富士宗学要集第七巻

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横浜問答(蓮華会答)

(蓮華会答)
緒言
恭く本門講員諸君に告ぐ、余輩諸君と共に末法に生し濁世に出で幸にこの妙宗にあふ、濁劫悪世の中諸の恐怖多し、無間の門路は広く四海に敷き天魔の邪窟は深く群生を陥るれ、亡国の悪炎は高く一天に●ふ、加之礫架の妖琴早く内外に響けり吾人●にこの険災を離れて無●安穏の妙地に住す何の大福か之れに如かんや、寔に難●の盛栄たり、豈に宝所に入りて手を空ふすべけんや、宜く真正の妙乗に駕し実奥の妙処に達すべきなり、理もと雙是あることなし、五字袋中寧ろ二の宝珠あらんや、平等の法海徒に風波を生ぜば所至に到る●はず、亦彼の無間の険災に居ると一般なり省●ずんばあるべからず我が宗祖大菩薩すでに無間の険路を塞ぎたまひぬ、前門に虎を拒んで後門に狼を進むる勿れ、然るに諸君等常に我を目するに蛙鳴の徒行を以てす、余輩も亦宗徒この弊なきにあらざるを●ぜり、斯れ余輩が精信求法を期して巳に蓮華会を興せる所以なり、然りと●・五人を以つて成仏の帰着を知らずといふに至りては為に一議を労せざるを得ず、是れを以つて先に短●を馳せて諸君の胸臆を叩く・随つて問題三号を投寄せられたり、余輩熟ら之れを読み●んで其の義を惟忖するに大に前きの蛙鳴を以つて我れを目せしに似ざるものなり、因つて章を具してその反義を駁す、就中本尊は修行の正的なり究めざるべからず、明にせざるべからず、今本尊を究明するに先つ遺状の章段に対し一々之れが違点を指出し以つて本拠を検定し道理を明通にしてその正邪を推究することの左の如し、請ふ諸君善く之れを読み静かに之れを思念せよ。
     宗義講習精信求法 蓮 華 会  印

蓮華会友謹んで白す、夫れ自行の観念は且く●く苟も議論推究の上には拠るべきの本拠により拠るべからざるものによらず、言ふべきもの●区域を言ひ、いふべからざるものを言はざるを要とす、然らざれば立論濫駢して推究訂議の功を失ふべし、余輩之れを憂ふ因つて本論に純然たる本拠を以つて本論に不純然なる引拠と対検照鑑せんと欲するなり。
爰に我が宗祖大菩薩の法を弘めたまふや自ら宗致宗綱の定まれるあり、所謂る宗致を示すに三大秘法あり、宗綱を示すに宗教の五綱ある等なり、今宗致一大秘法の本尊を論ず●く観心本尊抄を正拠とし、其の法の祖判正拠とその義合ふものは之れを伴引してその義を補明照了すべし。
三大秘法の明文・録内第七・報恩抄下に云はく、問ふて云はく天台伝教の弘通したまはざる正法ありや、答へて云はくあり乃至求て云く其の形●は如何、答へて云はく一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の中の釈迦多宝以外の諸仏・並に上行等の四菩薩・脇士となるべし文、是第一証。

斯れ本尊指的の親証なり、此の現文を排闔して更に本尊を立つといは●将た之れを何とか云はん、然り而してこの本尊を特明専顕したる宝訓あり、是れ余輩が本尊の正拠とすべしといへる観心本抄是なり、正しく正拠によりて本尊の正躰を掲証す、即観心本抄に云はく、但地涌千界を召して八品を説いて之れを付属す、其の本尊の躰たらく本時の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥●等の四菩薩は眷属として末座に居し、乃至是の如きの本尊は在世四十余年に之れ無し八年の間・但八品に限る中略、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか文、是第二証。

是れ正しく本尊の但し躰を詳明し併せて末法応時・必縁必益の旨を顕示したまふものなり、上来所引の実証によりて之れを考れば久遠実成・無作三身の釈尊なるものを本尊とすべき主意たり、故に本門の釈尊と云ふなり、御義口伝に云はく今日蓮等の類の意は惣じては如来とは一切衆生なり、別して日蓮の弟子●那なり、されば無作三身とは末法の法華経の行者なり、無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり、寿量品の事の三大事とは是れなり文、是第三証。

蓮華経といひ躰に従て本門の教主釈尊と云ふなり、略して本尊の正拠を引示すること斯くの如し。
夫れ苟も宗祖の法流に浴しその法義を奉ずるもの誰れかこの確炳たる訓証を閣いて自会の説を設け私立の義を張つて可ならんや、依つて今経文祖判に任せて聊か本門講員諸氏の迷想を喚醒せんとするに先つて巳に本尊の正拠を推探せり、これより貴状の章段に対し全章分析して毎段本拠を検照し道理を究明するに本尊式全題を大別して総論別明の二科とす、左の章段を総論即宗祖唯我独尊の仏躰にして本尊なることを束説せるものとす、因つて今先総論に対して検証説明を推尋すべし貴状に云はく開目抄に云く乃至御本尊と崇め奉らざるべき文。
当章段・貴述の主意・要するに三徳顕揚の祖書を引拠として宗祖を以つて末法下種の御本尊と定められたり、本会友等謹んで上来貴引の祖訓を●味熟考したるに皆能弘導師の徳を称揚して末法弘経付属の要を明し所弘法躰の絶尊なるを指示したまふの聖意たるが如し、貴講諸氏・今本尊建立の純証となす無乃口濫引ならんか、是れ余輩が論拠の照検を要する所以なり、詩の事をいふ●く詩経により易の事をいふ●く易経に拠るべきか如し、請ふ慎んで之れを案ぜよ。
夫れ宗祖自己に末法一閻浮提の本門本尊を確定したまへり、即前に引く所の第一証及第二証の如し、この本尊は宗祖自らら依用したまへるの本尊及ひ末法悪世の凡夫の共に帰依すべきの本尊たり、是れ則ち末法の全時一閻浮提の全洲之れに依らずんばあるべからざるは固より論なし、然るに興門この確乎不抜・純然不易の本尊の精義を私転して宗祖を以て末法下種の人の本尊とすといへり、果して然らば今一の反詰を設けて、その道理を尋ぬべし、宗祖依用の本尊と末代信徒の本尊と両途の本尊を立つるや、若し異なるといは●その異る理を説きその証を出せ、若し同といは●那んぞ宗祖の聖定に異するや、請ふその両途と否との確答ほ聴かん。
次に別明の文に対して逐段その本拠を検定し道理を推究すべし。
貴状に云きく問ふ宗祖の御徳乃至何ぞ是れを異しむべき云云。
此の章段別明の中・更に前説を開顕せんが為に外用浅近なるものを嫌つて内証深遠なるものを取るを明なの文と定析す、貴意に云く上行垂迹本化僧宝の説は外用浅近なり、しゅうそ本仏直為本尊の説、内証深遠なり、依つて外用を捨て●内証に就くと云云、若し然らば興門諸氏の所謂る内証外用なるものは果して宗祖聖判の外に立つるの義なるべし、夫れ立宗の要・弘経の詮・叶わず一大事因縁・応時利物にあらざるはなし、諸法みな因縁より生ず況や度生利物の大事をや、故に唯以一大事因縁故・出現於世と云ふなり、爰を以つて宗祖本懐を顕したまふに必ず先つ血脈相承の次第を●明せずんばあるべからず、諸宗皆本尊に迷へり是れ真法相承の血脈にあらざるが故なり、●に宗祖出世の一大事・観心本尊抄を著したまふに先つて内証血脈の聖判を明したまふ、其の書に云はく法華勝内証伝法血脈一巻文永十年太才●酉二月十五日・法華宗比丘日蓮撰文、是第四証。

この書・三国四師を以て外相とし上行所伝を以て内証としたまふこと全文皆然なり、 御義口伝に云く上行所伝の題目文の是第五証。

観心本尊抄に云はく、但地涌千界を召し乃至末法に来入して等云云是前引第、二証之中又云はく四依に四類有り乃至四に本門の四依は地涌千界・末法の始い必ず出現す可し・今の遺使還告は地涌也等文、是第六証。

宗祖又云はく末法一乗の行者、法華宗抄日蓮・謹んで法華経法師品を案ずるに云はく、当に知るべし是人は是れ大菩薩なり阿●多羅三●三菩提を成就して衆生を哀愍し願を此の間に生じ妙法華経を広く演べ分別するなり、乃至文に云はく如来の使なり如来の所遣として如来の事を行ず云云、是第七証。

是れ宗祖自ら末法本門四依の大士にして本地上行を内証とし末法応時必縁必益の大導師僧宝たることを明したまふの明証たり、是れに背いて義を立つとはいは●豈逆路伽耶陀の者にあらずや、若し観心を以つて事相に混じ証道を以つて教行を曲規するが如きは未だ立教弘宗の本意を知らず、流通の因縁を弁ぜざるものにして曽つて倶に議するに足らず、夫れ三宝に三義ある所謂る別相住持一躰なり、別相を以つて之れを論ずれば即釈尊を仏宝とし題目を法宝とし宗祖等を僧宝とするなり、三宝のおの々々其の相まします故に別相といふ、此の三宝三世常住にして・と●まりまもりたまふ故に住持といふなり、三宝一躰にして差別なく互に冥じ相彰はして一心の本躰を理躰法躰と名け・一心の本性を覚性仏宝と名け・理智和合を僧宝と名く・故に一躰といふ、此の中一躰三宝は理にして相にあらず事にあらわれ相を現ぜば則ち別相の三宝となるなり、一躰三宝の徳相をとどめたるが住持の三宝なり、住持三宝の功によりて別相三宝の徳をあらはし、別相三宝の徳によりて一躰三宝の実をあらはす、是れは教門より観門に到るに約す、三相互に相扶けてその相性の実徳をあらはすものなれば三種互に相具して離るべからず、一躰三宝の実に安住して住持別相の功徳を帰依するなり、是れは観門より教門に出つるに約す、然らば則教門に即して観門の実をあらはし観門によりて教門の徳を彰す、本因によりて本果をあらはし本果に安住して本因を修するの秘訣たるものなり、互具互融にして別離すべからず、今明証を指点して余輩が立論の守分拠証の確然なるを●結すべし。
前に引く所第四証巳下の如き皆宗祖自ら末法弘通の導師・本門四依の大士・本化僧宝なることを示したまふの聖訓なり、三大秘法抄に云はく、此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮●に教主大覚世損なより口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の●●に芥の相違なき色もかわらぬ寿量品の事の三大事なり文、是八証。

四菩薩造立抄に云はく、今末法に入れば尤金言の如きは造るべきときなれば本仏本脇士を造り奉るべき時也云云是第九証。

此の二文鎮思之れを拝すべし。
今問ふ興品の立義・宗祖を本仏とし釈尊を脇士とせり云何。
笑ふ興門の義はいざ知らず宗祖の御義は所問の如きにあらず、所以者は何ん宗祖自ら示して曰はく本門の釈尊を本尊とすべし、乃至並に上行等の四菩薩脇士となるべし如前所引、第一証又云はく釈尊の脇士・上行等四菩薩云云如第二証、祖訓斯の如し、若し之れに反ずる義ならば当に知るべし異解謗法たることを、御義口伝に云はく、法華経の行者は如来の使に来れり、如来とは釈迦如来なり、事は南無妙法蓮華経なり、如来とは十界三千の衆生の事なり、今日蓮の類・南無妙法蓮華経と唱へ奉るは真実の御使なり文、是第十証。

又云はく我れとは釈尊・及びとは菩薩・聖衆を衆僧と説かれたり云云文、是第十一証。

上来の諸文悉く釈尊為仏宝・宗祖為僧宝の確証にあらざるはなし、更に三宝明示の宝証・凡夫なり凡夫僧なり法とは題目なり僧と者我れ等行者なり仏ともいわれ又は凡夫僧ともいはる●なり云云是第十二証。

是一躰三宝の深理を示したまふの文たり、而して文勢を推して文意を尋れば正表は教門によりて僧と者我等行者也といへり、者也の二字深く之れを案ずべしとも、又はの字慎んで味ふべし、当に知るべし一躰の本理に住むして別相の徳相をあらはす、別相の徳相に帰依して一躰の本理に安住するなり、宗祖又曰はく念仏とは唯我一人の導師なり、念法とは滅後は題目の五字なり、念僧とは末法にては凡夫僧なり文、是第十三証。

又曰はく釈尊をば恵日大聖尊と申すなり法華経を又如日天子能除諸闇と説かれたり、末法の導師を如日月光明等と説かれたり文、是第十四証。

此の二文別相を以て三宝を顕したまふ、此の別相の当躰に即して一躰なり、別相を改●して一躰を故立するには非らず、教相を排亡して観心を成立するにはあらず、若し徒に排亡故立を存せば是れ教行証具足の妙法にあらず、事観の妙処の亡し本有の妙義を失ふべし、且つ夫れ前の観心本尊抄の四依末法出現の聖判を云何せんや、諸君等観心本尊抄を知れりや、此の伏して貴答を侯つのみ。
                 蓮華会対決委員
 明治十五年十月九日 発郵            田中巴之助  印
                 同       柴田富治   印
                 同       多田吉住   印

