富士宗学要集第六巻
鶴翼論
(血脈正統)鶴翼論 冨石信士 竹内清三之を書す。 世に莠の似て其の苗を乱さんことを悪くみ紫の其の朱を奪ふを恐るること有り、しかのみならず莠を認めて苗と想ひ紫を誤つて朱と謂はんは誰か之が為に胸を●つて歎息せざること莫らんや、嘉永癸丑の仲呂・余一書を青山生に贈つて其の要法の興流に似て而も正統に遵はず目師の座を奪つて尊師を居ゆることを難折す、之れに因つて青山屡々臂を挙げて焉を抗ること幾んど螳●に似たり、予が一刀両段の強詰に逼責せられて口則閉塞すること寔に●子の苦瓜を喫するが如し、然し而して確執未だ抜けず遂に将つて三妙に●せしむ、而るに施命・元来無智なるを以ての故に酬ゆる所の書は只罵詈を先として聊も義味有ること無し、逐一に点検し来れば従来溷爛の悪習を保守して亡虜抛擲すること克はず、転救を設けて屡々改むるに●かるのみ、更に剰へ日辰の濫緒を受けて紛々籍々として展転し相錯はり敢へて其の洪失の源を知らず、蓋し無始の無明と虚偽隔執とに蓋障せらるるに由るを以ての故なり、吾常に焉を惜むこと久し、苟も執を離れて信行観を獲る非んば闇昏々地にして縦使ひ塵点不可量却を歴とも更に何の活了有らんや、了や白衣為りと雖も猶且つ正統の門を崇む焉んぞ破法の邪義を見て之を措くに忍びんや、故に今之を弁ず条を逐うて殻を披かば宛も十日並べ懸るが如し、謂ふ戦慄して伏●せよ。 一、失正云云、夫れ汝等が事か、正法を失ひ邪道に心をよする故に赫々明々たる正法を 見失ふ域失本心を者とは汝等ならずして誰なんらや、生死の一大事たる正法を見失ふ者共なり 、汝等が臨終今に思ひしるべし。 駁して曰く、沙門施命・稟性は模訶・癡酔氏の子・酔州酔村の人、出家して亦酔僧と為り号して酩酊院施謬と曰ふ曽て余が遺書を見ること有りと雖も、酔眼の見る所而も其意を得ざるは何の邪酔ぞや、止た自ら酣のみにあらず更に人を進めて●せんと欲す、那んぞ酒は知己に逢つて傾くるの句味を憶ふて一山の大衆をして酔ふての泥の如くならしめざる、若し然れば是泥坊の一山なり、余応に汝が為に之に一頭の枳●の枕を恵むべし(克く酔を消す樹)他日酔●休む時も必ず謝す容きことを労せざれ、宗祖甞て曰く地頭不法ならん時は吾れ此の山に居ずと、格量を以て汝が愚を測るに山の不法僅んど三五に過ぎたり、豈に大聖の法魂彼の山に在すこと有らんや、噫散妙子・此の文口に苦くとも而も盃席の肴為るべきを以て謂ふ幸に納めよ。 一、目師をないがしろにする云云、汝等目あるや鼻あるや尊師は誰人の弟子と思ふや、 又吾か客殿の四師・血脈次第の儀式を見ざるや、又鳥辺山・目師の御正墓を見ず、却 つて富山の者共こそ目師に敵対の邪徒なり云云。 議して曰く、凡そ人苦に臨みて免れんと欲するは情の常なり矧んや酔て泥の如くなるをや、余●の酔の醒々たるを待ちて之を諭さん、日尊初発心の師は是れ目師なりと雖も而も目師・尊師を推して興師の直弟に上つる、故に或は日興弟子或は日目弟子等と云ふ、目師以て爾り創め興師の直弟なりと雖も推して太祖に上ぐ太祖之を九老の内に加ふ、故に或は大聖の直弟或は興師の弟子と云ふ、而るに太祖法を日興に附す、目師之を望むと雖も許し玉はず日興が素意に任す可しとの玉ふ、茲に於て興師素意に任せて法を目師に付す、日目直に仏法界中の王城たる大石寺に南面して三徳の獅子座に昇り天下の法柄を掌握し下ふ、是を以て其の資法の器を撰出するや又目師の聖胸より出でずんばあるべからざるなり、余今還つて汝に問ふ尊師は是れ誰が弟子ぞや、若し目師の弟子なりと云はば則ち目師奚