富士宗学要集第四巻
四信五品抄見聞
一、尋て云く缺くも一を不可ら成す(云云)、此の三学は何なる三学ぞや耶、答へて云く虚空不動戒○慧三学倶伝名を曰ふ妙法と也、経に云く依り諸経方に○令む服せ(云云)、文句の九に云く経方と者十二部○、又云く空観は如く擣くが仮観は如し篩ふが○名く服と文三学倶伝の故に不す可ら缺く但□□□聴戒文可んは缺く三誡徒然せる故に弥勒の三請も虚妄となりて無く定心釈尊の神通化用も同する泡沫に者也、無き信慧三智も如く螻才の三学皆かけなん。 一、尋て云く今四信五品の事を名字の如説修行書と云ふ歟於て名字即の一行に五種の行を可き取る耶、答へて云く此の事大事也名字の師名字の妙法を唱る本門法華宗は要の五種の行者有る之れべし、所る謂ゆ□今末法には鈍根の衆生なるが故に受持の一行計り也、此の証人は不軽菩薩の皆当作仏の一行也、不軽も助行には廿四字を修し玉ふ也、高祖も方便寿量両品を助行に用る也文を見て両品をよむは読○、是を受持上の五種行と可き得心也。 一、尋て云く乍ら謂ひ勝劣と何ぞ今此三界の文を以て正意とする耶、答へて曰く聖人は寿量品の今此三界也、例せば如く寿量品の如我昔所願の下種の師は三徳有縁也、開目抄の下に日蓮は為に日本国一切衆生の主也親也師匠也(云云)。 一、流通の一段末法の明鏡也(云云)、問て曰く是の流通の文に慥なる明鏡の文有り耶只方便なる那否や、答へて応に云ふ方便と矣但し於て流通品の中に相似六根身□□□若持○如彼浄瑠璃衆生皆喜見、又云く如し浄明鏡の悉く見るが諸の色像を(云云)。 一、尋て云く兜率先徳の御釈に云く凡そ於て一家に取るに於鏡の喩を有り七処等と釈せり所の云ふ七処は如何、答へて云く口伝に云く一には止観第一(顕是菩提心の下鏡の明像を釈るか四重の三諦に習合す□□一面の鏡也) 二には同第五(破法遍の下約四句推検に鏡像を□所の現像離れて四句を不思議処を以て不思議三千三観に習合す□伝有之□□□御義可思之を)三には同第七(対治助開の下二乗開示悟入の後自を具す八相々を約て鏡像に釈之を也、) 四には同第八(業鏡の下心観研く心を心源明静にして照す諸善悪を無量の業相出る十法成観の中約て鏡像に釈する也、) 五には●第五(法出の引出唯識論を第八為大円鏡智等を釈する文也、) 六には同第六自他不二の下生仏共に具する十界三千を相を釈する処を約●鏡像に釈す之を両面の鏡の習也、) 七には文句第一(陳如章の下無生観に専釈約●団円鏡に釈する之を処云々、)私に云く於て三大部に七処の鏡像円融の事右に備ふなり、伝教大師一面の自浮自影の鏡は止観の一其の拠也、東陽和尚二面の鏡の時は師の鏡をは東に高く懸け弟子の鏡をは西にひきくかけて師弟中に居すれは互に何れにも影をうかべたる也自他不二を顕す也、日有上人(大石寺)仰に云く当宗に談義を禁ずることは講談せは法花を以て四種の釈を可き云ふ也、然ら者陳如の空無生観を専約して団円鏡に譬ふ円観に此の時陳如の空無生の鏡に上行菩薩も可し浮し玉ふ、其の時は大に導師に迷惑する也、当宗は末法の導師を本尊とする宗旨也、竪の化儀也横の化儀にあらずと仰せける也。 一、尋て云く於て今経に何品に正く鏡像法門を宣べたる耶、蓮実房和尚の口伝に云く又如浄明鏡の説は一心之上に現ずる十界を義分明也、所以又如浄明鏡唯独自明了の言は定めて不らん准ぜ資師相承の義に乎、身業の師弟相対の事の信の鏡也。 一、尋て云く常空生死覚用抄ゆ以て浄波梨鏡を一念の心鏡を顕すと見えたり如何が釈する耶、答へて云く常空の生死覚用妙に云く炎魔王界には顕す浄波梨鏡を浮べ十界之因果を現す三千の性相を無始本有の我れ等か神識也、諸仏菩薩の内証の三身の功徳一切衆生の第六の意識也 一、尋て云く一形対の鏡と者如何が口伝する耶、口伝に云く●六に云く若し一形対不能は現前する●矣と釈せり、十不二門の中の自他不二を釈する下の文也、兜率の先徳此の文を引き釈●云く一家稟承の血脈実に非ずんば口決に難き知り耶、四依弘経之大士尚残●於口決に不載せ筆端に故に知ぬ定て有る其の所以哉、雖も然りと時及び末法に人無し信慧闕而不んば書か何に由てか結縁せん是の故に我れ今所を口決する示して益す愚迷を、所謂る厳浄の道場に東西相対●懸を於明鏡二面を生仏並て坐す於中間に、重々相累り無窮なり芥爾の一心即具す三千を是時明了に指●掌を得証するを矣文、此の口伝は以て二面鏡を十界互具一念三千一心三観を釈し顕たり(仏界の高も九界の卑も同く浮ぶ也、)一面鏡にては生死互具の義が不可ら現す故に若し一形対不と能は現前する釈する也(云云)。 私に云く唯独自明了の言豈不ず資師相承の之義に乎(云云)、夫れ相承と者唯授一人と云ふ也二人に教へては仏法の諍論●細人粗人二つ倶に犯過の故に其の仏法たゆる也、例せば伝教大師有り御渡唐四教の法門を受け行満に三観を受く道邃に、行満は六識相承、道邃には九識を相承する也、行満も六識相承にして非ず無きに九識道も九に●非ず無きに六識、教観倶実也と彼の宗に云へる也、行満は始覚の相承し一心三観を道邃は本覚の一心三観と云へり、九識相承と申すは今師祖承、六識相承は金口祖承と也、於て金口に両個、今師に両箇合●四個の相承と云ふ也、止観の第一に就て金口の相承に廿三の付法蔵を列ねたり止の一に云く大覚世○師子尊者文、付法蔵の人は始は迦葉、終は師子則廿三人、末田地と商那と同時に取る之れを則廿四人あり皆是れ金口所説の付法の人也、阿難付法商那は王城に●付法し末田は辺土の付法と云ふ説有る之れ也、禅宗の云く波舎斯多、不如密多、般若多羅、菩提達磨廿八祖と云ふは仏法の吾が所にて可きを断ず知って権者なる故に兼て波舎斯多に授くると云ふ狂言也、強に只天台止観の廿三付法蔵の証也。 