富士宗学要集第七巻
加藤妙法寺往復書
加藤妙法寺往復書一 ・・十四条試答 大科 大科とは凡そ一聯の文中に分て大科幾く文段と為す其の大科の中に又小科を立て又細科細々科有り是れ学者をめ解し易カラセンガ為ナリ、今挙ぐる所の十四条は逐一分離の文也奚んぞ大科と言はんや。 一、仏は世に出でさせ給ふ何の為なるやの事、附り経文引書を聞度き事、仏の出世之本意と者是れ末法、法は是れ三大秘法也、故に三大秘法抄に云く法華経を諸仏出世の本懐と説れて候は此の三大秘法を含たる経にて渡らせ給へは也秘す可し云云。 一、一致未得道の証拠の事、経文引書同断。 本月廿日議論の時貴僧既に領納し了れる也又何をか之を言はんや。 一、本迹一致無得道と云て八品の外を読誦するの理之れ無き事。 余未だ唯八品のみを読誦して余品を読まざるの門流を見聞せざるなり、知らず貴僧何れの門流を指すや、若し夫れ隆徒が八品門流の如きも、涌出已降嘱累に至るまでの八品を摘取して以て末法弘通の要則と為す、然りと雖も読誦の一個に至っては専ら通序方便法師偈・宝塔・寿量・神力・陀羅尼・普賢品等を読誦す、且つ吾が門流は方便寿量の二品のみ、御書に云く此法華経は相伝に非れば知れ難し、乃至謂れを知らずして習ひ読む者は但爾前経の利益なり、然らば尊者の問文は全く余が門流には関らず反質す尊者何の門流を指すや。 一、本尊抄・開目抄・聖人写瓶の口伝何の師なる事、余は私見に摂す。 指曰く六老僧第三富士大石寺の開基白蓮阿闍梨日興上人なり、御附属状曰日蓮一期弘法白蓮阿闍梨日興付属之可為本門弘通の大導師也、国主被立此法者富士山本門寺戒壇可被建立也、可待時而已、事戒法謂是也、就中我門弟等可守此状也、弘安五年(壬午)九月日・日蓮血脈次第日蓮日興云云、本尊抄を富士氏に開目抄を四条氏に賜ふ事有りと●も、是れ但た俗弟に而附法の直弟写瓶の法器に非ず、其の現証と者吾興門の立本尊抄・開目抄等の大事の御書に符節を合せたるが如し、之に因て之を見れば大聖の滅後三徳の獅子座に昇らん人は興上に非ずして誰ぞや。 一、祖師の著述多しと●も五重玄に配当する時は何れか其重に当るかの事。 五重玄其の旨博し矣、迹門約行の五重・本門約説の五重等片楮に尽す可きに非るなり、今但た略答するのみ、夫れ内外の聖著一部の中に於て何れか五重玄を具足せざるは無し、蓋し一部の祖書中に於て此の書は配め名玄義に限る此書は躰玄義に適し此書は宗玄義に充つ等説有りと言はば諸門不通の僻説也、吾門何ぞ之を秉らん。 正く宗祖出世の本懐たる五重玄を摘要せば則本門寿量・三大秘法の五重玄是れ也、故に本尊抄に云く是好良薬は寿量品の肝心名躰宗用教の南無妙法蓮華経是れ也、三大秘法抄に云く今日蓮所唱題目異前代也亘自行化他南無妙法蓮華経也、名躰宗用教五重玄五字是也云云。 一、唱玄号得菩提過現未に渡るや否やの事。 熟脱果上の玄題末法無善の衆生の為に所益無き也、天台疏に云く本未有善不軽以大強毒之云云、末法現時の群生は本未有善の機類也、故過世に亘らず但現未を益す、大田、教行・取要・撰時・上野・高橋抄等の聖判是れ也。 若し実を剋め一致者流の謗法を論ぜば則時機失錯・種脱迷乱・本迹混同・水火不弁等一自り十に至り到らざる所無き也、古人云く醍醐毒薬一時に服と矣悲かな矣哉、此の謗法の辜を帯身而設ひ大地微塵劫を尽して果上の玄号を信行するとも必ず阿耨菩提を成ずることを得べからざる也、却て十方の大阿鼻地獄に陥墜して塵点不可量劫を経歴せんこと決定疑ひ有ること無き也、豈悲憫せざらんや。 一、読誦口唱の時・六難九易の偈を読まざる趣意を聞き度き事。 