富士宗学要集第二巻
本 門 心 底 抄
竊に以みれば、鹿苑施権の春の華は・且らく四十余年の樹下に薫じ、鷲峰円満の秋の月は・普く二処三会の大虚を照す、倩如来出世の元意を尋ぬるに法華真実の妙理を顕はすに有り、閑に上行付嘱の根源を案ずるに濁世末代の迷徒を度せんが為めなり、一代五味儀式の濃淡は今更に記述するに遑あらず、三時四依の弘経の次第は管見の旨意趣を録すべし、世尊の本懐は霊山に窮まり・涅槃の奇瑞は雙林に帰してより以来、正法千年の流通の人法は互いに小権なり、像法千年の宣布の人法は又迹門なり、末法万年の弘経の人法は既に久成なり、能持の人々・機を鍳みて教訓し所持の法法・時に随て授与す、小権迹本浅深勝劣苑も経説の如し、在世滅後の施開廃等具に解釈に載す、伏して惟るに正像稍過き已て末法太だ今に有り、権迹倶に停止して本門宜しく信受すべし、所謂る従地涌出の下方の大士・神力別付の上行応化の日蓮聖人・宣示顕説の妙法蓮華経の五字是れなり。 問ふて云はく・法華一部の所立の体たらく、諸宗の破失を面に備へ・道俗唱題を正と為す、素意此の限つて深義応に無かるべしや、答へて云はく・大旨然るが如し・但し亦重有り、本門の本尊と本門の戒壇となり、経題の流布は仏駄の嘱累・所図の本尊は聖人の己証なり、貴賤上下悉く本尊を礼し利鈍男女同じく経題を唱へ、無始の罪障消滅して即身成仏決定するなり。 問ふて云はく・言ふ所尊貴に似たり経論に証拠有りや、答へて云はく・証とは久成の実証兼ねて亦秀発の内証・拠とは神力の明拠総じては一部の文拠なり。 示して云はく・文拠を借りて実証に符ふべし、実証を閣いて文拠を求むること莫れ、故に章安の云はく・経論の誠言を以つて此の深妙に符ふ云云、但し和漢の大師・法主聖人・専ら経論を引いて盛に実義を成す、此れは是れ天真独朗の開悟なれば自然に修多羅に合す、其の上・人情に与同して己証を扶助すと意得べし、穴賢未了の機に向つて口外すべからざる深意なり。 問ふて云はく・常啼は東に請ひ・善財は南に求め・雪山は身を投じ・楽法は河を剥ぐ、上聖の修行皆以つて斯くの如し、略して三四を挙ぐ勝計すべからず、而して我等は羅什師の如く流沙を渡らず・玄弉の跡を逐ふて葱嶺を踰ることも無く、心三毒を招き身七支を犯す、只本尊を礼して速に衆罪を滅し、纔に五字を唱ふれば即仏身を成す・生前の喜悦此れに過ぐべからず、乞ひ願くば哀憐を垂れ功能を示し玉へ・信心を致して聴聞せんと欲す、答へて云はく是れ大事たり我れ未だ相伝せず。 ●難問して云はく若し法をして恡ましめば慳貧に堕せん。 反詰して云はく・釈尊説法の昔し四十余年の間・久しく方便を施して・未だ真実を顕はさず、汝法恡と云ふ可しや、又法華一部に於いて本迹二門を分つ、迹には十如実相の妙法を明すと雖ども、未だ五百塵点の久遠を説かず、寿量品に至つて迹情を撥らひ、此の品に於いて実本を顕はす、仏当に慳貧に堕すべしや。 反詰して云はく・疑難の処・唯願説之に非ず例せば迹門の三止四請・本門の四誡三請の如く願くば之を説き玉へ。対へて云はく・碩徳高才猶以て分絶たり何に况んや愚盲年旧り両眼弥暗し愚慮を廻らすと雖ども争でか所意を弁せん、経論の誠証を引いて尊題の妙義を証ぜんには如かず、経に云はく・爾時仏告上行等菩薩大衆為嘱累故○皆於此経宣示顕説文、又云はく、於我滅度後応受持此経・是人於仏道決定無有疑、南岳云はく・妙法蓮華経は是れ大摩訶衍・衆生教の如く行ずれば自然に仏道を成す、天台云はく・此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵なり三世如来の証得する所なり、章安云はく・序王とは経の玄意を叙す、玄意は文の心を述す・文の心は迹本に過ぎたるはなし、妙楽云はく・略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む、大聖云はく既に諸仏の本意を覚つて早く出離の大要を得たり・其れ実には妙法蓮華経是れなり、又云はく・仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