富士宗学要集第六巻

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伐拆羅論(ばざらろん)

(血脈還源)伐拆羅論  大日域京西俗、浄命撰。
 原ぬるに夫れ学仏の徒・身を日域に託して蓮祖法化の正午に逢ひ潤を受くるに幸不幸あり、若し血脈の末として漸く宝所に近くと雖も依然として掌を空うして瓦礫を握る、而も其の李学の裔らは未だ甞て夢にも嫡門を分暁せず、其の知らざるを以て知らずと為さず象の首尾を摸して至極と以為へり、嚮には泰雄一血脈正統勝地の法兵を挙げて将に仏祖の寃讐を報ひんとす、彼の党も亦僣聖の大慢幢を樹て像仏伝持の兜讐(エンシウ)を著し、三●の菜刀劔を佩き徒らに世間王城の弘通門を●撓せんと擬す雄の一戦既に利を穫て大陣頽破幾んど靡粉と為る、然り而して頃ろ甞て敗軍の将中・三妙子なる者有り、再び死灰を燃して予が酬を促がす書を報して焦尾の大蟲と以為へり、即時に電目するに唯た是れ野狐の作業のみ。
 夫れ千鈞の弩は●鼠の為に機を発せずと雖も、今や敗将の既に余景多からず努めて改悔せざれば永刧顛墜すべきを憐れむ為の故に、巳むことを得ずして泰雄に逓り為に●に鳳凰台上の皷を撃って烏合の残党を驚覚せん、吁也●忙生素是れ蚊虻にして曽て好醜を弁ぜず、臭肉蠅を輸し紛々として気を逐ひ紊りに泰雄を指して犬の遁吠と詈るは何ぞや、捨俗・愚邪論を●つて曰く七箇条の悪言を遺して富山に●ること犬の如しと、察かに知る●棄俗の膿唾を喰するなり、予れ今殊に是の三妙子の紿匿なることを彰さば●云はずや、泰雄対顔の扈り問答正意ならず法義一座に決せず、若し帰国の心●急ならば殻冊を以て往復を為さんと、傍漢之を遏障すと雖も●し強いて之を約す、乃ち泰雄七箇の弁・是に因て起れり、須らく知るべし捨俗の難非なりと雖も而も一往宜なり、●之を●るに無実の鴪韻なり、悪●勝地に応ぜざるは惟約に背くのみにあらず、抑も亦遮漢及以ひ聞証人をして抂げて聾者と為るや、鉄面生何ぞ耻ること無きや、余れ今照心鏡を掲げて子が胸中を模●するに●憶らく泰雄在都の間は勝を得ること難し、若し夫れ堕負せば信者且つ離れん疾く帰国せしむるに如かじ、泰雄縦ひ洪難を遺すとも流弁を揮つて謂く。

 初心浅学愚論の故に其の侭に致し候処、或る信者より頻りに反詰を乞ふを止むること能はず、昨冬自り承り候処の闍者と聾者とに聞く伝説・大石破門其の一(一冊)、闇者と聾者とに対す、大石破門の其の二(一冊)、闇者と聾者とに対す、問答記録・大石破門其の三(一冊)巳上三冊、聊か一両句づつ出来罷り有り候へども是は唯門内の真俗に披見せしめ候のみと存じ罷り有り候(巳)上。

