富士宗学要集第九巻
下、法 難 編
富士門徒の遭へる法難を概観するに表面には次第に其勢を減少したるが如し、是或は官憲の理解が次第に深くなりたるか門徒の信仰が漸く弱くなりたるか又は宗義が一般に認識せられたるかに帰するか、故に六百有余年来未だ熱原法難の如きを見ずと雖も、千葉の法難に至っては疾風迅雷何等の陳弁を俟たずして極刑に処するあり、金沢に至ては小難断続百余年に亘り尾張も亦三十余年に及ぶ、其の罪科を数ふれば熱原に神四郎等の斬罪三人、千葉に源右衛門等斬罪四人、高瀬に日清三郎左衛門の牢死二人、寛政に寛道の牢死、仙台に覚林日如の流刑廿七年、其外重軽の追放及び逼塞閉門扶持離れ所払等の者は数百人に及べり其の仕置の影響する所団体としては熱原千葉を酷とし寛政を大とし金沢を長とす、個人とて日如の半生を長とす、而して門徒は表面に官憲を憚かりてや日如の操行識見も為に報ひられずして貧寺に終身し曽我野の供養塔に香華断絶す、熱原の事蹟が明瞭ならざる、要山本末の辛苦が報ひられざる等、当時門徒の信仰は内面的にのみ深まりて暗影を生じたるやに見え明朗に活●に展開すること能はざるやの観ありしが如し顧みるに法難の起る時必ず外に反対宗門の針小棒大告発ありて其端を発し、内に世相を無視して宗熱に突喊する似非信行の門徒ありて、両面より官憲の横暴を徴発するの傾き多し、本篇に列する十余章皆然らざるは無し、今や聖代時を追うて弥よ仁に弥よ慈に有司此を体して明朗に信賞必罰公平無私兆民此に依りて身心泰らけく一人の無告の民なし、本法難篇なんどは全く往昔の夢物語と成了せん、去り乍ら現世生活の安泰に流れ行く信行は知らず計らず逸楽にのみ遷り行かんに、近年起りたる大東亜戦は此等現生活の大覚醒と成るべきも信仰の徹底には如何の影響あるべきか、門徒の自粛を要する所なりしも、昭和の始より起りし牧口常三郎戸田城聖の創価学会が俄に法運を回復せしが却って非時の国憲に触れ、同十八年の法難を惹起せし悲惨事ありしも、宗祖開山の聖代に還れる信行両全の現状を念へば広布の大願成就に近づくが如き念ひが涌く。 |