富士宗学要集第六巻

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問答顛末事実略記

小生は素と一致門の信徒なりしが、明治十八年中・興門大本てやま大石寺の末・当地蓮華寺の講頭牧野氏より●々興門の法義を聴聞し大に感悟する所あり、今や興門に改宗せんと欲する際一致門の講頭畠山氏・之を聞き来て興門の非理を説き強いて法義の対論を挑む、小生之を牧野氏に告く・牧野氏速に之に応ず、折柄興門の信徒荒木氏来り云く●如き対論は●と講頭の労をも待たず自ら之に当らんと請ふ・牧野氏之を●す、是に於いて荒木氏と畠山氏初めて対論に及ぶ維時名刺十八年四月十二日なり、其の席に列するものは牧野氏及び畠山氏の令息久七氏・外に一致門の信徒男女二名・興門の信徒女一名・余は小生の家族のみ、而して其の対論たるや畠山氏の曲非にして荒木氏の正理たること明かなりといへども・畠山氏は強情にして終に降服は為さ●りし、其の後畠山氏より一致勝劣論と題せる・則本編第壱号の書冊と第弍号の書状を差越し・荒木氏よりは第三号の弁駁書を送り、又夫より両三日を経て・畠山氏より再詰書とて紙数二三枚に過ぎざる書を寄す、披いて之を見るに只暴言悪口を主として法門の箇条甚少し、加ふるに梅ヶ関●山関へ虎林と記載し・実に問答書の体裁をなさざるを以つて・該書は荒木氏へ送付せず、小生が許に止め置き其の不都合を畠山氏へ照会せしに・十日間許りを経て尚又畠山氏より一書を寄す、と書は前きの再詰書より少しく勝れる所あり、由つて今一応荒木氏の再駁を要めんと思惟せしかども・其の書頗る乱筆なるを以つて右二通の書とも・一先づ畠山氏へ返戻し・更に両通を一纏めに書を正し、本名を署して差越されなば荒木氏の再駁を要求すべき旨、照会したる其後歳月を経るも該書を差越さず其侭等閑に付し措かれたり然るに昨年十月二十五日に至り突然・一致勝劣論と題せる活版摺の冊子と書状とを送る、受けて之を閲するに其冊子中に記する所・事実に違ふもの少なからず、然れども先づ之を牧野荒木両氏に示す、荒木氏第五号の明を付記し該問答を終結す、是に於て小生聊か所感あり・乃ち両氏の問答書を纂め法門熱心の有志諸君に頒ち以つて信心の方向を促さんと欲す、故に此の概略を記すと云ふ。   明治二十一年二月 日 南裕七識

附言
一、畠山氏が出版したる一致勝劣論と・其の文中に相違する処ありといへども・本編に掲ぐるものは則畠山氏が自書して送付したる原本の通りなり。
一、本編中引証の祖書等には活版の都合に由り送りがなを省略す、請ふ本書に付いて見らるべし。
一、本編畠山氏の論文中、誤字又は解釈し難き文辞なきにあらざれども、之れは原本の侭を写せるものなり。
  第一号畠山氏の論書
一勝劣論
富士派曰く日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之を付属す本門弘通の大導師為る可きなり、国主此の法を立て被るれば富士山に本門寺の戒壇を建立せ被る可きなり時を待つ可きのみ、事の戒法と謂ふは是なり、中ん就く我門弟等此状を守る可きなり。
弘安五年●午九月日日蓮血脈の次第・日蓮・日興。
予が門流是の如く宗祖二代目の血脈なり、其の他の門派何ぞ予が派に随順せざるや、此の御状に背くは無間地獄に堕落せん。
一致答て曰く偏なり・宗祖御弟子六老中老九老三十三人・何れも一宗にして更に亦勝劣なし、勝劣派と云ふ事御滅後に至り中間に立つると見えたり、汝後譲り状に偏きして立るならば・予が派日朗師御譲り状も相守る可きなり、其の御譲状是くの如し謹んで拝見し奉る可き者なり。
  録外御書巻第六・日朗御譲状。
  譲り与ふ南無法蓮華経。
末法相応、一閻浮提第一立像の釈迦仏一躰。
立正安国一巻、御免状。
右妙法流布一切利益の為法華中一切の功徳に於ては大国阿闍梨に与ふる所なり、尽未来際に至るまで仏法の為身命を捨て一心に妙法を弘通す可き者なり。
夫れ迹本広しと●妙法五字を出でず・昔の迹は今の本なり広略要の中に要中の要を取て一閻浮に提弘通せ令む可し肝心の要を撰ぶと●豈広略を捨てんや、迹門実相説是れ久成の本なり寿量の遠本迹に依て顕るるなり、今此の迹本二門倶に迹仏の説なり、迹本無んば本を顕すことを得ず・本迹無んか何に依て垂迹せん・本迹殊なりと●不思議一なり是れ此の経の一部正意亦是れ如来第一の実説なり、釈尊一代の深理・又日蓮一期の功徳・残る所無く日朗に付属する者なり。
  弘安五年十月三日 日蓮御判
本に云く此の書の親筆洛の本圀寺に在り。
但し此の奥書大光山二十四世日達聖人代に書き添ゆるなり前古本に之れ無きなり。
富士派の曰く、此の御書偽筆と云ふなり。
定めて我本立誓願の文・方便品の文成る故に不都合と云ひ偽書と云ふか、然らば此の文意釈是の如し、観心本尊抄十九丁に日く迹門十四品・涅槃経寺の一代五十余年の諸経・十方三世の諸仏の微塵の経々は皆寿量品の庁分なりと云云、所以は何ん譲り与ふる南妙方蓮華経は●音声無対色の仏体なり、則本門寿量品なり、末に我本立る誓願と云云の下に、皆令入仏道毎自作是念乃至速成就仏身と釈せり、本尊抄十三丁に日く是好良薬は寿量品の肝要名体宗用教の南妙方蓮華経是なりと云云、此の五重玄義は則神力品の分なり、然りと●も寿量品なり法門是の如く知る者は義を取る通人分を守るとし云ふは是なり、論より証書此の御筆今に至り本国寺の巍々蕩々として之有り拝見す可し、惣て御書何れも大切なれど中ん就く是の如き等の御譲り状は両山に第一の御宝書なれば戯にも偽書杯と云ふ可らず其の罪兄弟抄の説の如し、偏して云えば題目は一致派の品にして其他は借用と云ふか、大笑い々々。
一致大海にして平等大会一乗の派なれば・設ひ権門の人たりとも唱へて成仏せずと云ふ事勿し、故を以て神力品に云く真浄大法と云云、惣じて宗祖の御在世は唯一宗にして勝劣派更になし、日興師亦以て是の師し・御儀(義)口伝は則興師の御筆なり・序に云く南無とは●語なり此には帰命と云ふ人法之れ有り、人に帰命する事人とは釈尊に帰命し奉る法とは法華経に帰命し奉る、又云く帰とは迹門不変真如の理に帰するなり・命とは本門随縁真如の智に帰するなり、帰命とは南無妙法蓮華経是れなり、平等大会と云ふは悉く妙法蓮華経の当体・●には三世に互り横には十方に遍して高下不同無く、大小●細をえらばず平等大会の法華経と申すなり、一乗如是と説きたる外に仏道を成ずる無し、無二亦三の一乗の法と申すなりと云云、亦日く四十一丁法師品の釈に聞法受随順不逆の事・御儀(義)口伝に云く聞とは名字即なり法とは題目なり・信受とは受持なり・随順とは本迹二門に随順するなり・今日蓮等の類の南無妙法蓮華経と唱へ奉る者の事なりと云云。
御儀式(義)口伝五十丁に日く南無妙法蓮華経は体なり心なり廿八品は用なりと云云、然らば是の如く悉く本迹一致の法華経を末世に至り何ぞ勝劣と派を立てて一致派を打つや、実に以つて偏心不思議なり、観心本尊抄に八丁日く教主釈尊は三惑巳断の仏なり、又十方世界の国主・一切菩薩・二乗人天等の主君なり、行く時は●天左に在り帝釈右に侍る四衆八部後に従ふ金剛前を払ひ万法蔵を演説し一切衆生を得脱せしむ乃至八十御入滅舎を留めて正像末を利益す、本門を以て之を談ずれば教主釈尊は五百塵点巳前の仏なりと云云。
予日く此の五百塵点劫の昔し南無妙法蓮華経人体と現じて上行菩薩を御弟子となし給ふ事寿両品に分明なり、名字の不同年記の大小の文是れなり、仏則ち題目なり・法と仏と無差別にして経文の幹用なり、是れを仏の身輪と号し奉るなり、末法に於て経説の如く御難有るを宗祖色読と号し奉る、仏と法と僧と一応差別有り再応差別無きなり、観念是の如し何ぞ勝劣派は仏と法と差別して脱仏と云つて捨て奉るや、口に本門を慕つて実の本門を知らず・仏法僧と云ふ事は仏の御規則なり、仏は釈尊法は題目・僧は祖師なり、是の如く正直に立つるを仏法と云ふなり、解る者は仏なり偏する者は凡夫なり、勝劣派は仏を嫌ひ身延山を嫌ひ迹門を嫌ひ平等大会一乗を嫌ひ・御書に自派に合はざる事あらば偽と云つて嫌ひ自派の外・説教を止め・初心の素人を自派に引き入る為に法門に無利を立て・冗論を以て御書に背く事・或は本尊弁杯を作つて勝手に引き付けたり、●●経に日く依法不依人と云云仏意に背くや、宗祖内廿二巻・初心成仏抄に云く仏に成る道には我慢偏執の意なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なりと云云、観心本尊抄廿丁種熟脱の法門あり・此の脱の字は解脱の脱の字にして・ぬけからと読むは僻見なり、是れ等余り馬鹿々々しくて無論なれば捨て置くなり、観心本尊抄の序に日く此の三千一念の心にあり、若し心無くんばやみなん・介爾も心有らば即三千を具すと云云、勝劣派仏を嫌ふ一念如何ん、勝劣派日く内巻治病抄に云く凡疫病弥興盛等と云云、乃至神と仏と法華経とに祈り奉らば弥増長す可し、但し法華経の本門をば法華経の本門の行者に付けて祈り奉り・結局は勝負を決せざるの外・此の災難泊まり難かる可し乃至・天台伝教等の御時は理なり、今の時は事なり・観念既に勝るる故・大難亦色増さる、彼は迹門の一念三千なり・天地遥に殊なり、殆んど御臨終の時まで御心得有るべく候なり、恐々謹言。
      六月二十六日 日蓮御判
富木入道殿
内三十九巻観心本尊得意抄に曰く、抑今の御状に云く教信の御房観心本尊章の未得道教等の文章に就いて迹門をよまじと云ふ疑心の候なる事不相伝の僻見にて候か、去る文永年中に此の書の相伝は整足して貴辺に奉り候しかば・其の通りを以て御教訓有る可く候、所々に迹門を捨てよと書きて候事は今我れ等が読む所の迹門にては候はず・●山天台宗の過時の迹を破して候なり、縦ひ天台伝教の如く法のま●に弘通ありとも・今末法に至りては去年の暦の如し何に況や慈覚より巳来・大小権実に迷ひ大謗法に同ずる間・像法の時の利益も之れ無く・増して末法に於てをやと云云、予が日く是の死く本門と云ふは勝劣限りに非す御題目の事なり、一部皆本門なれば是本迹一致なり、内七巻報恩抄廿七丁に曰く疑て云く廿八品の中に何か肝心、答て云く或は云く品のま皆事に随つて肝心なり、或は曰く方便品寿量品肝心なり、或は云く寿量品肝心なり、或は云く開示悟入肝心なり、或は云く実相肝心なり、問て云く汝が心如何、答て云く南無妙法蓮華経肝心なり、問ふ其の証如何、答て云く阿難文殊等は如是我聞等云云、問て云く心如何、答て曰く阿難と文殊とは八年が間・此の法華経の無量の義を一句一偈一字も残さず聴聞してありしが、仏の滅後に結集の時・九百九十九人の阿羅漢が筆を染めてありしに先づ初に妙法蓮華経とかかせて次に如是我聞と唱へさせ給ひしは・妙法蓮華経の五字は一部八巻二十八品の肝心にあらずやと云云、予が曰く御書是の如くならば一派にして平等の宗なり、勝劣派肝心々々と各別派を立つるのみならず、末法下種の題目宗にて余宗を教化せずして妙見宮祈る心(念)せば謗法と云云、初心を迷はす其の念巧なる事・偏に非ずや、内三十三波木井殿御書に云く日本国にそこばく・もちあつかいて候身を九ヶ年迄御帰依候ぬる御志候ぬる御志申す所々に多く之れ有るなり、御義口伝に非く、此の妙法蓮華経は釈尊の妙法にあらず、既に此の品の時上行菩薩に付属し給ふ故なりと云云、富士は等は此の御文を見て脱仏と捨つ可きか、然らば上行宗祖より日興師に付属すれば勝訴も脱僧と捨つるか、次第に譲り前々を捨つれば当今出家を本尊となす如何、御儀(義)口伝序に曰く人とは釈尊なり法とは法華経なりと云云、人法一体是れなり、譬●品に日く、今此三界皆是我有・其中衆生悉是吾子・而今此所多諸君患難・唯我一人能為救護と云云、勝劣派妙見宮を捨て鬼子母神を捨つる事、内三十八巻撰法華経送り滋養、一・仰せを蒙り候末法の行者・息災延命の祈祷の事、別紙に一巻註して進せ候、毎日一返闕如無く読誦せらるる可く候、日蓮も信じ始め候日より毎日此れ当の勘文を誦し候て・仏天に祈誓候によりて種々の大難に遇ふと●も法華経の功力・釈尊の金言・深重なる故今迄相違無く候なり乃至、後生は申すに及ばず今生も息災延命なり云云、予が日く是の如く宗祖も仏と天子と御祈誓ある諸天善神を捨つる文一句もなし、何ぞ勝劣派は妙見大菩薩を捨つるや、北辰星は万天子の内にあらざるか提婆品に日く、三千大千世界を観るに乃至芥子の如き計りも是れ菩薩の身命を捨つる処に非る有ること無しと云云、勝劣派は観心本尊抄より立●も各我慢を生じて或は八品・或は一品二半・或は寿量品・と分々に互に自派吉く他派悪しと争ふ、当今は八品に二派富士に二派と争をなす不定なる事・是偏者の持前なり、一致派は宗祖御在世より当今に至る迄一派にして大海の如し・等しく是れを平等大会の宗門と云ふなり、内十六巻兄弟抄に非く此の法華経は一切諸仏の眼目・教主釈尊の本師なり、一字一点も捨つる人あれば千万の父母を殺す罪にも過ぎ・十方の仏の身より血を出す罪にも超えて候ける故に、三五の塵点を経候けるなり乃至大事の物語り一つ申さん伯夷●斉と申せし者・胡竹国の王の二人の太子なり、首陽山と申す山に隠れ居り蕨を折つて一を続ぎしかば・天賢人を捨てざるならいなれば・天白鹿と現れ乳を以て二人を養ひき、●斉が云ひ来らず二人飢へて死き、一生が間賢人なりし人も一言に身を亡すと云云、予が日く富士派の人・釈尊を脱仏と捨つる罪は是れに倍せり、高祖一言大切と云云、勝劣派人偏きして種々に工夫付け御書を曲げて素人を引き入る過は不及に劣ると云 う、一寸一句。                                    行過ぎて提婆乃穴に●かぶ里。