んぞ素意に任せ法を尊師に譲らざる、若し興師より法を受くと云はば則ち奚んぞ目師を郤けて尊師をして大導師為らしめざる、巳に其の義無し当に知るべし日目上聖は是れ一天統御の大導師なり、汝ち此の日目上聖を指して輙く臭唇酔舌を開いて外用相承に類すと●ること噫々誰れか●傷せざらんや、開目の下に悪子酔狂して父母を殺さんに制せざる可んやと是れなり、汝が大罪謂ふ自ら量れ、愚酔か邪酔か将た狂酔なるかな、又復汝嚮に目師不相承と云ふ今還つて歴祖と云ふ豈に彼の楚国の人の鉾と楯とを●る者の語に非ずや、興門中の大寃賊求むるに類無き者かな吁●ち若し酔はずと云はば曷ぞ面縛して謝過せざるや、将た弓折れ箭竭き手爛れ脚腐すと為やん、謂ふ肝に銘じて改悔せよ。 又云く、客殿の四師の儀式を見ずや云云。 鳴呼酔僧又●言を吐く目師を崇むと雖も還て目師の本位を害す、所謂る雖讃日目還死日目心とは将た他に非ずと為やん、旦へ汝・外用相承に類すと云ふ僉是れ酔の邪臆度なり、何となれば●が山旧来自り目師の相承に於て異論有ること無し其の目上師の相承の肝心とは一に本門寺建立の時・座主為る可し、二に大石寺付属、三に戒壇御本尊なり是れ興門第一の相承なり、此の日目師を指して総付属と云つて其れ可ならんや、天台外用に類して其れ可ならんや、噫古今無倫匹の大魔党なるなか、汝酔うて歴祖を罵詈して無益・無功・無得道・去暦・去食と云ふは謂つ可し薙髪染衣の酒顛童子と、汝常に言ふ下酒成仏と哀なるかな愚僧咄し。 又云く汝等目あるや鼻あるや云云。 愚輩知らずや夫れ六根・六境・六塵の中に一切の色境を見るは是れ眼根なり、而して之を意根に移す汝此の血脉論に於て何の用有つてか鼻の有無を問ふや、蓋し汝は鼻を以て目師の相承を●ぎ知る者と為んや、吁開闢より以来た未た鼻の孔を以て一切の色を見る者を聞かざるなり、汝は誠に海内無雙の碩徳なるかな笑ふ可し、諒に知る愚山の愚主愚寺の愚弟・必●愚徒愚徒する者なり。 一、本因妙の文をも知らずと云云、是れかたはらいたし汝等こそまいす者にたぶらかさ れ迷者となる眼ゆへ正見を却つて邪見とをもふならん、夫れ大事に云はく日蓮が直弟と 申し狂へる僻人出来し予が掟の深密の正義を申し乱さんと擬する事之れ有り、即天魔波旬 外道蝗蟲と云云、又汝か家に実に正統の血脈なきゆへに余の正統をも眼つかざるか、不 便不便。 縛して曰く酔夫来れ、夫れ本因妙抄に於ては曽日泰雄訓誨淳々然として七箇条の弁を遺す猶沸鼎の●霜を銷す中原の樟鹿を逐ふに似たり、而るに汝●も之に酬ることは克はず依然として応ぜずして今に至つて還つて死言を捨て正統に眼を付けざるや等と云ふ恥を知らざる愚虫なり、瓦瓶破れて用ひず落葉枝に上り難しとは是れなり、引く所の本因妙鈔の金言●より出づる者は●に還る、夫れ所謂る日蓮が直弟と申し狂へる僻人とは目師を除いて蓮興尊と立つるの門流の丁るなり、是れ則ち深密の掟を破し正義を乱す者・汝等ならずして其れ誰ぞ、還著於本人とは其れ寓談に非ず天魔破旬外道とは嗟誠なるかな、右や暗・左や昏黒昧々然たり、其の派下を吸ふ幾百僧か聞者必ず之を忽せにすること勿れ涕血して憤激す可けんか夫嘱々。 一、代師へ八通の御書付属と云云、汝等西山流信仰か又他の宝をかぞふる愚人の邪俗か。 