富士宗学要集第四巻
六人立義破立抄私記
右此の書者日興上人御違例之時、秋山新九郎申●云く諸門徒或は社参し或は一部をよむ、造仏又有り之れ結句天目は方便品読誦の難をなす、日興上人已後は如何得ん意耶と申す時、以前五人の武家への訴状を有り御出し下山三位阿闍梨日順に述作せよと云云、記す之れを上人御覧二ケ所御削りと(云云)。 于に時延徳元年己酉十一月四午の時依り貴命に恐々●す翰林を、左京阿闍梨日教耳順余。序に云く其諸仏出世(云云)。 経に云く諸仏出世を懸○聞く●是法を亦難し(云云)。 一、諸仏興出世難の事○ 二、釈迦滅後中間八難処と云ふ事 右非すと八難処に覚えたり所謂小釈迦出世●得益三千塵点劫下種の脱益在世より滅後像法の時まで其の役人出来せり、されば文の上の在世の化儀、又本已有善の小権迹本の一通りを修行有り之れ、迦葉、天親、竜樹、天台、伝教は当時内鑒冷然の小権迹の導師不絶え、入り末法に二百余年に当つて真に八難処なりける時に遣使還告の御使上行の再誕本因妙の行者本未有善の文底の法華を御修行有しは、日本一州円機純熟の時成至五千起去の比も初て下種する時をえたり、緇素貴賤悉く期する成仏を事を得る処に、五人の門人在世の化儀たる広読誦を専にし迷ひ本尊に造立し釈迦を知る観心本尊と、付て之れに雖有りと之れ種々の点を以って肝要とせり、例せは如し止観明静前代未聞の名字は法華宗にて事を広略にやり宗要宗旨も御本意を謗すれば乖背の語也、されば迷ひ修行に不る知ら超絶の本門を故に仏滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曾有之大漫荼羅を後面にかけ奉り又不知ら面前の本尊を、剰へ聖人の御判の在所を天台伝教の座に均く吾門徒の代々を書き載せ御判の在所に吾か名字を書き判形をなす、二千二百三十余年と只今の年号月日何そ同き耶、イハ井に本尊をなす、されば不成仏の故に仏出世難に相叶えり、但し非ず難きに出世難の四仏出世したり、聖人は三世諸仏の師匠と●釈迦の末法に出世し玉ふ(云云)。 三、説法是法復難の事○ 四、聞亦難の事○ 五、劫数の事○ 六、能聴是法者の事○ 七、年紀大小の事○ 八、優曇華の事○ 九、聞法歓喜讃の事○ 十、乃至発一言事付り波木井謗法の事○ されば日蓮聖人悪鬼入其身の文の心を御詠歌あり。 心とはよこしまにふる雨嵐、風こそ庵のまとをうつらめ。 十一、汝等勿有疑の事 右仏法に疑をなす事不る可ら有る也、十四ひはうの中にも疑惑を嫌ふ也、此の疑の心をば猶予の心と云ふ疑深き者也、一年天竺恒河凍り塞がりたる時にゆよ是れは尚常に不る行け也とて屡たちやすらう、血ふかき物なれば凍り薄くなり破れて恒河に沈む、無く疑ひ早く通らばかゝる事も不る可ら有る也○。 十二、妙法値遇縁類比浮木の事○ 十三、妙法値遇縁の事○ 十四、一児二法花経の事 右聖人の御誕生は後堀河院貞応元年壬午二月十五と申す也、此の事不知ら実事とさもや御座すらん番々出世の導師は無常也法躰は常住也、釈迦入滅の日故聖人も文底の法花を生れ出で玉ふ也、四条院天福元癸巳昇り清澄寺に成る童形と御歳十二歳也、聖人壬午に生れ下ふ故に午は正中法花の躰也、又現し邪見の相を我が弟子如く是くの示ん翆髪を法花の弟子を也児の躰法花也、毎に御誕生の事は産湯相承口決有り別帋に宗旨の大事なれば不る書か也云云、同院の御宇延応元己亥十八才の秋御出家、八宗兼学文成就有つて後深草院の御宇建長五年癸丑三月廿八日聖人自解仏乗、三月廿一日の事誠に以て難き有り事也、二十一日呼て鳩を払ふ其の羽を日也此時が鳩変●鷹と為す、鷹鳩難し弁し三春の眼鹿馬易し迷ひ二世の心と、三月には鷹の眼如く鳩の々の眼如く鷹の也躰はかわらざる也、聖人も其の躰は不易を仏法の眼かわる也唱ふこえのかわる也凡夫即極名字即位也、一児二法花経也、一切衆生に最初無教の時有り仏耶と云ふに無し之れと云はる也、自然覚了の仏は有り最初無教の仏は無き也、 聖人は自解仏乗也、二千年の古へ結要付属只今自然の自解仏乗と可き得意也、此自解仏乗の時は尋便来帰と説ける如く霊山の釈尊に直にあひ玉ふ也、釈尊も自解は法花、天台も明星出る時の大悟、玄悟法花円意也、是れ脱益又は其の余残也、日蓮聖人は文底の自解仏乗、仏若不説弥勒尚闇、何況下地、何況凡夫の不る及ば憶度に自解仏乗と悟り見れば仏の信と聖人の信と一致符契する時一仏境界、第二尊号法界一躰也、尋便来帰是れ也、ことに爾前は皆虚不実、迹門一虚一実、本門皆実不虚也、於ては本門に仏説不る虚を也、悟れば尋便来帰し於て聖人の已後に者無き自解仏乗耶と云ふに尤も可き有る也、心は血脈不る乱れ付弟代々上人は如き日蓮聖人の御本尊也、さる時は其の時代々之生れ合ひて師弟相対して所の唱る名題同き物也、仏聖人の弟子檀那の悟と不る可ら各別なる也、日蓮聖人以来の信不る易ら其の日蓮聖人に也、当寺の聖人は日蓮聖人也、吾か身本尊に成る、信成就すれば観心本尊也、観心は法花経、本尊は吾が身なるべき事也、遇ふ上の信、師弟相対する大小の血脈の不るに乱れ処也、蓮花の八葉は表す彼の八教を蓮臺の唯一は表すと八帰するを一に文、表する八葉の蓮花を本と有り八分の肉団方寸肉団の蓮花従て日にめぐり内証蓮花の因果是又広宣流布し従果向因の本事の南無妙法蓮華経也、信の無き他念法花也、芥子毛頭も背けば謗する斯の経を故に獲る●罪を如し是の若し人不●信せ入る阿鼻獄に也。 