富士宗学要集第九巻

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第九章 豆房問答

 伊豆の実成寺は尊師系なれば要法寺と親密なるべく思はるるが著しき通用が文献に見えず却つて大石及び西山と寸時の交通ありしが如く、而して中古郷門と通交したる事或は地理的関係に基きしものか、本章問答に依れば豆山柳瀬と小泉と保田との三山の通用内容は三山同列の時は妙本寺が主で豆泉両山が従で二山の時は久遠寺が主で実成寺が従であり一として豆山の主たる時は無かりしが如く、随分変則のもので通用にあらず服従であること勢力の如何に基くしても久妙両山としても諸山の首座にあらず、殊に本問答に於ては豆山の日海如何に久遠寺末より出でたりと云へ房山の日承の此を見ること匹夫の如く頑童の如し、内部に如何なる事情ありとも同盟三山であり言詞の上にまで奴隷視する事は非礼なり然れば日海の問条は簡約して辞意共に鄭寧なるに反して日承の答文の徒に冗長なる解辞の猥りに傲慢不文なる、或は一は壮年にして一は高齢なる一は曽つて受教者でありしか格別の洪恩に浴したるか、此等の史実も本書に関する材料も一も得る所なきを遺憾とす。
一、豆山日海の問条  実成寺日海が教学及び化儀の十四箇条を掲げて妙本寺日承の教示を仰ぎたるなり、実成寺には此案文有りと云へども今在否明ならす、今文は曽て日向日知屋に於て答文と共に文政十一年に浄本房日由の写しをけるに依る、此の写本には問答両文共に年月を記せずして又文中に見るも其間あまりと間隔あるが如し、但し両文共に教海の一些事として等閑に附して散逸を恐るるが故に輯して参校に供するのみ、又豆山過去帖等に依るも日海の名見えず、卅二世日開上人天保十二年七月十二日寂と云ふが此に該当すると思ふ、又他の帖に依れば、長久保円蔵寺(久遠寺末か)より入山とあり此等本文に支牾無ければ先づ開海同御人と定めをく(表紙に、豆房問答記、文政十一年子●月之を写す、とあり)
別書謹んで御伺ひ言上奉り候、実成寺日海御両山法主の厳命に依り富士より仰せ付けられ候補任状慥に領掌奉り候、御文の中略に云はく化儀法躰共に当家の先規を守り仏法修行仕るべき旨仰せ付けられ候上に、入山己後神魂入れ替り恐れ乍ら御回向文の如く久遠実成釈迦牟尼仏本法証得多宝如来、本化地涌の四大菩薩血脈代々因果同躰の師弟、先聖明哲、伏して願くは極悪不善末世受持の初心信行の我身に入り替らせ給ひ正法正行の信心決定成らしめ給へと、三時不退に祈念し奉り候、今更事新しく申す条には無之候へども実以て慷慨仕り候事は受け難き人身の中にも出家の一分と成り値ひ難き大法中にも本地真因の極理を聴聞し乍ら今度正行正信を遂げずんば又何日の時をか期すべきと此の御勧誡真実以て心肝に銘じ奉り候間、何卒々々師弟一門壇越迄此の大法の信心成就せしめばやと時々遅々余念更に御座無く候、爾りと雖も寸善尺魔且は過去謗法極悪深重の身分故に僧檀自身共に作々念々懶惰懈怠のみにて御座候、今度不思議の因縁に依つて本門寿量の観心真浄大法の極意信行せばやと心付き候処に、尊弟本地房同心致し最初は只両人発願仕り折々論談仕り候処惜むべし本地房事不幸短命誠に一眼を失ひ候処、当時又宇佐美行蓮寺本行房弟子立行房と申す者当年卅七歳に候又不思議に去々年頃より無二の信心発起仕り御当家正信に相叶ひ度き心懸にて当時は檀中の教化も是迄とは天地の違ひ正流の立行専一に身命に懸け弘通仕り候様に御座候、元来拙僧入山己来説法の度々申し候には実成寺の仏法と申すは露計りも之無く皆久妙両山の仏法なり、仮令之有るとも当今成仏下種の大法決定の法に非ず、之に依て両山の要上我上の正血脈に非ずんば誠の仏法とは心得べからずとの旨月並内説興行仕り申し聞かせ候、猶又当時は蓮慶寺要忠房己下所化ども迄信心一結仕り候へば檀中の法事年忌の逮夜等にも法会興行懈らず申し聞け候にも、唯々要上我上御再興の御仏法相続せず当山の檀那は成仏の大法味に預るべからざる旨申し聞かせ罷り在り候。
夫に取り候ては興尊両箇の御条目、郷上五箇の御誓紙、当山開山七箇の誓文等の大旨に任せ化儀秘訣の趣きに準じ其外御大事の御筆記等拝見の分に少も私情之無き様念を入れ奉り申し聞け候、他門他流の化儀行相名目迄少も相以寄り申さざる様出来候分は心付け是又朝夕所化どもに教訓仕り候、尚門中参会の砌り世事の雑談仕らず興上御条目の通り論議講説を好み自余に交るべからずと急度相談相究まり信心修行の一途に凝り堅り罷り在り候。一、三寺通信決定の上信心落著の様は、久遠実成相対の時は富士御貫主を以て唯我一人に尊敬仕り候、又三寺相対の日は房州を以て唯我一人と存ずべく候と決定仕り候、尤も富士房州両寺一和の段は御開山御深意邪推恐れ入り奉り候、実成寺と三寺一寺と申す儀は毛頭も之無き筋合必定の義に候へども大法受持修行門の分際は三衆一和の思召にて御座無く候て恐れ乍ら還つて大法蔑如の筋に候やと存じ奉り候、但し此の義は僧中計りの深義、俗は若は一若は二人等にて御座有るべく存じ奉り候、先は豆衆の門中三十余念近来の所念大旨斯の如くに御座候。
一、実成寺に仏法之無くとは申し乍ら日海迄三十一世歴代の本尊大概御座候、但し永番の功にて贈号等の歴衆は本尊之無く候、書写様も余門流躰の義は更に相見え申さず候或いは日興末弟或は日興日目末弟又は遺弟など之有る外用違の義有る書写は相見え申さず候、只内証正縁に順じ富士山遺弟と申す義は相伝之無き筈に御座候、尤も本因妙抄産湯相承百六箇七通御奏状等は中古より之有り候やに存じ奉り候書余際限御座無く候。
一、今般所用に付き内々御伺申し度き条々。
一、談林勤学は天台の学文成る事自他定判に存じ奉り候。
一、談林勤学は興上御門流の真実御正意に候や但し時の宜きに随ひ不正意に候や。
一、興日己後要我の此談林相勤め彼の談林の位階を以て自門の階級に取り候事御座候や、当時右様に成行き候事正意不正意の談御教示願ひ奉り候、若し慥なる証拠之無く候て今日の名聞分は宣整御座有るべく候へども三世に亘つて本地の法王の御前冥罰遺如何座有るべく候やと恐れ入り奉り候間心中慥に落居仕り候様偏に願ひ上げ奉り候、猶又侃上己前の御義にて仰せ聞けられ候様願ひ上げ奉り候、中代の義は何事も上代違背の間違多く相見え中々支証には相成申さずと存じ奉り候。
恐れ乍ら愚の所念の一条謹んで御伺ひ申し上げ奉り候。
一、廿六箇条の御制戒の如く第七条に器用の弟子に於ては師匠の万事を許容して御書己下諸聖教を教学せしむべき事、古来御筆記を聖教と申す事当家の名目やに要上御草案に相見え申し候、先に御書己下諸聖教と申し万事許容と候へば他門に出で候躰には之無きやに存じ奉り候、尤も我上は諸所巡学も之有るやに御一筆も拝見仕り候、是は権者の御所念御所作なり今時の愚奏は門外は障子一重隔て候へば放埓惰弱を事と仕り、誹謗正法の同類と和合し雑談追従の交りのみにて学問修行の本心之無きすら大罪なるに其上下種の大法を穢し失ひ候計りかと存じ奉り候、結縁にも成らざる上自他堕獄の基と存じ奉り候へば他門雑乱の場へ信施を費し候義を師としても許し候義、飲他毒薬を恐れざる事却つて師には非ずして大怨敵にて候はんと怖しく存じ奉り候、只当時世俗を欺き新来には物入有り新説夏は入用多しと申し金銀を貯へ絹布を重ね法衣を著荘りて喜ぶ迄にて御座候へば、是こそ廿六箇条の第八条の如く名聞名利の大衆は予が末流に叶ふべからざる事と聞いて驚きも仕らず、殊更近来祖師の御制誡と申す物之有る事も存ぜざる者多く罷り成り御門流異儀を修行し正行を失ひ果て候間、五百余年の先聖明哲の弘通所も年を経て衰へ行き候事かなと存じ奉り候、又夏に入る事は卅七条の御制止に候然るに談林は夏を修し剰へ自門に近来日中に夏を以て修行仕り候事他門他宗すら三時の勤行不断の寺々御座候に、当門開祖の御定●に御誡之有る義を打破り夏に入り夏を修し候事如何なる筋に御座候や委細御聴聞仕り度と存じ奉り候。
一、廿六箇の第九条に予が後代の衆徒乃至、本寺に詣で学文有るべき事、右此の学文の義を卅七箇の代六に、
一、修行学文の日は他宗に同じ摂受の行たるべき事との仰せなりと存じ奉り候、全く他門に交り候義とは相見え申さざるやに存じ奉り候。
一、廿六箇の第十に義道落居無くして天台の学文すべからざる事、○当門流に於ては○後間有らば台家を聞くべき事。右両条は恐れ乍ら御妙判十八巻大学抄の如く御題目を一日に十万返も百万返も唱へて後間有らば弥陀等の諸仏の名号等と仰せられ候御底意かに存じ奉り候、此の義如何御座有るべく候や御教示願ひ上げ奉り候。
一、当時の記に近頃触頭●に寺社奉行諸へ談林位階説法次第平僧貫職等の義書き上げ候間、無談の者御法事相勤め候て法論等出来万当一御尋ねに相成り謀書を上げ候筋に成り候はば品に依り御科め等に預り候ては怖しく候間、仮令祖師の掟は之有るとも先々当時の風儀に準じ候義然るべしと申す義も御座候、是は先年御尋の節門家の掟に違ひ中代の間違いを本に取り兼て公儀へ謀書を書き上げ置き候、当時に成り謀書を立て通さんとて祖師開山に違背仕り候儀如何なる魔鬼の自門に入り候義かと口惜き次第に存じ奉り候、所詮今日の風儀に準じ候はば当時は●く有るべく候へども来世は寂光の法王へ参詣も叶はず、若し相叶ひ候とも申し訳之有るまじく候へば当時正行に心付け候て師弟檀那同心の上は仮令今日領主に障へられ候て流罪死罪に及び候とも、本法立行に相違無き所の祖師開山に任せ奉り候はば出家道の本意を遂げ当詣道場の本意を遂げ申すべきやに存じ奉り候。
