富士宗学要集第二巻
用 心 抄
日順記
富士上人・常の談に外を引いて曰はく政を布くことは才を以てし・世を治むることは賢を以てすと・此の言実なるかな、化他門の時は学を以つて先と為し・自行に入るの日は行に依つて道を進む・賢才宜きを得て行学時に適ふ、但し有才の族は賢を存し・正見の士は智遍ねし、修学の人は観朗にして・思惟の侶は慧明かなり、当に知るべし・賢才体同く行学二無し、裏と成り面と為るは一往の分別なるのみ、唯賢唯才・尚失を招く、彼の阮籍が如き蓬頭散帯等なり、何かに況や不当不善の俗衆をや、偏学偏観・良に実に迷へり、所謂る文字・暗証の両師なり、何に況や無智無行の僧侶をや、賢才共期の忠臣を賞しては・国土安寧の世理を鑒み、法華学行の実人を撰みては、末法救護の軏範を定めんには如かず。行に且らく上中下の三種有り、思惟実相を上と為し、香華誦経を中と為し、採菓拾薪を下と為す、智も亦広略要の三根を分つ、多聞兼学を広と為し、能演妙義を略と為し、唯唱一句を要と為す、行者の入門各別なりと雖も所得の家業是れ同じ、五濁乱漫の時節は一句拾薪相応せり。
問ふて云はく仏日西に入りて法水東に流れ・賢聖隠ると雖も慧命未だ絶へず、正像の弘通は金口の明説・末法の教訓は写瓶の相伝なり、禅・律・念仏・鼻を並べ彼此引導して群を迷はし、天台真言は眉を開く、是れ学行の実人に非ずや、答へて云はく、一代五時の教主釈尊は忝くも浄飯王宮の太子・三十成道の如来なり、発起影嚮の所化の弟子は亦諦縁明了の二乗・六度満足の菩薩なり、之を論ずるに能へず、正法の代には迦葉等の已下の二十四人を以つて月氏天竺の尊者と崇め、像法の時には薬王後身の天台伝教を抽んでて、和漢両国の大師と仰く、今末法に入つて二百余年・闘諍堅固の時代には・人多く弊悪の機根なり、賢才早く遠離し白法漸く隠沒し、三学共に闕減して五欲倍す強盛なり、持戒と号する禅律の僧侶殆んど猟師の袈裟を著るが如し、其の上・僣聖は高慢の魔賊なり、智者と称せる南北衆徒は大慢婆羅門に異ならず、是又道門増上の怨敵なり、国主自ら真言を行じて既に亡国の現証を顕はし、世人専ら念仏を修して併ら無間の業因を招くものなり、
所以に異城の善導は法華を以つて千中無一と謗し、我朝の法然は此の経を損して捨閉閣抛と毀る毀謗此経入阿鼻獄は八軸一二の明文なり、弥陀称名の僧俗貴賤は豈導然の弟子に非ざらんや、経に云はく当来世悪人聞仏説一乗・迷惑不信受破法堕悪道と文、又云はく若人不信毀謗此経○其人命終入阿鼻獄文、伝教云はく其の師の堕つる所・弟子亦た堕つ・弟子の堕つる所・檀那亦堕つ文、縦令徳行は迦葉・竜樹に並び定慧は天台・伝教に准じて爾前迹門を弘むとも今の時に当つて不可なり、正像稍過ぎ已つて機法乖背す、故に経に云はく正直捨方便但説無上道文、又云はく止善男子不須汝等文、天台云はく宣授せんと欲すと雖ども必ず巨益無けん、又若し之を許さば則ち下を召すことを得ず、下若し来らずんば迹破するを得ず遠顕はすを得ず文。
問ふて云はく、正像二千年の高祖の弘法は皆以て時過ぐ、当世諸宗の人師を崇重する此れ亦堕獄ならば何れの人法を敬信して現当の二世を祈らんや、答へて云はく、経に云はく、一大事因縁、又云はく世を挙つて信ぜざる所文、然りと雖ども試に一端を示して信謗の結縁とせん、人は上行・後身の日蓮聖人なり、法は寿量品の肝心たる五字の題目なり。問ふて云はく始めて聴いて耳を驚かす明拠如何、答へて云はく・天真独朗なり何ぞ文証を求めん・但し文理多含にして経釈顕然なり、先づ在世の化儀を案ずるに・久遠実成の如来・迹に摩耶の腹内に処し・道場菩提樹下にして衆生の性欲を思量して以来・常夜我浄の四見を破して苦空無常の三蔵経を説き、弾呵淘汰の調停に依つて耻小慕大の通別に進め・四十余年の諸経を以つて未顕真実の一句に打ち・二処三会の座席を設け多宝来臨の証明を待つ、釈に云はく・其の施権を言はば鹿苑四諦の法輪・其の開権を言はば鷲峰の三変の浄土と文。