十五、念仏者無間の事○ 十六、安国論備進の事、付り立像の釈迦仏の事 禅林寺の代文応元年庚申七月十六日、宿屋左衛門入道について立正安国論を最明寺へ進覧する御歳卅九才、雖賢き将軍なりと無し信用、結句弘長元辛酉五月十二日伊豆の伊東にながされて伊東の八郎左衛門預りと云云、聖人四十の御歳也、此の安国論の事を御自歎して云く此の書は白楽天が楽府にも超え仏の未来記にも不劣ら、賢王聖主の御代ならば日本第一の権状に行はれ現身に大師号もあるべし云云、外典三千余卷何そ必ず白居易のがふを引き玉ふや、仏の未来記にも不と劣り申さ云ふに楽天は唐玄宗皇帝に七人の諫争の拾遣司がある中の侍従の官也、七人の司の残の拾遣司也、然るに玄宗悪王たるに依って七人拾遣も共に教訓を止めけり、白居易がふ三十巻に注して玄宗を諫争す、聖人の安国論と趣き同き故に白楽のがふを引き下ふ、但し彼は外典一世の事を勧む、是は三世を勧むる故に此のがふを依用す仏の未来記に不る劣ら事也、仙婆城の長者の婦懐妊す、仏曰く男子を生まん外道云く女子を生まん外道母に毒をのませて子を殺さんとす、仏薬を呑ませ蘇生す男子を産む、苦得外道死●而後過ぎ七日を畢つて食吐鬼とならん仏の言也、一切の外道は生れん羅漢に、仏説のごとく食吐鬼と云へるがきとなれり、爰を以て仏の未来記にをとらずと(云云)。 十七、額に疵を被る事、付り祈の事○ 十八、竜の口の御難の事、此の下に失心不失心の事可き有る也。 右此の御難の由来者関東炎て無し料簡、然る間於て諸寺に被る祈雨せ時極楽寺良観に被る仰せ付け、其の風聞有りしかば彼の良観房の所へ遣す使者を様は祈雨七日の内に小雨もふらば我れ門徒を捨て八斎戒を可し持つ、若しもや不んは降ら法鼻を可き保つ之由仰せければ、良観悦んで数百余人の弟子を集め流して汗を祈るに一雨もくだらず、二七日目には田の中の池に仏舎利をうかべて祈るに更に不雨ら剰へ旱魃に乾草に大風吹く弥よ枯る事を聖人重ねて良観が許に立てる使者を、いかに良観二百五十戒を以って祈るに雨ふらざりき、急ぎ如く約束の吾が弟子になるべし、能因法師が破戒の身として二百五十戒に制する歌をよむ、天のがは苗代水にせきくだせあまくだります神ならばかみ、又泉式部色好の身として歌をよみ降す雨を事ありけり、ことわりや日の本なればてるぞかしふらずはいかヾあめが下とは、何れも二五三七のことばによりて祈るに雨めふりけりと仰せければ、僧行敏言上、欲する早く召決し日蓮を摧破し邪見を興隆せんと正義を子細之の事○言上如し件の(私云く幼少時覚候間文章諸事多疑。有は正本可有御添削也) 依り此の訴に文永八年九月十二日於て鎌倉山内に平の左衛門の内の者烏帽子がけして来って聖人を召し取れば、平の左衛門が郎従少輔房と申す者走りよりて聖人の懐中せる法花経の第五巻を以って聖人の御顔を三度さいなみけり、勧持品三類の強敵が九巻法花経をば板敷ちらぬ所もなかりけり、さても●●良観は五戒中の不殺生戒を持つことに法花の行者の頚をきる国賊、大謗法入阿鼻獄有らん何の疑ひ乎、山内より馬に奉り乗せ若宮小路にかゝり社頭の前にて馬より下り玉ふ、いかに今の八幡大菩薩はまことの神か和気の清丸が被れし誅せ時は長一丈の月と顕れ玉ふ今何とて験し無きやとて又馬にのりぬ、かくて御霊の前を通り玉ひけるが、熊玉と申す御小者を中務の三郎左衛門尉に可き申す事有りとて遣し玉ふに惶てゝ出つ聖人の為く躰奉るに見兵者共打ち囲み物さはがしけるに、各しづまり玉へ可き申す事有りとて是は最後也、此の娑婆世界にして鼠となりし時は猫にふまれ雉となりしときは鷹にとられき、或は妻子眷属の為に捨てし身を事大地微塵劫よりも多し、雖も然りと為に法花経の一度もすつる事無し、日蓮貧道の身と生れて父母の孝養思ふに不足ら国恩を可き報すいとまあらず、今度命を奉り法花経に其の功徳を父母に廻向し其の余りをば弟子檀那にはぶくべしと申せし事は是れ也云云取意、父母の孝養尤も也弟子檀那に可しと省く御講有る事、大事也、不信の人は聖人の御命を失ふ物狂也此の信を可き取る事也、信心薄短の者は臨終に現し阿鼻を一無間二無間乃至十百無間無し疑ひ云云大事也、今諸門徒の人法花宗と名乗りながら或は非る御本意に本迹一致、非る御本意に本迹勝劣何も脱益の法花、応仏の域をひかへたる分、且は天台過時の於て已弘の法花の上に論する修行を也、未だ及ば聖人御出世の未弘の文底の義に、本迹も不分た不思議一なる処は不る及ば也、其の分は天台伝教の末法を恋ひさせ玉ふ釈には不る及ば也、後五百歳遠沾妙道文、言後五百歳○言後五百者最後五百也文末法の初冥利不無に文、語れば代を像の終り末の初め良に有る由え也文、日本一州円機純熟朝野遠近同く帰し一乗に緇素貴賤悉く期す成仏を文、此等の釈就く中ん日本一州の事留めて心を可き有る御覧也。 