右の御尋ね●に書き上げ等仕り候は師子身中の蝗蟲か又は三障四魔紛然と競い起るの義かと歎かしく存じ奉り候、但し愚意は恐有り御法門聴聞願ひ上げ奉り候。
一、去る辰年法存慎終貫純三人の所化法事修行内々免許仕り候、其節其己前に御達し申さず候段は甚だ●からずと存じ奉り候へども前月に相成り申し出し候事故是非無き次第に御座候、其後御噺し富士より仰せ上られ候処御用之無き段是又富士尊前まで仰せ聞けられ候趣き内拝仕り候、猶又当年富士衆中より御窺ひ申し上げ候処御許容之無き旨承知奉り候、日海愚推にて差し許し候段誠に冥罰恐れ入り奉り候、但し領箇御条目化儀抄の御法事御作法の趣にては檀林の出世と申す義は愚見には相届き申さず候間、定めて御山にては広漠の御筆記御座候て慥なる事上代御明匠の御作法御座有るべく候間、抜出の御義聴聞仕り度存じ奉り候、夫も中古の御儀は却つて本拠に存じ奉らず候何卒御上代侃上己前の御義に天台三大部の出世勤学昇進に順ふべきの趣き御座候はば実成寺一門中異議無く拝掌仕るべく候、当時御老衰にて御労煩御面倒には入らせらるべく存じ奉り候へども御弟子衆中に仰せ書にも仰せ付けられ大悲大慈の御燐愍を似つて偏に願ひ上げ奉り候。
右等の条々御伺ひ申し度に付き当四月廿七日出立にて富士へ日海登山仕り御伺ひ申し上げ候へども慥なる御返示下されず何れ尊上へ御窺成さるべしと計り仰せに候間拠ろ無く御願ひ申し上げ候、若し又尊上師委しく御教示下し置かせられず候ては御門流の化儀則法躰の修行の大事相分り申さず候て衆檀一同頼る方無く信心落居成り難く尊じ奉り候、其時は如何が仕り申すべきや、猶又御書にて尽し難く思召し遊ばされ候はば其上は日海登山在るべく候先々愚札を似つて御窺ひ申し上げ奉り候、何分●く御慈恵願ひ上げ奉り候。
一、右躰申し上げ候義も愚弟慎終事当年三沢檀林へ差し出し申すべしと彼へも申し聞かせ名目条の素続出精致させ候、又蛇羅品も暗んじ候様其外台学の心懸け檀林読経の作法等承知仕り候様申し聞け候所、弥よ当三月下旬に罷り成り折々発足とて檀中へも暇乞に廻り候様申し付け候処、当時顕立房留守居貫純と申す者相頼み願ひ出候には当春中より御伺ひ申したく日々案じ居り候へども万一不慮の御呵責も有るべきやと日を延ばし候へども所念の一条御伺ひ申さぬも宜からず候間申し上げ候。
当地御入山己後万事先規に相違し両箇の御制帖又は郷上の御誓旨、尊師の御誓七箇常々是を以つて世間出世共に相心得候様仰せ付けられ候、又富士門流は一信二行三学と我上も仰せられ候と厳重に仰せ付けられ候通り何卒相守りたく存じ奉り候、然る処に去る夏此より談林へ出で候様支度仕るべき旨仰せ聞けられ候、是又昔の如きの御作法替り候様に存じ奉り候へども仰せに順ひ随分心懸け仕り候、然し乍ら御当家は御当家にて化儀法式学文共に御書御筆記にて不足之無く修行之有り成仏得脱弘通利益も御妙判の学文にて生涯中に成就成り難く又々常の信心行躰の御法門聴聞仕り候へば少しも他門の庭を蹈まずして修行も教化も満足仕り殊に成仏得脱は此の御門流に限るに落著の上何の不足にて檀林学文仕り候や、恐れ乍ら下拙拝見の分、聴聞の分にては彼の檀林台学は御制禁なりと存じ奉り候、但し外に檀林入学仕らず候ては成仏成り難き御法門御座候はば如何にも恐れ入り奉り候、若し又左も之無く候はば下拙所存には謗法の地へ好んで参り候事冥罰恐れ入り存じ奉り候、若し又檀林出世仕らず候には俗家の尊敬之無く教化弘経相成り申さず候はば随分相勤め申すべく候へども、当時寺向き去々年より不作相続続き今日の暮し方甚だ以つて困窮の砌りに候へば下拙寿命だに御座候はば一両年過ぎ候ても●く候間今年は御延ばし下さるべく候、何れに仕り候ても檀林に出で候へば道中と申し彼の檀内とても能き友は之無き物と年来承り及び候へば左様なる処へ信施を捨て候事恐れ乍ら郷上の御誓にも拝見仕り候無益の至りかと存じ奉り候、尚又当時信心仕り候分下拙聴聞拝見の分にては台学は如何にも謗法同座の筋と存じたてつり候所●く御伺ひ下され候様にと申す事に御座候、夫に就いて当門家の衆議仕り候へども決定仕らず俄に富士へ日海登山仕り御伺ひ申し上げ候へども御答之無く唯々房州へ伺ひ候て御答の趣き承り度との仰に候、依つて右様御伺ひ申し上げ候間前来にも言上の通り御苦労には御座有るべく候へども甚深大慈悲の思召を以つて能々御糺しの上仰せ書になりとも当門の御正意に相叶ひ候筋合の御答書状して願ひ上げ奉り候、左無く候ては是迄少し宛発言仕り候分も泡沫と罷り成るべくやに存じ奉り候、恐れ乍ら偏に御賢察願ひ奉り候。
序を以つて御内窺ひ申し上げ候。
一、葬送の作法、我尊上師廿二箇の口伝と申す事書写の書所持仕り候に付き当時は此の趣に準じ此の内より略出修行仕り候、是に付ても御両山相違候間僧俗共に異議申し候、当時は僧衆は屈伏仕り候へども俗家は兎角両山の当時を手本に仕りたき存念に候僧衆信伏の上は改め申すべく存じ奉り候。
棺天蓋等大幡小幡迄残らず御題目日蓮在御判と一々同様に書き申し候、然るに房衆にては一致の如く引導渡し候寺之有る様に相聞こえ候へども俗家の愚物は耳寄に存ずる事やに御座候、夫等は承上は御聞き成されず御存じ無き事にて有るべしと打消し置き申し候、廿二箇の御口伝に残らず御題目の幡なり、又先火の継ぎに案内僧次に幡一本次に大法華ひらき(開)計り一本莟は之無く候、幡は先に只一本にて候棺の上へ天蓋に付て幡一本御題目計りにて御座候、其次に幡一本前後三本にて候、然るに近比一致陣門八品同様に四菩薩を書き候事中代の間違ひなりと存じ奉り候、野位牌抔決して御座無く候皆々余門の化儀に罷り成り候事と存じ奉り候御両山にて是等の化儀化法御改め御糺し之無き故当時御信仰申し上げ候実成寺向の化儀作法先王先哲の掟の如くならざる事歎かしく存じ奉り候、後日漏れ渡り候大石寺妙蓮寺西山等の幡並に塔婆神座迄大方似寄り罷り在り候、当時富士流として要我尊聖の化儀秘訣を用ひざる門葉都鄙共に之無き趣き六条門の仁に承り及び候、然るに本元の御両山正しからず候事余りに残念口惜き御事に存じ奉り候。
一、三時の勤行の出仕日衆会日と申す事御座無く毎日同様に日中は公場天奏の替りとして客殿内経一派の摂受と御筆拝見候、然し乍ら当門は観心の上の教相立行なれば摂受の上の折伏等と修行し奉るやに拝見奉り候然るに他門同様に夏計出仕又は衆会日等と申し習はし夏中抔と名目を遺ひ候事乱の一条に候やと存じ奉り候。
一、定斎と申す事有るべからずと御誓誡には相見え申し候、是又御両山に計り御座候余山には之無き由承り及び候豆州には御座無く候、是等は如何の議に御座候や。
一、御同御客殿の御扉を毎日昼に開き夜は閉ぢ申し上げ候て然るべき様に存じ奉り候、御戸張は信者願の節宝躰拝礼有るべきやに存じ奉り候、是は如何に仕り然るべきや。
一、御堂に於て導師座の事。
化儀抄に慥に御定め御座候当日の導師は右座と御示教御座候、然るに正面に座し他門と別異之無き事如何の義に候や、此の節実成寺向き当七月下旬に右座に相直し客殿通りに座配仕り候、是は可否如何に御座有るべきや。
一、客殿内陣中央に礼盤安置候事は如何なる御法門にて御座候や、此の事是迄折々心に懸り候へども拝見も聴聞に仕らず甚だ心配に罷在り候、何卒相分かり候様仰せ聞けられ候義願ひ上げ奉り候、是等は愚俗の不断に難ずる所に御座候。
右の様言上し奉り候へば文中には何か御難渋申し上げ奉る躰の文面も出来候へども其は愚筆の及ばざる故と存慮置かれ候様願ひ上げ奉り候、只々信心心落著の為殊には近く開聖の誓掟にも門家の真俗相互に謗罪の見隠し聞隠しすべからず与同罪恐れよと御意も候へば祐成り時致の大将公の陣中をも怖れざるが如く、当今法主の眼下に此の如き愚章を以つて恐れをも顧みず候処、只々未来の呵責現身に当つて怖ろしく堪え難く存じ奉り候、将又右様御大事の中の御伺いに候へば益す慥なる使僧にても差し上ぐべく候へども、皆々病身困窮にて惨状すべき者御座無く又不要の族は達者にて候へども却つて船便町便には劣りの者に御座候是非無く便風書札のみにて御伺ひ言上奉り候、何事も恐れ乍ら御在命中に思付の分も聴聞仕らず候ては其後聴聞相望の仁覚束無く存じ奉り候、是非是非此度大慈大悲の御利益偏に願ひ上げ奉り候、誠恐誠惶謹んで言す。
豆州実成寺日海稽首。
捧げ奉る中谷山頭尊聖前御披露。
二、房山日承の答文   日由の写本に年月記名共に缺けたりと雖も左の記文が問答の中間に挿入せられ又答文の終わりにも一句の文ありて、当時正本在りしも今は散失せるか、此の入文頗る猥雑なるは老病中にて修辞に専なる能はず近待漸く写して豆山に送りたるか、但し日海に宛てたるにあらずして惣門中に与ふるの筆致なれば、或いは日海に野心ありと見て門中を教誡する三山長老としての老婆心なりしかとも思はる、日承は妙本寺卅三世にて文政七年正月廿一日七十二歳寂と同寺帖にあるが故に此の答文も其に近き文政六年己前の事とすべきか。
