富士宗学要集第六巻

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邪正対比

邪正対比---討論顛末の略記
明治十六年六月中旬・丹波篠山の吾門講員本田久助氏外一名・大阪に来り、偶然・湊橋辺の旅宿今井藤三郎氏方に一泊したるに、該家の主人藤三郎氏は八品門流の講長なりしを以て、談話終に法義に及び其邪正を争はんと埀んせり、之に由つて本田氏・其応援を予に要す、予則ち諾して其翌日・吾講頭牧野浄実・副講頭畠山義彬両氏を伴ひ該家に至る、今井氏は又応援を其の惣講長たる小林東三郎氏なる者に請ひけるとて同氏も幸に来会す、之に於いては予は彼氏等へ対し邪正究極の討論を望みたるに彼氏等之に応ぜず、只管予が説く辺を聴いて而して之に質問せん事を希望す、予之れを諾し乃ち吾門の本尊段を演説せんと決意し、観心本尊抄を開きたるに彼氏等未だ法門の科段を弁へず、只文字に固着して其の義理を了得する能はず妄に無益の質問を発せり、然れども予は与へて之を弁明する事・既に三会席たり・尤も其の第二回より八品門流の信徒続々来会したるを以て・予は斯くの如き無益の質問に時日を費すを快とせず、故に彼氏等へ諭すに吾門の本尊段を説明し終るを待つて而して其の疑はしきを質問せば其の義理了解し易からん事を以てしたるに、彼氏等之れを肯諾したるを以て乃ち六月二十一日・北陽静観楼において吾が門の本尊段の演説をなしたるに、八品門流の聴衆凡そ二十名来会す、中ん就く西京大講頭武内寿山氏も来会せり、其の後又二回の会莚を開きたるに彼氏等質問する処・益々科段を混乱して其の途轍を失ひ・剰へ吾が門の所立を弁知せざるをも顧みず妄りに邪推僻案して以て之れを吾が門の立義と誣へり、実に言ふべからざる挙動少からず之に於いて其罪を呵責し而して之を擯斥す、然れども之れを回顧せば畢竟彼氏等法義に迷惑するより事爰に及びたるものなれば・敢へて之れを擯斥するは予が好まざる処なるを以て・又相和して終に筆談せん事を約し・予は彼氏等に宛て前日の演説筆記を送るべきを誓ひ・彼氏等は又報恩抄中・如是我聞の上の題目の質疑書を予に送るべきを約す、尚又武内寿山氏は之よりさき昨冬・能勢郡吾講員中島栄太郎氏・池田村吾講員秦利一郎氏等と丹波国亀岡において捨邪帰正の討論せんことを約し・八品門流対論者は該門中全国大講頭と聞く岩佐行信氏・并に武内寿山氏の両人により吾が講頭牧野浄実氏・并に予と両人に吾が門の対論者たらんことを要求し来り、予輩等之れを諾し乃ち十二月八日・牧野・船橋・秦・新田の諸氏と共に丹波国亀岡に出張したるに武内氏来会せず、故に急使を西京へ走らせ以て武内氏の出会を促したり、然れども同氏は事を左右に托して猶来らず、予輩等止むを得ず帰路西京へ迂回して武内氏の門を叩く、氏あらず進んで又岩佐氏を訪ふ、氏は幸に在宿して面会す、予輩等先づ亀岡出会の違約を責め且つ速に邪正究極の討論せんことを促したるに氏辞するに・亀岡出会の件は亳も与りしらず・そは全く武内氏の虚策ならんか、又討論の義は不学短才の上・老衰せしを以て応じがたしとの情を以てす、ここに於いて予輩等遺憾止みがたけれども・又為すの道なきにより終に武内氏のために違約且つ虚言の廉を深く戒めたる一書を遺し、猶其の趣の伝言を岩佐氏に托し・同月十日に帰阪せり、其の後武内氏より一二回書を吾講頭牧野氏に寄送したけれども・其書論ずるに足るものなきを以て・粗其非を示して斥けたるに・又彼氏興門血脉破摧録と題する書三巻を綴りて吾が講頭に寄送したり、因つて該書を披き見るに祖判誤解は勿論・邪推僻案附会の説等数多あり、務めて吾が門より之を弁駁せざるしも・少しく学識ある者は該書を見て自から武内氏の非理なる事を一目瞭知すべきを信認したるを以て敢へて弁駁を贅せず差し置いたり、然るに今回の幸ひ同氏に面会せしを以て予彼書の誤解僻案の廉を説示したるに・同氏之を了解して自から該書の取消を求め・而して更に一書を察進せんことを盟ひ・又論議巳に尽くし邪正自ら判明たるも・猶一方において強い己義を主張せば・筆談を止め該論の顛末を活版に附し以て江湖識者の高評を仰ぐべき事を口約し置き・其の後退転弁と題する書を同氏より寄送せり、而るより已来僅か一二回の書を・往復したるに・早く其の局を結ばざるを得ざるに至りしは・予に於いて聊か遺憾なきに非れども所謂馬耳東風の類ひは又以て如何せん、故に筆談を止めて其の往復書を一々列記し以て江湖君子の高評を仰ぐ事とはなりぬ。

 緒言
一、本編冊子は彼我の往復書を其の侭列記したるものにして、書中或は誤字又は解得に苦しむ語気なきにあらざれども、皆本書の通りを写し出したるものなれば敢へて編者を咎むる勿れ。
一、本編中演説筆記・及び邪正弁の如きは倉卒に綴りたるものにて語次の刪補に遑なきを以て其の拙劣多々なるべし・請ふ読者之を恕せ。
一、本編往復の列記に日付の前後するは・読者の便利を慮り一科目宛の集記したるものに由る。
一、本編は原と邪正究極の問答にあらず只其の質問する廉を弁明するを勉めたるものなるを以て・或は問答上の体裁を欠くなきに非ず請ふ読者之を諒せよ。
一、本編は彼我の邪正を江湖の君子に高評を仰ぐ素意なるを以て邪正対比と題す。
一、本冊子・編纂に付いては講頭牧野浄実氏・副講頭畠山義彬氏与つて尽力せり。
一、演説筆記中に三大秘法抄の昔所不説名為秘唯仏自知名為密の文を引証したるを、反詰書に外十六内二十八の祖判を引証して弁駁したれども・三大秘法抄の該文は素より借文にして其義分は文底所談にあれば反詰書に引証の祖判の比にあらざることを識者は無論了知すといへども・初心の者・若し迷惑せんことを恐れ此の註解を結末に追加す。
一、反詰書に本尊七箇の口決抄を責難じたる所詮は・蓋し同書中釈迦古僧に直授塔中の文に過ぎず、請ふ該弁駁は邪正弁第四節第一項附属段の説明に因つて以て明むべし。
 明治十六年八月   寄堂清勇識

前言を略す、偖て先般来より屡々御弁述ありと雖も一向其意を得ざる故に再度尋問に及び終に報恩抄の題名に附き其の意を遂げんと欲すと雖も双方激波の旨を顕はし、終に復た其の意をつくさず・此こに於いて法義停止の色を訴ふ、嗚呼遺憾に堪へず・然る処新に書を以て君に尋問す・足下速かに経釈祖判に依つて弁明説を乞ふ。

内七・報恩(廿四丁う六行より)云く問ふて云く法華経一部八巻廿八品の中に何物か肝心・答へて云く乃至十一行迄・同(廿五丁う二行)云く今の法華経亦もつて・かくのごとし如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即ち一部八巻の肝心・又復一切経の肝心・一切の諸仏菩薩二乗・天人修羅龍神等の頂上の正法なり、問ふて云く南無妙法蓮華経と意もしらぬ者の唱ふると大方広仏華厳経と意もらしぬ者の唱ふると斉等なりや・浅深の功徳差別せりや、答へて云く浅深等あり、疑つて云く其の意如何答へて云くより十八行迄疑つて云く廿八品の中に何が肝心・答へて云く或は云く品々皆事に随つて肝心りなり・或は云く方便品寿量品肝心なり・或は云く方便品肝心なり・或は云く寿量品肝心なり・或は云く開示悟入肝心なり・或は云く実相肝心也、問ふて云く汝が心如何・答へて云く南無妙法蓮華経肝心なり、問ふ其の証如何答へて云く阿難文殊等・如是我聞等云云。問ふて云く如何、答ふ阿難と文殊とは八年が間此の法華経の無量の義を一句一偈一字も残さず聴聞してありしが仏の滅後に結集の時・九百九十九人に阿羅漢が筆を染めてありしに・先づ初に妙法蓮華経とかかせて・次に如是我聞と唱へさせ給ひしは、妙法蓮華経の五字は一部八巻二十八品の肝心にあらずや、されば過去の灯明仏の時より法華経を講ぜし光宅寺の法雲法師は如是とは将に所聞を伝ふ前題一部を挙るなり等云云、霊山にまのあたり・きこしめして・ありし天台大師は如是とは所聞の法体を挙ぐるなり等云云、章安大師云く記者釈して云く蓋し序王とは経の玄意を叙ぶ玄意は文の心を述ぶ等云云、此釈に文心といふは題目は法華経の心なり、妙楽大師云く一代教法を収むと法華の文の心より出づ等云云、(廿八丁を四行迄)以上五十五行。

是の如く宗祖如是我聞の上の題目は一部の肝心なりとの玉ふ、しかのみならず台家智者等の諸釈を引証し以て明々赫々と御指南遊ばさるるなり、随つて我れ等も此の御指南に基き信受し奉る処を貴門には是は宗祖本意にあらず迹門の題目を仮り玉ふて御弘通の所詮を陳べ玉ふと云ひ、或は如是我聞の上の題目は本迹一致の題目と云ひ、或は如是我聞の上の題目を唱ふる者は大僻見なり、或は如是我聞の上人の題目を信ずる者は堕獄疑ひなしと云ひ、或は宗祖如是我聞の上の題目を御指南遊ばされたるを肝心と思ふ者は闇者は其の文に迷ひ智者は其義を貴ぶと云ふ。
然るに其の義通じ難し・是の意趣審に経釈祖判を挙げ至急御会答ありたし。
但し開目抄三(十八丁を)云く我等が慈父雙林最後の御遺言に云く依法不依人等云云、乃至円珍智証大師云く文に依つて伝ふべし等云云、祖判是の如きの宗祖御厳戒を守り私義無き事専一と爾か云ふ。
                  八品門流
 明治十六年七月上旬             小林東三郎印
                       今井藤三郎印
興門流
 荒木英一殿
      呈机下

