富士宗学要集第九巻

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第十二章 弘  化  度

 弘化三年より同四年末に亘りし自讃毀他件にして江戸寺社奉行所を煩はせしもの、大石寺側は主犯が便玉道林佐源太伴之助、一致派側は円明寺日寿なり、此引合人雙方五十余人に及び皆多少の罪科なりしも最重犯は被告の日寿にして中追放に処せられ、次は原告側にて軽追放とも称すべき便玉道林の江戸十里四方追放佐源太伴之助の江戸払なり、源と一致派側の無法の自讃毀他に黙視する能はざる大石寺檀信徒の蜂起を鎮撫すべき為に日寿に謝罪せしむべく行動したる結果満足ならざるを以て、遂に本山を動かして奉行所に出訴したりと●も、寺社奉行は宗義の内容に関係せず唯其行動が国法に触るるか触れぬかに重点を置き、喧嘩両成敗の如くに裁断したれば即法難便玉道林佐源太伴之助、の法難とも云ふべきものにして、大石上下の多数は法難味至て薄きものたり、日寿に取つては大法難と見るべきも自ら此等の国法理に練達すべき布教師として殊に摂受主義の宗内に生活しながら、不心得に脱線して大石寺を公衆の前に無次の讒謗を敢てしたるより起れる罪科なれば法難にあらず自業自得の世罪なりと云ふべし。
巳上二年に亘りし記録消息等の文献正本写本とも各所に散在すれども猶不足の分あり、富士宮市佐野武勇氏に最も多く、次に雪山文庫、妙縁寺、古川町藤本一家、市川真道、荒井卯三郎等に少分在り、今は其中の佐野氏に在る当時の写本にて曾祖父の弥十郎が村役人たりし為に精進川村下条村分の、脇坂淡路守様掛り大石寺一件裁許状写し精進川村下条村と表題せる冊子を伝持せるの中より無用を省略して主要の分のみ抄記す、又此状に出ずる人名寺名等は一々其概要を左に列記すべし。
一、所化とは現代の非教師階の学衆にあらず、檀林勤学中の人々なれば三四十の老所化あ りしなり、便玉道林は其れなり、
一、留守居とは檀林等の階級により住職格に進まざるもの火之番又は看坊の名にて一時住 するものなり。
一、便玉、弘化四年には三十三歳にて或は細草談林伴頭にて妙道院霑上の次ぎなりしか、幼名勝之助南部藩下斗米秀之進通称相馬大作の一子、文政五年父所刑の時八歳にて妙縁寺日脱に庇護せられて本山荘師の門に入り弁(便)玉日嘉とも荘恩日覚とも称す、本件処分江戸十里四方追放の後容易に赦免せられず道林佐源太伴之助亦同じ、三十七歳嘉永四年陰に大作の忠志に報ひられて南部に止住の新寺を下げらる今の感恩寺なり、時の本山貫主英師は本件の名義人にて又勝之助(便玉)を救へる日脱の弟子たる重縁もありて幕府へ赦免の運動を為し、感恩寺開創の大功を認め嘉永六年三月には談林能化昇進の常例に依らずして越階して英穏院日淳と補任せられたるなり。
一、道林、本件の時四十一歳なり、妙教寺二十九代の住職となる荘師の弟子高岡阿闍梨淳教坊日宜なり、行実の記すべきもの無し。
一、玄道、玄妙房日成、二本松の人にして久遠院日騰の弟子、八戸より紀州に尾張に遊化し当時本山に在り、相当の弘通家なりしが此時は法難にあらずして役僧としての不行届を罪せられて押込(三十日又は五十日)の軽罪なりしは本人としては適罪不足なりしなるべし、而後直に仙台に下り仏眼寺三十代となり嘉永二年に墨塗事件あり同四年に良覚院件あり同五年に備晃院殿の諷経を拒んで孝勝寺等に諌告したる等より、或は退院追院等に処せられたるにあらずやの伝説あれども文献記録等を見ず、而後京坂に布教し本山にて沒す。一、日現、東光地阿闍梨高恩坊、師匠の渡瀬阿日掌も寂日坊住にて代官たり、師弟二代続いて代官たりしが、霑上の後を受けて小梅に住し短命にして沒す、但し相当の自負ありしか、こうろぎや一生啼いて下駄の下、の句ありしと云ふ。
一、諦妙、未だ校へず。
一、佐(左)源太、檀頭家なる狩宿の名主井出氏にして事件の時三十二歳なり、当初より江戸出訴に至るまで壮年血気以上に伴之助と共に活動して檀頭の面目を施す。江戸払の刑は町奉行支配圏内なれども無論所払も添へるものと見え、又中々赦免にならざりし文書残る。
