富士宗学要集第六巻

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破石金剛論

破法勝地論主一覧頼み入る処なり。(智伝の添書なり)
  破石金剛論全

 金剛固より堅し是れを以って菩薩種々の器を造作して以て衆生を獲(仁王経五大力の如し)、今智伝唯金剛と云ふ則ち何の器何の具と云ふことを知らず、法性の金剛戦時に何の用有らんや之れを、思へ。(浄命の批註)
 金剛斧、金剛槌、金剛輪、金剛杵等なり。
 三妙院施命弟子智伝作彼の山正しく此の書を以って真答と為す。


 夫れ天下太平ならんと欲せば城者として城を破るものあり、獅子法王無敵なりといへども僣聖の蝗虫還って身中を害す、爰に泰雄といへる小獅虫あり列国に周流して悪言及び偽りを先とし頑愚の夫婦を語らひ、昨春花洛に来りて僣聖の声路巷に喧ひすし、故に我か師みるに忍びずして獅子吼一辺すれば彼の獅虫悩裂して冨山に走る、亦文をかざり、ことを巧にし謗偽を先として七箇条の僻答をのこす、誠に汝が陸地に舟をやり虚空に馬を馳しらすが如しとは夫れ是を謂ふか、此れ偏へに僣聖無功の師に習って偏執生盲を性とする所以なり、若し善比丘ありて壊法の者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なりとは脱仏の所説なり、亦聞く天魔外道破旬蝗虫上首等同心に之れを責む可しとは下種法王の誡示なり、故に予も復た見るに忍びず金剛の堅きを以って鳥卵の弱論を折し敢へて偏執する事なかれ、宿習つたなくして重ねて悪言を吐かば再び利剣を以って汝が朽木をきらんと爾か云ふ。
 破石金剛論              智伝之れを誌す。
一、第一問ふて云はく云云答へて云はく云云。
 今云はく汝が所言の如く本仏蓮祖は三世了達の大聖なり、興目両師は亦次第の法将なり誰か之れを非せんや、故に閻浮第一の大導師と崇敬し奉る新弘通所建立度々の天奏これを思へ、爰に目師奏聞せんとほつして日尊日郷を御伴侶として上洛し給ふ、惜しひかな半途・濃州垂井の宿にて滅を唱え給ふ、御伴の両師悲嘆限りなし、終に一朝の煙を催して茶毘し奉り御骨をひろひ頚にかけて上洛し、東山鳥部野にこれを納め給ひ御墓をきづき給ふ委くは家中抄を見るべし、日郷は御所持の道具等を取り納めて冨士へ皈る、我か尊師は上行院に存住まし●●爰目師に継いて奏聞を遂げらる、其の上新弘通所建立と謂ひ誠に以って凡慮の及ぶ処にあらず、故に興尊者より座主伝法唯授一人の大事たる両巻の血脈抄を以って直授相承し給ふ、此れ豈に次第の法将にあらずや、爰に愚者いへる事あり目師此の度の上洛半途にして滅すべきを知り給ひ日道をして閻浮の座主たらしむと、今云はく目師巳に日道を座主たらしめば当職にあらず何ん為れぞ奏聞の理あらん、彼れが云はく故に密に日道に付し給ひ世出世ともに之れを隠し給ひ吾か身天奏の為に上洛し給ふ云云、嗚呼何の謂ひぞや目師既に滅を知り給ひ日道に付属し給はゞ何ぞ日道をして奏聞せしめ給はざるや、半途に滅して何の詮かあるべき、若し強いてそれを望み給ふといはゞ後代に名利を求め給ふの師なり争か其の理あらんや、汝道師を扶助せんとして還って閻浮の座主・を塗炭に堕せしむ、亦汝一期弘法抄を引いて例とす迷へるかな、蓮祖興師をして久遠寺の別当たらしむ余の五老は此の文を知り給ふが故敢て争ひ給はず、故に知りぬ弘法抄に大導師と定め給ふを知らざるべけんや、然らば汝が例にあらず何ぞ此の義を閲せずして妄りに謗言を吐くや、毛を吹いて疵を求む皮を翦りて血を出すとは汝にあらずして誰とかする、汝外文を引いて他を破す今還って汝が身に帰す実に不相承の謂たらん、拙なし●●笑ふ可し々々
 次に問ふて云はく云云、答へて云はく云云。
 今云はく若し上の一条を解しなば宛も晴天に日月の如くなるべし何ぞ強いて挙くるに遑あらん、然れども彼れ邪見熾盛の迷者なるが故に予も亦日道留守居の邪会に至りて悟とすべし。
 次に問ふて云はく云云、答えて云はく云云。