私に云く廿三の師子此丘は壇●羅王悪王なるが故に往いて教化する事度々也、或る時尊者を召請●勅使を立つ請用●同時に来る、折節碁囲を打てり臣使比丘参内と云ふ返事すべき時にきれと勅有り、臣聞き之を師子の首をきる乳出でけりとなん(云云)、悲いかな哉悪王小乗の附法を絶ちけることを。 一、天台宗附法小乗の金口断え畢て而竜樹菩薩、時●滅後六七百年に出で、正法の末に弘通する時恵文禅師と云ふ人あり附法の断へん事を悲んで致す大願を、禅家の心を案ずるに師子尊者羅漢にて可き被る殺さ事を知って夜叉比丘に授く夜叉達磨に授くと云って廿八祖と立てたり当宗は知識相承無しと申しての規模也、当宗に不と絶え申す事は竜樹、須梨耶蘇摩、傅ふ大士、恵文と下る絶不絶の異也、されば師子の後には北斉の恵文禅師の焼香散華●眼を塞ぎ入り大経蔵に若し抽き経を取らば諸仏を為ん師と若し抽き論を取らば菩薩を為んと師とさぐるに、中論を取り得たり竜樹の論也、開いて見れば因縁所生法、我説即是空、亦名為仮名、亦是中道義文、依て之れに竜樹恵文南岳天台と来り見て四句の偈を立つ三観四教を知識相承是れ也、今師祖承の時は直授南岳直授天台の二也、何れ四箇ともに山家の内証相承に見えたり、妙楽は今師の祖承は自り後向ひ前に金口の祖承は自り前向ふと後に云へり、自り後向ふ前に者有り三義、一義に云く天台を第一とし釈迦を為第二番とする也、故は天台は諸仏の師たる処の止観を御開悟有る故に第一と也、されば当に知る止観は諸仏○(云云)、又は止観は本仏行因の相也といへる也。 私に云く比れは不足を信用に例の恵心流の雲くゐ法門歟、師資相承も忽に破れ師弟の差異も乱るゝ者也、天台の和讃は恵心の作と(云云)、止観は大師己心中の法なれば法花を人に知らせんと名字を替へて説き玉ふと云る、法華と云へるに所謂有る故に今の修行に非る故に妙止法観するとこそ云へ、両所の義不是ならば何様当時の天台宗は誤る也、其の上以て証を白す師に弗れば汝に不証せ非れは我れに不知を、初発定と者法花三昧の前方便旃陀羅尼文、以て比の開発の内証を争か天台を第一番とし諸仏の本意たる法花をさしをいて止観を以て諸仏の師と可けん云ふ耶、又直授の時非る霊山の法身の仏に理仏也天真独朗と云ふは三千観の悟也、一念三千と開いて何物か可き漏る、此の時心性の仏躰顕れて面授口決と云ふ也、指●開悟を仏と云ふ也、蓮花三昧経に云く帰命本覚心、法身常住、妙法蓮臺、本来具足三十徳、三十七尊住心城、故に題す妙法蓮華経と文、塔中と者法花の即事に顕るを云ふ宝塔と也、法を悟れば即宝塔全躰也寂照一躰の開悟を云ふ宝塔と也故に多宝塔中等(云云)、 直授と云ふより此れまで祐尊の義也、此れ等の義も直授既に理仏也、天台を一番、釈迦を二番と云ふは止観諸仏の師と云ふ事は以ての外に疑ふ之れを事也、涅槃経の文は諸仏の所師とする所る謂法也と(云云)、法を師とする故に云へる歟、本仏とは是れ又何なる本仏ぞや、若し薬王の再誕と云はば迹化の菩薩也非る本仏に也、一義に云く以って天台開悟の内証を奉る釈し南岳の内証を一つ也、南岳の内証を以って見れば恵文を一つ、乃至釈迦も如し此くのさる間自り後向ふと前に云ふ也深秘也(仏法伝受の事比義は面白き也何にと云ても師の慈悲を広大に可云也、)一義に云く所詮は天台唯本無作の重釈者独朗の法躰、根本法花出過三世の法とを悟り玉ふと(云云)、仏は第二番の用に出で、唱ふる成道を故に仏を第二とし天台を第一とする也、此の事唯本無作とは難き云ひ歟、迹付属と云ひ迹化の衆と云ひ観行即と云ひ相似十信の行者と云ひ又は南岳天台教主本化薬王垂迹、五品(云云)、去れ共○来也、唯本とは難し云ひ是れは天台伝教の末代を恋ひさせ玉ふ御釈の事末代へや譲り玉ふらん、此事は唯独自明了の師匠より相承の義天台宗の血脈七処鏡像円融より書き来りたる也。 一、尋て云く教学観学の血脈相承次第如何、大牟尼尊、大迦葉、阿難、商那和修、●多、堤多迦、弥遮迦、仏駄難堤、脇比丘、冨邦奢、馬鳴、●羅、竜樹、恵文、南岳、天台、章安、智威、恵威、玄朗、湛然、道邃、伝教、慈覚、(恵亮、理仙、慈恵、恵亮、満賀、慈恵、)源信、覚超、勝範、長豪、忠尋、皇覚、範源、俊範、静明、心賀(已上教学相承次第。) 大牟尼尊(南岳天台)口伝に云く南岳天台共に直に相承し玉へる次第也、大牟尼尊、南岳、天台、章安、智威、恵威、玄朗、湛然、道邃、伝教、慈覚、恵亮、常済、承誓、理仙、慈恵、源信、覚超、勝範、静明、心賀(已上観学相承次第。) 