失心事、止の五に云く香城に粉き骨を雪嶺に投するも身を亦何そ足らん以て報するに徳に、快馬は見て鞭影を而著く正路に其の癡鈍なる者毒気深く入て失ふ本心を故に既に其れ不る信せ則は不入ら手に、無き聞法の鉤故に聴て不能は解する乏く智恵の眼不別た真偽を挙身痺癩動歩も不前ま不覚不知の大罪聚の人なり何そ労く為に説かん、設ひ厭ふ世を者翫ひ下劣の乗を攀附す枝葉に狗の狎れ作務に敬ひ●猴を為し帝釈と崇んで瓦礫を是を明珠とす此れ黒闇の人豈可ん論す道を也、此の釈の心は快馬の鞭影を見て至るは正路に在世の機性或不失心の者なり、涅槃経の四馬のたとへも見て鞭影を付くは正路に上品の馬也、未見の人の死すると聞く発菩提心する者也、鞭毛頭に当る時出て重ずる正路を是れ一国の内にて見ん者か死たるを聞いて願へるに後生をたとふ、鞭の肉に応へて至る正路に是離れて六親子妻子を後世を思ふを云ふ也、亦鞭影の骨に当る時出て至る正路に我か身に病を受けて偏に欣ふに後世をたとふ、此れ等の類は中間逢値の三類を思ふに上中下の三類の中間也、下々品の類は或は不失者の三周の声聞也、三周の各々の三周有る中の下周の中の下品の機性、像法まで来つて南岳天台の教化を受くる也、日本の伝教の時代まで有る也、是は或は理の一念三千余分を以て得益する也と云はれ、今末法は三周九類にもれたる五千起去の類の移●人天を置く於他土に、愚迷の凡夫捨て広略を可き修す要を時機也、毒気深入●失ふ本心を故に既に其れ不る信せ則は不入を手に、無き聞法の鉤故に聴くも不能は解する、不る付け色香を信を専にせよと天台は釈し下ふとは当世法花の諸学者の履漏●雑、超絶の本迹を不知ら又本勝迹劣と云ながら日夜数へ他の宝を自ら無ん半銭の分、法花経と聖人の修行の法花とを一にしてあきなひにするは哀れ也々々、人の機性は乏き智恵の眼癩人と釈す何に今の信を助る智をなさずして邪智を可き興行す矣、於て智恵に種々有り天台は智が面として信を助け、聖人は信が面として智を助る故也、於て智恵に正智有り邪智あり有れも智恵其の義は不可を従ふ貴僧高僧にはよるべからず、何にいやしき者也とも此の経の謂れを如く生身如来の可し礼拝供給す是れ正き経文也取意。 今天下の法花宗は邪智を以って邪法を行ふ也、聖人御出世の事をば只仏の御使とばかり得意末法の本尊とは不る知ら故に、久遠脱上の釈迦を造立し名け本尊堂とわきに御影堂十羅刹堂鎮守堂と立てて釈尊の能具を知て末た知ら日蓮聖人の能具所具を也、如き是くの人は或は景信、平の左衛門、良観より早く地獄に可き堕つ也、順縁の仏法無き故に逆縁不る可ら有る也、御勘気抄に云く日蓮が仏に成らん第一のかたうどは景信、法師には良観○故に不習伝せ矣、五老奉り値ひ聖人にけれども同聴異聞して種々仏法を立てられたり、○下劣乗は浅より深に至る時唯本に対して論する本迹を方は下劣也、乗は乗とて一は乗る人、一は乗り物也、乗と者運載荷負之義文乗と者物を乗する也、対●本門に迹門は下劣の乗也、迹門と者法花一部は皆迹門也、忘れ根本を取る枝葉の迹門を狗狎る作務に此の作務には余多の心可し有る、先づ狗は人、物を飼へば他人にも附く也、盗人をほをるなれども物をえてはほへぬ者、首にこめつぶ一つつきたるに此の影をたらいの水に見て水を悉くのみほす也、ほして見れば盥の底には飯はなき也、迹門修行又如し是くの、●猴を帝釈と敬ふ事者帝釈は空をかけり貌赤しと聞いて木伝ふさるのかほの赤きを帝釈とをもへり、瓦石を明珠と思ふが是れ黒闇人也道を不る論せ人也と釈する也、根本の本門を不る立て事者悲の中の悲也万途粉然と●不識ら纔に見て異相を道と思へば自ら非す法器に○。 