 今云はく予も亦不審あり故にこれを難ぜん、汝撰時抄を引いて悪言を誡しむといはん、予も亦汝が引文をからん、夫れ孔子は九思一言、周公旦は沐に三たびにぎり食ふに三たびはかれたりと(巳上)、九思一言とは無用の言をのぶるにあらず正しく一言を以って万言に越ゆるを云ふなり、夫れ家中抄を見よ座替り本尊の付属・亦下種所立の根元・蓮祖出世の本懐唯授一人の大事たる本因妙抄一百六箇曽て以って見えざる処なり、何ぞ此の正言を忘れて妄りに九思をのぶるや、巳に他師の授与本尊称徳行戒相承等を挙けて我か山の大事を漏脱せる。縦ひ日精愚者たるとも心を忘れて身をおく処なし、根かれて枝葉しげるの理あらんや、我か先哲の大徳を忘れ他師の大徳を挙けて恥を先師に与ふる者なり、亦先師の耻は我か耻なり身に求めて何の益かあるべき、如何ぞ其の理あらんや、亦漏脱の理なからん能々勘考すべき事なり、併ら汝がいへる言ばを以てさもやと思ふ処に御座替りの本尊今に至って五十一世連綿として五十幅を有すと鳴呼何の謂ぞや、汝道師を扶助し先哲を挙けんとして此の黒言を吐き還って恥を先師に与へしむる事慎む可し慎む可し、予明文を引いて汝に喩す驚動することなかれ、其の汝が家中抄下巻八祖日影伝に云はく影公大衆に語る血脈を伝ふ可き機無し是れ我か悲嘆なり、終に応永廿六年(己亥)、病気の時油野浄蓮に血脈を授く、云はく下山三位阿闍梨日順は血脈を大妙に伝ふ其の例無きに非ず、公白衣為りと●も信其れ深きが故に之れを授く伝燈を絶へざらしめよと教示して八月四日に没し給ふ云云、夫れ日影巳に俗に付属す豈蓮興目の悲嘆にあらずや既に血脈次第中絶せり、亦後代日有は愚俗より付属を受け本尊を受くるや、浄蓮何ぞ付属を受け俗身を以て座主となり本尊を書写し奉り法燈相続の大事を破るにたへんや、亦絶代多々なり一々挙くるに遑まあらず、何ぞ座替の本尊五十幅有すと云ふや、夫れ周公旦は沐に三たびにぎり食に三たびはかれたり、何ん為れぞ此れ等を閲せずして妄に謗言を吐くや、既に日道座替本尊住古拠ろなきに亦此の偽を云ふ、たとひありとも偽り多くして真偽分ちがたし誰の人か此れを信ぜん、孔子言はずや人に禦るに口給を以てして屡々人に憎まると、汝にあらずして誰とかするや、妄語を善無畏・不空に伝へ慢幢を大慢婆羅門に習へるか笑ふ可し哀む可し悪む可し、汝夫れ予を如何してかあざむかんや。
一、第二に問ふて云はく答へて云はく云云。
 今云はく汝博学多才なり惜ひかな謗徒たることを、外に云はずや悪を隠くして善を挙ぐと夫れ師与へてのたまへるを汝不覚にして強いてこれをそしる予何ぞ見るに忍びんや、尤も汝が所言の如く戒壇の勝地は冨士山なり、我れ聞く血脈抄に云はく下種弘通戒壇実勝本迹、三箇の秘法建立の勝地は冨士山本門寺本堂なり上行院は祖師堂なるべし云云、弘通所は惣院号なるべし云云(巳上)、所破抄に云はく聖人此の高峯を撰て本門を弘通せんと欲す閻浮第一の冨山なり五人争か辺鄙と下さんや云云、一期弘法抄に云はく冨士山本門寺に戒壇を建立せらるべきなり云云、誰か此等の明文を非せんや、然るに先年京師の脱家十五山我か山を犯す、山主師子吼す彼の百獣悩裂して終に公処へ向って讒言に及べり、公処も亦其異なるを知つて同派を問ふ、山主答へて云はく冨士山大石寺と云云、故に御尋ね有り其の時冨士の書上けに云はく上行院住本寺開山誰れ開基致し候年号等の義、是れ又前書に申し上げ候通り日尊上京仕り何と申す寺を初に建立仕り候や其の義細に候へば相知れ申さず候、故に上行院開山誰れ住本寺開基致し候年号一向に相知れ申さず候、此の度巨細に御尋に付き旧記等精々詮義仕り候得共、唯日尊上浴の趣斗り相知れ彼の地に終るの義は拙山方に碇と相知れ申さず候(巳上)、鳴呼何の謂ぞや座主伝法の大導師を蔑如し謗言を吐くの甚しきや、興師の云はく設ひ付弟為りと●も新弘通所建立の義無くば付属堅く禁め給ふ者なり、然る間玉野の大夫法印は王城の開山日目弘通の尊高なり花洛并に所々上行院建立有り云云、仍って之れを授与するのみ、正和元年(壬子)十月十三日日興・日尊に之れを示す(巳上)、日精云はく同十月十二日日尊を御赦免有りて召し出ださる、此の時日尊の祈祷の為に書写し給ふ処の本尊卅六幅日尊に給はる処なり、而るに日尊建立の寺菴亦卅六箇寺なり凾蓋相応せる事誠に不思議なり凡慮を以って測量すべからずとは此の謂ひか、正和元年十月十三日両巻の血脈抄を以って日尊に相伝し給ふ此の書の相承に判摂名字の相承、形名種脱の相承あり(巳上)、日因云はく三会抄云云、両寺一寺の本尊裏書云云、夫れ此れ如きの明文あり何ぞ旧記になしといへるや、此