富士宗学要集第六巻
破愚邪立正論
狂俗不愚邪を以て愚邪と為ば極愚邪は汝に還す乞ふ莞納せよ。 破愚邪立正論 全 其の破嘗て当らず豈正を立ることを得んや愚邪論なる最も著し。 浪華俗士捨八郎著愚邪論内の誤字改めず更に本文に随て写す本書醜毫殆んと叱覧し難し浄命白す。 06-238 破愚邪立正論 夫れ奸曲なる臣は忠義に似たりとも雖も真忠に出合ぬれば終に邪気顕る、三国に愛を受くる九尾は賢臣の為に命を毒石に留む、善悪邪正は後に明白なりと雖も現見には知れ堅く悪は易く善は難し寸善尺魔の世界なれば也、況や濁悪世末法の今時をや只我啄み大聖の教を守るのみ、然るに大聖滅後に興上人の時に当つて偏執盛にして法水に邪味を加へて法を二つに分つ所謂勝劣一致也、興独り勝劣を立て法水を濁し玉はつ、血脈相伝相続堅く本因妙抄に仍て祖法赫々たり、之に依て祖意を立てんか為に王城に一宇建立の天奏数度に及べり、然るに玉野大夫公・王城に一寺を建立し所々既に卅六箇に及ぶ、興讃嘆の余り本口決・百六箇・形名判摂・本尊書写等の口伝・本因妙抄を以て尊上人に授与し玉ふ、其の後重須大石両寺らに日代二師に相承有り、興滅後に本門本山八箇となる皆同心に弘通すべきに偏邪の●一人有つて彼の冨山に諍論年々して今猶留ず、独り王城のみ蓮興両師の法水を濁さず、猶多怨嫉の難をしのぎ爾前迹門の折伏をなし下種本因妙の弘通日々盛ん也、然れども天魔折々●化をなし正に似たる邪を以て初心の信者を迷はさんとなす正邪分難きが故に迷乱する者亦之有り、是が為に先つ譬へを引いて之を論するに宝と袋の如し、正法は宝珠也邪義は袋の如し、宝珠は貴き故に袋の善悪を論ぜず、袋は其の形の美を好んで善悪を論ず、以所となれば袋は宝●ざる時には人之を貴ばず故に其の善悪の位を諍ふ、宝珠は元より貴きが故に袋を論せず、此に大聖・末法万年の一切衆生を助け玉はんが為に南閻浮提第一の宝珠を此の国に留め玉ふ是れ日興嫡々証読付法の御本尊也、閻浮第一・一万年救護の宝珠に本因妙抄の血脈相承を以て尊師に付属し王城に留め広布の時を持玉ふ、是日興上人の御本意也、是の如く貴き宝珠なる故に●む袋の上下を論せず濁世の穢れ衆生の信心当体を袋となし己心に納まらせ玉ふ、凡夫当体即妙法五字の宝塔なり、観心本尊抄に云く一念三千を識らざる者に仏大慈悲を起し妙法五字の袋の内に此の珠を●み末代幼稚の頭に懸けしむ、四大菩薩此の人を守護し玉はんこと大公周公文王を摂扶し四皓が慧帝に侍奉するに異らざる也云云、御書是れ文底下種内証の袋也、祈祷抄に云く袋穢しとて金を捨つる事なかれ(已上)、御書亦外用の袋を説いての玉はく天照大神天下り玉ふ所を出雲の国日の御崎と云ふ日蓮が日本に出現の印は実母霊夢の大日蓮花山也、形名に仍つて冨士を勝地と有り是れ外用の袋也、内証を以つて言ふ時は冨士山も日蓮と云ふ躰に具へると有冨士日蓮の躰に具せりと有るは御魂たる御本尊を持つ弟子檀那の当躰即大日蓮華山也、法貴きが故に人貴とは是れ也、然る時は何れの地にても祖師大聖の法水留り玉ふ所即多宝冨士山本門寺上行院弘通の勝地也べし、此に外用の袋を執する邪悪の僧形の俗衆あり、常に高山を喜び事の小きを好み影の大きを崇敬して平等大会一乗を好まず、王土に来つて尊師暦代の弘通さかん成るを偏執して彼の袋の錦を貴み本因妙抄の宝珠を捨てさせ外用文土の袋に●らて我か山の徳分になさんとする事宛も餓鬼の水を求むるが如し、然るに去冬彼の邪僧に値いて邪を破る事両三言に及ぶ、然れども彼尚●慢留らずして七箇条の悪言を残し冨山に走る事犬の如し、我亦彼れが悪言に答へん事世俗に云ふをとなげなしと思へども亦是に返答成さざれば初心の信者疑を起し宝珠の徳を失はんか、又袋の錦に迷はん事を歎くが故に一両言の答へをのぶる、然りと雖とも只証拠と道理のみにして本山の御大事を明さず法只本山要寺の尊高なる事、自然に顕はさんが為に破愚邪立正論と題して初心の信者に見するのみ、文の俗語なるを笑ひ給ふな云云。 浪華蓮興寺檀那 干時嘉永三戌五月廿八日 信者捨八良之を述ぶ 第壱、大石寺日道相承有無之事 (内十国家論)曰はく所化の弟子師の失を知らず此の邪義を以て正義と存し此の国に流布せしむ(已上)、汝等其の浅きを見聞して其の深きを知らず只日道に執するが故に正邪分ち難し能々糺して其の正きに付いて弘通すべし、抑も大聖興師御付属は武州池上にて身延山惣寛主として御相承を玉ふ、五老を始め皆知れる処なるが故に大祖御入滅の道師は日興上人御勤めなり、此の時に一人もいなと云ふ者之無し是れ御在世に付属を皆存するが故也、亦本因妙抄血脈嫡々相承は御内証秘要の口伝なるが故に興師に相伝し玉ふと雖も外御弟子の知らざるなり、亦興師は大聖人御在世之間の大功は皆知る処故に自然と尊敬も深し、亦目師は大石寺御番衆の第一、右六人の首頭なる故不相伝と云ふ者あらんや、此に不審の第一は目師日道に内々御相承付属有つて大石寺寛主末法の大導師付し玉ふ事未だ実記を見聞せず、然るに邪僧大聖之例を引いて是を助けんと奸曲邪舌を以つて論ず、然りと雖も富士門徒家中抄に日道伝に云はく弁阿闍梨と号し新六人の内に加へらる、奥州に下向し日目建立の寺庵を経行せんと欲し出玉ふ歟是れより以前に目師知行の田畠を日道に付与し玉ふ其の譲状に云はく(此状皆知る所の奥州三の迫の田地伊豆の南条房保の田地等なり)嘉暦二年十一月十日、日目(在判)、亦此の外に日興日目次第相伝の十宗判名を日道に付属し玉ふ、此の譲状を得て奥州に下向す一の迫一宇建立と云云、亦下の文に当家嫡々法門相承とも日道に付属す(此付属三十三箇条也)、此の相承の中に形名種脱相承判摂名家の相承、亦本因妙抄、紫晨殿御本尊、末法の大導師と云ふ相承等之無し、亦目師上洛以前に付属と有るは年号月日と授与書等之れ無くば以何に共に嘉暦二年十一月十日の付属とあれば奥州の寺庵へ大石寺の住物を付属あらんや、亦嘉暦二年は正慶二年よりは八年以前也、目師以つて表向寛主と云ふに非ず自身寛主の座に非ず、日道に大導師の付属あらんや、況や興師御在世なるをや興師大石寺番帳を定め玉ふは元徳二年正月なり、其の状に云右守鎮番之次第勤仕せ令む可き懈怠無く之状件の如し、(日目日郷日時三師自筆也、日目−花−秀−禅−仙−乗−弁−道−延−尊−蔵−円なり、亦正慶元に相承目師へ付属と此の時新六人を定め玉ふ云云、是を以て目師天奏以前に日道に付属有りしと云ふ事所知成り難し亦目師未来を鑑察し玉ひて天奏以前日道に相承あると云ふときは目師何ぞ大石寺に留り日道に天奏の功を立てさせ玉はざらんや、亦汝が曲言の如く弥よ未来を知ろしめして上洛と有らば王城に法水留り玉ふ故に富士を捨て