富士宗学要集第九巻

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附記

一山内にありて離反葛藤に属すべき文献多きは房山なりと雖も該山のみが動揺したるにあらず不幸にして其を残したるのみ、他山と雖も必ず六百余年平穏なる和合海を出現せりと云ふべからず是或いは世相の常態たるべし、但し其の当時又は後日の当局暴断又は英断を以て不祥の文献を焼却し●滅せしめ加之徹底せるは口牌だも残さしめざるに至れる山あるべし、今此等の葛藤の文献を掲ぐる事を止めて其項目だけを掲ぐ、通用和合の二山三山間に於ける顕著の文献無きものも且らく又此に準ず。
妙本寺日珍と日東との間に小事故あり日東より訴へて奉行所を煩はす吟味中日東病死の為に未解決にして終り後年に至り日濃の代に日東の復歴を見る、次いで日濃は村民との間に公事を起し波紋拡大し惣寺家を相手として永く法廷に争ひ江戸に別邸を営みて之に没頭し其の費用に寺宝を典売するの止む無きに至り本山に帰臥する能はず山城燈明寺に客死するの惨事あり、其宝物典怙の件より妙本寺は西山本門寺と事端を構へ万年救護本尊の名目にまで争論を起すに至れり。
石山にても日精と日舜との間に一時相承の縺れあり奉行所を煩はして解決せるなり。
此等一山内の小事故は猶他山にも有るべきなり。
一山己上に亘る通用和合に属するものの殆ど口牌適なもの、又己掲の各文の中より見出し得るものは左の如し。
要山日辰が北山に懇望せられて果さず、寿朔日映が西山に入り同山日志が北山に入りて革正を●りたる、石山日永の門より詮量日寿が望まれて蓮魔に入りたる、次いで文啓日厳が前跡を襲いで日芳と改称したる在職六年にして石山の学頭に帰来して日忠と改めたる、蓮山の量信院日暁が同山を辞して石山末真光寺に転じ帰源院と改め其弟子の中に淳正柳正石山に転じ得正の近きたる等あり、又石山徒日量が豆山に主たりしの説もあり、日精の法弟珠容日●が豆山主となりたるあり。
蓮山日定が北山豆山と転じたるあり。
小泉末より日海が豆山に入りて豆房問答を引き起したるあり。
此の類猶外にもあるべし、況んや末寺分に至りて其交渉往還挙げて数ふべからず、但し此等の交通が世法に左右せられての影響は尠からずと雖も固より同一根複合の機は皆無にあらざるべきを祈る。

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