の度の一件に大臆病を起し異躰同心の祖意を害し蓮興目の折伏弘通の軌則を破り剰へ勝地の冨山に居て本門寺戒壇建立の思ひを忘る、蓮祖のたまはずや法花経の行者は臆病にては叶ふべからずと、夫れ見よ蓮祖の所破に当れり獅子の身中の蝗虫なり師敵対の大罪挙けて数ふべからず、是れ所謂習ひ性となる故か悪む可し悪む可し、故に巳に不和となりぬ、秘法抄に云はく三国并に一閻浮堤の人・懺悔滅罪の戒法のみならず・大梵天王帝釈等も来下して踏み給ふべき戒壇なり、此の戒法立って後・延暦寺の戒壇は迹門の理解なれば益あるまじき処に、叡山の座主始って第三第四の慈覚智証存の外に本師伝教義真に背いて理同事勝の狂言を本として我か山の戒法をあなづり戯論とわらひし故に、存の外に延暦寺の戒・清浄無染の中道の妙戒なりしが徒に土泥と成りぬる事云っても余りあり嘆いても何にかはせん、彼の摩黎山の瓦礫の土と成り栴壇林の荊棘と成らんにも過ぎたるべしと云云、南条抄に云はく彼の月支の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり参詣遥に中絶せり急々に来臨せしむべしと云云、本寺参詣抄に云はく我か門弟等身延の寺を以て本寺とすべし我れ常に此の山に住してと文、亦云はく根元の本寺を忘れん門弟等は何事も徒らなるべし、逆路伽耶陀の者にして皆悪道に堕つべき故なり云云、日興上人波木井御返事に云はく一閻浮堤の内日本国・日本国の内甲斐の国・甲斐国の内・波木井の郷は久遠実成釈迦如来の金剛の宝座なり、天魔破旬も悩ますべからず、上行日蓮の御霊崛なり、死霊悪霊もなだむべし、(乃至)法華経此の処より弘まり給ふ可き源なり、(乃至)惣じて久遠寺の院主覚頭は未来までの御計ひにて候べし(巳上)畧引、亦原殿御返事に云はく身延山を罷り出で候事・面目なさ本意なさ申し尽し難く候共・打ち還して案じ候得ば何国にても聖人の御義を相継ぎ進らせて世に立て候はん事こそ詮にて候へ、さりともと思ひ奉るに御弟子悉く師敵対せられ候ぬ、又日興一人本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁に相当りて覚へ候へば本意忘るゝこと無く候(巳上)、夫れ比叡山は迹門の戒壇・本門戒壇建立の期までは梵天帝釈等来下してふみ給ふべきの地なり、爾りといへども慈覚智証の謗法に依って巳に土泥となりぬ、身延山は法花弘通の根源広布の期まで本寺たるべきに日向波木井の謗法に仍て現に土泥となりたるぞかし、夫れ我か興上冨士山に一字建立し下種の大法を弘通せんと欲し給ふに、終に無功の師等法水を濁らし戒壇の勝地を穢し今に至って慚悔せず、争でか法主大聖人の法魂此の謗法の地にましますべけんや、愚者能く之れを思慮せよ、たとひ法魂ましますとも他の参詣の道を遮りぬ、然らば往拝せざるの罪冨山にあるにあらずや、若し汝冨山の僻徒等少しくも後悔を生じなば山を下り花洛に来りて慚悔すべし、然らば同心堅固に信心を励まし東西に分れて法皷を打ち戒壇建立の期を待たん事豈よからずや、亦汝強いて戒壇勝地を以って他を拒まんとす、元より勝地は冨士なり戒壇建立は広布の時なり、我れきく血脈抄に云はく広宣流布の日は上行菩薩大賢臣となり無辺行菩薩は大賢王となり浄行菩薩は大導師となり安立行菩薩は大関白となり或は大国母となりてと云云、下文に時を待つ可し云云、一期弘法抄に云はく国主此の法を立てらるれば冨士山本門寺に戒壇を建立せらる可きなり時を待つ可きのみ云云、興師門徒存知に云はく何れ広宣流布の時至り国主此の法門を用ひらるの時は必ず冨士山に立てらるべきなり云云、夫れ戒壇建立の勝地は広布の上の沙汰なり同心堅固・折伏弘通を励まし権者出現を待ち奉る可き者か、畢竟勝地は今の所論にあらず故に広布の日までは汝等にあづけん大事に守護すべし、亦戒壇勝地を撰ぶは仏法の通例・且三国の佳例・亦大法称徳を以ての故なり、広宣流布の期に至りては一閻浮提の外・万国に至るまで皆悉く常寂光本有の戒壇なるべし、我れ聞く血脈抄に云はく日本国(乃至)、一閻浮提の内一同に四衆悉く南無妙法華経と唱へしむるのみ、四大菩薩同心して六万坊を建立せしむ何れの在所たりとも多宝冨士山本門寺上行院と号す可き者なり時を待つ可しと(巳上)、南条抄に云はく法妙なるが故に人貴し人貴きが故に所貴しと申すは是れなり云云、汝早く我慢偏執を改め同心堅固に折伏弘通せずんば何つの日か広宣流布を期し何つの時か天下に法皷を打たん、愚者能くこれを思慮せよ。