十九、佐渡左遷の事 二十、阿仏房供養の事 御座所には音信の人更に無し若しは日月、春の嵐のをと光りまで也哀なる御栖居也、爰に坂東方の人の流人となりて下りける其の名を阿仏房と申せし也、初は聖人にも忍びて食物ばかりまいらせらる新き行器結構に御薹をしたてゝ持来り御堂の傍に置いて出つる也、其の行器のあきけるをもとのごとく前にをけば又別の行器を初のごとくしたゝめて置き其の姿を不る見也、来れる所は野池の中よりと見えたり又可き参る時を知食してみせらる、袴きたる男の行器を荷い板を二枚もちて一枚づゝとりこし●●野池を忍びて参りけるを御尋ありければ、我れ等も元は東国の者流人也、其の初は万の事無く便り中々不る及ば申すに也さぞ●●御座す覧と奉り思ひ遣り物ならざれども持参申すよし申されたり、御対面の後は色々御法門有りし也難き有りよし申し信者と也しを本名を不改め阿仏房と仰せられし也、後に阿仏上人とて一寺を興隆す、其の子藤九郎盛長の子息如寂丸と云ひしを日興上人の御弟子にまいらせ玉ひける也、御流罪の時也、日興上人御悦びありけり、此の故に如寂丸を日満と申す北陸道七ケ国の法花の棟梁と申す日興上人の御筆有りて今は日満の跡と断えたり。 廿一、御赦免の事 去る文永十一年二月十四日御赦免の状を同三月八日島につきぬ、此の御赦免状を日朗持て参り玉ふ、聖人は塚原に御座す五十丁ばかり外にて宮坂と云ふ所よりよばわり玉ふ、聖人聞召して筑後公が声が聞ふる也と仰せられてそれ火あかせと仰ける也、白蓮の阿闍梨の独言に聖人は故郷の恋しく御座すまゝ夢に御覧ありけるか、さながら師命に任せて火をとほす日朗参られける也、師弟三人合せ首を悦ひの泪をながし玉ふ、念仏者せんぎしていかヾ此れ程の阿弥陀仏の御敵善導和尚法然を罵つて此島に放れたる、御赦免あるとも生けてかへさんは心うき事なりと定め様々支度有りしかども如何なる事にやありけん、思はざるに順風吹き来り島をば立ちしかば、あわいわろければ百日五十日にも渡らず順風にや三日なる処を須叟の間に渡りぬ、越後の国府、信濃の善光寺の念仏者持斎真言師等の雲集してせんぎす、島の法師原は人かつたいなり、今迄生けてかへすといひ我れ等は如何に生身の阿弥陀仏の御前をとをすまじきとせんぎせしかども、又越後の国府より兵者ども余多日蓮にそひて善光寺をとほりしかば力不及は三月十五日に鎌倉に打ち入ぬ、同じ四月八日平の左衛門尉○魂魄此の島に来る取意。 廿二、御入滅の事○ 廿三、聖人は末法の教主の事○ 廿四、塵数三五施化に猶漏る事、付り五百塵点の事 廿五、大如微塵の事 廿六、五百塵点劫の事 廿七、如来秘密之事、此の下大事多々能々可き披見す也 経に云く如来秘密神通之力文、本門八品相伝脱益の終り理顕本之重、躰用の三身一切諸仏菩薩の立る処也、釈迦の薀在する仏心に妙法蓮華経也理也、文の底の口言不出の法花、仏若不説弥勒尚闇の不思議不可得の妙法也、疏の九に云く秘密と者一身即三身なるを名て為秘と三身即一身なるを名て為す密と、又昔所を不る説か名て為し秘と唯仏自ら知るを名て為す密と、神通之力と者三身之用也、神は是れ天然不動之理即法性身也、通は是なし無壅不思議、慧は即報身也、力と者幹用自在即応身也、仏於て三世に等く有り三身於て諸経の中に秘ぞ之を不伝へ文、記の九に云く初の釈は約し三身法躰法爾相即に、次の釈は約す今昔相望に以て今の法躰を望む昔に故也亦可し前釈は通す諸味に後釈は斥く他経を唯在る今経に故也文此の釈者法躰法爾の三身と神通用の三身とを釈る也、法躰の方は仏の秘し玉ふ上は凡夫の憶度分別は不る可ら信す故、此の法躰に一身三身の則其三身は一身なる信に極る也。 問て云く寿量品の文底の大事と云ふ秘法如何、答て云く唯密の正法なり可し秘す●●一代応仏の○故云ふ独朗と之行儀本門立行の血脈也可れ秘す之れを●●。私に云く是は信にきわまる也、止の一に云く但信法性を不信せ其の諸を文止の一に云く於て名字の中に通達解了す一切の法は皆是れ仏法なりと文、全く余行に不る通せ信也万法含蔵の名字の妙法也、疏の九に云く一念信解と者則是れ本門立行之首○聞を於長遠を開通無礙と文文句の九に云く初心は畏る縁に所れ粉動せ防くるを修するを正業を直に専ら持つ此の経を即上供養なり廃し事を存すれば理を所益する弘多なり等(云云)。 問て云く末法の信の上に事の行儀を専とする釈を引く事も有り、又理観の釈を専とするも有り信●何れを我れ等が開ん智を、一処には権実は理也今日の本迹は理也と又は廃事存理、両箇の説の得意如何、応えて云く於て三大部に一同十異四同六異あり、伝教仏立寺和尚より口決す之を一同は名同、十異は一名同義異、二所依異○始終本末共に感応も皆勝劣なりとす、御書御義に種と也今題目は万法含蔵せり理も事も難し別ち、されども首題は理、行者は事也、唱るは題目を理、読誦は事也如し四信五品抄の、一同は名同の故に題目の理は一つ也されども依て時にかはる也、脱益の法花の時は理也、一念三千一心三観本迹、下種の法花の時は事の一念三千一心三観本迹、理観の時は三世の諸仏出世成道の脱益の寿量義理三千、未釈迦諸仏薀在す心の妙法蓮華経理観の一心中に、事観の時は釈迦多宝三世の諸仏声聞緑覚人の唱る方は迹南無妙法蓮華経也。 私に云く超絶の本は理顕本也、理者秘密の法也、其の秘密口言に不る出で法花、其れと者名字の妙法名字即の位にをさむる事理宛然として依り要用に言ふ法花と也。 