一、尋て云く於て血脈に除き常済を恵亮理仙慈恵とも、又は常済承誓理仙慈恵とも、又は恵亮満賀慈恵とも比等の不同如何、口伝に云く尤可き存知す事也、理仙も常済も満賀も恵亮の門弟なる故に於て相承に如き此くの不同は出来する也、何も無き相違事也、惣しては教学相承の血脈には恵亮理仙慈恵とも、又は恵亮満賀慈恵とも不同なる事有る之れ也、観学相承の血脈には恵亮常済承誓理仙慈恵と有る之れ也、私に云く天台の相承教観の二学共に慈覚より破れたる也、其の故は覚大師違例あり為に祈祷の於て横河椙生の洞に行じ一行三昧を始て病平癒せり、是れ依る法華の威神力に然●而満四十の年渡唐し十年に当りて帰朝せり、真言を習って叡山根本中堂の脇に造る惣持院を大日を本尊とし三部の秘経を安置し疏を作って此の法門理に叶ふかと祈請するに慈覚日輪を射るに動転すと夢みし仏法破滅の夢也(云云)。 一、伝教大師、道邃和尚の□より師資相承有り之れ、此の相承を●蓮華王院に納めて自筆に遊ば●授く慈覚大師に、此の相承又蓮華王院●納めて自筆に遊はれて授く恵亮に、々々又如く是の慈恵大師に授く紙面に載せて今まで下れり、楞厳院先徳源信僧都、都率先徳覚超、蓮実坊勝範已下の院主長豪、東陽忠尋大僧都、椙生法橋皇覚、大納言法橋範源、中納言法印俊範、宰相中将静明、心賀と下る也、付いて之れに物語あり範源より静明までは世間者にてこそ御座也、何れも異生化人に不る付法せなる故也是れを天台家の学匠と申す也、静明は一人の女子を持ち御座す其の子に静範と申して有り、心賀と深秘の法門を被れ仰せければ後に居て静明をつみ奉りなぜに被れ仰せ有けるぞと云ひければ残し々有り之れ、是れを静範のつみ残しと申す也、其の時に心賀は十六、静範は八才に成り玉ふ時静明臨終し玉ふに、其の後内裏より誰か静明の付法ぞと御尋有る時、静範の御代官に唯仙、心賀の御代官に心聡、各の内裏にて諍ひ有る時、唯仙は静範こそ付法なれ代々の聖教も譲状もあり、其の上古より異生化人に不すと附法せ、王も大臣もげにもと御感ありけり、さて心聡、瓶の水を瓶に写す事を紙面に載る事は謀判にて候と有りければ、其時引き替えてさては心賀の付法と被れ定めけり、さて静範は無く面目伊賀の国往生院に遁世して御入り有き、代々の聖教をはからうと二合に入れて下し、さて心賀は代々の聖教も持ち給はす時に心賀の下法師のつい斉と申す者の名誉の大力にて有りけるが、伊賀に居を定めて聖教に指したる用心候はじめとて盗み来るべしと申しければ、さてはとて国へ下り唐櫃負てもて来れり、此の故に聖教をば心賀持ち玉ふ、是も論所より天台の仏法なくなれり、付法血脈不るは直を仏法にては不る可を有る也、爰を以て天台には唯独自を明了にして余人の所不る見也、而るに天台宗は理の成仏を以て本意とする也、当家には事の成仏を以て正意とする也、法師功徳品の心身業、事相の十界色像の本有の鏡にうかぶ十界の形像大切の中の大切也(三箇の秘法も唯授一人也是を日朗の耳引法門とて日目上人の耳を引き玉ふなり、)当家の付属、明玄付属、撮枢柄而授与する別付属也、廿三人の付法の事も不る可ら入る也本門付属なれば也、四菩薩の上首は上行菩薩御一人、唯独自明了は相似十信の時、大師中終を修行有りて始心信心の所は末法聖人三大秘法の明鏡御付属也、信心は理即名字の位也、日蓮は名字即の位也、弟子檀那は理即の位なり、上行所伝結要付属の行儀、教観判乗の名字即五味の主の行なり。 太田金吾抄に云く大覚世尊○今日蓮が時○対●貴辺に書遣候○御返事、弘安四年卯月八日。太田金吾殿 日蓮 御書に云く理即短妄の凡夫の観心は不る渡を余行に南無妙法蓮華経是也、如き是くの不る知ら深義を僻人出来して予が立義を教相辺れ也と可き思ふ者也、此れ等は皆宿業拙く修因感果の至極せるなるべし、彼の天台大師に有り三千人の弟子章安一り朗然也、伝教大師は置く三千人の衆徒を義真已後は如し無きが、其れ今以て如し是くの雖も可しと有る数輩之弟子無く疑心伝る正義を者は希に●如し一二の小石の可き秘す之法門也、次下に云く去る文永免許之日爾前○申せしかば唯我与我許り也、唯独自明了の余人不見の行儀余の門徒に無きなり、真に流通の浄明鏡の事に所の具する十界色像を一切於て中に現ぜん事は只一返の題目の功用也、余所のふるまひは或は慈覚心賀の失ふに仏法を不る替を者也、定て面前の鏡に影を浮べて不信謗法の罪無き曇り者をや、今事の鏡と者行者の心鏡也、明なる則は諸仏菩薩皆於て身中に現ずるは其の色像を若持法華経の故也、或は銅鏡水鏡等は無く定め鏡によすれば浮ぶ影を去れば不浮ば水鏡は水の躰相続仮也鏡の躰か不定也、今の法華の事の鏡は信心成就●不交へ余行を唱れば釈迦上行影をうかめ玉ふ、然れば有情不るは浮ばなき也、浄波梨鏡は無き余所に也。 一、鏡の影を憑んで身を失ひけるは王昭君也、○又外に云く。 一、昔し有る夫婦の者あり富貴の者なりけるが男帳内へ行いて酒瓶をみれば烏帽子着たる美男有り帰りて妻女を折檻す、不思議と云って女行いて見れば美女酒の底に見えたり、腹立無●極り互に離別する也、男女共に以つて我が影を不●知ら人を疑ふ也、如く其の法華経に疑をなさば諸仏国王是経夫人の中無く●菩薩の子を不生ま(云云)、惣●鏡には種々の事あり水鏡には必ず鷹を寄せて云へる也、近江の鏡山も児の鷹となつて茶碗銀鉢の水に影をうつす也水鏡の山也、或は冨士峯へかえされける作竹翁が許の化女かぐやひめの内にをきける鏡も有り、恋のけぶりとは此の鏡のこがれし事のけぶり也、寝ぬ夢に昔のかべをみつるより心に物ぞ悲しかりける、是はは夢かべと云ふ事なり、或る人女房に離れて有りしに久く往いて妻女の住みし所をもなむ又をもはず往いてみれば、かべにうたかきて置きけり、夢のよにまぼろしの身の生れきて露にやどかるよいのいなづまとよめるも同心とやをもひけむ今の歌をよめる也、かべについては正法念処経廿五巻七宝の教壁とて有り、四面のかべ皆鏡也衆生の善悪の業因浮ぶ事無し曇り(云云)。 