一、法華三部中聖人御滅度迄日々何を読誦し給ふやの事。 二条合挙め反詰す録内録外御在世中の正記録等に宝塔偈及与ひ法華三部を読誦するの明証有りや如何ん、日向天目問答記録に云く大聖人一期行法本迹也・朝夕の読誦は方便寿量也云云焉を思へ。 一、宗祖一代の弘化釈迦と異目有りや否やの事。 答て曰く垂迹本地に背カズ大段異目無し、蓋し時機に約セバ異目無キニアラズ下種益と脱益と(本尊抄)逆化と順化と流布ノ長と短と日と月と謗法の者の治と不治と(八幡抄)等也、聖人知三世抄に云日蓮は不軽の跡を紹継す云云。 一、宗祖御在世に勝劣の名義之有りや否やの事。 反問す高祖在世に本迹一致ノ名義有りや、大聖の御弘通は専ら盛んに本迹勝劣判ゆ有り、開目・観心・禀権・十法界・当躰義・取要・太田・薬王・得意・秀句十勝・立正観・治病・十章抄等皆其の明証也、故に御在世の時より本迹勝劣御正意なるふ顕然と著しきなり、尊者虚心に焉を択べよ。 一、日蓮宗流は佐前佐後の書在りと●も内外共に是とす他は何を正意とするやの事。 佐前未だ出世の本懐を顕サザルコト出て三沢抄に在り故に成仏の重に至テハ則用舎無クンバアルベカラズ宜ナルカナ従前本迹一致ノ門額を掲グルコトヤ、夫れ宗門御艸創ノ初・未だ三大秘法を顕はさず、国家論の如き則唯だ一然公のみを破シテ猶浄家の三祖に亘ラズ安国論に至テ三師及び源空ノ謬解を直貶スト●も而め尚未た真言密宗を破セズ並に正法に属ス唱題抄には題目を以テ悪趣を免ルノ法と為シテ未だ即成之大法と言ハズ、題目抄の如キハ余暇有ラハ又弥陀念仏を称フベシト云ふ、噫佐の前後共に是と為ば又真言は正法・弥陀念仏をも許スベキヤ否や、凡そ祖書を拝閲スルニ四悉の廃立・二門の取捨・文上・文底・当分・跨節・総釈・別釈・観心釈・四重の興廃・三重の秘伝・抑揚・褒貶・与奪・傍正等の深重有り、是の義を知ラズシテ祖判を読ムトモ尊者の所謂私見に摂ス還て祖意を失スル大物怪也、豈に甚深の大道を議ルニ足ランヤ拙し。 一、富士派の祖師●色の法会に限るの解を聞き事、附り経文引証。 ●と者鼠の錯りか、会と者衣の失ならん吾が門流未だ嘗て鼠色ノ法衣ヲ用ヒズ、但薄墨色を用ゆ豈啻祖像ノミナランヤ乎、一流の上下の僧総て之を着用ス、是れ乃ち末法の時機相応之名字即の色也、既に他門に於ても由来正き祖像は皆薄墨衣也、鷲の巣鷲山寺、京本国精舎鏡御影ノ如キ是ナリ、文証は者尊者本月廿日引用スル所ノ御書是ナリ、文ハ●毛ノ如シ云云、黒衣及ひ五正色之非法色なるふは者経律祖書の明文多端也、枚挙シ難シ、強テ憑拠ヲ願ハバ乞ふ師弟ノ礼ヲ用ヒヨ、余幸ニ師説ヲ聞記ス。 一、木像を諱むの事、経文何に依る事。 諱の字は忌の字の訛転なるカ、経文は法華法師品、天台は法華三昧の文、祖書の明拠は第九の巻也。 一、本尊認め方祖師種々に御遊して何れを是とするヤノ事。 本尊の相伝に於てハ別に甚深の秘決有り大石山主に非れば妄りに談ズ可ラザルナリ、已に一致門流の書に太祖本尊七箇口決ヲ以テ日興に賜フト云フ、又本尊は三大秘法の第一也、故に一致の日講も啓蒙の中に云く三大秘法に於ては別に相伝の書有り冥慮尤も恐れ有り云云、本尊の大事浪りに談セザル事尊者の先哲之を云フ矧んや吾門をや。 右十四箇所は愚俗の為ニ安心を聞くのみ。 副書に云く先刻は御入来被下毎々御苦労、扨は記し差出し候事件、愚俗之為に承り置度、界紙明の所へ朱書にて両先生へ御書入願度右申述度早々不一。 九月廿日 妙法寺 井上条橘様 正副両書共に愚俗の為と云ふは是れ誰そ、若し夫れ尊者謙遜め愚俗と言はは則是れ不相応也、応に愚僧若は愚沙弥等と言ふベキナリ、尊者は是れ能勢門の中の高才耆宿何そ我輩俗人に向て道を問ふ事を為さんヤ、矧や教導職之拝命は尊者の常に鼻端に安置する所の者なるをヤ。 