07-262 第二号 弁駁書
 第一・本尊建立検証の再駁。
蓮華会再駁して曰はく、本尊を論ずるに本尊抄を正拠とするは固より無論の義にて我が輩亦其の意なりと自定せば、諸氏等本尊式を論ずるに那んぞ先つ証を本尊抄に取り義を本尊抄に結帰せざるや(是一)。
諸氏前陳の書に云はずや、開目抄に云はく云云・撰時抄に云はく云云・報恩抄に云く云云、(乃)至一天四海・唯我独尊の仏躰なることを示させたまふ金文なり何ぞ是れを末法下種の人の御本尊と崇め奉らざるべきと、是れ即ち開目・撰時・報恩等の証を歴引して御本尊と崇め奉るの意を明証束説せしや現文明かなり、前きには純然引証し今は本尊の純証にあらずと謂ふ那ぞ自語相違するや(是二)。
但し前陳の証義は不純にして今弁の正拠自定の正弁なりとして本会の検証に甘従するか(是三)。
 第二・本尊正躰段の領解検照及ひ其の反駁。
本会友領解して曰はくいかにも大曼陀羅顕揚の文なり、造立仏像の文なり、文に十界互具の観心を明して後・本尊の正躰を提示す是れ十界勧請の大曼陀羅なり、この本尊たるや無作三身の自受用身・久遠実成の本有尊形たる南無妙法蓮華経如来の当躰なり、故に文に此の仏像と云ふなり寿量品の仏等と曰たまふ、是れ造立仏像の宝文なり、この仏像を指して曼陀羅と云ふなり。
曼陀羅の外に仏像あるにあらざるなり、報恩抄には之れを本門の釈尊と云ふなり、本尊抄には之れを塔中の妙法蓮華経云云といふ、当に知るべし久遠本仏を本門の釈尊とす、本門の釈尊とは我れ等行者の当躰なり、依って無作三身とは末法の法華経の行者なり、その宝号が南無妙法蓮華経如来なり・貴講諸氏は抑も本門釈尊の四字を何物と見たるか但色単位の釈迦老先生と見たるや(是一)。
又本尊抄の此の仏像とある三字はいかヾ見過せられしぞ(是二)。
諸氏は直に宗祖の内証真実を表顕して仏宝とせんと欲するが為め像仏錯却の苦観を懐けるにあらずや、静に胸間の迷雲を払って本門寿量の天月を見よ、観心本尊抄に云はく、妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳骨髄に非ずや(文)、豈に本門釈尊とは我れ等行者の本躰にあらずや、寿量品所顕の本有無作の三身とは是なり、御義に云はく、其の宝号を南無妙法蓮華経と云ふと豈に亦躰に従って本門の釈尊と云ひ宝号に従て南無妙法蓮華経と云ふにあらずや、何を以って義合はずといふや(是三)。
文に仏像とあり那んぞこの聖文に違すといふや(是四)。
抑諸氏は仏像曼陀羅と全く二物と別認するか(是五)。
 第三・報恩抄本門釈尊の説明を指示す。
上来已に弁ずるが如く報恩抄の本門釈尊の領解は却って本会より諸氏に質訊して説明を促す所なり、而して本会友領解は第一発問書の中に既に開陳せり、其の文に曰はく上来所引の実証によりて之を考れば久遠実成・無作三身の釈尊なるものを本尊とすべき主意たり、故に本門の釈尊と云ふなりと有識を以って自ら任ずるの諸氏何ぞ之れを識らざるや(是一)。
本会友は固より祖訓に拠りて本有無作・久遠実成の釈尊なるものを以って本尊とせり、未だ曽て余仏を以って本尊とせしことなし、諸氏本会を目して色相荘厳の釈尊を造立して本尊とせるとの横難果して那辺より着眼し来れるや(是二)。
且又色相荘厳とは畢竟何なるものを云ふか具に説明を乞はん(是三)。
それ釈尊宗を立て祖師宗を弘む依って仏経祖判あるを知れば可なり何為れぞ後代人師の所判に会縛せられんや、故に本会已に祖訓の宗証によりて本尊の正躰を挙げ且つ之れが領解をも先陳せり、是れを以って割味せば諸義自ら通ずべし一臠の肉を嘗めて一●の味を知る何ぞ重複繁冗の説明を須んや。
 第四・御義口伝無作三身正解を与へて興門所立本尊苦観の迷根を弁破す。
此の条最要の問答なり、今詳に諸氏が迷想を払ふべし、諸氏請ふ謹んで読め、第一発問書には前段本会が本門釈尊の四字を領解せし主義をのべ、而してその釈尊なるものは何物を指すやの発弁立証にこの御義口伝の宝文を引掲して、その本門の釈尊とは本有無作の三身末法法華経の行者の当躰をさすものなりと証拠説明せしなり、本門釈尊の四字已に末法行者のことなれば末法行者即本門の釈尊にあらずや、行者即釈尊・々々即行者・倶躰倶用・無作の三身とは是れなり、宝文それ斯くの如し赫々たり、この赫々たる証によりて、この赫々たる義を弁ず、亦何をか誣ひ何をか誑さんや、文字をよむ自ら方あり文字を解する亦自ら規あり、印度の釈迦氏・色相単位の孤仏を指して末法の法華経の行者なりとはかき送らず、諸氏何を見て斯くは難じたるぞ、文には是れを以って、知んぬ第二証に引きし観心本尊抄の所謂る塔中の妙法蓮華経云云なるもの即同躰異称にして宝文に従って妙法蓮華経と云ふなり、躰に従って本門の教主釈尊と云ふなり文と書せり、乃ちこの本門の釈尊とは寿量品の如来と同物なり、故に寿量品の御義口伝を引いてその釈尊なるものは即末法法華経の行者の当躰なりと照証立説なせしなり、諸氏の発難頗る不当の麁懐に出でたり、誣誑の二字将たいづれにか帰せんや、一々文々是れ真仏の文字なり、麁忽の看をなすことなかれ(是一)。
余輩は前書に言ふ如く逐段毎章本拠を検証し道理を推究すべき意なりしかども、諸氏が語勢已に本文に露出せられしが故に便宜に従って今爰に一大弁駁の最要発難あり。
来書に云はく無作三身とは宗祖大聖尊の御事にして云云。
又前陳問題に云はく答ふ通別の二義あり乃至故に当躰義抄に云く云云・最蓮房に云く云云、然れども別して是れを論ぜば宗祖御一人に限り乃至余はその流末に浴するのみ(文)。
甚ひかな諸氏が祖訓の宝文を排却し祖判の精義を私転せるや、宗祖云く今日蓮等の類・又曰く別しては日蓮が弟子檀那なり・又云く我れ等行者と・又云ふ日蓮が弟子檀那等の中の事なりと・又曰はく我等衆生と、抑も興門の諸氏は御義口伝二百余所に陳列せる今日蓮等之類の六字・及び就中寿量品の御義口伝の日蓮が弟子檀那の数字・並に我等衆生の四字等をばいかに領見せられしや、凡そ我が宗乗に順住するもの・いかに自ら微妙の内証甚深の相伝と称すとも本経並に祖判の文義を難れて立つるものは自会私立にあらずして何ぞや、自会私立の説ならば已に仏祖の聖意に背悖するが故に天魔外道の邪説にあらずや(是二)。
又上に掲ぐる前題書中・通別簡取の文に当躰義抄及び最蓮房書を引き之れを通とし今はその通を傍とし別の意を正とすといへり、夫れ通別簡取は興門の私義にして独自ら之れを通とし之れを別とするなり、恐れ多くも当躰義抄・最蓮房書は宗祖大菩薩の聖訓宝鑑なり、然るに彼の自会自立の私義を以ってこの聖訓宝鑑を排却するに然れどもの三字を以ってせり、自会の外道違法の天魔たる罪跡文に在りて顕然たり用ゆべからず信ずべからず(是三)。
夫れ宗祖は末法本化の大導師にして釈迦世尊所立の妙法蓮華経宗を弘通したまふの大菩薩に、忝なくも末法今時の我れ等凡夫に賜はる所の如我等無異の記●の仏勅を棒持して出現したまふ、宜く我れ等凡夫を成仏せしめたまふの聖意固より論なし、故に祖文亦日蓮が弟子檀那等なりといひ、又我れ等衆生等と曰ふことを、退いて之れを論ぜば我れ等の二字は能化の宗祖も所化の凡夫も能所一躰の成仏なり、進んで之れを論ぜば我れ等の成仏は主専なり要務なり、豈主専要務を傍閣して自ら御一人をのみ本仏三身の正躰としたまふの理由あらんや(是四)。
但し又正宗寿量品序分の八万法蔵・十二部経及び注経口決・録内外等の所判になき義にても強いて之れを立て本尊とするか(是五)。
仏滅後二千二百二十余年が間一人も唱へず、人ありといへども機時之れ無し或は付属にあらざるが故に弘めざるなり、宗祖の弘経たるや機時正に至り付属曽って任あり是れ竪に三時に亘りて一人なり、一閻浮提を歴見して悉く邪見謗法のものゝみ、経に曰はく悪国・悪王・悪大臣・悪比丘と云云、此の中宗祖独り先つ之れを弘む、是れ横に閻浮を統べて一人なり、付属に約してその任を論じ弘通に約してその徳を論ず、然る所豈に三時独一・閻浮第一の法華経の行者にあらずや、報恩抄並に顕仏未来記の宝文是れなり、諸氏請ふ公明正大の眼を以って之れを見よ。
 第五・本門講派義開陳問題中・本尊式・全篇分科の当否を論ず。
余が輩は確然著れたる文によりその義を解し先つ邪正如何を道理に問ひ本拠に照して而して後弁ずるものなり、何ぞ妄りに定断すべけんや、是れを以ってその文章に一とあれば一と見・二とあれば二と見て解を下さヾるを得ず、已に第一条に論ずるが如く諸氏が前に寄する問題書には三徳顕揚の祖訓を歴引してその三徳に依りて直に仏躰なることを指示し、結書して何ぞ是れを御本尊と崇め奉らざるべきと確論せしにあらずや、而して已下数章の如きはその御本尊と崇め奉るの理を顕説するが為に外用内証の取捨といひ、通別の簡取といひ、相待絶待といひ其の他諸段皆別明に要する弁解にして別明中の細分科なり、只其の諸氏が所謂る第一段なるものは総じて宗祖を末法下種の本尊とするの義を先票束説せしものたり、故に其の言に曰はく蓋し宗祖は末法下種の主師親にして(乃)至何ぞ是れを末法下種の人の御本尊と崇め奉らざるべきと、余輩はその文勢に附従して総論と科する何の不可あらん(是一)。
諸氏が筆勢それ斯くの如し我が輩に於いて亦何の誤解謬論か之れあらん(是二)。前陳の如くなるが故に我が輩は貴書御本尊と崇め奉らざるべきと帰結論せられし一語に●り、諸氏が歴引せし開・執・撰等の祖書を貴題本尊建立の純証とせしものと決認せり、その首章の誤認なるもの果して何れにあるや(是三)。
将た自ら筆するものを誤認せる焉んぞ他人の論義を弁じ得んや(是四)。
諸氏は已に自題して本尊式又は本尊段と冠掲総標せしにあらずや、然らば義の詳略如何は且く措きその本尊と名くるものゝ躰相種類悉く薀在掲尽せるの題号たるや固より論なし、然るに諸氏は今更に自ら前題本尊式の全篇を以って式中人の本尊のみを単説せるものと自断せられしが如きは驚くべきの邪誑ならずや(是五)。
 第六・三宝錯解を破する弁論の濫否を究論す。
駁して曰はく、三宝の錯解は諸氏門派の一大迷根なり、故に一宝本位に復せば二宝自ら本位に復すべし、依って三宝の正解を与へて其の本位を究明するりなり、一宝の本位を求究すれば論勢二宝に及ぼさヾるを得ず是れ並連する所以なり、混説にあらず並説なり濫駁にあらず連駁なり、並して而して混せず連して而して濫せず、是れを円融無礙の法門と云ふ、諸氏那んぞ正憶念に乏しきや(是一)、尚爰に糺すべきことあり大躰本篇は三宝中に於て単に仏宝の一段をのみ説明せるものとは亦何等の不規なるや、抑這般の討論たる宗義推究を要して起れるにあらずや、然らば前に派義を開陳するに何ぞ尽く所立を陳述せざる、隠匿以って人を孤惑せしむるの賤計か、将た又並説具陳するに足らざるの法目か(是二)。
 第七・撰時・報恩等・祖判の聖意を推論す。
本会前問の書には上来貴引の祖訓を翫味熟考し上つるに皆能弘導師の徳を称揚して末法弘経付属の要を明したまふの宝文にして聖意の帰する処は・所弘法躰の絶尊なるを指示したまふものと断定するなり、然るに諸氏はいま皆宗祖自ら絶尊無比なる御徳を示したまふのみの祖判とせり、果して然らば今一反詰あり、抑も宗祖は絶尊なる法を弘めたまふにより祖徳大成するものとするか、将た御自身の徳を絶尊無比ならしめが為に法華経を弘めたまふものとするか、然らば自身の為めの法華経にして法華経の行者にあらず日蓮の行者なり諸氏以って如何となす(是一)。
又諸氏が文字を軽却するの頑僻には真に困るなり、文に能弘導師の徳を称揚して末法弘経付属の要を明らはしとある字は諸氏が眼に入らざりしか(是二)。
文は師徳称揚に在りその義は要明付属に在りその意は所弘法躰の絶尊を示すに在るなり、然るに諸氏文に迷うて義を曉めず自見に縛せられて祖意を滅却するか、法妙なるが故に人貴し所弘法躰の絶尊を知らしめんと欲するが宗祖弘通の大意にあらずや、其の大意を指示するが為めの要明付属なり三徳顕要なり迷ふなかれ。
 第八・本門講の要求に応じて精義私転の理由を指示す。
上来諸弁の中私転の義も已に含論せりといへども今一約弁を以って特に宝文私転の理を迷べん、宗祖の云はく本門の釈尊を本尊とすべし、宗祖又曰はく此の本門の釈尊とは我等衆生の事なり、又曰はく別しては日蓮が弟子檀那なりと、然るに興門之れに違して宗祖一人を以って本尊とすといへり、宗祖に就いて興門を捨つべしや、興門に就いて宗祖の語を捨つべしや。
 第九・帰依本尊異同答弁の不当を反駁す。
駁して・曰はく諸氏も亦宗祖依用の本尊と同一の本尊を帰依するならば何ぞ故らに宗祖を本尊とするや、宗祖直に御自身を本尊としたまへるか(是一)。
諸氏又云はずや宗祖は本仏なりと、仏を以って本尊とすることは祖意に反悖すること問答抄の宝訓明かなり何んか之れを会すべき(是二)。
又宗祖御一人のみ本仏三身とすることの祖意に合はざるは前に言ふが如し、所論宗祖を本尊とすること祖訓たへて明跡なし(是三)。
又諸氏が宗祖自ら尊像を造らしめ且興師終身之れを安置するの先例を証引し宗祖を本仏に崇め奉るとせり、これ何ぞ答弁の不規なるや、設ひ興師終身之れを安置したまふとも、そは興師の行状なり、今は宗祖の依用したまへるや否やを論ずるなり範域已に濫せり用ゆべからず(是四)。
且つ夫れ所謂尊像とは色相有作の本像にあらずや、諸氏色相の釈迦を捨つといひながら何ぞ宗祖の色相を本仏と崇るや、無作本仏は色相有作にあらずとは諸氏が論域なり亦何ぞ自ら壊るや(是五)。
又諸氏が殊に御内証を伺ひ奉るに宗祖は実に是れ久遠の本仏なること文理顕然なりとて引ける御義口伝等の数文こそ皆これ我実成仏久遠の本仏を論じたまふものにして、所謂法界の大我・如我等無異・能所一躰の成仏なり、故に日蓮等と曰たまふ、これ真の文理顕然たり、我執を以って宝訓を黷すなかれ、況や祖判の外に立つるの私義自書確定するをや。
 第十・本地祖承両約を以って内証外用を論ずるを駁す。
諸氏曰はく祖承の内証・所謂本地上行の証は外用教相の一途那んぞ是れを真の内証の深義とすべけんや、今我輩の論ずる所は是れ等の皮相論にあらず云云。
駁して曰はく然らば諸氏は教相を捨離して内証を偏立するものたり、是れ亦諸氏・門流の一大迷根なり、宗祖は却って本位不改或は当位即妙又は不働不償と訓へたまふ、然らば則ち菩薩衆僧は菩薩衆僧当位にして本仏なり、凡夫は凡夫の当位にして本仏なり、宗祖は末法の大導師本門四依の大菩薩の当位にしてその内証本仏なり、なんぞ其の当位を改捨するを須いんや、故に宗祖は自ら以って内証真実釈尊。并に上行菩薩奉為高祖耳と判じたまふ、豈祖承を廃捨して那れより伝法修行すべけんや、証道を以って教行曲規するが如きは苦学麁観の弊のみ、諸氏却って偏小混濫の責を脱れず、請ふ慎んで祖意を拝領せよ徒に内証を偏尊するが為に当位不改の聖掟に違するなかれ。
 第十一・脱仏種仏の苦観を対治す。
諸氏云はく脱仏の釈尊を末法に於いて仏宝とし本仏の宗祖を却て僧宝と下すこと、仏祖正意の本尊に迷へる謗法僻見の罪人なり、夫諸氏の造立して奉ずる処の釈尊は色相有作の脱仏にして無作本有の種仏にあらざるなり云云。
難じて・曰はく脱仏釈尊とはいかなる釈尊なりや、余輩は色相単位の釈尊を造立して本尊とはせざるなり、十界勧請・論円具足の大曼陀羅を以って妙行の正的宝鑑とするなり、但し釈尊を造立して本師とし奉ることは亦宗祖の聖例宝訓あるによりて末法相応の仏宝とするなり、依って本尊を安置し奉れば自ら其の中三宝儼然として円足せり、諸氏今本師の釈尊を脱仏として捨つ、はたして然らば宗祖生涯・伊東感得の釈迦仏を本師として身辺を離し奉らず奉事供養したまひしも亦謗法僻見の罪科と擯斥するか如何。
 第十二・内証偏立僻解より起こる三宝倒立を糺示して其の引証を検明す。
既に宗祖は釈尊を本仏とし末法相応の釈迦仏としたまふ、依って一宝已に位を定むれば二宝推して知るべし、これ余輩が宗祖の金言によりて定むる処の別相三宝の正解なり、抑も釈迦を捨て日蓮を取ると云はヾ仏法にあらず外道なり、釈迦は仏教の本主・宗祖は仏教の真理を伝ふるものなり、釈迦は父なり宗祖は子なり、釈迦は師なり宗祖は弟子なり、釈迦は君なり宗祖は臣なり、妙楽云はく子父の法を弘むる世界の益有りと、今諸氏門流の如く直に内証を表立して教相を潰亡せば世界悉檀已に失せり、宗祖曰はく法華を識る者は世法を得べきか(文)、諸氏不識法華者たるか(是一)。
教相を潰亡して而して証道を孤立するの不具足たり、本地を偏執して祖承の大義名分を表用せざるの麁観たり、為人悉檀已に失す、宗祖曰はく大恩教主釈迦牟尼如来(乃)至日蓮大徳云云、流れを汲んで源を忘る不知恩の責め何ぞ免るゝを得んや(是二)。
三世常住の仏を指して末法不相応と擯す仏教を統理するの公道にあらず何を以って余宗権教を糺さんや、対治悉檀已に失せり、宗祖曰はく日蓮か相承是の如し法華経に依って開悟し法華宗血脈に列なるなりと、諸氏それ教外別伝の責をいかん(是三)。
上来縷駁する如く内証を偏尊孤立して教証を捨斥す是れ教相具足の妙法にあらず、事観の妙処を亡し本有の妙義を失ふべしとは其れ之れを謂ふなり、諸氏が神経なんぞ無感なるや、宗祖曰はく不働不償と、諸氏も亦本地上行は法中の公議・宗内の輿論・三尺の童子尚之れを知ると自定せしにあらずや、何ぞ公議自定の本化上行宗祖大菩薩をはたらかし・つくろはし・その本位を改め奉りて仏宝と偏定するや、法華経の極理已に立たず、第一義悉檀将たいづくにか在る(是四)。
是れを以って前に諸氏が偏尊孤立の内証は直実の祖意にあらざる事を曉破せんが為に三種の三宝の教観二約を示せり、諸氏固より之れをしらば何ぞ迷へるや、尚その甚しきに至りて余輩が末法僧宝の確証に引ける祖典を目して宗祖を僧宝とするの意趣なしと妄断せり、伝法祖承は宗家の一大事なり斯れを拠として僧仏の本位を証す何の不可あらん、諸文上行とあり菩薩は僧にあらずや現文明なりなんぞ意趣なしと云ふや(是五)。
三大秘法抄は所対大田金吾たり、四菩薩造立抄は所対冨木氏たり、是れをも且対一機として捨てば則ち本尊抄も亦之れを捨つるか(是六)。
諸氏が祖訓を軽侮する・なんぞそれ甚しきや、余は例して知るべきなり、又御義口伝の三宝明示の証を諸氏は本講の証でこそあれ貴会の証にはならずと云云、斯れは余が輩が上来の諸弁を翫味せばこの宝証も自ら通了すべしと雖も今爰に一の反詰を挙げん、僧者我等行者也の我等とは何等の人を指すとするや邪正一決はこゝに在り慎んで答へよ(是七)。
又次に別相を証するの二文は是れ甲乙互顕一雙の証なり、その甲証即ち云く念釈の御義口伝は三宝明示たること諸氏も甘受せらるべし、而して諸氏は亦かの教観混雑の迷眼を以って之れを見るが故、果して此れは是れ我門の三宝を証する句にして唯我一人の導師とは直に宗祖の事なりといはるべしと予計せるが故に、次下に乙証即恵日大聖尊の御義・三宝歴約の祖訓を引き甲証を反証補明するなり、況やまた文自ら仏法僧と次第せり、義三宝垂示に当るなり、我執の見惑を離れて之れを味ふべし、所詮諸氏は円融の妙法を知らず、内証の甚深に偏して教相の広大を思はず、自見に掩はれて祖訓を軽却し教相を忘れて偏別の苦観を懐く、夫教相を断離して内証を偏尊するは宗祖の一大厳禁なり、伏して憶ふべし安立得楽の一大事・実に以って是れなり富嶽の一孔に甘じて法界海を忘るゝなかれ、片輪の車を楽んで大白牛車を失ふなかれ、とくとく心を翻すべし、南無妙法蓮華経。
 明治十五年十月二十一日             蓮華会