一、帝釈の喜見城の四面のかべ七宝厳浄なり、修羅との戦の時負けて逃げ入り中に立ち玉へば四方八方上下皆帝釈なり、阿修羅王不●見知らかへる也、鏡には人うつすが鏡なり、欣道比丘は鏡をはなさず念ふ貌を女は手に鏡をはなさず、是は面に付ける墨をなほし身をいさぎよくする也、善人は悪人のかゞみ悪人は善人の鏡也、今法花の鏡は生死時上下好醜をうかめる大事の鏡也、信すれば仏躰をうかぶ悪行業塵も不付、謗ずれば彼の悪業因縁果報生処も可き浮ぶ也、色香も不付け不るは亘ら余行に法華経の明鏡也。 一、而於て流通に有り二下、法師品に若有人間○乃至一句文、又云く応以如来供養○大菩薩文薬王当に知る如来滅後の悪世に広く演ぶる此の経を善男女人は只未来の諸仏也、されば釈尊の付属を受けて行ずる像法の天台の弟子檀那も未来の千仏内に独りもや入るらん、法師已下の五品は迹門流通と云へり、本迹二処の流通意別と釈する故に迹門付属也、されども上行付属顕れてみれば聖人既に我皆与授記は我也と書き遊ばす未来の諸仏の上首也、爰を以て若是善男子○能●為一人○何況於大衆中広為人説文以て此れ等の文を当世聖人の御弟子等或は檀那をほしがり或はあきなひの為に談義上品下品の師になる経文に符合と云ふことなし、たとひ経旨に叶ふとも如来所遣の像法には薬王の後身天台未来の諸仏也、誰か如く彼の法華を修行せんや、彼れは順化なる故に、陳隋の二帝仰ぐ師と未来の仏となる、聖人は逆化也王臣にながされ諸宗にそねまれ給ふ則如来使也、其の上何況於大衆中の経文に叶ひ玉へり天台未弘の法華を弘め玉ふ三大秘法是れ也、嗚呼の働きして題目をかく時は施物を減少し廿八品を書写頓書する時は●を増す。此の修行末法に不相応せ不知ら此の失を(云云)是一、説法は宗旨の大綱なり、末法の竪の化導を聖人なし玉ふなり、談義は網目像法の横の化儀、天台弘通是也、かやうに不るは分け非す本意に是二、化儀化法に迷へる事、化儀の四教は譲り功を於能化に化法の四教は論ず得益を所化に文、化儀四教広き故大綱なり化法の所接は狭き故に網目なり文、聖人付属の法花は大綱、妙法蓮華経も不知ら此の義を天台過時の本迹の法門に心をかけて経文附合すると云ひける事過分至極也、当家の作仏は初信心々々々と振舞ふ也。 一、薬王其れ有らん読誦する法華経を者当に知る是の人以て仏の荘厳を而自ら荘厳す則為に如来の肩に所る荷担せ其の所至る応に随向礼す文、此れ等の文は迹門流通なる故に面は像法也、其有読誦は是れ非す天台の本意に、開目抄に云く取意天台伝教経読誦●法花経を須臾、甘雨を下せしをも本意とはおぼしめさずと遊ばす、自り元読誦は読誦経典第二品なる故に三千三観の修行が面となればなり、天台の修行も聖人の先序に出でさせ玉ふべき也。 下山抄に云く世尊眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に法華経迹門の半分を譲り給ふ、是れ又地涌の大菩薩末法の初に出現せさせ給ふて本門寿量の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給ふべき先序の為也、所請南岳天台妙薬伝教等是也、今の時は代既に上行菩薩之出現之時尅に相当れり。 一代大意抄に云く一部八巻○四字一々の文字の下に皆妙の文字あるべし是は能開也、此の法華経は不●知ら謂れをも習ひ読む者は但爾前経の利益也(云云)。 高橋抄に云く釈迦如来七宝の塔の中にして妙法蓮華経の五字を上行菩薩にゆづり給ふ、其の故は我れより後の一切衆生は皆我が子にて何れも平等に不便に思ふ也、然れども医師のならひ病に随つて薬を授くる事なれば我が滅後の五百年の間は迦葉阿難等に小乗経の薬を以つて一切衆生に与ふ、次に五百年の間は文殊師利菩薩、弥勒、竜樹菩薩、天親菩薩等に花厳経、般若経、大日経等の薬を一切衆生に授け玉ふ、我が滅後一千年過ぎて像法の時には薬王菩薩、観世音菩薩等、法花経の題目を除いて余の法門の薬を一切衆生に授け玉ふ、末法に入りては迦葉阿難等、文殊弥勒菩薩等、薬王観音等のゆづられし所の小乗経、権大乗並に法花経は文字は有れども衆生の病の薬とはなるべからず、所謂病は重し薬はかろし其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に可し授け玉ふ其の時一切衆生、菩薩を敵とせん所謂猿の犬を見るが如く鬼神の人を欺くが如し。 此の御書法華経は文字は有れども衆生の病の薬とはなるべからず、今法華宗の読誦は為めか今生の為後世の歟、薬と不る成ら上は無き所詮事也、当門流は聖人の門徒なる故に御書と法華経を以つて致す修行を也、法華経の御書をよみながら失ふは理を大謗法無間地獄の業因也。 