 曽つて問ふ去る五月二十一日・静観楼において承る観心抄の其の本尊の為体より御演べなされ候、是に依つて本尊の顕はれ給ふ元由の今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり、仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり是れ即ち己心の三千具足の三種の世間なり、迹門十四品に未だ之を説かず法華経の内において時機未熟の故か祖判、今問ふ去る六日出会の砌尋問に及び候処未だ分明ならず此に依つて先づ本時の時は在世の時か像法の時か末法の時か決定して御答へ下され度願上奉り候 。
                    八品門流
明治十六年七月九日             小林東十郎印
                      今井藤三郎印
興門流
 荒木英一殿
      呈机下

本月七日御面談の際御質問に相成候・報恩抄の御文の義につき縷々其の刻説明に及び置き侯へども・未だ御解得相成らざる趣にて更に書面を以て御質問に相成り正に了承致し侯、之に因つて左に説明仕り侯条宜敷く御解得相成度候。
 但し来書中・曽つて拙者が弁明したる概略御記載相成候へども・拙者説明致したる科段と来書の順次は少しく相違致し居り候間・拙者の説明は本書の通りと御得意相成度候。

来書に云く、内七報恩抄(廿四丁ウ六行ヨリ)問うて云く法華経一部八巻廿八品の中に何物か肝心・答へて云く(乃)至如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即ち一部八巻の肝心(乃)至(廿八丁ヲ四行マデ)以上五十五行・是の如く宗祖・如是我聞の上の題目は一部の肝心なりとの玉ふ、しかのみならず天台智者等の諸釈を引証し以て明々赫々と御指南遊ばされたり随つて我れ等も此の御指南に基き信受し奉ると云云。

 今説明して云く之れは是れ寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の依義判文にして、文上序品の題目を法華経一部の肝心と遊ばされたる義にあらず、故に該文に固着し其深義を探らずただに文上の如是我聞の上の題目を法華経一部の肝心・又は今末法の得益たる大正法と信ずるものは・実に宗祖の御正意御弘通の所詮を知らざる者の僻案のみ、故は如何となれば今末法の要法・宗祖御弘通の所詮は寿量品の肝心・則文底秘沈の本因下種の妙法蓮華経なり、此の妙法蓮華経こそ今末法・我れ等衆生の大益物たるのみならず、三世諸仏の御師とせらるる無比最極の正法なり、故に該証拠を明示して諸君の誤解を正さんとす、之において初に依義判文の証を示し・次に寿量品の肝心の妙法蓮華経こそ末法吾れ等の得益たる大正法なることを示す、之れに六項を分つ・初め其の依義判文の文証とは則ち、

内三十の十章抄に(廿九丁ヲ)一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る、爾前は迹門の依義判文・迹門は本門の依義判文なり、但し真実の依義判文は本門に限るべしと云云。

 次に寿量品の肝心・南無妙法蓮華経こそ大正法たるの文証とは、
第一・三仏舌相本意の証・則ち
内・二十六・下山抄(四四丁ウ)実には釈迦多宝十方の諸仏・寿量品の肝要たる南無妙法 蓮華経の五字を信ぜしめんがために出し給ふ広長舌なりと云云。
第二・如来別命本意の証・則ち
内撰時抄下(廿三)寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんとする故に・此の菩薩を召 し出だされたりとは・しらざりしと言ふ事なり云云。
第三・如来付属正体の証・則ち
内・八観心本尊抄(三十三丁ヲ)是好良薬は寿量品の肝要・名体宗用教の南無妙法蓮華経 是れなり(乃)至同ウ三行・当広説比経等云云迄
第四・如来授与の正体の証・則ち
内八・観心本尊抄(二十一丁ウ)地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心妙法蓮華経の五字を以て閻浮衆生に授与せしむるなりと云云。
第五・末法下種の正体の証・則ち
外廿・教行証御書(五丁ヲ)今末法に入り在世結縁の者一人もなく権実の二機悉く失せり、此の時は濁悪たる当世の逆謗の二人に初めて本門の肝心・寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種となすと云云。
第六・末法所修正体の証・則ち
内二十六・下山抄(十八丁ヲ)地涌の大菩薩・末法の初めに出現せさせ玉ふて本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を・一閻浮提の一切衆生に唱へさせ給ふべき先序のためなりと云云。但し寿量品の肝心の南無妙法蓮華経と云ふ文証此の外に多しといへども之れを略す。
以上掲ぐる文証の如く実に寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経こそ・末法我れ等が大利益を受くる大正法にして・独り宗祖大聖人の御正意御弘通の所詮のみならず、三世十方の諸仏の御本懐なる事・文詳かに義明かなり、誰かを之を疑ふべきや、然れば此の文証と上に引証する依義判文の文証と照らし、以て彼の報恩抄の御文を熟慮したまへば更に識者の弁明を待たず、該御文は寿量品の肝心・南無妙法蓮華経の依義判文たること日月見るより明かならん、然れども君等強いて該文を固守して其の深義を貴み玉はずば、所謂暗者は文を守るの御金戒を免るるを得ざるべし、況んや貴門においても本勝迹劣の御立義ならずや、然るに如是我聞の上の文の題目の法華経一部の肝心と信じ玉はば寧ろ本迹一致と言ふべし・豈に斯くの如き事あらんや、請ふ諸君平心に沈思して速に開悟あらんことを頓首々々。
明治十六年七月十五日         興門流大石寺信徒 荒井英一
 八品門流講長
   小林東三郎殿
   今井藤三郎殿

来書に・観心本尊抄の今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり(乃)至時機未熟の故かの御文中、本時の時は在世の時か像法の時か末法の時かと云云、右者在世本門顕本の時と御得意然るべきと存じ侯、此段御答に及び侯なり。
                   興門流大石寺信徒 荒木英一
十六年七月十五日
八品門流講長
  小林東三郎殿
  今井藤三郎殿

酬答
縛して云く来書説中に我が輩の誤解を正さんとし玉へる文中に宗祖御弘通の所詮は則ち寿量品の肝心・文底比沈没本因下種の妙法蓮華経と示されたるなり。
所言の如く六項を分つて引証されし宗祖御明判の如く久遠実成大牟尼世尊・本●属上行大薩●に本因下種の大法別付属遊ばされたる最大の深義は足下に於いては謹み敬つて了解信受せられしに仍つて是の祖判を引証せられしものと決底す若し然らずと云はば何の用あつて忝くも宗祖の御明判を猥り引用せらるべきや、而れば宗祖御金言の如く八品所顕・上行菩薩結要付属の南無妙法蓮華経に信伏堕従すると見へたり。
左れば外典に云く天地は一物のために其時を枉げず日月は一物のために其の明を晦まさず明王は一人のために其法を枉げずと以上、其れ外典すら是の如し、何に況んや仏法の正義に於いてをや・寧ろ文義を枉ぐべけんや。
偖て過日足下に尋問する処の報恩抄の御義・如是我聞の上の妙法蓮華経は一部八巻の肝心・亦復一切経の肝心・一切の諸仏菩薩(乃)至龍神の頂上の正法なり云云。
足下僻案して云く其れ是の御義は本迹一致の首題なり、是れを一部の肝心との玉うにあらず、則ち寿量文底・秘沈する処の題目こそ一部の肝心と述べ玉ふなり(巳)上。
諭して云く寿量文底の題目・即神力結要の題目にして上行菩薩へ御付属在らせられたる題目・取りも直さず序品の上の首題是なり故に、
天台大師・玄一に釈して云く序品の上の妙法蓮華経者本地甚深の奥蔵なり云云、妙楽之を受けて●に云く迹中に説くと雖も功を推すに在る事あり故に本地と云ふと。
疎に云く惣じて一経を結するに唯四ならくのみ其の枢柄を撮つて之を授与す云云。
然れば足下未だ序品の上に於ける首題は台当二途の義あることを得意せられずと見へたり、故に序品の上の題目は本迹一致なんぞ云ふ僻解出来せり謹むべし。
夫れ宗祖毎々一部の肝心肝要と序品の通題を褒美して宣べ玉ふ処を本迹一致の題目なりと僻解して之を破斥す、持たざる者は未だ宗祖の深義淵底を知らざる者ならんか、将た其の義の通ぜざる者ならんか、譬ば彼の木猴冠将軍が敵地の案内を知らずして謾りに車馬を前めて域は山域は河と前後陣中其の蹈む処を識らざるに似たり。其れ報恩抄一巻能々執情を離れて以て熟覧を請ふ。
来書録内(廿六)下山抄に云く実には釈迦多宝十方の諸仏寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんがために出し給ふ広長舌なり云云。
難じて云く足下は此の御指南を引証として用ひ給ふは如何なる思慮なるや、既に君には口ずさみに釈迦は在世脱仏垂迹仏と言ひ今亦此の御文を引証せられしは自語相違の甚しきなり。
夫れ倩ら々々回顧するに彼の書中に寿量の肝心題目と有る処を述べたき故に引証せられしものならんか、一歩も進退なざらる者とは君において果して然り。
其れ是れや之れ久遠実成・妙覚極果の教主釈尊より本化上行大菩薩へ妙法五字の大白法を当今、一切衆生を化益せしめんがために御付属在らせれたるなり。故に十方の諸仏広長舌し玉ふなり。
然るに足下は謾言して云く釈迦は脱仏・垂迹外用なんぞ自用方外の曲会して新義邪見を企てんと欲する大罪免れ難きかそれ日蓮大聖の垂迹の釈尊が何んぞや妙法五字を付属し玉ふ言はれなし実に天地顛倒・狼狽の甚しきとは足下の事ならんか、其れ是の下山抄始中終を能々熟読あれ。