 次に問ふて云はく云云答へて云はく云云。
 今云はく汝蚊虻の極たり一致者流の血脈に自義を加味せし毒薬なりと云ふ面白や迷へるの甚しき事を汝未だ時至らざるに強いて地を論ず上に挙くるが如く地に勝劣なしと云ふにはあらず、然りといへども是れも亦蓮祖興師の教示なり何ぞ毒薬と云ふや懼る可し悪む可し、獅虫汝強ち毒薬と思はゞ蓮祖に向って難ずべし我れ等が測量する所にあらず、彼れが云はく然らば一百六箇の相承を地の勝劣を除いて一百五箇と云ふべし、亦本因抄に云はく吹風万物に付いて本迹を分つて勝地を弁ずべきなり、若し爾らずんば仏弟子に非ず阿羅漢に非ず菩薩に非ず我か弟子に非ず云云如何。
 今云はく予も亦聞きをける一箇あり汝速に之れを会せよ、百六箇の血脈其の十下種法花経の教主の本迹・自受用報身は本・上行日蓮は迹なり等(巳上)、夫れ汝が所解の如くならば蓮祖は巳に迹仏なり何ぞ蓮祖を以って下種法皇亦人の本尊と崇敬するや、亦聞く余行に分たざりし妙法は本・唱る日蓮は迹なり云云、亦本因妙は本・自受用身は迹と云云、亦本化本尊の本迹・七字は本なり余の十界は迹なり、諸経諸宗中王の本尊万物下種の種子無上の大漫荼羅なり(巳上)、汝強いて本迹を分っては此等の明らけき真文を如何かせん、妙法は本なり自受用身は迹なり、然らば本尊は一向法本尊に限るべし、又法のみにして余の十界を除いて本尊とすべし、若し否といはゞ汝に問はん法は本なり人は迹なり中央の七字は本なり余の十界は迹なり汝此の本迹を除くや否や、若し除くと云はゞ法主大聖人の本懐十界互具・人法不二・種子無上の大漫荼羅を軽蔑する大悪人なり、若し否といはゞ此れも亦本迹一致の本尊とするか笑ふ可し悪む可し、所詮汝が立る処は別教の見識なり其の故は四土不二・三身円満・十界互具・凡聖不二の掟を隔歴の法門となす所以なり、我れ聞く本因妙の御相承に云はく不可得言語道断の勝劣は天台伝教の残したまふ所我か家の秘密の観心・直達の勝劣なり、迹と云ふ名ありといへども有名無実・本無今有の迹門なり、実に不思議の妙法は唯寿量品に限る故に不思議の妙法は唯寿量品に限る故に不思議一と釈するなり云云、亦血脈抄に本化事行一致の本迹・本迹殊なりと●も不思議一云云、本因妙の外に迹とて別に之れ無きなり故に一と釈する者なり、真実の勝劣の手本の釈なり等(巳上)・御義口伝に云はく迹門は空を面と為す故に不二の上の而二なり、又云はく作礼・而去の去は随縁真如の如と約束するなり、本門は而二の上の不二なり云云・夫れ明文顕然なり汝生盲・本因不思議の本迹を以って何ぞ霊山脱仏の本迹に比するや、仏意測り難く聖意恐れ有り汝妄りに祖意を害すること勿れ、誠に天魔波旬外道・獅子身中の蝗虫とは還って汝が事なり責む可し畏る可し。
一、第三問ふて云はく云云、答へて云はく云云。
 今云はく夫れ法主大聖人・本因妙一百六箇座主伝法の抄●に二箇の相承を以って日興上人に御付属まします誰かこれを非せんや、目師亦興師に続いて座主たり尊師も亦目師に継いで座主たり、而も興師の素意に任せて直授相承まし●て王城開山と定め給ふ、実に次第の大導師たる事顕然たり、何人か是れを拒み誰人か是れを非せんや、彼が云はく日尊相承を承け給ひしは正和元年十月十三日の事なり、大導師の当職は目師なり尊師も亦大導師なりといはゞ忽ち国に二主・天に双日いづるが如し、顕仏未来記に云はく四天下の中に全く二日無く四海の内に豈両主有らんや云云・秋元抄に云はく父二人出れば王にあらず民にあらず人非人なり法花経の大事と申すは是れなり(巳上)如何、答へて云はく然り夫れ本因妙抄一百六箇は蓮祖嫡々座主伝法・唯授一人の相承なり、蓮興目尊次第に続き給ふ何ぞ二人の大導師と云ふや、彼が云はく尊師巳に正和元年の相承なり当職は目師なり豈二人の大導師にあらずや、答へて云はく生盲汝何ぞ此の謗言を吐くや夫れ法主大聖人両巻の血脈抄を以て弘安三年(庚辰)正月十一日興師に付属し給ふ、然りといへども蓮祖泰然としてまします是れ豈二人の大導師と云ふや笑ふ可し、夫れ興師素意にまかせて尊師に付属し給ふに何の妨げかあるべけんや・彼れが云はく然らば汝目師に本因妙一百六箇の相承