法蓮抄に云く、而るに日蓮が一類何なる過去の宿習にや○強く覚食すべし、此の御書の心は法蓮父の十三年の為に法華経五部奉り読誦し日記を以て申さるゝ処を法花経は六万九千三百八十余字一々に金色の仏躰と遊ばす故に可しと為る読誦云ふ歟、其の義ならば先づ勝劣の本門不可ら立つ(云云)。 天台宗檀那の一実菩提心偈に云く迹門の文字は如し迹門の教主の如し水中の月の、本門の文字は如し本門の教主の如し天月の文、東陽口伝に云く迹門の文字は水中の月無く実躰、本門の文字は天月にて有り実躰云る心を書けり、委くは明伝抄の初実相同口言の異を書く所に有るべし云々、既に天台宗さへ分けたる本迹を当世心も不知らよめり此の事大切也、されば法蓮書には一往彼れ等が読誦せる経の事を誠に継子一端の寵愛の如くになされて、末には過去の輪陀王の白馬の声を○一部読誦などは聖人の御出世の時分には更に不る可ら入る也、世間の禍によつて悪道に堕ちたる人は一人もなし依て法華経に背くに堕悪する也。 題目抄に云く世間の学匠の云く○題目斗り護持するは要也広略要の中には要の中の要也、私に云く今程法花宗は他宗より早く可き堕つ也。 一、私に云く今時の法華宗は当門流に方便品を読誦する事を難ず云々、得意に云く方便読誦の段は或は天目に同じて捨つる人もあり或は迹即於本、々即於迹の故とも云へり、日善日助の御義は即●迹に本即●本に迹の故に読むと(云云)、日仙の御義は教の破廃ある時は読んで捨つるもよまですつるも同事なれば不可ら読む(云云)、両寺の御義は御同心也、読むは方便品を或は為所破の為借迹文証の々々々々とは文在迹門義在本門也諸釈如し上の其の時は一部をも可き読む歟、今所の引く任せたり御書に全く非る私の計に也、されば一部読誦を以て前に申しつる今ほどは薬王品を読誦候由を申させ給ひき、其の御返事の御書に云く月水抄に云く予が以つて愚見を近来の見るに世間を多くは在家出家に有り誹謗の者のみ但し御不審の事○すべく候、建治元年(太歳甲戌)十二月十一日。 私に云く在家出家有り謗法の者のみげに●●在世滅後に猶多怨嫉、況滅度後の怨敵は殊の外大謗法なるべし、文句の八に云く如来在世猶多怨嫉と者四十余年不得即説くを、今雖も欲すと説かんと而五千尋て即退座す仏世尚爾なり何に況んや未来をや理在り難きに化し也、記の八に云く障未た除か者為す怨と不る喜て聞か者を名く嫉と、迹門は以つて二乗鈍根菩薩を為す怨嫉と五千起去未だ足ら可きに嫌ふ本門は以て菩薩の中に楽ふ近成を者を為す怨嫉と文、私に云く此の事は明鏡也近成と者法花一部の修行を作す人の事也徳薄垢重と者為に是の人の説くを我れ少●出家の行相を本意とすれば、末法の付属釈尊の遺法と時の本尊とに迷惑する也、若見如来常住不滅の可き起す悪心を故に入滅し玉ひて上行菩薩に御付属也。余品をば時々御いとまのひまにあそばすべく候、私に云く此の余品とは提婆薬王の両品の事歟、時々御いとまの間とある上は題目の一行を聴聞か、唱へたまはゞ暇あるべからず、ひまには二品の心をあそばせと云へる心歟、さるためし有り聖人より千日尼の方へ御遣しの御文に云く法華経一部十巻進らせ候、某を恋しくをわせん時は学乗坊に(御点御座のよしあり)法華経の義をよませて聴聞あれとの御書歟、されば聖人御遺告に云く一巻(六人在判)御所持の仏教の事、仏は者(釈迦立像)墓所の傍に可し立て置く(云云)、経は者名く註法華経と六人香花当番之時可き披見す也、自余の聖教の事は者非す沙汰の限に(云云)任せて御遺言に記録如し件の弘安五年十月十六日執筆日興 私に云く一部読誦無き証拠分明也以つて一を万を察する也、ひまの時と有らば只教学の方なるべし、為と所破の者興れば迹の大教廃す爾前の大教を興れば本の大教廃す迹の大教を興れば観心の大教廃する本の大教を四重の興廃也、観心の大教と者捨つ本を非ず観ずるに三諦三観の々心を、聖人仰せに云く彼の観心は此の教相、彼は替へて正直の妙法の名を々く一心三観と非れば有の侭の大法に似たり帯権の法に、此れは信謗彼此決定成菩提の唱へ南無妙法蓮華経とかく、彼は雖も読誦すと一部を不る読ま二字を在り之れ、此れは文々句々悉く読む之れを、此の三箇条の心明鏡也、観心既に異也、四重の興廃の時は小乗経は仏説なれば外道の法を廃し、独一法界の観心の妙法、迹中之本名本門を廃する也、天目は為に所破の弥陀経を可き読む歟と云ふ、是れは弥陀経をも読むと可き云ふ歟、所以に雙用権実の時は弥陀経をよむ也、捨廃の事は未だ知ら其の上広略要の時は広は在世の修行、略は像の修行、要は末法の修行也、天台は略を修行の時四要品の中の安楽普門を勤行に用ふ、天台の要の寿量品の助行也、今聖人宗要の要の助行に方便寿量を用ひ玉ふ諸御書云々、所破する所詮は本化付属にして非る迹化付属に為也。 一、在々所々に迹門無得道と書いて候は予が所の読む迹に非ず等(云云)、近来此の事をもちあつかうて偽書と申さるゝ方あまた有る、たとひ疑書也とも心は御本意に契当する也、天台過時の釈は法花迹門、聖人宗教の迹門は寿量品也、仰せに云く彼の本門は我か迹門と(云云)、○観心の送状紙一丁にあそばす、さどの国にも有り偽書とみる人もあり哀れ也。 