このページは、旧堅海小学校の木造校舎に関するページです。数年前に、ここで写生会をした写真などを掲示しています。現在、校舎の一部(体育館)が取り壊されました。現存の本館部分は、小浜市の発掘資料等の物置などに使用しています。(2002・9・8現在)
記録ノート
平成9年5月5日子供の日、旧堅海小学校(福井県小浜市堅海)で「木造の校舎と過ごす会」を開催しました。
地元のこどもたち始め、堅海小学校に勤務されていたなつかしい先生方、家族づれ、ほか、小浜市内、敦賀市、大阪などから73名の参加がありました。
小浜出身の画家 藤原和子さん(茨木市)のご指導で絵画教室もあり、みんな楽しく絵を描く時間を過ごしました。できた作品は、次々と椎の大木の回りのパネルに貼りました。6年前廃校になってから、長い間独りぼっちだった椎の大木もこの日はごきげんな感じで、五月の風に新しい葉っぱを揺らしていました。
ほんとにすてきな雰囲気になりました。いつまでもそのままにしておきたいようなそんな椎の木の下のギャラリー。
木造の校舎のやさしさと、包容力につつまれて、みんなゆったりとした時間をすごしました。昼は、もと堅海小学校の給食のおばさん野村カナ子さんを中心に6人の女性で「ほお葉めし」をつくってくださいました。いい香りを食べながら、初めて会ったメンバーとは思えないほどすてきな昼食席になりました。
「二十四の瞳」の岬の分校を思うようなこのすてきな校舎、本当になくなった時、みんな失った風景を探すのでしょう。建物や風景だけじゃなく、失った時間も探すのでしょうか。
書いた絵やは、堅海児童館に保管しています。垣本までおたずねください。
○問い合わせ先
このホームページをご覧になった方、よかったらメイルください。 kazu-o@mitene.or.jp
「堅海小学校でおもしろそうなことやってますね。校庭に生えている木がうれしそうでした。というあたりに、大森さんの感性を感じます。また、紹介してくださいね。木は、ほんとにいい。そう思います。有機物である人間には、有機物である木の家が一番いいのです。1000年かけて育った木は、切ってから1000年生き続け、死んでしまうまでに1000年かかるといいます。そんな材料は木以外にありません。商売柄言うわけではありませんが、学校の校舎も、木が一番いいのです。福井県は遅れていますが、よそでは、後者のたてかえに木造を採用するところがすごく増えています。その意味では堅海小学校はこの近辺に数少ない木造校舎です。そのよさを是非もっとPRできたら...と思います。ぼくが言うと商売じみていやらしく聞こえるので言いませんが...。でも、商売ぬきにしても、ぼくは木が大好きです。」1997.5.8
去る6月14日に開催された97若狭つり祭りの前夜祭で、山城さんがお話になった小学校の卒業生です。当時の授業は複式で担任は広瀬秀子先生(結婚されて三田村姓になった)久須夜の峰をまなかいに、明るく強く我が校舎 緑の風もそよそよと、明るく強く、我ら我らああうるわしき阿納尻校。あめのひも、ゆきのひも---
我が母校は廃校になり、卒業後40数年の月日が経過したが校歌とともに13人の同級生の当時の顔を懐かしく思い出す前夜祭でした。小さいころ阿弥陀堂の後ろで見た西の山の真っ赤な色が母校の焼ける色と知ったのは弟の通信簿を両親の代理でもらいにいったとき、わたしの小学校時代の担任だった”こって牛先生”(吉田先生)がダルマストーブの横の焼けた跡を示しながら教えてくれた。7年まえに廃校となり残念ながら廃校の式典には参加することができなかったが校歌の額縁はどこに行ったのかが気にかかります。いろんな思い出が懐かしく、また楽しく記憶によみがえる阿野尻小学校の校舎が存在し続けてほしいものです。1997.6.22
(旧)堅海小学校は、現在、体育館が取り壊されて、教室のある本館だけがかろうじて残っています。小浜市が管理し、発掘関係の資料の保管庫になっています。サクラの木も椎の木もまだ元気です。2002.9.8