富士宗学要集第七巻
横浜問答 (本門講問)
07-155(本門講問) 問答顛末の略記 茲に横浜に蓮華会と云へる延山一致の流を汲む一講会あり会員凡七十余名常に虚喝を鳴らし 条 約 書 第一条、雙方論議問難の末、自己の妄見を悟認したる以上は、速に潔く従来の宗派を棄てゝ正見なる宗派に帰住すべき事。但し蓮華会員は本門講員に加盟し、本門講員は蓮華会員に加盟すべき事。 第二条、雙方問答負担の人員を定むる事。 第三条、討論落着・正邪判然の上は邪認者より正認者へ礼状を贈る事。 第四条、討論落着の末は各新聞紙へ論決の趣き及び転宗の事由を報告すべき事。 第五条、雙方討論の往復は必ず書面を以てし、且つ負担一同或は総代の実印を調捺する事。 第六条、万一問答失敗に帰しながら猶固執偏滞するときは其の趣を適宜の新聞紙へ記載して江湖の批評を乞ふ事。 第七条、雙方一問題の答弁書は一周間即七日内に差出すべきものとす、若し一周間を出でゝ決答之れ無きに於ては断然討論失敗邪認自甘のものと見做し、第一条の約章に照して改宗すべき事。 右の条々雙方確然・契約締盟の為め連印を以って後日を証し畢ぬ。 明治十五年九月 雙方委員連印 右の如く雙方の参列総代捺印之上・約書取り替せ畢るの後、彼れ我れより先つ問題を贈らんことを請求するによつて、十月三日・本講第一書即左の第一本尊段・第二本尊段遮難・第三下種僧宝を論ず、第四修行段の四問題書を彼れに投ず、是より七日の期限に違せず互に数番討論往復する処、彼れ漸くに失敗に帰するといへども尚円函方蓋の論弁を以って一時を支えしも、竟に本講十二月初旬の第五・第六号の答弁書に至りていよいよ窮迫せしと見え其の返書之れなし、突然名を対判に託して更に口舌上の討論を要求せり、仍って本講より其の定約に悖るを詰るに彼れ事を他に寄せ終に其の答書を贈らざるのみならず、誣言悪口の書状を以って自他を欺き本論範域を脱せんと計る、其の所業我慢悪むべしといへども彼れの頑固僻執其の良心に復するの容易ならざるを顧み、爰に定約の第六条に照して左の所断書を遣し本論の局を結べり其状に云く。 拝陳本講に於ては元来真正に法義討究の素志を貫徹せんと欲するにより、締盟契約に根拠し成る丈け文壇上の討究を要務と存じて亮暢完備の論書を差し贈り候処、貴会に於ては俄に本論要求の素志を失ひ其の答書之れ無し名を定約外たる口舌上の対論に託して忽ち文壇上の討論を拒絶之れ有る段、一言以って正義真究の本志ならざるは勿論其の答書に窮迫悶乱せしことも亦確知せり、苟も条約を取り結び他と法義を討論せんと企てながら今に至りて自己の堕負は掩はんが為に卑屈の誣言を以て他を欺き傭作なんど、捉風捕影の窮策を構へ本論を塗抹し了らんとするは抑も何等の卑怯拙劣ぞや、文壇上の対決は条約の基礎に付き苟も窮迫せざる以上は徹頭徹尾を相図るべき筈なるに俄に他に事を寄せ謝絶あるは何に意ぞや寔に貴会の卑怯未錬なる精信求法の良心を放ち失ひ仏祖の威霊を明白に欺き去る贋信徒たる段真に憫羞の至りに存し候間後日の誡鑑として永く我本門講の記録に登載し置べく候、又手前顕の場合なれば貴会判然本論失敗堕負に皈して尚我が輩を誑かし遁るゝ者と認定候条、断然条約の第六条に照して処分方取り定め候なり。 明治十五年十二月十四日 本門講印 右の如く処分書を蓮華会へ送るといへども彼れ竟に一言の返書もなし、聞く処によれば彼の会長田中巴之助なる者右処分書を受取りし翌日俄に住居を転じ其の何くに寓するやこれを知るに由なしと云ふ。 諸言 一、本編冊子は本講第一書より第六号書までの論書を登録せるものとす。 一、彼れの論書をも亦載すべきに似たれども其の印刷に附するの急なるが為め謄写を果さず、故に後日の続刷に譲る。 一、本編の印刷速に成るものは全く発起人諸君有志、非常の斡旋に憑つてなり。 一、本編中本講より彼れに贈る処の最初第一書は即本尊段本尊遮難に僧宝を論ず修行段の四問題書となす。 一、第一書は本尊段は専ら人の本尊を論じて法の本尊に未た論及せざるものとす。一、本講は四問題書を彼れに贈れども彼れは只其の第一本編尊段にのみ止る発問状を以ってせり、故に其の討論する処始終概ね第一篇の範域を脱出せざるに至る。一、前条の次第にて彼れ其の範域内に討論して其の他に渉るに及ばざるに早く已に失敗に帰せるものとす。 明治十六年一月 是妙菴奘子識 07-157 第一書問題書 本尊段、人の本尊を論ず。 開目抄に云はく諸宗皆本尊に迷へり例せば三皇已前は父母を知らず人皆禽獣に同ぜしが如し、寿量品を知らざる諸宗の学者は畜生に同じ不知恩の者なりと云云。 蓋し宗祖は末法下種の主師親にして本門寿量文底本因妙の教主なり故に。 同抄に云はく、日蓮は日本国の諸人に主師父母なりと、撰時抄に云はく日蓮は当帝の父母、念仏者禅宗真言等の師範なり又主君なりと。 復云はく日蓮は閻浮提第一の法華経の行者なり是れをそしりあだむ人を結構せん人は閻浮提第一の大難に値ふべし、是れは日本国をふりゆする正嘉の大地震・一天を罰する文永の大慧星等なり、是れ等を見よ仏滅度の後・仏法を行ずる者にあだをなすと雖今の如きの大難はなきなり、南無妙法蓮華経と一切衆生に進めたる人・一人もなし此の徳は誰か一天に眼を合せ四海に肩を並ぶべきと。 報恩抄に云はく、一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年の間一人も唱へず、日蓮一人南無妙法蓮華経と声も惜まず唱ふるなり乃至日蓮が慈悲広大等云云。 夫れ此の諸文に宗祖末法の主師親なる其の意顕然なり、中に就いて撰時報恩の二文に或は南無妙法蓮華経と一切衆生に進めたる人なし此の徳は誰か一天に眼を合せ等と曰ひ、或は一閻浮提の内に仏滅度二千二百二十五年が間一人も唱へず日蓮一人等と曰ふ、則是れ天地開闢已来一四天下に未曽有なりし本門寿量文底下種本因妙の題目を宗祖始めて我か日本国に流布せしめ、末法の下根下機・極悪深重の我等衆生に無比広大の仏種を下させたまふ一迷先達の教主・以教余途の導師・一天四海唯我独尊の仏鉢なることを示させたまふ金文なり、夫れ然り爾らば何ぞ是れを末法下種の人の御本尊と崇め奉らざるべき。 問ふ宗祖の御徳実に広大無比と雖も今日の御当位は現に薄地の凡身を示し亦其の御本地も釈尊久遠の御弟子上行菩薩と見へたり何ぞ師父の釈尊を置いて僣して宗祖を本尊と崇め奉るの理由あるべき。 答ふ外用浅近の辺は実に以って所問の如し今は内証深遠に約するなり、例せば天台伝教の二師の如き外用浅近を以って之れを論ぜば共に日月浄明徳仏の御弟子・薬王菩薩の埀迹と云ふといへども、内証深遠の辺は即釈尊と一躰なり、等海抄三に云はく異朝の人師・天台を小釈迦と云ふと・略・又釈尊の智海・竜樹の深位・天台の内観・三祖一躰と習ふなり、此の時は天台と釈尊と一躰にして不同なしと云云。 山門縁起に云はく、釈迦大教を伝ふるの師と為り大千界を観るに豊葦原の中つ国有り此れ霊地なり、忽ち一叟有り仏に白して言さく我れ人寿六千歳の時此れを領す故に之れを許肯せず、爾時に東土の如来忽ちに前に現じて言はく我れ人寿二万歳の時より此の地を領す、即釈迦に付して本土に還帰す、爾時の叟は白鬚の神是れなり爾時の釈迦は伝教是れなり、故に薬師を以って中堂の本尊と為す、此れは是れ且らく寿量の大薬師にして像法転時を表して薬師仏と号す等云云、台家の相伝尚爾かり、我が宗祖に於いて内証外用の二辺ある何ぞ是れを異むべき、哀ひかな他流の輩是の相伝を知らざる故に一向に外用浅近に著し、無上至尊の宗祖に於いて尚凡僧視して行基・叡尊・大悲・忍性等の小権の七師及び彼の小田原の妖僧道了等と伍をなす処の菩薩の号を公称せるを無上の栄とし是れを誇耀せる亦宜ならずや。 祖書神祇門に云はく抑も人は本地を顕せば歎く神は本地を顕し奉れば喜び給ふと云云、仏も亦爾なり昔し霊山会上にして本門寿量の説を聞く、諸の菩薩大衆の増道損生し等妙の覚位に至りしも其の実は仏の御本地を覚り信ぜし故なり、記九に云はく若し只事中の遠寿を信ぜば何ぞ能く此の諸菩薩をして増道損生して極位に至らしめん、故に本地難思の境智を信解し信心初転して自在無礙なること方に名けて力と為す云云、此の釈の意は霊山一会の大衆・本門寿量の説を聞くとも、只事中の遠寿・外相本果の辺のみを信じて内証本因の境智冥合を信ずるにあらざれば何ぞ此の大利益を得べけんやとなり、今亦以って是くの如し設ひ宗祖の弟子檀那として法華経を信じ題目を唱ふとも、外用浅近のもに著して内証深遠の本地難思境智冥合の重を信解せずんば何ぞ末法今時の我れ等愚輩名字妙覚の大利益を得ることあるべき。 問ふ若し爾らば宗祖の御内証如何、答ふ是れ神秘の御相伝容易に口外すべきにあらずや、況や愚俗の我れ等甚た恐れあり、爾りといへども若し爰に於いて口を鉗し一言せざれば我か大法をして堕負に処するの罪少ならず聞いて信ぜざれば罪該人にあり、謂はく本地難思境智冥合・久遠元初の自受用身・本有無作の三身如来・是れ則我祖大聖尊の御内証なり、今将に此の義を明さんとするに二義あり、初には相待妙に約し次には絶待開会に約す、初に相待妙に約して之れを論ぜば宗祖は是れ三世の諸仏の祖にして尊無過上の本仏なり、故に御義口伝上に云はく今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは三世の諸仏の祖にして其の祖転輪聖王なりと云云、此の文・眼を留めて拝すべし転輪聖王の一切衆生の本祖たる如く宗祖大聖人も亦是れ三世の諸仏の本祖たる文に在って顕然なり。 他受用諸法実相抄(遺文録十四に入る)云はく凡夫は躰の三身にして本仏なり仏は用の三身にして迹仏なり、然らば釈迦仏は我れ等衆生の為には主師親の三徳を備へ給ふと思ひしに、さにては候はず返って仏に三徳をかぶらせ奉るは凡夫なりと云云、此の文亦宗祖凡夫の当躰反って是れ躰の三身にして本仏三世の諸仏の主師親たる尤著明なり、一宗の輩糊口安逸を貪らん為徒に宗祖を誇張せる一闡提種の外は誰か此の金文を拝し感泣敬状せざる者あるべき。 問ふ此の二文を拝するに或は日蓮等と云ひ或は我等衆生と曰ふ那ぞ宗祖御一人の事なるべき、答ふ通別の二義あり通じて云はヾ宗祖の御金言を信じ本門寿量、文底下種の題目を口唱するの輩は皆是れ宗祖と等しく本有無作の覚躰ならざるはなし。 故に当躰義抄に云はく正直に方便を捨て但法華経を信じて南無妙法蓮華経と唱ふる人は煩悩業苦の三道・法身般若解脱の三徳と転じて、三観三諦即一心に顕れ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居・身土色心・倶躰倶用・無作の三身・本門寿量の当体の蓮華仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なりと。 録外十二最蓮房書に云はく、貴辺は去る二月の頃より大事の法門を教え奉りぬ、結句は卯月八日の夜半・寅の時を以って妙法の本円戒を以って授職灌頂せしめ奉る者なり、此の授職を得るの人・争か現世なりとも妙覚と成らざらん、若し今生妙覚ならば後生豈に等覚の因分ならんや等と曰ふ是れなり、然れども別して是れを論ぜば宗祖御一人に限って久遠元初、一迷先達の大祖本仏にして余は其の流末に浴するのみ、故に通論の辺は傍意にして別論の辺を正意とす。 今一二の例証を出さば妙楽大師釈籤の一に通じて一代を指して大法と為すと云ひ、記の一に仏道とは別して今経を指すと釈して、通の辺は一代の聖経、大小権実倶に混じて大法と称すと雖も、別の辺は唯法華一乗りに限り大法と云ふなり、而して釈籤の一に通を簡んで別を出すと云ひ、又一々の文の中に皆簡通出別等と釈せるは是れ天台妙楽の通を傍とし別を正とする例証なり、今宗祖諸抄の中の末法の法華経の行者の御言は亦以って是くの如し、若し通じて竪に之れを論ぜば其の名正像に通ず、如説修行抄に師子尊者(乃)至天台伝教等を指して法華経如説修行の行者と曰ふ、横に之れを論ぜば其の名亦真俗に通ず、日妙尼猶日本第一の法華経の行者と称す況や六老等をや、然れども別して是れを論ぜば真実至極の如説修行の行者とは唯宗祖御一人に限るのみ。 故に顕仏未来記に云はく、五天竺並に漢土等に法華経の行者之れ有るか、答へて云はく四天下の中に全く二日なく四海の内に豈に両主あらんやと云云。 是れ其の証なり故に今・簡通随別、唯宗祖御一人を以って末法の法華経の行者、其の祖転輪聖王・又躰の三身三世の諸仏の主師親とするなり。 二に絶待開会に約すとは宗祖と釈尊とは素より一躰にして而も反って凡躰の宗祖が本仏にて色相の仏躰は迹仏なり故に。 御義口伝の下に云はく、過去の不軽菩薩は今日の釈尊・釈尊は寿量品の教主なり、寿量品の教主とは我れ等法華経の行者なりと云云。 実相抄に云はく、釈迦多宝の二仏と云ふも用の仏なり南無妙法蓮華経こそ本仏にては候へと云云。 南無妙法蓮華経とは宗祖の当躰御魂なり故に。 御義口伝に云はく、本尊とは法華経の行者の一身の当躰なり、其の宝号を南無妙法蓮華経と云ふ云云。 経王抄に云はく、日蓮が魂は南無妙法蓮華経と云云。 豈に是れ宗祖は躰の三身にして本仏・釈迦多宝は用の三身にして迹仏たるにあらずや。 三世諸仏惣勘文抄に云はく、釈迦如来五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時、我か身は地水火風空と知し食して即坐に開悟し後化他の為に世世番番に出世成道すと云云。 文の中に凡夫の時・即坐に開悟すと曰ふ是れ色相荘厳の仏躰にあらず必ず凡夫極即身成仏の時を基本とす。 御義口伝に云はく久遠とは働かず償はず本の侭と云ふ義なり、無作の三身なれば初て成らず是れ働かざるなり、三十二相八十種好を具足せず是償はざるなり、本有常住の仏なれば本の侭なり、是を久遠と云ふ云云。 右是れ等の文義に由り外用色相の方便を仮らず真に其の御内証を尊み奉り凡夫の尊容たる宗祖を以って久遠元初の本仏と崇め末法応時の人の本尊と尊み奉る事・是れ併ら開山日興上人已来直授の御相伝と我等年来・該智識より拝聴せし処大 金剛般若経に云はく若し三十二相を以って如来と充ば転輪聖王も即是れ如来ならんと、同く偈に云はく若し色を以って我と見ば是れ則ち邪道を行ずと等云云。 台家の相伝、明匠口決に云はく他宗権門の意は紫金の妙躰に 今一問して将に諸君先生の明解を請はんと欲す、謂く若し宗祖の御内証必しも究竟妙覚の仏位にあらず猶等覚等の大菩薩たらば、いかんぞ其御弟子檀那をして宗祖御自の等位を超へ現世より妙覚の極位無作三身・本門寿量当躰の蓮華仏を証せしむるの理あるべき爾るに前に挙くる。 当躰義抄には正直に方便を捨て但法華経を信じて南無妙法蓮華経と唱る人は、乃至無作の三身・本門寿量の当躰蓮華仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なりと曰ひ。 最蓮房抄には此の授職を得る人争てか現世妙覚に成らざらん、若し今世妙覚ならば後生豈ゆ等覚等の因分ならんや等と曰ふ、而して宗祖猶因分の菩薩地に在すと云はヾ還って此れ最蓮房等の地位に及ばざること遠し、宛も是れ宗祖は自ら臣位に下り御弟子檀那をして至尊の皇位に在らしむるが如し那ぞ其理あるべき。 爰に於いて他反詰して謂はん宗祖大菩薩の称号是れ私に称するにあらず正く勅令に依るなり、所謂人皇九十九代後光厳院の御宇・大覚僧正祈雨の効験により文和元年壬辰六月廿五日・大菩薩の号を賜ふ、且宗祖御自ら是れを企望し兼讖したまふ、所謂内の十四・乙御前書是れなり、爾るを興門独り之れを斥ひ大聖人と称するは何ぞや、謂はく大聖人とは宗祖の自称亦仏の別号なる故なり、撰時下に云はく南無日蓮聖人と唱へんとすとも南無と計りにてや有らんずらん不便不便と、又云はく日蓮は当世には日本第一の大人なりと、既に大人なり聖人なり豈大聖人にあらずや、聖人知三世抄に云はく日蓮は一閻浮提第一の聖人と、第一とは即大の義なり故に開目抄に云はく是れ等の人々に勝れて第一なる故に世尊をば大人と申すなりと云云、聖人の名・通ずる故に大を以って之れを簡ぶなり、応に知るべし大聖人とは亦是れ仏の別号なり、故に経に云はく慧日大聖尊と云云、尊即人なり人即尊なり故に唯我独尊と云ひ唯我一人と云ふ是れなり、又開目抄に云はく仏世尊は実語の人なり故に聖人大人と称する等云云、故に知りぬ日蓮大聖人とは即宗祖自ら称し給ふ処にして亦是れ仏世尊の別号なり那んぞ却って大菩薩号を称用すべき。 内廿三・慈覚大師御書に云はく三千年に一度華開ける優曇華をば転輪聖王是れを見る、究竟円満の仏にあらざらん外は法華経の怨敵をば知りがたし一乗の怨敵を粗考へ出して候と。 下山抄に云はく、教主釈尊よりも大事なる行者の日蓮と。 観心本尊抄にいはく、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為し一閻浮提第一の本尊を此国に立つ可し云云。 佐渡御勘気抄に云はく、斯る日蓮を敬ふとも悪しく敬はヾ国亡ぶべしと。 既に是れ究竟円満の極仏・教主釈尊よりも大事なる行者・本門の教主釈尊すら脇士としたまふ、久遠元初・本地難思・境智冥合・事の一念三千の南無妙法蓮華経の当躰・本有無作の三身たる宗祖大聖尊を因位九界の菩薩を以って之れを称する、豈に是れ宗祖を崇ぶに似て悪く敬ふ者にあらずや、世法於いては勅命に背くべからずといへども、宗法に於いては仏祖の命誡を重しとす、宗祖曰はく王地に生れたれば身は王命に随ふとも心は随ふべからずと、況や大覚上人祈雨の効験敢て重賞に当らず、昔日の和泉式部は婬婦なり能因は破戒の法師なり猶能く三十一文字を連ねて甘雨を感ず、中古の其角は騒人なり僅に十七字を吐いて雨を得・枯槁の人艸を潤せり、爾れども其功に誇り賞を求めしを聞かず、大覚上人は其の身浮屠桑門たり設ひ世に如何なる大功あらんも四恩の報じがたきを覚り報国の義務を思はヾ賞を求むるに及ばず、宜く謙遜して名聞を避るこそ其の本分なるべし、宗祖曰はく国王大臣より所領をたまはり官位を賜ふとも其れには染らざるを不染世間法と云ふ等と云云、況や婬婦騒人も猶能くする丕瑣たる祈雨の功賞に其の身は貴重たる大僧正の高官を貪ぼり宗祖及び朗像二師へまで菩薩の称号を乞ひ得たりとは何ぞ賞を貪ぼり名聞を求むるの甚しきや、古人猶功なくして賞を求むるを国賊と斥へり、婬女破僧も能くする処の此の微功に誇り斯る大賞を貪求す識者此れを何とか謂はん、彼の梁殿に華を雨らし法雨を感ぜし法雲法師猶名利を邀めて見愛を増すの貴脱れず、況や大覚上人の効験之れにしかざるや遠し、而して宗祖の称号の適せざるや前に具陳するが如し、近世有名なる国学士平田篤胤なる者あれ素より破仏を主張し毫も祖意を識れる者にあらず、而れども猶菩薩号の祖意に戻れるを喋々弁論し嘲哢も亦甚しく聞く者其の菩薩号に関係なき我輩といへども実に切歯せざること能はず、爾れども其の言亦謂れなきにあらず、爾るを特り怪む祖書綱要を始め近世に有名なりし優陀那某師等尚是れを覚らず、傲然此れを誇耀し誣るに乙御前書の八幡大菩薩なんど祝はゝるゝ様にいわうべしの一文を以って、宗祖自ら菩薩号を遠望して兼て之れを讖したまへる語と云へるは牽強附会も亦甚しきなりと、或師の我輩に語らせたまひしを記憶のまゝ爰に記載して諸君先生に其の可否を弁論あらん事をこう乞ふなり。 本尊段遮難。 報恩抄下に云はく、一には本門の教主釈尊を本尊とすべし等云云、興門是れに背き何ぞ仏像を造立して本尊とするを許さヾるや、答ふ興師御門流の正義は号を追うて陳述すべし、今将に反詰して云はく今他門に本尊とする処の釈迦多宝の如きは在世脱益の教主にして尚像法転時天台伝教の本尊なり故に。 祖書本尊問答抄に云はく、半行半坐三昧に二有り方等の七仏八菩薩を本尊とす彼の経に依る、二には法華経の釈迦多宝等を引き奉ると云云。是れ二仏並坐・多宝塔中の儀式にして本迹二門の教主なるべし、故に伝教大師、山家伝法偈に云はく吾法華宗は久遠実成の釈迦牟尼仏と、内証仏法血脈譜に云はく寂光土・久遠実成・多宝塔中の大牟尼尊と、等海抄四に云はく天台宗の本尊とは自受用本覚の如来常在霊山の教主なりと云云。 今謂はく久遠実成多宝塔中の本門の教主釈尊は已に天台宗に於いて立て旧りし本尊なるや是れ等の文に明白なり、今我が本門三大秘法中の本門の本尊とは末法下種の要法にして如来の滅後二千二百二十余年の間・一閻浮提中に未曽有の大法・竜樹・天親天台・伝教等の未弘・未立の大本尊なるや報恩抄の前文及び観心本尊・法華取要の両抄等の如し、何ぞ是れ台家陳腐の脱尊たるべき。 且つ本尊問答抄には、問ふて云はく末代悪世の凡夫は何物を以って本尊と定むべきや、答へて云はく法華経の題目を以って本尊とすべきなり乃至法華経の教主を本尊とするは法華経の行者の正意にあらず等と重々の問答を設けて懇々仏像を本尊とする事を斥ひ。 本尊抄には此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士として一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可しと曰ふ、脱益の本門の釈尊は末法に地涌出現して立てたまふ処の一閻浮提第一の本尊の脇士となると見へたり何ぞ是れ本尊の正躰なるべき、況や。 報恩抄次下の文に釈迦多宝已下の諸仏は脇士となるべしと云云、本尊の正躰も本門の釈尊脇士も亦釈迦多宝と云はヾ他流には両重に釈尊を造立して本尊とするか、不審々々。 茲に蓮華講社の諸君先生定めて我か輩に質問せんとする者は今引く所の本尊抄の本門の釈尊を脇士とするの一句なるべしと想像す、其れは目今現行の諸本を見るに何れの本も本門の釈尊の脇士となりて等と訓点せざるはなし、爾るを我か輩特り脇士となして訓点せる是れ諸君の必ず仄目する処ならんか。 問ふ観心本尊抄に云はく此の時地涌千界出現して本門の教主釈尊を脇士となし一閻浮提第一の本尊を此の国に立つ可し云云今現行の数本を見るに何れも本門の釈尊の脇士となりて等と訓点せざるはなし此の義如何、答ふ是れ文例を知らざる盲者の点なる者か、凡そ漢文を読む者文例を曉めずして文点を加る時は義に於いて大害を来す事あり、若し彼れが如く点ずるには本文の為の字を本門教主の上に冠らせざれば其の義通ぜざるなり、然るに祖書新古現行の数本を見るに何れの本も本門教主釈尊脇士とする文例にて一も為なりて本門教主釈尊脇士の文なるを見ず、知りぬ御本書は無点にして本門教主釈尊脇士の文なるを漢文の法を曉めずして私に如く是の文点せし者が将た若くば文法に熟せし人の法の如く訓点せば自家の法門上に障りあるを以って熊と知らざる相をなし斯く点ぜし者なるか、近頃開板発になりし高祖遺文録はかしこくも総本山御管長御高名なる某師の序文も掲げあることなれば必ず御校訂もありし事ならんに、本文は等しく釈尊為脇士の文例なれども訓点は同く脇士となりてとなされしは流石に有名碩学の教正方といへども是れ亦其の私の妨害を恐れ知らぬ顔して此の不当なる訓点を許し給ふ者なるか、若し此の訓点が文法たらば同書の前文に小乗釈尊迦葉阿難為脇士・権大乗并法華経迹門釈尊文珠普賢為脇士の文も同じ文例なれば等しく小乗釈尊迦葉阿難為なりて脇士権大乗并法華経迹門釈尊文珠普賢為なりて脇士と訓点すべきを、是れは其のまゝ脇士とすると訓点せられ只末文のみ其の文例を用いず本門教主釈尊為なりて脇士と改点せられしは余り自由勝手の文点ならずや、一宗自由の権理は御職掌がら御勝手も爾るべきなれども・文点の自由は僅に一字なりとも祖意を害すること無量なり、昔し或る執権の僧今経の正直捨方便の文を解するに・正直にして方便を捨てじと濁って読むべしと云ひ、又或る碩学の不受余経一偈の文を訓ぜしに余経の一偈とは受けじと訓読を付けしとなり、是れも亦為してを為なりてと私点を用いし者に等しく僅に一字の仮名違ひにて世尊一代の聖教を普く誤るに至る豈恐れざるべけんや、君子の過ちは日月の蝕の如く、其の改るに及んでや人咸く之れを仰ぐと、今や偏執の私意をすて惣本山大管長の公平を以って宗祖の本文の如く彼の文点を改良あらんことを命じ給はヾ御高徳に恥ぢず御芳名倍々天下に高く自他共に之を仰ぐべきを惜ひ哉、蓋し聞くが如くならば肥後日導師の祖書綱要には古本の御書には為なりて本門教主釈尊脇士と為の字正く本門の上にありと、若し是の如くならば脇士となりての点更らに論なし、然れども其の古本なる者何物の手に成れるにや覚束なし、況や中山の御真書に於いては我か輩其の門にあらざるを以って親しく是れを拝せずといゑども、自今現行の数本及び彼の深見要言の御真書校合の上再刻せし本・并に今の遺文録等文点こそ私曲を加へたれども原文に於いては一字の違ひなければ御本書も必ず相違なからんことを確信するなり、若し御本書に相違なくば綱要百千の会通も皆蛇足の論にして彼の古本なる者も必ず有言無体・私曲の僻見を蔽はん為の謀計一時の遁辞なるべし、宗祖曰はく無道心の者・生死を離るゝ事はなきなりとは是か浅まし浅まし、高徳深解の名・古今に秀でし日導師尚此の悪弊あり、其の余の賢聖・真偽如何か弁ぜん請ふ蓮華会の諸君先生宜しく是非を諒察せられんことを。 