なしと云ふや、答へて云はく誰かなしと云はんや、夫れ法主内証外用・金口知識の相承を以て目師に授け給ふに大導師の興師其の意を得給はざるにあらず、故に蓮興目と次第するにあらずや、尊師の相承も亦此くの如し豈閻浮提座主目師其の意を得給はざるの理あらんや、愚者夫れこれを計れ、故に目師亦素意にまかせて大導師を譲り給ふ事顕然たり誰かこれを非せんや、故に蓮興目尊と次第す、愚者が云はく大導師は日道に譲り給ふ何ぞ尊師と云ふや、答へて云はく尊師巳に蓮興目に大功あり実に次第の法将・大法の器たること文現理の三つ顕然たり、尊師を除いて誰の人を取り出すべき、日道亦何の功ありや一寺二箇寺は諸師皆建立し給ふ処なり、何ぞ尊師に及ぶべけんや能々勘考すべき事なり、何ぞ大導師にあらずと云ふや謗罪恐れあり師虫早く慚悔せよ。
 次に問ふて云はく云云、答へて云はく云云。
 今云はく巳に是れ家中抄の自義にして拠ろなき言なり何ぞ用ゆるに足らん、併ら目尊両師の事は巳に上に挙げたり何ぞ煩しく挙ぐるに遑あらん。
 次に問ふて云はく云云。
 今云はく汝生盲此の真文を分けて三段とし法主大聖人の本意を破る、獅子身中の蝗虫・師敵対の大罪畏るべし哀むべし、今爰に汝が引ける真文を拝していよ●尊師正統の師なる事を知る、文に云はく日興嫡々一人の外は之れを授与する事勿れ、設ひ正付法の上人為りと雖も新弘通建立の忠節之れ無き者には、全く之れを授与すべからざる者なり、然りと雖も随力演説の弘通は大慈大悲の誓約なり、志は偏頗無けれども仏法嫡々の正義を全うせんが為なり(巳上)・汝此の文を三段と分ち初めに法主血脈・次に護法の賢臣・後には慈悲の末弟なりと云ふ曲科を立てて設の字を下に属して上の語に縁きれたりと鳴呼愚者何をか云ふや、汝日興一人の外之れを授与すること勿れとのたまふ真文を以て嫡子分をつのり、亦次の文を以て護法の賢臣と云つて他を拒まんとす、笑ふ可し生盲我か難を受けよ、夫れ六老の中に日昭は補処の弟子なり日朗は智解抜群・常随給仕の御弟子なり血脈抄之れを思へ、然りと●も蓮祖此れ等の師に付属し給はず第三日興上人は下種の大法器・折伏弘通の法将なり故に其の撰に当り給へるは興師一人なり、故に惣貫主嫡子の大導師と定め給ふこと誰か之れを疑はんや、然るに汝が所解の如くんば法主嫡子の血脈日昭日朗・護法の賢臣日興と下せるが如何笑ふべし笑ふべし、亦設の字を曲けて縁きれたりと云ふ、予が云はく夫れ上に嫡子相承を挙げて爰の設の字ををき給ふ事は上の文を受け其の行躰を挙げていよ●嫡子の徳を挙げ給ふ明文なり、其の故は日興嫡々一人の外は授与せずとなり、設ひ第一の弟子智徳兼備の聖人たりといへども新弘通所建立の忠節なき者には決して付属する事勿れ、予が日昭日朗を除き日興に授くる事は此の所以なり後代も此の如くせよとの給ふ大明文なり、亦次文は慈悲の弟子とも汝等に付属せぬは全く我心には偏頗なけれども仏法嫡々の相承の正義を立てんがためなり敢て付属を争ふことなかれとのたまふ誡示なり、此の真文を解しなば尊師も亦興師の如く嫡子法王の血脈惣貫主大導師たる事皎として目前にあり獅虫如何、開目抄に云はく晴天に大日輪の懸るがごとし白面に黶あるににたり、而れども生盲の者と邪眼の者と一眼の者と各謂自師の者と偏執家の者はみがたしと云云・汝師敵対の報に早くも生盲となり悪科を擬して赫々然たる真文を破らんとすること・宛かも手のばして大日輪の光明を覆はんとする愚癡なり悪くむ可し哀む可し、請ふ冨山の群賢来哲此の生盲を見習へる事なかれ。
 次に問ふて云はく云云、答へて云はく云云。
 今云はく汝が所言の如く師弟不二は尊師一人に限るにあらず異躰同心の日は皆悉く師弟不二なり、然りといへども蓮興目尊の如きは師は慈悲を以て弟子に授く弟子亦忠義を尽し師の心を安んぜしむ、豈行躰兼備師弟不二の大導師にあらずや、文現理の三つ歴然たり、元より汝がことばの如く尊師王城弘通は目師の功なり、亦目師の功にあらず興師の功なり、亦興師の功にあらず偏に法主大聖人の高名なり、此の師弟不二の所以なればなり、亦尊師相承を受け給ふといへども目師泰然として治め給ふが故に大導師と名乗り給はず、其の故は国に二主天に双日なきが故なり、亦目師天奏の為に尊師郷師を召しつれ上洛まし●半途に滅し給ふ折しも無功の日道・大石寺を横領す・匹夫の日郷亦