王城に骨を留めん為に上洛と云ふべきか、然れば弥よ日道には付属無き事明白と云ふか、猶大切の重物十八鋪、大石寺に留め置く御心てい無き故に骨と共に都に留め玉ふか旁を以つて目師上洛は尊師に法水をうつし高開両師の御本意を顕し玉ふか、御骨を鳥部野に留め置き給ふは尊師より広布成る事を知る故なるべし、此を以て日道への付属不審なり、此の疑を明らかになさんと思はば興目両師の赫々たる証拠に同門本山より証人有つての上なるべし、汝亦目師天奏は高祖の湯治の如しとは誠に以つて愚言なり、湯治は我身の為なり、天奏は師命なり、何ぞ師命と自用と同じくして目師を不実不孝の仁とするや大笑の一つなり、亦汝目師日道座替り本尊家中抄に無き事を不審する時汝亦た例の邪舌を以つて撰時抄十紙の文を以つて答ふる文に云はく云云、呵責して云く汝が答は無智の在家は道理とも思ふ者も有るべきか然れども大聖の御書判等を拝見する信者は在家にても難んずべし、況や日興嫡々血脈の尊流をや誠に大笑至極の雑言也、不相伝の僻見より御書判拝読するとも其の文意に意付かず、汝が出せし撰時抄の其の上段を拝見せず、上段の文に云はく仏涅槃経に法華経を醍醐とかせ給ひて天親菩薩は法華涅槃経を醍・醐とかゝれて候竜樹菩薩は法華経を名楽と名けさせ給ひたりされば、法華経等を醍醐と申す人盗人ならば釈迦多宝十方の諸仏竜樹天親等は盗人にておはすべきか、弘法の門人等(乃)至日本東寺真言師如何自眼の黒白はつたなくして弁へずとも他の鏡をもつて自ら禍としれ、此の外法華経を戯論の法とかゝるゝ事、大日経金剛頂経等にたしかなる経文をいだされよ(已上)、此の御書今の汝らが邪言に当れり、文の意は同抄上に云く彼の玄弉三蔵は法華一乗は方便数、小乗阿含経は真実教、不空三蔵は寿量品を阿弥陀仏と書き弘法の第三戯論(已上)、訳者とは此の邪師を指して訳者の●る事との給ふ也、此の外設ひ何れの祖師亦は人師の訳有るも訳する者の●はあると思ふ故に経文と天台釈とを能々見て習ひ極めべしと也、汝家中抄を如何意うるや富士門徒大祖を始め興目両師同門本寺の真書を顕し巳に日妙日郷等を破折せり、亦日道に付す証拠悉く書顕せり、日精外寺の僧なれば書落すへんも有るべし、何ぞ大石寺の暦代に非ずや大切とする日道の一大事をもらすべきや、元より相伝付属の上に寛主となり其の本寺の大事なりと云ふ重宝を知らずと言ふは不相伝に非すや、亦家中抄に日道付属有無の論、一箇所に非ず日郷に付いて所々に出せり、其れに●て書き落せしとは曲言に非すや、汝日道を助けて蓮興目の流義を受け法水の器とも言ふべき日精を不空弘法法然が僻案と同くするや、撰時抄の如きは悪を除き正法を能々たずね極めて其の真義を求むべしとなり、其れ真義正法とは仏より三代日尊上人に御付属の本因妙抄によるを真実の経によるなり、尊師の門内に入って祖意を明らかにすべし、汝が如きは上は蓮興目の意に逆らひ御書判を無きが如くして先師暦代を僻見の仁となし赫々たる要法寺の宗流を持つ行者を一闡提と罵詈し大罪如何ぞ堕獄せざらんや、御書に云く宿世の敵よりもいたくにくみ謗●殺害の者よりもつよくせめぬれば現身にも大地われて入り天雷も忽ちに其の身をさかざるは大に以つて不審なり、日蓮が法華経の行者にてあらざるか若し然らば大になげかし、今生には万人に責られて片時もやすからず後世には悪道に堕ちん事のあさましとも申すばかりなし、又日蓮法華経の行者ならずは何なる者か一乗の持者にてはあるべきぞ、法然が法華経を抛てよ善道が千中無一道綽が未有一人得者と申すが法華経の行者にて候べきか、又弘法大師の法華経を行ずるは戯論也とかゝれたる法華経の行者なるべきか、経文には能持日経能説此経なんどこそ説いて候へ、能説と申すは何なるぞと申に於諸経中最在其上と申して(已上)、此の御書判今の要法寺に当れり経に曰く如来現在猶多怨嫉況や滅度後亦曰はく、一切世間多怨難信(已上)、抑も要法寺は大聖滅後五百年に当つて蓮興日尊の本願を顕し他門徒の邪説を呵責し因行果得の御題目を弘通盛んなり、然るに祖文に違はず他門徒一流に此れを嫉み怨をなす事大祖御在世の如し、其の処にのつて大石寺悪心を以つて開山以来よりの先約を破して要法寺に怨をなす、然ると雖も大聖守護に仍つて今猶繁栄たり先々に倍して信心強盛なり、之ゆ依て大石寺より弥よ嫉み一人の邪僧を王地に入れ要法寺の宗流を誹謗なさしむ、あまつさへ日興嫡々大聖御真筆を一機一縁の御本尊なる故、反古同前と謗ずる事天魔外道成らずば如何なる者か此の邪言はゝかず、興上人尊師へ別付属たる本因妙抄を以つて宗意得道の寺檀を一闡提と罵詈なす事上にのする御書判に符合せり、之を以て之を思ふ末法の大導師と尊敬すべき尊師に限れり、如何と云ふに大聖口決の本因下種の大法を弘通するを以つて怨敵日に重なる他師他門徒の怨嫉を受くるを法華経の行者に非ずと言はば、大隠病にして山中に有つて偏執第一にして日興日尊と仏より三代の大導師を誹謗し蓮興目三師の御本尊を反古と悪口して、本因妙抄相伝の本山を堕獄と言ひつのる邪曲我慢の者を以つて法華経の行者と言ふべきか、邪慢の半僧弘法慈覚智証の邪言に勝りて大謗法に非ずや、今の大石寺を叡山身延山の如く濁地とする悪法師なりみよ●今に徳一か如く舌八つにさけん事を鏡にかけて見るが如し不便々々。 第二、王城冨山地之勝劣は時機を知らざる僻見の事。 夫れ聖賢は文を見て其の意を先とする愚者は其の文を執つて其意を知らず、此に邪俗山を執して月漢脱台精舎を引いて山に有らざれば戒壇成就叶ひ難し尚亦日本国に於いては冨士山に限れり若し此れを一往と云つて信せざる者は外道なりと語る事愚迷の至極せる処なり、抑々本門下種戒壇を冨士山と有るは序分に説くが如く大日蓮花山即日蓮が名也とは産湯相承実母霊夢の冨士山即日蓮、日本に出生の霊夢なりと有つて日蓮がにく擅即戒擅日蓮が法を持つ弟子檀那の身躰即冨士山也と有るなり如何ぞ閻浮第一の戒擅建立の勝地をわづかの富士に執し玉はんや、大聖常に日本国は南閻浮提の中にはわづかの小島と有り、我祖の戒擅はしゆみ山すら猶を小さし況や小島の中の一国二国をや、汝ら小量を以つて祖意を沙汰する事は乞食がけいづを諍ふが如し、非学者に向つて論ずるとは無益なれども若し聞いて邪執を改め本心に帰る事もと少し論ぜん、日月星の中には日を以つて最上とする、若し月星の光り日光に勝るゝと言は此れ邪言なり、又衆の山の中には、しゆみを以て第一とする若し冨山を始め天台山鷲山寺をしゆみ山に勝るといわば石瓦は宝珠金銀に勝るとの僻言なり、よし又月支漢土の聖者山に仍つて戒擅建立有れども本化の本仏如何ぞ文上迹化を例とし玉はんや、天笠