然り而して報恩抄の本門の教主釈尊を本尊とすべし等の文に付いて啓蒙に四義を出せり、一には本門の釈尊を本尊とし迹門塔中の釈迦多宝を脇士とするの義・是二人の釈尊を立るなり・二には題目を本尊とし釈迦多宝を脇士とす、直に題目と云はずして釈尊と曰ふは能証を以て所詮の妙法を顕はし又第三の題目に簡異せん為に爾か云ふなりと、三には標釈一轍と見て宝塔の中の釈迦と句を切る義にして多宝已下を脇士とする義なり、四には釈迦多宝を以って本尊とする義にして宝塔の中の釈迦多宝に下にて句を切る義なり、今蓮華講社の諸君は此の四義の中に何れに依憑して本尊を定め給へるや(是一)、蓋し第一の義は啓蒙自ら破して云はく二重の釈迦を立つること本尊抄に相違せり、其の上宝塔品の二仏並座の儀式神力品に至るまで改まらずして涌出寿量の顕本・神力塔中の要法付属あり何ぞ貶して脇士の迹仏とせんや云云、諸君も亦此の義は採用し給はじと信ずるなり若し爾らば已下の三義を取り給ふか(是二)、按ずるに扶老に第三第四の義を破して云はく釈迦の字にて句を切り或は釈迦多宝と連熟して句を切る等の義・文相甚た穏便ならず、乃至釈迦を以って本尊とし自余の仏菩薩を以って脇士とする共に之れ有るべからず、此の二義当処の文意に応せず用ゆべからずと云云。 今謂はく扶老所弁の如く第三第四の義・文相に応せず彼の所立の如くならんば・本門の教主釈尊を本尊とすべし所謂宝塔の中の釈迦仏なり多宝已下の諸仏は脇士となるべしと云ふべし、然るに釈迦多宝の四字の中間にて句を切り釈迦を上の本尊に属し多宝を脇士とするの義・文面に応せず三歳の童子も知りぬべし、但し諸君は是れを取り給へるか(是三)、扶老には啓蒙第三の義に依憑し本門の釈尊を大漫荼羅とせり、謂はく仏を以って法に名く是れ則ち能説の教主を以って所説の法宝を顕す故なり、所謂の下は釈分明に釈迦多宝等脇士となる故に法を以って本尊とす未曽有の漫荼羅なるべしと云云、又云はく仏を以って法と呼び例せば報恩抄上(九員)摩耶の釈迦を姙みたまふを法華経をはらむと曰へるが如しと云云、祖書綱要(七の十九員)にも報恩抄を引いて大漫荼羅の略形なりと云へり、中古他門の高徳多く綱要を信用す講社諸君も亦此の義を依憑し給へるか、若し爾なりと云はヾ愚輩等諸君へ一疑問あり、謂く諸君も亦此の義に依りたまふとならば我か御門流に於て大漫荼羅の外に仏像を立て本尊とせざるは至当の義此の文を以って難ず可からざるか、蓋し今の扶老綱要の義・前の三義に比すれば大に理に近しと雖も、猶共に脱益の釈尊を執して本尊とし其の尊形をそのまゝ大漫荼羅とすること太た不当なり、其の故は本門の釈尊と者・人即法にして題目となりと云はヾ其の題目は釈尊の御物にあらず、故に御義口伝に云はく此妙法蓮華経は釈尊の妙法にあらざるなり、既に此の品の時上行菩薩に付属したまふ故なりと云云、何ぞ題目を以って釈迦と一躰とすべき。 経王抄に云はく、仏の御心は法華経なり日蓮が魂は南無妙法蓮華経に過ぎたるはなしと云云、夫れ熟脱の仏は熟脱の一部を以って御心とし、下種の宗祖は下種の題目を魂とす、何ぞ宗祖の魂魄を以て釈尊の御魂とすべき(是四)。 問ふ若し然らば当流の実義如何、答ふ前号問題等諸君の弁駁を得て而後将に正答せんと欲す。 末法下種の僧宝を論ず。 御義口伝に云はく、末法の仏とは凡夫僧なり法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云はり又凡夫僧とも云はるゝなり云云、 蓋し我か開山日興上人に限り我等別して僧宝と崇むることは宗祖一期御弘通の御大事・本門三大秘法の神秘等・底を傾け源を尽して独り我が開山日興上人へ法水潟瓶し給ひし事・例せば釈尊の特り上行菩薩に付属し天台伝教の章安義真のみに伝授し給ひしが如くなる故なり、 問ふ其の証如可、答ふ二箇の御遺状是なり其の一は録外十六の巻に出づ、文に云はく。 日蓮一期之弘法白蓮阿闍梨日興付属之(是本文の深義を相伝せるなり、神力品の如来一切秘要に蔵は是なり)可為本門弘通之大導師也(是本門の題目の弘通を付属せるなり、神力品の如来一切深甚の事是れなり、)国主被立此法冨士山可被為建立本門寺之戒壇也(本門戒壇の相伝なり、神力品の如来一切自在神力は是なり、)可待時而已、事戒法之謂是也就中我門弟等可守此状也。 弘安五年(壬)午九月日 日蓮(在御判) 血脈次第日蓮日興 其二は徳川政府の旧記・駿府政事録の第一に載す、其の文に曰はく慶長十六年十二月十五日の条・今晩富士本門寺より二箇の相承を(日蓮筆)後藤少三郎を以って御覧に備ふ、其詞に云はく。 釈尊五十年之説法白蓮阿闍梨日興付属之可為身延山久遠寺之別当在家出家共背輩可為非法之衆也。 弘安五年(壬)午十月十三日 日蓮(在御判) 於武州池上 右二通共御親書冨士北山本門寺に秘蔵せり、伝に云はく興師此の御遺命あるを以って宗祖の滅後・余の五老僧は追々本国に帰り給ふといへども、独り延山に止り居て塔廟を守護し給ひし事・正応元年の冬まで都て七箇の星霜を歴給ふ、爰に地頭波木井の一門は元と日興上人の教化に依って宗祖帰依奉りし事なるが、如何なる天魔に便を得られしにや讒 修行段。 聞くが如くば大聖教を設け給ふの本尊専ら衆生をして行を修し仏道を成ぜしむるにあり、修行に二あり所謂正行と助行となり、宗々異なれども同く二行を立つ同く二行を立といへども其行躰各々殊なり、蓋し流々の正助は今の所論にあらず、我か興師御門流の正助の二行の中に初の助行とは法華経二十八品の中に但た方便寿量の二品を読誦し以って正行甚深の功徳を助顕する事・譬へば賢臣の聖主の徳を助顕し醤噌の米麺の味を補ふが如し、故に助行と云ふ、妙楽大師の正助合行して因って大益を得ると曰ひ、宗祖の速に正助の二行を整へ之を読誦し奉ると曰ふは是れなり、此の助行の中に就いて亦傍正あり、迹門方便品を傍とし本門寿量品を正とす、宗祖の所謂正には本門・傍には迹門とは是れなり、傍正ありといへども倶に助行なり、次に正行とは諸仏出世の御本懐・法華経二十八品の最要・本門寿量文底の肝心・本地難思・境智冥合事の一念三千・無作本有の南無妙法蓮華経是れなり、此れ則ち多宝仏・十方分身の諸仏・証明舌相の本意・地涌千界の大菩薩に結要付属し給ひし正躰・宗祖大聖尊・末法御出現の正意・末代愚悪の我等・即身成仏の大良薬と云へり。下山抄に云はく、実には釈迦多宝十方の諸仏・寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為に出し給ふ広長舌なりと。 亦云はく、今末法の初より釈尊の記文・多宝十方の証明に仍って五百塵点劫より一向に本門寿量品の肝心を修行し給へる上行菩薩の御出現の時尅に相当れりと。 教行証書に云はく、今末法に入れば在世結縁の者一人も無く権実の二機悉く失せり、此の時濁悪の当世逆謗の二人に初めて本門肝心の寿量品の南無妙法蓮華経を以って下種と為す、是好良薬・今留在此・汝可取服・勿憂不差は是れなりと。 観心本尊抄に云はく、所詮迹化他方の大菩薩に我が内証の寿量品を以って授与す可からず、末法の初謗法の国・悪機なる故に之れを止め寿量品の肝心妙法蓮華経を以って閻浮提の衆生に授与せしむる是れなりと。 開目抄に云はく、一念三千の法門は但た法華経本門・寿量品の文の底に秘し沈むと。 報恩抄に云はく、三には本門の題目乃至一同に他事をすてゝ南無妙法蓮華経と唱ふべしと。 其の他之れを略す、是れ等の諸文皆寿量品の肝心南無妙法蓮華経と曰ひ、或は寿量文底秘沈の一念三千と曰ひ、或は本門の題目等と曰ふのみ、諸御書の中に未た本迹一致の南無妙法蓮華経の文義あるを見聞せず、知りぬ本迹一致の題目は末法の正行宗祖の御本意にあらず、只本門寿量文底肝心の題目に限り宗祖御弘通の御正意末法の我等衆生・即身成仏の大法たることを、故に我が興師御門流に於いては是れを以って末法応時の正行とせざるなり。 宗祖曰はく末法に入ぬれば余経も法華経も詮なし只南無妙法蓮華経なるべしと。 又云はく末法の初の五百年に法華経の題目を離れて成仏ありと云はん人は仏説なりとも用ゆべからず、何に況や人師の釈をやと・何ぞ是れを末法の即身成仏の正行となさヾるべき。 問ふ本門寿量の肝心・文底秘沈の南無妙法蓮華経に限って末法の正行たる其の文明白なり・方便寿量の二品に限って之れが助行たる文証ありや、答ふ二三の文を挙けて之れを徴すべし。 録外祈祷経言上に云はく、願くは読誦し奉る寿量品を以って助行と為し、唱へ奉る妙法蓮華経を以って正行と為し、速に正助の二行を整へ之れを読誦し奉れば信心の行者除病延命ならんのみと。 授職灌頂抄に云はく、問ふ一経廿八品なり毎日の勤行我れ等が堪えざる処なり如何が之れと読誦せんや、答ふ二十八品本迹の高下・勝劣浅深は教相の所説なり、今は此の義を用ひず仍って二経の肝心・迹門方便品・本門寿量品なり等と、亦云はく右此の二品是くの如く得意一遍なりとも読誦すれば我れ等が肉身三身即一の法身なり、是くの如く意得至心に南無妙法蓮華経と唱れば久遠本地無作の如来等は一心に来り集り給ふ故に、 録内月水抄に云はく、法華経は何れの品も先に申しつる様に愚かならねども殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品とにて侍り余品は皆枝葉にて候なり、されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ、又別に書き出しても遊ばし候べく候、余の二十六品は身に影の随ひ玉に財の備はるが如く、寿量品と方便品とをよみ候へば自然に余品はよみ候はねども備はり候なり等云云。 是れ等の文明白なり猶を方便品読誦については能開所開・所破借文等の義門あれども焉に尽すべきにあらざれば贅せず。 問ふ末法初心の行者には必ず一部の広行を許し給はざるか、答ふ爾かなり之に付いて三の事故あり、一には正業の題目修行を妨ぐる故なり。 内十六四信五品抄に云はく、文句の九に云はく初心は縁に紛動せられ正行を修するを妨ぐるを畏る直に専ら此の経を持つは即上供養なり事を廃し理を存すれば所益弘多なり云云、直専持此経とは一経に亘るに非ず専ら題目を持って余文を雑えず尚一経の読誦を許さず何況五度をや云云、二には末法は専ら折伏の時なるが故に。 不軽品に云く不専読誦但行礼拝と。 記十に云く、不専等とは不読誦を顕す故に不軽を以って専として但礼と云ふ云云、内廿八・聖人知三世抄に云はく、日蓮は不軽の跡を紹継すと・宗祖末法折伏の御修行全く不軽の而強毒之に則り不専読誦経典の行儀なるや見るべし。 三には末代には多く法華経の謂れを知らざる故に之れを許さヾるなり。 内十三一代大意抄に云はく、此の法華経は謂れを知らずして習ひ読む者は爾前経の 利益なりと云云、法華経の謂れとは教・機・時・国・教法流布の前後、本迹の起尽・開未開・教相観心等の差別・種熟脱の三益・三重の秘伝・四重の興廃等の大事なるべし、若し之れに通ぜずして徒に一部を読誦すとも但爾前経の利益と云云、爾前は末法には無得道なり空く虚戯の修行那んぞ之れを禁ぜざるべき、況や前の四信抄には尚一経の読誦を許さずと曰ふ、此の不許の二字は則ち是れ制誡の御言なり例せば諸禅刹の門標に不許葷酒等とある此の不許の二字に同じ、今一宗の他流・恣に此の二字を犯し一部修行を尊とし而して我が輩の此の制誡に因循せるを目して片輪法華と誹侮せる由、譬へ禅僧として其の門標を破毀し恣に葷酒梵嫂を寺内に蓄へ而して他の禁戒を固守し、如法に行ずるを見て旧弊未開者と嗤笑せるに異ならざるか。 抑も方便寿量の二品を助行とするの外に法華経一部を修行せざる片輪の法華とは何の御妙判なるや、前に挙くる処の授職灌頂抄は結文に此の書は法主大聖より日昭日朗日興等とありて正しく上足の老僧方を首として門下一般の御垂誡なり、而して問ふ法華経廿八品なり、毎日の勤行我等が堪へざる処なり如何が此れを読誦せんやとの問題にて、右此の二品を一遍なりとも読誦し奉り南無妙法蓮華経と唱ふれば久遠本地無作の如来等は一身に集り給ふと結し、月水抄は大学氏の女房の法華経一部を毎日一品づゝ廿八日に読誦せるは如何と伺はれしを制止して、身に影の随ひ玉に財の備るが如く方便品と寿量品と読み候へば自然に余品はよみ候はずとも備はり候と懇々御諭ありしは、宗祖御自ら御在世の日昭、日朗已下の諸聖并に余の御弟子檀那等へ片輪の修行を御すゝめありしと謂ふべきか、加之・十如是抄には是れを一度も南無妙法蓮華経と申せば法華経を覚りて如法に一部をよみ奉るにてあるなり、十返は十部・百返は百部・千返は千部を如法によみ奉るにてあるべきなり、斯く信ずるを如説修行の人とは申すなりと云云。 目今一宗の御僧侶が旋物の多寡により或は千部百部域は十部一部或は一巻一品等と蛙声を絞り邪部々々と疾舌に法華経一部を読売りせるよりは、我か輩の唱る処の本門寿量の肝心本因下種の御題目は、一返は一部・百返は百部・千返は千部の妙法蓮華経を修行するよりは、其の功徳百千倍の勝りと見へたり。 録外日女書に云はく、南無妙法蓮華経と計り唱へて仏になるべきこと尤大切なり信心の厚薄によるべきなり、乃至法華経を受け持ち南無妙法蓮華経と唱る五種の修行を具足するなり、此の事伝教大師入唐して道邃和尚に値ひ奉りて五種頓修の妙行と云ふことを相伝し給ふ・日蓮が弟子檀那の肝要是れより外に求むることなかれと云云。 ●々喜ばしきかな我れ等が口唱し奉る本門寿量の肝心たる本因下種の妙法は一返口唱の功徳・尚一部読誦の広行に勝るゝのみならず、解説書写の五種法師の修行をも全備せりと、請ふらくは法華講社の諸君先生同しく此れを片輪視して思はざるの謗法罪を招くこと勿からんことを。 明治十五年十月三日 本門講 蓮華会御中 07-176 第弍号答弁書 来書に云はく蓮華会友謹白(乃)至正拠を引示すこと斯くの如し(文)。 今日云はく三大秘法の本尊を論ずるには宣しく本尊抄を正拠とし其の他の祖判正拠と其の義合ふものを伴引して其の義を補明すべきことは固より無論の義にて我か輩も亦其の意なり、蓋し我が輩前書は先つ人の本尊を論定するを須要とす、故に当宝文を引示せるなり、諸氏果して法の本尊も駢論せんと欲する意ならば宜しく討論の法によるべし、我が輩其の叩推に応じて鳴弁し聊か所薀を吝まざるべし。 先つ問ふ此の観心本尊抄の宝文は蓮華会諸氏は如何なる宝文と領するや、大漫荼羅顕揚の文と解するか亦は造立仏像の文と解するか、若し是れを漫荼羅顕揚の宝文と解するならば諸氏の謂ゆる塔中の妙法蓮華経は即釈尊の宝号なりとする義合はず、以何となれば脱益の釈尊は下種の法と合一せざれなり、若し亦是れを造立仏像の証文とするならば現に此の聖文に違す、其の故は当文何の処に色相の釈迦を造立するの語言やある、諸氏猶然らずと云はヾ其の確乎たる解領を明挙せよ。次に第壱証に掲ぐる報恩抄の祖文の一には本門の教主釈尊を本尊とすべし宣べたまふ本門の釈尊を、蓮華会諸氏には本有無作の釈尊と領するや亦は有作色相の釈尊と思ふや此の二義如何、若し果して無作の釈尊と解すと云はヾ諸氏何ぞ現に色相の釈尊を造立して本尊とするや、色相の仏躰は無作の仏にあらざるなり、若し亦色相有作の釈尊と解すと云はヾ諸氏その両舌を如何せん、蓋し此の本文に就き古来諸解あることは我が輩前書四問題中、本尊段遮難の一篇に啓蒙の四義を掲げて扶老綱要寺の所を挙げ右四義の中何れに依憑したまへるやを諸氏に詰問せり、諸氏果して何れの義に依って本文をいかに解するや、先詰を説明せざれば討論の方に背く請ふ要答せよ。 次に第三証御義口伝の文を引いて無作三身を釈尊の事とし妙法蓮華経を釈尊の宝号とすること何ぞ其れ誣誑なる、正く此の本文には無作三身とは末法の法華経の行者なり其の宝号を南無妙法蓮華経と曰ふなりと宣べたまひて其の現文を尤覩易し、釈尊を指すにあらざること弁を待たずして知りぬべし、爾るに蓮華会諸氏は此の現文の法華経の行者を即釈尊の事なりと思へるが如きは抑も何ぞや、それ宗祖は末法法華経の行者なることは一宗三尺の童子も猶能く之れを知るべし、未だ曽って釈尊を以って末法法華経の行者とするを聞かず、顕仏未来記に云はく、五竺並に漢土等に法華経の行者之れ有るか如何、答へて云はく、四天下に全く二日なく四海の内豈両主あらんやと云云宝証尤も著明なり、仮令単に法華経の行者とあるも誰か宗祖の御事に非ずと云ふ者あらんや、況や是れはこれ末法の法華経の行者とあり、末法の二字いかヾ思ひたまふにや諸氏其れこれを以何とす。 次に来書中即左の一章段は本講前書本尊段の一篇を粗解誤認す、今我輩其の弁駁に先つて予め説明し置かざる可らざるものあり、曰はく諸氏は我本篇を妄断して総論別明の二科分ち而して其の総論は宗祖即本尊なることを束説論定するものとす、故に其の言に貴講諸氏今本尊建立の純証となす無乃ろ濫引ならんか杯の誤迷論を吐くに至る、今諸氏が謂ゆる分析する総論の一章は我輩其の後章数段に宗祖即本仏にして人の本尊なることを顕彰するに先つて、三徳称揚の祖文を掲げ先つ宗祖広大の尊徳を示し一篇の論諸を開くが該首章の章意なり、誰か三徳の祖文を以って本尊建立の純証とすと云はん、諸氏已に首章を誤認す故に後章の数段皆迷想を起さヾるを得ず、宜なるかな諸氏の大科する別明の数章を弁ずること其の論雑駁にして且要答すること克はざることを。 今我輩本篇を分析科段して諸氏の迷夢を攪破せんとす諸氏宜しく参考悟醒すべし、先つ本篇は大段三宝式中・仏宝即人の本尊を単説するものとす、第壱段最初開目抄の文より乃至人の本尊と崇め奉らざるべきの文迄は宗祖を即仏宝と崇むるに就三徳顕揚の祖文を歴掲して其の広大の尊徳を揚げ下を起す章とす、第二段問ふ宗祖御徳の文より乃至妙覚の大利益を得ることある可しの文迄は宗祖の本地を顕揚するに付き内証外用あることを明示す、第三段問ふ若し爾らば宗祖の御内証如何乃至我輩拝聴する処大概斯の如し迄は相絶二待に約して聖文明証を挙けて正しく宗祖は本地無作、一迷先達の本仏にして仏宝即入の本尊とし奉る可きことを論定す、第四段は金剛般若経に云はくより乃至法華経の行者の正意にあらず迄は経釈祖文を引いて色相の仏を本尊とすることを擯斥す、第五段は宗祖の内証若し究竟妙覚の五段・蓋し一宗他門の如く乃至那ぞ其の理ある可き迄、仏位にあらずば那ぞ其の弟子檀越に妙覚の記●を授けたまふの理あらんと他に詰問す、第六段は爰に於いて他反詰して謂はん乃至一篇の終り迄は宗祖を一向に上行の再誕とのみ著して其の本地の内証無作の本仏なることを知らざる輩及び勅令の菩薩号を誇耀する皮相卑屈の弁破す。 已上我輩本篇所論の分科斯の如し、請ふ蓮華会諸氏よ能く刮目注意して右の分科を以って本篇に対照して其全躰組織を了知せられんことを、且又爰に言置べきことは大躰本篇は三宝中に於いて仏宝の一段を説明せるものなるを、諸氏はこの一篇に三宝の本尊皆説尽するものゝ如く妄認粗解せり、故に其の発問書中往々法宝たる法の本尊と仏宝たる人の本尊とを混濫して本講の前篇を難駁せり、爰を以って其の弁難我か輩所論に関せざる不規の濫駁鮮しとせず請ふ諸氏再思を加へよ。 来書に云はく夫れ苟くも宗祖乃至倶に議するに足らず(文)。 駁して云はく今我か輩掲ぐる処の宗祖三徳顕揚の祖文を所弘法躰の絶尊なることを指示したまふ聖意なりとは諸氏は何を以って之れを知れるにや、当祖文は皆明晰に宗祖自ら其の絶尊無比なる聖徳を提示したまふの祖文にして日蓮は諸人に主師父母なりと宣べたまひ、或は日蓮が慈悲広大等と宣べ、又は此の徳は誰か一天に眼を合せ四海に肩を並ぶべき等と宣べたまふの文勢にして、纔に其の要句を揚ぐるも彼の所弘法躰の絶尊を指示したまへるの祖判とは自ら別なること火を覩るよりも炳なり、爾るを諸氏は是れ等の祖文を所弘法躰の絶尊なることを指示したまふ聖意と見認して、更に我か輩が宗祖尊絶の聖徳を称揚せんが為に歴掲せるを却って本尊建立の純証とすと認しは何等の粗認濫駁なるや。 次に又我輩は法の本尊を論ずるに先つて其の前書に遮難の一篇を著し本尊抄報恩抄の二文を掲げ四様の解義並に訓点の当否を弁論し諸氏の所解いかんを難詰せしことは之れあり、未た曽て前書に法の本尊を論説せず、爾るを今諸氏は報恩本尊両抄の文義を私転して宗祖を本尊とするやと難ずるは当らざるの難題なり、抑も我か輩前書にいかやうに両抄の実文を私転せしや乞ふ明に其の私転せい理由を弁ぜよ、畢竟諸氏此れ等の誤難は皆其の人法の本尊を混じて我が輩の本篇を難ずる故に斯る言を発するに至るなり、又其の反詰の語に云はく宗祖依用の本尊と末代帰依の本尊と興門には両途に立つるや同異如何の確答を聴かんと、今これに答へて曰はく他はいざ知らず我か輩は宗祖依用の本尊の外は一仏をも用ひざる者なり。 則観心本尊抄に云はく、其の本尊の躰たらく本時の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右には釈迦牟尼仏、多宝仏、釈尊の脇士には上行等の四菩薩文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し、迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処し迹仏迹土を表する故なり、是くの如きの本尊は在世四十余年に之れ無し云云。 報恩抄に云はく、問ふて云はく天台伝教の弘通し給はざる正法ありや、答へて云はくあり、求めて云はく何物ぞや、答へて云はく三あり末法のために仏留め置き給ふ、迦葉阿難等・馬鳴竜樹等・天台伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云はく其の形貌如何、答へて云はく一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の中の釈迦多宝以外の諸仏并に上行等の四菩薩脇士となるべし云云。 本尊問答抄に云はく、問ふて云はく末代悪世の凡夫は何物を以って本尊とすべきや、答へて云はく法華経の題目を以って本尊とすべきなり等云云。 