罪障消滅・南無平等大会一乗妙法蓮華経六万九千三八四一々文々是真仏説法と云云、謹言。
浪花住 畠山
第二号畠山氏より南裕七へ送りたる書状
前文御高免下さる可く候、然れば昨日延引乍ら過日御約定の問答書壱通御讒(覧)に入れ奉り候、定めて面白き御答下され候半んと楽み居り候、併し乍ら兼て御約足(束)の通り空論亦は末書は用ひず別して勝抄勝手に作り候本尊弁杯も決して用ひず、唯々宗祖の御書にみにて御答へ下さる可く候、何分当時勝抄畠山氏にて御高名の梅ヶ谷関・●山関杯と纔素人上りの虎林杯は迚も叶はざる事とは承知は致し居り候へ共・万一亦勝利と相成り候上は御両関の横綱手前え頂戴仕り候然れば稲妻と改名仕り候間・念の為に一寸申上げ置き候なり、昨日の下書に自派由と書失致し直す事失念仕り候間・由の字を吉と●り乍ら御直し下さる可く候、何分虎林の事故字間違ひども多く御座候間・御直し置き下さる可く候、去り乍ら私方に扣え御座無く候間、御写取の上御戻し下さる可く候、但本書故に御手元に置き候へば写しを御戻し下され候へば猶々結構に存じ奉り候、何れにても宣敷御座候なり、若亦御答成らず候時は手前勝利承知仕り候間是又念の為に申上げ置候、内廿巻南条七郎殿御書に・釈尊を主師親三徳兼ねて御座候へ共・是を佐前と御嫌ひ成され候とぞんじ不印御座候御尊公様は失敬乍ら御初心の事故・且又正直に勝劣派有利と思召し候処・御無利ならば、何分両関極々の弁者て空論にて大躰の人は得心仕り候得共勝劣には何れも末書を以て人を迷はす事第一に心得居り候間・夫に不懸り様御自身に合たりとも利益なしと公債巻の譲りなくば反古同然灰と、有漏の宝と無漏の宝と一所に云が代言人の曲言なる様な事申す人、大無利●馬鹿々々敷くて相手になれぬ人なり、問答と申す者は過日の様なものにあらば、互に一口づ々●問答に御座候過日は唯々我侭に言ふ計り御店故に差し扣え居り候へ共・外なれば虎林も中々聞かず・此の関取は場所しらぬ人なりいつも柳の下には・どじよいると思ふ人なり、一致の法門是の如し先はあら●御笑●恐々。
六月 畠山弥兵衛
御旦那様
真実申し上げ奉り候、勝劣は地獄々々と偏多く御書に少し之無き事なり、御尊公様も結構成る法化(花)宗にて凡夫の言に迷はされ・仏に背き・祖師に背き・親上に背き・剰へ妙見宮を御捨て成され候事・実に以て御気の毒に存じ奉り候、勝手を除て下書を心に止てしす(つ)●と御読み成され、上本の一致に御帰りなされ、勝劣実に利なれば私遠から成り●・勝劣は執着計りにして法門は分からざるものに御座候、御書御入用ならば御かし申し上げ候。
開目抄下四十二丁日く善につけ悪につけ、法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を立てん日本国の位をゆづらん・法華経をすて●観経について後生を期せよ、父母の頸を刎ねん・念仏申さずばなんどの種々の大難出来すとも・智者に我義やぶられずば用ひじとなり、是の如きの私言・勝劣に付いて後生を期せよ・乃至智者に我義やぶられずば用ひざるなり、此の道理なり釈尊を捨つれば八巻の内何千字捨つるや其罪兄弟抄の如し両人の義理にて勝劣になり仏祖始め妙見宮に背く罪如何なるらん。
 第三号荒木氏の弁駁書。
去る四月十二日後面会致し候巳来・殆ど七十日間絶えて御音信之れ無き処・本尽き十七日・南氏へ宛て一致勝劣論と題せる書一冊・並に後添書一通・尚又十八日郵便一通・御送付相成り候趣きを以て南氏より之を示され・極めて芳説名談之れ有る可きと疾く謹んで拝見したるに・豈計らん謗説迷談其の僻見至れり尽せり、天晴れ一致門流大講頭の御名義空しからず真実至尊の聖書をして斯の如く僻見せられ・されば一致門派の邪義誑惑も立ざるべしと深く驚●仕り候就いては御懇望の通り宗祖の聖書を引証して左に御答申し上げ候間・巳義偏執の眼を洗ひ・篤と御熟閲あらんことを希望す。
来書に云く、富士門派においては・一期弘法抄に因つて以て宗祖の血脈相承は日興上人に之れ有れば・興門派に従順せざるものは・則右御遺状に違背す、故に無間地獄に堕落せざらんや、一致答て云く偏なり、宗祖御弟子六老中老九老三十三人何も一宗にして更に又勝劣なし、勝劣と云ふ御滅後に至り中間に立つると見へたりと云云。
駁して云く、吾興門派惣本山大石寺は・宗祖大聖人出世の御本懐・一期御弘通の所註たる本門三大秘宝を相承し・唯授壱人の血脈付法を相伝する事・一期弘法抄においても顕然なり、而して宗祖御滅後巳来今日迄・六百有余年間芥子ばかりも其の化儀化法を紊乱せず、故に吾本山大石寺へ帰入して本門三大秘宝を信受せざるものは・何程法花経を信じ題目を口唱するも・宗祖の御遺誡に違背する大謗法者たるを以て無間地獄に堕落すること来書の如く相違なし、然るに来書一致答て云く巳下の所論は頗る迷乱と謂つべし、如何となれば釈尊の弟子に本化迹化等・数百万の菩薩ありと●も別付は上行等の四菩薩に限れり・余は悉く●付なり、天台に三千人の弟子ありと●も・別付は章安一人に限れり余も悉く惣付なり、伝教に三千人の衆徒あれども・別付は義真一人に限り余は悉く惣付なり、今又宗祖大聖には六老中老九老僧等数多の御弟子ありと●・別付属は吾開山日興上人一人に限れり余は悉く惣付属なり、是則月漢日三ヶ国共に仏法相承の規模は同一なり・何んぞ別付惣付に勝劣なしと言ふべきや、故に日興上人への御付属は他の御弟子への御相承と事変り、日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に付属す本門弘通の大導師たる可きなり、国主此の法を立てられば富士山に本門寺の戒檀(壇)を建立せらる可きなり、時を待つ可きのみ・事の戒法と謂ふは是れなり、中ん就く我門弟等此状を守る可きなり。
  弘安五年●午九月 日 日蓮在御判。
  血脈次第日蓮日興と云云。
是則日興上人は御弟子の順次は第三番なれども付属血脈相承の次第に至つては・宗祖大聖より直に日興上人へとの証拠に血脈次第日蓮日興と遊されたり、しかのみならず本文中我門弟等此の状を守る可きなりと云云、之に由て之を思へ宗祖御弟子たる者は日昭日朗両上人と●此の御遺状を遵守せらるべきは勿論なり・況や末代の弟子旦那においてをや、何ぞ謹んで尊崇せざらんや、然るを強いて己義偏執の邪見よりして宗祖御弟子中に勝劣なきと主張せば・本化の菩薩も迹化の菩薩も更に勝劣なきと言ふや・愚も亦甚しと言つべし、内八九丁本門の一菩薩を迹門十方世界文殊観音等に対向するに猿猴を以て帝釈に比たるに尚及ばす文、又勝劣は宗祖御滅後・中間に立つるとは何の迷惑ぞや、君は未だ一致及び勝劣と云ふ理由を知らざるや、勝劣とは法華経本迹二門において本門は勝正・迹門は劣傍と立つる義にして・素より宗祖の御立義なり、本迹勝劣なき一致と立つる義こと却つて宗祖御滅後に法義迷乱して建立したる門派なり、故に宗祖御所判において本迹一致の御立義曽て以つてあることなし、実に経々の浅深勝劣を知らざる者は無得道の僻人たるべし。
内三廿四五丁比蓮読んで云く、外道の経は易信易解・小乗経は難信難解・小乗経は易信易解・大日経等は難信難解・大日経等は易信易解・般若経は難信難解・般若経と華厳と涅槃と法華と迹門と本門と重重の難易より、問て云ま其の義を知て難の詮有りや、答て云く生死の長夜を照す大燈明・元品の無明を切る大利●此の法問に過ぎざるか文。
内三十四三十一丁第四重難じて云く法花本門観心の意を以て一代聖教を案ずるに●羅果を取って掌中に捧ぐるが如し、所以は何ん迹門の大教起れば爾前の大教亡ず、本門の大教起れば迹門爾前亡ず、観心の大教起れば本迹爾前共に亡ず、此れは是れ如来所説の聖教従浅至深して次第に迷を転ずる也文。
内二十八廿七丁。法華経に又二経あり、所謂迹門と本門となり、本迹の相違は水火天地の違目なり、例せば爾前と法華経と違目より猶相違あり爾前と迹門とは相違ありといへども相似の辺もありぬべし、所謂八教あり・爾前の円と迹門の円と相似せり、爾前の仏と迹門の仏は劣応勝応・報身法身異れども始成の辺同じぞかし、今本門と迹門とは教主すでに久始のかわりめ・百歳のをきなと十歳の幼子のごとし・弟子又水火なり・土の前後いうばかりなし、なを本迹を混合すれば水火を弁ぜざる者なり。
外十五三十六丁本迹二門の浅深勝劣与奪傍正は時と機とに依るべし、乃至今のときは正には本門・傍には迹門なり、巳上掲ぐる祖判を拝見せよ、宗祖の御立義本迹勝劣なる事・一目瞭然にして且つ経々の勝劣を知らざる者は無得道たる事明白なり、況や宗祖の正義は寿量文底秘沈第三の法門にして文上本迹の所談にあらず、此れ等は君等の夢にも知るべき法門にあらざるべし。
内二十四十一丁、日蓮云く迹門をば月に譬え本門をば日に譬ふかと云云、豈日月一致となるべきや。
来所に云く、興師の御相承状を信じて・朗師の御相承を信ぜざる偏なり、又朗師御相承状を偽所と云ふは方便品の文を寿量品に云くと之れ有るを以てならんと云云。
駁して云く、興師の御相承を信ずる事は私の意見にあらず・上に示す如く苟くも日蓮大聖人の弟子旦那たるべきものは之れを謹んで信受すべしと、宗祖大聖の金言なり何ぞ之れを偏と云ふや、朗師の御相承書を吾門において信ぜざる義は二種の理由ある故なり、如何となれば与へて之を論ずるときは該相承は惣付は信ぜざるも妨げなかるべし、所謂勝は劣を兼ねるものなればなり、是れ其の一種尋ねて今其惣付なる所以を述べん、朗師相承状に譲与る南無妙○経とは則宗祖の弟子旦那となれば一人も残らず此の譲与は受くるべし。
内八二十一丁、地涌千界の大菩薩を召し寿量品の肝心妙法○経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしむ文。
又右妙法流布一切の利益の為乃至妙法を弘通す可き者なりとの巳下は、則修行段の奨励にして是れ又宗祖の御弟子旦那たるもの此の御教誨を受けざるもの一人も有るべからず。
内二十三・如説修行抄等を拝見すべし。
又日蓮一期の功徳残る所無く日朗に付属する者なりとは唯授一人の血脈相承にはあらず、是亦御弟子旦那たるもの一人も残りなく御一期の功徳を受くるなり。
内八十五丁、釈尊の因行果徳の二法妙法○経の五字に具足す・我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲与ふ文。