内未曽有の大漫荼羅なり、朝には低頭合掌し・夕には端坐思惟し・謹んで末法弘通の大御本尊の功徳を勘ふるに、竪に十界互具現前し・横に三諦相続明白なり、所以は何ん・中央に安し奉る経題は円融の空諦なり所謂森羅の万法を以つて妙法五字に摂す、敢て闕滅せずと雖ども而も其の体を亡泯する故に・是れ仮に円融の空体を証するなり、総体所顕の十界を互具の仮体と号するなり、所以に釈迦多宝・十方分身諸仏の所在は仏界なり、上行無辺行浄行案立行等の四大士は本化の菩薩界なり、普賢文殊弥勒薬王等の諸の薩埵は迹化の菩薩界なり、迦葉阿難身子目蓮等の尊者は緑覚声聞の二乗界なり、梵王帝釈日月星宿魔王四天等は即ち天界なり、転輪聖王阿闍世王等は又人界なり、阿修羅大竜王等は次の如く修羅畜生の二界なり、鬼子母神十羅刹女等は餓鬼界の大将なり、極悪の提婆達多は地獄界の手本なり、唯不動愛染の二尊は十界収納不定なり、天照太神八幡大菩薩等の諸神は現相に就いて鬼神に摂す、加之・竜樹天親天台伝教等は正像二千年の高祖大師なり、遍ねく之れを勧請して載せざることなし此れ則ち善悪凡聖・大小権実皆悉く具足し擣簁和合の本門至極の大漫荼羅の故なればなり。 貴いかな・上仏界より下地獄に至るまで一界互に九界を具すれば則百界となる。百界に皆十如有り呼ばはつて百界千如と云ふ、三世間を加ふれば束ねて三千の法門を開す、故に是れを仮に十界互具と号するなり、委細は解釈の如し、止観を披ひて見るべし、但し彼の止観は己心に於いて之れを観する故に理なり迹門なり・今の本尊は紙上に顕はして之れを拝する故に事なり・本門なり。円融の空諦・互具の仮諦・二法宛然として無二無別なるが故に仮りに相続の申請と名るなり、釈に云はく・即仮法を指すに即空・即中・空中二諦にして而も無二なり、又云はく・妙とは言語道断・心行所滅の妙空妙心妙智なり、法とは十界十如・因果不二の法仮、法色、法境なり、蓮華とは当体・譬喩の二義なり、経とは聖教の都名なり、当に知るべし・妙は空・法は仮なる当体を中道実相の蓮華経と証し、十界三諦の顕本を広宣流布の漫荼羅と号するなり。 然れば則ち貴賤上下・悉く本尊を礼し、利鈍男女同く首題を唱ふれば、是人於仏道決定無有疑の経文実に依怙有り、仏語仰いで信受すべし、亦た所札の本尊を境と定め、能礼の色心を智と為す、境既に智を発し智必ず境を起す、譬へば明鏡と色像との如し・鏡像円融し・凾大と蓋大と凾蓋相応するが如し、故に本尊の明鏡に向つて色心を浮ぶること明了なり凾大の妙境に応じて蓋大の妙智を感じ、境智冥合するを即身成仏と名く、理慧相離するを所迷の衆生と号するなり、復た我等十界互具の当体を移して本尊の十界互具の高貴を顕はすが故に、色心を境と為し、本尊を智と称する一義の筋之れ有るべし、所詮境智不二にして尊題互に顕し、色心融即して横堅無礙なり、堅く一途を守つて疎かに偏屈すること勿れ、当時利益の本尊経題甚深の事・大斯の如し、願くば門徒の法器を撰して密に面授相伝すべし若し外人他見に及はば還つて誹謗の邪難を加へん、努め努め偏執の族に対して心底を披露すべからざるなり。 問ふて云はく・至心に敬礼して本尊を拝見するに皆以て漢字なり、何ぞ不動愛染に限つて新たに西天の梵字を用ふるや、答へて云はく、異説有りと雖も且く一義を述べん、不動愛染の自体梵字に於いて利益有るべし、故に漢字を略して梵字を載す、例せば陀羅尼品の呪の如し、梵音を聞いて益を得べし、故に直に梵語を説いて漢語に飜せず之に准じて知るべし。 問ふて云はく・方便品と題する由緒は如何、彼品には諸法実相の妙旨を説いて開示悟入の知見を明せば当に実相品と謂ふべし、何ぞ方便品と称するや、答へて云はく・問難・理有り不審尤も然かなり、但し此の品に法用・能通・秘妙の三種の方便を釈成す、此の中・秘妙方便とは如来所証の一味平等にして権実隔て無き体内の方便なり、正法華経には善権品と号す、彼此校量するに体外の権に非ず、法用能通両種の方便卒爾に記し難し、釈に向つて明すべし云云。 