争へり、日尊其の濁れるを見て且還り給はず其の例なきにあらず、興師原殿御報に云はく打ち還して案じ候へば何国にても聖人の御義を相継ぎ進らせて世に立て候はん事こそ詮にて候へ、さりとも思ひ奉るに御弟子悉く、師敵対せられ候ひぬ日興一人本師の正義を存して本懐を遂げ奉り候仁に相当りて覚え候へば本意忘るゝ事無く候(巳上)、尊師も亦此くの如く思食して王城にまし●讎敵の中に大陣を張り竪に天奏を遂げ横に讎敵狂徒を責め給ひ広宣流布の期を待ち給ふ者なり、故に大導師嫡々の血脈は我山にあり戒壇の御本尊は汝が山にあり汝山守り戒壇の御本尊大事に守護し奉り我か山より戒壇建立するのを期を待つ可し、敢て違ふ事なかれ。
一、第四に問ふて云く云云、答て云はく云云。
 今云はく汝巳に弘通処と知れるか面白し●、亦弘通所の勝劣を立つるに血脈抄を引く、文に云はく下種弘通戒壇実勝本迹、三箇の秘法建立の勝地は冨士山本門寺の本堂なり上行院は祖師堂云云・弘通所は惣じて院号なるべし(巳上)・此れは本門寺戒壇建立の権者出現の期に任かすべし弘通処は惣院号なるべしとのたまふ何ぞ勝劣の証拠にあらんや、興師云はく廿六条云はく六人上首門徒の事上首皈状の時は元より六門徒なるが故に門徒を改めずして同心すべし云云・家中抄目師伝に云はく六箇寺之れ有り自然に六万坊の表事に叶ふ、此の内何れの寺発向して本文寺建立せらる可きや否や知れ難き事なり、今山門三井の例を以って之れを思ふに(乃至)六箇寺一味同心に本門の大法を興行す可きなり、其の中に大石寺は本院・重須は奥院・残り四箇処は皆積学なり何れも軽賤すべからず、此の人々は本門寺の大奉行たるべき者なり、或る人偏執を挿み末寺と云へる故に興師の本意に背く邪義なる故に全く信ず可からざる者なり、(乃至)此の遺状今当山に在るなり巳上、夫れ此れ等の軌則あり何ぞ強いて弘通所の勝劣を論ずるや、亦王城弘通なくんば争でか本門寺戒壇建立の期を得んや、豈第一の弘通所にあらずや、亦汝寺号を以て院号を破す此れ等は誠に論ずるに足らず、併ら彼奸心重畳せるが故にいさゝか之れをさとさん、蓮祖の云はく身延山久遠寺云云、又御弟子等の建立の諸寺蓮祖自ら付け給ふに皆悉く寺号なり此れ等は如何か云ふやらん、亦大石寺は寺号にあらず其故は興師云はく大石の寺は御堂と云ひ墓所と云ひ等云云、家中抄に云はく高開両師の本意国主の皈依を受けて冨士山に三堂を造立して額を本門寺と打つ可し是れ両師の本意なり、故に御在世の時は重須の寺・大石の寺と云って寺号を呼ばす古状にも其の趣見へたり、日澄遺状等を・も見る可きなり云云、古来の点皆爾かなり汝何ぞ妄りに院号寺号の相対するや、亦本寺とのたまふをつのらば身延山いかゞ云ふやらん、本寺参詣抄南条抄等に蓮祖自ら本寺とのたまふにあらずや、興師云はく惣じて久遠寺の院主学頭は未来迄の御計ひにて候べし云云、汝愚論をなす事なかれ、興師の云はく打ち還して案じ候へば何づ国にても本師の正義を相継き進らせて世に立て候はん事こそ詮にて候へ等云云、夫れ血脈正法并に大導師は我か山にあり戒壇の御本尊并に戒壇建立の地は汝が山の守り役なり、敢て麁略にする事なかれ。
一、第五に問ふて云はく云云、答へて云はく云云。
 今云はく普天の下・率土の浜・皆悉く法主の領内にあらずと云ふ事なし、是れは世出一同の義なり誰か是れを知らざらんや、亦平安の小王たりといへども世間を以って言へば四海悉く平安城王の領内なり、若し王者仏法に信なくんば争でか本門寺戒壇建立する事を得んや、我れ聞く血脈抄に云はく上行菩薩は大賢臣となり無辺行菩薩は大賢王となり、浄行菩薩は大導師となり安立行菩薩は大関白となり、或は大国母となりて、日本国(乃至)一閻浮提の内一同に四衆悉く南無妙法蓮華経と唱へしむ、且四大菩薩同心して六万坊を建立せしめ何れの在処たりとも多宝冨士本門寺上行院と号す可き者なり時を待つ可し云云(巳上)、秘法抄に云はく戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に三秘密の法を持って有徳王覚徳此丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣并に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