< 蓮祖は本因妙の教主なる事

富士宗学要集第三巻

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蓮祖は本因妙の教主なる事

問ふ、凡そ教主とは但三界の独尊を指すべし。何ぞ蓮祖聖人を以て、教主と名づくるや。答ふ、末法下種の三徳有縁の師なり。何ぞ教主と名づけざらんや。況んや復台家に於て智者大師を以て教主と為す、真言に於て善無畏三蔵を以て教主と為す。何ぞ但吾宗を難ずべけんや。
問ふ、証文如何。
答ふ、止一初に云く、止観明静前代未聞智者大随の開皇十四年四月廿六日より荊州玉泉寺に於て、一夏敷揚し二時に慈霑したまへり文。弘一上八に云く、止観の二字は正しく聞体を示し、明静の二字は体徳を歎ずるなり。前代未聞とは能聞の人を明し、智者の二字は即ち是れ教主なり。大随等とは説教の時なり文。故に知んぬ、台家には智者大師を以て教主とするなり。

釈書一十に云く、善無畏とは甘露飯王之裔なり。唐開元四年丙辰長安に至る、玄宗預め真儀を夢む、入対するに●び、夢と異なる無し。大いに悦んで西明寺に館し、崇めて教主となす文。宋高僧伝第三無畏伝に云く、開元の始め玄宗夢む、真僧と相見ゆ、丹青に御して之を写す。畏れ此に至るに及び、夢と符号す。帝悦んで内道場を飾り教主となす文。
真言宗には無畏を以て教主とする事明かなり。
追補注十二十四に云く、且夫れ儒者は乃ち三皇五帝を以て教主と為す。尚書の序に云く、三皇の書、之を三墳と謂ふ、大道を云ふなり。五帝之書之を五典と謂ふ、常道を云ふなり。此の墳典を以て天下を化す。仲尼孟軻よりして下は但是れ儒教を伝ふるの人なるのみ。尚教主に非ず、況んや其の余をや。

御書九十八に云く、儒家には三皇五帝を用ひて本尊と為す文。
華厳宗には浄源法師を以て、中興の教主と名づくる事、統記卅十一往見。

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