J.B.ORGAFunky Diary 別冊付録 マジ篇

☆全国大会連続出場の頃の東高吹奏楽部
 毎年ほとんど1、2年生だけでコンクールに臨む武生東高は、4月に新入生が入部するまで
その年の戦力分析もできないし、自由曲も決められない。しかしそんな中で全国大会に7連続
出場できたのは、前顧問の奥田先生の力と、北陸大会を抜けるのがそれほど難しくなかったか
らであろう。
 全国大会最初の4年間は、奥田マジックといわれる「技術がなくともそれらしい音楽にまと
めあげて(デッチあげて)しまう」という超ペテン師的指導力(誉めてるのかけなしてるのか
わからないけど、明らかに誉めてるんです)と、たくさんの合奏講師の指導を受け、その中の
いいトコ取りをする方式で、北陸を通過。しかしそれだけでは普門館では毎回銅賞。
 奥田先生の下で修行を積んだ私が後を引き継いでからは、年間を通して作曲家の小長谷宗一
先生と地元の講師村上義雄先生にサウンドづくりの基礎から指導を受け、一人ひとりの技術の
向上とバンド全体の基礎力、合奏力アップに力を入れた。その成果があって、全国ではなんと
か銀賞のレベルまで達することができた。

☆低迷期の東高
 2年前、東高は、史上最低のレベルと言われた。
 前年全国大会で銀賞を獲得した3年生が抜けた後、これまでで最高の41人の新入生が入部、
4月より練習を開始したが、その中には初心者が多く、逆に2年は26人と少ないこともあっ
てか、全くいい音が出ない。6月に自由曲を決める時期になっても、部員の技術は向上しない。
 苦肉の策として、自由曲は、3月末の定演で演奏した比較的簡単な小長谷先生のオリジナル
曲「紫式部幻想」。これなら引退した3年生でも演奏経験があるからコンクールには助っ人と
して呼びやすいし、小長谷先生もレッスンしやすいし。

 県大会は、初の2番手での通過。東高凋落の傾向が周知のものとなってしまった。

 背水の陣で臨んだ合宿と北陸大会。結局は、部員の技術も、意識も、相当なレベルにまで向
上した。北陸大会での演奏は充実し、演奏後自然と涙があふれてくる感動的なものだった。
「史上最低レベル」の汚名を返上し、立派に成長した部員達。
 しかし結果は、北陸大会3位。常勝高商と、近年確実に底力をつけてきた石川県勢の筆頭、
金沢市立工業高校に、全国への指定席を譲り渡すこととなってしまった。
 多くの人は、「いい演奏だったが、自由曲が簡単すぎた。」と言った。確かに全国を狙うに
はそう言えるかもしれないが、あの曲だったからこそここまで戦えたし、みんなが一つになっ
たという感動も得ることができたんだと私は断言する。

 さて、起死回生を期しての昨年度。40名超の成長した2年生は、きっと十分に力を発揮し
てくれるに違いないと思いきや・・・・、意外にも北陸大会直前の合宿では、まださらえきれ
ていない所、音が確実に取れていない所などが発覚、合奏中心にまとめるはずが、パー練やセ
クションで作り直す作業を強いられた。
 それでもなんとかまとめあげ、北陸大会では手応えアリの演奏。しかし前年度のような感動
は感じられず、結果はなんと東高史上最低の、北陸大会銀賞。
 あとでテープを聴いてみると、ピッチが合いきってない雑然とした演奏。生徒達とのミーテ
ィングでわかったことは、金管と木管、あるいは1年と2年、パート間で意識のズレがあり、
結局精神的にまとまらないまま大会に臨んでしまったこと。このコミュニケーション不足、
相互理解の欠如を皆大いに反省し、これ以後の最重要課題とする。

☆今年度の東高
 今年は最初から真剣にマジだった。必死の新入部員勧誘で、30人は突破、バランスよくな
るように巧みにパート分け。
 4、5月のレッスンでは、近年になくいいスタートとのご講評。
 「よーし、今年こそ!!!」と、課題曲4、自由曲は定演メインの「クレムリン」に早々に
決定し、準備態勢完了。しかも、これまではAチームに入れないメンバーはC部門(24名以
下の部)に参加していたが、対抗する団体もいないし、いつもマーチなどの簡単な曲を消化し
きれないまま終わり、力もついていないという前例を考慮し、無理かもしれないとは思いつつ、
同じ自由曲で、B部門にチャレンジすることに決定!
 しかも、二人の若い顧問にも勉強の場をということで、結局このような体勢でコンクールに
取り組むことになった。
 全日本コンクール:Aチーム=指揮 植田、Bチーム=指揮 渡辺
 中日コンクール :Aチーム=指揮 岩田、Bチーム=指揮 渡辺
つまり、両チームとも、2種類のコンクールに挑戦、A,Bチームは、オーディションでその
都度決定することとした。
 さて、7月24日の全日の県大会では、Aチーム(オーディションに合格した44名)はも
ちろん、Bチーム(初心者+惜しくもAチームに入れなかった者+足りないパートを埋める3
年の助っ人6名=30名)も金賞の県代表!
 次に、7月30日の中日の県大会では、BチームからB.SaxとTubaの2名がAチームへ。代
りにBチームには3年生の有志HrとEuphを加えて参加。全日県大会の勢いから、こちらも両
チーム代表を!と意気込んでいたが、先にあったB部門での本校の演奏は、全く精彩に欠ける
ものだった。ミスは多い、音は出ない、何よりも全日の時にあった勢いがない・・・・・演奏
後の記念撮影の時にも生徒に笑顔はなし。本番の失敗は責めない私だが、こればかりは叱った。
十分にできるはずのことができなかったから。聞けば要ともいえる低音の二人が抜けたため、
拠り所を失って不安になってしまったとのこと。メンバーが替わったのは気の毒だが、一人ひ
とりが責任を持って自分のパートを演奏していなかった証拠である。初心者の多いBチームに
それを求めるのは酷なことかもしれないが、でも彼らは全日北陸大会に参加する立派な県代表
チームなのである。甘えは許されない。涙をのんだ他校の生徒も多いのだから。

 どんどん長くなるので、今日はこのくらいで。続きは近日中にアップ。・・・でも読んでく
れる人はいるのかなあ。