富士宗学要集第六巻
破七兵衛之邪問書
序 夫れ以みれば明月神珠は九重の淵底驪竜の脳中に在り、有徳の者方に乃之れを得・癡惑の人は麁浅浮●にして瓦礫を競執し如意珠を得たりと謂へり、●に混雑家の麁食者送書して以て当流を難問す、故に止ふを得ずして彼の謬解を●して以て三十七条を開答す、又僻難をを摧破して以て一一に反詰す、今遮那の縄墨に依て曲直を分別し、台祖の衡秤を以て軽重を弁論し、蓮祖の規矩を信じて其の方円を定む豈ゆ臆説ならんや自讃毀他して以て其の名を揚けんと欲して諸人を惑乱し当流を謗嫉す、故に凶徒の慢幢を倒さんが為に且つ毒皷に粗愚筆に露して以て之を送る 拙が之れ魯鈍なる豈ゆ能く聖人の要道を尽さんや、惟れ幸に芙蓉の蘭室に入て妙香を聞く、故に彼の雑家の為めに粗聖語を述す、亦乃ち千疑を一得に解する事有らんかと爾か云ふ。 #06 ・052 七兵衛の邪問を破する書 第一、二の教相を知ると雖も三教を知らずと曰ふ大僻見の事。 来書に云はく貴子の返答一々に二の教相にして三教を知らず等。 答ふの二の教相とは化導始終不始終の教相か、次に三教とは蔵通別三教なりや頓漸円三教なりや、若し蔵通別と云はヾ第一教相の下、約教釈に於て之を知る、第二を知る者は豈ゆ第一を知らざらんや、若し爾らば汝が問は還つて自語相違なり(是)一若し頓漸円の三教と云はヾ根性の融不融の下に之れを説く化導の始終を知る者何ぞ之れを知らざらんや(是)二、若し又第三の教相と書かんと欲して謬つて三教と書くか(是)三、一行に足らずと雖も既に三難有り、諒に台当両家の教相に暗くして無尽の愚意を談ず、仏天を懼れずして徒に筆舌に露はす責ずんばあるべからず恐れずんばある可らず。 第二、破の義免れ難きの文を僻解する大愚癡盲目の事。 又云はく破の字免れ難きの文意を知らず(乃)至三絶待妙を顕本する破廃開の文なり等。 難じて曰はく破の義免れ難きの文とは宗祖既に玄義の四及び釈●を引いて彼の尾張阿闍梨を反詰す、然るに汝絶待妙・顕本破廃開の文なとりと曰ふ是の事天台何れの釈、宗祖何れの書に出たるや(是)一、次に絶待妙とは本迹二門の中には何の絶待妙を指すや、若し迹門と言はヾ四味三教開会の絶待なり、若し本門と言はば迹門を開会するの絶待なり、汝所立の絶待は本迹の絶待に似ず若し然らば天魔波旬の絶待なり(是)二、本門を以て迹門を開すと雖も迹は所開にして劣なり、本は能開にして勝なり、躰内の本迹再往勝劣意此に在りと(是)三、再往一致は本迹混合にして水火不弁の絶待なり、還つて応に破の義免れ難きの御責を蒙るべきか、悲しむ可し怒る可し。 第三、天台に生国を知らず一笑為る可き事。 又云はく月氏の天台の過時迹門を破する文なり(得意抄、四菩薩造立抄)等見る可し等。 笑つて曰はく漢土の天台を月支の天台と曰ふ天台の生国すら尚知らざる井底の蛙なり、何ぞ天台過時と云ふの法門を知る事を得んや(是)一、早く先非を悔ひ邪見を捨て正見に帰すべし、若し爾らんずば諸人を誑惑するの重罪阿鼻の大苦を招く可し(是)二、次に又相下の四行前後の義相違す(是)三、就中相待妙勝劣・絶待妙一致成る事前々上の処に明々と云ふ、前の文に何の処に挙けたるや(是)四。 第四、題目を以て本尊と為さざる日蓮宗の師子身中の蟲なる事。 又云はく題目とは仏果の時は本尊に成らず下種の報身ならまし事。 