示して云く・若し人・法華に帰入し当宗を興さんと欲せば・仏意機情の両辺を了知して応に自行化他の利益を成すべし、仏意に約して之れを言はば・生死煩悩・邪正偏円は諸法実相の故に是法住法位・世間相常住等と示す、即ち秘妙方便の心なり、機情に附して之れを論ずれば・頓漸・権実・大小・麁妙は種々説法の故に・正直捨方便・但説無上道等と定む是れ廃権立実の姿なり、世人弁ぜず輙く胸臆に任せ仏意を以つて機情に混し・機情を取つて仏意に同し、猥りに義勢を搆ふ故に権実雑乱し本迹泯合す・迷暗の甚しきなり、求法の輩・大小権実・本迹観心等に就いて頗る問訊せしめば、在世滅後・仏意機情の節を分つて則酬答すべし、爾らずんば徒に高声の諍論赤面無益なり、総じて八万法蔵・十二部経は仏意機情の二見を出でざるなり、此の口伝を得て諸文を料簡せば一代の教旨方寸に居せんものか、私に云はく、方便品と題するは甚深の名称なり、所謂彼の品に十如実相の妙法を弁して二乗難治の成仏を期す、爾前に対当するに専ら真実なりと雖とも、本門に准望すれば猶ほ方便を成す、久成闕減して遠寿覆蔵する故なり、是を以つて経に云はく・如来見諸衆生・楽於小法徳薄垢重者・為是人説・我少出家得○三菩提、然我実成仏・已来久遠若斯・但為方便教化衆生・令入仏道作如是説と已上、近を楽ふを以つて小法と名け、迹門を指して方便と説く、現文顕然なり誰人か之れを疑はん、依つて方便品と称する良に所以有るなり、但し師資相承未聞の私案自門一人の外・口外すべからざる密義なり。 問うて云はく・本門の戒壇と久成の木叉と両条の談講委細に聞かんと欲す、答へて云はく・月氏震旦は今暫く之れを置く、本朝の境に戒壇両処なり、南都の戒場を小乗と呼び・北嶺の戒場を大乗と称する義定既に訖りぬ、之れに付いて・叡山草創の伝教大師は薬王の後身・天台の再誕像法の転時・日域の所生・人法相倶に迹に処す、伝受戒文・亦然かなり随つて延暦寺の戒牒を見るに霊山浄土・釈迦牟尼仏を請し奉つて本師と為し、金色世界の文殊師利菩薩を請し奉りて教授阿闍梨と為し、都史多天の弥勒菩薩を請し奉りて和尚と為す云云、彼此諍ひ無く迹門の戒壇なり。 此の上に本門の戒壇建立必定なり、所以は何ん・涌出神力の明文に本化の大人を召して久成の要法を授く、故に経には・後五百歳中広宣流布・於閻浮提無令断絶と説き、釈に・当知法華真実経・於後五百歳必応流伝と明せり、加之・天台は下方を召し来る亦三義有り・是れ我が弟子応さに我が法を弘むべし・縁深広を以つて能く此の土に遍く益すべしと、道暹云はく・付嘱とは此経唯下方涌出の菩薩に付す、何を以ての故に爾る・法是れ久成の法に由るが故に久成の人に付す等と経釈符契の如し、行者既に出現し久成の定慧・広宣流布せば本門の戒壇其れ豈に立たざらんや、仏像を安置することは本尊の図の如し・戒壇の方面は地形に随ふべし、国主信伏し造立の時に至らば智臣大徳宜しく群議を成すべし、兼日の治定後難を招くあり寸尺高下注記するに能へず。 次に久成の木叉とは・一得永不失の法界不動戒なり、亦は金剛不壊戒と名づく、言ふ所の不壊不動戒とは本地甚深の奥蔵・妙法蓮華経是れなり、所以に一経分つて二十八品有るも諸品皆妙法蓮華経と題す、所説の網目差別有りと雖ども、能詮の大網同じく首題に帰す、八軸の始末開拓して見るべし、就中・宝塔品の文には多宝の塔婆現じて虚空に処し、両仏並座は譬へば日月の如く・分身来集は衆星に異ならず、真実の妙説・甚深の証明・人天交接して相見ることを得せしむ、果して後三箇の鳳詔を挙げ・六難九益已つて此経難持・若暫持者・我則歓喜・諸仏亦然・如是之人諸仏所歎・是則勇猛是則精進・是名持戒行頭陀者と云云、専ら此の経の持者を指して直ちに持戒の人と名づく、此の経と云ふは即ち是れ玄収一部の経題なり、当品は本門の遠由密序なり故に密表寿量と云ふなり、又寿量品の中に色香美味の色の字を戒と訓ず、色香美味皆悉具足の大良薬とは何物ぞ・是れ豈に上行付嘱の経題に非ずや、宝塔には持