此れ等の宝文は皆正像未弘の大曼荼羅にして宗祖の本尊なり、故に我が輩も亦此の御本尊を以って現当二世・生死一大事の本尊とするなり、而して我が輩彼の色相の仏像を本尊に造立せざるは是れ又宗祖正意の本尊に非ざる故なり、則本尊抄一部始終の文皆是れ十界の大曼荼羅の事にして一も色相の仏を本尊とすべき趣意あることなし、随つて本尊問答抄には法華経の教主を本尊とするは法華経の行者の正意にあらず等と宣べたまふ故に我が輩も亦色相の釈尊を以って正意の本尊とせざるなり、蓋し宗祖を以って仏宝と崇め奉ることは宗祖自ら中老日法に命じて其の尊像を造らしめ、開山日興上人是れを終身安置し崇めたまへる確証の先例あるを以てなり、殊に其の御内証を伺ひ奉るには宗祖は実に是れ久遠の御本仏なること文理顕然なり、前書に掲ぐる処の御義口伝等の数文の金言等を拝し奉りても其の一斑を伺ひ知るに足るべし、況や我か輩等は深く宗祖を末法の仏宝と確信し奉る処なり。 次に本講に於いては前篇に宗祖本地の内証外用を論ずるに付き相待絶待の二に約して御義等の聖文を引き明に其の本仏なることを証明し畢れり、爾るに今蓮華会諸氏は其の内証外用をば祖文の外に立つる私義なりと云ふは余り自由勝手の弁論ならずや、又諸氏の引証せる録外十七の巻・内証伝法血脈の祖書に外用は三国四師とし内証は上行所伝としたまふは此れは是れ祖承伝法の内証外用にして、今我が輩の言ふ処は宗祖の本地に約するの内証外用なり、爾るに諸氏は祖承に約するの内証外用を以って本地に約するの内証外用に混ず焉んぞそれ混濫の責を脱るをえん、夫れ宗祖を上行菩薩とすることは今諸氏の喋々を待つに及ばす、我か法中三歳の児童も是を知らざるはなし誰か是れを爾らずと云はん、所詮是れ等の儀は外用教相の一途那ぞ是れを真の内証の深義とすべけんや。 今我か輩の論ずる処は是れ等の皮相論にあらず一視すべからず、是れ等の文義は本講前書に引く処の御義口伝の相待絶待に約するの二文・其の他諸法実相抄・三世諸仏惣勘文抄・下山抄・慈覚大師の御書の一言、并に反詰する処の当躰義抄・最蓮房抄等皆是れ其の御内証を鑑察するに足るべし、諸氏明に能く眼を拭ひ是れを拝味し其の会通を加へて而して後・疑難を設くべし、諸氏何ぞ問答の法を知らざるや。 来書に云はく夫れ三宝に三義あり乃至伏して貴答を俟つ(文)。 弁じて云はく夫れ三宝に三義あり云云の一段は綱要刪略を模写せるものか、我が輩素より是れを知れり、蓋し其の別相の三宝に約して釈尊を仏宝とし題目を法宝とし宗祖を僧宝とすることは宗祖正意の末法の三宝式に非ず、宗祖宣べたまはずや釈尊を本尊とするは法華経の行者の正意に非ずと、今蓮華会諸氏は何ぞ此の金言に背いて宗祖不正意の釈尊を本尊とするや。 今我か輩左に明文を掲げて宗祖の正意を証せん。御義口伝に云はく、本尊とは法華経の行者の一身の当躰なりと云云。 又云はく、無作三身とは末法法華経の行者なり其の宝号を南無妙法蓮華経と云ふと云云。 又云はく自受用身とは一念三千なり乃至形仏とは無作三身と云ふことなりと云云。経王書に云はく、日蓮が魂を墨に染めながして書きて候ぞ信ぜさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が魂は南無妙法蓮華経に過ぎたるはなしと云云。 是れ等上来の諸文は皆これ法の本尊大曼荼羅と・人の本尊即無作の本仏・宗祖大聖尊と、人即法・法即法・人法一躰の深義を示させたまへるの金文なり、爾るに今是れ等の聖意に違背して脱仏の釈尊を末法に於いて仏宝と崇め、劫って本仏の大聖尊は僧宝と下すこと仏祖正意の本尊に迷へる謗法僻見の罪人なり、夫れ諸氏の造立して奉ずる処の釈尊は色相有作の脱仏にあらずや、色相の脱仏は無作本有の下種仏と雲壌相違せり、既に無作の仏に非れば亦妙法の当躰に非ず那んぞそれ法仏一躰するの理由あらんや、所詮種脱相対の法門を識得せざれば彼の別相住持一躰の三宝の理論も到底無用に属すべし。 今我が輩の奉ずる処の仏宝は即無作三身の本仏にして則法宝の本尊を当躰とし魂とする処の仏宝にして所詮法即人・人即法・人法一躰の深理明白にして随って別相住持の二義も成立すべし、請ふ諸氏よ能く思念せよ。 又次に諸氏等は釈尊を仏宝とし宗祖を僧宝とするの確証にとて引ける所の三大秘法抄・四菩薩造立抄の両文並に御義口伝の両文等は、皆宗祖の外用一往を演べたまふの御文にして決して其の内証真実の深義を示したまふの御文にあらず、則ち或は伝法祖承の外用一辺・或は且対一機・或は曼荼羅中列次の脇士を演ぶる等の御文にして、曽って宗祖を以って僧宝とするの意趣なし、諸氏此れ等の文を略引截掲して三宝本尊の確証とするは亦乃誤認するにては莫きか。 次に又更に三宝明示の宝証を掲げて今段立論の義を結了すべしとて引ける処の一躰の証とする御義の一文、又別相の証とする御義両文中前文の如きは、皆是れ宗祖御内証・真実甚深の末法三宝を垂示し給へるの明文にして何れも宗祖を仏宝とし妙法を法宝とし其の伝燈の上人を以って僧宝としたまふの聖意にして、却って本講奉ずる処の三宝の明証でこそあれ、決して貴会奉ずる三宝の証ならざることは苟も虚心平意にして正見に住して拝味するときき自ら判明なるべきなり、然るを諸氏はこれを強いて一躰別相等に約し態と其の意味深遠なる如く言ひなし牽強附会の説を張るも争でか識者を欺き得べき。 殊更其の別相を証する御義の二文中・次の一文の如きは大躰三宝を明すの垂示にあらず、是れは只教相附文の辺にて釈尊を恵日大聖尊と云ふ等と経文を演べたまふの御文にして更に三宝垂示の意味なし、何ぞ斯る祖文を以て自己三宝を証し得べけんや。 鳴呼・上来陳述の如く実に蓮華会諸氏の信奉する所の三宝本尊は、宗祖正意の本尊に非ざること祖書の宝鏡に照して明なり、其の本尊既に不正たらば設ひ巧に理論を張り鮮に文字を飾るとも亦何の詮あらんや、乞ふ諸氏よ此れは是れ我れ等安心立命二世得楽の一大事なり宜しく我執を棄却して潔く真正の門に遊楽せらんことを 明治十五年十月十五日発郵 本門講 07-183 第三号答弁書 本尊建立の検証に付き其の横難を弁駁す。 本門講員曰はく、諸氏等は本建立の証拠に観心本尊抄の宝文を掲げるを以って無類の新発明を得たりと自負するか、噫諸氏等は何ぞ斯く狭蛙の眼見なるぞや、夫れ観心本尊抄とは宗祖出世の本懐・一大事秘妙の法門・終窮究竟の極説にして同抄一部の大要指帰する処、謂ゆる自受用身・即一念三千たる人法一躰の大曼荼羅の形貌を宣示顕説したまふの宝書にして我が興門の最も証拠として拝味精信する処たり、是れ我が輩の無論の義とし且本意なりと明言するゆえんなり、然るを諸氏等は自己の外曽って本尊の証拠に当抄を援引するを識らざるものゝ如く自断せられしは驚くべきの至りならずや、抑も一宗数派に分るといへども凡そ本尊式中・十界勧請・妙法の漫荼羅の法の本尊とするは一宗通同の儀なり。 只仏宝僧宝の二宝是れ吾が興門と他の諸派と大に異同反対する処たり、爰を以って我が輩前書には先つ仏宝即人の本尊を説明するを急要として法宝即法の本尊論を後に譲れるなり、是れ則ち反異を先きにし通同を後にするは問答討論の書・固より応に斯の如くなるべし、さればとて吾が興門に於いて現に妙法の漫荼羅を法の本尊とするは諸氏等も既に知れる処ならずや、爾るを諸氏は我が輩前書に本尊式中の人の本尊を単説すと云ふを以って邪誑不規等と認定せられしは何等の蒙昧狂難なるぞ、強いて他に曲を負はせんとする其の心術驚くべし懼るべし。 次に本講前陳の書に仏祖三徳の明文を掲げて歴引せるは固より宗祖唯我独尊の本仏なることを了知せしめんが為なり、故に其の三徳称揚の文意・一四天下・唯我独尊の仏躰なることを示させたまふ金文なりと云へるなり、総束に非ずして一篇の発端なり、其の後章数段の論弁より立ち還って反光照応して之れを見るときは主師親・三徳有縁の仏を以って本尊とするは諸経論の通義なり、斯る宗祖を那んぞ末法下種・人の本尊と崇め奉らざるべき、然るに諸氏は一篇の組織旨帰を領せずして只一概に総論束説純証等とするは誤認妄断にあらずして何ぞや、請ふ諸氏よ更に一活眼を開いて全篇の旨帰・組織如何を亮知して猥に字句を摘み粗解を主張することなかれ。 本尊抄正躰段に付き其の領解粗にして且つ壊れたるを憐れむ。 本講員曰はく諸氏該宝文を大漫荼羅顕揚の文なり云云等と解するは粗佳に似たり、而して次下の文には諸氏は直に宗祖の内証真実を表顕して仏宝とのせんと欲するは僧仏錯却の苦観なり等と云ふ、これ上来折角の領解爰に至って破壊するものと云ふべし我が輩諸氏の為に是を憐む。 夫れ宗祖大聖人は其の本地久遠元初・無作自受用身・妙法蓮華如来なり十界本有の大漫荼羅は其の当躰なり、文に寿量品の仏と云ひ此の仏像出現等と云ふは皆宗祖の御事なり、爰を以って当抄には地涌出現して本門の釈尊を脇士と為して一閻浮提第一の本尊此の国に建つ可し等とのたまひ、御義には日蓮等の類・寿量品の本主なりとのたまひ、又は無作三身とは末法法華経の行者なり其の宝号を南無妙法蓮華経と云ふと宣べ、又は本尊とは法華経の行者の一身の当躰なりと宣べたまふ等の金言を思合せ宜く我が輩の立論を味ふべし、経に云く雖近而不見と罪業深重の者は盲膜に蔽はれて知見し奉ること克はずといへり、寔に憫且つ歎にたへず。 苟くも我が輩は宗祖血脈相承の嫡統家の流を汲む者たり、故に宗祖正意・内証深奥の本源に溯り正直に本仏は本仏・迹仏は迹仏・仏は仏とし僧は僧とす何の錯却かこれあらん、我が輩の所立を以ってし錯却と思へるは諸氏が迷眼顛倒するが故なり、又諸氏等は本門寿量の天月を知れりや、是れ即久遠元初・一迷先達・無作三身・妙法蓮華仏たる大祖本仏に譬ふるなり、而して彼の本果第一番以来・世々番々・出世成道の釈尊等を水中に移れる月影垂迹の仏に譬ふるなり、斯の本仏を知らずして只迹仏のみを知れるものを指して天台は不識天月但観池月といへり諸氏等も亦其の徒なるか憐れむべし。 報恩抄の本門釈尊の説明に付き蓮花会員の表裏相違を弁結す。 本講員曰はく此の文面・陽には亦本有無作・久遠の釈尊を以って本尊とせり未た曽って余仏を以って本尊とせしことなし等と陳述すといへども、陰にはやはり脱仏色相の釈迦を造立して本尊とせることを自ら自己文面中に露顕せり下に之を弁ずべし、自語相違の人・外に求むべけんや、且本講より諸氏等を目して色相荘厳の釈迦を造立して本尊とせり等と前陳せしを以って横難とするか、夫諸氏等は身延門流の信者にあらずや其の本源の身延現に色相荘厳の釈迦を造立して本尊とせるにあらずや是れ眼前の証拠なり、其の本源既に斯の如し其の流を汲む蓮華会員例して知るべし何の横難かこれあらん是れを論より証拠と云ふべし。 今彼れが歴代上人の書を援引して益々我が言の誣ひざるを明証せん。 日重の愚案記に云はく、門派の意は応身なり立像釈迦・螺髪応身の貌なり、されば両仏を造るも此の形を移すなり只坐像か立像かの異なる計なり、印契も立像の印を移すなりと云云、此の文に螺髪応身・立像釈迦と云へるは我か輩が謂ゆる脱益の迹仏・色相の釈迦に非ずして何ぞや、夫れ我が輩の着眼し来れる処・文証現証却って諸氏の方にあり、本源の身延現の之れを造立し其の嗣法の日重之れを明言せり、是れをしも諸氏は猶強いて隠匿して色相荘厳の釈迦を造立せず・久遠無作の本仏の釈尊を造立するなりと遁辞を構ふるにや、諸氏将た之れを如何、且又色相荘厳とは畢竟何なるものを云ふか具に説明を乞はんと、諸氏知らずや上陳の如く身躰金色、螺髪相好荘厳の仏これなり、是れを有作色相の化仏とも云ふなり其の本山身延之れを造立せり諸氏何ぞ之れを知らざるや。 御義口伝無作三身の文証に付いて其の誣駁を弁結す。 本講員曰はく、蓮華会諸氏も亦該宝文を解して本門無作の釈尊は即末法法華経の行者なり、末法法華経の行者は本門無作の釈尊なりと申さるゝか、それ然り末法法華経の行者は即宗祖にあらずや、爾らば何ぞ吾興門に於いて宗祖を人の本尊とし奉るを罵詈破斥するや、又諸氏等は何ぞ宗祖を仏宝と崇めざるや、噫諸氏等は自立廃亡するか将た本講所立の義に甘従するか抑も亦両端を挟むか又は一時の遁辞なるか、爰に諸氏は一大弁駁の最要発難ありとて本講前陳の書中・通別の二義を迷想して吾輩所立の義を喋々罵詈すといへども、其の弁駁の不正邪誑なること左の対弁を俟つて知るべし、本講前陳の略に云はく本地難思境智冥合・久遠元初・自受用身・本有無作の三身如来・是れ即我が祖大聖尊の御内証なり。 今将に此の義を明すに二義あり、初に相待に約して論ぜば宗祖はこれ三世の諸仏の祖にして尊無過上の本仏なり、故に御義口伝に云はく云云、此の文眼を留めて拝すべし、転輪聖王の一切衆生の本祖たるが如く宗祖大聖人も亦是れ三世の諸仏の本祖たること文に在って顕然なり、乃至日蓮等の類に付き通別の二義あり、通じて云はヾ宗祖の金言を信じ本門寿量・文底下種の題目を口唱する輩は皆是れ宗祖と等しく本有無作の覚躰にならざるはなし、当躰義抄に云はく云云、最蓮房抄に云はく云云、然れども別して是れを論ぜば宗祖御一人に限って久遠元初・一迷先達・大祖本仏にして余は其の流末に浴するのみと云云、是れ則ち吾が輩は相絶二待の中・初に相待に約して御義口伝の文に就いて通別の義門を開き当躰義抄・最蓮房抄の二文を通の証とするなり、通の証とすればとて更に両抄を排却するに非ざるや識者を俟ずして明白なり、爾るに諸氏は我が輩を目するに恐れ多くも当躰義抄・最蓮房書の聖訓宝鑑を排却するに然れもの三字を以ってせり、自会の外道・違法の天魔たる罪跡・文に在って顕然なり等と罵詈誹謗すといへども、其の罵詈し其の誹謗するは蓮花会諸氏の自儘に誹謗し勝手に罵詈する処にして、敢えて我が輩前陳の所論に当らざること殆んど是れ方向を違へ的に畔ひて箭を放つ者と云ふべし、夫れ通別の二義を以っ祖文を判ずるは豈に我が輩の私義ならんや、宗祖の指南なり、宗祖宣たまはずや日蓮日本国に此の法門を弘む是れには惣別の二義あり惣別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず輪廻生死のもとひたらんと云云、通別の二義を立つるを以って自会の外道に属せば諸氏何ぞ宗祖を難ぜざる(是一)、又依儀判文は宗祖の垂訓今我が輩宗祖の正義に依って其の文を判ず何の不可なる処あらん、宗祖の曰はく此の法門は義を案じて理を審にせよと、諸氏何ぞ是れを思はざる(是二)、凡本祖所立の法門は与奪傍正・附文元意・一往再往・能開所開・能通能別等の規矩準繩あり、啻に其の文相のみに偏して其の義意を知らざるものは未た倶に本祖奥妙の法門を議するに足らず(是三)、抑も我が興門には唯授一人・血脈祖承の秘鍵ましますを以って宗祖一代化導の始終・内証真実の御正意掌に在て明々白々たり、猶雲霧を開いて日月を覩るが如し、爾るに貴講の奉ずる処は宗祖血脈の家にあらず宜なるかな宗祖本地深奥の内証を驚譏すること宛も盲者の全象を模索するが如し、吁々不相伝の僻見逆路伽耶陀の大坑に墜つるも深く怪むに足らず真に歎ずべし(是四)、古哲云へることあり知るを知るとし知らざるを知らずとせよと、然るに彼の盲者は動もすると自己の知らざるに甘じて却って恣に天魔外道と放言らせせり、夫れ天に仰いで唾するものは却って自面を黷す、妄に吾宗祖正統血脈の興門を嘲罵するは即宗祖大聖を嘲罵するにあらずや、恐るべし慎むべし、謂ふ諸氏よ猥りに放言を吐いて阿鼻の痛苦を重ねること勿れ(是五)、夫れ御義口伝二百余処に陳列せる今日蓮等之類の数字等は若し痛別二義を以って解せずんば如何か之れを解し得んや、此れ等の義は前篇已に概論し置くといへども、今又略言せば天台文句に如来の二字を釈して本仏・迹仏の通号・本地三仏の別号と云ふが如き若し通の辺を以って正とせば爾前権迹の仏を今経の如来と云ふべきか、今末法に約しては如来とは惣じては一切衆生・別しては日蓮が弟子檀那なりと云ふ如き通惣の辺は傍にして別の辺は正なり、又別の中に於いて又通別の二義あり、例せば法華経の行者・通じては弟子檀那に亘り別しては宗祖御一人に限るりが如し、然るに蓮華会諸氏の如きは彼の一往通惣の辺に執して再往別意に迷惑し宗祖をして凡俗に同ぜしむるの重罪・提婆・瞿伽利に過きたり豈哀しむべきの至りならずや、若し夫れ其の理性に就いて之れを論ずれば一切衆生・皆仏性あり何者か如来にあらざるべき、爾りといへども修行覚道の行功なくば只是れ理性所具の如来にして全く三身円満の如来と云はざるが如し、諸氏何ぞ混同して之れを論ずるの甚た愚なるや。 第五・帰依本尊・異同答弁の不当を駁すと云へるを弁解す。 本門講員弁じて云はく諸氏等云ふ宗祖依用の本尊と末代我等本尊と同一の本尊を帰依するならば何ぞ故ことさらに宗祖を本尊とするや、宗祖将た直に御自身を本尊とし給へるか等云云。 曰はく諸氏等何焉れぞ宗祖を以って凡僧視する事の甚しきや、今一抄を引いて諭さん、南条抄に曰はく、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり乃至かゝる不思議なる法華経の行者の住所なれば争か霊山浄土に劣るべき(文)、夫れ此の金言たる霊山寂光・諸仏入定本尊に非ずや、故に御自身是れを顕して本尊としたまふが故にかゝる不思議と云ふなり、諸氏は不思議と遊すを思議して宗祖の当躰は本尊にあらずと曲解せり、逆路伽耶陀・懼る可し、況や御義に本尊とは法華経の行者の一身の当躰なり(文)、此れ等の金言たるや直に御自身を指して本尊なりと明言したまふなり熟拝せよ(是一)。 又諸氏等云はく、宗祖は本仏なりと仏を以って本尊とするは祖意に反悖すること問答抄の宝訓明かなり、如何が是れを会すべき等云云、弁じて云はく是れ亦何と謂ふことぞや諸氏には本尊問答抄を熟拝なき故にかゝる愚難を発するなり、問答抄に曰はく、宝塔品の文による此れは法華経の行者の正意には非ず、上に挙くる所の本尊は釈迦多宝十方の諸仏の御本尊・法華経の行者の正意なりと(文)、然るに諸氏の尊信せる諸等の本尊は皆宝塔品の二仏の並座・三十二相の仏像を造立して宝塔の両辺に安置せり、是れにては不須復安舎利にはあらず由って法華経の行者の正意には非ず、上の十界互具の大漫荼羅こそ宗祖の御本意なりと云へる文なり、諸氏蓮社を興起して弊を改むと云はば何ぞ諸等の本尊を改訂せざる(是二)。 又云はく所詮宗祖を本尊とすること祖訓絶えて明跡なし等。 弁駁して云はく諸氏何と云ふことぞ日蓮宗と名乗ながら、かゝる軽忽疎漏の語を吐く抑諸氏が所見の御書は祖書肝要集か或は御書類聚・撮要等ならん、我が輩等が拝する内外の祖判には明跡分明なり。 経王殿書に云はく、日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ信ぜさせ給へ乃至日蓮が魂は南無妙法蓮華経に過ぎたるはなしと(文)。 御義に云はく、本尊とは法華経の行者の一身の当躰なり(文)。 宗祖又云はく、日蓮が法門は狭き様なれども甚た深し乃至本門寿量品の三大事とは是れなり(文)。 又云はく、日蓮が三世の大難を以って三世の利益を思食し候え利益尽すべからず(文)、夫れ諸氏は大信者と名乗れる上は一闡提人にはあらざるべし、然ならば何ぞ宗祖の信ぜさせ給へ慇懃に明言遊ばさば仰いで信受すべきは信者の常格たり、況や社を結び研究琢磨を専にする大信者に於てをや、上の掲引は皆宗祖を本尊とする文なり如何(是三)、其の上今の抄に日蓮が魂は南無妙法蓮華経に過ぎたるはなしと、問答抄に曰はく末代悪世の凡夫は何物を以って本尊と定むべきや、答へて曰はく法華経の題目を以って本尊とすべきなり(文)、涅槃経に云はく諸仏所師所謂法也。 諸氏是等の文を何にとか見たる南無妙法蓮華経に過ぎたるはなしとは題目にあらずや、題目は亦南無妙法蓮華経ならずや、諸氏は能く円融無 又云はく是れ何ぞ答弁の不規なるや設ひ興師終身之れを安置したまふとも、そは興師の行状なり、今は宗祖依用したまふや否やを論ずるなり等。 弁じて云はく造初の御影は已に蓮祖の印可したまふ所・自他何ぞ之れを争はん、尚蓮惣莞爾として印可したまふは御自身と依用したまふなり、何ぞ不規不当と云ふならん、宗祖の曰はずや、日蓮身を挙ぐれば慢ずと思へども身を下せば経を蔑づると、又の曰はく我を信ずる人々は福過十号疑ひなしと、我とは宗祖なり信ずるは当躰を仏宝なりと信ずるにあらずや、福過十号の四字は世尊を信ずるよりも勝れたりと云ふ事なり、此の故に御講聞書に云はく、日本国は霊鷲山・日蓮は釈迦如来なり(文)、夫宗祖の御講談を六老僧中・日向尊者の聞書なり、宗祖親たり御自身を仏宝なりと説かせたまふものをや諸氏等何ぞ是を否むや(是四)。 又云はく色相の釈迦を捨つと云ひながら何ぞ宗祖の色相を本仏と崇むるや、無作本仏は色相有作にあらずとは諸氏が論城なり、亦何ぞ自ら壊るや等。 弁解して云はく我が輩の色相有作と云へるは金色三十二相を略語して色相とつヾめたるなり、諸氏心得違ひして我れ等が尊信する宗祖も金色と想へるにや、亦色躰ある故に難ぜらるゝにや、今略して宗祖の尊躰を述べば造初の御影を始めとし画像は宗祖の口書の御影皆是れ薄墨の素絹なり何んの色相と云ことか・これあらんや、文証は御義口伝に云はく、本尊とは法華経の行者の一身の当躰なり(文)、南条抄に曰はく、かゝる不思議なる法華経の行者乃至法妙なるが故に人貴しと云云、何ぞ諸氏が論城なり亦何ぞ自ら壊るや等は我が輩に取りては●々たる草葉の頭上にかゝるが如し何んの壊ることか之れあらん(是五)。 又云はく諸氏が色相の難勢こそ諸氏が殊に御内証を伺い奉るには宗祖は実に是れ久遠の本仏なること文理顕然なりとて引ける御義口伝等の数文こそ、我実久遠の本仏を論じたまふ等。 弁じて云はく我が輩が引証の御義等は皆是れ御自身即本尊にして真実の内証は本仏なる文なり、其の故は御義に曰はくされば無作の三身とは末法の法華経の行者なり(文)、末法日本国に法華経を如説に色読遊ばす故に御自身即法華経なり、下山抄に云はく、日蓮を打擲するは法華経を打つなり(文)、例せば孔丘が我が身は文なりと言ひしが如し、何ぞ宗祖を蔑如するの甚しきや実に愚人の習ひ外相のみを尊んで内智を貴まずとは此の謂ひかな(是六)。 又云はく所謂法界の大我・如我等無異等。 弁じて云はく、宗祖の曰はく一心欲見仏不自惜身命(文)、日蓮が仏果此の文に依っては顕はる云云、宗祖の内証は是れ久遠本仏なること例せば経に云はく不軽菩薩豈異人ならんや我が身是れなり、宗祖の曰はく日蓮は不軽の跡を紹継すと、又云はく不軽菩薩の利益是れなり(文)、上行菩薩の本地は天台曰はく法性の淵底・玄宗の極地・又曰はく本極法身・微妙甚遠・仏説かずんば弥勒尚闇し・経に云はく遺使還告(乃)至毒病皆愈、其の父子悉く已に差ゆるを得と聞き尋いで便ち来帰り咸く之れを見せしむ云云、已に経釈分明に上行の本地は久遠の釈尊なり、宗祖曰はく、日本国霊鷲山・日蓮は釈迦如来(文)、今已に末法なり色相荘厳何ぞ須ちひん、此の故に本仏の方便・種熟脱を論じて下根下機に応同して示同凡夫たりといへども、其の御内証は前引の如く久遠の如来なること経釈祖判顕然なり、何ぞ我執偏尊等と云ふや(是七)。 又諸氏は上来の文に教相を捨難して内証を偏立するは一大迷根なり、当位即妙とて菩薩衆僧は菩薩衆僧の当位にして本仏なり等。 今詰問して云はく、上行の宗祖は三十二相にして出現なりや、示同凡夫にして出現なりや、諸氏には必ず宗祖は凡夫形にて出現なりと云はん、若し然らば諸氏が立義の当位即妙を働かし償はして御出現なるは怪しむべし、其の故は涌出品には端正として威徳有り十方の仏の讃る所と、何ぞ三十二相の有威徳なるが御本身なるに、凡夫にて御出現なるは諸氏が云ふ義の当位即妙を何んとして働かせたるぞや(是八)。 