内二十三四十八丁、日蓮貧道の身と生れて父母の孝養心にたらず・国恩を報ずべきかたし、今度頚を法ヶ経に奉りて其の功徳を父母に回向せん其の余りをば弟子旦那等にはぶくべしと申し●事是なり。
内九三十四丁、日蓮は其の人には候はねども粗意を得て候へば・血涌の菩薩の出でさせ給ふまでの口ずさみにあら●申し候て況滅度後のほこさきに当り候なり、願くは此の功徳を以て・父母と師匠と一切衆生に回向し奉らんと祈請仕り候文。
又興師の御相承状は弘安五年九月にして先判なり・朗師の御相承状は弘安五年十月にして後判なり、例せば神力品の別付属と属累品の惣付属の如し。
巳上掲ぐる祖判を拝見すべし、惣付なること明白ならん、今又奪つて之を論ぜば該相承状は偽書たること判然たり、但し来書に云云せらるる●寿量品云の文に由つて之れを偽書と言ふにはあらず、如何となれば仮令爾前の経々の文を引載させて寿量品に云くと宗祖御書判せさせ給ふとも是は之宗祖の見解に由つて立て給ふ所謂依義判文の御立義なる故●て非難すべきものにあらず、何ぞ労く弁解に及ばんや、今吾門より該相承状を偽書と云ふは君の推測する如き浅義にあらず、請ふ聞け之を述べん、夫南無妙○経の御譲与は最初得道の日・授戒の際受すべきものなるに・何が故朗師に限り弘安五年十月迄題目御譲与なかりしや・其の理決して有る事なし、又末法相応一閻浮提第一・立像釈迦仏一躰と云云、立像の釈迦仏は頭陀の応身にして・尚権大乗並に涅槃経法花経迹門の釈迦仏に及ばず・況んや本門の釈迦仏においてをや、而るに之をして末法相応一閻浮提第一の本尊と宗祖曰ふべき理由あるべかららず。
未だ寿量品の仏有しまさず、末法に来入して始めて此の仏法(像)出現せしむ可きか。
同廿八丁、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為し一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し月支震旦に未だ此の本尊有しまさず。
内九十六丁、本尊問答抄に問ふい云く、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答て云く法華経の題目を以て本尊とすべし、乃至此れは法華経の教主を本尊と為す法華経の行者の正意にはあらず、上に挙ぐる所の本尊は釈迦多宝十方の諸仏の御本尊・法華経の行者の正意なり。
御遷化記録に云く立像の釈迦仏は日蓮が墓の側に立て置くべし云云、身延山日朝の作・化導記にも此の事をのせたり、巳上掲ぐる祖判並に御遷化記録等を拝すべし、該相承状は偽書なる事・理において明かならん、若し尚之れを真書と言は●宗祖自語相違と言ふべきか、将又観心本尊抄本尊問答抄其の他三大秘法を説き置かせ給ひたる、諸の御書判を挙げて偽書と言ふべきや如何、豈省慮せざらんや、(該相承状の偽書たる証拠尚二三之れありといへども繁き故に略す)。
来書中一部本門寿品と云云、君本迹一致門流なるに何が故に法花経一部は皆本門寿量品と言ふべきや、君自ら本に一致の邪義を悟り自ら唯本無迹、寿量一品の門流を建立するや、是亦蒙昧の至りと云ふべし。
来書に云く、御譲状を戯れにも偽書杯と言ふべからず、其の罪兄弟抄の説の如しと云云。
駁して云く、確実真正の御書に背反し道理の立たざる書を偽書と判ずるに何の罪か之れあらんや、所以は何となれば仏は随自意の説に二言なし、宗祖は之れ久遠の本仏なり何ぞ出世の本懐に至つて二言せさせ給ふべき、宗祖二言せさせ給はざる事明かなれば彼の相承状偽書なる事又以つて赫々たり。
来書に云く、偏して言へば題目は一致派の品にして其の他は借用と云ふか、大笑ひ●と云云。
駁して云く、是れ何のたわ事ぞや・宗祖大聖人出世の御本懐・御弘通の所註は本門寿量品・肝心の南無妙法○経にして則本門三大秘法なり、決して本迹一致の南無妙○経にあらざるべし。
内二十六四十四丁、実には釈迦多宝十方の諸仏・寿量品の肝要たる南無妙○経の五字を信ぜしめんが為に出し給ふ広長舌なり。
内八二十三丁、是好良薬は寿量品の肝要・名体宗用数の南無妙○経是なり。
同二十一丁、地涌千界の大菩薩を召し寿量品の肝心妙法○経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給ふべき先序の為なり。
内五二十三丁、寿量品の南無妙○経の末法に流布せんずるゆへに・此の菩薩を召し出されたるとは知らざりしと云ふことなり。御義口伝下寿量品の下、御義口伝に云く此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり文。
内九十一丁、問て云く如来の滅後二千余年に竜樹天親天台伝教の残し玉へる所の秘法何物や、答て云く本門の本尊と戒旦と題目の五字となり。
同十五丁、是の如く国土乱れて後上行等の聖人出現し本門三つの法門之を建立し・一天四海一同・妙法○経の広宣流布疑ひ無きか。
巳上の金章を拝見せよ、三仏の舌相の本意も・如来別命の本意も・如来付属の正体も・如来授与正体も・末法所修の正体も皆悉く本門寿量品の肝心南無妙○経なる事明々たり、何ぞ本迹一致の題目を借らんや君は宗祖所弘の大法を本迹一致の題目と思へるか大僻見の至りなり。
来書に云く一致大海にして平等大会一乗の派なれば設ひ権門の人たりとも習つて成仏せざるなし、乃至宗祖御世唯一宗にして勝劣派更になし、日興師亦以て是の如しと云云。
駁して云く、平等大会一乗の法とは宗祖所弘の本門寿量品の肝心南無妙○経・則本門戒旦の大脚本尊にして本迹一致の法義にあらず、故に宗祖の御書判広しと○も本に一致と立つる平等大会と定め給ひたること文義ともにあることなし、若し之れ有りといへば其の明証を出すべし、今君が引証する御義口伝の御文は本迹一致の証拠とはならざるなり、其の所以は次下に弁ずべし。
御講聞書三十二丁、所註等の字はひとしくとよむ時は釈迦如来の平等の慈悲なり、さてひとしきとよむ時は平等大会の妙○経なり、等法の雨ふらすとは能弘つけたり、等法の雨ふらすと云ふ時は所弘の法なり、所註法と云ふは十界の諸法なり・雨とは十界無語音声の振舞なり、ふるとは自在にして地獄は洞燃猛火・乃至仏界の上の所作音声を等雨法雨と説けり、此の等雨法雨は法躰の南無妙○経なり、今末法に入つて日蓮等の類の弘通は題目等雨法雨の法躰なり、此の法雨・地獄餓鬼畜生等に同時にありたる法雨なり、日本国の一切衆生の為に付属し給ふ法雨は題目の五字なり、所謂る日蓮御建立の御本尊南無妙○経なり云云、是則宗祖御立義の平等大会にして上仏界より下地獄界の一切衆生迄等しく此の本尊の御利益を蒙るなり、豈真実の平等大会にあらざるや、又宗祖御在世唯一宗なることは素よる然り、然りと●も宗祖及び吾開山は本迹一致の御立義にあらず、本迹勝劣の御立義なり、故に宗祖御在世には本迹一致派あることなし(委細上の弁駁に文証を掲る祖判の如し)。
来書に御義口伝の序に云く、南無とは●語なり乃至無二亦無三の一乗法とは申すなり云云。駁して云く、之れは本迹一致の文証にはあらずして・宗祖所弘の南無妙○経の功徳の広大を説かせ給ひたる御法門なり故に同七丁巳妙法○経の功能此の如しと云云、何れの廉に由つて以て本迹一致の証拠とするや笑ふ可し笑ふ可し、況や御義口伝の御法門は宗祖御内証の御法門にして其の文義甚遠なり、暗愚の思慮に及ぶべからず、徒に己義の会通を加へて本文の尊旨を黷すなかれ。
御義口伝下、六老僧の所望に依り老後たりと●日蓮が本意の一端を講談せしめ畢ぬ、是れ併しながら私に最要の文を集めて読誦せしむる所なり、然る間法華一部諸要の文書付け畢ぬ、此の意は或は文を隠して文を取り或は文義共に顕し或は文義共に隠す講談なり、悉は注法華経を見らる可きなり、然りと●文義甚遠の間愚昧に及ぶ可からず・広宣流布の要法は豈此の注法華経に過ぎんや。
来書に云く、御義口伝上に聞法信受随順不逆の事、御義口伝に云く、聞とは名字即乃至南無妙○経と唱へ奉る者事なりと、又御義口伝下南無妙○経は体なり心なり二十八品は用なりと云云、然れば是の如く悉く本迹一致の法華経を末世に至り何ぞ勝劣と派立て●一致派を打つや、実に以て偏心不思議と云云。
駁して云く、此の御義口伝の御文二箇共に本迹一致の文証にあらず、如何となれば上の聞法信受随順不逆と云ふ事は所詮宗祖所弘の南無妙○経を唱へ奉る者の事なりとの事にして、又下の御文は宗祖所弘の南無妙○経は法体にして法華経二十八品は用なりとは・題目と法華経の勝劣を判じ給ひたるものにして未だ其の用の勝劣を判じ給はざる・迄の事なり何ぞ之れをして本迹一致の証拠とすべきや、若し此の類の祖判をして勝劣なきものと誤解せば内三十二二十二丁、今末法に入りぬれば余経も法華も詮なし・只南無妙○経なるべし文。内三十四二十一丁、観心の大教起れば本迹爾前に亡ず文。
内二三十五丁、迹門十四品も一向に爾前に同ず、乃至二品に付くべきの文等を以つて爾前迹門本門等更に勝劣なき権実本迹一致と言ふや、又高祖遺文録十四五十四丁、されば釈迦多宝の二仏と言ふも用の仏なり、妙法○経こそ本仏にて御坐候への文をも以つて釈迦多宝の二仏は勝劣なきと云ふか、愚も甚しと言ふべし。
内九三丁、所詮所対を見て経々の勝劣を弁ふ可きなり強敵を臥伏して始めて大力を知見する是なりと云云、君は未だ従浅至深・四重の興廃五重の相対の次第・所対不同と云ふ事を知らざるが故に斯る暗愚の説をなせり、慎んで習学すべし、又文証を掲ぐるには判然本迹に勝劣なきと言ふ文証を出せ、然らざれば前に示す如き明々たる本迹勝劣の文証消ゆることある可からず。
来書に云く、勝劣派は仏と法と差別して脱仏と言つて捨て奉るや、乃至勝劣派・仏を嫌ふ一念如何と云云。
駁して云く諺に云く短縄を以て深淵の水を汲むこと難しと畠山君よ君は独り免許に何かを言ふぞやとても●・君浅識の邪推を以つて吾門甚深の法義を推知する事難かるべし、然る勝劣派は仏を嫌ふとか平等大会を嫌ふとか、御書に自派に合はざる事あらば偽と言ふて嫌ふとか・或は本尊弁と云ふ書を作つて勝手に引き付くるとか・抑も何の誣言ぞや、巳上君が邪推の如きは吾大石寺の立義にあらず、又本尊弁と言ふ書吾本山に曽て之れ無し、吾大石寺の化義化法は初にも示すが如く宗祖の正義を相承するを以つて君の邪推の如き卑屈・未練・蒙昧・荒量なる説・苟くもあることなし君は何人よる之を聞き何人の所述の本尊弁とやらを見て之れを吾門に誣ゆるぞや、吾門において釈迦仏を本果脱益の仏と云ふは則在世の法華経の教主と末法有縁の教主則本因下種の仏と引き向へ種脱相対の上に立つる法門にして・則宗祖大聖の正義なり、然るに一致門流杯にては在世の釈迦仏を久遠最初の本仏と誤解し、宗祖大聖を只上行菩薩とのみ思へるが故に是の如く迷乱を生ずべし、請ふ聞け宗祖大聖は外用上行菩薩の再誕なれども・其の内証は久遠元初の自受用報身如来にして無比最上の本仏なり、三世十ほう諸仏の根元なり、久遠五百塵点却の最初より此の土有縁深厚の教主釈尊なり、在世の本果の釈迦仏は寿量所顕にては久遠の本仏と云ふと●も・下種の仏に相対すれば実には迹仏なり用仏なり、今此文証を掲げで君の迷蒙を開くべし。
講師遺文録十四五十四丁、されば釈迦多宝の二仏と云ふも用の仏なり、妙法○経こそ本仏にて御座候へ、経に云く如来秘密神通之力是なり、如来は体の三身にして本仏なり神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし、凡夫は体の三身にして本仏・仏は用の三身にして迹仏なり然れば釈迦仏は我等衆生の為には主師親の三徳を備へ給ふと思ひしに・さにては候はず返つて仏に三此をかぶらさせ奉るは凡夫なり。
外廿二十五丁、日蓮が魂を墨に染め流して書いて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮がたましいは南無妙○経すぎたるはなし。
内三十二二十二丁、今末法に入りぬれば余経も法華経も詮すし但南無妙○経なるべし、かう申し出して候も私の計ひにはあらず、釈迦多宝十方の諸仏・地涌千界の御計なり、此の南無妙○経に余事をまじへば・ゆ●しき僻人なり、月出でぬればともし火詮なし雨ふるに露は何の詮かあるべき・嬰児に乳より外の物を養ふべきか・良薬に又薬を加る事なし。
