遍に仏勅を重んじ給ふ。

聖人卅二歳・三月廿八日・道善坊の持仏堂の南面に清澄寺の大集会をなして・念仏無間の法門を仰せ出させ給ひけるほどに、師匠道善坊・座席を立ち一寺の大衆・謗りけるほどに清澄寺を擯されさせ給ひて・西条花房の青蓮坊に御座す・西条の地頭も念仏者なる故に内には聖人を殺害申さんと・外には堂供養とて請し申しけり、阿弥陀如来此の土無縁の仏なる由を御講有る故に又擯出せられ給ひけり・数々見擯出の文に相叶へり、かくて鎌倉の名越に住み給ふ・数輩の念仏者押し来れりされども狂難を遁れ給ふ、其の後四十の御年・立正安国論を御造作有り、此の書最初備進の書なるほどに、師なくば仏法に非る故に天台伝教を外用の師と思し召して天台沙門と遊すより・諸御書には或ひは本化沙門・或は本朝沙門・或ひは本因妙行者・或ひは扶桑沙門と遊ばす、御出世の始終を弁へざる聖人の御弟子・天台の沙門と書ける事・大謗法なり、聖人を手本にせば終の方の御修行を以つて肝要と為すべきなり、

此の安国論は最明寺殿の御代に捧げ給ふに・剰へ弘長元年五月十二日には伊東へ左遷せられて・三年めに御放免有つて鎌倉に入り給ふに、安房の国へ入御有つて慈父の廟所へ御参り有る時・母七旬有余・御病起り以ての外にして御逝去有りけるに、聖人日本国に法華経流布有るべくば老母の命を助け給へと仰られけるほどに、法花流布の治定の故・又は聖人御信力の故に生活し給ふ蘇生を見聞する人・不思議の思ひをなす・かくて御還りの時、東条左衛門景信・数輩の兵を起して忽に打ち奉らんとす・射る矢は降る雨の如し打つ太刀は電光の如し・弟子一人は忽に打たると仰せけり、御身御頭には癒口四寸の疵を被り給ふ・其の血を以つて市が坂に首題遊ばず今赤字なりと承る、諸宗の族・鎌倉中に火を放つ・是れは日蓮が弟子がなすと訴へ・又室内には兵具を置き悪党する者を集むと・讃ればこそ度々御坊壊しされ給ふ、剰へ法光寺殿の御代に良観が・訴状・行敏が書訴へけるに依つて山の内にて搦められ、文永八年九月十二日には片瀬竜の口にして誅戮せられんとするに、討つ太刀・段々にをれ異瑞有りけるほどに・敷皮の座を立ちて相州依智に赴き給ふ、

其の後佐渡の国へ流されて三年の御配流の体たらく・心も詞も及ばれず、都の蓮薹町の様に死人を捨つる所に一間四面なる堂に上も葺かず四風もあらはに雪降り積りける、かゝる所に敷皮打しいて蓑うち著て・三年の御栖居・嵐より外は問ふ者も無きに、不思議なりける事には・何地とも知らず新行器に二三日の食物をこしらえて持ち来つて置きけり、其の後行器を出だしをけば別の行器に初の如く有り・不思議に思し召して伯耆殿を以つて出でん所ありなん見るべしと仰せられけるに・道は流人を訪へば人目悪かりなむとて、野池に板を二枚もって一枚づゝ先に遺りて音きこへけり、又持ち参る由を聞くに俗人なり・御前へ召されけるに種々御悦ひ有つて何なる人ぞと仰せけるに・我れは坂東武州方の流人なり、初めて此の島に有りけるに音づるゝ人も無くて悲かりしに・さこそ御座すらんと思ひ遺りて参りたりと語る、只一切天人皆応供養なりとて御説法ありけるに受法ありけり本名を改めず阿仏聖人と仰せけり・其の子藤九郎盛綱の子に如寂丸出家の後・日満と申せしは日興上人の御弟子なり、日満は北陸道七箇国・法華の棟梁と遊ばしをかる聖人の御付弟なる故に日満を北陸道の法花の棟梁と遊ばす、若し御補処無くんば何ぞ此の如くならんや、今に至るまで日満の末流に申すなり、但し阿仏の跡は有り日満の仏法は断えたり。

かくて塚原に御座す時・筑後殿御赦免状を持ちて亘れり、あまりの嬉しさにこそ一宮の宮坂と云ふ所は五十町ばかり外なりけるに日朗呼ばはり給ふ、聖人彼の音を聞召して筑後殿が音するぞ・起きて火あかせと仰せければ、日興の・聖人は古里が恋しく思召す故に寝事をめさるゝか・又うつゝに御覧して仰せけるか、されども師命なれば日興火を●とぼし給ふ所へ筑後殿御参りなり、其れより鎌倉へ入り給ふ・平の金吾に対して種々の御法門あり・賢人の習ひ国を諌むるを用ひずんば山林に蟄居する事・世常の法なりとて九箇年身延に御隠居なり、清澄を出でたまふ遠離於塔寺に叶ひ・景信其の外の俗難は有諸無智人及加刀杖者に合へり、禅宗等の怨をなすは道門増上慢・良観が訴状は僭聖増上慢・副将軍に啓すは向国王大臣婆羅門居士の文に当る、竜の口の首の座は我不愛身命の文に相ひ・伊豆佐渡の遠島は数々見擯出の文に違はず、九箇年は諸聚落城邑其有求法者に当る、信心強盛の御事・念仏告勅故・皆当忍是事・此れ等の御諸難は堪忍なり、忍とは比丘は忍を戒体となす此の種々の難を忍んで仏勅の如く行じ給ふを信の末法の戒躰とは申すなり、此の信を破るを破戒と云ふなり、さる時・在家出家・信心成就して若暫持者を初長が是名持戒なり、其の時は出世の不同も無く上行菩薩なり、若し邪婬罪の俗人と嫌ふは小乗の説なり・大乗の戒門は信が肝要なり、今程は出家の上に防非止悪とは行儀の事教・戒門を以つて聖人の仏法を取立てば耳を取つて鼻を出すが如くなり、然りと云つて放埓すべからず・忍が出家の戒体なり、出家は役人位が在家より差等に依つて高きなり能く々在ずべきなり。

破戒の証人を申すに五千退座・上慢我慢・不信四衆なり、比丘比丘尼○其の数五千有り自ら其の過を見ず戒に於て欠漏有り文

五、聖人釈尊に値ひ給ふ事。
在世の釈尊・仏位に隣る故に九横の大難に値ひ給ふ、提婆・倶伽梨・善星は悪をなし三女・形を現し四魔・軍を振るに動転し給はず・是れを以つて仏体を得給ふ・聖人は景信・行敏・相模守・平の左衛門・師匠道善坊に合つての時・生身の釈尊に値ひ給ふなり、例せば有徳王の声聞の中の第一の弟子と成り覚徳比丘の第二の弟子となりしは戒体に非ずや、聖人・本門の妙法の故に度々の難は況滅度後の大難と申す是れなり、されば人を善くなす者は御方より敵がよくなす者なり、一句一偈我皆与授記は我なり阿耨多羅三藐三菩提疑ひ無し・相模守殿こそ善知識よ・平の左衛門こそ提婆達多よ・念仏者は倶伽利尊者・持斎等は善星比丘・在世は今に在り今は即ち在世なり。

御勘気抄に云はく仏滅後二千二百余年か間・迦葉阿難等・馬鳴竜樹・南岳天台等・妙楽伝教等だにも未だ弘め給はぬ法花経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始めに一閻浮提に弘むべき始に日蓮さきがけしたり、わとうども二陣三陣とつゞいて迦葉阿難にも勝れ天台伝教にも越よかし、僅の嶋の主がをどさむを恐ぢては閻魔の責をば如何すべき・仏の御使と名のりながら臆せんは無下の人々なり。