是れなり云云、一期弘法抄に云はく国主此の法を立てらるれば冨士山本門寺に戒壇を建立せらる可きなり時を待つ可きのみ(巳上)、興師門徒存知の事に云はく王城の事右王城に於いては殊更撰勝の地なり就中仏法と王法とは本源一躰なり居所随つて相離なる可からざるか、仍って南都七大寺北京比叡山先蹤之れ同じ後代改めず、然らば駿河の国冨士山は広博の地なり、一には扶桑国なり二には四神相応の勝地なり、尤も本門寺は王城と一所なるべき由、且は往古の佳例なり且は日蓮聖人の本願を祈る義なり(巳上)、夫れ戒壇建立とは仏法の王法に合し王法の仏法に合し四海万邦の内、四衆悉く南無妙法蓮華経と唱へ奉る時国主本門寺を建立あつて受戒ある所を事の戒壇と云ふなり、若し王城弘通せずして国主の皈依を受けずんば何ぞ以て戒壇建立の期を得んや、仏法王法、本源一躰なり何ぞ蔑如するの甚しき、亦王者の助けなくとも戒壇建立する事安くば何ぞ四大菩薩は大賢王・大賢臣・大関白・大国母となり給ふぞ汝之れを思慮せよ、夫尊師は王城開山本門寺建立の大導師なり豈閻浮の大導師と云はざらんや、亦仏法王法随てはなれずば富山に王城を移すとも王城の開山なり大本門寺の貫頂なり戒壇建立豈尊師の功ならずや、無功僣聖のをのこ何ぞ妨ぐる事を得んや、夫れ蓮興目尊・唯我与我の相承を汝等何ぞ此れを破らんとするの甚しきや、蓮祖興師をのたまはく本門弘通の大導師と、亦云はく惣貫主と云云、亦興目師をのたまはく閻浮の座主と云云、亦尊師をのたまはく王城開山と(巳上)、汝獅虫何ぞ誤りて尊師を猶閻浮の大導師にあらずと云ふや、責む可し悪む可し。
一、第六問ふて云はく云云、答へて云はく云云。
 今云はく汝が引文本因妙抄に云はく又日文字の口伝産湯口決の二個は両大師の玄旨に当つ、本尊七箇の口伝は七面決を表す、教化弘教七箇の伝は弘通者の大要なり、亦此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書・塔中相承の禀承・唯授一人の血脈なり相構へ秘す可し伝ふ可し(巳上)、夫れ此くの如きの明文を以って日興上人に付属し給ふ、興師亦此の血脈を以って尊師に付属し給ふ豈閻浮の大導師にあらずや、巳に連綿と其題名を挙げ給ふ此れに漏脱せる相承やありなん、汝誤って此の相承を別々にして本尊書写の相承なしと云って還って蓮興目尊を塗炭に堕せしむ、巳に興師は蓮祖御在世に師に代って本尊書写まします事、家中抄等にも見へたり、若し是れも本尊口決なしといはゞ還って興師は謗人なり笑ふ可し、夫れ本因妙抄に連綿と其の題名を挙げて付属し給ふが故に本尊書写まします何の妨げかあらん、尊師も亦興師より此の如き御相承まします何ぞ本尊の書写なしと云ふて閻浮の大導師を蔑如するや、獅子身中の蝗虫とは汝にあらずして誰ぞ・何ぞ恐慮せざらんや、亦尊師本尊書写し給はざるが故に大導師にあらずと云ふ僻見を起せり、此れ何の謂ぞや蓮祖本因妙抄を以って本尊の大事のあらゆる血脈を興師に伝へ給ふ、而も座主伝法の唯受一人の大事なり、興師亦尊師に此の座主伝法の書を以って付属し給ふに何ぞ大導師にあらずと云ふや、尊師云はく興上人御入滅の後一門跡に於いて面々諍論出来して互に偏執を成し邪論を起し人々面々之を書写し奉る云云、然れば則仏意測り難く聖意恐れ有り所詮吾門弟に於ては本義の如く一人之を書写し奉る可きか(巳上)、此の文赫々たり知んぬ相承の大導師たる事を、亦本尊書写ましまさぬ事は日興上人云はく日興弟子分の本尊は一々皆書き付け奉る事誠に凡筆を以って直に聖筆を黷す事尤も其の恐れ有りと●も等云云、亦尊師の実録には本尊を書写し奉る事は誠に以って恐れ有る事なり、故に大聖人の御真筆の御本尊を印板に刻み信心の強弱・行業の久近・給仕の忠否・香花供養の堪否を撰んで一揆の衆義を以って授与すべきの由見へたり、此れ誠に相承の大導師本尊の大節を知り給ふが故なり、亦興目滅後に至って無功無道の無相承の日道等の諸師本尊の大節を知らずして邪論を起し妄に凡筆を以って聖筆をけがす、是れ誠に僣聖上慢の僻意あるを以ての故なり、何ぞ日道に本尊を請ひ給ふの理あらんや、亦本尊書写は我か山に限る事顕然たり血脈相承あるを以ての故なり、亦汝が山に書写するを見て扶けて興師の三十三箇条を引く汝還って不覚の謗言を吐く笑ふ可し、予も亦汝が語をからん汝等頑徒此の如く明文を知らずして人家の愚夫婦を売弄せんと欲して、猥に腥臭の口を以って大慢語を吐いて尊師猶大導師の相承なしと云ふ、邪慢は山の如く偏執は頑石の如し、更に無量の悪言を加ふ宛も天狗の如し、曰はく法王血脈の鳶の鼻高し一が中の一の弟子、留守居の両翼を展ぶるが如し尊師を蔑如する事宛も闇夜の礫の如し、されば還って汝が事なり笑ふ可し笑ふ可し、獅子身中の蝗虫なり責む可し恐る可し噫々。
