富士宗学要集第六巻
明了筆談
一品門の邪義を糺明す 第一問 富士大石寺流・漫に本門正宗に依て寿量一品を弘経すと云ふりなり、若し然らば在世脱益の分なり末法に的当せず云何、若し寿量文底に末法の意有りと云はヾ是れ理性なり、則体妙実相なり、理体差無し理に早晩無きの釈是なり、則玄の七に云はく増道損生皆是迹中の益の釈の意なり末法本門の益と為る事僻見なり、亦御書の中に於て寿量の妙法亦是好良薬の妙法等と遊すは神力品より還つて判じ給ふなり、例せば本尊抄の内証の寿量品の如し則ち結要の題目に帰するなり、彰かに知りぬ正宗に依て以て流通を捨つる末法衆生の益を失し時を失ふ物怪なり云何。 第二問 寿量の中・顕露の題目無きなり、凡そ依経立行は諸家の格式なり何を以て行を立つるや云何、若し御義下の南無妙法蓮華経如来寿量等の文を出さば非なり、乃ち是れ神力開会の文なり故に南無と云ふなり、御義下(四十九)廿八品悉く題目の文の如し、亦復寿量の本因既に初住為り自行の題目に非ず、若し流通を捨てば則本時の自行の題目を失はんか、一品徒題目を失つて何に依つて成仏を期するや云何。 第三問 一品徒法門成立せざるを以て中古巳来恣に謀書を作為し俗間を迷惑せしめ正法の流布を防ぐ大邪見の致す所辜無間に有るか、所以に録外一期弘法書・三大秘法抄・或は本因妙抄等なり、是れ等十目の●所・罪一品徒に有り邪見妄談を許す所無し答決有りや奈かん。 右三条に挙列して一品徒を痛弾するなり速に答決を為さる可きなり、但し格別の遅退を許さず来る申歳正月中に到り御答有る可き者か、若し亦延引に及ぶに於ては則ち御沙汰有る可きなり最も久き延引之れ有る可からざる者なり、然りと雖も一流・元来謬解なり奚んぞ吾門に対して返決する事を得んや、唯聊か愚俗を誑かすのみの邪流なり此の語若し傷しと憶はヾ速疾に返決す可きなり、竊に計るに而も一品徒答決する事能はず徒に邪弁を企て種々遁語を構へて以て決答を遁免せんと欲すべき者か、若し返書之れ無きに於ては大石寺一品流・邪見邪妄の由詳に相認めて海内に伝写せしむ可き者なり以上。 天保六乙未十二月一品流弁明御坊に呈す。 本了 八品講中 柏屋一途 一、清十郎の云はく八品家・流通に依るに於ては涅槃宗なり云云、此の語冨士派・爾前経の判段に依る悪義なり、謂はく本尊抄の一代の三段は爾前経の法相なり、十軸三段は巳今当の三説の法相なり、迹門三段は天台所立の従前三段の法相なり、本門三段は当家表上の法相なり第五の三段は当家内証実義の法相なり、今清十郎末法流通の法相を談ずるに至つて而も一代三段を以てする非義なり、所詮三段の法相は安公の講経に依るなり故に諸経皆三段有るなり、一品派・三段正宗の名目に僻執する小乗或は念仏三部経等の正宗に依る可きなり一代三段に依るを以てなり、則権宗に過ぐべからず笑ふに勘たり一丈の堀を越えざる者・二丈三丈の堀を越ゆべからざる故なり。 次に本迹殊なりと雖も不思議一・一なりと雖も而も本迹宛然の釈・玄の七と聊か思ひ違ひしなり臨時の失念なり竜斎老病の失念なり、是れ妙楽の三千宛然亦依正宛然の文の記の十の一と雖も而も本迹宛然の文と思ひ違しなり、是れ文に謬らざるなり、失事は失事なり臨時の謬なり、但し高祖猶臨時の御失事之れ有るなり況や凡夫をや、然りと雖も決して八品門流の謬にあらず唯た竜斎一人の臨時の失事なり、亦此の時強いて問答を請せずして止むるに義旨有り全く文に於て謬らず。 一、清十郎が問答非礼なり猶不学者論に負けずと言ふが如きの風情か、蓋し清十郎が猛勢豺狼に似たり仏法の実義を談ず可きの人にあらざるか、故に問答を請けざるなり。 