天台大師の生身の釈尊に値ふと云ふ事も第二七日の後夜の座禅の時・明星の出る時・豁然大悟の時より其の弘通の理にかなふ時より値ふと云ふ事なり、天台の四度び値ひ給ふが如く聖人も度々値ひ給へり、仏に値ふと申し奉るは只悟りの内証に会ふ処を申すなり・遺使還告尋便来帰之れを思ふべきなり、仍つて

脱益五味所従の本迹、天台伝教の五味は横堅共に所従なり五味は本・修行の人は迹なり、在世以て此の如し云云。
下種五味主中の本迹、日蓮は五味横堅共に五味の主の修業なり、五味即本門・修業即本門なり、既に五味の主なり此名字の利生本仏なり此れより外に何ぞ本門の体を求むべけんや。

脱益の成仏本迹、寿量品は本・応仏は迹なり、無作三身寂光土に住し三眼三智九界を知見す云云。
下種成仏の本迹、本因妙は本、自受用身は迹・成仏難きに非ず此の経を持つ難ければなり云云。
計り知りぬ持経者は又当代の法主に値ひ奉る時・本仏に値ふなり、成仏難からず只知識に値ひて此経を持つ処が聖人の如く本仏に値ふなり、持経即是第一義戒の故なり不信は破戒大謗法堕獄なり云云。

五、蓮華因果広宣流布の替の事(替字おそらく賛の誤りか)
蓮華因果に就いて本迹の不同有るべし従因至果・従果向因の義なり、先づ本果妙法蓮華経今日の本果・従因至果なれば本の本果には劣るなり寿量脱益在世一段一品二半は舎利弗等の声聞の観心なり・我等が為には教相なり情は迹は劣・本は勝なり、又滅後像法・相似観行解了の行益も以つて是くの如し、南岳天台伝教修行の如く末法に入り修行せば帯権隔歴の行となりて我等が為に虚戯の行と成るべきなり、日蓮は一向本・天台は迹・能く々く之れを問ふべきなり。

疏記の九に云はく爾前は皆虚にそ実ならず迹門一虚一実本門皆実にそ虚ならず云云、爾前二種の失の事、一に存行布故仍未開権とて本門の一念三千を隠せり、二に言始成故尚未発迹とて本門の久遠を隠せり迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説て爾前二種の失一脱したり、本門に至て迹門の十界の因果を打ち破る是れ即本因本果の法門なり・実の一念三千も顕はれば二乗作仏も定まらず云云、世間の罪に依つて悪道に堕つる者は爪上の土・仏法に依つて悪道に堕ん者は十方の土と、其の故に信心の根本は本迹勝劣・余の信心は枝葉なり。
本因妙法蓮華経本迹、全く余行に分れざりし妙法は本・唱る日蓮は迹なり・手本には不軽菩薩廿四字是れなり・又其行儀是れなり云云、凡そ大法東漸する時・迹門は月氏より震旦・日本へ従因至果せしなり、従果向因の聖人の御修行は十方世界に遍分身土益・遍他方土益すべきなり、広宣流布とは是れなり。

六、今此三界に就いて文点を読む事
迹門の化儀は今此三界は皆是れ我が有なりとは・爾前迹門は教主の有無・信謗の二を挙ぐる時、此土他土の異を明し根性の熟不を云へる時・諸仏に対して釈尊は有縁の教主と云ふなり、惣じて云ふ時は只釈尊の悟りの身より出でたる諸仏菩薩も悟りの体を顕はす・強いては皆釈尊・中間因位の身なりと云ふ事を、放光円満経に云はく爾の時に世尊阿難及び光満菩薩に告ぐ我れ一切衆生を念ふこと・譬へば父母の子を念ふが如し・衆生を度せんが為の故に知ぬ我が分身は此に種々仏菩薩の形を現す・或は薬師仏を現し或は阿弥陀仏を現し或は観世音菩薩を現し或は得大勢菩薩を現し或は文殊師利菩薩を現し或は弥勒菩薩を現し或は虚空菩薩を現し或は地蔵菩薩を現し或は薬王菩薩を現し或は薬上菩薩を現し或は釈迦牟尼仏を現し或は毘盧遮那仏を現し、或は一仏夜叉大将を現す、是の如き諸有の諸仏菩薩は唯我れ一仏の変現する所の文・是れを二重相承と書けり・今此三界の時・切り紙之れ有り云云、彼の仏菩薩の所領・只各修浄土と云る迹門の所変なり、此の国土に分身の遠集の時・三変浄土せらるるなり、此時は只釈迦一仏の所成なり。

今此の三界は皆な是れ我れで有るなり・此の説を以つて思ふに弘決の第六・通明観の下に釈するは本因の菩薩の所変なり、頭の円なるは天の覆へるを表し・足の高なるは地を顕はし・諸木の高は首の髪を表し・千草の下きは眉の毛を司どり・両の眼は日月を主どり・鼻の気は谷の風を主どり・虚空の風は口の気を顕はし・法界の火は火大・胸腹の水は水大・地大は土・腰の十二の大骨は十二月・小骨の三百六十は三百六十日なり、首の四の筋・廿四脈・二万五千の河と顕れ、五大は五万・五老・五形・五根・五力などゝ顕はす分は六身門の時・或示他事の分なり、此時は三界は我れで有るなり、依報正報・釈尊も一切仏菩薩も上行菩薩の所変の身なり・或説己身○或示他事云云・本門の我有なり云云。

七、我の事
悲華経に云はく(百十三願)我れ来世穢悪の土の中に於て則十方浄土擯出の衆生を集め、我れ当に之を度すべし文、同(百十四)我れ無始より已来諸大善根を積集して一分も我が身に留めず悉く十方の衆生に施与す文、(与楽之御恩也)、同(百十五)十方界の諸の衆生・無始まり以来・諸造作せる極重五無間等の・諸の罪を合して我一人の罪と為し大地獄の中に入り大悲代て苦を受けん抜苦、釈迦如来・五百の大願を立て給ふ時、百十三の願には十方の諸仏の擯乗せる衆生を我れ一人して済度すべしとの我なり、百十四には釈尊・娑婆往来八千反の間・受け集め給ふ大善根をば・我が身に一分も留めず一切衆生に与へんとの恩な、百十五の願には一切衆生の無始よりの罪を釈尊合して我が一人が罪として代つて苦を受くとの抜苦の御慈悲なり、此の我は爾前の我なり、迹門の時は諸文多くして中に我有と仰せられて所有の三千界の領主と有るなり、是れは法師品・宝塔品の我の事は・我爾時為現の心は像法の天台の修行の時の事なれば・面は釈尊の御事なれども裏は天台大師なり、我則歓喜の我は題目の唱募なる六難九易の事なれば末法の導師の我なり、我亦為世父・是れ又本門の我なり、惣じて正宗八品・地涌の菩薩の御座の間は滅後なり、さる時は我亦為世父の父は先師聖人にて御座すなり、今日一段の化儀・大通仏の三千塵点却の譬の時・第十六は我釈迦牟尼仏娑婆国土に於て阿耨菩提を成す云云、我実成仏已来・甚大久遠は久遠の我なり、我と云へばとて爾前・迹門本門の不同も無く口に任せて云はゞ化儀の大綱・違ふべきなり、教・機・時・国・教法流布の義を能く々く思つて之れを言ふべきなり、されば爾前の時は常楽我浄を四顛倒と云へども・法花に来つて四徳婆羅蜜と説くるゝなり・能く々く此れ等の義を思ふべきなり、我とは如我昔所願・多き崛王の因縁意得べきなり云云。