附訊
一、来書中我が輩の二字は締約諸君御一統と存じ候得共予がと称し候処に句之れ有り右は諸君の内誰をか指し候や。
一、同書六枚のうち本尊抄引文の内・在世五十余年と有之候、右は貴講所用の本に左様確訂有之者に候や。
                  対決委員 柴田富治 多田吉住 田中巴之助

07-273 第三号 弁駁書
 第一・本尊建立検証の推究
蓮花会友曰はく諸氏前陳の書に三徳称揚を歴引して御本尊と崇め奉ると結書せし文勢は動かすべからず、前に総じて主論の大綱を掲げ後に開いて之れを別明するもの諸論釈の通義なり、然らば総論は総論の一部にても主意は確定するものにして只詳悉ならざるのみ、其の詳悉細義に付して明すもの之れを別明と云ふ、然らば総論の中・歴引連拠の証を以って一篇の底心に貫く純証と見認すること当然の義にして諸氏が章段の勢格、然ればなぞ設ひ一二の字句なりとも摘縛要破せらるゝ様に書きしが誤りなり、総論・束票・純証・濫引・究竟して諸氏が自言反窮なり、正念に帰して克く省思せよ。

 第二・本尊抄・正躰段・領解・推究凡そ三項。
前書凡そ五項の詰目あり、而してその首項・本会の領解は諸氏また甘んじて之れを佳としたり、然るに我が輩が諸氏の目して僧仏錯却の苦観と云へるを諸氏は余が輩の為に之れを惜むとて喋々・宗祖一人本仏なるの趣を弁ぜり、是れ則ち駢域の贅言にして更に本章の答弁に非ず、前に諸氏当宝文は大曼陀羅顕揚の宝文なりや造立仏像の宝文なりやの領解を推訊し、大曼陀羅顕揚の文と領解せば塔中妙法蓮花経云云を釈尊の宝号とする義合はず、造立仏像なりとせば現にこの聖文に違すと逼促要駁せしにあらずや、依て第二号弁駁書には之れを遮断するの領解を贈れり、是に於いて諸氏本会が領解を佳認せば第二号弁駁書の論義自ら壊れたるを甘証するなり(是一)。
又第二号答弁書には造立仏像と大曼陀羅顕揚と両途に詰を取り我が輩が立論を絞規せんと計りながら、第三号の来状に至りて寿量品の仏と云ひ、此の仏像と云ふ皆宗祖の御事なりと前に別認殊用して自己の勝手には之れを混用するが如きは余り大人気なき戯論にあらずや(是二)。
諸氏は要詰を正答せず枝葉繁雑に紛らし一直線路の要論を瞞着し了らんと欲するものなれば議論の精神を失ひ問答の法を知らざるなり、至愚言語に絶す・但少しく反省する所あらば前号の弁駁を逐一正答せよ、将た前に義合はずと云ひ聖文に違すと云ふ発論失敗・邪認自甘せるか(是三)。

 第三・本門釈尊の説明に付き色相荘厳の推究。
来状に云はく此の文亦陽には云云。
駁して曰はく螺髪応身即仏の相貌なり、この応身に即して三身なり故に三身即一身一身即三身と云ふなり、台家応身を釈して三身の本と云へり、宗祖亦之れに誠証を加へて曰はくこの本の字は応身の事なり、本地無作本覚の躰は無作応身を以って本とせり云云、有作を以って無作を顕す曼陀羅是れなり、そも諸氏が眼には脱益の迹仏と見へたるか、雖近而不見とは夫之を謂ふなり拙なし々々、色相荘厳の言はたして諸氏が明答の如くんば是はこれ宗祖正意の応身表躰の大曼陀羅なり、若し応身相貌を仮らずんば何を由って三身を顕さん、紙図の曼陀羅も亦爾り色相文字即是れ応身の故なり委悉下条に在り。