(私に曰く右の通り豆州より房州へ難題申し来り候処、承尊師折節御老病にて御座候へども拠ろ無く明白に御答遊ばされ候分は奥に書写し申し候、後代御一見の御方一返の御首題頼み奉り候、時に文政十一子卯月廿九日、浄本房日由在り判)去る八月出の日海より難題の書状九月十二日参著、折節盆後より老衰の故か何となく眼眩々暈頭痛気分宜からざる処に八月十七日其辺は如何に候や此辺余程の大風松竹折れ三四本も松根返へし此の伐木にて御会式前小造作彼是に付き書状捨て置き申し候、御会式後とても気分宜からず候へども御会式前よりは頭痛晴れ候間会通に相懸り申し候。
難題の条々凡十三四箇条、条々ごとに小難三四箇条惣して卅箇条に余れり其詮を取れば去る辰の年法在慎終貫純三人の所化ども私を以つて新説免許致し候処、其自門も証知せず両山以てて取り用ひず是を残念遺恨に存じ態と久遠寺に登山し日眷に難題申す所句れ果て房州に譲り来り候処、第一の談林勤学は興上御門流と云ふより去る辰の三人の所化と云ふまで七箇条●に小難、文言は替れども其心地章々繰返し種々様々書き立て候へども、其詮は只々三人の所化どもの山許を取用ひざる遺恨より外なし、其外聞きたしなどと云ふは皆附たりなれば心中計り難く何となく疑念致され候、右件初に申す通り老病心中朦朧として文段工夫前後忘却文字も忘れ平か(仮)な(字)片かな交り思ひ出づるに任せて文段申し候間、文面の前後文字に構ひ無く只々其詮を取り下さるべく候、其訳は他門他流の僧徒日海文段に顕はす如く相心得弁舌申し候はば他流僧は日海大悪僧彼が実成寺の御上人にやと嘲弄致すべくと存じ是が残念不便に存じ候間、拠ろ無く老衰の心苦を忍び思に任せ難題に順じ酬答判詰申す迄なり、難題繰返し繰返しの難問故返答も同事を何度も申す笑ふこと勿れ笑ふこと勿れ笑ふこと勿れ各御一見の後は火中々々、日海々々とも名を呼べども悪口に非ず問答の法なる故なり。
初に談林勤学は天台学文なるの事自他の定判に存じ奉り候、自他の定判と知らば章々段々難ずべからず。
第一の難題に云はく談林勤学は興上の御正意不正意に候やの事。
興上は遺弟等の飯を喰ひ箸を取ることまで掟し給ふと覚えたるか宗義の代義大網を知らざる故に網目の種々の疑念起れり先づ其宗義の大網を顕示せん、蓮祖は釈迦一代五十年の説教判教の師に非ず天台大師一人判教の師なり、釈迦如来一代五十年の説教を四教五時と分別し此の教相を以つて諸経の中に法華経計り一切衆生皆成仏道の大法、一切諸仏出世の本懐只法華経に限ると諸経中王最為第一と判じて法華の宗号を立て給へり、陳隋の二代の聖主崇敬し給へり、蓮祖大上人の末弟等天台の四教五時の教相を明めずんば法華の法門微妙深遠なること知り難しと思召す故に末弟等の為に釈迦一代五時の系図を御制作あり両山に御真筆あり其外種々あり、録外にも二三箇処あり少しづつ広略の不同あり諸宗の人師の判教祖書の如し、扨て談林と申すは此の四教五時を習学する処なり談林は四教五時の教相学問問より外なし祖書等の取扱ひ堅く禁制々々々々、此の四教五時習学の上にて法華の一経の中にて本迹対弁の時一致勝劣一品二半八品寿量の一品と流義を派つ祖書天台の教相釈義を以てて論判致すなり、談林は四教五時の教相計りの学文故一致勝劣の差別なく一同法華経の学文なり、斯の如く法華経の学文致す処は四教五時の教相判釈を習ひ学すれども天台の行相は用ひず、勝劣の談林は勝劣の行相、一致の談林は一致の行相にして台家像法の行相に非ず只是判教を習学までなり、天台大師釈迦一代五十年の説教を四教五時と分別し是を権実二教と釈す此の権実に付三種の権実十種の権実あり、此を四句に縮めて一切皆権、一切皆実、亦権亦実、非権非実の四句と釈す、是に付き約教約部、与奪傍正、当分跨節、教妙部妙、開●顕妙の重々の開会を釈す、当分は法華に来つて相対妙となり跨節は法華来つて絶待妙となり爾前法華対弁して種々様々の勝劣浅深尊卑高下を判じて法華経計り勝れたる事を判釈し給ふ、談林には名目条箇は妙法蓮華経習ひ始めのいろはの如し、経に曰はく於一仏乗分別説三とも雖示種々道其実為仏乗とも、爾前経は法華経の片端より施し出したる経なり法華経に引入れして仏になさん為なり法華経一経を釈する玄義十巻に妙法蓮華経の五字を釈して名躰宗用教の五重玄を以つて釈迦一代の経は申すに及ばず惣じて十方三世の諸仏菩薩微塵の経々一字一点も残らず引集めて七判共解五重各説に経て釈成して法華独り成仏の法と決判し、又迹門の十妙、本門の十妙、迹門十重顕一、本門十重顕本、本門十妙の中初に本因妙二に本果妙三に本国土妙乃至寿量品の我本行菩薩道は本因妙、然我実成仏己来は本果妙、我常在此娑婆世界は本国土妙三妙合論の釈なり、始めの本因妙に始中終あり始は名字凡位、中は初住、終は等覚なり久遠五百塵点の本因下種等の事、本門久遠を元始と為し中間三千塵天は熟益今日脱益等の事、又十重顕本の中の住本顕本唯本無迹の御法門当家依用の釈相どもなり、興師流義の出生なり興師の末弟等知らずんば有るべからず。
文句十巻始めの如是我聞より終り作礼而去に至る迄字々句々に因縁約教本迹観心四釈に経て一代聖教は云ふに及ばず三世十方の諸仏菩薩の所説まで一字一点も残らず解釈して勝劣高下を判じ法華経計り一切経中に最上一切所仏出世の本懐一切衆生皆成仏は唯法華経に限る旨を判じ給ふなり、此の天台の釈相なくんば御経文は闇夜なり、誦出寿量の下の釈相内鑒の釈多し釈迦即日蓮の義味あり興師流の依文の出処なり知らずんば有るべからず。
興師流の出処玄文止本末に散在せり此の釈相拝見に内鑒冷然外適時宜の御相伝あり、止観は天台己証の法門なり、此の三大部の本末諸経と法華経と種々の勝劣高下を判ぜり、法華折伏破権門理は天台の常談なり故に興上師は蓮祖の四箇名言は天台の助言との給へり、弘経に付き玄の一に三種の教相を立て給へり、宣伝弘通師に正助傍正四重の興廃あること、一には根性の融不融二には化導の終始不終始三には師弟の遠近不遠近と妙楽云はく前の両意は迹門に約し後の一意は本門寺に約すと、天台は第二の教相迹門、蓮祖は第三の教相本門となること御書卅一の如し、勧持不軽と安楽品と経文相違の事は妙楽の記の十に十別の判あり、摂折二門は止の十、正像末三時の事、機に本末有善本己有善、行者に随信行随法行は三蔵の下見道位四諦六度十二因縁何れも一代五字に亘る益に種熟脱の三益の事、六即七位の事六の故に簡び即の故に初後不二、六即の内分証の中の位に於いて住行向地等四十一位の事、種脱は法華経に限る事、金山の対論抄中正論抄に委悉なり、半満、蔵桁、権実、本迹、種脱種々無量の相対を以つて法華経の勝他独顕の妙を釈成し給へり、教権なれば位高し教実なれば位下し竜樹天親は分証の位に居て権小を弘め天台は観行五品の位に居て法華迹門を弘む、蓮祖は名字凡位に居て本門を弘む、是皆天台の釈相の深意なり、大概先づ是の如し。
蓮祖五箇の教相天台の判教に依つて四十巻の御書も天台の教相に依つて釈成し給ふなり、既に蓮祖天台の教相に依れり興上豈背かんや興上のみならず日蓮一宗一同の教相同断なり、是即ち宗弘の為の自行学文と云ふことを知らざる故なり、当家の百六箇の本迹種脱、本因妙抄の種脱皆是天台の釈相に依り給ふ、天台の釈相に内鑒外適の両段あり、内鑒の時末法に於いて釈迦即上行々々即日蓮出現して本門寿量の題目を弘むべしと知らぬふり余処に致し判じ給ふ、蓮祖は機無く時無く付属無き故と遊ばす、外適の日は天台伝教当り前の迹門を弘め給へり、依つて吾外用の師伝教と遊ばす之を思へ、内鑒の文を出ださば後五百歳遠霑妙道、此の文は法師品の流通を釈する文なり、伝教大師の末法太だ近きに有りは守護章の文、地を尋ぬれば唐の東羯の西等の釈相は秀句の文、何れも法相宗徳一を破る文なり、是を祖書に遊ばす時末法に日本国に上行菩薩凡夫となりて流罪死罪の大難に値うて本門の題目弘通あるべしと末法蓮祖の行状見通しの判釈なり、南無妙法蓮華経々々々々々々々、日海祖書●見の故に談林修行を謗法の様に思ひ弟子慎終は丸々謗法と相心得此の心得にて他流僧に弁舌致し祖はば横手を打つて笑はん大恥辱強難を得べし各々御推察あるべし、興上の台学すべからずとは釈相を嫌ふことにはあらず天台の行相と釈相とに訳あることを知らず五人の学者達観の師を捨て天台釈門と名乗り迷へり五人さへ迷へり況や末代の凡愚をや、日興が流義の法門能く合天せば晴天に日輪を見るが如く而して後台家を師伝して聞くべしとの事なり釈相を嫌ふ事には非ず、夫れ興師流義を立て給ふ天台の判教と蓮祖の書釈とを能々見澄し天台蓮祖の御内証を採り得た上にて立て給ふ流義なり末代凡愚の及ばざる処なり、要師仰せに云はく当家の法門宿習に非ずんば知り難しとの給へり、我師一義を示して此の如く日我信を付け奉るなりと処々にの給へり、要我両師さへ知れ難しとの給ふ処を小僧所化どもまで猥はしく観心の法門其儘教へ申し聞く冥慮恐あり必ずも間違いあらんこと必定其罪何方へ行くべきや恐るべし、当家観心の法門重々至極統り取て示し給へり依つて処々に内談々々と仰せなり他見無用、不可口伝、不信浅学千金を与ふるも不可授与等と禁め給へり秘すべし々々々々、我師はく疵片輪を隠す如くすべからず能き聞手、本場所にて申すべしと、承私に云はく経釈の土台を能く知り覚えて申すべしと云ふなるべし不信浅学に見すべからずとは浅学未練は深意を浅意とし経釈を知らずば他難嘲弄せらるべしと云ふことなるべし、両山は新説己前の僧には見せ申さず候新説己後の所化には内学と申して当家拝見申し付け候、此れに依つて僧檀共に当家の御法門奥床しく有り難く存じ候、其給は小僧所化どもに直に当家を教ふる故いかにも当家軽るく相成り六つかしくも之無く只是檀施を貧らんための様にて興目己下要我の御尊意軽く相成るかに存ぜられ候。