難じて曰はく凡そ題目とは三世諸仏の師範なり仏果の時豈ゆ本尊と為らざらんや(是)一、経に諸仏所師所謂法なりと曰ふ何ぞ経文に違して仏果の時に本尊と為らずと云ふや(是)二、釈に法是聖師と曰ふ何れぞや釈に相違して本尊と為さざらんや(是)三宗祖既に当来の妙果と曰ふ今末法の一切衆生は無作三身の仏果を証得するの時なり何ぞ題目を以て本尊と為さざらんや(是)四、本尊問答抄には題目を以て本尊と為す可しと云云(是)五。 第五、祖書を引くと雖も前後相違の大狂乱の事。 三身抄・開目抄を引て曰はく法身が家の三身、法華経本尊為りとも脱益正なり等。 難じて曰はく今汝に問はん所謂法身とは事理の法身の中には何ぞや(是)一、法身が家の三身とは其の形貌如何(是)二、汝既に三身の配立を知らざる盲虫なり、知ると謂はヾ其の文証如何(是)三、開目抄及以び三身抄を引くと雖も其の意を釈せずして夢中の僻見を吐くは何んぞや(是)四、予汝を教訓すと雖も邪慢無智にして用ふること能はず現当二世の大益を失する者か哀む可し●。 第六、自語相違して題目をもって本尊と為す事、又云はく法華経の題目の本尊は流通の正意末法の為めなり等。 難じて曰はく汝初め仏果の時は本尊と成らずと曰ふ先に五箇条を挙げて破するが如し、今又自語相違して題目本尊と曰ふ若し自語相違に非ずと曰はヾ末法今時仏果を期するの時に非ずと曰ふか、哀む可し。 第七、種脱混雑并三身を弁ぜざる愚意至極の事、 又云はく法身の妙法は脱正意なり(乃)至当流三箇の大事等。 難じて曰はく三身を以て種脱と戒とに分対す亀毛兎角の僻見なり、種脱各三身を具す是れを修性各三と云ふ、若し修二性一と曰はヾ法身を以て種益の名字に配す可し、汝三身中の法身を直に脱益と曰ふ例せば周の人の風俗死鼠を名けて玉璞と為す乃ち将つて鄭に詣たる鄭人之れを笑ふ楚の人鳳凰は其れ実に山鶏・楚王亦実と謂ふが如し、笑う可し●。 第八、七兵衛高慢無智にして本尊抄を僻解して末法の大本尊を以て所化に約する僻見の事。 又云はく末法に入り寿量の仏像出現せしむ可きか(文)、是れ当躰蓮華仏即身成仏を成ずる文なり、乃至日蓮が弟子(乃)至寿量品の本主なり云云、是の時脱益正意なり等。 難じて云はく本尊抄の科文汝慥に之れを知るや、若し知ると言はヾ直に無解無信の含識を以て寿量の仏像と為し忽に本尊抄の大意に背く(是)一、彼の文に末法遺付の本尊の相貌を明して末法の出現を結帰するの文なり、是れ又標釈結の三義を知らず、而も切文を以て祖判を愚推す哀む可し(是)二、次に是の時脱益正意と、曰はく汝下種の人法を以て脱益と僻解す恐る可し哀む可し(是)三。 第九、自語相違愚癡盲目の事。 又云はく祖云はく然りと雖も当品は末法の要法に非ず云云、我れ此の文を以て答る時本尊には成れども流通の報身に成らずと云ふ事。 難じて曰はく汝脱益所破を引き祖判を以て本尊と為すと曰ふ是れ所引の文に乖けり(是)一、次に報身と成らずと曰ふ、今汝に問ふ一念三千の本尊自受用報身と為さずと云ふ文証如何(是)二、本尊即一念三千なり一念三千即自受用報身なり、汝が所解豈ゆ自語相違に非ずや(是)三。 第十、四信五品抄を僻解する大誑惑の事。 又云はく冨木公・序正二段御存知の故に略と云ふ是れ大なる僻見、(乃)至天台云はく一念信解は末法流行の始と云云、又宗祖の教相一部逆治読む可し云云、天台雖脱現在具騰本種云云。 