二には弁明御所化並に三絃屋伊兵衛殿出席せざるなり是れ根本を失するなり、怪むべし亦約を変じて多人数なり廿六人ならず、恐くは人機計り難し定めて清十郎に似たる人も之れ有る可きなり、故に且らく勝を譲つて問答を請けず、二には御公義の聞えを恐くは防非止悪の規掟書を定めんと欲する処、一品徒忌み之れを傷み頻に辞す是れ怪むに堪えたり、以て忍を守つて以て勝を譲りて後の問答を請けず、元より竜斎名利名聞の為にせず唯だ大悲化導の実義を以て法門の大事を決せんと欲するのみなり。 右三条の意有るを以て且らく勝を清十郎に譲るなり、謂らく多聞博覧を諍ひて何の詮かあらんや、故に未た門流の法門の大事に到らざるに初の問答止め畢るなり、若し亦問答を請はヾ高祖既に臨時の御失事之れ有るを以て且つ大強精進経の如きか、或は太田抄の越中の書記を望むが如きか、或は両愛染御本尊の如きか大聖已に然り凡愚奚んぞ失事なからんや、謬と云ふに足らず等と申す可き者なり、然りと雖も竜斎寛仁大慮にして此の語を述べず直に勝を譲る者なり、若し亦問答勝利を得ば恐くは大変を生ず可きか、例せば安土論の如きなり何を以て之れを知るや、謂はく清十郎が猛気悪獣の如し、悪獣其れ安んぞ道理を知らんや、宗義の大事に於て敢て諍論すべからず故に止むるなり。 問ふ清十郎が猛気を懼るるや云何、答ふ然らず恐くは邪意有らん事を怪しむ故なり、問ふ其の邪意の所以は云何、答ふ一には約を変じて刻限遅退し夜陰に及ぶ、二には約束を変じて多人数なり、三には砂村常八再三還つて来り亦来つて還るなり、是れ疑らくは近隣に隠状の人有りと覚えたり、四には弁明来らず、五には防罪の掟書を忌むなり、謂はく近年大石寺徒吾か門に対向して数回宗義を論ず、然るに大石寺徒一度も勝利を得ず、故に積欝を散ずる邪意有らんと欲す、其の証向きの如く猶肺肝を●るがごときか、若し万一異変を生ずるに於ては後来化道を妨ぐ是の故に問答を望まざるなり、大石寺徒が邪見知る可きなり彼の徒の法門亦之れに類す憐む可し。 上件を以て去る十月浅艸に於て弁明伊兵衛等の問答筋今に於て決せざるなり。 口述 一、一品の徒の云はく古来より記録の法門仕らず云云。 八品流の云はく一品の徒等厳しき難条に預り酬答すること能はず、則止む所無くして古来より記録の法門を為ずと云ひ遁語を構ふ肺肝を●るが如き者なり、此の語に就いて一品徒の愚昧邪謬を顕すに聊か十条を以てす、凡そ文章問答に於ては古来先聖咸く之れを許す所以、天台等の如きなり(是)一、蓮祖の旧例を以ては且らく十法界抄・四信抄・阿仏抄等の如し(是)二、次に通例を以て五人所破抄・諌迷論・中正論等の如きなり(是)三、次に世間の通格の如きは言語は跡無く後証に成るべからず、故に証文証書を以てするなり(是)四、次に公辺政事に約して願書・請書・口書・届書等を以て後証と為し定めて文章を以て決定明白の為なり、一品徒に於ては公辺より御尋之れ有る時はこ口述のみにして書記を為さずと云ふや(是)五、先年京都要法寺造仏用不の諍論有り、則ち公辺より御尋に就いて書記を以て申し上くるなり、今奚んぞ記録を為さずと云ひ以て偽妄を企つること云何ん(是)六、凡そ三国に通じて経釈文章を以て明証と為す、然るに今一品徒書録を忌傷するは其の法流・無証拠・邪談の故を以てか(是)七、先書の何条既に三大秘法抄を以て偽造に擬するなり、然るに一品徒酬答する能はず口を噤み畢んぬ、蓋し彼の抄偽造相定まるに於ては則ち当に寿量一品の門流直に滅亡すべきなり、汝等堂塔の建ち並ぶを以て大法在りと思はヾ大に僻案なり、然るに其の