因に一語ヲ発し幸に尊者の微笑を献せん、京師に一学僧有り元と尊者ト同流也教導拝命め而慢肩高く聳へ他を凌蔑め自ら古今ノ一人と誇り以て天下敵無しと為す僅んと天狗に依稀たり嘗て聞く震旦に天狗と云ふ者無し唯吾朝のみ有り、其鼻高く聳へ両翼ナリ闇夜に礫を投くと云云、謂く教導職之拝命は高鼻の如し、本迹一致と皇張するは両翼を展ブルニ似たり、興門無得道と言ふは宛も闇夜の飛礫の如し、豈大笑ナラズヤ豈大笑ナラズヤ、尊者も亦笑ヲ催スカ、抑も亦瞋るカ。 明治九年九月廿五日夜燈下に在て試に筆を運ぶ。 加 藤 廉 三 奥 源 之 進 様 井 上 条 橘 様 編者曰く加藤廉三自筆本雪山文庫蔵に依る、井上条橘等は妙法寺の檀徒にして廉三氏の化を受けつゝある人か、重版の時に漢文態を訳して少しく延べ書きと為す。 07-024 加藤妙法寺往復書二・・本尊論 嚮に与尊者共に議す宗綱を而め大段三条の中二条は既に決せり吾門の正に、尋て欲する議せんと所の残る之本尊の邪正を之処理正以ての抑止するを之を故に不め獲止を而約め筆録を退す。 原るに夫れ吾が宗二箇の本尊有り謂く法謂く人也、法と者所謂観心の本尊一幅の大曼荼羅也、人と者所謂久遠元初の自受用報身之尊像也此の人法は本来躰一にめ而法爾本有之総司・万法能生の父母也、今正に法本尊の的拠を●サバ観心本尊鈔に云く其の本尊の躰タラク本地の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊弥勒等は四菩薩の眷属とめ末座に居ス迹化他方の大小の諸菩薩の万民は大地に処め雲閣月卿を見るが如し、十方の諸仏は大地の上に処め迹仏迹土を表スル故ナリ是の如き本尊在世四十余年には之無し八年の間但八品に限る(已上)。 経王御書に云く日蓮か魂を墨に染め流め書て候そ信せさせ給へ(已上)。 本尊問答抄に云く末代悪世の凡夫は何物を以テ本尊と定む可キヤ、答て云く法華経の題目を以て本尊とすへき也(已上)。 次に人本尊と者報恩鈔に云く一には日本(乃至)一閻浮提一同本門の教主釈尊を可し為す本尊と所謂宝塔の中の釈迦多宝已下ノ諸仏上行等の四菩薩可し為る脇士と(已上)。 三大秘法抄に云く寿量品に所の建立する本尊は五百塵点の当初より此の土有縁深厚の本有無作の三身教主釈尊是れ也(已上)。 宝軽法重抄、呵責謗法抄、本尊鈔、当躰義抄等尋て文を可し看る、是れ乃ち吾門相承下種本尊の之正拠にそ而並ゆ非す熟脱の本尊ゆ矣也然り而め一致八品一品二半寿量一品等の諸門派僉悉く熟脱の遺像立て以て本尊と為る者は碩に宗祖の本意に乖戻す、其れ釈迦多宝等の二仏並座ノ如き迹門宝塔会の説相ナリ、加るに四菩薩以てすと雖十界闕減セリ、縦トヒ十界ヲ整備ストモ豈所具を以て本尊と為ルノ謂ひ有らんヤ、内外の聖録断め此の義無、尊者其れ九思一言以て末法の本尊ヲ定判セヨ抑て正答ヲ俟つ、是れ祈る。 明治九年九月廿四日 加藤廉三・荒木儀兵衛 代筆 加藤五兵衛 妙法寺日庸貴師侍者御中 編者曰く雪山文庫蔵加藤五兵衛(後の道栄)自筆本に依る、荒木儀兵衛とは後の清勇なり、妙法寺は 豊能郡歌垣村にあるものなるべし、又曰く重版に丁り易解に供する為に漢文態を訳して延べ書と為せり。 