 此の語予が所謂る●が邪謀を掲露し而して鑰口堕負の大皎証たり、内心孔だ懼愕を懐いて酬ふること能はず故に●して聾唖の如し(其の儘に致し置き候処とは是なり)豈に経に口則閇塞と言ふ者に非ずや、於●哀なるかな、●屡々血脈の活棒で打殺されても而も依然として恵眼瞽して開くこと能はざるは何ぞや、昔より祖門の美士、抱道の英哲道を謗る者を見て置いて緩怠すること有ること無し、盲俗頻りに反冊を促す進退惟れ谷まり、遂に邪弁を逞うして●蠢を誑惑するの書を著して七穿八穴せり、猗乎古に所謂る木人獅子吼を恐れずとは其れ之を謂ふか、然りと雖も猶毫か慙ちを知ること有りて謾りに学生高人の頻に触るることを畏れて●らざるは猶狐狸の白昼を●るるが如し、自ら分量を知るの情殊に憫むべきか、更に闇者と聾者とに対すとは又誰を指すや、将た其れ泰雄浄命の二人なりと謂はば則ち曷ぞ対者に贈つて之を覧観せしめず、既に●せず知りぬ此の二人の為に非ることを、彼れ巳に道ふ是れ唯局つて門内の真俗に披見せしむる為なり、故に知る破門の著意は唯門中の道俗の為なりと云ふことを、固より汝に膠執する闇者と聾者と買豈又玉石を分たんや、於戯於戯天なるかな、根本の法輪三●の本家を誣調するの●●忽ち踵を回らず自縄自縛して統て一流一山本末寺檀を尽して以て闇聾と罵ること誹謗の現罰立地に発狂を穫たり、将来察すべきに足るのみ大息せざる可けんや、誠に十字街中無数の童児も亦掌を拍つて舌を篏め喚躍して●す可し敗や敗れたり、磐石劈けども破れず●が醯鶏の微力豈に大石門を破らんや益無く及び無し止みね止みね、又云はく本迹種脱の論にも非ずと、謂く汝大●生実に浅学の創心者なり、抑も泰雄が起す所の法戦は本迹種脱の域を出でたり、夫れ春色に高下無く華枝に長短有り、辱くも本仏稟法興門流金剛廓内に於て血脈正統勝地を縄すの真論なり、成不の奥茲に於てか窮す、既に●ぢ所対に依り累々の筋脈有ることを諍はざる所なり、今何ぞ之を顧みざるや、噫蒙眼に其の文を穿ち口に其句を誦して猶影を●り夢を計するが如し、聖祖甞て顕仏未来記を著して曰く宇宙に雙日無く乾坤唯一主となりと、泰雄此の教助に凭つて正統の本家を匡迪するの大美論を起せり、今汝浪りに泰雄を難ずるは●へに坐井観天の僻目たり一完するに堪へたり。
 又彼れ報じて云く、法華本門因妙の行者の所期の土を知らざる事の一条を樹て。
以て転計して寂光の観土に混じて泰雄が鉄槌を免脱せんと欲すと雖も左低右昂僉没軒なり、興窓毫かも之を容るること無し弥よ其の非を●出す、抑も汝身は興門に在りながら心脈は奚ぞ不相承の家より殿るることの査なる、嗟瞎禿・●爾として地観二つともに●乱し了れり、孤り絶代の奇惑なり、狂か顛か抜舌か●●殊に余が竢たずして皎たり。
 又、報書に云く、其の元にも見せたく存じ侯へども一眼の龜の東西に迷ふのみにして却 て正法正師を誹謗し悪に悪を累ぬるの道理・逆縁に成る可く候と雖も云云。
●是の語や復た再ひ堕負を彰すの炳証なり、汝実に其の正法正師を誚らんことを●んで其の書を贈つて覧せしめずと謂はば則ち又曷ぞ下に飽くまで獅子身虫と為て正法を礙げ逆縁を締べと●●するや、是れ豈に汝ち犬の遁吠を為る者に非ずや、百防千謀此に窮する苦言のみ抑も亦世に道ゆる鼬の最後の放屁に一般たり呵々宜く慙死すべきなり、推するに彼れ心中に漸く憶へらく大石必ず理長せん恐くは浄命転じて彼れに遷ること有らんと、故に謂ふ冨山に詣し邪僧に与みし正法を障へて逆縁を結べと、其れ誠に欝然として嵯峨たり●傷すべけんか。
 又報書に曰く、且つ又此の方の返答を見て淑匿を鑑ん杯と申され候は何事ぞや、昨年自り今に至るまで一心不決定か儻而らば今に迷者に候や、若し迷者に非んば是れ迄幾度か直談に申し聞かせ候も聞かざる愚者・我が抄を見て何ぞ是非を洞めん云云。