我が輩等が本義あれども繁ければ之れを略す、然して今諸氏に問はん宗祖の上行再誕たるや御義に云はく、日蓮は生年三十二歳にして上行の本法を受得す(略引)、已に建長五年四月二十八日より文永八年九月十二日に至るまで無量の大難に遭せたまふ、而して法華経の文々句々を皆御身に当て読みたまふ、此の故に不軽菩薩、覚徳比丘こそ身に当って読み進らせ候但末法に入りては日本国当時は日蓮一人とこそ見えて候へと云云、此の如く上行再誕・末法に出現於世して無量の巨難に遭はせたまへる時も、等覚の菩薩にて左後に至っても依然と上行は等覚位にて外用内証の隔もなくば速得究竟の経文は泡沫の如くならん、将た神力品の是人於仏道・決定無有疑の金言も虚妄の如くならんか、何故に宗祖は処々に寿量品の無作三身との曰ひ、寿量品にして建立する所の釈尊・或は本門寿量の教主等との曰ふや、件々の金言たる宗祖即久遠の本仏なることを知らしめん為の巧智の謎語なるをや、諸氏は例の徒に文をのみ守って別に意味あるなしと見たるは頑固流部を色読遊す上、又いかなる御修行あつてか妙覚の位に登らせたまふならん、諸氏が義の如くならば彼の歴却修行は免れがたし如何・乞ふらくは諸氏明答せよ(是九)。 第六・脱仏種仏の苦観を対治すと云へるを駁す。 本門講員曰はく、来状に難じて云はく釈尊とはいかなる釈尊ぞや余輩は色相単位の釈尊を造立して本尊とはせざるなり、十界勧請・輪円具足の大曼荼羅を以って妙行正的の宝鑑とするなり、(乃)至宗祖生涯・伊豆感得の釈迦仏を本師とす等云云。駁して云はく諸氏は色相単位の釈尊を本尊とせず云へる言下に、伊東海中出現・金色の釈迦を以って末法相応の例とす果して然らば此の釈迦仏は色相単位なり、然るに宗祖左前は時未熟・御弘通の初なる故に機に随ひたまふなり、此の故に御遷化記録には墓所の側に立置くべしと云云、諸氏何ぞ是れ等の義を知らざるふりして末法相応の例とするは計策つきての申し訳ならん、況や伊東の釈迦仏は金色の立像なり、若し此の仏を末法相応の例なりと募れる程ならば何ぞ此の例に随って諸氏の信奉する釈迦仏を皆立像に改めざるや如何。 第七・内証偏立の僻解より起こる三宝例立を糺すと云へるを弁駁す。 本門講員曰はく、来状に云はく既に宗祖は釈尊を本師とし末法相応の釈迦としたまふ、依って一宝立を定むれば二宝推して知るべし等云、駁して曰はく、諸氏は種脱をも立てず無味に釈迦仏を末法相応なりと云ひ四悉に配して已義を主張す我が輩今是れを弁駁せん、御義口伝に云はく、此の妙法は釈尊の妙法にはあらず其の故は已に神力品の時、上行菩薩に譲りしが故なりと云云、此の金言の如きは諸氏・釈迦仏を末法相応と思へるも今末法には此の妙法は已に夫釈迦仏の御手にはあらず、世法を以って之れを論ぜば已に末法にては釈迦仏は脱益の隠居なり、宗祖は種益の当職なり、本尊抄に彼は脱・此れは種とは是れなり、諸氏いかんぞ種脱を分けざるや(是一)。 蓋し在世に於いて釈尊は本主たるや論を俟たず、而るを末法には宗祖下根下機に応同したまふ下種益の義を以って御義に父の世代を一子に譲る例を以って此の妙法は釈尊の妙法には非ずと判じたまふなり、下に子とは地涌なり父とは釈尊なり今亦以って此の如し、父とは日蓮なり子とは日蓮が弟子檀那なりと判じ給ふ、諸氏は只上の子とは地涌なり父とは釈尊と云へる文にのみ注意して今亦以如此の五字を軽視す、由て動もすれば苦観と誹し偏立と謗ず抑も何の意ぞや、諸氏よ今亦以の文字は上の父に対する語なるぞや(是二)。 若し末法下種を立つるを苦観偏立とせば先つ宗祖を難ずべし、諸氏が釈迦仏は父なり宗祖は子なりなんど云へるは在世の時なるべし、妙楽の釈を引証せるも皆内●の釈なり、其の故は御義に云はく世界益とは日本国の受持成仏なりと云云、斯の如き金言は皆当機益物たる下種仏を尊信して妙法を修行せよと遊ばす文なるぞかし、諸氏は日蓮宗にはあらざるか何ん、焉ぞ末法下種を排斥するや、我が輩を以って世界悉檀を弁じえず駁しながら今亦以如此の五字を熟思せざる過失は却って諸氏こそ世界闇昧にして彼の窮子が父を知らざるがごとし、熟視拱手して末法には上行は当職の本仏なり、釈尊は隠居なる義を了解せずんば日蓮宗の名義を失ふべし(是三)。今諸氏に謂はん・世間の劔撃修行を、以って出世の法に譬へん、爰に初心の壯士四五年琢磨して漸く目録に至らん、之れを権宗より帰伏して法門を研究するに比すれば、宗祖は是れ上行の再誕なる事経釈顕然なりと信解せんは劔道の目録に至れるが如し、而るに亦復七八年劔を練磨して気合を悟り大免許を禀けたるは法門の方にては上行の本地・玄宗の極地・微深遠の口決を解了し確信するが如し、能く了解せよ諸氏には垂迹本地の釈も討ねず之れを究尽せずんば初心後心の研究何の詮かあらん、諸氏こそ上の法譬上にて世界悉檀に背ける顕然ならずや(是四)。 但教相を潰亡して而して証道を孤立するの不具足なり等。 反詰して云はく、宗祖は余経も法華経も詮なしと判じ、法華経の文字はあれども衆生の病の薬とはなるべからず病は重し薬は軽しと判じたまふ、皆教相を潰亡して証道を孤立するの不具足と云ふべけんや、宗祖既に教相を潰亡して為人已に失せりと難ずるか、教相を捨斥するに四重の興廃あり何ぞ教証具足の妙法にあらずと云ふを得ん(是五)。 諸氏却って広の教相に纒縛せらるゝは事観の妙所を亡し肝要の妙義を失ふなり、已に宗祖は広略を捨てゝ肝要を好むと明言したまふをや、其の上脱益の仏を執して三世常住・末法相応とす、今末法には釈尊を供養せんは劣り宗祖を妙覚仏と信ずるは百千万倍勝るゝと云ふ明文を出さん。 法蓮抄に云はく、何ぞ釈迦仏を供養し奉るに凡夫を供養せんが勝るべき、而れども是れを妄語と云はんとすれば釈迦如来の金言を疑ひ多宝仏の証明を軽んじ十方諸仏の舌相を破るになりぬべし、若し爾らば現身に阿鼻地獄に堕つべし、(乃)至又之れを信ぜば妙覚の仏にも成りぬべし(略抄)、諸氏よ脱益の執着を除却して此の金言を拝すべし(是六)。 在世脱益の仏を指して末法相応と擯するは宗祖の金言なり、諸氏否ならば諸仏の為に罰せられん、堕獄を怖れずと云はヾ我が輩亦何をか云はん、此の金言には諸氏寒心すべし対治悉檀已に立たず諸氏将た之れをいかん(是七)。 上来諸氏は我が輩を誹して内証偏尊孤立なんど放言するとも皆逸々祖判にあれば諸氏には其の金言は却って誤解の金言なりと注科して、末法には種脱之れ無きことぞと祖判を引証して明答あらばいかなる放言もまゝよ、啻に法華の極理已に立たずとあたまごなしにせるは憤怒●慢の暴言と云ふべきなり(是八)。 又来状に曰く本化上行は法中の公議なり、宗祖大菩薩をはたらかせ、つくろはして其の大菩薩の本位を改め奉る、何ぞ大菩薩たる経文祖判の通義を曲立して本仏仏宝と云へるやと云云。 本講答へて云はく、諸氏が愚難に付いて三失あり、謂く御義不相の失なり御義に曰はく久遠とは働かず・つくろはず本の侭と云ふ義なりと、宗祖は是れ三十二相の有威徳にして出現にあるにあらず、示同凡夫の尊容なり、此れ全く久遠其の侭形姿なれば寿量品の本仏と尊信するなり、其の証御義口伝に分明なり而るを諸氏は誤解して菩薩とは働かず、つくろはずと誤見せるにや笑ふ可し、二には上行菩薩の本地を知らざるの失なり、已に上行は本地にあらず其の故は日眼女書に曰はく、寿量品に曰く或説他身云云、東方の善徳仏・中央の大日如来・十方三世の諸仏・上行菩薩等も其の本地は皆教主釈尊なり、例せば釈尊は天の一月・諸仏菩薩は万水に浮べる影なり(已上)、諸氏此の祖判を知らずして上行を本地と思へるは未だ内外の祖判に闇し、何ぞ宗祖の本懐を窺ひ得べき、三には宗祖は是れ佐後は正く久遠の本仏にして仏宝なり、御義に曰はく、三十二相を具足せざれば是れつくろはざるなり父母果縛の肉身・其の侭無作三身なり(文)、是れ全く宗祖の当躰、本仏・々宝なること分明なり、其の上御義口伝に曰はく、本尊とは法華経の行者の一身の当躰なりと明判あるは動かすべからず、如何となれば寿量顕本の如来の御義口伝に確定したまへる上は宗内の真俗誰か否と云ふことをえん、然るを諸氏には御義の所々を捜索していづれにか此の文を破る珍言やあらんかと濫引するか故に我が輩は用ひざるなり、何を以てか法花の極理立たずと云はんや第一義地に堕ちず、何ぞ偏尊孤立にして内証は真実の祖意にあらずと云はんや(是九)。 宗祖の曰はずや日蓮が法門は狭くして深しと、諸子は此の金言を反転して日蓮が法門は広くして浅しと想像す、故に宗祖の内外に証拠もなき三種三宝・教観二約なんど広博に紛らすなり、此の三宝の言は元と大明三蔵法教に出でたるを模索し附会せる教相の一途の三宝なり、何ぞ末法宗祖の三宝式に用ひんや、若し爾らば三種三宝・教観二約なんと云ふ名目は内外六十五巻に之れありや出すべし、若し無くして首鼠両端に遁辞すとも決して用ひざるなり(是十)。 諸氏が三大秘法抄・四菩薩造立抄を咎めて我が輩が霊山禀承の文・四菩薩造立の文等は或は与へての文・或は伝法祖承の一途と書きたるを、諸氏は奪って箇条達せんと秘法抄一部・造立抄一部を捨てば本尊抄も亦之りを捨るやとの反詰は足捉り法門と云ふべし、若し爾ならば前書何れの所に両抄に付いて之れを捨つと云ふ語ありや尋ぬべし。 其の上釈迦仏を捨てゝ日蓮を取ると云はば仏法にあらず外道なり等云云。 難じて云はく凡そ日蓮宗たる者・宗祖を尊信するを以って外道とせば前引の法蓮抄をいかんが之れを会するや(是十一)。 諸氏云は今爰に反詰を挙げん御義に曰はく僧とは我れ等行者なりとは何等の人を指すとするや、邪正一決こゝにあり慎んで答へよ等云云。 答ふ御義に仏ともいわれ凡僧ともいはるゝなりとの金言は末法には示同凡身の御形なれば不信の者は凡夫僧と見るは易し、所謂外相のみを尊んなで内を貴まずと、悲ひかな已執に覆はれて僅か一二行の大意を失へり、御義に曰はく、仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり、僧とは我等行者なり、仏とも云はれ又は凡夫僧とも云はるゝなりと云云、而るに諸氏は僧とは我れ等行者なりの文のみを宗祖なりと執して仏とはの金言と仏とも云はれの文を捨棄して取らざる故に末法の法仏曽って立たざるなり、然らば我が輩も亦反詰して云言はん上の仏とはの文と仏ともいはれの金言は何かなる仏をか指すとする邪正一決法茲にあり諸氏いかん(是十二)。 上来に内証甚深に偏して教相の広大を思はず等云云。 駁して云はく、鳴呼諸氏迷倒の甚しき教相の広大なるは皆在世上根上智の修行の為にして、既に像法に天台智者すら法華経の広大にして究尽すべからざるを以って一心三観の修行を立つ、況や宗祖末法に●んでは折伏弘教の時機なるを以って不軽の跡を紹継したまふ故に、四信五品抄に文句の九の初心畏縁の文を引いて正業の題目を専にせよと判じたまふ、繁き故に之れを略す、何ぞ諸氏教相の広大を思はず等と云へるは方蓋円凾呵々拍笑にか堪えたり(是十三)。 其の上内証を尊信するは宗祖の一大厳禁なりと言へるは誑惑・外道鬼畜外に求むべからず、文証を掲出せずんば私論偏別なんと言はん、宗祖の内証を正意となしたまふ事は、本尊抄に曰はく我が内証の寿量品を以って授与すべからず(文)、此の金言は明了に宗祖をさして御身の内証即久遠無作の尊躰・人即法・事の一念三千なる明文なり、当躰義抄に内証の例文あり曰はく南無妙法蓮華経と唱る事・自行真実の内証と思食さるなり(文)、諸氏に反詰せん内証を偏尊するは宗祖の一大厳禁なりとは大誑惑の私言なり、上に引ける本尊抄の金言は内証を尊信せざる諸氏等却って祖敵の一闡提なり、若し憤怒あらば伏して乞ふ内証を破斥せるを以って明答あれ私言を出して遁辞するなかれ(是十四)。 所詮諸氏は富嶽の蓮香を開くを得ず、徒らに広の修行に遊泳あるは已に諸判に厳禁する所なり、鳴呼哀れなるかな子貢が其の門を得て入らずば宗廟の美、百官の富を見ずと、諸氏嘗って末法下種の法門を立てずして是れを偏狭なりとす、悲いかな宗祖の胸中四処の道場にして、竪に古今を照し横に観じ万像森羅の法海に顕現したまふを知らず、徒に法界海に向って沙を数ふることよ、乞ふ我慢の幢を倒して膠瑟の心なく末法応時の法義に帰すべし。 明治十五年十月二十七日 本門講 07-198 第四号答弁書 第一本尊建立の検証に付き重ねて弁駁す。 本門講員曰はく来状に云はく総論・束説・純証・濫引・究竟して諸氏が自言反窮すと、甚いかな蓮華会員諸氏の強情負惜にして其の非を貫き其の誤を遂げんと欲することよ、諸氏諦かに聴け彼の総論束説純証濫引等の文字は元来誰が附けたるぞや、是れ諸氏が本講前書を粗解の上に自ら附けたる文字ならずや、爾るに是れを以つて却つて我が輩を指して自言反窮すと、云ふ無道理なる囈言ならずや(是)一。 我が輩前書は三宝式中・人の本尊を単説せるを法の本尊も束説総論せるものと誤認して本尊抄を引証するを知らずとの諸氏の僻難巳に消滅に帰したるにあらずや、是れをこそ真の自言反窮と云ふべけれ(是)二。 大躰諸氏は既に一篇の立論如何をも看破し得ずして誤解せる者なれば其の余の粗認妄断推知すべし、煩しく何ぞ今黒白を論ずるに及ばん、況や其の一篇の組織旨帰照応顧映等の大勢を察せずして猶頑固にも一二の字句を摘み来りて文勢動かすべからずなどゝ主張するも誰か之れを用ひんや(是)三。 諸氏よ苟くも正念に住して前篇を反省せば自ら其の妄認粗解なることを発明することあらん噫。 第二本尊抄正躰段領解に付き其の推求を弁明す。 本講員弁じて曰はく凡我が輩擯斥する処の造立仏像は彼の色相荘厳有作脱迹の釈尊を指すなり、本有無作・自受用身・下種の釈尊は我本講の奉ずる処、而して一は法仏別隔し一は法仏一躰す、諸氏も亦名同躰異の二躰の釈尊あるをほゞ知りながら我が輩の所論を破するときには勝手に之れを混用して反詰を加へ鉄面にも瞞着し去らんとす、前書第二号答弁書に我が輩が其の義合はずと云ふは是れ法仏隔別の釈迦を指して云ふなり、又此の聖文に違すと云ふも只是れ色相荘厳の仏像造立を斥するなり。 然るに諸氏第二号書に領解して造立仏像の文なり大曼茶羅顕揚の文なり等と粗法仏一躰の釈尊を基とするものゝ如し、此の法仏一躰たる無作種本の釈尊を造立する仏像は我が輩より主張せり、爰に諸氏の領解粗なりといへども亦取る所なきにあらず、是れ我が輩の仮に佳とするゆへんなり、祖父の領解ほゞ同きを以て設ひ佳と言はふが妙と喚ばうが是れを以つて論議自壊すとは余りに大人気なき戯論にあらずや(是)一。 次に我が輩が宗祖一人本仏なる趣を弁ぜしは固より我が輩立論の骨子なるのみならず、諸氏が我が輩を目して僧仏錯却の苦観を懐くと思へる迷想を打破せるものなり、爾るを諸氏は駢域の贅言などゝ言ひ紛らし是れを弁駁明答し得ざるは却つて諸氏こそ発論失敗・邪認自甘せるか(是)二。 又我が輩が寿量品の仏と云ひ此の仏像と云ふ皆宗祖の御事なりと云へる微言を聞いて酔へるが如く狂するが如く心耳を迷惑せり、是れ我が輩の諸氏を目して不相伝の盲者・下種の父を知らざる不知恩の者とするゆへんなり、諸氏諦に聴け宗祖は是れ三徳有縁・下種本因妙の教主・法仏一躰の釈尊なり何ぞ勝手に混用すと云はんや(是)三。 諸氏の解領爰に至つて破壊すといへるものは諸氏前に折角と法仏一躰の無作の釈尊を以つて当文を解領するものゝ如くなれども其法仏一躰無作の釈尊が即宗祖にして、宗祖即其の無作の釈尊なることを知らずして却つて僧仏錯却の苦観などゝ貶斥す、是れ大なる諸氏の迷根にして我が輩が深く諸氏を憫む所なり、是れを譬るに一を知つて二を知らざる者と云ふべし至愚言語に絶す、乞ふ少しく反省する処あれよ(是)四。 又要詰を正答せず等、夫れ綱維を提くれば衆網皆挙がると・請ふ出来の所論を翫味せよ、諸氏が所謂・一直線路の細詰なるものを皆殆んど瓦解の如し、一滴を嘗めて大海の味を知る何ぞ煩く一々個々に斯る細詰を闢らくを用ひんや。 第三・本門釈尊の説明に付き色相荘厳の推究。 来状に云はく螺髪応身即仏の相貌なり等云云。 弁じて曰はく来状の如くならば身躰金色・螺髪形相の応身仏を造立して本尊とすること身延門流一般の義なることは諸氏等も甘証自定せるか、且螺髪応身・即無作の応身にしてこの応身に即して三身なりと云ふ証拠に御講聞書の文を引証す、抑も此の御講聞書の金言は諸氏の引証する如く果して彼の螺髪応身に即して無作三身なることを遊はす仰せなるにや、本講員の拝する御講聞書には云はく、一無作応身は我れ等凡夫なりと云ふ事、仰に云く凡夫亦得三身之本矣、此の本の字は応身の事なり、されば本地無作本覚の躰は無作の応身を以つて本とせり仍つて我等凡夫なり応身は物に応ふ身なりと云云。 此れこの金言は無作の応身は我れ等凡夫なりと云ふことが全躰の意趣眼目なり、現文最見易すし螺髪応身即無作の応身と云ふ意更になし又あるべき様なし、螺髪応身なるものは彼の小乗三蔵教の釈迦にして色相有作夢中の権仏なり、無作本覚の実仏と其の躰相相距る遠し、宗祖いかんぞ螺髪応身即無作の応身なりと宣べたまふ理あるべき諸氏如何。 今諸氏に問ふ此の御講聞書の本文全く諸氏所用の本には我等凡夫也と云ふ文字は無きにや不審、若し亦我が上掲の本文と相違なくば諸氏は自会私立の義を成ぜんが為に宗祖一条金言の字眼を抜き去って精義を私転し自他を斯き誑かさんとす其の罪免し難し(是)一。 又云く有作を以て無作を顕はす曼陀羅是れなり・そも諸氏が眼には脱益の迹仏と見たるかと。 駁して曰はく諸氏よ斯る円凾方蓋の囈語を吐くを止めよ我が輩前書は彼の螺髪応身仏の釈迦を斥つて脱益の迹仏色相の釈迦なりと云へるなり、漫茶羅の相貌を指して脱益の迹仏とは我が輩決して見ず、諸氏こそ彼の螺髪形相応仏の釈迦を以て漫茶羅の事と見たるは漫茶羅を以つて脱益の迹仏とするなり諸氏如何(是)二。 其の上色相荘厳の言ば諸氏が明答の如んば是れはこれ宗祖正意の応身表躰の大漫茶羅なり云云。 是又諸氏は我が輩の答弁を何にとか見たる我輩は前書に諸氏知らずや身躰金色・螺髪形相仏是れなりと明答せり、爾るに諸氏は此の色相荘厳の仏を以つて宗祖正意の応身表躰の大漫茶羅と確言せり怪むべし敢て螺髪形相の仏を以つて宗祖正意の漫茶羅の事とするは諸氏の私言か、将た祖書に明文あるか、且我が輩管見なるも亦我が興門諸寺に安置し奉る宗祖真蹟の大漫茶羅多々拝するも未だ斯くの如き相貌の漫茶羅を見奉らず敢て乞ふ其の証蹟を挙けて詳説せよ。 第四語義口伝無作三身は末法法華経行者並に通別等の推究。 来状に云はく宗祖所立の惣別の二義は余輩固より之を知る乃至諸氏等が罪を露はすものなりと。 駁して云はく宗祖所立の法門に惣別等の判義あることを甘従するならば我が輩が宗祖の正義に依つて惣別の義門を開立するも諸氏亦拒むの理あらざるべし、蓋し諸氏は竊に私憤を構へ文を舞はして強いて我が輩を私会違法に擠せんとするも豈能く正義を排圧し去るをえんや、夫れ御義口伝は宗祖大聖・内証真実・甚深微妙の御講談にして、或は文を隠して義を取り或は義を隠して文を取り或は文義共に隠して口授相伝したまふ処、其の文義の甚遠なること愚昧の者の及ぶ所にあらずと垂示遊ばされたり、爾るに諸氏の云へる如く文に如来とは惣じては一切衆生なり、別して日蓮が弟子檀那なりとあれば、一切衆生は通総して云ふ如来にして日蓮が弟子檀那は別の辺・正意の如来なりとのみ云ふ重は、苟くも両眼を具して文字を知る程のものは愚昧者といへども一見して知るべし、何ぞ諸氏の喋々を俟たん、且一理一法を会する只一雙の惣別を以てせば足れりと断言すといへども是れは諸氏の私定自劃なり、凡諸法相所対不同なり物により事によりて一準なるべからず、諸氏は一を守って二を知らず彼の所対不同なることを夢にだも知らざるものなり、妙楽の云はく凡そ諸法相所対不同と宗祖曰はく所詮所対を見て経々の勝劣を弁ずべし、諸氏の云ふところは一切衆生と日蓮が弟子檀那と所対する重なり、我が輩の云ふ処は宗祖と其の弟子檀那と所対する重なり、諸氏は文相の惣別に止る、我が輩は其の文相は勿論文義に於いて惣別を判ず是れ我輩の依義判文は宗祖のたまふ処の従浅至深の次第判なり、所対既に別なり何ぞ甲の惣別を以て乙の惣別を曲規するをえんや・鳴呼依義判文を知らざるは諸氏なり、与奪傍正を知らざるも亦諸氏なり、焉んぞ所対不同・次第判あるを知らんや、倶に立て本祖奥妙の法門を議するに足らざるや竟めて明なり諸氏試みに思へ若し諸氏の自定私劃する如くの甲の惣別のみに偏局して乙の惣別義判を知らざるときは、宗祖の弟子檀那のみ真実正意の如来にして宗祖は却つて真実正意の如来にあらずと云はんか、諸氏の所解・偏局不通の自会なることを知るべし、夫れ一を挙げて諸を例するは本祖の金言・一隅を挙げて三隅を論ずるは孔子の示教・一斑を見て全躰を知るは智者の事なり、文に一切衆生に対して弟子檀那を正意の如来とす、爰に知りぬ更に弟子檀那に対して宗祖は真実無上の如来なることを義勢の推す処固より当然の依義判文なること剛然として疑を置く処なし。 況や又以下の文にされば無作三身とは末法の法華経の行者なり其の宝号を南無妙法蓮華経と云ふと明言したまへるをや、是れ則再往実意は日蓮弟子檀那に対して宗祖こそ真実正真の如来無作三身なりと云ふ底意なること鏡にかけて曇りなし、諸氏の謂ゆる故造附会なるもの将た何にかある誣言嘲哢も亦甚しと云ふべし、蓋し諸氏は猶例の不相伝の僻見に自縛せられて此の法華経の行者も亦宗祖にあらずと見るか、噫一たび此の邪膜に覆れて終に本祖真実の御内証を伺ひ得る克はざるに至る真に憐憫すべし、古哲の謂ゆる一毫・此に乖けば千里彼に違ふとは是の謂ひか、慎んで猶余りあり懼れても尚恐るべし。 抑本祖諸御書の中に直に法華経の行者と冒頭単書したまふ処・何れも皆宗祖の自称にあらざるはなし、其の類例枚挙に遑あらずといへども今暫く上野書・千日尼書・南条書・法華書等の祖文の趣を以ても知るべきなり、故に今設へば法華経の行者を宗祖の異名と尊称するとも敢て過言ならざるを信ず、況や又真実法華経の行者は宗祖御一人に限ること祖文に散在せり、誰か宗祖に限らずと云ふや私定僻見も亦甚し、今試に其の一二を摘掲して諸氏の邪を撹破すべし。 聖人知三世抄に云く、後五百歳には誰人を以て法華経の行者と之れを知る可き、乃至我が弟子之れを存知せよ日蓮は是れ法華経の行者なり、乃至此の故に軽毀の人は頭七分に破れ信ずる者は福を安明に積まん等(文是)一。 撰時抄に云はく、日蓮法華経の行者なることを敢て疑なし、これをもつて推せよ漢土月支にも一閻浮提の内にも肩を並ぶる者はあるべからず等(文是)二。 顕仏未来記に云はく日本国中に日蓮を除き去つて誰人を取出して法華経の行者とせん、乃至疑つて云はく五天竺並に漢土等に法華経の行者之れ有るか如何、答へて云はく四天下の中に全く二の日無く四海の内に豈両主有らんや等(文是)三。 諸氏よ諸氏は上来の祖父を如何拝見するや、苟も両眼を具ふる者ならば日本国は勿論・支那印度五大洲中・一閻浮提・一四天下の内の法華経の行者二人あることなしと金言確定したまふを知るべし、又冒頭直書したまう法華経の行者と云ふは宗祖の自称自指なることも亦知るべし、是れを以つて之を推せよ今の御義口伝に無作三身とは末法の法華経の行者なり其の宝号を南無妙法蓮華経といふと宣べたまひ、又は本尊とは法華経の行者の一身の当躰なりと宣べたまふ等の金言は、皆宗祖の親ら自称自指したまふ処にして敢て余人を指すにあらざるや亦明なり、巳に法華経の行者・宗祖の自称なるを知らば則真実正意の如来無作三身の本仏は即宗祖大聖尊なることも自知すべし、然らばそれ吾が興門に於いて久遠元初・大祖本仏たる無作三身如来・宗祖大聖尊を以つて三宝式中・仏宝即人の本尊と崇敬し奉ること此れ等を以つても其の文理共に炳焉たるを知るべし、苟くも日蓮宗と名乗り其の流末に浴するもの誰か宗祖の金言に違背することをえん、是れをしも諸氏は尚之れを爭ひ只強いて附会私立にして文理共になしと云はば是れ謂ゆる盲者の罪にして日月の過にあらざるなり、亦何をか云はん憫むに堪えたり々々。 