八、其中衆生の事
衆生と云ふ事は方便品の若我遇衆生の衆生について・先づ光音天の頽れて三種の衆生となりしより衆生と云ふ事有り・仍十種の衆生なり、長短方円・三角・青・黄・赤・白・紫なり、長の衆生とは軽より重に入るなり、先づ等活より黒縄・黒縄より衆合・衆合より叫喚・叫喚より大叫喚・大叫喚より焦熱・焦熱より大焦熱・大焦熱より無間地獄に各十六別所をも残り無く次第次第に深く堕ち行くを・長の衆生とは申すなり、短の衆生とは次第次第に苦みが重くなる事・限り無き故に・一念善心を起して重を転じて軽になるを短の衆生と申すなり、方の衆生とは無間地獄より大焦熱・々々々・大叫喚・々々々・衆合・黒縄・等活と是れ十六の別所・悉く備転して・夫より餓鬼に出で有財鬼・無財鬼・食吐鬼を悉く経て、畜生には禽・獣・虫を皆悉く経歴して修羅界・人間・天上には四王・●利・夜摩・兜率・楽変化・他化自在天・梵衆・梵輔・大梵天・少光・無量極光天・無雲・福生・広果天・善見・善現・色究竟天・有想天・無想天・非想天・非々想天等を悉く重より軽に出づるを方の衆生と云ふなり。

難じて云はく・此の時は長方の両衆生は差異無しと聞こえたり如何、答へて云はく・長の衆生は軽より重に入る、方の衆生は重より軽に出つる、長き心は同しけれども何れも同事には非ず軽重の不同と見えたり。
円の衆生とは・地獄・餓鬼・畜生・修羅の四悪趣を円に旋るを円の衆生とは云ふなり、是れには旋火輪の譬有り其れとは木ぎれに火きを付いて旋すに火と木との精の有るほどは・をき木に付いて廻る・無くなれば落るを又付るなり、是の如く輪転する事を円の衆生と云ふなり、地獄の暇あきて餓鬼に入り又畜生に移る。其ひまあけげ地獄・浮ぶことなきなり。三角の衆生とは善・悪・無記なり、一向善も非ず・一向悪も非ず是れ中有の衆生と云ふか、之れが為め専ら追善中有の儀式をなすなり。

青の衆生とは地獄界の衆生なり、地獄に入れば血の気が悉く無くなる故に色青きなり、青は女と云へる男よりも血出つる事有り。
黄の衆生とは餓鬼界に譬るなり、其の故は餓鬼は飢饉の衆生なり、物食ざれば人の色・黄なるなり。
赤の衆生とは畜生に主とるなり・心は畜生は残害とて互に殺しあふ時も其色赤きなり、白の衆生とは人間・天上なり、三悪は黒なり人天は白なり、紫の衆生とは修羅界なり、十界の時・修羅界をは立てざるも有り開して五道となし合すれば即六道なり、六道とは地獄乃至人天なり、其の中に修羅界を開する時は五道・惣じては鬼・畜・天に修羅界はあるなり、比故に紫の衆生とは云ふなり・紫の衆の事を□□白と赤と黄となり、白は天に修羅の有るなり、赤は畜生・残害は修羅なり・黄なる口にも入らざる物を見て、互に修羅・瞋恚を犯すなり、爰を以つて紫の衆生とは云ふなり、仍つて十種の衆生は斯の如し、衆生無始より恒に三道に居し中に於て一毫の衆類無しと●文、十種の衆生の迷ひを化一切衆生・皆令入仏道と悦び給ふ、爾前に於いては終不以小乗済度於衆生と情非情に亘るなり、衆生何も生ずと云へども草木は衆くなり有情は衆く生るなり、又胎・卵・湿・化・飛・●・状・走の八種も皆衆生なり・随喜功徳品には是くの如き等の衆生の数に有ると説けり。

九、悉是吾子の事
涅槃経に云はく一切衆生に等く仏性有り仏性同の故に等く是れ子なり文、貴賤尊卑の不同も無く一切の有情を仏性同の故に吾子と説き給ふなり、三因・五仏性有るを子と云へるも弾指・散花・是縁因種・随聞一句・是了因種・凡有心者是正因種文此時は子はたねと訓むなり、此仏性は物ごとに・はらむ故に子とも訓めり、凡つ子を弟ぐ譬へば法師品には我れ太子たりし時・羅●長子と為り文・仏子たりと云へども仏法とては長子と云ふなり・長はたけたる子なり、忝くも無上法王より仏性真如の身体・髪膚を無上世尊の父母に受け奉る三界の子なり、涅槃経には人に七子有り其の中に病気の子を人の親は不便と思ふなり、其の如く釈尊は末代今比の三毒強盛の悪人を至つて不便大切にし給ふなり、子に付いて理性の子・事性の子之れ有り、理性の子は在世の悉是吾子なり、事性の子は上行菩薩を父とすべきなり、如医善方便・為治狂子故は弟子の病気の子なり・我亦為世父の子は我等の父は上行菩薩なり。

脱益父子本迹、応仏は本・迹仏は迹なり子父の法を弘むるに世界の益あり。
本種父子常住の本迹・義理上に同じ久遠の名字即の俗諦常住の父子は今日蓮が修行に殊ならず世間相常住是れなり。
真諦の釈尊を且は父として世間相常住の名字を修行し給へるなり、子父の法を弘る世界の益有るなり之を思ふべし・是れ我弟子応に我が法を弘むべし文、諸仏の国王・是の経の夫人と和合して共に是の菩薩の子を生ず文、唯有一門の仏口所生子之れに准ずべし能く々く大切なり、末法今此の衆生・自惟孤露・無復恃怙の我れ等なり、聖人は日本国の一切衆生の為に主なり親なり師匠なり、梵王帝釈の仏性も文殊弥勒の仏性も三世の諸仏の仏性も呼びよばれて顕はるゝ処を妙法蓮華経とは申すなり。

十、而今此処の事
今とは住劫第九の減・人寿百歳の釈尊の出世の時分なり、而るに今とは仏七十三計りの御時か、今論に娑婆国土は音声にて仏事を為す此土は耳根利なる故文・是れも声塵得道の時節なり、此の処とは凡聖雑居の故に同居と名くるなり、四州・四悪趣・六欲・梵天・四禅・四無色・無想・五那含天文・三界廿五有とは是れなり。

十一、四州の寿命の事
西州は五百年・北州は千年・東州は二百五十年・南州は寿命不定なり、日は一年に一周り・月は十三めぐりなり、毎月卅日には日月一所に有るなり、日の行道は春秋は中道・夏は下道・冬は上道なり、日旋る事・順十・逆四なり、南午なれば西州は●なり北州は子・東は酉の時なり、所詮は二方は夜・二方は昼なり、日の中に三足の黒烏あるなり。
月の虧盈の事、朔日より白月十五日は満月なり、十六日より晦日までに虧くる決なり・黒月是れなり、是れは月殿の番衆白衣黒衣の入る故に白衣の方は満月盛なり、黒月の方は虧月衰るなり、虧盈の徳を以つて同体の権実を顕はし本迹の開顕を示すなり、月に莵有り月の莵と云ふ事は往古に狐と猿と兎と三獣寄りあふなり、爰に修行者・飢餓の人出来せり、我渇せり食を与へよと云ふ、猿・菓を取て与へ・狐は沢に入つて魚を取つて与ふ・兎独り料簡無き故に猿に薪を乞ひ狐に火をたいて与へんとてなり、然るに火の盛なりし時・我が身を火に放つて焼いて与へ奉る、天の帝釈哀んで此の骨を月宮殿に置き給へるなり。

十二、日月を仏法に合する事
燈炬・星月は闇と共に住す日は星月を映奪せしめて見はる云云、此の釈の意は星をば爾前の教法の光に当て・月をば迹門に当て・日をば独一の本門に当てて釈するなり、天台は双用権実の故に燈炬星月皆以て存立して光を用るなり、大日輪の出でたまへば燈炬星月・光を失ひ日月明白なり何ぞ●火を用ひんや、又日天子の能く諸の闇を除くが如く此の経亦復是の如く能く一切不善の闇を破す文、本門の教主に値ひ奉れば雲上に昇り雲下を見るが如し、涅槃経廿五・月愛三昧品に云く取意、迹門は十四夜の月の如く無明の一曇あり、本門は十五の月なり・曇り無きなり、迹門の月は諸方を照すといへども照らさざる所あるなり、本門は大海の底まで底渭無く照らすなり、爰を以つて之れを思ふに。