来書
録内・撰時抄に云く寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんとするゆへに此の菩薩を召し出されたるとはしらざりしと云ふなり云云、夫れ亦此御明判を引証せられし事は例の寿量品の肝要ならんか、左れども足下の謾説と宗祖の教説と自語相違の辺は譬を取るに物なし、天地顛倒とは足下の事ならんか、是れ敢て君を罵詈誹謗するにあらずと雖も・跡方もなき妄説を吐き給ふ故・是くは成り行くなり憎み玉ふな、夫れ足下は常に謾言を吐き恣に自言任せ小雀の如くに●りて云く教主釈尊は在世脱仏・吾祖の垂迹・或は上行菩薩は日蓮聖人の外用と毎に談じなから・今此の御明判を引用する時は足下は弥々脱仏外用・釈尊上行菩薩に帰入すると決底す・諍ふべからず。
来書
内八・観心本尊抄に云く是好良薬寿量品の肝要・名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり(乃)至当広説此経云云迄巳上。
今謂く此の観心抄の御義・寿量品の肝要とある処を列の君が望む処を切り抜き引証せんがために用ひ玉ふ底意なり。
 吁其れ浅識の人吾が門を難ぜんと欲するなり是れ猶跖が犬舜が吠るがごとし、今喩して 云く是れ此の御義は忝くも久遠実成大覚世尊・本●属上行菩薩に此の大良薬の妙法の五 字を御付属遊ばされたる処の御指南なり、故に次下に道暹云く付属とは比経は唯下方涌 出の菩薩に付す何故に爾る・法是れ久成の法に由るが故に久成の人に付す等云云。
夫れ御不案内の人本尊抄においては謾りに手を出して恥を蒙るなかれ、足下謾幢を倒して 法眼を開け、謹んで蓮祖の御指南拝読あるべし・其れ君の邪妄自己流を企て給ふ処の釈 尊垂迹上行菩薩外用と立つる処は今此の御金言の如んば敢て立つべからず、列して云く 衆狐が術一犬に値て用を失ひ・狗犬が小虎に値て色を変ずるが如し、外典に云く累卵を 蹈んで彼の登天するが如しと云ふ、然れば足下の巳流長く立つべからず々々々々と止む べし。
今祖訓を以て報酬し足下の邪見迷妄を瞭さん・謹んで諦聴あれ。
内十四云く譲置されたる正文書を用ひずして凡夫の言に附きて愚癡の心に任せて三世の諸 仏の譲状に背き奉り永く仏法に背かば三世の諸仏何に本意なく口惜しく心憂く・歎しく ・悲しく思召すらん、涅槃経に云く依法不依人と云云、痛いかな悲いかな・末代の学者 仏法を習学して還て仏法を滅す云云。
 請ふ見玉へ、此御悲歎の御言は既に足下の事を仏説き置き玉ふか知らず、早々改め玉ふ べし、余の祖書は類文なる故に是に略す。
 来書の結文に云く、巳上掲る文証の如く実に寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経こそ末法 我等が大利益を受くる大正法にて、独り宗祖大聖人の御正意・御弘通の所詮のみならず 、三世十方の諸仏の御本懐なる事此の文証と上に引証する依義判文の文証と照し以て報 恩抄を熟慮すべし巳上。
 其れ元来足下の常として久遠実成教主釈尊を脱仏垂迹と破責し、本化上行尊を日蓮大士 の垂迹外用なりと謾に自己流を主張し、猶甚しくも或は六項を分つと、言以て祖書を引 証し・是れこそ大一の的書と思はるゝ事は鼻にそいで耳に付くると云ふか、但し木を切 つて竹に付ると云ふか・鹿を見て馬と云ふが如し、頻りに枉唱する事憐むに堪えたり、 謂く先づ此祖書を引証せんと欲するとは足下が常言する処の釈尊は・日蓮聖人の脱仏・ 垂迹上行菩薩は外用也と云ふ辺を以て他をして禁めんより、足下の御手元にて垂迹か外 用かの此の二ケ所を以て幾回も千慮有るべし、左なき時は君早や得たり顔して謾じて直 に祖書を以て的害せらるる者臥してつばきを吐くか、将に闇夜に鉄砲と云ふべきか、請 ふらくは足下六項を分つ祖書の前後中間を篤々拝覧し玉へ、思ふに夫れ一句の法門を研 究し一字の義理を分別するも皆是れ菩提の為にあらずや、然るに足下出離の大道を将つ て仏祖の冥覧を恐れず自由方外の曲会、傍若無人の妄談を企つること呼々恣なるや、謗 法の罪苦長劫に流るの悲み寧ろ之を思はず之を思はざるや、道念の行者誰か之を恐れざ らんや。
                    八品門流
明治十六年未七月              小林東三郎印
                      今井藤三郎印
興門信徒
 荒木英一君
      玉机下