内八二十丁、彼れは脱此れは種なり・彼れは一品二半此れは但題目の五字なり。
御義口伝下十丁、然りと●も而も当品は末法の要法に非るか、其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益・滅後は下種なり、仍て下種を以て末法の詮と為す云云。
内二十一十六丁、種熟脱の法門は法華経の肝心なり三世十方の仏は必ず妙法○経の五字を種として仏に成り給へり。
御講聞書六丁、日蓮が弟子旦那の肝要は本果より本因を宗とするなり、本因なくしては本果ある可からず。
外二十五丁、今末法に入り在世結縁の者一人も無し権実の二機悉く失せり、此の時濁悪たる当世逆謗の二人に・初めて本門の肝心寿量品の南無妙○経を以つて下種と為す是好良薬今留在此・汝可取服勿憂不差は是れなり。
内二十五四丁、今既に末法に入り在世結縁の者漸々に衰微して権実の二機皆悉く尽きぬ。内十四四十六丁、仏は心安く思召し本覚の城に還りたまふ。
巳上の金章を拝見せよ、種脱相対の重には在世の釈迦仏は迹用の仏となり・又結縁の衆生を悉く度脱せしめ其の当益を脱し給ひ・本覚の城たる久遠元初自受用身の御内証へ帰入し給ひ、今末法は在世釈迦仏の結縁の衆生一人もなきこと明白なり、又宗祖大聖の御内証は久遠元初の本仏にして今末法下種益の仏たること・文義併て日を見るよりも赫々たり、然るを一致門流等においては迷惑して宗祖を御本仏と知らず・仏と言へば在世の釈迦仏に限ると思へり、教主釈尊と言へば在世の釈迦仏に限ると思ふは不相伝の大僻見なり、宗祖大聖の御事を無作三身如来とも・教主釈尊とも言へること文証を掲げて示すべし。
御義口伝下九丁、如来とは釈尊惣じて十方三世の諸仏なり、別して本地無作の三身なり、今日蓮等の類の意は惣じては如来とは一切衆生なり・別してしは日蓮が弟子旦那なり・されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり・無作の三身の宝号を南無妙○経と云ふなり。内二十七三十一丁、如来の未来記汝に相当る・但し五天竺並に漢土等に法華経の行者之れ有るか如何、答て云く四天下の中に全く二つの日なく・四海の内に豈両主有らんや。
内四二十二丁、日蓮は閻浮提第一の法華経の行者なり、乃至此の徳は誰か一天に眼を合せ四海に肩を並ぶべきや。
                                        内三十六十一丁、日本国の男女・四十九億九万四千八百二十八人ましますが・某一人を不思議なる者に思って、余の四十九億九万四千八百二十七人は皆敵と成つて・主師親の釈尊をもちひだぬに・不思議なるに・かえりて或はのり・或はうち・或は処を追ひ・或は讒言して流罪し死罪に行ふ云云。
 外十五三十丁、寿量品に建立する所の本尊は・五百塵点刧の当初よりこのかた此の土有縁深厚の本有無作三身教主釈尊是れなり。
外十三二十丁、過去久遠五百塵点刧のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは・我等衆生の事なり・法華経の一念三千の法門・常住此説法のふるまひなり、かゝるたうとき法華経と釈尊にてをはせども・凡夫は知る事なし、寿量品に云く令顛倒衆生●近而不見とは是れなり。巳上祖判明瞭に宗祖大聖を無作三身如来とも・教主釈尊とも示させ給へり、豈に之れを見ざらんや之を見ざる者は則顛倒の衆生なり、宗祖曰ふ事あり生盲は力及ばずと、嗚呼気の毒千万とぞ謂つべし、又吾門においては種脱混合の義を立てざるに由り、仏と法との差別を立てず、本門の本尊則南無妙○経即自受用報身如来・自受用身即一念三千・是れ併しながら宗祖大聖の御当体なり、宗祖の御心・則南無妙○経・南無妙○経即本門事の一念三千の大曼陀羅の大御本尊宗祖の御色身則自受用報身如来本有無作の三身にして人即法・法即人・人法一体なり、何ぞ仏と法との差別を立つると言ふや、邪推するなかれ。
御義口伝下十八丁、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり。
同十七丁、一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形仏なりと・出尊形仏とは無作三身と云ふ事なり。
同九丁、無作三身の宝号・南無妙○経と言ふなり。以上祖判・吾門において今末法相応の下種益・久遠元初の本仏を人の本尊として尊崇し奉り・在世脱益の釈迦仏を本尊とせざるは・則宗祖大聖の正義を相承すればなり、何の咎めか之れあらんや、一致門派においては只仏と言ふ名のみに迷惑して・其の当機の益否も論ぜず・仏と言へば何仏をも本尊として尊敬するや、果して然らば雑乱一致と謂つべし、吾門にいて宗祖大聖を本仏・人の本尊と尊敬し供養し奉る事は上に示すが如く・宗祖の正義なるのみならず、釈迦多宝・三世十方の諸仏の本懐なり。
内十五十丁、是れ程に貴き仏を一時二時ならず、一月二月ならず・一年二年ならず・百千万億乃至一刧が間・仏前に掌を合せ両眼を仏の御胸に当て頭を低れて他事を思はず・渇して水を思ひ飢て食を思ふがごとく間無く供養し奉る功徳よりも戯論にも一言継母の継子を讃るが如く・志無くとも末代の法華経の行者を供養せん功徳は・彼の三業相応の信心一刧が間生身の仏を供養し奉るより・百千万億倍過ぐべしと説かれて候、乃至上の二つの法門は仏説にては候へども心得られぬ事なり、何ぞ仏を供養し奉るに凡夫を供養せんが勝るべき、而れども是れを妄語と言はんとすれば、釈迦如来の金言を疑ひ多宝仏の証明を軽んじ十方の諸仏の舌相を破るに成りぬべし、若し爾らば現道真に阿鼻地獄に堕すべき事・厳石にのぼりてあら馬を走らするが如し、心肝しづかならず又之を信ぜば妙覚の仏にも成りぬべし。
内十五三丁、愚人の正義に違ふ事昔も今も異ならず、然れば則迷者の習ひ外相を貴び内智を貴ばずと云云。
巳上祖判を拝見せよ、一致門流等が宗祖の外相凡夫にて御座すを悔り、御内智の釈迦仏より。に勝れさせ給ふことを貴ばず、外相優勝の釈迦仏をのみ仏と思ひ、功徳深厚の本仏たる宗祖大聖を僧宝に下すは実に外相を貴で内智を貴ばざる愚人にあらずや、然れば則祖判の如く宗祖の宗祖の正義に違背し、釈迦仏の金言を疑ひ、多宝仏さの証明を軽しめ十方の諸仏の舌相を破る等大罪に由つて無間地獄に堕すべき事明確たり、豈懺悔せざらんや、又仏法僧の三宝配立は素より仏家の通輒なり、今末法の仏法僧とは則上に示す如く、仏とは宗祖大聖・法とは寿量文底・本因下種の妙法○経・僧とは吾開山日興上人なり、尤も吾開山を僧宝に立つる事は一期弘法抄に判然たり、云く本門弘通の大導師と云云。
又吾門に於いて仏を嫌ひ迹門を嫌ふとは、君何の科段に由つて此の事を難ずるや、凡法門は所対に由つて不同あり、上に文証を掲げ示す如し、其の科段とは所謂る内外相対・権実相対・迹権相対・本迹相対・種津相対なり、是則宗祖の御立義・四重の興廃五重相対の科段なり、其の所対によつて迹仏をも嫌ひ迹門をも嫌ふことあり、然るに其の所対をも立てず、五重の科段をも明めず、妄りに仏を嫌ふとか迹門を嫌ふとか、荒量の説を為すことなかれ、若し之れを難ぜんとならば、明かに、其の所対を定め委細に其の所論を示すべし、然らざれば暗夜の礫と言ふべきのみ、尤此の文証は上に掲げたるを以て●に略す、然れども本迹相対の重に迹門を嫌ふ一つの文証を示すべし。
内十一四十二丁、法花経の本門に於て爾前の円と迹門の円とを嫌ふ事不審無き者なり。
内二二十四丁、本門にいたって始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶって、本門の十界の因果をときあらはす、此れ即本因本果の法門なり。
又吾か門において身延山を嫌ふことは其の理由大いにあり、君等は万事名や文のみに固着して其の義理を貴ばざるは暗愚の至りと言はざるを得ず。
内十九十六丁明者は其の理を貴び暗者は其の文を守ると云云、夫身延山の尊きは何ぞや、宗祖の住ませ給ふが故なり、宗祖帰寂の後は宗祖の御魂たる本門戒旦の御本尊が在す故なり、之に由て吾か開山日興上人は宗祖大聖より二ケ(箇)の御相承を受け、宗祖御滅後は身延山の惣貫主となり、御付属の本門戒旦の御本尊を始め奉り其の他の法宝を保持継続し給ひたれども、第七ケ(箇)年目に至り波木井実長・日向師と謀り宗祖の制戒に違背し謗法せし故止むを得ず、吾か開山は身延山を退去し三大秘法の正体たる本門戒旦の御本尊及び最初仏御正骨等の法宝を吾大石寺に移し給へり、尤も此の始末は興師略伝に明細に之れ有るを以て●に略し別に該略伝を呈上す、此処に指し加へて熟読あれよ故に吾開山退去後は身延山は謗法の地となり、吾大石寺こそ真の寂光・事の霊山となりたるなり、故は如何となれば宗祖の御魂たる本門戒旦の大御本尊大石寺に住ませ給へばなり。
内二十二二十八丁、其の上此の所は人倫を離れたる山中なり、東西南北を去つて里も無し、かゝる糸心細き幽谷なれども教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所候は誕生の処・口中は正覚の砌なるべし、かゝる不思議なる法花経の行者の住所なれば争か霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し人貴きが故に所尊しと申すは是なり。巳上祖判明かに知るべし、身延山の尊きは住ませ給ふ人、則宗祖大聖の貴きが故なり、宗祖大聖の尊きは御内証の法体の妙なるが故なり、然るに其御内証の法体則本門三大秘法の正体たる戒旦の大御本尊・大石寺に住ませ給へば大石寺をこそ真の寂光浄土と云ふべきこと明白なり、又身延山は一の旧跡にして凡土に変ること有るべからず、然るを一致門流においては名と旧跡とに迷惑して其の貴ぶべき真義を知らず、今も尚身延山を貴しと言へば、印度の霊鷲山も今猶真の寂光土と言ふべきか墓無し墓無し笑ふ可し、況んや君等の尊崇する日朗師も・品類集の第五巻に波木井の謗法せし事を掲げて、身延山は謗地魔境となりたることを示せり、往いて見るべし、又吾門に平等大会一乗を嫌ふとは何の証拠を以て言ふや、誣妄するなかれ、又自派の外説教を止め初心の素人を自宗へ引き入れん為に法門に無利を立て、空論を以て御書に背くとは是れ亦頗る妄談なり、何の御書か吾門の正義に差閊るや撰んで之を示すべし、速に弁明せん、又御書中往々後人の為書之れ有る故に、御真書に照準し之が真偽を鑑定し、且選択することを古今自他派の学匠、共に熱心する処なり、巳に近年自り延山に於ても御書を訂正し、高祖遺文録を開版したるにあらずや、何ぞ御書に偽書なきと云ふや、又吾門において自派の外・説教止ること更になし、若し是れを疑はば何時なりとも君吾門の僧なり俗なり招待せよ・速に其の招きに応じ吾門の正義、一致門流の邪義等を委細に説明すべし、又君等幾百人なりとも吾が方へ来りても可なり、是又速に説教して聞かすべし陰に小言を言ふ勿れ、吾が門の法義においては、一言半句も無利(理)空談及び御書に乖戻する説ある可からず、若し之れ有りといへば其の科目を掲げ以て責難せよ、是れ亦速に弁明すべし。
又種熟脱の脱の字をぬけがらと訓ずる義は何れの、門流の立義ぞや、吾門においては種脱の脱をぬけがらとは訓ぜざるなり、委細は上の弁明中にあり熟読あれ。
来書勝劣派曰く、内二十八治病抄に云く乃至云云、予曰く是の如く本門と云ふは勝劣派に限るに非ず御題目の事なり、一部皆本門なれば是本迹一致なりと云云。