 第四・無作三身末法行者惣別等の推究凡そ五項。
来状に云はく蓮花会諸氏乃至何ぞ宗祖を難ぜざる(文)。
駁して曰はく宗祖所立の惣別二義は余輩固より之れを知る、興門私会の通別は決して取らざるなり、夫れ惣別とは意ろ傍正なり一理一事・一物一法を会する只一雙の惣別を以ってせば足れり、例せば寿量品の御義に如来とは惣じて一切衆生なり、別しては日蓮が弟子檀那なりと云へるが如し、これ一雙の立判にして惣の辺は正意にあらず別の辺は真実以って正意とするなり、然らば日蓮が弟子檀那が正意の如来なりと云ふ義にあらずや、豈一定正意と定め一判確定せるものゝ中に於いて復更に粗隔分裂を生ずべけんや、天台が本仏迹仏法の通号なり別して本地三仏と釈せしも一雙一判の定釈なり、故に曰く余が輩は宗祖聖判の惣別固より之れを奉ずるなり、是れ即惣別二義に背かざるなり、却って諸氏一雙定判の聖語を排却し更に宗祖が一たび正意なりと曰たまひし全部を分裂して故造にも亦復通別を附会強用せり、豈に違法あらずや天魔にあらずや、抑も諸氏が引ける成仏用心抄の金言は諸氏等が罪を露はすものなり(是一)。
既に義に背く亦文を私会す豈に違義反文にあらずや(是二)。
文を守らざることは諸氏自ら甘証せり義理の顛倒は前に言ふが如し、古哲云はく文無く義無きは信受す可からず、宗祖云く我等が如き名字の凡夫は仏説によりこそ成仏を期すべく候へ、経に云はく文字に依る故、衆生を度して菩提を得と、宗祖又曰く若し文字を離れて何を以ってか仏事とせん、文明に知んぬ諸氏等私会自立を掩はんが為に喋々すとも義已に反悖せば百千の遁辞も亦何にかせん、与奪傍正等の祖判を知らざるは諸氏なり、本祖奥妙の法門を議するに足らざること明かなり(是三)。
夫れ上足六尊は宗祖の定めたまへる所豈に彼れに伝へて此れに伝へざるの理あらんや、且つ夫れ宗祖の梵音祖典となりて我が輩を化度したまふ、何ぞ諸氏が家の我侭秘鍵を要せんや自会を掩ふに遁辞を構ふ忽れ、孟子曰はく遁辞はその窮する所を知る・失敗自定す亦何をか云はん、提婆・瞿伽利諸氏が筆下に存す(是四)。
又云はく夫れ一切衆生皆仏性あり(乃)至何ぞ混同して論ずるの甚愚なるや(文)。
駁して曰はく諸氏は理性を以って如来と判ず、宗祖は事の即成と曰ふことを違法是に於いて判然たり、諸氏等は大曼陀羅の向ひ唱題誦経するを修行にあらずと思へるか、宗祖は正直に法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱ふる人は当躰蓮花の仏となり云ひたまへり、諸氏よ少しく悪口雑言を停めて至信以って宗祖の聖意を領受せよ、宗祖の曰はく濁水心無けれども月を浮べて自ら清めり草木雨を得て自然に華さく是れ豈に覚の力ならんや(文)、又曰はく受持成仏と、其の他祖判往くとして事行即成にあらざるはなし、理性を以って之れを論ずれば何者か如来にあらざるべきとは天台過時の釈なり、去暦昨食・像法の所判なり末法当今の所用にあらず、諸氏が異解僻見抑も爰に於いて現前せり掩ふべからず痩くすべからず、修行覚道を仮りて仏となること権教方便の所説なり、今経の実義は大に然らず直に当躰を指す豈に理性を局論せんや、当躰義抄に云はく、問ふ妙法蓮華経とは其の躰何物ぞや、答ふ十界の依正即妙法蓮花経の当躰なり(文)、諸氏之れに反す宜なるかな法花の極理を知らず卑屈に甘んじて自ら法花経の行者にあらずと思へること已に成仏の帰着を知らず、亦何ぞ宗祖正意の法門を窺ひ得んや、是れ余が輩が深く諸氏を憫れむ所なり(是五)。

 第五・重ねて帰依本尊異同答弁の不当を駁する凡そ九項。
来書に曰はく諸氏何為れぞ宗祖を以って凡僧視するの甚しき今一抄を引いて諭さん南条抄に云はく云云(文)、霊山寂光土諸仏入定本尊にあらざるや云云。
駁して曰はく当抄の聖意は諸氏が弁解に異る、斯れはこれ宗祖自ら霊山にして釈尊より一大事秘妙の法門を相伝へられ末法に導師たる任徳の高深なるその事を迷べ、以って延山の霊地なるを示し急々来臨せられるべしと御音信遊ばされし聖抄なり、豈に直に本尊としたまふやの聖意ならんや、文に争てか霊山浄土に劣るべきとは宗祖栖身の道場・身延の事を云ふなり、然るを諸氏は彼の得意なる僻目を以って見るが故に自私会し霊山寂光土・諸仏入定本尊と領解せり、何ぞ卒暴顛倒の甚しきや、是ぞ諸氏が所謂・方蓋円凾・呵々拍笑に堪へたるの極と云ふべし、苟も人と論議せんには一通りの領解に達して後雙方の是非を判定すべきなり、白き紙に黒き文字を以って刷著せるものを誤解謬読するが如きは与に真奥の法義は勿論・世間普通の議論もなし克はざるなり、興門一派は兎も角も諸氏等は、かりそめにも因縁薫熟して余が輩と討議推究するものなれば今一予を与ふべし退いて克く反省せよ(是一)。
次に本尊問答抄の義これ亦驚くべく憫べきの頑迷にこそ、問答抄に云はく、釈迦大日惣じて三世十方の諸仏は法華経より出生したまへり故に今能生を以って本尊とするなり(文)、然るに諸氏等は無理に宗祖の内証を表顕して末法相応の仏宝とし仏宝なるが故に本尊とせり、宗祖確然能生の法花経にあらざれば本尊にはならずとの曰たまへるを何ぞ強いて人の本尊を故立せんや、これ聖訓に違するにあらずして何ぞや、大躰此の条は最初発問の一直線路の駁難にして宗祖の依用したまへるや否を推論するなり、諸氏誠諦に思惟せよ釈尊已に法花経を本尊とせり、宗祖何ぞ独り之れにそむき御自身を本尊としたまふの理あらんや、宗祖は禅宗の法義は祖述せざるなり、禅宗にては謂已均仏とて教外別伝の邪義を立つ宗祖之れを天魔とせり、豈に天魔を依用したまふべけんや(是二)。
二仏並座の義亦爾り、是れ十界勧請の大曼陀羅にして観心本尊抄の所謂塔中の妙法蓮花経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士に上行等の四菩薩・文殊弥勒等の四菩薩・(乃)至如是本尊云云、八品の化儀を以って本尊の正躰とせり、余が輩が尊信する諸寺に安置せるは是れなり、紙に書けば一幅の曼陀羅・木に刻めば木像の曼陀羅なり、何れも十界勧請の大曼陀羅なり、諸氏自門より外には十界の曼陀羅なきが如く思へる・これぞ至極の狭見無類の蛙見にあらずや、但し我が宗寺院に安置せる本尊を以って宝塔品の文による所の法華儀●の本尊と同じと思へるや否や(是三)。
来書に云はく諸氏何と云ふことぞ云云。
夫経王書の如きは一機且対の書なり、観心本尊抄・御義口伝・報恩抄・本尊問答抄の如きは一期終究の極説千歳の亀鑑なり、自ら緩急親疎あるべし、加之経王抄の祖訓の如き宗祖御自身の徳を挙げて諸余の持経者を例したまふの聖意なり、伝教大師曰はく已が懈怠を以って教の失と謂ふ忽れ・竜女即疾に三十二相を具す一を挙げて諸を例す有識自ら会すべし云云、挙一例諸の先例是れなり、宗祖一人本尊といふの祖判にはあらず、異解すべからず、次に御義口伝の宝文こそ所謂受持成仏・事の即成を示したまふ明文なり、苟も至信唱題するもの豈に法華経の行者にあらずや、本尊は本果なり、唱題は本因なり宗祖曰はく本因の侭成道なりと云ふを本果と云ふなりと、十界の依正悉く妙法蓮華経の躰に外なるはなし、爾りといへども唱題信行なくては本因之れ無きが故に本果を随って顕れず、夫れ至信唱題するものは事行己に本因なり、その本因の侭成道なりと観ず是れ本尊とは法華経の行者の一身の当躰なりと判じたまふなり、故に又曰はく本門の釈尊とは我等衆生のことなり、報恩抄に云はく、本門の釈尊を本尊とすべし、又曰はく能所一躰の成仏・或は云ふ父子一躰の成仏と、宝訓斯くの如し曲会私情の濫用通別を以って軽くし宝訓を転却す、外道天魔罪跡究竟して明なり(是四)。
来書に云はく造初の御影は已に蓮祖の印可したまふ所にして(乃)至諸氏等何ぞ之れを含むや(文)。
駁して曰ひく諸氏の言は・ます々々出でゝます々々不規なり、諸氏等前には興師終身之れを安置したまふの先例あるを以ってなりと云ひしにあらずや、宗祖は師なり、興師は弟子なり、弟子が師匠の像を安置して恭敬するは当然の事なり、是れ印可したまふ所たるべしといへども宗祖常に御自身の像を安置して直に自ら生死一大事の本尊としたまひしにあらざること諸氏が自言に於いて明かなり、但弟子が師匠の像を恭敬し子が親の像に奉事するが如きは報恩謝徳の儀式なり、例せば宗祖が釈尊の像を奉じ丁蘭が母の像を賽せしが如し、子に議論の範域已に濫すと云ふなり、今復更に答弁の途轍を失せり重々の不都合なり、御講聞書の釈は証道の実義・内証悟道の辺をのべたまふものにして日本国は耆闍崛山・日蓮等の類は釈迦如来なるべしと遊ばすなり、是れ又宗祖一人にあらず一たび通別の定判によりて篩ひあげたる別論正意の辺なる弟子檀那等即唱題信行・本因本果倶時成道の法華経の行者を云ふなり、同書に云はく然らば法花経の行者は男女悉く世尊にあらずや(文)、若し法花経の行者の言は宗祖のみに限るといはヾ此の文の男女の二字をいかん(是五)。又釈尊なりとあるが故に末法相応本宗の仏宝とすといはヾ、祖判に女人と法花経釈尊と一躰なりとあるが故に女人を以って定め女人を本尊とすべしと云ふか、抱腹絶倒の至りと云ふべし呵々(是六)。
次に色相の略語甚た曲解たり色と云ふ字は色心を対し色法と連する仏家の通用語にして金色の略語とは頗るうけとりにくき話なり相の字も亦爾り三十二相ばかりが相とはいへず事相と連し相貌と熟する字なり、金色三十二相と冠語ありて・その章中に使用するならば兎も角も・だしぬけに色相と普通の文字を下だし後に勝手を以って金色三十二相の略語なりとは不都合極まる論と云ふべし、諸氏等門家に局したる通用略語は知らずとも何ぞ構はんや、諸氏等こそ自己私定の文語を以って天下の公眼を騙遮し去らんとするは井蛙の狭見・恥羞の一等賞牌を自負するにあらずや、我が輩は天下公同の眼を天下公同の定判に従って文字を使用せり諸氏将た復弁解ありや(是七)。
次に今反詰して云はく上行の宗祖は三十二相にして出現せりや(乃)至何として働せたるぞや(文)。
駁して曰はく是れ亦至愚最癡の曲難と云ふべしこれは本地より迹を垂るゝの談なり、教化益物の方便なり観音の三十二身・妙音の三十四身等の如し、同日の論にあらず混難すべからず、抑も当位即妙本位不改といふは凡夫は凡夫の当躰本位直に本仏なり、菩薩は菩薩の当躰本位に本仏なりと云ふ義なり、端正にして威徳有り金色三十二相・無量の光明は上行の徳相なり、十方仏の讃る所・善能く分別説智深く志固しは上行の徳用なり、夫宗祖の今日に垂応せるや相を凡夫に示同すといへども徳用は直に顕用したまふなり、今日の宗祖は智も深く志も固く難問答に巧み其の心亦畏るゝ所なし等、昔の此の界虚空に住するの時と色もかはらぬ力用にあらずや、故に昔の本位も菩薩なり、今の本位も菩薩なり、菩薩を以って当位とし本位としたまふなり、法性の淵底玄宗の極地よりこの大菩薩出現したまふなり、所謂法性の力自然に聖人を出現する是れなり、敢へて問ふ諸氏の本義いかん(是八)。
諸氏は次に今問ふ宗祖の上行たるや云云。
弁じて曰はく諸氏は飽くまで菩薩と云ふ名を取らざる内は仏にはあらずと思へるか是れ頑僻の大無明なり、克く考え候へ十界皆成とは何等を云ふや、十界の内に菩薩はあるにあらずや、宗祖曰ひく寿量品の意は十界本有と談ぜり、然れば此の薬師とは一切衆生の事なり智恵とは万法己々の自受報身の振舞なり云云、是れ伏惑を以ってこの品の極とぜず只凡夫の当躰有りの侭を押へて無作三身と云ふなり、この十界皆成を顕はしたる大曼陀羅に向ひ唱題すれば本因あらはれ本因本果の成道となり真実正意の三身如来・事観円足の仏事なり、故に御義に云はく無作三身の所作はなにものぞと云ふ時南無妙法蓮華経なり、されば本有無作の仏躰なればこそ凡夫は躰なり仏は用なり始の三如是は凡夫なり末の七如是は仏なりと判じたまへり、修行覚道の行功を積んで仏となると思ふは謬の中の謬り夢の中の夢なり、智積舎利弗の糟粕なり、八歳の竜女已に之を破りて曰はく汝神力を以って観ぜよ我が成仏なりと(文)、豈に宝所に入て手を空うせんや、咄諸氏徒らに隣財を数ふるなかれよ(是九)。