駁して曰く、代師の八通書を引くこと是れ汝等が執を抜んが為なり、所謂る●を以て●を出すの上策なる者なり、何となれば汝等愚蜂常に本因妙鈔を僻執して殆んど頑石の如し此の確執を抜んが為の故に且つ之に対して代師の付属状を挙ぐ是れ亦対治悉檀の一なり、夫れ代師付属の八通を以て之を日尊相承の奥書に望ることは則猶此の比に非ず、剰へ代師は是れ本因妙抄の付属たる四師の其の一なり、尊師相承より勝るること其れ斯くの如しと雖も目師の相承に於ては一流八派聊か異論無し、以て知る可し要法寺は大石寺より劣ることを、此の義を知らしめんが為の故に且く代師の相承を借用するのみ、噫尚此眼前の浅事だも知らずして而も輙く正統と宗髄を論ぜんと欲する者は宛も三窟の●・師王を欺かんとするが如く蚊雷の金翅鳥を驚かさんとするに似たり、及ぶ無し其れ止みね。 一、大海を知らずと云云、汝等は大海を知るも正法は知らず、我れは大海は知らざるも 正法は吾か物にしたり、汝こそ正法を知らざる蛙なるべし。 駁して曰く汝正法を知ると言ふと雖も其れ実には之れを知らざること前来屡々之を弁ずるが如し、汝が鼻何に大なりとも豈に是れを以て正法を●ぐことを得んや、猶鼻を以て血脈を●がんと云ふの愚漢なり何に矧んや正法を知ることを得可けんや加焉生を雲州の海浜に託して未だ海を知らず、時船に乗て以て往来すと雖も猶未だ海を見ること克はず、偽妄に非んば則ち決して知る愚は●●●鶏より劣れり、抑も肴の水に処して水を見ざるが如し似て一般なり、此の愚鼻を率いて正法を●ぎ知ると云ふは噫腹を捧げて絶倒す可きなり、竊に世の●乱の輩を見るに大躰汝等が輩に過ぎざるのみ、既に興師の●に違ふ応に知るべし是れ軌違なり、抑も亦十字街中の童子をして手を拍つて後を追つて之を笑はしめんか、嗟吁規痴害与気痴害与。 一、汝言ふ所天下に二つの日があるが如しと云云、是の段愚論が中の愚論なり聴聞せん と思はば奚に来れ。 縛して曰く●なるかな屈なるかな、夫れ此の論中最第一の肝心なり、而るに汝が此の段を黙するに於ては決して知る堕負閉口の明証なり、噫汝逆路・目尊二師同時に立つるときは則ち両日並び出ることを免れず、蓋し亡国の瑞危し宜なるかな脱益家の魔党の為に下種の弘通処を奪却せられて亡国の現証最も著し、古に言ふ下愚は移らずとは●に於て果して爾り、噫三謬子起たんと欲して弥よ仆る空腹酒狂に過ぎたる者か、其れ相ひ罵ること汝に饒す觜を接け相唾すること●に饒す水を●げ阿阿阿阿。 一、信者有り学者有り云云、此の段又愚論なり他宗の本堂にてもと云云、然らば汝等が 信仰も信心も無益と知て云ふか、夫れ汝等は巳に権門屎虫の家にあり在俗なり、今に無 常の風吹かば邪僧来りて引導するならん、愚なるかな愚なるかな法華の行者の所期を指 したる語を如何が迷ふらん、なんぞ是の如き愚者に本仏の本法三大秘法の所論ならんや 。 駁して曰く蛞子亦織尾を振ふか、居れ我れ●語らん賤男子諦かに聴いて善く之を思念せよ、汝常に人を教導して云く而も学者有りて而も信者有らば則ち大聖人の法魂其の処に在すと云云、是れ汝が自義か将た興門の法範か、若し興門の規と云はば速に其の文を示せ、無んば則ち曷んぞ自義邪義を弘通するや、今や興門の大日輪を転じて汝が自義の迷徒を照さん、太祖詔を遺して曰く地頭不法ならば我れ此の山に居せずと是れ縦使ひ学者有て而も信者有りとも若し謗法の●穢有るときは乃ち大聖の法魂其の処に在すこと無き皎証なり、時に波木井の入道日円謗法有り興尊屡々之を●め下ふ而も用ひず興師奮然として永く山を去る、其の后身延に日朝日遠等の秀群の学匠蓬々然として競ひ起る信者亦其の人に乏からず、然りと雖も大聖の聖魂彼に在ること無し是れ吾か血脈門の正縄なり、其の余、華洛十有五箇寺等間学者有り信者有り皆以て聖魂在すと為すか、又仮令●が所言の如く之を許す可きも巳に汝が山に大聖の法魂在する