脱益感応本迹・久遠之天月影を中間今日の得益の水に移す、衆生久遠より仏の善巧を●る是れなり。
下種感応日月本迹、下種の仏は天月・脱仏は池月・不識天月但観池月文。
劣応勝応・報身法身異なれども始成の辺は同じぞかし云云・水中の月なり、日蓮聖人は天月なり・此の分は識らざるなり、本迹の取り様に迷はゞ諸御書当るべからざるなり、但し権実相対の御書も御座すなり、今の本迹相対は一部ともに迹中の本名て本門と為す文。

付り某を恋しとをぼさん時に日に一度・天を拝み給への事
六時の中には何の時・拝すべきや・此の事に迷へり・大方推量を思ふに教相には教相義・花厳三照の譬有り、日初て出で先づ高山を照し次に幽谷を照し次に平地を照すが如し、先照高山は花厳・次照幽谷は阿含・次照平等食時(辰方等)隅中(已般若)・正中(午法華)、土圭の計影盈たず縮まず正中の法花なり・午時と云へる心か、其の故は日聖蓮人・生死共に法華経なり生れ出させ給てける壬午の年も毎に自ら是の念を作す何を以て衆生をして無上道に入るを得・速に仏身を成就せしめんと、六十一壬午隠れさせ給ふ時も又寿量品を遊ばして御入滅あるなり、今午の時は法華の時・午の時・日に一度・天に影をうつすと遊ばすか。

十三、聖人御遷化の事
無明即明なり・其の所謂は十二因縁に於いて本法・流転・還滅の三重の十二因縁法門之れ有り。
脱益の十二因縁四諦本迹・経に無明乃至老死云云苦集滅は迹・道は本なり。
下種十二因縁并に四諦本迹・日蓮は応仏所説の十二因縁を迹と定め・久遠報仏所説の十二因縁を本と定るなり。
本法の体より流転の十二因縁を表して出で給へり、されば弘長元五月十二日・文永八年九月十二日の難に値ひ給ふは十二因縁が還滅するなり、其の時は尤も十二日にて御座すべきなり、されば一処の御書に日蓮は去る文永八年九月十二日に頚を切られ畢んぬ魂魄比島に来ると云云、さるほどに十二日に又御入滅有るべしといへとも無明即明を本とするなり十二日は明なり・十三日は無明なり、名字即仏の無明即明と信を取るべきなり。

十四、中間八難の事
方便品に云はく諸仏出世を興す懸遠にして値遇する難し・仏の出世の難きなり、所以に人寿六万歳の時は倶留孫仏出世し・四万歳の時は拘那含仏出で・二万歳の時は迦葉仏出で・百歳の時は釈迦仏出で給ひて・増劫八万歳の時・弥勒仏出世すべし、されば中間なる故に八難処と云へるなり、減劫の今・定命五十七歳なり・此の時は悪人弥を多く増上慢盛しに闘諍堅固・白法隠沒の時なり、無仏の世と云つて入滅又は他方無縁の仏菩薩に憑みをかくる計りなり、当家には若遇余仏の日蓮聖人・本門の教主釈尊にて凡夫の極悪不善なるに凡師下種有るに依つて・我れ等衆生の眼には色・三千の曼荼羅を拝し奉り・耳には声・仏事を為すの言を聞き・鼻には梵音声の出せる牛頭梅檀の香をかぎ・舌には題目を唱へ・身には事相の五輪を観し・心には受持を念ず、然れば則持仏身の我れ等なり・此の仏に値ひ奉り、惣ては爾前四十余年・迹門十四品並に迹中の本の中にも第一番の成道を遂げさせ給ひて以来は更に以つて無きなり。
脱迹付属本迹・脱益迹化付属は中間大通を本とし今日初住の終を迹とするなり、受る正法は本・持つ方は迹なり。

本門付属本迹、久遠名字の時受る所の妙法は本・上行等は迹なり、久遠元初の結要付属と日蓮・今日寿量付属するとは同意なり。
正使ひ世に出るも是の法を説く復難し仏説是難きなり、大通智勝仏は十劫道場に坐し請を受けて黙然と坐す、多宝仏亦開三を得て顕実を得ず云云、須扇多仏は全く説法せず云云、但し多宝・須扇は共に全く説法せざるなり、其の故は円教を説かざる方を全不説法とは云へるなり、譬へば閻浮提に満つる金・銀・瑠璃亦は之れを訓導する方をも仏法に非ず円に非る故に云云、然るに今は聖人御出現在して未弘の首題を唱え給ふに名字の五種の修行漫々たり・追て下に書くべきなり。

無量無数劫・聞是法亦難、師の講を聞くこと難きなり・仏出世有れば純熟の機情あり其の機性の為に説法すと云へども聞く事難きなり、是法華経無量国中云云・取分け法を聞いて歓喜し讃し乃至一言を発する則ち已に一切三世の仏を供養すと為す云云、但我れ等・当相の凡夫は自嘆あり・法花の功能を説かずとも十信初随喜の信の所肝要なり・除諸菩薩衆・信力堅固者云云、七重の不知・三重の校量の及はざる内証までも知るべき初信の我れ等なり、是れ則ち時機相応に依つて聖人の御出世に因る故なり・幸いなるかな、仏若し説かずんは弥勒尚闇く・能く法花を説く是れ持戒と名づくるなり、能く是の法を聴くことは此の人亦復難し文、伝訳難きなり、此の伝訳とは五十展転の様に伝ふる事希有なり、夫れ聖人御出世の妙法蓮華経をば初長る人難かりけり、夫れとは信なり、仏説に依憑して口伝を信ずる莫れ文、是の法は甚ぐ深奥にして能く信ずる者有る少し文、聞いて信ずる人の無き事なり。

今当宗と号する人々の中には題目の正義を失うて広の五種の行に就いて釈迦も多宝の証成と云云、上行付属・惣付属にも無き事は●施に依つて仏法を売る商僧なり・檀那は買客なり、計会の人の叶ひ難き事なれば長者の万燈より貧女が一燈も破れ・一香一花も入らざるなり、当家の弥貴く殊勝なるは・化儀抄に云はく仰せに云はく人の志を仏聖人に取り次ぎ申さん心中大切なり、一紙半銭も百貫千貫も多少共に志の顕し物なり、顕はす所の志は全く替るべからず、爾る間・同等に多少軽重の志を取り次き申すべし、若し軽重の心中あらば必ず三途に堕在すべきなりと、当世の法花宗・此の旨を知らず・宗の修行を抛げすて・或ひは広の読誦・或ひは広の書写・解説は横の談義・受持は身業になすなり、此れ等は争でか日蓮法華宗ならんや、信受する者亦難きなり・信者の大切なるなり、他人は八難処と云へども広宣流布すべき故に仏法の流布は東方小国有り唯大乗の種性有り文能く々く信を取るべきなり。

十五、多諸患難の事
譬喩品に云はく深く世楽に著し慧心有ること無し三界安きこと無く猶火宅の如し衆苦充満して甚怖畏すべし常に生老・病死・憂患有り文、釈して云はく三界の長途は万行を以つて資糧となし・生死の広海には智慧を以つて船筏となす、経に云はく諸仏の智慧は甚深無量なり其の智慧の門は難解難入なり文・誠に迹門の智慧は難信難解なり、既に己弘の智慧なる故に是故に智有らん者此の功徳利を聞き文・此の智慧は信智なり・本門の智なるが故なり、八万聖教を知ると●も後世を知らざるは無智・一字を知らざるも後世を知るは有智なり云云。