一、尋て云く略解言趣の形如何、答ふ経に云く又阿逸多○解其○恵○文○問て云く一念信解の解と略解言趣の解と有り異や、答ふ如し経説の不同也、信解の解は信に具足する所の智なる故に兎角不起の智也、略解の解は言に随つて所の起す智なる故に大に不同也、但解字は下にうばはるゝか於て下に可き書く也、例せば如き止観の於て境の一心三諦に者有り四重の不同於て智の一心三観に有り不同耶否や、応へて云く於て智の一心三観に可き有る不同也、於て正修止観に有り理境修境理境の三千三観は起念相応●本覚の智にて而も此の智の不起本法の智躰にて有る之れ分也、此の上に本法の智を修起する時を修境の三千と云ふ也、於て智に起不起の不同有る之れ也、本法にして不起ら智さて正く縁起の智有り之れ於て正行に悟の智の起不起不同也、円融復疎の起不起は於て妄法に起不起也、正行の三千の起不起をば智体の起不起と習ひ口伝する也。 一、智の一心三観の事、止の一に云く必ず須く心観明了、理慧相応す所行如く所言の々々如し所行の文、弘に云く必須の下は重て誡勧也、心観明了とは勧む解を必ず先て於理に起す行を、理慧相応といふは観業必ず先つて於理ニ生ず解を則ち此の心観与理相応す所行といふは是れ依て理に起す観を、所言といふは是れ依て行に而説く文、当流に口伝あり重ねて誡勧すと言へる釈を習ふ口伝にて有る也、妙解妙行を重ねて取り返し々々誡勧する也、遮難重き解行の機をば重て誡勧する也、心観明了といふは勧むる解を必ず先にし於理を起す行を等と釈するは勧む解を依て解に可き為す行を相を釈する也、次に理慧相応といふは勧るは行を必ず先にし於理を生ずと解を釈するは勧めて行を難き入り者は又於て理に生ずると解を釈する也。 又口伝に云く重て誡勧すと云ふ者名字妙解の上に於て行位に猶重ねて勧む解を於て行に令る無から廃退相を釈する也、心勧明了といふは観解必ず於て理に起す行を等と釈する妙解を重ねて勧むる心也妙解と者妙覚の解也此の妙解を相続するを以て為る立行と也、於て理に起すと行を者理と者本理の三千の理、起すと行を者念々邪々の起念を即三千観と行ずるを起すと行を釈する也、理慧相応といふは勧むる行を必ず先にし於理を生ずる解を等を釈するは是又勧めて行を生ず解を、心は行と者妙解を行ずる故に本との妙覚の解を生ずると釈する也、所詮初に勧め妙解を於て本具の三千に起す行相に釈し次には入る行に後も又本の妙解を生じて妙解のまゝに修行せよと釈する也、尋ねて云く於て理に起行の理と於て理に生解の理と不同ありや、答ふ上の理は妙解の理、次は妙行の理也(云云)。 一、尋て云く山家大師御相伝の智の一心三観の相如何、答ふ法花長講の文に云ふ一心三諦の境、一心三観の智、一行一切行、随て修し四三昧を長に講じ法花経を随て説く一切経を文。 一、尋て云く正く智の一心三観の相如何、答て云く口伝に云く止の五に云く如く猪の摺る○益す求羅を耳文、弘の五に云く動散倍増すれば弥よ益す止寂を昏闇弥よ盛れば倍す益す観明を文、口伝に云く智の一心三観と者起念法界の修行也無念の処には正き一心三観の行を不る成ぜ也、依て之れに恵心先徳云く一念法界名けて為す行躰と文、止の五に云く若し無れば心而已介爾にも有れば心即具す三千を文、弘に云く若し無れば心而已と者顕す心不るを無に文此の釈本末起念法界の修行を以て智の一心三観と釈すと聞えたり、智の一心三観と者迹門境妙の心、前六重は妙解の不生寂然なる心地を本門果地の顕本を聞く時随縁真如の事円三千が一念に開する時智の一心三観を成ずる也。 尋て云く境の一心三諦智の一心三観の上に境智同躰の言説の三観を成ずる宗旨の口伝如何、答ふ口伝に云く一心三諦の迹門境妙の分斉の習ひ也何に況や智の一心三観、本門寿量、顕本事円の三観をばつら●●習ひ失ひたり、此の上に同躰境智、本迹未分の機法共に未起上の本門事円、智の一心三観は甚深なるに似たれども猶本迹相対上の法門なるが故に又既に境智分別せり、迹門境妙の時も本門事円、智の一心三観の時も境智は不離れ相即すれども本迹分別の時は迹門は境を為し本と々門は智を可き為す本と也、同躰境智説の一心三観の時き不可ら有る此の義、本迹未分機法不起の上の果海の立行也、一行一切行直行の円人の修行是れ也、私に云く天台家の意は境も不独なら智も不どく本有と備り物也、雖も然りと迹門の時は境が面也裏に智有り本門の時は面に智の一心三観現前すれば裏は境也、何も境智有る今同躰境智の言説の事説天台一宗には習ひ失ひて名をも不知ら、伝教御相承の一行一切行は妙也、一行躰法花なる処は不顕説法花経也、爰に信をなすを一念信解と云ふ歟、一念の信の上に折伏の行を立つるは解也、此の説は不とも出で言説に末法は下種、上代は脱益と知るべし、○略解言趣の時も事理相望の信智ある中に智が面となる也、約し位に一念信解は名字即、略解言趣は観行即也、信解は折伏武也、略解は摂受文也、廿八品の文上の法華、境智三諦三観をさしをきて只同躰境智の言説の処に信を立つる時き余行を折伏して、一念信解の処に摂しける故に此の解を言へば信にならざる也、信を以て代ふ慧に信の所具也。 一、文と者本来の躰は淳素質朴とて淳は水もさゝざる也素は白き也質は直き姿朴は木のかわのまゝにて兎角の義も不る付か也、其に酒に水を入るゝは文也、糸を五色に染めなすは文也、されば蒙求に墨子染絲と云ふ事あり是れは己れが好みによりいとを染むる事を悲む也、本色を忌みて五色の厳しきに貧す○。 