難じて曰はく今文証を引て汝が愚癡を発露せん、妙楽記九に云はく一念信解は即是れ本門立行の首と、此の文を引き四字を脱落して又四字を訛転せり、是くの如きの盲虫何ぞ五品抄を解する事を得んや(是)一、次に曰く一部逆次に読む可し治字亦謬る(是)二、汝此の書の中数字を譌転せり文字も知らざる愚人安んぞ五品抄の意を得ん(是)三、止観に曰く文字を遺るゝ者は述作の義背く何ぞ逆次に読むの道理を知らんや(是)四、汝一部を逆次に読むと曰ふ宗祖は迹門の流通を逆次と曰ふ豈ゆ宗祖敵対に非ずや(是)五、迹門を逆次に読む事を聞て直に本門を以て迹に倒し勝を以て劣に摂し凡木を以て栴檀と謂ふか(是)六、次に雖脱現在等と曰ふ現在の二字亦顛倒せり(是)七、此れ等の二文湛然の釈にして疏記の中に在り、爾るに汝謬りて天台と云ふ、笑ふ可し笑ふ可し(是)八、又汝処々句絶に云云の字を置く汝が意如何、笑ふ可し(是)九。 第十一、序正流通の三段を僻解する事。 又云はく是一部末法流通南無妙法蓮華経が家の序正三段とも流通とも成る故等。 笑て曰はく序正流通の三段之れ有り汝序正の三段と曰ふ何に疏釈に出でたるや(是)一、序正を直に流通と為すは何れの経釈に有りや(是)二、汝既に序正流通の三段を知らざる愚人なり、若し知ると云はヾ其の形貌如何(是)三。 第十二、愚盲にして祖判を解し大耻辱を招くの事、 又云はく一部の意は流通・下種の六妙は薩の妙なり。 破して云はく下種六妙とは本迹百二十妙の中には何ぞや(是)一、又本尊抄の薩とは六なりの文を僻解して六妙と曰ふか彼の六とは六度万行なり(是)二、又薩の妙なりと曰ふ曲会私情の僻見なり。今謂はく薩とは梵語なり、此には妙と翻ず当に知るべし梵華の異にして其躰に異り無し、●ち既に薩の妙と曰ふ、例せば七兵衛を七兵衛と云ふが如し甚た笑う可し(是)三、又汝が意は菩薩の妙なるが故に日蓮大菩薩と云ふが意か、又御義口伝を僻解して云ふか、此れ等の愚癡の曲会は譬へば盲人の象を捫る尾牙等を以て象の身と云ふが如し、笑ふ可し、破す可し。 第十三、本迹を僻解して前後顛倒の事。 又云はく寿量品正宗の時・迹中の本なり此の時の本は本に非ず、又迹門も迹門流通逆次の時の迹は迹に非ざる故に報恩抄に汝が如何、答へて云はく南無妙法蓮華経の肝心なり。難じて曰はく寿量迹中の本とは已今の四句に似たりと雖も汝は再往一致の僻見なり、久遠の本に望めて迹中の本を迹と名くと知らんや(是)一、若し知ると言はヾ先本迹一致を捨つ可し、所以は何ん迹中の本迹なるが故なり(是)二、又迹門を逆次に読む則は迹も迹に非ずとは六重本迹の中に何ぞや(是)三、前に一部を逆次に読むと曰ふ今亦迹門の流通と曰ふ豈に自語相違に非ずや(是)四、次に報恩抄を引いて本迹を誠証す前後相違の文証なり、鳴呼黒闇の人豈に道を論ず可んや(是)五。 第十四、天台を破らんと欲して還つて天台の過時に落入るの事。 又云はく再往一部は二十八品共に三益を具す、(乃)至天台過時一部唯迹を破廃開と為す等。 難じて曰はく天台の文句一等に法華一部に三益具はる事を明す、若し爾らば再往一致にて還つて天台過時の法門か笑ふ可し(是)一、宗祖は下種を以て末法の詮と為す云云、汝三益を以て一致と曰ふ師敵対の悪人なり(是)二、三益を具するを以て再往一致と言はば還つて一代一致なり、其の故は権迹を熟と為し本門を脱と為し題目は下種なり、三益一具にして一代の権実一致と為るか悲む可し(是)三。 第十五、相待絶待を知らずして愚癡至極の会釈の事。 