流派滅亡すと雖も尚恐怖して以て決答することは能はざるは何の面目有つてか徒らに三宝を礼し亦人倫に対交するや(是)八、夫れ吾が国を文物国と為すなり文章を以て明証と為すが故なり、何ぞ文章を弗ふや是れ国風に違ふ怪異なり、又実に一品徒は往古より記録の問答相成さヾるに於ては此の方より達する所の先書・記録・難条曽て開封を致すべからざるなり、爾るに一品徒等既に開封して以て熟覧に及んで後酬答成し難きを以ての故に免れんと為るに由し無く、事を昔に課せ古来より記録問答を為ずと云ふことか、浅々たる詐偽無的の曲会なり(是)九、大石寺徒文章を忌避すること怪異の甚きなり経釈を誣滅せんと欲する先序か、謂はく大石寺、金口相承も明証無く、経釈祖判の拠を見ざるなり、亦二箇相承も妄談なり、亦高祖肉附の御齒と云ふも偽造為るべきなり所以に駿州富士郡・重須・上野・天満等の古老の僧俗申し伝へて云はく大石寺に於て肉付の御齒と云ふ者を出して衆俗を誑かす三十年今に偽作なりと最も応に然るべきなり、其の理に当らざる故に正と為すに足らず、謂はく縦令ひ高祖の御●齒と雖も生肉の付く可き道理無きなり、亦池上御荼毘の節・日興尊者自ら火中に入て御齒切り取り来り給ふと云云、此の説甚た怪む可きなり、若し此くの如んば興尊者は是れ非礼非義道の罪人なり奚んぞ其れ此れ事有らんや、知りぬ後世・杉の森日有が如き下愚の偽造なり、況や此事高祖及び六九中老僧寺の伝語の書無し、則一品徒の例の無証拠・無文証の怪談なり、抑も亦一品徒古来より無文証の妄談を致し来る故に今も亦文章の問答を不むか(是)十。 右十条先書と共に酬答有る可きなり、若し然らずんば先書に添へて以て諸檀林に伝写流布せしむべき者なり。 正月 八品門流本了 同 構中 一品門流弁明御所化 同 御門徒衆中 真竜院と云ふ者有り僻書を以て当流を難ず、茲に因て止むことを得ず之れを会通す、正月下旬檀越の●望に依つて之れを授く。(日量上人附記) (巻首日量上人附記) 興記 奚に八品流の僧真竜院と云ふ者あり帰俗して後藤竜斎と云ふ、天保六年十一月朔日・向ふ両国柏屋と云ふ、茶店に於て永瀬清十郎と対論に及び終に口を閇ぢて弥よ負けたる事を治定す、然りと雖も猶邪心止まず欝憤を散ぜん為に愚難を書して弟子本了と云ふ僧に名を託して当門流に贈る、即ち此の書なり。八品門流疑問 三通。(量師奥書) 邪難の会通の草稿 竊に以みるに雲霧を披きて蒼天を看れば則明月清々たり、震風を澄して澣海を観れば則浄水平々たりと、粤に蝙蝠の僧有り名けて竜斎と曰ふ、先敗の耻辱を雪かんと欲して難ずるに僻書を以てす、腹皷雷霆を懐き薄水を蹈み滄溟に乗するが如し、夫れ名は実の●なり竜斎と称するも亦甚しからざるや、論ずるに足らずと雖も幼童の為に粗ほ大略を述す、首めに邪難を●し次に悉く評破す。 第一問 富士大石寺流・漫に本門正宗に依つて寿量一品を以て弘経すと云ふ、若し然らば在世脱益の分なり末法に的当せず云何ん(已上邪難)。 蓋し聞く蝨は頭に処して稍や黒く●は糞中に在つて其の臭を知らず、●ち邪流に染著し糞壤に顛躋す、今吾れ弾いて茲の●斧を摧く、文句に曰はく但当時大利益を獲るのみに非ず後五百歳遠く妙道に沾ふ、疎記に曰はく非但の下は正く正宗を明して流通の本と為す(已上釈文)、汝ち恒に在世に約すれば則正宗を勝と為し流通を劣りと為す滅後に於ては則之れに反すと云云、今台祖当時等の文・在世後五百等の文を指して正に末法を論ず、荊谿の分科に曰はく正に正宗を明すと等、験かに知りぬ在滅倶に正宗を流通の柱礎と為すことを、然らば●ち本を棄て末に附く厥の