京都要法日辰、祖書廿五太田禅門抄の要師の御談を見て破して云はく久遠寺一味房州妙本寺日要御書を作り直に注解せりと云へり、先年久遠寺西山取合の砌り西山より日我小刀細工法門と破せり御用心成さるべく候、当家の法門心得違ひ申して小刀細工と笑はせ候はば我師を殺し奉るに非ずや、其辺に西山末檀あり、先師日縁●に要宣俗に治右衛門此の人々の如く致さるべく候。
第二の難題。   興目己後要我の頃の事、文檀に今日名聞分は宜く候へども三世に亘つて本地の法王の御前冥罰如何、今日の名聞分は宜く候へども実成寺小門中貧僧ども談林出世来かね申すべしと歎いて有りたき文段なり、然る処に三世に亘つて本地法王冥罰如何と此の法王とは何人ぞや此の下反難すべし、先づ慎終等の三人新説取り用ひざる意恨の難題なり一座の説法軽々しき事に非ず当家に七箇の相承あり、猶又慎終等の三人不便さよ出家致した甲斐も無く出世の妙地に入らざる手前、得手に新説許せども元の地僧なり檀家の不信不敬無慈悲邪見の至り仏法の大判に背けり是こそ亘つて本地の法王の御冥罰蒙らんこと必定なり一笑に堪へたり、興日己後要我己前関東に談林なし要我己後間違い多く候て取るに足らずと軽蔑する故幸なり、凡夫法は逆縁の化導折伏弘通の時節なり智者学者に非ずんば叶ふべからず宗弘の為智者学者にならんとて自他宗の知識に随し或は学室談林あれば幸なり便を求め取入つて学問修行、智者学者になれば蓮興要我の御本意又掟なり、自行妙宗に闇ければ他を益して功無しと釈して宗弘の為に自他宗に交り学文自行を致すなり、然るに天台五時の判教を能々稽古学文致せば他宗他家の経論釈書に渡らずとも自ら相分り候間出談致し自行修行を励む処なり、只是天台の判教釈義を学迄にて像法の行相は用ひず日蓮宗末法の行相なり。
興目己後○談林位階自門位階取り用ゆる事。
愚難なり此の難●れ果てたる愚中の愚難なり前段に申す通り日海は先聖師が末弟等の飯喰ひ箸の取りかた迄掟し給ふかと云ふは是なり、凡古今とも自他宗一統学室談林を立つるは宗弘自行学文修行なり仏菩薩も化他利生第一なり、房州に禅真言の談林あり此辺の山方自他入り込みなり檀用等の砌り立合ひ住寺●に判僧に上下の座配あり、法華宗に於ても寺持は各禄位あり所化ども禄位無くんば何を似て座配を定めん、大山一本寺諸末寺より所化ども五十人百人集る皆談林の位階に従つて座配す、手の平程もなき実成寺井中の衆門は如何様にもなるべし小本山の中小本寺の両山さへ定め難し、先年廿年程己前西国自国所化ども十六七人台所に同宿す万事檀林位階に随ふ故そう(騒)ぞうしくもなし又宮殿御堂出仕座配異論無し、細草檀林の規格は条箇は玄義の前にて煙草ならず平座ならず帰国の上にても此格を用ひ、条箇は玄義塔中の前にて煙草平座ならず玄義なりとも新節己前は貫首の前にては煙草ならず己後勝手次第、凡位階座配は在俗の一村一家の中にも貴賤を分つて上下世出世共に位階座配混乱せば騒動異論の根元なり、是を以てて知るべし座配を定むるは治世安全の為なり実成寺は御上人も庭掃も道心も所化も末寺も泥田にして同様無差別に候や笑ふべし、若し無差別ならば後来衆門大乱の実成寺廃退の根元なり恐るべし慎しむべし是等をこそ本地の法王の御咎之有るべき事疑ひ無き所なり。
一、興目の事。   此の難知つて云ふか知らずして云ふか蓮興目の三師は元来天台真言の僧なり蓮祖御年三十二歳の時初て題目を唱へ初む是月支漢土に之れ無く日本国に初めて始る宗旨なり、夫より後正嘉の大地震に驚いて岩本実相寺の経蔵に入る、興師は実相寺の学頭にして蓮祖の御弟子と成り給ふ、目師は奥州羽黒山の山伏なり興師の御弟子と成り蓮祖に七箇年随身給仕し給ふ、蓮祖は三度天下を諌め給ふ折伏弘経闘諍堅固の時節なり御弟子方又折伏の師なり何ぞ法華宗の談林と云ふものあらん御弟子上中下の位階思召のことなり日蓮宗草創の時分なり、蓮祖御入滅興師御離山富士大石寺北山に学頭職を立て給ふ是学室なり御書講の一時々々に天台の判教講釈ありと見えたり、要我の比そろそろ学室出来と見えたり、尼崎本興寺の学室二代目の能化といへり要我の事は此方よりも京都勝劣門徒衆委悉なり、此地有徳の僧衆に各官名あり是位階なり此の訳其の訳と記録の人なし故相分り申さず、学室と云ふは往古は諸宗に之有り今本檀林に致すもあり致さざるもあり、学室は一本山一山各々有り両山も古はありしにや只今にても建立勝手次第一往届くる迄なり、檀林と申すは遠からず権現様己前己後に始まれり天下に御訴へ申し上げ候学文所なり、学室は手前談処にて伴頭能化まで出世致すとも一山の貫主とせず、之に依つて各々天下御免の談林へ罷り出て出世致す者なり。
一、一山の貫主必ず伴頭能化に限らず人徳志能き僧を撰むなり其故は仏法久住寺の繁栄は住寺に依れり、たとひ伴頭能化なりとも身の上を荘り口腹を養ひ金銭に著し己身の安楽のみを思ふて衆門檀家の不帰依の僧は住職致さず往古末代同断なり寺々坊々順なること知るべきなり、他の伴頭能化達を見るに平寺にて空く過す人多し。
一、侃上己前房州戦国の故要我御両代の妙本寺は陣屋となれり我師は上総国金谷出城に引越し当家の出世具共に出城に持ち運び置き候処兵火にて出城焼失し当家の書多く焼亡す、古来乱道戦国の時を以つて当時の御治世に擬難すべからず。
第三の難題、廿六箇の九条、器用の弟子に於いては師匠の万事を許容し御書己下諸聖教を教学すべき事。
此の箇条を真最初に引く事弟子味噌に候へども偏学愚盲諸人笑ふべし謬り一に非ず、此の御箇条小僧新発意の事に非るか、聖教の事聖とは惣じて仏菩薩二乗を聖と云ふ別して仏を聖人大人と号す、教とは聖人下に被むるの言人聖法を弘むる故に聖人と云ふ此の聖人釈の文旨を解釈したる抄なる故に聖教と云ふ是只当家観心法門の名目遺にして他家不許の義なり、若し経論を解釈したる聖教と云はば天台の三大部も聖教と云ふべし云ふ強難来らん、要法寺日辰富士に聖教無し房州の日要当家の書を聖教と云ふと笑へり。
一、我師諸所御巡学権者の所作なりと。
此の義他流の僧之を聞けば横手を打つて笑ふべし凡仏菩薩内証高妙を隠し種々の形を示し様々の所作は実凡愚人を引き仏道に入れんための御慈悲なり妙楽曰はく権化実を引かずんば権化徒に施すならんと、我師末代の末弟を引くに非んば我身の名聞栄耀に巡学し給はば徒者の悪名を得て仏罰を蒙むり給はんこと疑無し、我上を讃るに似て還つて我上の心を死すに非ずや。
一、今時の愚僧より下の文段不都合なり動もすれば物知り顔にて仏語を引けり下種結縁とは何事ぞや一笑して答へて云はく道中の売女の事か一笑々々、世の諺に曰はく道を作る人あり道に迷ふ人あり迷ふ人の咎にして作る人の咎に非ずと云ふが如し何ぞ談林の咎とせん。
一、飲他毒薬の事。此の例文不学文盲笑ふべし笑ふべし。
天台文句の九に曰はく他師の法を信受し他の毒薬を飲むと云ふと釈せり天台大師は邪師に非らず判教は毒薬に非らず、然らば天台の判教毒薬ならば蓮祖の御書判興師の流義も毒薬となる事を知らず文盲にして経文を引けり、蓮祖は我外用の師伝教大師との給へり況や天台をや、天台伝教蓮祖の釈義に内証外用の両段ある事を知らざる故なり、夫れ天台大師は本地等覚無垢の大仕薬王菩薩なり本地薬師如来にて法師品の時因薬王菩薩と説かれ八万大仕の上首なり、迹に天台と名乗り観行五品の位に居し釈尊一代五十年の説教を判釈せる仏意契当の明師梵漢に比類なく釈尊二度出現あるかと自他宗一統称讃具に祖判の如し、何ぞ此の判教を学問するを指して飲他毒薬と云ふや謗法毀人の大罪人転々無数劫不便不便。
一、只当時世俗を歎き新来物入り等の事。