新池書に云はく智慧に於いても正智あり・邪智あり智恵ありとも其邪義には随ふべからず・貴僧高僧にはよるべからず、何に賤者なりとも此の経の謂しを知りたらん者をば生身の如来の如くに礼拝恭敬すべし・是れ経文なり、されば伝教大師は無智破戒の男女等も此の経を信ぜん者は小乗二百五十戒の僧の末座もすべからず・況や大乗此経の僧をやとこそ遊ばされたり取意今生身の如来の如く見えたる極楽寺の良観房よりも・此の経を信ぜん男女は座席をば高く居よとこそ候へ。

私に云はく正智邪智の事は四重の興廃を以つて知るべきなり、迹門も本門に対すれば邪智なり、観心抄に一品二半の外は小乗教・邪見教・未得道教・覆蔵教と云云。
一貞慶上人発心観念の文
昨日も徒に暮らし臥して多く夢を見る、今夜空しく曙けんとす起きて何事をか営む、無常の虎の声は耳に近けれども覚めず、雪山の鳥鳴くも巣を出づれば速に忘れぬ、命は水の上の泡の風に随つて廻るが如く、神ひは籠中の鳥開くを待つて去るに同し、消る者は再び見えず去る者は重ねて来らず、須臾に生滅し刹那に離散す、重病身に在るも助つて生きんと欲ひ、頓死世に多けれども聞いて驚くこと無し、兼ねて知らざる者は死期なり、今日も何ぞ必ず其の日ならざらん、自ら悟らざる者は病相なり我が身争でか其の事を弁ふを得ん、罪は悟らず積もる時は覚えず遷る、惜めしきかな釈迦大師の慇懃の教を忘れ、悲しいかな閻魔法王の呵責の詞を聞かんことを、名利・身を助くれどもだ北芒の骸を養なはず、恩愛・心を悩ませども誰か黄泉の魄に随はん、之れが為に馳走しては幾はくの利を得る所、之れが為に追求しては造る所の罪多し、目を塞いて往事を思へば喜恨皆空し、指を折つて故人を計れば親疎多く隠れたり、昔し其の事に臨みし日は哀楽の思ひ肝に銘じ、古へ其の人に向ひし時は貴賤の傷み嗟かし、三界無安猶如火宅、王宮も是れ三界の家なり、常有生老病死憂患、天仙も猶四苦の身り、況や下賤貧道の報に於いてをや、況や老病憂悲の質に於いてをや、其れを愛して楽むべきか其れを惜んで保つべきか。
私に云はく多諸患難の具なる文なり能く々く見るべし。

一、患の字の事●いたつき●うれたけ
さくら花思ひつく身のあぢきなさ身にいたつきのいるもしらずて、意は月明に入つて月を求め花山に入つて華を求むる月の光り白く華の姿は面白に見なさずして、月は西に傾き華は落華すと見て親しむべきなり。
美花を見て本尊を念せず蓋し是れ不修の甚きなり、涼風を聞いて肉身を観せず、復れ是れ観行の闕けたるなり、穴憂の世間や一身を何処に隠くさん骸は蓬が本に暴らし神ひは●魔の前に訴ふ。
葎生ひて荒れたる宿のうれたけに・かりにも鬼のすたくなりけり、むぐらの生いては通人もなければ藜●深く●して人目稀なるを云ふなり、鬼のすだくと云ふは女の住めるを云ふなり、虫の壁に住むをもすだくと云へるなり、蟄居する事は八月廿一日蟄る虫始めて●は正月六日なり、又は秋虫の北露になくもすだくと云ふ説もあるなり、北は寒き方なれば寒の来るに虫のなくなり、身三・口四・意三の十業・四苦・八苦・以仏教門出三界苦・思ふべきなり。

十六、唯我一人の事
十二遊経に云はく天上天下唯我れ独り尊し三界は皆苦なり我れ当に之を安ずべし文、大宝積経に云はく生死険難の悪道に往来する愚癡・無智・常盲・無目・誰か能く導し誰か能く救護せん唯我れ一人応に示すべし応に救ふべし文、法華経に云はく唯我れ一人能く救護を為す文、涅槃経に云はく我れ等今より親無く主無く救無く護無し文、涅槃疏に云はく一体の仏主師親と作る文、小乗・権大乗・法花・涅槃一徹して釈迦此の土有縁の三徳の大導師・東西南北・四維上下の十方の諸仏綺を止め給へるなり、弥陀の四十八願にも漏れ薬師の十二の願巧にもはづれたるを只一仏して救護し玉ふなり、涅槃経の事は純陀等の十五人の同声悲の言なり、悲花経に云はく(一百十三願)我れ来世穢悪土中に於て則ち十方浄土擯出の衆生を集め我れ当に之を安ずべし文、又云はく十四我れ無始より已来積集諸大善根・一分我が身に留めず悉く十方の衆生に施与す文・与楽の御慈悲なり、又云はく十五十方界の諸の衆生・無始以来造作する所の極重五無間等の諸罪合して我れ一人の罪と為し大地獄の中に入り大悲代て苦を受く文抜苦なり、私に云はく悲花経の五百の大願の中・百十三・四・五に見えたり、十方の浄土より棄捐の衆生は娑婆界に集まる衆生に抜苦与楽し給ふなり、在世の声聞衆等なり、是れは三千塵点の譬を思ふに大通仏の時・下種の退大取小する者に過去下種・中間已熟・霊山得脱せしなり、霊山の昔し五千人等・即従座起移諸天人置於他土せし輩は若遇余仏の勝釈迦・四依大士の中の上業菩薩・遺使還告の本門教主・五味の主の一切衆生の為の主なり・親なり・師匠なりと名乗り給ふ所の大聖人こそ末法の唯我一人なり、禅・念仏の諸宗の開基の人と天親・竜樹天台・伝教の未弘通の大導師なれ云云。

十七、而不信受の事
法華を信受する人・在世滅後の中に難きなり、是の法は甚深奥能く信ずる者有る少し是経を信ぜざる則ち大失と為す文、涅槃経には一二の小石の如し信受する者亦難し文、在世の機是くの如し何に況や滅後の今をや、舎●国に九億の衆生有り・三億は見仏聞法するなり・三億は出世とは聞く・三億は一向に知らず、在世たりと●も機類万差なり何に況や滅後の衆生をや、昔しの舎利弗等の族ら信ずれば一切皆当得成仏道とて人畜等まで成仏す、今も亦是くの如く信受する者必ず五体即是の事の行を成就するなり、此の事能く々く思ふべきなり。

十八、若人不信の事
若し人信ぜず当に畜生に堕すべし、天台云く此の経は遍く六道の仏種を開す若し此の経を謗れば義断に当るなり文、妙楽云く若し小善成仏を信ぜずんば文、法花は六道の仏種を開らく此の経不信の人は六道の仏種を殺す重罪なり、小善成仏を信ぜずんば即断一切世間仏種の人なり、一経の説は世間の魚・百殺す失よりも鳥を一つ殺すは重し・二足の物・百よりも四足を殺すは重し、四足よりも人を一人殺すは重く・人百人より出家を一人殺すは重し、沙門百人より仏一仏を殺すは重罪なり、法花不信の人は一切世間の仏種を断つなり、仏種を敗種する故に入阿鼻獄なり、毀仏謗法の人は乖背の故に無間地獄に入る、仏には釈迦・法には法花なり、若し仏在世及び滅度後の時は謗法は罪滅共に以つて第八の無間獄に堕在して出つる期無く、此の方の地獄の業因尽きなば他方の地獄に苦を受け他方より又他方に赴き三世常住に地獄に処すべきなり、大王の法華を謗する故に王たる無間の苦果を受くるなり、法華経を持つ人をば在世の時にてもあれ滅後の時にもあれ軽賤憎嫉而懐結恨の故に夫婦六親・主従となつて障るべきなり、此の人の罪報汝今復聴け其の人命終の時阿鼻獄に入らん也。