太田金吾抄に云く法躰法爾三身の事、問て云く寿量品限る末法悪世に経文顕然たる上私に不可ら加ふ難勢を雖も然りと三大秘法其の体如何○延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれは益あるまじき処に(云云)。 私に云く理顕本は上行菩薩三世の師範、事顕本は釈迦今日一世の師範題目の名目義同也、唱る人が自行に唱れば理行、化他に唱るは事行也、口言不出の重は事も理も不る分た也、観心異の時に同躰なれば天台は為に衆機の示し円頓者初縁実相を聖人は為に万機の勧進す南無妙法蓮華経を、彼れは応仏のいきをひかう、此れは用ふ寿量品の文底を、彼れは応仏昇進の自受用報身之一念三千一心三観、此れは久遠元本のまゝ初の自受用報身、無作本有の妙法を直に唱ふ、此れ等の深位は迹化の衆、普賢文殊観音薬王等之大菩薩も所の不る付属せ大事なれば所の不る知ら秘法也況や於てを凡師に耶。 法躰法爾の三身如来は末法の導師凡師の名字位の上に一身に三身の功徳を収め三身は即一身也と立つる事は勝劣の根源下種の法躰也、天台宗などが法躰の上にをいて無作の三身に義味思量をなすは且は如来秘密の文を不知ら且は本極法身微妙深遠仏若不説の成敗に背く、必神通之力の用の三身の所にて可き書く也、天台の釈に任する計り也、法花本門報恩抄の下に云く問て云く天台伝教の弘通し玉はざる正法有り耶○求て云く其の形貌如何答へて云く一には日本乃至○此の功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべく候南無妙法蓮華経●●建治二年(太歳丙子)七月二十一日記す之れを自り甲州○清澄山浄顕房義浄房の本に。釈迦如来於て天竺に秘密せし大法は東方有小国唯大乗種姓の故に此の日本に流布す、三身即一の導師聖人の外は不る御座さ事也、開目抄に云く仰も誰やの人か衆俗に被る悪口罵詈せ誰の僧か○出さんとするに人無し○当時日本国に第一に富める者は日蓮なるべし命は法花経に奉り名をば後代に可し留む(云云)、蒙求干木冨義とはかんぼくは冨りとて義に其の国の王必ず乗り物有り下り通りける、王位より外に何そ賞翫有ると云ふに朕は依て先生の宿業に得たり、干木は位下れりと云へども義に冨める也、法花の義に冨める故に閻浮提一也、かゝる仏法の冨める縁なれども諸門徒は義に迷うて未だ知ら法花の本尊を無作の三身を有作の三身になす也宿習のつたなき計り也只信に促むる宗旨也。 持法花問答抄に云く上機は観念観法もしかるべし下根下機は但信心斗り也○決定無有疑の妙法を唱へ奉らんことは無し力を(云云)、今の法花宗は日蓮上人をば引く人の力を疑ひ妙法の文字の少きは縄のよはき思をなし、多字の法花経に施を増し少字の妙法に●を減じ脱上の智恵の縄を憑みて下種の力ら弱きとて不る信せ不信謗法の至り、依て智に失ひ信を不信是為大矢のとが、聖人の御門徒の内に三類師子身中の蟲猶多怨心の一類、一謗大乗、二五逆罪、三閻浮提外に不る可ら求む也、大段は迷ふ本尊に故也一大事と思はん人は我慢執情をなげ捨てゝ聖人の御仏法を信ずべき也云云、法蓮抄に云く今度法花経に可し取る信心を無く●信行する此の経を者は無く●手入り於宝山に無く足●如し企るか千里の道を、但引き近き現証を可し取る遠き信を、仏の御年八十の正月一日説き法花経を訖り下ふて有り物語り、阿難弥勒迦葉を我か出しし於世に之事は為説かんが法花経を也、我れ既に遂ぐ本懐を今在ても於世に無し詮今有って三月二月の十五日に可し涅槃す云云、信の事は明に見えたり、仏年七十二歳にして法花を説き初め又八十にして法花を説き終り下ふ何れも正月一日也、当家に正月一日より十五日までの竪の大縄の説法誠に以て難き有り事也、仏の唯一大事と者五仏道同の法花也、秘密の事は五百塵点劫より以来大通仏の法花爾前四十余年、法花経に取って十四品の迹門に至ても本門に口言に出づる法花にはかくさせ給ふ故に十四品の本門にも不る説か大事也、天台は於諸教中秘之不伝と釈せり唯在今経の故也今経者法躰の三身凡夫の名字也。 廿八、神通力の三身の事 釈に云く神通力と者三身之用也文神と者万法惣躰の不動理、法性身之有作の中の無作の三身也、既に四土の隔別を釈する故也、通はとをる義也万事に塞がれぬ法身の境に報身の智を境智冥合する也、其の智が境に起る時、三眼三智知見九界を垂迹応身如来と顕る、力と者衆生の慈悲を幹用釈迦如来は且権教方便を用ひけるに鹿野成道をとげついに説き妙法を令●成仏せ、第一番の成道より世々番々出世は皆垂迹の三身、神通之力の用の三身、此の仏は復至他国して末法の導師を遣使還告して孤露衆生を利益す、此の事は三五塵点の昔より思養深秘の大事也、是れより外に仏法の大事は不可ら有る、台家に教行証の三重相承も智解の上也、信の上には別の口伝、秘密不る可ら有る也、釈迦如来の秘し玉ふ本門三箇の秘法と可き取る信を也。 