又来難に云はく夫れ上足六尊は宗祖の定めたまへる処・豈彼れに伝へて此れに伝へざるの理あらんやと。 答へて曰はく宗祖六老僧を定めたまふといへども其の血脈伝法・別附相承の重に至りては独り吾が興尊者に限るのみ、例せば釈尊の上行菩薩に附し天台の章安に附し伝教の義真に附するが如し、唯授一人の血脈伝法・先例皆然り何ぞ之れを怪まんや、諸氏謹んで一期弘法書と池上相承書との二通の御遺状を拝見あるべし胸中の疑霧自ら散ぜん。 又云く何ぞ諸氏が家の我か侭秘鍵を要せんや等と。 鳴呼諸氏何と言ふことぞ汝は日蓮宗の流を汲む者に非るか、夫れ血脈相承・唯授一人の秘鍵は恐れ多くも宗祖大聖尊より独り吾が興尊者に附属したまふ処の秘璽秘訣是れなり、御遺状に云はく血脈の次第日蓮日興と、又云はく在家出家共に背く輩は誹謗の衆たるべしと云云、苟や本宗の信者たらんものは只仰いで宗祖金条の遺命を尊信すべきことなり、然るを諸氏は凡情を以つて大聖の内証を量り、憶度を以つて金条の相承を曲し我か侭秘鍵と嘲けり天魔邪説と罵る過咎此れより大なるはなし、其の違法の罪跡将た何くにかある、提婆瞿伽利・諸氏が毫頭に現ずるのみならず阿鼻焦熱諸氏が筆下に存す。 又諸氏は理性を以つて如来と判ず乃至諸氏を憫む所なり(文)。 破斥して曰はく、文字をよむ自ら方あり文字を解する亦規ありとは諸氏の口実ならずや、我が輩理性の如来を以て末法当今の所用なりといはず、又修行覚道を以つて今経の実義なりと云はず、諸氏何故にかゝる妄難を発するにや、爾りといへどもの数字何ぞ混同して論ずるやの数字等は諸氏が眼には入らざりしや、諸氏よ我が輩前書の意は諸氏の迷根を打破するの一段なり、諸氏が自見に縛せられて能開所開・先達後進をも別たず再往の別意をも知らず、漫に大祖先達・三徳有縁・本因下種の教主本仏たる宗祖と愚惑迷妄の我等凡俗と混同一躰と自定して忌憚する所なし、我が輩之れを憫れむ故に其の妄迷邪執を闢いて曰はく宗祖をして凡俗に同ぜしむるの重罪・提婆瞿伽利に過たり豈に哀れむべきの至りならずや、若し諸氏が云ふ如く本仏も凡俗も混一にして同く如来なりと云ふ重は是れ法界の大我・森羅万象皆如来と云ふ如く、其の理性に附いて論ずれば何ものも皆如来にあらざんや、爾れども此れ等は只是れ理性所具の如来と云ふものにして仏の観見に約する重なり、故に一切衆生悉く仏性を有するも若し修行覚道の行功無ければ迷妄の凡俗は矢張迷妄の凡俗にして全く三身円満の如来と云ふべからず、何ぞ諸氏は本仏の宗祖も迷妄の凡俗も混同して至愚の論を張るやと言へる一条の趣意たり、然るに諸氏は前書・一直線路の一両を摘採私転して自己の詰責せられし語を以つて却つて他の本義と誣ひ顛倒・妄論・駢域の贅弁を吐く、何ぞ耳を掩つて鈴を盗み去らんとするや、何ぞ正憶念に乏しきや、凡受持・成仏・事行即成・教行証具足の妙法なる等の義は本宗の極意祖判往く処として皆然り、我が輩本宗の信徒にして成仏を願ふ者豈に之れを知らざんや、諸氏我が輩の心得を知らんと欲せば別論すべし、何ぞ弁駁の不規なるや議論の範域巳に濫せり爰に論弁すべからず。 第五重・帰依本尊異同答弁不当と云へるを弁駁す。 来書に云はく当妙の聖意(乃)至豈に直に宗祖を本尊としたまふの聖意ならんや、又云はく霊山寂光・諸仏入定を本尊と領解せり何ぞ卒暴顛倒の甚しき等。 駁して云はく、諸氏等こそ卒暴顛倒の甚だしき神力品の結要付属を何物と思惟せるや、当抄の法妙なるが故に人尊しの金言こそ法妙は所属の法躰・法の本尊を釈し人尊極・人の本尊を釈すること顕然なり、爾るに此の人法を紛らかさんとて悪罵を先とし文を飛越して延山の語に及ぶは却つて諸氏は悶乱疑ひあるまじ、先々冷水を●いで熱悩を除滅せしめん、南条抄にされば日蓮が胸の間は諸仏入定の金言たるや四処の道場の文を御身に取つて釈したまふものをや、然れば則宗祖己心の一大事を以つて法の本尊とすること顕然たり、而して本尊妙なるが故に人尊し即宗祖の当躰仏宝にして人法具足雙聯の明示なり、故にかゝる不思議なる法華経の行者との曰ふ而して鄭重に明示せんとして法妙なるが故に人尊しと云云、且つ夫し本尊にあらずんば何ぞ此の砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜんとの曰ふべき、爾るを諸氏は此の道理に窮して宗祖の金言に背きても言ひ消さんとす、故に我が輩斯く懇に法雨を●いで蘇息せしむるなり、諸氏夫天下の眼を覆はんや能く此の文に注目して余文に移らずして明答せよ(是)一。 諸氏云はく宗祖確然能生の法華経にあらざれば本尊にならずとの曰へるを何ぞ強いて人の本尊を故立せんや等。 駁して曰はく咄い哉諸氏それ宗祖の末法に出現したまふや専ら三類の法敵を摧滅して此の法華経を如説に修行し妙覚の仏果を顕したまふにあり、故に下山抄に云はく、仏は一切世間多怨難信と記し置きたまひ、我不愛身命但惜無上道と誓はせ給へば加刀杖瓦石・数々見擯出の文に任せて流罪せられ、刀のさきに懸りなば法華経を一部読み進らせたるにこそと思ひ切つて態と不軽菩薩の如く覚徳比丘の様に強盛に申し張ること(文)、諸氏此の文の不軽菩薩即教主釈尊ならずや、宗祖又此の如く久遠の釈尊と顕本したまふにあらずや、若し否ならば開目抄の三誓願は無益にして虚戯の行なりと言はんや(是)二。 宗祖又曰はく日蓮は日本国の人々には上一人より下万人に至るまで三つの故あり、一は父母なり二師匠也三は主君也と(文)、諸氏は日本国の人にはあらざるか(是)三。 宗祖復曰はく法華経の敵と成りて教主釈尊よりも大事なる行者の日蓮(乃)至日蓮を打つは法華経を打つなりと、諸氏大信力を起して此れ等の金言を信解せよ、宗祖無量の巨難に由つて久遠の尊躰と顕はれ一心一念法界に遍して身心即法華経となりたまふなり、故に我己心を本尊と崇むと遊すは是れなり、諸氏等円融無得と云ひ乍ら此の一大事に至つては円融有礙・相即不融なりとす、而して却つて等類の我等れに力を入れて円融無得等云云、是則雖讃法華にして法華経の敵と成りて教主釈尊よりも大事なる行者の日蓮と勧誡したまふ所の敵と成ることを守るや(是)四。 其の上三大秘法抄に曰はく、三大秘法の其の躰如何、答ふ日蓮が己心の大事之れに如かず(文)、此の聖意たるや文少なしと雖も義意含備せり、若し此の金言を信得し了せば能生の法華経・即宗祖の己心の南無妙法蓮華経にあり何ぞ諸氏は能生を外に向つて求むるや(是)五。 諸氏云はく、誠諦に思惟せよ釈尊巳に法華経を本尊とせり、宗祖何ぞ独り之れにそむき御自身を本尊としたまふの理あらんや宗祖は禅宗の法義を祖述せざるなり等。 弁駁して曰はく鳴呼諸氏聾駭なるか諸氏は未だ法華経の法華経たる所以を知らずと見へたり、一翳在眼・空華乱墜すと宗祖巳に法華経を三業に色読ありて顕本の後は上来引証の祖判の如く其の身心即下種の法華経と顕現したまふなり、己心の顕本を以つて本尊とするを禅宗なりとせば諸経論釈は皆禅宗の依憑たらんか、曽つて思はざりき諸氏斯くまでに浅劣ならんとは、今我が輩聊か経論釈を掲出して一代聖教通じて己心を顕現するを本意とする文を諭さんとす。 第一華厳経に云はく、若しは聖若しは凡皆此の一心に由らざる無し一心本と万法を具す能く衆事を成立す(巳)上、第二起信論に云はく、自身大智慧光明有り●法界の照す(巳)上、第三玄義に云はく、一心は諸法の本躰なり容摂其れ大にして外無し、又云はく、一心即●則・諸仏一心の法を●則とせざるなしと(文略引)、宗祖曰はく、日蓮が己心の大事之れに如かず、又曰はく我が己心を本尊と崇む(文)、諸氏能く是等の肝文に専注して法華経を修学せよ、然らざれば此の法華経の本躰何れの処にあるを知らざらん、諸氏よ灘辺に向つて砂を数ふるなかれ(是)六。 又諸氏は我輩を謂己均仏と放言せり、而るに諸氏等は却つて等類の二字に力を入れて弟子檀那を即無作三身・本門の教主釈尊として本尊とす、斯くの如き自己主義は禅宗の法義を祖述するよりも百千万倍勝れたる。彼の抜提河辺の大迦葉の拈華微笑の一房の蓮華上に化生せんずる信者なりと見認するなり、あら怖ろしあら怖ろし(是)七。 諸氏云はく経王書の如きは一機且対の書なり等。 弁駁して曰はく、経王書は丁数僅なりと雖も御本尊授与に附いて与へたまふ肝心の抄なり、何ぞ猥に弁解なく口に任せて一機なりと言はんや、日蓮が魂とは即三大秘法抄の日蓮が己心の大事之れに如かずと同意なり、況や本尊抄の結文に一念三千を識らざる者に仏大慈悲を起して妙法五字と(文)、一念三千即己心なり己心即南無妙法蓮華経なり故に日蓮が魂は南無妙法蓮華経に過きたるはなしと云云、何ぞ一機且対と放言するや(是)八。 諸氏の曰はく但紙に書けば一幅の漫茶羅・木に刻めば木像の曼茶羅なり何も十界勧請なり等。 駁して曰はく諸氏に問はん諸氏が信奉せる寺院に安置する木像は十界円備せざるなり、如何となれば提婆・阿闍世王・阿修羅王・上は梵釈・日月明星等缺失せり、何ぞ木に刻めば木像の十界といわんや(是)九。 亦諸氏に問はん世間の重語に半紙の紙・魚油の油なんど言へり、諸氏の寺院何ぞ浅劣なるや、本尊十界円満なるをば安置しながらまだ此の本尊の功徳は足らずとして別に種々の木像を安ずるは世間の半紙の紙・魚油のあぶらなんど重冗し呼ふが如きか、況や木像も十界円満せずして缺せり是れ併ら愚婦嬰童を欺かんが為め飾り物か、将た本尊問答抄に現文ありや、随つて其の本尊問答抄には此の木像をば堅く誡め給へり則当抄に曰はく、法師品に曰はく薬王在々所々皆応にして七宝の塔を起て極めて高広厳飾ならしむべし、須く復舎利を安くべからず・所以は何ん此の中に巳に如来の全身有り(文)、天台の法華三昧に云はく、道場の中に於いて好き高座を敷き法華経一部を安置せよ亦未た必ず形像舎利並に余の経典を安かず唯法華経一部を置け(文)、夫れ問答抄には形像舎利は厳誡なるに諸氏が信ずる寺院何なれば木像を勝手に立てたるや、又諸氏が駁書に之れを許せり旁々以つて不審なり速に明答を俟つ(是)十。 諸氏云はく夫れ至信に唱題するものは事行巳に本因なり、其の本因の儘成道なりと観ず、是れを本尊とは法華経の行者の一身の当躰なりと判じたまふなり、故に又曰はく、本門の釈尊とは我れ等衆生のことなり、報恩抄に曰はく本門の釈尊を本尊とすべし等。 弁駁して曰はく諸氏は言ふに堕ちずして語るに落つとは是れなり、本門の釈尊を以つて本尊とすべしとの聖意は宗祖大聖人を以つて末法相応の無作三身とし宗祖の己心を以つて法の本尊と定むるを観心本尊抄と云ふ人法一躰の祖判なるを、諸氏には此れを直に弟子檀那なりと解了すれば茲に大なる過失を生ず、其の故いかんとなれば、一には宗祖と是れ我れ等下種の本主にあらずや、二には宗旨建立発軫の主なり、三には最初題目授与の主なり、此の故に本門の教主釈尊を以つて本尊とすべしと我れ等に鳳詔あるなり、さるを此の抄に此の本門の釈尊を本尊とす所謂弟子檀那、是れなりとあらば即我れ等行者の事なりと領解せんも然るべけれ、何ぞ其の義なく一には本門の釈尊を以つて本尊とすべし、二には戒壇・三には題目と三大秘法を連ね給ふ聖意は、顕然に宗祖の当躰を本尊とする事・誰か爭ふべき、此の故に結文に此の功徳は故道善房の精霊の御身にあつまるべし(文)、然るを我れ等が即三大秘法ならば此の時精霊の御身にあつまるものはいかなるものぞ、且宗祖を閣いて即我れ等を本門の釈尊なりとせば我等は躰となり宗祖と用となる、又我れ等を本尊とし宗祖を僧宝なりと下さば僭聖増長慢なり、若し爾なりと云はゞ一四天下に三大秘法常住することなし、其の故何ぞや謂はく末法の導師を本尊とするを拒むが故なり、冥の照覧豈恥ぢざらんや(是十一)。 諸氏が云はく但弟子が師匠の像を恭敬し子が親の像を奉ずるが如く報恩謝徳の儀式なり、例せば宗祖が釈尊の像を奉ずるが如し等。 駁して曰はく報恩謝徳の為に釈尊の像を安置し奉ずるは本尊なりと確定の上なり、故に恭敬・尊重・点燭・摘花・唱題す、諸氏未だ本尊を確定せずして仏像ならば皆恭敬せんか、何ぞ不須復安舎利の文を忽緒するや(是十二)。 諸氏云はく、御講聞書の釈は証道の実義・内証悟道の辺を述べたまふものにして通別の定判によりて篩ひあげたる別論等云云駁して曰はく、諸氏前書中我が輩が内証の法門と云ひしを偏尊教外と罵れり勝手と云はんも亦辺際なし、但御講聞書の日蓮は釈迦如来なるべしとあるをも、又例の弟子檀那行者と信ずるこそ実義・内証悟道の別論と云ふことか但末法の僧徒を釈尊と了解するにや、若し爾ならば日本国は霊鷲山・日蓮は釈迦如来なるべし云云、此の日蓮と銘の打ちたるをも宗祖に非ずと拒まば諸氏は黄頭迦毘羅も物ならず付仏法・学仏法の外道なり、若し此の釈尊を宗祖なりと云はゞ我が輩の門に随従せよ、世諺に云ふ瓢●鯰の遁辞を構ゆるなかれ(是十三)。 又本門講員の云ふ如く釈尊なりとあるが故に末法相応本宗の仏宝とすと云はゞ、祖判に女人と法華経と釈尊と一躰なりとあるが故に女人を以つて仏宝とし本尊とすべし等云云。 駁して曰はく、云ふに足らずと雖も答へずんば堕負すと云はん、我が輩が信奉する法門は宗祖と我れ等には通別を立つ、此の故に女人と法華経と釈尊とを一躰なりとの曰ふとも自ら本月水月の義あり、諸氏等の立つる法門は通別をも立てずと雖も直に弟子檀那を即無作の三身・本門の釈尊と領解すれば女人と釈尊と一躰となるなり、却つて諸氏は女人を以つて本門の釈尊・本門の本尊とする法門に当るなり、其の故は別論・内証悟道の辺と立つるが故なり、若し左には非ずと云はゞ我が輩門流に立つるが如く惣じては日蓮が弟子檀那・別しては日蓮と了解あるべし、若し否ならば即直に女人こそ諸氏が正意にして末法の本尊とならんこと理在絶言たり(是十四)。 諸氏云はく色相の略語甚だ曲解たり等云云。 駁して曰はく、色相荘厳の事は我が輩前書問題の本尊段第三号に於いて色相の仏躰は迹仏なりと挙げをき、同く十五行にも色相荘厳と書き載せたれども諸氏記憶の悪くして目瞳に入らざりしか、今始めての様にだしぬけなりと云ふ、統べて問答往復に限らず名聞に懸念し情欲に纏縛せらるゝ者は必ず自他の語言を忘るゝものなり慎まざるべけんや且色心と対し色法と連するは仏家の通語なりなんど之れに限れる如く云ふと雖も左に非らず、金剛般若経には色を以つて我を見ば則邪道を行ふと説れたり、況や我が輩は色相荘厳と前書に挙げ置けり、さてさて解了に乏しき諸氏が腐脳かな、若し諸氏が如きは三五七九と云ふ釈を見ては塵点数量の事なりと誤解せんか自省すべし(是十五)。 諸氏云はくこれは本地より迹を垂るゝ談なり等云云。 駁して云はく本地垂迹は通同の談なり、去れども諸氏は当位即妙・当位即妙と屡々言ひ・働かず償はずの久遠なるは我が輩元より是れを知れり、今諸氏が法性の淵底・玄宗の極地より此の大菩薩出現したまふと言ひ法性の力自然に聖人を出現する是れなりと治定せり、此の故に我が輩の立て方にも宗祖は示同凡夫の形貌其のまゝ教相は本化の薩●にして文底は久遠の本仏と尊信せんに何の拒む所かあらん、其の故は法性の淵底とは即妙法蓮華経是れなり故に玄宗の極地と釈す、又法性広博とも釈すれば此の法性広博の内証より本地の本仏も顕れ十方の諸仏も出現あるなり、故に我が輩は其の本地を以つて人の本尊と尊信するは一切衆生中・亦為第一なればなり、此の故に本尊抄に己心の十界互具を遊す時・躰具の釈尊段に曰はく妙覚の釈尊は我れ等が血肉なり因果の功徳骨髄に非ずや、(乃)至我れ等己心の釈尊は五百塵点の当初所顕の三身にして無始の古仏也と寿量品に曰はく、我本行菩薩道等云云、夫れ此の如くなれば宗祖を以つて仏宝とせんに何んの拒む所あらんや、其の上我が輩は仏力法力を仰いで倶に名字妙覚に至るなり、諸氏何ぞ隣の財を数ふると云はんや(是十六)。 諸氏が云はく色相単位の釈尊は本尊とせざるなりこれ宗祖の聖訓を守り奉る故なり、依って但本尊とし奉ることは宗祖に例あるなりと云へり、但の字は諸氏が眼膜には遮らざりしか等云云。 駁して云はく、前第二号来書には宗祖の聖訓あるによりて末法相応の仏宝とするなり、(乃)至然らば宗祖生涯・伊東感得の釈迦仏を本師として身辺を離し奉らず事供養すと書きたるにあらずや、諸氏に問はん末法相応の仏宝の例に引ける随身仏なればこそ宗祖も奉事供養するなり、仏宝なればこそ同じ例に出せしならん、此の例と云へるは何様なるが例なるや、同じ程のものを以つて例となさずんば例の例たるに背けり諸氏如何(是十七)。 又宗祖奉事供養したまふには本尊ならでは点燭・摘花・唱題あらず、主師親を本尊とするは世出世の規範なり況や根本より憑み奉るをや、諸氏言ふに堕ちず語るに落つるとは是れなり呵々絶倒す(是十八)。 諸氏云はく色相単位なるが故に本尊とせざるなり、仏を本尊とせざるは問答抄の宝訓明々たり余輩之れを守る等云云。 駁して曰はく、是れまた例の瓢●鯰の言なり、夫れ色相単位にもせよ、宝塔品の二仏並座にもせよ、本尊問答抄には、釈迦多宝を以つて本尊とするは法華経の行者の正意には非ずと言ひ切り給ふ上は、諸氏が末法相応と募れる釈尊も諸寺院なる十界の曼茶羅の左右なる釈迦多宝等も宗祖の本懐には非ず、去るを諸氏は鯰言を以つて仏を以つて本尊とせざるは問答抄の宝訓明々たれば余輩は之れを守る等とは自語相違とも卒暴顛倒ともいはん様なし、例さば耶和華が亜当夏娃に楽界の分別樹の菓を喰ふ勿れと禁めたるを亜当夏娃が喰はぬふりにて口を拭ふとも、耶和華は早く此れを悟り楽界より苦界へ擯出せしに似たり、諸氏が信ずる寺院の木像数ふるに十界の半ば不具せり、不足せざるも不須復安舎利の厳禁あり、不具なれば十界に非ず然れば即亜当夏娃にあらずや(是十八)。 去れば諸氏には彼の十界の曼茶羅の左右なる色相荘厳仏を払ひ除き改訂して其の上に此の清爽の言を陳ぶべし(是十八)。 諸氏云はく宗祖佐前は時機未熟云云、鳴呼これ何んと言ふことぞや妙法尼抄云等云云。 駁して曰はく、宗祖佐州巳前は巳に時機未熟なるが故に時機未熟と書きたるに何ぞ拒みをなすや、巳に三沢抄には佐渡巳前の法門は仏の爾前経と思召せの意を陳べたるなり何の怪む所あらん、又色相単位の釈迦仏を本尊とせずと云ふに何ぞ態々統紀を援引して大曼茶羅を掛け又随身仏を安じ供香点燭して誦経唱題すと云ふや、若し爾らば紛らはしき事なり如何となれば大曼茶羅を掛けたりとは妙法尼抄には曽てなし又掛け奉るべき様もなし其の故に上は葺かず四壁あらはなれば何れに掛け奉るべき、又供香点燭何れよりして誰か供したる、阿仏夫婦は法敵の隙を伺ひ夜々深更に供御ありたるなり、我が輩は後世の作物は当てにせず、怪むべし爾ならば色相単位の仏のみ根本より憑み奉るとの金言なれば此れを本尊としたまふに相違ある事なし、諸氏は何ぞ単位は本尊とせずとは又鯰言に非ずや、諸氏等前々・自語相違・二途不摂・答弁に策略尽きたれば首鼠両端す自ら羞づべし(是十九)。 第七内証偏立僻迷を慈諭すと云へるを弁駁す。 諸氏云はく、上来諸条等を弁駁すと云云。 弁じて曰はく、正く是れ宗祖の別命にて素より私情を述ぶるに非ず私情長く存すべからず、啻に宗祖の金言に任せて種脱の法義を述ぶるのみ、何ぞ諸氏宗祖を種仏なんと云ふことは興門の私立なり宗祖は決して此の義なしと云ふや、諸氏等は提婆瞿伽利も者ならず一闡提人・祖敵の罪人なり、夫れ宗祖は兼ねて内証の法門を明示する時は末代不信の輩は耳目を驚動し心意を迷惑せん、是れを以つて容易に本意を明したまはず、而るに教相附文の上行再誕の談を弟子檀那に明示したまふに何ぞ耳目驚動等との曰はんや、故に太田抄に曰はく、竜樹・天親・天台・伝教等は知つて而も肝要の秘法を弘宣したまはざること法華経の文赫々たり論釈等に載せざる明々たり、生知は自ら知る可し賢人明師に値遇して之れを信ぜよ罪根深重の輩は邪推を以つて人を軽じて之れを信ぜず云云、此の祖命には寿量文底の秘法・論釈に載せざること明々たり、若し爾らば諸氏等は宗祖を難じて私曲偏立と云はんや罪根深重の輩は人を軽じて之れを信ぜずと云云、此の金言の呵責正に諸氏等の所立に当るべし憫然の至りなり(是二十)。 又諸氏に問はん釈尊を末法相応と銘せしは宗祖なりと、若し爾ならば教主釈尊よりも大事なる日蓮と命令あるを否むは何に事ぞや、又日蓮を敬ふとも悪しくは敬はゞ国亡ぶべしとは徹上徹下の金言なりとは知らざるか、我が輩こそ啻に宗祖の聖訓を守るものたり(是二十)。 次に種熟脱の法門は宗祖の一大事・内証真実の法門なり、故に秋元抄に曰はく、法華経の大事と申すは是れなり種熟脱の法門は法華経の肝心なり、三世十方諸仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成り給へり(文)。 太田抄に曰はく一乗を演説すれども題目の五字を以つて下種と為す可き由来を知らざるか(文)。 本尊抄に曰はく種熟脱を論ぜざれば灰断に同ず化導の始終無きは是れなり(文)。 此れ等の祖判は末法は下種益・在世脱益明々たり、況や化導の始終無き是れなりとは時に約し仏に約して下種益・脱益ある事顕然たり、何ぞ是れ確言を消却せんと拒むや、且つ夫れ太田抄には久遠下種の者は在世に尽きて末法には不軽菩薩出現於世して毒●を撃たしむる時也(取)意、爾らば本尊抄の種弱脱を論ぜざれば化導の始終無きは是れなりとは仏の簡取なる事顕然たり、仏の簡取に非ずんば何ぞ化導の始終といはんや、此の段誠諦に思惟あれ三世諸仏化導の常例なり、四悉檀安立す希有しからずとて耳目を驚騒するなかれ(是二十一)。 諸氏云はく宗祖巳に教相を潰亡して悪世末法時・能持是経者矣、自大恩教主釈迦牟尼世尊等云云、諸氏教相文上を見て文底を見ず祖判に文上・文底顕然なり、決して私曲偏尊ならんや、文底とは上に談ずる所の種脱の法門・宗祖の正意なり、其の故如何謂く末法は是れ下種の時なり下種を以つて末法の詮とすとは是れなり、此れ応時の下種仏を以ての故に宗祖を仏宝とするなり、去る所以は釈尊は久遠に下種したまひ大通に結縁し其の機漸く熟し、而して在世に出現して脱したまふ、彼は脱とは是れなり、今末法は是れ久遠下種の時に当れるなり、此の故に此れは種なり、是れ則三世諸仏の三益常例なり諸氏軽卒に見過すなかれ、去れども諸氏は所論に勝たん事を好んで末法の妙説を用ひず、佳ひ用ひずとも不軽は説大無咎といへり後必ず毒●の縁とならん、心意を迷惑するなかれ為人悉檀顕然なり(是二十二)。 諸氏云はく法蓮抄の文は経文に持経者を供養する功徳の勝れたる事を判じたまふ等云云。 駁して曰はく能持是経者(乃)至我不愛身命なるが故に妙経の功徳自然己心の三千を顕現す、若し己心の三千を顕現するなくんば即得究竟と説きたまはんや、故に下山抄に日蓮を打擲するは法華経を打つなりと、経に曰はく一切衆生中亦為第一とは是れなり、然れば則此の持経者を尊信供養すれば妙覚の仏と顕はる、若し誹謗せば堕在無間なりと、諸氏は徒に持経者を供養するの勝事のみを知つて持経者即仏宝なる所似を知らず、若し仏宝に非ずんば何ぞ妙覚登位と・のたまはんや何ぞ固執の甚しき(是二十三)。 蓋し六難九易は末法の法●なり、開目抄に曰はく、当世日本国に富める者は日蓮なるべし命は法華経に奉り名をば後代に留むべし須弥山の主となれば諸山の神随ふ、(乃)至六難九易を弁れば一切経を読まざるに随ふ(文)、巳に夫れ宗祖は六難九易を色読し身に振舞ひ給ひて須弥山の主たる諸仏の頂上・妙覚極果に登らせたまふ故に仏宝なる事明著なり、諸氏等時機正適の大法たるを信じて時機正適たる所似を知らざるなり(是二十四)。 