仏菩薩は四悉檀を似つて一切衆生を化度せり此の四悉は世出世に渡る在世滅後替れども三世九世替れども化度利生入理は一なり、譬へば世間の子供に物入り候て養育するは壱人前の人にせん為なり、出家も又是の如く種々に物入れ候は壱人前の坊主にせん為なり出家致させ候上は出世の檀林に入らしめ宗々宗弘自行の学問修行を励ませ候事自他宗一同の義なり、然るに談林も之無くば出家致すも甲斐無く親類縁者の歎き檀徒の不信不敬は無慈悲邪見の豈師の大罪に非ずや、凡出家の資縁助力は仏門の常例なり自他宗一同に欺くに非ず在家は財を施して出世を致させ法施に預るべきためなり、然るに自由勝手を以て談義を許し檀徒は信ぜず敬せず先聖に違背し三宝に不孝す豈大罪に非ずや、縦ひ談義を許すとも地僧なり一坊一寺預り候とも内証は兎も角も出世僧と申せば檀信あり無出世僧と申せば檀家並に世上軽賎を致す弟子を世上に軽賎致させ候は豈師の恥にて大罪にあらずや、然るに談林悪き故に道中も悪き処と申し立て候事貧慾強盛無慈悲の至り自他の人々此の邪見を許さんや、学不学は出談不出談にはよらず其の人々の性質の徳不徳なり、出世は世界悉檀なり世界歓喜なり歓喜すれば信心起り坊主一人前となれば豈三宝供養御奉公の第一に非ずや如何三人の所化ども不便不便、又出家の資縁助力を以て欺くと云はば寺の普請勧化も又檀家を欺くなり所化の勧化も寺の勧化も同断なり、是を欺くと云はば不信の檀中是を聞けば大に悦び寺の普請勧化に付くもの有るべからず、是即ち両山の掟を無理無躰に折破らんと欲する邪心顛倒種々の謬を書き散せり後執恐るべし恐るべし。
一、廿六箇条名聞の事。 分限に過ぎたるを禁め給ふなり服は上下貴賤を分つ内外の常例にて貴人の前の●服は礼に非ず敬を失す出世にも常例なり。
一、卅七箇条の事。 禅宗(専用禅宗破なり)定斎とは八斎戒の事か暦道の斎日の事か何れか知らず禅宗専ら夏に入り夏を修すと申し浄土真言も同断と申す噂なり、父母重恩経の注抄に云はく仏在世安居に入ると云ふ則夏の事なり夏の字の意知らず、承私には云はく夏は限期の義か万事の所行所作に年月時にち限あり仏在世安居に入るに前中後の三位あり四月十七日に入つて七月十五日一夏九十日自恣日と云つて終とする有り、又五月十六七日に入り八月十五日開夏終とするなり入るは四月五月に限る定日なし何れも九十日を満とす、興師の所破此の禅宗等の他宗の致す所の事なるべし。
三時の勤行年中なり右今同断なり但し古来日中は年中なり、末代三時の勤行は塔中衆中式日計り、日中も式日、志の信者は出仕し只貫首一人勤行す塔中衆中は檀用世用多き故に御免か。
談林の夏の事、他檀は知らず細●は二八月二日物読始め六月四日霜月廿四日夏末とす春百日秋百日は仏弟子一夏九句の行相を表するか意味は知らず百日日中と云ふも何日比より始まれるか知らず是も右仏弟子一夏九句の行相を表するか盆彼岸の如し、盆彼岸他経の説なり此の夏の事も他経の説なり世界応同して定め給ふと見えたり、惣じて世界建立人天の因果等種々様々の事どもは諸経論に散在せり法華経は唯成仏の骨目を説く其外は他経にあり、天台云はく当に知るべし此経は唯如来説教の大網を論じて網目を委くせずと、妙楽云はく皮膚毛綵は衆典に在りと、法華大王の御用として今の時他経を引いて証助し給ふ事天台蓮候の御定例安国論の如し、諸経中王法華経大王の御成敗の規模定例なり御書卅九の廿九拝見申せば相分り申すべく候。
難問の条々往古の例を以て当時に当て候事御思慮我儘か仏法は三世常住なり三世常住の仏法だけに時に随つて弘不弘行相色々なり、儀式法式も時機国風に随つて広略之有るべきか、古は戦国今は治国なり、古は人正直今は人不正直、古は人正信、今は人邪信古は貧慾薄く無常を恐れ寺向き普請の志強し、今は貧慾厚く無常を恐れず寺向き普請の志弱し古は寺些し又堂坊少し今は寺大に堂坊大多なり、古は檀家少し今は百二百に余り、古は寺領僅かなり今は寺領山林多し古は百姓無し今は百姓を下され寺用を勤め諸役御免なり、此の外種々様々古今世事大に相違多し世用檀用甚だ多し若し世法等閑に致し候はば必ず寺は困窮諸堂零落に及ぶ。然れば衆多の檀那の人々を教化し堂舎僧坊の修履造営を致し仏法久住寺繁昌三宝供養なり、年中を百日に縮め候とも罪になるまじきか、承愚案に又此辺は年中参詣なり百日の夏始まると別して日中参詣打寄り来る僧檀一同に題目口唱申すなり、さなく候ては僧檀一同題目口唱なし百日の間僧檀一同は唱題目修行す、如何なる不信者も夏中に参詣致すものと相心得盆正も参詣なき無信者も四五度位参詣致し候、然れば百日と取詰め申す事還つて信不信共に参詣仏種を植る事仏法も寺も繁昌三宝御奉公かと存じ候是又愚案用扶養御勝手次第に候。
右件申す通り盆彼岸夏の事他経の説なり自他宗々共に仏法の義は天地の相違なり、日中は爾前迹門の謗法を対治し法華本門の正法興隆広宣流布の御祈祷なり。
近来祖師の御制戒とは知らず写し送り下され候難条の中両箇の条目とは廿六箇と卅七箇と両箇の事か、外に箇条等之在り候はば写し送り下さるべく候。
第四難、廿六箇条に予が後代の衆徒権実を弁へざる間は父母師匠の恩を振り捨て出離証道の為に本寺に詣で学問すべき事。文中の権実とは天台の判教の事なり祖書も此の判教を出でざる故なり、前段に申す通り興師大石寺北山に学頭房を建て給へり一本山々々々に必ず学室建つべき筈なり人無き故に残念、卅七箇の第六に修行学文の日は自行なる故に他宗に同じ摂受の行なるべしとは次下の七箇条の身口意の三業に折伏修行すべしとの御箇条等より見る時は自行の学文故、身業は他宗と同交すべし口意は内証なり表面他宗とり同じて摂受行なるべし、是全く他宗に交る義なり左なくば他宗に同じて詮なし上の廿六箇条と今の卅七箇条とは天地浦原の相違なり。
第五難、義道落居無くの事。
興師の流義は義道を能く合点せざる間は台学致すべからず、なぜなれば台当両家の法門五人の衆は時に随ひ隔異ある事を弁へず伝法の法門似寄り候て初心浅学迷ひ易し、五人の学匠さへ伝付の祖判に迷ひ天台沙門と名乗れり況や初心浅学の愚弟をやと云ふ意なるべし、次の御箇条に当門徒に於いては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間あらば台家を聞くべき事、御書中に外小権迹と内大実本との相対又種脱色々に相対門あり三時弘経の中に末法は本門寿量品の題目に魂留つて居る訳と能弘の導師下種本因妙の本尊仏との訳を師伝すべし、其上に間あらば台家の教相天台の所弘の法などの教相観心の行相等を聞くべしと云ふ意なるべきか、恐れ乍ら義道落居と師伝とは興師御内証百六箇本因妙抄合しての上の両箇条と拝信奉り候、御書十八大学抄に非ず十一の題目抄なり此の御書殿中問答に委し、此の殿中問答抄東浦二箇寺所持すべし富士妙円寺も所持か慰に一見成さるべく候越後本成寺日院の抄なり。
或人云はく此の題目抄は蓮祖叔母天台宗念仏者なり又領家と云へり此の領家と云ふこと或説に往古公家の領地を領家と云ふ(編者云はく此下五百余字全く無用のものなれば略す)。
第六難、当時の義に近比触頭並に寺社奉行の事。
此の段魔心愚心謬り一に非ず只是三人の所化どもの意恨邪執より種々様々誠に井底の蝦蟆大海を知らずとは日海が事か、凡天下の御作法自他宗一統なり、何れの寺か僧かに付いて事あれば順に御触之有る様に存ぜられ候、此の談林位階は御触は無しなれども部々之有る故に位段別して位段階御尋有る様子愚案候なり、自宗か他宗か一山一本寺の住僧か其外の僧かに付き異論起り御公訴に相成り候事と推せられ候、之に順じ一山一本寺の貫主等に付き談林位階等委細書御改め仰せ付られ候と相見えたり、凡触頭一致勝劣して拾五箇寺あり此の拾五箇寺毎月両三度づつ内会あり物入多しと申す噂に候、此の十五箇寺各々談林を扣へ各触次ぎの寺当あり此の十五箇寺月番あり御奉行所の命を受け触下々々へ触告ぐる、触次の寺々より本寺々々へ触れ来るなり、談林には条集玄文と四郎を立つるもあり又名目と条箇と集玄文と五部に立るもあり、止観は諸談林共に読まざる噂、是は学者打集まり談合読致す噂、細茲談林も往古談合読の噂残れり皆共に同く天台判教教相学文の自行なり、細草は四部と立て申し候丸山芝触下の細草談林に罷り出づる諸本山は富士五山、岡宮房州、京都要法寺、本能寺、妙蓮寺己上十箇の本山なり、此の本山一同に談林の位階同断の書上なり一致叶門等も四部五部の不同あれども位階等の書上は同断なり、然れば日本国日蓮宗の談林位階一同なり日海独り禁物せば日本国には居るべからず、是則我慢偏執の故魔鬼蝗虫の心中に入れるか悪鬼入其身は是なり実成寺の井中に居て天下の公談を知らざるは山人が洛中を知らざるが如し諸人の嘲弄恥づべし々々々々、両山細茲談林へ出始めは日甫師が沼田談林文句の時より出始めなり是より両山細茲出談近来の事なり。
天下へ謀書を書上げ候とは何日頃に候や其証拠を出すべし先年書き上げ候謀書とは何様に書き上げ候や細草へ出談は近頃なり此の方入要の事なれば必ず扣へ有るべし然るに更に之無し又見聞伝説も之無き事なり、全く是無失者に申しかけ致す不届の大罪人只是●覚の愚案か去り乍ら慎むべし々々々々魔鬼蝗虫の悪口過ぎたり、前段には本地の法王と申し此の段には寂光の法王と云ふ法王二人出現せり破国破法不吉の義なり魔鬼師子身虫の蝗虫は日海に譲り渡す、汝に出でたる物は汝に帰る井中の実成寺乱心騒動の先兆か恐るべし慎むべし。
此の外法衣の改め書上の事、新説己前は麻衣絹袈裟新説己後は綟子衣綸子等の袈裟、役寺役僧総紋紗、縫ひ紋貫主一人に限る新説は玄義、弘通は文句己上、談義は廿八品何れも仕り候へども寿量の一品に結帰仕り候、此の法度を取用ひずば寺持すべからず強いて募らんとせば法難起る天下の公難恐るべし慎むべし只無我の信心に任ずべし。