一、伴之助、蓮成寺の檀徒にして下柚野の名主なり、佐源太と同じく三十二歳、当初より大に活躍せるを以て佐源太と同罪にして用意に赦免なく又此僧俗四人の赦免状も赦免年月の口碑も明ならず。
以上便玉道林佐源太伴之助の四人は本件の僧俗を代表する法難者なり。
一、円明寺日寿、寺は三島市芝町に在り日蓮宗本国寺末、日寿は境導院と称し其住持にして地方の巡教師と見ゆ、彼の宗団の中に在り乍ら事件の種蒔を為せしは強義か無鉄砲か、又は瓜島猫沢等等に懇請せられて強いて蛮勇を振ひしかを知らず、日寿の中追放の刑は江戸京都大阪の三都、和泉大和、東海道筋、木曽路、下野日光道中、甲斐駿河の地に徘徊するを禁ずるものにして無論当住の三島(伊豆)には入る事を得ざる程の窮屈さなるが、円明寺には歴代表に其名の残るだけにて当時の文献も口碑も存在せず。
一、光(興)徳寺、富士郡柚野村に在り日蓮宗身延山末なり、住職日逢も最初の犯罪者にして微罪に問はる。
一、円恵寺、富士郡芝富村大久保に在り前と同く身延山末なり。
一、妙覚寺、富士郡柚野村猫沢に在り延山竹之坊末なり、此寺大破無住に付いて修理の勧化に日寿を招して大々的に大石の誹謗を為して自檀の人気を鼓舞したるが本件の近因なり、殊に猫沢の地が大石檀家の多き下条の地に接近したるにも依る。
一、瓜島、富士郡伝法村の字なり、日蓮宗実相寺末の本光寺ありて此附近に大石寺檀信徒あるが故に事を構へたるなり。
 裁許状の中より
 差し上げ申す一札の事。
駿州上条村大石寺日英儀、豆州三島宿円明寺日寿其外の者を相手取り宗儀の筋申し立て候一件、触頭において一と通り糺しの上当御奉行所え差出し相成り引合のものどもを召出さる、○、再応御吟味遊ばさせられ候所拠ろ無く申し争ふ者雙方とも御所用致し難く候、不届の段は左の通り仰せ渡され候。
一、円明寺日寿儀、駿州辺巡説中説法席において何ものとも相分らず先達て一致派説法の節、上条村勝劣派富士門流大石寺信者も宗論申し懸け説法相止め、猶右檀方ども一致は無得道と申し罵り候より富士辺一致派の者不信仰に相成り候間、此度本迹一致の説法致すべく左も之無くば郡中一致派の者は廻説に参詣いたす筋立たず□、之に就き文通差出し候を取調べ風聞の趣に符号いたし候とて多人数聴聞の席におゐて自門の所立を尊称の上、大石寺派にては法華経を片輪にいたし候故利益之無く、本尊の外に諸仏諸天善神を祭らざる分は末法の外道に之有り、或は大石を抱き地獄え落ちざる様に用心の上信心然るべき様と誹謗いたし、○、猶大石寺所化便玉道林より追々心得難き不法の書面差越し候とて、法論は公制の恐之有り猶役寺より年々の制禁厳重の旨書き載せ乍ら、旧格の通り書面にて問答致すべき由を以て門流の規則等相尋ね遣はし、右答へ之無きに付き国制僧とも弁へすと誹謗の上、尋の趣き逸々答へ致すべき旨再応申し遣はし、猶道林えは便玉逃げ退き候事とせも門家の負け疑ひ無し猶返答承はるべき旨にて宛名名僧道林など嘲弄いたし、宗派の一大事決し難くば判者証人相立て面会対決致すべき旨懸合におよび、右の次第を猶説法の節申し触れ候段、一寺住職にて一派の規則を弁へ罷り在るべき身分、宗論自讃毀他の儀に付き兼て仰せ出され並に法理一統の上は諸門和睦致し和曲謗言互に停止の旨、本山どもの誓約にも相背き候始末、不届に付き中追放仰せ渡され候。
 但し御構ひの場所俳諧すまじき段仰せ渡され候。
一、便玉道林儀、三島宿円明寺日寿、大石寺派を誹謗致し候趣き、○、寿量品のみにて余品を捨て候へば片輪の由、本尊の外に諸仏神を祭らずば末法の外道と申し越すを、便玉憤り追々日寿方え面会宗論の儀強て書面を以て往復におよび、道林も同意にて引続き掛合ひ心得難き不法の儀申し掛け候とて、両人とも派違ひの宗躰同意に相成るべき謂れ之無きを弁へ乍ら其身を尊称致し、日寿は宗祖違背恩を知らざる畜生世渡り法門増上慢の悪僧、或は破僧堕獄のもの無学無智僻見闇愚の僧無間地獄の罪人など誹謗し、他流え対し宗論対決致すべき旨押して不法の掛合におよび候次第、宗論並に自讃毀他御制禁を相背き。