客歳九月・僕卑陋の文を以て吾が日興門流所立の本尊を述し、復た傍らに五箇の尋問書を録し併せ尊者の机右に呈す、而して十一月十三日其の復書を閲するを得たり即時一覧し来れば答言問語に齟齬して全く正対致らず、因って想ふに此くの如き躰裁にては縦令百般の書通往復あるとも徒らに天下有用の楮毫を費すのみにして約まり正理に結皈する能はずと、爰を以て春暖の気を俟って貴地に再往して逐条其の旨帰を問はんと欲す、既に京地の講究繁務にして殆んど半旬の閑隙を得ず、比属ろ浪華に出て帰路を池田村にとり直に貴地に達し面上を乞ひて其の条を研磨せんと欲するの処、仄に伝聞すらく吾輩答辞を失せりと、是れ大に愚意に反せり、之れに因て今嚮に貴師の贈る所の答冊上に不審の数件試に其の概略を指挙す、 夫れ余が所問の五条たる徒に訳人註者の糟論を嘗めず直地に大聖の金言に憑る故を以って迹門五種の問言必ず新注等に憑らず、而るに貴師言ふ日蓮宗義は発迹顕本の上は本迹倶高と取ると是れ其の法躰の優降に依って五重の開顕あるを知らざるなり、反質す開権顕実の上は権実倶高となるや、日導の綱要に一代一致を僻難とする者は吁邪会の甚しひかな。 第二次問、本門に二種有り、貴答に云はく随自随他あり吾宗の正意随自を是とす、御義下(十丁曰)はく其の文底に約すれば十界・我実成仏本覚無作の義を釈成す、而して曰はく今日蓮等の類・南無妙法蓮華経と唱へ奉る者寿量品の本主なりと、是れ順縁に約して焉を判ず、若し逆縁に約すれば唱題の者を指して直に寿量の本主と言ふ法躰同の故と云云、此の七行の中に名目珍謬の失あり援拠妄語の罪あり、信謗の二機・順逆の二縁・混乱の大失あり、面対に之れを決す可し故に今之れを略す。 第三問、法花経に九部有り、貴報に云はく古来法華を六部と為す、(乃至)細かに論ずれば十一部あり云云、余は異訳の部数を尋問するに非ず、羅什所訳の法華一部八巻・六万九千三百八十四字の経なり、大聖是の経に依憑し給ひ専ら一切衆生を化導し給ふに義門九種に分配するに、何れの義趣を以って出世の本懐とし給ふことを問せり、嚮に云はずや答言問語に齟齬すとは、是れ等の義なり、而るに貴師其の正答を得ざる者は果して知る未識の故なり。 第四問、顕本に十義有り、貴報に云く住本顕本を是とす、修禅決御義等並に云く自受用身とは一念三千なり、一念三千即自受用身、自受用身とは出尊形仏・出尊形仏とは無作三身なり云云、余が尋問する所は台祖所立の三義十義の上に非ず、貴師の是とする十妙第五の住本顕本は玄の一・●の一によれば用玄義なり、夫れ本の十妙に各十重顕本あり合して百重の顕本なり、若し文の九に准ずれば住本顕本は自我偈の我此土安穏の文・寂光土なり、是れ等は今の所問にあらず、其の本門の本因妙の中の十種の顕本・大聖身輪の御化導上に何れの顕本を取り給ふやとの尋問なるを、一念三千自受用身等と答ふる者は是れ猶東を問ふに南を指すが如し、今更に貴師に問はん一念三千の躰・自受用身の仏・出尊形仏・無作三身の如来等とは其の躰如何、吾が興門流には此の自受用身を以って証道の的尊とするは信衆の知る所なり、貴師は本尊論の答書を按ずるに久遠釈迦の躰は定め難しと云ふ貴門従前知らざること必せり、知らずして自受用身等と云ふものは宛も鸚鵡煎茶と呼べども茶を与へれば還って知らざる風情に似たり。 第五問・日蓮大聖に二人有り、貴師の答言に云く是れ乃ち佐前佐後の弘化の異なり、宗祖自ら佐前は釈迦の爾前に同ずとのたまへば等覚応用の薩●にして所弘の法も亦台祖に依る、佐後は爾らず本化の沙門にして大法専ら観心を示す故に妙覚果上の大聖人と云ふなり、佐後已に本地を顕はす釈尊同等と云ふ可きなり云云、余が云はく啻だ弘化の異のみならず正く大聖身輪の顕本あり、よって二人有りと云ふ、尊者其の的証を知るや否や、且つ夫れ佐前は権迹凡夫の日蓮なり豈に等覚応用の菩薩ならんや、佐後の顕実に又本迹の二あり、迹は乃ち上行菩薩専ら本門の教相に憑る、本は則寿量文底秘沈の法主南無妙法蓮華経の全躰・自受用身の尊形・太祖日蓮大聖人是れなり、釈迦は迹仏・太祖は本仏・雲泥月氷内外の聖録赫々然たる大日輪の如し、具に論ぜば硯凹筆禿せん依って此の議は対顔に譲る。 