寺持ち貫主並に坊持等の事、前段の如し、末代当時は寺建立普請造営致す坊主は上々吉の総なり末代多くは口耳の学者なり取るに足らず口耳の学者とは耳に聞いて口に漫言を吐く輩なり、愚鈍なれども能く山を守り堂坊のはき掃除田畑山林を能く守り信志を励まし因縁の種子小善成仏の掟を守僧は上々吉の名僧と存じ候間衆紋塔中皆々普請造営を勧め申すなり、普請造営の志あれは身持心持能く成つて諸人帰依申す者なり。
一、無談無出世の僧の事。 他宗他門は相手にせず出談僧は談林腰押するなり、当時問答御法度故に本寺本山に惜無き様浪人と成り折伏弘通致す江戸に専ら流行なり。
文面条の中に本地の法王、下種結縁、飲他毒薬寂光法王、小島の主成仏不成仏と種々様々に仏語を引けども偏学習ひ損ひ故文段不都合各々慰み目覚め候、寂光の法王を難ぜん。
                                     一、来世寂光の法王に参詣叶ふべからざる事。此の段来世は遠し近く現在にて論ずべし我執を離れたるを寂光と云ふ、此の法王は未だ我執を離れず異論を好めり知りぬ修羅王か、衆生の済度は仏菩薩の語本意なり談林出世は衆生化度の為なり既に衆生化度を嫌へり此の法王は魔王か、化度衆生は四恩報謝なり既に四恩報謝に背けり此の法王は寂光を追ひ出されし浪人の法王なり仏罰に依つて飢人と成り道辻山野に参詣せん筆を投げて一笑。
一、小島の主に障へらるる等の事。此下の段障魔紛然として取る処無し弟子愛著無明の酒に酔ふて影弁慶ならん、小島の主と折伏弘経の太刀を遺ふかとすれば忽に本法立行の臆病となり狂人の如し一笑々々。
第七難。去る辰の年法存慎終貫純三人、此の難問の返答前段の如し繰り返し々々々々申すべし動もすれば化儀抄を出せり、化儀抄は当家の化儀抄にして談林の化儀に非ず其上此の抄は内談の為なり非学者に見すべからずと禁め給へり恐れを顧みず猥りに申し談ず、又此の抄に一切衆生の成仏は本門寿量の南無妙法蓮華経に限ると聴聞して信じたらば化儀法式難ずべからず只先聖の法式と云ふべし、彼是申し立て候は不信謗法仏敵法敵との禁めをも恐れず我慢申し募り種々申し立て難ずる事無漸無愧の大罪人なり。
凡談義説法は軽々しき事に非ず一は先聖に七箇の相承の掟あり二は天下の御触れに説法は住寺か其隠居か致すべしとの御触れなり、爰を似つて塔中衆門の説法致すは住寺の代なり所化なりとも説法僧は重く取り計ひ申すなり、其方は知らず両山の掟は所化なりとも其科註箱長柄供人付けて登高座致させ候是則大法尊重の故に人亦貴き義なり、然るに日海世出世の掟に背き二才小僧共に浄瑠璃歌の如く易々と説法を許す、一には仏法軽賤に非ずや二には先聖違背に非ずや三には天下の御触に背けり大罪申し難し。
両箇の御条目度々出せり文面知れず写し下さるべく候、縦ひ蓮祖の掟なりとも四十巻の御書に背くべからず興師の御意なりとも廿六箇卅七箇に背くべからず、蓮興不惜身命折伏弘通の御教誡なり折伏弘通は智者覚者に非ずば叶ふべからず、蓮興は昼は弘通し夜は睡を断ちて学文すべしとの御教誡なり又宗弘の為に自行なる故に他衆に交り学文すべしとの御箇条なり、然るに末大他宗の僧徒は法華坊主と見れば決して談林学室に入れず其故は各々宗旨の深義を盗み取るだけなりと嫌へり、爰を以て出談致し天台の判教を以てて他経他釈を破斥し法華折伏破権門理の元意を学問す、是則不惜身命折伏弘通の御教誡を守り自行修行の談所なり。
侃上己前関東に談林なし談林は遠からざる(年代)事なり、是より下前段の如し、なれども繰返して申すべし日海は日蓮宗は唐天竺より渡れる宗と思へるか未だ日本国に初めて始まる日蓮宗と云ふ事を知らずと見えたり、高祖日蓮御弟子興目己下折伏弘通の導師闘諍堅固の砌り故に各々帯刀して諸国諸宗を遊学なり何ぞ法華の談林あらんや。
日海登山堅く無用今かる愚難申さば法門は差置き喧嘩致すべし必ず々々御無用、御遠忌近寄り候間命限り明年より普請始め申す存念にて小無尽企て金子拵へ申すべくやと存じ邪魔に相成祖間必ず々々登山御無用々々々。
第八難、右申し上げ候愚弟慎終の事。
在家出家師親の愛隣過ぎ候は多くは人に成り難き様相見え候、慎終口耳の学者弁才面白し此の弁才にては願人にも成りかね申すまじく是より己後は久住山の人となり師に給仕、三宝に御奉公仕るべき様御教訓専要に候浮雲々々、是天頭から当家観心法を教えたる故気分計り高くなり出世出談の志更に之無く候、己に仏法を得たりと思ひふら々々(瓢々)として迷心出来の根元なり是教訓宜からざる故なり。
一、然し乍ら当家は々々々と云ふ迄は要宜如きの晩年僧の申し分なり尤も許すべし、若輩の身分出談喜ぶべきの処に口利口大横著者不屈者なり、其故は何れの談林も新来初心に風寒暑湿の難儀あり又睡眠禁食の事不足、衣類自由ならず上位の小僧所化共に召仕はれ或は呵責或は真木しう(棕)ろ(櫚)はうき(箒)にて打たれ候事大方檀林の通法に候、此等の事兼々聞き及び今更出檀致し上位の小僧どもの呵責に預るも残念にて辛苦も無益なり、然れば寺に居て寒暑の憂も無く飽くまでも飯を喰ひ当家を売つて檀施を貧り取り候事上々吉ならん、されども如何せんと寝覚の愚案に思ひ突き貫純を相頼み師匠愚愛の心中に持ち込み候処案に違はず御承知なり一笑々々。
動もすれば成仏不成仏と云ふ成仏致すことは黐を似つて蝿を取るよりも易きと覚えたるか、檀家を勧むるに題目だに唱え奉れば則身成仏娑婆則寂光の本意を遂ぐると云ふは所詮を取る勧化門の法門と云ふこと諸宗一同なり、譬へば念仏申せば直に西方に往生し真言を誦すれば密厳浄土に至る座禅すれば見性成仏すと諸宗に押渡る所詮を取る勧化門の法門と云ふは只是一往の義なり、成仏の易きに非る故に諸宗一統皆々談林学室を立て宗弘の為に能詮の経釈を学文修行苦行難行自行修行を励むなり、今法華宗の談林と云ふは其即身成仏する南無妙法蓮華経を習学する処なり、四十余年の大小権実の教法は施権の教と申して法華経より出でたり故に経文に於一仏乗分別説三とも雖示種々道其実為仏乗とも説けり、釈迦如来も凡夫の時阿私仙人に千歳仕へて習ひ得たまふ処は妙法蓮華経の五字なり経文に採菓拾薪と時給へば田畑山林菜大根野菜を作り水を汲み山林に入つて真木を伐り種々様々の難行し給へり、然るに難行苦行も無く飽くまで大飯を喰ひ仏に成らんと欲せば熊坂の長範と云ふ盗人にも超え日本左衛門と云ふ盗人にも過ぎたる三宝の食禄を盗み喰へる大盗人に非ずや不届者に非ずや如何々々。
一、下拙拝見聴聞の分にては彼の談林天台の学は御禁制と存じ奉り候事、下拙聴聞○謗法同座筋と存じ奉り候。
此の条●れ果てたる事どもなり●筆前後せり当家の御深旨も知らずして弟子に教へ弟子は不相伝習損ひを習ひ師弟共に阿鼻の業人外に求むべからず悲しむべし、爰を似つて浅学未練に口伝すべからず他見無用秘すべし々々々々と御丁寧の御禁めなり、台学御禁制とは何れの師の禁制なるや日海謗人の教か、蓮興己来当代まで更に之無し、廿六箇条に台学すべからずとは格別の御深意で有るを知らず不相伝にして当家拝見すべからず、台学禁制謗法同座ならば天台の判教に依つて御書四十巻其外御制作あり、興師は御書に依つて流義を立て給へり然らば蓮候の宗流も謗法か、其上御本尊に天台伝教と勧請し給へり如何々々、釈迦如来法華経廿八品を説く天台大師是を釈成す仏意契当の明師なり往古と末代と替れども経釈に替ることなし、法華経は三世の諸仏の説法の儀式を説けり天台の経釈も三世常住なり然らば三世九世は替るとも経釈に替ることなし只是弘経の行相に種熟脱の三益の替りあり、所謂釈迦、天台、日蓮なり、時に随つて行相は替れども経釈は替る事なし同法華経一経の経釈なり、御書は十五の卅四拝見すべし、日海余程学才有るかと存ずる処似ての外の愚才なり此の不才愚眼にて弟子に教へ弟子謬を習ひ師弟の眼力を以て当家を取り抜く多くの謬出来し他の嘲弄に預るべし、然れば衆門より慎終如きに当家拝見堅く停止すべし日海も御思慮有るべし万事日縁己来の通り致さるべしと衆門より厳重に差切つて諌むべし、日海師弟の如く相心得ば其辺には我師の法門小刀細工と云ふ西山末檀あり又他流の寺々あり法門の外にも何なる強難から来らん覚束なし実成寺の瑕瑾に相成申すべく候、夫れ貧福は宿世の業因たる事自他の知る所なり日海貧苦に候はば衆門檀家に相談し歎き候はば三人の所化ども出談出世申すべし、然しるに我慢に出談之無く剰へ台家禁制謗法同座と教へ恐れをも知らず天台大師を謗じ奉り私を以て談義を許し此の悪儀を申し募り両山の法式を打破らんとて態と富士へ登山難渋申す、日眷も日本国の出家談林出世を好む処に日海一人是を嫌ふ故●れ果て房州へ譲り申す故に此の度の難題来る、いかに難題申すとも世出世の定格に背き候間許し申さず、三人の所化ども両山へ参詣致すとも地僧なり天下の御法通り麻衣絹袈裟なり是両山衆門治め方の定格なり若し爾らずば登山堅く無用々々、扨て年来過ぎ候はば富士より御免を蒙り綟子衣著るべし斯く成り候上は其方の免許は取用ひ申さず、談義一生涯両山相叶ひ申さず候、天台大師霜月廿四日御祥突き小豆粥客殿御堂御鉢朝大衆出仕両山の定格なり其寺に之無く候はば今より始め申すべく候日海師弟目覚むべし。