 噬怪むに堪へたり三妙子資性孤陋にして未だ甞て述作の素志を識らず其の己れに勝れたる精奥論を疾しと敢て高生博洽の評議を請はず、故に其の祖義に於ける咫尺も宵壤たり妥に大方に逍。することを得んや、反て金口の大節に背いて嗤声を諸門徒の岐に轟かす、夫れ謂ふ所の直談とは吾れ元来二門可否の街巷に●惑するか故に汝に対して之を問ふこと亦両往而も●会釈野陋にして褊するに足らずと雖も、但其の法を取って其の人を取らざれ(止観第四)但た其の味を甘ふて其の人を択ぶこと莫れと云ふ(文句第十)敢て是非を口外に弁ること無し具に所聞を挙げて以て泰雄に問ふ、泰雄即時に大段七箇条を弁じて●が語頭幾んど阿梨樹枝の如し、汝巳に予に対して直談する所悉く滅破して瓦瓶の如し、瓦瓶既に破れて再び相用ることを得ざるなり、且へ●ち上に併せて縦ひ仏説為りと雖も不審之有るときは則ち用ゆ可からずとは又金言なりと謂ふ今何ぞ其の言の相鉾●するや如何ん々々ん、其幾度か直談に申し聞かせ候へども聞かざる愚者と謂へるは偏に狂者の他を羞しむるが如し、甞て聞く震旦に天狗と云ふ者無し惟た此の土のみ之れ有り蓋し終日根本法論を評●する者是なり、宜なるかな泰雄●を指して尖鼻肩翼と記●す自慶領受して可なり、吁憫なるかな汝に遵ふ党類も亦四慢三類の翅を張り魔卒に堕在し高く其の鼻を聳し以て魔業を為す豈に六杉増上慢の天狗の朋党に非ずや、祇た爾るのみならず亦羅刹心・謂く善中に於不て善意の解を発起す悲しいかな。
 又、報書に難じて曰く、人法土を各別に立つる事云云。
議して云く、是れ毫かも泰雄能破の語脈を諳んぜざるの鹿荒なり、夫れ本因妙抄の聖掟や法界の一微塵に於て猶勝劣を分暁するの明鏡なり、寧ろ立浪吹●に本と迹とを●たざる可けんや、何況んや戒壇の地は大綱眼目たる一百六箇条中の最殿の憲章なり、泰雄甞て此の聖決に依て富士の人法土は最ぐれ余処の人法土は殿とると云ふの義を立つ、而るに●ち冨士と余処との人法土を混乱して優降無しと謂ふ、則ち是れ一致てること尤も著るし豈に外道破旬に非ずや、故に泰雄貶して云く冨士の人法土を謗ること母かれと、●と汝眼識未だ乱壊せざれば其れ此の文を視、汝巳に開会を竢たずして妄りに一致と修行す応に知るべし大魔党なり、而も泰雄開会に約して尚勝劣を立つ是れ能開の力用なればなり、且は一致の名を削る是れ興域の厳誡なればなり、噫●猶朗然たる築●の絶境を知らずして徒らに何くの在処たりともの貧閭に迷ふ何に況や此の深妙の道義を識る可んや、其れ之を読む者三祖の聖語に遵はんか将た●が語に順はんか。
大癡大慢・無知無慚豈に余が弁を竢たんや世間能く之を識る者をや、嗟蚊虻之を払へば翩々として飛過す、●が執見・大聖を矯誣し開祖を軽蔑して蚊虻に劣ること抑も奚ぞ●なる、吾れ一たび報冊を読で絶倒して袂を反へし面を拭ふ何ぞ大悲者能く汝を誘はんや、詩に曰く白圭の●げたるは尚磨く可し斯の言の●げたるは為む可らずと、其れ言の謹む可き斯くの如し、●何ぞ●りに言を吐て嗤●を遺すや、苟も道も志し理に党して語を発せば豈に口過の患有らんや痛む可し笑ふ可し。
 又彼の報に曰く、御本尊に大小を論ずる事云云。
議して云く今夫れ泰雄が難に於ては傍正の二難を張皇して以て大小真僞を弁ず弁ず、其の正難とは夫れ紫宸殿の的尊と称し上つるは実には我が大石精舎に納り下ふなり、副毫に曰く広宣流布の時は紫宸殿に懸け奉ると豈に赫たる文証現証に非ずや、●が山に紫宸殿の本尊と称すと雖も一字として祖証有る事無し但た真筆と崇敬して可なり焉んぞ其れ同日の謂ならんや、汝曷ぞ此の大難を視ざるが如くして横まに傍難に●附して情に任せて醜辞を吐く豈に耕舌の●を凉むることを得んや、所謂に泰雄が正難とは其れ之を謂ふなり、又既に広布彰れ了て而も此の本尊を紫宸南大殿に懸け上れば主上玉冠を傾け之を恭敬し百官偃伏して之を崇重せんときは則奚ぞ彼の山の如き小幅ならんや、須らく知るべし大殿の本尊は最も大を用ふ北闕に於て其の例有り、泰雄の傍難豈に道理証に非ずや、嗟汝が僻難皆至陋なり其の技此れに止るのみ、蓋し道を味ふ者の言に非ずして乃ち妬者の奸なり、其れ屡々恥を愧づること無くして恥を知らざるなり、一翳眼に入れば空華乱堕す慎まざる可けんや又汝賜書に拠つて一機一縁を論ずると潤益に寛狭を論ずるとを難ずるとは何の愚ぞや、其の祖義殊に億百千の日月一時に遍照するが如し、於戯三妙子非を文つて宛転するとも郤つて手を大石に夾まれし者の免れんと欲して逾よ傷くが如し、諺に云く狂人●れば不狂人も亦走ると、予斯に堕ちんことを恐ると雖も婆心太だ切なるが為の故に逐々之懲すのみ蓋し万口を杜ぐに遑あらず冀くば海内の興徒理に党して服●せよ是れ幸たり。
 ●嘉永第三・歳は庚戌に舎る羯栗底迦月・穀旦、南無妙法蓮華経、血脈正統信者・優婆 塞浄命、勝地論主泰雄に逓り毫を采て焉を記す。