又云はく一往一部本門寿量品一代正宗なり、余は小邪未覆なり相待妙なり、又絶待一部南無妙法蓮華経正行二十八助行等、 反詰して云はく相待妙を一往と曰ふ意か、若し一往と曰はヾ法華経一往か、所以は何ん法華経の相待妙なる故なり(是)一、●二に云はく諸味中円融有りと雖も全く二妙無しと、玄二に此経唯論二妙と曰ふ此等の釈に相違す(是)二、又相待妙は猶迹門等を小邪未覆と云ふ況や絶待妙をや、妙楽云はく若し相待の中に展転して妙を明すは前麁猶在す、今は絶待を論ず前麁を絶して形待す可き無し(是)三、宗祖曰はく寿量品の智恵を離れて諸経の跨節当分得道共に有名無実なり(文)、汝等本門寿量の智恵を離れて再往一往の邪智に就き祖判に乖き私曲を展ぶ再往一致堕獄の破責意此に在り(是)四。 第十六、本門の妙戒を知らずして本迹混雑の麁戒を持つ事。 又云はく絶待妙は一部迹共に妙戒と等。 破して曰く宗祖は本門の妙戒と曰ふ汝は本迹の妙戒と曰ふ豈に本師違背に非ずや。 第十七、相待妙を知らざるは成仏の敵の事。 又唱題目抄を引て曰く相待を立つる人は天台流にして二円同に落ち入る可き等。 難じて曰はく汝此の書の中に数字誤れり文字を知らざる愚人、天台の教相を知るを得んや(是)一、又法師品の三説超過薬王品の十喩即是れ相待なり、釈尊還つて僻見か(是)二、天台云はく前四味を麁と為し醍醐を妙と為す云云、何ぞ一向に二円同と曰ふや(是)三、汝約数約部の法門を知らず若し知ると言はヾ其の形貌如何(是)四。 第十八、教相を知らず所解顛倒の事。 又云はく相待一部の内の迹門は仙人も提婆も大に劣るなり、二の教相の故に三の教相と成る師弟遠近不遠近の時・絶待妙本中の迹は提婆仙人妙開にして釈尊の師なり(文)。 難じて曰はく相待一部の内に迹門とは何の疎釈に出たるや(是)一、一部倶に二妙を具す故に此経唯論二妙と曰ふ何ぞ相待の一部と曰はんや(是)二、仙人と提婆と云云別人と意得るか笑ふ可し(是)三、次に大劣云云迹門の時提婆の成仏大に劣ると云はヾ先つ迹門を捨つ可きなり、然るを再往一致と曰ふ故に自語相違なり(是)四、又一部を第二教相と曰ふ此れ又大僻見なり、今第二教相と曰ふ迹門に限る故に妙楽云はく前の両意は迹門に約すと、汝一部と曰ふ是れ又第二の教相を知らず(是)五、又云はく三の教相(乃)至絶待妙云云、是れ亦愚癡不覚の僻見なり、第三に本門師弟遠近不遠近の相に又二妙を具す何ぞ絶待の一妙と曰んや、玄義七・同九・修禅寺決等見る可し(是)六、発迹顕本すれば三世諸仏猶釈迦の分身なり、況や其弟子をや何況阿私仙人をや、然るに汝顛倒して釈尊の師と云ふ笑ふ可し(是)七、汝が法門は台家に似ず当家に似ず内典に非ず外典に非ず前後文章相違して口に任せて妄語を吐く蝦蟆の鳴くが如く鸚鵡の●るが如し、外典に云はく鸚鵡能く言へども飛鳥を離れず猩猩能く舞へども禽獣を離れず、今人にして礼無く能く言ふと雖も亦禽獣の心ならずや、内典に人頭鹿と曰ふ、宗祖曰はく賢きを人と曰ひ墓無きを畜と曰ふと云云、所破に足らずと雖も毒鼓の為に之れを破す。 第十九、自語相違して佐前の御書を引くは耻辱を招く可き事。 又云はく第一の問に云はく(内十一)第一に本尊は法華経八巻一巻或は題目を書て本尊と之を定む可し等。 責めて曰はく汝前に佐前を捨つと曰ひ今亦一大事の本尊を定めんと欲して佐前の祖判を引く豈に自語相違に非ずや(是)一、汝強に此の祖書に依つて本尊を定めんと欲せば先つ四菩薩を除く可きか、既に此の祖判の中に四菩薩無き故なり(是)二。 第二十、内証血脈抄を引いて僻解を生ずる事。 