流弊滋す多し(是)一、宗祖の曰はく、問ふて云はく誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや、答へて云はく寿量の一品二半は始めより終りに至るまで正く滅後の衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり(已上祖書)、蓮祖寿量等を以て末法の正意と為し給ふこと験けし、既に曰ふ今時日蓮剛然として置疑する所無しと(是)二、汝本尊鈔及以ひ日興記等を僻解して寿量を以て在世脱益の辺に約し偏に在世と為すなり、儻し然らば取要抄の金文其れ之れを如何ん(是)三、又寿量に於て種脱等有り、妙楽云はく三段既に其倶生種等と是なり(是)四、祇に知んぬ脱益の辺を以て在世の本懐と為して下種を以て末法の正意と為すことを知らず、二五を知つて十を知らざるの癡子なり(是)五、夫れ璞鼠の名・燕石濫珠に通ずと、鳴呼哀なるかな偶ま寿量脱益の文を●つて耳を惑し心を驚かし名同しく義異なるの深旨を識らず、執諍紛紜徒に岐路を増す、盲人の瞎馬に騎り聚蛾の●火に趣くが如し豈に危からずや嗟夫本祖のの遺文未だ地に堕ちず請ふ就て研尋せよ、漫に胸臆に任せて莠言を吐き炎羅の鉄鞭を蒙ること勿れ。 又云はく若し寿量文底に末法の意有りと云はヾ是れ理性なり則躰妙実相なり理躰差無く理に早晩無きの釈是れなり(已上邪難)。 夫れ寿量文底に於ては古今轍を異にし蘭菊紛紜たり、予不侫無乃ろ輙すく録出を穫んや、然りと雖も試みに愚推の一端を述ぶ大凡文底とは経意に喚んで之れを名つく寿量の肝心と曰ふ是れなり焉んぞ其の理の旗匿に泥まんや(是)一、汝文底を破らんと欲して此の釈を引く是れ何の謂ぞや誠に台当両家の綱格に迷ふ種等の三義ほ謬る何ぞ文底の深意を知らんや(是)二、蓋し惟ふに醍醐を嘗めざる者は●●の薄を知らず、崑崙を覯ざる者は丘阜の卑きを知らず、文底の聖域に入らずして焉んぞ無価の宝珠を得んや。 又云はく玄七に云はく増道損生皆是れ迹中の益の釈意なり末法本門の益と為すは僻見なり(已上邪難)。 古に云はく鹿を逐ふ猟夫は大山を見ずと、誠なるかな●を前敗を顧みず茲の愚難を致す誰か此の釈を以つて文底の意と為さんや、夫れ増道損生は専を在世脱益に閾きれり所謂文上の寿量是れなり、文底とは要法なり之れを寿量肝心と謂ふ、夫れ大師本化の住処を釈して法性の淵底と曰ふ、蓮祖要法の所在を以て寿量の文底と曰ふ、豈に法性の極理法性の極地に住するに非ずや、茲に因つて之れを観れば汝迹中の益等の文を引く疑難の蒙弊甚しきなり、縦令ひ智を姫孔に仮り弁を儀秦に擬するも百比をば馳せ万疑を作すとも殆と瓦解の如くならん。 又云はく御書中に於いて寿量の妙法・亦是好良薬妙法等と遊ばす神力品より還つて判ずるなり、例せば本尊抄の内証の寿量品の如し則結要の題目に帰するなり云云(已上邪難)。弾責して曰はく夫れ内外の祖判・但寿量の肝心と曰つて神力の題目と曰はず(是)一、経に云はく是好良薬奈んぞ神力を指さんや(是)二、汝曲会して神力品より還つて之れを判ず儻し然らば其の文証如何(是)三、又経文赫著なり寿量既に已に悪世末法時と曰つて四信と五品とを説き区ちに修行寿量を別つ濁世の要法無し、悪世末法時の鳳詔・妙徳阿難の謬妄か(是)五、汝慮ること無くして深く経旨を考へず其の理の齟齬することを知らず一時の私説疑難を作為して家の●則を純らにして帰俗に悪声を惶れて事を法難に寄せ名を弟子に託して吾が派の秘法を竊まんと欲す、誠に此れ法賊の渠魁と謂つ可きなり、孟子に曰はく逢蒙射を●に学ぶ●の道を尽くせり、思ふに天下惟り●のみ已に愈されりと為すと是に於て●を殺す、孟子の曰はく是れ亦●も罪有り、是れ我が深秘●轍を以て汝に与へざるの一なり、縦令ひ之れに告ぐるも蝙蝠の嬰児奈何んぞ之れを信ぜんや、蓮祖云はく若し秘蔵せず妄に之れを披露せば仏法に証理無く二世に冥加無けん云云、(已上祖書)、蓋し其の信謗に依つて之れを斟酌す豈ゆ其れ然らざらんや。 