富士宗学要集第三巻

ホームへ 資料室へ 富士宗学要集目次 メール

蓮師貧賤の家に託生するこ と

問ふ、蓮祖何ぞ貧賤の家に生るゝや。
答ふ、時宣に随ふ故なり。況んや四姓出家、皆名為釈は仏家の通方なり。何ぞ之を疑ふべけんや。然りと雖も、今所問に因りて、且らく一意を示さん。

一には大慈悲を以ての故なり。諌暁八幡抄廿七十八に云く、今、日蓮は又他事無く、只南無妙法蓮華経の五字七字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。此れ即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり文。
例せば太子発誓の如し。太子伝下に云く、今此の国に於て、妙義未だ足らず、位儲と為り、門戸に到り説くを得ず。今謂く此の身命を捨て、微家に託生し、出家入道して衆生を救済する、是れ我が発誓なり云云。
沙石第一に云く、智門は高を勝と為し、悲門は下を妙と為す。短人の長と比するに短を勝とするが如し。去れば和光合塵は、諸仏の慈悲の極りなり云云、此等の文の意なり。

二には、法の妙能を顕はす故に。南条抄廿二廿八に云く、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり乃至法妙なるが故に人貴し云云。開目抄下廿五に云く、当世日本国に第一に富める者は日蓮なるべし。命は法花経に奉り名をば後代に留むべし云云。
撰時抄上九に云く、正像二千年の大王よりも後世を思はん人々は、末法の今の民にてこそあるべけれ。彼の天台の座主東寺七大寺の碩徳よりも南無妙法蓮華経と唱うる白癩の人とはなるべし等云云。此の意の文言なり。
出世相翻、世の貧賤を以て、出世の富貴を顕はす。是れ則ち法花の妙能なり。

三に末弟を将護する故に。四信抄十六四十に云く、請ふらくは国中の諸人、我が末弟等を軽んずる勿れ。天子は襁褓に纒はれ大竜始めて生ず。優陀延王は賓頭廬尊者を蔑如して七年の内に身を喪失し、相州は日蓮を流罪して百日の内に兵乱に遇ふ等云云。
賓頭廬は本と優陀延王の臣下なり。補註九廿一の如し。百日の内に兵乱に遇ふとは、王代一覧五四十一に云く、文永九年二月十五日鎌倉より早馬六波羅の北の方北条義宗が許に来る、義宗俄かに南方へ押し寄せ時輔を討ち亡ぼす。時宗が兄なれば年来弟に家督を取られ逆心の巧ありけるが忽ち顕れて時輔討たれければ、鎌倉にれ其の同類、北条の公時、北条の教時等殺さる。是を二月の騒動と申す云云。十月十日に依智を立ち、同十月廿八日に佐渡の国へ着きたまふなり。故に大概百日計りの内なり云云。
当に知るべし、此の三義次の如く仏法僧に配すべし。故に宗祖貧賤の家に託生したまふは、三宝の種子永く断ぜざらしむるが為なり。
蓮祖房州に生れたまふ所以。蒙卅三。外十二廿八に安房の国は辺国なれども日本国の中心云云。
録内廿二卅に云く、安房国長狭郡之内東条郷、今は郡なり、天照太神の御クリヤなり。右大将家の立て給へる日本第二のミクリヤなり。今は日本第一なり文。

ホームへ 資料室へ 富士宗学要集目次 メール