 追加
 (永書結文)三妙云く全く汝附仏法の外道なるが故に親子不二の己が悲母一人だも教化する能はずとは何事ぞや、又汝が舎弟は吾か弟子なり、巳に我か門不相承不相伝と云ふ如何に一人の弟を教化せざるや云云。

縛して曰く噫危ひかな施命妄り円融に斤れて親子不二と謂ふ、夫れ業因の所感・先聖故哲の悲母と雖も亦免れず目連の母の如し、況や我等をや、汝強て親子不二と謂はば試に反詰す二人の勝劣何んぞや、若し父母勝ると言はば則ち親・権経を信ずと雖も曲げて之を遵奉せんか(勝能く劣をして円融ならしむる故なり)故に知る三妙の僻難・法義に約せず惟た吾を嫉謗するのみ、内十二・顕謗法抄(七丁)惣じて上の七大地獄の業因は諸経論を以て勘へ見るに当世日本国の四衆にあてて見るに此の七大地獄を離るべき人を見ず、若し爾らば我等が父母兄弟等の死する人は皆上の七大地獄にこそ堕ちさせ給ひて候らめ浅猿とも云ふばかりなし云云、此の祖訓を以て汝が親子不二の邪謀を推するに大聖も亦堕獄の人と云ふ可きか、爾らずんば親子不二と云ふ可らざるなり、何に況や在世の提婆は是れ阿難尊者の舎兄なり善生は是れ如来の弟子に非るか、著るし牛羊性の漢其の技浅々として陋し、大方の君子其れ施れを知れ。

 三妙書類大石破門云云。
試に題額を議せば其の所謂る大石とは何れの山を指すや、若し●が山を以て大石とせば御血脈抄に波旬大石と為て日蓮が正義門を打破ると曰ふ畏るべきの邪山たり、若し冨山を以て大石と為ば則ち錯置顛倒の愚題なり、破の字当に大の上に置くべし、吁尚能破の字の置き処をだも知らず三歳の孩児も豈に笑はざる可けんや、興上遺して曰く大石の寺は御堂と云ひ墓処と云ひ日目之を管領し云云豈に興師に敵するに非ずや、大石頚上に臨む噫危ひかなや、吾れ今●に誨へん終日破り得よ蜃楼門・復敢て白日に夢を説くこと莫れ、灼然たる妄題なり。

 破愚邪立正論捨八
書題を破す、噫狂俗・不愚邪を以て愚邪と為ば極愚邪と復汝に還る乞ふ渋納せよ、夫れ汝が所謂破愚邪立正とは愚中の愚題・昧中の昧論なり、噫其の破甞て当らず豈に正を立つることを得んや、愚邪論なる事尤も著るし。

 破石金剛論智伝同
金剛固より堅し故に菩薩種々の器を造作して以て濁世を護る、彼の仁王の五大力の如し、今或る僧唯金剛とのみ云って、則ち何の器・何の具と云ふことを知らず、経論堅に比して皆金剛槌・金剛杵・金剛索・金剛斧・金剛幢等と云ふ、法性の金剛戦時に用無きをや焉を思へ、華厳に曰く金剛の石中の真性なりと、噫大石中の摩訶金剛実に富山の衝器なり。
 三人の所造●摩●の三目伊●字の三点・蚊虻の笑具なり、三書の題号一劈せば●然として崩堕し了れり、屈々々と笑ふ可し汝が肚中の虫は愚々々と鳴る。

 編者曰く雪山文庫蔵(写主不明)に依り原文の侭此を写す、但し妙文和釈せんを恐れて原態を存せしかども、今般重版に当りて易読の為に延べ書とせり、看者猶旧本を熟見して廉三の麗筆を偲べ。

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