第二問 寿量の中に顕露の題目無きなり等(已上邪難)。 余や此の妄言を観て喟然として歎じて曰はく蓋し聞く下愚は移らずと先聖すら猶痛む矧んや●ぢ愚惷をや、今瞳朦に鍼灸し粗梗概を述す膚に銘じ骨に鏤せよ、本祖曰はく是好良薬の妙法は寿量品に説き顕す(取)意(是)一、又曰はく南無妙法蓮華経如来寿量品○此の品の題目は日蓮が身に当て大事なり神力品の付属是れなり(已上祖書)、彼ら既に曲会して曰はく神力品は開会の文なり故に南無と曰ふ(已上邪難)噫々是れ何の言ぞや汝固陋寡聞此の暗懐を吐く幾んど方底を以て円蓋に副ゆるが如し、蓋し南無の二字を置くに至つては天台伝教すら既に之れを置く奈んぞ結要付属を藉らんや(是)三、況や法華論等に依準するに諸経の首題必ず南無の二字有り、(是)四、又十神力の時一切群生之れを称唱する者の正に寿量の顕説に頼る(是)五、寿量に於て妙法を説かずんば焉んぞ本地難思境智等を釈せんや(是)六、矧んや仏意五重玄に於て但寿量一品に限らんや(是)七、汝第だ宣示顕説の文を●て尅いて神力一品を定む、法師品の三説超過・薬王品の十喩校量祇之れ当品の法躰に限らんや(是)八、夫れ四句の要法重ねて寿量の妙法を説く、例せば涅槃に再び法華の寿量を演ずるが如し(是)九、六祖寿量を以て一部の最極なりと釈す、本祖曰はく二十八品の肝心とす(是)十、汝之れを沮まんと欲せば恰も蟷臂の車轍に当り群羊の師子王を攻むるが如し、豈に得可んや。 又云はく二十八品の如き悉く題目の文亦復寿量の本因既に初住と為す等(已上邪義)。破斥して云はく●ぢ未だ本祖の旨皈を識らず故に祖書を解するに至つて謬妄亦甚し、蓋し二十八品悉く題目とするは内証の妙法に皈す、是れ則ち助行を以て正行に蒙るの大格にして百千の枝葉同く一根に趣く是れなり(是)一、次に本因初住は此れ台祖乃ち釈くするなり名字の修行に非んば安んぞ上位の階住することを得んや、其の本原を推検するに名字に在ること昭然たり、蓮祖既に凡夫の時と曰ふ豈其の証にあらずや(是)二、猶迷者有りて之れを拒むは猪の金山に於けるが如し燦然として惑ふ事能はず。 第三問、一品徒・法門成立せざるを以て中古已来恣に謀書を作為せしめて俗間を迷惑す、(乃)至一期弘法書、三大秘法書或は本因妙抄等なり(已上邪難)。 夫れ知らざる者は之れを知る者を疑ひ未た見ざる者は之れを見る者を疑ふ、漢武の弦膠に於ける魏人の火布に於ける蓋し是の類なり今不知を以て之れを疑ふ過ち汝に在り、蓋し弘法書の如きは二個の相承の一にして蓮祖の紹命たり聊か例証を引いて汝が迷妄を解かん、夫世雄在世の時本迹両文塵数の薩●・恒沙の声聞塁々として星の如く羅り洋々として雲の如く布く只世尊を瞻仰して膝を屈し掌を合せ頻に此の土の弘経を請ふと雖も秘印遺嗾祇だ上行薩●に限るのみ、在世すら既に爾り矧んや滅後に於てをや(是)一、又漢土の天台智者・玄化全盛の日に於けるも修学鑽鑚仰の侶・既に一万余輩と称す、独り章安尊者恵解絶倫にして奥蔵を洞暁す、智者円寂の時殫く法を尊者に属す、我朝の教大師・転法輪下三千余人、特り精選に膺り親り秘訣を承くる者翅だ義真一人のみ、茲に因つて之れを観れば何ぞ蓮祖