報恩抄中・如是我聞の上の題目の義につき、曽て答弁書を呈したる処、再び駁撃書を御送達に相成り正に拝見致し候、由つて再答弁する左の如し。
 来書の論要は左の二点に過ぎざるものと思考せり。
第一・寿量品文底の題目は神力結要の題目にして取り直さず序品の上の題目との事。
第二・興門流において釈迦仏を垂迹脱仏と談じながら上行所伝の文を引証するは自語相違との事。
 今弁明して云く、
 第一項・如是我聞の上の題目は惣要の名目にして其義分は本門寿量品にあり、今又報恩抄中の祖判は寿量文底の依義判文なる事は予が前日の答書に明示する如し。
日向記(四丁ヲ)今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益あるべきなり、されば 此題目に余事を交へば僻事なるべし此妙法の大曼茶羅を身に持ち心に念じ口に唱え奉る べき時なり、之に依て一部八巻の頂上に南無妙法蓮華経・序品、第一と題したり。
同(四丁ヲ)南無妙法蓮華経・序品第一の事・玄旨伝に云く一切経の惣要とは・謂く南無 妙法蓮華経の五字なり乃至、此の釈に一切経と云ふは近くは華厳・阿含・方等・般若等 なり、遠くは大通仏より巳来の諸経なり、本門の心は寿量品を除いて其の外の一切経な り、惣要とは・天には日月・地には大王・人には神・眼目の如くなりと云ふ意を釈せり 、此れ則ち妙法蓮華経の枝葉なり。
内三十(廿九ヲ)一念三千の出所は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る。
御義下(五十八ウ)、其の一念三千とは所謂南無妙法蓮華経の五字なり。
同(五十五ウ)、寿量品とは十界の衆生の本命なり、此の品を本門と云ふ事は本入門と云 ふ事なり。
 以上掲ぐる明文を見玉へ、如是我聞の上の題目は法華経の肝心なる名目を題したるもの にして・其の義分は寿量品にあること判然たり、又宗祖の御所立にては名目は文上にあ れども義分は文底に限るべし、故に知んぬ・報恩抄に示し玉ふ如是我聞の上の題目は則 ち寿量文底の依義判文たること論なし、然るに又君等においては寿量文底の題目は神力 結要の題目、其の結要の題目が取り直さず、序品の題目と信じ玉ふは誤解も々々又甚し 、如何となれば寿量文底の題目は則ち上行付属の題目にして結要の題目にあらず、結要 は則ち文上の本果の題目なり、結要とは四句の要法なり、上行付属は題目なり、其の結 要とは本果妙の題目を説き顕して本因妙の題目を付属し玉ふに・其の本果妙の題目の功 徳広大にして所詮説き尽し難きを以て四句に結び玉ひ・而して其の付属し玉ひたるは在 世に説き顕し玉はざる寿量文底秘沈・本因妙の題目なるべし、今其の文証を示すべし。
内八(廿四ウ)嘱累のための故に此の経の功徳を説く猶尽すこと能はず要を以て之を言は ば如来一切所有の法、如来一切自在の神力・如来一切の秘要の蔵、如来一切甚深の事、 皆此の経に於て宣示顕説す等と云云。
御義下(四二ヲ)さて二仏坐を並べ分身の諸仏・集つて是好良薬の妙法蓮華経を説き顕し ・釈尊十種の神力を現じて四句に結び上行菩薩に付属し玉ふ・其の付属とは妙法の首題 なり。
 右掲ぐる明文を見玉へ、在世顕説の妙法は本果の妙法なる事・判然にして之を四句の要 法に結び玉ひたること明白なれば其の説き顕し玉ひたる題目は乃ち四句の要法となりて 、妙法の五字にあらず、上行菩薩への御付属は四句の要法にあらずして・而も本因の妙 法五字なり、然るに四句の要法に結びて付属し玉ふとあるを以て、或は其の付属は四句 の要法と誤解するもの・なきにあらざるが故に、宗祖は懇ろに其の付属とは妙法の五字 なりと御示し遊されて・付属の体は四句の要法にあらざる事を分明に区別あらせられた るを、己義偏執の僻見者は上行所伝を四句の要法と誤解す、実に笑止千万と云ふべし、 猶委くは武内君え呈したる邪正弁・第三節第四項を往いて見玉ふべし、夫れ神力結要の 題目と寿量文底の題目との相違かくの如し、況んや序品の題目をや、何ぞ省慮せざらん や。
第二項・吾門において釈迦仏を垂迹脱仏と談じ・而して上行所伝の題目を信ずるは・則ち 宗祖開山の正意に自語相違にあらず、又毫も差支へある事なし、然るに之を自語相違抔 と論じらるるは・君等が未だ吾門の立義を知らずして妄に邪推を以て談じ玉ふ僻案のみ 、此の義は素より吾門の立義は実に宗祖所立の正義にして・今時得益の正法たること並 に八品門流は不相伝の大僻見なる事等・委しく邪正弁に説明して武内君え呈したれば爰 に省略す、請ふ往いて該書を見沈思熟考して早く開悟し玉ふべし。
 但し来書中・久遠実成の釈迦仏を脱益とするやの旨之れ有れ共、吾門において脱益亦仏 とするは久遠本果実成の釈迦仏なり、久遠元初・名字の釈迦仏は、則ち宗祖の御事なり 、請ふ久遠実成の文字を以て之を混合することなかれ。
 治十六年八月十一日
日蓮宗正嫡大本山大石寺信徒
荒木清勇
八品門流講長
小林東三郎
今井藤三郎。
呈机下。
 日蓮宗正嫡・大本山大石寺伝法信徒・大阪蓮華寺講員荒木英一・明治十六年五月廿一日 ・静観楼に於て八品門流諸君へ対し演説したること左の如し。
  本尊段の事
内八(十七ヲ)此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等に之を付属 し玉はず何に況んや其れ以下をや、但地涌千界を召して八品を説き之を付属し玉ふ・其 の本尊の体たらく本時の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏 ・多宝仏・釈尊の脇士・上行等の四菩薩・文殊弥靱等の四菩薩は●属として末座に居し ・迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大 地の上に処して迹仏迹土を表する故なり、かくの如き本尊は在世五十余年に之れなし・ 八年の間但八品に限ると云云、此の御文は在世脱仏・顕本法体の相貌に約して宗祖御弘 通の所詮・三大秘法の正体たる本門の大御本尊の相貌を御示し遊ばされたるものなり、 然るを他門流に於ては宗祖の嫡々相承之れなき故に此文上のみを固守して其の義理を尊 はず、故に此文に因つて在世脱仏顕本の法体を以て末法今時得益の本尊と誤解し・色相 荘厳の釈迦多宝等の木像を本尊としたるは・実に宗祖の御正意御弘通の所詮を知らざる 不相伝の大僻見なり、今末法時機相応の正法は在世脱仏顕本の法体にあらず、本門寿量 文底秘沈・事の一念三千たる久遠元初・名字の南無妙法蓮華経の五字にして・其法体は 即宗祖顕し玉ふ処の大曼茶羅の本尊なり、此の文底深秘の法体は在世本門八品は・素よ り寿量一品の文上にも説き顕はし玉はず、若し之を顕はし玉ひたるものとせば・本因下 種の妙法にあらず・又三大秘法とは言ふべからず、其の文証を出せば。
内二(七ヲ)一念三千法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘してしづめ玉へりと云云 、是れ即ち末法当機得益の事の一念三千の法体は在世に於て寿量品にも説き顕はし玉は ざる事顕然なり、又。
御義口伝下(十ウ)寿量品を指して曰く、然りと雖も而や当品は末法の要法に非るか、其 の故は此品は在世の脱益なり、題目の寿量品は脱益にして今末法の要法に非ずと、然れ ば若し在世に於て寿量品に説顕はし玉ひたる法体なれば寿量品の文の上に之れあるもの に付き其の寿量品末法の要法にあらず、且在世の脱益たれば其の法体も随て末法の要法 にあらず、在世の脱益たる事は勿論なり、又。
外十五(●一)三大秘法抄に昔・説かざる所を名けて秘となし唯仏自ら知るを名けて密と なすと云云、夫在世において説き顕はし玉ひたる法体なれば末法にては秘法あらず、又 末法の要法三大秘法とは言はれざるなり、又。
内二十二(二十八ウ)教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中 に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所・ 喉は誕生の処・口中は正覚の砌なるべしと云云、夫れ三大秘法の法体は在世に説き顕し 玉はずして秘沈のまゝ付属を受け宗祖尚秘し隠し玉ふ事判然なり、若し然らずして在世 に於て寿量品の文の上に説き顕はし玉ひたるものなれば霊山会上の聴衆は素より仏滅後 においても法華経を読みたる人々は一目瞭然すべき事勿論なれば・なにしに宗祖御胸中 に秘し隠し持てりと御意遊ばすべきや、是れ則ち道理文証現証において末法要法の法体 は在世に説き顕はし玉はざる事・判然なり・但し御義口伝・並に内外の御書等に涌出寿 量に事顕はれとか又は寿量品に説き顕はすとか御意遊ばされたるは・在世脱仏顕本の法 体にして決して宗祖出世の御本懐・末法御弘通の所詮たる文底秘沈の法体たる御本尊の 事にてはこれなきなり、此の義は他日所問に従つて委細に弁明すべし、さて又前述する 通り此の本尊抄の御文体は則ち在世脱仏顕本法体の相に約し、末法下種の御本尊たる大 曼茶羅の相を御示し遊ばされたる証拠を出さば。
外廿三(十二)、日妙御抄に・是れ全く日蓮が自作にあらず、多宝塔中・大牟尼世尊・分 身の諸仏すりかたぎたる本尊なり、されば首題の五字は中央にかゝり・四大天王は宝塔 の四方に座し・釈迦多宝本化の四菩薩肩を並べ・普賢文殊等・舎利弗目連等座を屈し日 天月天・第六天の魔王・阿修羅・其外不動愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・ 愚痴の竜女・一座をはり、三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等、 しかのみならず日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神々 ・惣じて大小の神祇等・体の神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く 接諸大衆・皆在虚空云云、此れ等の仏菩薩大聖等・惣じて序品列座の二界八番の雑衆等 ・一人ももれず・此御本尊の中に住み給ひ・妙法五字の光明にてらされて本有の尊形と なる・是を本尊と申すなり、経に云く諸法実相是れなり・妙楽云く実相必ず諸法・諸法 必ず十如乃至十界必ず身土と云云、又云く実相の深理・本有の妙法蓮華経等云云、伝教 大師云く一念三千即自受用身々々々々・とは出尊形の仏(文)、此の故に未曽有の大曼 茶羅とは名付け奉るなりと云云、此の御文体は前に挙ぐる観心本尊抄の御文面と大同小 異にして在世脱仏顕本の相貌に約して正しく末法下種の御本尊の体を示し玉ふものなり 、故はいかんとなれば此の御文面に妙法五字の光明に照らされて本有の尊形となる是を 本尊とは申すなり、経に云く諸法実相是なり、妙楽云く実相必ず諸法諸法必ず十如乃至 十界身土と云云、又云く実相・深理の本有の妙法蓮華経等云云、伝教大師云く一念三千 即自受用身・自受用身とは出尊形仏(文)、此の故に未曽有の大曼茶羅とは名付奉るな りと云云、是れ則ち在世顕本の脱仏色相荘厳の法体にあらずして末法下種・本有●作三 身・自受用報身・如来体具の十界、人即法の御本尊の事なり、故に妙法五字の光明に照 らされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなりと御意遊ばされたり、此の妙法五字の 光明とは即自受用報身如来の心法の光明なり、又本有の尊形とは則ち。