南条兵衛七郎殿御書に云く何なる大善を作し法花経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人也とも法花経の敵をだに不んば責め得道ありがたし、譬ば朝に仕へる人の十年二十年奉公有れ共、君の敵を知りながら奏せず私にも怨まずば奉公皆失せて還って科に被んが行は如し云云、当世の法花宗は名は法花宗なれども義はならず、只法花宗教までも不及ば、何に矧や宗旨をや、諸宗の破は天台の助言也、聖人の御本意は妙法蓮華経也。 廿九、無常々住の事 疏に云く鷸蚪相扼す吾乗す其の弊に是を破の釈と習ふ也、其の故は寿量品の寿量をば一人は無常とゑ、一人は常住と得たる二人の義を取りて一家は両方ながら今家の此の品の正釈と天台の釈する也、天台宗の心にては無常々住、倶即相続、随縁不変、一念寂照と文、迹門は無常、本門は常住と随縁不変の心をよせぬる歟、さて当家には無常は無常、常住は常住と可き云ふ也、其の故は●七に云く約すれば経に雖も是れ本門なりと既に今世迹中之本名けて為す本門と文、一代応仏の法花経は本迹共に以て無常の説法也、教主既に八十入滅の無常の仏果也、有為の報仏は夢中の権果無作の三身は覚前の実仏と文、権教の三身は未だ免れ無常を実教の三身は倶躰倶用と文、此れ等の釈は二重に釈せり法体の三身の倶体倶用ならば口言の法花とはかわるべし大に各別也、言音に不る出さ常住也、不老是れ楽は無常、不死是れ常は常住也、釈迦は無常、上行は常住也其の旨分明也、治病抄に云く法花経に又有り二経所謂る迹門と与本門也○今入り末法に地涌出現して可き有る弘通事也。 此の御書の心は経旨の本迹は共に無常の仏果の上なれば仏も迹理の仏、教も迹理の教、土も迹理の土、説も惣じて迹の上の事なれば本迹共に無常々住の躰は釈迦の娑婆八千返の間不生不滅の法花宗旨の法也、経旨の本迹は天台伝教の已弘通の法花也、仏の本迹、天伝の未弘通の故に地涌の菩薩の弘通の法也、凡そ於て八相に教証二道の八相有り、四句の成道証道の八相は久遠成道比翼分常住の名也、有作八々六十四の八相なれば如何難し得意し、教道の八相は生天下天託胎出胎出家降魔転法輪入涅槃と矣、死し此に生する彼にの故に無常也所以に三界は無く安き猶如し火宅の衆苦充満し甚だ可し怖畏す文、南岳云く三界皆苦四生非ず楽に一期仮の栖と云云、一期と者五十年釈尊の説教も三界流転多病多悩の衆生を引導の時の示同凡夫の御身也、さればこそ上行等の四菩薩少病少悩得無疲捲と弔ひ、妙音菩薩の東方より来り少病少悩起居軽利にましますやと申され候と問訊ありけり、忍界同居に出世の仏は必ず無常相を示し下ふ也、されば四度入滅の様をつげ玉ふ也、宝塔品にしては如来不して久ら当に入る涅槃に文、寿量品にしては若し見ば如来常に在て不と滅せ便ち起し●恣を而懐かん厭怠を(文)、普賢経に云く却て後三月我当に涅槃す(文し)、涅槃経に云く一日一夜と(文)、如来入滅無常の仏也或は此れ等の文をば仏の未来記とも申す也。 三十、五千起去の事 漏る施化に者五百塵点劫にもはづれ三千塵点劫の下種にもはづれし衆生は末代今比の我れ等衆生也、五千起去の余類にもやあるらんと御書候、是れは寿量品の心は奉り値ひ仏に不る聞法せ也、経に五千人等即ち従り座起て礼して仏を而退くの言は奉る●値ひ仏に無し疑ひ、疏に云く五濁の障多し名く罪重と執●小を翳す大を名く根深と文未得増上慢と未得は三果、未証は無学なり此れ等は得禅の外道偏に起す上慢の比丘比丘尼也、うばそくは我慢、在俗をごり高くして多く起す我慢を、うばゐは不信、女人は智浅く●多く生ず邪僻を、不持戒衆中の糟小智無福の故に是の法をうけず、今の霊山の衆には無し枝葉奸者若干類霊山の会座に有らば衆にさわりとならんとて座を立て下ふ、故に二千余廻の其の昔し無き下種故に今に至るまで仏法の法縁なし且らく影向の衆にて有りし也、然る間於て末法に可き有る下種治定也、師は名字、弟子は理即ならん事無し疑ひ、三千の下種は今日得脱也、今末法下種は奉り値ひ聖人に可き致す下種を条勿論也、下種法花経本迹、自受用報身は本、上行日蓮は迹○其の教主は某也文本未有善而強毒之、不軽の時の機性の如き也正像二千の事如し御書の(云云)。 