独り異なる事を為して先例に従はざらんや(是)二、吾が本祖還滅の日・数百余輩の竜象の中特り法器に中る者・日興尊者一人のみ、宜なるかな遺書有ることを、夫れ吾が興尊者は宏覧博識の才・神悟英達の智学内外に渉り尤も筆芸に善し、恒に蓮祖に侍して随聴筆鈔して益々秘奥に臻る、法戦の場に当る毎に弁●敵無く能く闘ふ者と雖も甲を卸し、戈を倒にせざること莫し、法城の孔明なりと謂つ可きなり、蓮祖之れを称歎して曰はく問答第一・行戒智徳等と、既に三箇の鴻宝を譲つて秘璽密訣・●尽して余り無し、夫れ器許以以後の事・尽く付するに秘薀を以て特り本門弘通の大師と称して今に到るまで其の道に違はざる是れ之の由に職る、豈所謂孔門の顔回・釈家の慶喜なる者に非ずや、是の故に声名当代に●々として遺響今時に、靄々たり、孰れか謀書を作りて自ら欺き亦也を欺かんや(是)三、蓮祖皈寂の後・尊者独り遐寿を享け美風を振興するもの久し、是の時に当りてや諸師各々脱迹を執守し津梁に迷はざる者幾んど希なり、是に於てか横議諍論未た遑あらず、時に尊者其の謬説を●斥して衡を経釈に秉る、吁々興師微つせば吾か宗の正法殆んど宝塔に堕ちん後世に邪師蜂起し夸説するに至るに曁んで日々に●●を加ふ杜撰是に於いて復た盛なり、予嘗て其書を閲す各々●門を執する益す多し、其の言迭に相非斥詭異し其の論脈系を本祖に秉つて挙つて嫡嗣付法と称すと雖も大率亦街談巷議に近きのみ、吾が大石精舎独り三秘を伝へて顛沛造次も蓮祖の行儀に違ふことなし、二箇相承の光輝に非んば豈に能く斯くの如くならんや(是)四、況や慶長辛亥の年の十月二日・一期弘法書及び池上相承(之を二箇の相承と曰ふ)後藤光次に寄せて上聴に達す、実録の載する所儼然として今に尚存ず、孰れか謀書を以て公庭を欺かんや噫々悲しひかな大聖の真書を以つて漫に胸臆に任せて偽妄と称す蓋し己が分を知らざるの甚しきなり(是)五、秘法抄の如くんば宗旨の三事明著にして最当門の綱格なり、噫々惑へるかな偽撰と称して之れを沮はむ、宗祖の曰はく戒定恵の三学寿量品の事の三大秘法是れなり、又曰はく宗と申すは戒定恵を備ふる者なり(已上祖書)、汝宗旨の三秘を信ぜざれば日蓮宗に非ざるなり(是)一、良々惟ふに戒壇の創築は仏法の恒格古今異轍無し、蓋し●那の在世・祇園外院の東南に於て之れを建創す、是れ則ち梵国戒壇の権輿なり、在世すら既に爾り矧んや滅後をや(是)二、夫れ本朝大和国東大寺鏨真が建つる所に於ける此れ吾が朝の戒壇の濫觴なり、爾前迹門すら猶戒壇有り矧んや本門に於てをや(是)三、是れ誠に仏法の定例なりと雖も天寵を蒙りたるに非ずんば草創是れ難し、王臣の帰伏を俟つ所以のみ、何ぞ仏法の恒例に背いて偽撰と称せんや(是)四、汝寿量称歎の文を覯て自立する事を成さず故に此の妄言を吐くか、内外の祖判僉な此くの如く既に向きに論するが如し(是)五、蓋し聞く一び衣蜂を取つて慈父之れを疑ひ三び市虎を伝へて衆人之れを信ず、人情僉な爾り豈に慎まざるべけんや、夫れ本因妙抄は吾が門の秘伝・興師在世に於けるも三位日順なる者有りて之れを注解す本因血脈詮要法是れなり何ぞ中古已来と曰ふや(是)一、古に云はく書は必ずしも孔丘の書ならず薬は必ずしも扁鵲が方ならず、義に合する者は従つて病を愈す者は良なり信なるかな此の言や、義理に合する者は皆之を信じて可なり、況や内外の祖書に●合し其の義昭々たるをや何ぞ偽撰と為ん(是)二、汝偶宗祖の微言を聞いて酔へるが如く狂ふが如く朦然として愚難を致す、嗚呼悲ひかな啻だ蓮祖の本懐を軽蔑するのみならず、抑且含識解脱の要路を滅没するの罪