の釈尊は妙法を蓮華を以て譬として衆生に一念三千の理を示し玉ふ、大聖は妙法蓮華経を即当躰の蓮華仏なるを事とし玉ふ、此れを事の一念三千即仏を南無妙法蓮華経と唱へ持たせ玉ふ、此れを方便品に説て唯以一大事因縁と云云、御義口伝に云はく一と者妙なり、大と者法なり、因と者華なり縁と者経なり云云、又云く我等が頭は一なり唯は大なり、胸は蓮なり、足は経なり、此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり、此の大事を釈迦如来四十余年の間隠蜜し玉ふなり、今経の時説き出し玉ふ此の大事をか説んが為に仏は出世し玉ふ我等一心の妙法の五字なり、開仏知見する時即身成仏するなり、開と者信心の異名なり(乃)至因は下種なり、縁は三五の宿縁ゆ帰るなり、事の一念三千は日蓮が身に当つての大事なり、一と者一念大と三千なり、此の三千と説きたるは事の因縁なり、事と者衆生世間、因と者国土世間なり、国土世間の縁とは南閻浮提妙法蓮華経を弘むべき本縁の国なり、経に云く閻浮提内使不断絶是れなり云云(已上)、信者の当躰題目の五字なり、又日本と云ふ内に大日蓮華山も納れり、日蓮が弟子檀那の当躰を大日蓮華山なり、大とは閻浮大千界なり日とは日本国なり蓮華とは濁れる凡夫も信ずる当躰即蓮華仏なり、山とは久遠元始に万物を生出し玉ふ故に即衆生なり、日本に蓮華を持つ行者の住する所を本門の戒擅なり、是れを知るを即仏、是れを知らざるは衆生なり、知る時には戒擅知らざる時は山なり、此の意を以つて御相承を拝すべし、天はれぬれば地明かなりと有つて世法を得る事赫々たり明々たり、御書に云はく国主此法を立てらるれば冨士山本門寺に戒擅を建立せられるべきなり時を待つべきのみ事の戒法とは是れなり中んづく我門弟等此の状を守べきなり(已上)、身躰は国なり心王は国主なり、此の国主、本因妙の妙法を持つ時、即身躰戒擅建立なり、事とは因行果得りなり、戒法とは是名持戒なり、時を待とは如是に邪悪天魔大石の僧形の曲言の時に我か此れ大法を立つるが故に衆生当躰、即戒壇の因縁を建立して平等大尊広せん流布を開くなり、是れ信のなす処なり汝一往再往を論ぜんやと僻言をはく御書に吹風立浪万物につけて本迹勝劣を分くべし(已上)、吹風は一往なり、立浪は再往なり、一往は迹なり再往は本なり一往は劣り再往は勝るなり、汝要法寺を誹謗せんが為に大聖興師の御本意を穢しのぶる処の邪へん廿三紙に及べり残らず祖意にそむけり、汝が高開目をほむるは唯讃法華経還死法華心なり、御書に云く円智房は清澄の大堂にして一字三礼五十年が間一日一夜に二部を読する、道義円智は無間地獄の底に堕つる(已上)、汝等が所作又是の如し、亦戒壇を建立の地、時にのぞんで浄穢を論せず末に出すを見るべし、尚亦汝ぢ王城本山の僧を師々身中の蝗虫と破せり汝こそ同門の法水別して清浄の相承を邪舌を以つてやぶらんとする天魔破旬外道師子身中の蝗虫なり、其人命終入阿鼻獄之罪人なるべし不便なり●。 第三、邪俗の半僧経文を知らずして帰て国に二主を立つる謗法を明す事。 末寺を好む僧は徳少し法を好む出家は徳多し、愚子は家を好み賢子は家業を好む、師は弟子の所作に仍つて付属もそれにをうず父又子の好みに仍つて家とくを譲る師父の慈悲以つて是の如し、大聖御弟子多く有る中に六人の上衆有り所謂る六老僧此れなり、第一を日昭、次を日朗、第三日興、第四日向、第五日頂弟六日時なり、大聖弟子の好みに仍つて付属を与え玉ふ巳に日興上人は法を求る出家なり五老は寺を好むの僧呂なり、之を以て嫡弟二人を除いて第三の興上人に下種の大法を付属し末法の大道師と定め玉ふ、外五老と雖も大聖御在世は皆忠節を師につくし玉ふ師又六万精舎の道師と六人を定め玉ふなり、師の滅後に於いて興師身延山の惣寛主となし玉ふが子に五老は山を執して興師を嫉む、興師は法を求む、大導師なり故に法をそむく地を不執し玉ふ延山を捨てて冨山を開き玉ふなり、亦興尊御弟子多く有り大聖に習ひて六万房の道師を定め古六人と名く、亦此れに尊師若年と雖ども法を求むる出家なり、興師尊師の智徳をためさんが為わざと御勘当有り、然るに尊師は法を好み一命先達の法師なる故、御勘気の間十二箇年に及ぶと雖も年々大聖の御法事に元よりけたいなく参けい有つて師の法門を諦聴し亦所々に建立する所の寺庵卅六箇寺に及べり、此時興師は尊師は法水をうつすべき器はなる事を衆の弟子に知らしめ玉ふて下種本因の血脈を授与し玉ふなり、冨士門徒家中抄興師伝に曰く十月十二日に日尊を御赫免有つて召出さる、此の時日尊祈祷の為に書写し玉ふ所の本尊三十六幅を日尊に給はる所なり、耐るに日尊建立の寺庵又卅六箇寺なり、逐蓋相応せる事誠に不思儀なり凡慮ら以て、測量すべからず此の書の相承に判摂名字相承、形名種脱相承あり日目日代日須日尊の外謾りには相伝し玉はぬ秘法なり、近年御鏡之御影を書写する輩多し然りと云へども多以て似ざる故に何も書付をして其の主に賜る所なり、日順書写し、奉る御影には其の面影少し相似たり此に依て相似の分なりと書付をして日順に給ふ是れ御影書写の始めなり(已上)、此の如く御相承授受しては御影書写し奉るなり、興師御在世に相承付属は目師に限らず四人有るなり涌出品に云く四たりの導師あり一名上行(乃)至安立行皆是れ唱導師たり云云、亦本因妙抄に云く四大菩薩同心して六万房を建立せしむ云云、汝は祖意を知らざる故に嫡子分なれば大導師は大石寺に限ると思へり此れに形名種脱の相承あり、此の形名種脱と云は大聖秘要の御大事とする処なり、汝らに此の御大事を明すは大聖興上にをそれ有りと雖ども此れを明さずんば尊師に別付属なりと云ふ慥なる証拠を知らず之を以て汝らが愚迷をはらさんが為に少し云ふべし、抑も形と云ふかたちの成仏なり、名と云ふは心の成仏なり、形の成仏は天笠の釈迦如来是を顕し玉ふ然りと雖も真の成仏の種とは成らず之を名けて脱益と云ふ、亦名と云ふは名字即の意の成仏なり、南無妙法蓮華経と名字を持つて成仏するを種の成仏と云ふなり、此の名字の成仏を顕し玉ふを日蓮大聖人と申し奉るなり、形は見るなり名は聞くなり見るは外用聞は内要なり、是如我聞の聞と云ふは是れ経に云はく妙法華の提婆達多品を聞いて浄心に信敬し疑惑を生ぜざる者は地獄餓鬼畜生に堕ちず十方の仏前に生る云云、前亦名字は久遠本有無作の仏なり形は月支有作の仏なり、形と名と種と脱とに勝劣を立て玉ふ先つ形を以て冨士山は勝地なりとは他宗皆以って山執してがらんを建立す、所謂叡山高野三井三上始め各々山を霊地と立つる是等に対して冨山は日蓮が名を顕す故に本門の戒壇の地は日本国の中に冨士に勝