三十一、乗戒倶緩の事 夫れ戒急乗緩の人天也五戒十善の修因に応へて天上の果報を得と云へども、若し於て人天に不んば修せ乗を者果報若し尽きなば還て堕つ三途に(文)、是れは戒は急なれども乗はゆるき也、戒緩乗急の者は童女也、大蛇の身を受けくるは戒ゆるき故に頭に十二の角をふりたて身に八万四千のこけらをたゐし六趣の中には畜生界也、不善の報をあかす男女の中には女身不善の機をあかす、長幼の中には少女也、久く不●修行せ法花の力用に依て忽然之間に変成男子して知る仏性を丈夫を具し獲る●果を速也、此の妙一念の聖道也成仏不る虚ら也、戒門はゆるく乗は急也、今此の末法衆生無き持戒時也故に無し戒躰も昔の下種無ければ今の成仏なし、乗戒倶緩の故に哀なるうき身一善もなく一戒も不る持た身なれども奉りて値ひ聖人に是則精進是名持戒の行者の悦びあり、広釈に安然云く能く説く法花を是れを名る持戒と導師の義也、顕戒論に云く大乗を持つ俗小乗の僧の上に居よ大乗の行者は又在家俗男女に近く出家なりとも小乗の比丘に不れ親近せ矣、末法燈明記に云く末法の中に有らば持戒者既に是れ恠異なり市中の虎此れ誰か可き信す、顕戒論に然るに近代有り執する小乗戒を遠く背き大聖之訓に近く断つ三宝の種を者也、若し別に無くんば菩薩戒者牛跡之の外応に無かる大海、若し言はば無しと者何そ異らん蝦蟆に若し許さば有りと当に知る小戒之外に別に有る大乗菩薩戒也矣、 伝教云く梵網小乗之戒は人能く持つ戒を一得永不失之戒は々能く持つ人を矣、止の四に云く当に知る中道妙観戒之○究竟持戒と文、弘の四に云く戒に無く大小拠る受者の心期に(是開会の心也、可有大小也)末法燈明記に云く像法千年の、中、初の五百年には持戒漸く減じ破戒慚く増し雖も有りと戒行而も無し証果、弘四に引て大論十九を云く諸比丘問ふ仏に阿蘭若比丘死●今生るや何処に生す阿鼻地獄に、経に云く有て阿蘭若に納衣し在りと空閑に僣聖像上の律宗を云ふ也、阿含経に云く若し背き二百五十戒等の戒門に其の中犯す用を者則国中の盗人也、懐中決之妙法蓮華経は無心の二乗当に授く大記を況や有らんを心耶、一切衆生同く入る仏道に故に説く純円を文、聖人御書に云く今の戒者小乗二百五十戒花厳の十無尽戒瓔珞の四十八軽等を未顕真実と定め畢て入り方便品に所の持つ五戒八戒二百五十戒等也、経に云く是名持戒と則此の心也と云云、迹門の戒は勝るも爾前大小の諸戒に不及ば本門の戒に云云本門の戒法は一得永不失の法也此の戒は諸戒の種子也持ては此の戒を三類の強敵鉾前を揃へて惶どす、更に難し破り此の経は難し持ち若し暫も持つ者は○諸仏亦然りと説き下ふ也、伝教云く浅は易く深は難し○丈夫之心矣、知るを仏性を名く丈夫の相と末法が無戒の時なればとて小乗の宗旨は戒門直かれとても誤る物ならば本のまゝな悉く破戒也、其の中に此の経の持者は持戒也、色香美味皆悉具足の故に一色一香が具足の行躰也、爰を以て信施の時は一色一香も不軽から十貫百貫も不重から軽重の思ひ有らば貧女が一燈の法門可し破るる此の事破れなば如来の金言泡沫にして聖人出世の虚妄ならん、非ず●摩黎山に有りと云も栴檀皆妄語なり非ず●法花に有りと云はは成仏皆虚妄也と云へるも言妄りなし、 小乗戒は者五戒、八斎戒、十戒、十善戒二百五十戒、三千の威儀六万の細行あり五戒不殺生戒に○八斎戒の時は五戒の上に不塗飾香鬘、歌舞観聴、不眠坐高坐厳床座(作法一日一食也不非時食)十戒者沙弥戒歌舞観聴不受畜金銀、八戒に此の二を加ふ、十善戒と者一身業不殺生一不偸盗二不邪婬三二口業四不妄語五不綺語六不両舌七不悪口三意業八不貧欲九不慎恚十不愚癡、此れは持てば十善戒、破れば十悪也、されば身三口四意三の十を持つこと稀有也、身三は殺生偸盗邪婬の三を身に犯せり三悪也、殺の因、殺の報有って如く車輪の修羅をなす也、偸盗は人の心を悪くなす夜打、強盗、邪淫には身をほろぼす也、口に妄語とてそらごと、きごとてよりことばなり、歌人の花は雲と云ひ雪を花と云ふは綺語罪也、悪口は人を悪しく云う也仏在世も悪口の車匿有り、 外典には言は曲り出れば曲つて入る也、言より口論の敵をまうく、両舌は向ひ上に説く下の誤を去れば主従の中を悪くし夫婦のわざはいをなすは両舌也、意三は貧欲をなす二万一千、瞋恚に二万一千、愚痴に二万一千、三毒等分に二万一千なれば八万四千の病ひ意にをこる。身三口四意三の十悪に依って堕獄する也、なさヾれば善処にいたる也、五篇と者、一波羅夷、二僧残、三波逸提、四波羅提舎尼、五突吉羅、七聚と者偸蘭遮悪作を説いて五篇にそへたる也、二百五十戒(比丘具足戒也)波羅夷(四十婬盗殺妄也)僧残十三不定二捨堕三十提舎尼四衆学百滅諍七、略頌に云く四重、四提、二不定、十三僧残、七滅諍、三十捨堕、為六十、九十単提、百衆生学是を名く二百五十戒と、凡そ戒躰は比丘戒は二百五十戒也、五百戒の時は比丘尼戒也、二百五十戒を二度持つ故に六千威儀、十二万の細行也、戒門は防非止悪也、十悪の非を防ぐに二百五十戒也、顕揚大戒論には八種優劣、十七の差別を以て菩薩戒と二乗との明す不同を、小乗権大乗迹門本門の四重戒躰有る也、脱益の戒躰、本迹爾前迹門熟益の戒躰を迹とし脱益の戒体を本とする也、迹門の戒は爾前の大小に勝れ本門の戒は迹門に勝るゝ也、脱益説所戒壇本迹、霊山は本事戒今日と○像法とは理戒躰、下種戒躰之本迹、爾前迹門の戒躰は権実雑乱、本門の戒躰は純一無雑の大戒也、勝劣天地水火猶不及ば、具に如し戒躰抄の云云、下種弘通戒壇実勝本迹、三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂也文、虚空不動戒、虚空不動定、虚空不動恵、三学倶伝名曰妙法矣、虚空と者天地にもあらず中央の中道也、今の妙法は中る道に也、信なり信なり乗戒倶に緩きは只行説の妙法蓮華経の信が戒也。 