一、されば妙法蓮華の蓮花は五色の中には何ぞや、答ふ花厳は雑花、法花は白華也、五色の中には白色根本也、一念信は因、解は果也、白色の根本を余色に不る移ら処が一念信解也、是を忌みて諸色に耽ける事が略解歟。 一、譬喩の蓮花は玄の第一巻本迹六譬と(云云)、当躰の蓮花は玄の第七巻の六重の仏界に約して釈する也、当に知る法界依正の振舞ひ悉く蓮花因果也、失念は因、後念は果也、信は因也解は果也、一念信解の当躰蓮華也、此の蓮花は皆水より生ずる也爾るに爾前には高原陸地に蓮花不生の如しときらはれしに法花に来つて舎利弗の胸中に花開きたるは陸地より花生ずる也、又いりたるたねときらはれしに火中に花を生ずる也、蓮花の八葉は表し彼の八教を蓮台は表す帰一を文、此の蓮花は八熱八寒に不損せ(云云)、当躰義抄に云く正直に捨て方便を○不可ら疑ふ文、私に云く捨方便は権実相対は権方便也、本迹相対は迹方便也(云云)。 一、一念信解の時は、千貫も一花も信の処は同じき也小善成仏等(云云)、又ひへの飯を供養するなど(云云)、日有上人云く人の志を仏聖人に取り次ぎ申さん心中大切也○私に云く涅槃経に云く為に悪象の殺されては○三趣に(云云)、多少を思ふて名利にふけらば法身を殺す罪可き恐る悪友也(云云)。 一、観心本尊抄に云く過去の大通仏の法花経○、私に云く分明に一代諸経は法花経寿量一品の序と(云云)、然ら者一品二半は外小邪末覆と天台の略法花を貴んで正宗として此の外に流通可き有る旨を天台伝教の定め玉ふ、末法の正中の正と者法味は題目、師は聖人也、聖人所唱の御本意釈迦の募り玉ふ誠諦信解諦聴、名字初生の利生広大宝篋は口中也と天台聖人妙薬大賢定め玉ふ、聖人は南条の大行を賢人殿とあそばす也、米一斗進上の時の御返事に云く今入り末法●余経も○良薬に又薬を加ふる事是なし、顕仏未来記に云く於て仏滅後に於て四味三教に○名字凡夫也文。 一、大師は初随喜品の開悟、或は名字即也、末法之日蓮上人一念信解も名字即也名字位長と位ふは此の事也。 一、寿量品の失心不失心等は皆名字即也文、医師の譬を談ずる事略と(云云)、応死を唱へ玉ふ事は四度也宝塔品の時以て大音声を付属せんと如来不久●から当に入る涅槃にと説玉ふに霊山虚空各の悲をなして心細げに過ぎつるに、又寿量品の法説の時如来以て方便を教化す衆生を○網中文、さては見るに此の文を為に末世の衆の迹中に唱る滅を也、法華経は蓮花は惣、七喩は別と釈する也、一、三車大車為の中周の正説段也、二、長者窮子迦葉等仏恩深き事を領解する也、三、薬草の譬迦葉を印可し玉ふ時き善哉々々迦葉如来真実の功徳誠に如しと所言のとほめ玉ふ、初の善哉爾前に無き成仏の由、次の善哉法花成仏の由を述成し玉ふ也、四、化城宝所富楼那等の下周の為也、五、五百品衣内繁珠の譬、六、安楽品の王頂の髻珠也、此れ等の六譬は皆其の主々が定る也全く末代非ず為に我れ等が人の上の法花経也、此の寿量品の医師の譬社正く末代今の為也、聖人の迹門(脱迹)我れ等の服すべき薬也、如く医の善き方便の為の治せん狂子を故文、実には在れも而言ふ死と無し能く説く虚妄と○患者、我不惜身命して末世を度し玉ふべき故に入滅するを死時已に至り是好良薬し玉ふ也又、普賢経の時却つて後三月我れ当に般涅槃す文、とにかく為に末代の涅槃し玉へば導師も又我不愛身命の御修行也、世間仏法遺跡を立てて入滅する也、仏は神力品の時別付属して入涅槃也、此の品の時は遺使還告他仍て就て此の事に他師は或用神通或用舎利等と釈せり。 一、或用神通と者我か滅度の後に於て末法の中に現じ大明神と広く度する衆生を故也、日本には宗●社稷三千余社の神祇也、是れ則如来の意業也、意は肝なり肝赤き也、故に社を丹にぬり赤くし居垣を百八に立て三角に切る也、貧嗔癡を顕はし上の黒きは百煩悩のけむり聳く姿也と云ふ当家の義には非る也、又天台宗に神道切紙あり法性神は恒遍法界也、此の時は慈悲を仏と云ひ正直を神と云ひ●曲を人と云ふ也、有覚神は本地釈迦の垂迹也、実迷神又は蛇横神也○。 或用舎利々益と者古仏舎利変成して為る米と云ふ時は往古の事也、舎利を米と云へる也於仏舎利に全身砕身あり多宝は全身釈迦は砕身也、八国王の諍ひに高姓婆羅門八ヶ国にはかると(云云)、付いて之れに全身の舎利を法身とも云ひ砕身を生身と云ふ也、法華は法身の舎利、爾前は砕身生身の舎利也、法師品に云く薬王在々処々○不須く復安く舎利を○如来全身文、余行に不亘ら唱る南無妙法蓮華経と塔を説いて云く分別品に云く以て仏舎利を起つ七宝塔を高広漸小●至ると于梵天に文大梵天の高さ異説也一経には大梵天より医師を落すに六百年にをちつく也、一経には去年の今日堕す石が今年の今日至る也、仏舎利の高は法花也信也。 一、寿量品の非生現生は為在世の、非滅現滅は滅後の為也(云云)。 (化生二付) 一、駿河国玉造の作竹翁が竹中に鶯の栖の中に光る卵有り取り持ち内にをけば七日に人となり光明赫々たりければかぐやひめの云ひけん如く是くのなる類也、玉造と云ふは車辺の向かぬき川のほとり也、今も竹二本生ず切れば又亦二本生ず、さて鏡の池はま田えの下方藤沢、鶯の里に有り、玉造とは六丁一里卅里ばかり隔つる也鏡の池は小き池也。 