御義口伝下(十八ウ)出尊形とは十界本有の形像なりと云云、又。
同下(十七ウ)一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形仏・出尊形仏とは無作の三身と 云ふ事なりと、又。
同下(九ヲ)無作三身とは末法の法華経の行者なり、無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経 と云ふなりと、又。
同下(十八)本尊とは法華経の行者の一身の当体なりと云云、以上明文の如く上に挙ぐる 大曼茶羅の御本尊は宗祖日蓮大聖人の御当体にして・其の所顕の十界は宗祖己心・本有 無作の十界・則法即人・人即法・人法一箇の御本尊たる事判然にして決して在世脱益顕 本の法体にあらざる事・文明かに義詳かなり、又無作三身とは三十二相・八十種好を具 足せざる仏なりと云ふ事は。
御義口伝下(十七ウ)無作の三身なれば初めて成らず是れ不働なり、三十二相八十種好を 具足せず是れ繕はざるなり、本有常住の仏なれば本の侭なり、是を久遠と云ふなりと云 云、又在世顕本の釈迦仏は末法に得益なき事を法に約して御示し在らせらるるに。
内三十二(廿二ヲ)日蓮が弟子等の中に法門知りたりげに候人々あしく侯げに侯・南無妙 法蓮華経と申すは法華経の中の肝心人の中の神ひの如し、是に物を並ぶれば后の並べて 二の王をおとことし乃至后の大臣以下に内内にとつぐが如く・わざはひの根本なり、正 法像法に此の法門を弘めぬは余経を失はじがためなり、今末法に入りぬれば余経も法華 経も詮なし但南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出して侯も私の計にはあらず、釈迦多 宝十方の諸仏地涌千界の御計ひなり、此の南無妙法蓮華経に余事をまじへばゆゝしき僻 事なり、日出でぬればともし火詮なし、雨ふるに露は何の詮かあるべき、嬰児に乳より 外の物を養ふべきか、良薬に又薬を加ふる事なしと云云。
外廿二(十五ヲ)日蓮がたましいをすみにそめ・ながして・かきて候ぞ信じさせ玉へ・仏 の御意は法華経なり・日蓮がたましいは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし、妙楽云く顕 本遠寿を以て其命となすと釈し給ふ・経王御前には・わざわいも転じて幸なるべし、あ ひかまへて御信心を出し、此の御本尊に祈念せしめ玉へ・何事か成就せざるべきと云云 、是れ則ち在世顕本の釈迦仏の御心は法華経なる事、明白にして其の御心の法華経・末 法に得益なければ其の仏も随つて得益なき事は判然なり、又宗祖の御魂・南無妙法蓮華 経・末法の得益たれば宗祖の御体末法得益ある事勿論なり、是れ則ち宗祖日蓮大聖人は 上に挙ぐる御本尊の御当体にてましますが故なり、之に依つて此御本尊に宗祖体外の仏 菩薩等を並ぶるものは取も直さず南無妙法蓮華経に余事を雑ゆる僻事者にて日出でて後 も尚ともし火に執着する患者と言ふべし爰を以て。
内九(十六ウ)本尊問答抄に問ふて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、 答え云く法華経の題目を以て本尊とすべきなり乃至法華経の教主を本尊となす法華経の 行者の正意にはあらず上に挙ぐる所の本尊は釈迦多宝十方の諸仏御本尊法華経の行者の 正意なりしと云云、是れ則ち法華経の題目とは上に挙ぐる大曼茶羅を指させ玉ひたる事 なり、然るに又。
内七(●四ウ)報恩抄に、答て曰く、一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本 尊とすべし、所謂宝塔の中の釈迦多宝以下の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、 二には本門の戒旦、三には日本乃至漢土月支・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず 、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべしと云云、是れ法即人の御本尊を示し玉 ひたるものなり、此の御文面に本門の教主釈尊を本尊とすべしとは何れの本門と心得べ きや、次の文に宝塔の中の釈迦多宝・以下の諸仏並に上行等の四菩薩は脇士となるべし と御意遊ばされたれば上の本門の教主釈迦とは在世顕本脱益の釈迦仏にては之れなき事 判然なり、是ぞ則ち本門の教主釈尊とは正しく宗祖御自身の事を指し玉ひたるものなり 、如何と言ふに宗祖は上行菩薩の再誕日蓮とは外用の説にして、御内証は久遠元初・五 百塵点劫の昔より以来此の土有縁深厚の教主釈尊にして則ち自受用報身たる御本尊にて ましますが故になり、今其の文証を示せば。
外十五(三十ウ)然りと雖も三大秘法の其体如何・答て曰く予が己心の大事之れにしかず ・汝志無二なれば少し之を言はん・寿量品に建立する所の本尊は五百塵点劫の当初より 巳来此の土有縁深厚の本有無作の三身・教主釈尊是なりと云云、是れ則ち無作三身の教 主釈尊とは吾祖日蓮大聖人たる事前に引証したる。
御義口伝下(九ヲ)、無作三身とは末法の法華経の行者なりとの此の文に照らし、以て仰 いで信伏致すべし、然るに他門流にては法華経の行者と言へば宗祖御一人に限らざるや うに思ふ人もあらんかなれども実に末法法華経の行者と言ふは宗祖御一人に限る事は。
内二十七(●一ウ)疑つて云く如来の未来記汝に相当れり、但し五天竺並に漢土等に法華 経の行者之れ有るか如何、答て曰く四天下の中に全く二の日なく四海の内に豈両主有ら んやと云云、是れ則ち末法法華経の行者は宗祖御一人に限る事明白なれば、右五百塵点 劫の当初より此の土有縁深厚の本有無作三身の教主釈尊とは則ち宗祖日蓮大聖人なる事 、謹んで信ずべし、かくの如く宗祖は久遠の御本仏たる故に、本門の釈尊と御意遊され たるなり。
内八(廿八)、本尊抄に、此時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士となし一閻浮提第一の 本尊此の国に立つべし・月氏震旦に未だ此の本尊ましまさずと云云、此の文と右報恩抄 の文と比準せば尚且つ宗祖御出現発迹顕本あらせられたる上は、在世顕本の釈迦多宝等 の諸仏、諸菩薩はみな宗祖己心の妙法五字の光明に照らされ本有の尊形に帰し、南無妙 法蓮華経即日蓮・日蓮即南無妙法蓮華経・人即法・法即人の御本尊の脇士となる事判然 なり、又宗祖自ら主師親の釈尊と名のらせ玉ひたる事は。
内三十六(十一)、日本国男女四十九億九万四千八百廿八人ましますが、某し一人を不思 議なる者に思つて余の四十九億九万四千八百廿七人は皆敵となつて・主師親の釈尊を・ もちひぬだに不思議なるにかへりて域はのり・域はうち・域は処を追ひ域は讒言して流 罪に行はると・遊されたり、又。
内二十六(五十二ウ)、教主釈尊よりも大事なる行者の日蓮とも、又。
内二十三(●一)如説修行抄に、敵は多勢なり、法王の一人は無勢なりとも御意遊ばされ 、在世の釈尊より勝れさせ玉ふ事を示し玉ふたり、尚又。
内三十五(●四ヲ)日蓮は日本国の人々の父母ぞかし・主君ぞかし明師ぞかしと、又。
内三(四十二ウ)、我れ日本の柱とならん・我れ日本の眼目とならん・我れ日本の大船と ならん等と・誓ひし願やぶるべからずと云云、是れ皆宗祖自ら末法の主師親とは吾なり と示し玉ひたる御文証なり、其の外之れに比類する文証少なからざればも繁ければ略す 、之を以て在世の釈尊は法華経法師品に説かせ玉ひたる事を宗祖引証して。
内十五(十ウ)、法蓮抄に曰く、是れ程貴き仏を一時二時ならず・一月二月ならず・一年 二年ならず・百千万億乃至一劫が間仏前にして合掌して眼を仏の御胸にあて頭をたれて 他事を思はず・渇して水を思ひ飢て食を思ふが如く間もなく供養し奉る功徳よりも・戯 論にも一言継母が継子を讃るが如く志は無しとも・末代の法華経の行者を供養せん功徳 は、彼の三業相応の信心・一劫が間・生身の仏を供養し奉るには百千万億倍過ぐべしと 説き玉ひたり、其の功徳の勝る事は其の供養を受け玉ふ人が生身の仏にも百千万億倍す ぐれ玉ふが故なり、夫れかくの如く宗祖の御妙判顕然たるのみならず、吾門流において 宗祖大聖人より開山日興上人へ唯授一人の嫡々相承之れあるにより宗祖大聖人顕し玉ふ 大曼茶羅を、三大秘法の正体たる人法一箇・独一本門戒担の大御本尊と信敬し奉るなり 、又三宝式に配立の時は本門寿量品の肝心・文底深秘事の一念三千の南無妙法蓮華経を 法宝とし・久遠元初・本因妙の教主無作自受用報身如来・末法適時下種の御本仏・宗祖 日蓮大聖人と仏宝と尊敬し奉るなり、然るに他門においては是れ等の大事を弁へず・仏 は久遠実成の釈尊を本尊と立つる抔と言ひながら其の所立の仏像は久遠実成の釈尊にな らず、また宗祖日蓮聖人を主師親と崇むると言ひながら外用説相の菩薩に下し・実には 主師親と尊敬せず、口に三大秘法・本因下種の妙法と喋々すれども・三大秘法の正体を 未だ知らざれば口唱の題目・本因下種の妙法にあらず、実に気の毒千万と言ふべし、今 其の証拠を出せば。