諸氏云はく、譬へば今我が帝国・他邦と事あらんに我が天皇陛下この難事を所するに一臣を擢んで以つて全権弁理大臣とせん等云云。 駁して曰はく諸氏苟且にも譬を挙ぐるに当つて太子と大臣と混乱相違の失あるをだに知らざるか何ぞ世間普通といはんや、我が輩講友此の段を見るに及んで臍を縷りて絶倒す、前代未聞の珍謬・後世不易の恥辱ならん何ぞ斯く拙なる、今我が輩等諸氏がために遣使還告の由来を略陳せん、夫れ釈尊の地涌の菩薩を末法に遣使したまふや真浄の大法を付属し給ふ由るなり、本尊抄に曰はく、所詮迹化他方の大菩薩に我が内証の寿量品を以つて授与すべからず、末法の初は謗法の国・悪機なる故に之れを止め地涌千界の大菩薩を召す云云、嘉祥疏に曰はく他方は釈尊の直弟にあらざる故(文)、本化地涌は釈尊の子なるが故に、天台曰はく此れ我か弟子なり応に我が法を弘むべし(文)、妙楽曰はく子父の法を弘ふる世界の益有り(文)、宗祖曰はく久遠五百点塵点劫よりの愛子也(文)、諸氏刮目して能く視よ私の語言何ぞ加へん、諸釈祖判赫々明々たり、未聞未見・本化は釈尊の臣なる事を、諸氏世間の浅劣なる臣子の分をも弁ぜずして猥はしく我が輩に諭導を成すと是をしも忍ぶべくんば孰れをか忍ぶべからざらん、故に宗祖曰はく遣使還告は地涌なりと此の賢子四方に使して父命を羞しめず後太子の大王に即位せしに何の拒怪する所あらんや、是れを以つて悟解すべし地涌の上行・後昆・釈尊の譲位を稟け即位して末法相応の仏宝なる事分明なり、宗祖曰はく教主釈尊よりも大事なる行者の日蓮云云、諸氏本論も亦是くの如しと云ふ何なる本論ぞや怪むべし、慥なる本論を出して地涌は子にあらず釈尊の大臣なりと云ふ明拠を示すべし、若し缺答不明ならば諸堕負に帰せん諸氏が対治悉檀此の如く減却して我が輩が対治悉檀分明に成立す如何(是二十五)。 諸氏云はく法華経の極理巳に立たざること従来往復縷駁の如し等云云。 弁駁して曰はく諸氏徒に負惜のみにて筆端に大言を放つて其の法門の法躰一として立つ事なきを如何せん、邂逅に珍喩を勘出せば太子と大臣との違失にして恥羞を顕はしたり、而して仏宝の正義を消却せんとす、謀書を作せる者は・かかる誤りありとは宗祖の確言・正と不正と邪と不邪とは是れを以つて知るべし、我が輩の尊信せる仏宝分明なり第一義悉檀顕然として立す、諸氏我慢を以つて無明喚醒・大慈大悲なんど大人めかせども杜撰曲学自ら揣らず我が輩又是より千群万難ありとも牛角蠅喋とも謂つべきのみ(是二十六)。 諸氏云はく能所一躰の成仏を知らず等云云。 駁して曰はく諸氏こそ能所の成仏缺失せり、其の故は久遠の釈尊たる宗祖を仏宝とする事を拒むが故なり(是二十七)。 諸氏云はく教相に即して観心なるを知らず等云云。 駁して曰はく宗祖曰はく一切の法は仏法なりと通達解了せよ(文)、我が輩此を守る何ぞ教即観を知らざらん(是二十七)。 諸氏云はく宗祖弘通の大義を誤る等云云。 駁して曰はく太田抄に曰はく、一乗を演すれども題目の五字を以つて下種と為す可き由来を知らず(文)、我が輩は末法下種を確信す諸氏何ぞ一乗を演説すとも下種を知らざるや、却つて宗祖弘通の大義を滅するなり(是二十八)。 諸氏云はく十界皆成の実義を守らず等云云。 駁して曰はく諸氏こそ十界皆成を真に守らざるなり、其の故は諸氏の信奉する処の十界曼茶羅にして又木像を安置せる頗る重冗にして問答抄に相違せり、此の十界観請にては未だ功徳足らずとして別に十界不具の木像を安ず、是れ何事ぞや、宗祖云はずや雨ふるに露はなんの詮かあるべき良薬に又薬を加ふることなかれと禁めたまへり、諸氏いかなれば斯金言に触るゝを喜ぶや(是二十九)。 諸氏云はく事行妙観等云云。 駁して曰はく事行妙観・受持成仏とは全く我輩が尊信する所の本因妙是れなり、本因を受持唱題すれば即本果なること本尊抄に明著なり、何ぞ諸氏此れを弁へずと云はんや(是三十)。 宗祖曰はく本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る者(乃)至当躰の蓮華を証得す(文)、我が輩信力を以つて仏力法力を仰ぎたてまつりて即身成仏す、第一義悉檀・明々赫々として公立せり(是三十一)。 来書に御義の所々を捜索して云云、蓮華会友大笑一声して曰はく等云云。 駁して曰はく、我が輩が前々陳述のごとく諸氏には御義の処々を捜索して答へになるべき明言を求めんとする、此の故に我が輩は其の壺筐を突き当てし故に蓮花会友もさてこそと一声を揚げられしと左もあらん、但し寿量品の御義口伝こそ諸氏の論上にては城廓兵甲となるならば早く我が輩が尊信する門流に帰すべし、其の故は御義口伝に曰はく今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は寿量品の本主なり、惣じて迹化の菩薩此の品に手をつけ綺ふべきに非らざる者なり、彼れは迹表本裏・此れは本面迹裏、然りと雖も而も当品は末法の要法にあらざるか・其の故は此の品は在世の脱益なりと(略)引、我が輩は此の金言を尊信し守るなり、諸氏は城廓兵甲と云ひながら之れを守らず寿量文底下種を用ひず何を以つてか城廓糧餉なるあらんや、我輩等実に拍掌するに堪えたり(是三十二)。 諸氏云はく偏尊孤立の内証をば祖意なりと等云云。 駁して曰はく諸氏は寿量の御義を一大事と云ひながら忽ち忘れて内証は祖意に非ずと云ふか、浅劣の雑言取るに足らず、御義には而も当品は末法の要法にあらざるか其の故は此の品は在世の脱益なり、題目の五字計り当今の下種なりの金言、開目抄の寿量文底秘沈の内証なり、若し内証を以つて偏尊孤立とせば宗祖を指して孤立の違法と褊するや、咄諸氏西方を知つて東方を見ずやあゝ盗跖より孔子を以つて孤立と云はんや、我が輩巳に教行証円備せり諸氏却つて不具足にして其の内心祖意に乖戻せり(是三十三)。 諸氏に云はく三種三宝・教観二約等云云。 駁して曰はく諸氏等我が輩を軽蔑するの甚しき、前きに屡三種三宝の名義は大明三蔵法数に出でたるを模索せし事故に、広博に論ぜんより宗祖の法門は狭くして深しの金言を守つて祖書に於いて三種三宝の文証あらば出すべしと挙げたるに、其の証拠に辟易して亦こりずまに狭隘を徴するに足ると云ふ、我が輩等博覧に非ざれども宗旨に関すべきの書籍何ぞ之れを知らざらん、諸氏何ぞ博識達して之れを放てば六合に●満すなんと誰も諳記したる新語を挙げたる吾が輩机を叩いて大笑す、夫れ一心の広博たるや虚徹霊通す之れを散すれば則万事に応じ之れを歛れば而も一心に帰す、是の故に若しは善・若しは悪・此の一心に由らずと云ふことなし、此の故に高僧伝に曰はく一心は万法の惣躰・分けて戒定恵と為す開して六度と為り散して八万の行と為る(文)、諸氏我が輩は宗祖の厳誡を守るに狭隘を徴するに足ると褊す、若し諸氏が言の如きは広博を本意として宗致を立てんとす、然らば則前書所引の八万宝蔵を以つて本意とせんか、諸氏何ぞ六合●満の広事に亘る、何為ぞ宗祖末法適時の本懐に暗きや(是三十四)。 諸氏云はく余輩は足を捉らざるなり(乃)至要難の猛勢に怖れて不満を訴るなかれ等云云。 駁して曰はく造立三秘抄と雖も又入文に一機に対する金言なきに非ずと云ひしを、諸氏奪つて二抄を捨つるやと書けり、故に何に我が輩二抄を捨ると書きしぞと反詰せしなり、而るに要難の猛勢に怖るゝと云ひしは何事ぞ、我が輩苟も此の論上に至つて一ケ条たりとも答駁せざるはなし、諸氏こそ却つて我が輩が法門の鋭どき切先きにひるみて不軽豈異人乎の条・宗祖又いかなる難行巨難を修して菩薩地を転じて、妙覚に至りたまへるやの難を正答せず、故に缺答を促すなり贅言を省みて謹んで皆正答せよ(是)。 諸氏云はく僧とは我れ等行者なり等云云。 駁して曰はく前に御義口伝の仏ともいわれ凡夫僧ともいはるゝなりの金言を論じたりしとき諸氏には此の凡夫僧とは何をか指すと質問あり、故に反詰して云はく仏ともいわれと云ふは仏とは又誰をか指すやと答弁す、今は諸氏是れを転じて僧と者我等行者と云ふに移し来れり、然れば則ち我が輩が切先きの鋭尖なるにひるみて斯く転言するにや、諸氏瞳を定めて前答の箇所を見るべし、上に仏ともいわれと標して、下に凡夫僧ともいわるゝなりと遊はす、然れば教相一応の見は凡夫僧にして元意・再応は此の凡夫僧こそ其の侭仏躰なりと云ふ金言なり、此の故に仏僧と連ね給へり、諸氏日蓮宗と名乗ながら劣る者を好めるは何に意ぞ、例せば夫れ開目抄の上に夫れ一切衆生の尊敬すべきもの三あり、所謂主師親是れなりと顕揚ありて後ち日蓮は貧道の身・其の上下賤との曰へり、今の御義も亦復是くの如し(是三十五)。 諸氏云はく余輩が教相を広大と賛銘せしは教徳に約して云ふなり等云云。 駁して曰はく夫れ一代聖教の広博なる今経の徳の広大なる誰か是れを知らざらん、而るに論上に望んで語を改めて今経の徳広大なりと賛するは諸氏には始めて気の付きしか甚だ薄信千万なり、然れば諸氏が経徳を賛するものは所謂雖讃法華経・還死法華心にあらずや、是還著於本人の責め諸氏に譲るべし(是三十六)。 諸氏曰はく当に知るべし迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品等云云。 駁して云はく諸氏等の前駁書の此の件をみよ諸氏猥りに我が輩の法義を偏尊孤立内証なんど申す事は宗祖の本意に非ずと書き送りし故にそは誤謬の甚しきなり、宗祖は所々に内証の二字を置き給へる祖命ある例を引証せしなり、諸氏此に窮するが故に今具文を以つて例証を紛らかさんとす何ぞ内証の法門これなしと云はんや、是れ諸氏が我輩に屡々教相を潰亡す等と云へるは何なる教相潰亡ぞや、諸氏が法門こそ教相潰亡円融有礙なり、何ぞ教相即付ならん片輪不具足いはん様なし、如何となれば元来本迹一致或は観心一致なるを方今新規焼直しの法門にて或時は本尊抄の此本門の肝心たる南無妙法蓮華経と八品の本尊をも立てゝ我が本尊なりと云ひ、寿量品の御義も城廓糧米也と云ひ勝手次第の立方と成りたれば元来一致を立て通したる重遠乾の三師は地下に在りて涕泣号呼していはん、鳴呼王政一新の御代と成ては末法一千年も立たぬうち法義を砂羅理と改訂せんとは思はざりき、末法の新を好める弊風後世畏るべしと、而るに諸氏は此の本門の肝心より八年の間・八品に限るの本尊抄を以つて諸氏が法門に引当たるに本門の本尊なれば何ぞ本迹一致の本尊ならんや、是れを強て一致と云はゞ寿量品の御義に曰はく彼れは迹表本裏・此れは本面迹裏なり(文)、又当躰義抄に曰はく日蓮は本面迹裏の文等は巳に宗祖は是れ本迹勝劣宗なれば諸氏が寿量の御義を表とし城廓とせば其の元礎の一致何にか在らん、然れども諸氏法門を改訂すと云はゞ一致か勝劣か将た観心一致か広告を俟つなり(是三十七)。 諸氏云はく教相を断離して内証を偏尊するは宗祖の一大厳禁なり等云云。 駁して曰はく此の難前書に屡々答ふ今之れを駁せん、教相を断離するを教外別伝・闇禅天魔と云はば宗祖は往々に此の義を命令したまふ、是れ四重の興廃あり之れを略す、但し宗祖の曰はく法華経の文字はあれども衆生の病の薬とは成るべからず其の故は病は重し薬は軽し(文)、又曰はく専ら題目を持つて余文を雑へず(文)、又曰はく此の南無妙法蓮華経に余事を雑へば勇々して僻事也(文)、此れ等の金言は教相を断離して只南無妙法蓮華経に帰すと見へたり、若し否ならば此の金言を如何んが会答せる(是三十八)。 諸氏未だ富山の聳へて高きを知らず、将た堅城確乎として動せず頗る大盤石の宗旨なり、諸氏速に甲胄を脱して法王の鳳詔を崇重すべし、一生空く過して千劫悔ゆるなかれ。 明治十五年十一月八日 本門講 07-222 第 五 号 答 弁 書 第一・前書本尊段の粗解に付き蓮華会員の推究に応じて其の強情負惜の誣言を弁詰す。 本門講員曰はく夫れ総論・束説・純証・濫引等の名目は元来諸氏が本講前題書を誤認の上に附けたる文字にして本講の章格は決して斯くの如くならず、我か輩の筆勢又決して其の誤認の如くならざるを以何せんや、大凡該章の如きは今又事新しく論弁するに足らざる儀なれども諸氏の悪罵・虚喝・瞞着・強圧甚き以つて爰に少しく駁撃弁明せざるを得ず、諸氏よ卑屈の怒喝を止めて正念に復して左に説明するを諦聴せられよ、曰はく本講前題書中・本尊段の一篇は我が輩前書に於いて巳に明白に分科詳説する如く全篇分つて六段となる、而して其の第一段は則全篇の発端首章にして是れを論緒と云ふは或は可なるも一篇の総論と云ふは決して当らず、又其の首章の陳述は宗祖は主師親三徳在まして一迷先達の導師・下種の教主本仏なることを説くなり、是れを人の本尊の説原と云はヾ或は可なるも本尊の束説と云ふは決して当らず、又々歴掲数抄の祖文は是れ文は祖徳称揚・義は以教余迷・意は絶尊の仏躰を示す処の宝証とするなり、是れを人の本尊の証躰とすと云はヾ或は可なるも本尊建立の純証とすと云ふは●めて不可なり、大躰該首章の一段は当書全篇の大旨たる宗祖を以つて仏宝即人の本尊と崇め奉る立論の発端なる故に、先づ宗祖は末法有縁・主師親三徳・一迷先達の教主・以教余迷の導師・唯我独尊の仏躰なることを証明し置き、而して其後・数段章の縷陳内にも第三段は正しく人の本尊なることを確定決帰するなり、要旨を以つて之れを約言せば第一段・即首章は三徳有縁・下種本因妙の教主本仏なることを説き、後段数章は大祖本仏なれば人の本尊と崇敬すべきことを確論せるなり。 今一歩を進め該首章の一段を要掲して詳解せんに・最初・開目抄の諸宗皆本尊に迷へり例せば三皇巳前は父母を知らず人皆禽獣に同ぜしが如し、寿量品を知らざる諸宗の学者は畜生に同じ不知恩の者也の祖文を冒頭掲示して(人之本尊を論定する全篇の大旨なれば此祖文を掲ぐ宜く全篇の大旨を看べし)、蓋し宗祖は末法下種の主師親にして本門寿量・文底本因妙の教主也と発言し、開目・撰時・報恩教抄の祖文を歴引し畢りて云はく夫れ此の諸文に宗祖末法の主師親なること其の意顕然なりと小●す(是の文は末法の下種の主師親を歴証す其濫引なるや否弁を費すを用ひず)。 而して又之れを一層鄭重に示さんが為に上引の中に就て撰時・報恩の二文を要掲して曰はく、宗祖は一迷先達の教主・以教余迷の導師・一天四海・唯我独尊の仏躰なることを示させたまふ金文也と上来引証の祖文を大●して結ぶ(是れ其義意は以教余迷の導師・一迷先達の教主にして絶尊の仏躰なるを証するなり是れを本尊建立の純証とするに非ず)、又何ぞ是れを末法下種・人の本尊と崇め奉らざるべきと上首章を結び、下数章に人の本尊を証論する基となる、是れ証前起後・一篇関鎖の字句なり、該一句を以つて上歴引の祖文を本尊建立の純証とすと強言するは誤迷の至りなり、何ぞ是ヲノ字の是れをは上掲歴引の祖文を指すに非ず、直接下種本仏の宗祖を指すなり、是則・元来本篇は宗祖大聖人が即人の本尊なることを説明する首章なる故に、先つ宗祖は末法下種・三徳有縁・一迷先達の教主にして本仏の尊躰なることを証明発論し置いて下章に正しく人の本尊なることを明証の聖文を挙けて論定す、是れ本篇の条理なり、将た前書にもほヾ論じ置けるが如く本篇は元来宗祖大聖人を末法下種・人之本尊と崇め奉るべき論旨組織の一篇なれば、其の後段の明証論定より立ち還つて之を視れば前後互に相応じ相照して其の文底元意の辺は人の本尊と崇むべき聖意なるべしといへども、章段各々・其組織条理あり、爾れども其の首章は決して本尊の束説にもあらず、亦本尊建立の純証とするにもあらざるや其の条理頗る炳焉にして随つて総論・濫引・空陳ならざることも亦●めて著明なること上来巳に論述するが如し。 爾るに諸氏が第二号書の第一章及び第五章には(乃至)の二字を以つて論腹種々の組織を抹却し一概に自己の粗解を助けんと●々一二句を摘み来りて文章の勝格斯の如く自ら筆して自ら誤解するなどと漫言し、彼の清浄なる法義の道理揚らざるゆへか文字上にて圧倒を計るも是亦到底粗解の上の負惜瞞着なれば●に其の理を紊乱し得べからず、蓋し諸氏等の理非曲直を変化錯到せんと筆を舞して言ひ紛らすことの巧なるには誰か一驚を喫せざらん、全躰窮迫自定すれども正直に過を正すも外聞悪し、兎角の空弁虚喝にて紛らすに如かずと思ひしとは諸氏が自ら其の卑屈の心情憶懐を吐露せしも亦奇と云ふべし呵々、亦自言反窮すと云ふは諸氏が自ら発言して自ら窮縮する思想を描き出せるならん、例せば諸氏が当本尊建立の検証に付き本講の前は人法の本尊中・先つ人の本尊を説明せるものなるを、其の内躰の組織・照応・旨帰等の大勢は勿論一篇の主論をも鑑察せずして法の本尊も束説せしものと軽忽粗解し、観心本尊抄を援引するを知らざるものゝ如く僻難せしも是れこそ今は真に自言反窮の実功を奏すと謂つべし。 又本講前題書に通別の二義を以つて通じては当躰義抄・最蓮房書の通り宗祖の金言を信じ本門寿量・文底下種の題目を口唱し奉る者は受持成仏の大法なれば皆悉く宗祖と等しく本有無作の当躰蓮華仏となるべし、然れども其の久遠元初・一迷先達の大祖本仏にして人の本尊と崇め奉るは別して宗祖御一人に限ると通別せしを、諸氏等は例の転忽粗解して我が輩を罵る語に云はく恐れ多くも当躰義抄・最蓮房書の聖訓宝鑑を排却するに然レ共の三字を以つてせり、自会の外道・違法の天魔たる罪跡文に在つて顕然なり等と顕露に虚喝を以つて悪罵瞞着を試みたりしも我輩一たび之れが理非曲直を一刀の下に両断せし後は諸氏の答弁を今何くにかある。是れ亦真実に自ら発言して自ら窮縮せしものと云ふべし、諸氏の空弁虚喝を以つて軽忽誤解の上に瞞着を計ること毎々斯の如し今亦以て然り彼の総論・束説・純証・濫引等の名目は自己粗解の上より附けたる文字なるを以つて●めて自言反窮せりといへども、自己の文才を●んで兎角の空弁虚喝にて巧みに紛らすにしかずと頑固負惜にも心中に憶測せしを自筆したるに相違あるまじ、左もなくば何ぞ野卑陋劣の曲懐を吐いて人を計るの甚だしきや、乞ふ諸氏よ、自ら反省して其の良心如何と顧みよ、猥に自己の非を遂げんが為に誣言を以つて他に負はせること勿れ、我が輩豈弁を好まんや、実に止をえざればなり、蓮華会員先生宜く正念に復して熟慮すべし。 第二・祖文の領解に付き究判。 本講員曰はく祖文の領解ほヾ同うして下に宗祖を本尊と崇むるを破排す、是れ其の主意は全く背馳せるにあらずや、故に諸氏の領解全破壊すと云ふなり、義合はず聖文に違すの二駁は是れ法仏隔別の釈尊を指し又色相脱益の仏像を斥すことは本講第二号答弁書の第二章第三章の分明論弁する処にして我が輩固より前陳せり、今号に至りて初めて発陳するにあらず、爾るを轍を改めて言抜すとは誣ると云ふものなり、二途に駁を取るも指す処は一途なり、所謂・色相荘厳・有作脱益たる法仏一躰せざる仏像造立を擯斥せるなり、諸氏巳に二駁のなわぬけすと思はヾ何ぞ囂々しく麁言を吐くことをせん、又屡々言ふ如く宗祖は是れ久遠元初・一迷先達・無作三身たる下種の本仏にして即法仏一躰の本門の釈尊なれば爰に弁ぜるは固より至当なるのみならず、諸氏の領解と主論と相背悖せるを慈諭するものなり、是れを余事に移れると思へるは諸氏の迷夢未だ醒めざるゆへならん、諸氏が単説の条下を駁せば我が輩も亦其の条下に於いて委細に之れを弁駁せり、我が輩は敢て条門を紊滅せず将た又宗祖は法仏一躰の下種本尊なれば、文に寿量品の仏と云ひ此の仏像出現とあるは宗祖の自指なること固より当然にして法の本尊は宗祖の当躰なること是れ亦当然なり、故に宗祖の御事なりと云へるなり、曼茶羅と仏像とは或は不二或は而二なり諸氏何ぞ我が輩の持論を識らんや。 第三・色相荘厳究判。 本講員曰はく来状の如くならば諸氏は色相荘厳の仏像を本尊とすること自甘せるか、先には色相荘厳の仏像を本尊とせずと云ひ今は亦之を本尊とすと云ふ自語相違と云ふべし(是一)、又宗祖一条の金言の眼目を抜き去つて精義を私転せしも亦堕負自定・邪義甘従せるか(是二)、又螺髪応身・色相荘厳の仏像を指して直に曼茶羅と云ふは近古希有の怪談なり、諸氏の私義か将た祖判か祖判ならば明々たる証文を出さるべし、私義ならば法義私作の罪脱るべからず否やの確答を聴かん(是三)、亦宗祖に先例あるとは抑いかなる先例ぞや、其の証拠を掲げんずんば恐くは遁辞ならん右具に明答せよ。 第四・無作三身如来は末法法華経行者也の原文及び通別の究判。 本講員曰はく所詮蓮華会諸氏は当原文を以つて宗祖の弟子檀那を本尊とするの純証とし宗祖の正義に昧く両往通別を了せず、只偏に宗祖の弟子檀那が正意真実の如来にして宗祖が自称自指したまふ処の法華経の行者も・只宗祖の弟子檀那の事とするが諸氏一論の眼目なり、大躰是れが偏局不通私見の曲解と云ふものなり爰を以つて御義口伝弐百余処に陳列せる日蓮等類と遊ばす金言なども、更に通別傍正の義意あるを知らずして、ひたすら等類の二字に力を入れて宗祖の弟子檀那を本尊とすることを究めて骨張し、却つて本講に於いて本師たる宗祖を本尊とするを拒み違法外道と罵る、寔に以つて呆れ果てたる人物かな、全躰別しては日蓮が弟子檀那とあれども別しては日蓮並に弟子檀那となしとは何ぞ理に通ぜざるの純なるや、諸氏は是れを文義甚遠と思へるか、亦是れを与奪傍正等の義判とするか、義判とは義に依つて文を判ずるなり、文相を見て文相を演べるは義判と云ふべきか、義に依るとは祖書類例の道理等を以つて其の文意を判顕するを云ふ、其の文相に通別の二字なきを以つて道理ある義判なるも其の道理に関らず、只強いて私会私判と云ふは暗昧者の痴見なり、義判の邪正を知らんと欲せば先つ義判の義判たる所以を熟知せよ、然らざれば本祖奥妙の法門は勿論議論は出来申さず所詮我輩は最初問題書以来・祖書類例の道理を挙げて之れを説明し本祖の正意炳乎として瞭かに通別の義判確乎として定まり、宗祖を以つて人の本尊と崇むるの意極めて透徹せり、諸氏よ先つ義判の義判たる訳を知つて後・前書以降・我輩明陳せる祖書類例・検証道理を推究せよ、其の文相の推尋自ら明決すべし(是一)。 来書に云はく上足六尊(云云)。 弁駁して曰はく宗祖が六師を見ること我を見るが如くせよと顧命あるは惣じて諸余の弟子に対して簡異したまふなり、六老僧を定むるも亦其の意なり、別附相承・嫡嗣血脈の伝法に至つては特に興尊に限るなり、是れ六老僧の中に於いても別して興尊のみ其の法器に堪へたまふを以つて宗祖も別附相承したまふなり、前書に掲ぐる二箇の御遺状の明証赫々たり誰か之れを拒むをえん、又諸氏等の言ふ如くなれば興尊に賜はる処の二箇の御遺状は宗祖妄誕の虚証文を遺したまふと云ふべきか、抑も又昭尊に対すれば則日蓮日昭なるべく(乃至)朗向頂持に対するも亦是の如しとは是れ諸氏の私言か将た明証の御遺状ありや、我が興尊者に在りては恐れ多くも宗祖自ら血脈次第日蓮日興、日蓮判と分明に自書証明遊はせり謹んで拝味せよ、若し六老僧一同に血脈伝法あるならば宗祖以何ぞ独異をなして嫡嗣と定め血脈次第を別書遊すべき、是れを以つても知るべし五老僧伝法に血脈無き現証なり、況や興門には重々の確証あるをや諸氏尚言ばあらば宗祖親筆の確証に依つて答へよ、胸臆の私言は千万すとも其の益なからん、又我が輩は●くも宗祖正嫡の流を汲む者たり豈寃を興尊に被らせ奉らんや、是れ宗祖の明に血脈相承したまへるを云何せんや、諸氏等こそ名を五師に仮りて宗祖並に興尊を蔑如し奉り御遺命に背悖せる逆路伽耶陀・獅子身中の虫の大罪人なり(是二)。 次に又云はく理性所具(乃至)盲蛇物に怖じずと(云云)。 