与同罪謗法同座、此の謗法同座の事は御治世には用ひ難し強ひて用ひんとすれば寺両に拘るなり時を待つべきのみとは是れなり。
凡末法は折伏弘経の時節なり智者学者に非んば叶ふべからず此の折伏弘経の稽古の為に出談致す、之に依つて檀家は信施を致し師は貧苦を忍んで資縁を出し弟子は難行苦行して勤学を致す、此の勤学の功に依つて談林にて新説を許し本寺又同じ御教戒を守る志を感じて重く取計ひ申すなり、三世の大願満足出家一人前と成り檀歌僧歓喜殊に檀家信敬の思に住するなり、此の外折伏弘経の志有る僧は父母師匠の恩を振り捨て自他の檀林学室は申すに及ばず目他宗の明匠知識に随身給仕して他の宗義の深意を伺ひ取るは蓮興の御教誡なり要我の御本意なり、日要上人上代拝見引付に定て曰はく学文に三種有り多聞兼学を広とし能宣妙義を略とし唯唱一句を要とす行者入門各別なりと雖も所得の家業惟同じと此の広略要の意を知るべし、然るに内々信心の上の自行の儀式掟たる郷上の御箇条、尊師の御箇条、我師の御箇条、化儀抄千万の化儀法式は是皆自行信心の上の掟なり、表向は折伏弘経の為に天台の学問も外の学問も皆行者門の自行なり、此の差異を混乱する故に種々の疑難起れり此の両義は始終は一なれど紛れ易く込み入たる事なり、故に要師は行者入門各別なりと雖も所得の家業惟同じとの給へり、此の折伏弘経の行者門と信心の上の自行門との両義合点無く混乱して弟子に教ゆる故弟子又混乱して習ひ損じ謬り多し、廿六箇条は台家を学べからず又台家を聞くべしと両段なり、五人と一人との差異なり此の訳合其他に之有り、当家の書中に之有り候へども私に談義を許し我慢偏執両山を難渋せんと欲する愚心迷心故に見ると雖も見えずと見えたり、興師全く天台を謗じ給ふに非ず天台は蓮候外要の師なり、然らば台学すべからず台家を聞くべしの此の両段の御深旨を知らず謗法の様に心得違ひ致す事不才浅学の故か宿業の拙き故か。
第九、葬送作法の事。 我師廿二箇条の幡合して十本残らず取用ひ申すべし爾らずして此の中畧抜差し勝手に致し候はば我師に差図可否致すも同然なり、法門表示の相違猶又先代軽賤大罪人化儀抄の如し、此の記文久円坊日意の書写のみにして外に見当り申さず候日意も何日比の僧にや年代も之無く種々疑あれば真偽決し難く候、此の記の中に位牌無し其脇に机神座抔とあり神座は位牌の事かと存ず然らば位牌は有も無もよしと云ふ意か、承愚案に云はく真諦に約すれば位牌無し本尊躰内帰入する故なり、若し俗諦に約すれば位牌あり世界応同の故なり、所表を云はば多宝塔(死人)釈迦(題目)分身(孝子)なり、又此の廿二箇条は大行寺勧乗坊日定要師の比聴講の老僧当家の大信者なり此砌り臨時の御作意一往の義かと恐れ乍ら存じ奉り候、後世用ひ難きこと三つあり一には位牌二には馬二疋三には他宗の供を忌む、位牌の事他国は知らず此の地親子決定は異論なし若し若い聟か娶か相果て子供之有る時其子に家督相続致させ候や否やの異論あり若し相続人に決定致し候へば男女赤子なりとも位牌持たせ候此の地の風儀か、二には馬二疋貧福共に相叶はず又僧も四五人貧者は叶はず、三には他宗のもの供忌むべしと是又僧俗用ひ難し旁の故か、我師直弟侃師御用ひ之無しと見えたり侃珍東前何れも世出世大旁の明聖上人衆なり、興師一箇条にも位牌あり先代引導記何れも位牌あり右の通に候へば我師廿二条取り用ひ候事必ず無用々々。
宗候葬送記と云ふ写本あり我師己前先聖の写本なり当代取用ふる此の写の義なるべし日縁己来た又日正師己来の通り万事致され然るべく候、此の葬送記は六老僧の書記と存ぜられ候其故は証拠に取用ひたる処二三箇処あり又六老僧●に御弟子方の輪番次帳之有り候へば本書身延にか富士の内に有るか相知れ申さず候、此の葬儀記に曰はく葬送の次第、先火、次大宝華、次香花御経机等計にては幡は無し甚だ寂しく荘厳も之無く候只諸檀方御弟子大勢なり、我師云はく宗祖の葬送は御所の葬送の如しと仰せられ候、天蓋はあれども幡無し其外幡更に無し興師の引導記にも幡の沙汰無し、葬送記に死人は釈迦入定多宝塔を表し入棺出棺行道引導等経釈祖判を引いて釈成りする計りなり、此の葬送記は皆経文の上に約する所表計りなり日蓮一宗諸門徒一同所持と見えたり、四天の幡の事四菩薩の幡の事其外具度の事、日承愚案に云はく仏無量義経を説き畢り入定し(序品の時)給ふ時諸天八部花を雨らし供養す又多宝湧現の時も諸天八部華を雨らし瓔珞幡蓋伎楽を以て供養す死人は釈迦入定多宝塔を表し幡塔は諸天八部の供養なる故に何本と云ふ数も無く限りも無し天より降り下りたる幡なれば其貎も知れず、然るに此の記の文中に棺と天蓋と凾蓋相応と習ふ死人は多宝を表すされば生るる時も草木に助けられ死る時も草木に助けらる、之に付いて四菩薩の相伝あり衣服火炭等は上菩薩、洗水は浄行菩薩、焼く在処は安立行菩薩、天然と出づる風は無辺行菩薩なり示して曰はく一人の死人を四大菩薩に取籠めて守護し給ふ意なり、己上記文、愚案に此の記文に依用して御本尊の勧請に習ひ陀羅尼品の四天を挙げ末法の導師誦出品の四菩薩を挙げ四天の幡、四菩薩の幡、諸天供物の幡を表するは死人を荘厳し寂光霊山に引導する義を表したるなるべし、他流にて鐃鉢を鳴らすは諸天供物の伎楽を表す皆是経文の上に約する諸門徒一同の義なり、然るに此の幡ども是の如き作為は御弟子方御相伝の上にて出来するや将又後人の作為には慥には知れ申さず候、然るに現文分明なる故諸門徒一同に用ふると見えたり、我師も幡は諸天の供物と思召し何本と云ふ訳も限も之無き故当家の観心に約して本因本果を表して幡弐本と遊ばさると見えたり廿二箇条に幡合して十本と然るに四天四菩薩経文に符合する故に当家古来より四天の幡四菩薩の幡を各々其名号を書き用ひ来ると見えたり、経文符合異論異難なし観心の法門は異論あり細工物になる、又諸門徒四天菩薩を地水火風の四大に取る事啓蒙等の諸末抄の如し当家は経文に約して四菩薩を用ふれども諸門徒と其意味大に格別なり、諸門徒は在世脱上に約して上行祭誕日蓮と云ふ義なり当家は爾らず末法下種に約す釈迦上行在世の師弟付属一往の義なり其実義は末法の釈迦則日蓮唯我一人能為救護の大導師一切衆生の本尊仏と云ふ義なり、又四菩薩に約すれば四菩薩は四大なり地水火風は色なり空大は心なり色心不二四大和合一身の五大を取り固めたる日蓮々々即南無妙法蓮華経々々々々々々々々々即日蓮々々即弟子檀那の当躰蓮華仏なり、題目口唱の功徳に依り凡不浄の五大即妙法清浄の五大当躰蓮華真如妙躰と顕れ真の霊山事の寂光へ引導し給ふ事を表す、然れば此の導師幡一本肝要なり一本にても足らぬなり余は枝葉なり荘厳までなり、己上幡五本となる因の五仏性果の五智如来を表す二本の蓮華は本迹二門を表す我師一本を開して三世常住法華一経を表す本迹二門も三世常住なる事祖判の如し、二本の蓮華を加へて七本と成る多宝塔は七宝を以て荘厳す七宝とは七覚支七聖財なり、今性得の七聖財を以て法身(死人)の妙塔を荘厳する事を表す七聖財とは聞信定戒捨慚なり持経者の聞法功徳なり、位牌は多宝(死人)釈迦(題目戒名)分身(孝子)を表す、四菩薩の幡は右の如く四大を表す、四天八部は魔障守護を表す、四華並に盛物等は諸天の供物を表す男女の送り題目の金太鼓は諸天の伎楽を表す供水供養は定水慧食法身の慧命を養ふ事を表す、輿の四仏知見の幡は縮むれば法華経の開示悟入の仏の知見なり死人の成仏を表す。
右の通り先聖の筆記見当申さず見聞覚知迄に慥筆記有るべき処紛失にや相知れ申さず只日承愚案是の如し後哲御評量正義に背き祖はば御投捨下さるべく候。
一、我師一切の幡に南無妙法蓮華経と書き給ふ、此の義置て論ぜずと云つて物品別なれば経文又夫々別なり経文は南無妙法蓮華経の義理効能を断はる処の経文なり、南無妙法蓮華経は如意珠の如し万法具足自在神力の法躰なれば夫々に随つて書くべし、経文即南無妙法蓮華経なり経の外に観なし経観一躰なれども問答決択は経文の上に約すれば自他宗の中に有て異論異難無し、当家下種観心に約して夫々書くべけれども皆小刀細工に相成り申し候、夫よりは今まで有り来る通り四天は四天の名号、四菩薩は四菩薩の名号、導師幡は導師幡の如く有り来る通りに書くべし、信は荘厳より起る檀中教化信敬の為に我師の観心法門は自門内にては然るべし、自他宗流の中に於ては人あやしみ異流異宗と云ふべし申し訳致すまで弱し、是等の義あるにや又貧福一同用ひ難き故旁々に依つて先々先師方御用ひ之無く候。