御義口伝下(十七ウ)、此の品の所詮は久遠実成なり、久遠とは・はたらかさず・つくろ はず・もとの侭と云ふ義なり、無作三身なれば初めて成らず是れ働かざるなり・三拾二 相・八拾種好を具足せず是れ繕はざるなり、本有常住の仏なれば本のまゝなり・是れを 久遠と云云、此の金文を見るべし・久遠実成の仏は無作の三身にして三拾二相・八拾種 好等の色相荘厳の仏にあらざる事明白なり、彼の三十二相・八拾種好等の色相荘厳の仏 は在世の脱仏なり、其故は大論拾八に云く天竺の好む所に随つて三十二相八十種好の世 情の相を現ずるなりと請ふ・諸君沈思せよ、但し宗祖の御書判中に、釈迦多宝並に四菩 薩等の造立を御称歎あらせられたる事あるは・決して宗祖の御正意にあらず、暫用還廃 の御傍意なる事は・他日所問を待つて明弁すべし、又宗祖大聖人を主師親と言ひながら 之を崇むる道を知らずとは。
内二十一(十六)、秋元抄に、譬へば后の大王の種子を妊めるが・又民と・とつげば王  種と民種と雑つて天の加護と氏神の守護とに捨てられて其の国破るゝ縁となる父二人出 来すれば王にあらず民にあらず人非人なり、法華経の大事と申すは是れなり種熟脱の法 門法華経の肝心なりと云云、此の御明文の通り、父二人出来せば其子人非人なりと他門 派において、彼の在世顕本の釈尊今吾れ等の為に主師親にあらざれば・無論本尊とする に足らざるものを・之を本尊とする以上は主師親の三徳を備へさせ玉へる仏なりとこそ 信敬すべし、然るに宗祖日蓮大聖人は末法我れ等がために主師親たる事は前に述べたる 如く文証あつて顕然たり・されば在世顕本の釈尊を仏として、信敬し又宗祖大聖人を僧 として信敬せば則ち主も二人・師も二人・親も二人出来して・実に不忠・不順・不幸の 者と云ふべし・豈人非人・謗法の者にあらざるや是の如き事は外典の聖賢する堅く戒む る処なり、何ぞ仏法において之を深く戒めざらんや、況んや宗祖の御金言あるに於てを や、又三大秘法の正体を知らざれば本因下種の妙法と言ふといへども・本因下種の妙法 にあらず・在世脱益の妙法なりと言ふ事は。
止観輔行伝・弘決巻第一の四(廿一ウ)、曰くたとひ発心真実ならざる者も正境に縁すれ ば功徳猶多し、何を以ての故に菩提心を発する事希有なるが故なり、首楞厳の中の如き 仏堅意に告げたまはく我が滅度の後後の五百歳多く比丘あつて利養のための故に発心出 家せん、軽戯の心を以て是の三昧をきいて菩提心を発せん我れ知る是の心又菩提の遠縁 を作すことを得え・況んや清浄の発心をや・故に知んぬ若し正境にあらざればたとひ妄 偽無きも又種を成ぜざることを等云云、夫れ此の文を見るべし、たとひ菩提心を発して 成仏を祈るに・其の心真実ならざる者も境妙たる御本尊が時機相応の正境なれば猶功徳 あるべし、若し何程真実に菩提心を発し修行するも・所信の御本尊が時機相応の御本尊 にあらざれば、仏に成る種とならずと言ふ事明白なり、然るに他門にては其の信ずる処 の御本尊が当機益物の本門三大秘法の御本尊にあらず、在世脱益の色相荘厳の仏を本尊 と立て之を境妙として信行することなれば何程真実に信行せらるるとも矢張脱益の妙法 にして本因下種の妙法にはあらず、故に又仏種とも・ならざるなり、如何となれば譬へ ば仮に拙者の氏名を昔より今日迄十代相続し来りたるに其の十代目が則ち拙者にして初 代のものが氏名を荒木英一と付けたるに巳来十代共に荒木英一と名のり来たるとせんに 、今拙者は荒木英一なるとも荒木英一は必ず拙者にあらず、拙者をさして荒木英一と呼 ぶものあれば・則ち拙者の氏名なれども若し幾十年前にか死去したる位牌を指して荒木 英一と呼ぶときは其の当時の人の氏名にして決して拙者の氏名にあらざるが如し、例せ ば之と一般にして当機益物の本門三大秘法の御本尊に向い奉り題目を唱へ経を読誦せば こそ其の唱題は本因下種の妙法にして其の読経は種が家の御経となるといへども・左は なく口に本因下種の妙法と言ふといへども其所信の御本尊色相荘厳の仏なれば決して本 因下種の妙にあらず、矢張り在世脱益の妙法なり、故に知るべし種脱の分界は所信の御 本尊にある事を、所信の御本尊下種なれば所唱の題目則ち本果脱益の題目なり、又三大 秘法の正体を知らずとは・宗祖大聖人出世の御本懐三大秘法御弘通の一大事なり、故に 。
外十五(三十ウ)三大秘法抄に云く、然りといへども三大秘法の其体如何、答て曰く予が 己心の大事之にしかずと云云、然るに宗祖大聖人・御出現ましましながら此の一大事の 御本懐を顕し玉はず・御帰寂在らせられたるか・決して然らざるべきなり。
内八(廿八ヲ)本尊抄に云く、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり・此の時地涌千 界出現して本門の釈尊を脇士となし一閻浮提第一の本尊此国に立つべし、月支震旦未だ 此の本尊ましまさずと云云、然れば宗祖の御本懐たる一閻浮提第一の本門の戒旦の御本 尊を宗祖大聖人・御在世に建立し玉ひたる事判然なり、若し宗祖御在世に此の大御本尊 御建立遊ばされざるものとせば・宗祖の金言泡沫に属す。
内十九(二ウ)、日蓮仏法を試むるに道理と証文とには過ぎず・又道理証文よりも現証に は過ぎずと・実なるかな・宗祖大聖人御出世の本懐御弘通の所詮・三大秘法の正体たる 本門戒旦の大御本尊は・祖忝くも弘安二年十月十二日・楠板に御書き顕しあらせられ・ 中老僧彫刻阿闍梨・日法上人・宗祖大聖人の御指図に随ひ彫刻し奉り・大聖人より之を 吾が開山日興上人へ御附属ましまし・且一期御弘法の御大事残りなく唯授一人・金口嫡 々の御相承あらせられたり、是れぞ誠に日本国乃至一閻浮提の一切衆生が・無始巳来の 罪障消滅して現当二世の大願を成就すべき為に末法の一切衆生に授与し玉ひたる本門戒 旦の大御本尊なり、未だ事の広宣流布の時到らざる故に吾が本山大石寺の御宝蔵に安置 し奉るなり、若し之を疑ふ者は遠からざる駿河国・冨士郡・上条村・吾が本山大石寺に 詣で、親たり拝見して其の真実なる事を信ずべし、則ち此の御本尊こそ三大秘法の正体 にして此の御本尊所住の所本門の戒旦と云ふ此の御本尊を信じ奉り口唱する題目を本門 の題目とこそ申すべし、然るに他門流に於ては此の三大秘法の正体たる御本尊を知らず 、且つ此の大御本尊によらずして徒らに三大秘法々々々々と言ふといへども・之は是れ 彼の猿を離れて生肝を尋ね木に登つて魚を求めんとするものに異ならず豈蒙昧ならざら んや。
外十六(四十一ウ)日蓮一期の弘法・白蓮阿闍梨日興に付属す本門弘通の大導師たるべき なり、国主此の法を立てられば冨士山本門寺に戒旦を建立せらるべきなり・時を待つべ きのみ・事の戒法と謂ふは是なり、中んづく我門弟等此の状を守るべきなり。
                                        弘安五年(壬午)九月 日 日蓮
血脈の次第日蓮日興
其れ則ち宗祖御帰寂の後は末法の御弘法を吾が開山日興上人へ唯授一人嫡々相承遊されたる文証にして・開山己来・尚今日五十有五代迄・一器の水を一器に移すが如く・其の器物は換はれども・嫡々相承毫しも紊乱せず、上に言ふ戒旦の大御本尊を守護し奉り宗祖の御遺誡に任せ事の広宣流布の時迄・時を待ち玉ふせのなり、爰を以て吾が開山日興上人を末法弘通の大導師と仰ぎ僧宝と崇るなり、又吾が門流において宗祖の事を大聖人と唱え奉ることは尤も宗祖の御正意によるものなり、其の故は仏と言ふは梵語にして之を翻訳せば知者大人と言ふ事なり、又聖人と言ふ事も智者大人と言ふ事なり、然るに宗祖は久遠の御本仏にして第一の智者大人なるを以て大聖人と尊敬し奉るなり。
内二十八 、日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。外九 、代末に成つて仏法強に・みだれ大聖人世に出づべしと見えて候。内五 、提婆達多は釈尊の御身に血をいだししかども・臨終の時には南無と唱へたりき・仏とだに申したりしかば地獄には堕つべからざりしを・業深くして但南無とのみ唱へて仏とはいはず・今日本国の高僧等も南無日蓮聖人と唱えんとすとも南無計りにてやあらずらん・ふびんふびん、外典に云く末●をしるを是を聖人といふ・内典に云く三世を知るを聖人といふと云云。
内二 仏世尊は実語の人なる故に聖人大人と号すと云云、況んや宗祖大聖人・御所立の仏法は天竺脱益の仏法にあらず・日本所立下種の大法なり故に殊更宗祖大聖人と唱へ奉るべし。
内二十七 天竺国をば月氏国と申す仏の出現し玉ふべき名なり、扶桑国をば日本国と申す豈聖人出で給はざらんや月は西より東え向へり、月氏の仏法の東へ移るべき相なり、日は東より西へ入る・日本国の仏法の月氏へ還るべき端相なり、月は光明かならず在世は但八ヶ年なり日は光り明にして月に勝れたり、後五百歳の長き闇を照すべき端相なりと云云、請ふ諸君謹んで信ずべし。
明治十六年七月十一日 荒木英一印
八品門流講長
竹内清治郎殿
小林東三郎殿
今井藤三郎殿
玉机下
来書に云く本尊抄 此の本門の肝心・南無妙法蓮華経の五字に於て仏尚文殊薬王等に之を付属したまはず何に況んや其れ以下をや・但し地涌千界を召して八品を説いて之を付属したまふ其の本尊の体たらく本時の娑婆の上に宝塔空に居し乃至・八年の間但八品に限る、己上祖判。
此の御文は在世脱仏顕本の法体の相貎に約して・宗祖御弘通の所詮三大秘法の正体なる本門の大本尊の相貎を御示し遊ばされたるものなり、然るに他門に於ては乃至・不相伝の大僻見なり乃至・此の文底秘沈の法体は在世本門八品は素より寿量一品の文上にも説顕し玉はず、若し之を顕はし玉ひたるものとせば本因下種の法にはあらず、又三大秘法とは言ふべからず、其の文証を出さば・開目抄二 、一念三千の法門は乃至・秘してしずめ玉へり己上、其れ即ち文上に顕れざる現文云云。
己上来書。
深問して云く・来書に云く本尊抄御引証には此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては、仏猶文殊薬王等に之を付属せず・○但し地涌千界を召し八品を説いて之を付属し玉ふ・其の本尊の体たらく本時の娑婆の上に宝塔空に居し・○八年の間但八品に限る云云、祖文此の如く御引証なされて、如何なれば当今下種益に的当する処の、今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり、仏既に過去にも滅せず未来にも生せず所化以て同体なり・其れ即ち己心の三千具足・三種の世間なり・己上、此の御文を何故に引証し玉はざるや、案ずるに貴氏は此の本門の肝心より引証して本時娑婆世界の御文を恣に除かれて・例の在世脱仏顕本の法体に約すると談ぜらるる心底と覚えたり、大体君は久遠実成妙覚極果の仏の境界を如何なる物と得意せられたるや・其の所以を聞かん、前に送りし書の中にも弁ずる如く。