るゝ山なし、法又是れに勝るゝ法あらんやとて戒壇の勝地は冨士山と有り、是れ形の他に勝るゝを顕し云ふ法器は然らず又名は日蓮が弟子檀那は名字即の成仏、凡夫本有無作の成仏なり、凡夫の中に日本国に勝れ玉ふ禁帝を第一とする、帝法を持て給ば即日本国法を持つになり、又地も亦持って是の如し此を以て興師形ちは富士に留め法水は王城にうつし玉う証拠は仏より三代日尊王城の開山と有るを以つて知るべし、四大菩薩同心とあり、又皆是れ唱導師と云ふ事を知らず寺を指て大導師と云ふか、縦ひ霊山と勝れ相承付属血脈の寺院なりとも持つ寛主の有らざれば身延山の如し、是れ人貴が故に所責しとは是なり、法を持つ貴き導師の居ます所を本門の戒壇と云ふべし、故に汝ら嫡子と立つる目師巳に冨山を離れて王城に骨を留め玉ふ人貴き目師の正骨留り玉ふ所を貴からずと言はは師敵対の法盗なり、汝大導二人有は天下に二つの日なしと云ふ涌出品の時は如何に日輪は出て給ひたるや、汝等是れにても解しがたくば今一段こまかく言ふべし、能く々開け夫大導師の血脈は大聖人日興上人に付属をなし大聖仏の座になをり玉ふて仏法を人法一躰に留め玉ふ、日興上人僧徳の大導師なり、故に末法の大導師は興師に留め玉ふ、大聖の法水を受け本門弘通をなす目師を始め皆大導師の名代なり使ひなり、何ぞ血脈の本山写主末法の大導師と云ふべきや只大導師の職を預るのみ、其れを嫡子文を続く故に大導師は大石寺の暦代に限るとあるは興師の僧徳ををぼい我れ我大導師と言はん者此に国に二つの日の如しと云ふなり、本門本山八箇寺皆大道師の名代と成りて八方へ分れ本因下種の大法を弘通したらん日には広布の時も早からんに邪悪の曲僧等をさまたげ理欲の為に同門を誹謗し広布の時をのばす事天魔なり、外道なり師々身中の蝗虫は是れ等の盗僧を除いて又何れを指さんや、又汝尊師忠節勝れ血脈相承を受け玉ふを深く嫉んで本因妙抄の文を三段に分けて法主の血脈護法の賢臣慈悲の末弟と相承を分くる事言語同断の僻見なり、抑も尊師の忠節は法の為に忠を尽し師には孝養第一なり故に是れを日尊と名に顕し玉ふなり、御義口伝に釈尊の尊を説いて云ふ尊は高なり高は孝と云ふなり釈尊内伝の孝養の第一なり故に仏と申す云云、又論語に云く子張崇徳を問ふ弁或子曰はく忠信を主り義に徙り徳を崇ぶ(忠信を主り則本立つ義に徙る則日新なり)、外典以つて是の如し況や仏法に忠孝を立てざらんや、亦氓ヘ天下舜に譲る舜亦天下を宇に譲る皆嫡子有りと雖も忠孝の臣民を以つて世を譲り玉ふ、祖判にも大法を国に持つ時は法の禹の如しと有り増して内伝の孝敬をや、今日蓮等の類の意は惣じては如来と者一切衆生也別しては日蓮の弟子檀那なり(已上)、同云く成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり、又云く我とは釈尊久遠実成道なりと云ふ事を説たり、然りと雖も当品の意は我と者法界の衆生なり十界己々を指して我と云ふなり実とは無作三身の仏なりと定めたり此を実と云ふ成とは能成所成なり成は開義なり(已上)、祖判是の如し何ぞ嫡子の成仏賢臣の成仏弟子の成仏と別々になし玉はんや、猶又王城の開山と有るは王城に成仏を開くと有る文なり、是を以て仏より三代日尊と有は貴き付属に非すや、汝が如くに言ふ時は大石寺は目師より代々なり要法寺は仏よりの代々なり何れを貴しとするや是の如く勝れし尊流なれども異躰同心と法門を談ずる故に血脈をつのらず只広布の時を急ぐのみなり、汝ら邪曲心より平等大会の弘通見分がたし邪見を改め台家のもつそうでも喰ひ、はらをととのへ其の後祖判を拝見して法を論ずべし、又師弟不二と云ふ事明らかに末に出だす謹んで見聞せよ。 第四、邪曲の故に我が曲りを知らず正しきを邪れると思ふ僻見の事。 夫鹿ををう猟師山を見ずと得物を見て走るが故に山の高下を見ず、我か身の正からざるを知らず此一段大躰前文に出すが故に此に略す猶亦末に至つて二度出すを見るべし。 第五、邪曲形名種脱の相承を知らず祖判を覆へす事。 夫王城の開山とは御相伝を興師深き思召有つて王城開山日尊と有るなり、此の段も大躰前文に出せる故にのぶるに及はず猶又末に説くを見よ、猶此の上第六第七皆大躰は前文に出すが如し改めて一段をさとさん意を留めて能く聞くべし、夫一丈の堀をこへざる者如何ぞ十丈二十丈をこへざらんや、大石寺は我れの山の正しからざるを知らずして他の山を謗じて云はく都の山は穢土と云云、問註書に云く亦日蓮房の申し候様は仏菩薩并に諸天善神を還し進らせん事は別の術なし、禅宗念仏宗の寺々を一もなく失ひ其の僧寺を誡め叡山に講堂を造り霊山の釈迦牟尼仏の御魂を請じ入れ来らざらんには諸神も還り給ふべからず、諸仏も此の国を扶ひ給はん事はかたしと申す(已上)、法を貴ばざる故に人所又しかなり、一人智職あつて釈迦十方諸仏法の眼目たる大聖の三大秘法の本尊を安置し奉るならば諸仏諸神の守護の戒壇と成るべき書なり、是れ法貴きが故に人貴し人貴が故に所貴しとは是れ仏は法の勝劣を撰み地の清浄不浄をきらひ玉はず別して大祖は人の位を好み玉はず巳に日蓮は東阿房の片海人子と有又せんだらの子也とも有り、経実成が故に位ひ弥よひくし経権成るが故に位ひ弥よ高しと有り、大祖の大法かたへんくつの小にあらず南閻浮提内広せん流布の大法日本国中は申すに及ばず漢土月支三国を一つの精舎と成とも猶大きしというべきに非ず、捨八良地口に心をよんで、「世界をばちりとりにして三毒の悪たをすくう祖師の大法」汝亦清浄の勝地は富士山に限ると有つて王城を穢土と謗ず、当時の富士山を見るに頂上には千現菩薩を山守と崇りふもとに大山石尊大権現あり、中をうより七分目には他門像仏を安置し、近年頂上に題目の宝塔を建ると雖も是れ亦他門流の無得道なり、富士登山はすべて念仏を以て行者の修行とする当時叡山より劣りし謗法の山なり、汝等は俗に云ふ灯台元くらしなり、猶又元録三年に日俊北山本門寺を像仏堕獄無間山と誹謗せしとき北山本門寺日要江戸奉行所にうつたへ対決に及ぶ、其の時大石寺一言も返答あたわず丸山本妙寺に付て差上る状に云はく指上申す一札の事、一拙僧共累年の間談儀仕り候節法華経一部読誦候も無間地獄索絹五条の外一切の袈裟衣は謗法売僧曼荼羅題目の下に判形を居へ日蓮と天台伝教と並べて書き候は師敵対、鬼子母神造立は謗法堕獄、此の四箇条を以て本門寺日要出訴詔に付き此の度私共被召出され御僉儀を蒙り候得共、右四箇条之儀は拙僧共申す可き筋目の事にて之れ無くかつて申さず候同宗一流の儀に候間向後は本門寺と和融仕り出入之れ無き様に仰付けられる趣き畏り奉り候、勿論以来本門寺に対して誹謗仕る間敷候仍つて件の如し、元録三年午三月廿七日寺社御奉行所、駿州大石寺印日啓日俊判、猶又此の外に富士山同門流を無間山堕獄と誹謗せし事多々なり、然れば汝らも法によると云ふ事を用ひずとはいわれまじ、是の如くに不相伝を以つて嫡々たる要法寺を不相伝と謗ずる事是れ謗法の第一なり、又去る寛政法難の時不相伝より大石寺大欲心を顕し、要法寺を異流にをとし、末寺等を横領せしめ尊師の大功を無き者にせんと大悪心より、京都要法寺を知らずと云ふ所に返答する状に云く、 恐乍ら書附を以て申上奉り候、今般御箇条を以て御尋の趣畏奉り候。 