者を以つて勇猛精進・持戒頭陀の行人と説き、寿量には妙法を讃して色香美味・皆悉具足の良薬と明す、両品異なりと雖ども此の経を戒と為す・人法隔て有れども嘆徳是れ同じ、亦同品に如来秘密神通之力等と示す、秘密の二字は一身即三身名為秘・三身即一身名為密と釈成す、能化の教主已に是れ三身即一の如来なり、所説の法門寧ろ三学即一の妙戒に非ずや、又神力品に如来一切所有之法・如来一切自在神力・如来一切秘要之蔵・如来一切甚深之事・皆於此経宣示顕説と云云、一切の言内に戒独り漏脱すべけんや、当に知るべし万行万善・円満の妙法の経題は本門の大戒なり、証拠一に非ず畧して肝要を挙ぐ・已下の諸文披見して察すべし、是等は当宗の大事の秘要の奥旨なり正機に非ざるよりは千金も伝ふること勿れ。 難問して云はく・寿量神力は然るべし・宝塔品は是れ迹門なり争でか所破の迹門を引いて押しして本門戒の証に備うるや、反詰して云はく・何故ぞ天台大師四教の証拠に但小の阿含の四修多羅を引用せるや、尋ねて云はく・古今の引証不審多端なり、若し矇昧を散せば早く帰伏せんと欲す、則ち云はく、或は還借教味以顕妙円と示し、或は下文顕已通得引用と訓ゆる会釈之れ有り局情すべからず。 問ふて云はく・法華信仰の四衆の中に俗男俗女の毀讃は之れを置く、剃除鬚髪の比丘・比丘尼只妙法体具の理戒を持つて四重已下の事戒を廃すべけんや、若し此れを廃すと云はば海人猟師に異ならず、若し之れを持つと云はば応さに自語相違と謂ふべし如何、答へて云はく問ひの如く頓に本門究竟の円戒を持つて当に小権迹門の偏戒を謝すべし、既に大法を持てば大僧なり争でか海人猟師に譬へんや、汝法師不軽の現文を見て須らく信伏随従の改悔を成すべし、謗法の罪苦流長劫なり哀むべし、但し事戒の名字・其言測り難し・若し小権に所謂白四羯磨等の威儀を事戒と云はば自宗の所破に在り、総じて之れを用ふべからず、若し身口の科罪捨悪持善等の制符を事戒と云はば行者の根性に随つて用否時に依るべし、凡そ定慧を修し毘尼を持つことは成仏得道を期せん為めなり、今末法に入りて三百歳に及べり、代を五濁と名け時を闘諍を号す、小乗の二百五十・五百戒等・梵網の四十八軽・十重禁戒・所説の戒のみ有つて能持の人無し、縦ひ希に之れを受くと雖ども更に利益有ること無し、乗戒倶に時過ぎて機法不順なる故なり、何ぞ有名無実の戒品に執着して強に真浄大法の受者を蔑如せんや、細判は末法灯明記の如し、又四信五品抄等を見るべし。 私に云はく・対機説法の前には進んで爾前迹門の文辞を借りて迷情を蕩かすが如く、初心教訓の日には亦た権門方便の分域に附して且く持戒を讃するものか、然らずんば恣に四重五欲に貧着し恐らくは放逸邪見を起すべし、故に涅槃には扶律顕常と明し・法華には四安楽行を説く、是れ又摂受の施設にして全く今時の正意に非ざるのみ。 抑・日順幼稚の昔・富山に詣で忝くも両師の明訓に預る、長大の後・叡岳に上りて三講の結衆に列る、已来朝夕法華の学行を勤修し昼夜本門寺の立つことを相待つの処に、眼目已に闕けて身心亡するが如し、悲ひかな一目盲いて三七廻遠く聖教を離れて独り大沢の澗底に住す、痛いかな両眼閇ぢて十四歳・文字を見ずして徒に長夜の闇室に臥す知らず前業の所感か現生の当罸か、然りと雖ども猶ほ門家の興隆を念ふに依つて暗に案して愚意の所存を立つ、浅慮定めて謬誤有らば火に入れ水に流して永く破壊せしめ世上に残さざれ、思量其れ真実たらば木に刻し石に写し留めて後賢に贈れ倶に成仏を期せん。 時に貞和五年已丑半夏中旬の比・甲州下山・大沢草庵に於いて独住の日順・慎み敬つて憶念す。 眼師本奥書 用心抄と合本の奥に云はく 「心底抄 口口日眼判」と在り又南条日住の筆にて云はく 「宝物を以つて伝へ畢りぬ卒爾に他見あるべからず。 文明十七年三月之れを相伝す、当家随分の書と故上人常住御披見申され候なり」。 尚本山六世日時上人の御写・十八世日精上人・廿三世日悛上人写本等に依り校合す、但し日眼本最も美ならざるなり。 大正九年五月廿八日 雲仙日亨判 |