十九、具足一劫の事
劫とは成・住・壊・空の四劫の時を思ふに成劫とは世界建立の成立は混沌未分にして鶏の卵の如くなりけるが、澄める軽きは昇つて天と為る濁れる重きは下つて地と成り天地開闢し人民出生す、虚無の道・道一を生ず・一・二を生ず・二・三を生ず・三・万物を生ず、此の事史記に見えたり、其の後住劫つに成つて廿の増減なり増劫とは人寿八万歳なり、其れが百年に一寿を減して人寿十歳なるを減劫とは云ふなり、此の如く増減せし事は廿劫の間に釈迦の出世が第九番の減劫に当るなり、大劫とは是れなり、大乗誹謗の人は是れ程無間の獄に堕つべきなり、小劫には芥子劫は四十里の倉の内に芥子を積み満て百年に一粒を取り尽すを芥子劫と云ひ、盤石劫とは方面正等の堅石の青めなるを天人三年に一度び天下つて三銖・両の衣の袖を以つて摩で尽すを盤石劫と云ふなり。三十尋の石・十五丁三十間なり。

君か代は天の羽衣希にきてなつともつきぬ齢なりけり。
是れは盤石劫をよめるなり希にきては三年なり。
わが君は千代に八千代をさゞれ石の巌となりて苔のむすまで。
前の歌は減劫なり・此は増劫なり、さざれ石は田などの水口に浮ぶ石なり、彼の石が・いわほとなるとよめる故なり、釈迦は第九の減・人寿百歳の時に生れ出世成道し給ふ御入滅以来百年に一寿を促めて今は五十七歳なり、是れが十歳の臾になつて十歳より百年に一寿を増しもて行いて人寿八万歳の時・弥勒仏の出世有るべきなり、増減の間は壊劫も廿劫・空劫も廿劫・更に尽きる際も無きなり、具足一劫は一切劫石を取り集めたり、具足の二字を知るべきなり。
若し此の地獄の業因尽きなば他方にも行かず成仏すべきかと思へば、劫尽て更に生ず是の如く展転して無数劫に至り地獄より出で当に畜生に堕つべし文、三悪道を旋火輪の如く輪転すべきなり、更とはかわるとよむなり、暁を五更の天と云ふは五更明け行なり、人界より地獄・餓鬼・畜生・修羅と成るべきなり、かわり往く哀れなる事なり。
面影のかわらず年のつもれかし、たとひ命はかぎりありとも。
人界の面影が地獄にかわり其の面影が餓鬼畜生とかわる事大事なり。

二十、其人命終の事付本尊ら知らざる事
法華誹謗の人は何の時き地獄に堕つべきやと云はゞ臨終の時・堕獄と云ふべきなり、其人命終入阿鼻獄なり、所以に提婆も生き乍ら猶箭の如し、信心成就の人は其人命終入妙覚位なり一念信解の故に、惣じて世間の過に依つて堕獄する事は之れ無し仏法に背く人・地獄に処すべきなり、当世の法華宗は大段・本尊と血脈とを知らざれば師子身中の身に三衣を借る法盗罪の者なり、道心有らん人は身を大事に後生肝要と思はゞ是非を弁ふべきなり、八万聖教を知ると●も後生を知らざるは無智・一字を知らざるも後世を知るは有智文、法華に題目の御修行を難しとする下を見よ、若し八万四千の法蔵十二部経を持つて人の為に演説し諸聴者をして六神道を得せしむ能く是の如くすと●も亦未だ難しと為ず文、此文は念仏宗の八万諸聖教と云へるにも法華を八万聖教の外と云へる惣別有るべきなり・肝魂に入れて見案すべきなり、惣じては在世の法華経・別しては滅後の法華経なり、宝塔品は密表寿量・宝塔涌現分身の遠集是れなり、以大音声以下は首題の名字・名該一部の滅後の法華なり・未だ在世滅後の法華経を知らずは由し無き者信心薄短の者は臨終に阿鼻を現し一無間二無間乃至十百無間疑無し文、是れは法華を持つと云つて信心薄短とは聖人の御本意に背く人の事なり、信の道を初長てずんば信心薄短の者なり・其人命終を案ずべきなり、日本国には一寺より外に法華宗は更に非るなり。

二十一、法花の用否の事
凡そ法華経を用ゆる事は在世の正機も三周段に於いて得益あり・然りと●も一部読誦なんどをば許さゞるなり、成仏せる方を以つて本意と仰ぐなり、末法今は只首題弘通の時分なり、天台云はく若し責を尋れば迹広め徒に自ら疲労す・若し本を尋れば本高して極むべからず、日夜他の宝を数へて自ら半銭の分無し・但己心の高広を観じて無窮の聖応を扣くを文、像法天台の多分読誦の時すら本意を知らざる読誦なり、何に況や不軽の行儀を学ぶ所の聖人・不専読誦経典・但行題目の行者・読誦を専にすべきや、今の法華宗は法花を用ひて読誦を本意とせざるなり、昔しの人の成仏せる事を記する法花なり・他人所領の支証をよめば自ら所領をもつなり・法花も亦爾なり、以前得果の支証は末法当時の用に立たざるなり、さる時は読んで益無し此の義も尤なり、されども聖人御時遊ばす例証之れ多し。
真間の釈迦供養には・法華経一部・仏の御六根に読み入れ進せて生身の教主釈尊になしまいらせて候云云、曽谷の法蓮・慈父十三年の為に読誦し奉る法花五部、中務三郎左衛門女房・日眼女・一体三寸の仏造立云云、此れ等は経を読み仏を造る証拠分明なり・中ん就く一字一点も背く人は千万の父母を殺す失が有り云云何れも取意なり。

此れを意得るに真間の釈迦仏供養の事は仏を造り一部の読誦分明なり、聖人の御弘法にも前後有り法華宗を初めて立てんと云ふ時何を以つて師匠とすべきや、大聖権者の振舞の故に以前は先づ方便の諸教を用ふるなり、其の如く一機一縁の為の御書等有らん事・論ずべきに非ず、上行の再誕と仰せ無き時は専ら釈迦を以つて師と仰ぎ給ふべき故に御供養有るべきなり、予が外用の師と天台伝教を遊ばす故なり。

三沢抄、又法門の事は佐土の国へ流れ候し以前の法門は只仏の爾前経と思し召せ云云、法花経一部は文に悲ず義に非ず一部の意耳の意を読み給ふかと覚えたり・末法題目修行なり。
上野殿御書に云はく・今末法に入ぬれば余経も法華経も詮なし只南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出し候事は私の計ひに非ず釈迦・多宝・十方の諸仏の御計ひなり、此の南無妙法蓮華経に余事を交ればゆゝしき僻事なり、日出ぬれば灯び詮なし雨ふるに露何の詮かあらん、嬰児に乳より外の物をやしなふべきか良薬に又薬を加ふる事なし云云。

諌暁八幡抄に云はく・去る建長五年葵丑より今年弘安三年庚辰十二月に至まで廿八年が間・曽て他事なし、此の南無妙法蓮華経を一切衆生の口に入んとはげむ計りなり、是れ則ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり。
高橋抄に云はく・末法に入つては迦葉阿難等・文殊弥勒菩薩等・薬王観音等の譲られし所の小乗経・権大乗経・並に法華経は文字は有れども衆生の病の薬とはなるべからず、所謂病は重し・薬は軽し・其の時上行菩薩出現して、妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に授け給ふべし、其の時一切衆生菩薩を敵とせん、所謂る猿の犬を見るが如く鬼神の人を欺くが如し。私に云はく法花読誦して人に怨嫉せられたる人・誰かある題目・修行に依つて種々の御難あり云云。

呵責謗法滅罪抄に云はく・妙法蓮華経の五字は四十余年に之れを秘祕し給ふのみならず迹門十四品に猶是を押へさせ給ふ、寿量品にして本果本因の蓮華の二字を説き顕し給ふ・此の五字をば仏・文殊・弥勒・薬王等に付属せさせ給はず上行等の四菩薩を寂光の大地より召し出して此れを付属し給ふ、叉云はく是くの如き不思議の十神力を現して結要の付属と申して法華経の肝心を抜き出して四菩薩に譲り給ふ。