駁して云く、本門は勝劣に限らず・且法花経一部共に本門なれば本迹一致とは何の義ぞや、君は未だ本迹勝劣及び本迹一致の立義を知らざるか、一部共に本門と言はゞ何が故に本迹一致と言ふ可きや、又一部共に本門と言ふは頗る君の誤解なり、如何となれば宗祖の弘法は本門と雖ども法花経一部を本門と談じ給ふこと更になし、蓋し君は御義口伝下五十六丁此の品を本門と云ふ事云云の御文を誤解し斯の如く牽強附会の説を為すには非ざるか、果して然れば眼を開ひて該文の義を詳に拝見せよ、決して本迹二十八品を本門と判じ給ふには、あらざるべし、尤本迹勝劣の文証は上に掲げ置きたるを以て邪眼を拭ひて拝見あれ、又治病抄の法花経の本門を法花本門の行者に付けて云云の御文は御文の通り拝見すべし、決して法花経の本迹一致を本迹一致の行者に付けてとは之れ無きなり、其の他諸御書に本門の本尊・本門の題目・本門の戒旦・或は本門寿量品の肝心・南無妙○経との御書判は甚だ多しと雖とも・唯一つとして本迹一致の御本尊とも・本迹一致の題目とも・本迹一致の戒旦とも・本迹一致・肝心の南無妙○経ともあることなし、故に知るべし、本門を勝正とし、迹門を劣傍として本門寿量品の肝心の南無妙○経則三大秘法を信行するこそ、宗祖の御正義にして之を法花経本門の大法と言ふ・此の人を法花経本門の行者と言ふべし、何ぞ本迹一致流に本門の大法本門の行者あるべきや。
来書に曰く内七二十七丁、報恩抄の疑って云はく二十八品の中には何れか肝心、答て云く或は云く品々事に随つて肝心・乃至如是我聞と唱へさせ給ひしは妙法○経の五字は一部八巻二十八品の肝心にあらずやと云云、予曰く御書是の如くならば一派にして平等の宗なり乃至偏ならずやと云云。
駁して云く、上に示さる報恩抄の御文は、本門寿量品肝心の南無妙○経の依義判文にして本迹一致と判じ給ふにあらず、君若し此の御文を本迹一致の証拠とせば権実をも一致と言ふか、如何となれば次上に如是我聞の上の妙法○経の五字は即一部八巻の肝心亦復一切経の肝心と豈之を本迹一致の文証と言ふや省慮すべし。
来書に、又末法下種の題目宗にて余宗を教化せずして妙見を祈念せば謗法と云云、初心を迷はす其念巧なる事偏にあらずやと云云。
駁して云く、今末法に入っては諸仏・諸菩薩・諸天善神の御力の叶はせ給はさる時なる、故に宗祖大聖大慈悲を起し妙法の御本尊を顕し給ひて、之を末代の一切衆生の本尊と定め給ひ・他事を捨て一向に此の御本尊を信受すべしとは宗祖大聖の御教誨なり、一致門流においては此の御制戒を軽じて・宗祖教誨し給はざる妙見等の像を安置し之を信仰祈念するは、則宗祖の正義に乖背する大謗法の者と言ふべし。
内九十六丁、問て云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定む可きや、答へて云く法花経の題目を以て本尊とすべき也、乃至三十五丁、他事を捨て此の御本尊の御前にて、一向に後世をも祈らせ給ひ候へ。
外十二廿八丁、諸仏・諸菩薩・諸天善神等の御力及ばせ給はざらん時此の五字の大曼陀羅を身に帯し心に存せば・諸王は国を扶け万民は難を遁れ乃至後生の大火炎を脱るべし。
御講聞書四丁、今末法は南無妙○経の七字を弘めて利生得益有る可きなり、されば此の題目に余事を交へば僻事なるべし、此の妙法の大曼陀羅を身に持ち心に念じ口に唱へ奉る可き時なり。
外二十二十四丁、此の曼陀羅能く能く信じさせ給ふべし、南無妙○経は獅子吼の如し、いかなる病さはりをなすべきや、鬼子母神・十羅刹女・法花経の題目を持つものを守護すべしと見へたり、さいはいは愛染の如く、福は毘沙門の如くなるべし、乃至日蓮がたましいを・すみにそめながして、かきて候ぞ信じさせ給へ・仏の御意は法花経なり・日蓮がたましいは南無妙○経にすぎたるはなし、妙楽云く顕本遠寿を以て其の命と為すと釈し給ふ、経王御前には、わざわいも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ・何事か成就せざるべき。
巳上祖判斯の如く、明々と御教誨之れ有るに何故に宗祖大聖の金言を軽蔑して妙見等を信仰するや、豈に謗法にあらざるや、君之れをも猶吾門の立義を偏なりと言へば・宗祖大聖を誹謗する師敵対の大罪人なり・慎むべし々々、又吾門においては、諸宗より日蓮宗中の者にて・宗祖の正義に乖戻するものを大事として祈伏するは、則宗祖の金言を尊重し奉る故なり。
内三十一十三丁、獅子の中の虫の獅子をくらう・仏教をば外道はやぶりがたし、内道の内に事出来て仏道を失ふべし、仏の遺言なり、仏道の内には小乗をもって権大乗を失ひ・権大乗をもって実大乗を失ふべし、此れ等は又外道の如し、又小乗権大乗よりは実大乗法花経の人々が還って法花経を失はんが大事にて候べし。
内七六丁伝教大師責めて曰く雖讃法花経還死法花心等・此れ等を以て思ふに法花経をよみ讃歎する人々の中に無間地獄は多く有るなり。
巳上祖判、仰いで信じ伏して懺悔致すべし。
来書に、内三十三・波木井殿御書に云く乃至・予曰く宗祖は墓大切なりと仰せられ候御文所々多く之れ有るなりと云云。駁して曰く、御墓大切なること素より勿論なれども宗祖は深く謗法を悪み給ふ、又其の御墓の大切なるは御灰骨を納るが故なり、然るに上に弁明するが如く波木井の謗法により。吾か開山身延山御退去の砌り御灰骨は大石寺に移し奉り・今猶御宝蔵に安置あれば是れ又身延山は空墓なり何ぞ空墓を尊むや拙なし。
来書、御義口伝に云く、此の妙法蓮華経・乃至当今出家を本尊となすや如何と云云。
駁して云く、君は未だ種熟脱の次第・化導の始終を知らざるが故に発す処の僻案なり、種熟脱の起尽は化導の始終に由る、何ぞ相承に由つて種脱の起尽を区別せんや、何ぞ又種脱を混合して論ずべきや、浅識も亦甚しと言ふ可し。
内八二十丁、説ひ法は甚深と称すれども未だ種熟脱を論ぜず還つて灰断に同ず・化導の始終無き是れなり、譬ば王女為りと雖も畜種を懐妊すれば其の子尚旃陀羅より劣るが如し。来書、御義口伝上に云く、人とは釈尊なり法とは法花経なり云云、乃至唯我一人為救護と云云。
駁して云く、御文来書の説は一応にして再応は上にも示すが如く・御義口伝は宗祖御内証の御法門なるが故に・釈尊とは則ち宗祖大聖・法花経とは寿量品の肝心南無妙法蓮華経なりと心得らるべし、如何となれば釈迦仏は末法我れ等の主師親宗祖大聖なればなり。
内三十五三十四丁、日蓮は日本国の人人の父母ぞかし主君ぞかし明師ぞかし。
内二十六三十六丁、予は日本国の人人には上み一人自り下も万民に至るまで三の故有り、一には父母なり・二には師匠なり・三には主君の御使なり、乃至四十八丁法華経の第二巻には主師親の三大事を説き給へり・一経の肝心ぞかし、其の経文に云く今此三界皆是我有・其中衆生悉是吾子・而今此処多処患難・唯我一人能為救護等と云云、乃至五十二丁教主釈尊よりも大事なる行者の日蓮と云云。
御義口伝下・我亦為世父の下十六丁、経に云く一切衆生の異の苦を受くる悉く是れ如来一人の苦と云云、日蓮云く一切衆生の異の苦を受くる悉く是れ日蓮一人となるべし。
御義口伝上四十七丁、此の経とは題目の五字なり。
 巳上祖判、是れ則ち今末法の主師親は宗祖大聖なること明々たり、此の上尚釈迦仏も我等の主師親と主張せば父二人出来する人非人なり。熟慮すべし。
来書、勝劣は妙見宮を捨て鬼子母神を捨つる事、内三十八・撰法花経送り状、一仰を蒙り候・末法の行者息災延命の祈祷の事・別紙に一巻註して進せ候・毎日一遍欠如無く読誦せらる可く候、日蓮も信じ始め候日より毎日此れ等の勘文を誦し候ひて仏天に祈誓し候によりて・種々の大難に遭ふと雖も法花経の功力・釈尊の金言深重なる故今迄相違無く候なり乃至後生は申すに及ばず今生も息災延命なり云云・予が曰く是くの如く宗祖も仏と天子と御祈誓あり・諸天善神を捨つる文一句もなし、何ぞ勝劣派は妙見大菩薩を捨つるや、北辰星は万天子の内にあらざるか、提婆品に云く、三千大千世界を観るに乃至芥子計り如きも是れ菩薩の身命を捨つる処に非らざるは無しと。
駁して云く、捨つるの字義に広狭置廃の四義あり、之れ其科段に由つて捨つるの字義大に異なり、今君の所難は何れの科段上の事なるか、吾門において妙見鬼子母神等の別体を捨つると云ふは則ち法体段の法門なり、亦是れ宗祖の正義なり。
内九三十五丁、他事を捨て此の御本尊の御前にて一向に後世を祈らせ給へ。
内三十二二十二丁、南無妙法蓮華経と申すは法花経の中の肝心人中の神ひの如し、是れに物を並ぶれば后の並べて二りの王を・おとこと・乃至后の大臣巳下に内々とつぐが如し、わざはいの根本なり、正法像法に此法門を弘めぬは余経を失はじがためなり、今末法に入ぬれば余経も法花経も詮なし、但南無妙法蓮華経なるべし。
巳上祖判、夫れ法体段においては妙見鬼子母神は素より宗祖体外の諸仏諸菩薩等悉く捨つるは則宗祖の正義ならずや、此れ等の重は不相伝の僻見門流の夢にも知らざる法門なり・慎んで信ずべし上種脱の弁明中に文証多く掲げ、あれば●に畧す往いて見るべし又内三十八の御文中仏天に祈誓し奉ると之れ有るを、君自己に仏と天とに区別せしは如何・仏天とは仏の事を指させ給ひたる御詞なり、何ぞ宗祖諸天に祈誓し給ふべきや、法花経の行者は別段諸天に祈誓するに及ばず、本門の御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱ふれば諸天は前後に立ち副ひ守護し給ふこと顕然なり。
内三十五丁、日蓮案じて云く、法花経の二処三会の座にましましし日月等の諸天は法花経の行者出来せば磁石の鉄を吸ふがごとく月の水にうつるが如く須●に来つて行者に代り仏前の御誓ひをはたさせ給ふべし。
内二十三四十七丁其の上釈迦仏法花経を説き給ひしかば、多宝仏・十方の諸仏・菩薩集りて日と日と月と月と星と星と鏡と鏡とを並べたるが如くなりし時、無量の諸天●に天竺・漢土・日本国等の善神・聖人・集りたりし時、各々法花経の行者に・おろかなるまじき由の誓状まいらせよと・せめられしかば・一一に御誓状たてられしぞかし、さるにては日蓮が申すまでもなし、いそぎいそぎこそ誓状の宿願をとげさせ給ふべき。
内三四十六丁、我れ並に我か弟子諸難ありとも疑心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ、現世の安穏ならざることを歎かざれと、我か弟子に朝夕教えしかども疑をおこして皆すてけん、つたなき者のならいは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし、安楽行品に曰く、諸天昼夜・常為法故・而衛護之云云。
内八二十九丁、一念三千を識らざる者に仏大慈悲を起し妙法五字の袋の内に此の珠を裏み末代幼稚の頚に懸けしむ、四大菩薩此の人を守護すること太公周公の文王を摂扶し四晧が慧帝に侍奉するに異らざる者なり云云。
去り乍ら仮りに諸天にに祈誓すること・ありとするも何が故に数多の諸天善神の内より妙見鬼子母神を撰出し之れを信仰すべきや、但し宗祖の御慈誨に諸天の中より独り妙見鬼子母神を撰出して信仰せよとの文証あるや、吾門においては宗祖の御相伝を以て毎朝諸天に向ひ諸天一統へ守護の恩を報ずる為め本因妙の法味を供養し奉るなり、豈に却つて妙見る鬼子母神計り信仰するを偏執の者と言はざらんや。
来書に、勝劣派・観心本尊抄より立つると雖も各我慢を生じて或は八品或は一品二半乃至一致派は宗祖在世より当今に至る迄一派にして大海の如し、等しく是を平等大会の宗門と云ふなりと云云、此の義は上に駁したるを以て更に贅駁を用ひず、然れども君一致門流は大海の如しと言へるは、自然諸流海に入つて同一鹹味との祖訓を本迹一致と誤解して喋々するにはあらざるか、若し然れば大僻見なり、如何となれば権迹等の諸流・本門の大開会の海に入る時は権迹の名字は消えぬ失ぬべし、故に本迹一致と言ふべきにあらず、況んや開会の上においても権実本迹の勝劣は宛然なり。
外十一三十三丁、諸水海に入て同一鹹味・諸智如実智に入りて本の名字を失ふ。
同七丁、説ひ爾前の円を今の法花に開会し入るれども爾前の円は法花の円と一味なることなし、法花の体内に開会し入りぬれば体内の権と言はれて実といはれざるなり。