第六・重ねて脱仏種仏の苦観邪誑を破詰す・凡二項。
来書に云はく諸氏は色相単位の釈尊を本尊とせずといへる言下に伊東感得の釈迦仏を以って末法相応の例とす云云。
駁して曰はく固より色相単位の釈尊は本尊とせざるなり、これ宗祖の聖訓を守り奉る故なり、依って但し本師とし奉ることは宗祖に例あるなりと云へり、但の字は諸氏が眼膜に遮らざりしか、又本尊の字と本師の字と判見せざりしか、しば々々言ふ如く一々文々是真仏の文字なり、麁忽の看をなすことなかれ、諸氏はいざ知らず余が輩は宗祖の妙判を以って出難要路の●鑑とするが故に、本尊とすべしと訓へたまへるものを本尊とし・本師とせよ訓へたまへるものを本師とし・末法相応と訓へたまふものを末法相応とし奉るのみ、亦何をか怪しまん(是一)。
諸氏等曰ふ、はたして然らば此の釈迦仏は色相単位なり云云。
曰はく然り色相単位なるが故に本尊とはせざるなり、仏を本尊とせざることは問答抄の宝訓明々たり余が輩は之れを守るなり(是二)。
又曰はく然るに宗祖佐前は時機未熟云云。
鳴呼これ何の言ぞや妙法比丘尼御書に云はく、彼の処に一間四面の堂あり空はふかず、(乃)至雪は内に積る仏はおはせず莚畳一枚もなし、然れども我根本より持ちまいらせて候、教主釈尊を立て参らせ法華経を手ににぎり、(中略)食もあたらずして四箇年なり(文)。又塚原根本寺版行の図讃に云はく一間四面なる堂の仏もなしかゝる所に所持し奉る釈迦を立て参らせ云云、是れ豈に佐後尊用の確例にあらずや、又別頭統記弘安五年十月十二日の条に曰はく高祖侍者に命じて大曼陀羅を掛け又随身仏を安んず供香・点燭・摘花・採水・誦経・唱題云云、是れ亦終身本師として尊奉したまひしことの確証なり、然るを諸氏佐前は時機未熟とは抑も亦何等の妄想ぞや、自己の短懐を以って猥に他人を比量するなかれ、色相単位の孤仏は本尊とならざることを祖典昭々たり、釈尊を本師として末法相応の仏宝とすること亦祖典歴々たり、諸氏が偏眇却って本尊も本師も混滅妄判せるにあらずや、余が輩不敏といへども亦大乗の信徒たり豈に計策つきて申訳なぞする破廉恥をせんや、君子と争ふに自ら法あり慎めや(是三)。

 第七・内証偏立の僻迷を慈諭す凡そ十三項。
上来諸条散在弁述するが如く、諸氏は已に受持成仏の大判を謬り宗祖出世の本意も了せず、猥に秘釈別付等と私称し応時益物の祖典を軽転し奉り、加ふるに我執偏滞を以って直に他人を悪口雑言するの外得意なきが如し、●なるかな真詮の法義耳底に達せざること、然りと雖も余か輩置不呵責の金言を怒るゝが故に弁駁巳に爰に至りぬ、今亦更に一弁を与へて章を終らんとす。
来書に諸氏は種脱をも立てず無味に釈迦仏を末法相応と云ひ云云。
駁して曰く釈迦仏を末法相応と銘せしは宗祖なり余が輩は宗祖の垂訓を遵守するなり、釈迦を脱仏とし宗祖を種仏なんど云ふは興門の私立なり宗祖に決してこの義なし・ありといはヾ請ふ口決内外に其の証を出だせ、証なくんば私立と知るべし私立ならば外道と知るべし、但し妄引附会の証は無詮なり確然たる的証によるべし(是一)。
次に御義の金文を諸氏は誤解妄断して脱仏云云の論を主張す、此の文また左にはあらず宗祖は末法相応の僧宝にして本法所持の菩薩末法当任適職の大導師ぞと云ふなり、仏宝なりと云ふにはあらず、故に云はく本法所持の菩薩と、夫れ釈尊は三世益物の教主仏宝なり、豈に未来を照鑑したまはざらんや、当今の末法は釈迦牟尼仏の末法なり、一仏世界何ぞ二仏出世すべけんや、故に知んぬ教機時国只一の仏宝なり、豈に亦所謂脱仏種仏なるものあらんや、宗祖は之れを本従不違の益物と判じたまへり、機の種熟脱によりて教法の取捨はあるなり、御義口伝に云はく、当品は末法の要法にあらざるか(乃)至下種を以って末法の詮と為す(文)、本尊抄に云はく、彼れは脱・此れは種・彼れは一品二半・此れは但題目の五字云云、文の意はいづれも当機益物に付き教法の簡取と見へたり、仏の簡取にはあらず、已に三世常住の仏と云ふ何を以って末法相応と擯すべけんや、真に絶笑に堪へたり(是二)。
父子に三雙あり、所謂仏に約するの父子・法に約するの父子・僧に約するの父子なり、三宝をの々々父徳まします末法相応の三宝之れなり、仏宝の一切衆生に於いて父の徳あるが如く・僧宝にも父の徳あるを判じたまふなり、故に釈尊に対する子は一切衆生、宗祖に対する子は日本国と云ふなり、宗祖の聖判斯くの如し豈に諸氏が顛倒の喋々を俟たんや、前にも陳ふる如く機の種脱・法の種脱は我輩固より之れを信ず、仏の種脱とは希有しかる怪談なり、子を以って父を犯す世界悉檀究めて立たず(是三)。
次に宗祖已に教相を潰亡して為人已に失せりとて難ずるか云云。
宗祖曰はく悪世末法時・能持是経者この経とは題目の五字なり(文)、宗祖何ぞ教を捨てんや、宗祖は自ら大恩教主・釈迦矣尼世尊又は末法相応釈迦仏と銘したまふ、諸氏等何ぞ強いて宗祖に違して宗祖を不知恩のものとなし奉り亦自も不知恩となるや恩を知らざるものは畜生に同じ何を以って善を生ぜん、為人悉檀究めて立たず(是四)。
次に妙蓮抄の文は経文持経者を供養する勝事を判じたまふものにして経文には従はずんば釈迦諸仏を軽疑するになるべしとなり、持経者の貴きによるなり、亦末法悪世に有り難きが故なり六難九易是れなり、又時機正適の大法なるが故なり、譬へば今我が帝国他邦と事あらんに我が天皇陛下この難事を処するに一臣を摺んで以って全権弁理大臣とせん、大臣乃ち往いて事を監処す、この中・全部委任の権に於いては本国より急要なるが如し、所以は何ん当機監事なるが故なり、持経者も亦復斯くの如し、只彼の大臣は一にその全権を全護するが即陛下の徳を恢張するなり、宗祖は是れ如来の使なり所謂四方に使して君命を辱めざるなるべし、若し之れに反して彼の大臣他邦に在りて●使の資格を紊だし権外の暴威を私張して或は是れ吾は使にあらず王なり等の言をいばヾ、已に君命を辱め他邦の談判も随って破れ却って他国よりその短を窺刺せられんが如し、本論も亦是の如し何を以って余宗権教を糺さんや、対治悉檀究めて立たず(是五)。
法花の極理已に立たざることは従来往復縷駁の如し、あたまごなしにはせざるなり、只末法当今は折伏一行の時なるが故に置不呵責の置の字を懼れて極論痛撃以て片時も早く諸氏が無明を喚醒せんと欲する大慈悲りなり、乃ち更に要を以って之れを言はん諸氏は能所一躰の成仏を知らず(一)、宗祖弘通の大義を誤る(二)、教相に即して観心なるを知らず(三)、十界皆成の実義を守らず(四)、事行妙観・受持成仏・本因本果の成道を弁ぜず、(五)等なり、諸義概ね前に弁ずるが如し、是れ豈に法花の極理立たざるにあらずや、宗祖曰はく法花の極理とは南無妙法蓮華経なり云云、第一義悉檀究めて立たず(是六)、四悉の配駁斯くの如し。
次に来書に云はく諸氏には御義の処々を捜索して云云。
蓮花会友大笑一声して曰はく此の寿量品の御義口伝こそ余が輩が論上には城廓となり兵甲となり●餉となるの一大事の宝文なり何ぞ之を破るべけんや、諸氏は法花経の行者にあらざるが故左もあるべし、余が輩は無解たりといへども辱くも大乗妙典を信じ事の一念三千の南無妙法蓮華経を三業清浄に唱へ奉るものなるが故に、十界具足の本尊の向ひ奉るときは余が輩の一身の当躰直に曼陀羅に顕はれ、随つて唱へば随って顕はれ弥よ唱へば弥よ顕はれ、法仏一如・能所一躰・直に曼陀羅に顕照し倶体倶用・無作の三身・本門寿量の当躰蓮花仏となる是れなり、穴賢々々(是七)。
次に又諸氏偏尊孤立の内証をば祖意なりと云ふか、墓なし、墓なし、教行証御書に云はく、末法には教行証三倶に備はれり、例せば正法の如し等云云文、金言斯くの如し何ぞ偏尊孤立を祖意とせんや、違法亦確定す(是八)。
次に三種三宝を教観に約するは諸氏が迷想を和解するが為に示す所なり、諸法悉く因縁及び約教観心の配判は当然の事なり、三種三宝を示す位の事を広博なりとは諸氏が狭●を徴するに足るか、之れをはなてば六合に●満し之れを巻けば一理に退蔵す、天台云はく無文有義智者用之と、余が輩宗祖の正義に拠りて之れを立つ怪呀するなかれ(是九)。
又次に造立三秘二抄の如き諸氏今捨るとは言はずと陳するにや、果して捨てざれば何ぞ前に余が輩が検証に服従せざるや諸氏こそ自ら或は且く一機に対して演べと箇条立てせしにあらずや、余が輩は足を捉らざるなり徹頭徹尾の全躰を捉撃するなり、亦設ひ足捉りにもせよ捉らるゝものゝ謬なり、要難の猛勢怖れて不満を訴るなかれ(是十)。
次に僧と者我れ等行者也の反詰は余が輩が一要直線の間なり、諸氏が贅言は促がせしにあらず慎んで反詰を答へよ、先難答弁の義務を終へざるに自己勝手の詰問は無用なり、その義務を全ふして後に詰問せば余が輩慳●の心なく開示すべし、宜しく問答の法を守って論議せよ(是十一)。
又次に内証の甚深にのみ偏して教相の広大を思はずと云ひしを、諸氏は妄断誤解して余が輩を嘲笑せり、諸氏が混乱何ぞそれ甚しきや、余輩が教相を広大と賛銘せしは教徳に約して云ふなり、諸氏が難意は行に約せり末法に入りて修行の広大をとらざること三尺の童子も尚之れを知る教行人種自ら別なり、方蓋円凾・背的放矢の言自ら諸氏の論勢を表するものか、還着於本人は是れなり(是十二)。
又次に宗祖が内証を正意としたまふ証にとて観心本尊抄を引き明了に宗祖を指して御自身の内証・久遠無作の尊躰云云と解す、是又何の意ぞこの文に我れとは釈尊を指す語なり、上に仏語相違しての語なり、当に知るべし迹化他方の大菩薩等には我が内証の寿量品を授与する克はず、末法は謗国悪機なれば彼れ等の堪ゆる所にあらず、依って之れを制止して本化地涌に付するに如かずと仏が思ひたまふたりと推忖想像の語なり誣ゆべからず、又当躰義抄の文・内証の例にはなるべし然りといへども是れは南岳天台等の自行なる宗祖の化導を判ずるに当らざること遠し、宗祖は自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり、大躰偏尊を忌むものなれば証道教道並に行へば教証具足の妙法となり善尽し美尽して円満となるなり、内証を破れば矢張り片輪なり、又教相に即付する内証にあらずば真の円法にあらず、諸氏が如く教相を潰亡せば内証の出所を失ふなり、已に出所を失ふが故に偏別粗隔の観なり之れを苦観と云ふ、教相を断離して内証を偏尊するは宗祖の一大厳禁なり、教外別伝・親を殺せる子の如しと曰たまへる闇禅天魔是なり(是十三)。
宗祖曰はく教行証具足云云この三若し一をも欠けば不具足なるべし、諸氏禁誡已に破る阿鼻の大城早く已に富嶽に涌現せり、定めて知る宗祖昊天に号泣し興尊地下に歎息したまふらん、抑も諸氏は宗祖及び興尊の罪人なり余輩亦甚た之れを傷む、依って偏立苦観の邪証を破して円融甚深の内証の深義を諭し無礙広大の教法の妙趣を示す、故に経に曰はく真浄大法、天台云はく竪には如理の底に徹し横には法界の辺を窮むと、願くば諸氏速に偏執の頑夢を破して疾く無間の険門を脱し真の霊山、事の寂光土に帰すべし、余輩快く座を浄めて待つなり、然れども諸氏抄た寂光を楽はず阿鼻に安んずといはヾ止まんのみ、南無妙法蓮華経。
 明治十五年二月二日酬    蓮華会
                   多田吉住
                   田中巴之助
                   柴田富治