一京都要法寺者往古上行院と住本寺と二ケ寺を一寺に致し要法寺と改号致し候由、右申立の通相違之れ無き也の事。 (京都要法寺の儀者拙寺開山日興の弟子日目京都弘通の為め弟子日尊日郷両人を召連れ、正慶二酉年十一月初めに此の地を出立仕候処、濃州垂井宿にて還化仕候故、日郷は当地へ罷り還り日尊者直に上洛仕 上行院等の諸寺を建立被致候趣き承り候、然れども猶彼地何ケ寺建立仕候や巨細には相知り申さず候已上)、此の外五ケ条の御尋ね本堂かざり方等何れも知らずと返答なり、大石寺より要法寺をば知らずといわれざる事証拠を少々出たし見するなり尊師へ日道より送らるゝ状に云く、明年の秋は御登山と承候えば世出世申し談す可く候、毎事後信を期候恐々謹言、建武二正月廿四日謹上大夫阿闍梨御房・日道、大石寺十三代日主の代に日目上人の御本尊に裏書をなして送らる、御本尊は表の年号は正慶二年三月日と云云、御授与書に云く奥州新田大夫と云云、裏書に云く今度世出世申合に就て要法寺貫主日●の時に大石寺重宝御凾の内日目上人御真筆御本尊一鋪広宣流布御祷の為に要法寺に之を授与せしむる者なり、天正十五年(丁)亥五月八日、日主(判)、(然も尊師御正当の日なり)。 又元禄三午の二月十八日江戸寺社奉行え本門寺日要出訴の返答大石寺より上くる状に云く、一造仏堕獄と申す事は旡実の申し悠終に此の方より堕獄と申さず候、仍つて京都要法寺造仏読誦仕候えども大石寺より堕獄と申さず候、証拠は当住まで九代の住持要法寺より罷り越して今に通用絶え申さず候事(已上)。 又大石寺日賢より要法寺良師への状に云く(只寒気見舞の状なり芝川のりを送る文なり)、十二月七日要法寺御隠居日良御大師(大石寺 侍者中 隠居)日賢判(書添の文に云く当以て久々書中を以ても御気嫌を窺ひ奉らず本意に背き奉り候)。 証拠大躰此の如し、旁々以つて尊敬すべき要法寺を誹謗するのみならず、先約を変へす破僧罪なり、彼の叡山も義真以後慈覚智勝先師の決意にそむきて円頓戒壇を土でいとなす、大石寺以つて是の如し、汝ら先師の法を守りなば爾前迹門の謗法を呵責し他門徒他宗を改めさし末寺となして大法の助とすべきに、他宗他門には教化弘法はなさずして只同門を誹謗し同門の末寺壇那をうばゝんとする事是謗法の二つなり。 本因妙抄に云く下種十妙実躰の本迹、日蓮は本因妙を本と為し余を迹為るなり、是れ真実本因本果の法門なり。 本化本尊本迹、七字は本なり余の十界は迹なり、諸経中王の本尊は万物下種の種子旡上の大漫荼羅なり、本門付属本迹久遠名字の時受所の妙法は本上行等は迹なり、久遠之初め結要付属と日蓮今日の寿量の付属とは同童なり。 本因妙法蓮華経本迹、全く余行に渡らざる妙法は本、唱る日蓮は迹なり、手本には不軽菩薩の廿四字是れ其行儀是れなり。又云く右此の血脈は本迹勝劣其の数一百六ケ之を註す数量に就いて表事有り之を覚知すべし釈迦諸仏出世の本懐真実真実唯一大事の秘密なり(私に云く此の大事前文に出が如し、然る間万年救護の為に之を記し留む、中就く六人の遺弟を定る表事先々に沙汰するか云云、但し真授結要の付属は唯一なり、白蓮阿闍梨日興を以て惣貫主として日興が正義悉く以て毛頭程を残さず付属せしめ畢んぬ(已上)、上日蓮(在御判)、日興に之を授与す堅固に之を秘すべし秘すべし云云。 仏よ三代右件口決結要の血脈は聖人出世の本懐衆生成仏の真路也、聖人御入滅程無く聖言朽ちず符号せり、恐れるべきは一致の行者悪むべきは獅々身中の蝗蟲なり、建治三年(丁)丑八月十五日聖人言玉はく日蓮が申しつる事世出世共に芥子計も違はば日蓮は法華経の行者に非ずと思ふべし云云、未来世には弥よ聖言符号すべきなりと之を覚知せよ貴し々し云云、設ひ付弟為りと雖も新弘通建立の義無くば付属を堅く禁め給ふ者なり、然る間玉野大夫法印は王城の開山日目弘通の尊高なり、華洛並所々に上行院建立之れ有り云云仍て之を授与し畢ぬ、正和元年(壬)午十月十三日 日興日尊に示す(已上)。 興師尊師本因妙抄付属の次第是の如し故に要法寺に於いて御本尊を書写奉るとも何の恐れかあらん、要法寺弘通の御題目は本因妙天真独朗にして理非造作の故に天真と云ひ証智円明の故に独朗と云ふ、此の大法を弘通の名僧を罵詈する事誠に是れ謗法の三つなり。 又要法寺に於いて日興嫡々唯授一人の御本尊と申し奉る者唱読付法の御本尊なり、大祖佐渡御流罪の時思召す様は昔より此の佐渡島え流されし人生きて帰りたるためしなし、日蓮も此の嶋にて死すべき事もあらん左もあらば我か弟子旦那に出世の一大事を云はず殊に唯授一人の金口相承をば致さず候ては末法の一切衆生一人も残らず皆悪道にをちん事不便なりと思召して、此の一大事をば文永八年雪中に勘へさせられて、翌年正月元日に末法万年の大導師を定め御一代弘法を譲らんと勘へ玉ひて思召す様は、我れに多く弟子あれども我一大事の仏法をば付属し相続する者は日興一人ならではと思ひ定め玉いて自ら御筆を染め玉へ忝くも本地寂光自受用報身如来の境智の尊躰大聖人の魂をさら●と一幅の御本尊に書き顕し日興上人へ下され候、其の書に云く文永九年(壬)申正月元日、問答第一行戒智徳筆跡付法の沙門日興に之を授与すと書き印るし下され候此れ千万の法門も入らざる大聖多くの弟子あれども日興は四徳を備へたる故に我が一期の大事の仏法をば残らず付属する者なりと遊はされ候事唯我与我の御内証を顕し玉ふ御本尊なり、是れ本因妙抄に日興嫡々唯授一人の御本尊と有り汝等言ふ所の板本尊は身延山にて日法七面に祈り得たる処の浮木なり、裏書に云く戒旦の施主石川弥四良国重、上野題目講中と有り是れを何ぞ日興嫡々と尊敬せんや、尤大聖の御直筆故誹謗はせず然りと雖も彫ぬきし御本尊と御真筆の墨を其まゝとは大なる相違有り、御書に云く日蓮が魂を墨に染めて書きて流して候ぞ信ぜさせ給え(已上)、是れ程赫々明々たる知らざるや、興師も本因妙抄の授を受けて後御本尊書写し玉ふ、尊師又是の如しと雖も自身書写に及ばざる上嫡々の御本尊を御形木にうつし信心の者に授与し玉ふ、御本尊書写すべき御身なるが故に尹師大師に付属あり、要法寺には赫々たる証拠あり往見せよ、是れ等を汝いかほど邪舌をめぐらすとも叶ひがたし、かゝる尊高なり要法寺を尤得道と悪言する是れ謗法の四つなり。