破斥して曰はく諸氏等は鬼畜なるか蛇蝎なるか何ぞ頑固負惜の甚しきぞ、且議論の範式巳に濫するを知らば又何ぞ濫式の贅言を吐くや、我が輩は本門寿量品の教主の金言を信じて宗祖正意の本門の本尊に向つて宗祖正意の題目を唱へ奉る者なり、受持成仏の大判は本講の最精味研究する処なり受持成仏・事行即成の実意を知らんと欲せば別論すべし、何ぞ迦尊に向つて強いて法を説かんとするに異ならんや、且諸氏等は元来人の本尊たる本門寿量の教主本仏を知らざる者にあらずや、本尊を論ずるに能所を混乱し我れ等弟子檀那を本尊とせんとして却つて宗祖を本尊とするを拒む、其の意に云はく能所一躰の成仏也と、能所一躰の成仏は我れ等が上の事なり、宗祖は是れ久遠元初より一迷先達の大祖本仏なり、我れ等弟子檀那は其の以教余迷の大慈大悲の賜を受持して今日初めて成仏するなり、人の本尊たる宗祖の当躰へ帰入するなり、爾るに成仏と本仏と先達と余迷と能成と所成と能開と所開と能覚の教主と所覚の我等と混同抹却して、却つて我等を以つて本尊とするに力を入れて偏頗曲解一概の妄論を張る、宗祖の冥覧恐るべし悪口雑言は詮なし、よく●法義の大綱領を拝味熟考せよ。 第五・帰依本尊・異同答弁の不当を反駁すと云へるを再駁す。 我輩前書に屡々条南抄の法妙なるが故に人尊しとの金言は神力品の結要付属を宗祖御自身に感得ありて、末法の人尊極を弟子檀那に明示したまふの聖訓顕然にして宗祖の御当躰こそ仏宝なり、此の故に本尊にあらずんば三業の悪を転じて争か三徳を成ぜんやと論ぜしを、諸氏は影には尤なりと甘心せるが故に末法正適の導師にして釈尊の法義を祖述したまふものなりと答へたり、而るに諸師は陽には未だ負悋ありて此の経を持つものは皆法華の行者なるべし法華経の行者なれば当躰即本尊なるべし、鳴呼我慢偏執と云はんも又余りあり、夫れ宗祖は巳に二十七年の間、一日片時たゆみたまふことなき三業色読の導師なり、諸氏其余沢を蒙りながら是の経を持つものは皆三業即三徳と転ずる勿論なりとは宗祖に対して不敬不孝の甚しきなり、是れぞ諺に謂ふ庇を貸して御母家を取ると云ふものゝ如し、吾が身法華の行者なることは偏に宗祖の大難行の余光にあらずや御先祖に打死させて高枕とはこのことなり(是一)。 然るに諸氏は宗祖の尊高無比なるを贅するをば還つて是れを怨嫉拒絶するは何に意ぞ悪鬼入其身能く自省せよ(是二)。 諸氏云はく日本帝国の人民なれば千歳宗祖を戴いて父の徳まします末法時機相応の僧宝とし奉るなり等。 駁して曰はく誠真に奉戴するならば仏宝とすべきなり何ぞ釈尊より譲与付属ありし宗祖を当職仏宝と尊崇せずして僧宝の下座に居へ奉るや、御義に曰はく此の妙法は釈尊の妙法には非ず其の故は神力品の時上行菩薩に譲りし故に(云云)、夫れ此の金言を拝味あれ、今末法には此の妙法は釈尊の御手にはあらず皆上行日蓮の御手にあり上の口伝抄顕然なり、世上に譬ふれば釈尊は隠居にして上行は当職なり、本尊抄の彼れは脱此れは種とは是れなり、由つて諸氏も前駁書に報恩抄の一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、又宗祖の法妙なるが故に人尊し引証せしは皆宗祖大聖尊の御事なり、去るを我等行者こそ本尊なりと云へるは宗祖を除去りても本尊にあらはれたしと云ふは何に意ぞ、世諺にも己れ達せんと欲せば先つ人を達せしめよと云はずや、是れこそ宗祖に対しては庇を仮して御母屋を取るの義にあらずや、且己れ尊ければ本祖は猶尊貴ならずや斯く程の道理をば諸氏にして何ぞうとき(是三)。 諸氏云はく宗祖云はく本門の釈尊とは我等衆生の事なり、又云はく当躰蓮花仏とは日蓮が弟子檀那なり無作三身の宝号を持ち奉るが故なり等。 弁駁して曰はく我が輩は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経を唱へ奉つてこそ当躰の蓮華を証得するなり、諸氏は此の本門寿量の教主をば何の如来とか得度あるや、我が輩は寿量品の本主たる宗祖なりと信奉するなり、而るに諸氏には我が輩を悪罵して偏尊孤立とせり宗祖を偏尊するは三世諸仏を信奉するより百千万の勝事なり、其の故は仏母の如来なればなり、諸氏は宗祖を以つて但●且の法華の行者にして世に珍らしからざる賢僧なりと軽信するが故に、我が輩が屡々是れを忠告するをも怨嫉して宗祖の己心ばかり、題目なりと自分勝手に私会なすと云ふは薄信の甚きなり、所詮宗祖を僧宝視する分斉にては御義日向記も稗史の如し、鳴呼古今独歩・天上天下・尊極無比の大聖の巨難も介爾も無心ものゝ為には泡沫のごとく、下和が涕泣・子胥が断腸是なりとは宜なるかな諸氏阿鼻の当躰を証得するか(是四)。 諸氏云はくいづれも宗祖一人にかぎり本仏なり本尊なりとの所談は祖意に違する的々明々等。 駁して曰はく我が輩が宗祖の己心本月を以つて本尊と信奉する我れ等が己心の水月の如くなる本尊とは大なる相違あり、諸氏は是れを一躰なりと信ず此に於いて能所の隔あるを述べん、宗祖曰はく不軽覚徳こそ身に当てゝ法華経を読みたまへり、末法当時には日蓮一人とこそ見へ候一句一偈皆与受記は我れ也と(取意)、諸氏法華経の行者と名乗れども只宗祖の余沢のみ御在世に四条氏にすら日蓮が修行の功徳を父母に回向し其余りをば弟子檀那に省くべしと申し含めぬとの曰ふをや、諸氏是れを宗祖と一躰にして更に替ることなき本尊なりとは過慢の僻見責めても余りあり、宗祖の曰はく如我等無異とは我れ等と釈尊とを同じ程の仏と思ふべからず、釈尊は天月の如く我れ等は水中の月の影の如くなり(文)、能く此れ等の惣別を修学して後に我が輩と所論すべし、諸氏こそ謂己均仏の最頂と云ふべし(是五)。 諸氏云はく余輩が尊信する諸寺院(云云)。 駁して曰はく先には諸氏本尊を立る本尊問答抄なりと云ふかとすれば我が輩が屡々問答抄を引証して仏像を詰難したれば又鯰言して一尊四菩薩・二尊四菩薩の彫像及び木絵二像開眼御書等を如何せんやと逃遁したり、但諸氏の答弁甚た胡乱なり其の故は一尊四菩薩・二尊四菩薩を木絵二像開眼抄に造立せよとは之れ無きものをや、諸氏の濫引こそ野馬陽炎の言論と云ふべし、巳に四菩薩二尊等の事は滅後に造立したる証を挙げて上に確責すみるべし、諸氏こそ切り取り法義偏執固疾の極点切と云ふべし、肝要一大事の本尊を立つるに大部の御書を以つてせず、剰へ婦女子の集詣する所・諸民の来観する所・見附きの宜き様と云ふて可ならんや、我が輩此に於いて大笑して止まず共に筆を挑むに足らず(是六)。 諸氏云はく報恩抄の結文に此の功徳(云云)。 駁して曰はく前駁書に本門の教主釈尊とは諸氏が我等行者の事なりとのみ取つて是れを宗祖に取ては都合悪しく、夫にては富士流似て困迫する処より是れを無理にも我等に主付けて宗祖の仏宝本尊なる事を遁れんと巧み、屡々宗祖一人には限らず限らずと紛らかすは又憫然たるのみ、我が輩が●尖なる駁書に当惑する分野は実に月明かに星稀れにして烏鵲南飛と云はんか、諸氏・上の道善坊の御身にあつまるものは諸氏等が三秘の功徳かと、難じたるを答弁し兼ねて大法を弘めたまふ故に其の弘通の功徳を師の霊に回向すと、我が輩が云はく夫れならば此の本門の教主釈尊とは宗祖の御事なるや顕然なり、大法を弘めたまふ弘通の主なりと云ふにあらずや、況や此の文の下には我等弟子檀那の文字はなきぞかし誤りたまふなかれ(是七)。 但御講聞書の釈迦如来なるべしとは宗祖に取て論ずるが本懐なり、我が輩三業色読もなき者を以つて即釈迦如来なりと決信するは文底秘沈の上なり口外憚りあり去るを屡々諸氏是即我等行者なりなんと広言する是れ等を以つて江湖の仁に訴へ訂さんとするや、若しさるならば江湖の仁・鳴呼天狗なる哉大僧正と歎称せんのみ、今諸氏に忠告せん日本国は耆闍崛山日蓮等の類は釈迦如来とあればとて即我れ等が釈尊と云ふにあらず、如何んとなれば宗祖は六難の頂に立つて四箇度の大難の行者顕然なれば即身心如来なり、我れ等唯功徳に浴する行者なれば即心の如来なり、故にみよ釈迦如来なるべしとありて、なりとはなし我が輩は是れを宗祖一人即身心の釈尊なれば日蓮は釈迦如来なりと書けり、此くの如く取意の文にも気が附かず甘き穴を見付たりと具文を引けるも笑止なり、我が輩は諸氏等が立つる如きの法門は近世綱要の焼反しの法義と思へり(是八)。 次に諸氏は有作仏・無作仏を能く了解せざるなり、有作仏とは実相仏に非らざるを云ふ、無作仏とは実相の仏を云ふなり、故に経に曰はく実相、荘厳に非らずと何ぞ三十二相の金碧を以つて荘厳せるは皆天竺には赤道直下の炎熱を凌ぐに金を身に塗つてこれを避けり、是の事は教時義に明なり、仏此の機情に随ふとなり、無作とは久遠の相貌にして宗祖の尊像是れなり、是れこそ色相文字即是れ応身なり文字に書けるも無作久遠の相貌も更に替りなきなり、但仏像の三十一相の法華経を読んで開眼すと明訓したまふは十界の形貌を木像にすればとて生身の如来には及ばず、滅後に仏像を造るとも五戒経・十善経等の経にて開眼すれば輪王帝釈と同じ、仮令三十二相にもあれ木画の仏前に法華経を置き奉れば必ず仏と同じと示し来りて、普賢経に法華経の仏を説いて曰はく仏三種の身は方等より生ず(云云)とて法華経の文字の功徳は百千万勝れたりと、次第に三十二相の木画の像を去つて十界勧請の文字の本尊の功徳広大なりと従浅至深して法華経に入れたまふの訓言なるを、諸氏は例の空華に翳眼を瞑まされて上の三十二相の木像にのみ力を入るゝ故に比の難をなすなり、宗祖は真訓実規なれども諸氏の僻見に由つて妄訓不規とはなれるなり悲むべし(是八)。 諸氏は仏は末なり凡夫は本なりと云へる祖訓を能く真正に信奉すれば在世の釈尊は末なり、凡夫は凡夫の成仏を顕したまひし宗祖を真の本尊なりと決心すれば、寿量所顕・末法相応の即身成仏なれども能所一躰を反●して末法には其の末なる釈迦仏こそ相応なりと曲情する所より、終には日蓮を敬ふとも悪く敬ふの誡に触れて雖讃法華経・還死法華心とはなるなり、末法に於いて現に現証ありつる宗祖拒んで仏宝とせず本尊とせずば当躰の蓮華法何れの所にあらん、御義に鏡に向ふに怒つて向ふ時は修羅なりと(取意)、抑も諸氏は御本尊の鏡に向ふごとに宗祖は決して末法相応の仏にはあらず曽つて本尊にもあらずと念じ向ふに由つて、当躰義抄の本門寿量の教主是れを照覧ありて諸氏等が当躰の蓮華忽ち裏反つてうつらん、其の故は同抄に曰はく是れ則法華の当躰・自在神力の顕す所の功能なりとの金言ある結要付属の法躰たる幹用自在の宗祖なれば、法華の法躰なるを仏宝にあらずと拒絶して、うつすが故に、其の躰曲れば影自ら斜なり、是を以つて諸氏等の当躰は裏躰裏祖判の明鏡なればなり、此の得意を以つて他を教化あらば一切世間は皆有作の散心の当躰と化現せんのみ、而るに諸氏は悪罵を放つて我が輩を禅祖述よ孤立よと呼ばゝり始めて我が輩に罵詈を売り付けて却つて我が輩等より悪罵せしと世間躰よく書送るとも豈に夫れかくれんや、我が輩止むを得ず売り語には買ひ言ばとか是れを黙して買はずんば諸氏は其の図にのらんのみ諸氏よく思量せよ(是九)。 第六・脱仏種仏本尊及び本師の究明段。 諸氏云はく宗教の三宝を論ずるときは此の経法を法宝とし此の法を説きし人を仏宝としこの法を祖述伝布せし人を僧宝とするなり、この法華経を説きし人は釈迦仏(乃至)其の証をいはヾ日朗御譲状に云はく譲与南無妙法蓮華経・末法相応一閻浮提第一立像釈迦一躰等。 駁して曰はく末法の三宝は時機相応の三宝ならでは三宝の三宝たるに背けり、何の為に上行末法に再誕したまふと云ふ所以を知るや、夫れ法華経を法宝とし釈尊を仏宝とし上行を僧宝とするは在世脱益の三宝にして更に宗祖の本意にあらず、所以者何ん釈尊は在世熟脱の教主にして末法下種のものゝ仏宝にはあらず、其の故は正法像法の群類は本巳有善の衆生なる故に釈尊を以つて仏宝とす、今末法の衆生は本未有善なるが故に熟脱の教主に於いては仏宝とせずして下種の教主を以つて仏宝とす、その故は太田抄に曰はく、今は既に末法に入りぬ在世結縁の者は漸々に衰微して権実の二機皆悉く尽きぬと、(乃至)不軽菩薩出現して毒皷を撃たしむるの時なり、それ証文此くのごとし、今末法に入りては在世熟脱の本巳有善の人々・権機実機皆尽きて下種の機のみ、其の故は下根下機の本善根を植へざる本未有善の衆生なる故に不軽の宗祖・折伏弘通の上・仏宝と顕はるゝなり、御義に曰はく本尊とは法華経の行者の一身の当躰なり、又曰はく父とは釈尊・子とは地涌なり今亦以て是の如し父とは日蓮・子とは日蓮が弟子檀那なり(云云)、此の証文を以つて宗祖を末法下種の父とし仏宝とするなり、御義に曰はく下種を以つて末法の詮とす、本尊抄に曰はく彼れは脱・此れは種なり(云云)、当に知るべし末法下種の妙談耳目を驚動し心意を迷惑せん、諸氏は未だ綱要等の近世の組立を当てにして宗義を改訂せり、故に在世ずりして未だ末法下種の法義に闇らし、一たび聞いては鼻目を顰騒す・二たび聴いては心意酔狂の思ひをなす。 次に末法の法高を云はヾ。 問答抄に曰はく汝何ぞ釈迦を以つて本尊と為ずして法華経の題目を以つて本尊と為るか、答へて曰はく上に挙ぐる所の経釈を見給へ私の義に非ず(云云)。 日興上人曰はく五人一同に云はく本尊に於ては釈迦如来を崇め奉る可し、日興曰はく聖人御立の法門は全く絵像木像の仏菩薩を以つて本尊と為す即御自筆の曼茶羅是れ也と(云云)、文証此の如し更に私立あらず古来の自筆の之れあるなり、但し一尊四菩薩・二尊四菩薩は日祐上人の一期所修善根記録に曰はく本妙寺の本尊・釈迦多宝造立の事は建武二年乙亥年二月十三日に事始り同三月十一日上行等の四菩薩事始る、康永四乙酉年六月晦日、下総法華寺の釈迦四菩薩・六浦に於いて之れを造立し奉る(巳上)二具十一躰なり、此の如く宗祖滅後の十一躰を以つて宗祖造立の様に申し触るゝ事大なる謗法にあらずや、宗祖の妙判を以つて宗旨を立つるを偏尊と毀謗す豈に本拠を撥無する祖敵ならずや(是二)。 次に佐州に於いて宗祖伊東の感得仏を立てたまふの段に至つて後世所作の統紀を引証せる故に我輩之れを笑つて駁論せしを弘安五年十月十二日は池上入滅の話なりなんと云へり、例も例にこそ由るなり、統紀は我が輩後世の作書にして之れを用ひず確と例書なるべき書を引用すべきに其の証之れなし、故に御入滅の時の事を以つて塚原の段に用るが如き拙例は最も抱腹に堪へざる所なり、諸氏こそ羞を知らざる引証なり、我が輩は此の随身仏の事は第三号の第十一条の件に御還化記録を引用して難じたるに其の答弁も之れなし、何ぞこりずまに又之れを喋々所論する然らば諸氏御還化記録の文をば如何とするや(是三)。 次に諸氏が信奉する所の諸寺院に十界常住の曼茶羅の左右に重冗に又釈迦多宝・四菩薩諸尊を安置したるは世に婦女童女の謂ふ半紙の紙・魚油の油の重語てふものにあらずや、十界常住にて功徳足らずとして別に又十界不具足の木像並べ立たるは何ぞや、巳に問答抄には釈迦多宝を以つて本尊とするは法華経の行者の正意には非ずと堅く誡め置かれたりと詰りたれば、法華経儀●其の外仏を本尊とするものを破したまふなりと答へたり、法華義●其の外とは何の仏・何の書を指すや胡乱千万なり明答せよ・問答抄の文は本尊の外の木像を皆誡めたまへり何ぞ重冗重語と云ふ、軽難仮初の所難にさへ辟易するが如き文斉にて江湖の君子に訂さんなんど、我が輩等一たび口を開かば諸氏の信奉する諸寺院の法義・立方皆紛々靡々たらん何ぞ耶和華を例とするを怒るや、宗祖曰はく仮令上行所伝の深法たりとも行者不知恩たるに於いては甘露の法も還つて非道とならんと、此の金言に由て例譬せしなり何ぞ之れを訝かるや。 第七・内証偏尊の僻述を慈糺すと云へるを再び弁駁す。 諸氏化導の始終に暗々迷矇して仏に脱仏種仏なしなんど大誑言を放つ、夫れ種熟脱は法の簡取なり又仏の簡取なり、三千塵点の当初大通智勝如来出現して法華経を説きたまふ、今より是れを熟益とし中間と云ふに非ずや、然れば則久遠に釈迦仏下種し中間に熟し在世に脱せん事顕然なり、是れを仏の種熟脱と云ふ、宗祖釈尊の別命を禀け上行の再誕として出現於世あるは教相一応なり、是れ則本地は下種仏なることを故に下種を以つて末法の詮とすとの曰ふものなり、仏の簡取の明拠を出さば八幡抄に云はく天竺国をば月氏国と申す仏の出現し給ふべき名なり、扶桑国をば日本国と申す豈聖人出で給はざらんや、月は西より東へ向へり月氏の仏法の東へ移るべき相なり、日は東より西に入る日本国の仏法の月氏へ還るべき端相なり、月は光り不明なり在世は但八箇年なり、日は光り明にして月に勝れたり後五百歳の長き闇を照すべき端相なり、仏は法華経誹謗の者をば治したまはず在世には無かりし故に、末法には是れを治す不軽菩薩の利益是れなり、(略引)、是れ明に仏の簡取顕然なり、此の抄の大意は仮に上行の再誕を述べ結文に釈迦仏は時機により末法の誹謗の者を治したまはず、日蓮は不軽の如く下種仏にて一切衆生即無作三身なりと是れを見是れを治すと、是れを以つて本尊抄の彼れは脱・此れは種なりを解了すべし、我が輩は皆祖書を引証して答弁するに諸氏は負惜にして是れを撥無し去らんとす一と何ぞ愚●なる、是れ的々赫々脱仏種仏あり、若し是れをしも之れなしといはヾ日月は天に懸らず之れなしと云はんものゝ如し、江湖の君子に訂さんより外はなし、諸氏全躰内外の祖判に闇くして種脱の法義は今般始めて聞きしならん、答弁毎に外事を雑へ経文を引けるも更に三益の経にはあらず、ちと四五年内外を研窮せよ(是一)。 次に宗祖は於一切衆生中亦為第一の経文を以つて御自身の事なりと所々に金言判然たるを、諸氏は之れを奪つて例の法華を持つものは皆第一・宗祖御自身を挙げて他を例したまふと遁逃する事弁書に多数なり、諸氏に問ふ諸氏並に一切の真俗は三事の修行ありたるか、法華経の色読はあるまじ、只末法は受持成仏なれば宗祖の余沢のみと信ずるを以つてす、若し与へて云はヾ口業成仏なり、如説修行抄・種々振舞抄の如く末法にて二陣三陣とつヾいて迦葉・阿難・天台・伝教にも超えよかしと一心に命令ありしを用ひん真俗こそ即得究●当躰の蓮華仏なれ、何ぞ啻諸氏等の如き我が己心こそ本尊なり一閻浮提第一の本門の教主釈尊なりと云ふ法義を弘めなば我心即仏にして、世間の権実教法にも珍しからざる開会なり、而るに宗祖の如く即身心是仏の当躰の蓮華仏と顕はれたまふ如きは一閻浮提・一四天下能く得度の上は奉戴尊信せん事手を反えすが如し、而るを諸氏は修行抄・振舞抄等と還つて一応の書判と解了するが如きは我が輩が取らざる処なり、故に於一切衆生の文を宗祖一人と募る処なり、若し報恩・顕仏未来・撰時抄等を皆能く弘導師の徳のみ称揚する者と断見する時は、宗祖の大難行も六難九易も皆虚戯の行と成つて泡沫の如し、後世宗祖の一部色読を忘却して法華経の法華経たるを知るものなからん鳴呼嘆息酸鼻の至りなり、宗祖の徳を称揚する偏に一部身業読誦の大功に根拠す、宗祖の正師たるや全く況滅度後の大難に基礎するなり何ぞ末法相応の仏宝と尊信せざらんや(是二)。 次に釈尊を脱益なりと立つるは宗祖の一大事にして三世諸仏・世々番々の通同なり、例せば過去の七仏を以つて今末法の仏宝とせざるが如し、又過去の燈明仏・燃燈仏も左の如く今の釈尊も久遠劫より種と熟と脱益の化導終りぬれば又次の下種仏に譲るは通常の説なり、天台曰はく仏果に至つて廃すとは是れなり、且釈尊の上行に四句の要法を以つて末法の衆生の闇を除滅せよと譲られしは何んの故と云ふ所以も知らずして諸氏は江湖の君子・天下公同の具眼に訴へて之れを決せんと云ふ是れ盲目者流なり、夫れ天下の君子にも仏法を貶するあり或は権教の仁・或は他門の仁あり、今諸氏種熟説の旋運輪転する謂れをも知らざるの分斉にて答弁に困却し、餅に春いて天下の仁に訴へて決せんなんど云ふは・天下の具眼の仁・呵々絶倒臍を縷りて灰汁茸を食したるやうならん、何ぞ愚●の甚しき共に筆を挑むに足らず(是三)。 諸氏心を静め偏党を捨てゝ之れを見るべし、前駁書には諸師宗祖を無理に仏宝にせまじと拒絶す、我が皇国と他邦と事あらん時一臣を擢んで他邦に遣し事を処せんと一譬を挙げて宗祖を臣に喩し世界王法に約して釈尊の地涌を遣使せるに擬せしに非らずや、此の故に我が輩も又世界と教相とに約して釈尊とは皇帝・地涌は太子に擬して諸氏の父子と君臣の失あるを経釈祖判を引証して以つて咎詰せし処、諸氏には眼前答弁に壅寒し乍ら是れを反転して答るに一仏の己心の文を以つて弁ずるは不相対なり所対不知なり拙なるかな不答窮弁尤も甚しと云ふべし、故は如何是四の過失あるが故に、一に謂はく所論不合の失なり、夫世界王法のたとへ釈尊と地涌との相対の科を転じて以つて一仏己心の文を以つて答弁せるは一の過失分明なり、二に謂く二仏の身躰父子の所論と一仏己心互愚の譬喩とは不相対の科文違ひの答弁たるや顕然なり。 三に謂はく釈尊と地涌と王法と教相との法譬の論上を今答には一仏己心の観心と混淆して是れを紛らかさんとするか、亦科段不知の拙失なるか旁々教相観心不対の失顕然なり、四に謂はく我が己心の釈尊との曰ふ文は宗祖の己心なり、宗祖一仏の己心上の法門と教相の釈尊と地涌との論上に於いて巳に科段相違せり、これ二仏の色法と一仏の心法との混乱分明なり、是の四失を一々明答せずんは弥々宗祖は末法の仏宝なること明著なり(是四)。 諸氏千万答弁するとも猪の金山を摺り薪の火を盛にするが如し、劫石は●らぐとも宗祖の仏宝たるや隠れなし、故は如何謂はく諸氏の答弁せる本尊抄の文即宗祖の仏宝なる文なり、己心の本尊互具の科に約しての曰はく我か己心の釈尊は五百塵点久遠の本仏なり(文)、即宗祖顕本の己心たる十界互具なり、我が輩は宗祖の金言に任せ奉つて宗祖を久遠の本仏なりと尊信するは是なり、而るに又諸氏は切歯して云はん宗祖一仏には限らず一切爾なりと、我が輩曰はく然らず謂く毘廬娑那一根百千の枝葉と釈す我れ等は根元にあらず枝葉なり、又云はん根枝一躰なりと、然らず試に諸氏枝葉にのみ水を●ぎみよ枝葉皆凋みなん、さるを一根に●がば枝葉みな栄ゆるが如し、此の故に我が輩は宗祖を末法の仏宝と尊信するなり諸氏上の答弁を見て二仏の上に君臣の経釈を掲出して明答あれよ(是五)。 諸氏云はく能弘の宗祖のみ本仏なりとて仏祖より我れ等所化等。 駁して曰はく諸氏は宗祖を尊敬しながら敬して遠くる能弘の仏敵なり、今の所化を自負して陰に宗祖を毀謗するものなり、其の故は今所化を歎ずるは能弘の導師を自ら誹るに当れり宗祖を仏宝なりと称するときは言はずとも所化は一躰なり、遠慮も物にこそよれなんど云ふは仏宝の宗祖を自ら謗る語なること知られたり、何ぞ能所一躰の成仏立つべしや、殊に又仏は宗祖に限ると云ふやなんど放言せる日蓮宗は余には非らず、一閻浮提第一不法の日蓮の一致宗ならん(是六)。 宗祖を上行の再誕本化僧宝とは尤教相通同の立方なること一応なり、内証外用・文上附文・文底元意之れなき宗旨はあるべからず、諸氏は内証も教相も文上附文も文底元意もなき法義にして単己宗流なれば春夏秋冬単一の随他宗なり、何ぞ別頭の甚深を知らんや教即観の法義立つべき様なし、其の故は内証甚深を孤立偏尊と謗ずるが故に宗祖の曰はく諸仏出世の一大事秘す可し秘す可し(云云)、単己の宗流何ぞ是れを知らんや(是七)。 宗祖御自身の御徳を称揚したまひて末法三徳有縁なることを知らしめたまふを諸氏は拒絶し毀謗す、夫れ宗祖三徳を称揚し尊敬すれば弟子檀那は其の中にあり諸氏何ぞ宗祖と我れ等を二つと見て立つるや(是八)。 諸氏云はく菩薩と云ふ名のある内は仏にあらずと思へり等。 駁して曰はく菩薩に妙覚あることなし菩薩は等覚法雲地なり、而るに諸氏は能弘の宗祖を菩薩の等覚に居すへて弟子檀那を登妙位とす何ぞ能所一躰の成仏立つべしや、寿量品の遣使還告は釈尊上行一仏なるを知らずや六万九千三八四の印紙を贋札とするか(是九)。 諸氏云はく一仏世界において仏宝の本籍を顛倒す等。 