来書、内十六・兄弟抄に曰く、此の法花経は一切諸仏の眼目・教主釈尊の本師なり、一字一点も捨つる人あれば千万の父母を殺す罪にも過ぎ十方の仏の身より血を出す罪にも超えて候ける故に三五の塵点を経候けるなり、乃至、予曰く富士派の人釈尊を脱仏と捨たる罪は是にも倍せり高祖一言大切と云云、勝劣派の人偏きして種々の工夫付け御書を曲げて素人を引き入る過は及ばざるに劣ると云云。
駁して云く、一致門流においては上に示す捨の字の四義を知らざるが故に捨つといへば何も同じと思はるか、若し君の如く法門の科段を紊乱し所対を失ふて論ずる時は恐れ多くも宗祖大聖自言相違の罪ありと言ふか、吾か門にて釈迦仏を脱仏とて用ひざるは種脱相対の法体段の法門なり、是れ亦宗祖大聖の正義たること前に祖判を引証して示すが如し、又今兄弟抄の如きは修行段の法門なり、何ぞ法体段と修行段とを混合して論ずべきや。
内十十三丁、日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂る上行所伝の南無妙法蓮華経の五字なり。
内二二十五丁、いかんが広博の爾前迹門本門涅槃等の諸大乗経をば捨てて但涌出寿量の二品に付くべき。
巳上祖判を拝見せよ、若し法体段においても法花経を捨つるもの罪あり、地獄に堕落すると言はば宗祖大聖も肝要の題目の五字を好み広略の法花経本迹二門を捨て給ふを以て地獄に落ち給ふと言ふべきや、実に蒙昧も甚だし豈に深く慎まざらんや豈に重く恐れざらんや。
右は来書・一致勝劣論の弁駁大略斯の如し、所詮一致門流の法義の下・相伝の大僻見に由り宗祖大聖人の御正意に乖戻す、其の謗罪軽からざれば無間地獄は免るべからず、其の理由巳に弁駁中に示すが如し、請ふ早く我慢の幢を倒し己義偏執の甲を脱して吾か正法の門に降り身を地に抛つて法主に仕へ本門三大秘法を受持し懺悔滅罪を祈念して無間の永苦を助かるべし、人世永きも百年を過ぎず、偶ま法華実大乗の門に入りながら徒らに邪見僻案を熾盛し阿鼻の炎にむせぶなかれ。
 来書中の一句。
  行き過ぎて提婆の穴を踏みかぶり。
今之れを返して。
 仏道の盲ら提婆の穴におつ。
追つて、郵書中に、内廿巻南条抄に釈尊を主師親と云ふ事あり、是れは佐渡前の御書と嫌ふやと云云(取意)。
駁して云く、佐前佐後の区域は強いて年限を以て分別すべきものにあらず、宜しく法門の義類を以って分別すべし、故に佐前の御書といへども宗祖正意の御法門を其の御文中に含ませ給ひたる御書は佐後の御法門の義を以て拝見すべし又佐後といへども宗祖傍意の御法門は佐前の御書に摂すべし、例せば釈迦仏・阿含経より巳後に華厳経を説き法華経より巳後に方等般若を説き給へども・其の義類を以て各部に摂入するが如し。
内十七丁、或は阿含経より巳後に華厳経を説き法華経より巳後に方等般若を説く皆義類を以って之れを収めて一処に置く可し。
右弁明する理由に依り佐前の御書といへども釈迦仏の主師親の三徳を備へ給へる事誰か異存あるべきや、況んや佐後の御書にも其文義あり、去り乍ら経々の所対によるものなり、若し其の所対を知らずして御書を拝読する時は尊極無上の聖書の義理一つも了解するを得べからず、剰へ恐れ多くも宗祖大聖に自語相違の罪を負はせ奉つるに至るべき事は、巳に本文の弁駁中に委く述ぶるが如くなり、尚開眼抄の五重相対・四重の興廃・観心本尊抄の五重三段等の御法門を研究し其の迷乱を正すべし、権迹相対の重には迹門の釈尊を以て権経他方の仏菩薩及び爾前四経の教主を破し給ふ、本迹相対の重には本門の釈尊を以て迹門●に権経の教主等を破し給ふ、種脱相対の重には下種益の仏を以て脱益の仏を破し給ふ、是れ則ち宗祖大聖の御立義なり、何ぞ其の所対を見て浅深勝劣を判ぜざらんや、愚なるべし愚なるべし。
内二十七二十六丁、天竺国をば月支国と申すは仏の出現し給ふべき名なり。扶桑国をば日本国と申す豈に聖人出で給はざらなや、月は西より東に向へり月支の仏法の東へ移るべき相なり、日は東より西へ入る、日本国の仏法の月支へ還るべき瑞相なり、月は光り明ならず在世は但八箇年なり、日は光り明かにして月に勝れたり、後五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法花教学誹謗の者をば治し給はず在世には無かりし故に、末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益是れなり、各我弟子等はげませ給へと、是れ則ち種脱相対の御法門なり、何ぞ日出でて後尚月の光りを憑むべきや余の文証は巳に本文弁駁中に掲げあるを持つ手●に畧す。
郵書中に云く、御本尊御真筆たりとも利益なしと、公債証書の譲りならば反古同然抔と有漏の宝と無漏の宝と一所に言ふや、代言人の曲言なる様な事申す人・大無理々々々馬鹿々々しくて相手にならぬ人なりと云云。
駁して云く、君は如何なれば事を斯く迄に誣妄するぞや、遷夜・南氏の宅にて面会の際・予が君へ説論したるは吾か門派に帰入せざる者は宗祖大聖の御遺戒に乖背する謗法者たり、故にかれい仮令宗祖の御真筆の御本尊を信仰するも其の謗法者の為には御利益なし、又宗祖御滅後の日本乃至一閻浮提中の一切衆生へ御授与の惣体の御本尊は則ち大石寺に安置し奉る本門戒壇の大御本尊なり、其の御在世の信者各々へ授与し給ひたる御本尊は一機別体の御本尊なり、故に若し御真筆の御本尊を信仰する者は吾か門に帰入して御本尊の感得願ひもなし都べて吾か門の化儀化法を遵守すべし、然らざれば其の所信の御本尊は無上尊貴の法宝なるも信ずる人・謗法者たる故・御利益更に有るべからず、譬へば他人記名の公債証書を所持するも公債証書の規則を確守せず、尚自分の名義に切り換えざれば其の公債証書は世間に貴き宝といへども、所持人の為には何の利益もなきが如しと述べたるなり、何ぞ之れに異議あらんや。
内十六二十三丁天台大師梵網経の疏に云く謗は是れ乖背の名なり。
外八三十九丁、此の経を持ち申して後退転無く十如是自我偈を読み奉り題目を唱へ申し候なり、但し聖人の唱えさせ給ふ題                         目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣有るべからず候、其の故は愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も愚者の燃せる火も其の差別無きなり、但此の経文に背きて唱えば其の差別有る可きなり、此の経の修行に重々のしなあり乃至此の十四誹謗は在家出家恐る可し。
 内廿五(十八丁)、謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべし・はかなしはかなし、何に法花経を信じ給ふとも謗法あらば必す地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し。
 巳上祖判、宗祖の正義に乖背するは則謗法にして其の謗法者何程御本尊を信仰するも御利益なく却つて無間地獄の底に堕すること文義において判然たり、豈に開悟せざらんや、又無漏の宝を以て有漏の宝に譬へたるとて何ぞ之れを曲言と言ふや、譬には分喩あり君の如きは宗祖の題目毒鼓の譬をもしテ無上の良薬の題目を無上の毒薬に譬へ給ふは非曲の言と難ずべきや笑ふ可し。
 内廿六(二丁)、又謗法の者に向ひ一向に法花経を説く可し毒鼓の縁を成ぜんが為なり。
 郵書中に云く、開目抄下(四十二丁)曰く、善に付け悪に付け法花経を捨つるは地獄の業なるべし、(乃至)私に言く勝劣に付いて後生を期せよ、(乃至)智者に我か義やぶれずば用ひじとなり、此の道理なり、釈尊を捨つれば八巻の内何千字捨つるや其の罪兄弟抄の如し、両人の義理にて勝劣になり、仏祖始め妙見宮に背く罪何なるぞと云云。
 駁して云く、本文において捨の文義分明に弁駁し畢れば君の我義巳に破れり、早く吾か門に付従し後生を期すべし、君は一向妙見宮に執著す妙見は之れ枝葉なり釈迦仏は体なり其の体なる釈迦仏巳に末法に利益なく且つ本尊とすべからざること祖判を引証し以て本文に弁明する如し、況んや其の枝葉の妙見等においてをや、君強して妙見等に執著せば所謂枝葉に●附する黒暗の人なり三悪道を免るべからず。
 外十一(二十八丁)、天台大師の止観五に云く、設ひ世を厭ふ者下劣の乗を●び枝葉に●附し狗の作務に狎れ●猴を敬つて帝釈と為し瓦礫を崇んで是れ明珠とす、此れ黒暗の人豈に道を論ず可けんやと釈し給へり、(乃至)至黒闇と云ふは三悪道の異名なり以上追駁是くの如し、君妄執の眠りを覚まし一致門流の邪義を曉れば片時も速に吾か門に帰入せよ、若し罪業深重にして未た邪見の夢を覚まさず、尚一致門流の誑惑を主張し吾か門に敵対せんと欲せば、巳前の如く七十日間に遷延せず十日間内に此の弁駁の廉々逐一に祖書を引証し以て弁解すべし、若し之れを為さざる時は君の堕負たる事判然なり、然れば即ち君入念の稲妻と改名の義は置き従来自唱の虎林の名義を取り上げ、更に阿鼻の海・堕右衛門と謗名を附与すべし阿々。
 附して謝す文中或は失敬の言無きに非れども勢止むを得ざるに出づれば●く寛恕あらんことを希望す、尚又本文謄記者の筆誤に由り塗殺挿記等之れ有り其の錯乱を正さん為め不敬をも顧みず其の廉々検印を加へたり、幸に咎むるなかれ、頓首。
日蓮宗正統大本山大石寺信徒
明治十八年六月廿三日
荒木英一印
一致門派大講頭
畠山弥兵衛大君
呈机下
第四号 畠山氏が活版摺の冊子に記する再詰書。
冨士門派の曰く、吾か門に於て朗師譲状に不信の義は二種の理由ある故なり、如何となれば与へて之れを論ずれば該相承状は総付の御相承にして吾か開山日興上人への別付血脈の御相承には劣れるを以て、其の勝正の別付を信ずれば其の劣傍の総付は信受せざるも妨なかるべし、所謂る勝は劣を兼ねるものなればなり、是れ其の一種を尋ねて今其の総付なる所以を述べん、朗師の相承状に譲り与る南無妙法蓮華経とは則ち宗祖の弟子檀那となれば一人も残らず此の授与は受くべし、(乃至)今又奪つて是れを論ずれば該相承は偽なること判然たり、但し来状に云云せらるる寿量品の文に由つて之れを偽書と云ふにはあらず、如何となれば仮令ひ爾前の経々の文を引き載せて寿量品に云くとも宗祖御書判せさせ玉ふとも、是れは之れ宗祖の見解に由つて立て玉ふ所謂る依義判文の御立義なる故敢て非難すべき者にあらず、何ぞ労はしく弁解に及ばんや、今我か門より該相承状も偽書と云ふは君の推測する如き浅義に非ず、請ふらくば聞け之れを述べん、夫れ南無妙法蓮華経の御譲与は最初得道の日・授戒の際・受持す可きものになるに、何が故に朗師に限り弘安五年十月迄題目御譲与なかりしや其の理決して有る事なし、亦末法相応一閻浮提第一の釈迦仏一体と云云、立像の釈迦仏は頭陀の応身にして尚権大乗並に涅槃経法華経迹門の釈迦仏に及ばず、況しや本門の釈迦仏においてをや、而るに之れをして末法相応一閻浮提第一の本尊ト宗祖の曰ふべき理由あるべからず、御遷化記録に云く立像の釈迦仏は日蓮が墓の側に立て置くべしと云云、身延山日朝の作・化導記にも此の事を載せたり、(巳上)掲ぐる祖判並に御遷化記録等を拝見すべし、該相承状は偽所なる事理に於いて明白ならずや、若し尚之れを真書と言はば宗祖自語相違と言ふべきか、将た又勧心本尊抄問答抄其の他に三大秘法を説き置かせ玉ひたる緒の御書判等を挙げて偽書と言ふべきや如何豈に省慮せざらんや、該相承状の偽書たる証拠尚百二三之れ有りといへども繁き故に略すと云ふ。
予詰つて曰く、君自語相違と云ふ理知らずと見へたり、自語相違と云ふことは自ら云ふことの違ふ事を云ふなり、朗師御譲状は宗祖御真筆なり、君の答へに御遷化記録と云ひ又は日朝師作化導記と云ふ何れも末書にして宗祖の御書にあらず何ぞ自語相違と云ふや、亦釈尊を供養し奉つる事、内廿八釈迦仏供養抄を見るべし、釈尊一体造立の人は十方世界の諸仏を作り奉る人なりと云云、祖師に背いて汝等付くや兼て約定之れ有るに空論と末書と書写本と不用の極め、君兎角空論と末書を以て答へに及ぶ、叶はざる時は返答なく蔭にて勝つたと云ふは勝劣派のくせ、冨士派返答書に曰く宗祖所弘の大法を本迹一致の題目と思へる大僻見の至りなりと云云、答ふ、御義口伝に曰く、法華経に皈命し奉つる皈とは迹門不変真如の理に皈するなり、命とは本文堕縁真如の智に皈するなり、帰命とは南無妙法蓮華経是れなりと云云、証文是の如し、冨士の日興師の御相承は弘安五年九月にして先判なり、朗師の御相承は弘安五年十月にして後判なり、例せば神力品の別付属と総付属の如し。