亦法華経行者値難抄に云く法華経第四に云く如来現在猶多怨嫉況滅度後等云云、同第五に云く一切世間多怨難信等云云、涅槃経三十八に云く爾時に外道無量の人この心に嗔恚を生ず等云云、又云く爾時に多くの悪人あり瞿曇沙門なり王未た検校せず我れ等甚た怖畏す一切世間の悪人利養為の故に往いて其の所に集り而眷属と為る(乃)至迦葉舎利弗目●連等云云、如来現在猶多怨嫉の心是れなり、徳一大徳天台智者大師を罵詈して曰く智公汝は誰が弟子ぞ三寸に足らざる舌根を以て覆面舌の所説の教時を語る又云く豈に是れ顛狂の人あらずや等云云、南都七大事の高徳等、護命僧都景信律師等の三百余人伝教大師を罵詈して曰く、西夏に鬼弁婆羅門有り東土に巧言を吐く禿頭の沙門あり此れ乃ち物類冥召め世間を誑惑す等云云(已上)。 次下に云く末法の始に仏説の如く行者世に出現せんか、而るに文永十年十二月七日武蔵前司殿より佐渡国に下さる状に云く、相模より佐渡の国への流人の僧日蓮弟子等を引率し悪行を巧む之由其の聞え有り所行の企甚以て奇恠なり、今より以後彼僧に相従せん輩に於ては炳誡を加へしむ可し猶以て違犯せしめば交名を注進せらる可きの由にの所に候なり、仍つて執達件の如し、文永十年十二月七日沙門観慧、依智六郎左衛門尉殿等云云、引書の御書今の要法寺の弘通に似たり、寛政のころ他門十五山より異流を弘むと云云、大石寺僧等の云はく要法寺は旡得道堕獄の宗と云云、又云く王城の本山穢土の不浄の宗と云云、是の如き誹謗を受くると雖ども難をいとはつ弘通するは我身命を愛せ不但旡上道を惜しむ行者也、是の如く祖意を守る要法寺を御弘通を誹謗し仏法の御使ひと言ふべき行者の僧を天狗などと悪口し、四条金吾ともゆいつべき担那を悪党気違ひとのゝしる事南山北七徳一両火房にも勝れし大慢なり是れ謗法の五つなり。 御書に云はく惣そ日蓮が弟子と成つて法を弘めんと思はん者は日蓮が如くし候へと有る故、要法寺弘通は只蓮興日尊の弘通を守り相承の如く御本尊あり紫晨殿の御本尊あり、汝ら大石寺書写赫々たりと云ふか、日因の書写の本尊に若悩乱者頭破作七分有供養者福果十号の両文をかゝずして、若於林中若白衣者即是道場の文を両文に置く事不相伝の証拠なり、汝又冨士の紫晨殿の御本尊は観上くる斗り大幅なり要法寺のは小幅と謗ずる知らずや、日法ちやうこくの手本の御影は三寸にたらざる小像なり、又身延山の祖師の像は大像なり、又京都本国寺に納まり玉ふ五十枚つぎの御本尊は此れ等も大は勝れ小は劣ると云ふや元来大石寺付属とするは形の付属故に形に執著して本意を知らず、未成仏は形によらんや只一心の信に仍つて即成仏を顕す事なり、阿仏房御書に云はく今日蓮が弟子担那亦々是の如し末法に入て法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔旡なり、若し然らば貴賤上下をへらばす、南無妙法蓮華経と唱ふる者は我か身宝塔にて我身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔旡きなり、法華経の題目宝塔なり宝塔、又南旡妙法蓮華経なり、今に阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然らば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外にそいかく旡益なり、聞信戒定進捨慙の七宝を以てかざりたる宝塔なり、多宝如来の宝塔如来の宝塔を供養し給ふかとおもへばさにては候はず我か身を供養し給ふ我か身又即一身本覚なり、かく信じ給ひて南旡妙法蓮華経と南旡妙法蓮華経と唱へ給へ、こゝさながら宝塔の住処なり、経に云はく法華経を説くこと有らん処は我宝塔其前に涌現せんとは是れなり、余は有り難く候へば宝塔を書き顕し進せ候ぞ、子に非んばゆづる事なかれ信心強盛の者に非んば見する事なかれ出世の本懐とは是れなり(已上)、是如き御書拝見するとも汝等が邪眼には其の意得る事かたかるべし、我れ汝らが為に少々其の意を説くを聞いて邪見を翻すべし今日蓮が弟子担那亦復是の如し此文即日蓮一期の弘法、白蓮の阿闍梨日興に之を授与の文に相当るなり、又末法に入て法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔旡きなりより宝塔さながら阿仏房までを、国主此の法を建られなば富士山の文に対す、又此れより外のさいかく旡益なりより即一身本覚なりまでを、本門寺戒坦を建立せらる可きなりの文に同じ、かく信じ給ひてよりあまりありがたく候へば迄で、時を待つべきのみ事の戒法と者是れなりと同意なり、如何なれば宝塔品に事あらはれ寿量品に事きはまるとあり、然れば涌出品までは四大菩薩出現なし、涌出品の時まで待つて四大菩薩大賢王、大聖臣等の出現の時大聖の寿量品の事戒坦建立なるべし、宝塔を書きあらはし進せ候とは嫡々の御本尊に本因妙抄の付属なり子に非らずばゆづる事なかれ、信心強盛の有るに非んば見する事なかれ、出世の本懐とは是れなりとの文に就中我門弟等此の状を守る可きなり血脈次第日蓮日興と是れ又同意なり、又日尊上人付属も此状を守り玉ふに当るなり、仏より三代とは子なり、新寺建立の忠節は信心強盛なり、之を以之を思ふに阿仏房御書にて我か身成仏を戒坦とも仏とも大祖より仏の記を受くるとも皆日蓮が弟子旦那等の類ひを成仏、唯我与我の御説法なり、広宣流布を世界にとれば国主此の法を持て玉ふ時我か身にとれば興門流の祖法を持て是れを知るを即広布の時なり、此の段前文に出せん故引合せてさとるべし、汝ら要法寺の即身成仏本因妙抄を知らざる故かへつて誹謗する事是れ謗法の六つ。 又汝人法土の三つ一致と修行する者は天魔破旬外道と云ふか持つ所の法貴き故に人貴く人貴が故に処貴とし、御書に云はく法貴きが故に人貴し、人貴きが故に処貴し、かゝる貴き行者の住処なればいかで霊山に劣るべきやと法勝れしを持つ行者の当躰を指し其の行者の住する処を指して霊山に勝るゝと有り、然ればかゝる貴き行者の日蓮と有り、本因妙本門の大聖人を安置し奉る要法寺即霊山に勝るゝ勝地に非ずや、其の勝るる大法を持つ弟子旦那の住処即寂光に非すや、汝人法土一致とする者天魔外道ならば大聖蓮師は天魔外道なるか、又人法土を三つに分て云時は人は帝王、法は本因下種の大法、地は王城なり、然れば要法寺一箇に納まれり、汝ら又悪口して要法寺宗より一致宗がましならんと云ふ大祖の御書本因妙抄を守る本山より一致宗が勝るゝと言ふは汝が立る大石寺は何宗ぞや、汝は大石寺を讃めて蓮興両師の書判をそしり、大聖分身の同門を誹謗する事還つて大石寺をたをす魔風なるべし、魔よく形を似する興師旡辺行の風躰なり、其の風躰の興門流を似せて興門を吹たをさんとすると雖ども仏風に合ひて吹きちらされ地獄のほのうの風となるべし、汝勝るゝと云ふは魔の中にてぬけたるなるべし是れはまぬけと言ふなり、鳥渡地口にこじつけて山道を。