富士宗学要集第〇巻
第六章 讃 岐
讃岐の法難は中之坊住持敬慎房日精と大坊檀中高瀬村大庄屋真鍋三郎左衛門との牢死を主とするが何れも直接の史料無し、伝説及び後年の記等は既に上編離合の第八章北讃の争論の三、即ち最後に掲げたるを以て此を省き左に中坊過去帳の記文と大石寺日量上人の記文とを掲ぐ。 猶法華寺先々住日垢師の談に丸亀寺社方屋敷に敬慎房縁と称するものあり敬慎房吟味の時特待を受けて此に座せりと云々、又敬慎房臨終の際御書三十太田抄に依つて、党援の衆と大義を競ふことなく群迷の中に正論を弁ずること勿れと言ひ畢りて死せりと云々。 又日精の字を大石日精の法諱に顧みて清字に改記せるもの多し。 一、大石日量の記 量師の其の史伝草案の中にあり、雪山文庫に蔵す。 敬慎房日清、讃岐法華寺中之坊なり、法難に依て獄中に断食し三十三日を満じて死す、元師其の至信を褒美し一塔を起して予に命じて碑文を作らしむ七言十句なり、則ち妙覚に又別に一章あり。 編者曰く上編第八章松引用のもの是なり。 二、中之坊過去帳の文 廿二日の下に左文あり。 護道院顕妙阿敬慎房日精上人、当寺十三代、宝暦七丁丑八月獄死す、是より先き三年五月下旬より大法の正閏黒白を論じ或は里正或は大里正或は寺社に於てす、終に護法力を以て其績を得たり、然りと●も抗上の罪を蒙り其威に折らるる、断食廿余日、祈伏して権実の僻見を駁す死身弘法の大法師なり。 |