位牌の事。興師廿一箇等にも位牌あり先師引導記にも位牌あり只我師位牌無しと仰せ候、又机神座抔とあれば全く位牌なしとは見えず俗諦に約すれば有り真諦に約すれば無し、此の真諦観心の法門の意も知らず只位牌無しと云ふ文に染して戒名を●末に致し過去帳は有ても無くても能き様に思ひ檀家の年忌の追善に戒名なくば又何となりとも戒名付け塔婆書くべしと申し檀家不信立腹致し候条之有り是我師の御深旨を知らざる故なり、之に依つて浅学未練に当家の書抄見すべからずとの禁めなり、在家は寺の過去帳戒名家々の先祖を糺して系図に相成り古き石塔年月日符合し施王の名前違うとも村内の水帳名寄帳改めの杯もすれば先祖相分り候事あり、又在家盛衰致すとも古来より種々記録し置く人もあり過去帳は大切大事に致さるべく候、京都要法寺鳥辺山の古き石塔と寺の過去帳と符合する故に近年当時の関白様要法寺の檀家に成らせ候と噂候、此の外武家公家古来古石塔にて檀家或は檀家同然に御信用之有る由承り及び候、妙本寺も大名小名往古縁ある家々之有り候へども何事も手掛り之無く候、開山己来我師まで我師の御時金谷城にて焼失申し候訳之有り夫より己後寛永十八九年の頃迄の事過去帳之無き故一円相分り申さず候、寛永十八九年の古過去帳野子久円旁に居入用之有るに付き本院相尋ね候処仏壇の裏鼠の巣際より拾ひ求め今似て所持仕り候、此の過去帳とても朔二三四日迄切れ紛失せり此の過去帳にて勝利度々あり、依て化義抄に内談々々の言多し真諦観心の上に約する法門多し然る処を其儘取出し事相現見に取用ひ邪魔に成る事は其訳此訳と云ふ事を知らず只事知顔に申し取計ひ候事還て我師の御深旨を打破る者に候大罪恐るべし惣じて要我の抄出は博学多才に非んば知り難し、両師は一代聖教の釈義祖判まで丸呑して詮し明して其上にて仮名同然に和へ仰せられ候、然れば其観心の法門の出処々々可なりにも知らず有るべからず只仰せを信敬し奉る迄に候、秘事は睫の如し秘事計り遊ばされ他流に盗まれ申すべき事を禁めて他見無用他伝無用浅学未練に見すべからずと処々に御禁めなり。
第十、三時の勤行の事。 先段の如し上人一人は年中なり塔中等は弐日、夏中も弐日計り出仕す久遠寺も是の如し何れも百姓致し候故多用なり故に免許なり、房州は四月八日より七月八日まで塔中衆中一日も懈怠無く檀中参詣の故に僧檀一同題目修行なり。
夏の名目遺ひの事。他衆の夏と法華の夏と名同なりと雖も其法躰天地水火の不同なり仏在世の御弟子は行躰九十日を期と為す天台四種三昧の中の初の常坐も常行も九十日を期と為す、然れば夏は期の義なり期は限なり爾前の名目を改めず法華に其儘用ゆる事天台蓮祖の御定例なり例せば都率西方等の如し、安楽世界は弥陀の浄土と云ふ安楽世界は浄土の通称なり、妙楽大師其断りあり妙法華経の言爾前の諸経に間々之有り阿含経に妙法の言あり大強精進経に妙法華経と云へり当躰義抄の引文なり文他経にあり、然らば夏の名目他経にあり先段の如し盆彼岸夏の事皆他経の説是他経の名目法華宗に取用ゆるとも其義法躰大に相違勝劣天地なり、例せば柳瀬村の人名と他村の人の名と其名同なりとは云へども其躰替り尊卑貴賤貧福大に別なるが如し。
第十一、定斎の事。此の事存じ申さず候此の方にも御座無く候、俗人どもの中は塔中台所に檀家の時斎非時覚の為看板に其日其人々の名前を書き記し申し候是を見て云ふならん看板の初に定時斎と書く故是を見損つて云ふなりるべし、定斎と云ふ事は鎌倉良観房が八斎戒の事か八斎戒とは常の五戒と不臥高床と美服と過時不食となり、是が転々して断食不食の邪法を行じ諸人を●かす此辺の禅寺に間々此の邪僧来れり比丘尼多く来り若比丘不法商買同断の事多しと申す噂、六斎日と云ふは経論に散在せり暦者之を用ゆるか六斎日とは八日十四日十五日廿三日廿九日三十日諸天来下して善悪を注記すと提謂経の説なり小乗経なり又大論にも之有り、聖徳太子此の経論に依用して勧善懲悪の御教化ありしとかや、興御禁制は右等の事なるべし。
第十二、客殿開閉扉の事。 日縁己来夫より日正師御代とても両山の如し常は閉帳三大会計り御開帳、願望の信者には不日開帳なり、然れども先規を守らず当家知り顔には昼は開扉夜は閉扉致すべきや否やと申す事其心中心得難し、化義抄の座像の下、御戸帳の下の御示し拝見致し候はば相分る事なり化義抄の如し、高祖大聖は当流の本尊仏主師親の御影微妙甚遠の御尊躰にして全く秘仏に非ず隠すに非ず常に御閉扉致し置く事は僧檀に威儀を示し信敬を生ぜしめんが為なり、例せば帝王は之を置く今日の朝敵対治の将軍在陣の日内外に幕を打ち威儀を示し土卒是を恐る、末法折伏弘通の御影の本尊仏、僧檀並に一切衆生の悪業煩悩の大朝敵対治の為に開扉して威儀を示し信敬を生ぜしむ、将軍も式礼の日外に幕をあけ内幕半分あけ威儀を示し諸札を受け給ふが如し、盆正月御会式は世界応同の式礼日なれば外開扉内御戸帳をかけ僧檀御対面の意、僧檀信敬の思に任せ尊容を拝するなり、又天子は堂を下らず居ながら四海を統御し給ふと云ふが如く久遠寿量の大法王三界独尊の御宮殿の中に居ながら自界他界の一切衆生を利益し給ふを表示するなり、常々御閉扉の所詮は僧檀に威儀を示し浄心信敬を生ぜしめ罪障消滅なさしめ給ふを表し折伏の義辺に当るなり別に子細も有るまじく候、天子将軍大名高家の主人は簾幕ふすま(襖)等の内にあり。
第十三、御堂導師座の事。来命の如く化儀抄顕然なり併し乍ら客殿内経、御堂外相表向き右に坐し候ては内外の差別なし又回向格別なり、御堂は日中天奏、謗法対治、正法治国、天下安穏、仏法広布、令法久住、僧俗二世安全の御祈祷なり是も化他門なり、客殿は内経上求菩提の自行門なり結文を拝見すれば右の座上求菩提とあれば当日導師上人の名代の事なるべきか、既に政道の役人の喩、臣下の帝王主人あるべし、上人是唯我一人の主人正導師自行化他に亘る正面なるべきか、其上右の座は両山共に学頭房の席と定格なり、若し上人も右に座すと云はば右に対する右なれば唯我二人となるなり、正面は北面臣下、南方は生門修行門なり正面なるべけれども化儀抄決し難し恐れ乍ら上人名代と拝見し奉り正面然るべきか、若し所表を云はば左右は空仮正中は中道、三諦一諦々々三身一躰の義を表せば正面なるべきか。
俗典に聖賢宜きに適て之を施す事物を済ふに在り一定に非ずと云ふが如し仏菩薩も又然なり、僧檀信敬世界応同歓喜せば正面然るべきか、己上承が愚案多罪々々。
此の右勝左劣左勝右劣は一箇の論題なり諸国諸本山諸末寺に左右座論あり近年岡宮に是あり公訴に相成漸くに相済み候、元来は宝塔品の二仏並座より起こると申す事に候御本尊の二尊四菩薩の座配是亦六つかしき殊に候後世異論之無き御用心か。頭面礼足白仏言、偏袒右肩合掌等の経文多くあり導師座正たるべきか、一は経文に約し二には自他宗の方●に任せて世間応堂なり云云。
第十四、客殿礼盤の事。 古来論議あり講者の座なり当時人無き故に中絶なり、論講は仏の尊重し給ふ処の法華の大法にして讃歎講談して法味に備へ報恩謝徳を祈るなり、法貴きが故に人又貴きの道理にて礼盤に坐するか此の礼盤の上に天蓋あり小べり(縁)幡の足の如くひらひら(片々)付き四角の蕨手に小幡かけ或はけ(華)まん(鬘)かけて荘厳せり、妙本寺には天蓋無し久遠寺には天蓋荘厳せり、又細草檀林夏末々々に論議あり礼盤講堂の正中央し説法高座も此処なり、能化の住持は礼盤後正面なり諸山同様なり、講謝の法衣は能化住持同然なり古来此の地に之在る時も定めて講者の法衣は上人同然たるべし、此等を以て思ふに唯我一人の上人たる故正面なるべし論議は是上人の名代なり名代既に中央に坐す況や正中の正面なること必然の道理なり、大石寺にも此の礼盤あり先年日●上人近年の明匠なり此の砌り中村談林一致勝劣の異論あり公訴に相成り候、此の砌り勝劣の頭取守全日講と申す僧大石寺に帰門を願ひ大石寺に参り候節客殿の中央に礼盤之有り候、何故と問ひし時日●答に当門に入り給へば自然に相分り候との御挨拶と承り及び候、然らば五山一同に之有り候か但し大石寺と両山計りか、両山と大石寺とは往古子細之有る事泉石問答其外日眷の抄に出でたり。
右十四条々大概是の如し日縁並に要宣打継ぎ日正師隆音如き迄両山の通り致し来り候処日海独り先上人に勝れ己れ独り物知顔にて異流を行ひ候、僧は一代切り檀方は永代に候先達て三寺通信の願も上人我流を行ひ法式相易り愚俗の身にて来世歎かしく存じ候に付き三寺通信願ひ候、然れば日縁己来の法式通り守り申すべき処日海独り大学者振り候へども日正日縁要宣隆音の足下にも寄付き申さず不学文盲前難の条々に顕れ候、此れ不才にして如何なる珍しき事申出で候とも両山に之無き儀は決して相用ひず日海は実成寺の井中にて僧徒身の上作法御公辺の儀一向相分り申さず、然れば日海古来の通り相守る様学者味噌は各々堪忍してなめ(嘗)居り無為に住寺相勤め諸堂等零落の之無き様に信心の志を励み申すべき様御取成し成さるべく候、何事致すとも古来に候はば諸檀中不承知の段申され候へば我情我慢も立ち難く募り行き申さず候日海は我師の廿二条を日正日縁要宣等見ず知らず思へるか愚心謬りなり各御存知なり己独り存知の様に慢心致し門中檀用ゆべからず、又日海は往古より実成寺に異変之無き様に申せども日通己前種々異変あり日通より風儀漸々取改まり候由承り及び候、夫より日縁弥よ両山の法式通りに相成り候然るに日海檀信を貧らん為に又異流を始め候○。
(右は本山日承御上人御作答なり御直筆を拝借致し後代意得の為悪筆ながら書写し奉り候間後世此写本披見の人一返の御回向頼み奉り候、時に文政十一子年卯月廿五日写し終る。定善寺留守居、妙国寺住浄本房日由在り判)
編者云く日由は定善寺歴にして天保十一年寂なり。

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