07-287 第四号弁駁書
 第一・本尊建立検証の的不を究明す。
夫れ総論束説濫引等は本会より諸氏を糺示せし語なり、麁して前題書の文章勢格は諸氏が筆なり、諸氏自筆して自ら誤測す答弁立たず徒に申訳を累するのみ・なんぞ野卑陋少なる、自ら言ふて自ら窮す之れを自言反窮と云ふ、設ひ一字なりとも文字は文章全躰の分子にして・かりにも之れを軽忽粗解せば文上の議論は到底無益なり、強情負惜を以って清浄なる法義を論ずるなかれ、瞞着罵詈は世法なを之れを賤む、正念に帰して本会第二号弁駁書の第一章及び第五章を反省復解せば黒白・的として弁ずべし、憶ふに諸氏自筆したる文字は無論動かすは克はざるにより窮迫定すれども正直に過を正すも外聞悪し、兎角の空弁虚喝にて紛らすに如かずと思ひしならん、左もなくば是れ迄に結書確定の文字を正解せる明答ありてこそ至当なれ、只全躰の大旨帰或は前後照応などゝ・なわぬけの拘策を構ふとも何ぞ条理に愧ぢざらんや、旨帰照応は余輩固より之れを論ず諸氏却って之れを知らざるなり、依って虚喝空陳は用なし是れまで明解なくんば最早議論も尽きたるべし、再往復念して過とせば佳し尚負惜を主張するならば是非なし、此の上は予て約条の如く江湖の批評に附すべし。

 第二・本尊抄正躰段・領解推究を判ず。
祖文の領解同じければ主意も同じかるべきを、諸氏は義不合・違聖文の二駁を以って余輩を絞規せんと計策する是れ則領解と主論と相背馳するなり、依って義不合・違聖文の二駁は何かヾ之れを張護するやと反詰するなり、今号に至りて更に義不合は是法隔別の釈迦を指す、違聖文は只色相の仏像を斥すとは抑も言ひ抜けにあらずして何ぞや、前々号の二駁は然らば二駁を取り交互是れに背けば彼に響くと迫難せしなり、駟も舌に及はず今に至りていかに繕飾すとも貫き得ざるを何ん(是一) 。
上述の如く要駁を遮断反詰せるを閣いて余の事に彩る之れを駢域の贅言と云ふなり、宗祖一人本仏云々の義は専弁単説の条下に委細を駁せり、条門を紊滅するは議論の作法にあらず(是二)。
所詮上述の義不合・違聖文の二駁は如何なせしぞ、他を駁するには二途に異用し、本会が領解に之れを要遮貫会したるを見て亦復轍を改めて曼陀羅と仏像と一会して宗祖の御事なりと云ふ、曼陀羅と仏像と別物とするが諸氏の持論ならずや何ぞ余輩が領解を見て急に一会して論ずるや、故に勝手には之れを混用すと云ふなり(是三)。
要結を正答せずんば問答の義務なし已に綱維を提げざるなれば随って衆網挙らざること勿論なり、然らば則ち一も二も倶に識らざるなり何ぞ立つて論場に相見るを得んや(是四)。

 第三・色相荘厳の究判。
諸氏は螺髪金色応身ならば色相荘厳の仏像にして本尊にはならずと答弁せらるゝにより、余が輩は応身を仮らずば三身をあらはすに由なし、故に応身は三身の本なりと云ふ証に台釈祖判を引くなり、諸氏が応身表躰を貶斥するの迷根を破するが眼目なり、論の精神を測って条理通解すべし(是一)。
応身を仮つて三身を顕はすものなれば応身を排斥せば三身なかるべし、諸氏仏像を脱迹とせば曼陀羅破るにあらずや、只紙木の差あれども曼陀羅は矢張曼陀羅なり諸氏夫れ之れを惟へ(是二)。
次に応身表躰の詳説垂教を乞ふの由。
善い哉之れを問ふこと、夫れ曼陀羅は事相に顕はすものなり、依って応身を表とし色相に因ってその具徳全用を顕示す則ち木に刻めば金色三十二相を以って仏の相貌とし、(乃)至菩薩は菩薩の色相・天部は天部の相貌を仮りて之れを彰はすなり、紙に図すれば文字・名言を仮りて之を彰はす、何れも曼陀羅は色相応身に因らずんば顕れず、故に応身表躰を正意とするなり、之れを図し之れを刻し之れを画し之れを描く、皆その●に適ふのみ各宗祖に先例あるが故なり、諸君請ふ克く究考せよ。

 第四・惣別用判に付き原文を検索するの問。
惣じては一切衆生別して日蓮が弟子檀那・別の辺が正意真実の如来にして所謂当躰蓮花仏是れなり、其の義甚深其語巧妙なり、是則ち文義甚深なるにあらずや、文義が甚深なるなり諸氏は文義を排却して別に甚深めかせる私情曲会なり(是一)。
所詮宗祖が確定したまへる聖訓を閣いて甲乙などゝ私判するは日蓮宗の流を汲むものにあらず、本論の骨目は惣じては一切衆生・別しては日蓮が弟子檀那とあれども別しては日蓮并に弟子檀那とはなし、此の文には弟子檀那のみを対判せり諸氏の言ふ如く強いて甲乙に部判を用ひば弟子と檀那とにても通判を立てざるを得ず妄見も亦甚しと謂ふべし、これ一論の眼目なり一たび確乎たる正答を聴かん、諸余の弁論・与奪傍正等の判義は勿論已に正的の金言を抹却せんとするが如きは一言以ってその外道なるを知るなり、抑も法華経の行者は宗祖一人に限り余は法華経の行者にあらずと云ふが諸氏の持論なれば、その通別簡取を推究するの一点を要とするにより彼の御義口伝の文義を細検すべし、諸氏請ふ当文の判明を陳ぜよ余の義判・邪正自ら明決すべし(是二)。
上足六尊は宗祖自ら定めたまふ所たるは諸氏も論なかるべし、己に宗祖は六師を見ること我れを見るが如くせよと顧命したまふ、然らば則六師の所見・宗祖の正義充足して差異あるなし、故に興尊に対すれば則日蓮日興なるべく昭尊に対すれば則日蓮日昭たるべく(乃)至朗向頂持に対するも亦是くの如し、若し然らざれば余の五上足は宗祖の粗擢と云はんや、我れを見るが如くせよの宝命は到底妄誕に帰せんか、何ぞ諸氏猥に別付秘訣などゝ私称し祖命を軽無し五師を蔑如し寃を興尊に被らしむるや、興尊豈に斯の如く外道を祖述せんや、究竟して知んぬ名を興尊に仮りて私立を虚張するなるを、謗罪必定・師子身中の虫なり(是三)。
次に理性所具を以って余輩を難ずるに付き之れを反駁せしを議論の範域已に濫すといへり、諸氏は眼なきか死人なるかなんぞ愚鈍頑迷の甚しきや、迷妄の凡夫は矢張迷妄の凡夫にして三身円満の如来と云ふべからずと思へるか、大躰卑見曲解の根本なるが故之を開示せんと欲して縷々受持成仏の大判を証明するなり、当躰を論ずるの宗致なれば理性の沙汰は無用なり、八葉九尊の釈尊を知らざるか、況や余輩は本門の本尊に向かって本門の題目を唱ふ是れ則修行覚道の行功にあらずや宗祖の曰はく本因の侭成道と迷妄の当躰を離れて十界の正報ありや悪口雑言は詮なし克く法義の所詮を熟思せよ、当躰義抄に云はく、問ふ妙法蓮花経とは其躰何物ぞや、答ふ十界の依正即妙法蓮華経の躰也(文)、今は妙法蓮花経の躰を必用とするなり、故にその理性を用いて余輩を駁せしを反詰するなり、要するに余輩を反詰せねる立義の根底が蝕敗せるの旨を的指するなり、指点過たず諸氏が胸心に徹中す、その悶悩に堪へずして顛倒の狂陳を累ぬるならん、吁々諸氏が野弁虚罵に長じたる亦一奇と云ふべし、諺に曰はく盲蛇物に怖ぢずと諸氏の謂ひなり。

 第五・帰依本尊・異同答弁の不当を反駁す。
宗祖は末法正適の導師にして釈尊の法義を祖述したまふものなり、然らば末法当機の利物が必用なり、依って祖文往くとして利物の次第を判じたまふに先つ御身を例挙して之れを明したまふなり、誰にても法華経を持つものは・かほどの大益ありと云ふが立教弘宗の本意なりと本意を以って規とすべし、況や当抄の聖意・延山来臨を促がすに付いてその霊地なるを示すさんには、その住者の功徳をいはずんば霊地の霊地たる所以を示すに足らず、依って四処の道場を以って御身の最勝なるを述べたまふなり、されば是の経を持つものは皆法華経の行者なるべし、法華経の行者なれば当躰即本尊なるべし、三業即三徳と転ずること勿論なり、当躰義抄の聖文是れなり、宗祖又曰はく衆生の心・穢るれば土も穢れ心浄ければ土も浄しとて浄土と云ふも穢土と云ふも皆一躰なり云云(取意)、本意を転却して金言を曲視するなかれ、況や諸氏前に当抄の文を摘採して霊山寂光土・諸仏入定本尊と云へるにあらずや、依って当抄聖文の旨帰を点示して宗祖一人本尊なりとするの聖意にはあらずと云ふなり、偏執を離して本会第三号の弁駁を見よ(是一)。
諸氏は能弘の導師も所弘の法躰も混同して論ずるが故、主論到底貫かず、弘通主任の大役を奉行するには・その任徳の広大なるを論ぜずんば、破邪顕正の大事成ぜず是れを以って屡三徳を論ずる所以なり、是れ即三雙父子の中の僧に約するの父子の類なり、已に日本国と云ふ諸氏も亦余が輩を詰って日本国の人にはあらざるかと難ぜり、いかにも日本帝国の人民なれば千歳宗祖を戴いて父の徳まします所の末法時機相応の僧宝とし奉るなり、而して本尊は日本国のみの局談にあらず一閻浮提の談なり、報恩抄に曰はく、一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし(文)、天台曰はく法とは十界十如権実の法なり、宗祖曰はく法妙なる故に人尊し、大経に曰はく諸仏の師とする所所謂法なり、宗祖曰はく能生を以って本尊とすべし、十界の依正恐く妙法蓮花経の躰にあらざるはなし、而して我れ等凡夫は正報の三身にして本躰なり是れ妙法の躰なり、仏はこの妙法より出生する用なり故に能生の本尊なり、豈内外を論ずるを須ひんや、これ法仏に能所を立てゝ取捨するの段なり、若し証道の実義に随へば題目を唱へ三業受持のものは倶躰倶用三身となるが故に、法華経の行者の一身の当躰が本尊と顕るゝなり、いづれも宗祖一人に限り本仏なり本尊なりとの所談は祖意に違すること的々として明なり、教道に於いても所生能生混滅し、証道に於いても公同正明の悟にあらず、諸氏を謂已均仏と云ひしにあらず、諸氏の説の如く宗祖ばかりに本仏なり宗祖ばかりが具したる法華経なり、宗祖の己心ばかりが題目なりと自分勝手に私会せば宗祖が均謂己仏の禅観を広めたまふ如くになるべし、宗祖は自身ばかりを仏なりとは祖述したまはずと云ふなり、諸氏今云ふ等の類の二字に力を入れて弟子檀那を無作の三身本門の教主釈尊として本尊とす、此の如くするものは禅宗の法義を祖述するよりも百千万倍勝れたる云云。
面白し宗祖云はく本門釈尊とは我等衆生の事なり、又云はく当躰蓮花仏とは日蓮が弟子檀那なり、無作三身の宝号を持ち奉つるが故なり(文)、今諸氏の弁解の如くんば是れ等の金言も禅宗の法義を祖述するよりも百千万倍勝れたる邪義と云ふか、諸氏が罪罰を怖れざる提婆達多に百千万倍勝れたる妄者なりと見認するなり、あら恐ろし々々々々々、余か輩が尊信する諸寺既に安置せる曼陀羅は十界円足の実義にして影略互顕の略形なるのみ、寺院は信徒の集詣する所・諸氏の来観する所なるが故に荘厳以って信を起すの便に従って多く木像を安ずるなるべし、余が輩在俗は亦その便に従て多く紙図の曼陀羅を安置するりなり、而して諸氏の如く木像を偏拒せば宗祖自作の一尊四菩薩・二尊四菩薩の彫像及び木絵二像開眼御書等を云何せんや、亦将た草木成仏の肝心を云何せんや、偏執狭見に極点・真に憫笑に堪へたり(是二)。
又本門の釈尊とは我れ等衆生の事なりとあるを、諸氏は強いて宗祖単独の事とするは、さても々々々の難僻の誤迷論にこそ言におちず語るに堕るとは能くも々々諸氏等が自言を表せしものかな、本門の釈尊我れ等衆生と云ひ当躰蓮花仏・無作三身の宝号を持ち奉る故なりとも曰へば、無論本門の釈尊は我れ等凡夫の当躰を指すに相違なし、去るを報恩抄に本門釈尊を本尊とすべし・所謂日蓮一人也とあらば諸氏の解も然るべけれ、其の義なくして私立を貫通せんとするも決して能はざるなり、同抄結文にある此の功徳は故道善坊精霊の御身に集まるべし(文)、夫れ凡そ宗祖に帰して・その法義を仰ぐものは皆事行即成の大益を得しむるほどの大法を弘めたまふ故に・その弘通のくどくを以って師の霊に回向するなり(是三)。
八品の化儀にあらざれば本尊とはならず、単位の孤仏は只その一仏の徳相にとヾまる菩薩人天も亦爾り、例せば祈祷加持に鬼子母神を本尊とするが如し、御講聞書の釈は前にも云ふ如く日蓮等の類とあるが子に宗祖単独にあらざること夜中の満月よりも明なり、爾るに諸氏は此の日蓮と銘の打たるをも宗祖にあらずと拒まば黄頭加毘羅も物ならずと云云、怪い哉諸氏が難勢・日蓮等の類とあるものを何ぞ誣いて日蓮とある云云と云ふや、余が輩が拝する所の御講聞書には日蓮は釈迦如来なるべしとは一箇所もなし亦あるべき様なし、諸氏は自己の非をも顧みず猥に他を誹謗罵詈せば議論に勝つものと思へるが気の毒千万なる訳ならずや、御講聞書に云はく、されば法花経を行ずる日蓮等の弟子檀那の住処は如何なる山野なりとも霊鷲山なり、行者豈に釈迦仏に非ずや、日本国は耆闍崛山・日蓮等の類は釈迦如来なるべし云云。
又云はく然らば法花経の行者は男女悉く世尊に非ずや、(中略)是真仏子なれば法王の御子にして世尊第一に非ずやと、又曰く今日蓮等之類南無妙法蓮華経と唱へ奉る男女貴賤等色心本有の妙境妙智なり、父母果縛の肉身の外に三十二相・八十種好の相好之れ無し即身成仏是なりと、上引の諸文を以って誠慎に了解せよ、其の本乱れて末治まるのあらず、本義了通を以って肝要とするなり(是四)。
諸氏色相有作を無作にあらずと云ふにより色躰あるものは皆色相にして有作なり、金色三十二相ばかりを貶斥するとは偏屈なる訳なりと開示せしを、諸氏は喋々横路へ弁を費して余輩を嘲騙し去らんと計るとも、諸氏大躰の議論を忘れては百千の贅弁も皆幻霧に帰せん、諸氏克く思惟せよ色相を嫌々心に局蔵して以心伝心・顕性成仏に陥るべし、故に有作を以って無作をあらはらせばこそ事成とは云ふなれ、木に刻む金銀鉄に彫鋳するも画くも書くも皆色相にあらはすにあらずや、所以は何ん文字を色相と云ふが故なり、開経の偈に云はく色相の文字即是れ応身(文)、木画も亦爾りり、色相有作にあらずんば無作もあらはれぬとなり、若し諸氏が如く偏に金色三十二相は非なり余の色躰ならば可なりと云はヾ仏像三十一相へ法華経を棒げて三十二相として開眼すべしと、宗祖が訓へたまへる義は妄訓不規の語なりとするか如何(是五)。
凡夫は躰の三身にして本仏・仏は用の三身にして迹仏・凡夫は本なり仏は末なり・迷は本なり悟は末なり、迷を離れて別に悟を求めば是木に縁て魚を求むるの類なり、華厳に曰はく所有の恵心他に由って悟らず(文)、則迷妄の凡夫が真実の本仏なりと云ふが寿量所顕の理なり、而して今日立教弘宗の本意たる余が輩迷妄の躰の本仏が唱題して本因を行ずれば、則その一身本尊顕現して倶躰倶用・無作三身と顕照して究竟と云ふなり、本末は一往・究竟は再往なり能所一躰の成仏是なり、宗祖御自身を挙げて諸余の持経者を例したまふなり、故に別しては日蓮が弟子檀那・日蓮等の類・弟子檀那等の中の事なりと云ふなり、日蓮を崇ぶとも悪しも敬しては国亡ぶ   べし雖讃法花経・還死法華心是れなり、夫れ悪逆の属千万ありといへども罪は則ち断一切世間仏種より大なるはなし諸氏なんぞ一切世間の仏種を断じて本仏にあらずとして好んで阿鼻の大菩を招くを楽ふや。