07-027 加藤妙法寺往復書三・・本尊再論 庸公曰はく夫れ本尊に人法の二箇あることは日蓮宗諸門一同に知る処なり云云、庸公の吾が日興門の所立を知らざるの証なり、謂はく嚮に庸公十四条の問を吾に寄す、其中に云はく本迹一致無得道と云って八品の外を読誦するの理なきことを聞かんと云云、是れ興門の所立を毫も知らざる明証ならずや、凡そ在世の釈尊を以って妙法に比対すれば勝劣宛も天地の如し、諸仏所師所謂法なりとは涅槃の金言、仏三種身従方等生とは結経の鳳詔なり、人法勝劣其の義知る可し、之れに依って本尊問答抄にも但だ妙法五字を以って本尊と定め仏像を立つべからずと制せり、其の文に云く問て云はく末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定む可きや、答て云はく法華経の題目を以て本尊とすべきなり、問ふ何の経文、何の人師の釈にか出たるや、答て云はく(已下法華経第四法師品・涅槃経第四如来性品・天台の法華三昧等の本尊の文証を引き畢て而して云く)疑て云はく天台大師摩訶止観の第二の四種三昧の御本尊は阿弥陀仏なり、不空三蔵の法華経観智の儀軌には釈迦多宝を以って本尊とせり、汝何ぞ此れ等の義に相違するや、答へて云はく是れ私の義にあらず上に出す処の経文並に天台大師の御釈を本とする計りなり、(乃至)不空三蔵の法花儀軌は宝塔品の文によれり、此れは法花経の教主を本尊と為す法華経の行者の正意にあらず、上に挙ぐる所の(題目の五字を指す)本尊は釈迦多宝十方の諸仏の御本尊・法華経の行者の正意なり云云、此文分明に宝塔の中の釈迦多宝等の仏像を本尊とするは宗祖門下の不正意にあらずや、然るを庸公・日蓮諸門一同に人法の本尊あることを知るとは何を以って爾るや、今諸門に安置する釈迦多宝等の仏像と寿量品の本仏とは天地霄壤の差あり、故に呵責謗法抄には、宝塔品の釈迦多宝等を本尊とすれども未だ寿量品の仏を安置する寺なし、何なる事とも計り難しと云云、宝軽法重抄に云はく、一閻浮提の内に法花経の寿量品の仏を書き造れる堂未だ候はずと云云、是れ寿量品の自受用身の尊形・無作三身の如来と宝塔中の釈迦多宝とは其の躰各別なるにあらずや、諸門一統奚んぞ之れを知らんや、夫れ名あれば必ず躰あり躰あれば必ず用を起す、御義口伝に云はく、無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり、是れ貴師も亦答書に引用する所なり、無作三身の尊躰あるに依って其の宝号を南無妙法蓮華経と名づけ奉るに非ずや、此の無作三身の仏を以てて貴師は釈迦の躰なりと云ふ祖語は大に反せり、何以って御義の下に曰はく久遠とは働さず繕はず本の侭と云ふ義なり、無作三身なれば初めて成らず是れ働ざるなり、三十二相八十種好を具足せず是れ繕はざるなり、本有常住仏なれば本の侭なり久遠と云ふなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり云云、無作三身の仏躰は相好なきこと此の金言に皎然たり然るを貴師は正中題目は釈迦の躰なりと云ひ法仏一躰なることを知るべしと云ひ、総て熟脱の遺像にあらず等と云ふ者は頗る太祖乖背の謗法なるべし、太田乗明御書に涅槃経と薬王品との二文を挙げて云はく、劣れる仏を供養せる尚九十一劫・金色の身となる・勝