巳上掲ぐる祖判を拝見すべし総付なること明白ならむと云云。
予答へて曰く、君何を言ひ玉ふや先判に心を偏して募る事至つて迷闇之なり、所以は何ん無量義経は先判なり法花経は後判なり、此の文如何癖派は勝手に曲ぐると云ふは是れなり、神力品の別付属は先判勝なり無量義経の時は先判劣なり、何ぞ別付属総付属の如し杯と先判を募るや大笑ひ大笑ひ、朗師の御授戒与に叶はざる故に種々に巧みなり長命すれば珍事を聞くかな。
日朗師御譲状に、一譲り与る南無妙法蓮華経と有る故に偽書と云ふか、是れは癖者持前にして尤も冨士は穴の名物なり、風穴・人穴・螺穴・之れ有り、此の穴は頂上御鉢廻りの大穴なり、所以は何ん、汝の派興師の御譲状に心附かざるや是れ同意なり故に穴と言ふなり、其の穴左に示さん拝見し奉る可し、日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之れを付属すと云云、此の法は何ぞや南無阿弥陀仏か・おんあぼきや・べいろか、但し南無妙法蓮華経ならば是れも偽書と云ふか、所以は何ん興師も得道の際に受戒の日に之れ有る事何ぞ弘安五年迄題目御譲与なかりしや、勝負有り、爰返答あれ正に聞かん如何々々、此の返答之れ無き時は汝堕負観念せよ、安楽行品に曰く、造世俗文筆逆路伽耶陀者と云云、君と同意は一向宗なり寧ろ一向宗に改宗しては如何、釈尊を捨て玉ふ故に名を一つ進し、門徒の偏松が七つ八つから吾山へ吾か山へ一年参れど利益まだ見へん々々々々々同じ名の附つ偏松が今度の返答千年万年待つたとて何の便りがあろぞいな、大笑ひ々々々、問答中戯言御免。
明治十八年六月廿五日
一致門流
畠山弥兵衛
冨士派
牧野大先生
荒木大講頭 閣下
偏松の曰く、吾か門は大聖人血脈二代なり、之れに依つて御本尊は吾山の御写しを受くべし、若し然らずんば設ひ宗祖の御筆為りと雖も吾山の御授与書之れ無き時は偽筆同然にして利益無し、譬へば公債証書の譲主無くんば通用せざるが如きなりと云云。
答へて曰く、大笑ひ々々、然らば現証を以て演べん、夫れ勅願所西京一道院、人皇百十二代霊元天皇正徳二年辰十二月御重病の砌り六世日法参内の上御祈祷御加持申し上げ奉つる段仰せ渡さる、玉体に近づき御記念申し上げ奉る処、速に御平愈遊ばせられ御感悦の余り勅願所と相成り永代御祠堂金並に菊御紋幕提灯絵符緋紋白袈娑錦御衣天井輿雲形御乗物御刺貫御木履御杖等に至る迄頂載の上相用ひ来り候処、明治一新の際都べて菊御紋用ひ候義相成らざる御布告と相成り、然るに去る十七年一月古来下し賜はる処の品々菊御紋章等相用ひ候段苦からざる御指令を蒙り誠に宗門の幸福広宣流布の礎なり。
明治十八年六月廿五日
畠山弥兵衛
荒木大君
牧野大君 机下
外十五(三十六丁)四菩薩造立抄に曰く、御状に曰く太田方の人々一向に迹門に得道有る可からずと申され候、本迹両門の浅深勝劣与奪傍正は時と機によるべし、乃至、像法一千年は法華経の迹門等なり、末法の初には一向に本門なり、一向本門の時なればとて迹門を捨つべからず、法華経一部に於て前十四品を捨つべき経文之無し、乃至、今の時は正には本門傍には迹門なり、迹門無得道と云つて迹門を捨て一向本門に心を入れさせ給ふ人々は未だ日蓮が本意の法門を習はせ給はざる事にこそ以つての外の僻見なりと云云、蓋し一向本門とは正行に約するなり、傍には迹門とは助行に約するなり、正行の法体は唯本門に在り助行には本正迹傍なり等云云、先哲の云く盲人象の全体を知らずと大笑ひ々々。
日向記御書に曰く、現世安穏後生善処の事、仰せに云く所詮此妙法蓮華経を聴聞し奉るを現世安穏ととも後生善処とも云へり、既に上に是の法を聞き巳つてと説けり、聞は名字即の凡夫なり、妙法を聞き奉る所にて即身成仏と聞くなり、若有能持の事即仏身とは是れなり、聞故に持ち奉る持ち奉る故に三類の強敵来る、来るを以て現世安穏の記文顕れたり、法華の行者成る事疑ひ無きなり法華の行者かかる大難に値ふべしと見へたり、大難に値ふを以て知んぬ後生成仏は決定せりと云云。
外廿五・成仏用心抄に云く、法華経の敵を見乍ら置いて責めずんば師檀共に無間地獄は疑ひ無かる可し、南岳大師の云く諸の悪人と倶に地獄に堕つと云云、謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如く成る可し墓無し々々々、何に法華経を信じ給ふとも謗法有らば必す地獄に堕つべし、漆千杯に蟹の足一つ入れたる如く成るべしと云云。
内十四・乙御前御書に云く、日蓮が自譛なりと心得ぬ人は申すなり、さにあらず是れを言はずば法華経の行者に非ず、亦云ふ事後にあえばこそ人も信ずれ、かう唯書き置きなばこそ未来の人は智有りとはしり候はんずれ、身軽法重死身弘法と申して候は身は軽ければ人打ちはり悪むとも、法重ければ必す弘まるべし、法華経弘まるならば屍返つて重かるべし、屍重く成るならば此の利生有るべし、利生あるならば今の八幡大菩薩と云はるるやうにいはふべしと云云、故に吾本宗に於て此の御書貴きなり、君偏宗の異流立大聖人兼知未萠の御書と云ふをば反古と為るか。
一、宗祖大菩薩吾滅後に至り偽書作る人夥き故に目録結集の六老僧連判を為す此の目録以て偽書なり、所以は何ん御一周忌に内を集むと云ひ御三廻忌に外を集むと云ふ合せて六十五巻なり、然りと●も録内廿九巻良実抄は頂聖の御書年記同からざるは正応五年にして結集に後るる十有一年何ぞ此宗中に在らんや、但し内は正・外は未た審かならず、然りと●も真書有る故に能く御文面を思惟して用ふべし、但し目録の外に漏れたる御書有る故に結集に偏無き事、或は御義口伝有り日向記有り十一通有り多受用有り肝要集有り本満寺本有り三宝本有り、何ぞ御教化の御文載せざる唯一通も無し、書毎に読むは書無きに如かず取捨宜きに随ふ可し。
抑も吾祖大菩薩根元松葉ケ谷の御草庵道場と成り給ふ今の本国寺是れなり、二代師孝第一日朗菩薩御譲状及び三箇の御霊宝等証拠品を添ふ今に於て判然たり、亦由井ケ浜に於て御片腕折られ給へり、而も土牢の御難有り是れ経文と日向記に符号す、日像菩薩は華洛弘通の大導師の御仰を蒙むり種々の大難に遇ひ給へり、而るに御醍醐帝より建武九年御綸旨を賜はり妙顕寺勅願所と為る、二代目妙実聖人・人皇九十九代後光厳皇帝より延文三年論旨を賜ひ四海唱導師と号す、亦文和元年六月廿五日祈雨仰せ付けられ御願速に成就す、皇帝御感の余り宗祖に大菩薩号・朗像二尊に菩薩号を賜はり自ら大僧正と号するなり、久遠成院日親大聖人・足利六代義教公の為に大難八箇度に値ひ給ふ、而るに卅六箇寺建立す、近くは小湊山謗師七箇年山籠して自ら身命を惜まず御弘通遊ばさる、明治六年八十日間入牢後・長州馬関筑前黒崎新規二箇寺建立、粗大難の名師是れの如し、中興行学院日朝大聖人身延山伽藍十三堂棟百廿坊建立、坪審師説教十万座改宗九万余人、其の他重乾遠●亭荷元政師清正公等の大徳繁きが故に止む。
近きは妙伝寺教師念願有つて福寺に住せず好んで貧寺に住職すること十有六箇寺に至る、亦西京本山二箇寺御住職普請等造営の上・祠堂金銭を置きて後住に譲り退職す、説教一万余座に及び改宗の人無量なり、日蓮宗の名師等是の如し穴賢々々、依て君寿量の一品何ぞ一部の大意知る可んや、先哲曰く愚は益愚なり愚者の言は愚者が悦ぶ、一寸一句。
  親捨て他国に迷ふ窮子かな。
日蓮宗惣本山身延山久遠寺宗祖九箇年御住居遊ばせられ御魂を止め置き給ふ御墓なれば尤大切に参詣す可き処に、剰へ謗法山杯と悪口し不知恩の者獅子身中の虫とは偏松が事よ、噫之れを謗る尚仏に供するに勝る況しや復た信じて之しを唱ふるをや有智者眼を閉ぢて之れを案ぜよ敵有つて忠顕はる偏松こそ善知識よ、宗祖の金言名は体を顕すと云云、書上に云く日蓮宗興門派とは枝なり枝を以て幹豈に倒れざらんや、御書に曰く同体異心とは是れなり、噫隣む可し罪障消滅南無妙法蓮華経。
今般冨士大石寺え元日の丸の宝剣と号するを納め奉る主・北区若松町前川仁三郎殿、興門派の立て方不道理成るを糺明し本月六日本伝寺へ改宗す。
日蓮宗惣本山身延山
 西京大本山本国寺末本伝寺檀中
高麗橋四丁目十一番地
畠山弥兵衛
明治二十年九月
興門派蓮華寺大講頭
 荒木英一大君
 牧野伊兵衛大君
 閣下
妙法蓮華教如来神力品に云く南無釈迦牟尼仏々々と云云、是くの如き人法一体の釈尊何ぞ捨て奉らんや、夫れ以しみれば興門派末学堅樹作明和八年聖語綴輯と号する(上下二巻)書は日蓮本宗の初信を打つ邪書なり、故に徳川政府に於て御糺明の上文化年中に絶版申され候なり然る処今般●ら回答を案ずるに該書の文意を以て為すと見えたり、○えらそうに鳥無き里の一寸一句。
●蝠がちよと身延ゑとんできて鷲にはちかれ肝つぶしけり。

第五号荒木氏の説明書。
諺に云く、耳を掩うて鈴を盗むとは蓋し畠山弥兵衛氏のことなるか、氏は予が去る明治十八年六月廿三日付を以て投書したる弁駁書に対し、殆んど三箇年間の久きを経るも之れが答弁を為さざりしに、突然本年九月付にて一致勝劣論と題せる冊子を出版し虚誕を述べ以て予輩の名誉を傷け諸人を眩惑せんと欲す、其の所為恰も前談の如し、然るに該冊子中回答来反覆再結書巳下を閲するに予が弁駁書に対しては一つも正当の答弁をなし得ず、止た執拗に前言を主張し其の引証する祖書の如きも巳に予が弁駁を加へたる余燼に過ぎず、偶ま余文を引証する事論外に渉り徒らに虚勢を示さんと欲するものなれば、更に一言を贅せざるも少しく祖書を通読する人は一目にして畠山氏の堕負一致門流の邪義たる事を見認むべし、故に予は此の上之れが再駁の労を取らざる事に決せしかども、牧野講頭に於て若し万一初心の輩誤つて彼れが邪説を信ずるあらんことを憂慮し強いて一言の駁撃を命ず、是に於て予止むことを得ず敢て単簡の説明を付記す啻々婆心のみ。
畠山氏所言の要旨は左の如し。
第一、予が自語相違と云ふ理を知らず、其の証は御遷化記録は末書にして宗祖の真筆にあらざるとの事。
 (説明)予が弁駁書中に宗祖自語相違と云ふかと云ひしは、朗師の譲状と勧心本尊抄及び本尊問答抄とを対照したるものにして御遷化記録に対照したるにあらず、故に其の次下に将た又勧心本尊抄本尊問答抄其の他三大秘法を説き置かせ玉ひたる諸の御書判を挙げ偽書と云ふべきや如何と結記せり、畠山氏は之れを如何に会通せしや文盲も亦驚くべし。
第二、釈尊を供養し奉る事は内廿八釈迦仏供養抄に由るとの事。
 (説明)宗祖が釈迦仏供養の事を勧告し其の功徳を讃歎し玉ひたるは一機一縁の為にして、是れは爾前経の仏に対し玉ひたる宗祖の傍意随他意の法門なり、決して宗祖弘教の正意随自意の法門にあらず、故に祖書内九本尊問答抄に末代悪世の凡夫は何物を以て本尊を定むべきや、答て云く法華経の題目を以て本尊とすべきなり、乃至、此れは法華経の教主を本尊とす法華経の行者の正意にはあらずと御金言遊ばされたり、何ぞ傍意の法門に固著して宗祖の正意に違背するや其の謗罪軽からず、尚明細は弁駁書中に記せしを以て●に畧す、畠山氏の如く宗祖の正意傍意随自意随他意(乃至)法門を簡別せず、無闇に宗祖の御書を信ずるときは釈迦仏の自意他意の法門も簡別せず阿弥陀を信ずるも釈尊の金言と云ふべきならん、笑ふ可し々々々々。
第三、予は●角空論と末書を以て答に及ぶとの事。
 (説明)予が弁駁書中何れの廉に空論ありや一として祖書を引証せざるはなし、畠山氏は老眼にして弁駁書中に引証せる多数の祖書を見得ざるか将た又眼に見ても之を読み得ざるか、宗祖曰ふ事あり生盲は力及ばずと不便々々、又畠山氏が末書と言ふは弁駁書中に御遷化記録を引用したるを指すならんか、果して然れば其の所論の証明は巳に内八勧心本尊抄内九本尊問答抄等を以てし尚余分に御遷化記録を引用せり、何ぞ末書のみ引証したりと言ふべきや。