 第六・脱仏・種仏・本尊及び本師の究明。
諸氏は本尊の本尊たるを知らず、夫れ本尊とは生死一大事・妙行の的・事行妙解の境なり、事の一念三千・十界常住の相貌を観ずるに足るものを本尊とするなり、釈迦一仏色相単位ならば証道に於いて具足すべし事相に於いて具足せず、飽くまで単位は単位なり、初心信行の者・観境に便せず、故に特に本尊と図して之れを弘通したまふなり、本尊の区域斯の如し而して宗教の三宝を論ずるときは・この経法を法宝としこの法を説きし人を仏宝とし、この法を祖述伝布せし人を僧宝とするなり、この法華経を説きし人は釈迦仏にあらずして其れ誰ぞや、又宗祖がこの釈迦仏を末法相応と銘したまひし証をいはヾ、日朗、御譲り与ふる南無妙法蓮華経末法相応・一閻浮提第一の立像釈迦仏一躰云云、此れは是れ伊東感得の釈迦仏にして佐前佐後・宗祖生涯の本師と仰ぎ仏宝と崇とみし末法相応と銘したまふものたり、諸氏はた之れを拒むや、但し一宝単位の仏は本尊とはなしがたし其の義前述の如し、爾るを前書諸氏佐前は時機未熟御弘通の初めなる故に機に随ひたまふなりとて佐後は用ひざるの由を云ひしにあらずや、之れに依って余が輩妙法尼抄等を引て佐渡後にも用ひたまふなりと云ふ証明を立てゝ難ぜしを、今回も至り諸氏は時機未熟なるが故・時機未熟と書きたるに何の拒をなすやとは呆れ果てたる盲滅法界の筋違ひかな、諸氏佐前未熟の時のみ用ひたまふものにして生涯尊用したまひしにあらずと難ぜらるゝに由り更に統紀を引いて終身之れを用ひたまふの確例を徴出せしなり、己に統紀に弘安五年月十二日即ち臨滅の前日に至りても尚之れを用ひたまふなれば諸氏が佐前未熟御弘通の初なるが故に用ひたまふと云ふの論弁これにて推却せるにあらずや、当に知るべし佐後尊用の例に妙法尼抄等を引き終身尊用の例に統紀を引くなり、諸氏よ弘安五年十月十二日は池上の話なり、塚原へ大曼陀羅を掛け随身仏を安じ云云と云ふにはあらず、諸氏よ弘安五年十月十二日は池上の話なり、塚原へ大曼陀羅を掛け随身仏を安じ云云と云ふにはあらず、克くおちついて文を読むべし、往復の論条も了得せざるに強ち悪口雑言を先きとして条理明証を抹し去らんとするか諺に曰く羞を知らざるものは恥をかきたる験しなしと、諸氏筆を把って議論するには文章の往く立てを学ぶべし、剰へ問答抄を引いて不須復安舎利を弁ずといへども、そは宝塔品の文による所の法華儀軌其の外仏を本尊とするものを破したまふなり、余が輩が造立する所の曼陀羅は十界常住一念三千の法躰にして彼等の類にあらず、なんぞ混同して論ずるの甚た愚且つ負惜みなるや、譬喩は物に比例するものなれば何を仮るもよけれども、耶和華を以って宗祖に譬へ亜当夏娃を以って余輩に譬ふるが如きは知らず識らず外道邪魔の説たるを表示するに当れるも、いと可笑天罰現然せり、一闡提人の真面目之れに過きたるはなし嗟亦何をか言はん。

 第七重ねて内証偏尊の僻迷を慈糺す。
化導の始終を以って仏の簡取なりとは弥希有しからん怪談なり、其の故は法を以って化導するにあらずや、その法甚深と称すとこ三の利益なければその法が化導の実なし、依って灰断に同ずと判ずたまふなり、機に三益を論じ法に三益を論ずることは余が輩固より之れを信ぜり諸氏の喋々を俟つに及ばず、但仏の簡取なるものを難ずるなり、経に曰はく能持是経者令我及分身云云、教機時国・教法流布の前後あるを知る一仏化導の世界に於いて脱仏種仏なるものあるを聴かず、祖判決して此文義なしあらば出すべし、偶べ出すとも前引の本尊抄の文の如きは引意に異す、故に先に妄引附会にては詮無きなり確然たる的証によるべしと約束せり、叱るに今的証に窮して妄会濫引以って余が輩が耳目を掩はんと計る止なん止なん、証なくば私立と知るべし私立ならば外道と知るべし(是一)。
一切衆生の中に亦第一と為すとは是れ真甚深・凡夫即極の基本なり、苟も法花経を持つものは皆速成就仏身の本仏にして所謂凡夫は躰の三身なるものなり、是れ亦宗祖御自身を挙げて他を例したまふなり、故に御講聞書に云はく、然らば法花経の行者は男女悉く世尊に非ずや(文)、薬王品に云はく、於一切衆生中亦為第一矣、此れ則世尊の経文に非ずや、是真仏子なれば法王の御子にして世尊第一に非ずや、(文)、諸判皆同轍なり偏見を以って高祖の本意を滅却するなかれ、只その中・末法弘通の任徳を論じ本化僧宝・持経者の威徳を観じて所弘法躰の絶尊なるを点示したまんが為めの能弘の人を称揚する祖判はあるなり、例せば報恩抄・顕仏未来記・撰時等其他一句一語の賞言の如し、能弘導師の徳を称揚すればとて師父の釈尊・三世常住・末法相応の仏宝を脱仏と貶して御自身を末法相応の仏宝とするにあらざるや・火を見るよりも明なり、但し盲目を判見せざるに在り、天下公同の具眼に訴へて之を決せんのみ(是二)。
余が輩前に法蓮抄等能弘経の人を称揚したまふの祖判を開示するに世間の近喩を仮りて之れを述べしを、諸氏は意を味はず義を案ぜず文を検せずして無闇に臍を縷りて絶倒せられし由・気の毒に存ずる間・今気附を一貼進し申さん、抑もこの譬の言は全権弁理の義意が主点なり而して宗祖を大臣に譬へたるは如来所遣・行如来事の義に訳して之れを述ぶるなり、事に服事すれば臣の義親しきなり、例せば護良親王が後醍醐天皇に対して臣と云ひしが如し、況や本尊抄に太公・周公且等は周武の臣下・成王幼稚の眷属・武内の大臣は神功皇后の棟梁・任徳王子の臣下なりと品ふに於いてをや、固より釈尊に三徳あるならば義例によりて師弟とも君臣とも父子とも配判するなり、諸氏何んぞ誤粗苦才の絶倒をなすや(是三)。
 次に本論亦斯くの如しと云へるを諸氏は何と見たるや、この語・前の譬を挙げ訖つて法譬を合するの語なり、本論とは当論義と云ふことなり、本年本月講本会など普通に用ゆる語と同致なり、諸氏の誤解皆大旨此くの如し、豈に与に字軍を張って戦ふに足らんや(是四)。
諸氏は能弘の宗祖のみ本仏なりとて仏祖より特に我れ等所化に専授したまふ所の三身の宝号を受けざるが故・能所一躰の成仏にあらず、遠慮も時と物にこそよれ、宗祖曰はく能と云ふは如来なり所とは衆生なり、能所各別するは権教の故なり法華経の心は能所一躰なり(文)、諸氏能所一躰の成仏を知らば・なんぞ本仏は宗祖に限ると云ふや(是五)。
諸氏は宗祖を上行の再誕・本化の僧宝とするは外用教相の一途何ぞ之れを内証の深義とすべけんやと捨て、別に内証甚深を故立せるにあらずや、教即観を知らば何ぞ教相を捨つるや(是六)。
諸氏は宗祖御自身の御徳を称揚したまふが為に法花経弘通したまふものと自断して弟子檀那の登妙を蔑如す・弘通の本意を知らざるなり(是七)。
諸氏は菩薩と云ふ名のある内は仏にあらずと思へり是れか迷の根にてあるなん、十界皆成と云ふからは菩薩でも天部でも十界已已の当位が仏なりと云ふ訳なり、諸氏は爾らず飽くまで菩薩と云ふ名を除き取りて後・仏宝とすると思ふが故に、十界皆成の実義灰断に帰するにあらずや、是れは我が身の当躰は本尊に漏れたり我が身心は妙法蓮花経の外の物なりと考へ、宗祖ばかり妙法蓮花経を躰とし魂とするなりと考へ初めては・事行妙観・受持成仏・究竟して立たざること六万九千三百八十四枚の印紙を貼して保証いたすなり(是九)。
一化導の世界に於いて仏宝の本籍を顛倒す世界悉檀地を払って亡せり、且つ夫れ立教弘宗・伝法相承の大義名分を廃捨す何を以って人に善を生ぜしめんや、為人悉檀断然として失せり、説きたる仏を捨てゝ伝へる僧を仏宝なりとす、一代を統理するの公法にあらず何を以って余宗権教を糺さんや、対治悉檀確乎として立たず、已に成仏を知らずんば第一義悉檀何を以って成立せんや、四悉なければ教法とはならず、然らば則諸氏が門家の法義は心学然たる禅確乎たる邪法と云ふべし(是)十。
上来弁論の如くんば本尊とは法花経の行者の一身の当躰なりと遊ばせる聖訓も、余が輩が論戦の千城たる自ら知るべし、但し諸氏は受寿の御義を一大事と云ひながら忽ち忘れて内証は祖意にあらずと云ふか云云に至りては無方の譫語・言ふに甲斐なしといへども一たび之れを糺さん、内証を祖意にあらずと余が輩が那処に書きしや、余が輩は倫尊孤立の内証なるが故に之を破するなり、故に第三号弁駁書の末文に曰はく内証を破すれば矢張片論なり教道証道並に行へば善尽し美尽して円定と見認め片輪不足と呼ぶなり、今更教行証円備など云ふとも首鼠両端の遁辞にあらずして何ぞや(是十)。
三種三宝は通規の法数なり、然らば今我が宗に約して之れを説くときは斯くの如しと指示するに付、諸氏時により教観混雑時により教観隔別するの迷根あるが故にぞ教観の巻●進退を三宝に約して教へたるなり諸氏何ぞ愚迷の頑然たるや(是十)。
造立三秘二抄の義も入文に一対する金言なきにあらずと云ひしを云云、余が輩この二抄を引けるは本と本化上行の高祖を末法の僧宝と云ふの証に引きしなり、爾るを諸氏且らく一機に対して演べと云ひしは証にはならざるの趣を述べて余が輩が拠証を捨てたるにあらずや、爾るを今又語を改めて入文三機に対する金言なきにあらずとは方角違ひの弁論ならずや、剩へ諸氏は此論に於て1箇条たりとも答駁せざるはなしとは何等の鉄面厚顔なるや、第二号弁駁書・第七章の反詰は何れにその正答ありや、不軽豈異人乎の条は弘通に約して不軽に例するなり、本地に約せば皆本仏なり我れ等凡夫己に寿量所顕の本仏たり、宗祖の内証論ずるに及ばず菩薩地・即妙覚なり何ぞ之を転ぜんや、是れ等の義は第三号弁駁書・第五章第九項に明解せり、その余の諸弁尚も諸氏が心腑に染徹せば交互亮通すべきぞかし諸氏何ぞ己が盲冥を以つて猥に他を謗するを好むや、次に僧者我等行者也他の我等を以つて宗祖の事と確定真答するか贅言は無用なり、相違なくば決明して之れを証せよ、余が輩爰に論有り(是十)。
余が輩が教徳に約して広大と云ひしを当然の事とせり、当然なることを言はずんば不当となるべし、教徳に約して立てたる配語を破するに行に約して駁せられし故・函蓋不相応と詰責せしなり(是十)。
教相を潰亡することは諸氏が自ら証言する所なるに依つて偏尊孤立と云ひ片輪不具と評する所以なり、末法僧宝は矢張末法僧宝にして内証本仏なりと云ふが教相に即付する観心と云ふなり諸氏はその教相を外用一途と捨てたるにあらずや、故に教相を潰亡せば内証の出所を失ふべしといへり、本迹一致の妙談に到りては一閻浮提人盲目輩の与に嘴を容るゝ所にあらず、何者か是れ本・何者か是れ迹・冥々として弁じ得ざるが如し、余が輩が家には一経皆本門にして更に近迹なし、顕本の後の実義によるが故なり名実倶全の本門なり、本中に迹なし本迹倶に本なりとは是れなり(是十)。
教相潰亡・内証偏尊前述の如し、教の外に立つる観・之を教外別伝と云ふ宗祖之を天魔と刑す、諸氏天魔を脱るゝを欲せば何ぞ教相を潰亡して内証を偏尊孤立するや、宗祖は此の経とは題目の五字なりと曰ふ何ぞ教相を潰亡すべけんや、宗祖曰はく末法には教行証の三・具に備れり(文)、諸氏何ぞ教相を断離すの金言と云ふや、答弁曖昧・論条矛盾更に採るに足るなし、諸氏より当論議は必竟何の目的主意なると思ふや宗義推究・正邪決明に在るにあらずや、何為れぞ自己の誤解も測らず漫りに他を嘲弄し自己の負惜を押し匿して他を讒駁するや、富嶽高しといへども阿鼻の大城化したる上は怖畏険道高山なり、自らも堅城確乎として動ぜずと保証せるも亦一奇と云ふべし、元来無間の城なるが故なり、又漫りに自称して大磐石と云ふ宜なるかな頑迷偏屈の固執なること、今日にして余が輩が慈導を拒絶せば復那の日か之れを救ふものあらんや・転々至無数功の罪跡怖れても余りあり、南無妙法蓮華経。
明治十五年十一月十五日報
                        蓮華会印
                           柴田富治印
                           多田吉住印
                           田中巴之助印