れる経を供養せる施主・一生に仏位に入らざらんやと云云、在世脱益の釈迦と法とは豈に各別にして勝劣あるに非ずや、且夫れ正中題目は釈迦の躰なりと云ひ法仏一躰と云ふ、宗祖は爾らず経王書に日蓮が神を墨に染め流して書きて候ぞ信ぜさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が神ひは南無妙法蓮華経なり云云、此の格量を推するに釈迦は法花一部を神ひとし太祖の御魂魄は五字七字なり、宗祖と釈迦との高下勝劣又看る可きなり、故に下山抄に云はく、教主釈尊よりも大事なる行者の日蓮と云云、其の外法蓮抄の末法の行者と在世の釈迦との勝劣は百たび臂を折って考すべし繁●を厭ひて今省略す。 貴報書に云はく、案ずるに久遠の釈迦は定め難し寿量品に我説燃燈仏等と説き、或説己身・或説他身と説き亦名字不同年季大小と説き給ふ故に妙法五七字を以って其の躰を顕し給ふ等云云。 是れ大に教相に闇し其の論甚た広し面●を期して之を述せん貴師既に施開廃の三義十重の顕本を知れりとす今何ぞ失念するや。 貴報書に云はく本尊抄に其本尊の躰たらく本時の娑婆の上に(乃至)文上経文少々齟齬ありと●も大段に因って斯く遊ばしたりと噫甚きかな是の言や何の活眼あって太祖を軽蔑する分明に齟齬の本文を示せ是れ又面上に非んば言を尽くさず、報恩抄の本門の本尊を弁解するも麁陋甚し、日講啓蒙にも此の文を註するに三大秘法に於ては別に相伝の書あり、冥慮尤も恐れありと謙遜せり貴師奚んぞ知らざるを知らずとせず妄りに口を開くや。 貴報書に云はく信心口唱する時は我か身三身即一の如来にして正念忘失の時は寿量品の一躰三宝感見すべきこと疑ひなし、委くは御義日向記等に行いて見るべしと云云、此の文の正意忘失の時は寿量品の一躰三千を感見すること疑ひなしとは何とも角とも僕の愚昧には分りがたく候、さては正念忘失せる者は寿量品の淵底・証道の実義を感得するにや、経には令顛倒衆生●近而不見と云へり貴言経文とは大に反せり。 貴報書に云はく二仏並座を竝べ給ふは迹門宝塔会の説相とあり是れ宝塔会に限らず正宗八品を過ぎて流通の会までの説相なり、神力品嘱累品の文上に是れ有り総て熟脱の遺像にあらずと云云、是れ又僻難なるかな宝塔品の時より二仏並座せるが故に二仏並座は宝塔品の説相なりと云へるを神力嘱累までなりとは老婆親切か、経文素より論を俟たず、御義新尼等の御書に皆云ふ宝塔品より事起り涌出寿量に説き顕し神力嘱累に事終ると誰か之れを知らざらん、吁周淳なるかな並座を竝べとは煩重なり、宝塔会に限らずとは宝塔品の失言か、熟脱の遺像に非ずとは迷乱の極なり、本門の正宗たる一品二半すら彼は脱と簡び捨て給ふ、所説の法を脱と廃して能説の脱仏を熟脱にあらずとは豈に倒せるに非ずや、高祖自作の一尊四菩薩等とは別に弁論あり是れ又面談に譲るべし。 憑拠は内十一唱題目抄に在りと云云、是れ文応元年の御作にして則ち佐前未開本懐なる事は貴師の所言なり(已上)、爰に妙法寺主日庸上人小子を愍れみ賢論する所の報書に疑議多端なりと●も静に三省九思すれば大略前件に過ぎず是れ尤も吾か輩の大事終焉の緊要なり、古に云はく●刀相似て魚魯交参す虎班は見易く法班は見難しと、是れを以て人皆大法に迷へり、此の迷夢を警策せずんば仏法中怨の者にして仏子に非ず、千人を化せんよりは一人の邪見を破れとは如来の金言なり、磨せずんばあるべからず、励まずんばあるべからず、 明治十年六月十三日 加 藤 廉 三 荒木儀兵衛 廉三歯痛に付代書 男五兵衛 妙法寺日庸上人方室。 編者曰く雪山文庫蔵五兵衛自筆本に依る。 |