又第一問に血脈抄を引いて云はく当家の二字之れを思ふ可し、又神力品に見へたりの御文長行は末法人一の第八相にして天台の云はく仏弟子成者未乗有人一なる事を表すと云云、宗祖は是末法一にして本尊成る事疑ひ無し等。 破して曰はく神力品に於て教行人理の四一を表するを説く、汝今一文を引くに数字誤る、今引いて汝に示さん天台文句第十に云はく仏弟子と為して未来人一有るを表すなりと、来字乗に作り為字成に作る(是)一、八品門流多く神力品を引いて唯人一と立るのみ、汝彼の法門を聞て書くか笑う可し(是)二、次に宗祖是れ末法人一本尊成る事疑ひ無けんと曰ふ、若し爾らば脱仏を本尊と為ざすして何ぞ宗祖を本尊と為さざるや(是)三。 第二十一、法師品に菩薩血脈と云ふ大僻見の事。 又云はく法師品は菩薩の血脈なり、神力品南無釈迦牟尼仏なり。 破して曰はく宗祖の血脈とは所謂妙法蓮華経是れなり、汝法師品を以て血脈と曰ふ豈に本師敵対に非ずや(是)一、次に神力品南無釈迦牟尼仏なり云云、一一文文是真仏と曰ふ何ぞ神力品に限らんや笑ふ可し。 第二十二、本尊抄を僻解する事。 又云はく(内八本尊抄)宝塔空に居し(乃)至迹仏迹土を表すと云云、此の御本尊は本四一の時は理一成るや人一成るや何ぞ但四一を具するや。 汝が問は非なり、夫れ本尊とは万行諸波羅蜜を具す何ぞ四一を具せざらんや(是)一、又汝知つて問ふか知らずして問ふか、若し知つて問ふと言はば西を西かと問ふが如し前代未聞の愚人なり(是)二、若し知らずして問ふと言はヾ三国に無き癡人なり豈ゆ道を論ず可んや(是)三、次に理一か人一かと問ふ此の問亦非なり、汝御本尊理一か人一かの一法のみを具すると謂へるか笑ふ可し。 第二十三、御本尊抄を僻解して自語相違と為す事。 又第三問に本尊抄を引いて云はく本尊の一尊四菩薩成るや三大事なるや正宗正意成るや流通正意成るや祖判如何。 汝が問亦非なり、前に宗祖末法人一の本尊と曰ふ、今亦自語相違して一尊四菩薩と曰ふ前後不弁の愚問なり(是)一、次に本尊と三大事と各別なるを問ふ三大事即本尊なる事を知らざるや(是)二、又正宗と流通とを問ふ此の問亦非なり、今謂く正宗の法躰を末代に流通せしめんと欲する故に流通と説く、故に宗とは要なり主なり尊なり国に二王無きが如しと曰ふ(取)意、爾るに汝王尊の大法を捨て流通の眷属に付く可きや(是)三。 第二十四、報恩抄を引いて四一を配立する大愚癡の事。 又第四問に報恩抄を引きて云はく当に知るべし此の本尊は本門釈尊は本理一なり教主釈尊は教一なり本門戒壇は行一なり南無妙法蓮華経は人一なり、閻浮提内(乃)至日蓮一人云云。 難問して曰はく本門釈尊と教主釈尊は同異如何、若し同じと言はヾ今各別して教と理とに対配するや(是)一、若し異と言はヾ汝二重の釈尊を造立して本尊と為るや否や返答の時を待つのみ(是)二、次に題目を以て人一に配するは何ぞや、人法一躰と雖も而も差別有り故に人は軽く法は重しと曰ふ誠に四一の形貌を知らず愚舌に任せて本文を黷す、悲む可し哀む可し。 第二十五、一紙を隔てず自語相違の事。 又云はく立る所の宝塔の本尊は理一・南無妙法蓮華経と書くは教一(乃)至宗祖の肉身御像を安置する行一・日蓮は法華経の行者なりと云ふ又人一なり云云。 