07-301 第五号弁駁書
第一
此の章は純ら文字章段の議論にてあれば各その言ふ所を執つて之れを推さんよりも江湖の批判に付するに如かず、但し余が輩が解了は本文何ぞ是れをの是は直に宗祖を指すの外なしと見たり、其の故は上来歴引の余勢を受けて結書せし章段なるが故なり、先つ本尊段の議論なるが故何ものを本尊とするやの場合なれば宗祖を本尊とすると押へて一篇の総躰を束ね出すにあらずや、余が輩は諸氏の文字文章通りに読んで斯くは解したり、爾るに諸氏は然らずと云ふて始めて誤解妄断と罵る故に之れを推究せしなり、おもたせを開いて独あり傷惻のいたり云ふべし。

第二
諸氏領解同じと自ら出言したる義なれば主意も随つて同じかるべきに更に主意の同じからざるを以つて領解麁なりと貶するなり、所以は何ん宗祖曰はく本門の釈尊を本尊とすべし本門講員曰くこの釈尊とは宗祖の事なり云云、宗祖曰はくこの釈尊とは我等衆生の事なり、斯くてもなほ主論と領解と違せずと云ふか、この麁解を以つて生ま中に余が輩を絞規せんなどゝ計る故かゝる瓦解を視るなり、二駁の強隊己に倒れて中堅将に突却せんとす何ぞ早く降を軍門に乞はざる。

第三
色相単位にては本尊にならず、色相を仮つて顕はしたる十界の曼陀羅を本尊とするなり、自語相違にはあらず諸氏が界了に乏しき故なり、金言の趣要眼目を抜き去るにあらず諸氏が応身は用ひずといふに依り余が輩は応身は肝要なるものぞと云ふ説明に付いて三身之本の聖訓を拝借して諸氏を論ぜしなり、諸氏の愚鈍も余程念の入りたることなり、曼陀羅は梵語此には輪円具足或は浄壇と訳すれば十界羅列儼然排布の形相なること必せり、然らば木像にても十界の形相壇上          に羅列するもの曼陀羅にあらずして何ぞや、之れを刻し之を図し之れを彫し之れを描す皆宗祖に先例あり、諸氏その先例を聴かば閉口して我が門に帰すべしやその決定を俟て之れを示すべし。

第四
仮令通別を立つるにもせよ文上に現前せざる言ばに強会するとは偏慢の話ならずや、惣じては一切衆生別しては日蓮が弟子檀那(文)、此の上に通別の立て様もなし惣じては十方法界別しては娑婆世界・別の中に於いて又別しては南閻浮提又その中に於いて別しては日本国と・これ惣別択用の例なり、日蓮が弟子檀那とあらば是にて止まると知るべし、順と逆との惣別択用にて至極するなり、諸氏宗祖に違せざるを欲せば余が輩が立論を味へ上足六尊の事・諸氏が偏見と何ぞ甚しき、今諸氏に諭さん若し興尊独り相承ありて余の五尊無相承の素法師ならば何ぞ宗祖の在世より興尊を第一の上首とせずして昭尊を上首とするや旁以って謂れなきことぞかし、血脈次第日蓮日興の状も訝るに足らず、興尊も宗祖上足の一人にてあれば血脈相承勿論なるべし、但興尊のみ血脈相承書あるは猶朗尊御譲り状に譲り与ふる南無妙法蓮華経云云と云ふが如し相承なくして何ぞ弘通を勧令せんや、偏屈の私情情歎且憫に湛へず、理性所具の僻難諸氏が如き文章を軽蔑粗解する愚輩には臨時弁論上にて諭すべし、理性を以って衆生を判ず依正の成仏巳に亡せり、宣哉卑屈の論・宗祖のみを本仏なりと云ふこと宗祖は十界の依正が妙法の当躰なりと判じたまへり、諸氏云はく否然らず躰具にあらず性具なりと、余輩は矢張宗祖の金言を宝鑑とするに勝るゝはなしと存ず諸君はいかゞ呵々。

第五
事を議し物を論ずるには証拠第一なり、爾るを是れ迄諸氏は御講聞書の文を偽作私転して日本国は霊鷲山・日蓮は釈迦如来なるべしと引用せり、此れは是れ祖訓を私曲するの大罪・問答対論者を明白に欺誑するの重過なり、前々問答窮迫によりて偽作して遁逃するものと決認するにより諸氏筆弁の議論此に至りて全く失敗せり、拠証を偽らば百千の理屈も画餅に帰すべし諸氏如何。

第六
日朗御譲状の現文によりて釈尊を仏宝とす、又末法相応とす異論なし、釈尊巳に末法相応の仏宝と定まる上は二宝弁を俟たず、一尊四士・二尊四士の義は古来論ありといへども祖典巳に四菩薩造立抄ある上は祖意に出でたること明なり、何ぞ蚊虻の微鳴を採らんや、伊東感得仏の論に至りては耳目身心ある人の議論とは思へず、いと歎はしき訳ならずや、前来懇々と説明するに心意空迷して文義眼●に飽くまで誤解妄断を貫かんとして酒蛙々々たり、拙の極点驚くにたへたりといへども条理豈に●くすべけんや、今一たび前号の駁書を熟見せよ、曼陀羅の義屡々重冗云云といへども我が宗の寺院には中尊は題目の塔にして脇に二仏四士等なり、魚油の油にもあらず半紙の紙にもあらず、諸氏謹んで聴け文義の誤解を羞ぢとせずして強情を張らば文字の議論は出来申さず、依って一弁以ってその耳より下種するに如かず、依って往復の問答書携帯して来るべし、若し然らざれば新聞に掲載して江湖の批判に付するのみ、左もなくんば諸氏を邪認と貶すべし。

第七
八幡抄の文は題目と法華経の所対なり法の簡取なり誣ゆべからず、余か輩は祖書撥無するにあらず諸氏が祖書を誤解妄引するを破するなり、於一切衆生中の文は現に日向記に明文ありて一切持経者の由・的然たり、諸氏否らずと云はゞ宗祖に違するなり、夫れ譬喩は比例准知の方便なり依ってその弁義述意を了するを要す、爾るを君臣にあらず父子なりと横駁す、余が輩は父子には非ずとはいはず只義例によりて父子にも君臣にも連約するものなり、この処は事に服事するの辺を重しとして君臣に仮約して以って至要の論目を誨演せしを肝心な意味は不問に措いて、いらざる枝葉を煩はしく詰問だてして瞞着し去らんとするは仰も何の意ぞ、答弁巳に轍を紊せり何ぞ共に論ずるに足らんや、余が輩が偏尊孤立と云ふ諸氏は内証を破す云へるは一躰いかなる意ぞ、諸氏が教相を捨てゝ内証を立ると明言せられし故・斯くては偏尊孤立となりて隔歴不融の苦観となるべし、余が輩が信ずる所の法義は外用教相を表用して内証の深義薀然として存するの妙法なり、諸氏正義を欲せば麁法を廃して妙法に帰せよとなり、次に日朗御譲状の答弁は奇怪千万の誑惑といふべし、現行録外祖書二十五巻の中に明載して宗祖在御判のものを自義に合はずとて偽証なりと云ふ亦何事ぞ、当状の意味諸氏が常懐と異るは諸氏が邪法の故なり、余が輩の門には的々として明解あり苟も宗祖の真●まします所の宝状を指して地顛倒等と誹斥す怖るべし歎ずべし驚くべし笑ふべし、議論窮迫に陥ればとて祖文を偽作して人を欺かんとし祖証を撥無して巳を庇飾せんと欲するが如き一乗行者の風頭に置くも穢らはしき現身阿鼻の大罪人と謂ふべし、鶴亀々々・南無妙法蓮華経。
明治十五年十一月廿八日酬              蓮華会印

         尾上町一丁目第八番地    対決委員 田中巴之助 印
         松ケ枝町第二十八番地    同    多田吉住 印
         真砂町一丁目第十五番地   同    柴田富治 印
         福富町三丁目第七十六番地  会友   中村友二郎 印
         長者町九丁目第九十二番地  同    玉川福太郎 印
         野毛町四丁目第百七十九番地 同    和田義重 印
         元町五丁目第二百十九番地  同    中井新助 印
         石川六丁目第百三十八番地  同    古郡惣左衛門 印
         元町五丁目第百九十三番地  同    伊東良作 印
日蓮宗蓮華会
紀元二千五百四十二年明治十五歳次壬午九月廿八日横浜に於て雙方交換す。

編者云く雪山文庫蔵当時の写本に依る。

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