且つ下柚野村伴之助外壱人重立つ大石寺檀方ども猫沢村妙覚寺え相詰め同寺組合寺え日寿と面会の儀掛合におよび候砌り、先達て文通の趣も之有り右の次第如何成るべきと時々罷越し様子承り居候始末。
不届に付き両人とも江戸拾里四方追放仰せ付けられ候、但し御構ひ場所俳諧致すまじき段仰渡され候。
一、伴之助佐源太恵助信七惣八儀、銘々の宗派を一致派の僧侶誹謗致し心得難く存じ候して菩提寺え申し聞け其取計ひに任すべき処、三○寺日寿儀兼て大石寺○派を誹謗致し猶猫沢村妙覚寺において説法の砌り○、最寄村々の大石寺檀中ども聴聞に罷越し猶同様誹謗致し候一同心得難く存じ候とて、伴之助は同寺檀頭佐源太は先達て下柚野村一致派光徳寺日逢も大石寺派を御法度の宗旨の由申し成し候に付き詑書付け差出させ候儀も之有り、旁心憎く存じ大石寺え相談をも遂げず宗法規則をも弁へざる俗人の身分日寿え直懸合の上宗法筋聞き糺すべき間説法差留め案内致すべき旨、両人重立つ猫沢村役人どもえ掛合に及び取用ひざるに付き妙覚寺え罷越し日寿え面会致し心得難き廉相尋ぬべき旨直に再応申し込み、組合寺右光徳寺日逢外壱箇寺立入り宗論対決は相成り難き旨断りおよび候を承り請けず掛中日寿を右両寺え預け置き候旨申し罵り、猫沢村役人ども差留め候をも取用ひず、恵助信七惣八は右両人に差続き日々相詰め大石寺檀中多人数暮し、大石寺所化便玉道林も一同妙覚寺本堂え罷り越し候所、伴之助佐源太檀中惣代と申し成し懸合向き引受け数日夜分まで食物等持ち運び理不尽に同所え居り込み罷在り、押して面会申し込み法門尋ぬべき廉の箇条書差し遣し返答承るき旨宗論がましき儀申し掛け、日寿右は相違の由にて組合寺え差出せる同人説法の節唱へし廉書き印す紙え檀中惣代右両人名前書き入させ、日逢外壱人儀は本寺え伺ひの上に之無くては右返答致し難き旨申し聞け節等、日寿を預り一札差出すべく左も之無くば、一同立帰るまじき旨申し聞け押して右書附受取る追つて面会相成り難き旨本寺より申越し候由組合寺より断り受け候後、佐源太方え檀中惣代ども相扣へ日寿等馴合ひ建札致し大石寺檀家を品能く招き寄せ聴聞致させ、或は一致派檀中え申し勧め徒党を結び大石寺派を取潰すべきと相巧み捨置き候へば自然彼派え相移るもの之有るべきなど、事々しく書面書き認め連印致し大石寺え差出し候。
伴之助佐源太は別しての儀一同役儀をも相勤め候身分、右の始末不届に付き、伴之助佐源太は江戸払ひ仰せ付られ、惣八信七恵助は役儀御取放しの上手錠仰せ付られ候、但し御構ひ場所俳諧さすまじき段仰せ渡され候。
一、弥吉、平治右衛門、戸右衛門、庄助一学、求馬、平左衛門、政兵衛、久右衛門、重左衛門、元兵衛、良蔵、市右衛門、栄助、利右衛門、栄左衛門、弥十郎、兵左衛門、文左衛門、保兵衛、嘉源次、佐左衛門、久右衛門、竜右衛門、定右衛門、曽平、権右衛門、幸右衛門、利助、青木村栄吉、中里村米吉儀、(著しき罪跡ならざれば略す)、取留めざる事々しく書面え惣代のもの連印いたし大石寺え差出し候、始末不埒に付き一同急度御叱り置かれ候。
一、諦妙儀、大石寺所化にて下柚野村蓮成寺留守居致し、○、他派の日逢え対し一致派は本檀より施物を受け調法成る宗派に之有り、○右誹謗と唱え候由誹謗同様の儀申し懸け、始末不埒に付き押し込め仰せ付けられ候。
一、直次郎儀、銘々の宗派を一致派の僧侶誹謗致し心得難く存じ候とて菩提寺へ申し聞け其取斗ひに任すべき処、○、俗人の身分他宗派寺院に対し猶経文の証拠等尋ね遣はし宗論がましき取斗ひにおよび候。
始末不埒に付き過料銭五貫文仰せ付られ候。