咎焉より大なるは莫し、夫れ後分涅槃の若きは始め挙な偽経と曰ふ、唐に至つて刊定して正経に入る、外典も亦然り周髀は先賢評して偽撰と称す明清人に至つて始めて其の微を知つて周公の真撰なる事を信ず、夫れ輿薪の見へざる一羽の挙げざる者は其の責め誰に皈せん後来の君子群に察せよ(是)三、顧ふに夫れ宗旨三秘に於ては群賢の聞見に富めるも其の猶諸を病めり、況や黄口童子に於てをや、●ち皈俗の大罪を犯して事を弘通に寄せ妙音観音の化現を引て例証と為す、前禍を鑒みず此の悪言を吐く、設ひ智は以て非を文り弁は懸河に類するに足るも、口腹の為めに宗義を称誉するの姦賊にして祖道を売るの罪人なるのみ、儻し爾らずんば出家還俗の者は其の失五逆を過くるの厳誡其れ之れを如何ん、予豈に自ら讃し他を毀せんや、所謂爾に出たるものは爾に反る者なり、夫れ戴淵剣を投じて忠義に皈し周処心を改めて三害を除く、疾く慢幢を倒して邪見を翻へし一時の名利を邀へて万劫を悔ることを勿れ。 又柏屋一途と題する贈書有り悉く無知妄作拠る所無し評するに足らずと雖も畧々一二を摧かん永瀬の一代三段を以て問難と為す所以の者は汝流通を以て正宗を破するに拠ての故に此の謬解響くが如く之れを論ず(是)一、雖一而本迹宛然の文を以て玄義の二・或は七と曰ふ其の謬説を飾らんと欲して蓮祖を以て之れが証と為す、若し蓮祖の謬り無んば汝之れを如何ん小人の過は必ず文さると其れ此れを謂ふか(是)二、弁明来らず云云悪々是れ何の言ぞや吾れ汝と未た約諾せず故に往く事を果さず、今や汝に再三対論を乞ふと雖も反て震恐して遇はず、翩々として之れを師に反覆す奈何んぞ齒頬を汚すに足らんや(是)三亦曰はく約を変じて人数を多くすと云云、大論に曰はく三より以上を皆名けて多と為す(已上論文)、汝既に二十六人と曰ふ亦多からずや(是)四、孟子に曰はく昔は曽子子●に謂つて曰はく子勇を好むか吾れ嘗つて大勇を夫子に聞くと、自ら反さふして縮からずんば褐寛博と雖も吾れ惴れざらんや、自ら反さふして縮くんば千万人と雖も吾れ往かんと、汝恐にして多人を慮す誠に是れ直しからざるを以てなり曷ぞ実朴と為ん(是)五、又云はく勝を譲りて問答を請はずと云云、予茲に至つて筆を投じてけ●然として笑つて曰はく古昔了性が冨木公に於ける汝が永瀬に於けるや、古今異にして其の理は一般なり、天罰を蒙るに非んば安んぞ此の廃妄に至らんや、仲尼既に云はく当つて師に譲らずと、儒門猶爾り矧んや、釈門出世の儀則に於てをや、然れども寒黙低頭、酸鼻巻舌、面を以て席を掩ふ負に非ずして何ぞ、三尺の童も傍ら観て其の勝敗を知る矧んや有識の君子をや(是)六、又遁辞に曰はく且つ大強精進経の如きか或は太田抄に越中書記を望むが如きか或は両愛染本尊の如きか、大聖すら已に然り凡愚奚んぞ失事勿からんや(已上邪難)、吁々悲ひかな痛ましひかな事を宗祖に託して謬錯を遁れんと欲す、所謂遁辞は其の窮まる所を知る其れ此の謂か、夫れ大強精進経者は南獄引て之れを証す何の謬事か之れ有らん、太田抄の如きは惟々将来失謬にして何ぞ蓮祖の過失と曰はや、両愛染の本尊は今論ずる所に非ず、汝恒に現行の祖書に無き者は僉な以て虚搆と為す、今や此れを以て証と為す豈に自立廃忘に非ずや、釈に曰はく若し弟子有りて師の過を見ては若しは実若し不実其の心自ら壊して法の勝利を失ふ(已上)、此れに由て之れを観れば誠に城者城を壊つるの姦賊にして仏法中の獅蟲なり(是)七、嗚呼彼れが理に疎き如く甚しひかな、予焉ぞ弁を好まん惟法を是荷ふのみ。 