一、付き五十展転に々々平、展転勝、展転劣と云ふ事有り今初随喜の若長若幼の故に展転劣なり、此の法華の名字を聞し事まれならば世施与の布施に勝れたり是れ非る仏法に故に非ず円教に釈せり、さて五十展転と者如何、答ふ小七大七と云ふ小七は一日○七日と数へ大七者初七日○七々日なれば七々四十九人に最後の一人を加えて五十展転と云ふ也、然れば只一人の事と聞えたり、尋て云く展転劣の時は功徳に可き有る多少耶、答へて云く土器を五十並べて最初の火を次第に五十までとほす也、最初の火の光も不薄ら後の火の光も不大なら只平等なる時は不る可ら有る不同也功徳斉き也、但し展転劣と云ふは語る人の功徳上代よりは次第に劣る故に展転劣と云へる歟、名字初信の愚人の上にて所の云ふ法門也、仍つて外聴法の人にをひて四の法門有り○。 一、廃事存理事、事の行を専にしながら又廃事存理と云ふ相違如何、答ふ事行と者本迹雖も殊なりと不思議一の本因妙也、別に迹とて無く之れ不思議一と釈する者也、題目の修行に余事を交ゆるは事行にはあらず余事を不る交へ師弟同声に唱ふる下種の所を事行と云ふ也、五度の事を廃して題目を唱ふる時万法挙つて具足する方は理非造作の理と云ふ也、末法は事行を本とし在世と像法は理観を本とする也、天台の本書は理の上の事、一向迹門也、当家の本書は事上の理也、修行の人は事の信行也、所修の法は理なる分も可き有る歟、文の上は事、文の底は理なる分も可き有る歟。 一、文句の九に云く問ふ若し爾らば持経即是第一義○持経は初品、能持戒は五品也、南岳天台の時は能持戒、末代愚人の時は持経即第一義也、然る問初品の事を後品を以ては不可ら難ず(云云)。 一、伝教大師云く二百五十戒○、新池御書に云く伝教大師は無智破戒の男女等も此の経を信ぜん物にて小乗のに二百五十戒の僧の上の座席にいよ末座もすべからず、況や大乗此の経の僧をやとあそばされたり(取意)、今生身の如来の如くに見えたる極楽寺の良観房よりも此の経を信ずる男女は座席をば高く居よとこそ候へ、二百五十戒の良観房も日蓮に合ひぬれば腹を立て眼をいからす、是れ但事に非ず智者の身に魔の入りかはれる也、譬へば本性よき人なれど酒に酔ひぬればあしきが如し仏も法花以前の迦葉、舎利弗、日蓮をば是れを共●せん物は共に三悪道に可し堕つ、彼れ等が心は犬野干の心には劣ると説き給ふ也、彼れの四大声聞等は二百五十戒を持つ事は金剛の如く三千の威儀を具足する事、十五夜の月の如くなりしかども法花経を不る持た時は如く是の被れ仰せたり、祈祷抄に云く正像既に過ぎぬれば持戒は市の中の虎の如く智者は麟角よりまれならん、月まつまでは灯をも可し憑む玉なき所には金銀も宝なり、白烏の恩をば黒烏に報し聖僧の恩をば凡僧に報ふべし(云云)。 一、領解に云く如是我聞等(云云)文、迹は心の実相初住分証の成道、仏は転妙法輪、即応身如来、出釈氏宮去伽耶城、新成妙覚の仏果、共成円乗開権妙観の観心、理の一念三千の法門を如是我聞とをけり、若し非んば超八之是に安ぞ為ん此の経の所聞と文、さて本門は色の実相、妙覚究竟成道報身如来、約し経に雖も是れ世迹中之本名けて為す本門と、六句知見事の一念三千と云ふ事を如是我聞と(云云)、太田抄に云く報花経を諸仏出世の大事と説かれて候は此の三大秘法を舎みたる経にて渡らせ玉へば可し秘す々々、如是我聞は一句なれども釈迦今日一代に不限ら我本行菩薩道の因位寿命より以来の事を含める法華なれば如是我聞は大事也、紫式部が石山寺にして三千世界は眼前に尽き、十二因縁は心中に深しと都の良香の詩を見て源氏一部をを書けるは天台六十巻を表し、法花廿八品就く中ん我が朝は天照太神の治め玉ふ国也、式部も女の身也ければ如是之字を肝要として我が国の神妙を顕はす也、女の口日下の人合して見れば如是也、本説史記に有りと云へる也、史記に曰く口身を知家を君臣の道文、口をさむると(云云)○。 一、問ふ不る知ら其の義を人○答ふ小児含む乳を○(文)、人の子三年の間に含む乳を事百八十五斛十九斗六升五合(云云)、○令尹子文は守る国を也●於兎云ふ闘伯被が子也、是れは本云国よりめとる也、恒に云国へ行くに伯父の女に嫁して子を生むほどに耻ぢて子を捨つる時、祖父が出でゝ見れば虎が乳を呑まするを見て皈つて養ふ也、楚人は子に乳を呑まするを●と云ふ也、されば於て日本に似る故に猫を於兎と云ふ也、幼児に乳をはなれては不る存生せ也、されば於て日本に似る故に猫を於て兎と云ふ也、幼児に乳をはなれては不る存生せ也、○論語に云く周に有り八士伯達、伯●、仲突、仲忽、叔夜、叔憂、季随、季●、苞子曰く周の時四乳得八士を皆為る顕士と文、故に記す之れを是は周の世に乳を四つ持ちて八士をそだてたる様に注るせり、さには非ず畜生は具し四乳を人間は二乳也、今周の代の一の不思議にしたる也二子を生めるに四たびに八人生る也、二乳を以て二人づゝそだてる故に四乳八子とは云ふ也、八子のそだつは乳の故也。 (本初云)具に如し四信五品書の 長享元丁未十一十六始む之れを左京阿闍梨日教。 雖も恐れ惟れ多しと劣るもの於吾人に有らん之れ耶若し此の内有らば用者以て一所を可し被る立て無からんは詮者可き被る入れ火に也文。 是は顕応坊自筆理境坊日典より日主へ相伝仕者也文。 依大坊蔵学優写本自写之但原本誤脱多々更対原拠細校之又加自訂未完美後賢勿吝改訂矣。昭和八年一月廿二日 日享判 |