法華に於て二経を分つて前十四品を迹門と為し後十四品を本門と為す始めに迹門を論ぜば雨吹撃演の儀式を現して爾前帯権の情熱を動かし、十如実相の妙理を宣べて三止四請の問答を遂げ、五千上慢の糟糠を除きては一実中道の円人を成し、欲令衆生の因縁を説きては開示悟入の大事を得、二乗悉く記莂に預り・九界皆仏道に入る・迹門の正意之に有り三段の分別は常の如し、釈に云はく・雨吹撃演は昔説の筌蹄を廃し、開示悟入は今経の魚兎を得、法師の况滅度後・宝塔の六難九易、勧持の三類の強敵・安楽の悪世末法、面は迹門流通に在れども実には本門の遠序たり、釈に云はく、密に寿量を表す文。
亦た本門を談ぜば過八恒沙の望請を止めて不須汝等の仏勅を揚げ・下方湧出の大士を召して真浄大法の秘要を授く、補処の弥勒一人をも識らず・余残の菩薩争でか六万を弁ぜん、父少子老の経文・動執生疑の譬喩、釈に云はく・本極法身微妙深遠・仏若し説かずんば弥勒尚ほ暗しと文、寿量に至つて正しく如来は誠諦之語の四誡を告げて五百塵点の実成を明し、菩薩唯願説之の三請に酬へて払迹顕本の久遠を知る、已に擣簁和合の良薬を服して皆三毒の病を除き、直に如実知見の妙法を聴きて速に本仏の身を成す、釈に云はく・衆聖の権巧を廃して本地の幽微を顕はす、故に増道損生し位大覚に隣る、一期の化道・事理倶に円なり文。
此の外に聞法の大利・微塵の得益・現在の四信・滅後の五品・一念随喜、五十展転・持経の勝用・六根の功徳皆な是れ寿量の勢力・本門の流通なり、釈に云はく・一代始成・四十余年豈に能く彼世界微塵数の菩薩万億の諸大声聞をして大道を悟り現に無生を獲せしめん、色声の益略ぼ称記し難し・故に知りぬ今日の逗会は昔の成熟の機に趣く文、又云はく、一念信解は是本門立行の首め文、不軽には威音王の昔を引きて弘経の大士を証し、神力には釈迦の末法を以つて上行菩薩に付す、彼は読誦を専にせず、打擲すれば高声に汝等皆行菩薩道と唱へ、此は結要の付囑を受け誹謗すれば猶強ひて南無妙法蓮華経と勧めたり、礼拝と経題と殊なりと雖も、此経は大人を宣示するなり、杖木と罵詈と是れ同し信伏随従豈に然らざらんや。
編者曰く此下原漢文三千一百余字を削除す経釈の引文・読者に親しからざればなり。
伝教云はく・万法は是れ真如なり不変に由るが故に、真如は是れ万法・随縁に由るが故に文、又云はく・有為の報仏は夢中の権果・無作の三身は覚前の実仏、安然云はく・夫れ一句の法門は永劫種と為る・如し実乗に非ずんば恐くば自他を欺かん、偏円を撰ばざれば終に直往の機をして歴劫の途に迂せしむ、慧心云はく・日本一州円機純一・朝野遠近同く一乗に帰し・緇素貴賤悉く成仏を期す已上、経釈の助証添削は賢に譲る。
抑久遠の如来は・首題を上行菩薩に付囑し、日蓮聖人の法門は・日興上人に紹継し・紹継の法躰は日澄和尚類聚す、類聚興顕して師に先立つて没す、上人常に誓願して曰はく、先聖に逢値する五老すら猶謬誤有り・早世以来の弟子定めて非義を懐かん、自今已後・聖人著述の書釈に任せ・久く法光を曜し・澄師所撰の要文を守りて宜しく宗旨を興すべし、法華に皆な進む時来り・本門寺の立つの期至らば・澄公の跡を以つて大学頭に補せよと云云、貴命実に憑み有り・言ふ所豈に唐損ならんや。
然るに日順八歳の幼稚の昔より四十有余の今に至るまで、鎮に一乗を学んで自然に聖教を伝授す、若くして両師に仕へて任運に本尊を感得せり、爰に元徳第一仲春の比・眼目病ひ有り身体るが如し、悲ひかな過去の誹謗今眼前に顕はれ、痛ひかな在世の行学・面目を失ふに似たり、仍つて師辺の案内を啓し、大沢に蟄居すと雖も鶴林の遺訓を恐れて富山の交衆を致す、兼ねて先師澄公の跡を尋求するに・衆中に未だ本尊所伝の法器有らず、法器とは正直信心の上に行学双備の仁なり、伏して以みるに・大聖富山二代の門家・面面の異議今に絶へず、定めて知んぬ一は是・余は非なることを、宣なるかな経に四難を説く、然れば則和尚の旧位に居して本尊聖教を伝持せんと欲す、親疎高下を論ぜず須く行学の二道を嗜むべし、無智にして邪正分ち難く・無行にして利を得ること如何、但し五濁転た鈍にして二徳の人希なり、若くば智・若くば行・一を存せば之を伝ふべし、