無し、何を以て然らば蚊虻の貫主・蚊虻の末弟・蚊虻の大衆・蚊虻の学者・蚊虻の信者なり、就中施謬青山の二人は殊に蚊虻中の蚊虻なり、愚夫青山は蚊虻にして自義の邪坑を知らず、徒らに余の蚊虻を曳きて大火坑に陥さしめんと欲す千載の下艮に傷む可し、抑も●べ渺漫たる下種海の中に於て水母の微と為る、状ち覆帽の若く眼口無く腹に懸絮の如くなる有り群蝦之に附いて其の●沫を●ふ、蝦は見る有れば所往意の如し鰕は善く躍ることを好めども●一へに能はず、施謬青山の二人亦復是くの如し、施謬は己眼明ならず附する所の青山の蝦は腰●めば●びす善く游いで躍ることを好むのみ、吁鰕躍れど北斗を出でず。 又汝ち浄命及与ひ余が身・権門に在るを難ず、反詰す汝狂漢太祖の面に唾し来て吾か師子窟に入れ、夫れ船守弥三郎の如きは身権門に在れども曽て太祖を信ず大聖書を賜ひて之を讃歎して下ふ、吁他の師子皮を被って還つて野千の鳴を為す者か、倒さまに象に騎つて麒麟児を追ふ者か、秋水に欣然たる大方の家に笑はれん叱々、又汝門中の謗法大にして畏る可きことを知らず、今因に祖鏡を掲げて糞掃堆を照さん、宗祖の曰く外道悪人は他の敵破り難し仏弟子必ず仏法を破る可し獅子身虫の還て獅子を喰ふ可し、大果報の人は他の敵破り難し親みより破る可し云云、又曰く小乗権大乗より実大乗法華経の人々が還つて法華経を失はんが大事にて候以て同門の謗法の大なることを知る可し、汝縦ひ転救せんと擬して●子の智を借り満慈の弁を滑かにするとも亦之を如何ともすること能はざらんか、吁常没必死の一闡提なり、又反詰す汝縦ひ大法を信ずとも身権門に在れば堕獄の者と言はば其の人の施す所の供物受るか受けざるか、為に一言を下せ余其の頭を砕き其の舌を裂かん。 又余と浄命とを在家なりと蔑如す吁依法不依人の聖勅奚ぞ之を思はざる、天台曰く上聖大人は其法を取つて其の人を取らず、妙楽曰く但た其の味を甘んじて其の人を撰ぶこと勿れと、蓋し帝釈は畜を拝し雪山は鬼に師ふ是れ先聖の正規なり顧みざるの甚たし、大般泥●経に曰く又復白衣の善く経法を知らば出家の人・其れ従て学を受て恭敬承事せよと、汝耳底を痛めて堪へずと雖も暫く正念に住して聞け。 一、三には釈迦堂れき然と云云、亦是れ此の義汝等の如き愚者に論ずるに足らず心あら ば我か家に来て迷を醒せ、先ず反詰して曰く汝等が家には宗門寺の木仏本尊是れあるべ し、是れなきか若しあらば如何んがせん、若しなくば天下の政道其の宗門寺より切支丹 ととがめを受くべし是れ如何ん。 駁して曰く此の段を点検するに●●甚し、今大意を挙げん汝が所言の如くならば要法寺は是れ古来従り像仏宗にして像仏を以て本尊と為す、若し之を改れば同門の釈迦宗自り耶蘇宗と咎めを受く可し故に興門は是れ内得の一分なりと云なる可し、若し然らば前段に於て何ぞ身は権門に在れば堕獄を免れずと云ふ是れ汝等の事なり、自縄を以て自身を縛ること宛転于地して幾んど蚕繭の若し似て一般なり、余切ろに両頭の蛇時首尾を以て人を噛を断るは死せずして其の人を傷ること●よ毒多しと雖も久しうて毒続かざらしめんが為なり、嗟草を斬れば蛇頭落つとは信なるかな。 又因みに問ふ開祖の云く絵像木像を本尊とすべからずと云云、然るに汝が近頃信仰の寺 は絵像も木像もこれなきか、若しあらば師敵対の邪徒・外に求むべからず。 