魔化天狗鬼性出鬼垂る友要法当尊門勝地知た登、御義口伝に云く此の品の題。迹化の菩薩手を附いろ。べからず(已上)、本因妙の相承は迹化すら解しがたし況や邪俗の半僧をや是れ謗の七つ也。 又汝等嫡子分をつのる事宛も小栗の馬をほむるが如し、夫法を嫡子に付属すべき事成らば釈加如来嫡子たる羅●羅尊者に法を付属あるべし、然も代々嫡子とあり何ぞ別に地じゆの菩薩をめし給はんや、況や末法の本仏をや、日目上人は興師に給仕の勝れて在すなり、其の上大聖も三名浄行かとをうせあり、故に子に譲らば目師の如き忠孝の弟子子に譲るべしと代々の貫主に此の事をしめし玉ふなり、故に日目代々嫡子分と有り然れば嫡子分は目師の御身にそなへり何ぞ寺院を指して嫡子とをうせあらんや、又目師より相承伝はる故目師の相承を受けし所即嫡子分と有らば尊師は誰が弟子ぞや、然も御臨終を見とヾけ御遺言をこうむり御骨を給はる墓地まで建立なし御墓所に常随給仕をこたらず勤め玉ふを嫡子とせざらんや、猶又尊師は興師直の御付属なり、此れ目師尊師の所作同きが故なり、又目師より尊師は長寿なる事を知ろし食して若し王城に尊師留り玉ふて冨山に目師還化有らば目師に替りて興師の本意を立つる者非らじと尊師に目師の付属をこめて日目弘通の尊高と有り、師弟弟不二の御付属なり、師の眼力き少しも違はず目師滅後冨山に家とくを諍ふ今直を留ず、如何ぞ興師へ此の相承在ましまさずんば祖法たちまちに散乱せん、誠に日興上人の御仏眼貴むべくあがむべし、汝ら此の意を知らず様々と邪曲をめぐらす事魔心なり愚心なり、異躰同心と法門を談ずる時は仏と衆生と一躰不二なり、如何ぞ師弟を不二論ずるに及ばず、扨々愚迷のやからかな汝ら一字一点も祖を知らず還つて誹謗する事是れ謗法の八つなり。 汝又尊師は大石寺を尊敬の故に富士に登山して常随給仕玉ふ、故に今の要法寺も冨山に来りて給仕せよと云ふ汝ら能く開け尊師冨山に給仕し玉ふは忠孝第一なるが故なり、興目両師の御在世の時は冨山に登山し香華燈明の給仕をなし玉ふ、興目御遷化の後は冨山に登るに及はず、蓮大聖日興嫡々の御本尊京都に在す目師の御墓烏部に有り、王城弘通の遺命重し何ぞ愚迷のやからと同き所作あらん乎、汝らこそ目師を尊敬し嫡子分をつのらば王地に来りて目師の御真骨に給仕すべき事、理の当然なり、然るを返て誹謗をなす事是れ謗法の九つなり。 又汝大石寺を指して本門寺と云ふ事富士には慥に之れ有り、則ち本寺を指して直に本門寺と号し弘通所を指して惣院号と呼ぶは大聖人の鑒掟なり誰が諍ふべけんやと云ふ、此に冨士家中抄に日妙の伝に云く冨士山本門寺とは興師の滅後に呼ふ所の寺号なり額は大聖人御筆跡なり、然るに高開両師の本意は国主の帰依を受け冨士山に三堂を造立して額を本門寺に打つべし是れ両師之本意なり、故に興師御在世の時は重須の寺を大石の寺をと云つて寺号を呼ばず古き状どもに其の趣き見へたり、日澄遺状等を見る可しと有り、然るに汝が如く云ふ時は興目両師より本門寺と御附け遊はされしや、いつのころ慥なる証拠ありや、尤重須には永正十二(乙)亥年六月廿六日今川修理大夫より本門寺の寺号相承等相違無き支証を日国上人に玉ふ何ぞ大石寺に本門寺と言事証拠あらんや、然るに大石寺より重須本門寺を指して元禄のころ旡間山と呼ふ冨士山の本門寺を同山の大石寺より旡間山と云ふ時は大聖の正額を堕獄と云ふにあらずや、要法寺は寺号院号を論ぜず只広宣流布の時まで法水を守るが故に法敵を論ず、広布の時来りなば其時には要法寺を改め本門寺と改号するも知難汝が僻見是謗法の十なり。汝富士山を金剛不壊の王都と云ひ帝王と云ふ帝王の御住所を穢土と下す、産湯相承に云く是の如く国をば日本と云ひ神をば日神と申す我か釈尊法華経説顕し給て巳来十羅刹女と号す、十羅刹と天照大神と釈尊と日蓮は一躰の異名本地垂迹利益広大なり(已上)、之を以之を思ふに本地日蓮垂迹天照なり、忝くも平安の都に御まします所の帝王は天照太神の御末、日本国の主なり、若し此の帝王祖法を持て給ふは本地垂迹一躰なり、猶広布の時は旡辺菩薩なり、然るを法王の土、帝王の土と分くる時は王法仏法合し難し、猶又国に二つの王なるべし、本地法王はせんとう様、垂迹帝王は今日の王なり、仏界に於いては法王を主とする人界にては法王に孝有る帝王を主とする事現見たり帝王法を持ち玉ふて精舎建立有る時は六万房はをろか十万房をも数ならず、汝ら惑者所の大小を論じて祖意の広大なるを知らず、設ひ冨山には戒壇建立すとも帝王の命に有らずば成就はなりがたかるべし、我か祖は閻浮の法王なり垂迹王土に出現有りて四大菩薩同心して王命を以つて大法を万国に渡しなば一天四海皆帰妙法なる事、鏡にかけて見るが如し、御書ゆ云く閻浮第一の本尊の此の国に建つべし(已上)、此の国とは日本なり、国主此の法を建られなばとは帝王なり、然れば帝王の御座所とは日本国中なり、此の日本の帝王より万国に大法を渡すとき閻浮提内広宣流布なり、此の日は東より顕れ西を照れすとは是れなり、然る時は閻浮万国の中には日本を指して戒坦建立の地と定め日本国の中には帝王の意にまかせ建立すべきなりと有るなり、此の内証は阿仏房御書の如く凡夫当躰を指して宝塔建立の勝地と有るなり、此れを九職心王真如の都と指し玉ふなり、外には何れの在所たりとも祖大法建立の地を多宝冨士山とあり、其の寺院を本門寺上行院と付くべし有り、是の如く明白なる王地の開山を誹謗するのみに非ず、大祖を守屋将門の如くなす事是れ謗法の十一也。 