破責して曰はく汝前に本門の釈尊を理一と曰ふ、今は宝塔を理一と曰ふ(是)一、前には教主釈尊を教一と曰ひ、今亦題目を以て教一と云ふ(是)二、前に戒壇を行一と曰ひ此れには宗祖の御像を行一と曰ふ(是)三、前には題目を以て人一と曰ひ今亦蓮祖を以て人一と為す(是)四、一紙を隔てずして四重の自語相違有り、安んぞ本具の四一を知る事を得んや、早く僻見を改めて冨士門流に帰伏して無間の大苦を免る可し云云。 第二十六、三身を僻解して愚癡配立の事。 又云はく是宝塔は本尊にして法身を表し・中央の南無妙法蓮華経は下種にして報身を表し・戒壇は木像にして応身を表す・是れ無作三身の仏なり等。 破して曰はく汝未だ三身の相を知らず愚癡至極の配立なり、今謂はく法身と言ふとは無来無出なり何ぞ直に宝塔と曰はんや(是)一、報身は巍巍堂堂なり何ぞ題目と曰はんや(是)二、応身は普く一切に応ず何ぞ直に木像と曰はんや(是)三、文句に云はく多宝は法仏を表し釈尊は報仏を表し分身は応仏を表す云云、汝此の釈に相違す(是)四、夫れ狗は聚落を楽み鹿は山沢に楽み魚は池沼を楽み蛇は穴居を楽み深林に居るを楽み鳥は虚空に依る事を楽むと、汝冨士門流に愚書を送て破責せらる事を楽む者か。 第二十七、法身を以て躰内の迹理と曰ふ大僻見の事。 又云はく口伝抄の八葉等を引く文に云はく是れ躰内法身理一是れ躰内の迹理を捨てんや、当流は一往念仏を捨て再往は題目を口唱する時成仏すと云ふ等。 責めて曰はく釈に本極法身微妙甚遠と曰ふ汝は迹理と曰ふ、若し迹理と言はヾ何の釈に本極法身と曰ふや如何(是)一、汝一往は念仏を捨つと曰ふ若し爾らば再往は念仏を唱ふ可きや如何(是)二。 第二十八、口伝抄を引いて法譬乖角し愚癡至極の事。 第六問に口伝抄(六丁)牛頭栴檀の譬を引いて云はく此の寿量宝合する銭四文経抄如何ぞや、是れ程大事の法云云。 破して曰はく問ふ甚た非なり、今謂はく栴檀を以て堂舎を造作して世尊を供養するの功徳を挙げて以て一念の信解の功徳に比す其の文分明なり、汝が所解は天地顛倒の愚難なり笑ふ可し。 第二十九、口伝抄を僻解する事。 又第七問、口伝抄上に云はく非に照焼の二義本迹に有り是れも迹劣として捨るや。 破して曰はく宗祖曰はく広略を捨てゝ肝要を好む云云、広略の中・迹門を漏さざるや(是)一、寿量の本迹を借りて迹門を釈す故に解釈しに但だ寿量一文と曰ひて正しく本迹を明す(是)二、汝本迹の名有るを以て一致と言はヾ又爾前に本迹有り一代一致と曰ふ可んや如何(是)三。 第三十、口伝抄を僻解する大僻見の事。 又云はく亦有亦空の五字に本迹を具するなり、非有非空門は一部の意なり云云、是絶待の一部は妙法五字の開会にして一部の意なり云云、 破して曰はく祖判に一部の意と曰ふ故に再往一致と言はヾ、又祖書に法華経の題目・一切経の眼目と曰ふ、若し爾らば一代一致と曰ふ可し如何、絶待一部とは第十八章に破するが如し此れより下二三行前の破文に顕れたり故に略するのみ。 第三十一、赤蓮を以て白蓮を開会すと曰ふ大誑惑の事。 又云はく実相寺御書を引て云はく当に知るべ開麁顕妙の上の一部は能開の妙と成る可し、然らば白蓮を赤蓮にて開会する。 難じて曰はく一部絶待の一妙に約する事第十八章に破するが如し、次に赤蓮を以て白蓮を開会すとは何の経釈に出でたるや、若し出つると言はヾ何ぞ文証を引かざるや(是)一、今汝に正義を示さんと天台文句の三に云はく白即浄を表すと、弘決五に云はく白蓮華・日に因つて並に開生を取る云云。 