顕仏未来記に云はく・仏滅後に於いて四味三教等の邪執を捨て、○諸天善神並に地涌千界の菩薩・法華経の行者を守護し給ふ、○本門の本尊妙法蓮華経の五字を以つて閻浮提に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩○廿四字を以つて彼世に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の廿四字と此の五字と其の証殊なりと●も其意是同し、彼の像法の末と此の末法の初と時節異と●も其意之れ同し、彼の不軽薩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり。

私に云はく威音王仏・像法の不軽は不専読誦経典、釈迦の末法の日蓮は不専読誦経典・但行題目なり、爰を以て日蓮は不軽の行儀を紹継すと遊ばす云云、又本門の本尊妙法蓮華経の五字なり云云、何ぞ今始成伽耶の理仏を以つて末法今の為の本尊と為すべけんや。

治病抄に云はく・仮使ひ法華経を以て行ずれども験なし・経は勝れてましませども行者僻見の者なる故なり、法華経に於て又二経あり所謂迹門と本門となり・本迹の相違は水火天地の違目なりといへども・相似の辺も有りぬべし、所説に八教あり爾前の円と迹門の円と相似あり・爾前の仏と迹門の仏は劣応・勝応・報身・法身異なれども始成の辺は同じぞかし、今本門と迹門とは教主既に久始のかはりめ・百歳の翁と一歳の幼子の如し、弟子亦水火なり土の前後云ふばかりなし・而るに本迹を混同すれば水火を弁へざる者なり。
一代大意抄に云はく・一部八巻廿八品・六万九千三百八十四字・一々の文字の下に皆の妙の文字あるべし是れは能開なり、此の法華経は謂れを知らずして習ひ読む者は但爾前経の利益なり云云。

私に云はく法華に本迹有る事・少々他門徒にに言説すと●もも只天台修行の分斉なり、御書にも合ざる本迹なり、本迹勝劣と立てながら何ぞ不同も無く読むべけんや、文の株と申すは此等なり、専ら仏に本迹有る事は之れを知らず、劣応・勝応・報身・法身は始成の仏果なり、本門の教主と迹門の教主と・百歳と幼子の不同あり・迹門の水中の影を信じて不識天月せり、末法・火聚所成の火炎向空の上行を混合するは水火をを弁へざる者なり、只本迹一致と云ふは天台宗にも劣れる外道なり、或ひは左右の手水精の玉など云ふは当らざる者なり、一体と水火を云へるは竜火なり雷火なり。

土の前後の事は釈尊霊山にして余れは是れ十九出家の如来・卅成道の仏也と仰せ有りて法華を説き給ふ、教も理教・仏も理仏・土も理土なり二千余回の二千余回の前なり、末法は日蓮聖人・日本国に出で給ひて事仏・事土に於いて事法を示し給ふ・二千余年後なり大に以つて代るなり。

大田金吾抄に云く・末法の始の五百年には法華経の本門前後十三品を置て・只寿量品の一品を弘通すべき時なり・機法相応せり、今本門寿量品の一品像法の後の五百歳機尚堪えず・況や始の五百年をや・何に況や正法の機には迹門に尚日浅し・増して本門をや、末法に入つて爾前迹門は全く出離生死の法に非ず・但専ら本門寿量の一品に限つて出離生死の要法なり、是を以て思ふに諸仏の化道に於て偏頗等無し云云。

又云く・像法には南岳天台・南無妙法蓮華経と唱え給ひて自行の為に広く化他の為に説かず是理行の題目なり、末法に入つて・今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり、名体宗用教の五重玄の五字なり、戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に三秘密の法を持つて有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時・勅宣並に御教書を申し下して・霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべきか時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是なり、三国並に一閻浮提●悔滅罪の戒法のみならず大梵天王帝釈等も来下して踏給ふべき戒壇なり、此の戒法立つて後・延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじ。

又云く・地涌千界を上首と為て日蓮慥に教主大覚世尊より口決せし相承なり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾計りも相違無き色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。
私に云く・在世の法華を説き玉ふ時迹門は霊山の土座の御説法なり、迹門の畢りには末法の事を説き玉ふ時・末法の初二千余回後を説き玉ふなり、霊山浄土に似たらん最勝の地は南閻浮提第一の山・駿州富士郡の大日蓮華山・先師自然の名号有る山の麓・天生原に六万坊建立有るべし差図の様を付属の事。

金吾抄に云く・されば此の秘法を説かせ玉ひし儀式・四味三教並に法華経迹門十四品に異りき・所居の土は寂光本有の国土なり・能居の教主本有無作の三身なり、所化以て同体なり、かゝる砌なれば久遠称揚の本眷属上行等の四菩薩を寂光大地の底より遥遥と召出して付属し玉ふ、道●律師云く、法是久成の法に由るが故に久成の人に付す等云云。
私に云く、御書の意は仏をも作らず経をも知らずして読むべからず継子一端の寵愛なり、真実の本門顕れて後は一向に用ひざるなり。

池上御入滅の時御遺告の一巻(六人在判)御所持仏教の事。
仏は(釈迦立像)墓所の傍に立て置くべし云云
経は 注法華経と名づく
六人香花当番の時披見すべきなり、自余の聖教の事は沙汰の限に非ず、仍て御遺言に任せ記録件の如し。
弘安五年十月十六日●執筆日興
読誦無き手本なり、注法華経造仏無き事なり、墓所に立てよと云云。
釈迦供養の御書には何ぞや、大黒を供養して候し其後は世間も歎かずと云云。
御本意には非ず佐土以前は随縁機も在すなり。

法蓮抄に云はく・今法蓮上人の送る諷誦に云はく慈父聖霊・第十三年の忌辰に相当り一乗妙法蓮華経を転読し奉る五部と云云。
私に云はく読誦し奉る、読む此の品は重須大坊の御品を以つて御自筆写交し畢ぬ、下山の三位阿闍梨日順の本を以つて明徳二年九月廿二日・日順御自筆を以つて澄師遺跡日伝より許され奉り重須に於いて写交し了る、越後房日東。
当門流には仮名の一も損ぜぬを以つて信の宗旨と定む、他門徒には推量を以つて御書を書く読誦と転読とは大にかわるなり正しき一部読誦とは見えざるなり、此の文は十三丁めにあり。
又云く、法花の自我偈を持つ人を怨せんは三世の諸仏を敵とするになるまじきか、法花経の文字は皆生身の仏なり、我等肉眼の目なれば文字とは見るなり、譬ば餓鬼は恒河の水を火と見・人は水と見・天は甘露と見る・水は一なれども果報に随つて所見不同なり、此の法花経の文字は盲眼の者は是を見ず・肉眼は黒色と見・二乗は虚空と見・菩薩は種々色と見る・仏種純熟せる人は仏と見奉るなり、されば経文に云く若有能持則持仏身等云云、天台云く、稽首妙法蓮華経・一帙八軸・四七品・六万九千三八四・一々文々・是真仏々々説法利衆生等と書れて候、之を以て之を案ずるに法蓮法師・毎朝の口より金色の文字出現す、此文字の数は五百十字なり、一々の文字変じて日輪となる・日輪変じて釈迦如来と成り給ふ・大光明を放つて大地をつきとをし・三悪無間を照す乃至東西南北・上方に向つて非相・非々相へものぼり・いかなる所にも過去聖霊の御座すらん所まで尋ね行き給ひて語り給ふべし、我をば誰とか思ひ給ふ、我こそ汝が子息・法蓮法師が毎朝に誦む所の法花経の自我偈の文字なれ。