一、玄道儀、大石寺役僧いたし檀家の法用所化の指揮を引受け居り、一致派僧侶ども説法の砌り大石寺派を誹謗○承り○折柄、所化便玉道林儀三島○日寿瓜島村において説法中○宗法筋追々日寿え掛合ひ往復の上利運いたし候趣き申し唱へ候由を承り、役僧寂日坊日現一同右両人え相尋ね右文通一覧におよび、所化の身分他宗え対し宗論がましき筋にて相互に不作法嘲弄同様の次第を心得ながら其儘にいたし置き、猶日寿猫沢村妙覚寺において説法の節同様誹謗いたし右文通等披露におよび候趣き承はり候節、日現えも一と通り申し談じ日寿え掛合ひ承はり糺し申すべき旨便玉外壱人え申し聞け差遣し候処、猫沢村役人ども取用ひず日寿え面会致させず候由の右の者ども立帰り申聞け候を是又等閑り置き、大石寺檀中惣代と申し成し日寿説法の節に大石寺派を誹謗の始末心得難き廉面会の上相尋ぬべき旨、俗人の身分他宗の僧侶へ対し宗論がましき義申懸け組合寺等断りにおよび候をも承り受けず、居込み書付け等押して請取り候を承りながら如何の義とも心付かず罷り在り、追て最寄り村々檀中惣代ども連印を以て大石寺派は末法の外道などと申触らし候段捨置き難く候間、其筋え出訴いたしくれ候様大石寺え申立て候節に到り日現えも申談じ同寺日英え右檀中願ひの事由聞け出訴致すべく、日英病気に付き名代に罷出で候様申付を請け候一躰の始末、最初より日英承知にて檀中を以て掛合せ候趣きに訴状取繕ひ出府の上役寺において不都合の廉察度を請け容易に添簡致すべく躰之無くとて、御奉行所え欠込み訴へいたし追て役寺より差出しに成り御吟味の上便玉道林御呼出し之有り、日寿え往復の次第拙僧も心得在るべき旨御吟味を請け有躰に申立て候はば如何様御察度之有るべきも斗り難くと存じ便玉の申分不都合の由を以て尚又代にては成り難く日英其外地中重立候もの御呼出し。
右の日英重病にて罷出で難き由を以て代兼寂日坊日現出府の上御吟味の節有躰申立て候。始末不届に付き役僧御取放しの上押込め仰せ付けられ候。
一、大石寺日英儀、役僧の内寂日坊日現は一山の法要寺領其外、玄道は檀家法用所化の指揮を引受け○、所化便玉道林儀○日寿え宗論がましき不法の書状○存ぜずとも。○佐源太其外の者ども連印○出訴相願ひ○俗人ども他派僧侶え自身掛合におよび候義○余義無き次第とのみ心得、折節病中○玄道に名代出府の義を申付け訴状等打任せ置き、○訴状取繕ひて相認め候をも存ぜず候段病中とは申しながら等閑の至り。
右始末不埒に付き逼塞仰せ付けられ候。
一、寂日坊日現儀、大石寺役僧兼帯致し一山法要○、拙僧弟子○便玉道林義○日寿に掛合に及び○、玄道一同両人え相尋ね右文通一覧におよび、○心得ながら其儘いたし置き、尚○妙覚寺において便玉道林○其後の始末も相糺さず、追て日英出訴○玄道を名代○万端同人に打任せ置き、御吟味の上玄道申し口不都合の由を以て御呼出し之有り○、玄道え対し気の毒に存じ候とて一旦同様申口を合せ罷在り候。
始末不埒に付き逼塞仰せ付けられ候。
一、光徳寺日逢儀、○、左候へば大石寺儀は不受不施の趣に之有る由申し●り候を、○、扱人立入り巳来右躰の義申すまじき旨書付け差出し候とは申しながら。
右始末不埒に付き逼塞仰せ付けられ候。
一、円恵寺日●儀、○日寿説法の砌り○大石寺派を誹謗致し候節前座説法いたし罷在り候はば、右躰の他派誹謗の義差留め申すべき処等閑に打過ぎ候。
始末不埒に付き急度御叱り置かれ候。
一、猫沢村名主組頭ども儀、村内妙覚寺において○大石寺派を誹謗いたし候由を以て、○伴之助外壱人○便玉道林○、後に伴之助○名人数日々妙覚寺へ相詰め○、厳しく差留め右躰の義之無き様取斗らふべき処○其儘に致し置き候。
始末一同不埒に付き名主は過料銭三貫文仰せ付られ、与頭どもは急度御叱り置かれ候。
右、仰せ渡され候趣一同承知畏り奉り候、○、仍て御請の証文差上げ申す処件の如し。
   弘化四年十二月十六日
(此下便玉道林より大石寺派側の僧俗四十四人、一致派側の僧俗六名、一 致勝劣側三名の役寺の奥印を略す。)

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