又丙申の春に至つて十条の問を以て之れを難ず荒蕩孟浪拠る所無し論に及ばずと雖も彼れ等に対して教誨するに非ず蒙童の為に聊蟲か梗蘖を述す、夫れ天台伝教等他にして答書有りと雖も上代摂受の●則にして濁世末法の法式に非ず(是)一、●ち祖書を引いて蓮祖を旧例と為すと雖も信者に答書して謗徒に授けず(是)二、五人所破抄の若きは秋山氏に授与す、此の已下の末師の答書何ぞ労はしく論に及はんや(是)三、願書等の如きは世間の政事なり何ぞ此れを以て彼に混ぜんや(是)四、又吾が朝を文章の国と曰ふ何を以てか証と為すや、按ずるに日本記神武の巻に曰はく大に牛酒を設け以て皇師を労饗すと、又崇神巻を見るに蓋し神亀に命じて以て至災の所由を極むるなり、夫れ牛酒神亀は皇国の古法に非ず文章虚飾厥の正実に害ある事験し、況や廻転逆読漢籍の法に非ず何ぞ文章の国と為んや、清原の大宮詔して曰はく朕聞く諸家の●らす所の帝紀及び本辞既に正実に違ふ多く虚偽を加ふ、旧辞を討覈し僞を削り実を定め後葉に流へんと欲すと、夫れ言語の国にして文章の国に非ざることを必せり、又帝・稗田ノ阿礼に勅して先代の旧辞を習はしむ、此れ言辞の国と為す所以なり(是)五、予や汝が僻書を閲するに亀毛の義・兎角の論一として拠る所無し、一皷して蟷斧を摧かんと欲す意はざりき●ち恐怖して遇はざらんとは、儻し然らば弥々邪義を掩ひ難からんや(是)六、宗祖曰はく忽ち返状を書して自他の疑水を釈かんと欲す但歎しくば田舎に於て邪正を決せば闇中に錦を服して遊行し●底の長松・匠を知らざるか、速に天奏を経て疾く●対面を遂げて邪見を翻せ、書は言を尽くさず言は意を尽くさず悉く公場を期す(已上取意)、蓮祖の旧例拠茲に在り豈ゆ其れ証せざらんや(是)七、将に深秘の薀奥を知らんと欲せば専ら期庁の決に在り三人四人並座して之れを読むこと勿れ全く其れ此に在らしめんや(是)八、●ち金口相承を破るに至つては殆ど鷦鷯の雲鵬を笑ひ●●のの竜象を謗るが如し、妙楽曰はく金口相承人法兼ね挙ぐ、又曰はく師資相伝是れ今の正意なりと(已上)、権迹すら猶爾り況や本門に於てをや、古人曰はく震雷の●●たるも而も音を聾瞶の耳に致す能はず、重光の天に麗るも而も景を幽岫の中道に曲する事能はずと、誠なるかな此の言や縦令ひ之れを暁喩するも豈ゆ得て聞く可んや、嗚呼痛しひかな蝙蝠の邪師・縦令ひ雲を燈燭に代へ●を翰林に忘ると雖も豈に得て知る可き者ならんや(是)九、又彼れ蓮祖肉附の御齒を評して蓋し僞造なりと云ふ、夫れ聴法の髑髏すら猶効験有り矧や蓮祖に於てをや、今且く先例を引いて之れを曉す、昔は什公諸人の前に於て誠実の誓を発して曰はく吾が伝訳謬り無くんば焚身の後・舌●爛せずと言ひ訖つて逝す、果して然り紅蓮の赫然として光輝あるが如し、彼れは文殊の化現・此れは上行の再誕高下懸隔猶雲壌のごとし何の恠むことか之れ有らん、汝其の本源を知らずして愚俗の浮説を聞き既に三十年と曰ふ、已に還つて●爾として言を改めて曰はく日有師の若きもの之れを僞作すると、日有師人寂より茲に三百有余載、嗟妄言謾評取る可きもの無し誰か其れ之れを許さんや(是)十、今彼れが難ずる所を●るに虚空に向つて礫を飛すが如く一も吾が門に允当せず、彼の愆つ所勝ちて計る可らざるに至る、所謂毛を吹いて疵を求め皮を剪つて血を出す殆ど是れか、粤に予不肖彼れ等が邪義を●んと為す浅識を寡聞を剣●し僣●を臂し鄙懐を縷し後葉に送る、碌々たる井蛙の庸才嗤笑を海若に貽すこと必せり、伏して賢哲の鞭後を●ふのみ。 維時天保第七竜集丙申翼月下浣・便妙東鷯林に書す。 編者曰はく雪仙文庫所蔵(写主不明)の本に依る、原本問答何れも漢文なるを延べ書にす。 |