第四、本迹一致の題目と云ふ証拠は御義口伝に云く法華経に皈とは迹門不変真如の理に皈するなり命とは本文随縁真如の智に皈するなり帰命とは南無妙法蓮華経是なりの文との事。
 (説明)此の文は巳に一致勝劣論中に引証せし故、弁駁書中に本迹一致の文証にあらざることを弁明し、且つ宗祖所弘の題目は本迹一致の題目にあらず本門寿量品の肝心の南無妙法蓮華経なる事祖書を掲げて証明せり、然るに予が掲げたる祖書の弁駁は一つも為さず、止だ強情に前記を主張するは所謂非学者論に負けざる謂ひなるべし何ぞ宗祖に二言あらんや、畠山氏の如きは教相の本迹勝劣さへも弁へざるものなれば況んや不変随縁一念寂照本迹の理を弁へ得べき筈なかるべし、祖書内三開目抄に云く、当世の学者等勝劣を弁ふべしや黒白のごとくあきらかに須弥芥子のごとくなる勝劣猶まどへり、況んや虚空の如くなる理に迷はざるべしや、教の浅深をしらざれば理の浅深弁ふる者なしと云云。
第五、予が興師朗師の御相承先判後判に付いて神力品の別付属と嘱累品の惣付属の例を示したるに先判勝るるなれば無量義経は先判法華経は後判なれば如何の事。
 (説明)予が先判後判を論ずるは相承上の事なり、故に神力嘱累を例証せり何ぞ経理の先判後判を引例するや、去り乍ら良しや経理の上に於けるも敢て後判勝るるにあらず、同理の経は先判勝にして後判劣なり其の証法華経と涅槃経との勝劣の如し、畠山氏が其の本証の弁明を為し得ずして啻に例証のみに啄を容るるは笑止千万の事なるべし。
第六、朗師譲り状に譲り与る南無妙法蓮華経と有る故・偽書と云ふか、乃至、一期弘法抄の日蓮一期の弘法の法の字は何ぞや、乃至、之れも南無妙法蓮華経なれば偽書と云ふか、興師も得道の際に受戒の日に之れ有る事何ぞ弘安五年迄題目御授与なかりしや勝負有り、爰返答あれ正に聞かん如何々々との事。
 (説明)予が朗師の譲状を偽書なりと判定せしは啻に譲り与る南無妙法蓮華経と之れ有る廉のみに依つて偽書と云ふに非る事は弁駁中に顕然たり、然るに一期弘法抄の法の字に附会し興師も弘安五年迄題目御授与なかりしやとは愚論も最も甚し、如何となれば譲与の妙法は所信の法体なり、弘法の付属は大導師の大権なり、故に本門弘通の大導師為る可しと之れ有り何ぞ之れを同義と云ふべきや、況しや譲状を偽書と判定するには尚立像の釈迦仏の件をも弁駁せしに其の弁明は毫も為し得ず止だ譲与妙法の一文を以つて得たり賢しとし勝負ここにあり杯事々しく募らるる口を縫ふも笑はざるを得ざるなり。
第七、一致門流利益の現証として西京一道院第六世日法上人が参内の上御病気御祈念申し上げ(乃至)今に菊御紋相用ひ方差許され之れ有りとの事。
 (説明)勅願所において御病気の平愈を祈念し其の賞として菊の御紋相用ひ方差許され之れ有る所は権宗に於ても数箇所あり、何ぞ之れを以て敢て妙法の利益を証せんや、宗祖の正意御利益の所詮は即身成仏に限れるなり、然るに一致門流には成仏の道なきを以て些々たる病気の祈祷や祈雨の事等を無上の栄誉最極の利益と思ひ、物々敷く謂ひ立つるは却つて宗門の耻辱たるべし、如何となれば身の病は医師の能く治す処、祈雨は能因と云へる破戒の法師・和泉式部と云へる色好の女・其角と云へる騒人等すら倭歌を詠じ発句をを口ずさみても雨を降らせり、何ぞ是れ等を以て妙法の利益とし跨耀するに足るべけんや、祖書内廿八治病抄に曰く、夫れ人に二の病あり一には身の病(乃至)四百四病なり、設ひ仏在まさずとも之れを治す、所謂る持水流水耆婆扁鵲等が方薬此れを治すに癒へずと言ふ事なし云云、内卅九に云く、日蓮は少きより今生の祈なし只仏にならんと思ふ計りなりと、云云。
第八、外十五四菩薩造立抄を掲げて、蓋し一向本門とは正行に約するなり傍には迹門とは助行に約するなり、正行の法躰は唯本門に在り助行には本正迹傍なり等と云云、先哲云く盲人象の全体を知らずと云ふ大笑々々との事。
 (説明)此の御書は巳に弁駁中年迹勝劣の証に予が掲げたるに、今亦同文を掲げ僅に蓋し巳下の言を副へしは抑も如何なる目的ぞや其の意解し難し、然れども畠山氏自ら助行には本正迹傍と明言す、豈に本迹勝劣自得ならずや大笑ひとは己れを笑ふか。
第九、日向記並に外廿五成仏用心抄を掲げたり。
 (説明)此の両通の御書は何の為に掲げたるや、況んや成仏用心抄は予が弁駁書中何程御真筆の御本尊を信ずるも謗法有る者は必す堕獄すべしとの文証に掲げたるを、今亦爰に掲げるは自己の謗罪懺悔の為か将た又畠山氏は老耄せしか。
第十、内十四乙御前抄を掲げ今の八幡大菩薩と云はるるやうにいはうべしとの御書を一致門流にては貴む故に日蓮大菩薩と唱え奉るとの事、又興門派は異流を立てて大聖人と云ふ、兼知未萠の御書を反古と為すかとの事。
 (説明)乙御前抄を掲げて宗祖の菩薩号を喋々するは肥後の日導が作せし祖書網要の附会説を信ずると見へたり、然るに乙御前抄には今の八幡大菩薩といはは(祝)るるやうにいはうべしと之れ有るを、畠山氏は云はるるやうにいはうべしと書き換へたり、聖書を偽る大罪人なり恐る可し、又該祖書をして宗祖御滅後大菩薩号の勅許あるべき讖文なりと解得するは頗る僻見の至りなり、如何となれば該御文意は今の八幡大菩薩が日本国中の氏神と斎祀せらるるやう日本国中の人民が宗祖を斎祀し祝ふべしとの事なり、何ぞ之れを菩薩勅許の讖文と云ふや、夫れ菩薩とは正しく菩提薩●と云ふべきを略して菩薩と云ふ、其の菩薩とは訳すれば仏道と云ふ事薩●とは訳すれば衆生と云ふ事(此の位の事は飜訳名義集を見ても知るべし)にして則ち菩薩とは仏道の衆生と云ふ事なれば左のみ尊貴の号にあらず、然るに宗祖は元より自受用報身如来にして則ち仏にて在しながら下劣の菩薩号を希望し玉ふ理あらんや、苟も宗祖所弘の妙法を信受するものは菩薩を以て眷属とす、況んや宗祖所弘の妙法は菩薩如きの思慮し得べき者にあらざるに於てをや、今其の証拠を示すべし、祖書内卅八立正観抄に云く本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず何に況んや菩薩凡夫をや(文内)八観心本尊抄に云く、諸大菩薩を以て眷属と為す、(文、)又云く一念三千を識らざる者に仏大慈悲を起し妙法五字の袋の内に此の珠を裏み末代幼稚の頚に懸けしむ、四大菩薩此の人を守護する太公周公の文王を摂扶し四皓が慧帝に侍奉するに異ざる者なり(文、)之れに由つて之を観るに我れ等が為の主師親末法下種の人の御本尊たる宗祖大聖が如何して我等の眷属となり又臣下の如く守護し玉ふ道理あらんや、畠山氏の如く該御書を強攣附会して解釈せば宗祖を供養する者は畠山武内弥兵衛若宮なんど崇めらるると言ふ可きや、宗祖曰く明者は其の理を貴み暗者は其の文を守ると、畠山氏の如きは克く其の文を守れるものか笑止々々、又吾か門に於て宗祖を大聖人と唱え奉るは素より宗祖の御本意にして聖人とは則ち仏の別号なり、然るに宗祖は久遠元初の本仏たるを以て殊に大聖人と尊崇し奉つるなり、今証拠を示すべし。
祖書内二十八に云く、日蓮は一閻浮提第一の聖人なり(文、)外九に云く、代末に成つて仏法強にみだれ大聖人世に出づべしと見えて候(文、)内五に云く、提婆達多は釈尊の御身に血をいだししかども臨終の時には南無と唱へたりき、仏とだに申したりしかば地獄に堕つべからざりしを業深くして但南無とのみ唱へて仏とは云はず、今日本国の高僧らも南無日蓮聖人と唱へんとすとも南無と計りにてあらんずらん、ふびんふびん、外典に云く末萠を知るを聖人と云ひ内典に云く三世を知るを聖人と云ふ(文)、内二に云く仏世尊は実語の人なる故に聖人大人と号す(文)。
以上祖書、誰か之れに異義せんや何ぞ之れを異流と云ふや、一致門流は不相伝の悲しさ斯くの如き深義を知らず、恐れ多くも本仏たる宗祖を菩薩に下し却つて三惑未断の凡僧たる日親日朝等を大聖人と尊崇するは、冠沓其の位置を代ゆる愚蒙と謂つべし。
第十一、内外の御書にも偽書あれば取捨宜きに随ふ可しとの事。
 (説明)此の義然り、故に朗師の譲状は観心本尊抄本尊問答抄等の確実なる祖書に反背するを以て、予が偽書と判定せしは至当の解釈と謂ふべきならん。
第十二、日像及び日教等が不惜身命に弘通して数十箇寺を建立し数万の人を教化したるとの事。
 (説明)身命を惜まず弘法伝道に熱心すべきは惣て宗教家本分の義務と云ふべきのみ、去り乍ら仮令何程の法難にかかり何程の寺を建立し何程の人を教化せしとて、所信の法正法にあらざれば毫も功徳ある事なし、又法難に罹り寺を建立し数万人を教化せしとて何ぞ之れを以て其の宗教の邪正を卜するを得んや、如何となれば日本国中寺と信徒の多きは第一真宗第二曹洞宗第三真言宗等なり、又常に身命を惜まずして布教伝導に熱心し屡ば法難にかかるも更に退転せずして広く信徒を教化するは方今基督教の宣教師に如くものなし、叱れども是れ等の僧侶を功徳者とも其の教法を正法とも言ふべからず、如何に文盲の畠山氏にても真宗や基督教を正法とは言はざるべし、畠山氏も到底法義の問答には敵し難しと観念してか肝要法義の問答は措いて勅願所の菊の御紋やら僧侶が聊か本分を尽し弘教建寺等したる事やら身延山の堂塔伽藍やら前川氏の加勢やら何や角やらかつぎ出して、殆んど三箇年間も苦心の大層かけて出版せられたる論鉾城壁も斯くの如くがちや々々々に撃ちつぶされ、最早此の上は地獄界へ退陣し剣の山に楯籠らるるより外致し方有る間敷く気の毒の至りと謂ふべし。
第十三、身延山の御墓大切との事。
 (説明)此の義は弁駁書中に巳に弁駁を加へたるに之れが答弁を為さずして、●に又強情を述べたるとて何の所詮かあるべからず。
第十四、日蓮宗興門派とは枝なり枝を以て幹豈倒れざらんやとの事。
 (説明)派とは各門を簡別する通語なり何ぞ僅々たる名義に附会し枝幹の優劣を争ふ可きや、宗祖も天台宗の沙門と名乗らせ玉ひたれども、其の所弘の法義は天台宗より優れるにあらずや、小事の文字に拘泥するより大事の法義の優劣を論ずべし、況んや幹豈に倒れざらんやとは則ち幹の倒るる事なり反語も知らざる文盲と言ふべし。
第十五、今般冨士大石寺え日の丸宝劔と号するを納め奉る北区若松町前川仁三郎殿、興門派の立方不道理成るを糺明し本月六日本伝寺に改宗せしとの事。
 (説明)前川仁三郎殿と云うは予の未聞不見の人なれども蓮華寺の旧檀中の人なる由、明治七八年の頃迄は蓮華寺にも職業の為折々来られし事あれども其の後故人になられしとの事、付いては今の仁三郎とやらは是れ迄寺へ来り法義を聴聞せられし事もなく又講席に出で法門を聞かれし事もなかりし由、又日の丸の劔とかは吾か本山大石寺の宝物中に曽てなし又一見せし事もあらざるなり、然るに畠山氏が此の事を掲げられしは如何なる事を証する為か、右の前川氏が一人一致門流に転宗せしとて何程の事やあらん、一致門流より吾門に改宗せしものは数十人の事なるべし、現に予も一致門流正法寺の檀家たりしを一致門流の邪義を発見して興門に改宗せり、又南氏は一致門の大信者にして殊に吾門に改宗の際畠山氏強いて之れを止めんと欲し、終に南氏の宅にて予と問答に及びたるが抑も本論の濫觴なり、然るに南氏は一致門流の邪義たる事を確認し吾か門に改宗せり豈に前川氏の比にあらんや、鳴呼籔を打いて蛇を出すとは夫れ是れ等の謂なるか。
第十六、予が弁駁書は聖語綴輯の文意を以て為くると見へたりとの事。
 (説明)吾宗の緇素ともに法門を談ずるは其の源祖書によらざるはなし、故に宗書に基きたる論文中の同文旨のあるべきは自然の道理なり、何ぞ聖語綴輯に由らんや。
以上説明の概略斯の如し。
  畠山氏に傚ふて区一句。
    壌をやつと積んだる畠山冨士の裾にもいかで及ばむ
明治二十三年十一月 日  荒木英一 記す。

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