大論に云はく・智有つて行無きを国師と為し・智無くして行有るを国用と為し・智有り行有るを国宝と為し・智無く行無きを国賊と為す云云、近日諸方を見聞するに・或は弟子の名言を以て器に非ざるに聖教を授け、或は有縁の親類を哀んで不信に本尊を渡す、只仏法破壊のみに非ず・師迹の滅亡を招くものか、此の門跡に於ては・縦令ひ親子弟子の芳契有りと雖ども、行学を謝遣せば敢て之れを伝ふること勿れ、若し年来有志の憐愍を哀納せば世物を譲与せよ更に制の限に非ず、一門の僧徒是れ闕如に及ばば正信の俗衆且く之れを安置して、後来の抜群を捜り・択んで相承せしむべし、然らずんば又富山末学の中・道心求法の人・行学の二徳を具し慇懃の誓文を捧げ、澄師の余流と号し伝灯の所望を致さば是れ恡惜に能へず、速に授与せしむべし、妄りに巧言の説に耽けり楚忽に渡すべからず。
所以は何ん・八十万億の迹化・不惜身命の願を立て本門の流布を募ると雖ども、未だ如来の詔旨を宣べず、過八恒沙の菩薩・若聴我等の請を出して此の土の弘経を申すに付いて、止善男子と制禁し玉ふ、天台大師は前三後三の六義の釈を成す、是を以て知ることを得・其の弟子に非ざれば此の法を伝ふること無きことを。
編者曰はく此下原漢文千八百余字を削除す。
凡そ成仏得道の一段は上に挙ぐる所の如し、文理は唯正信の在無に任す、都べて行学に依るべからず、今の所論は師範の高位に処して本尊聖教を伝へて修するに非ず学するに非ざるは・是れ無慙無愧の至りなり、且く此の一機に対す諸人に亘るべからず、夫れ菩薩の用心は慈悲を先と為し利他を本と為す、之れに依つて三代の祖承を視聴するに・各々四弘誓願を備ふ、五戒を受けずと雖も戒香内に薫じ、五度を制止するに似れども度徳外に願はる、定て聖賢値遇の男女は向後以来の凡師を軽んぜんか。
謹んで伝教大師の灯明記を披くに・八種の譬喩を挙げ・末法に名字の法師を出だす、法主聖人の五品鈔を見るに三学の廃立を明して、今の時は信を以つて慧に代へよと云云、所以に富貴の人は錦繍を以つて身に纏ひ、貧賤の輩は紙布を求めて膚を隠す、全く紙布を賞するにあらず錦繍得難きに有り、在世には世尊に値ひて開悟す・滅後は賢聖を以つて師と為す、世尊賢聖遠離して今几侶を謝すれば誰に向つて法を問はん、在家は若し賢聖を引いて凡師を難し・僧衆は又須達を証として不供を破す、倶に仏意に違し正義に非ず、経に云はく、不須為我復起塔寺及作僧坊以四事供養衆僧、又云はく而不毀呰起随喜心文、天台の云はく・上聖大人皆其の法を求めて其の人を取らず雪山は鬼に従つて偈を請ひ・天帝は蓄を拝して師と為すと、大論に云はく・襄臭きを以つて其の金を棄てずと、伝教云はく・若し夫れ大明は石より出で・深緑は藍より生ず、涓集つて海と成り塵積つて岳と為る、其の道求むべく其の人を撰ばず、其の才取るべく其の形を論ぜされと。
所詮如来の金言・経論の明鏡・大師の解釈・聖人の秀発兼日の聴聞宛も符契の如し、広宣流布今正に是れ其の時なり富山の下流・澄師の遺跡・僧尼男女・貴賤上下・一味同心に本門を仰がば現世安穏後生善処ならんのみ。
時に建武第三太歳丙子仲冬二十四日、甲州下山大沢の草庵に於いて・且は令法久住の為め・且は門徒の繁昌を念ひ智目闇き上に肉眼盲たりと雖も、愚案を廻らす大概ね件の如し。
本山所蔵の用心抄心底抄合本の首に。
「(用心抄心底抄) 日眼 相伝南条日住之」
とあり日眼写本を日住が相伝せるなり、心底抄の識語と併せ見るべし、尚本山精師俊師の写本に依り校合す、日眼本頗る完美ならす難読なり後賢更に之を訂せよ。
大正九年五月廿九日 雪仙日亨伴
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