文句五に云はく白は是れ色の本と云云、記の五に云はく白色の本と為すと、当に知るべし白は諸色の根本なり汝根本を捨てゝ故に枝葉に附く者か(是)二、汝当流に愚書を送つて還つて破責せらる而して弥僻解を倍すか、渇して更に鹹を飮む竜の鬚を以て身を縛して水に入れば転た痛し、牛皮を以て体を繋ぎ日に向へば弥堅し・盲棘林に入り・溺れて●●に堕す、哀む可し悲む可し。 第三十二、白蓮華を以て念仏と曰ふ大僻見の事。 又云はく白蓮は躰内の念仏なり等。 難じて曰く白蓮華即念仏とは何の経論に出でたるや(是)一、八葉九尊の中に無量寿仏西方に当る又西は金大白色なり是の故に念仏を白蓮華と曰ふか前代未聞の管見なり(是)二、今問ふ汝念仏を信ずるや否や若信ずと言はヾ其人命終入阿鼻獄の罪人なり(是)三、若信ぜずと言はヾ八葉九尊を捨つ可きか如何(是)四、宗祖は妙法蓮華経の躰即八葉の白蓮華と言ふ、汝念仏と曰ふ本師違背の逆人なり、爭か捺落の罪苦を免れんや、破せずんばあるべからず責めずんばあるべからず(是)四、止観十に云はく世間の癡人頑しき事牛馬に同じ徒に法音を雷震し錦繍を溢敷し其の見聞に於て益無し云云、悲む可し、悲む可し。 第三十三、口伝抄を僻解して再往一致と曰ふ大僻見の事。 又云はく再往一致の明文の事、御義上述成の二字は迦葉釈尊一致の義なり、(乃)至我等即身成仏を説き極たる品なり。 難破して曰はく此の文は宗祖能所一躰を示す故に迦葉釈尊一致と曰ふ汝誑惑して何ぞ再往一致の明証と曰ふや(是)一、汝や能所一躰と雖も迦葉初住にして一品の無明を断ず、故に宗祖釈●を引いて曰はく開迹顕本皆初住に入ると(文)、釈迦妙覚四十二品の無明を断ずる故に再往能所の勝劣宛も天地の如し、若し爾らば還つて一往一致・再往勝劣の明証なり、何ぞ再往一致の文証と曰んや(是)二、適ま一致と曰ふ文字を見て枉げて再往一致と曰ふ、宗祖は経を引き文に随ひ義を取り決定の説を作る、当に知るべし此の人三世諸仏の怨なり速に我法を滅すと云云、汝一致の文字を執す豈に三世諸仏の大怨敵に非ずや(是)三、次に速に我が法を滅す云云、宗祖の正法を滅せんと為るは日蓮宗の師子身中の虫に非ずや(是)四、今汝が為に正義を示さん、蓮祖、註法華経に曰はく迹本理勝劣の事、玄七に云はく又若し未だ発迹顕本せずんば但迹中理事の麁妙を解し終に本中の事麁を解する能はず、況や本中の理妙を解せん、弥勒尚達せず何に況や余人をや、●七に云はく若し先つ迹門開顕を将つて且麁妙を判せず本の所証と更に差別無し如何が迹中の妙・本中の麁に及ばざる事を知るを得ん云云、玄の七に云はく問ふ十麁を破して十妙を顕す則は無明惑尽き一実理彰なり、今更に迹妙を破して麁と為し顕本を妙と為す何の惑を破して何の理を顕さん、答ふ無明重数甚だ多し実相海の深き事無量なり此の如きの破顕咎無し(已上)、汝此の注法華経を信ずるや否や若し信ぜば先つ一致を捨つ可し(是)五、迹本理勝劣云云本迹二門に所詮の理躰猶勝劣有り況や能詮の数をや(是)六、御義口伝下に云はく委くは注法華経を見らる可きなり、又云はく広宣流布の要法豈に此の注法華経に過ぎんや(是)七、汝若し注法華経の本迹勝劣を信ぜずんば広宣流布の要法を断ずる天魔波旬なり(是)八、夫れ●●外道は石と為つて数百年・陳那菩薩に責められ石即水と為る、尼●が立てし塔は馬鳴之れを●つす、汝当門流に僻見を責められ大謗法を顕すか哀む可し。 第三十四、開目抄を僻解して一致と曰ふ事。 又云はく開目抄上・華光如来・光明如来・舎利弗・迦葉等赫赫たる、日輪明明たる月輪のごとく鳳文にしるし(乃)至、迦葉の入定も事にこそよれと、是等の明文赤白一致なり。 