内卅八巻 此の妙法を仏説いて云く、道場所得法・我法妙難思・是法非思量・不可以言宣云云、天台云く妙とは不可思議・言語道断・心行所滅・法とは十界十如・因果不二の法なり云云、此の妙法は諸仏の師なり、今経文の如んば久遠実成妙覚極果の仏の境界にして爾前迹門の教主・諸仏菩薩の境界に非ず経に唯仏与仏乃能究尽とは迹門の界如三千の法問を迹門の仏・当分に究尽する辺を説くなり、本地難思境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばす何に況んや菩薩凡夫や云云。
己上祖判
夫れ此の如くなる御教示有らせらるゝをも荒量して、在世の脱仏顕本の法体に約して宗祖御弘通の所詮・三大秘法の正体たる本門の大本尊を顕し玉ふと云ひ、又他門は不相伝の大僻見なりと玉ふ、然れば今反詰して謂はん、貴門こそ大僻見なるものなり、大段転弁の如し、末法弘通の所立に天真独郎の法門を本門立行血脈之を●す秘すべし々々々々と御相承を受けられ・来所決文の如く一器の水を一器に移し玉ひなば正しく天真独郎の法門・当今末法本門立行は意義あるべからず貴門の大僻見の根元と云ふは彼の本因妙抄に有るものなり、委しく退転弁の如し、(五人所破抄と本因妙抄と退転弁と引合して糺明し玉へ)。此の一段を以て興門の大僻見なること赫々たり・余は論じて益なし、然りと雖も貴氏等の得意の為に聊か難責を加ふべし謹んで熟慮せられよ。
宗祖本尊抄にの玉はく今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり、仏既に過去にも滅せず未来にも生せず所化以て同体なり其れ即ち己心の三千具足三種の世間なり云云己上。
是れは此れ貴氏来書に除せられたる処の末法下種益の大御本尊顕し玉ふ現文なり、恩義口3下 云く、時とは本時の娑婆世界の時なり下十界の宛然の曼荼羅を顕す文なり云云、又云く感応末法の時なり又云く末法第五時の時なり又云く我とは釈尊・及は菩薩・衆僧は二乗倶とは六道なり、出とは霊山浄土に利出するなり、霊山とは御本尊なり、己上往見し玉へ。扨てこそ今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出たる常住の浄土なり・仏既に過去にも滅せず未来にも生せず所化以て同体なり、其れ即ち己心の三千具足・三種の世間なり・迹門十四品に未だ之を説かず法華経の内に於て時機未熟の故か此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於て○但地涌千界を召して八品を説いて之を付属す其の本尊の体たらく本時の娑婆の上に○但八品に限る云云、次下に末法に入て此の仏像出現せしむべきかと・おさえて御切に問答を設け玉ひ・五重三段の御配当あらせられ・猶本門に於ても一往再往の御教示あつて・次下 、而るに須叟の間に仏語相違して過八恒沙の此土の弘経を制止し玉ふ進退惟れ谷り凡智に及ばず天台智者大師前三后三の六釈を作つて此れを会す・所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国悪機なる故に之を止め地涌千界の大菩薩を召し寿量品の肝心南無妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしむ云云、己上祖判。
夫れ此の如く御明文は本門八品・上行所伝の御所立に毫も相違あるべからざるものなり、上の御妙判と貴門の開基日興師の五人所破抄とは少しも相違なき事は退転弁に演べ置きたり、往見せられよ、然るに君等は此の御妙判の御文意と自宗の開基の本意に背き上行菩薩の所伝を抛て玉ひなば貴門は興門流にはあらずして仏敵・法敵・師敵の大僻見なる自己流と堕落するものなり云云。
来書に云く此の文底甚深の法体は在世本門八品は素より寿量一品の文上にも説き顕し玉はず、若し之を説顕し玉ひたものとせば本因下種の法にはあらず、又三大秘法とは云はずと其の文証を出さば。
開目抄二 一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘して・しずめたまへり(己上)。
御義下 然りと雖も而も当品は末法の要法に非るか乃至五字計り当今の下種なり(己上)。
外十五 昔説かざる所を名けて秘となす(己上)。
内廿二 教主釈尊の一大事の秘法を霊山にて乃至隠し持てり、其の三大秘法の法体は在世にて顕はさず是の付属を受けあれば必ず霊山にて顕れず、此の四ヶの御明文を的証として在世八品にも寿量一品にも説顕し玉はず、若し顕したるものとせば本因下種の法に非ず・三大秘法とは云はず云云(己上)来書。
来書熟読し了ぬ、君は上の御引証の四ヶの御文に依て在世本門八品は素より寿量一品の文上にも説顕はすならば本因下種の法にあらず、又三大秘法とは云はずと決定し玉へり、亦復説顕はさず是の付属を受けあると確然と示されたり、然れば若し顕はれたる処の宗祖の御妙判分明なる時は宗祖の所立・本門八品上行所伝なる事・君や下拙の言語を敢て入るべきものに非ざるなり、但だ宗祖の御教示に随順し奉るより他事なき重なり、然れば引証の昔説かざる所を名けて秘となす云云の其の義を演ぶるなり、則ち。
外十五 問て云く乃至然りと雖も三大秘法の其体如何・答て云く予が己心の大事之に如かず汝志無二れば少し之を言はん・寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来た此の土有縁深厚の本有無作の三身・教主釈尊是れなり・寿量品に云く如来秘密神通之力等と云云、疏の九に云く一身三身なるを名けて秘となす三身則一身なるを名けて密となす・亦昔説かざる所を名けて秘となす・唯仏のみ自ら知るを名けて密となす・仏三世に於て等く三身あり・諸経の中に於て之を秘して伝へず等云云、(己上)祖判。
右引証・宗祖御書判の其の中に於て君は昔説かざる所を名けて秘となすと云云、此の秘の一文字に依つて本因下種の法とも三大秘法とも思いつめ玉へり・甚だ以て荒量なるものに非ずや・君は常に談じて云く法華経並に釈尊は在世脱益にして当今下種益の用にたらずと談じ・無得益と談じられながら末釈たる台家の釈によりて・中んずく此の秘の一文字に賢執せられて三大秘法の立つ立たざるを談ぜらるるは・いかにも天真独郎本門の立行相承と覚へたり・然れば解釈の昔説かざる所の秘を宗祖の御金言に依りて顕すべし拝読せられよ。
外十六巻 解釈には一身即三身なるを名けて秘となす三身即一身なるを名けて密となすと判ぜり、此の義爾前迹門に之れなき故に二重に釈する時・又昔説かざる所を名けて秘となす唯仏自ら知るを名けて密となすとも云へり、唯仏自知の三身なれば爾前迹門の昔之を顕さず寿量品の時始めて之を顕す是れを顕本の体と云ふ云云(己上)。
夫れ此の如く明かに爾前迹門の昔之を顕さず寿量品の時始めて之を顕す是を顕本の体と云ふと御妙判遊ばされたり、然れば君が堅執は是に微塵となりて興門流の本因下種の法も三大秘法も跡形もなき物となりたり、然れば則ち前に演ぶる如く顕はれたれば・宗祖の御所立は本門八品上行所伝の御題目の御弘通なる事は君が自侭に言語を入れる処に非ず・昔説かざる所を名けて秘となすとの僻見は立ち所に一刀両断となつて漢土の天台山へ帰入し玉へり、随て外十五巻の昔説かざる所を名けて秘となす云云、次下に仏三世に於て等く三身あり諸経の中に於て之を秘して伝へず云云、若し復此の一文に残執せられなば甚だ御気の毒なる故に次に是れも顕すべし。
内廿八巻 天台大師云く仏三世に於て等く三身あり諸経の中に於て之を秘して伝えず云云、此釈の中に於諸経中と書れて候は、華厳方等般若のみならず法華経より外の一切経なり此を秘して伝へずと書かれて候は法華経の寿量品より外の一切経には教主釈尊之れを秘して説き給はずとなり(己上)、外十五の此の文つゞきに発迹顕本三如来者・永異諸教とも釈する是れなり(己上)。
君篤と熟慮せられて従浅至深に志し玉へ、既に上件に演ぶる祖書御文意に君が御的証となされし四ヶ処の祖文も分明なるものなり、自らはかり玉へ、中んずく。
内廿二 教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり乃至・法華経の行者の住所なれば争か霊山浄土に劣るべき・法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所貴しと申すは是なり、神力品に云く若於林中・若於樹下・若於僧坊乃至而般涅槃云云己上。
夫れ此の如く上行要付の御題目弘通なることは教釈祖判明々白々たり、仰で信受すべきものなり。
夫れ前来演ぶるが如くなる故に・来書中の日女抄の本尊の其の体相を在世脱仏顕本の法体に約するなぞと・無文無義の自己の意趣を談ずることなかれ。
又々御文の中の是全く日蓮が自作にあらず・多宝塔中・大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎたる本尊なり云云。
此の御文を君は如何得意せられたるや・妙法五字の光明は本尊抄の如し僻見する事なかれ、又来書中の涌出寿量に説き顕はすとか云云の亡言は宗祖へ敵対の言葉に的たる所以如何。
御義下 云く、今一重立ち入て日蓮が修行に配当せば・如とは如説修行の如なり、其の故は結要五字の付属を宣べ玉ふ時・宝塔品に事起り声徹下方・近令有在・遠令有在と云つて有在の二字を以て本化迹化の付属を宣ぶるなり、仍本門の密序と習ふなり、二仏並座分身の諸仏集つて是好良薬の妙法蓮花経を説き顕し釈尊十種の神力を現じて四句に結ぶなり、上行菩薩に付属し玉ふ、其付属とは妙法の首題なり惣別の付属塔中塔外之を思ふべし此に依て涌出寿量に事顕れ神力属累に事竟るなり、此の妙法等の五字を末法白法隠没の時・上行菩薩御出世あつて五種の修行の中に四種を略して但受持の一行にして成仏すべしと経文に親く之れ在り、夫とは神力品に云く於我滅度後・応受持斯経・是人於仏道・決定無有疑と云云。
此文明白なり、仍此の文をば祖仏の廻向の文と習ふ也(己上)祖判。