 問ふて云はく云云、答へて云はく。
 今云はく戒壇の御本尊并に元品の大石寺の事は汝が答の如く然なり、爰に予も亦疑難あり夫れ従一出多・従多皈一・亦一機一縁等の邪義は古来の義なりや自義なりや、若し古来の義ならば拠を出すべし自義といはゞ汝等に問はん、夫れ本因下種の妙法は大海なり諸経は悉く川江井等なり、亦本門十妙は本因より出てたり、若し汝が所解の如くならば戒壇の本尊を除いて余は悉く江河の本尊と云ふか、又熟脱の本尊と云ふか、本因より本因は出でまじき事なり、之れに依って熟脱の本尊といはゞ熟脱の本尊は時機不相応なり、蓮祖何ぞ仏滅後二千二百三十余年の間未曽有の大曼荼羅と記るし給ふや、亦本因妙に勝劣なし種子無上の大本尊、三世常住の御利生あり何ぞ一機一縁と云ふや、戒壇の御本尊は弘安二年の御筆跡なり其の巳前に書写し給ひし本尊は川より海の出て来ると云ふか如何、亦授与書に依って大小を分つ之れ汝が山の僻見の根源なり、此の報に生盲となれるか哀む可し、授与書きに依て利益の大小を分け給ふにはあらず別に故あり、興師冨士門徒存知の事に云はく日興弟子分の本尊は一々皆書付け奉る事故に凡筆を以て直に聖筆を黷す事尤も其の恐れ有りと●も、或は親は強盛の信心を以って之を賜ふと●も子孫等之れを捨て、或は師は常随給仕の功に酬ひ之れを授与すと●も、弟子等之れを捨つ、或は以て之れを交易し或は以って他の為に盗まる、此くの如きの類其れ数多なり故に書き付け賜ふ処なり本主の高名後代の為の高名なり等云云、夫れ此の義を以っての故なり何ぞ妄に授与書に依て利益の大小を分つや、汝の僻思の如くならば定めと本尊の大小に依って利益を多少論ずる事もあるか笑ふ可し、所詮従一出多・従多皈一・一機一縁の祖意を害する大黒論・誰か信ずる者あらん強いて記すに遑あらず、孔子云はずや人遠きはかりなければ必ず近き憂ありと慎む可し慎む可し、信心薄きが故に此の如く謗言を吐くか哀む可し。
一、第七に問ふて云はく云云、答へて云はく云云。
 今云はく巳に上に弁別せるが如く、しひて挙ぐるに遑あらず、所詮僣聖上慢無功日道日郷等に何ぞ相承の理あらんや、汝日道の偏執邪見にならつて蓮興日尊・唯我与我の相承を横領せんとす、師敵対恐れ有り群賢旃を慎めよや。
 次に問ふて云はく云云、答へて云はく。
今云はく此の対論尤なり邪見偏執・僣聖上慢より出てたる対論なり、故に三年の長きを経たり日道付属は拠ろなし唯家中抄の語のみ、亦内外用、金口知識の相承等其の器に非れば伝へず等云云、僣聖無功の日道何ぞ其の器にあたるにたへんや、忝くも我か尊師は行躰兼備折伏弘通の法将なり、故に蓮興目の血脈の法水自ら尊師の胸中に流入す実に閻浮の大導師なり、皎々たる明文宛かも青天に日月を拝するが如し、生盲は見ざるも道理なり賢哲これを明めよ後人疑滞をのこす事なかれ、彼の惑者七箇条を記して謗言を吐く故に見るに忍びずして、いさゝか彼の僻答を折く事此くの如し、願くは法主大聖人の大慈大悲を蒙り彼れ少しくも解し後悔をも生じなば異躰同心信力堅固にして倶に天下に法皷を打たん、南無妙法蓮華経。
 維時嘉永第四(辛亥)四月下旬。

 洛陽久成堂会下に於いて勤檀のひまをかぎ九牛が一毛を以って白紙を涜して聊か予が微志を展ぶる迄なり、群賢咎め給ふ事なかれ、鶏をさくに何ぞ牛刀を用ちいん、敢て例なきにあらず勧学院の雀は蒙求を●っると、夫れこれを謂ふか。十八歳小沙弥智伝謹んで之れを誌るす。

 編者曰はく京都加藤伍兵衛蔵本(写主何要)、浄命手沢本に依つて此を写す、此筆者智伝は重須卅五世玉野日志上人なり、其の原本は仮名交り文なるに中にある少しの漢文は延べ書きに直したり、又浄命の批註は漢文なれば又従つて延べ書きとす。

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