破して曰はく開目抄に未だ発迹顕本せざれば真の一念三千も顕れず二乗作仏も定らずと曰ふ、何ぞ迹門二乗作仏を以て本迹一致と曰はんや(是)一、又迹門十四品一向爾前に同ずと曰ふ何ぞ一致と曰はんや(是)二、若し天台過時の迹とは言はヾ宗祖無実を以て豈に天台を破せんや(是)三、汝赤白一致と曰ふ前に念仏を以て白蓮と曰ひ今赤白一致と曰ふ、若し爾らば権実一致なりや(是)四、御書に赫赫明明と曰ふ此の文を以て赤白一致と曰ふか手を拊つて笑ふ可し(是)五、今謂はく赫赫とは詩の註に云はく顕盛の貌と小爾雅に赫は顕と詩伝に赫赫然を盛と曰ふ、明明とは爾雅釈詁疎に曰はく明明は甚明を言ふなり説文に照なり、広韻に昭なり通なりと、汝直に赤白二色と曰ふ笑ふ可し笑ふ可し(是)六。 第三十五、諦を僻解する事。 又云はく隔歴三諦・白衣・黒衣・薄墨生死一念の義を表す、白色は生善、黒色は死悪・薄墨は中道なり、円の三諦五色共に正善なり。 破して云はく隔歴三諦爾前に在り、汝黒衣等を以て隔歴三諦と曰ふ、若し爾らば黒衣の一致を捨つ可し(是)一、中道は法華経の正躰なり、汝隔歴三諦と曰ふ豈に三世諸仏の大怨敵に非ずや(是)二、汝黒色死悪と曰ふ何ぞ死悪の一致を捨てざるや(是)三汝薄墨中道と曰ふ何ぞ中道の当流を信ぜざるや(是)四、又宗祖曰はく薄墨染衣一・同色袈裟一帖云云、明証茲に在り何ぞ当流の薄墨を信ぜざるや(是)五、汝御書を引く所の五色の黒衣は明文に非ずや、何ぞ誑惑して五色の聖衣と曰ふや(是)六、五色の袈裟等を服する沙門を法滅尽経に天魔の僧と説く此の経文如何(是)七、宗祖曰はく黒衣謗法必堕地獄と云云(是)八。 第三十六、口伝抄・当躰義抄を引くは大耻辱を招く可き事。 又口伝抄等を引いて云はく赤白二躰・本迹事理・天下日月・和合円妙成る可し等。 破して曰はく汝今赤白和合と曰ふ然らば権実一致と曰ふ可きや、白色を念仏と曰ふ故(是)一、又汝事理和合と曰ふ、宗祖彼れは理の一念三千此れは事の一念三千・天地遥に殊なりと曰ふ豈に本師違背の罪人に非ずや(是)二、次に日月和合と曰ふ日月に勝劣無きや(是)三、又勝劣有りと雖も一を廃す可らず、躰内迹勝劣の意此に在り云云。 第三十七、亦白色を以て念仏と曰ふ大盲虫の事。 又云はく白蓮に執して八葉九尊の念仏たる西方の白色を楽む等。 破して曰はく白色を念仏と言はヾ第二十九章及び第三十章に破するが如し、今重ねて文証を引いて汝が迷執を破せん、天台云はく白は是れ色の本なり即本浄の無漏と相応す、体に万徳を具する事・膚の充るが如し煩悩に染まざる事、色潔きが如し、妙楽云はく次に体徳の中に云はく白を色の本と為す本体無垢なり故に本浄と云ふ、修性に称ふ故に相応と云ふ体具等とは円智を顕すなり或体の本浄は性に約す修を論ずれば名て不染と為す、此の即内充ちて外潔きなり(已上)、当に知るべし白色を以て今経の法体を為す何ぞ念仏と曰ふや(是)一、又五百問論に妙法の蓮華を以て白色と為す(是)二、宗祖妙法五字を以て八葉の白蓮華と曰ふ(是)三、所詮早く僻見を捨て当門に帰伏せよ、若し爾らずんば無問に於て決定して堕罪す何ぞ出る期を得んや、併せて後答の時を待つのみ。 天保三年三月廿日書き畢りぬ、除饉男便妙(在判) 編者曰く便妙日満(後の頭久遠院日騰)自筆の稿本(雪仙文庫蔵)を以て校訂を加へて延べ書とす、但し他に再治本をも転写本をも見ざるなり。 |