汝又大石寺は法水を濁さず余の同門は法水濁る故に堕獄と云ふ、富士門徒家中抄に云はく日影伝に云く平井に於て弘通あり影公大衆に語る血脈を伝ふ可き機無し是れ我が悲嘆也、終に応永二六年(己)亥病気の時油野浄蓮に血脈を授けて云く下山三位阿閻梨日順は血脈を大妙に伝ふ其例無きに非ず公は白衣たりと雖も信其れ深き故ゆ之を授く伝燈を絶えざらしめよと教示して八月四日没し玉ふ(已上)、此れに付いて不審有り日影には弟子に日有あり幼少にして出家して日影の弟子となり、又暦代を続けり、然れば弟子の日有は相承すべき人に有らざるか、日有相伝なくして暦代をつぐか、日有は何人より相伝付属を受けしや、然れども大石寺は言くの相承ならずや、若し爾らば大石寺の血脈は在家に流入りて大石寺には法水は濁れり、又肝心の坂本尊は延山の鎮守七面の霊木と有り、又暦代の日昌は智を妙見大菩薩に祈りて霊夢に仍つて智を得ると有り、今の八品宗すら妙見を信ずる者堕獄と破せり況や門流をや、此れ等日精暦代の徳をあげんとして還つて法水の濁れたるを顕す、彼の善旡意三蔵の弟子善旡意の徳をあげんとして死相を残して帰つて善旡意の地獄に堕ちし相を顕す、大聖の遺言興師の大功、目師の孝勤たる大石寺を日道巳来闘諍のみたへずして大聖の大白法隠没を持が如きの●慢邪曲のみ巧み同門を嫉み偏執の強き事、慈覚智証にすぎ地は当時の叡山にも劣らず、大聖未来を指して言はく恐る可きは一致の行者悪む者可きは師々身中の雖蟲なり(已上)、是の如き同門より法を破る僧呂あるを指してしめし玉ふか有り難し●、汝等に咄し有り昔し漢土に或人友に約束して云今夜彼の橋の上にて出合べしとて其の夜彼の橋の上人にて待ち居たり、然るに大水出で橋を流さんとする彼の者思へらく若し此の橋を去て外に行ば友来るとも合ふ事難し、又約束もたがうとて橋を去らずついに橋流れて水に入つて死す、汝等が所作是の如し設ひ橋の上と約束すとも橋流れんとするば道に出で持合すべし、橋にて合ふも道にて合ふも友に合は違はず、然るに只橋のみ●みて水出で橋流るゝとも道に出でるを知らず、ついに水にをぼれて死す汝も左の如し、山の●みて法水の濁水と成て法の流るゝを知らずして只山のみ執す道に出る事を知らず何れの在所にても成仏のそくわいをとげるに違う事あらんや早くあよをき橋をのがれ要法寺弘通の道を求めて助かるべし、然し汝等法罪橋をのがるゝ事成り難し濁水の為に堕獄すべし此れ等を以つて謗法の十二也。 柳も要法寺は祖意を弟一として御書判本因妙抄に仍つて教化弘法のはしらとする故、時にのぞんでは穢多村に建立すとも強いて妨礙あるべかずとは道理をのぶる処なり、何ぞ清浄の地有るに別の穢土を求めんや、然りと雖も仏の成道は三昧に住すと有り大聖塚原御入は此れ佐渡の三昧なり、三昧とは死人は元より穢れ不浄を捨つる処なり、又仏は執著の地は好み給はずして、衆生の執著かゝらざる地を好み玉ふ、猶又大祖も御書に日蓮は東阿房の片海人の子と有り、又せんだらが子とも有り、又畜種をはらむれば生るゝ其の子せんだらに劣ると有り、汝らせんだらを知るや、猶又経実なる故に位い弥よひくしの金言、三毒即三徳の文言、経に若しは経巻所住の処、若しは園中ゆ於て若しは林中、若しは樹中に於て、(乃)至若しは山谷昿野にして是の中に皆応に塔を建て供養すべし所以者何当に知る可し是の処即是の道場なり云云。又ぼんのう即菩提、生死即涅槃の大法如何ぞ地の浄不浄を論ぜんや、又汝穢多をきらうか諸天撃天皷の天皷を打つて首題を唱ふる如何に意へいるや、汝等は只見思段の二乗こんじやう思具の沙汰をなす事をえんや、夫釈尊も爾前四十余年の間、此の娑婆世界を穢土ときらひ所々に浄土を立て給ふ、然るに今経に来りて所々の浄土を方便土穢土と破し玉ふて娑婆即寂光土と顕し玉ふ、久遠の本仏の御在所と成る時は艸木国土しつかい成仏、如是畜生即菩提凡夫即得身成仏、妙と云ふは毒変じて薬りとなる、是の如くに有り難き大法を受けて地の浄不浄の論ぜんや、大法を持てば穢土即寂光大法持たざる地は寂光即穢土、即寂光大法持たさる地は寂光即穢土なり、能く々是れを意に留めて信ずべきを還つて此れを誹謗する是れ謗の十三なり。 つら●要法寺大石寺の弘通を競つて勝劣を論ずるに彼れは山に執着をなして御書を解す、是れは本因妙抄の意を解して地を論せざる十四なり。 彼れは板に顕す金字の本尊を貴む、此れは紙面に顕し玉ふ墨に染めたるを御本尊を大切とうやまう十五なり。 彼れは嫡子分を立て宗意を立てず此れは仏意を観心として法を得るを敬つ故に嫡子分に論せず十六なり。 彼れは他門他宗を呵責せず同門を諍ふ、此れは異躰同心を立つる故に同門と諍はず他の邪義を破ふる十七なり。 彼れは他宗他門の怨嫉なし、此れは他宗他門の悪口怨嫉死罪を受けても強盛に法を弘む十八なり。 彼れは同門の寺担を迷惑さして寺徳にせんと計る、此れは他宗他門の寺担を教化して祖徳にそなへる十九なり。 彼れの相承はこんくと云ふ、此の相承は本因妙抄と書伝を以つて万代につたうる二十なり。 彼れは目師より代々を立つる此れと仏より代々とつとう二十一なり。 彼れは文上を立つる、此れは文意を先にして法門を談ず二十二なり。 彼れは王法仏法を別々になす事を説く、此れは仏法王法合して広布なる事を願つて法門を説く二十三なり。 彼れは地に仍つて法器となす、此れは大法信心強盛を法器と談ず二十四なり。 彼れは大祖の御書判等を反古同様と捨つる、此れは大祖の御書判等を末法の御経文と敬ふ二十五なり。 彼れは大聖興目の御本たるとも一機一縁と捨つる、此れは大聖興目三師の正真筆は直きに値ひ奉る如く尊敬なす、二十六也。 彼れは形の大小に仍つて利益を論ず、此れは信心の浅深を仍つて利益の大小を論ず、二十七なり。 彼れは正師を外道と謗ず、此は邪曲偏執●慢の者に向つて正直に呵責を加ふ、二十八なり。 夫冨士山同門流に安置し奉る御真筆は何れも尊敬すべき所是如し呵責を加ふる時は蓮興目三師の分身を誹謗するに似たりと雖ども其の守る者邪悪なれば其の地たちまち穢土とならん、謗法の地に蓮興目の魂ひ留り玉はんや、然りといへども若し本心に還り正直に正意を守る時は即其の処寂光の本土となるべし、然れば仏御魂をうつし給はざらんや、汝等も品々邪曲偏執毒舌を改め異躰同心に祖法を弘通し他宗他門徒の邪義を教化すべき時は興師御在世の如くならん事眼前なり、若し是れも持うる意なり、弥邪慢につのらば仏は去つて悪鬼の住家とならん、其の時こそ我言は符合すべきぞ、紅には清浄なる品なれども穢不浄にあへば色を変ず、況や仏そ御魂ひ何んぞ謗法の地に住したまはんや改むべし●、古歌に云ふ。 池水の濁れるこの葉ちりぬれば、底はくまなき月を見るらん。 時に嘉永三年戌の五月廿八日 京都本山要法寺直檀那 信心行者 浪華游楼 捨八良述之 編者曰く京都加藤伍兵衛蔵(浄命氏代々の通名なり)写主不明、浄命手沢の本に依つて一字をも訂せず転写す、此原本余りの粗笨なれば浄命氏の評意を守る為なり故に此天註に漏れたる多くの誤字冗字擬字等には旁に○印を加ふ、但し句点及び小仮名字を施して成るべく易読に供したり。 又曰く重版の時に間々用ひある漢文態を訳して延べ書にして易読に供す。 |