夫れ此の如く御明文を以て君が門流に談ぜらるゝ法門を案ずるに正く仏敵とも法敵とも宗祖の御妙判に背くのだん言語にたへたるものなるか、既に宗祖は今一重立ち入て日蓮が修行に配当せば云云、然るに貴門は天真独郎の法を当今末法に本門の立行とする血脉偽書の相承を以て宗祖御出世の本懐を失ふ者なり、天真独郎は如何なる相承なるや、偽書を作り玉ふ故に是の如く題顛倒の法門出来するものなり、大段来書の所以粗会答し了んぬ篤と熟慮し玉へ猶過日進送する処の移転弁の御返答判ならざれば・来書の如く、五十六代の間・興尊を除く余は皆無間地獄疑ひなし宗祖の金言・諍ひ玉ふべからず、設ひ又種々と法門をくわだて玉ふとも・経釈祖判に違背す皆切抜き法門なり、先ず貴門の第一の相承と談じられる天真独郎を審に反答あれ、然らずんば貴門は天台宗にして日蓮宗にあらず真に反答なさるべし、此の如く御相承を正義としられなば無間決定の人なり、是は拙者の言語にあらず宗祖の金言なり、委は退転弁の如し。
演説筆記と題して貴門の本尊段を御弁会なさるに付て墨付廿四紙拝読致し候処、大旨在世脱仏顕本の法体に約する由を示され・殊に宗祖御弘通・所詮本門の本尊の義を演べらるに付き宗祖の御本意に背ける事退転弁の如し、別して君より送られし演説筆記と血脉相承の本尊七ヶの口伝と大に相違するものなり、其の義を審にせば本因妙抄・本尊七ヶの口伝に云く虚空蔵に末代の嬰児凡夫のために何物を以て本尊とすべきと御祈請ありし時・古僧示して云く汝等が身を以て本尊となすべしと・明星が池を見給へとの玉ふ・即ち彼の池を見るに不思議なり日蓮が影・今の大曼荼羅なりと云云、此の事を横川の俊範法印に御物語申したりしを・法印讃歎して言く善哉々々釈迦古僧に値ひ奉り直授塔中せるなり、貴し々と讃られたり・日興は波の上に姿見え給ひつる所の本尊の御形をば似せ奉る・仍て本尊書写の事一向日興書写し奉るべし勿論なるのみ。
弘安五年(壬午)十月十日 日蓮在御判。
右此の七ヶ大事唯授一人の秘伝なり聊爾口外すべからず云云。
御判の形貎一閻浮提なりにて御座すなり、梵字は天竺・真は漢土・草は日本なり・三国相応の表事なり
夫れ此の如く清澄山・明星の池に於て釈迦古僧に直授塔中するなり云云。
此の御秘伝の本尊は本書の如く釈迦古僧に直授相承せられながら、今又君が演説せられし本尊とは大に相違あるなり、何れを正義とせん、二途の中・本因妙抄・本尊七ヶの秘伝を本意とせば君が演ぶる処の本尊段は信ずるに足らず、又君が演ぶる処を信実とせば本書の七ヶの秘伝唯授一人の相承は偽書と決定する大事なり、一閻浮提第一の大事なり故に二途の中・一方に取り定めらるに付き本尊秘伝は偽書なりとか君は演説は謬解なりとか決定して他を誘引し玉へ、上来失敬の文も之れあり候なれど此の儀は仏祖の御本意と顕し奉らんとほつして・はげむ処なれば許し玉ひね頓首。
明治十六年七月十六日
添へて申す演説筆記に拙者の名義を加へ玉ふ故に止むを得ず御会答此の如く御座候也。
本門八品信徒
武内清次郎花押
興門信徒
荒木清勇殿
前文略し畢んぬ、予が興門流を退転して本門八品・上行要付の御題目を信受せし原由は・則ち高祖大菩薩の御妙判に随順し奉る故なり、外十五巻三大秘法抄にの玉はく夫れ法華経第七・神力品に云く要を以て之を言はば乃至宣示顕説等云云、釈して云く経中要説・要在四事云云、(己上)、往見し玉へ、同抄 、此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界の上首として日蓮慥に教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥子の相違もなき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり(己上)、往見し玉へ。
外十八巻(十三丁三行より引証候仕得共都て内証仏法血脉一部往見)。
此等の文の意を案ずるに釈迦如来霊山事相の常寂光土に於て本眷属上行等の菩薩を召出て付属の弟子と定めて宝塔の中の多宝如来の前に我十方分身の諸仏を集めて上の証人となして結要の五字を以て之を付属す、三世諸仏五百塵点当初の仏も諍ふべからず之を諍ふべからず、何に況んや菩薩・二乗・人天等をや・乃至法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に処貴しとは此意なり(己上)、往見せられよ、夫れ此の如く高祖は上行菩薩の御出現にして教主釈尊らり付属を受け玉ひし事経文と云ひ釈と云ひ御妙判と云ひ明々赫々たること次第昇身・始成正覚・爾前迹門の教主の知しめす処に非ず、然るに貴門に於て血脉相承の秘書とせらるる本因妙抄に云く、問て云く寿量品文底の大事と云ふ秘法如何、答て云く唯密の正法なり秘すべし々々々々一代応仏のいきを、ひかへたる方は理の上の法相なれば・一部共に理の一念三千・迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を脱益の文の上と申すなり、文底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず・直達の正観事行の一念三千・南無妙法蓮華経是れなり・権実理なり・本迹事なり・又は権実約智約教・本迹は約身約位・又は雖脱在現具謄本種(ぐとうほんしゅ)と云へり、釈尊久遠名字即の位の御身の修行を末法今時・日蓮が名字即の身に移せり・理非造作故曰天真証智円明故曰独郎之行儀本門立行血脉之を●す秘すべし秘すべし(己上)文、夫れ此の血脉相承の秘書には釈尊久遠名字即の位の修行を末法今時日蓮が名字即の身に移せり、理非造作故曰天真独郎之行儀本門立行血脉之を●す(文)、若し万に一つも高祖の玉ふならば高祖は像法の修行を末法にせよとの御相承なるか、方々以て不審なることなり、是の如く天真独郎の行儀を本門立行血脉之を●すと相承ありながら経相脱益と談じられるは自語相違の相承に非ずや、何ぞ吾祖に於て是の如きの御謬り毫も有るべき謂れ無き故に、本因妙抄は後人僻見の偽書と決定して退転したり、然りと雖も執心更に止む事なし、是に依つて日興尊の五人所破抄を拝見仕る処・忽に疑網散々して始めて上行要付の白日を拝す、夫より以来無二に本門八品上行要付の御題目を信受し奉り候者なり、則ち五人所破抄に云く、日興云く夫れ竜樹天親は即ち四依の大士なり円頓一実の中道を申ぶと雖も権を以て面となし実を隠して裏に用ふ・天台伝教は亦五品の行専ら本迹二門の不同を分て迹を弘めて衆を救ふ本を残して末に譲る・内鑒然りと雖も外用時●に適ふの故に或は知て而も未だ闡揚したまはず、然るに今本迹両経共に天台弘通と称するの条経文に違背して解釈拠を失ふ、所以に宝塔三箇の鳳詔に驚き勧持二万の勅答を挙げ此土の弘経を申ぶと雖も迹化の菩薩に許したまはず過八恒沙の競望を止め・不須汝等護持此経と示し地涌千界の菩薩を召して如来所有の法を授けたまふ、迹化他方の極位尚劫数の塵点に暗し・止善男子の金言豈に幽微の実本を許さんや・五字の肝要は上行菩薩の付属なり誰か胸臆と称せんや(委細文の如し経を開いて見るべし)、次に天台大師経文を消して如来之を止る凡そ三義あり、汝等各自ら己住あり若し此土に住せば彼の利益を廃す・又他方此土結縁の事浅し宣授せんと欲すと雖も必ず巨益なし・又若し之を許さば則ち下を召すことを得ず下若し来らずんば迹破ることを得ず遠顕すことを得ず是を三義となす、如来之を止めたまふ下方を召すに亦三義あり・是れ我弟子応に我が法を弘むべし・縁深広なるを以て能く此土を過ぎて益し・他方の土に遍して益し・又開迹顕遠することを得・此の故に彼を止めて下を召すなり云云、又位く爾時に仏上行に告ぐの下是れ第三結要付属と云云、伝教大師本門を慕ふ正像稍過ぎ己て末法太だ近きに有り法華一乗の機今正く是れ其の時なり、又云く代を語れば則ち○良に所以有るなり云云文、以下往見し玉へ○夫れ此の如し日興尊師は三箇の鳳詔勧持二万の勅答を挙げて止善男子の金言を審にし給ひ・前三後三の六釈を引証して上行要付の頂上を崇重し玉へり、謹んで一期弘法抄を拝するに宛も割付を合すに似たり、惜い哉吾祖と興尊との法流を習ひ失い給へる門流と心を残して終に退転し畢んぬ、然るに本門八品上行所伝の門流に於ては高祖の御本意に毫も相違なし其の証は内外一部に渡り一々文々に於て明々赫々たり、中んづく天真独郎の法門・末法の弘通にあらざる例証を引証せば・外十八巻。
問ふて云く天真独郎の法門滅後に於て何の時か流布せしむべきや、答て曰く像法に於て弘通すべきなり、問て云く末法に於て流布の法の名目如何、答えて云く日蓮が己心相承の秘法此の答に顕るべきなり、所謂南無妙法蓮華経是れなり問て云く証文如何、答て云く神力品に云く爾時に仏上行等に告ぐ要を以て之を言はゞ乃至宣示顕説す云云、天台大師云く其の時に仏上行に告ぐの下・第三結要付属、又云く経中の要説四事に在り総じて一経を結する唯四ならくのみ其の枢柄を撮て之を授与す、問て云く今文は上行菩薩に授与する文なり、汝何故ぞ己心相承の秘法と云や、答て云く上行菩薩の弘通し給ふべき秘法を日蓮先き立て弘む・身に当ての意に非ずや、上行菩薩の代官の一分なり、所謂末法に入つて天真独郎の法門無益なり助行には用ゆべきなり・正行には唯南無妙法蓮華経なり、伝教大師の云く天台大師は法華宗を助けて震旦に敷揚し・叡山の一家は天台に相承して法華宗を助けて日本に弘通す・今日蓮は塔中相承の南無妙法蓮華経の七字を末法の時に日本国に弘通す・是れ豈に時国相応の仏法に非ずや、末法に入て天真独郎の法を弘めて正行と為す者は必ず無間大城に堕ちんこと疑ひなし云云。(十八円満抄一巻往見し玉へ)、夫れ此の如く明々赫々として天尽独郎の法門・末法に正行と為さん者無間大城に堕んこと疑ひ無しと御教示有らせられたるに・亦復血脉相承の本因妙抄に天真独郎の行義・本門立行の血脉之を注す秘すべしと御相承あれば甚だ不審なるもなり、故に我れ等は地獄に堕んことをおそれて興門流を退転せしものなり。
しかのみならず過日御面会の際・仁者の玉ふようには寿量文底の大事の一段は後人の執筆なり、其の余産湯相承も後人の執筆なれば其の旨承知ありたしと年号月日を分けて御物語により承知仕り候故に・寿量品文底大事の一段傍に閣き論じて無益の事と信受仕り候。
但し開目抄の一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘して沈め下へり、竜樹天親は知つて而もいまだひろめたまはず・但我が天台智者のみ・これをいだけり云云、此文に依て論ずべし、前顕引証する処の宗祖御相承と談じらるる本因妙抄と興尊の五人所破抄に違背せられなば君は興門流にはあらず・自己流となりゆき・師敵の罪を蒙り給ふ事を決定せられよと爾か云ふ。
明治十六年七月十二日 本門八品流信徒
武内寿山花押
興門流大講頭 荒木清勇殿

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