私に云く、廿三丁目なり、前に遺竜鳥竜・八々六十四の外題書写の様を遊ばし自我偈の一々文字をば御讃歎有れども五部読誦の事を御称歎はなかりけり、然るを一部読誦の誠証に引き用うる事御書に私筆を加ると覚えたり。
又云く、夫法華経は一代聖教の骨髄自我偈は又二十八品の魂魄なり、三世の諸仏は寿量品を命とし・十方の菩薩も自我偈を眼目とし玉へり、自我偈の功徳は私に申すべからず、次下の分別功徳品に載せられたり、此の自我偈を聴聞して仏に成りたる人々の数を挙げて候には・小千大千・三千世界の微塵の数をこそ出して候へ、其上薬王品已下の六品の得道の者も自我偈の余残なり、涅槃経四十巻に集り候し五十二類・自我偈の功得をこそ仏重ねて説かせ給ひしか。

又云く、彼の諷誦に云く、慈父閉眼の朝より第十三年の忌辰に至り・釈迦如来の御前に於て自ら自我偈一巻を読誦し奉り聖霊に廻向す等云云。
私に云く、法華経五部転読の事をば指して御讃歎無く・自我偈の功徳は末代の聖人の迹門たるに依つて御称歎あるなり、只故無く法花経を読誦せむは聖人の御本意題目の修行を別けて蔑如する重罪・布施の軽重を心にかけば法華宗にてはなかりけり。
又云く、五種法師の中に書写は最下の功徳なり、何況や読誦の功徳は無量無辺なり、今施主の十三年の間毎日に読誦し給ふ功徳・唯仏と仏の乃能究尽なるべし。

私に云く、八々六十四の題目を書ける事をあそばし下しての御言なり。
又云く、されば初寂滅道場に十方世界微塵数の大菩薩・天人等の雲の如くに集つて候し大集大品の諸聖・大日経・金剛頂経等の千二百余尊も実の仏ならば・過去法華の力に非ずや、信心弱くして三五の塵点を経しかども此の度・釈迦仏に値ひ奉つて法華経の功徳進む故に・今日霊山を待たずして爾前の経々を縁として得道なると見えたり、されば十方三世の諸仏は自我偈を師として成仏し給ふ・世間の人の父母の如し、今法華経を持つ人は又諸仏の寿命を読ぐ人に非ずや、我が得道なりし経を持つ人を捨て給ふ仏ましますべしや、若し此を捨て給はゞ仏還つて我身を抛ち給ふなるべし、是等を以て思ふに田村利仁なんどの様なる兵三千人生みたらん女人あるべし、此の人をかたきとせん人は三千人の将軍を敵にうくるに有らざるべしや。
私に云く、在々所々に迹門無得道と書いて候は予が読む所の迹には非ず天台過時の迹を破して候なり云云、此の寿量品は聖人の迹門なり・文在迹門義在本門・迹門無益本門有益云云。

法蓮抄に云く、而るに日蓮が一類・何なる過去の宿習にや、法華経の題目の檀那と成りぬ、此を以て覚し食せ今梵天・帝釈・日月・四天・天照太神・八幡大菩薩・日本国の三千一百三十二社の大小の神祇は彼の過去の輪陀王の如し、白馬とは日蓮なり・白鳥は我等が一門なり、白鳥の鳴くは我等・南無妙法蓮華経と唱うる音なり、聞かせ給ふ梵天・帝釈・日月四天等・何か色を増し目を開き力を成し給はざるべきか、何んが我等を守護し給はざるべきと心強く覚し食すべし。
一、日眼女の一体三寸の仏、造立の事は脇士無き故は継子一端の寵愛なり、縦ひ脇士有りと●も治病抄の如んば始成の仏果なり、上行等の四菩薩在りと●も只始成新成の仏と意得べきなり。
一、一字一点も背かん人は千万の父母を殺す云云。此の事能く能く意得べし、何と修行するが背かざるや、既に数通の御書に首題肝要の義を遊す背く人をば法華の行者とは云ひ難きなり、由無き一部読誦をなす人は法華経を知らずして背きはてたるなり。
一、月水抄に云く、予が愚身を以て近来世間を見るに多くは在家出家謗法の者のみ有り、但し御不審の事・法華経は何の品も前に申しつる様に・おろかならねども殊に廿八品の中に勝れて目出度は方便品と寿量品にて侍り・余品は皆枝葉にて候なり、されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ読ませ給へ、又別に書き出しても・あそばし候べく候、余の廿六品は身に影の随ひ玉に宝の備るが如く・寿量品と方便品を読み候へば自然に余品は読み候はねども備はり候なり、薬王品・提婆品は女人の成仏往生を説かれて候品にて候へども・提婆品は方便品の枝葉・薬王品は寿量品の流通にて候、されば常には此の方便品寿量品の二品をあそばして余品をば時々御いとまのひまにあそばし候べく候。
建治元年(太歳甲戌)十二月十一日。

一、十章抄に云く、真実の依義判文は本門に限る、されば円の行区なり、沙をかぞへ大海をみる猶円の行なり、何に況や爾前の経をよみ弥陀等の諸仏の名号を唱えんをや、但し此れ等は時々の行なるべし・真実に円の行に順じ常に口ずさみすべき事は南無妙法蓮華経なり、心に存すべき事は一念三千の観法なり、是は智者の解行なり、日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経を唱へさすべし、名は必ず体に至る徳有り。

私に云く、智者の解行は観行相似なり、其時畢つて末法の名字・理即の信は首題計の修行なり、されば。
一、下山抄に云く、世尊眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に法華経迹門の半分を譲り給ふ、是れ又地涌の大菩薩・末法の初に出現せさせ給ひて・本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給ふべき先序の為なり、所謂る、南岳・天台・妙楽・伝教等・是なり、今の時は世すでに上行菩薩等の出現の時刻に相当れり。
又云く、実には釈迦・多宝・十方の諸仏寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめん為に出し給ふ広長舌なり・我等と釈迦仏と同じほどの仏と思ふ事なかれ、釈迦仏は天月の如し・我等は水中の影の月なり、釈迦仏の本土は娑婆の世界なり、天月動き給はずば・我等もうつるべからず、此の土に住して法華経の行者を守護せん事・臣下が主上を仰ぎ奉るが如し、父母の一子を愛するが如くならんと出し給ふ舌なり。

私に云く、釈に云く教弥権位弥高・教弥実位弥下れり云云、迹門は本門より位高きなり又釈尊は天月云云、是も一仏出世の仏なれば上行菩薩に対すれば水中の月なり、其の故は世々番々の往来・娑婆八千反の故なり、御書両筒に相たる時・一部読誦・造仏の御書は少く・題目に限る御書は数帖あり、但強いては像法と末法と本門と迹門と已弘と未弘と本仏と迹仏と広略と要法と相応と不相応と上機と下機と観行と名字と不同を能く能く意得べきなり、只一我意なるべからず云云。

編者附記して云く此の正本内表紙(一丁目)に
「類聚翰集私」と本師即ち左京阿闍梨日教の筆にて題せり、同丁左下に斜に「日叶ヨリ。相伝。日因」とあり、日叶は本師の前名にして日因の行実は不明なり。
又内表紙(二丁目)に
「長享弐年六月十日上州上法寺に於て之を進す私に候間他見有るべからず候、刑部殿ニハ御授モ候ハバ悦喜申ベク候。左京」とあり、京字より斜に焼失すれども入文と同筆なるを以つて日叶の左京日教なるを知る、入文焼失の多丁は主師の補筆あれども表紙に及ばず、但し当時転写本ありと見ゆ、今は天和二年の嘉伝日悦の写本あるのみ。
又末丁に理鏡日典より相伝・日主判」とあり、主師は本山十四世なり外にも主師の記入あるを以つて曽つて此本を主師筆と認めたる先師あり、日叶と日什(顕本宗祖)とを混視したる人あり、或は単に法則抄として著者不明としたるあり、左京日教の発見は全く愚僧の丹誠に成る。
本書再治を経ざるの稿本誤脱多し或は引用の原本に照らし嘉伝写本に校して延べ書に訳して易読を謀りたれども一二難読の所無きにあらず。昭和十年十月十日日亨識す。


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