駭して曰く貧児旧債を思ひ重々に之を償はんと欲す、今偏く化儀化法の条目・門徒存知鈔等を点検するに此の語有こと無し、其の絵像木像等の語・往々之れ有りと雖も或は弥陀観音等の絵像木像等或は他宗門の絵像木像等は謂ふ之を●つ、然るに汝が前後の文を匿して偽言を作り人を●て師敵対の邪徒と云ふ其の唾還て●に当る師敵の邪徒とは妥に汝に非ずや、強て其の語有りと云はば反詰す先づ汝が山の本堂の御影並に客殿の四師の木像を除却す可し是れ豈に木像にあらずや●が山に在るを許して而も他も尤むるは吁面皮厚きこと三寸の漢、口を開けば即ち錯く舌を動せば即ち乖く千錯万錯、蔵せば弥よ露る三祖の罪人決して免る可らざるなり、夫れ吾か対面の両尊の画像の如きは興尊以来道統の正伝なり豈に觜を其の間に容れんや、是を以て汝が歴代たる日住・決疑論に於て厚く焉を信ず●所言の若くならば日住も亦師敵対邪徒と謂ふ可きか吁舌種家の天魔・太祖の眼を窟抜し興目の獅子座を反覆し己流の先師を毒殺し一閻浮提の衆生をして魔の巣窟と成らしめんと欲するか、抑も善生・跋舎・鬼弁・大慢の徒為らんや、将た良観・道隆・時宗・景信の侶為らんか、今の時に丁つて施謬痴伝・捨八・青山を除いて其れ誰ぞ、経に云く本末究●等。 右、三段の大意邪徒の為に数箇条にあげたり云云、汝等が如き一人の親・一人の母すら 救ふ事なく謗法堕獄の罪人、父母をも救ふ事無く不知恩の畜生とは亦外に求むべらかず 、是れ眼前にある汝等が徒なり。 議して曰く夫れ孝子の親を導くに両途有り、生前に父母を●めて大法を信ぜしむるを最上とす、又或は屡々を●曉するも而も用ひずんば則ち我か身を父母に替えて罪滅を祈り以て生後を救はん欲す蓋し止むことを得ざればなり、凡そ業因の感ずる所・先聖古哲の父母と雖も往々之を免れず、目連の母の鬼道に堕ちて釈尊の母は三界野中を出でざるが如き是なり若し果して来言の如くならば大聖も亦畜生か又堕獄の人為るか御父母用ひ舌はざればなり、王舎城書に云く父母の手をすり制せしかどもおそれずして申し候、顕謗法鈔に云く当世日本国の一切衆生上にあぐる七大地獄を離るべき人を見ず、若ししからば我等が父母兄弟等の死する人は皆上の七大地獄に落ちさせ給ふべし浅猿とも申すばかりなし云云、噫汝我を嫉謗せんと欲して還て大聖を指して畜生堕獄人と云ふ乾坤一箇の大逆路底迦なり、天帝も頭を砕き地神も脚を爛し得白●病・破七分豈免ることを獲んや、吁々施命百補すれば千穴穿つ其の術陋して弥よ其の非を●出す、昔人言へる有り泥龜尾を曳く痕を免れず何ぞ当初を慎まざらんや、余や汝が愚を将て日域界中の興流の英彦に呈して京流の陵夷を笑はしめば誹謗の重罪豈に少く●ざらん。 維の時嘉永第六竜舎癸丑林鐘穀旦 此の書のいはれは武内清三郎・元来要法寺信者青山吉兵衛より要法寺の曼茶羅借り受け居られ候所、加藤致要に段々法義を聴聞いたし候所、誠に要法寺は謗法濁乱の上剰へ正統にあらず、之に依て借受侯所の本尊に一筆を添へ三箇条の難問を加へ申侯に付(三箇条と申は一に目師をなひがしろにする失、二には要法寺の流義天に二日あるが如く、三には尺迦堂ある事、此三条をあらゝ認別の●通。)吉兵衛立腹し種々敵対いたし申侯へども一として立つ事なし、是非無く三妙院を相頼み返答し呉れ侯様申し侯に付、三妙院右の如く書認め相贈り申し侯、此書は其の三妙院に返事いたし侯書付なり、後の為に之を記す、武内清三郎。 編者曰く京都加藤伍兵衛本にして即ち曽祖父伍兵衛(伍兵衛は此の家代々の通称、実名は廉三、雅号は、天寂又浄命、法号は直機院致要日政)自筆本に依り漢文の侭之を写す、但し武内清三郎の名義なりと云へども浄命の自筆自説なるべし、又曰く重版の時に当り三妙院の分は其の侭としたるが、浄名の漢文は延べ書に訳して文態を損する所あるも易読に供せり。 |