駁して曰はく釈尊は高貴徳本の菩薩・羅漢の為に本果の精米を施すを法華経と云ふなり、宗祖は末法下根下機の為に本因の籾を下種せん為に結要付属せられしを題目と云ふなり、宗祖曰はく釈尊の意は法華経なり日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたるはなし、又曰はく此の題目の行者、又曰はく所詮寿量の肝心南無妙法蓮華経こそ十方三世の諸仏の母にては候へ、又曰はく日蓮は法華経の中の肝心題目計り日本国に弘通するは豈に諸天世間の眼にあらずや、普賢経に曰はく此の方等経は是れ諸仏の眼・諸仏是れに因りて五眼を具するを得(云云)、夫れ此くの如く法躰の題目即結要付属の日蓮なり日蓮即題目なり、されば宗祖は三世十方の諸仏の母なり眼目なり、此の法門を諸氏は嗔怒し或は軽賤するが故に所詮能所一躰の成仏は協はぬものなり、内証尊極を以つて禅宗と云はヾ宗祖の三秘も禅なりと謗ずるか、宗祖は是れ末法の当職なり世界悉檀顕然に成立す(是十)。 宗祖は是れ天台伝教にも超へたり為人悉檀成立す(是十一)。 法華経は説きたる世尊上行を。々寂光より召し出し法華経の枢柄を以つて諸有秘法を宗祖に付属したまふ何ぞ宗祖を僧宝とせんや、即世尊大恩主なり故に宗祖曰はく日蓮此の国に出てずんば恐は世尊は大妄語の人と名乗せたまふは是れなり対治悉檀明白なり(是十二)。 此の本仏を導師として是の功徳潤ふが故に一歩を行かずして霊山の寂光は心城に涌現す、日蓮本宗は我が輩の尊信する法義に限るあら有り難や日蓮真仏の金言焉に有り、第一義悉檀成立することを(是十三)。 且御気の毒千万なるは御義に法華経の行者の一身の当躰の本尊となるべきは諸氏方にては之れなきなり、此の下は等類の二字はなき者を諸氏は注目して僻見するなかれ、諸氏は愚痴にてあるなり一つ語を繰返して云ふ者を愚痴とは云ふ、内証を祖意には非ずと余輩何れの処に書きしと云ひながら余輩は偏尊孤立の内証と之れを誹するにあらずやと云ひ、或は片輪禅祖述と罵詈する等は皆始めは諸氏より罵詈始めたるを江湖の仁に見せ付き宜き様に還つて我か輩が申し出せし様に書き送れり、豈夫れ隠れんや、且諸氏は教行証と云ふ法門を生ま中にして知らざるなり、宗祖の教行証と云ふ法門は下種を以つて詮とし寿量品の是好良薬の南無妙法蓮華経を一切衆生に唱えさしむるを以つて肝要とするなり、能々教行証御抄を拝味すべし、何ぞ遁辞と云ふことかあらん、諸氏こそ下種の法門を立てざれば片輪なり首鼠両端なり(是十四)。 次に三種三宝の事は前に内外に於いて曽つて名目も之れなきことなれば明に祖判を出たされよと両度促せしに只私語を以つて喋々申し訳せらるゝは贅語なり、諸氏こそ愚迷の頑然たるに非ずや(是十五)。 次に造立抄、三大秘法抄を以つて宗祖僧宝の証なりとは明瞭に其の僧宝たる金言の有無を出たして論ずべし、私言の喋々何ぞ用ひん(是十六)。 諸氏不軽を菩薩地即妙覚と云へり左にあらず不軽の経釈に闇らし、今是れを指諭せん不軽は是観行初品の位なり、故に文句に曰はく不専読誦経典の不軽は初随喜の人の位なりと何ぞ即妙覚と云ふや、諸氏の法門は唯玄関構のみ経釈胡乱なり、此の不軽の得是常眼清浄の経文には重々の謂れあり何ぞ即妙覚ならんや、不軽修行の上・転じて妙覚の釈尊と顕るゝなり、等覚一転名字妙覚と云ふ法門に闇し修行すべし(是十七)。 次に御義に僧とは我等行者なりの文を以つて直に宗祖とする事大なる諺なり、其の故は御義には仏とは凡夫也と云ふ仏は仏宝なり凡夫僧とみるは教相なり、僧とは我等行者なりとある僧とはに力を入れてみる故に下の我れ等に気が付かざるなり、我れ等とは一人の事に非ず末法の我れ等は皆僧宝ならずや、何ぞ在世通同の三宝を以つて末法当今に擬せんや、御義は日蓮が無作三身の御義口伝なるをや、是れを釈尊の御義口伝と拝するが故に仏とは凡夫なりの金言に惑耳驚心するなり、能く決明せよ(是十八)。 但教相潰亡とは何を見聞して云ふぞや、読誦段には方便寿量の両品は躰なり根本なり二十六品は枝葉なり影なり月水抄等の金言赫々たり、諸氏こそ片輪を隠密したる片輪にあらずや、元意の立義は一致にありながら寿量開会の本門の中に自ら一部円備せりと云ふ、然らば寿量が表躰にして余品は裏躰なり、本躰の表は事にして勝れ裏躰は理にして隠れたる劣なり、是れは綱要の焼直し法義にして矢張古流の重遠乾、啓蒙等の立てたるが如きは流石は博学の仁なり、何ぞ近世の肥後日導を祖述するは一閻提の盲輩流なり、一経皆本門ならば一部唯本の邪義なり、然らば造立抄に迹門十四品を末法に於て捨つべき経文之れなしの確言を如何せん諸氏能く自省せよ(是十九)。 夫れ我か輩の信奉する法義こそ古流祖判の真授なり、天目日向問答記に曰はく聖人朝暮の勤行は方便寿量の両品なり御入寂の時も亦復是の如しと、何ぞ諸氏是れをも天魔孤立と云はヾ盗跖より孔子を以つて孤立異流と謂つべきや、頗る大盤石の宗旨なり、弥よ仰げば弥よ高し益す打てば益す出づとは我か輩が信奉する本宗旨也(是二十)。 諸氏前第六の段に日朗御譲状に云はく譲り与る南無妙法蓮華経、末法相応立像釈迦像一躰等。 今●に駁して曰はく日朗師一人にのみ南無妙法蓮華経を譲り与ふるとは偽状の証なり、大聖人は此の南無妙法蓮華経は一切衆生に授与せらるる所なり、本尊抄に曰はく釈尊因行果徳(乃至)南無妙法蓮華経五字を譲り与ふるなり(云云)、其の外枚挙するに遑あらず、而るに諸氏は何なれば日朗師一人にのみと思へるや、又安国論一巻を授けたまふなんど是は権実相対のみの書なり、但し始諌の抄なるを以つてと云はヾ外五老僧皆諌状あり何ぞ朗師是れを止めて我れにのみ諌言せよと宗祖の授譲を募りたまはざりしや怪むべし、次に立像の釈迦は之れ三蔵の教主なり、法華経の釈尊は皆坐像なり、依つて宗祖も滅後必違論あらんと思召して墓所の側に立て置くべしと遊す、是れ重々の意味あり何ぞ是れを引用して末法相応なりとせんや、若し是れを宗祖の真書と募らば法華経の釈迦多宝は末法の相応にはあらずして却つて三蔵経の教主が末法相応の仏なりと云はんは天地顛倒・円凾方蓋・正邪一致と云ふべきのみ(是二十一)。 諸氏云はく鉄面厚顔第二号の第七章の反詰はいかん。 駁して曰はく前号に屡々会答したれども互顕交答したるをも粗見して答弁を答弁と思はざるのみ、今亦是れを駁せん、宗祖巳に釈尊の譲与を受けて絶尊なる妙法を弘めたまふにより祖徳法門大成すれば一切の法門は皆宗祖の色心上に含備せるは無論なり、能弘の宗祖即本仏なれば人即法・法即人なり、与へて之れを論ずる時は法華経の行者なり奪つて之れを論ずれば日蓮の行者なり、而るを諸氏は宗祖の色心即法華経なるを信ぜず、故に宗祖と法華経とを二つと見る是れを翳眼の者眇目の者とする責破あり、由つて即持仏身の経文を解せざる者とす何ぞ斯く愚意なるや(是二十二)。 諸氏いつまでか所弘の法躰絶尊なるを別にして宗祖釈尊の奴僕の様に思ふ故に諸氏は日蓮宗流には非ず、故に能所の成仏は思ひも寄らざると駁するなり、此の経は相伝にあらずんば知れ難しと宜なるかな宗祖の金言や、内外玄奥の金科玉条豈に容易に曉了しがたきをや、諸氏付文教相のみ真なりとして、元意の肝要を教咀する能はず、末を取つて自ら揣らず其の本を究むるあたはず鳴呼悲むべし哀むべし、冨山の絶頂は巳に三秘を表し高嶺は八葉にして蓮華を象れり、宗祖の所謂我が身是れなりと詠じたまひしも真なるかな、末法万年の外・劫石は●らぐとも豈阿鼻の城となるの理ならんや、病即消滅・不老不死の妙説実に以つて●みあり速疾に名聞名利を捨てゝ末法下種の義に帰すべし。 明治十五年十一月二十一日 本門講 07-244 第六号答弁書 第一。 本条の議論は文字章段上にあるが如くなれども本論の全躰に関する浅少にあらず、最初諸氏が本講前題書中第一●の主論を粗認せしが濫●となりてより往々の粗認の上に成立する議論亦鮮しとせず、就中本●首少の総論束説純証濫引等の不穏不当の文字を粗解の上より発出し終に一毫本に●いて千里末に違ふの景況とはなりしなり、豈今に至って●辞を構ふとも許すべけんや、其の上彼の自言反窮の文字は諸氏自ら甘ずるに至る亦笑ふに●たり。 第二。 諸氏自ら領解して自ら主論と背馳す、我が輩是れを●れみ大呼して其の方●を慈諭するなり、抑も報恩抄の本門の釈尊とすべしとのたまふ釈尊は宗祖の御事なるを一言せば、宗祖の曰はく釈尊とは寿量品の教主なり寿量品の教主とは我れ等法華経の行者なりと文、又曰はく無作三身の如来とは末法の法華経の行者なりと文、無作三身如来は本門の釈尊に非ずや、寿量品の教主釈尊亦本門の釈尊に非ずや、然らば則法華経の行者たる宗祖大聖人即ち本門の釈尊なること理在絶言たるべし、是れでもまだ諸釈尊は領解と主論と相背壊せずと云ふか、宗祖又の曰はくこの本門の釈尊とは我等を指すなると仰せらる、然らば本講員がこの本門の釈尊とは宗祖の御事なりと云ふは宗祖の金言なれば毫も動かす能はざるにあらずや、●し上に掲ぐる金言中の我等の字を蓮華会諸氏は自己等を指すと思へるは愚も亦甚しと云ふべし、抑も我れ等の字は何に在ても同じといへども其の発言する人に仍て指す処を異にす、当金言の如きは宗祖自ら我れ当と名乗たまふなれば此の我れ等とは宗祖御自身の事にあらずや、若し諸如の愚推の如んば宗祖より汝等衆生の事なりと仰せられずば全く其の妄想に符合すべからず、何にも気の毒千万の訳ならずや能く考へて見よ其の●解果して何れに帰するや必ずしも識者を●たず、其の上諸氏はかの二駁ぬけを此の上なき事と思へるか、諸氏は門を守る鈍犬・株を守る愚輩なり、斯の如き●●を以つて我が正々堂々の法軍と戦はんとするは●に蟷斧を奮つて車轍に当るが如し自ら蹂躪を甘ずるものなり、諸氏知らずや彼の猪将巳に我八陣中に陥り進退窮迫せり尚迷を執つて降らざるや。 第三。 諸氏信奉する処の諸寺員に安置する木像、日重の明言せる螺髪応身立像の釈迦なる者は謂する色相荘厳の釈迦老先生にあらずして何ぞや、諸氏第二号弁駁書に色相荘厳の釈迦を造立して本尊とせるとの横難果して那れの辺より着眼し来るやと横難に属して我が要詰を●れしにあらずや、仍つて我が輩第三号答弁書に文証現証却つて諸氏の方にありとて日重記の文証等を掲げて弁明し、諸氏の表裏相違を顕はしたるに、此に諸氏は差支へ又隠匿し、どうすることもなり難く只●然と螺髪応身即仏の相●なり、又身躰金色・螺髪形相・有作色相の化仏と云ふは応身表躰の●●羅なり等と暗に色相荘厳の釈迦を造立本相とすることを炳露せしにあらずや、斯くても尚自語相違にあらずと云はば抑も前書に横難に●し去りしは一時の●辞なるしや、将た例の●●鯰の両舌を遣へるか、次に諸氏が金言の趣意なるを自己の私説に附会せんが為に其の眼目たる我等凡夫の四字を悉ぐ除きすて●引証し、螺髪応身・色相表躰の証に私会転用しながら、今弁に至つて尚を負惜いも聖訓を拝借して諸氏を諭すなどと拙策の●辞を構ふ凡そ人を諭さんと思はば確乎適切の純証に依るべし、趣意別異なる金言の条理趣意を私転し、其の眼目の字を抜き去つて引掲しながら聖訓を拝借して諭するなどとは鬼怪千万呆れ果たる●者ならずや、今一猶予を与ふべし能々祖文を●●して其の私説を弁護するに足る適切の純証を出たすべし、若し果して祖文に其の証なくば自己の私説を邪説を邪認自甘せるものにして是れ亦失敗決定せるものとす。 次に又我が輩は諸氏の私会怪談たる木像を指して直に●●羅と●むるの祖訓果して何にありや其の明文を出たすべしと辞はりしに、諸氏は●●なる答をなせり、云はく●●羅にあらずやと、是れ又諸氏附会の私言私義なり、宗祖の聖定にあらず、夫れ●●羅を輪円具足と訳するは勿論又は輪円輻●とも●じて●を以つて法に題す、車輪の中に●輪●等・円満具足する如く、一輻の妙法本尊の中に十界の聖衆一界も●れず皆中央妙法蓮華経の●に輻●して円満具足す故にる陀羅と云ふなり、宗祖の曰く十界の聖衆一人ももれず此の御本尊の中に住し給ふ妙法五字の光明に照されて本有の尊形とする是を本尊とは申す、乃至せよ、是れは只羅列排布にして輪円具足の本義にあらず宗祖の金言にも違背す●●羅と云ふべからず、況や又諸氏等信奉する諸寺院の壇上を覩るに木像の十界そろへる処一箇所もなし、是れ片輪不具足の本尊にして宗祖の聖定に反●せる逆路伽耶陀の所立なり、抑も祖書の金文に木像を指して直に●●羅とのたまふことあるべからず、宗祖は妙法の本尊を指して直に●●羅とのたまふこと祖文往く処として皆是れなり、十界の木像を以つて●●羅とのたふこと一箇処たりとも見へず、今生死一大事の本尊を論ずるに宗祖の聖定になき自会私立の曲情を張つて可ならんや、祖文に其証なくば何ぞ早く慢幢を倒さざるや。 第四。 諸氏の酒蛙々々たる愚鈍には真に困るなり、文上に現前せる惣別の文字は苟にも竪頭横目の人ならば是れを見るべし、我が輩の言ふ所は義判上の通別なり那しぞ惑へるの甚しきや、且つ義判の義判たるをも知らずして倶に立つて本祖奥妙の法義を議せんとするは片腹痛き盲虫ならずや、宗祖の曰はく日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり、又曰はく日本第一の法華経の行者也乃至肩を並ぶる者あるべからずと云云、当金言に云はく無作三身如来とは末法の法華経の行者なり、又云はく如来とは此の法華経の行者を指すべきなりと云云、上来所●の金令を以つて是れを考験せよ、真実正意の無作三身如来とは別して宗祖大聖人の御事なる最も炳●たり、宗祖巳に別意真実の如来ならば其の流を汲む弟子●那を如来と云ふことはこれ通総の辺なること義意の推す処固と順然至当の義なり、義判の義判たるを知らざる盲虫には奥妙の法義は勿論当一条の金言だも解了し得べからず●然々々、次に昭師を六老僧の上座におく謂れば得度の前後法●の次第に依るなり、興尊を本門弘通の大導師と命ずるは血脈別附の次第に依るなり、今一大事の伝法相承を論ずるに得度の前後や法●の次第を以つて証拠とすべからず、宜く宗祖自筆の金科玉条の宝証文に憑るべし、昭尊に与ふる血脈相承の証文何れにありや、其の証文なくば諸氏百千の●辞私言も皆画餅にあらずや、諸氏残念ならば適々明々たる金条の証文を出せ、将た興尊師にみ血脈相承書あるを甘従するか、何ぞ宗祖金条の遺書に違背して胸臆の私言に曲規するや、日朗譲状の如きは与へて論ずれば只惣附の一辺なり、奪つて論ずれば別に議論ある抑も南無妙法蓮華経を譲り与ふるは朗師一人に限るべからず、南無妙法蓮華経は六九中老に論なく数百の御弟子●那及び末代我輩等にも譲り与へたまへるなり、何ぞ是れを以つて別附伝法たる血脈相承書と肩を並へて同日に論ずるをえんや、本門弘通の大導師を興尊に金令顧命したまふは宗祖金条の証文明々たり、彼の朗譲状に大法弘通の大導師を勅令したまへるの文言ありや、胸臆の私言も亦甚とし云ふべし、諸氏等こそ無文無義の卑々屈々たる私言私情・私会私立・私論偏己●見の師虫なること定めて究●せり真に●●の至りに堪へず、所詮二通の御相承書をいがが拝見せる亦例の軽●粗解するならん、且つ五老僧に別附血脈・伝法相承の証拠なくば速に卑屈の申を脱して早く降を我が興門に●ふべし、次に宗祖のみを以つて本仏と崇むる事は・道理文証・現証赫々明々たり、数回往復の本講の立論を味ふべし宗祖を本仏と崇むるを以つて卑屈論と思へるは之れ真に盲虫●輩に適応したる愚論と申すべし、諸氏宗祖に違せざるを欲せば強情負惜の私言を止めて能々宗祖の本仏なる所以を推究せよ。 第五。 諸氏云はく事を義して物を論ずるには論拠第一なり爾るを諸氏云云。 弁駁して曰はく御講聞書を偽作私転せしなんど大袈裟に出て懸け申しかけせり、我が輩なんすれぞ祖訓を偽作すべき此の事は第三号を視よ宗祖は是れ末法の当職にして不軽の跡を紹継せる本地はこれ釈尊なり、日向記にも日本国は乃至釈迦如来なるべしと云ふ金言ありと取意略引きせしを、諸氏は是れに●易し法義の失敗を●版画為に彼の相撲に負けても陰●に攀ち附かんとの窮策を考へ斯る拙難を致すと見へたる、取意略引を偽策ならんと云はば職者嗤笑を受けんのみ、且諸氏数番の来書中には胡乱濫引等尠しとせず、是れこそ真に詰るべき処なれども我が輩は是れをも許し咎めず、諸氏先つ頭を払つて而して後に来れ、苟も事を議して法義を論ぜんとならば次第順序を知らざる可らず、疾くに諸氏は失敗堕負せるを尚圧し強く本論を忘れて枝葉に攀附しそここ●を摘んで無用の贅難をなせり、能く自過を省みよ。 第六。 諸氏云はく日朗御譲状の現文によりて釈尊を仏宝とす云云。 弁駁して曰はく録外廿五巻中に明載してありとも宗祖の金言に符合せざれば偽書と撰び捨てざらんや、既に録内になら二三の偽撰●入あり況や録外に至つては真偽雑駁、後人の●入●めて多きことの古今の検訂明なり、天台の謂ゆる修多羅と合せば録して之れを用ゆと明訓是れなり、其の祖訓と合せざる偽造書何ぞ之れを用ひん、我輩は自義を募る者にあらず理の推す処顕然なり、前書朗師譲状数条の難詰を諸氏は只的々明解ありとのみ●辞の空答して何ぞ是れを詳答し得ざる窮迫失敗・自甘決定せるや是一。 諸氏云はく釈尊巳に末法相応の仏宝と定まる上は二宝弁を侯たずと云云。 駁して曰はく●きに屡々該条偽書たる難をも弁解せず、今弁又々明答し得ざれば末法相応思ひもよらず、且つ該譲状の螺髪立像の釈迦は小乗三蔵の教主なり、是れを以つて法華本門の教主と混同せば他宗権門の詰難いかんが是れを糺明せん、況や宗旨に於いてをや、諸氏強いて我慢を張るは還つて宗祖に●●を負はせ奉るなり夫れ世法にすら言を決するに多数を以て正とす況や出世の大法を決するに於てをや、巳に業に祖書内外並に御義口伝等に無策三身の仏を以つて末法相応の仏宝と定む、然るを何ぞ偽作の一文に執して彼三蔵劣応の立像仏を以つて末法相応とせんや単に宗祖金言の多数を以つて正意を定むるも尚相応にあらざるや明白なり況や該状偽書たるに於いてをや諸氏株を守て後難を顧みざるは何意ぞや是二。 諸氏云はく伊東感得仏の論に至っては耳目身心ある人の議論を思へずと云云。 駁して曰はく蝙蝠倒にか●つて人を嗤けるも人誰か是れを屑とせんや、巳に伊東海中より出でたる仏は宗祖帰寂の節・予ねて後世の論端なせんを配慮在まして日蓮が墓所の側に立て置くべしと御遺誡ありて、正く共に滅に帰せしめたまへるを何ぞ再び朗師に譲り与ふる理あらんや、況や朗師復墓所より取り上けて所持せんや、諸氏の無理強情・猶然らずと云は●一々●きの詰何を明答あれ是三。 諸氏曰はく往復書を携帯して来るべし乃至一尊四士・二尊四士の義は古来諸論ありといへども祖典巳に造立抄ある上は何ぞ彼の蚊虻の微鳴を採らんやと云云。 駁して曰はく諸氏は古来の諸論を一抹して蚊虻の微鳴採る足らずとす大天狗懼るべし、其の上自門古来の先哲を蚊虻と払ひ去らば諸氏が今立せる法門は本無今有の浮草論たるか矛盾の自敗論・笑ふにたへたり、且つ往復書を携へ来るべしと元より往復書を以つて軈て応接に及び懸河の潟水を吹きかけて寒心せしむべし是四。 諸氏云はく我が寺院には中尊は題目の塔にして脇にに仏四士なりと云云。 弁詰して曰はく宗祖本尊抄・報恩抄等には確乎と十界を事に列出して脇士を連出したはへるを諸氏が寺院如何なれば題目の塔のの脇に二仏四士みなりや、身子目連・梵釈二天・輪王●羅・達多闍王等の木像を欠失するは如何、是れを人躰に譬ふるに頭胸のみ有りて腹部二足無きが如し、何ぞ人たるを得んゆ、又十界を略造すと云嵌●理の三千にして末法の本尊に非ず、宗祖は書き顕せば事の一念三千なりとのたまへり、何ぞ本尊抄等の聖定に違して故らに十界不具足の木像を本尊とするや、違背●見の大罪を知らざるか、我が輩を以つて強情を張るなど●●れども諸氏こそ還つて十界不具を以つて強い具備せりと誣ひ、横にまんぐわを・をすは大強情の極点にあらずして何ぞや、且つ宗祖の確言に二乗不成仏は菩薩仏の不成仏也と妙判遊ばず法華の規模たる舎利●目連の二乗界を列ねざるは不具の大過失笑ふにたへたり、嗟乎諸氏が宗流の肺肝を視るに一と何ぞ賤劣なる憐むべし是五。 第七。 諸氏云はく八幡抄の文は題目と法華経との所対なり法の簡取なりと誣ゆべからず云云。 弁駁して曰はく諸氏は無眼子なるや、何ぞ負惜の甚しきぞ、八幡抄に曰はく天竺国をば月氏国と申す仏の出現し給ふべき名なりと月支の仏は釈尊にあらずや、扶桑国をば日本国と申す豈聖人出でたまはざらんやと日本の聖人宗祖にあらずや、是れ第一・国に約し第二・仏に約して種脱の簡取たる顕露照明なり、況や其の結文に至つて不軽の利益是れ也と仏の簡取晴天白日の如し、然るを諸氏この赫々たる現文尚迷へり況や深理を知らんや是一。 又云はく夫れ譬喩は比例准知の方便なりと云云。 駁して曰はく諸氏当坐のち辞何ぞ許さん、前四号に諸氏宗祖を臣に喩へ釈尊を皇帝に擬す、爰に於いて我が輩は釈尊は父・宗祖は子なりと喩ふべしと論弁し来りて経釈祖書を引証す、此の経釈祖書に血は窮迫して本尊抄の宗祖巳心互具の文を以つて答ふ、故に我が輩之れを難じて、そは宗祖己心の文なれば答弁の途轍を失せりと弁詰に及びしなり、爾るを諸氏今弁に至ってこれを枝葉煩はしなんど云ふは困答失敗自定の●辞なるべし、且譬喩は准知の方便なりと脱れ、又余輩は父子に非ずと云はずと矛盾両舌に言ひ送れり、是れ両ら●る●に道なかるべし、●逃の拙策困敗自定々々、況や前書主要の法義を答へざれば弥よ以つて宗祖末法相応の仏宝たるの義も照然として掩ふ可からず是二。 今本篇の答弁局を結ぶに臨んで諸氏の欠答を促すべき事あり、我が輩第五号書に種脱の論弁及ひ四大士は滅後の造立に属す等の数箇条詳かに証拠を掲げ●重に詰論したるも今回其の答之れ無し、唯其の中枝葉の小項を摘んで口演喋々するは恐く諸氏本論全躰の法義窮迫失敗ならん、今左に要掲して其不答を促す。 一 南条抄を援引して宗祖末法の仏宝たるを証とするの条。 一 宗祖は是れ末法の当職にして宗祖たるの証に御義口伝を掲げて説明する条。 一 在世の三宝は脱にして末法の三宝は下種なるを論ずる条。 一 一尊四士二尊四士は宗祖滅後より始りたる証を出して論ずる条。 一 朗師譲状真偽難条々等其の外之れを略す。 右前号書の明答及び今号要詰の確答等具酬を侯つ所なり、鳴呼諸氏妄に宗祖の仏宝なるを拒み之れを軽●して宗祖のみ本仏に非ずと私言を張る罪咎是れより大なるはなし、悲い哉胸臆の私言に任せて末法下種の一大事を賤卑することよ、諸氏具答に窮迫せば早く前罪を陳露して正門に帰向せよ、夫れ戴淵は●を投じて忠義に帰し周処は心を改めて三害を除く何ぞ改むるに●からん、疾く慢幢を倒し邪見を翻へせ、一時の名利を邀へて万劫悔る勿れと爾か云ふ。 明治十五年十二月四日報 本門講 蓮華会御中 活版志願人 横浜吉田町壱丁目 松村栄七 横浜寿町壱丁目 山中峯吉 同 常盤町四丁目 山口源之助 同 野毛町四丁目 松浦憲次郎 同賛成人 塚原嘉兵衛 林菊之助 石橋弥市 竹嶋半兵衛 山崎千代 福岡定次郎 伊藤徳三郎 高嶋政吉 小林喜助 三木勢以 上原源六 吉田勘蔵 青木虎吉 相原喜和 中村国太郎 酒井庄太郎 同 東京府下賛成人 山田善兵衛 松嶋覚道 町田久兵衛 山野弥兵衛 吉野伊兵衛 堀池徳兵衛 大石栄蔵 新井縫吉 吉野万吉 加藤万兵衛 中田光寧 高野周助 同 相州小田原賛成人 鈴木庄兵衛 同 上州賛成人 篠原日賞 江原寿之助 黒川覚三 同 駿賛成人 山本甚吾 同 京都府賛成人 加藤道栄 同 大阪府賛成人 荒木清勇 牧野浄実 居田蓮乗 同 筑後国賛成人 佐野広謙 同 横浜松浦宅寄留 富士本広正 同 岩代国若松賛成人 塚原平三郎 編者曰く雪山文庫蔵当時ノ各正本ノ扣及印刷本に依る。 |