三十二、人多弊悪の事 三十三、内外兼包之智の事 三十四、親受仏勅の事 三十五、日興へ付属の事 日興嫡々相承之曼荼羅を以て可し為す本堂之正本尊と○地頭発心之根元は日興教化の力用也、此の義は諸門徒の人の云く六人の御弟子は且らく六万を表し且は示す六根を何にも有れ仏法付属の様に言ふ之れを且は釈尊も唯我一人なれば又唯我一人の聖人に付属し下ふ、爰を以て六人の中に唯我与我の付属分明也、天台宗惣じて補処は不二なら在世定まれる事也、唐氓ヘ虞舜に禅り舜は禹にゆづる何も太子有れども依て功に禅る故也、世出家に二人の補処有れば其家必す亡じて世に無く二仏国に無し二主一仏境界無れ二の尊号、去れば五門徒は仏法に迷乱して釈迦を本尊として身の本尊たらんことを造仏読誦等の導師と仏法とに乱る者也、釈尊五十余年之説教白蓮日興に付属す之れを可し為る身延山久遠寺の別当背く在家出家共の輩は者可き為る非法の衆也、弘安五年九月十三日日蓮在御判○血脈の次第日蓮日興○甲斐国波木井郷の於て山中に図す之れを、日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に付属す之れを可き為る本門弘通之大導師也被れば立て国主此の法を富士山に可き為す建立本門寺の戒壇を也可き待つ於時を耳事の戒法と謂ふは是れ也付く中ん我か門弟等可き守る此の状を也、弘安五年十月十三日。日蓮在御判。池上相禅也、加様なる御禅り有らば余所に無き詮事也、然るに余所にはなき也、就く中ん三箇の秘法事行の修行在り此の門戸に仍て冨士門家は日蓮門徒也。 三十六、帰る円寂に事 右釈尊常に有り生老病死憂患、如き是くの等の火熾然と●不息ま如来已に離る三界火宅を文、人界同居に出世する仏は生は基也、去れば百歳の寿命の時、不定の相を示し或は末法利益の為め入涅槃し下ふとも法を譲り与へ下ふ也法は常住也、然るに日蓮聖人も六十一にして御入滅なれども法を譲り下ふ故に法は常住也、不信の時は法無常にして変る也、信仰の時は法界一躰の故に其の身法花経也仍つて常住の妙法蓮華経と云ふ也、為の五字紹継の六人の遺弟末法万年の外未来までの五字興隆を思召す信を為に紹継せんか定め下ふ六人の香華御番衆也。 日昭(号浜門徒踏戒壇也)日朗(鎌倉比企谷門徒弟子三人歟日印日輪日像法嫡問答あり)日興(冨士門徒の事は後也久遠寺後の別当也)日向(同波木井の謗法五老僧のすて給ふ物を抱へて今にあり)日頂(中山若宮と法花寺可きを為る別当及河宗秀が依り讒訴に日常と中違ひ来り冨士に為る学頭と日昭の弟子日高を本妙寺の開山(云云)。)日持(為他国弘通出玉ふ行末不知也) 三十七、六老僧の仏法の事 池上御入滅の時御遺言に云く一巻六人在判 御所持の仏教の事 仏者(釈迦立像)墓所の傍に可し立て置く(云云)。 経者名く註法華経と。 六人香華当番の時可き披見す也自余の聖教の事者非ず沙汰の限に云云仍任せ御遺告に記録如し件の 弘安五年十月十七日(執筆)日興 日蓮聖人仏法救護の御遺告は無き造仏読誦事六人雖も有りと判形御入滅安国論の読み様於て鎌倉方に種々也、日興は外典読み也と云ふ、祈り国家を立る仏法を之由有って神社に社参し交り諸宗に致すと祈祷を書き置く数通の申し状明白也、仏法迷乱の故に致し非礼を同して諸宗に大法会を行ふと云って四ケの法用をなす讃は真言也、近比六条門徒より書き直す無き御代に事也、唄は勝曼経の文也、散花梵音は余経の文也、錫杖を其のまゝなす也三所まで錫杖をふる、対揚は天台の作るを少し書きかへ光明皇后の歌を声明になす、乃至不受余経の脱の上の法花にもそむき何に矧んや末法下種の法花に背く故にいかヾ可き号す法花宗と、中古に日印の弟子日陳本迹勝劣を建立す、雖も然りと修行には無し差別、其後日像門徒より本迹の法門興行すと云云、此れ等皆六条本迹の義経旨の義也、天目は捨つ四巻を是れは脱上の本迹也、日什の本迹同し之れに(是は中古大、さかる時)五老僧問答は仏法迷乱の事を仰ける、其の序を下山三位阿闍梨、日興上人の仰せを書き玉ふ序なるを荒々恐々書く之を、註記若。 依要山日悦写本更以他本加校●然各本誤脱多々自●加校訂不成完整後賢宜加厳訂矣 昭和六年二月七日 日亨(判) 又云各本尾缺也 |